全商品で2%還元?

消費税、全商品で2%還元検討
       …中小店で決済分
 経済産業、財務両省は、2019年10月の消費税率10%への引き上げに伴う経済対策として、現金を使わないキャッシュレス決済を利用した際の2%のポイント還元策について、税率を8%のまま据え置く軽減税率が適用される飲食料品も含め、原則全ての商品・サービスを対象とする方向で検討に入った。
 対象となる店舗は原則、小売店のほか、飲食店や宿泊業など、消費者向けのビジネスを展開する全ての中小事業者とする案が浮上している。ポイント還元の対象範囲を広げることで、増税後の消費者や中小事業者の負担を和らげ、景気の腰折れを防ぐ狙いがある。キャッシュレス決済の普及拡大も目指す考えだ。
 政府は、増税のショックを和らげる対策を巡り、クレジットカードなどのキャッシュレス決済をした消費者に、増税分と同じ2%のポイントをカード会社などを通じて付与し、次回以降の買い物で使える仕組みづくりを進めている。
読売新聞 10/19(金) 6:23配信
昨日、消費税のポイント還元についての疑念を書いたところだけれど、なんと驚くべきことに、全商品をポイント還元の対象にするという。ただし、中小小売店でキャッシュレス決済を使った場合だという。

いっぱい突っ込みどころがあるプランだと思うが、まず、個人的にこの場合はどうなるんだろうというのが、ネット通販で買う場合は対象になるのだろうかということ。
中小企業がネット通販を行う場合、普通は楽天やYahooなどのオンライン・モールを使うことになる。楽天やYahooは、モールの店舗での取引の決済サービスも行っていて、この場合は中小店舗側にクレジットカード情報などは渡らない。中小店舗の信用をモールへの信頼というもので裏付けているわけだ。
さて、この場合、つまり直接決済ではなく、モールの決済を使った場合でも、中小店舗で購入したということで、還元ポイントがもらえるのだろうか。もし、もらえないのなら政府はネットショッピングにブレーキをかけることになるかもしれない。

さて制度設計全体についての突っ込みを続ける。
一番の問題は、ポイントの原資がどこにあるのか、誰がそれを負担するのかということ。

まず考えられるのは、キャッシュレス決済を提供するところに、手数料の軽減を求めて、軽減分をポイントにまわすようにすること。
ただし、これはどう見ても他人の財布に手を突っ込む行為だ。これを正当化するには当然、法整備が必要。ポイント上納制度、実質キャッシュレス決済事業税になるが、それで良いのか。

Screenshot_20181019-113411.jpg
さすがにそういう乱暴なことはできないとなれば、原資はやはり税金に求めることになる。
さて、昨日の記事にも書いたけれど、そもそも消費税は最終消費者が負担するものである。中小の定義が問題ではあるけれど(というかこれでめちゃくちゃもめるに違いない)、もし国民が中小企業で購入するようになれば、消費税率は実質8%のままに近い状態になるのではないだろうか。

キャッシュレス決済の普及が目的なら、ポイント還元は経過措置ということにして、つまりその間は実質8%の税率で我慢しておき、普及状況を見計らって、一定年数経過後に廃止するということも考えなければならなくなるのでは。


低所得者への配慮とキャッシュレス決済の普及の一石二鳥を図ったつもりかもしれないが、あまりにも制度の整合性が疑われるように思う。
正確に目標を狙った施策を二つ出すほうがうまくいくように思う。低所得者への配慮なら所得税の基礎控除額を上げるとか。

e-Taxで電子申告したら、高額所得者以外は所得税の2%を還付してくれるとかだったら、マイナンバーカードも一気に普及しそうだけれど。


なんだか破綻国家が、破綻寸前にビジョンのない弥縫策を次々に打ち出して、さらに酷い泥沼に陥って行くような気がする。

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消費税の胴元(税当局)はどう考えているのだろう

先日の「税のポイント還元?」の記事では、

「きちんと国民に納得できるように説明してもらえるだろうか」とか、
「結局、複数税率のほうがわかりやすいかも」

とか書いたけれど、あらためて消費税の仕掛けを考えると、やはりポイント制度より、複数税率がわかりやすく、事業者も慣れていて良いように思う。

私の理解が間違っていなければ、消費税を実際に負担しているのは最終消費者である。
中間段階の事業者は、税当局へ税を納めているけれど、それは消費者から預かった税を納めているだけで、自身が負担しているわけではない。
その事情を簡単な絵にしてみた。

tax-chain_fig.jpg

もちろん実際にはこんな単線的に原材料―商品にはならず、原材料や設備は多様だし、事業者が購入するものは内部で消費されるものもあると思う。しかし、商品1単位について、原材料等を分解すればこの図式に帰着し、それらを合算して税額が決まると考えられる(投入産出行列の計算)。これは複数税率の新制度でも、現在の税制でも事情は同じである。

実際には仕訳けが結構面倒くさそうだし、どこまでが控除されるのかの判断も難しいと思う。私は税経理に関係したことはないから、現場でどう処理されているのかも、税当局がどんなふうにチェックしているのかも知らないので、理屈はともかく実際には、という話になるとは思うけれど。


さて気を取り直して、図中、最終消費者は、S3r3という消費税を購入先へ支払い、購入先はそれを納税する。このとき、仕入れ時に負担している消費税が控除されるしかけだったと思う。

図では、各取引段階で異なる税率(r1r2r3)になっているとしているけれど、中間段階での税は相殺されるから、それが何%であるかなどは全く関係がない。(一時的なキャッシュフローには影響するけど)
結局のところ、最終消費者が負担する税率で、税当局が受け取る税額が決まる。
つまり、中間段階での税率は税収とは関係がないのである。

