あなたの理系度チェックシート

竹内久美子「遺伝子が解く! その愛は、損か、得か」に、
あなたの理系度チェックシートなるものが掲載されていた。

竹内久美子式 独断&偏見判定法」とわざわざ書いてあるが、誰がみても独断と偏見としか言いようがないと思う。
それはともかく、竹内氏はこのシートに、
東大工学部卒の女優、菊川怜に対して、「所詮、 学力と頭の良さは別だ」などという評価を耳にします。確かに彼女は気の利いたコメントもできなければ、いかにも頭が切れそうだという発言も少ないかもしれない。でも、的外れな発言や勘違い、天然ボケの数々こそが理系の発想の源、そして才能の証なのです。理系人間なくしては、はたして日本経済は成り立つだろうか? 理系人間をもっと大事にしろ! そんなわけで今回は私の経験則に基づく、あなたの理系度チェックとまいります。基本的に「はい」と「いいえ」で答えて下さい。
と書いておられる。
そう、世間のイメージの理科系と、理科系の人間が考える理科系にはけっこうズレがある。
それに、理科系といっても一色ではない。竹内氏のシートから受けるイメージは博物学系ではないだろうか。数物系だとまた違うイメージになるかもしれない。

ということで、ほんのお遊びであるけれど、そのシートに忠実に、セルフチェック用スクリプトを以下のとおり用意したので、興味のあるかたはお試しあれ。

なお、配点が知りたい人は、同書をご覧ください。(スクリプトを見てもわかるでしょうけど)


あなたの理系度チェックシート
1一度会った人なら顔を覚えていられる。
2雑誌はまず目次を見る。
3歳より相当若く見られる。
4いわゆる行列ができる店にはぜひ行ってみたいと思う。
5自分は結婚生活に向いていない、と思うことがある。
6隣の家の風鈴の音が気になる。
7字が下手だ。
8Tシャツの内側のタグが肌にこそばゆく、
はずしてしまったりする。
9待ち合わせの時間に遅れたとき、本当の理由は言わず、
相手を傷つけない言い訳を考える。
10行きつけの店ではいつもほとんど同じメニューを注文する。
11お前はダメだと言われると、
本当に自分はダメなんだと落ち込む。
12温泉では個室露天風呂よりも大浴場からの眺めを楽しむ。
13世界地図や日本地図がいつも手元にある。
14昼食に出かけるとします。一人で行くことが多いですか?
二人で行くことが多いですか?
三人以上が多いですか?



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「遺伝子が解く! その愛は、損か、得か」

takeuchi_kumiko_sono_ai_wa.jpg 竹内久美子「遺伝子が解く! その愛は、損か、得か」について。

この著者の本は今までに何冊か読んでいる。
基本的には、師匠(日高敏隆)ゆずりの動物行動学の知見を、人類に敷衍するもので、それなりにおもしろいものではある。
「生物は遺伝子の乗り物⇒遺伝子のコピーを増やすことが生きる意義⇒繁殖行動こそが最も重要な行動」という図式に従って、著作の多くで、性行動があからさまに描かれる。

この図式自体はその通りだと思うわけで、また、これがおもしろがられる所以であるわけでもあるのだけれど、ここにちょっとした陥穽もある。

世人におもしろがられる性行動というのは、それがどんなものであれ、生物の世界をながめれば見つかるものである。人類の歴史なんて短いもので、その何万倍もの長い時間、進化を重ねてきた生物には、子孫につないできた生き方に、それこそ想像を絶するバリエーションがあるわけだ。
第1章 たかがセックス、やっぱりセックス!
第2章 真似したい?真似したくない?
動物たちの羨ましい生態
第3章 こんなことも、あんなことも。
いろいろあります、人間ですから
第4章 奇妙な動物大集合!地球は誰のもの?
第5章 美しく咲き誇るだけではない植物たちの現実
第6章 陸、海、空―。
ムシ、トリ、サカナだって大活躍
つまり「こんな生き物がいる、人間と同じだ」という言説は、驚くにはあたらない。

逆に、人間でもこんなことをする人がいるけれど、生き物にはもっと巧妙なことをするのがいる。考えてやっているわけではないだろうに、そういう行動には驚くしかない、というのが正しい驚き方。
あるいは、人間にはとてもマネごとしかできないやつがいる!(たとえばトリカヘチャタテ)と驚く。

とまあ、随分といかめしい書評になったけれど、エッセイとしては大変おもしろい。本書は週刊文春に10年ぐらい連載された、読者からの相談に答えるという形のコラムをまとめたものらしい。
相談にはヤラセもありそうだが、この週刊誌の編集方針というかカラーに則った問答が選ばれたのだろう。なかには、よくそんなことに気づいて、疑問に思ったなぁというような質の高い質問もあって、感心させられる。

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乳つき順位
また、本書の末尾に、挿絵を書いた寄藤文平氏の解説(あとがき?)が載せられている。
それによると、有名週刊誌で仕事をしていることで、両親に安心してもらえたとある。ただ、ああいう絵はなんとかならんの?とも言われていたそうだ。

下ネタと言ってしまっては、著者に怒られるかもしれないけれど、そういうウケねらいもあるだろう(出版社には間違いなく)。
そのあたりをなんの衒いもなく、ズバリ言うのがこの著者の一貫した姿勢である。
竹内氏によれば、日本のリベラルは金玉が小さいという。氏がどういうのをリベラルと仰っているのかわからないけれど、私は自称リベラリストである。であれば……

先生にお聞きしたい、金玉が小さい男と、大きい男、どちらが性的に興奮しやすいんでしょうか?

ところで、ムクゲキノコムシの一種には、体長より長く大きな精子を持ち、それを交尾相手の雌に渡すものがいるという(丸山宗利「昆虫はすごい」)。

キーウィの卵の大きさは有名だが、精子の大きさでこれは。

こいつはどうですか、竹内先生。

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「技術の街道をゆく」(その2)

畑村洋太郎「技術の街道をゆく」をとりあげる2回目。
前回(昨日)は、同書の内容のうち、とくに具体的な「景色」をピックアップした。
今日は、なぜ日本の製造業がダメになっているのかという指摘の部分に注目する。

Roppongi-hills-kaitendoor.jpg 第1章から第4章までは、日本の技術現場がどんなふうに頑張って来たかを紹介しているが、「第5章 技術の系譜をたどる」では、特定のテーマではなくて、やや抽象度を高めて、失敗例を引き合いに出している。 一つの例として、六本木ヒルズで起こった回転ドアでの死亡事件がとりあげられる。

この事件のすぐ後に、ヒルズにある会社に用事があってこの現場の脇を通ったことがある。まだ、黄色いテープで通行禁止になっていた。


この事故の根本的な問題は、極めて重たい、人力ではとても止められそうにない慣性を持つドアを作ってしまったことであると指摘する。そしてそれに見合う強力な動力を用いて、その重たいドアを「制御」するという発想の不健全性。

回転ドアが考案されたのは、そもそも寒い地方で、ドアを開けたときに外の寒い風が吹き込まないようにするためである。なぜそれを日本の東京で使ったのかということも問題である。

回転ドアというか回転ゲートには違う使い方もある。それは人の流れを一方向に限るという使い方。普通のドアだと、開いていると出入のどちらの方向も可能になるが、回転ゲートにして、回転方向を一方向にすることにより、出入の一方向だけを許可することができる。小学校の遠足のときに、須磨水族園の出口で見て、簡単な仕掛けだけど、良く出来ているなぁと感心した覚えがある。


この「制御」に過度に頼るというのは、今日のITが進んだ世界ではやりがちなことであるけれど、本書では、安定には、制御安定と本質安定というのがあると指摘する。物理学などでは、動的平衡と静的平衡というような言い方にあてはまる。

磁気浮上式鉄道で、JRは軌道上の磁石と車体の磁石の反発を利用する。この場合、車体が沈むと磁石間の距離が短くなり反発力が強くなるから車体を浮かせるように磁力が働く(逆の場合は逆)。
これに対し、磁力を吸引力として利用する方式も研究されていたが、そちらは制御安定の例である。個人的には不安を覚える。


20180421IMG_0001b.jpg 「第6章 道なき道をゆく」では、日本の製造業の問題点に触れる。
まず「伝える」と「伝わる」が違うということは、前のほうで書いてあって、そのとおりだと納得させられるのだけれど、この章では「伝える」ことの大事さが強調されている。

著者独自の「思考展開法」というものが説明される。

著者は、エンジニアだと思うけれど、エンジニアリングというところまでの体系化は、実は厳しい。演繹的に考えているというより、うまくいったとか、失敗したとかの経験を少しでも見えるようにしたものだと思う。


Hatamura_shiko_tenkaihou.jpg そして、この思考展開法を著者が考えたのは、私も完全に同意するのだが、日本のメーカーは顧客ニーズを把握していないという現実に気づいているからだろう。
良いものなら売れるという時代は終わった。今は価値、顧客にとって価値のあるものが売れる時代である。言い換えれば、作れば売れるという大欠乏時代から、デマンドサイドへシフトしている。

思い返せば、日本が成長して日米貿易摩擦を引き起こした時、米国から、どうして米国製品を買ってくれないのか、こんなに良いものなのに、という苦情があったのだけれど、米国企業は自分たちが作っているものが最高だと言って、それを押し付けてくる。しかも、マニュアルすら日本語化しない。対して日本は米国のニーズにあわせて製品を作っている。という話があった。
今の日本の製造業の態度は、当時の米国企業のようになっているわけだ。


顧客ニーズを捕まえ切れていない、言い換えると、How toには長けているが、Whatあるいはfor whatが下手であるということなのだが、そうやって売れないものを作っていると、コストダウンばかりに目が行く、そして人件費の安い海外生産などでしのいでいるうちに、生産技術においても日本は中国に遅れをとりつつあるという。

もちろん土地の広さ・価格が違いすぎるから簡単に評価はできないのだけれど、中国の向上は製造ラインの周りはガラガラなのだそうだ。
それを日本の技術者がムダではないかと指摘すると、中国側からは、これは時間への投資だという答えが返ってくる。どういうことかというと、ラインの構成要素の変更や、製品仕様の変更などがあったときに、すぐに現行ラインの脇にそれに対応した工程を組み込めるという。

日本の技術者にはマニュアル化された知識に頼りすぎるという面があるのかもしれない。
20180421_IMG0000b.jpg また、前後するが、技術にはブレークスルーがあって、同じことをしていては限界を超えることができない。成功体験にしがみつくことの危険性もある。

さて、本書では、鉄、津波、コンクリートと磁器と、まったく異なる分野の話がとりあげられているけれど、心的態度には(同じ人物だから当然と言えば当然だが)一貫したものを感じる。それはエンジニア魂とでもいうものだろうか。

よく理科系とか文科系とかいうけれど、文科系、とりわけ役人というのは、お金の配分だけ考えていて、事業のパースペクティブを持っていない。持っているのは「落としどころ」だけ。
理科系というのは興味本位で、見通しを持っていない場合もあるかもしれない。しかし、創造的なビジョンを本当に持てるのは文科系ではなくて、理科系のほうではないだろうか。

もしシャープが産業革新機構によって「救済」されていたら、悲惨なことになっていただろう、鴻海に買収されたからV字回復ができたのだという話もある。(⇒「産業革新機構でなくてよかった」

経産省(通産省)が日本の産業発展をリードしたというのも、たまたまうまくいったものもあれば、そうでないものも多い。(国が伸ばそうとした産業はよくコケる。)

旧い話だけれど、ホンダが乗用車を製造しようとしたときに、トヨタ、日産などの寡占市場を守ろうとしたが、ホンダはそれに従わなかった。結果はご覧のとおりである。(政府による妨害という試練を乗り越えられるところが成長する)

全然知らない分野だけど、国産ジェット旅客機(MRJ)があやうくなっている一方、ホンダ・ジェットは快調のようである。前者には国費でも入っているんだろうか。


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「技術の街道をゆく」

71MypF-3IpL.jpg 畑村洋太郎「技術の街道をゆく」について。

本書を読んで、自分の経験に照らして、その通りだと思える人は理工系(だと思う)。

専門分野が、自然科学・工学か、社会科学・人文科学かということとは相関はあるけれど、絶対ではない。


「街道をゆく」というのは、もちろん司馬遼太郎の旅行エッセイのタイトルに倣ったものである。司馬遼太郎の文と須田剋太の挿絵(この原画が大阪府庁の廊下に展示されていたのを見たことがある)で人気の高かったエッセイである。
本書の著者は、このエッセイの融通無碍にフッと話題が切り替わりながら、印象的な洞察が語られる点が気に入っているとのことで、それにあやかったと説明されている。

その「街道の風景」から、印象的なものを拾い出してみる。

まずは「鉄の道をゆく」、ここには戦後の日本製鉄業の技術革新の様子が描かれている。

著者は鉄にはかなりのこだわりがあるようで、著者自身が製鉄所を見学したことや鉄の専門家から教えられたことが併せて語られる。

はじめに
第1章 鉄の道をゆく
技術の道に踏み出す/鉄の覇権を握る/技術の覇権は移り変わる/Sカーブを乗り換えられるか
 
第2章 たたらの里をゆく
村下を訪ねて/たたらの歴史/真の村下/木原さんの仕事/たたらの作業現場/たたら製鉄のプロセス/「伝える」ということ/雨の恵みとたたら製鉄
 
第3章 津波の跡をゆく
定点観測/防潮堤の役割/電気を信用しない/人間の帰巣本能/神社の分布と津波/津波石を見に行く/明和の巨大津波
 
第4章 ミクロの世界をのぞきに行く
岩を作り直す/ストーク·オン·トレント/ミクロの視点から見る/酒井田柿右衛門/変えないことの価値/時間軸を入れて変化を見る
 
第5章 技術の系譜をたどる
アイアンブリッジで考えたこと/マンチェスター·リヴァプール問鉄道/止まらない機関車/「動かす」と「止める」/制御安全と本質安全/ドアプロジェクト/回転ドアの系譜/問題設定の問題点
 
第6章 道なき道をゆく
GDPとオートバイ/イミテーションを抱き込む/How思考から抜け出せ/価値を生み出すWhat思考/良い物とは何だろうか?/リマンの効用/要求機能をあぶり出す/潜在化しているものを掘り出す/利益の源泉/リードタイムを短くする/会社の価値の増大/道なき道をゆく
 
付録 考えを作る―思考展開法とは何か
思考展開法の基本的な考え方/思考展開法のプロセス/発表と討論の重要性/思考展開法の有効性
日本製鉄業は、技術革新に取り組まなければ生き残れなかった。それは日本の鉄は、それまで 米国の鉄屑輸入に頼っていたのだが、米国側が輸出を規制したことにより、原料鉄が得られなくなったからだという。
小学校の社会科で貿易についての授業のとき、日本がアメリカから輸入しているものに鉄屑があって、子供心に、ゴミを売ってもらってるんだと、なんだか情けない感じがしたものだ。

しかし、日本は、これを機に、高炉を整備し、LD転炉を導入したのだそうである。とくに、銑鉄を鋼に転換する転炉を使いこなすことで、日本製の鉄鋼の高品質が生まれたということのようだ。最近、中国が圧倒的な鉄生産量を誇るようになっているが(トランプに叩かれている)、それまでは日本が世界一だった。そして「鉄は産業のコメ」と言われていたことを思い出す。

次の風景は「たたらの里をゆく」である。この章もまた鉄のことである。
たたら製鉄については、旧い製鉄法で、伝統技術として保存されているものぐらいに思っていたけれど、実は、たたら製鉄の技術は、少なくとも2度、途絶えているのだそうだ。
今、たたら製鉄を行っている技術者(「村下(むらげ)」という)は、その途絶えた技術をなんとか再現、再発明しているということだ。
また、たたら製鉄は、砂鉄から一気に鋼を取り出すもの(前章の高炉[銑鉄]→転炉[鋼]と異なり)で、そう言われればなるほど、玉鋼を刀鍛冶が鍛造していく動画になるのだなと、これはこれで驚きである。

さらに、視野を広げて。
たたら製鉄は大量の燃料、すなわち木材が必要となる。そして製鉄拠点出雲へ木材を供給するのは中国山地の山林ということになる。それが秀吉の朝鮮出兵のため、大量の武器が必要となり、このため中国山地はいたるところ禿山となったそうだ。そして、それによって、土砂崩れの危険地域があちこちにできてしまった。先年の広島での土砂災害も無関係ではないらしい。

厚労省のデータ捏造が問題になっているが、その陰で同じように捏造資料を使って国会を通した「森林環境税」で、本当に森林管理が良くなるんだろうか?


次の風景は「津波の跡をゆく」。鉄からうってかわって津波の話になる。
ものづくりというものとは少し趣が違うわけだが、ここで著者が指摘することは2つある。

20180421IMG_0002b.jpg 一つは「いなす」という発想。古い堤防は波の力をまともには受けないように、海に対して楔のように作られている。しかし、新しい堤防は、まるで津波と力相撲でもとるかのように向き合っている。そして東日本大震災では、その相撲で手もなくひねられてしまった。

もう一つは電気を信用しないということ。堤防の扉は電気がこなくても、人力や重力で閉まるように工夫されていて、その仕掛けが錆びつかないよう、点検と手入れがきちんと行われている。「全電源喪失」で大変な事態を招いた近代設備とはなんという違いだろう。

20180421IMG_0003b.jpg また、著者は石垣島で「津波石」というものを見て回ったとのこと。石垣島には84mもの津波が来襲した記録があるとのこと。上陸したら高さは下がるだろうけれど(84mはおそらく最高到達点)、それにしても大変な高さだ。

特定の対象をとりあげた風景は「第4章 ミクロの世界をのぞきに行く」までである。
であるけれど、この章のタイトルはミクロの世界になっているのだが、この章は巨大なダムの話からはじまる。
あれれと思っていたら、この章のテーマは陶磁器の微細構造についてである。それがダムのコンクリートの構造に通ずるものだということで、ダムの話から入っているわけだ。
陶磁器というが、主にとりあげるのは有田焼。陶石から作られる磁器の方。ダムが陶器のように空気を含んだ粗い構造では困るわけだ。
ここでも秀吉の名前が出てくる。朝鮮出兵で連れ帰った朝鮮の陶工によって、九州各地の陶磁器が生まれたことは良く知られている。有田に良い陶石を発見したのも朝鮮人の陶工らしい。

もっとも私はお茶を飲むのは陶器に限ると思っている。磁器は熱伝導が良すぎて、熱いお茶は飲めない。

ダムは岩を、人間が作り直しているものだという。(磁器は石というのかな)
形としてはダムであったり、お皿や茶碗だったりするけれど、その構造は岩のそれで、しかも均一で破綻のないものにすることが理想である。

著者には書き足りないことはたくさんあるのだろうけれど、エッセンスは十分伝わってくる。
そして、最終的には、なぜ日本の製造業がダメになっているのかについて、エンジニアの眼で明確に指摘される。

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「歴史の舞台」

5132KP26XXL.jpg 司馬遼太郎「歴史の舞台 文明のさまざま」について。

図書館の新刊棚にあるのが目に入ったもの。例によって、通勤の無聊を慰めるために内容を見ることもなく、著者の名前だけ見て借り出した。

書名から想像されるものとは全然違うものだった。
欧米中心の世界史教育を受けたものとしては、「歴史の舞台」と言えば、そりゃ本書にあるモンゴル、中央アジアもあるだろうけれど、エジプトとかローマとか、もっといろいろあるだろう。しかもご丁寧に「文明のさまざま」ときているわけだから。
目次も開けずに、そう思った私が悪いのかもしれないけれど、それに、司馬遼太郎とローマというのもピンとこないわけだし。
でもおもしろかった。

内容だが、30年以上も前に書かれたエッセイが14本。

なので図書館の新刊棚にあったのが不思議。

最初の2つは、著者が西域へ旅行したときの旅行記でもある。これが本書のメイン・コンテンツ。
残る12本はごく短いエッセイというか、コラムのようなもので、雑誌などで使い捨てにされるようなもの。

天山の麓の緑のなかで
イリ十日記―天山北路の諸民族たち
文明論への重要な資料
鮮やかな光度をもつ北方文化
沸騰する社会と諸思想
複合された古代世界の舞台
漢字と孔子
『叛旗』と李自成のこと
古朝鮮の成立
アラブと錠前
友人の旅の話
倭寇と老熟
倭の印象
高野山管見
内容についてはいちいちコメントする気はないが、司馬氏が旅した当時の西域の街や人びとの写真も興味深い。なんといっても、ソビエト連邦時代である。これはこれで貴重かも。

書かれているのは遊牧民のことがほとんどである。
遊牧というと、財の蓄積もあまりなされない、原始的なイメージがあるけれど、実際には、農業よりも新しい生産形態だという。

遊牧生活では野菜とかはあまりとらない。(草なんか食べるのは馬や羊だとでも考えているのかも。)
肉は遊牧していてうじゃうじゃあるわけだが、それらを食するのは特別な場合で、もっぱら乳の利用である。
エネルギーも、ミネラルやビタミンも乳から得る。
保存食品も乳製品である。

遺伝的に、乳の分解酵素の欠損なんかないんだろうなぁ。腸内細菌も遊牧生活に対応しているに違いない。
それでも、遊牧民に生まれたかったかと聞かれたら、やはりイエスとは言いにくい。
やっぱり音楽も聴きたいし、本も読みたい。そうしたものが貯まって行く。

しかし待てよ、以前ならレコードやCD、分厚い本が貯まったけれど、ネット社会になったら、随分と軽くなる。そういえば、テレビ番組などで見ると、遊牧民は衛星アンテナを持っていて、ネットも利用していたようだ。現代は案外、遊牧生活に向いているのかも。


後半は、朝鮮、中国、倭(日本)の話だが、一つだけ紹介しておこう。
前に「倭奴」という言葉を紹介した。(戦争の日本古代史
この語は「ウェノム」と発音するそうだ。この言葉が使われると気持ちの平衡が失われるという。朝鮮語ではよほどひどい語感をもっているらしい。
単純に蔑むという程度ではなく、憎しみもこもっているようだ。
覚えておこう。

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「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」

9784062724791.jpg 古川愛哲「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた―サムライと庶民365日の真実」について。

江戸時代は、時代小説や時代劇に描かれているものとは、本当は違う、実際はこうだったという話が数多くとりあげられている。

多くは今までにも聞いたこと・読んだことのあることだし、系統だって書かれているわけではないから、雑知識の収集程度で軽い気持ちで読んだ。

だから、最初は、大正時代にねじ曲げられたというけど、それはたまたま「はじめに」でトピックス的にとりあげられている、『チャンバラ』という言葉が(たまたま)大正時代にできたという程度で、大正という時代に特別な意味があるとも思えなかった。

ところが、ちゃんと読むと、著者は、為政者の方針とか時代の空気というのをきちんととらえて、「大正」を持ち出しているようだ。

ただし、そうしたストーリーに拘りすぎると、変な思い込みに陥るおそれもある。このあたりはどこまで事実をとらえているか、吟味が必要になるところか。

はじめに―「チャンバラ」は大正時代に生まれた
 
第一章 これが本当の江戸庶民の生活
時代劇とは違う江戸の町景色 / 江戸の町は右側通行、左側通行? / 悪臭漂う江戸の町、臭いの元は? / 町に張り巡らされた意外な監視網 / 家計を支える「つゆ稼ぎ」とは? / 江戸のびっくりDNA鑑定方法 / 男たちが浮世絵好きだった理由 / 江戸の町は不倫三昧 / 意味も発音も味わいある江戸語 / 古着が当たり前の生活 
 
第二章 ビジネスに行政―これが本当の江戸社会
武家と町人が接触できない社会 / 一握りだった正式な町人 / 役所と交番を兼ねる大家さん / 江戸にもいた派遣社員 / 大名行列にも日雇いを起用 / 商人の馬鹿息子は跡を継げない / 江戸の商家で息子が跡取りだと / 江戸にもあったコンサルタント業 / 儲かる江戸っ子はバイリンガル / 野菜と糞尿のリサイクル生活 
 
第三章 嘘かまことか―これが江戸の現実
江戸の華、火事に消された真実 / 「生類憐みの令」は悪法か? / 座布団に老中がドカリと座る嘘 / みんな同じ形の葵の紋の嘘 / 葵の御紋が持つ本当の威力 / 大名行列、切捨て御免も金で解決 / 切捨て御免で復讐された馬鹿殿 / 日本刀の切れ味はいかほど? / 日本刀での理想的な斬り方 / 時代劇の切腹は不作法? / 「学問は道楽」が江戸の常識 / 学問で身を持ち崩した侍たち / 江戸時代にも受験ノイローゼが / 数学は武士より庶民の方が優秀 
 
第四章 時代劇の英雄たちの現実
武家地だらけの江戸の裏住宅事情 / 今とはちがい、不正役人は即処分 / 困窮を極めた鬼平の生活 / 博打と借金で堕落する旗本たち / 江戸町奉行所、捕物帳の現実 / 同心はでっち上げで点数稼ぎ / 将軍さまの大いなる退屈な日々 / 年間維持費六百億円の大奥 / 引退した御殿女中を忍者が監視 / 幼君への驚愕の性教育 / 妊娠した側室が殺された理由 / 悪代官はどのぐらいいたのか? / 農民は本当に虐げられていた?
 
第五章 江戸の祭事記の現実
将軍様の雑煮はなぜまずい? / 初詣でなど至難だった江戸っ子 / 正月二日は「姫始め」 / 正月三日は凧揚げ / 「七草がゆ」で正月を締める / 一月は「節分」、三月は「節句」 / 四月は「年度始め」に参勤交代 / 六月は参勤交代に「天下祭」 / 七月は「七夕」「中元」「盆休み」 / 八月は盆踊り、九月は「二百十日」 / 十一月の酉の位置、師走煤払い / 東京の歳時記に残る御家人の内職 
 
第六章 関東平野に残る江戸の現実
誰が関東平野を開拓したのか? / 追放されたキリシタンはどこへ / 新時代到来で地方と中央に格差 / 関東に名博徒が多い理由 / 善と悪、表裏一体の博徒たち / 領民の逃げ出しは最大のタブー / 浄土真宗の寺は移民の足跡 / 幕末の慰安婦外交とハーフの運命 

さて、著者の主張を、乱暴にまとめるとしたら、

明治政府は江戸幕府を否定することに躍起になった。何事も明治が良くて江戸は悪い・遅れていたということにする。そして庶民は江戸の記憶を封じられ、忘れていった。

しかし、明治末期から大正になると、もうそろそろ江戸を目の敵にしなくても良いだろうと、少しずつ昔(江戸)が懐かしがる風潮に寛大になる。

そして、日清・日露を戦って戦勝に湧く国民には、誇るべき歴史を持つ一等国民であること、忠君愛国の精神を持つ皇国臣民であることを求めた。改変された江戸の歴史、理想化された「武士道」が役にたつ。

そして、この転換が起こったのが大正時代であり、その非科学的な江戸賛美・武士賛美は、アジア太平洋戦争の敗戦まで続く。


著者が言う「大正時代にねじ曲げられた」とはこういうことのようだ。

戦前までの教育の歴史は長い。既に真実は見えなくなっているところも多い。
本格的な歴史研究では、多様な事実(の断片)を使って、それらの相関を調べ、納得できる復元をする。そうして江戸人のエートスというようなものを追体験できるようにする。
あるいは、為政者の意図を読み取り、それによって歪められた歴史、江戸像を正しくしようとする。

本書の著者は専門の歴史学者というわけではないようだから、読者が自分で、江戸人の気持ちをつなぎ合わせることが必要かもしれない。
そして、そのとっかかりになる断片は、本書がたくさん与えてくれる。

おもしろいエピソードはいくらでもある。
雑談のネタを仕入れるには格好の書だと思う。






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「平家物語の女性たち」(その2)

昨日に続いて、永井路子「平家物語の女性たち」について。

さて、一昨日とりあげた兵藤裕己「平家物語の読み方」では、建礼門院は源氏物語の浮舟のイメージに重なるという指摘があった。
本書でも、源氏物語とイメージが重なるところの指摘がある。
それは、小督を源仲国が探し訪ねるシーンである。永井氏は次のように言う。
Sagano_no_tsuki.jpg  しかし、不満はあるにしても、この「小督」の巻は、『平家』の中で、最も美しい部分の一つである。秋の月の夜、物さびしい嵯峨野の小屋、琴と笛――。帝とその恋人を語る舞台装置は、絵のように美しく、そして悲しい。
 ところで、この部分を読むとき、ちょっと頭に浮かべていただきたいことがある。それは、『源氏物語』の第1巻「桐壺」の巻である。最愛の恋人、桐壺更衣に先立たれた帝は、秋の夕暮、物思いに沈みながら、更衣の生んだ皇子(源氏)を思い出し、更衣の母の侘住いに使いをやる。使にゆくのは靫負命婦という女官である。彼女は、更衣の母に会い、しみじみと語りあい、帝への返事をもって帰って来る。帝は寝もやらず待っておられて、その返事に涙される。



これを、単純に『源氏』のまねと思っていただいては困る。作者も原典を知っているし、読者にもその知識のあることを期待しながら話をすすめてゆき、その事によって、さらに物語の内容を豊かにする、というやり方は、日本の文学の中ではよく行なわれていることだからだ。

a90730764a572878d5914a80159f1dd8.jpg 「源平」というときの源氏ではないが、源氏物語と平家物語にそういう関係があるというのもおもしろい。
なので、私もイメージの重なるところがないか、いろいろ考えて見たのだけれど、どちらもきちんと読めていないからか、なかなか難しい。
というか、そもそも源氏の女性たちが描かれるのは、男との恋愛(人間関係の悩みも恋愛に起因するもの)ばかりで、その心情・内面に重点がおかれるように思う。

それもやたら細かく、執拗なぐらいネチネチと(与謝野源氏だと特に)。

対して、平家物語は、上に見たように女性たちの内面描写はあまりないのではないか。それが永井氏のいうような平板で類型的という評価になるのでは。読者は、物語の描写からだけでなく、自身で彼女たちに共感しなければならないように思う。

もちろん優劣ではなくて、描かれる場所が違うわけだ。源氏物語に、平家の女性たちが経験するような、生きたまま裂かれるような劇的な女性っているだろうか。
浮舟の悩みは、平家の女性たちの悩みとは随分性質が違う。

ところで「建礼門院には浮舟のイメージが重なる」についてだが、永井氏によれば、灌頂巻における建礼門院の姿であるという。
永井氏は、灌頂巻は平家物語本編に後から付け加えられたものだろう、あるいは「女院物語」というような別の作品があって、平家物語にとりこまれたのかもしれないという。
というのは、建礼門院が「きちんと」描かれているのは灌頂巻だけで、それまでの兼礼門院については、素直に評すれば、こんな酷い描かれ方だという。
 父に言われればそのまま天皇にとつぎ、そのまま男の子を生み国母ともなるが、いったん落目になれば素手でそれを支える才覚もなく、言われるままに都を落ち、まわりが死ねといえば死んでもみせる。しかし本心から堅い決心をしてとびこんだのではないから、すぐ助けられてしまう。

111087ukifune.jpg このイメージだと、はかなさという点では通ずるものはあるものの、自分というものをもたず、周囲に流されるだけ、父に言われて源氏に嫁ぐ、女三宮のほうが近いかもしれない。浮舟は自分の意思で二人の貴公子から逃げて入水しようとする。

もっとも薫と匂宮の間で、しかも匂宮には強引に抱かれた上で、くよくよと考えて、どうしようもなくなって逃げるわけだから、浮舟も本当の意味で自分の意思があるとは言えない。
一方、女三宮も柏木に恋い焦がれたわけではなく、ただずるずると抱かれるわけで、この二人、そういう点では良く似ているわけだが。

源氏の女性なら、やっぱり六条御息所や朧月夜が、私には魅力的だなぁ。(どっちと付き合っても破滅しそうだけど)
やはり、源典侍がええなぁ。


建礼門院は助け上げられてからすっかり悟って、別人のようになるわけだ(灌頂巻)。

何があったのか?
壇ノ浦夜合戦で自信がつき、目覚めた(何に)?
(ジョイン=女院に無礼であろうと書こうとしたら漢字変換で違うインの字が出るので困る)


平家物語に出てくる女性たちはほとんど、はかない女性なのだが、その中にあって、一人だけ、骨太の女性がいる。
衆目の一致するところ、二位の尼時子である。

(本書でとりあげられていないが宗子もなかなか。 頼朝の助命嘆願は失敗だったが。)

ただ、そのため、逆に、はかない平家の女たちのようには注目されないのかもしれない。

〈時子〉〈徳子〉
源義経(1966)長島丸子鳳八千代
新・平家物語(1972)中村玉緒佐久間良子
草燃える(1979)岩崎加根子生田悦子
義経(2005)松坂慶子中越典子
平清盛(2012)深田恭子二階堂ふみ
私には「新・平家物語」の中村玉緒の印象が強い。先年の「平清盛」の深田恭子は可愛すぎて。

右表に、昨日同様、大河ドラマで時子を演じた女優を一覧してみた。


やはり日本人として生まれたからには、平家物語を通読したほうが良いのかな。
といっても語り本系、読み本系、どっちを選んだらよいのだろう。

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「平家物語の女性たち」

81gsEYwM5L.jpg 昨日の「平家物語の読み方」に続いて、今日は永井路子「平家物語の女性たち」について。

実は平家物語は、原文はもちろん現代語訳も、通して読んだことはないけれど、有名な場面は中学・高校の教科書に載っているし、何度もドラマ化されているから、多くの段について知識はある。
それに、平家物語は戦記文学・歴史文学だから、歴史の本を読んでいれば、物語についての知識も得られるというものではある。

しかしながら、歴史の本では、戦いの様子や主要な(つまり高位の)女性については記載されるけれど、軽い身分の女性はまずとりあげられない。
しかし、平家物語には、そうした女性のエピソードがたくさんある。

