来年のカレンダー

P_20181213_154629_vHDR_Auto.jpg ようやく昨日あたりから、出入り業者が、職場に来年のカレンダーを持って来はじめた。
今までだと12月の第1週ぐらいにはカレンダーを持って来る営業さんが多かったのだが、今年は例年より少々遅い。

その原因として、来年の天皇の代替わりのことがあるのかもしれない。例のカレンダー業者を悩ませたという、来年のゴールデンウィークの驚異の十連休のことである。

5月1日の「即位の日」を国民の祝日とし、それにより祝日に挟まれることになる4月30日、5月2日は、従前の祝日法の規定により国民の休日になる。
曜日のめぐりあわせも含めて、来年は4月27日(土)から5月6日(月)まで十連休になるというわけだが、先日閉会した臨時国会で正式に決まるのを待っていたのかもしれない。

私は来年度はフルタイム勤務ではなくなる予定なので、休みになれば日銭が入らないことになるので、別にありがたいことはないのだけれど。


P_20181213_161922_vHDR_Auto.jpg さて、そう思って届いたカレンダーを見てみると、4月30日「退位の日」、5月1日「即位の日」などの記述はあるものの、前後の日付などは祝日表示の朱になっていない。また、12月23日は「平成の天皇誕生日」と記しているけれど、やはり平日の色使いである。
結局、中途半端な対応になっているわけだが、それなら祝日シールとか、赤い日付のシールとか、そういうものを添付した上で、早く配布・販売すれば良いのじゃないだろうか、誕生日シールとか飲み会シールとかが付いているカレンダーがもあるのだから。

自宅に届いたカレンダーには、再来年2020年の1年表示が付いたものがあるのだが、そちらでは2020年2月23日が新しい天皇の誕生日で、この日が日曜なので、月曜日が振替休日の朱表示になっている。


以前は、カレンダーとともに、手帳やビジネスノートなども届いていたけれど、この頃はスマホが普及して、手帳類を使わない人が増えたことを反映してか、そうしたものは少なくなっている。私も以前は某社が持って来るスケジュール帖を長年使っていたけれど、スマホを持つようになってからはスケジュールはスマホ(正確にはExchangeのモバイルアクセス)になって使わなくなった。

それでもニーズが高いのは、すぐ目につくところに、少し癒しの要素もあるカレンダー。とりわけ家庭では、ゴミの日や行事などを書き込んで家庭内コミュニケーションに役立てることが多い。そうした用途のためには、前に書いた理想のカレンダーがよろしい。

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「地域再生の経済学」

Jinno_Chiiki-saisei_no_keizaigaku.jpg 神野直彦「地域再生の経済学―豊かさを問い直す」について。

なんだか、小説のプロットを読んでいるような気分になる。それも、今いるこの世界とは別の場所に、同じような人々が生活を、経済を営んでいて、その世界を舞台にした小説が書かれる、そのための社会の設定というような。

なぜそんなふうに感じるのか、理由を考えると、この世界の具体的な事象の記述は少なく、またあっても、著者の解釈のもとでの経済活動の記述で生の形では示されないこと、結局、全体に思弁的な書きぶりだからだと思う。

著者は地方財政の専門家として著名な方ということで、役所的な記述になっているからかもしれない。


そのエッセンスからさらに主張するところを取り出すと、日本や米国の地域政策と、ヨーロッパのそれとは異なる、むしろ逆ということが言えるようだ。

序章  人間生活を問い直す
第1章 工業社会の苦悩
第2章 市場社会の限界
第3章 財政の意味
第4章 日本の地域社会の崩壊
第5章 財政から再生させる地域社会
第6章 税制改革のシナリオ
第7章 知識社会に向けた地域再生
終章  地域社会は再生できるか
日本では、明治維新、そして廃藩置県が、強力な中央集権国家を創り出したが、その一方で村落共同体を破壊した。
一方、ヨーロッパではコミュニティが生活の基本になっているという。
本書には次のエピソードが紹介されている。

どこにでもありそうな小さな田舎町、そこの人がなぜストックホルムへ買い物に行かないのか。みんながそんなことをしたら、町の商店がつぶれてしまい、結局、自分たちが損をすることになる。

昨日の水道の問題も、地域で支える気持ちが必要なのでは。


中央集権国家に直接支えられる「自治体」というのも変なはなしだけれど、コミュニティが崩壊すると、結局は国家という遠いところの装置を、自治体という遠さは少しましな公をつうじて、かろうじて、地域の生活に必要なものを提供する。

2025年の万博開催で湧く大阪だが、大阪の頑張りといっても、所詮、中央権力をあてにしたものである。そしてそれ以上に、その頑張りは2位を守るためのもので、3位以下の都市を衰退させる結果にもなりかねない。東京との差はどんどん広がり、大阪は2位でも3位以下と同じ、団栗の背比べ状態になっていくのではないか。というか、3位以下を蹴落として(1位は手が届かないのであきらめて)、2位を守るのかもしれない。

2018-11-27_103553.jpg 著者は、ヨーロッパ型のコミュニティを基盤にした社会に共感されているようだ。コンパクトシティというのは、コミュニティ型社会でないとうまくいかないかもしれない。
そして、IT化が進展した知識社会では、従来の国民国家は、超国家的機関(超国民国家機関)と、地域社会へと、異なる方向へ分裂し、解体していくと予言する。

近代化はコミュニティを破壊すると思ってきたが、ヨーロッパではそうでもないらしい。
それはどうしてなのだろう。
地元で買い物をするというライフスタイルはどうやったら生まれてくるのだろう。

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水道の民営化

昨日、臨時国会が閉会した。
この国会も、重要な法案を成立させた「決められる」政府の面目躍如である。
特に重要な成果は、外国人労働力の導入を拡大するための入管法改正と、水道事業の民営化を可能とする水道法改正。

入管法改正では、最後まで「移民」ではなくて「労働力」だと、技能実習生の実態を正確に答弁していた。人権を要求するような移民ではなく、あくまで労働力なのである。また、力仕事や忍耐の必要な仕事は、日本の若者にも嫌われる仕事であるから、それに耐えられるには高い技能が必要で、これを習得して故国へ持ち帰ってもらうという制度の趣旨にも則うものらしい。

もう一つの水道法改正だが、改正を必要とする理由はいくつかあげられていた。

1 水道設備が老朽化していて、更新・メインテナンスに多額の費用がかかる
2 都市への人口集中が進み、過疎地を抱える自治体では、一人当たりの負担がどうしても大きくなる

これらが自治体の水道経営を圧迫しており、今後ますます水道経営が困難になるから、今のうちから手をうたなければならないという。

ということで、虚心坦懐に考えてみたのだが、民営化すればこれらの問題が解決するのだろうか。

これらの問題解決をするために法改正して民営化するのだから、解決しなければ改正の意味がないということになるが、こうした論点で議論されたんだろうか。
どうも、事業方法の選択肢を広げるだけだから、イヤなら公営のままいけば良い、効果を検証する必要はないというような主旨で議論をかわしていたように思った。
(こういう場合、民営化しない場合は赤字でも助けないぞ、という含みがあることが多い)