販売先から受け取った税相当額が、仕入れで負担した税相当額より小さい場合、つまり控除するとマイナスになってしまう「税の逆ザヤ」という場合も考えられる。

現在でも、非課税サービス(たとえば役所の手数料など)では、このようになっているわけで、この場合、事業者は最終消費者として税負担をすることになる(控除がない)。
現在は、課税・非課税だけだが、今後は税率が複数あるわけだから、一部のみ控除されるという状況もありえるが、普通考えられる複数税率の発生は、軽減税率の原材料(食材)を仕入れて、料理して出す外食産業を提供するような場合であって、中間段階の税率より、最終消費時の税率の方が高いことが普通のはずだから、通常は考えられない。
あと、一部で問題になっている新聞の軽減税率があるが、さすがに税の逆ザヤにまではならないと思うが、どの範囲が原材料の消費税負担になるのか、実際の運用はどうなるんだろう。

そしてそうなった場合、マイナスの納税(つまり還付)は行われず、差額はそのまま税収として留め置かれるに違いない。

税当局はこのことを問題視、あるいは突っ込んで議論しないだろう。現在も非課税商品については、その提供者が最終消費者のように税を負担しているわけだが、変に突っ込んだら、ゼロも8%も構造は変わらないところで「ゼロは特殊」で済ませて来たことを考え直す契機になるおそれなしと言えないだろう。


というわけで、こんなシンプルなところにポイントを導入したら、計算がややこしい。前の記事で税率は一律10%にして、生活必需品の軽減をポイントにしたらと書いたけれど、事務的にはそのほうがややこしいことが起こりそうに思う。

ポイントのプールを作らなければならないし、中間取引でのポイントの扱いも考えないといけないし、税会計も別扱いが必要になりそうだし、……


税当局は胴元みたいなもので、誰がどう負担し、納税するかはどうであれ、最終的に入ってくる税金は解っていると思う。
当局は、いかに確実に集めるか、つまり納税の手間を小さくすることを考えて、政治家が人気とりで変なシステムを言いださないよう、眼を光らせてほしい。
私は国税庁を信頼申し上げております。

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歓送迎会

P_20181017_180809_vHDR_On-crop.jpg 昨夜は職場の、規模の小さい、歓送迎会。
産休で休んでいた職員が9月に復帰、産休代替要員が入れ替わりで転出したので、この二人のための歓送迎会。

場所は、3月の宴会と同じ場所。

はじめ18:30開宴ということだったが、17:15の終業だから、いくらなんでも待ち時間が長いと文句を言ったら、18:00開宴になった。
ほぼ時間通りにスタート。

そして延々と続くダラダラ宴会。
終わったのは22:00。
2時間コースにしていたのだけれど、4時間も居たわけ。
飲み放題は90分だけだから、あとの2時間30分は、おもいおもいに飲んでいた。

P_20181017_183602_vHDR_On.jpg 私は地酒中心だったが、見知らぬ銘柄が多くて選ぶのが難しかった。
それで、リストにある中で一番高いもの(1ショット1500円)を頼んでみたが、これは失敗。
こういう酒はあまり出ないようで、古くなっていて、ひっかかる酸味がある。
一体、何年、置きっぱなしになっていたのだろう。

次からは良く出る銘柄を選ぼう。

といってもバイトちゃんに聞いてもわからないだろうな。


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「ティンパニストかく語りき」

9784058008188-crop.jpg 合奏経験といえば、中学の吹奏楽しか経験がなくて、その頃は音楽をしているというよりは、苦行トレーニングをしているようなところがあった。
それを仕事でやっている人は、何を考え、何を感じながら演奏しているのだろう?

近藤高顯「ティンパニストかく語りき」は、そういう素朴な問いに、かなり答えてくれる。

指揮者やピアニスト、あるいはバイオリニストやフルーティストでもソロ演奏家だったら、テレビのインタビュー番組などをときどき目にするけれど、そして、きっと彼・彼女がテレビカメラの前では語らないことも多いに違いないわけだが、ティンパニストって何を考えているんだろう?

ティンパニとか、シンバルとかの打楽器は、一発で演奏を台無しにすることができるおそろしい楽器である。なみの緊張感ではないのでは?

同じ音をおおぜいが出す弦楽器以外は、オーケストラではソロになることが多いから、似たところはあると思うけれど、やはりそのすさまじさは、打楽器には及ばないだろう。


第1章 “叩き上げ”人生のはじまり
運命を変えたLPのアンケートはがき
我が師、フォーグラーとの出会い
ゲーテ・インスティテュートでの語学研修
フォーグラー教授のもとでのレッスン
ベルリン・フィルハーモニー・ホールで学んだこと
もうひとつの修行、バチづくりと革張り
ベルリン・フィル黄金期のティンパニ・打楽器セクション
 
第2章 オーケストラでの現場で“叩き上げ”
留学を終えてはじまった現場での“叩き上げ”
マエストロ朝比奈との想い出
マイスター、エーネルトを訪ねて
すみだトリフォニーホールへのフランチャイズ
 
第3章 “他流試合”で学んだこと
カラヤンの振り違い事件
ぶっつけ本番、“俎板の上の鯉”の私
ふたつの貴重なBPOエキストラ体験
忘れ得ぬ名演! マーラーの交響曲第番≪復活≫
首席奏者になったベルリン留学時代の同級生との日本公演
和太鼓奏者、林英哲さんとの共演
紀尾井ホール室内管弦楽団“ドレスデン紀行”
 
第4章 ティンパニストの恐怖の一瞬
ティンパニストに求められるものとは?
またまた“心臓が口から飛び出すかと思った”あのとき!!
オーケストラvs指揮者
私が出会った素晴らしいティンパニストたち
 
第5章 大作曲家たちはティンパニをどのように書いたか?
ティンパニの進化が作曲家のアイディアを進化させた
オーケストラ曲での“ティンパニ・ソロ”
ティンパニの機能的な発展に触発された作曲家たち
“トレモロの世界”、ブルックナーとシベリウスに感謝
ティンパニといえば、まことしやかな話として本書でも紹介されているけれど、ブラームスの交響曲第1番について指揮者が「あれはティンパニが叩きはじめたら指揮者は何もできない」というのがあるけれど、本書では、そんなことはない、指揮への集中はもちろん、管楽器のブレスと弦楽器の弓の上がり方をみて最初の1打の速度とタイミングを決める、という。