男性でも、たとえば薩摩守忠度と俊成の話とか、熊谷直実のその後とか、歴史の本では扱われないエピソードはたくさんある。これらは「物語」であり、講談や土地々々、名所旧跡に付随する物語として生きている。


恋人たち 
祇王 祇女 仏御前
葵女御 小督局
千手前
横笛
 
妃たち 
祇園女御
二代后
 
人妻たち 
小宰相
維盛の妻
大納言典侍(佐)
 
2人のヒロイン 
建礼門院
二位の尼 時子
つまり、本書には、普通に歴史の本を読んでいても得られない、しかし、ドラマなどではたびたび目にする話が詰め込まれているわけだ。
これらは、清盛の残酷さを描いたり、物語に余情を与えるものになっている。
「源氏物語」でも、主ストーリーと、エピソード的巻があるとされる。物語のひとつの形なのだろう。

だからということでもないだろうが、本書では、平家物語に史書としての重きを置いてはいない。
最初の「祇王 祇女 仏御前」は、いずれも実在したかどうかわからない。この名前が古文書にあることはその通りとしても、そうした名前の白拍子がいたということでしかなく、平家物語に出てくる彼女たちそのものであるということにはならない。

物語を色づけるキャラクターとして彼女たちがいた。同じような存在として、千手前や祇園女御がいる。

祇園女御はかなりややこしい存在。その名はたしかに当時の史料に残るのだけれど、平家物語にあるような暮らしをしたのか、そもそも忠盛に下げ渡されたのかは多いに疑問とする。


というわけなのだけれど、著者は平家物語作者の描写力に対してはかなり辛口の評価をする。
「祇王 祇女 仏御前」には次のような一節がある。
 第一に物語の筋が、あまりにも常識的な仏教説話でありすぎる。現代の人間はこうしたお悟りの世界には、始めから不感症なのである。
 第二に登場人物が、あまりに類型的だ。祇王も仏もとぢもそこには何の個性も感じられない。
 かろうじて仏には、若い女らしいドライさ、気の強さを感じさせるが、個性的というほどではない。またとぢにいたっては、あまりに通俗的常識的な母親である。
 特にこの巻の最大の欠陥は、平清盛というその人の性格を全く捉えていないことであろう。

永井氏は清盛ファンかもしれない。


このように、女性たちの描き方が平板で、個性が感じられないという批判があちこちにある。外形的なものが淡々と描かれ、内面の心の動きが描かれていないというのである。

その一方、平家は、語り物だということを考えると、違う評価になるかもしれないと言う。
 私は近頃になって、何度か古曲の伝統を伝える検校たちが「平曲」を語るのを聞いた。はたして現存の曲が、そのまま全盛時代の「平曲」そのものであるかどうかはわからないが、単調ながら、何か神秘的な響きを持つ調子で語られるとき、活字の上ではいかにも彫りが浅く類型的に見える彼女たちが、ふしぎな翳をひきながら、鮮明にうかびあがって来るのではないかと―残念ながら私の聞いたのは祇王のくだりではないので、想像をめぐらせるだけでしかないのだが、少なくともそんなふうな気がした。
 ここに「語り物」と読む文学の差がある。その意味で、『平家』はいわゆる小説と同じに扱えないのである。

なるほど、語りは、使われている言葉としては豊かなものではないことが多いはずだ。
劇の脚本は、名台詞はあるにしても、だいたい短い。
語り物は、演じられることがあわさって本来のものになるのだろう。

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「平家物語の読み方」

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理りをあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者もつゐには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
 
 七五調と、対句仕立ての美文が、この物語の理解を方向づけている。「諸行無常」「盛者必衰」などの仏教語彙が、その詠嘆口調とともにつよく印象されているのだが、しかしここで説かれる「無常」の意味内容は、ふつう一般に考えられているほど自明なものではなかった。
 まず、みぎの一節が受容された時代の共通理解を復元してみたい。
 祇園精舎は、釈迦に帰依した須達という長者が、釈迦に献じた寺の名。仏典の『祇園図経』等にみえる話だが、その一角には、僧侶が臨終をむかえるための無常堂という建物があり、建物の四隅に吊るされた頗梨(水晶)の鐘は、病僧の死期がせまると、つぎの偈(仏典中の歌謡)を鳴りひびかせたという。
兵藤裕己「平家物語の読み方」について。

平家物語は祇園精舎ではじまる。そして、本書の第一章も祇園精舎である。
学校の国語の授業では、冒頭のこの名文によって、平家物語全体を通じる「無常観」が鮮明に打ち出されると習う。

それが間違いというわけではないけれど、そう単純なものでもないらしい。
まず、この名文、美文には、下敷きになったものがあるのだそうだ。
諸行無常 諸行は無常にして
是生滅法 是れ生滅の法なり
生滅滅已 生滅、滅し已りて
寂滅為楽 寂滅なるを楽と為す
 
 大意は、生まれ滅んでゆくこの世のいっさいのものは無常であり、生滅無常の法を滅した寂滅(涅槃)の境地こそが真の常楽である、というもの。
 釈迦の入滅前後の事跡を記した『涅槃経』所出の著名な偈文である。無常堂の鐘の響きに、この四句偈を聴いた病僧は、たちどころに死の苦痛や恐怖から解放されて、やすらかに往生をむかえることができたという。

本書では、

釈迦の入滅前後の事跡を記した『涅槃経』所出の著名な偈文である。無常堂の鐘の響きに、この四句偈を聴いた病僧は、たちどころに死の苦痛や恐怖から解放されて、やすらかに往生をむかえることができたという。

とあり、著名なものだそうだが、恥かしながら私は知らなかった。

61Qj-4pWV1L.jpg 平家物語の作者(一人ではないだろう)がどこまで意識していたのかわからないけれど、涅槃経偈文では「生者必滅」であり、平家物語は「盛者必滅」であると、本書では指摘される。
もちろん違いはある、平家物語の作者も知っていただろう。
しかし、それを聴く者は、この違いには気づかなかったかもしれない。
違いに気づいても、こんなふうに考えたのではないか。

平家の勢いも結局は衰える。それは生きている者がいずれは死ぬのと同じことだ。そう違う話ではない、と。


しかし、ここに微妙なずらしを感じ取ることもできる。本書はそう見ている。
つまり、生きとし生けるものすべてが滅するとは言っていない、盛者、驕れる者が滅びると言っている。つまり平家は滅びるべくして滅びたという見方である。

どちらが正しいということではないのかもしれない。
聴き手によって、どちらにも受け止められる。重なるイメージ、そして微妙にずれて重なるイメージ。

はじめに―歴史の時間と物語の時間
 
第Ⅰ部 歴史の構想
第一章 祗園精舎
第二章 清盛と重盛
第三章 頼朝の挙兵
第四章 源平交替史
 
第Ⅱ部 反転する世界
第五章 終末の不安
第六章 怨霊・天魔・物の怪
第七章 テクストの流動
 
第Ⅲ部 平家物語の生成
第八章 前「平家」の発生
第九章 鎮まらざるもの
第十章 悪人の救済
第十一章 建礼門院の物語
 
付録 琵琶法師の位置
身体の刻印/穢れと聖性/異形の王子神/「伊勢平氏はすが目なりけり」/母と子の神/語りの主体
あとがき
解説 音に聴け、平家の声を 木村朗子
昨日、どうしても平家物語には、平家を残虐非道の悪になりきれず、むしろ滅びの哀感があって、雅に感じてしまうというように書いた。清盛の悪漢ぶりも、男衾三郎みたいに、血なまぐさい暴力というより、現代でも実力閣僚にいそうな傲慢オヤジぶりではないだろうか。

本書では、小松宰相重盛を配することで、清盛の非道を際立たせようとしていると指摘しているのだが、殿下乗合事件では、重盛が清盛を諌めたのではなくて、事件の張本人は重盛だということがわかっているからかもしれないが、もう一つパンチに欠けるように思ってしまう。

もっとも、作者の意図はわかるわけで、ここで正義の源氏が登場すれば、その意図が達成されると思うのだけれど、肝心の頼朝があまり人気をとれるキャラでない。

そう思って見ると、「平家物語史観」というのは、単純な勝者の歴史ではなくて、たしかに平家は滅びるべくして滅んだのかもしれないが、実は源氏だって同じような運命にある、そして源平が交替して、朝廷をお守りするということになるのかもしれない。

本当は源平が並んでおたがいに牽制あるいは切磋琢磨して朝廷をお守りするのが理想であるわけだけれど。

結局、盛者=生者必滅のイメージのズレとダブりというのは、この物語の避けられない面なのかもしれない。

そして、滅するわけではないのだが、もっとも憐を誘うのは建礼門院だろう。
建礼門院の物語は平家物語のラストに、そして本書でも最終章に置かれる。
本書では、建礼門院は、源氏物語の「浮舟」とイメージが重なると指摘する。

私も宇治から遠くないところに住んでいるから、浮舟にはそれなりの思い入れもある。これで寂光院が宇治にあったら、できすぎというだろうか。

徳子も浮舟も入水する。そして助けられる。
自らの意思で生きるというより、周囲の思い、めぐりあわせに浮かされる。

この指摘には納得する人は多いだろう。
昔から、平家物語を聴きながら、建礼門院に浮舟のイメージを重ねていたに違いない。
源義経鳳八千代(1966)
新・平家物語佐久間良子(1972)
草燃える生田悦子(1979)
義経中越典子(2005)
平清盛二階堂ふみ(2012)

Wikipediaの歴史上の人物の項目には、その人を映画やテレビドラマで演じた俳優のリストが掲載されている場合が多いのだけれど、平徳子の項目にはそれがない。NHKの大河ドラマで演じた女優のリストを掲載しておこう。


昨日も書いたけれど、平家物語からは、雅な印象や、滅びの美学といった印象が強い。とても、勝者が都合よく書いた歴史書とは思えない。
これはやはり、鎌倉政権側の人を中心に作られたのではなく(逆に、吾妻鏡には平家物語の記述をひきうつしたようなところもあるというが)、王朝文化の残渣をいとおしむような人たちが中心になって書かれたのだろうと思う。
滅ぶことへの思いは、平家に対してだけではなく、そうした王朝文化に対しても向けられているのかもしれない。

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「源平合戦の虚像を剥ぐ」

はじめに
斎藤実盛/親も討たれよ、子も討たれよ/平家物語史観/石母田領主制論の政治史認識/鎌倉幕府は「予期せぬ結末」/手つかずの分野―現実の「戦争」/現実的かつ冷静に
 
第一章 武士再考
1 歴戦の老武者の嘆き
源充と平良文/理想の「兵」像/通説を疑え!/三浦真光は語る/戦闘様式が変化した/格闘そのもの―組打ちと相撲/馬当て
2 武士の芸能
芸能者の一類/成立史を見なおす/王朝国家の軍制改革/神出鬼没/武士は都で発展した/武士の真骨頂―騎射と馳射/重さは二〇キログラム以上―大鎧の構造/「馳組み」戦の心得
 
第二章 「弓馬の道」の実相
1 壮士等耳底に留むるべし
大庭景能の体験談/教訓は二つ/驚くほどの至近距離―合戦の実態
2 馬をめぐる諸問題
大きさはポニーなみ/軍記物語に見える名馬/上馬の多かる御館かな、武者の館とぞ覚えたる/駿馬をお借りしたい―鹿岡の書簡/愛馬を殺せなかった知盛/悪馬の条件/NHKの実験/まさに駆けひき/那須与一の扇の的/遠矢では勝負は決まらない/日々是れ鍛錬―高度の専門性/一朝一夕には身につかない―武士の階層性
3 戦闘様式はなぜ変化したのか
内乱は同時多発/時には万を超える軍勢が/河原兄弟―戦闘員の階層的拡大/素人参加の戦争?/「士風」とは……/頼朝はなぜ「馳射」を奨励したのか
 
第三章 源平の「総力戦」
1 治承・寿永内乱期の「城郭」
史料にあらわれる「城郭」/堀をほり、逆茂木引き、高矢倉かき……/生田の森・一の谷合戦は「城郭」攻略戦だった/中世城郭史再考/交通遮断施設こそ/「城を枕に討死」はほんとうか?/武士はもっと柔軟/馬は遮断物に弱い―堀・逆茂木・掻楯の意味/いまやいまやと待ちかけたり/楠木正成だけではない/やはり戦闘員の階層的拡大が背景にあり/阿津賀志山二重堀/全長三キロメートルにわたる空掘と土塁/遺跡が一つでも存在する以上……
2 中世工兵隊―民衆動員の軍事的意識
杣工を動員せよ―重申状は語る/動員令の通説的理解は?/人夫の徴発/ただ働きはさせられない/工兵隊の編成/武士だけでは戦争を勝ち抜けなかった/「平家物語史観」の克服/さて、鎌倉方は/梶原景時の意外な側面/軍事動員と勧農/戦後処理・復興対策
 
第四章 飢饉のなかの兵粮調達
1 軍勢の路次追捕
飢え死ぬるもののたぐい、数も知らず/治承四年の異常気象/人、人を食らう―養和の大飢饉/西も東も/一国平均役―平氏による兵粮調達1/有徳役―平氏による兵粮調達2/かように天下を悩ます事は只事に非ず―平氏による兵粮調達3/いわば現地調達方式―路次追捕/九条兼実は嘆く/刈り取りを組織的に―補給部隊の活動
2 制札の成立
其の羽音雷を成す/いとなみの火―富士川戦場の情景/穴を掘り、白旗を掲げ―民衆が資財を守る方法/梶原景時、勝尾寺を襲撃す/戦乱時における寺社の役割/制約されたアジール/鎌倉殿御祈祷所なり―現存最古の制札/案文か正文か/制札成立の意義
 
第五章 鎌倉幕府権力の形成
1 内乱期の御家人制
頼朝の旗揚げ/恩こそ主よ/ひとえに汝を恃む/千葉・上総氏の思惑/佐竹攻め/内乱の推進力/追討宣旨を読み懸ける/主人を替えるのはあたりまえ/草木の風に靡くが如し/軍事動員のなかで―内乱期御家人制の特質
2 「反乱体制」の一般化―荘郷地頭制の展開
文治勅許/守護・地頭論争の展開/下文を見てみれば……/敵方所領没収/敵方本拠地の軍事的占領/必然的に展開する戦争行為/平氏の限界/「反乱軍」の強み/そして、朝廷には弱みがあった/御家人の没官活動/鎌倉追認地頭/大橋御園・河田別所武士乱入事件/村々の戦争
 
第六章 奥州合戦
1 内乱の延長
軍中将軍の令を聞き、天子の詔を聞かず/なぜ頼朝は奥州に出兵しなければならなかったのか?/建久年間の諸政策/頼朝の「政治」/内乱の政治的延長
2 空前の大動員
義経逃亡をめぐって/いやがらせ―砂金三万両の要求/潜伏発覚/なぜか頼朝は動かず/誅罰を加えんと欲す/義経問題は口実にすぎない/鎌倉に群集するの輩、巳の一千人に及ぶなり―動員開始/身の安否は、このたびの合戦によるべし―敗者復活戦/頼朝自身が陣頭に/平泉炎上―なぜか厨川をめざす/あわれ頼宗―不参者にたいする制裁/六つの特徴/鎌倉殿のもとに
3 「神話」の創造―頼義故実と鎌倉殿権威の確立
その興あるべし/過去こそが現在を支える/「源太が産衣」と「髪切」―家門の表徴/是れ曩祖将軍秀郷朝臣の佳例なり/侃々諤々/頼義故実/鎌倉入りもその一環/一門更に勝劣なし―不安定な頼朝の貴種性/前九年合戦の再現/八寸の鉄釘―泰衡梟首/日付まで意識/内乱の総括/「大将軍」号の申請/源氏将軍という「神話」
 
 註
 参考文献一覧
 原本あとがき (一九九六年二月 川合 康)
 学術文庫版あとがき (二〇一〇年二月二十日 川合 康)
 関東武士団系図
 関連年表
 解説―征夷大将軍について/兵藤裕己(学習院大学)
川合康「源平合戦の虚像を剥ぐ」について。
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先日、西股総生「戦国の軍隊」をとりあげて、4件の記事を書いたけれど、同書がとりあげるのは、タイトルどおり戦国時代。古い時代でも、いちはやく戦国が始まった東国の享徳の乱である。
ということで、その前はどんな戦い方をしていたのか、そもそも武士が政治の主役になったのは、保元・平治、治承・寿永の内乱である。

おもしろいことに、既に治承・寿永の戦では、保元・平治の頃のようなスマートな戦いが昔の話で、今はもっと泥臭い戦い方であるという。
どういうことか。
保元・平治の頃は、騎射(うまゆみ)、馳射(はせゆみ)という、馬上の武士同士の弓戦が戦いの主流だった。それが、寿永・治承になると、馬上打物戦とか、馬を相手にあてて倒すことも含め組打ちするような戦いになってくるのだという。

これが泥臭いと評されるようなら、戦国時代に発達した足軽の戦いなどは、武士のすることではない―実際、武士ではないわけだが。


何より、保元・平治の戦いは、京を舞台に、数百騎が戦ったものだが、治承・寿永になると、数千単位、富士川では万とも言われる兵士が動員されるようになる。
戦いには武士の郎党も参加する。(木曽義仲は郎党に頸をとられてしまう。)

思うに、貴族の護衛や盗賊の取り締まりであれば、動員される武士の数も、相手の賊の数も少ないし、対等の立場での戦いにはならない。軍事というより、警察のようなものではなかったのだろうか。保元・平治は、まだそういう段階だったのかもしれない。
それが、治承・寿永では、どちらも正統を主張(頼朝の挙兵時点では、頼朝は反乱軍で、平氏は官軍であるけれど)、大規模な勢力の激突となったのではないだろうか、そして、個々の戦い方にも変化が生まれたのではないだろうか。

となると、承平・天慶のときはどうだったんだろうという疑問も湧いてくるけれど。


本書では、有名な源平の合戦もとりあげているが、どちらかというとそっけない。
例えば、鵯越はなかった(あの坂を馬で一気に降るという意味での)とあっさりと書いてある。

本書によれば、一の谷の合戦で重要なのは、「生田の森・一の谷」の合戦ととらえることで、平家は、東は生田、西は一の谷に、しっかりとした城砦を築いて、源氏を迎え撃つ体制を整えており、けっして、のんびりと休息していたところを、鵯越からの奇襲を受けたというわけではないことだという。

つまり、川合氏は、一の谷合戦は、当時の城砦がどのようなものであり、城砦戦がどうおこなわれたのか検証する事例としてとりあげたようだ。

本書で一貫しているのは、公家化した軟弱な平家が、東国の質実剛健な源氏に負けるべくして負けたという「平家物語史観」の批判。
平家物語で語られる多くの平家の公達(歌の文句にもなるほど)の軟弱さは、平家物語史観ありきで、潤色されているという。

歴史は勝者が書くという。そうなのだろうけれど、平家物語が平家の軟弱さを書いたとしても、私には雅な感じがされて、普通の歴史で敗者が残虐で、勝者に天命があるというような描き方とは感じられない。
清盛の傲慢さはところどころ書かれているにしても、どうして平家にここまで同情的なのか、平家物語史観というのは、勝者にのみ阿っているわけではないように思える。

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「戦国の軍隊」(その4)

日記的記事を優先したので少し間があいたけれど、西股総生「戦国の軍隊」の4回目。

Nitobe_Bushido_cover.jpg 本書では、戦国の戦いがどのようなものだったのかトピックス的に紹介する第一章につづいて、第二章では、武士とは、そもそもどういう人たちだったのか、後年に作られた武士イメージを否定する(でないと戦国を正しく理解できない)ことに手を付ける。

まず、新渡戸稲造の「武士道」に書かれているような、武士は自慢や傲慢を嫌い忠義を信条としたなどということは、少なくとも戦国時代にはない。

外国人の認識では「サムライは伝説的な兵士であり、刀を携えて勇ましい甲冑に身を包み、命がけで戦う誇り高い戦士であり、生涯にわたって厳しい規律を守り抜く。」というのが日本のサムライの姿というが、これは新渡戸の本の影響だろう。新渡戸は、自分が理想とする高潔な人のありかた、あるいは西洋人が受け入れやすい部分を、武士道と呼んだのかもしれない。

「武士道」という言葉は明治33年(1900年)以前のいかなる辞書にも載っておらず、実際には江戸時代には一般的な言葉ではなかった、
との指摘もある。(Wikipedia「武士道」


武士道は死狂ひなり、一人の殺害を数十人して仕かぬるものと、直茂公仰せられ候、本気にては大業はならず、気違ひになりて死狂ひするまでなり、又武道に於て分別出来れば、はやおくるゝなり、忠も孝も入らず、武士道に於ては死狂ひなり、この内に忠孝はおのづから籠もるべし、

 
「死狂ひ」の者は数十人でかかってもなかなか仕留められない、戦場では正気を保っていては大したことはできず、あれこれ理屈で考えて動こうとしても他人に遅れをとるだけだから、忠も孝も考えずにひたすら死に物狂いで戦うだけで、忠孝は結果としてあとからついてくるものだ と言っているのである。
鍋島直茂のいう「死狂ひ」とは、他人に遅れをとらないよう正気を捨てて突き進む蛮勇のことだが、それは山中城攻防戦における勘兵衛そのものではないか。ちなみに鍋島直茂は、肥前の戦国大名だった龍造寺氏を下剋上で傀儡化し、肥前藩の事実上の始祖となった人物である。そのことを前提に読むと、ここに述べられた忠孝観は何とも現実的、というか現金なものだ。
次に、江戸時代に書かれた「葉隠」がとりあげられる。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝による、武士としての心得が描かれていて、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」はあまりに有名だ。

ところが、西股氏は、葉隠に書かれているのは、そういう格好良いことだけではないと指摘する。なにより、山本常朝の主君の鍋島直茂の言葉として右を引用する。

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以前、NHKのクイズ番組(鈴木健二アナウンサーがやってたやつ?)で紹介されていた話だけれど、江戸時代、武士が町を歩いていて喧嘩の現場に遭遇したら、武士はどうしたか? という問題があった。
答えは、素知らぬふりをして通り過ぎるである。
変に関わりを持ったら、どんなややこしい立場になるかしれたものではないということである。


こういう卑怯な姿が武士の姿であるわけだ。
前に、遠隔武器を使えるなら、私はそうしたい臆病者であると書いたけれど、普通人は臆病者、武士は卑怯者というところかもしれない。

洋の東西を問わない。
騎士ときたら、女を口説くのに「私は騎士だからあなたを守る、だますはずがない」などと言うのだ。そして言うことをきかなければ、手籠めにしようとする。しかも、その騎士を主人公にしたオペラは、ローマ教皇から「黄金拍車勲章」(黄金の軍騎士勲章)を与えられた作曲家の作である。


弓矢とる物の家をよく作てハなにかハせん、庭草ひくな、俄事のあらん時乗飼にせんずるぞ、馬庭のすゑになまくびたやすな、切懸よ、此門外をとをらん乞食修行者めらハやうある物ぞ、ひきめかぶらにてかけたてかけたておもの射にせよ、

 
 弓矢取る者(武士) の家を美麗に造ってどうするのか。庭の草はむしるな、急な変事があった時の飼い葉にするためだ。馬場の入口に人の生首を絶やすことなく切り懸けておけ。屋敷の門前を通る乞食や修行者などを見かけたら、捕まえて弓の的にせよ、と言っているのだ。
 うっかり男衾家の近くを通って郎従に捕まってしまったよそ者は、弓の的として大きな蟇目(音の鳴る部分)のついた鏑矢で射られ、散々なぶりものにされたあげく、最後は首を切られて馬場の末に懸けられるのだ。しかも詞書を読むと、男衾三郎は兄の遺志に背いて、吉見家の屋敷や所領をわがものとしてしまったことになっている。二郎の妻女が男衾の屋敷で下女のごとく使役されるのも、このためだ。
卑怯なだけではない。卑劣で非人道的。
武士がどれほど残虐なものだったかも本書で紹介される。

⇒男衾三郎絵巻 (右に一部の引用)

ObusumaSaburo1.jpg 武士の研究が進んで、今や武士道というのがあったと考えている人は、歴史に詳しい人のなかにはもういないのではないだろうか。もちろん、戦国時代には武士道という言葉はなかった。

武士道がもてはやされたのは、軍国教育の影響があったからではないかと思う。今では武士とは「職業的人殺し」という見方をする人も増えてきたのではないだろうか。
武家の出とえらそうにいうが、遡れば先祖は人殺しだろうということである。

こんなことを書いていたら、武士の子孫から闇討ちされそうだ。
以上の武士への悪口は、私が言っているのではありません。歴史の先生が仰ってることです。


ところで、再来年(2020年)の大河ドラマは「麒麟がくる」、主人公は明智光秀である。
本書では、光秀の謀反は、戦国大名であれば当然の行動と評し、織田の重臣たちは、程度の差こそあれ、全員が光秀と同様の思想・行動原理を持っていたとしている。その構造は、秀吉政権にも引き継がれており、家康によって権力が奪われる。秀吉は、それがわかっていたから、石田三成などの子飼いの官僚家臣団を傍においたのだという。

とはいうものの、光秀は重臣の中でも浮いていたらしく、当時の光秀評をフロイスの「日本史」から紹介している。
■足元の陥穽

殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、自らが(受けている)寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし,忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。

(『日本史』五畿内編第五六章)


 明智光秀に対するルイス·フロイスの人物評である。フロイスは続けて、光秀が信長の歓心を買うための極意を心得ていたこと、築城術に長けていたこと、人を欺くためのさまざまな方法に熟達していたこと、などを挙げている。

えらくフロイスには嫌われているようだが、さて、この主人公に感情移入できるだろうか。


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「戦国の軍隊」(その3)

西股総生「戦国の軍隊」の3回目。
昨日は、軍団編成原理(兵種別編成と足軽)を中心に、理にかなっているという感想を述べた。

侍(正規)と足軽(非正規)の二重構造も指摘されていたが、西洋でも、将校と兵卒は貴族と平民という出自で、やはり二重構造だったのではないだろうか。

今日とりあげるのは、組織論ではなく、具体的な戦闘における通説について、西股氏が疑問を提示していることについて。

まず、長篠合戦での鉄砲三段射ち。これは既に三段射ちはなかったという方が優勢のようだが、本書もその説をとっている。(西洋でのマウリッツの改革とも対比している。)

マウリッツの改革は、銃兵の動作を細かく分節し、その一つ一つを全員が同じリズムですすめることで、統制のとれた射撃をできるようにしたもの。
 鉄砲三段撃ちと、マウリッツの改革は、本ブログでも過去にとりあげたことがある。
 ⇒「検証 長篠合戦 鉄砲三段撃ちはあったか」 ・ 戦争の世界史(上) その2


このような精緻な訓練が行われたことをうかがわせる史料はなく、日本の戦国ではこれはできなかっただろうという推測がされている。

それでは、長篠では鉄砲はどのように使われたのだろう。この問いに対し、本書は意外な答えを示す。

20180509IMG0000s.jpg 武田主力が突っ込むなか、その正面にいない場所から、たくさんの鉄砲が撃ちかけられた。
なるほど、これなら鉄砲隊は落ち着いて射撃をしただろう。

西股氏が言うには、長篠合戦は、武田対織田・徳川連合軍の戦いだと思われているが、これは、武田対徳川の戦いであり、織田は徳川の援軍であるということが重要であると。
位置づけはそのとおりである。
長篠も含め、戦いが行われている場所は、徳川と武田がせめぎあっている場所である。そこへ武田が攻め込んできた、同盟者である織田がその援軍に向かう。

かつての三方ヶ原も、織田の援軍はかなり充実していたらしいというものの、徳川対武田の戦いである。

領地を盗り、盗られし、長年直接干戈を交えている、武田・徳川である。武田にしてみれば、憎き徳川であって、憎き織田ではない。
重要なのは武田がそう考えていて、徳川陣への攻撃に主力を向けるかどうかである。

かくのごとく、御敵人替へ候へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。
 

このように敵は入れ替わり立ち替わり攻めて来たものの、こちらは部隊を繰り出すことなく、鉄炮だけを追加投入して、足軽で敵をあしらい、うち倒したので、武田軍は死傷者を出して退却していったのである。

武田がそう考えていたかどうかは明示的な史料はないようだが、織田側の史料を注意深く読むと、攻撃が徳川陣に集中していて、信長は、一兵たりとも前へ出すようなことはせず、鉄砲を撃ちかけさせるという戦いが続くという。

徳川陣は武田の猛攻により柵を破られ、近接戦も行われている。おそらく織田もそういう場所への援軍には行っているだろう。

こうして、武田は正面の徳川へ突撃しながら、側面から織田の鉄砲攻撃を受け、なすすべなく斃れていったのだという。

■ルイス·フロイスの証言

実は、小田原の役において秀吉軍瓷粮不足に苦しんでいたことを、はっきりと証言している者がある。その証人とはルイス・フロイスだ。フロイスは『日本史』の中で、秀吉が圧倒的な大軍を動員したことにつづけて、次のように述べている。


しかしそうした事態にもかかわらず、関白勢の窮状は否定すべくもなかった。なぜならば(北条殿の)城内には十分な貯えがあり、多大な兵力を擁していたので、人力をもって諸城を占拠することは不可能に思われた。関白の兵士たちは、遠隔の地方からの長途の旅で衰弱しており、豊富な食料にありつけぬばかりか、その点では不足をさえ告げていた。わずか数ヶ月でもって城を陥落させることは、とうてい考えられず、まして冬季に入れば積雪のために包囲を継続できなくなって、退避することを余儀なくされる。
もう一つ、通説の見直しを紹介しておこう。
秀吉の関東制圧(小田原合戦)は、兵站の勝利というのが通説だが、本書では、フロイス「日本史」の記述をひきながら、実際はかなり兵粮に困っていたという説を提示する。

秀吉軍は、小田原にどっかりと腰をおろし、徳川をはじめ、多くの武将を小田原の支城攻めに向かわせているが、これも西股氏に言わせると、兵粮不足が背景にあるという。
それだけの数の兵を養う兵粮が小田原に集積できていたわけではないという。

それでは、なぜ勝利したのか。
それはなんと、第一章に紹介されている渡辺勘兵衛のような命知らずの侍どもの力、彼らが文字通り血路を開いたのであろうという。

これは私にはやや納得しかねる。ほんまかいな? である。
で、私なりに考えた。

たしかに支城レベルでは、著者がいうような敢闘精神が発揮されたところもあるだろうけれど、そして支城が落ちたことが小田原にもショックを与えただろうけれど、実のところ、あちこちの支城が落ちたり、籠絡されたりするなか、ここまでと見きりをつけただけなのではないだろうか。
そもそも、籠城戦というのは、外から援軍が来るという状況でないと勝ちきることは難しい。まして、頼みの伊達が敵にまわり、日本中を相手に戦うような状況なのである。

ここは軍の組織や戦い方という話ではないような気がするが、どうだろう。

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「戦国の軍隊」

41avwli2HFL.jpg 昨日、フライングしたけれど、あらためて
西股総生「戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢」をとりあげる。

以前、書名も著者も忘れてしまったけれど、やはり日本史上の戦争で使われる武器や戦い方について書かれた本を読んだ覚えがある。
その本では、武士の持つ武器といえば刀(太刀)が連想されるけれど、戦では刀ではなく、弓や槍が主たる武器であるというようなことが書かれていた。

臆病者の私には得心できる話である。
自分は安全な場所に身を置きながら、相手を攻撃する。それができるなら、自殺願望の持ち主は別として、臆病者でなくても、そちらを選ぶだろう。

「戦国の軍隊」の著者も同じように考えているようだ。
著者が、私と違うのは、その人間自然の思いが、歴史的にもそうだったと、きちんと立証しようとするところである。

そして、凡人が考える戦い方が合理的であり、文献等から直接・間接にそれが証拠だてられるというわけである。

はじめに
 
第一章 戦いの現場から
――天正十八年の山中城攻防戦
箱根路の戦雲
渡辺勘兵衛の活躍
山中城陥落
 
第二章 中世の軍隊
――封建制的軍事力編成の原理
武士とは何者か
封建制的軍隊の成立
元冦から南北朝・室町時代へ
 
第三章 戦国の兵士は農兵か
――軍団の編成と戦争の季節
後北条軍団を解剖する
後北条軍団の諸相
戦争と季節
 
第四章 足軽と長柄
――軽装歩兵の戦列化
兵種別編成方式と領主別編成方式
足軽とは何者か
戦争を変えた長柄鑓
 
第五章 鉄炮がもたらした革新
――集団戦から組織戦へ
兵種別編成方式の成立
鉄炮と戦国の軍隊
軍事上の画期
 
第六章 侍と雑兵
――格差社会の兵士たち
侍と軍役
侍たちの戦場
戦国時代の非正規雇用兵
二重構造の軍隊
 
第七章 補給と略奪
――軍隊に出されつづける永遠の宿題
戦国時代の兵站
小田原の役と補給
飢餓と略奪
 
第八章 天下統一の光と影
――信長・秀吉軍はなぜ強かったか
兵農分離と民兵動員
鉄炮神話の再検証
覇者の素顔
戦国軍事革命の結末
戦国時代の戦争で大量に使われた武器は、弓、鑓、そして鉄砲である。
いずれも、敵兵と切り結ぶような距離で使うものではない。そして、この3種の武器は、単独でも使えるが、集団になると異なる用い方がある。

弓は、もちろん相手を狙って射ることもできるのだが、戦では一斉に相手の上空へ向けて放てば、それが弾幕ならぬ「矢幕」となって、相手の動きを制することができる。

鑓は長柄、密集した鑓兵がいわゆる鑓襖を作る。戦場で足軽・雑兵が使う鑓は、突くものではない(雑兵の心得として、そのようにはっきり書かれている当時の史料があるという)。