まず2についてだが、民営化すれば解決する可能性は高いと思う。人が少なくて給水効率の悪いところには、水道を通さないという解決策が可能になる。今まではライフラインだと言い、公共性が高いといい、そういうところにも、出来る限り遍く水道を供給してきたが、民営化されれば商売が成り立たないならその必要はないということになる。

1については、役所ではなかなか値上げができないが、民間だったらすぐに値上げができるという解決策がとれる。なんといっても、役所は非効率であるから、最高の効率を引き出す民間が努力した結果、料金が上がるのなら、それはしかたがないと消費者(消費税も10%)も納得するに違いない。

このように危機に瀕している水道事業の民営化は、事業の継続を考えた解決策である。
そのサービスを受ける住民側の不利益はよくわからないが。

今回の議論では、逼迫する事業をなんとかしなければ、と役所は非効率といういつもの言説がセットになっていたようだが、役所が効率が悪いというのは、商売のしかたの問題ではない。
たとえば人件費でも、市役所で一番給料の高い人は市長だろうけれど、民間の社長や会長みたいに年間1億とかはもらっていない。せいぜい2,3千万円というところだろう。

10億とか20億とかもらっていて話題になっている人がいるが、前にはソフトバンクでは1年10ヶ月で349億円ももらっていた人もいる。民間だから払える、払って何が悪い。
そういえば、官民で設立したファンドで、社長・取締役の給料が1億円超だったのを政府に値切られて、11人の取締役のうち9人が辞任したという事件もある。
役所にも、プロダクションにはあまりかかわらないのに結構な報酬をもらっている人たち(選挙で選ばれている)がいる。とはいうものの、全体の事業費からすれば、これら「役員」に払われる報酬はたいしたものではない。
一部の報道では、水道職員の問題も取り上げられていたが、昔はいざしらず、近年は水道工事の施工業者は民間であろう。昔、土木技術は公共部門が保有していたが、今はそのノウハウは民間にあると思う。
ついでに言うと、総じて自治体職員の能力は高く、馬鹿がやっているから効率が悪いとはいえない。私が知るところでは、多くの自治体はコストカットに真剣に取り組んでいて、それは民間の比ではない。民間ならコストは利益が出ていればそれほど問われないが、役所には利益というものがないから、際限のないコストカット、これで十分という基準がない。


役所が非効率というのは、本質的には仕事の仕方の問題ではなく、民間だったらやらなくて良い仕事をやるから効率が悪いのである。
民営化したからといって、同じ仕事をしていて効率が上がるわけではなく(むしろたいてい下がる)、やらなくて良いと(声の大きい人が)判断した仕事をやめることで効率が上がるというのが、民営化の実態である。

その証拠に、地下鉄の民営化は黒字だからできるので、バス事業の継続は縮減されざるを得ない。
あるいは鉄道の廃線では、第三セクターという形で地元公共団体が(儲からない=やらなくて良い)鉄道事業を支えざるを得なくなる。
逆もある。JRが民営化して黒字なのは、旅行業・不動産業・物販業などへ進出できたことが大きいと思う。これは、禁止されていた儲け口が、民営化で自由にできるようになったからだろう。


水道に戻る。
つまり、人がほとんどいない僻地にでも、役所の責任で水を届ける。民間だったら引き合わないとしてやらなければ済むが、そのことを見直すことはまず許されない。(議会が反対するだろう)
給水停止となれば、強い抗議を受けるだろうから、そこの給水については、市役所が事業者に別途費用を積んで依頼することになるだろう。

市街地で歩の良いところは安くできるかもしれない。そして多数の市民は民営化して安くなったと喜ぶかもしれない。ところが歩の悪いところは、実質的に税金で運営されることになる。

ただし水道は多分、事業者が決定してしまえば競争はない。赤字覚悟で受注しても、後から取り返す算段をするだろう。

役所も議会も、民営化=効率化=推進すべき施策という図式に乗れれば、有権者に説明しやすいだろう。そういうわけで、今回の法改正は、役所を重荷から解放することになるかもしれない。

結局、儲かるところは民間で、儲からないところは役所でという、ここでも民間活力活用の基本原則が貫かれるに違いないから、自治体側も、それを踏まえて水道事業のありかたを検討する必要があるだろう。

今回の法改正で、日本の水道が外資の食い物にされるというような話をする向きもあるようだが、それについては、そうなると限ったものではないと思う。
しかし、法改正では、水道の広域化推進も織り込まれているという。広域化案件、すなわち規模の大きな案件では外資が強いかもしれない。(あっ、これが狙いか?)

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“「産業革命以前」の未来へ”

第1章 ビジネスモデルの「先祖がえり」が始まった
1 なぜ大航海時代を振り返るのか
2 官僚帝国だった中国の末路
3 イギリスは、なぜスペインを追い抜けたか
4 日本は世界から国を閉じた
 
第2章 産業革命は何を変えたのか
1 産業革命で経済モデルが大きく変わった
2 アメリカ「金ぴか時代」の大金持ちたち
3 巨大組織の時代になった
 
第3章 IT革命がフロンティアを生み出した
1 通信・情報という新しいフロンティア
2 電信、電話、ラジオ、コンピュータ
3 再びビジネスモデルが転換する
 
第4章 GAFAという勝者たち
1 GAFAとは
2 GAFAを創業した人々
3 新しい技術をどう収益化するか
4 技術のジャイアントは続くのか
 
第5章 ユニコーン企業は次の勝者になれるか
1 ユニコーン企業とは
2 シェアリングエコノミーでのユニコーン
3 フィンテックでのユニコーン
4 ユニコーン企業は社会構造をどう変えるか
 
第6章 未来を拓くAIとブロックチェーン
1 AIは何を可能とするか
2 ブロックチェーンは何を可能とするか
3 AIとブロックチェーンで人間の働き方はどう変わるか
 
第7章 中国ではすべての変化が起こっている
1 長い停滞から目覚めた中国
2 産業革命型企業と水平分業企業の共存
3 GAFAの中国版である「BAT」
4 中国でのフィンテックやブロックチェーンの急成長
5 中国は数百年の後れを飛び越えようとしている
 
第8章 では日本はどうすべきか
1 日本にフロンティアはなくなったのか
2 企業が生まれ変わるためには
3 新しい働き方をどのように実現させるか
野口 悠紀雄 “「産業革命以前」の未来へ
―ビジネスモデルの大転換が始まる”
について。

「世界史を創ったビジネスモデル」とかなり重なっているところがある。
「世界史を…」との違いは、近代社会に直接つながるであろう時代からとりあげ、IT社会で急速に新しいビジネスが出現してきた、まさに現代に重点が置かれていること。