言葉にすればアタリマエのようなことだけれど、そもそも指揮、管楽器、弦楽器がバラバラだったらどうしたら良いのだ?
本書にもあるように、指揮は、ずいぶん早振りの人もいるし、アタックポイントがまったくわからない指揮者などは他の演奏者がズレて出ることで音楽に重厚さが出るというわけで、ポーンと叩いて良いわけがない。


ということで、実際には、大変な緊張が走っていそうだ。

著者は、本書のはじめの章で書いているように、クラシック音楽の世界に入り込んだのは、アンケートの賞品でベルリン・フィルのチケットが当たったことからだという。
そしてこの道を志すわけだが、その年齢では、ピアノや弦楽器の演奏家は難しいといわれ、音楽をやりたいなら打楽器ということになるわけだが、その後の「精進努力」はすばらしいもの。

そう得意げに書いてあるわけではないが、その後の音大進学、ドイツ留学にとびこんでいく様子からは、そう推察される。
ちなみに、ドイツ語は「CからH(つまりドからシ)までしか知らなかった」と書いてあるが(今、手元に本が無いのではっきりしないが「BからH(つまりシ♭からシ)」かもしれない)、これは有名な伝説、岩城宏之(?)は、アルファベットはAからHまでしか知らなかった(ラからシ)、のもじりかな。いずれにせよ、H(ハー)までしか使わない。


ティンパニのマレットの作り方、皮の貼り方、そして楽器製造職員(もちろんドイツの)との交流など、この楽器にまつわる興味深い話がてんこもりである。
本書の細かい内容紹介はしないけれど、ステージでの緊張感とうまくいったときの快感が、おのずと伝わってくる本なので、読んでいてあきないし、引き込まれる。

そんななかで、演奏者と指揮者の関係については、やはりそうなんだなぁと思わせることが書かれていた。優れた指揮者は言葉の使い方がとてもうまい、という。

岡田暁生「音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉」でも、指揮者がリハーサルのときに使う言葉の豊かなことを指摘していて、指揮者自身が持つイメージ、楽団員に共有されやすいイメージというものを、そうした言葉を通じて形作っていると指摘されていた。

岡田氏は、さらに、西洋クラシック音楽という範疇については、知的な言語的組み立てと音楽が照応していることも踏まえ、クラシック鑑賞では言葉がとても大切な役割をしているという。(言葉にはもちろん母国語という普通の言葉もあれば、楽理もあると思う)
この理屈っぽさ(といってもそれは音楽表現のうちなのだ)が、クラシックの豊かさであると同時に、近寄りがたさでもある。「なんとなく」ではなく、根拠のある奏き方に、根拠のある聴き方とでも言えば良いのだろうか。


文章の語り口は、さばさば、すっきり、割り切った読みやすいものである。
そして、著者は稀有の行動力の持ち主。さらに、心臓の出来が違うようだ。
指揮者が突然止まったときに、ビクビクしながらと言いつつ、どーんと叩ける人などそうはいないに違いない。

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税のポイント還元?

20181015-00000073-reut-000-view.jpg 昨日、消費税率の10%へのアップが閣議決定されたと伝えられていた

今回の税率アップでは、低所得者に配慮して、食料品など生活必需品の税率は8%に据え置くという。
複数税率はややこしいという意見もあるようだが、私は以前、複数税率は本当に面倒くさいかと書いた覚えがある。

その頃からの流れのようだが、今回、ポイント還元という案が出てきている。
唖然としたのは、このポイント還元は、クレジットカードなどキャッシュレス決済のときに、ポイントとして還元するということ。

ネットをちょっと見れば、早くからこれに批判的な意見を目にすることができる。曰く、

クレジットカードが作れない人たちはどうするのか。
(システムによっては、スマホ利用になる。その場合、スマホを持たない人はどうするのか)
キャッシュレス決済が普及しないのは決済手数料が高いから。こんなことをしたら、店舗側はキャッシュレス決済対応を強いられることになって大変だ。


他にも気になることがある。
クレジットカードのポイントで還元するとなったとする。多くのクレジットカードでは支払額の1%とかのポイントが付くはずだけれど、生活必需品分の2%はどう扱うのだろう、クレジット決済のデータは店舗・日付・決済総額だと思うのだけれど、そうなら、税金にポイントを付けることになるのじゃないだろうか。(クレジット会社がいやがるというか、補償を求めそうだ)

ということで、これはこれで凡愚の頭には納得しがたいところである。

いずれにせよ決済方法まで指定するということに大きな問題がある。
政府はキャッシュレス社会にしたいのかもしれないが、こういう抱き合わせ的施策というのはそうそううまくいかないんじゃないだろうか。

政府がやるから良いけれど、同じことを民間がやったら、公正取引委員会が文句を言うのでは。
近年、「法律を作れば問題ない」というような風潮がまかり通っているようだが、なげかわしい極みだ。国会の劣化、行政の傲慢と言って良い。(そして法の番人の不在)


それはそうとして、もし、ポイント還元という制度になったとしたら、そのポイントはどんな性質をもつべきか。
本来、負担する必要のない費用を負担し、それをポイントで還元するというわけだから、当然、現金への交換ができなければならないと私は思う。「日銀ポイント」ですな。

便利さから言えば、現金同様に使えるには、匿名性、転々流通性が求められる。当然、ポイントの譲渡などもできなければならないだろう。(これにはビットコインみたいなものが良さそうだ)


とはいうものの、これはこれで、なんだかややこしいことになりそうなので、発想を根本から変えるのが良いのではないだろうか。
たとえば、生活必需品についても税率は同じ10%にしておいて、それらについては「生活支援ポイント」とでも言うようなものにしてポイントを与えるとしてはどうだろうか。税の還元ではなく、特典扱いにするわけだ。

「生活支援ポイント」だから「Sポイント」、Rポイント、Tポイントはあるから、Sポイントってちょうどいいのでは、と思ったのだけれど、Sポイントというのは既に存在する(阪急阪神グループポイント)。