鉄砲は、この時代は射程が短く命中率も低い。大量使用することにより、敵の突破力を殺ぐ。

そして、ここが重要なところなのだが、いずれも同じ種類の武器をまとめて大量に使用する、つまり、弓兵、鑓兵、鉄砲兵というぐあいに、武器の種類(兵種)ごとに組織する必要がある。
これを兵種別編成という。

素人が考えて(というか、映画やドラマの影響でそういうシーンを見せられているからか)、それはあたりまえじゃないかと思うのだけれど、歴史学では、ここに大きな議論があるのだという。

それは、封建制の大名と家臣の関係を前提とする軍団編成というのは、領主別編成、つまり土地を与えられた侍が従者を引き連れて参陣し、その侍を中心にまとまったチームが集まった形になるのであり、兵種別に編成することは不可能だという理解である。

これは、戦国から江戸時代を通じて、大名が家臣に示していた動員規定で、○○石の者は弓○○人、鑓○○人、鉄砲○○人などと書かれていることを、そのまま受け止めることから来るわけだが、本書では、動員の責任は各侍にあるけれど、そうやって集められた兵は大名に引き渡され、その運用は大名が行うものと解釈している。

さらに、動員規定では、具体的に物具について、例えば鑓の長さまで規定されているのは、鑓隊として兵種別の集団運用をするからである、(領主別編成なら、武器として何を持ってこようと、それは各侍・各チームの好きにすれば良いはず)、だから、これは、兵種別編成を志向する証拠と考えるべきとする。

ただし、侍は騎馬だから、その馬の口とりや侍の道具を持つ従僕は別である。彼らは兵ではない。


軍団の編成原理のもう一つは、足軽である。
著者は「非正規雇用」と表現しているが、要するに臨時雇いの兵隊である。

それも、腕に覚えがある連中を集めるというよりは(もちろん特殊能力を買って雇うものもいたのだろうけれど)、誰でも良いから数を集めて、鑓なり鉄砲なりを持たせるというように編成したらしい。

本書では、まず応仁の乱での骨皮道賢の例を紹介しているが、これが戦場での足軽の有効性を思い知らせ、大名が足軽隊を組織する動機づけになっただろう。

大名が、足軽集団を組織することの実効性を認識するところから、兵種別編成が受け入れられていったと考えるのは納得できる。それが有効で、相手がやりだしたら、当然、自分もやって対抗するだろう。

20180510IMG0000s.jpg ここでまたしても、従来の通説が否定される。
「当時の兵士は農民で、季節労働である。足軽衆を組織することは簡単ではない。それができたのは兵農分離を実現した織田軍団のみである」という説である。

著者は、そもそも農業の季節によって、戦争時期が制約を受けていたという通説を再検討し、およそ農繁期を避けたというような事例は、実際には見られないという。(むしろ兵粮現地調達のためにそういう時期を選んだ可能性がある)

そうした時期の戦争は足軽なしで戦ったのか? そうではないだろう。
農地を持てない者、主君を失った者、その他、食いはぐれ者はたくさんいた、そして戦争自体が、そういう者を大量に生み出していたから、農繁期・農閑期にかかわらず、足軽のなり手などいくらでもいただろうと想像される。戦争こそ足軽の供給因である。

兵農分離は戦国末期からという思いこみがあり、ならば足軽・雑兵は農民を徴発しただろうという推定につながり、それなら農繁期には戦争などできなかったに違いないという理屈が信じられていたわけだが、話はまるで違っていたというわけだ。
なお、村に徴発をかけることとして、村側が金銭代納することを認めれば、それで足軽を雇えば良い。


織田軍団のみが兵農分離をなしとげ、常備軍を持っていた、だから織田軍団は強かった、というのが通俗的な理解(私もそう思っていたの)だが、本書によると、どの戦国大名も軍団編成原理には大差がない、ただ、織田軍団は、信長包囲網といわれるごとく、常時、各方面で戦争を行っていた。その結果、非正規・臨時雇用の足軽衆も、ずっと戦い続けており(つまり、結果的に常備軍のようになった)、それにより錬度が上がり、強くなったという。

テニスプレイヤーで、バックが弱かったグラフが、バックを攻められ続けた結果、バックハンドも一級品になったみたいなもの。


以上、軍団編成原理を見ると、侍の郎党に参陣させたものもいれば、大名が金で雇った足軽を運用した場合もあり、これを著者は「二重構造」と表現している。
江戸時代、減封された大名が石高にあわない家臣を養ったという「美談」が語られるけれど、少なくとも江戸初期においては、非正規の足軽を解雇すれば持ちこたえられる範囲だったともいう。

太平が続いた幕末には、辞官納地を迫られて石高が極端に下がった徳川氏は、切るべき非正規雇用の足軽衆もいなかったから、希望退職を募るしかなかった。


思えば、農繁期に戦争をしたかしなかったかなんてことは調べればすぐにわかりそうなものだ。

「遅れている」東国ですら、農繁期でも戦争をしている。
もっとも思い込みのきつい人なら、それを例外として処理してしまうのだろう。


元寇のときに、「やぁやぁ我こそは…」とやって、蒙古の雑兵集団にとりまかれてむなしく死んだ武士の姿を見ていた人たちが、いつまでもそんな戦い方を続けたはずはないだろう。そのことを学習するのに何百年、何年、いや何日ですらも、かかるとは思えない。

物理的に無理があることは、歴史的にも無理に違いない。
一時的に不合理なことが行われたとしても、永続きはしない。より合理的なやりかたを知れば、そちらへ変わっていくだろう。
そういうシンプルな事実をあらためて認識する。

ただ、どんな卑怯な、非人道的な手段を使っても勝てば良いということになるのか、「戦争のルール」という面については、「戦争の社会学」も考えなければならない。
戦争の当事者とはレベルの違う力なり権威(集団安全保障体制、第三国の圧力、朝廷)についても考察する必要があるのだろうと思う。

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「戦国の軍隊」~享徳の乱

41avwli2HFL.jpg 昨日の「享徳の乱」の記事で、乱が長引いた理由について、西股総生「戦国の軍隊」が、軍事的視点から説明していると書いた。
今日は、同書全体の感想は控えて、享徳の乱に関わるところだけを紹介する。

享徳の乱では、公方方と管領方が、関東平野を東西に分けて対立し、その勢力が拮抗していたわけである。
そして、この両勢力は、平和的に共存しようなどと考えていたとは思えない(形式的には公方と管領という上下関係、主と補佐というか監視人の関係に思える)。隙あらば相手の勢力を削ぎ、そして力の差が見えれば、決着を付けようと考えただろう。

勢力差があるなら、一方が相手を押し潰そうと戦いを挑んで(あるいは取り込んで)、短期に決着することもありそうだが、勢力が拮抗していると、お互いに手を出しにくい、従って、なかなか決着はつかないというのは、漠然とは理解できる。

そこで西股氏の解説である。
享徳の乱が始まったころの軍隊は、馬上打物戰を主要な戦法とする、決戦指向の強い軍隊であった。そして実際、大規模な野戦が何度か起きたという。

ところが、そうした状況で、両陣営で戦争を指導した長尾景春とこれを鎮圧した太田道灌は、どちらも軍事的天才があったとのことで、足軽(非侍身分)の長柄隊などを編成し、また、城砦を活用し、高度な戦術を駆使するようになる。
両軍とも、面的に制圧することはできず、部隊単位での、直線的な進軍・撤退の繰り返し。
馬上打物戰は行われにくくなり、さらに膠着状態に陥るなかで、侍たちが消耗していった。

20180509IMG0001s.jpg そして西股氏が指摘するのは兵站の問題である。
当時の軍隊は兵粮自弁が原則だったけれど、それでは長期の戦闘は戦えない。当然、兵粮の現地調達(略奪)ということになるのだけれど、享徳の乱のように、同じ地域に並立する勢力の争いでは、それが難しい。そうした状況で、兵站を商人に頼っていたという。

 中世の日本には貨幣経済が浸透していたし、遠隔地に送金するための為替のシステムも存在していた。おそらく、五十子に駐屯していた管領軍麾下の領主たちは、自分の領地から送金を受け、出入りの商人たちからめいめいに食料や日用品等を購入することで、陣中での生活を維持していたのであろう。この方法は、兵粮自弁という中世の軍隊おける大原則にもかなっている。
 こうした商業資本を利用した補給システムを前提に考えたとき、享徳の大乱が泥沼化してしまった理由の一端が見えてくる。管領軍と公方軍は、それぞれ五十子陣や古河城という策源地に軍勢を結集した。両軍が対峙をつづけている間は、商人たちが「戦線」の背後を通る補給線をうまく機能させて、隊を長期間維持することも可能であった。
 享徳の乱が膠着状態に陥ってしまった大きな要因の一つは、こうした合理的ではあるが脆弱な補給システムに求められる。そのことに気づいた長尾景春は、ゲリラ的な襲撃をくり返して補給線を寸断してしまうことによって、少数の兵力で管領軍を崩壊に追いこんだのである。

近代軍隊では、兵站を略奪に頼るということは難しい。本書で紹介されている話だが、第二次世界大戦において決定的に重要だった兵器は何かと聞かれたアイゼンハワーは、ダコタ(ダグラスC-47輸送機)とジープと原爆、と答えているそうだ。前二者は兵站にかかわる兵器である。

独立して作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位を師団といい、それぞれ兵站を持ち自己完結性を有する各師団は、独立して外地で作戦を遂行することができると聞いたことがある(食糧をたたれたから戦えない、では困る)。そうした兵站を組織内に持っているから、自衛隊は警察や消防とは違い、長期間の災害救援活動にも従事できるわけだ。


享徳の乱にかかわる解説は上のとおりだけれど、この範囲だけ見ても、足軽の登場、兵種別編成への移行など、軍としての戦い方の変化の一端がうかがわれる。

こうした戦い方の変化が室町―戦国時代に起こり、その後の社会体制をも決定していく。
西股総生「戦国の軍隊」、読み応えがある(続く)。

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「享徳の乱」

峰岸純夫『享徳の乱―中世東国の「三十年戦争」』について。

「享徳の乱」という名称を提唱したのは、他ならぬ本書の著者だという。1963年のことだそうだ。
そして、本書は次のように始まる。
 ◎戦国時代は応仁の乱より13年早く、関東から始まった
 ◎応仁の乱は「関東の大乱」が波及して起きたものである

51etSCu9oTL.jpg さらに、
呉座勇一「応仁の乱」(中公新書)のサブタイトルは「戦国時代を生んだ大乱」となっている。新書などのタイトルは概して出版社や編集者の意向をうけて決まることが多いから、やはりこれは最大公約数的な見かたといっていいのだろう。
と、先ごろのベストセラーにも、チクッと言及している。

室町幕府の初期について書かれた本については、本ブログでも、
をとりあげていて、「享徳の乱」という言葉について、特に注意を向けなかったのだけれど、そういえば、昔(高校日本史)はそんな言い方はなかったように思う。

しかし、今では教科書にも載るようになっているとのことで、著者が関与した教科書の該当部分が以下のとおり、紹介されている。
第4章 中世社会の展開―ア 内乱と一揆の世

享徳の乱
 1440 (永享12)年の結城合戦ののち,東国では足利持氏の遺児成氏が鎌倉公方に紞任し、鎌倉府が再建された。しかし,成氏と関東管領上杉憲忠の両勢カが対立し,1454 (享徳3)年に成氏が憲忠を暗殺したことで両勢力の戦闘が開始された。1455 (康正元)年6月,上杉方支援のために派遣された幕府軍が鎌倉を制圧し,成氏は下総の古河に移り(古河公方),幕府の意向により上杉方は、将軍義政の弟*政知を関東の公方として,伊豆の堀越にむかえた(堀越公方)。これ以後東国では,小山氏,宇都宮氏,千葉氏などの豪族勢力とむすんだ成氏方に対して,上杉氏が対抗し,家臣の長尾氏,太田氏や武蔵・上野の中小国人層を国人一揆として組織した。両勢力は,ほぼ利根川を境に24年にわたる内乱を続けた(享徳の乱)。このように,東国は畿内にさきがけて戦国動乱に突入した。

応仁・文明の乱
 東国の内乱は京都に飛び火した。京都では足利義政の後継をめぐる将軍家の家督争いと,畠山氏や斯波氏などの一族の内部分裂が重なり,1467 (応仁元)年,細川勝元山名持豊(宗全)を頂点とする東軍と西軍の戦闘が京都を舞台にはじまった(応仁・文明の乱)。西国の守護大名は大軍を率いて京都へ上り,それぞれの軍に属してたたかった。合戦は11年に及び,京都は焼け野原となった。
 その結果,公家や手工業者などには戦火をさけて地方に下る者も多く,地方文化の発達をもたらした。また,守護大名が中央で争っているあいだに,国元では守護代・国人らが国内の地侍などを家臣にして勢力を強め,独立の動きを示しはじめた。やがて内乱は地方にも波及して下剋上の風潮をうみだし,本格的な戦国動乱となっていった。
実教出版「高校日本史B」
著者が関わったというだけあって、著者が本書で主張する内容に沿った記述になっている。本書では、享徳の乱の経緯についてつぶさに書かれていて、東国での勢力対立、有力武士の右顧左眄する様子が良くわかる。(「観応の擾乱」でもそうだったけれど)

また、上杉や武田、北條はもちろん、本書で「狂言回し」の役回りをあてがわれた新田岩松氏など、後の時代につながる武家の系譜や動静がおいかけられ、享徳の乱という時代だけでなく、戦国時代の理解にも、大いにヒントになる内容だと思う。

はじめに 教科書に載ってはいるけれど……
第一章 管領誅殺
1「兄」の国、「弟」の国
2 永享の乱と鎌倉府の再興
3 享徳三年十二月二十七日
第二章 利根川を境に
1 幕府、成氏討滅を決定
2 五十子の陣と堀越公方
3 将軍足利義政の戦い
第三章 応仁・文明の乱と関東
1 内乱、畿内に飛び火する
2「戦国領主」の胎動
3 諸国騒然
第四章 都鄙合体
1 行き詰まる戦局
2 長尾景春の反乱と太田道灌
3 和議が成って……
むすびに 「戦国」の展開、地域の再編
ただ、こうして書評を書いていると、私の読みがたりないからかもしれないけれど、ちょっとしっくりこないところがある。
それは享徳の乱(東国の戦乱)が京都に「飛び火」して応仁の乱が起こるということ。
「飛び火」と言うのは、火元の火事を消し止められず、その火が燃え移るということだと思うのだけれど、東国の騒乱が直截京都に影響したのかが良くわからない。
なるほど、東国の戦乱を治められない幕府の弱体化が露わになり、将軍や管領の指導力が落ちたということはあるだろう。しかし、東国での対立が京都に持ち込まれたかと言うと、それはどうなんだろう。

同族対立など、京都と東国には相似形と見られるものはあるけれど、東国の利害関係が京都にも持ち込まれたというような面はあったのだろうか。京都側で東国の争乱を利用して優位にたとうという動きはあったかもしれないにしても、それが東国の戦乱をこじらせたとか、応仁の乱に発展したということはあるのだろうか。

時代精神として戦国へ向っていく、それが享徳の乱からあるということは了解できる。しかし、その動きは、顕在的に持続したと言えるだろうか。享徳の乱が戦国への動きだったとしても、それは伏流水のように流れ、応仁の乱で表出するのではないだろうか。
つまり、享徳の乱が京都へ飛び火して戦国時代が始まったというより、東国では、いちはやく戦国時代に突入したというほうが、正しいのではないだろうか。(上に引用した教科書の記述どおり)

無知なためか、私の理解(というか印象)では、南北朝時代が終わってから、応仁の乱までは、少しは落ち着いていたのではないかと思っていた(三宝院満済が活躍した頃か)。それが、観応の擾乱からの流れのまま、享徳の乱を、そしてそれが応仁の乱に飛び火したとなると、室町時代というのは、まったく落ち着いた時期というのがない。
一休さんと義満のほのぼのとした世界(マンガだけど)は、アリエナイわけだ。

もっとも戦国時代でも、四六時中というか二六時中、戦いが行われていたわけではなくて、政治的な駆け引きや調略、情報戦が続く中で、いよいよとなって軍をすすめたり、こぜりあいから暴発したり、というのが実態だったらしい。
そうなら、表向きは平和な時代と、戦国への伏流水が併存していてもおかしくはないということになるのだけれど。
現代につながる室町文化、それを生み出す中心である京都が、血で血を洗うような戦闘現場であり続けたわけではないはずだ。

室町幕府も、もともとは東国から生まれた政権であるから、鎌倉公方といえど、東国武士に認められなければ東国を治めることはできない。鎌倉公方が京都の手先にすぎなければ、その指示には従わない、むしろ公方が領主化してしまう。
鎌倉幕府が京都に六波羅探題を置いた(しかも南北)からといって、六波羅探題で権力争いが起こったというような話は聞かない。もちろんそれは朝廷を監視するためで、領国経営をしたわけではないからにすぎないのかもしれないけれど、

次は、何故、京都は東国を掌握できなかったのか、それが知りたい。

ところで、享徳の乱が、何故長引いたのか、両勢力が拮抗していたことがベースにあるにしても、決着をつけるような会戦などが行われなかった理由について、西股総生「戦国の軍隊」が、軍事的視点から説明している。

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「義経伝説と為朝伝説」

71EWxYmS13L.jpg 原田信男「義経伝説と為朝伝説―日本史の北と南」について。

他愛ない義経ジンギスカン説とかをおもしろおかしく紹介するような歴史俗学ではない。これらの伝説が生まれた経緯、つまり時代状況やそれを生んだものを考証する、重たい本。

本ブログでは、以前、井上章一「妄想かもしれない日本の歴史」をとりあげたことがある。
井上本では、「偽史が生まれた状況も歴史ととらえ」、「英雄が生き延びて当地で没したという類の言説は、その土地の人々の思いを伝えているもので、一蹴して済むものではない」という姿勢で書かれているわけだが、本書では「歴史学からすれば、伝説自体は虚構であり研究の対象とはなり得ないが、人々に語り継がれた伝説の基底には、その集団や地域の歴史性が深く根を下ろしている」とする。

つまり、両書の基本姿勢は通ずるものがあるのだが、井上本は軽妙な語り口のエッセイであるけれど、本書は、2つの英雄伝説を具体的にとりあげつつ、その姿勢を徹底し、広く深く追究している。

その結果、これらを英雄伝説と一般化することなく、義経伝説、為朝伝説の発生・受容の差が見えてくる。そして、そのことは、日本本土人が、北海道と、沖縄と、それぞれと向かい合ってきた(そして包摂した)歴史の違いを際立たせる。

以上は、終章の「3 英雄伝説と東アジア-英雄伝説の北と南」にまとめられているから、一部を引用しよう。
北の義経伝説には、悲劇の英雄が苦労して逃げ延びる貴種流離譚的な性格が強く、華々しさは見当たらない。これに対して、南の為朝伝説は、悲劇的な貴種の英雄が、それぞれの地域で活躍する物語が多い。
 :
北海道と沖縄では、全く位相を異にする。北海道のアイヌ民族は国家を持たなかったし、義経がその長となる話を彼らが好んで語ったのではなく、和人がアイヌの英雄を、勝手に義経に置き換えただけで、あくまでも和人の間での伝説にすぎなかった。沖縄では、為朝に関わる伝説は、あまねく各地で人々に語られたのではなく、運天や浦添·大里など王権の形成に関わる主要地域に限られるかたちで分布している。これは自然発生的というより、琉球の正史『中山世鑑』における舜天の話を承けたもので、為朝を王権の系譜に利用しようとした琉球王府と、その背後にあるヤマトの影が色濃く認められる。
 :

はじめに―英雄伝説と日本
 
序章 伝説の前史―北と南の原点
1 北と南の考古学
2 古代国家のまなざし
第Ⅰ部 英雄伝説はどのように生まれたか
     ―北と南の中世
第一章 北の義経伝説―東北から蝦夷地へ
1 逃げのびる義経
2 語り広められる伝説
第二章 南の為朝伝説―南九州から琉球へ
1 交易ににぎわう南の島々
2 南下する為朝
3 琉球王国の成立とヤマト
 
第Ⅱ部 英雄伝説はどのように広がったか
     ―近世の変容
第一章 海を越える義経伝説―蝦夷地から大陸へ
1 アイヌ民族のなかで
2 広まる「義経渡海説」
3 大陸へ渡る義経
第二章 浸透する為朝伝説―琉球王朝の祖として
1 薩摩の侵攻と為朝伝説
2 為朝中山王祖説はなぜ生まれたか
3 琉球使節と『椿説弓張月』
4 知識人たちの南北認識
 
第Ⅲ部 「史実」化していく伝説
     ―帝国の「英雄」
第一章 義経伝説の飛躍―北海道開拓史のなかで
1 内国植民地化される蝦夷地
2 義経=ジンギスカン説への熱狂
第二章 為朝伝説の完成―日本化の根拠に
1 琉球王朝の併合
2 帝国統治下の為朝伝説
終 章 伝説の領域―北と南の相似性
1 歴史と伝説の位相
2 生活と文化の領域
3 英雄伝説と東アジア
 
あとがき
この違いは、伝説のその後、つまり北海道、琉球が日本に包摂されるときに、それぞれの伝説がどう意識され、使われたかにもあらわれる。

北海道のアイヌについては、明治新政府によりアイヌが狩猟と交易の生活から、強制的に農業者に転換を迫られたこと、そして、それになじめずに日本の外へ移って行った人たちもいる。
彼らのなかで、義経が英雄として扱われているというものの、それは源平合戦を闘ったあの義経ではなく、アイヌの中でもともと尊崇されていた英雄を義経だということにした。弁慶岬などの地名も和人が都合よく作ったものでしかない。その根拠はアイヌの音と似たところがあるなどの牽強付会にすぎない。

琉球においては、薩摩そして明治政府に抑えつけられたことへの反発があるというが、それは王族・高級官僚・士族のそれであって、実のところ民衆がそれを支持したとも簡単には言いきれないようだ。

琉球王朝は日本の僧侶を顧問として受け入れていたが、民衆に仏教は浸透していないということもその例か。

為朝伝説はむしろ支配階級の都合で作られ、使われてきたものらしいという。

そして琉球は、差別されながらも日本へ同化するなかで、より日本になろうとし、琉球はアイヌとは違うという、差別の中の差別とも見られる言動もあったという。

琉球の上層階級には、清と日本への両属体制、中継貿易の要衝など、先進文化地域であるという自負もあるのかもしれない。


日本本土人にとっては、この2つの伝説を一般化しても、大した違いはないかもしれない。しかし、その伝説の舞台からしてみれば、全く異なる意義を持っていたわけだ。

また、明治期には、義経ジンギスカン説はもちろん、北海道に渡ったことも妄説とする一方、為朝伝説については虚説と断じることはできないという学者もいたそうである。
こうした説が出てくるのは、日本本土人にとって「使える」伝説ということがあるかもしれない。

ところで、本書終章に、昔話と伝説の違い、歴史とのかかわりについて、柳田國男の論を引用しながら、きれいにまとめられていたので、これも引用しておこう。
終章 伝説の領域―北と南の相似性
 1 歴史と伝説の位相

歴史そして昔話と伝説

 また昔話は語り手自身が事実とは認定せず、“という話だ”と保留を加えるが、伝説は最初から事実だと信じて語られる点に大きな違いがある。とくに伝説には、これに関わる神社仏閣あるいは塚や墓、さらには座ったという石や身を潜めたという場所や、伝承で固められた遺品など、主人公と関連する何らかの記念物が存在するという特徴がある。
 そして何よりも伝説は、「歴史になりたがる」という性格を強く有する。それゆえ伝説をもとに、さまざまな歴史が創り出されるが、その分だけ逆に歴史からは遠ざかっていく傾向にあることを、柳田は指摘している。つまり伝説を語る者あるいは聞く者は、それを自分たちに関係ある事実として信じ込もうとするところに最大の特色があり、もし不合理な部分があれば、それに辻褄の合う解釈を加えようと想像力を無限に働かせる。このため伝説自体が、徐々に膨らんで、時代とともに大きく成長し変化するところとなる。
 もちろん過去を事実として信じ込むためには、裏付けとなる根拠が必要であるが、伝説の論拠は身近に求められた。信じ込みたい伝説に関連する有利な伝承や物語のほか、それらしき自然物や人工物あるいは地名などがあれば、それらに独自の解釈を加えて積極的に伝説の根拠として利用する。つまり、そこでは歴史学的な厳密さよりも、事実として信じたいがために、自らに都合の良い典拠や事物あるいは論理が優先されるのが、一般的な原則だともいえよう。しかも柳田の言を借りれば,伝説とは本質的に「人間の想像力に根を差した以上は、事由に又美しく成長せねばならなかった」ことになる(柳田国男「東北文学の研究」)。
 それゆえ信じたい伝説に有利な新たな知識や解釈に出会えば、それを都合良く自らに引きつけて、伝説は「美しい」成長を遂げる。実際の伝説の広め手である物語師たちから聞いた話に拡大解釈を加えて、自分たちの伝説に組み入れたり、また物語師たちも土地土地の伝承を採り入れて、語るべき伝説の飛躍を試みたりした。そして、この循環は限りなく繰り返され、長い歴史のなかで伝説自体が膨大な物語にまで発展するところとなる。
 従って伝説は、しだいに史実から乖離していくことになるが,その形成·展開においては、昔話とは異なって、常に具体的な地名が登場したり、真に実在したかあるいは実在したと考えられる人物が主人公となる。つまり伝説の語り手と聞き手の間には,それぞれに身近な歴史的,地理的知識が共有されており、それが伝説形成のもっとも重要な母体となっている点に留意する必要があろう。つまり歴史学からすれば、伝説自体は虚構であり研究の対象とはなり得ないが、人々に語り継がれた伝説の基底には、その集団や地域の歴史性が深く根を下ろしている。

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“「女性活躍」に翻弄される人びと”

奥田祥子“「女性活躍」に翻弄される人びと”について。

61OpyIwkt6L.jpg 61uQQmwp-xL.jpg 興味本位だと不謹慎の謗りを受けるかもしれないが、この本に書かれた事例をもとに、オムニバス・ドラマを作ったら、結構インパクトがあるのではないだろうか。

本書の第1章から第3章までの各節は、それぞれ一人ずつの女性をとりあげ、彼女たちを取材した記録である。凄いのは、いずれの事例もかなりの長期間の継続取材であること。

著者紹介では、「二十年近くにわたり、取材対象者一人ひとりに継続的なインタビューを続け、取材者総数は男女合わせて四〇〇人を超える」とある。

本書でとりあげられている事例では、最初の取材が2002年、最近の取材が2017年と、15年間にわたっている。そして、この間にも数回の取材をして、継続的に対象女性の境遇、そして心境の変化が追跡されている。

はじめに
 
第1章 管理職になりたがらない女たち
1 「産め」「働け」「活躍」の三重圧力
2 男の「しきたり」から外れる自由
3 女同士の闘いが怖い
4 “数合わせ”の女性登用
 
第2章 非正規でも前向きな女たち
1 “腰掛け”仕事のつもりが……
2 処遇よりも、やりがい
3 社会貢献活動で自分と向き合う
4 女性の格差拡大
 
第3章 “敗北感”に苛まれる女たち
1 「勝ち組」専業主婦の今
2 息子を“お受験”という代理戦争に
3 出世できない夫にDV
4 女の生き方に勝ち負けはない
 
第4章 男たちを襲うプレッシャー
1 女性登用に足をすくわれる
2 女性優遇は「逆差別」?
3 妻の「活躍」がプレッシャー
4 キャリアを捨てた妻に負い目
5 プレッシャーを男女ともに乗り越える
 
第5章 真に女性が輝く社会とは
1 女の人生は一様ではない
2 男女の「差異」を受け入れる
3 内発的動機づけを味方に
4 多様な働き方と質の向上
5 「活躍」のシーンは十人十色
 
あとがき
主要参考文献
第4章は、男性への取材記録である。これも長期継続取材で、4人の男性がとりあげられている。

逆差別じゃないかという話や、一向に管理職になりたがらない(つまり活躍しようとしない)女子社員を抱えて女性活躍担当男性の人事考課が下げられた話とか。


取り上げられている事例は、もちろんそれぞれ特徴的なものであるわけだが、共通するのは書名どおり、政府が推進する「女性活躍」に翻弄される男女の姿であること。

私も前の会社では、管理職の補助そして管理職として、人事業務に携わったことがある。
当時は、女性活躍という言葉こそなかったけれど、男女雇用機会均等法が施行されていて、女性の地位向上も組織の課題であった。

もっとも、前の会社は同じ仕事をしているなら、男女の待遇の差はなかった(女性が配置されにくい職場というのはあったと思うけれど)。

で、私はそれほど意識したわけではないけれど、人事部門から言われるままに、女子職員に昇任試験の受験をお願いしたりもした(六二郎さんの顔を立てて受験するけれど、合格するつもりはありませんなどと言われながら)。

あるいは、試験外の昇任推薦で、女子職員を推薦すると、人事部門はうれしそうだった。

もちろん、女性を理由に昇任させるわけではなく、それだけの実績を評価してのことである。


とはいうものの、人事異動案を示すと、部署によっては女性をいやがるところもあった(もっともそれが女性一般なのか、その属性から推定される特定の個人をいやがったのかは不明である)。

職場に女性がいたほうが、単純な男どもが、ええかっこしたがって、頑張るんじゃないかと思うのだけれど。


さて、本書にもどる。
本書で一貫するのは、「女性活躍」を強いられた女性の生きづらさである。

「君のように、子育てをしながら仕事を続けている女性社員がもっと増えてほしい」、
「君には仕事と育児を立派に両立している女性社員の模範になってほしい」
 :
『産め』『働け』『活躍しろ』って、無茶な三重の役割りを押し付けられて冗談じゃない!

男女を問わず、家事、育児、仕事、地域活動……のどれにも一所懸命、真剣に取り組み、かつ素晴らしい成果を挙げることが期待される(でなければ欠陥人間)、そんなアホな話はないというわけである。

思うに、政府が女性を働かせたいのは、女性の幸せのためなんかではない
女性が外で働けば、家事や育児労働が外部化されてGDPが上がるから、あるいは、外国人労働者に頼らなければならないほど労働人口が減少していて、それを補う労働力が期待されているからに過ぎない。

働き方改革は、資本の論理で進められるものである。

前にも書いたように、それが労働者にとってプラスかマイナスかは別の話である。

しかし、無茶の三重化と受け止められるような、単線的価値観の押し付け政策は見直した方が良い。「活躍」の場が用意され、自由にそれを自由に選択できるのは悪くないけれど、「活躍」を強いるのはマイナスになることもある。

ウルストンクラフトのジレンマ
 女性を男性と全く同じ存在と認めてしまうと、女性が家庭など私的な領域において、家事や育児、介護などケア役割を担っているという、男性との「差異」をないがしろにして、表面的な「平等」を求めることになる。そうしてこの結果、女性は私的な領域での負担が影響し、職場など公的な領域で低評価を受けることになってしまう。一方、ケア役割や母性など私的な領域での女性の特殊性を男性との「差異」として捉えると、公的な領域において、男女を「平等」に扱うことはできないことになってしまう――というジレンマを指す。ウルストンクラフトが2世紀もの前に提起した問題点が、まさに今も根強く、女性たちを苦しめているというわけなのである。
本書では、二百年も前、モーツァルトと同じ時期を生きた、フェニミズムの先駆者ウルストンクラフト(「フランケンシュタインの怪物」の祖母?)のジレンマが、今も解決されないままだとも指摘する。

女性は生物として男性とは違い、出産という非常に負担の大きい役割がある。だから人生の計画を立て実現すること、そもそも計画を立てること自体、男よりもはるかに難しいという。男は自分の子供をもつのに、大した代償は求められないが、女は自分の子供をのぞむのなら、それに見合うリスクと負担が伴う。

何をもって「女性活躍」だというのか、人それぞれに幸福の形は違うのだということも、「女性活躍」で、十分に考慮されているのだろうか。

活躍のしかたは人それぞれ、多様なものがあって良い。

うわっ、すっごいアタリマエの感想!