タイトルの“「産業革命以前」の未来”というのは、産業革命が大量生産・大量消費の時代、フォーディズムを基軸にしたビジネスモデルだったことに対して、ITによって実現されるようになった、多種適量、ニーズ応答、ロング・テールというような商売が元気になってきた、そして、それが進む「未来」のビジネスは、産業革命以前のビジネスに通ずるものがあるということのようだ。

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また、著者がかなり注目しているのがブロック・チェーンで、中央で統制する「権威」がなくても信頼を得られる技術基盤が、とうとう実用になったという面。

ビットコインで急に有名になった技術だけれど、私はその萌芽はすでに30年ぐらい前、電子公証サービスに見られると思う。Surety社が提供していたものだが、今、あまり名前を聞かないが、どうなってるんだろう。


ただ、私が思うに、だからといって大量生産方式がなくなるわけではないと思う。インターネットさらにはIoTの時代には、大量のICチップが必要とされる。この面では間違いなくさらなる効率的な大量生産が続くだろう。そしてそれを支えるのはシリコンウェファーをはじめとする半導体材料のやはり大量生産。人間の知的活動を集中させる仕事もあれば、人間はほとんど必要とされない高度に自動化された大量生産工場、そのどちらも未来の姿だと思う。

多種多様、ニーズ応答のさまざまな商品だけでなく、ビジネスモデルそのものも多様化しているのだと思う。

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PayPayを使ってみた

Screenshot_20181207-084310.jpg Screenshot_20181207-082544.jpg 前にPayPayをスマホにインストールしたが、一昨日に、はじめて実際の決済に使った。

前日の12月6日にはSoftbank、Y-mobileの大規模障害があったり、その前の12月4日には(還元キャンペーン初日で利用が殺到したか?)、PayPal自体の障害と、トラブルが続いていたけれど、7日の決済はスムーズだった。

使った場所はFamily Mart、買ったものは煙草(ピースライト3箱)。
店員に、「PayPay使えますか?」と聴いたら、「大丈夫ですよ、バーコードを画面に表示してください」と。

最初、認証後の初画面のバーコード(少し小さい)で読もうとしたが、うまくよめなかったので、それをタッチして表示される大きいバーコードの方で読み取ってもらった。
とほぼ同時に、決済完了画面。1500円分である。
P_20181207_083919_vHDR_Auto.jpg そして、この決済完了画面に、300円の還元額を2019年1月10日に付与する旨の表示。

買ったのは煙草だけれど、煙草は10月に値上げ(ピースライト460円→500円)があって、買いだめしておいたのが、ちょうど切れたところ。であるけれど、PayPayを使うと3月末までは20%の還元があるから、実質400円で買えるわけだ。

Edionで暮れの買い物用と思っていたが、Family Martで煙草を買うというのも良い。
(PayPayは他人に譲渡もできるので、煙草ギフト券より良いかも)

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「昭和史 七つの謎」

5104D7W8M9L.jpg 保阪正康「昭和史 七つの謎」について。

この著者の本は今までにも何冊か読んでいて、そして好感をもっているのだけれど、この本(電子版)は、なぜかやたら安く売られていたので、それほど期待せずに購入した。

電子書籍サイトから割引クーポンはたくさん出てるけれど、「最大○○%」などと表示しているものは1万円以上とか、結構な買い物をしなければならないし、対象商品限定というタイプだと、いいかげんなノウハウ本のできそこないみたいな本か、まったく関心の湧かないコミックス類。それからするとこの本は異例。
保阪氏の本だから真っ当なものだと思うけれど、40%割引(637×0.6=383円)の対象になっていて、なぜこんなに安い?
今までの著作の焼き直しばっかりの廉価版? と疑っていた。
(初出が1999年で、文庫版の電子化が2003年と古いから?)


まえがき
第1話 日本の〈文化大革命〉は、なぜ起きたか?
第2話 真珠湾奇襲攻撃で、なぜ上陸作戦を行わなかったか?
第3話 戦前・戦時下の日本のスパイ合戦は、どのような内容だったか?
第4話 〈東日本社会主義人民共和国〉は、誕生しえたか?
第5話 なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったか?
第6話 占領下で日本にはなぜ反GHQ地下運動はなかったか?
第7話 M資金とは何をさし、それはどのような戦後の闇を継いでいるか?
番外篇 昭和天皇の「謎」―保阪正康、原武史
本書でとりあげられている「謎」は、今までもいろんなところ、いろんな人が解こうとしたものだと思う。こういう事件であったと、多くの人が学んだ歴史だ。そういう意味では、聞きなれた話と言えないこともない。

しかし、テーマに新しさがなくても、保阪氏自身の調査をもとにして新しい証言や発掘資料を使って書かれた本書では、新しい視点、そしてそれによる謎解きが提示される。つまりテーマが再解釈される。

7つの謎の中で、私が最も興味を惹かれたのは、第5話である。
「なぜ陸軍の軍人だけが、東京裁判で絞首刑になったか?」については、私は、主として暴走して戦争に突っ走ったのは陸軍の方とか、海軍は世界を見ているから開明的であるとか、よくいわれる説を、そういうものかなと思っていたのだけれど、本書によると、東京裁判のロジックあるいはストーリーからそうなるのだという。

著者は、東京裁判はまあまあまともな裁判で、この裁判を批判する右翼などの論には与しないとしている。そして、東京裁判の判決は、裁判を行うこととなったときから、おそらく決まっていたものであり、それは、要約すれば次のようなストーリーがベースにあるとする。

裁判の最大の課題は、天皇に戦争責任を負わせるか否かである。そして米国・マッカーサーは、日本の占領統治を行う上で、天皇を訴追することが、きわめて危険と判断した。そして軍政と軍令という仕訳けの中で、軍政は天皇を輔弼する者の責任とすることができるが、軍令に踏み込み過ぎると、どうしても統帥権を持つ唯一の存在=天皇大元帥の責任を問わざるをえなくなる。
したがって軍政に関わったものに重罪を課すことにし、軍令についてはB,C戦犯の範囲にとどめることとなる。

簡単に言えば、陸軍の軍人だけが絞首刑になった、つまり海軍の軍人は死刑にならなかったのは、天皇を訴追しなくて済むようにするためということになる。

米国・判事団は、他国の強い要請にもかかわらず、天皇が開戦にかかわった証拠は採用せず、ついに天皇の訴追を認めなかった。そして、こうして天皇無責任論は日本国民に受け入れられていく。
東京裁判がインチキという人たちは、この保阪説も踏まえた上で仰っているのだろうか。

天皇を訴追しなかったことについては、柄谷行人「憲法の無意識」にも。


ふと思った。太平洋戦争開戦前の日本軍の実戦経験では、海軍は対中国での一方的なそれぐらいだが、陸軍はノモンハンで完敗している。陸軍のほうが開戦に慎重になってもよさそうなものだが、そうはならなかった。(完敗を隠すためかえって虚勢を張った?)
ノモンハンの敗戦を認めると、責任をとる者が必要になる。その責任は陸軍全体へ波及する。身内の可愛さと自己保身の、現場と上層部の利益が合致した全体無責任体制があったのだろう。