生活支援ポイントは税金の還付という意義ではないから、現金と同様の性質を持つ必要はないだろう。ただし、同じく生活支援ポイントが付く商品の支払に充てられるぐらいは最低必要だろう。
生活支援ポイントは、ポイント・システムとしては、クレジットカードやその他の会員ポイントとは全く独立しているものとし、ただし、ポイントカードについては、他のポイントカードとの紐付けができるようにしておけば、2枚持ちの必要をなくすこともできなくはないだろう。逆に一人で何枚でも生活支援ポイント口座を持ってもかまわないし、匿名でも機能するだろう。

こういう単純な仕掛けだったら、店としてはポイントの加減をする操作だけで良くなり、設備投資も少なくてすむのでは。あるいは税務署などしかるべきところへレシートを持って行ったらポイントをくれるとか。

店が誤魔化そうとして手順を踏まなければ、客に生活支援ポイントが与えられないから、客から文句が出るだろう。(なかには現金還元とかいう店も出てくるかもしれないが)


もっとも、いろいろ問題もある。複数税率がある場合とか、BtoBの取引でのポイントの扱いとか。
これは政府が検討しているというキャッシュレス決済でのポイント還元でも事情は同様だと思う。
(結局、複数税率のほうがわかりやすいかも)
政治家も官僚も、悪知恵はたくさんあるようだが、税制、税の流れを、きちんと国民に納得できるように説明してもらえるだろうか。とにかく国民、事業者が混乱しないように。

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「ふしぎな県境」

81mDFROMGLL.jpg 西村まさゆき「ふしぎな県境 歩ける、またげる、愉しめる」について。
まさにトリヴィア、だけどちょっぴり奥がある。
イグノーベル文学賞というのがあったら、それになるかも。残念ながら日本国内の県境では国際的な評価は受けられないだろうけれど。

境界線があると聞けば、そこへ行ってみたくなるという境界線、県境マニアの県境探訪譚である。そして、なぜこんな境界線が引かれたのか、その歴史を地域住民(古老など)の話を聞く。

境界線がどこにあるか知らなくても、平面を2つに塗り分けるなら必ず境界はできる。だからそれがどこにあるのか確かめたくなる。人情である。

というわけで、著者はいろんな、というか変わった境界を見に行く。三県境界とか、盲腸境界とか、飛び地など。
また、多くの場合、境界といっても、川や稜線などの自然境界ではない場合、つまり人為的なそれの場合、「心眼で見ないとわからない」という。境界を挟んでも何も違うところなどないことが多いということである。
ただし、行政界には、そこで突然、道路の舗装の仕方が違ったり、土地の用途指定が変わって街並みが変わるということも起こるから、それはそれで興味深いという。

行政の雪かきが、行政界まできたら、そこでUターンするというのも実話。地元民はそれはそれで仕方がないと納得しているとか。


練馬に県境がひと目でわかる場所があるので見に行った
東京都練馬区、埼玉県新座市
店舗内に県境ラインが引かれているショッピングモール
京都府木津川市、奈良県奈良市:平城相楽ニュータウン
東京都を東西に一秒で横断できる場所
東京都西多摩郡瑞穂町、埼玉県入間市
「峠の国盗り綱引き合戦」で浜松と飯田が仲良すぎて萌え死にそう
長野県飯田市、静岡県浜松市:兵越峠
蓮如の聖地に県境を見に行く
福井県あわら市吉崎、石川県加賀市吉崎町
標高二〇〇〇メートルの盲腸県境と危険すぎる県境
福島県喜多方市山都町一ノ木、山形県、新潟県
福岡県の中に熊本県が三ヵ所もある場所
福岡県大牟田市、熊本県荒尾市
日本唯一の飛び地の村で水上の県境をまたぐ
和歌山県東牟婁郡北山村
県境から離れたところにある「県境」というバス停
東京都稲城市、神奈川県川崎市:小田急バス「県境」停
埼玉、栃木、群馬の三県境が観光地化している?
埼玉県加須市、栃木県栃木市、群馬県邑楽郡板倉町
湖上に引かれた県境を見に行く
鳥取県米子市陰田町、島根県安来市吉佐町:江島大橋
カーナビに県境案内をなんどもさせたかった
東京都町田市、神奈川県相模原市:境川
町田市、相模原市の飛び地の解消について担当者に話を聞く
本書で2つめに紹介されているのは、私にもなじみのあるところ。自宅から奈良方面へ行くときは、このショッピング・モールの横を通る。
もちろんモールを訪れたこともあるが、フロアに引かれた「県境」には覚えがない。Google Mapでは今や名所扱いでフロアの県境の写真がしっかりアップされている(目次中のをクリック。他も同様)。

このニュータウンに住んでいる人から、以前、聞いた話では、どこの保育所に行けるかなどは結構切実な問題のようだった。
また、警察活動については、本書によると、モール内で発生した事案は、認知したほうが応急措置を講じた後、犯行現場を所轄する警察へ引き継ぐという協定が結ばれているそうだ。

反対側へ逃げたら追われないということはない。
モール内の県境表示は、所轄がわかりやすいように警察が要望したのだという。

この京都府と奈良県にまたがる山の中で、だから人が集住しない府県境として残されていたのだろうから、ニュータウンを開発しようとなれば、県境をまたがるケースはかなり多いのではないかと思う。

また、飛び地ということでいえば、私の住んでいる街の中にも、隣接市の飛び地がある。以前は砂の採取場として使われていた他、ゴルフ場にもなっている。
ネットで調べると、『自治体の飛び地』というページがある。飛び地というのは、結構たくさんあるようだ。

以前、国土地理院の数値地図のデータ項目を見ていたら、「境界未決定」という属性があることに少々驚いたおぼえがある。そういえば、筑波山頂の帰属問題とか、けっこう境界争いはニュースになる。
本書の著者は、そういう境界未確定の場所にはどういう思いを持っているのだろうか。