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「一杯の紅茶の世界史」

410apxNJ1nL.jpg 磯淵猛「一杯の紅茶の世界史」について。

少し前に「お茶の科学」という本について書いたけれど、これは紅茶の歴史、とりわけお茶貿易と、自らもそれを嗜んだイギリス人との関わりを詳しく書いた本。

思えば、お茶を嗜むといういかにも文化的な行為だけれど、そのお茶の大半は中国からの輸入であり、それによる一方的な貿易赤字を埋めるために、イギリスは中国にアヘンを売りつけたわけである。

また、アヘン戦争よりも前、アメリカ(植民地)がオランダ商人から茶を密輸入していたのを禁じ、イギリス東インド会社に植民地での茶の販売独占権を与える「茶法」への反対から、「ボストン茶会事件」での実力デモンストレーションが行われた。

かように、優雅なお茶は、歴史上は暴力的なものとも結びついている。

もっとも、本書はそれらを詳しく扱っているわけではない。
これらにも触れられてはいるけれど、やはり中心は紅茶そのものとの直截的な関係である。

第1章 イギリス人、茶を知る
第2章 紅茶誕生の謎
第3章 イギリス人、紅茶を買う
第4章 茶の起源
第5章 茶馬古道
第6章 イギリス人、紅茶を飲み続ける
第7章 イギリス人、紅茶を作る
第8章 セイロン紅茶の立志伝
第9章 アメリカの発明品
第10章 紅茶輸出国と、紅茶消費国
第11章 イギリス人と紅茶の行方
冒頭に「お茶の科学」に触れたけれど、その本はタイトルどおり、緑茶から紅茶、そして後発酵茶まで、幅広く扱っていた。今回はタイトルは紅茶だけれど、やはり緑茶や半発酵茶の話題も多い。
それもそのはずで、中国からヨーロッパへ輸出されていたお茶は、ヨーロッパ人の嗜好に合わせた紅茶であるが、現地では緑茶ないし半発酵茶が飲まれているという。

とりたてて感想めいたことを記すつもりはないけれど、前の「お茶の科学」の記事で、“ミルクティーは、ミルクに紅茶を注ぐのか、紅茶にミルクを注ぐのか”の大論争について、2003年に英国王立化学協会が発表した科学的な成果、 “How to make a Perfect Cup of Tea”が、本書に収録されていた。

上のリンクはその原文、以下は私の要約。(結構な分量なので、全体を引用するのは気が引けたので。)

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一杯の完璧な紅茶のいれ方
★英国王立化学協会
        2003年6月24日
材料
  • ルーズリーフタイプのアッサム紅茶
  • 軟水
  • 冷えた牛乳
  • 白砂糖
器具
  • 薬缶
  • 陶磁器のポット
  • 陶磁器の大きめのマグカップ
  • 目の細かいストレーナー
  • ティースプーン
  • 電子レンジ
いれ方10ケ条
  1. 新鮮な軟水を薬缶で沸騰させる。時間、水、電力を無駄しないよう必要量だけを沸かす。

  2. 水の沸騰を待つ間に、電子レンジに陶器のポットにカップ1/4の水を入れ、電子レンジで1分間加熱。

  3. レンジ加熱したポットから水を捨てるのと、薬缶の水の沸騰が同時になるように時間調整する。

  4. 1カップにつきティースプーン山盛り1杯の茶をポットに入れる。

  5. 沸騰している薬缶までポットを持っていき、湯を葉に注ぎかき混ぜる。

  6. 3分間蒸らせる。

  7. 理想的な容器は陶器製のマグ、または気に入ったもの。

  8. まずミルクをカップに注ぎ、その後お茶をいれる。豊かで魅力的な色になるようにする。

  9. 好みで砂糖を加える。

  10. 60~65℃で飲む。あまり熱いお茶を飲もうとすると下品な音をたてるのが避けられない。


  • 一旦沸騰した水は、茶の風味を引き出すカギとなる溶存酸素が減少している。
  • 硬水に含まれるミネラルは茶をかたまらせるから。
  • 金属製のティーポットは紅茶の風味を汚す。ティーバッグは手軽で便利、ただし抽出速度が遅く、好ましくない高分子のタンニンが出ない程度にゆっくり抽出する。
  • 茶葉はカップ一杯あたり2グラム (ティースプーン1杯)で良い。
  • 紅茶は高温抽出する必要があるので、ポットを温めておく。
    ポットの湯を捨てて、すぐに茶葉と熱湯を入れる(ポットをやかんのそばに持ってきておくのがよい)。
  • 茶葉によるが通常は3分から4分蒸らす。カフェインは比較的早く抽出される(1分程度)。色と香りを与えるポリフェノール複合体(=タンニン)はそれより遅い。ただし、3分以上経つと分子量の大きなタンニンが出て風味を悪くする。
  • ポリスチレン製のティーカップは紅茶の温度が下がらず、熱くて飲めない。高温はミルクもだめにする。
  • 低温殺菌牛乳(63~65度で30分殺菌、または73度で15秒間)を使う。超高温殺菌牛乳は、一部の蛋白質が熱変性しているから。
  • 牛乳は紅茶の前にカップに入れる。牛乳の蛋白質は75度で変化するから、牛乳を熱い紅茶に注ぐと、少量ずつの牛乳が紅茶の高温で蛋白質が編成する。冷たい牛乳に熱い茶が除々に注ぐと、牛乳の温度はゆっくり上昇するので変性が起こりにくい。牛乳と紅茶が混ざれば、紅茶の温度は75度を下回るはず。
  • 牛乳も砂糖は好み。どちも紅茶の渋味をやわらげる。
  • 紅茶を飲む適温は60~65度。上のとおりにすれば1分以内になる。ティースプーンを入れておくのも温度を下げるのに有効。

(Dr Andrew Stapley, Loughborough Universityの解説)

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「プロテスタンティズム」(その2 贖宥状)

深井智朗「プロテスタンティズム」に、免罪符(贖宥状)についての解説があった。

免罪符は、周知のとおり、ルターの教会批判のターゲットで、宗教改革の発端となったものなわけだけれど、本書を読むと、日本での理解は正確でないと思われる。
そもそも免罪符という訳語は不適切で、それは贖宥状と呼ぶべきであるという。

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どういうことか。
著者が言うには、お金で罪を赦せるというような権威は教会にはないのだ。
なるほど、金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しいというキリスト教において、お金を払えば罪が許されるという信仰がどこからくるのか。

それは、聖職者による償いの代行、つまり与えられた罰を聖職者に肩代わりしてもらうという制度であるという。したがって、免罪符ではなく、贖宥状、金を払って罪を許してもらうのではなく、罰を聖職者に肩代わりしてもらった証明書というロジックなのだそうだ。

この償いの代行というのはゲルマン民族の伝統という説明もついている。
だから、贖宥状は、ローマが出すのだが、大量に売られていたのはドイツにおいてである。これも贖宥状批判の一因の可能性があるそうだ。


さて、贖宥状を正当化する論理だけれど、そもそも、償いの代行は、司祭や修道士の真に宗教的な奉仕であって、彼らは真剣に人々の救済のために自ら断食し、徹夜し祈ったのだ。贖宥状を売るために祈ったわけではなく、贖宥状の有無とは無関係に、ひたすら人々の救済を祈るという宗教行為がずっと以前から行われていた。

その崇高な聖職者の行為が、自分たちの救済に向けられていること、それを証するものとして、人々は安心を買い、天国に行けると考えた。

そして、教会の側も考えた、これは儲かる。そして個別の問題や特定の個人に対してではなく、不特定多数の者たちに対する代行をあらかじめ修道士や司祭に日常的に行わせ、その成果を教会にストックしておくようになっていった。

これが免罪符、正しくは贖宥状の論理ということらしい。
なるほどと思う。
金で免罪符を買うことで救われるという直截的なものでは信者の賛同は得られなかったのだろう、巧妙な(多分はじめは素直な)論理だったのだろう。

しかし巧妙な論理は、煙に巻く論理、胡散臭い論理にも感じられる。素朴に何か変だと感じる人が出てくれば破綻する。


DSC_0031-crop.jpg 日本の神社では、お祓いというものがある。
これは個人的な行為である。病人が医者にかかるのと同じようなもので、ご利益をお金で買う。
それとは別に、国家や国民の安寧や繁栄を祈る行事も行われている。こちらのほうが、キリスト教の祈りに近いのではないだろうか。ただ、キリスト教には原罪という観念があるから、安寧や繁栄ではなく、罪の救済が祈りになる。
ただ、日本の神社は、個人的なご利益というのがあるから、そうした国全体への祈りを切り売りしたりする必要はない。

仏教でも、国家鎮護の祈りがある。これも切り売りされないが、こちらは昔は国庫から費用が出されていた。
そして、江戸時代には寺請制度ができたことで、寺は信徒を集める必要もなく、葬式はもとより、年忌行事で儲けるようになる。
江戸時代以前は、年回供養はせいぜい四十九日、一周忌程度であったものが、徐々に回数を増やし、500年、850年、950年忌というものまであったそうだ。これで檀那寺の収入はますます増え、かつ安定していった。

巧妙な論理で創出された贖宥状というわけだが、個人救済は金次第とキリストが言っていてくれたら、「嘘つき」と謗られることもなく、宗教改革はなかったかも。

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「プロテスタンティズム」

深井智朗「プロテスタンティズム―宗教改革から現代政治まで」について。

「プロテスタントの宗派や教団についての本を書けばそれは必ず電話帳よりも厚くなる」という冗談があるほど、と本書に書かれている。

81ybacazuWL.jpg ならば、どのぐらいあるのだろうとネットにあたってみたら、Wikipediaには、「日本のプロテスタント教派一覧」という項目が立てられていて、本稿を書くにあたって数を数えてみたら、300ぐらいの教派が掲載されている。

何故、こんなに教派が多いのか、それについても本書で説明されている。
プロテスタントはどの教派であろうと「聖書に帰れ」を基本ポリシーとしている。教会(カトリック)ではなく、聖書(自己)に忠実であろうとし、教会(権威)が聖書の解釈を示すのではなく、信じる個人個人が聖書と向き合って解釈することを尊重する、そうした信仰態度があるのだという。
極端に言えば、一人一教派でも良いわけだ。(カトリックは、教会の権威により解釈が統一されるから、一つの宗派をなす)。

Wikipediaの記事ではイギリス国教会系もプロテスタントの扱いだけれど、これは違うように思う。イギリス国教会は、信仰・信条とはいいにくい理由で、ヘンリー8世がカトリックから離脱して始まったもののようだから、プロテスタントというのは違和感がある。
知り合いが、キリスト教会で結婚式を挙げるというので、そこの宗旨を聴いたらイギリス国教会だというから、あぁ離婚するために作った教会だねと言ったら不機嫌になった。


私などは、あらっぽく旧教・新教と二分割してプロテスタントで済ませて来たから、こういうデータを見て改めて驚いた。

第1章 中世キリスト教世界と改革前夜
第2章 ハンマーの音は聞こえたのか
第3章 神聖ローマ帝国のリフォーム
第4章 宗教改革の終わり?
第5章 改革の改革へ
第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム
第7章 リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
終 章 未完のプロジェクトとして
本書では、教派の細かい違いには触れない(細かい違いを言い立てると大変だろう、それこそ電話帳どころか大百科事典になってしまう)けれど、発生の経緯や歴史的役割などで、大きく2つに括られている。すなわち「古プロテスタンティズム」(主にルター派)と、「新プロテスタンティズム」(バプテスト派などなど)である。

繰り返すが、これらも徒党を組むというわけではなく、それぞれが信仰に忠実にあろうとした結果であるという。そもそも、プロテスタンティズムのはじまりであろうルターだって、カトリックの分派活動をしたわけでも、プロテスタントという新しい宗派を作ろうとしたわけでもないという。


その2つだが、一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズム、もう一つはそのような宗教改革の教会の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンテイズムである。
言い換えると、「支配者の教会」と「自発的結社としての教会」の違いだという。

プロテスタント発祥の地といえるドイツでは、この「支配者の教会」が主流である。
そして、そうなると政治的利用ということも起こってくる。
 たとえば彼と宗教改革は、これまでさまざまな主張や立場を正当化するために利用され、ドイツでは幾度もナショナリズムの高揚のために使われた。とくに一九世紀にプロイセン主導で進められたドイツの統一において、偉大なる宗教改革とその指導者マルティン・ルターが、キリスト者の自由を主張し、堕落したカトリックの不正と戦い、プロテスタントは近代世界の形成に大きな影響力を持ったという物語や説明は、ナショナル・アイデンティティの形成と強く結びついていた。統一を妨げていた敵対勢力は、カトリック国のフランスとオーストリアであったから、ナショナル·アイデンティティ形成のためのヒーローとして、聖書をドイツ語に翻訳し、ドイツ語文法の統一に寄与し、一七世紀のイギリスの市民革命や一八世紀のフランス革命よりも前に自由のための戦いをはじめたマルティン・ルターはうってつけだった。ルターと宗教改革はドイツ統一に向かう戦いや、竺後のナショナリズム高揚のための政治的シンボルとされたのである。

なんとなく、敬虔なドイツ人がヒトラーに従ったものにも通じるような感じがする。
ドイツでは、福音主義派またはカトリック教会に所属する信者は、現在でも、住民登録でその旨登録され、市役所が教会税を徴収するという。政教分離原則の日本ではまず考えられないことだ。

欧米は、国民は同じ一神教の神を信じているという了解のもとに暮らしていて、日本とは宗教観が違い、政教分離の意味も違うだろう。


もう一つの新プロテスタンティズムは、政治権力と結びつく傾向のある古プロテスタンティズムには批判的であるという。
「新プロテスタンテイズム」は、一つの政治的領域の支配者によるその領域の宗教の改革を続ける「古プロテスタンテイズム」が、結局は従来と変わらない政治との結びつきを続けていることを批判し、自覚的に、信じる自由を求めた人々の自由な宗教的結社として社会に登場した。これはキリスト教会にとって、あるいはキリスト教の教えにとって大転換であっただけではなく、社会システムにとっても大きな転換点となった。
 :
 しかし洗礼主義などの「新プロテスタンテイズム」の教会はそれとは違っている。このような支配者の教会から自立することを考えた。先のたとえを使うなら、公立の小学校があるのに、あえて私立の小学校を作るということに似ている。自分たちの理想や信念にあった小学校を作る、あるいは自分たちの理想に合った考えを持っている学校を選んで、そこに子どもの教育を託すのが私立の小学校である。洗礼主義の教会はそのような存在である。

米国にはカルト教団が次々に生まれるというのも、関連があるのかもしれない。

ところで、プロテスタントという言葉も、ルターが名乗った教派名というわけではない。
「プロテスタント」は、「抗議する人々」と歴史の授業では習ったが、ルターの当時は、「文句ばかりいう人々」で今でいう「クレーマー」のようなニュアンスだったそうだ。だから、ドイツでは、“「プロテスタントという代わりに、福音主義という名称を、ブロテスタントの信者というのではなく、福音主義の信者という呼び方が選ばれねばならない。(プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世の勅令 1821年4月3日)”という。

本書では、宗教改革の発端となった「免罪符(贖宥状)」の本質にも迫っている。
(続く)

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「女帝の手記」

里中満智子「女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語」について。

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 誰ですか、第4巻「たまゆら道鏡」でエロを想像するのは。
4月1日から中核市となった八尾市は、かつて「西の京(みやこ)」呼ばれた土地を抱える。

今、西の京(きょう)というと薬師寺・唐招提寺があるあたり(奈良市西ノ京町)だけれど。

八尾、精確には、現在の由義(ゆげ)神社(八尾市八尾木北5丁目)付近、ここに由義宮(ゆげのみや)がおかれた。
もちろん弓削道鏡所縁の土地である。

その八尾市の広報誌に、里中満智子氏と市長の対談~道鏡と漫画がつなぐ過去と未来~が掲載されていた。

対談の中で、里中氏は、道鏡のことを「彼は非常にまっとうな人だったんじゃないか」と語っている。別に八尾市長に配慮したわけではないと思う。

そこで「女帝の手記」である。

これは他人から借りたもので、ちょうどこの里中氏の対談が市広報に掲載されたタイミングで貸していただいた。


「女帝の手記」のあとがきで、里中氏は次のように書いている。
女帝と道鏡の恋が、真実であるならば、そして女帝が「堅くて一途」で、道鏡が「素直」な人だったら、二人のイメージは語り伝えられたものとは違うはずだ。そう思ったのがこの作品を書きたいと思ったきっかけだった。

対談相手に配慮したからではなかったようだ。


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作品に対する予備知識なく読んだわけだが、大胆な推定にもとづいて書かれている。
本作では、藤原仲麻呂が孝謙天皇の愛人であったという説を採用しているのだけれど、さらに光明皇后とも通じていたとする。しかも、光明皇后は仲麻呂の子を孕む(流産)。
なんと、親子丼である。

奈良時代は、こんなに簡単に皇女、皇后に近寄って情を交わすことができたのだろうか。
時代は下がるが、源氏物語などでは、普通、これらの女人には近づくことはもちろん、顔を見ることもできない様子が描かれているのに。
玄昉が太皇太后(宮子)に、道鏡が天皇(孝謙)に近づくのは、医療行為の意味から納得もできるけれど、俗人である仲麻呂がねぇ。


Jotei-no-shuki-Dokyo1.jpg Jotei-no-shuki-Dokyo2.jpg
それはそうとして、本作では、孝謙天皇即位後、急に仲麻呂が孝謙天皇と距離をおくようになる。
仲麻呂は、結果的には孝謙を見くびって滅びるわけだが、未だ自分への執着を捨てきれない孝謙を早々に見限って、新たに淳仁天皇を傀儡にすることに、どれほどの必然性があったのだろうか。孝謙がただの女であれば、飽きたから捨てるということはあるだろうが、さんざん利用してきて、まだまだ使える状態の孝謙と距離をおくという展開は不思議な感じがした。

もちろん史実では仲麻呂は乱(恵美押勝の乱)を起すわけだから、そのためには二人を引き離さなければならないわけだが、作者の意図が作品中ではなかなか明かされない。

仲麻呂が距離を置き始めた頃に道鏡が登場するわけだが、道鏡は「まっとうな」人で、天皇を利用しようとしたわけではなく、仲麻呂もはじめのうち道鏡を警戒はしない。
つまり、道鏡が二人の仲を裂いたわけではない。もしそういう設定にしたら道鏡を「まっとうな人」としては描けないということになっただろう。

結局、仲麻呂が皇族でない自分は天皇にはなれないから、皇帝になろうとした(これは官制を中国風に改めたことからの推測のようだ)、そしてその焦りが孝謙天皇につけこむすきを与えたという流れになる。

里中氏の古代物は、「天上の虹」、「長屋王残照記」、「女帝の手記」と3作が集中的に書かれたようだが、「天上の虹」が完結までに長い年月を要したのに対し、「女帝の手記」は比較的早く完結している。そのせいか、最新の考古学・史学の成果はとりいれられていない。

Heijokyo_Daigokuden 平城宮址大極殿前の儀式跡(旗竿をたてる穴)の発見(平成26年)などが既に知られていたなら、また違った描き方になったかもしれない。
というのは、本作では、道鏡は天皇に引きたてられて高い地位に登るわけだが、権力を振りかざすことはもちろん、表だってその地位を見せつけることも控えている。
作者は、歴史書に道鏡が朝賀の儀を受けたことを知った上で、後世に編纂された歴史書は道鏡を貶める書き方をするわけで、これもその脚色として捨て去ったと思うのだが、遺跡が出たことで、道鏡自身の振舞いがどうであったかは別として、朝賀を受けたことは重大事件であるから、そのシーンは必ずや作品に反映したものと思う。

もちろん、そこでギラギラした道鏡を描くのではなく、称徳天皇に無理矢理押し出される格好で描かれるだろうが。


N201001880700000_x.jpg ところで、本作はNHK古代史ドラマ「大仏開眼」と重なる時代・人物であるのだけれど、このドラマでは、孝謙天皇は仲麻呂とは親密な関係とは描かれていなかった。
何より、このドラマでは道鏡が登場しない。

きりっとした石原さとみでは、仲麻呂も道鏡も、からみようがなかったのだろうか。

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「枝雀らくごの舞台裏」

Shijaku-rakugo_no_butaiura.jpg 小佐田定雄「枝雀らくごの舞台裏」について。

こちらはとりたてて詮索して聴いたりしていないのだけれど、舞台裏では細かい工夫・配慮がある。
それに乗せられる。

へたくそだと、そうはならない、話に乗って行けない。
上手(乗せる)の芸はわからないが、下手の悪いところはすぐにわかる。

滑舌が悪すぎる、
複数の登場人物を描き分けられていない、
会話のリズムが実際にあるであろうそれとは違う、
間のとりかたが悪い、

そして、こういう欠点が見当たらなければ面白く乗って行けるかというと、そうでもない。
つぶすのは簡単だが、きちんと演じるのは難しい。
音楽の演奏と同じようなものだ。

「舞台裏」では、枝雀という人の、その繊細さが語られる。
第2章の各節では、一つの噺をとりあげて、その簡単な筋立てが述べられた後、その噺にまつわるさまざまなことが語られる。
まえがき
第1章 持ちネタの変遷
第2章 枝雀精選48席―演題別につづる舞台裏噺
青菜/あくびの稽古/愛宕山/阿弥陀池/池田の猪買/いらちの愛宕詣り/植木屋娘/江戸荒物/延陽伯/親子酒/親子茶屋/替り目/くしゃみ講釈/口入屋/首提灯/高津の富/鴻池の犬/こぶ弁慶/子ほめ/鷺とり/さくらんぼ/算段の平兵衛/地獄八景亡者戯/始末の極意/蛇含草/崇徳院/住吉駕籠/代書/ちしゃ医者/つぽ算/鉄砲勇助/天神山/どうらんの幸助/時うどん/夏の医者/煮売屋/寝床/はてなの茶碗/一人酒盛/兵庫船/不精の代参/舟弁慶/饅頭こわい/宿替え/宿屋仇/幽霊の辻/龍さがし/おもいでや
第3章 音と映像と文字と
あとがき
噺の由来であったり、枝雀師がどう取り組んで、どこに工夫を入れたか。
あるいは直接、その噺に関わることでなく、話題が広がる。それがまた、そうだったのかと感心するもの。

たくさんあるエピソードの中から、一つだけ、英語落語ができたときのこと、有名な話かもしれないのだけれど、この本を読むまで知らなかったので、ここで紹介しよう。

枝雀師が英会話教室に通っているとき、担当講師に美女があてがわれたそうなのだが、枝雀師、彼女とはまったく話ができない。このあたり、私も同じである。
教室の先生は、日本の印象とか、いろいろ話題はあるでしょうと水を向けるのだけれど、枝雀師は「ききとうもない話はでけしまへん」と。
困った先生、それなら落語をやったら良えんじゃないですかと。
それではということで、件の美人講師の出身地(ペンシルヴァニアの片田舎)を訪れての「夏の医者」英語公演。
日本人を見たこともなく、怪しむ態度であった米国人と一気に気持ちが通うこととなったのだという。
Shijaku_Eigo_rakugo_CD.jpg

このエピソードをとりあげたのは、娘がホームステイしたときに友達になったボストンの女子がうちに来たことがある。そのとき、おみやげとして渡したのが、枝雀英語落語のCD「ホワイトライオン」と「愛宕山」だった。後で聴くと大うけだったそうだ。
⇒YouTubeで流れている"White Lion"


落語という芸は、関西人や江戸人には良くなじまれているものだと思うけれど、他の地域では案外、縁遠いもののようである。家人の実家の四国では、ラグビーと落語は、ほとんど知られていない。
「素人名人会」では、審査員の米朝師は、大阪(船場)、京都の言葉の微妙な違いにもうるさかったけれど、各地の言葉で落語をやるのも、この世界を広げるのに良いかもしれない。

なんで死なはったん。

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「時間かせぎの資本主義」(その3 国家の存在意義)

61cVOXmn9UL.jpg ヴォルフガング・シュトレーク「時間かせぎの資本主義」をとりあげる3回目。

昨日の記事では、EU、とりわけ統一通貨ユーロについての批判をとりあげた。
著者は、新自由主義のポリシーによる資本の国際的な活動は、領邦国家という文化・経済圏にとっては、内部的な格差や分断を引き起こすという考えのようだ。

その最も尖鋭化した完成型が統一通貨ユーロであるけれど、思えば、日本円、米ドルなど、ユーロとは別の通貨が使われてもいるわけで、これらの国においても、新自由主義が台頭していることは変わらない。


序章  危機理論―当時と現在
 
第一章 正当性危機から財政危機へ
新しいタイプの危機
危機理論が想定していなかった二つのこと
もう一つの正当性危機と戦後平和の終わり
時間をかけた転換
――戦後資本主義から新自由主義へ
買われた時間
 
第二章 新自由主義的改革―租税国家から債務国家へ
民主主義の機能不全による財政危機?
新自由主義革命における資本主義と民主主義
補論 資本主義と民主主義
獣を飢えさせろ!
租税国家の危機
租税国家から債務国家へ
債務国家と分配
債務国家の政策
国際金融外交としての債務政策
 
第三章 財政再建国家の政策―ヨーロッパの新自由主義
統合と自由化
自由化マシーンとしてのEU
制度的転換―ケインズからハイエクへ
ヨーロッパの多層的統治体制としての財政再建国家
国家改造としての財政再建
成長―バック・トゥ・ザ・フューチャー
補論 地域振興政策について
ヨーロッパ財政再建国家の戦略能力
国際的財政再建国家内の抵抗
 
結語  次に来るものは何か?
次なるものは?
資本主義か、民主主義か
軽率な実験としてのユーロ
ユーロ諸国の民主主義?
通貨切り下げへのエール
ヨーロッパ版ブレトンウッズ体制にむけて
時間かせぎの資本主義
 
文献一覧
訳者解説  いつまで「時間」を買い続けられるか
しかし、世界経済の最大のプレイヤーである米国が、自らの国内問題の解決を図って、新自由主義のポリシーを立てて、アメリカン・スタンダード=グローバル・スタンダードこそがフェアなものであり、すべての自由主義(資本主義)国家は、このポリシーに則った政策を行わなければならないということになった。

であれば、シュトレークが言うEUで起こっている問題は、そのまま日本などにもあてはまっていると考えられる。

シュトレークは国家とはどういうものと考えているのだろうか。
本書では、国家の存在意義について、簡潔明瞭に示している。
外部経済が存在することが、
国家の存在意義である。

これほど国家の存在意義を明確に指摘した言葉には、私は初めてお目にかかった。
自由主義経済は、外部(不)経済を内部化できる装置、すなわち国家をもたなければ、破滅へと進むということだと私は解釈している。
「コモンズの悲劇」は貪欲な資本によって繰り返されるということだ。

以前から、たとえば大気汚染は、大気をタダと考えるから起こるのであり、大気が無償で利用できることを外部経済、大気汚染に対する補償を外部不経済として、経済システムに組み込まなければならないという言説がある。
大資本によって忌み嫌われる社会運動の多くはこの構図が成り立っていると考えられる。

各国が抱える経済問題。その解決に協力してあたろうというGxx。しかし、その成果は、新自由主義を国際ルールにすること、「時間かせぎ」で、短期的延命、長期的破滅に向けて進むことだった。
そうした意思決定が行われる、その「意思の本態」とは何だろうか。

いろいろなことを考えさせられる本だった。

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「時間かせぎの資本主義」(その2)

ヴォルフガング・シュトレーク「時間かせぎの資本主義」は大著だから、もう一つ記事を書いておくことにした。

前回、本書の中心的な主張―資本主義が現在の危険で閉塞感に満たされた世界をつくってきたことについて紹介した。今日は、本書で強く主張されているEUの危機の方をとりあげる。

400px-Euro_banknotes.png 著者はEU、とりわけユーロによる通貨統合は、新自由主義の完成系であるとする一方、完全な失敗であると主張する。
つまり新自由主義の自然な帰結こそ、この完全な失敗だというわけだ。

しかし、多様な文化・多様な民族からなるヨーロッパにおいて、本当にそれが理想的な姿であったのか。統合はなされたが、統合のポリシーは新自由主義に依拠して行われたものであり、これは各国内における格差拡大という、新たな分断を生んでいるという。

そのメカニズムだが、通貨統合は、各国政府の経済金融政策、具体的には通貨切り下げや関税などの調整を不可能にする、従って、生産性などの実体経済の差は、各国労働者の賃金で調整するしかなくなる。
資本が利潤を求めて自由に活動するには通貨統合は都合が良いが、それがもたらす各国内の混乱を収拾する(要するに労働者を抑圧する)のは、各国政府の役割になるということらしい。

本書では、「国家の市民」(従来の国民国家)、「市場の市民」(国際金融市場のプレイヤー)という言葉でも説明されている。
前者は普通の意味での市民、後者は市場に参加してそれを動かしている、具体的には金融資本である。そして恐ろしいことにその実態はわからない。
EUは国家の市民から意思決定権を奪う。超国家的枠組みで、国民国家は機能しなくなる(為替切り下げなどの経済政策が制限される)。
市場の市民は、国家を利用したあげく、それを内側から食い破る。そして超国家的な支配体制を構築し、国家をコントロールするようになるというわけだ。そして、格差の問題や、経済活動の制約となる社会条件の是正は、国内問題として、国民国家に責任がおしつけられる。

2年前、Brexitが決まったとき、著者シュトレークはどんな評価をしたのだろうか。
もっとも、著者は、緩やかな連合を否定しているわけではない。批判の対象は統一通貨ユーロであり、それを要求する金融資本である。英国はもともとユーロには与していなかったから、特別な評価はないかもしれないが。

今更、ユーロを廃止し、EUを解体することができるのだろうか。
しかし、歴史上はローマ帝国の版図が、帝国の解体・滅亡した後にできたのがヨーロッパ各国であるわけで、ここでも歴史は繰り返すということがあっても不思議ではないのかもしれない。

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「時間かせぎの資本主義」

61cVOXmn9UL.jpg ヴォルフガング・シュトレーク「時間かせぎの資本主義―いつまで危機を先送りできるか」(訳:鈴木直)について。

強烈なタイトルである。それに惹かれて図書館で借り出した。
大著であることもあるが、必ずしも教科書的に要点をまとめてくれているわけではなくて、これでもか、これでもかと、いろいろな見方で現在の資本主義、新自由主義経済の、欠陥というより、破滅への道を描き出している。

経済学に詳しくない私には、精読は困難で、飛ばし読みしかできなかった。


さて、著者ははじめに、次のような趣旨のことを言う。
解決策はない。
解決策がないような論考に何の意味があるのかと言われるが、解決策がないことが真実なのだ。

現在の資本主義の危機は3つにまとめられるとする。
金融危機、財政危機、実体経済の成長鈍化の3つである。
つまり、どこにも救いがない。
そして、
第二次大戦後、資本主義経済の危機を乗り越えるために「解決策」とされてきた施策は、
ことごとく長期的解決を難しくする施策であった。

ということで1940年代から、この危険で閉塞感に満ちた現在に至るまで、歴史が解説される。

 資本主義は自らの危機を「時間かせぎ」によって先送りしてきた.
 70年代,高度成長の終わりとともに,成長を前提とした完全雇用と賃上げは危機を迎えていた.そこで各国はインフレによる時間かせぎ,つまり名目成長に実質成長を肩代わりさせて当面の危機を先送りした.
 80年代,新自由主義が本格的に始動する.各国は規制緩和と民営化に乗り出した.国の負担は減り,資本の収益は上がる.双方にとって好都合だった.
 だがそれは巨額の債務となって戻ってきた.債務解消のために増税や緊縮を行えば,景気後退につながりかねない.危機はリーマン·ショックでひとつの頂点を迎えた.
 いま世界は,銀行危機,国家債務危機,実体経済危機という三重の危機の渦中にある.新たな時間かせぎの鍵を握るのは中央銀行だ.その影響をもっとも蒙ったのがユーロ圏である.ギリシャ危機で表面化したユーロ危機は,各国の格差を危険なまでに際立たせ,政治対立を呼び起こした. EUは,いま最大の危機を迎えている.
 資本主義は危機の先送りの過程で,民主主義を解体していった.危機はいつまで先送りできるのか.民主主義が資本主義をコントロールすることは可能か.ヨーロッパとアメリカで大きな反響を呼び起こした,現代資本主義論.
(本書裏表紙から)
はじめはインフレ政策である。
実質成長を名目成長で肩代わりし、一方で実質賃金を抑えて資本に余裕を与え、一方で名目賃金が上がったという錯覚にひたらせる。

つぎは大量の国債発行である。
お金を刷る代わりに、民間から、将来の税収を質にしてお金を借りまくる。

そして金融市場の自由化が行われる。
米国政府はドル高政策によって金利をつり上げオイルダラーを呼び込む。銀行はこれを元手に国債を購入する。金融セクターは、国家の税収不足を補填すると同時に、安定した利子収入を得る。
大きな債務を抱えた国は福祉のカットと公共セクターの民営化を進める。

続いて起こるのが、過剰な信用供与とバブルである。
そして、それがはじけたのが現在というわけだ。

最初に書いたように、本書は、戦後自由主義経済の歴史をなぞりながら、危機がどのように深まって来たのかを、多くの数値・グラフをまじえて、具体的に解説するのだけれど、同時に、この間、大衆運動(労働運動)の敗北、資本家による国家(政策)のコントロールが進んできた様相が重ねられている。
労働者からの搾取が資本主義世界の経済を動かす原動力だったわけだ。

少し古い言い回しだけれど「勝ち組」と「負け組」への分解が進んでいるのは資本主義の世界中で起こっていることのようだ。日本では、ついこの間まで一億総中流と言っていたのに。
本書を読んでいると、負け組というのは、怠け者でも無能者でもなくて、搾取された側が負け組というだけで、その負け組へのセーフティネットはモラルハザードになると指弾するのが新自由主義というやつらしい。

本書の分析・主張が正しいのか、私には良くわからない。
その時々の政府が、熟慮して行ったのか、あるいは苦し紛れで行ったのか、それはわからないけれど、他にとりうる選択肢はなかったのかというのが正直な感想である。

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「もうすぐ絶滅するという煙草について」

「もうすぐ絶滅するという煙草について」というタイトルだけれど、実際に絶滅危機にある煙草の近年の状況が書かれているわけではなく、古今の著名人による煙草に関わる小文を集めたもの。

刺激的なタイトルである。希少生物保護などで見られる「絶滅する⇒絶滅は防ぐべき」という思考回路が私にもあって、このタイトルからは、煙草を絶滅から守ろうという趣旨で編集されたものと思って手に取った。

もちろん愛煙家の私としては、それを期待して読んだわけだ。


ところが、たしかに、煙草へのオマージュも集められているけれど、煙草の害、禁煙体験なども収録されている。
全体はⅠ、Ⅱ、Ⅲの3部に分けられているのだが、Ⅰは煙草への愛着・オマージュが、Ⅱは煙草の害とそれとの折り合い、Ⅲは禁煙すること・禁煙体験、といったふうにまとめることができそうだ。