上司が部下を庇うというのは、部下の非行の責任を上司も負うから美しいのであって、両方の責任をうやむやにするものなら、それは醜いといわざるをえない。
軍人たちも好きだっただろう「泣いて馬謖を斬る」の話では、命令違反の責任をとらせるとともに、諸葛孔明も自らに罰を与えている。

米国は、巧みに天皇へ責任が及ばないようなロジックを用意した上で、その範囲で責任をとらせたということかもしれない。役者が一枚上だったということか。

第5話だけをとりあげたけれど、どの話も興味深い。
日米開戦の日にちなんで紹介させていただいた。

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「科学捜査ケースファイル」

Kagaku-sousa_case_file_cover.jpg ヴァル・マクダーミド「科学捜査ケースファイル: 難事件はいかにして解決されたか」 (訳:久保美代子) について。

まだ途中までしか読んでいない本なのだけれど、ネットの情報サイトにおもしろい記事があったので、ちょうどこの本を読んでいて、関連する情報があるので、ほんの一部だけ紹介することにした。

ネットから記事が消えると、本記事もわけがわからなくなるので、急ぎアップ。


そのおもしろい記事というのは、"ソ連で生まれた1100代目の「ハエ」が、なぜ注目されているのか"というもの。

有機廃棄物を「エサ」にして、ハエ(蛆虫)を育て、それから完全有機の肥料や飼料を作るというビジネスである。
「1100代目のハエ」というのは、こうした生産を行うのには過密環境などに耐えられるハエが必要で、普通のハエでは無理、品種改良を重ねて大量の蛆虫が生きていける品種をうみだしたということである。

この会社(株式会社ムスカ)のホームページ


この記事を目にしたとき、ちょうど読んでいたのが、冒頭の本。
この本に驚きの記述があった。
…一七六七年、近代分類学の父と呼ばれるカール・リンネは、「三匹のハエが一頭の馬の死体を消費するスピードは、一頭のライオンが食べるスピードと同じである」ということに気づいた。

(p.76 第3章 昆虫学)


この意味は、三匹のハエが馬の死体を食べるということではもちろんなく、三匹のハエがそれぞれ多数の卵を死体に産み付け、それが孵化して蛆虫となって死肉を食べるということで、それほど蛆虫の食欲が大きく、かつハエの繁殖速度が速いということである。

本書では、さすがにリンネの時代からは随分研究も進んでいて、各種のハエが一度に何個ぐらいの卵を産み、何日で孵化し、蛆虫がどのぐらいの食欲があり、それが最終齢に達して卵を産むまでの日数がどのぐらいで、というような基礎的なデータが、昆虫学者によって蓄積されており、これが犯罪捜査における死亡時刻の推定に役立っているということを説明している。
上の引用に続けて、
 メスのクロバエがいったん卵を産みつけると、生物学的な時計が時を刻み始める。夏の盛りだと、典型的な英国のクロバエが卵から成体になるまでには一五日かかる。一日後、卵が孵化して蛆虫になり、蛆虫は口にあるふたつの鉤状の歯で腐敗しつつある肉を切り裂いて、かき集める。蛆虫は食べる器官と呼吸する器官が体の両端に別々についているので、一日二四時間、食事と呼吸を同時に行えるのだ。蛆虫は四日間貪欲に食べ続け、もとの大きさの10倍、つまり二ミリメートルから二センチメートルへと成長する。
 まるまると太った蛆虫は死体をあとにして、腐肉をあさる鳥やキツネに食べられないよう暗がりに向かう。肉の上の保育室が戸外だった場合は、地面に穴を掘り一五センチメートル下の土中に潜る。屋内だった場合は、納戸の床や床板のすき間がその役割を果たす。暗闇のなかで安心すると、蛆虫は蛹になる。三齢期、つまり最終幼齢の外皮がそのまま硬くなって蛹の殻になる。10日後、成体のハエがこの殻を破って出てきて、戸外の場合は土を掘って地上へ出てくる。この自由への前進がなかなかの離れ業なのだ。ハエは頭部の袋を血液で満たし、その風船形の槌を内側から外側へと振動させて土を除去する。地上の空気に触れると、しわくちゃの羽を振り広げ、ほぼ間をおかずに交尾を始める。二日齢で、ときにはそのハエが育った同じ死体の上で、メスは卵を産むが、蛆虫は1週間足らずで人間の死体の六〇パーセントをたいらげることがあるので、その場所には餌がたいして残っていないかもしれない。
ハエにたかられると、1週間で死体の60%が食い尽くされるということもあるということだ。

もちろん死体がおかれている状況によってこの数値はかなり変わるらしいので、環境の状況(温湿度など)も推定したうえで、死亡時刻が決められるという。


科学捜査というと「科捜研の女」、「法医学教室の事件ファイル」などのドラマでおなじみ(といってもドラマの話で、実際の科学捜査がどうなのかはわからない)だけれど、昆虫を使って死亡時刻を推定するという設定のドラマは今まで見たことがない。

これらのドラマの死体は、殺されてすぐか、白骨化していることが多く、腐乱死体というのはあまり出てこないように思う。茶の間向きではないからだろうか。本書でも言及されている海外のCSIシリーズ(未だ見たことない)ではどうなんだろう。


本書では、解決された難事件とともに、どうも鑑定に問題があった事件も紹介されている。
また、法医学者は、事件の状況や背景を知るべきか否かも難しい問題としている。

知っていれば予見にもとづく鑑定になるおそれがあり、知らなければ見落としが発生するおそれが大きくなる。


「科捜研の女」(京都府警から表彰されたそうだ)がやっているような、あれほど徹底的な「科学捜査」がどのぐらい行われているのだろうか。
きちんと調べてくれたら私の無実は証明されると安心したいものだ。

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昨日のディスクについて補足

昨日はゆっくりとミッシェル・コルボのKV626を聴いたことを書いた。

P_20181202_155138_vHDR_Auto-crop.jpg 実は、昨日は記事をアップした後、もう一度、同じ演奏を聴いていた。
LPをデジタル化(24bit/96kHz)したものも聴いたのである。

アナログ・プレイヤーが置いてある部屋ではなくて、大きなスピーカーのあるリビングで聴けるよう、デジタル化しようと考えて、日曜の間にデジタル・データを作っておいた。
ところが、アナログ・レコードの悲しさ、盤面のあちこちに埃がついているのか、プツッあるいはブツッというノイズが結構、頻繁また盛大に出る。(保管に問題?)
ずっと出っ放しであるのだが、この曲でもっとも集中するLacrimosaの最後のアーメンのところで、まるで楽器を取り落としたような大きなノイズが出る。リヒター盤はLacrimosaでクライマックスへクレシェンドするが、コルボ盤は、むしろ控えめに演奏しているから、余計に気になる。

