オランダの母子手帳

IMG_20170419_200441-crop.jpg 先日出席した会議でのプレゼンテーションの中から、興味深かったものをピックアップ。

母子健康手帳というのは、日本発祥のもので、それが海外でも次第に多くの国でも受け入れられつつある。
その中で、オランダの例が紹介されていた。
紹介した講師の先生もそうだが、私も、これは徹底しているなぁと思った。

オランダの母子手帳は、時期別の7分冊になっているのだそうだ。
「妊娠」、「0-4歳」、の2分冊はまぁ当然として、その後も、子供の年齢を追って編まれていて、「思春期」、「計画的に親になる」までとなっている。
「計画的に親になる」に続くのは「妊娠」ということで、一回りすることになる。
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"Planning for parenthood" を「計画的に親になる」と訳してみたけど、これで良いのかな。

まさに生殖サイクルが、親から子へと、連続して繰り返されているというわけである。

また、母子手帳に関わるエピソードとして、不遇な親子関係で育った人が、母子手帳に書き込まれていた「今日、母乳良好」という母の字を見て、人生観が変わったという話が紹介されていた。

母子手帳というのは、医師のカルテというようなものではなくて、これを通じて親子のコミュニケーションを強くするツールという性格がある。オランダのものは、それが徹底されて、次代へ積極的につなぐというものに思える。

この日の講演では、他に「切れ目ない子育て支援」という演題のものがあった。
こちらでは、のぞまない妊娠、そういう女性たちは、母子手帳の交付すら受けない、せっかくの親子の健康を守るツールなのに、それにすらアクセスされない現状についても触れられていた。

「にんしんSOS」という大阪府の電話、メール相談の取り組みも紹介されていた。年間2000件近い相談があるという。うち60%が府外からのものだそうだが、困りはてた女性がネットを頼って、情報を求めてたどり着く場所らしい。
昨年、DeNAの"WELQ"という酷過ぎるネット・ディスサービスが問題になった。やはり銭儲けでないサービスが必要なところなのだろう。


IMG_20170419_190952.jpg 以下は、"「戦後80年」はあるのか"という本の中で、上野千鶴子氏が書いていたことの引き写し。

日本は婚外子の割合は欧米に比べて極端に低く、全出生に占める婚外子の割合は、2008年のデータで、スウェーデン 54.7%、フランス 52.7%などをトップに、低いイタリアでも17.7%であるのに、日本はわずか2.1%。
出生数が少ないことが問題視されて、「産めよ増やせよ」と言われているようだが、少子の原因には、婚外子が産めない(産みにくい)という社会であるということもあるのではないか。
また、「夫はいらないが子供はほしい」という女性もいる。子供はいらないという人もいる。
「女性が一人で子供を育てられる社会」になることが求められている。


上野千鶴子氏は概略、上のようにおっしゃっているが、データにも裏付けられた説得力のある論理のように思う。
子供を産むのは女の仕事(義務)、そのための結婚・家族という人には受け入れられないかもしれないが。

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歯医者

IMG_20170225_111739.jpg 月曜日、夕食を食べていると、硬いものが舌に触った。
吐き出してみると、金属の欠片。
虫歯治療で詰めていたものが、欠け落ちたのである。

歯科の定期健診には通っているのだけれど、詰め物が落ちるかどうかまではわからないようだ。

橋などのインフラも定期検査をしているけれど、大丈夫かな。


別に痛みとか、沁みるというようなことはないのだけれど、ほっておくと、掘れているところに食べかすが詰まって、虫歯になりやすいだろうし、欠けたところは尖った状態になっていて、口腔を傷つけるかもしれない。

というわけで、仕方がないから、歯医者に行くことにした。
予約をとるとなると、随分、先になるようだったけれど、事情を説明したら、土曜日の11時に来てくださいと言ってくれた。

で、昨日、11時に歯医者へ行った。
いわゆる予約ではないから、どんだけ待たされるんだろうと思っていたのだけれど、言ってみると、待合には1人しかいない。
結局、10分程度待っただけで診てもらえた。

IMG_20170225_112522.jpg 「欠けたものは持ってきてますか?」
「いや捨てました。二十年以上前のものだと思います。」
「どのあたりですか?」
「右上の一番奥のところだと思います。」
「痛みとか、沁みるとかはないですか?」
「ありません。」

で、洗浄が始まって、場所を特定。

「ほかにどこか気になるところとかありますか?」
「左下のかぶせてあるところが、少し浮いているように思います。」
「すこしガサガサしてますね。レントゲンを撮りましょう。」