あとがきによれば、著者は県境マニアからさらに飛躍して、国境にも手を出しているようだ。しかし、国境となると、ふざける(ように思われるポーズをとる)ことは、著者にもさすがに難しいとのこと。

昔、ヨーロッパに行ったときに、マシンガンをもった国境警備兵がいて、銃器をみなれない私はいらぬ緊張感を覚えたことがある。

2018-10-03_094719(Baarle-Nassau).jpg あとがきに紹介されている、ベルギーとの国境に近いオランダの街「バールレ=ナッサウ(Baarle-Nassau)」はたしかに驚くべき場所である。たくさんの飛び地があり、中には飛び地の中に飛び地があるところもあるという。このような二重飛び地は日本にもあるけれど、国が違うというのはすごい。

ヴァチカンもサン・ピエトロ寺院を中心とした市国といわれている場所だけでなく、ローマ市内の大聖堂はヴァチカン直轄地になっているところもあるから、それらも飛び地、そして国境が引かれていると言える。


物騒な話としては、かつての東西ドイツ。西ベルリンは東ドイツ国内にある西ドイツの飛地だったわけだ。そして厳重な「ベルリンの壁」が行き来を阻んでいたし、これを超えようとして多くの命が失われた。(南北朝鮮の軍事境界線もそうだけど)

県境マニアと笑っていられるのは、平和な境界線だからだなぁ。

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Instagramを使ってみたけど

昨日終了のイタリア旅行シリーズ、旅行中の写真だけの記事もいれると、50本近くの記事を書いた。
実は旅行中の写真はInstagramにあげたらどうかと思って、旅行前にちょっとテストしてみた。

Screenshot_20180812-201859.jpg 「インスタ映え」という言葉が定着した感もあるけれど、私は今までInstagramを使ってこなかった。
理由は簡単、あんまりSNSの会員登録を増やしたくないから。

Twitterへの登録は、前の会社の社長がよくつぶやいていたので、何を言ってるのか情報収集のため。また、監督官庁が「twitterはじめました、フォローお願いします」なんてことを言ってきたりもした。

Facebookへの登録は、今の会社の社長から「友達リクエスト」が来たから。そのころは前の会社にいたのだけれど、わざわざ個人メールへリクエストを送ってくるものだから、スマホにアプリもインストールして「友達」になってしまった。その後、私がFacebookを使っていると知って、知り合いが会合の連絡などに使うようになったので、今さらやめられない。

さて、遅ればせながらInstagramに登録したのは、このブログ(fc2)にInstagramとの連携機能があることに気がついたから。
ブログの記事に、Instagramの写真を埋め込むことが簡単にできる。

これは旅先に居るときなどには便利じゃないだろうかと思った。
スマホで撮った写真をすぐにこのブログに投稿するような場合、今でも写真をアップロードはできるわけだが、アップロードサイズの問題などがあって、少々面倒である。Instagramを経由すれば、そのあたりはかなり楽になりそうだ。

それで、早速Instagramにも登録したのだが、私はこのブログの補助として使うだけだから、Instagram自体を公開しようとは、今のところ考えていない。普通は、Facebookと連携して使うらしいのだが、そういう目的だから、敢えて連携せず、つまりFacebookで認証するようなことはせず、別のメールアドレスで登録した。

twitter、Facebookもそれぞれ別IDにしている。
このごろは、Facebook認証とか、Google認証とか、他のサービスと連携しているのが多いけれど、同じIDの使いまわしは気持ち悪い。
シングルサインオンというのも便利ではあるけれど、そういうものは専門化したサービスで、確実にID/パスワードが守られると確信できないと落ち着かない。


さて、そうしてFC2ブログの編集画面で、Instagram連携をやってみた。

2018-08-12_191221s.jpg

画面上のサイズ指定はやり直す必要がある場合もあるが、まあまあ円滑に挿入できる。

挿入時に指定できるのは「サムネイル」「低解像度」「標準」「サイズの指定(横幅をpxで)」
サイズの指定には%が欲しいところ。また、私が多用するalign="RIGHT"もあったら。


ところが、スマホからのブログ編集アプリでは、残念ながらInstagram連携のメニューが出てこない。
そもそも旅先などでブログを書くのに良いと思ったのでInstagramを使ってみようと思ったのだが、これでは役にたたない。
くやしいので、スマホでもアプリを使わず、ブラウザからアクセスしてみたのだが、それでも勝手にアプリモードになってしまう。
アプリをアンインストールすれば良いのかもしれないが、それはそれで不便である。

それではということで、タブレットでやってみた。タブレットでもアプリではダメだが、ブラウザからアクセスすれば、PCと同じ画面になって、Instagram連携メニューも表示される。
これで問題解決……いやいや、どこへでもタブレットを持っていけというんかい。

なんでもスマホでできそうな時代だけれど、なかなかそうもいかないものだ。


上の画像がInstagram連携で挿入したもの。(挿入後、サイズをwidth="100%"に変更)


挿入時に「サムネイル」を指定挿入時に「低解像度」を指定


しかし、ブログとInstagram連携での最大の問題は、そうした使いにくさではないことがわかった。
写真をどんどんとInstagramへ投稿していくと、投稿した時点で公開されてしまう。
ブログの記事にするつもりで写真をアップしたら、記事を書く前に他人の眼にさらされることになり、これはさすがに具合が悪い。

アカウントを非公開にすれば特に許可された人以外には公開されないが、そうするとこのInstagram連携で挿入(実際にはInstagramへのリンク)した写真はほとんどの人には見えなくなる。
投稿写真をアーカイブすれば、その写真は公開されないから、この機能を使えば良さそうなものだが、そうするとブログ編集画面からも見えなくなってしまう。

結局、今まで通り、スマホで撮った写真はローカルにおいておいて、それを必要に応じてブログへアップするのが良いのかもしれない。
結局、冒頭に書いたように、Instagramを使おうと考えた動機になったイタリア旅行では使わずじまい。お試しだけで終わりそうだ。

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休刊日

本日は月例の休刊日。

IMG_1683(Uffizi).jpg
イタリアの余韻…… Hermaphrodītos: Galleria degli Uffizi)