2018-12-02_210137-crop.jpg それで、デジタル・データはあきらめてLPを聴くことにしたのだが、その後、思い出した。
こういうノイズ(クラックルノイズ)を検出・除去するソフトがあったはず。
 
"DigiOnSound5 L.E. for ONKYO"
 
これはデジタル化に使用するONKYOのUSBデジタルサウンドプロセッサーのオマケについていたソフト。
このソフトを起動してメニューを見ると、ノイズリダクションの項目に、クラックルノイズの除去がある。ものは試しと、これを使ってノイズ除去をやってみた。

いろんなオーディオ編集ソフトにノイズリダクション機能があるけれど、全然信用していなかった。バックグラウンドノイズの除去とか、いくつか機能があるのだが、たいてい変な音になってしまうから、音楽ソースには絶対使えないと思っていた。
しかし、このクラックルノイズ除去は、なかなか上出来。元の音をそう変質させないで、クラックルノイズが除去されている。もちろん完全に除去できるわけではなくて、大き目のノイズはとり切れていないけれど、これならじっくり聴くのにも使えそう。
今後も、LPのデジタル化をするときは、この機能を使うのも悪くない。

ではあるけれど、昨日書いたとおり、ヤンソンス/コンセルトヘボウのSACD、この純粋ハイレゾはやっぱりほしい。いつになるかわからないが、あるいは手に入るかどうかわからないが(Amazonに中古品の出品はあるようだ)、キャンセルせずにおこう。

物理媒体にこだわりはないので、e-ONKYOなどハイレゾ配信サイトを検索したけれど、DSFはもちろん、PCM系のフォーマットでも配信されていない。


一昨日記事にしたロザリン・テューレックのバッハ・クラヴィア曲集は、取り寄せで結局、1カ月後に届いた。ネットで注文して、結局手に入らなかったCDも何枚かある。(私は新盤とか流行のものとかでなく、本やテレビとかで触発されて調べて購入することが多いので、10年、20年前に発売されたのを注文することが結構ある)
Amazaon直販は現物を確保しているようだけれど、CDショップの場合は取り寄せというのも結構あるようだ。今回も結局、あきらめることになるだろうか。比較的新しい録音(2011年)なんだけど。

(HMVから、「お取り寄せ 8-15日間 → 16-60日間 に変更」のメールが来ていた)


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227回忌

P_20181202_155113_vHDR_Auto-crop.jpg 今日はヨアンネスの227回忌。
KV626を聴いて、静かに過ごす。

特に今日中という仕事もないので年休。そしてさきほど、KV626を聴き終わったところ。
召された時刻は0:55頃といわれており、それ(現地時間で)に合わせてみた。


今回は、定番のリヒター/ミュンヘン・バッハのCDではなく、ミッシェル・コルボ/リスボン・グルベンキアン管弦楽団のLPを聴くことにした。

実は、新しい録音によるハイレゾ音源が欲しくなって、ヤンソンス/コンセルトヘボウ管のSACDを11月16日にHMVに注文しておいたのだが、注文時点では「8-15日後に出荷」となっていて、次いで「12月1日出荷予定」になり、そして12月1日に出荷通知が来るかとおもっていたら、出荷遅延(メーカー在庫なし)の通知が来た。


モーツァルト:レクイエム
(ジュスマイヤー版)
ミシェル・コルボ指揮
リスボン・グルベンキアン財団管弦楽団&合唱団
エリー・アメリング(Sop)
バーバラ・シェルラー(Alt)
ルイ・ドゥヴォス(Ten)
ロジェ・ソワイエ(Bs)
1975年のステレオ録音
というわけで、いつも定番のリヒターの陰で出番があまりなかったコルボのLPを、随分久しぶりに聴いてみることにした。

演奏は、リヒターのように乾いた、それでいて劇的な、それこそ疾走する哀しみが強調される感じとは違い、もちろん楽曲によって違いがあるけれど、ウェットで、ゆったりして、包み込むような、静かに冥福を祈るような感じのところが多い。(もちろんリヒター盤も、Recordareのような平静な楽曲は静かな祈りだけど)

テンポは遅めで、この曲のメインである前半(Lacrimosaまで)の時間が、リヒターの25分に対して、コルボは29分と、かなりゆっくりである。

4分差というのは15%以上長い、というか遅い。聴いている以上に、演奏者側には違いが大きいのではないかしら。

また、思い入れの強くなるフレーズでのテンポ変化も顕著である。
私は、気持ちを入れすぎたテンポ変化は、かえって聴く側の気持ちをそぐような感じもするけれど。
ソロのきわだたせかたはそう違わないけれど、管弦楽と合唱のバランスについては、コルボのほうが合唱が控えめに聞こえる、声量は大きいのだけれど。これも包まれる感じに寄与しているかもしれない。

リヒター盤の疾走する迫力に慣れ親しんでいると、少し迫力には欠けるきらいがあるが、コルボ盤のじっくりと祈る雰囲気は、感興というものにもなる。もちろんモーツァルト自体に内在する疾走感が殺されたりはしないのだけど。
随分久しぶりに聴いたけれど、これはこれで名演奏だと思う。
ついでに、他にどんなLPがあったか見てたら、ワルター/ウィーンフィル、マリナー/アカデミーがあった。次はこっちから選ぼうか。

ところで、年忌の227という数字だけど、KV227は、Anh.A31という追加番号が与えられているが、ウィリアム・バードという17世紀の人が作った、カノン「神の地は妙に美し」という曲だそうだ。
モーツァルト作と間違えられたわけだが、どんな曲だったんだろう。

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「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」

9784062884464_w.jpg イリーナ・メジューエワ「ピアノの名曲 聴きどころ 弾きどころ」について。

ピアニストという人は、いろんなことを考えながら弾いている、あるいはいろんなことを考えてから引いているんだなぁということがわかる本。

古典音楽の演奏については、アーノルド・ドルメッチ「17・8世紀の演奏解釈」という有名な著作があって、音楽のど素人という私も、すすめられて読んだことがある。ドルメッチの本では、書名にあるとおり、その時代、音楽がどういう楽器で、どういうシーンで演奏されていたのか、伝統的な楽譜の記法がどうだったかという、まさに演奏者が知っておかなければならないことが書かれている。

対して、このメジューエワの本は、もっとこう楽譜の中に何が書かれているのか、作曲者の意図は何かといった、かなり内省的なもの。演奏家が楽曲にどう向うかという感じである。
そして、その向かい方・感じ方が、言葉で説明される。(そりゃそうでしょ、本ですから)

前にも書いたけれど、音楽を言葉で表現するというのは、間違いなく指揮者がオーケストラに指示するときには必要なことだ。それも、多くのオーケストラの団員というのがいろんな国、文化的背景を持っていて、母国語も違う、そのなかで意識を合せるわけだから、かなり表現を選ばないといけないのではないかと思う。