で、左下もレントゲン撮影。

「虫歯にはなっていないようですが、隙間ができてますから、かぶせたものを除去して、やり直しましょう。」

IMG_20170225_112021.jpg というわけで、左下のことを言わなければ、簡単に済んだかもしれないが、ちょっと長引くかもしれない。

この日はいつもの先生ではなくて、女性の先生。
丁寧で、はっきりした言葉使い。
いつもの男の先生だと、親しらずを抜きませんかというと思うが、今回はそういう話はなし。

治療終了後に言われるのかも。


歯医者に行くといつも思うのだけれど、歯科衛生士は若い女性が多い。
こちらとしては、こんなにしていただいて、ありがたい限りなのだが、向こうはどう思っているのだろう。

年寄りの汚ならしい口の中をいじりまわすなんてのは、イヤに違いない。
もちろん仕事だからやっているわけだが、どのぐらい心理的抵抗があって、どうやって克服してきたのだろうか。

「高齢者」は数の問題かな

昨日とりあげた提言は「65~74歳には元気な人が多いから高齢者というのは時代にあわない」とのことだけれど、それだけなら提言の必要はないだろう。
本当の問題の所在は、65歳以上が多くなったから、従来の高齢者施策が成り立たなくなることだろう。

元気な高齢者は、ずっと頑張ってもらえば良い。
昨日も書いたが、天海僧正107歳、北斎90歳とか、元気な年寄りは昔からいる。
奈良時代だと、天平11(739)年、出雲国には、90歳が2人、80歳が5人という記録が残っているそうだし、律令では「70歳から致仕を聴す」とあるものの、元気な人はいつまでも働いたらしい。藤原頼通は76歳まで関白を務めている(83歳で没)。


survival_curve_comp.jpg 昔は平均寿命が短かったといわれるけれど、それは、みんなが若死にしたという意味ではない。
平均寿命が短かく計算されるのは、
  • 乳幼児の死亡率が高かった
  • 出産時(産前産後を含む)の女性の死亡率が高かった
という状況を反映している。

乳幼児の死亡率が高かったことが平均寿命を下げているということは良く知られている。

モーツァルトは6人の子供をもうけたが、成年に達したのは2人にすぎない(もったいない!)。

もう一つの出産時の女性の死亡率が高かったことは、中宮定子や葵の上など、歴史や物語的に印象づけられているわけだが、実際、第1回完全生命表(1891~1898年)を見ると、30歳超あたりで、女性の生存率が男性より低い年齢が見られる。出産にかかる死亡が影響しているものと推測される。

hitowakoushitefuetekita.jpg 大塚柳太郎「ひとはこうして増えてきた」という本に、旧石器時代の生存曲線が掲載されていたので、近現代のものと比べてみようと思った。

利用する元データは統計局のページにある完全生命表

生命表は男女別になっているので、旧石器時代の生存曲線と比較するために、出生性比を105.1として全人口に対する生存曲線を計算している。


こうして、各時代の生存曲線を並べて見ると、2010年になると本当に生存率が上がっていることがわかる。図には示していないけれど、ここ十数年は同じような曲線になっている。明治時代は、まだまだ乳幼児の死亡率が高かったことが良くわかる。

ところで、大塚氏の本は、人類史を俯瞰できて、なかなか良い本だと思った。
同書では、人類史を4つのフェーズに分け、さらに各地域に分けて分析されている。

人類誕生のフェーズ(20万年前=5000人?)、出アフリカして世界に「移住」するフェーズ(7万年前=50万人?)、定住生活をはじめ、農耕・牧畜を発明するフェーズ(1万2000年前=500万人、5500年前=1000万人)、産業革命と人口転換(多産多死から少産少死へ転換する)フェーズ(265年前=7億2000万人)。そして現代(2015年=72億人)である。

ふと思う、本当に地球はどれだけの人口を養えるんだろうか。
このことにも触れられている。根拠は曖昧なようだが、120億人。これが国連人口部の最大予測値だそうである。


曲江   杜甫
 朝囘日日典春衣
 毎日江頭盡醉歸
 酒債尋常行處有
 人生七十古來稀
 穿花蛺蝶深深見
 點水蜻蜓款款飛
 傳語風光共流轉
 暫時相賞莫相違
 勤め終えれば質屋に通い
 飲み屋に毎日入り浸る
 酒屋のつけも一杯あるが
 どうせはかない人生だもの
 花に群がる蝶々を眺め
 水面を滑るとんぼと遊ぶ
 光あふれる都の野辺に
 しばしの春を楽しまん
http://www.rinku.zaq.ne.jp/bkcwx505/Kanshipage/KanshiNo7/kanshi89.html