煙草は体に悪いから絶滅させなければならないというような、偏狭な禁煙原理主義者の文章は収録されていない。


【収録作品】
芥川龍之介 「紙巻の煙の垂るる夜長かな」
開高健 「人生は煙とともに」
中島らも 「喫煙者の受難」
内田樹 「喫煙の起源について。」
松浦寿輝 「煙草」
古井由吉 「さて、煙草はどこだ」
夏目漱石 「文士と酒、煙草」
久世光彦 「煙草の人たち」
浅田次郎 「作家と煙草」
荒川洋治 「ぼくのたばこ」
原田宗典 「何故煙草を吸うのか?」
米原万里 「喫煙者にとっても非喫煙者にとってもうれしいタバコ」
吉田健一 「乞食時代」
佐藤春夫 「たばことライター」
丸山薫 「煙草あれこれ」
杉本秀太郎 「パイプ」
澁澤龍彥 「パイプ礼讚」
安西水丸 「パイプの話」
あさのあつこ 「憧れのパイプ、憧れの煙管」
安岡章太郎 「葉タバコの記憶」
堀口大學 「煙草ぎらひ」
谷川俊太郎 「煙草の害について」
なぎら健壱 「嫌煙」
山田風太郎 「けむたい話」
常盤新平 「たばこ」
別役実 「喫煙」
池田晶子 「たばこ規制に考える」
筒井康隆 「喫煙者差別に一言申す」
金井美恵子 「タバコ・ロード、マイ・ウェイ」
池田清彦 「たばこ一箱を一〇〇万円にしてみたら?」
泉昌之 「新さん 第四話 定食屋」
倉本聰 「禁煙ファシズム」
安部公房 「タバコをやめる方法」
島田雅彦 「禁煙の快楽」
東海林さだお 「非喫煙ビギナーの弁」
小田島雄志 「禁煙免許皆伝」
中井久夫 「煙草との別れ、酒との別れ(抄)」
斎藤茂吉 「禁烟」
赤瀬川原平 「タバコと未練」
いしいしんじ 「元煙草部」
内田百閒 「煙歴七十年」
いしいひさいち 「ののちゃん7218」
前から順番に読むわけだから、最初(Ⅰ部)は煙草についての薀蓄やオマージュばかり読むわけで、最初の感想では、嫌煙家からはとんでもない本と断罪されるだろうと、愛煙家の私はニヤニヤ(ヤニヤニ)しながら読んでいた。

そうだそうだ、煙草は人体に有害かもしれないが、それも文化として尊重するなら、絶滅したとしてもその文化の香りは大事に保存しておくべきだなどと考えながら。

JTの「たばこと塩の博物館」というのがある。本書が扱う文章は、夏目漱石ぐらいからだけれど、この博物館では、おおらかだった江戸時代からの貴重な資料が収集されている。
随分前に、東京出張のときに時間があって、寄り道したことがある。その頃はビルの1フロアぐらいの小ぢんまりした展示設備だったけれど、今は墨田区に移転して立派になっているらしい。

しかし、禁煙原理主義者は、そういう博物館の存在すら許さず、いつかは打っ壊してやろう、煙草を人類史から抹殺してやろう(記録抹殺刑=Damnatio Memoriae)と考えているかもしれない。
坊主憎けりゃ袈裟までというような。ああ、恐ろしい。


Ⅱ部に読み進むと、煙草の害を踏まえたうえで、この煙草というものとどう付き合うのが良いのかという文章が集められている。

一つ紹介すると、米原万里「喫煙者にとっても非喫煙者にとってもうれしいタバコ」というのがある。
この文章では、ニコチンと香料を固めたものを加熱して吸引するアイデアを披露している。煙がないのは愛煙家には頼りないだろうが、非喫煙者への迷惑はかなり減らせるし、愛煙家にとってもタールや紙の燃焼がない分、幾分か健康的だろうとも付言されている。
これってまさにここ数年で急激に普及しはじめている電気加熱式煙草である。

これがいつ書かれた文章なのかわからないのだけれど、米原氏は2006年に没しているから、少なくとも12年前だ。(フィリップ・モリスやJTがこの文章を読んで開発したわけではないと思うけど。)
なるほど、米原氏はなかなか先見の明があると思うけれど、その電気加熱式煙草ですら、嫌煙家には許されないということまでは予見できなかったようだ。



Nonochan7218.jpg そしてⅢ部まで読み進めると、がらりと様相が変わる。
Ⅲ部の最初の安倍公房氏、最後のいしいひさいち「ののちゃん」は別として、他は、禁煙体験が綴られたものである。
禁煙運動家が、いわば外の高みから、喫煙者を見下す調子で、命令口調で禁煙を説くのとは全然違い、ヘビースモーカーの禁煙体験談、それも多くは病気(必ずしも煙草との因果関係があるというわけではない)をきっかけにしている話である。

斎藤茂吉氏の文章には、宗吉という息子が隠れて煙草を吸っている旨の記述がある。そういえば「どくとるマンボウ青春記」などのエッセイには煙草のことも書かれていたと思う。


煙草の害は良く分かっている、それでも、良いところもあるし、これがライフスタイルであり、文化であると考えている愛煙家には、この先達の話はこたえる。
害はあるにしても、1本も喫えない(禁煙原理主義の主張ではそうなる)というのは、あまりにゆとりがなさすぎて、素直に従う気にはならないわけだが、それまで煙草をこよなく愛していた先達の禁煙談からは、他人にやめろというつもりはないけれど、煙草がない生活でも別に困らないよ、と説得してくる。

今のところ、まだ禁煙に踏み切る予定はない(既に1日6~7本までになっている)のだけれど、そのうち気がかわるかもしれない。

ところで、本書中の文章では、煙草を「喫む(のむ)」と表現しているものが多い。この頃は「喫う(すう)」と言うほうが優勢だと思うけれど、この変化はいつ頃だろう。

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「戦争の社会学」

Senso_no_shakaigaku.jpg 橋爪大三郎「戦争の社会学 はじめての軍事・戦争入門」について。

本書のはじめにには次のように書かれている。

はじめに

 軍について知ろう。
 戦争について学ぼう。
 軍というものがあって、戦争をする。有史以来、人類は戦争を続けてきた。それがこの世界の現実である。現実から目を背けてはならない。
 平和とは、戦争がないことである。平和を求めるなら、戦争について知らなくてはならない。戦争とはどのようなことか、戦争はどのように起こるのかわからないで、平和を実現することができるだろうか。
 戦争を通じて、平和を考える。戦争を理解して、平和を実現する能力を高める。戦争も軍も、社会現象である。社会現象であるからには、法則性がある。戦争の法則性を理解して、リアリズムにもとづいて平和を構想する。これが、軍事社会学(military sociology)である。

これは100%賛同できる言説である。
戦争や軍隊という言葉に過敏に反応して、思考停止になってはいけないと思う。
それに第一、男の子って、ミリタリー好きが多くて、いろんな兵器の性能を比べて見たり、軍艦や軍用機のプラモデルを作ったりして楽しむわけだ。ましてそれが大和やゼロ戦となると、日本はすごかったんだと、自分は何にも貢献してないくせに誇らしく思ったりする。

しかし、こういうミリタリー男子というのも、戦争や軍隊についてちゃんと考えているわけではない。そのレベルの知識や思考力しかない人や、対極の思考停止になるタイプの人が、憲法九条とかの議論をしてもちゃんとしたものにはならないと思う。

はじめに
序 章戦争とはなにか
第 二 章古代の戦争
第 三 章中世の戦争
第 四 章火薬革命
第 五 章グロチウスと国際法
第 六 章クラウゼヴィッツの戦争論
第 七 章マハンの海戦論
第 八 章モルトケと参謀本部
第 九 章第一次世界大戦とリデル・ハート
第一〇章第二次世界大戦と核兵器
第一一章奇妙な日本軍
第一二章テロと未来の戦争
あとがき
ということで、社会学の視点でというのは、なんだかちょっと魅力的に感じた。

社会学というのは私にはよくわからない学問で、経済学みたいだったり、文化人類学みたいだったり、あるいは社会統計の分析だったりで、確固とした対象、方法論、体系があるのだろうかとも思うけど。(というかありすぎるのかも)

この本は、制度的社会構成が一つの視角のようで、軍という制度や戦争を遂行する政治的メカニズムに注目するようである。
で、著者はなかなかの自信をもって書いている。
「・・・戦争と軍の本質を、しっかり議論し尽くしている。前例のない本になったと思う。」とは、著者自身の言葉である。

普通、日本の学者の文章というのは、自惚れるぐらいの内容でも、謙遜して、非才だとか、不十分だとか書くものだけれど。


ここまで自惚れて書いているためか、Amazonの書評には、本書をこきおろしているものがある。

大した内容ではない、軍事社会学は以前から精力的に研究されているのに、それを知らないはずはないのに、それらを全く無視している、そのうえ本書に書かれているのは大した内容ではない、など。


たしかに、その評もあたっているところがある。著者が大上段に「社会学」といっているわりには、社会学的な考察はあまり持てなかった。
たとえば、何故、帝国陸海軍が負けると解っている戦争に突入したのか、実に情けない話だと嘆くところで、そこに働いた文化的・社会的なメカニズムを実証的に解き明かすのであれば社会学という感じがしただろうと思う。

(帝国陸海軍の組織内の相互牽制、全体責任=無責任体制はどのような心的態度によるのか、帝国軍人の理念型とは何か、など)

さらに、そのメカニズムに通ずる社会的風潮が、(何の反省もなく)今復活しようとしているとまで言えば、戦争の社会学が果たすべきと著者が言うところの成果が得られたことになるのではないだろうか。

しかし、前述のレビューに惑わされずに読んでいくと、著者の持つ社会学的な視角というのが何となくわかるような気がしてくる。たとえば、「戦争のルール」については、歴史的に形成されてきたものだけれど(基本は西欧列強の間でだろうけど)、次のような問いを立てることで、文明国のエートスを分析しているようでもある。

代表的なものは、なぜ毒ガスや細菌兵器を使うことが避けられたのか。
著者の答えは、プロの戦士の都合であるというもの。
力を競い合うのが戦争である。だから、力の弱いものが強いものを倒せる毒物の使用は卑怯なのだという。

ちなみに毒ガスに関して、帝国陸軍の高級指揮官に示された『統帥綱領』には、毒ガス使用手順が明記されているのだそうだ。

《九五、高級指揮官は戦闘の開始に先立ち、飛行機もしくはガス撒毒部隊をもって敵にガス攻撃を加え、ことに敵軍の進路上もしくは我が軍の前方における要点にあらかじめ撤毒し、また戦闘間にありてはガス砲撃、ガス投下等を行なうほか、ガス撒毒部隊をもって適時適所に撒毒地域を構成する等、なし得る限りガスの威力の発揮に努めざるべからず。》
さきほど「報復のため」と限定がついていた毒ガス撒布は、ここでは戦闘に先立ち、先制使用することになっている。どしどし使え、としている。本音が出たと言うべきだ。

こういう感覚からすると、テロリストとの戦い、つまり、asymmetric warは、正規軍との戦いではない。戦争と呼ぶにして、それに参加しているのは正規軍として扱う必要はない。だから、彼らを拷問しても良いのだという論理が成り立つとも言う。

さらに、ロボット兵士の正当性あるいは用兵(使用法)はどうあるべきか、というかどのような国際ルールができるだろうという問題も投げかけている。

こうした問題意識は、やはり社会学的というものだろう。

ところで、前に記事にとりあげたことのあるマクニール「戦争の世界史」と比べると、もちろんマクニールのほうは大変な大著だから同じように評するものではないけれど、本書は新書であるにもかかわらず、モルトケやグナイゼナウなどの軍事理論家が丁寧にとりあげられている。ビスマルクとモルトケというように軍事理論家と政治家の(協力)関係も説明されている。
このあたりは、時代を限定してトピックスをうまくとりあげたということだろうと思うけれど、なかなか面白いと思う。

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「観応の擾乱」

Kannou_no_jouran.jpg 亀田俊和「観応の擾乱 ―室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」について。

この時代については、前に、日本史史料研究会監修・呉座勇一編 “南朝研究の最前線―ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで”という本を読んでいる。

こちらの本では、建武政権から足利政権へ移行するときの政治体制の記述に興味が惹かれたのだけれど、今度の「観応の擾乱」では、政権の状況も詳しく書かれるけれど、それに関わる武将の動きが生々しく書かれている。

そもそも足利幕府というのは、何だかわかりにくいもので、鎌倉幕府や江戸幕府のようにイメージがわかない。
そしてそれは、幕府の出発時点に観応の擾乱があり、南北朝の対立があるということと関わりがあるのだろう。また、政権が京都にあったことも、武家政権としてまとまる上では位置づけが曖昧だったのかもしれない。

さて、素人の歴史理解は頼りないのでこれぐらいにして、本書の感想。
とにかく、武将の名前が大量に出てきて、あのときはここにいた、このときはこっちにいたという具合で、尊氏、直義、直冬、高師直という、それなりにポジションがはっきりしている人物の周囲で、これらの武将たちが、損得勘定というか、日和見主義というか、右往左往する姿が描かれる。

第1章 初期室町幕府の体制
第2章 観応の擾乱への道
第3章 観応の擾乱第一幕
第4章 束の間の平和
第5章 観応の擾乱第二幕
第6章 新体制の胎動
終 章 観応の擾乱とは何だったのか?
なんだかドラマの各シーンを次々に見せられていて、一人一人の名前はそうきちんと憶えられるものでもないのだが、そうだこいつは前はこっちにいたんじゃないかという感じである。

本書には、学会でも意見が分かれているという記述も多くて、やっぱり専門家にもわかりにくい時代なのかもしれない。

弟を殺した(https://twitter.com/naoejou/status/872288077225447424
その意見が分かれるものの一つに、直義の死がある。
直義は尊氏に毒殺されたという説が強くて、NHKの大河ドラマ「太平記」でもその説がとられ、尊氏(真田広之)が「弟を殺した」と絶叫するシーンを覚えているが、本書では、直義は病死であるとしている。
この時点で既に直義を担ぐ勢力はほぼ根絶していること、直義が権力を奪回した時に優柔不断な態度をとったのは健康上の理由があったのではという推察にもとづいているようだ。

また、「室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」と副題にあるけれど、実際には、直義は一度も尊氏を直截相手にして逆らったことはなく、その標的は常に高師直であり、尊氏の周囲の勢力に対してであったという。

終章で「擾乱」全体を大きくまとめるとともに、「乱」とか「変」とかいう言葉ではなくて、この時代にだけ「擾乱」という言葉が使われていることにも注意を向けている。

「擾乱」の由来
 ここまで観応の擾乱を中心に、その前後の戦乱の様相をできる限り詳しく紹介してきた。改めて見て、実に奇怪な内乱である。
 四条畷の戦いで難敵楠木正行に勝利し、室町幕府の覇権確立に絶大な貢献を果たした執事高師直が、わずか1年半後に執事を罷免されて失脚する。だがその直後に数万騎の軍勢を率いて主君の将軍足利尊氏邸を包囲し、逆に政敵の三条殿足利直義を引退に追い込む。
 ところがその一年あまり後に、直義が宿敵の南朝と手を結ぶという奇策に出る。今度は尊氏―師直を裏切って直義に寝返る武将が続出し、尊氏軍は敗北して高一族は誅殺される。
 だがそのわずか五ヵ月後には何もしていないのに直義が失脚して北陸から関東へ没落し、今度は直義に造反して尊氏に帰参する武将が相次いで、尊氏が勝利する。そして、その後も南朝(主力は旧直義派)との激戦がしばらくはほぼ毎年繰り返されるのである。
 短期間で形勢が極端に変動し、地滑り的な離合集散が続く印象である。このような戦乱は日本史上でも類を見ないのではないか。たとえば応仁の乱も長期にわたって戦われたが、優劣不明の接戦が延々と続く感じで、観応の擾乱のようなダイナミックな攻守転換はそれほど見られないと思う。
 そもそも観応の擾乱は、なぜ観応の擾乱というのであろうか。応仁の乱などのように、「観応の乱」とはなぜ言われないのだろうか。

文書考証ではいろいろな意見もあるだろうけれど、この乱れ方は、やはり「擾乱」という言葉がふさわしいと、私は思う。

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「贅沢の条件」

Zeitaku_no_jouken_cover.jpg 山田登世子「贅沢の条件」について。

以前、なんとなくテレビを見ていたら、旅行案内か観光案内の番組が流れていて、イタリアの修道院を改装したラグジュアリー・ホテルや、フランスの民宿(メゾン・ドート=maison d'hôte)が紹介されていた。

薄っぺらいタレントがキャーキャー騒ぐようなものではない。落ち着いたシックな番組だった。
私はテレビっ子(生まれた年がテレビ本放送開始年)なので、こういうながら視聴は日常である。


その同じ番組の続きだったか、別の番組(シャネルの伝記的番組?)だったか忘れたけれど、メゾン・ドートの案内のあとに、シャネルが建てた別荘があること、高い塀に囲まれ、高いオリーブが林立する広大な敷地の中にそれがあるということが紹介されていた覚えがある。

そういえば、Airbnbという民泊サイトは、安く泊まれる宿が案内されているということが有名だが、高級ホテルよりも料金の高い(1泊10万円以上もする)民泊も案内されているという。
普通はホテルなど建たない絶景の地や、有名な遺跡のすぐそばなどにある稀少な個人住宅などが、民泊として利用されているのである。


4e781870f15f0a2e53dfa2ff3e9cc9cf.jpg 本書の「4章-5 禁欲と楽園」は、"ラグジュアリー修道院ホテル/アマルフィの楽園/プロヴァンスの「庭」/「農家」という贅沢"という内容で、前述の内容がほぼそっくりそのまま掲載されている。民宿のマダムがBMVのオープンカーに乗っているということも同じ。シャネルの別荘(ラ・ポーザ荘)は終章に紹介されている。

件のテレビ番組については情報がないのだけれど、これだけ内容・配列が同じということは、本書の著者が制作に関わっていたのかもしれない。あるいは、番組制作に関わったことが採りいれられたのか。


はじめに―「豊かさ」と「幸福」と「贅沢」と
 
序章 贅沢の近代―「優雅な生活」
 
1章 リュクスの劇場―きらびやかな男たち
1 ヴェルサイユという劇場
2 ダンディズムの「喪の作業」
 
2章 背広たちの葬列―ビジネス社会へ
1 タイム・イズ・マネー―産業社会の幕開け
2 「富」vs「贅沢」
3 消費する女たち―有閑マダムの理論
4 スーツを着る女たち
 
3章 ラグジュアリーな女たち―さまざまな意匠
1 美の香り
2 贅沢貧乏
3 趣味の貴婦人
 
4章 禁欲のパラドクス―修道院という場所から
1 ココ・シャネルの修道院
2 シャネルの贅沢革命
3 修道院の美酒
4 手仕事の贅沢さ
5 禁欲と楽園
 
終章 贅沢の条件―時をとめる術
1 樹齢千年のオリーブ
2 はるかなもの
 
最初に、本書の末尾に語られる「贅沢」の話を紹介したけれど、目次でわかるように、本書は贅沢と考えられる事象について、歴史を追うとともに、贅沢とは何かを考える。

「贅沢」の前に「豪奢」「奢侈」が考察される。
男たちが着飾った時代、続いて女たちが着飾る時代。
しかし、クルティザーヌを紹介したあと、およそ正反対のリタ・リディグの贅沢が紹介される。

著者は、豪奢と贅沢の違いは、どうやら贅沢は、贅沢する人と分かちがたいものと考えているようだ。
その代表的人物として紹介されるのは、前述のリディグの他、森茉莉、白洲正子。そして心の贅沢とでもいうのか与謝野晶子。


続いて、贅沢品についてその出自のアイロニーが説明される。
ロマネ・コンティに代表されるブランド・ワインは、清貧を旨とする修道院の、禁欲と勤労の産物であるというアイロニカルな状況を指摘する。

本書でたびたび言及される「プロ倫」(ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)では、プロテスタンティズムのエートスが、資本主義的蓄積の源泉にあるとするわけだが、ブランドの創出にも同じメカニズムが働いたようだ。

ウェーバーは同書でさらに、プロテスタンティズムのこの態度は薄く肩にかけるようなものであるべきだったが、今では自らを拘束する鎧になってしまったというようなことを指摘していたと思うが、禁欲と勤労が、貪欲と搾取に転化し、贅沢を生んでいく。

(「ひょっこりひょうたん島」より)
貴族の仕事
作詞井上ひさし/山元護久
作曲宇野誠一郎
ドビン・ポット(新道乃里子)
 
(叙唱)
下々の人間はガツガツ汗だくお金を稼ぐ
それがしごと
私ども貴族は 上手にそのお金 使ってあげる
それがしごと
だってみなさん そう・ざま・しょ
 
トランプ遊びや お馬のレース
カルタ すごろく チェス 麻雀
ゴルフ 水泳 テニスにピンポン
暇にあかせて金つぎ込んで
みんな貢族が考えて 作ってあげたお遊びよ
ねえみなさん そうざましょ ええ そうざます
 
モーツァルトの交響楽や
あのダビンチのモナリザも
シェークスピアのマクベスも
暇にあかせて金つぎ込んで
みんな貴族が励まして やらせてあげたお芸術
ねえみなさん そうざましょ ええ そうざます
 
おやつに食べるチョコレート
お紅茶につくピスケット
アイスクリームのウエハースも
暇にあかせて金つぎ込んで
みんな貴族が考えて 作ってあげた食べ物よ
ねえみなさん そうざましょ ええ そうざます
 
本書では、本当の贅沢、時間を止めた手仕事にこだわるのは、ウェーバーとは違って、プロテスタントではなく、カトリックが多いとも指摘している。
思うに、「プロ倫」をさらに進めた大塚久雄などは、プロテスタンティズムの禁欲と勤労が、勤勉とパンクチュアリティに向い、そしてそれは合理的・計量的経営のエートスを形成するという流れを説明する。
その流れに従えば、なぜプロテスタントではなくカトリックに職人が残ったのかが解るような気がする。


そして、突き詰めれば、少なくともただの浪費ではないこと、本物を求めることなどが、贅沢といえるのではないかという。
自己顕示的な高級品・宝飾品は贅沢ではなく、欲しいと思うものは本物であり、何より、その人自身が本物でなければ、贅沢とは言えない。

そして贅沢を理解するキーワードは「時間」のようである。
ボー・ブランメルのダンディズムは、ネクタイを結ぶのに何時間もかけられるから成立する。

骨董品は歴史を持ちストーリーを担うものである。
本物は、長い時間をかけて作られる手仕事が生むものである。
これを採りいれられる人は「退屈」な時間を持てる人である。


さて、私には退屈な時間はたっぷりあるのだが、物品・サービスを購う財は全く持っていない。
かといって、贅沢貧乏ができるようにも育っていない。

時間が支えるような本当の贅沢はできないけれど、贅沢な時間を過ごすことができれば幸せだ。

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「字幕の中に人生」

Jimaku_no_nakani_jinsei.jpg 戸田奈津子「字幕の中に人生」

家で、外国映画を観る時、吹替えで見るか、字幕で見るか、(どちらもなしで見る人もいるかもしれない)。
DVDやブルーレイディスクはもちろん、テレビ放映でも、この頃は二ヶ国語や字幕が選べるようになっている。
私は、ものにもよるけれど、字幕で見ることが多いように思う。

本書によると、日本人は字幕派が多いらしい。著者によると、偏狭な島国の住民の外国への憧れは強いものがあり、ホンモノ志向も強いから、と分析されている。

そもそも本書では、映画館で字幕で上映されることが多いのは日本だけで、他国では吹替えが多いのだそうだ。そのことを聞くと出演者は大いに喜ぶそうだ。そりゃそうだろう、台詞に精一杯の演技を込めているはずだから、それを消され、他人の声で置き換えられたら、半分、いやそれ以上の体が削られたように思うだろう。

著者がインタビューを受けているテレビ番組を見たことがある。
字幕翻訳家っていうのは、語学はもちろん、さまざまな生活習慣とかを知っていて、しかも限られた字数で、セリフを再構成しなければならない。職人文化人である。氏が持つその雰囲気がテレビ越しに伝わってきていた。

翻訳料も、結構な額がもらえるのかなと思っていたのだけれど、年間400本程度の外国映画の翻訳料を合計しても1.6億円ぐらいなのだそうだ。(字幕付けに多額の投資はできないし、翻訳家がせいぜい20人までというのも当然だ)

著者が字幕を担当した作品数は、巻末付録によると、最初は1970年、70年代の10年で9本である。1980年には7本、81年に9本、82年には一気に24本である。その後、毎年、30以上を担当し、1995年には、なんと50本もの作品に字幕をつけている。
ということは、この年の年収は約2000万円ということになる。
たしかに、この調子だったら高額の収入はあることになるけれど、いつもいつも安定してあるということでもなさそうである。それに、この特殊技能、少ない人数で日本中のニーズに応えている。一方で大儲けの映画会社があるとしたら、やっぱり安いのではないかと思う。

先ごろ、映画上映における音楽著作権料のことで、JASRACと映画業界がもめているという報道があった。日本では安すぎるというわけだが、字幕作家には著作権料というのもないんじゃないだろうか(人格権はあるだろうけれど、実入りとしての著作料)。


古典に属する演劇やオペラには、昔から日本語訳が付けられている。
ハムレットの有名な台詞、“To be, or not to be, that is the question”などは、「生きるべきか死すべきか、それが問題だ」だったり、「生か死か、それが疑問だ」だったりする。(本当か嘘か知らないが「とべます(to be?)、とべません、それはわかりません」なんてのもあるとか。)
「フィガロの結婚」でもっとも有名なフィガロの“Non più andrai, farfallone amoroso”も、「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」だったり「もはや飛べまい、この蝶々」だったり。

名作劇には複数の訳があるわけだが、映画でも、映画館上映時と、テレビ放映時は字幕が違うことがあるようだ。本書では説明されてないので、私の推測にすぎないけれど、テレビ局は、いつも日本国内の配給会社から放映権を買うわけではなくて、外国の製作会社から買う場合もあるのだろう。その場合、配給会社が付けた字幕の著作権は製作会社にはないのだろう。

vlcsnap-2018-01-22-11h31m11s3.png DeAgostiniが出した「DVDオペラ・コレクション」は、全作品日本語字幕付きだけれど、海外で製作されたディスクは(そしてオペラのDVD等はほとんど海外制作)、日本で発売されているものでも、装丁が日本向けになっていても、字幕は原詞というものが多い。

オペラはイタリア語、ドイツ語、数は多くないがフランス語(「カルメン」など)だから、英語字幕を表示することになるのだが、当然、眼も頭もついていかない。

古典的なオペラは、そのストーリーもおおまかな歌詞も頭に入っているからそれなりについていけるけれど。オペラを見る人は必ず予習しておくように。(言葉がわかる人でも、節回しの関係で聴き取りにくかったり、ポリテキストの場合もあるから必須)
本書にもあるように、言葉が違うと、笑うべきところで笑えなかったり、笑うタイミングがズレたり、本当に大変みたいだ。


Jimaku_no_nakani_jinsei_tankou.jpg 字幕につかわれる文字も独特である。一番の特徴は「口」のように、線で囲まれていて空気穴のない字を書かないということである。これは、フィルムに字幕を焼きつけるときに型が使われるからで、空気穴があいていると型にならないからだそうだ。そして、すべて手書きだそうだ。
単行本として刊行されたのは1994年。20数年前のことだから、今は、技術的にはデジタル化がとりいれられて製作過程が変わっているかもしれないけれど。

これについて、(本書題字及びカード参照)とあるのだけれど、私が読んだ文庫本ではそうはなってなくて、単行本での装丁のことらしい。
なお、「あとがき」によると単行本には、本物のフィルム(「尼僧の恋」)を切って作った1枚1枚違う栞が付いていたそうだ。(図書館が収蔵するときはどう扱ってるんだろう?)


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「高校で教わりたかった生物」

趙大衛(編著)、松田良一(監訳・編著)、王静慧(訳)、他
「高校で教わりたかった生物」 (大人のための科学)
について。
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他の本は知らないのだけれど「大人のための科学」というもっともらしい名前のシリーズの一冊。しかも「孤高で教わりたかった○○」というのがこの中に、生物、物理、化学とそろっている。


私が高校のときの生物の授業というのは、あまりおもしろいものではなかった。興味を惹かれる内容であるのだけれど、試験の点をとろうとすれば、沢山のことを覚えなければならない。
私が受けた授業ではないが、ある教師は、生物分類を暗記するよう強制していたとかで、そのクラスの生徒は、細菌植物から被子植物まで、そして原生動物から哺乳類まで、必死に覚えようとしたという。

しかも、せっかく覚えた生物分類も、当時は動物界と植物界に大きく分けていたが、今ではそんな二分法は通用しなくなっている。前にも書いたけれど、キノコなどの菌類は植物だと思い込んでいたが、近年は、菌類は独立した分類であり、しかもDNAで見る限り、植物より動物に近いという。


さて、本書の「はじめに」には、このように書かれている。
……国際生物学オリンピック(IB0)国際大会の会期中に各国の高校生物の教科書コーナーがある。さらに私たち日本チームが提案し、2012年からはIB0の場を利用してカリキュラムや指導法に関する相互の情報交換とするための「教育セッション(Educational Session)」を開催している。その教科書展示と教育セッションの中で、日本の高校生物教育が他の多くの国のそれと異なる極めて特殊なものであることを毎年、痛感することになる。それは日本の教科書に著しい「ヒトの生物学」の欠落だ。欧米各国はもちろんのこと、台湾、中国、韓国・タイ・ベトナムなどのアジア諸国においても「ヒトの生物学」は高校生物教育の主軸をなすものだ それが日本ではあまり重要視されていない。
 台湾や韓国では、かつては日本の高校生物に近い、「ヒトの生物学」抜きの教科書だった。それが、この10年の間に急速に欧米化し、同じ仏教やアジア的文化を共有する国であっても、今では教室でしっかりと「ヒトの生物学」を教えている。それを日本の教育者に伝えたい。
このように前置きし、1章~3章は、台湾の教科書そのものの翻訳で構成されている。
この3章はそれぞれ、食品、医療、環境と生物の関係にあてられていて、現代の生活のなかでいやでも目にする、そして気になるトピックスがとりあげられ、生物学的な含意が解説される。

ただ、この構成では生物学を体系的に説明していないから、これ以外に基礎的な教科書があるのだろうと思う(実際、本書第4章には、生物の発生は、各国とも、ウニやカエルを使って説明しているという記述がある)。翻訳された教科書の書名は「應用生物」であることからしても、別に基礎生物学というようなものがあるのだろう。
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本書の監修者は、問題はその次だという。

監修者の意見では、たとえば、生物の発生から、人間の生殖へ結びつければ、興味がわくだろうし、何より、性病の危険などをしっかり認識させることができるという。

日本では、保健衛生で教える内容だが、保健衛生では、押し付け的にセックスの危険を言うだけで、子供たちが納得できる内容とはなっていないという。

IBOで台湾チームの先生たちに避妊まで高校の教室で教えるのかと聞くと、「重要であるので当然、教室で教えている」と答えたそうである。


1章 生物科学と食品
1.微生物と食品生産
2.食品生産における発酵技術の応用
3.遺伝子組み換え食品
4.インタビュー:微生物とパン作り
5.台湾の味の素工場
2章 生物科学と医療
1.抗生物質とワクチン
2.臓器移植
3.遺伝病の検査と治療
4.ヒトゲノム情報の活用
5.生殖補助医療
6.インタビュー:鞭毛虫に魅せられて
7.ワクチン開発のターニングポイント
3章 生物科学と環境
1.外来種の侵入
2.環境汚染物質
3.バイオ燃料
4.インタビュー:環境保護の「保護」とは?
5.ポリ塩化ビフェニル中毒事件
4章 高校の生物学で伝えたいこと―人間生物学
1.海外の教科書の例
2.高校の生物学で伝えたいこと
3.教育現場の声
日本の教科書が、基礎科学的・理学部的という点が批判されるのだけれど、それが悪いわけではなくて、それしかないのが悪いということだろう。トピックスに興味を惹かれ、そこから深く、そして広く興味を広げていけば良いわけだが、実際にそうした行動をとれる生徒は限られている(みんながそうなら世の中科学者ばっかりになってしまう)。他にもいくらでも興味の対象があるなか、効率よく知識を伝達することも必要だと思う。

台湾の教科書では、関連分野の職業などに従事している人たちのインタビュー記事を載せていて、生徒たちにとっては今の勉強が将来にどのようにつながっているのかを知ることができるように工夫されている。職業教育というか人生設計にも配慮されているということのようだ。

身近に感じる、あるいは考えなければならない問題をとりあげるということは、生徒の興味を惹くことは間違いないと思う。
ただ、日本でもそれを禁じているわけではないと思う。

ゆとり教育だかなんだか知らないが、理科は、私の頃は、物理、化学、生物、地学と4教科が必修だったけれど、その後、選択制が導入されて、医学生なのに生物を履修していない学生が結構いるという話を聞いた。

限られた授業時間でできることは少ないかもしれないが、現場の理科教師は、それぞれ工夫して、生徒の興味を惹くようにしていると思う。

ただ興味本位という言葉があるように、興味さえ惹けば良いわけではない。
「先生、避妊の話は良くわかりました。こんどは生殖の話をしてください、動画と実技付きで」となると先生も困るだろう。


心配なのは、このような「応用生物」の教科書ができたとして、これを覚えなさいというような授業にならないか。
興味を惹くための教材を、丸憶えする試験範囲にしたら、さらに酷い話になるような気がする。
結局、教科書の良し悪しもあるが、先生の良し悪しもある。そして、文科省の考え方も。