以前、テレビ番組で、中村紘子さんがピアノを弾く時にどういうイメージを持っているのかというようなことについて、たしかショパンのコンチェルトだったと思うけれど、ここのところは子犬がウロウロじゃれついていて、ここで頭をピシャッとたたく、というような言い方をされていたように思う。
メジューエワさんの本にもそれに類する表現があるが、よりアナリーゼ的な書き方になっていて、ただ音楽を聴いて楽しむ人間からすれば、とても深いものを感じさせられた。

おすすめの演奏
第一章 バッハ
平均律クラヴィア曲集
リヒテル、ホルショフスキー
ゴルトベルク変奏曲
テューレック
 
第二章 モーツァルト
ピアノソナタ第11番
 「トルコ行進曲付き」
ホルショフスキー、ラローチャ
 
第三章 ベートーヴェン
ピアノソナタ第14番「月光」
シュナーベル、アラウ、ホフマン
ピアノソナタ第32番
アファナシエフ、リヒテル
 
第四章 シューベルト
四つの即興曲作品90より第3番
シュナーベル、ケンプ、グリンベルグ
ピアノソナタ第21番
リヒテル、ユーディナ、シュナーベル、ケンプ、アファナシエフ
 
第五章 シューマン
子どもの情景より
 「トロイメライ」
シュナーベル、ハスキル、ホロヴィッツ、コルトー
クライスレリアーナ
コルトー、ソフロニツキー
 
第六章 ショパン
練習曲集作品10より
 第3曲「別れの曲」
コルトー、アラウ
ピアノ・ソナタ第2番
ネイガウス、コルトー、ナット
 
第七章 リスト
「ラ・カンパネラ」
テューレック、ザウアー、パデレフスキ、オグドン
ピアノソナタロ短調ソフロニツキー、リヒテル、アラウ、アファナシエフ、ラローチャ
 
第八章 ムソルグスキー
展覧会の絵
ユーディナ、リヒテル、アファナシエフ、フィルクスニー
 
第九章 ドビュッシー・ラヴェル
ドビュッシー
 ベルガマスク組曲より「月の光」
ギーゼキング、フィルクスニー、ヴェデルニコフ
ラヴェル
 夜のガスパール
フランソワ、ギーゼキング、ミケランジェリ、ペルルミュテール
 
本書では、大作曲家の代表曲(ピアノ曲)がとりあげられているわけだが、それぞれについて著者の推薦録音も紹介されている。
こういう深いことを考えているピアニストが推薦する演奏とは、どんなものなのかと興味が湧いたので、今まで聞いたことのない演奏のCDをいくつか購入してみた。(手に入りにくいものも多いのでそれらはパス)

正直に言う。
モーツァルトはアリシア・デ・ラローチャが推薦されているのだけれど、これって私には甘すぎる、というか音の粒立ちみたいなのがさびしい。

バッハのゴルトベルクは、ロザリン・テュレックが推薦されている。私が学生ぐらいのとき、定番とされていたのはグレン・グールドだと思うが、グールドと比較すると、テンポや歌い方は通じるものが多い。グールドのほうが、アタックが力強いが、テュレックもけっしてふにゃふにゃしていない。なるほどと思う。
著者は同性として、ラローチャ、テュレックを押しているのかもしれない。

ベートーヴェン?
最後のピアノソナタについては、アファナシエフが推薦されているけれど、それ以前に、そもそも私にはベートーヴェンは怖すぎて。(YouTubeで流れているのをちょっとだけ聞かせていただいた)

演奏の好みというのは、著者と私では少々感覚が違うようにも思うが、みなさんはどうだろう。
目次に「おすすめ演奏」を付記しておいたのでそれぞれお確かめを。

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「進化とは何か」

51y2meG7YBL.jpg 前にも書いた話―以前、牧師を目指しているという知り合いから「六二郎さん、最近、どんな本を読んでますか?」と聞かれて、すぐに口をついてでたのが、ドーキンス。
かなわんなぁ」というのがその牧師志望氏のリアクション。
たまたま、その少し前に、ドーキンス「神は妄想である」を読んだところだったから、絶妙なタイミングで質問されたわけだ。

その記事にも書いたが、アメリカでは進化論を受け入れる人がようやく50%を超えたが、まだ4割の人が進化論を認めず、進化論を学校で教えることを禁止する法律を作ろうという人が多くの支持をあつめた。

同じアングロサクソンの国でも、イギリスでは、進化論を教えても良いらしい。
今日とりあげるリチャード・ドーキンス「進化とは何か ドーキンス博士の特別講義」は、英国王立研究所伝統のクリスマス・レクチャーをまとめた本。

余談だが、クリスマス・レクチャーというと、有名なのは、マイケル・ファラデー「ロウソクの科学」がある。この1860年のレクチャーが本にまとめられているわけだが、この本、その後、そしてある本によれば今でも、イギリスの火災調査員の教科書として使われているとか。


第1章 宇宙で目を覚ます
第2章 デザインされた物と「デザイノイド」
(デザインされたように見える)物体
第3章 「不可能な山」に登る
第4章 紫外線の庭
第5章 「目的」の創造
第6章 真実を大事にする
―吉成真由美インタビュー
この講義のほとんどは、デザイノイド、つまり誰かの意思でデザインされたように見えるが、そうではない物が、この世に満ち満ちている(自然界そのものがそうである)ことを繰り返し説明する。
つまり、生物があまりに精妙にできていて、これが「偶然の産物」とは認めにくいという人間心理を、理知的に克服することにあてられている。

「猿がタイプライターを叩いて、シェイクスピアの戯曲ができる確率」という話がある。絶対に起こらないということの譬で、いろんな本で目にする。

この話を私が知ったのは、大学の教科書(キッテル「熱物理学」)に載っていたからで、キッテルがオリジナルなのか、キッテルがどこかから引用したのかわからない。

そして、本書でもこの譬が使われている。
そしてドーキンスはこの譬に続けて、次のようだったらどうなるかと問いかける。

(以下の数値例は本書からではなくて、私が用意したもの)

簡単のために"GOOD"という単語を打ち出すことを考える(キーは大文字26文字だけとする)。
ランダムに4回タイプして"GOOD"が打ち出される確率は、
  1/26×1/26×1/26×1/26=1/456,976=0.000002188…
しかし、最初に"G"を打つまで待ち、"G"を打ったら次に"O"を打つまで待ち、その次も"O"、そして最後に"D"を打つまで待つというようにしたらどうなるか。この場合、最初の"G"が打たれるまでの平均試行回数は26、"GOOD"が打ち出されるまでの平均的な試行回数は、
  26+26+26+26=104 となる。ランダムに4文字打つ場合の1/4394の試行回数だ。
この「順に文字を選ぶ」という状況は無理な仮定ではない。自然界では、まず"G"を打つ者だけが生き残り次に進むとし、その各段階でそれなりの個体数があれば(繁殖すれば)、この状況と考えることができる。遺伝子の変異が104回あれば"GOOD"の子孫に至るということになる。
進化は累積的なのである。