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イタリア旅行―ベルニーニ

延々と書き連ねてきた「イタリア旅行シリーズ」も、本日をもって一応終了。
最後は、またベルニーニをとりあげよう。

IMG_2926(Borghese_Gallery).jpg 今回のイタリア旅行で最高の見どころはボルゲーゼ美術館。
前回の旅行で訪れていなかったということもあるけれど、またローマに来ることがあったら、もう一度訪れたいという思いも強い。

この美術館の最重要な収蔵物は、やはりベルニーニの彫刻作品群。
「プロセルピナの掠奪」、「アポロンとダフネ」、「ダヴィデ」、「真実」など、どれも素晴らしい。(写真は9月27日の記事「ボルゲーゼの名品」参照のこと)

とはいうものの、私はベルニーニ作品が前から好きで好きでたまらなかったというわけではない。
その造形は素晴らしく、どこといって不自然さを感じさせない完全なプロポーションだということはずっと思っていた。
しかし、完全すぎるのだ。細部までこだわりぬいたリアルな造形、それに反してありえない滑らかな肌。何だか、近代的な機械加工の工芸作品のように思え、ウソっぽく感じていた。

IMG_2948(Borghese_Proserpina_back).jpg IMG_2952(Borghese_Proserpina_esc).jpg
実物を間近に見るとどうだろう―
正直にいって、不純な鑑賞者の心をざわつかせる。

顔を背け、ビクビクッと体を震わせて抗うプロセルピナは、まな板ではねる鯉か。
私の手がハデスの手になって、彼女をつかまえている、私の腕のなかでもがく体。

ベルニーニは、この像を見る人がピュグマリオンの陥穽に落ちることを秘かに企んだのではないか。


というわけで、この美術館では夢のような時を過ごすことができる。
ベルニーニ
 
 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(Gian Lorenzo Bernini, 1598年12月7日 - 1680年11月28日[1])は、バロックの時期を代表するイタリアの彫刻家、建築家、画家。
ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と賞賛されたバロック芸術の巨匠である。古代遺跡が残る古き都ローマは彼の手によって、壮大なスケール、絢爛豪華な装飾にあふれる美の都に変貌していった。人々は彼の作品を「芸術の奇跡」と絶賛した。
(Wikipediaから)

我にかえればそこはローマ。
ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と言うのだそうだ。
ローマ市内には多くのベルニーニ作品がある。
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ローマ市内のベルニーニ作品マップ
blankimage.png

Bernini_house2.jpg
ベルニーニの家のプレート
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会の「聖テレジアの法悦」を見たい!(今回は見られなかった)

ネットを見ていると、ベルニーニを見て回ったというブログも見つかる。同じように魅せられる人は多いようだ。
私も今回の旅行で、スペイン広場の「舟の噴水」、ナヴォーナ広場の「四大河の泉」、そしてあたりまえだけれどサン・ピエトロ広場。これらベルニーニの作品を多く見せてもらった。

Bernini_house1.jpg
ベルニーニの家
またローマに来ることがあったら、今度こそ、計画的にベルニーニ・ツアーをしてみようか。
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イタリア旅行―運転マナー

旅行した季節はバカンスの最終時期。したがって、イタリア人の車は普段より少ないのだろう、ひどい渋滞は経験しなかった。(観光渋滞ばっかりで通勤渋滞はないということ)

だからかもしれないが、感心するのは、歩行者に対する車のマナーが良いこと。横断歩道では、渡ろうとする人がいれば、たいていの車は止まってくれる。横断歩道に立っていたら、ニコっと笑って車をとめてくれる人が多い(横断歩道以外では高速で走ってるからダメ)。おおぜいの観光客が横断するとイライラしそうなものだけれど、そこは慣れっこなのだろうか。

日本では、先だって横断歩道で車が止まらないということがとりあげられていた。れっきとした交通違反なのだが。


対して、歩行者のマナーは良いとはいえない。
車が来ていなければ、道路のどこでも横断するし、赤信号も無視する。(そういう人が多い)
IMG_2612(Rome_Signal_for_pedestrians).jpg
あと13秒!

ニューヨークへ行ったとき、ここの人たちは信号を守らないなぁ、大阪人とおんなじだなぁと思ったが、イタリアでも同じ。


驚いたのは、青信号の残り時間表示(カウントダウン)のある信号。
こういう信号は、日本では、あの大阪駅東側のところが有名というか、それしか思い当たらないのだけれど、ローマではけっこうあちこちで見かける。
(いつからあるのだろう?)

イタリア人て、のんびりしているのか、せっかちなのか。

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イタリア旅行―水回りのこと

昨日は水飲み場のことをとりあげたけれど、今日は、トイレと洗面について。

P_20180823_160939(Toilet).jpg まずトイレについてだが、ホテルなどを除いて、店などで使わせてもらったトイレのほとんどに便座がない。大の用をたすとき、イタリアの人たちはどうしているんだろう。他人が用をたしているところを覗き込むわけにもいかないし。

私はホテル以外では大はしていない。


添乗員さんの「説明」では、イタリア人にそのことを訊くと、

ロシア人の奴らが持っていっちまうんだ
他人の尻に間接キッスをするのがけがらわしい

というような回答があるそうだ。
ロシア人はともかくとして、けがらわしいという人は便座のないトイレで尻を浮かせて用を足しているのか?
それとも「マイ便座」なんてものが、イタリアでは普及しているのか?
ついぞ、そんな人を見たことはないが。
女子用はどうなっているんだろう。

疑問は尽きないのであった。


IMG_2060(Dressing).jpg もう一つは洗面の蛇口というか水栓。
今回の旅行で行ったホテルやトイレの洗面の蛇口の多くで、レバー式の水栓が使われていた。そしてそのことごとくが、レバーを上へあげて開栓、下へさげて止水となっていた。

以前聞いた話では、日本では、阪神淡路大震災以前は、下へさげて開栓、上へあげて止水となっているのが普通だったのが、物が落ちてレバーに当たって開栓状態になる場合があったとかで、逆になったという。

震災後に建った私の自宅は上へあげて開栓、下げて止水。震災前に建った職場ビルは下げて開栓、上げて止水。


イタリアに日本の震災での知識が伝わったとも思えない。そもそもずいぶん古そうな洗面でもそうなっている。イタリアも地震のある国。昔からそうなっていたのかもしれない。そうなら日本のメーカーにその知恵が伝わっていなかった?