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「抗生物質と人間」

Kousei-busshitsu_to_ningen.jpg 山本太郎「抗生物質と人間―マイクロバイオームの危機」について。

一年ちょっと前、ヘリコバクター・ピロリの除菌を行った。
もちろんその時には、除菌すると、逆流性食道炎や食道がんのリスクが上がるという情報は耳にしていた。
もう随分前のことだが、胃潰瘍の既往歴があるので、胃がんのリスクを下げることもあるけれど、より直截な胃炎や胃潰瘍などの不快な症状の予防として考えたのである。

使用した除菌薬は「ボノサップパック」というもので、プロトンポンプ阻害剤と2種の抗生物質をセットにしたものである。
  • クラリスロマイシン----マクロライド系、細菌のリボゾームのタンパク合成を阻害
  • アモキシシリン--------β-ラクタム系、細菌特有の細胞壁合成酵素に特異的に阻害作用
Clarithromycin_structure.jpg Amoxicillin-2D-skeletal.png
プロローグ
―抗生物質がなくて亡くなった祖父母、
 抗生物質耐性菌のために亡くなった祖母
 
第1章 抗生物質の光と影
二人の患者―エピソード1/ペニシリンの発見/劇的な効果/抗生物質が効く仕組み/コモンズの悲劇/耐性菌の登場/進化の安定戦略が教えてくれるもう一つの重要なこと/急増する肥満は現代の疫病か/アレルギー/糖尿病/現代の疫病
【コラム】碧素一号の完成
 
第2章 微生物の惑星
レーウェンフックの見たもの―エピソード2/微生物の惑星/ウーズの分類体系/微生物がつくるネットワーク
【コラム】失われた光の輝き
 
第3章 マイクロバイオームの世界
「ヒトゲノム計画」の完成がもたらした衝撃―エピソード3/キメラとしての「私」/マイクロバイオームとは/ヒト・マイクロバイオータとマイクロバイオームの世界/共生細菌と私たちの免疫系/窒素を固定する腸内細菌
【コラム】水と石炭と空気からパンを作る方法
 
第4章 抗生物質が体内の生態系に引き起こすこと
腸内細菌の移植実験―エピソード4/家畜への使用と巨大化/マーティン・ブレイザーの実験/ヒトの身長と体内衛生環境仮説/旧石器時代後期にもヒトの身長は低下していた/体内衛生環境仮説とベルクマンの法則に関する一私見/ポスト抗生物質時代の疫病をとりまく謎/子ども時代の影響/オランダの飢餓の冬
【コラム】過去にも肥満は存在した
 
第5章 腸内細菌の伝達と帝王切開
ゼンメルワイスの悲劇―エピソード5/帝王切開で救われた命/帝王切開は、近代医学の福音だった/行きすぎた近代医学の応用/母から子へ受け継がれるもの、それを阻害するもの/エイヴォン親子長期研究/感染症と母乳と免疫と常在細菌
 
第6章 未来の医療
コッホの実験―エピソード6/菌の不在から始まる病気――新しい医学/抗生物質の冬/抗生物質使用のジレンマ/失われたものの大きさ/「人間(ヒト)中心主義」とそれに対する批判
 
エピローグ
―世界の腸内細菌を探しに
抗生物質が効くのは上述のとおりだが、細菌のリボゾームと真核生物(ヒト)のリボゾームは構造が違うこと、細胞壁は細菌特有のもの(ヒトにはない)であることから、これらは細菌に対する選択毒性がある、つまり人体には原理的に無害とされている。

私は、どちらかというと薬は嫌いな方だし、抗生物質はウィルスには効かないことも知っているから、ピロリ除菌はしかたがないとして、あまり抗生物質のお世話になった覚えもない。
だから、本書でもとりあげられているが、いわゆる耐性菌を増やすことに加担するような行動(抗生物質の乱用)はしていないと思う。

であるけれど、素人にもかかわらず、上で、ネットで調べた抗生物質の作用機序をことさら丁寧に書いたのは、最後のところ、「人体には原理的に無害」というところを注目してもらうためである。

耐性菌の問題と並んで、本書が注目するのは、人間が生きているのは人体の作用だけではないという点である。
人体には無害だけれど、人体内に棲んで人間と共生している細菌のことを忘れてはいけない。100兆個もいるだろうかという、体内の有用な細菌たち、これを殺してしまっては、人間は健康に生きることはできないだろうという。

本書では、パプアニューギニアの高地人のことも紹介されている。
彼らは体内に窒素固定細菌をたくさんもっているから、ほとんど蛋白質をとらない食事であるのに、筋骨隆々たる体を誇るという。

なお、日本人もわずかだけれど窒素固定細菌を持っているらしい。置かれた環境によって細菌の数が異なり、ちゃんと蛋白質をとる食事をしていれば、そういう細菌が活躍する余地は小さいという。


そういえば、忌み嫌われていた寄生虫も、免疫を高めたりするとかで、悪いばっかりではないということも解ってきたそうだ。

ところで、こうした体内の細菌だが、10匹程度から増殖する例もあるというのだが、除菌したはずのピロリ菌はどうなんだろう。

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「日本人の給与明細」

山口博「日本人の給与明細―古典で読み解く物価事情」について。

Nihonjin_no_kyuyo_meisai.jpg 命の次に大事だというお金、それに着目して、古典文学や古記録にあたろうというたくらみ。

最初にとりあげられているのは、山上憶良。
憶良の年収は、今のお金に換算して1400万円ぐらいだという。
憶良といえば、学校の日本史で「貧窮問答歌」が取り上げられ、当時の庶民の厳しい暮らしを詠ったなどと解説されていたわけだけれど、憶良自身が貧窮に喘いでいたわけではない。
憶良は、遣唐船で唐へも渡った、むしろエリートというべき人であり、貧窮問答歌には手本にした中国の作品があり、ほぼそのままを和歌に翻案したものらしい。

庶民派と言うわりに金遣いがあらいと指摘されて、「私は庶民派だが庶民ではない」といったO府知事がいたと記憶する。


昔の物価について記述されている本はいくつもあるけれど、現在価格への換算では、多くが米価での換算を利用しており、本書もそれが基本である。
それに加えて、奈良時代からあるという、布と米の交換基準を組み合わせている。おもしろいのは、そうした交換基準が刑罰(罰金刑のようなもの)での物の扱いとして読み取れるというような話。記録が散逸していると、実にいろんな断片で推定するわけだ。まるで、天文学者が星までの距離をいろんな方法で推定するようである。

はしがき
Ⅰ 奈良時代
山上憶良の年収は一千四百万円 (山上憶良)
日当六百円の出稼ぎ労務者の死 (孔王部忍羽)
単身赴任は甘受の範囲にあらず (吉志大麻呂)
天平借金地獄 (秦乙公・丈部浜足他)
ギャンブル殺人事件 (僧華達・大伴子虫)
 
Ⅱ 平安時代
ノンキャリアの星墜つ (菅原道真)
自薦とコネの就職レース (源順・清原元輔他)
平安朝マルチ官僚 (三善為康)
高級官僚の犯罪 (藤原伊房)
地位を金で買う男 (三春高基・藤原衆海)
王朝土地転がし (上緒主)
光源氏豪邸の価格 (光源氏・監命婦他)
王朝OL情報 (紫式部・清少納言)
結婚を気軽に考えないで (光源氏)
高級官僚妻の告白 (藤原兼家妻)
税を出す人、たかる人 (藤原元命・藤原清廉)
 
Ⅲ 鎌倉時代
脱サラ遁世者 (兼好法師)
虚栄を追う官僚たち (藤原定家)
鎌倉御家人疲労の事 (佐野源左衛門尉常世)
不倫のツケ (遠江国の役人・信濃国の男)
 
Ⅳ 室町·戦国時代
建設会社建仁寺組 (老番匠・檜前杉光)
エリート管理者の心得 (朝倉孝景)
戦国雑兵戦略 (雑兵 加助・馬蔵・八木五蔵)
給料なくてもアルバイトで (一条兼良・三条西実隆他)
戦国財テク武者 (岡左内)
室町花のサラリーマン (明智光秀・長崎師宗他)
 
Ⅴ 江戸時代
商社マン誕生 (三井高利・小橋利助他)
著作者兼部長 (山片蟠桃)
脱サラ·コピーライター (平賀源内)
単身赴任江戸勤番 (小倉彦九郎・和歌山藩士原田某)
東海道𨨶用道中 (大田南畝)
中堅武士の生活白書 (三百石武士某氏・五百石武士某氏他)
歌舞音曲も勤めの中 (新開戸野五郎・朝日文左衛門)
 
 
 奈良時代の物価表
 平安時代の物価表
 中世の物価表
 江戸時代の物価表
本書がおもしろいのは、単純に物の価格を推定するだけでなく、人々の生活を物価から推し量り、またその逆に、物価から生活を想像するという、いったりきたりするところである。
本書のもとは、雑誌の連載エッセイのようなものだったそうで、なるほどと思わせるところがある。それにしても、そのために多分、蓄積してきた知識を掘り起し、相当の調べものが必要だっただろうと思う。

各話を一つずつ紹介するのは面倒なのだが、一つ紹介すると、著者の作文能力を示して、そしておもしろいのは、「高級官僚妻の告白」というタイトルで、藤原兼家妻(右大将道綱母)に仮託して書かれた話。「蜻蛉日記」には書かれなかった日記である。

平安時代、藤原道長や架空の人物である光源氏の財力を推定して嘆息するのはもちろんだけれど、やはりはなやかな女流宮廷文学の担い手のお金に困っただろう話もおもしろい。

古今集で「銭」が出てくる歌が一首のみあるとして、伊勢の歌が紹介されている。
     家を売りてよめる

伊 勢 

 飛鳥川 淵にもあらぬ わが宿も
 せにかはりゆく ものにぞありける

(古今集 990)

宮仕えを終えた女房が、これといった収入源を持たないで、とうとう家を売ったという話であるけれど、思えば、伊勢は、女房として出仕したものの、宇多天皇の寵愛を受けて、子までなし(早世)、その後は宇多天皇の親王の寵愛を受けて一子をもうけている(父と子の両方と情を交わしたわけ)。
それほどの人だから、案外、しゃれのめして歌にしたのかもしれない(ただし、家への愛惜の情はやはりあったと見える)。

この歌は、言うまでもなく、
     題知らず

よみ人知らず 

 世の中は 何か常なる 飛鳥川
 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

(古今集923、
「巻第十八 雑歌下」の最初の歌)

を踏まえたものだろう。
なお、新古今集では、私が持っている電子書籍を検索した限り、「銭」の文字は、本文にも解説文にも存在しない。

庶民に目を転じると、総じて人間の値段は安い。
小学校だったか中学校だったか、社会科でものの値段についての授業があったのだが、欧米ではサービスの値段が高いというようなことを教師が言っていた覚えがある。何が高いといって、人間にサービスしてもらう値段が高いのだという。
私が子供のころのこと、ようやく家電製品などが大量生産され、物が豊かになるなか、日本ではまだ物が珍重されている時代であったけれど、西欧先進国では、その段階は既に過ぎて、大量生産ではない人のサービスこそが珍重されているというような趣意だったと思う。

というか、ひょっとしたら日本では教師の給料が安いということを言いたかったのかもしれない。


昔は、商品経済が現代ほど発達していないから、当然、取引として表に出てくるものは一部である。
一方、労働は労役として税の現物納付みたいなものだから、これも現代感覚とは違う。

そう思って読み進めるとこんな記述にでくわした。
御油・赤坂はとくに遊女の多いので知られており、両側の家はほとんど宿屋だが、宿屋というよりはむしろ遊女屋で、どの家にも六、七人の遊女がいる。この両地は遊女の一大貯蔵庫であり、衆人共通の突き臼があるようなものだといわれており、……
これは、ケンペルが江戸往復のときなどに見聞きした日本事情を書きとめたものだそうである。
そして本書では、これに続けて、
品川の宿では、宿場の中を流れる川の北側の宿の女は、一貫目約二万円、南側は、昼間は四百文で八千円、夜は六百文約一万二千円という。
と書かれている。

現代の相場
30分15,000円 
40分20,000円 
50分25,000円 
※松島。ネット情報
思えば、人類最古にして究極のサービス産業であるから、労働の代価比較には都合が良いかもしれない。結婚は投資だが、こちらは消費だから、より純粋なサービスである。
遊ぶ時間の長さが示されていないのでなんとも言えないが、夜の部で朝まで付き合ってくれるなら格段に安い。今なら30分の料金である。

残念ながら、もっと古い時代の遊女の値段については、本書には言及がない。
義経の愛妾静御前とか、宮本武蔵が入り浸った島原の吉野太夫と遊ぶのは、いくらだったのか。

この他、江戸時代の社用族とか、幕府役人の接待など、興味深い話がたくさん盛り込まれている。

最期に、侍の家計について、本書では、もらっている俸禄をまるまる自分の家族のために使えるわけではない、侍は家来を養わなければならず、その分の扶持がいると指摘されている。
これはこの通りだろうけれど、しかし、家来は威儀をただすためだけにいるわけではないだろう。生産的な仕事もしていたのではないだろうか。

大河ドラマ「西郷どん」の初めのころの放送で、吉之助が狩りでしとめた猪を売りに行こうとし、父吉兵衛に止められるシーンがあったが、あのとき熊吉が売りにいっていたら、武士の体面は問題にならなかったのではないかと思う。

このあたりはどうなんだろう。

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「図書館と江戸時代の人びと」

新藤透「図書館と江戸時代の人びと」について。

日本では、近代の図書館は文明開化以降のものだから、「図書館と江戸時代の人びと」というのは、タイムスリップである。それとも江戸時代の図書館(的)なもののことだろうか。

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信号待ちの車中から
我が家から奈良へ、車で行くときは、国道24号線を使い、奈良市立一条高等学校の脇を通ることが多い。ここに、
日本最初の公開図書館「芸亭(うんてい)」伝承地の碑が立っている。

以前から、図書館?、公開?、いったいどんな規模で、どう利用されていたのかなぁ?、などとぼんやり考えていた。

公開したといっても、おそらくこの時代、庶民に文字が読めたとも思えないから、官人や僧侶(当時は学問をするといえば僧侶だろう)などが利用したもので、現在の図書館のように、消費的読書ニーズにこたえるようなものではなかっただろう。


Toshokan_to_Edojidai_no_hitobito.jpg 本書は、江戸時代を主に扱っているけれど、それに先立って、第1章では古代・中世の図書館についても触れられていて、もちろん芸亭のことにも言及されている。

さらに時代を追って、室町時代に至るまでの、書籍の集積の実態が説明される。
歴史に名高い、金沢文庫や足利学校などである。

読んでないが、本書で小和田哲男「戦国大名と読書」という本が紹介されていた。戦国の世でも読書好きの大名と言うのは結構いるそうだ。気晴らしで読んでいるわけではないだろうが。


さて、本書の中心となる江戸時代には3章があてられていて、幕府、諸藩、そして庶民の読書が取り扱われる。
まずその前提として、江戸時代になると、印刷本が出版されるようになることが説明される。図書館というのは、ある意味、ここから始まると言って良いようだ。

蔵書というのも、読書というのも、すべては印刷術のビフォー/アフターでは様が違う。とくに庶民にとって、本というのものは印刷されたものとして出現したのではないだろうか。
現代でも、自分の書いた文章が本になるというのは特別なことである。貴重な紙とインクを使う。ブログなどとは意味が違う。


第1章 古代・中世の図書館
古代の図書館
中世の図書館
第2章 将軍専用の図書館・紅葉山文庫
徳川家康の図書文化への関心
紅葉山文庫
書物奉行
将軍徳川吉宗と紅葉山文庫
第3章 藩校の図書館
藩校とは何か
昌平坂学問所と付属文庫
藩校文庫と「司書」
藩校文庫の利用実態
第4章 庶民の読書ネットワーク
     ―蔵書家・貸本家・蔵書の家
書物史としての江戸時代
都市の書物ネットワーク
 ―貸本屋と蔵書家
村落の情報ネットワーク
 「蔵書の家」
まず幕府での読書事情だけれど、本書では吉宗の読書記録を丁寧に追いかけている。将軍就任後、国政を預かるものとして、統治に役立つ儒学書や各国事情の本を読んでいることがわかるという。
本を集めることも吉宗は熱心であり、洋書なども集められていたらしい。

「蘭学事始」によると、吉宗以前は、オランダ通詞は文字を読むことが禁じられていて、これではオランダ事情を正しく伝えることが困難であると幕府に願い出たところ、その願いもっともであるとのことで許可されたのだという。

また、これらの本の収集方法だが、もちろん有料で購入するというのもあるが、大名などからの献上本もあるそうだ。今の国会図書館の献本制度のはしりだとか。

次いで各藩の事情、こちらはほぼ藩校に付属する文庫である。
幕府の文庫と同じように、こちらも学びに来る子弟らに貸出をしていたという。

規模は幕府のほうが大きいのだろうが、財政の硬直状況は幕府のほうが酷くて、大名の文庫の方が充実しているというようなことはなかったんだろうか?佐久間象山を遊ばせていた松代藩なんか、文庫を充実させていたかも。


こうした藩校は明治以降、廃校になるわけだが、それが新しい学制で高校になったりしている。そういうところには文庫の一部も引き継がれたりしているようだが、地元の国立大学とか、県立図書館とかにも分散して収蔵されているらしい。

そして最後に町人の読書がとりあげられる。
もちろん、当時は本は高いから、買って読むのは難しいだろう。ということで、貸本屋や、町・村の蔵書家というのがとりあげられる。

まず貸本屋だけれど、これは結構良い商売になったらしい。
女が経営する貸本屋、売春もやってたところもあるそうだ。

こんなところにばっかり反応してはいけない。それにしても、一体、どんな本を貸してたんだろう。


貸本屋などは驚くほどのことではないけれど、凄いのは「蔵書の家」。
本書で代表的な蔵書の家として紹介されているのが、小山田与清という人。
この文庫をめぐって形成されている人的ネットワークには、武士(殿様!)もいる。
文化人の絶対数が少なかったからだろうが、現代でも名の知られた学者・文人の多くが、このネットワークに入っている。

また、レファレンス・サービスもやっているという。

レファレンス・サービスといえば、うろ覚えの断片的な知識(ともいえぬ情報)を伝えたら、その根拠となる本を探してくれるというものだけれど、図書館司書という人は、これへの思い入れが強いようで、無茶な要求に答えたなどの手柄話を伝え聞く。
町の本屋でも、昔は本屋の主人に、曖昧な出版情報を伝えたら、いつ、どこの出版社から出る、というようなことをすっと答えてくれたものだが、この頃は本屋が減っているからどうなっていることやら。
ちなみに、レコードの場合は、推薦盤なんてのはレコード屋の主人に聞くと教えてくれたりした。

電子データから探すのならともかく、そういうものがない時代にあって、おそらくは本の内容を把握していなければ、探すべきあたりもつけられないだろう。

この頃は、うろ覚えの知識でも、その断片のテキストでネットで検索すれば、その知識のまとまった記述や出典がわかることが多い(記憶違いのこともある)から、私が図書館のレファレンスを利用するということはないけれど。


この時代の読書について、著者は、幕府の紅葉山文庫、各藩校の蔵書、さらに「蔵書の家」での本の貸し出し実態に基づいて、利用重視という点を近代の図書館を先取りするものと評価する。そのことに異存はないのだけれど、図書館というのは、アーカイブ性というのも、いや、利用ということよりも、それが重要ではないかと思っている。

そう思うと、たとえば、吉宗は蔵書の整理を命じ、校合(きょうごう)して正本を残そうとしたようだが、異説というのも実は意味があったのではないか、廃棄が正しかったのかという疑問が湧いてくる。
キリスト教では「ユダの福音書」など、初期文献は異端として、カトリックによって徹底的にその存在を消去されていた。歴史学的には重要な文献のはずで、異説として捨てるのは焚書と同様だという気もする。
洋の東西を問わず、昔はアーカイブという概念は存在しなかったのだろう。

都合の悪い文書はすぐに廃棄するどこかの政府にもそういう概念はないようだ。


本書であらためて思うのは、名前や形はともかく、ニーズのあるところ、それに応える仕掛けはできるものということ。

ところで、本書がとりあげているのは図書館というとても狭い世界なのだけれど、それに着目して探求すれば、多彩な人間の活動がそれなりに見える。
狭い世界だからと言って、その人が偏狭であるとか、隔離されているということにはならない。

私ももともとは技術畑だから、組織内では異端者扱いされることが多かったのだけれど、技術を通して世界を見る、あるいは解釈するということは、幅広い知見を得るには有効だと信じている。

というか、むしろ、専門家を視野の狭い人と貶める似非「ジェネラリスト」という連中は、美学もクライテリアも持っていない、世界を眺める視角そのものを欠いている人だろう。

本当のジェネラリストは、専門家を活用しこそすれ、無視や軽蔑などは、絶対にしない。
そんなことをしたらジェネラルなパーフォーマンスは得られない。

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「蘭学事始」

杉田玄白「蘭学事始」(全訳注:片桐一男)について。

Rangaku-kotohajime_katagiri.jpg 図書館の書棚で見つけて、「風雲児たち~蘭学革命篇」を見たあとだったので、借りて読んだ。

「蘭学事始」は、高校の国語の教科書に一部が収録されていたことは覚えているのだけれど、どの部分だったのか、おそらく冒頭ではないかと思うのだけれど、もう一つ記憶が曖昧である。

本書は、現代語訳、原文、解説からなる。現代語訳はとても読みやすい。全部読み通すのに1時間もかからない。(文庫版で70ページ)
現代語訳を読んだあと、原文も読んでみたが、書き下し文で、ルビもふられているから、こちらも、そう苦労なく読める。前述の、本書収録の教科書も現代国語のものだったのではないだろうか。
また、原文には、豊富な注(132個)が付いている。34ページもある。原文は50ページだが、大きな活字でルビもふられている。注のフォントサイズは小さいから、実量としては注のほうが多いだろう。

現代語訳
蘭学事始上の巻
蘭学事始下の巻
原文
長崎本『蘭東事始』凡例
蘭東事始上之巻
蘭東事始下之巻
解説
一 『蘭学事始』執筆の目的と著作の意義
二 「蘭学事始」「蘭東事始」「和蘭事始」
三 底本「蘭東事始」
四 古写本とその分類
五 杉田玄白の著作
六 蘭学事始附記
七 杉田氏略系図
八 記念碑・史跡・墓地
九 『蘭学事始』に関するおもな参考文献
 
あとがき
『蘭学事始』年表
件のドラマでも、ネタに面白く使われていた「フルヘッヘンド」については、解説ではなく、注に記載があった。
「フルヘッヘンド」を「堆し」(うずたかし)と訳すくだりは、訳語をあてる苦労の代表例として有名な個所であるわけだけれど、それだけでなく、原文で10行もあって、玄白の得意な様子がうかがわれる。
ところが、近年の研究で、ターヘル・アナトミアにはその語自体が見当たらないということで、さらに有名になったといういわくつきの場所である。
本書では次のように注が付されている。

(82)フルヘッヘンドせし物 玄白が例にあげた鼻の個所に該当する記述を原書に探しても「フルヘッヘンド」という発音に当たる文字はみえない。しいていえば附図のXIにみえる鼻の解剖につけられたa印に対応する本文aのところにみえる文、a Dorsum, de rug, naamentlyk de verhevene langte der Neus. のうちのverheveneを指すということになろう。意は「盛り上がった」である。玄白の老齢故の記憶違いかと思われる。

本書のように老齢に帰するのが妥当なところかもしれないが、なかにはこれを玄白の創作と見る向きもあるようだ。私は、むしろ玄白がその後、オランダ語の習熟度を上げた、その結果、単語の派生関係なども理解するようになって、親縁の語を取り違えるに至ったのではないかと想像する。
なお、ネットのオランダ語辞書で、verhevene(verheven)を調べると、その例文中に、verhevenheidという語が見いだせる。

ドラマで前野良沢が一節切を吹くシーンがあったが、みなもと太郎の原作では特にこれには触れられていないが、「蘭学事始」には、そのことが書かれている。
此良沢といへる男も天然の奇士にてありしなり。専ら医業を励ミ東洞の流法を信じて其業を勤め、遊芸にても、世にすたりし一重切を稽古して其秘曲を極め、又をかしきハ、猿若狂言の会ありと聞て、これも稽古に通ひし事もありたり。

三谷幸喜氏は、原作をドラマ化するにあたって、そのさらにもとになった史料も読んでいたということだろうか。
なお、なぜ良沢が「世にすたりし一重切」を演奏したかについては、上の引用個所のすぐ前に、良沢を養った伯父宮田全沢の教えとして、「人と云者は、世に廃れんと思ふ芸能は習置て末々までも不絶様にし、当時人のすてはててせぬことになりしをハこれを為して、世のために後にも其事の残る様にすへしと教られし由」とある。

P_20180130_101531_vHDR.jpg 本書の底本は「長崎本」と呼ばれる長崎浩斎が入手したもの。
浩斎は、大槻玄沢の弟子で、玄白への入門を希んだが既に玄白は病中であったため、玄白の一の弟子である玄沢に入門した人だそうだ。高岡市の出身で、この原本は高岡市立図書館に寄託されている。
高岡市立図書館には古文書のデジタル画像を公開しているのだけれど、これはその対象となっていない。(公開してほしいなぁ、減るもんじゃなし。)

そしてこの底本の表紙は「蘭東事始」(蘭学東漸事始)となっているのだが、本書では、このタイトルを巡って、少々面倒くさい議論がなされている。
私は何の疑いもなく「蘭学事始」と思っていたが、こうした題名の本があり、また「和蘭事始」というものもあるのだそうだ。結局、元の本を持っていた大槻玄沢も、「蘭学事始」が良いと考えていたらしいと推測されている。(その結論までに随分の紙幅が費やされている。)

ところで「蘭学事始」によれば、「蘭学」という言葉自体が、「解体新書」後に使われ出した言葉だという。だからこそ、蘭学事始なのである。なお、蘭学事始の冒頭部分、蘭学が興る前に、西洋の医術を少しでも学んで実践する医術は「南蛮方」というような言い方がされていたとある。

先日、NHKの「大岡越前」を見ていたら、小石川養生所の蘭方医というのが出てくるのだけれど、これは吉宗の時代の話であるから、もし玄白が云うとおりなら、「蘭方医」という言い方ははなかったかもしれない。

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「集中講義 大乗仏教」

佐々木閑「集中講義 大乗仏教―こうしてブッダの教えは変容した」について。
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別冊NHK 100分de名著」というシリーズの1冊。

「100分de名著」というのはNHKの番組で、古今東西の「名著」を造詣の深い人たちが、短時間で、そのキモを説明してくれる番組。狙って視たことはない(惜しいことをした)が、何本か、枕草子、歎異抄、手塚治虫などは見た覚えがある。


昨日とりあげた「さかのぼり日本史⑥“天下泰平”の礎」も、NHKの番組に由来する本だったが、このような番組由来の本(ノベライズというわけにはゆかないけれど)というのは、それほどじっくりと読むような量が書かれているわけではない。
しかし、この本は意外に読み応えがあった。1回の番組ではこれだけの内容は語れないと思う。番組から離れて別途執筆されたものかもしれない。

NHKのホームページを見たが、この本に1対1で対応する番組を見つけられなかった。同じ著者による「般若心経」はあるけれど。


本書では、いきなりものすごいことを言い切る。
「釈迦の仏教」と、私たち日本人が信仰している大乗仏教とでは、じつは教義の内容がまるで異なっているのです。もともとあった「釈迦の仏教」にのちの人が手を加え、オリジナルの教えとは別のものとして、日本や中国に伝わったのが大乗仏教だと思ってください。

このことは、本書の第3講「久遠のブッダ―『法華経』」の中や、「おわりに」で繰り返される。
 大乗仏教の歴史を研究していると必ず出会う名前があります。江戸時代の町人学者、富永仲基です。彼は、それまでの仏教界では全くの常識とされた大乗仏教仏説論、すなわち「お経と名のつくものは皆、釈迦などのブッダが説いた仏説であり、そのすべてが正統なる仏教の教えだ」という考えに異をとなえ、「経典というものは、先にあったものを土台として、次の世代の人たちが別のものを新たに創作し、それをもとにまた別の人が次のもの左作るという連鎖的操作で生み出された」という説を主張しました。「加上の説」と言います。「加上の説」は、彼が実際に万巻の経典を読み込んだうえで到達したきわめて合理的な結論です。しかし、この説は当時の仏教界に非難の嵐を巻き起こしました。考えてみればそれも当然です。富永の主張に従えば、ほぼすべての経典は釈迦が説いたものではなく、のちの世代の人たちが釈迦の名をかたって次々に創作したものだということになるのですから、それらの経典を自分たちの教義の要に据えている日本の宗派にとって、この説はゆゆしき邪説とみなされたのです。

(おわりに)


以前、島田裕巳「ブッダは実在しない」の書評を書いたけれど、そこでも、宗教的な心情を思うなら、ブッダが教えたところの神(にあたるもの)が居て、後の仏教を発展させてきた多くの高僧・名僧は、宗教的体験をしてきて、その教えを深化させてきたとも言える。時代とともに何度でも仏の教えが更新されて何らおかしくはない、と書いた。
島田氏は、日本の仏教には、もともとのブッダの教えは入っていないことを問題視されるが、仏典・宗派というものは、そういう成り立ちであるという主張でもあり、ここは「加上の説」を認めているということだろう。

第1講 「釈迦の仏教」から大乗仏教へ
第2講 「空」の思想が広がった──『般若経』
第3講 久遠のブッダ──『法華経』
第4講 阿弥陀仏の力──浄土教
第5講 宇宙の真理を照らす仏──『華厳経』・密教
第6講 大乗仏教はどこへ向かうのか
そもそも釈迦が書き残したものというのはない。お経は釈迦の弟子たちが、釈迦の言葉を忘れないように書きとめたもの。その時点から複数の弟子がそれぞれ覚えていたし、「方便」が語られたこともあったろうか、そもそも最初から統一のとれたものでもなかっただろう。

合理的に考えて「加上の説」は否定できないようだが、多くの宗派が根本経典をお釈迦様の教えと言えない状況のなか、阿含宗のように、釈迦の時代からある阿含経のみを根本経典とし、華厳経、法華経などは中国で創作されたものと断ずる宗派もある。

ただ、阿含経が信者を集めているかというと、そうでもないようだ。


結局のところ、「釈迦の仏教」、すなわち釈迦を尊崇するのか、時代に合せて変容してきた仏教信仰を受け入れるのかという問題ということだ。

眼を転じれば、キリスト教も同様である。イエスが書き残したものはない。

イスラム教のクルアーンは、ムハンマド自身が書いてはいないにしても、ムハンマドの生前の記録がもとになっているそうだから、このあたりの事情は少し違うかもしれない。


神を信じるという人類の多くが持つ性質は、社会構成原理として生存に有利だっただろうという考え方がある。
人は何かを信じなければ頼りない気分になるものらしい。
「鰯の頭も信心から」

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「ナメクジの言い分」

Adachi_Norio_Namekuji_no_iibun.jpg 足立則夫「ナメクジの言い分」について。

これも岩波科学ライブラリーの一冊。
であるけれど、ちょっと毛色が違い、科学書とは言いにくく、しかも科学者でない(けれど科学する)人が書いたエッセーというべき本(著者自身がそう書いている)。

ナメクジといえば普通は嫌われ者、殻があるカタツムリは愛嬌があって子供のおもちゃにもなるが(殻があるからナメクジのヌメヌメしたところを触らなくて良いからではないだろうか)、ナメクジ相手に遊ぶ子供というのはまず見ない。

私の家でも、庭にはたくさんのナメクジが棲息していて、家人が大事にしている花などは相当被害を受けている。したがってナメクジを誘引・退治する薬剤を置いたこともある(ああ、なんと罪深いことをしたのだろう)。


さて、著者は、生物学とか動物学とかの学者ではなくて、したがってナメクジで飯を食っているわけではない。ジャーナリスト、それも科学ジャーナリストではなくて、社会、経済といった分野のようである。

1 晩秋のナメクジ
季節外れによく出遭う/きっかけは娘のマニキュア/エスカルゴも同じ仲間/八〇年代に忽然と消えたキイロ/目撃情報からナメクジマップ/北海道は宝庫/東北にもチャコウラは進出/新しい外来種が侵入しつつある関東地方/皇居も小笠原もわが故郷青梅もチャコウラに占領された東京/神奈川も米軍施設周辺はチャコウラの天下/宙に浮くナメクジも,拝まれるナメクジもいる中部地方/近畿の海岸線はチャコウラの天下/中国・四国地方,瀬戸内の島にも進出するチャコウラ/チャコウラは九州・沖縄にも渡る/ヨーロピアンブラッグが世界各国を席巻する?
 