単純な算術だ。前にも書いたが遺伝、変異、選択が存在するものには適応進化が起こるのであれば、生物・無生物を問わない。数学的な帰結である。

やはりドーキンスの本にあった話だと思うけれど、キツネの皮を採るため、キツネを品種改良してイヌのようにおとなしいものにしようとした人がいたそうだ。
できたって、イヌのように従順なキツネが。だけど、イヌのようにみすぼらしい毛皮になったって。

ところで、進化論を認めない人たちは、あらゆる生きとし生けるものは、人間のために神が創造したという教えを信じている。本書では、これについて次のSF小説を紹介することで、笑い飛ばしている。クリスマス・レクチャーでは作家本人が登場して朗読したそうだ。
 大きな酪農動物が、ザフォッド・ビーブルブロックスのテーブルまでやってきた。肉付きのいい、牛のような、四足の、目がうるうるして、小さな角があって、口元に愛想のいい笑みをたたえたやつだ。
『こんばんわ』と そいつは太い声で言って、どっかりと腰を下ろした。
『わたしが今日のメインディッシュでございます。体のどのあたりがお口に合いそうか、お薦めしましょうか』
 そう言うと、すっかり面食らったアーサーと、まるっきり腹ペコなザフォッド・ビーブルブロックスをまじまじと見た。
『肩のあたりはいかがでしょう。白ワインソース煮なんかよろしいかと』と薦める。
『エーッ! き、君の肩だって!?』恐れおののいてアーサーがかすれ声で言う。
「もちろんわたしの肩でございます』そいつが自信たっぷりに太い声で言った。
『わたしが別の誰かを提供するわけにはまいりませんから』

ダグラス·アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』


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歯が欠けた

P_20181201_102639_vHDR_Auto-crop.jpg 2週間ほど前、右上の奥歯の端が少し欠けた。

食後しばらくたってからだったけれど、舌が触ったときにポロっと落ちたような感じ。
口からその欠片を取り出して見てみると、2~3mmぐらいの三角錐状、色は黄色が強めの象牙色である。

別に、しみるとか、痛むというようなことはない。
ただ、舌が触るととげとげしい感じがするだけ。

ではあるけれど、一応、歯医者に診てもらおうと、昨日、かかりつけの歯医者へ。
10:30の予約で、15分ぐらい待って、処置が25分ぐらい。
処置内容は、欠けたところに樹脂を充填するもの。

歯の汚れをとって、樹脂を載せるあたりを少し削って整え、そこへ樹脂を接着し、次に噛み合わせを調整する。

手順の細かい説明は聞いてない。口の中をごそごそされるので、今、何をしているのか想像。


P_20181201_104720_vHDR_Auto.jpg 処置が終わって、ちょっと聞いてみた。
「欠けた歯は、古い虫歯で、虫歯あるいはその処置とかで、歯が脆くなってるんですか?」
「そういうことではなく、歯をくいしばるようなことで、力が加わったからでしょう。」

昨日のところは樹脂をかぶせただけなので、どうしても弱くて、今後また脱落することもあるという。
また欠けるとか気になるようなら、次は虫歯の詰め物を取り去って、歯全体にかぶせるようにするとのこと。

今のところ違和感もなく、とりあえずこのまま様子を見ることにしよう。
しかし、右側ではあまり硬いものは噛まないように気をつけよう。

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いつも四捨五入ではない

ヒトは、自分がある組織に所属するという感覚を持つ。
だから、自分以外に対しても、どこに帰属するのか穿鑿したがる。
なんて言うと社会学みたいだけれど、今日は他愛ない話。

P_20181031_200835_vHDR_Auto-crop.jpg 浴槽に浸かると、あと5分で出ようとか考えたりする。
多くの家庭の風呂には、お湯をはったり、追い炊きしたりするためのコントローラーが浴室についている。そしてコントローラーには時刻表示がついていることが多い。
だから、浴槽に入るときに時刻を確認して、5分後に出ようと決める。

さぁ、そこで問題である。

表示が 8:26 となっている。
さて、5分後に浴槽から出る場合、時刻表示がどうなったら出れば良いのだろうか。
 8:31 だろうか、それとも 8:32 だろうか。


言うまでもなく、8:26という時刻表示は、8:26:00から8:26:59…まで1分間の幅がある。だから8:31と表示されたときに浴槽を出ると、実際には4分しか経っていないことだってある。8:32に出るなら最低でも5分は浸かっている。
実生活では、8:26の表示を見たときは、8:26:30だとみなして、8:31の表示になってから30秒を数えたりするわけだけれど、それなら時刻表示も「四捨五入」で表示したら良いんじゃないか、つまり8:25:30から8:26:30までの間を8:26と表示する。
この方が平均的にはより真の値に近い表示になるだろう。だが、多くの人に違和感が持たれるに違いない。

一方、体重なんかだと、62.5kgから63:5kgまでだったら63kgだと丸めて言う人が多いのではないか。そしてアナログ表示のメーターだったら、針が指している一番近い目盛の値を読むのではないだろうか。(切り捨てる人が多いかもしれない)
では、アナログとデジタルの差かというと、そうとも言えない。体重計がデジタルで少数第1桁まで表示されていたなら、62.8kgの人は63kgと言うだろう。

何が言いたいかというと、体重のようなべたーっと一様な数値の場合、四捨五入が自然な丸め方、真の値に近いところで区切りのよい値ということになる。
ところが、日付の場合はそうはいかない。
「2018年11月30日を四捨五入して2019年」という言い方は、ない。
「11月30日だから四捨五入して12月」という言い方も、聞かない。(おっと今日は12月1日だった)

暦というのは、一様に流れる時間とは別の感覚なのだろう。何年であるか、何月であるかというのは、その時刻が帰属する「時間の区分」というものが意識されているのかもしれない。

生命保険の掛け金の計算では、誕生日の半年後からその年齢になるとみなすと聞いたことがある。これはどこに帰属するかではなくて、べたーっと一様に時間が流れること、生命表を作る計算では平均の年齢をもとにしていることからではないだろうか。


時刻も日付の親戚のようなもの。同じように「○○時に属する」という意識がはたらくのかもしれない。(冒頭のおことわりのとおり、実に他愛ない話だったな)

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“「病は気から」を科学する”

Joe_Marchant-Cure.jpg ジョー・マーチャント“「病は気から」を科学する”について。

10年ぐらい前、知り合いがホメオパシーを信奉して、他人にも薦めているというので、それは悪事ではないのか、レメディと称するただの水(ホメオパシー信者はそうとは言わないが、物理化学的には水と変わらない。砂糖を混ぜる場合もある)を「薬」と称して、高額で売りつける商売じゃないのか。さらに、ホメオパシーを信じることで「標準治療」を拒否し、治療機会が失われたら犯罪的であると。