奈良時代に70歳以上は、それこそ古来稀なりだから、致仕年齢を、高齢者の数で決めたはずはない。

「古希」というのは、杜甫の「曲江」という漢詩から出たそうだが、その趣意は、70まで生きられるはずもないから、今日を楽しもう(酒屋のつけも払わない?)、ということらしい。


年齢だけで高齢者施策を考えるのではなく、年齢プラス所得や資産、健康状態などを考えあわせた施策が必要だということなら、それはそれでわかる。

それにしても、年金は75歳からというのは、つまり長生きできたら年金がもらえるというのは、次の世代以降にしてもらいたいものだ。

そして75歳以上だったら、遊ぶ金もたいしていらないだろうと減額したり、医療費の補填に使うという話が出てくるんだろうな。


高齢者になるのは、もう少し先かな

昨年、選挙権が18歳以上まで引き下げられたが、年末のニュースを見ていると、いわゆる成年も18歳以上に引き下げることが検討されている。

もし実現したら、その年の成人式は、通常の3倍、3年分の成人を対象にするのかな。

そして、その一方、高齢者の年齢を引き上げることが提言されたという報道もあった。
提言したのは、「日本老年学会」と「日本老年医学会」というところ。

私は、従来の定義での高齢者までもう少しというところなのだけれど、
もしこの提言が採用されたら、一気に10年も高齢者の仲間入りが遠のくことになる。

koureisha_wariai_mainichi8.jpg 高齢者になることが嬉しいかと聞かれたら、もちろん、それを心待ちにしているということはない。
というか、65歳から高齢者と言われようと、75歳から高齢者と言われようと、そんなことは所詮、言葉の定義の問題であって、加齢によって、体力、知力、精神力がどの程度落ちているのかによって、高齢者と自認するかどうかが決まるだけのこと。

私が年老いたことを意識したのは、体力的には40歳頃で、鏡で見る肉の落ちた自分の姿に気がついたとき。知力のほうは、60歳ぐらいまでは知識は増えているように感じ(あくまで「感じ」であって、実際に増えているかというとアヤシイが、自覚ということなら「感じ」の問題で良いだろう)ていたが、最近は、精神力(集中力)の衰えに添うように、知力の増加も停止したと自覚するようになった。


AS20170105004044_comm.jpg というわけで、高齢者かどうかは自分が決めると思っているわけだが、社会から高齢者として遇されるかどうかは別の問題である。

報道によると、65歳以上を高齢者としたのは、そのための法的根拠があるわけではなく、統計上の高齢者は国際的に65歳以上とする例が多く、これに合せているという。高齢者を対象とする法令は、それぞれ個別の法においてその年齢が定められているらしい。


今回の提言は、65~74歳は「心身とも元気な人が多く、高齢者とするのは時代に合わない」ということが根拠だそうだ。
しかし、身体状況で高齢者を定義するというのは、社会性という面からはいかがなものだろう。この提言の発想からすれば、社会政策まで広く考えているとは考えにくい。

定年後再雇用が義務付けられるなど、高齢者の雇用環境は改善されていると思うけれど、それも65歳までで、75歳まで雇う?

奈良時代の役人の「定年」は70歳だったとか。(⇒Wikipedia "致仕"


元気な「高齢者」が多いといっても、65歳に達する前でも元気じゃない人だっている。
敬老祝金のようなものは別として、福祉施策は、それを必要とする人がいるなら、75歳に達していないからといって打ち切って良いものだろうか。
報道では、この提言を契機として、各種の高齢者施策が後退するのではと、心配するものが見られた。

それにしても「65~74歳を高齢者とするのは時代に合わない」というけど、時代の問題だろうか。
「真田丸」でおなじみの真田信之は93歳まで生きた。
天海僧正は107歳、北斎は90歳で、どちらもギリギリまで働いたらしい。

たしかに、時代が進むにつれて、元気な(脳卒中などの治療を受けていない)高齢者の割合は下がっているわけだけれど、そうではない(つまり多くの人が避けたい)元気でない高齢者もいる。
そうした元気でない高齢者の割合は下がってきたかもしれないが、絶対数は時代とともに増加しているのではないだろうか。こちらが高齢者の範疇からはずれてしまうということに、問題はないのだろうか。