もっとも私は、レバーを下げて水が出る、上げて止まるというほうが、自然なように思う。
みなさんはどうだろう。


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イタリア旅行―ローマの水飲み場

IMG_2603(Rome_water_supply2).jpg
古代ローマを復元した水飲み場
昨日の記事の最後に、SPQRの文字が刻まれた水飲み場のことを書いた。

塩野七生「ローマ人の物語」によると、古代ローマの水道は、流れっぱなしで、ローマの人たちは自由にその水を利用していたという。(同書によると、流しっぱなしにするのは水を腐らせないため。また、水道代を払うのは水道を自邸に引き込む場合のみ)

その伝統が生きているはずもないと思うけれど、街のあちこちで水が流れっぱなしの水飲み場がある。実際にこの水は飲めるらしい。

P_20180824_110201(Water_supply_boat_fountain).jpg IMG_2613(Rome_water_supply).jpg
スペイン広場の「舟の噴水」街中にある水飲み場
スペイン広場にある「舟の噴水」(ベルニーニ作)の水を飲んでみた。普通の水である(少量だったからかもしれないがお腹をこわしたりはしなかった)。

復元された水飲み場やベルニーニ作の噴水などは観光目的で水を流しているとも解釈できるけれど、普通に無骨な金属製の水飲み場もあって、やはり水は流れっぱなしである。あちこちにあって、実際にローマの人たちがここで水を汲んだりしているのを目撃している。

旅行中、お腹を傷めないよう、いつもペットボトルの水を買っているわけだが、この水が安心して飲めればお金がいらないんだけど。


水がタダだと思っているのは日本人だけではないようだ。

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イタリア旅行―SPQR

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マンホールの蓋にSPQRの文字
SPQRつまり、

Senatus Populusque Romanus
(元老院とローマの人民)

というのは古代ローマの主権者を表すもので、古代ローマ時代に作られた公共施設などには、この文字が刻まれていたことだろう。

今回の旅行では、古代ローマの遺跡には「肉薄」とまではいかなかったので、遺跡でこの文字を確認することはできなかった。(キリスト教会はSPQRは使わないだろう)

ところが、この文字はけっこう気軽にローマの人たちが使っているようで、たとえばマンホールの蓋でそれを見つけた。
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バスにもSPQRの文字
「当局認可」という意味かもしれない
マンホールはおそらく公共施設だからSPQRとあってもまあいいかと思うけれど、どう見ても私物だろうというものにもSPQRの文字が付いていたりする。それが自分たちが載っているバスだったり。

ひょっとしたら当局が認可しているバスという意味なのかもしれない。私は気付かなかったけれど、タクシーにもSPQRの文字が書かれているそうだから。


街を歩いていて何だか古そうなものを見たら写真を撮ったりしていたのだけれど、その一枚、水飲み場を良く見ると、SPQRの文字が刻まれている。
これはこれはと思うけれど、その横に続けて
"RESTITUTA AD MCMLVII"とある。「1957年復元」という意味だと思う。

復元というからには元のものがあったということだ。
古代ローマが少し息づいている。

IMG_2781(SPQR_restituta).jpg
SPQR  restituta AD MCMLVII

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プラド美術館展

昨日、久しぶりに神戸へ行って、プラド美術館展を見た。

特別好きというわけではないのだけれど、ベラスケスの有名作品が展示されているようなので、見逃して後悔するのもイヤなので、やっぱり見ておこう。

昨日は台風接近が予測されていた日なので、客足も鈍ることだろうと考えて、会期終了も間近であることだから、行くなら昨日と思った。(そして実際、観客はかなり少なかった)

会場は、兵庫県立美術館。
実は、この美術館、今まで行ったことがなかった。特別展示は1フロアにおさまっていて、見て回りやすいと思う。

一番の見ものは、ベラスケス「王太子バルタサール・カルロス騎馬像」。チケット、図録、ポスター、その他展覧会の広告物、いたるところカルロス王子である。

以前、NHKの「日曜美術館」でベラスケスがとりあげられ、本作についても解説されていた。それによれば、この絵は戸口の上に掲げられていて、下から見上げる形で飾られていた、そしてベラスケスはそのことを計算して描いたということだった。(図録にもそう書かれていた)。

それでだろう、この絵の前で、かがみこんで見上げて鑑賞する人が多かった。私もその一人。

スペイン絵画というと、暗く重い色調のものが多いと思っていたのだけれど、この絵は明るい、そしてすがすがしい。
少し残念なのは、絵の上のほうに皺があること。そして展示の照明がちょっと邪魔。とくに下から見上げるように鑑賞しようとすると、どうしても光が入って反射する。

いずれもなかなかの作品ぞろいだと思うけれど、面白いのは、デニス・ファン・アルスロート「ブリュッセルのオメガングもしくは鸚鵡の祝祭:職業組合の行列」という作品。
P_20181006_110058(Hyogo_pref_museum_of_art).jpg
兵庫県立美術館

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美術館入口。カルロス王子とブリューゲル(父)の花

P_20181006_124605(Lobby_suspending).jpg
カルロス王子を見上げて見るというのはこういうことかも
(美術館ロビーの垂れ幕)



131×382.8cmという、横に長い画面いっぱいに、大勢の職人たちが行列し、それを大勢の街の人たちが見ているもの。どういう組合か示すシンボルをつけた「まとい」のようなものも描かれているし、ラテン語だろうか、職業の注記も絵の中に書かれている。
単純に、見飽きない。けれど、この絵は実際に近くで見ないと面白くない。

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他にも見ものはいろいろある。ブリューゲル(父)の花の絵も美術館入口の広告に使われていたが、素直なのに深い。