その後、その心配が現実に起こっている。
(⇒山口新生児ビタミンK欠乏性出血症死亡事故


本書の著者がまずとりあげるのもホメオパシーである。
著者は科学的素養があり、ホメオパシーの「薬」には何の薬効もないことを知っていて、当然、その効用を否定していたのだが、宗旨替えというわけではないが、効果があったとする事例を知るにつれ、何が起こっているのかを追求することになる。

その第一歩が「プラセボ効果」を知ることである。
プラセボ効果とは、たとえば薬の有効性を検証するのに、その薬と見分けのつかない偽薬(プラセボ)を用意し、目的の薬を与える群と偽薬を与える群を比較(比較対象試験。医療スタッフの態度にも影響されないよう、医療スタッフにもどちらが偽薬かは知らされない=二重盲検法)し、心理的効果を排除して純粋に薬効を調べる。

有効性があると考えられて試験された場合、「プラセボ群との差異は認められなかった」となれば、その薬の有効性が認められず、話は終わりになる。ところが、ここで「真薬と偽薬の間で差異は認められなかった、が、どちらも効果があった」という試験結果が出ることがたびたびあるという。
第1章 偽薬――プラセボが効く理由
第2章 型破りな考え――効力こそすべて
第3章 パブロフの力――免疫系を手なずける方法
第4章 疲労との闘い――脳の「調教」
第5章 催眠術――消化管をイメージで整える
第6章 痛み――バーチャルリアルティと鎮痛剤
第7章 患者への話し方――気遣いと治癒
第8章 ストレス――格差と脳の配線
第9章 マインドフルネス瞑想法――うつと慢性疾患
第10章 健康長寿――老化と社会的つながり
第11章 電気の刺激――神経で病気を治す
第12章 神を探して――ルルドの奇跡と科学
そこで著者は、そうした事例や関係論文を渉猟して、プラセボ効果の存在、その効果がなぜあらわれるのかなどについて調べ始めた。

気の持ちようというか、精神が体に与える影響を否定する人はまずいない。実際、梅の木があるぞといって咽喉の渇きをやわらげたとか、極端なことを言えば、女の裸を見せたら勃起するというのだって、精神が体に与える効果だろう。

そして、そうした脳が主導するであろう内分泌物質が、体のあちこちで受容されることで、体はしかるべき反応をする。

内分泌学では、体のどこの細胞を刺激したとしても、そこから放出される化学物質(ホルモン)に変化が起こるという。その影響・効果はまだまだ全容はわからないらしいが、およそ何の関係もないと考えられている遠隔臓器にそのホルモンが影響することが知られ始めている。
これは、NHKの「人体」が紹介した、人間の体の各部の「ネットワーク」、そのネットワークを実現する化学物質の流れとも照応する。
化学物質というのはいわばブロードキャストで、それを受信できる器官が特異的に影響を受けるというメカニズムのようだ。
先日、NHKが「東洋医学 ホントのチカラ ~科学で迫る 鍼灸・漢方薬・ヨガ~」でも、体が自分で治す力を引き出すと主張していた。


つまりプラセボは、ターゲットの薬の有効性を検証するための「当馬」ということで低く見られていたけれど、そのことがプラセボ効果を否定する理由にはならないどころか、プラセボ効果の存在を前提するからこそ、プラセボを利用した試験が行われていると言って良い。

EBM(Evidence Based Medicine)という言葉は、三十数年前に聞いた覚えがある言葉だ。個人的な経験や陋習に従って治療するのではなく、根拠(その多くは疫学的なもの)に基づいて治療するという意味で使われていて、この言葉を聞いた時は、なるほど、それは当然だと思ったのだけれど、よく考えるとこれが災いする場合もある。

サンデルもある問題を「棚上げ」するということは、それによって得をする人と損をする人がいると指摘していたが、東洋医学の効能を「棚上げ」することは、決して中立的な態度ではないと言うこともできそうだ。

エヴィデンスが無いからといってその療法を否定することは、もっともらしく見えて、実際には患者の不利益になっている可能性もある。

不思議なことに、まず、予めプラセボと知らせていても効果がでる場合があるということ。
「これはせいぜい気休めにしかならないビタミン剤ですが」と言って投薬しても、効果がでる場合があるのだという。
また、おもしろいことに、プラセボ効果にも大小があるということ。
米国では、堂々とプラセボだとして売られている「薬」があるらしいのだが、どれも同じプラセボなのに、値段が高いもののほうが効くという。

著者もはじめに注意しているが、プラセボ効果自体が病気を治すということはまずない、従ってプラセボを使用していることを理由に通常の治療を拒否するようなことはあってはならないだろう。

つまり、プラセボ効果もまた正しく使わなければならない。
そちらの研究は、まだはじまったばかりのようだ。

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PayPayを入れてみた

コード決済アプリである"PayPay"を使ってみることにした。
この種のアプリ(サービス)としては後発である。
そして私も電子マネー(Edy)は使っているが、コード決済アプリははじめてである。

どうしてPayPayを使おうと考えたか。
もちろん現在キャンペーン期間中だから。

登録するだけで+500円のボーナス
5000円チャージしたら+1000円のボーナス

つまり、5000円で6500円分使えるわけだ。
しかも12月4日からは、20%の還元がはじまる。

6500円使ったら、1300円が返ってくる、
つまり5000円で7800円という理解で良いのかしらん。
あまりに大盤振る舞いなので信じがたい。


このアプリをインストールしてびっくりしたのは、これで支払いを受けるお店側の機能も入っているということ。
コード決済では、

店が示すコードを客のスマホで読む
客のスマホに示すコードを店が読む

Screenshot_20181128-163244.jpg の2通りの使い方があるそうで、こういうある意味で対称的なシステムだったら、アプリが客用・店用の両方に対応してるのも、特別不思議なことではないのかもしれない。

アプリには「使える店」の検索機能があるので、これで職場周辺を検索すると、個人経営の店がちらほら出る。
いちはやく使おうというところも出てきているらしい。
スマホだけでできて、初期経費も決済手数料も無料というから、やってみて損はないということか。


というわけで、私のスマホには今、6500円のPayPayマネーが入っている。
どこで使うかって?

Family martが取り扱うらしいが、私はあまりコンビニを利用しない(煙草を買うぐらい)。
調べると、Edionが近々PayPayに対応するらしい。
これから年末に向けて、ブルーレイディスクや蛍光灯などの消耗品で6500円以上は使いそうだ。
いつからEdionで使えるようになるんだろう。年末までに間に合うのだろうか。

そして私はいつまでPayPayを使うだろう。
paypay_iconimg.png


Screenshot_20181128-162358.jpg

Screenshot_20181128-170541.jpg



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六二郎。六二郎。


定年退職
苦しい家計の足しに再就職
=いつクビになってもええねん
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