2 銀の筋は何なんだ
逃げ出したチャコウラ/「ゆっくりと」の警句の下で憤死/頼りになる米ソの文献/粘液には七つの機能/一つの足でなぜ動く/四本の角は視覚,嗅覚,味覚のセンサー/口には二万七〇〇〇枚もの鋭利な歯/便秘のナメクジがいてもおかしくない/喘息のナメクジはいない?/脈拍は人間と同じ/男性器も女性器も併せ持つ/超節電型の脳
 《コラム》平和な退治法
 
3 闇に包まれたライフスタイル
夜な夜な徘徊する/多くは菜食主義/天敵にはコウガイビルも/寒さの中で産卵,孵化する/広東住血線虫が寄生する/塩が苦手,砂糖は大丈夫
 
4 なぜ生き残ったのか
独立記念日はいつなのか/殻を捨てたのはなぜなのか/恐竜が絶滅したのはなぜなのか/ナメクジが生き延びたのはなぜなのか/ナメクジ史観とは何か
 
5 ナメクジに引かれた人たち
ナメクジに憑かれた研究者/文学大賞は内藤丈草と中村草田男,清少納言と村上春樹は落選/語源はどこから?/薬にしていた地方も/ナメクジ祭りの起源
そんな著者がなぜナメクジに興味をもったか、それはひょんなきっかけだったという。
マニキュアがきらいで、娘たちがマニキュア、ペティキュアを塗っているのをいまいましく思っていた著者が、あるとき銀色に光る筋を見つけ、娘たちのマニキュアがこぼれていると思い込んで叱りつけたところ、その銀色の筋をたどると、窓の方へ続き、あきらかに、それはナメクジの跡であることが了解され、娘たち、および彼女たちの母、つまり妻から、大逆襲に会う。
それがナメクジとはどういう生き物だろうという疑問と探究心が発現したのだそうだ。

だから、自身のナメクジ研究といっても、生体を解剖したり、化学物質(塩、砂糖を除く)の作用を調べるなどという、ハードなものではなくて、主として観察によるものである。

一番の特色は、人的ネットワークを活用した、ナメクジ分布の調査である。
といっても、特定地域をなめるように調べて、統計的手法で分布を推定するというような方法ではなくて、ナメクジを見つけたら報告してくださいという、実におっとりとしたやりかたである。
そんな中、現物を送ってくる人もいて、それが自身でナメクジを飼育することにもつながったらしい。

どこにでもいて、しぶとい奴と思われていそうなナメクジだけれど、飼育するとなると、これが案外難しいらしい。


だから、著者の研究は、自身の観察と、研究者からのヒアリング、諸文献の渉猟という方法になる。

ナメクジの研究者というのは、それは変な人が多いらしい。そういう人にはやはり著者同様、もともと文科系だったけれど、ナメクジへの興味が嵩じて生物学に転向したという人も複数紹介されている。


本書では、そうして集められた情報、考察に加え、文学におけるナメクジが取り上げられている。
残念ながら、ナメクジが登場する文学作品は数少ない。そしてその多くはけっして好意的なものではない。
著者が文学大賞を与えるとすれば、内藤丈草・中村草田男としている。(二人とも「草」が入っている。ナメクジの好物か。)内藤丈草は「芭蕉の十哲」に数えられる俳人だそうだが、次の一文が紹介されている(蛞蝓(かつゆ)とはナメクジのこと)。
多年屋ヲ負フ一蝸牛、化シテ蛞蝓トナリ自由ヲ得、
火宅最モ惶ル延沫尽ンコトヲ、法雨ヲ追尋シテ林丘二入ル

Teduka_Hinotori_namekuji.jpeg 文学作品というわけではないけれど、ナメクジが登場するフィクションといえば、本書でも触れられているけれど、手塚治虫「火の鳥-未来編」で、進化をやり直す過程で、ナメクジが知性を獲得し地球を支配する世界が現出し、そしてそれがあっけなく崩れていくというもの。

UltraQ-namegon.jpg もう一つ、私が覚えているのは、テレビ・シリーズ「ウルトラQ」で、巨大なナメクジが地球に飛来して、人類を脅かすもの。ただし、このナメクジ、最後は海に落ちてあっけなく死んでしまったと記憶している。

著者が本書を執筆して、一番希んでいるのは、「いみぢうきたなきもの なめくぢ」(枕草子)という、一面的で無思慮な言葉で片付けてしまう人が減ることだろう。

それにしても、全くの素人、関連分野の素養すら怪しい素人でも、探求心を持つことで、こんなに興味のひかれる本が書ける。
老境に入るものにとって、さわやかである。

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「ちいさい言語学者の冒険」

広瀬友紀「ちいさい言語学者の冒険―子どもに学ぶことばの秘密」について。
岩波科学ライブラリーの一冊。
やはりこのシリーズにはおもしろい本が多い。

子供のなにげない行動を、そのままやり過ごすか、そこにヒトの精神の秘密を読み解こうとするか。
発達心理学とか、本書の場合は言語学とか、ベースになる知識・理論を持っている人が見れば、子供の心で何が起こっているのか、こんなふうに洞察できる、そういう本。

本書の参考文献にも上げられているスティーブン・ピンカー「言語を生みだす本能」は随分前に読んでいるから、本書で紹介される事例やその解釈は、同書で読んだ覚えのあるものも多い。

ピンカーの本は音声言語の枠を超えないで洞察されているけれど(この本を書いた頃のピンカーはチョムスキー理論にかなり肩入れしていたと思う)、本書が最初にとりあげているのは、「『は』にてんてんをつけたら何ていう」のように、音声と文字システムのギャップをとらえている。

有声音―無声音の対応関係は、「ぱ」と「ば」。古い日本語では「は」は「ぱ」に近い「ふぁ」音。古い表記では濁点は記されないからかな文字上では音の変遷は追えないけれど、日葡辞書のローマ字綴りには反映している。これも外国人に教えられるということの一つかもしれない。


言語の研究といえば音声言語をベースに考えるのが正統なのかもしれないけれど、だからといって文字システムを否定、あるいは無視するのでなく、本書のように、音声言語と文字システムとの乖離を観察することで、かえって(音声)言語の習得過程の秘密を垣間見ることができるということかもしれない。

音声言語習得という事象に、文字習得というバイアスをかけることで、見えなかったものが見える――文字システムが試薬の役割りをしているといったら言い過ぎか――ということかもしれない。
つまり、文字システムとの乖離が子供を混乱させる要因になっていること、そしてその混乱がなぜ起こるのか考えるわけだ。
(そもそも、子供は、音声言語でも、文字でも、そこにシステム構造を無意識に嗅ぎ取るのだろう。)

文字システムから書き起こしているからまずそれについて評したけれど、その後は、やはり音声言語が中心になっている。
「過剰適用」や「適用拡張」といったピンカー本で指摘されている英語での事例も、日本人の子供であらためて確認されているわけだ。

本書では深入りは避けているようだけれど、ピンカーが大胆に「本能」と表現し、言語を生み出す「遺伝子」を想定したように、それは人類に共通だという証拠とも言える。


また、本書では、言語の隠れた法則を気づかせてくれるのは、子供や外国人だと指摘している。
これも、音声言語のシステムと文字システムの乖離から言語の秘密が垣間見えるのと同様、母国語システムと日本語システムの乖離から、それぞれの言語の秘密が垣間見えるということだろう。

子供の「間違い」には、言葉に関するものに限らず、思わず笑ってしまうようなものがたくさんある。そして、それがかえって微笑ましく、ネットにもいろいろな事例報告がなされる。
本書の著者も、そうしたネット情報もいろいろ参照して、事例収集をしているようだ。

小学校のとき、国語のテストで「右手の反対はなんですか?」という問に「左足」と答えて×をもらった覚えがある。そのときは、なぜ×なのか理不尽だと思ったのだが、今では、そのとき先生はきっと噴き出していただろうなぁと思いだす。


書評はやけに堅苦しい書き方をしたけれど、おもしろおかしく読める本である。
そうそう、イラスト(いずもり・よう)も楽しく、秀逸。
chiisai_genngo_gakusha_hirose.jpg

まえがき
第1章 字を知らないからわかること
 「は」にテンテンつけたら何ていう?
テンテンの正体
「は」と「ば」の関係は普通じゃない
子どもはテンテンの正体を知っている
「は」行は昔「ぱ」行だった
字をマスターする前だから気づく
子どもと外国人に教わる日本語の秘密
数があわない
納得できない「ぢ」と「じ」
第2章 「みんな」は何文字?
日本語のリズム
日本語の数え方は少数派
子どもなりの区切り方
じつはかなり難しい「っ」
「かににさされてちががでた」
必殺!「とうも殺し」
第3章 「これ食べたら死む?」
        ――子どもは一般化の名人
「死む」「死まない」「死めば」―死の活用形!
規則を過剰にあてはめてしまう
「死にさせるの」
おおざっぱすぎる規則でも、まずはどんどん使ってみる
「これでマンガが読められる」
日本の子どもだけが規則好きなのではない
手持ちの規則でなんとか表現してしまおう
普通に大人をお手本にすればいいのに?
第4章 ジブンデ! ミツケル!
教えようとしても覚えません
教えてないことは覚えるのになあ!
ジブンデ! ミツケル!
「か」と「と」の使い方は難しい
結局、何が手がかりになっているのか
第5章 ことばの意味をつきとめる
はずかしいはなし
「ワンワン」とは?
「おでん」とは?
「坊主」とは?
どうやって意味の範囲を最初に決めるのか
どうやって意味を修正するか
モノの名前でなく動詞の場合は?
そもそも、どこからどこまでが単語?
ことばの旅はおわっていない
第6章 子どもには通用しないのだ
ぶぶ漬け伝説
子どもに通じるか
ことばにしていないことがどうして伝わるのか
500円持っているときに「ボク100円持っているよ」は正しいか
子どもも大人のような解釈ができるか
相手の心をよむチカラ
周りの状況をよむチカラ
第7章 ことばについて考える力
ことばを客観的に見る
音で遊ぶ――しりとり
意味で遊ぶ――「踏んでないよ」
構文で遊ぶ――「タヌキが猟師を鉄砲で」
解釈で遊ぶ――「大坂城を建てたのは誰?」
音で遊ぶ(その2)――「がっきゅう○んこ」
ことばの旅路をあたたかく見守ろう
あとがき
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        参考文献・引用文献
カバー・本文イラスト=いずもり・よう
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「多数決を疑う」をもう一度

以前、「多数決を疑う」をとりあげたけれど、
その著者坂井豊貴氏は、「大人のための社会科―未来を語るために」でも3つの章を担当されている。
「GDP」、「多数決」、「公正」の3つの章である。

著者は、このそれぞれについて、アタリマエとして受け入れている、無批判に、あまり深く考えることなく使われることもあるこれらの言葉について、それぞれが持つ数学的挙動を考察している。
数学的遊びという評価をする人もいるだろうけれど、そういう人こそ、頭ごなしに、多数決は正しいと言い切るに違いない。

senkou_joukyou.jpg さて、前の記事でも説明を入れたけれど、「大人のための社会科」では、多数決というものを単純に信奉して良いかに疑問をなげかけるシンプルな例が紹介されていた。

一つは、単純多数決、決選投票(上位選択肢2を残して再投票)、ボルダルール(1,2,3位にそれぞれ3点、2点、1点を与える)の3種類の決定方法で、結果がすべて異なるという例。

これは前の記事でも書いたとおりだけれど、こっちのほうが「ペア比較」を省いて簡素化されているので、わかりやすい。


Ostrogolsky_paradox.jpg もう一つの例は、「オストロゴルスキーの逆理」というもので、複数の政策課題があって、人によってそれへの賛否の組合せが違うとき、一つ一つの政策の賛否と、全体としての賛否が逆になるというもの。

サンプル図は、5つの政党が3つの政策課題に対しそれぞれ賛否を表明している状況と考える。上3つの政党の政策がいずれも支持されていて、他の2党の反対意見はいれられない。結果、3つの課題のいずれも支持された形になっている。
ところが、一つ一つの政策課題に対して各政党ごとの賛否を調べると、どの課題についても支持されていない。


もう一つ、公平とは何かについておもしろい例が紹介されている。
初期ユダヤ教の口伝律法を書きとどめるという「バビロニア・タルムード」に書かれている、具体的な「公正」の計算方法が紹介されていた。
nuno_no_bunkatsu.jpg

2人の男が12単位の布の所有権であらそっている。一方(A)は12単位すべてが自分のものと主張し、もう一方(B)は6単位は自分のものだと主張している。さて、A,Bどちらの主張も正当性を立証できないとき、A,Bの取り分をどのようにするべきか。

という問題で、バビロニア・タルムードは、所有権を争っているのは6単位だけだから、これをA,Bで折半するのが正しいとしているのだそうだ。
これに対し、12を主張する人と、6を主張する人なのだから、その割合で分割すれば良いと考える人もいるだろうということだ。

もし、A,Bの主張の正当性評価が同等であるなら、私もバビロニア・タルムードのやりかたが自然だと思う。


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「大人のための社会科」

井手英策,宇野重規,坂井豊貴,松沢裕作「大人のための社会科―未来を語るために」について。

Otona_no_tameno_shakaika.jpg タイトルからは教科書みたいな印象を受けるけれど、実はその逆、つまり、お仕着せの社会科ではなくて、4人の気鋭の研究者による、現代社会を生きる人に、考えることの大事さを訴える本。

「序」に、「反知性主義へのささやかな抵抗」という副題が付いている。
読み進めれば、反知性主義的な事象を論駁しようとしている例が随所に出てくる。
そうなんだと納得する一方、「ささやかな抵抗」というのは、弱小な勢力にすぎないことを自覚しているということかもしれない。この人たちのような考え方を素直に受け入れない、あるいは難しいと思考停止する人は多いだろう。

また、『あえて「上から目線」で教科書を書く』としているのは「ささやかな抵抗」。
冒頭、お仕着せの教科書とは逆の本だと感想を書いたが、著者は上から目線の教科書と表現した。
よほど反知性主義に怒りをもっているのだろう、反知性主義と見える人に対しては、ちゃんと教導しなければならない、そのための教科書だという意識かもしれない。

研究者、専門家は、反知性主義者からは嫌われる側に身を置いていて、反知性主義あるいはポピュリズムの操作対象である大衆からは遊離し、何を難しいことをごちゃごちゃ言ってるんだと非難(あるいは無視)されることを承知しているということだ。

だから、本書を読んで、狙い通り、考える人が増えれば、著者たちへの尊敬も復活することになるだろう。

序 社会をほどき,結びなおすために(井出)
―反知性主義へのささやかな抵抗
 
 第1部 歴史のなかの「いま」
第1章 GDP(坂井)
―「社会のよさ」とは何だろうか
第2章 勤労(井手)
―生きづらさを加速させる自己責任の社会
第3章 時代(松沢)
―時代を分けることと捉えること
 
 第2部 〈私たち〉のゆらぎ
第4章 多数決(坂井)
―私たちのことを私たちで決める
第5章 運動(松沢)
―異議申し立てと正統性
第6章 私(宇野)
―自分の声が社会に届かない
 
 第3部 社会を支えるもの
第7章 公正(坂井)
―等しく扱われること
第8章 信頼(宇野)
―社会を支えるベースライン
第9章 ニーズ(井手)
―税を「取られるもの」から
  「みんなのたくわえ」に変える
 
 第4部 未来を語るために
第10章 歴史認識(松沢)
―過去をひらき未来につなぐ
第11章 公(井手)
―「生活の場」「生産の場」「保障の場」を作りかえる
第12章 希望(宇野)
―「まだ―ない」ものの力
という本なのだけれど、やはり教科書ではない。というのは、目次を見てわかるように、教科書のような、体系性・網羅性はない。
本書の構成は、思慮不足の人たちが無批判に繰り返す言葉に目を付けて、その言葉の本当の意味とか、それにまつわる社会事象の深さや拡がりというものを暴き立てる。。

各章は分担執筆のようだから、読み進むと、それぞれう~んとうならされるけれど、前後の関係はあまり見えない。反知性主義に体系があるわけではないだろうから、それにお付き合いして、反反知性主義を主張しても、組み立てが体系的にはならないということかもしれない。

ただ、執筆者が分担している章を並べて見れば、同一執筆者が持つ問題意識というか思考パターンは浮かび上がってくる。

たとえば、前に「多数決を疑う」をとりあげたけれど、坂井豊貴氏は、「GDP」、「多数決」、「公正」の3つの章を担当されている。このそれぞれには、アタリマエとして受け入れていることについて、それぞれが持つ数学的挙動を踏まえて、単純にこの言葉に代表させてよいものか、概念を使うときには、その定義・意味にも注意を向ける必要があると示される。

なるほどこれは反ポピュリズムと言って良い。言葉を表層理解と「勢い」にとどめ、アジテーションに用いるポピュリストからしてみれば、深く考えられては困るだろう。


「歴史認識」の章では、タイトルからすれば、日韓や日中の問題がとりあげられると予測できる。実際、慰安婦問題がとりあげられるのだけれど、その前に、歴史認識とはどういうことなのか、それが整理されて語られる。アタリマエのことだと思うけれど、出来事レベルと、解釈レベルがある。

ポピュリズムとフェイクは親戚関係である。著者は、せめて出来事レベルだけでもきちんとしよう、フェイクに惑わされないようにしようと考えているようだ。

そして、その基礎となるアーカイブが日本では発達していなかったことを指摘する。
慰安婦問題でも重要史料(上海領事館が、慰安婦募集について、警察に協力を求めた依頼文書が残っている)も、公的な記録としてではなかった。

そういえば、森友、加計問題でも文書はあっというまに廃棄されていたという。本当だとしたら、ヤバい資料だから急いで廃棄したのだろうか。


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「お茶の科学」

大森正司「お茶の科学―『色・香り・味』を生み出す茶葉のひみつ」について。

Ocha_no_kagaku_Omori.jpg ブルーバックスの1冊。
ブルーバックスには「コーヒーの科学」(旦部幸博)という本もある。こちらはいわば姉妹編(お茶が後だからさしずめ妹か)ということになるか。

中学生のとき、紅茶に凝ったことがある。
ダージリンとか、アッサム、オレンジペコとかイングリッシュ・ブレックファストといった種類のリーフティーを集め、自分専用のポットを使って紅茶を入れていた。
もちろん、お湯は沸かしたてを使い、カップは前もって温めておくのは当然である。

紅茶のブランド物などは田舎では手に入りにくい。比較的高級なもので、当時どこでも手にはいるものといえば、トワイニングぐらいだったと思う。今だとトワイニングのダージリンだと、今の価格で1,000円/100gぐらいじゃないだろうか。
この頃は、マリアージュ・フレールとか、ルピシアとか、高級紅茶の店が増えた。これらだともちろん種類によるけれど、2,000~3,000円/100gというところだろうか。ダージリン・セカンド・フラッシュとかこだわるとさらに高価になる。

もっとも、普段飲むなら、リプトンのイエロー・ティーバッグがなんといっても気を使わず、扱いやすくて、それなりに紅茶の味わいがある。(これ以下だと、香りも味もなく、色だけ着く。)

リプトンのイエロー・ティーバッグは、浸出時間が長すぎると色は濃く、味は苦くなるのに、1つで2杯出そうとすると、2杯目はやたら気の抜けたものになる。1杯だけではもったいない気がするのに、2杯にすると情けなくなる。2杯分ぐらいの大きなカップにたっぷり入れるのが良いのかな。(お茶を出す、お茶を入れる、同じなのに逆の言葉だなぁ)
なお、本書によると、正しい入れ方は、まずお湯をカップに入れ、ティーバッグをその中に浸して1分間ほどそのままにするというもの。もちろん2杯出そうなどという貧乏根性はダメである。


それに、ティーバッグを馬鹿にしてはいけない。
ティーバッグの場合は、リーフグレードで、D(ダスト)とか、F(ファニングス)、BOPF(ブロークン・オレンジペコー・ファニングス)という、細かい葉が使われるが、茶葉の品質として悪いわけではないという。

等級の高い煙草の切れ端で作るシートタバコが、低等級の通常刻み葉のタバコより味わいがあるのと同様ではないだろうか。


第1章 お茶の「基本」をおさえる
~どんなお茶も、すべて同じ「チャ」だった
第2章 お茶はどこからきたのか?
~チャと茶のルーツを巡る旅
第3章 茶葉がお茶になるまで
~色や風味はいつどうやって作られるのか
第4章 お茶の色・香り・味の科学
~おいしさは何で決まる?
第5章 お茶の「おいしい淹れ方」を科学する
~煎茶を“玉露” にする方法
第6章 お茶と健康
~なぜお茶は身体にいいのか
第7章 進化するお茶
~味も楽しみ方も変える技術
本書では、緑茶やウーロン茶、さらには後発酵茶もとりあげられている。
ウーロン茶などについてはわからないけれど、緑茶は、紅茶よりもずっと繊細である。昔から、田舎の茶舗でも、かなり高いものが売られていて、そういうお茶は、葉がピンと細く巻いて、その抽出前の葉の上品さは、紅茶の比ではない。そして、トワイニングのダージリンの数倍の値がついていたように記憶する。

緑茶、つまり日本茶といえば茶道、煎茶道というわけで、子供が自分の小遣いでできるようなものではない。それらは「修行」みたいなものだから、趣味というには違うような気がする。
結局、紅茶の方が無難で近づきやすい趣味なのである。(日本の伝統というのは、どうして、こう重々しくて高くつくんだろう。)

さて、昔から、紅茶といえば、ミルクかレモンかという論争があるけれど(本書でも書かれているが、種類によっても向き不向きがあるらしい)、私は基本はストレートである。

そういえば、ミルク・ティーは、紅茶にミルクを注ぐのか、ミルクに紅茶を注ぐのかという論争もあった。


この頃はミルクかレモンかで論争になるどころか、フレーバー・ティーというのが流行っている。
紅茶の有名店というところへ行くと、ダージリン・セカンド・フラッシュなんてものも置いてたりするのだが、フレーバー・ティーが広い場所を占めている。当然、ストレートのリーフティーよりバリエーションが豊富だからそういうことになるのだろう。

私はフレーバー・ティーというのは、あんまり好きじゃなくて、出されたら飲むとしても、喫茶店でそうしたものを注文したり、そうした種類の紅茶を買うことはない。

フレーバーということではないが、以前はブランデーを滴らしたりしたこともあったが、この頃はブランデー自体が我が家には常備されていない。


そう思っていたところ、本書で著者が一言。
ところが、最近ではこうした紅茶本来の味を知らない人も少なくありません。「紅茶が好き」いって毎日飲んでいる人でも、話を聞いてみると、口にしているのはフレーバーティーである人が意外に多いのです。
    <中略>
 「どんな紅茶が好きですか?」と訊いたとき、瞬時に「アールグレイ」とか「ローズティー」などと答える客人には、筆者は笑顔で、次回からは出がらしの紅茶を煮出して差し上げることにしています。
 フレーバーティーしか馴染みがない人に、紅茶本来の渋みや香り、重厚さを味わえるリーフティーを淹れて差し上げると、「これが本当の紅茶の味なんですか!?」とたいてい驚かれます。
フレーバー・ティーをお洒落だと思って飲んでいる人が聴いたら、何と思うだろう。
筆写はフレーバー・ティーを馬鹿にしているわけではないだろう。ただ、そうした装飾をほどこさない、ストレートなお茶の味わいというものを知ってもらいたいということだと思う。その上で、お茶に自分の好みの香りづけを楽しむ、それはそれで好き好きだろう。

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団塊フリーターの10年

仕事と人生の先輩であるA氏から、
“自分史「アートに生きる=団塊フリーターの10年」”という本が送られてきた。
奥付では、昨年12月28日印刷となっている。

P_20180118_222815_vHDR_On.jpg 細かい活字と、たくさんの写真が詰まった、かなりの分量の本である。
タイトルどおり、アートに生きるをされているようで、スッキリと落ち着いた編集のように思う。

書かれている内容については、自分史ということで、敢えて紹介も論評もするつもりはないけれど、定年退職後も、さまざまなことに挑戦して、見聞を広げ、センスを高めている暮らしが、いろいろな身辺に起こる事件とともに書かれていて、だらだらすごしている身としては敬服するとともに、我が身の至らなさを思い知る。

現役のときから、お洒落な人であったけれど、そしてこだわりのある人であったけれど、記憶をひもといても、「アートをする」(作品を作る)という姿は覚えていない。
氏のフリーターの10年は、意外にプロダクティブな10年だったのかもしれない。

そういえば、「世界ふしぎ発見」というテレビ番組で、アイスランドが紹介されていたのだけれど、アイスランド人の10人に1人は、自叙伝を執筆・出版していて、一般の本屋さんで平積みになって売られていて、また良く売れるという。番組中で、冬の厳しいアイスランドでは、冬の間、家族が集まって、暖を囲んでお話をする伝統から出たものだと解説されていた。

私はこうしてブログを書いているが、これが10年貯ったら、このような本を作れるだろうか。

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火あぶりにされたサンタクロース(続き)

muchiuchi-ojisan
鞭打ちおじさん
「火あぶりにされたサンタクロース」の続き。

昨日の記事で、論文の契機となった(と思われる)、ディジョンでのサンタクロース火刑事件について紹介したけれど、今日は、レヴィ=ストロースの考察について。(難解な論文なので、私の理解が違うかもしれないけれど)

著者は、まず、火刑となったサンタクロースは、第二次大戦後、アメリカの影響を受けて出てきたものと指摘する。教会がサンタクロースを火刑にしたのは、フランス・カトリックの伝統には存在しない、そして商業主義的な産物に、異教性を見たからなのだけれど、著者はそれだけでは済まさない。
商業主義に毒されたで済まさず、そもそもサンタクロースの来歴や受容態度の分析を行う。

まずは来歴としては、簡単に、サンタクロースが現れる前の「冬の祭り」について書かれ、クリスマスは、そうしたいろいろな習俗の断片を寄せ集めて成り立っていると説かれる。
また、およそクリスマスとは何の縁もないであろう、プエブロ・インディアンの「カチーナ」という儀礼との類似に注意を向ける。
Pere noel
ペール・ノエル
(クリスマスおじさん)

ほとんどすべての人間集団において、子供たちは、入念に管理されたあの種の神秘についての知識を知らされていないことによって、あるいはつくり話が張りめぐらす幻想のヴェールに阻まれて、男性の集団から排除され、分離されている。男性集団は、さまざまな工夫によって、自分が独占管理する神秘を、しかるべき時期がくるまで子供や女性に秘密にしておき、時期が来ればそれを若者たちに教え、それによって彼らを大人の集団に迎え入れるのである。
子供達に見破られないよう、大人たちが仮面をかぶり見事に変装し「カチーナ」神は出現する。サンタクロースはこの「カチーナ」と同じ種族に属している、という。

さらに、カチーナなどの儀礼では、神は実は子供である、そして実はそれは死者でもあるとする。
サンタクロースにまつわる儀礼や信仰が、イニシエーションに関係する社会学的範疇に属するものである限り(その点は全く明白だ)、これらの儀礼と信仰は、子供対大人という構図を越えて、死者と生者という、より根源的な対立の構造をあらわにしているのである。

私にはレヴィ=ストロースのような深い理解はちょっとついていけないところがある。
本当に、そうした文化の記憶が、現代のクリスマスのばか騒ぎにもあるんだろうか。

Goya,_Saturno_devorando_a_su_hijo そして、次に引き出されるのが古代ギリシア・ローマから中世にいたる「サトゥルヌス祭」である。ゴヤの『我が子を食らうサトゥルヌス』で有名なサトゥルヌスだけれど、宗教史学者や民俗学者の研究は、フランスのサンタクロースである「ペール・ノエル」の遠い起源が、中世の「喜びの司祭」や「サチュルヌス司祭」などにあることを認めているという。

サトゥルヌス祭は「怨霊」の祭りだ。すなわち、暴力によって横死した者たちの霊や、墓もなく放置されたままの死者の霊を祀るもので、その祭りの主催者であるサトゥルヌスの神は、いっぽうではわが子をむさぼり食らう老人として描かれるが、じつはその恐ろしい姿の背後には、それとまったく対照をなすように、子供たちに優しい「クリスマスおじさん」や、子供たちに贈り物をもってくる角の生えた地下界の悪魔である、スカンジナヴィアの「ユルボック」や、死んだ子供たちを蘇らせ山のようなプレゼントでつつんでくれたという聖ニコラウスや、夭折してしまった子供の霊そのものであるカチーナ神などが、しっかりとひかえているのである。

以前から、クリスマスというのは、もとは冬至の祭りであって、太陽が再び力を得る、死と再生の祭りがもとで、それをキリスト教会が、降誕祭につくりかえ、ガリアやゲルマンを教化する手段としたという説明がなされることがある。これについてもレヴィ=ストロースは深く洞察する。
そして、サトゥルヌス祭から引き続くクリスマスの狂気は、クリスマスの夜に行われるキャバレーのばか騒ぎが痕跡をとどめている。しかし、重要なのは、子供である。贈り物を強要する子供たちについては、中沢新一氏の論文「幸福の贈与」に詳しいかもしれない。

そして、論文は次のようにしめくくられる。
こうして見ると、ディジョンにおいておこなわれた異端者火刑は、はからずも、サトゥルヌス祭の王のあらゆる特徴を備えた、新たなヒーローを復活させてしまったのである。ディジョンの教会関係者たちは、サンタクロース信仰に、終止符を打とうとして、この火刑をおこなった。だが、皮肉にも、それによって、数千年にわたる消滅の後、ひとつの儀礼的形像を、まったき完全さのもとに、蘇らせてしまうという結果を、つくりだしたのだ。ディジョンのクリスマスにおこった、この奇妙な事件は、けっして小さなパラドックスに終わるものではない。カトリック教会は、儀礼を破壊しようとして、かえって、この儀礼の永遠性を証明する手助けをしたのだ。

American Santa
アメリカのサンタ
いかがだろう、とても難解で、私には消化しきれないので、適切な紹介にはならなかったと思う。

キリスト教徒がどのようにサンタクロースに向き合うのか、とても真摯な態度が見て取れるのだけれど、日本では、キリスト教徒でもないものが、クリスマスと騒ぎ、サンタクロースをありがたがると揶揄されたりする。サンタクロースを異教徒として火あぶりにしたフランスとはずいぶん異なる状況だ。

日本人は、サンタクロースも八百万の神の一つとして受容しているということだろうか、それとも商業主義に「純化」された(信仰を削ぎ落とされた)サンタクロースだけがやって来ているということだろうか。

ところで、中沢新一氏の論文、これはレヴィ=ストロース以上に難解なので、とても紹介できないが、中にもおもしろい言葉があったのでそれだけ紹介しておこう。

「商業はロゴス、贈与はエロス」

だそうだ。

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火あぶりにされたサンタクロース

IMG_20171223_141012s.jpg 世間はクリスマスなので、
「サンタクロースの秘密」
について。

地元の図書館では、ときどき利用者の気を惹くためか、便宜のためか、テーマを決めて展示棚に、蔵書を陳列することがある。

夏休みだと学校の課題図書が並べられたりするが、大人向けには郷土の歴史にかかるものとか、戦争・戦史にかかるものなどがテーマになっていたりした。

そして、先日図書館へ行ったら、クリスマス特集で、絵本・おはなし本などが集められていた。

31YAF09JZ4L.jpg その中にこの本、クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一「サンタクロースの秘密」が混じっていた。

レヴィ=ストロース(Levi=Strauss)といえば、ジーンズのメーカー(Levi's)ではないかという人もいるかもしれないけれど、私たちの年代だと、なんといっても「構造人類学」を打ち出した大学者である。
その著作が、子供向けの絵本の間にはさまっている。
なんと場違いな、子供が読んだらショックを受けるに違いない。

本書に、収録されているのは「火あぶりにされたサンタクロース」という論文(1952年)。
他、訳者でもある中沢新一氏の「幸福の贈与」が収録されていて、この論文を解釈・解説してくれている。

1951年、フランスのディジョンにおいて、サンタクロースが火刑に処せられた事件から説き起こし、人類学者らしく、サンタクロースの来歴の解説のみならず、人類学の観点から、「祭り」の意味や、社会における役割、人々の受容態度などが、分析されている。

まずは、レヴィ=ストロースの論文が引用している新聞記事を転載しておこう。

サンタクロース火刑に処せらる

      教区若者組の子供たちの見守るなか
      ディジョン大聖堂前の広場において

ディジョン、十二月二四日(フランス·ソワール現地支局)


 サンタクロースが、昨日午後、ディジョン大聖堂の鉄格子に吊るされたあと、大聖堂前の広場において、人々の見守るなか火刑に処せられた。この派手な処刑は、教区若者組に所属する多数の子供たちの面前で、おこなわれたのである。この刑の執行は、サンタクロースを教会の横領者にして異端者として<有罪>の判決を下した、聖職者の同意のもとに、決定された。サンタクロースは、キリストの降誕祭を異教化し、鳩のようにおとなしそうな顔をしながら,教会のなかに居すわって、ますよす大きな顔をするようになったとして、非難されたのである。
 とりわけ、サンタクロースの慣習が、各地の公共学校のなかに入り込みつつあることは、大きな非難の的となった。サンタクロースが登場してきたおかげで、学校でいままでおこなわれてきた『クレッシュ』の伝統(キリスト降誕の場面の模型をつくる風習)が、まったくおこなわれなくなりはじめているという。
 日曜日の午後三時に、白い髭のこの哀れな人物は、火刑に処せられた。過去には、多くの罪のない人々が、刑の執行を拍手を送りながら見物する人々の過ちを償うために、この人物と同じように、炎に包まれていったものである。炎は、この男の髭をなめつくし、まもなく男は煙のなかで、意識を失っていった模様である。
 刑の執行がすむと、ひとつのコミュニケが、読み上げられた。
 概要は次のとおり。「虚偽と闘うことを望む、教区内のすべてのクリスチャン家庭を代表して、二五○名の子供たちが、ディジョン大聖堂の正門前に集まり、サンタクロースを火あぶりにした」。
 ここでおこなわれたことは,たんなる見世物ではない。これは立派な象徴的示威行為なのである。サンタクロースは、ホロコーストの犠牲者となったのだ。たしかに、虚偽が子供の心に宗教的な感情を目覚めさせることなどありえない。ましてや、いかなる意味においても、それを教育に用いてはならない。しかし、多くの人々が書き、また語っているように、人々がサンタクロースに望んでいるのは、この人物が、悪い子供にお仕置きをするためにあらわれたという、あのただ怖いだけの『鞭打ちじいさん』の向こうを張って、子供たちのための優しく気前いい教育者としてふるまってほしい、ということなのである。
 私たちはクリスチャンであり、それゆえクリスマスはあくまでも、救世主の生誕を祝う祭りの日であってほしい、と望んでいる。
 大聖堂前広場における、このサンタクロース火あぶりの刑の執行は、人々の話題の種となり、カトリック教徒の間でも、盛んな討論を引き起こしている。
 突然のこの示威行為は、その計画者たちでさえ予想していなかった、大きな波紋をつくりだしそうな気配である。
    ・・・・・・・・・・・・
 この事件についての、町の人々の意見はまったく二分されている。
 ディジョンでは、大聖堂前広場で昨日殺されたサンタクロースの復活が、待ち望まれているところである。サンタクロースは、今夜の六時に、市役所において復活する予定になっている。公式発表によれば、例年どおり今年も、サンタクロースはディジョンの子供たちを自由広場に集合させ、スポットライトを浴びながら市庁舎の屋根の上を歩き回り、子供たちに話かけることになっている。
 なお国会議員でディジョン市長のキール氏(司教座聖堂参事会員)は、この微妙な問題については、コメントを避けている模様である。