実は、なんでそう思ったのかわからないのだけど、マルガレーテ王女の絵も来ていると思って探したのだけれど、これは出ていなかった。


見て回った時間は1時間半。
私としては、美術展で集中できるぎりぎりの時間だけれど、今回は意外に疲れは感じなかった。

図録は通常のサイズのもの(2,700円)と、ミニサイズ(1,300円)があった。
今回はミニサイズの方を購入。(写真で大きさをご確認ください)


12:45頃美術館を出、お昼。
お昼は、今まで食べたことのない「近江ちゃんぽん」。長崎ちゃんぽんのような海鮮は入ってなくて、動物性は豚肉のみ。
あっさりしていて悪くはない。ちょっとボケたような感じがしたので、店特製ラー油というのをちょっと足した。
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イタリア旅行―警備のこと

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ヴェローナの警察官
11年前と比べ、今回の旅行はどこも観光客の数がかなり増えていると感じた。
それが理由なのか、それとも近年の無差別テロの発生が理由なのか、どの都市へ行っても警察官の姿をよく見かけた。

驚いたのは、警備しているのは警察だけでなく、軍隊の場合もあること。日時あるいは場所で分担されているらしい。
日本ではちょっと考えられない景色である。

軍隊による警備の写真はピサのものしか撮ってなかったけれど、フィレンツェでもジョットの塔の前に軍隊がいた。ローマは広いからあちこち持ち場があるようだ。


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ピサの斜塔前
警察も軍隊も、国家権力の実力行使組織という点では同様であるけれど、実力が向けられる方向が違う。

それだけでなく、戦前には「軍人は憲兵には従うが、警察官の命令に服する義務はない」などという帝国軍人を警察が取り締まるのは難しく(⇒「ゴーストップ事件」)、2.26事件では「叛乱軍」をいちはやく察知したにもかかわらず、警察は動けなかったという話もある。


そういう戦前の話は措いておいて、もし自衛隊が警察の仕事をしたらどうなるだろう。
自衛官には、警察官のような犯罪捜査や住民保護の権限がなく、もし怪しい人物がうろうろしていても職務質問するというわけにはいかない。

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ヴァチカンの衛兵
銃を乱射したり、刃物をもって暴れたりする人がいたとして、自衛官は何ができるのだろうか。

暴漢が自衛官その人に向かって攻撃してきたら正当防衛にはなるだろう。ただし、このときも銃を使ったら過剰防衛と言われるかもしれない。


自衛官が国民相手に実力行使することができないなら、銃を持って市中警備にあたるなんてことはできるはずがない。
しかし、対テロ戦争を戦っている中で、テロリストに対しては武器使用が認められる、その場所は日本国内を排除しない、そういう理屈はありえるのだろうか。

市民の権利と関わるような警察業務は難しくても、警備ならできるような気もするが。

ところで、ヴァチカンの衛兵は槍は持っているみたいだけれど、誰かが侵入しようとしたら、槍で応戦するなんてことが許されているのかな。

なんといってもヴァチカンは一応主権国だ。それに警備を委ねられているのはスイス人だから、何にもできなかったら国の恥ぐらいに考えるかもしれないし。

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イタリア旅行―広場のこと

イタリアの街で感心するのは、広場が随所にあること。

今回の旅行先から拾えば、ミラノにはドゥオーモ広場、ヴェネツィアならサン・マルコ広場、フィレンツェはドゥオーモ広場やシニョーリア広場、そしてローマにはスペイン広場、ポポロ広場、ナヴォーナ広場という具合。11年前の旅行では世界一美しいといわれるシエナのカンポ広場にも行った。(実はパリオ(競馬)の日だったので、広場には入れなかったのだけど)

対して日本で広場というと、皇居前広場はともかく、他はたいてい○○駅前広場とか、公園の中にある広い場所を指して言うようだが、イタリアのように街中にぽっかりと空いて区画されているようなのはあまり思い当たらない。もしそういう場所があったら、地価も高く、空いたままにするのはもったいなくて、高度利用をしようということになるのだろう。

イタリアの広場の多くは教会の前にできているように思うけれど、日本のお寺は城郭のように塀をめぐらしている。神社はそうした塀はめぐらさないが、社殿のそばの空いた場所は聖域扱いだし、小さい街中の社はそういう空間もない。
イタリアの広場的なものといえば、神社仏閣への参道がそうなのかもしれない。

今回の旅行は有名観光地ばかりで、どこへ行っても観光客らしき人の群れだったわけだが、そうした観光地以外の小さな街でもヨーロッパの街づくりでは、広場というのがポイントになっているようだ。
何かの本で読んだ覚えがあるけれど、ドイツなどの街では中心部への自動車の乗り入れを禁止し、広場を中心とした憩いの場ができていて、年寄りが何するということもなく出てきて和むともいう。

同様の状況がこちら("ムラとマチを捨ててきた日本の未来はやっぱり「地方分散」にあり")にも書かれている。


日本でも役所の前などには広場が設けれられていることが多いけれど、用事もないのにここで憩うというのは、なんとなく抵抗があるように思う。役所側はそんなつもりはないのだろうけれど、市民の憩いの場としてもっと積極的に人を集める仕掛けをしたらどうかとも思う。そのためにも役所は市街地の真ん中になければならぬ。

病院や図書館にばかり年寄りが集まるといわれるけれど、こうした広場へ集めるのも良いのではないか。

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ドゥオーモ広場 ミラノ

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エルベ広場
ヴェローナ
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サン・マルコ広場
ヴェネツィア

フィレンツェ
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サン・ノヴェッラ教会前
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ドゥオーモ広場

ローマ
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ナヴォーナ広場
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ポポロ広場
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スペイン広場

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広場の機能(及び設計?)というものが、日本とイタリア、ヨーロッパでは違うように思うのだが、それについて研究・考察した人とかはいないのだろうか。

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サン・ピエトロ広場  ヴァチカン

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六二郎。六二郎。


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苦しい家計の足しに再就職
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