いやはや、昨今はやりのフェイク・ニュースか、「虚構新聞」みたいだけれど、まぎれもない事実なのである。
この事件、サンタクロースについてのレヴィ=ストロースの考察は(難解なので)、あらためて。

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牛車で行こう!

gissha_de_ikou.jpg 京樂真帆子「牛車で行こう! 平安貴族と乗り物文化」について。

「平安人の心で『源氏物語』を読む」など、平安時代(といっても貴族中心)の生活がどんなものであったかは、当時の文学作品を読む上で役にたつだろう。

この本の存在を知ったのは、ときどき読書の参考にするネットの書評でとりあげられていたから。

 牛車は、平安貴族の乗り物である。ぎっしゃと読む。
 なぜ牛だったのか。
 乗るなら馬車のほうが速いのでは?と思ってしまうが、本書によれば、牛車は乗り手が一定以上の身分であることを示すもので、それに乗っていること自体が重要だったという。急ぐときは男性ならやはり馬に乗ったようだ。
 牛の車は、今でも物の運搬に使っている国があったり、朝鮮半島では囚人の護送に使っていたそうだが、どういうわけか平安朝では高級車だった。身分によって乗れる車種が異なり、あえてランクの低い車に乗って身を隠したり、同車(同乗)したり貸し借りすることで政治的に利用されたりもしたらしい。
 本書には牛車の車種や利用作法だけでなく、そうした知略や駆け引きについても紹介されていて、当時のありようがよくわかる。
 室町期までにはすっかり廃れてしまったそうだが、言われてみれば奇妙な文化だ。気になる。

朝日書評:[評者]宮田珠己(エッセイスト)、2017年08月27日


はじめに―ドライブ前の点検―
第一章 車を選ぼう
 車種と身分・階層
 牛車の身分規制
 偽装する車
(1)素性を隠す/(2)性を偽る―女車―
 車の所有・貸与・相続
 受領の牛車
第二章 牛車で行こう!
1 では、乗り込もう
牛車は後ろ乗り/牛車は四人乗り
2 車を走らせよう
牛車のスピード/車中の工夫/車を引く牛/移動の風景
3 車を停めて、降りて、片付けよう
その前に門をくぐる/車を停める一工夫/車から降りる/車を片付ける
第三章 歩くか、乗るか?
1 歩く貴族
寺社参詣は徒歩で/徒歩移動すべき空間/歩きたくない、歩けない
2 輦車宣旨と牛車宣旨
輦車と腰輿/中重の輦車宣旨/牛車宣旨
3 平安貴族と騎馬
騎馬での移動/騎馬の作法
第四章 ミヤコを走る檳榔毛車
1 檳榔毛車とは何か?
2 檳榔毛車の作法
乗車の身分規制/檳榔の入手
3 ミヤコのなかの檳榔毛車
行列を飾る/物語世界への反映
第五章 一緒に乗って出かけよう!
1 女房たちの同車
職務の中での同車/いやなやつと乗り合わせた場合/上座・下座
2 同車に表れる人間関係
同車する人々/演出される同車
3 そして一緒にどこへ行くのか?
右京へ/西山へ/東へ/南へ
第六章 廃れたからこその牛車
1 廃れる乗車文化
2 牛車研究の金字塔『輿車図考』
松平定信という文化人/『輿車図考』について
3 『源氏物語』の牛車
『源氏物語』にみえる車の種類/車の中の様子/「一つ車に乗る」人たち
あとがき
これでもう私ごときが書評を書く必要などはないと思うけれど、少し補足しておこう。
今まで、年中行事や通過儀礼などの話、建物や調度の話、そういうものは結構、作品解説などでも目にすることがあったけれど、牛車に的を絞ってというのは、とてもおもしろい着眼であると思う。

それも、牛車という道具の構造や運転といったことだけでなく、牛車に乗るとはどういうことかという考察がおもしろい。
たとえば、車種(唐庇車、檳榔毛車、糸毛車、網代車)によって、乗っている人物の地位がわかるとか、内裏内を牛車で通行できる許可(牛車宣旨)など。物語では、行列の様子を、牛車の種別・台数を細かく描写することで、その壮麗さが当時の読者には良くわかり、また、現代の読者にとっても、当時の感覚を共感できるというものだと思う。
また、寺社参詣には徒のほうがご利益があると考えるというのも、なかなか親しみがわく話。
とりわけ、同車(相乗り)というのが、当時の具体的な人間関係を推し量る材料になるというのは実に興味深い。
いついつ、どこへ、だれと同車した、という事実が当時の日記には多く記載されているらしい。

このブログでも、誰と飲んだとか具体的に名前を書けば良いのだろうけど、プライバシーに関わることなので書けない。人目にさらすのはいろいろ制約がある。

著者は、これらの同車の記録を分析すれば、当時の政治的な動きを追跡できると指摘されているが、未だその作業は十分には進んでいないようだ。

未だ「密室で何が行われたのか!?」といった週刊誌の記事のレベル。
同車というわけではないかもしれないが、次のような記述もある。

 車宿は車庫であるので、人目に付かない。それを利用したのが、敦道親王である。ある時、和泉式部と一緒に乗ってきた車を車宿に入れておいて、いったん自分は外に出て、人目をはぐらかした(『和泉式部日記』)。一人で乗ってきて、車宿に車を片付けたと見せかけるのである。夜になってから親王は車宿にやって来て、車の中に待たせていた和泉式部と車中で時を過ごした。

ギッシギッシ……

宿直の男たちの気配を感じながらの、スリリングな逢瀬である。

なお牛車には畳が敷かれているそうだ。


ところで、本書によれば、松平定信が「輿車図考」という本を残しているそうだ。これがなかなかのもので、本書もこれに多くを負っているという。また、各種の図版で使われている牛車の絵は、この輿車図考から、あるいはそれを参考にして描かれたものが多いという。

sadanobu_yoshazukou.jpg

輿車図考(国立国会図書館デジタルコレクション)から


定信といえば、あまり良い印象はもっていない。
田沼意次への反動からか、やたら厳しい倹約を求めたり、歌舞伎や浮世絵の統制、なにより経済の発展というものを理解しなかったこと。
吉宗の孫として生まれたにもかかわらず、白河藩へ放り出され、将軍になれなかった恨みやら何やらで、いじけて、自意識過剰で、暗くて歪んだ性格の持ち主。そんなイメージ。

このあたり、みなもと太郎「風雲児たち」での描き方に染まっているかも。

ではあるけれど、江戸時代に名代官が輩出した理由の一つは、定信が人事改革を行ったことがあるという。上から目線のきらいはあるのだろうが、それなりに道徳が身についていたのであろう。

その定信が政治的に失脚したあと、文化活動に打ち込んでいて、その一つが「輿車図考」だということである。
松平定信、ええ仕事するやないか。

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モテる構造

Moteru_Kozo_Amazon.jpg 山田昌弘「モテる構造―男と女の社会学」について。

別にモテたいと思って読んだわけではない。
これは、ハウツー本ではない、念のため。


本書に、あたりまえのことがなぜかを探るのが社会学と書かれているとおり、とりあげられている事象の多くはあたりまえのことである。

著者が現代日本人だからで、異文化に育った人なら、また違う「あたりまえ」があるのだろうけど。


「女がズボンをはいてもおかしくないが、男がスカートをはいたらおかしい」というあたりまえのことが、どうしてあたりまえなのかを考える。

近世ヨーロッパの王侯貴族の家では、男の子は女装させて育てることがあるという。これは男の子のほうが悪魔などに狙われやすく、悪魔の眼を誤魔化すためという意味があったと、(あやふやだけど)聞いた覚えがある。


「男がやることを女がやって何がおかしい」は大きな声になるけれど、「女がやることを男がやって何がおかしい」はそうではない。

moteru_kouzou_zu-crop.jpg 本書では、こうした事例をいろいろ考えて、抽象化すれば「性の非対称性」とまとめている。

「非対称性」とは、特定の尺度での軽重を問うものではなく、論理的あるいは論理操作上の意味。


それに「できる|できない」ということと、「モテる|モテない」を組み合わせて、非対称性が発生する理由を説明する。
私の理解では、「できる|できない」は男女にかかわらず集団内での順位づけ、「モテる|モテない」は異性から見た順位づけということになると思う。

本書のもう一つの指摘であるが、マズローの欲求段階でいう社会的欲求(帰属欲求)の基本に、性への所属欲求があり、これが人間の社会生活から性(ジェンダー)を排除できない理由である。
そしてジェンダーには「らしさ規範」がつきまとう。「男らしさ」、「女らしさ」である。

この、らしさ規範に男女の非対称性がある。
多くの社会の「らしさ規範」では、女はそのまま女になるが、男は努力して男にならなければならない。男も女も通常は女(母)に育てられ、女の子はいつまでも女でいられるけれど、男の子はどこかで女からわかれなければならない。

そして、その規範にのっとった行動が、らしさ規範を守る男女を再生産する。だから、男女が社会的に異なる扱われ方をする構造は維持されつづける。

本書に、3つ以上の性がある社会のことについても言及されている。残念ながら私はその典拠については知らないのだけれど、そういう社会が存在するということだけでも、社会的性という概念が虚構でないことがわかる。


「ガラスの天井」は、それをなくせと言うだけでは問題の解決にはならないだろう。

「ガラスの天井」が女性の社会的地位の制限という意味なら、簡単に壊せる。なぜなら女性が高い地位に上がることは、忌避されるようなものではないから。ただし、現状では、家事をこなす「女らしさ」がバランスをとらなければ受け入れられにくいという問題がある(サッチャーが家事をする姿をことさらアピールした)。


ところで、著者が学生時代に、誰から聞いたのか、出典はなになのかわからないが、耳に残っている話があると、本書冒頭で紹介されていた。それは、
男にとって男は 
男にとって女は 
女にとって男は 
女にとって女は 

のクリックで答えを表示


自分が育ってきた文化的背景について無意識・無批判に、「女がやることを男がやって何がいけない」と言っているようでは、コトの本質は見えてこない。
相対化、客観化し、俯瞰する社会学の視点。好きだ。

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日本の近代とは何であったか

Nihon_no_kindai_towa_nannde.jpg 三谷太一郎「日本の近代とは何であったか―問題史的考察」について。

異なる著者による歴史の本を読むと、いつも何かしら新しい発見とか気づきということがある。
それは、もともと自分が持っていた疑問に答えるものである場合もあるし、疑問に思っていなかったけれど問題視すべきだという場合もある。
本書は、各章のタイトルでわかるように、そうした「なぜ」を正面から提示したものと読める。
近代日本がどうやって生まれたのか、それが東アジアでなぜ日本だけだったのか。

タイトルを拾い読みしただけで、やたら重たい本ということがわかる。その中から、特に私に気づきを与えてくれた部分を拾ってみよう。

序 章 日本がモデルとしたヨーロッパ近代とは何であったか
 
第一章 なぜ日本に政党政治が成立したのか
 1 政党政治成立をめぐる問い
 2 幕藩体制の権力抑制均衡メカニズム
 3 「文芸的公共性」の成立――森鷗外の「史伝」の意味
 4 幕末の危機下の権力分立論と議会制論
 5 明治憲法下の権力分立制と議会制の政治的帰結
 6 体制統合の主体としての藩閥と政党
 7 アメリカと対比して見た日本の政党政治
 8 政党政治の終わりと「立憲的独裁」
 
第二章 なぜ日本に資本主義が形成されたのか
 1 自立的資本主義化への道
 2 自立的資本主義の四つの条件
 3 自立的資本主義の財政路線
 4 日清戦争と自立的資本主義からの転換
 5 日露戦争と国際的資本主義への決定的転化
 6 国際的資本主義のリーダーの登場
 7 国際的資本主義の没落
 
第三章 日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか
 1 植民地帝国へ踏み出す日本
 2 日本はなぜ植民地帝国となったか
 3 日本はいかに植民地帝国を形成したのか
 4 新しい国際秩序イデオロギーとしての「地域主義」
 
第四章 日本の近代にとって天皇制とは何であったか
 1 日本の近代を貫く機能主義的思考様式
 2 キリスト教の機能的等価物としての天皇制
 3 ドイツ皇帝と大日本帝国天皇
 4 「教育勅語」はいかに作られたのか
 5 多数者の論理と少数者の論理
 
終 章 近代の歩みから考える日本の将来
 1 日本の近代の何を問題としたのか
 2 日本の近代はどこに至ったのか
 3 多国間秩序の遺産をいかに生かすか
 
あとがき
私がかねてから疑問に思っていたのは、今の日本は、植民地などないにもかかわらず、豊かで繁栄している国になっている、なのに、どうして戦前の指導者たちは、満州を生命線と呼び、植民地を確保しなければ日本の繁栄はないと判断したのだろうかということ。
同じことだけれど、当時、列強は植民地は持っているけれど、東アジアにおいては「自由貿易帝国主義」(この言葉も本書より)というスタイルをとって、植民地帝国路線はとらなかったのに、何故、日本はそれら先進国に倣うことをしなかったのか。
現代日本の姿である、貿易立国、技術立国のビジョンが当時の政府に持てなかったとしても、そもそも戦争しても勝てっこないなんてわかりきったことじゃないか。どうして列強との摩擦必至の大東亜共栄圏(これも開戦後に慌てて作った概念らしいが)になるんだろう、馬鹿じゃないなら。

こうした疑問に対して、本書はかなり丁寧に当時の状況を解いてみせる。


もう一つ挙げよう。
私はあまり意識してなかったが、天皇が神であるとはどういうことか、という問題がある。
天皇は、おそらく自分が神だなどとは思っていないだろう。そもそも皇室祭祀といわれるものには、明治になってから整備されたものも少なくないという。
そうした自意識や環境の中で、天皇を神格化するとはどういうことなんだろう。
戦後の「人間宣言」というのがある。はじめ天皇は、もともと自分に神格があると思っていない、ないものをないと言う必要があるのかと言ったそうである。しかし、この宣言は占領政策には大変効果があったという。
そして続いて「象徴天皇制」を編み出したのは、もともとの天皇神格化の効果を、かなりの程度、戦後にも引き継ぐ妙案だったということになるようだ。そういう意味では、天皇とは、まさに政治的存在と言えるかもしれない。

このあたりは本書のあとがきに簡潔にまとめられているから引用しよう。
第四章は、近代天皇制への問いであります。これはもちろんバジョットが提示したようなヨーロッパの「近代」概念を前提とした問いではありません。しかしそれは明治国家の設計者たちが「近代化」を「ヨーロッパ化」として行おうとした際に、ヨーロッパの原点に「神」があると認識したことを前提とした問いであります。彼らは、日本をヨーロッパ的国家としてつくり上げるためには、天皇はヨーロッパの「神」に相当する役割を果たさなければならないと考えたのです。もちろん現実の天皇は「神」に代替することはできません。そこで明治国家の設計者たちは、天皇を単なる立憲君主に止めず、「皇祖皇宗」と一体化した道徳の立法者として擁立したのです。
日本の近代は一面では極めて高い目的合理性をもっていましたが、他面では同じく極めて強い自己目的化したフィクションに基づく非合理性をもっていました。過去の戦争などにおいては、両者が直接に結びつく場合もありました。今日でも政治状況の変化によっては、そのような日本近代の歴史的先例が繰り返されないとは限りません。

「何故、あんな馬鹿な戦争をしたんだ」というだけでは、歴史を学んだことにはならない。一部の人からは自虐史観だといわれなき非難を浴びるかもしれない。
その時代がどういうものだったのか、内外の諸情勢を踏まえて、評価しなければならないことは当然だろう。
しかし、やはり思う。
台湾や朝鮮半島を植民地化するのではなく、ロシアや中国へのバッファーをかねて、「友好国」にできなかったんだろうか。

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菊と刀

kiku_to_katana.jpg 今日は日米開戦の日。
ということで、ベネディクト「菊と刀」(角田安正訳)をとりあげる。

この本は、先の戦争で米国が対日戦を闘う上で、戦後の占領政策を実施する上で、日本人というものを理解しようという、軍事的な要請がベースにあること、そして、ベネディクトは、日本文化を理解するキーワードとして、「恥」と「恩」を抽出したことぐらいは知っている。

大変有名な本で、文化人類学に関心を持っている者なら、読んでいておかしくないはず。
だけど、私としては、関心はあるけれど、さすがにあまりに古い(1946年)本だから、今さら金を出して読むのもどうかなぁと、今まで読まずに来た。

そう思っていたら、Amazon prime readingの対象書籍となっていて無料で読めるので、この際、読んでみることにした。また、翻訳は新しいもので、ベネディクトの間違いなども注釈してある。

あらためて驚くのは、著者は、日本研究とか東洋研究を専門にしているというわけではないこと。さらに、日本を訪問したことがないということ。

目次
謝辞
第1章 研究課題──日本
第2章 戦時下の日本人
第3章 応分の場を占めること
第4章 明治維新
第5章 過去と世間に負い目がある者
第6章 万分の一の恩返し
第7章 義理ほどつらいものはない
第8章 汚名をすすぐ
第9章 「人間の楽しみ」の領域
第10章 徳目と徳目の板ばさみ
第11章 鍛練
第12章 子どもは学ぶ
第13章 敗戦後の日本人
解説 角田安正
年譜
訳者あとがき
「菊と刀」のベースになっているのは、軍の要請で作成された「日本人の行動パターン」という報告書ということだが、著者が日本研究に携わってから、わずか3ヶ月ぐらいで出されたらしい。そして、それを下敷きに、1946年には、一般向けとして、本書が出版されている。
著者が利用できたのは、軍が集めた資料―おそらく日本研究論文、旅行記、日本国内の出版物などだろう―、研究協力者の日系人からの情報だと思うが、この限られた情報から、日本人の行動のベースにある「構造」を抽出する。

この洞察力には感服する。もちろん、そのすべてが当たっているとは思わないが。

著者は学生に「菊と刀はあまり読まないように」と言ったと伝えられるが、それは、日本人なら明らかに間違いを指摘できるところが散見されるように、十分な時間をかけて吟味されたものではなく、勘違いすらもそのまま活字になったということを意味するのだと思う。


こうした日本研究が軍に必要とされたのは、米国人からは全く理解できない日本兵の行動を目の当たりにしたからである。
欧米基準でも賞賛される紳士的振舞いと、卑劣・残酷な振舞いの同居、徹底的に抵抗するかと思えば、驚くほど従順であること、などなど。
それをなんとか理解しようとするために、その行動の背後にある日本人の思考や認識方法、つまり文化の深層を分析したのである。

そして、それはかなりの点でうまく行った、実用的な意味でも。
多くの米国人が、日本進駐時には多大な抵抗、テロを心配したが、ベネディクトはそうはならないと考えていたようだ。進駐軍もはじめはその意見に半信半疑だったに違いないが、結局は占領政策に活かされたのだろう。たとえば、天皇を残し、政府を失ったドイツとは異なり、日本政府を通じての占領統治というやりかたを採用したことなど。

敗戦から五日もすると、まだ米軍が本土に上陸する前だというのに、東京の有力紙である毎日新聞は、敗戦とその結果もたらされる政治的帰結について論評し、次のように言ってのけた。「だが、それはすべて、究極的に日本を救うのに役立ったのだ」。その社説が力説したのは、全面的な敗北を喫したということを片時も忘れてはならない、ということである。露骨な軍事力にもとづいて日本を建設しようとする努力が完全に破綻した以上、今後は平和国家の道を歩まなければならない、というわけである。

  :

降伏の十日後、読売報知新聞は「新たな芸術と新たな文化の始まり」について論じ、次のように言ってのけた。「軍事的敗北は一国の文化の価値とは何の関係もない。そのような強い信念を胸に刻みつけておくべきである。軍事的敗北は原動力として役立てるべきである。(中略)敗戦を経験したればこそ、日本国民は本気で関心を世界に向け、物事をありのままに客観視することができるようになったのである。日本人の思考を歪めてきたあらゆる非合理性は、忌憚なく分析することによって取り除かなければならない。(中略)この敗戦を厳然たる事実として正視するには勇気が要る。(だが、私たちにはすべきことがある。それは)日本の明日の文化に信頼を置くことである」。日本人は一つの行動方針を試し、敗北を喫した。これからは平和的な処世術を試みよう、というわけである。日本の新聞の論説は次のように繰り返し唱えた。「日本は世界の国々の間で尊敬を勝ち得なければならない」。つまり、新たな基準にもとづいて尊敬に値する国になることが、日本人の義務であった。
本書を批判する人も多いらしい。
中には、上述のとおり、端々に見られる間違いを見つけて、日本を理解していないという批判がある。
しかし、本書で指摘されるまで、「恥」や「恩」というキーワードで日本人の精神構造を解いてみせるような視角、文化人類学的洞察力を、日本人は持っていたのだろうか。それらのキーワードが適切かどうかは措いて。
戦後、「タテ社会」、「甘えの構造」など、さまざまなキーワードを使って、日本人論が展開されるが、本書はそうした研究に刺激をあたえたに違いない。(だから、文化人類学の講義でも、本書は推薦図書になっていたのだろう)

Amazonのレビューには、日本人を見下しているというようなものもあるが、ベネディクトは文化相対主義者であり、本書でも、善悪、優劣などは全く論じていない。そうした分析では実用性は乏しいうえに、対日戦も占領政策も失敗したにちがいない。

批判的な意見に対して思うのだが、そういう人たちは、他所の人に見透かされることが気に入らないのではないだろうか。それが当たっていれば反発し、そして当たっていなければ立腹する。理解してほしいと言いながら、見透かされると腹を立てる。(このへんが恥の文化かもしれない。客観的には恥知らずの行為であるようにも思えるが。)

本書の最終章は「敗戦後の日本人」である。
ベネディクトと占領政策の関わりについてはわからないけれど、おおかたの米国人をびっくりさせる日本人の掌を返したような占領軍への対応―頑強な抵抗が心配されたが実際には従順に従い、むしろ解放軍扱いで歓迎された―についても、ベネディクトは解説してくれる。

日本国憲法を占領軍の押し付けだと言う人たちがいるが、ベネディクトの見方はそうではない。 占領軍によって、目標は与えられた―民主的で平和な国をめざせ―が、それにいそいそと努力したのが戦後の日本人の姿なのである。押し付けられて、いやいややらされたものでは決してない。

もちろん、その目標自体が誤りであったという人もいるわけだが。


西洋人は、原理原則としか考えようのないものがこのように切り替わるのを目の当たりにすると、それに疑いをかける。しかし日本では、処世と変わり身は切っても切れない関係にある。そのことは、人間関係と国際関係のいずれにも当てはまる。日本人は、目標の達成につながらない行動方針に乗り出したのは「失敗」だったということに気づいている。行動方針が失敗に終わると、日本人はそれを見込みのない大義として放棄する。

  :

日本人は、嘲笑されるとひどく憤慨するが、「当然の帰結」は甘受する。「当然の帰結」は、日本の降伏条件次第では非軍事化やさらには過酷な賠償金の取り立てまで含むにもかかわらず。
控え目に言って、誘導されたのかもしれないが、その誘導に従ったのは、当時の日本人の意思だ。その時代の気分が、現憲法を生み出したのだ。それが日本人的、日本人の本質というべきなのだ。
これは他の国の対応とは違う。他国では敗戦は自国の否定だが、日本ではそうではない。ただのリセットにすぎない。やりかたを変えようということにしかならない。
そう考える、そう考えてなんら後ろめたさを感じないところが、日本的なのである。
今更、押し付けられたとか、騙された(誘導された)と怒るのは、ちょっと違うだろう。

どこの国民も、自分たちの行動、そしてその背後にある精神構造について、客観的に見る目を持つべきだろう。
それらを変える必要性があるかどうかは別として、少なくともなぜ自分たちの行動が理解されないのか、理解しないほうが悪いのではなくて、どこに理解を妨げる原因があるのかを理解するために。そして、戦争に勝ちたいのならなおさら。

「菊と刀」はそのことを教えてくれる本だと思う。

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名代官の時代

Sakanobori_nihonshi_tenkataihei.jpg 磯田道史「さかのぼり日本史⑥“天下泰平”の礎」という本がある。
NHKの同名番組の素材を本にしたもので、テレビ用だから眼を惹くトピックス的な事件をとりあげて構成されている。

その中に、江戸時代には名代官が多くいたということが、陸奥国塙代官の寺西封元を例にあげて書かれていた。
他書でも江戸時代の代官が優秀だったという記述を読んだことがあるけれど、ここまで具体的な記述は瞠目すべきもの。
まず書いておかなければならないのは、代官が優秀というのは、まず第一に年貢をきっちりとりたてるという尺度で測られるのだろうと思っていたわけだが、紹介されている例は、決してそれだけではないということ。

たしかに、年貢をきちんととることが大目標なのかもしれないが、それには農業生産のインフラを整えたり、天変地異への備え、農民の教育や農民個人の事情を汲んだ労働環境の整備、そうしたもろもろのことが施策となる。

はじめに
第1章 「鎖国」が守った繁栄
露寇事件(1806年)
第2章 飢饉が生んだ大改革
浅間山噴火・天明の飢饉(1783年)
第3章 宝永地震 成熟社会への転換
宝永の地震・津波(1707年)
第4章 島原の乱 「戦国」の終焉
島原の乱(1637年)
そして、これを実施するために幕府から予算が降りて来るというようなことはないだろう。ということは、代官の治政というのは、年貢の徴収さえきちんとできていれば、あとは代官のやりたいようにできるのかもしれない。

その年貢徴収もきちんとしていただろう寺西封元、およそ福祉ということに縁のない江戸時代にあって、地方レベルで見事な福祉政策を行っていたということである。

偉い人がいたんだという感想、該当箇所の抜き書きを載せて、本記事は終えることにする。

 そうした新規代官の1人が、陸奥国塙代官の寺西封元です。寺西は寛政四年(一七九二年)に代官として陸奥国の塙(福島県東白川郡塙町)に赴任。塙領六万石と常陸小名浜領三万石を管轄し、文化十一年(一八一四年)からは陸奥桑折領五万石も加わり、文政十年(一八二七年)に亡くなるまで代官を務めました。在職期間は実に三十六年。それ以前の塙代官の平均在職期間は二年十ヵ月(三年六ヵ月の説も)ですから、当時としては異例の長さだったことがわかります。
 寺西はこの地に赴任するとすぐ農村をくまなく巡回し、その荒廃ぶりを目にします。そして、ただちに農村·山村の復興へと乗り出しました。寺西は、橋の修築や護岸工事などの土木行政を推進します。こうした施策は社会資本の整備を進めるとともに、雇用を生みだす効果もありました。あるとき、寺西は村人たちに、公園づくりを命じます。その公園は現在、塙町の中心にある向ヶ岡公園です。庶民の遊楽の地として造成されたものでしたが、寺西はその工事によって飢饉で苦しむ周辺住民に仕事を与え、生活を支えようとしたわけです。公共事業には、貧民救済の目的もあったのです。
 また寺西は、思いのほか農村に子供の姿が少ないことに目を留めます。当時、貧しいこの地域では、生まれた子供を間引きする習慣が蔓延していました。農村の復興のためには人口の増加を図ることが不可欠だと考えた寺西は、間引きを止めさせるために「小児養育金制度」を創設します。具体的には、子供が生まれた家には養育料として一~二両を支給し、さらに困窮者には籾二俵を支給するなど、貧しい家でも子を養育できるようにしたのです。
 そのほかにも、労働人口を増やし地域活性化を図るために他国からの住民移住を奨励したり、領内各地で心学講和会を開いて農村の教化に努めたりするなど、寺西の民政は多岐にわたり、その成果は近隣の諸藩からも注目を集めるようになります。寺西本人も、民衆からの尊崇を集めるようになりました。文政十年二月十八日に寺西は七十九歳にして他界しますが,その知らせが領内に伝わると、村人たちは慟哭し、父母の死に遭ったかのように別れを惜しんだといいます。
 その遺徳をしのび、領内各地には寺西を祭神とする寺西神社や寺西大明神が建立され、顕彰碑、頌徳碑も建てられました。また、子供の養育にも力を尽くしたことから子育ての神と称えられたため、今も残る塙町の代官所跡には、寺西を偲んで「子育て地蔵尊」が祀られています。地域の婦人たちは毎月ここに集い、子育て祈願に訪れる人に寺西の教えを説いています。子供を大事にすることで荒廃した地域を立て直すという寺西の発想は、近代以降の人権思想にも通じるものと言えます。
 寺西のように、民政を重んじる代官はこの時期、各地に現れました。代官の民政をたたえた記念碑や顕彰碑、さらには生前から代官を神としてまつる生祠は全国で九十一ヵ所にのぼり、そのうち江戸時代に建てられたものは七十六カ所を数えます。対象となった代官は四十三名に達します。
 彼らは、その善政や行政手腕によって民衆の支持を集めた、いわゆる「名代官」でした。こうした名代官の存在に象徴される、人びとの生命と生活を重視する善政が行われることで、未曾有の天災や飢饉によって疲弊した江戸時代の社会は危機を脱し、農村の復興へとつながっていったのです。水戸黄門などのテレビドラマによって「代官」といえば今ではすっかり悪人ですが、江戸時代のとくに後半以降、この国の行政を現場で支えていたのは、彼ら代官たちと、村の庄屋の努力でした。幕府でも藩でも郡奉行や代官には、武士のなかから、学問のあるそれなりの人物をつけることになっており、彼らは悪人どころか、むしろ能力の高いエリートも多かったことを申しそえておきます。

磯田道史「さかのぼり日本史⑥“天下泰平”の礎」
第2章 飢饉が生んだ大改革


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古代東アジアの女帝

Higashi-Asia_no_jotei.jpg 入江曜子「古代東アジアの女帝」について。

「女帝」という言葉に惹かれて読んでみた。
同じ言葉をタイトルに使っている本としては、「女帝の歴史を裏返す」「美貌の女帝」、いずれも永井路子の著作。

永井氏の著作もだけれど、歴史として残っている事実の断簡を、どう整列してストーリーとするのか、とりわけ古代史ではその幅が広いように思う。

本書の大きな特徴は、具注暦、そのうち十二直と呼ばれる吉凶占いが、政治日程に影響しているという着想。

普通の史料集に十二直が記載されているとは思えないから、著者は残されている日記などから(具注暦だったら掲載されているだろう)十二直を確かめているのだろうか、それとも十二直も陰暦がわかれば計算で求められるものだから、そうしたのだろうか。
ところで、現代日本では、結婚式や葬式などの日取りに良く参照されるのは六曜だが、六曜というのはあまりにも単純に決められて誰にでもわかり、ありがたみがないから、旧暦時代にはまったく人気がなかったという。江戸時代には「下段」といわれる吉凶が重視されていたらしい。さて、簡単に計算でわかる十二直にありがたみがあったのだろうか。

天皇の即位とか、戦の開始などの重大な日程決定に、これらの吉凶占いが使われたはずだとし、そこから逆に当時の意思決定の流れを読み解こうとする。

第1章 推古―東アジア最初の女帝
第2章 善徳―新羅の危機を救った予言
第3章 皇極―行政手腕の冴え
第4章 真徳―錦に織り込む苦悩
第5章 斉明―飛鳥に甦る使命
第6章 間人―禁断の恋に生きた幻の女帝
第7章 倭姫―王朝交代のミッシング・リンク
第8章 持統―遠謀にして深慮あり
第9章 武則天―男性社会への挑戦
こうした推論にお目にかかったのは今まで記憶にないが、それなりに説得力は感じた。しかしながら、やはり傍証の域は出ないように思う。
著者のかなりぶっ飛んだ主張を信じるには、やはりもっと具体的な論証が欲しい。

著者は、当然であるが、女帝の実力というものをかなり高く評価する。
それに対し、従来、孝徳天皇をないがしろにするほどの実力者とされてきた中大兄(天智)を、それほどでないとし、中大兄が活躍した時代の女帝―斉明・間人をクローズアップする。間人(孝徳妃)は、帝位に就いたという説を立て、その宮は稲淵宮だという。
また、斉明についても、積極的な人物と評価されていて(皇極にも1章をあてているから同一人物に2章も使っている!)、普通は額田王の作とされる「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」は、斉明御製だとする。
持統にしても、天武のパートナーにして事業を継承したという以上に、頼りない天武を使って、父天智に対抗する姿を描こうとしているようだ。

こういうわけだから、本書の主張すべてを、ただちに真説と信じるのはためらわれる。

ところで本書は「東アジア」とあるように、朝鮮から善徳・真徳、中国から武則天の3人の女帝もとりあげている。武則天はともかく、善徳・真徳の2人の朝鮮の女帝については、ほとんど知識がない(韓流ドラマも見たことがない)から、著者の主張についてどうこう言えるものではない。
しかし、本書のもともとの問題意識、この時期に東アジアに多く女帝が立ったということに、何か必然性、あるいは関連性があったのか、これについては読み取れなかった。

う~ん、評価は難しい、それなりにおもしろいけれど。

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六二郎。六二郎。


定年退職
苦しい家計の足しに再就職
=いつクビになってもええねん
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