はっきり言って、65歳を超えていれば、よほど特別な人以外、高齢者として遇されることはメリットが多いはずである。高齢を理由に就職を断られるといっても、そもそも65歳超だったら差別を受けたと思うだろうか。

自分では高齢者の自覚はないけれど、高齢者を優遇する制度はちゃっかり使う。
それが元気な高齢者の姿である。
私もそうなりたい。
今更、もう10年待ちなさいなんて。


と、こんなことを言うから、高齢者を75歳以上にしようと主張する為政者が出てくる。

元気なんだから、それだけで恵まれてるよ。何をしてもらいたいと言うんだ?
(そして病気になったら、「これだから高齢者は困るんだ、お荷物だな」と言うんだろう)
すみません、おめおめ長生きした私が悪うございました。


だけど、元気に生きてるご褒美という考え方があっても良いのでは。そしてそのご褒美が、高齢者の健康増進につながるものだとしたら。そしてその健康増進効果が65歳で最も高まるのだとしたら。たとえば、弱り切ってからスポーツをはじめるよりは、体力が下り坂になったときにそれを維持しようという方が簡単そうじゃないか。

ごちゃごちゃ書き散らしたけれど、提言では65~74歳は「准高齢者」とするとある。「高齢者・後期高齢者」という現在の呼び方を「准高齢者・高齢者」と、言葉上デフレ(デノミ?)するに過ぎないのかもしれないけれど。
要は、何が問題で、何をすれば良いのか、言葉遊びに惑わされなければ良いわけだ。

それにしてもなんで75歳なんだろう、70歳でもよさそうに思う。
70歳は、「古希」という言い方もあるし、「従心」という言い方もある。官人の定年のことを書いたが、「致仕」は70歳を指す言葉としても使われるそうだ。
75歳って、何か特別な呼び方ってあったっけ?

健康増進法が改正されるかも

飲食店内や駅構内は原則禁煙に…受動喫煙対策
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 非喫煙者もたばこの煙を吸い込む「受動喫煙」への対策を盛り込んだ健康増進法改正案の概要が16日、明らかになった。
 飲食店内は原則禁煙とするが、喫煙室の設置を認め、悪質な違反者には過料を科すことなどが柱になっている。政府は20日召集の通常国会に改正案を提出する方針だ。
 改正案では、医療機関や小中学校などは敷地内を全面禁煙とした。大学や官公庁は屋内を全面禁煙としたが、屋外での喫煙は容認した。飲食店や駅構内なども屋内原則禁煙としたが、喫煙室の設置を認めた。
 不特定多数の人が利用する官公庁や公共交通機関などの施設管理者に、〈1〉喫煙禁止場所であることを掲示する〈2〉喫煙が禁止されている場所に灰皿などを置かない〈3〉禁止場所で喫煙した人に中止を求めるよう努める――などの責務を課すことも明記する。違反した喫煙者や施設管理者には、都道府県知事などが勧告や命令などを出し、改善しない場合は過料を科す。
読売新聞 1/16(月) 15:13配信
昨日、豊洲のベンゼンとタバコのベンゼンについて書いたけれど、そういえば、かねてから噂の公的施設(不特定多数が集まる施設)の禁煙の強化(罰則つき)を盛り込んだ、健康増進法の改正案の概要が報道されていた。

いわゆる受動喫煙(passive smoking)、一部の禁煙運動家は強制喫煙(forced smoking)と言う、の防止が目指されている。

同様の法制化については、自治体の条例でも試みられている。記憶に新しいのは、神奈川県の受動喫煙防止条例で、問題になったのは、商売に影響しそうな、パチンコ屋などの遊戯施設や小規模の飲食店で義務付けるかどうかだった。
結局、神奈川県の条例では、これらの施設では努力義務とされたようだ。

今回の法改正でも、問題になるのはこうした施設の扱い。テレビの報道では、小さな喫茶店で分煙のための設備(オープン型)も設置したのに、それではだめで、喫煙をみとめるなら、別室にすることが求められているというような話だった。

法改正でも、修正案が出て、神奈川県条例のようになるのかもしれない。

それはそうとして、こういう法改正が行われると、嫌煙家はますます力を得る。
私など、家でタバコを吸おうものなら、DVと言われるのではないかと心配である。
物理的暴力、言葉の暴力につづいて、化学的暴力というわけだ。

私はタバコの害については、それなりに知っているし、もう数年ぐらいは勤務時間中や喫煙禁止場所では吸わない生活が続いているから、やめようと思えばやめられるかもしれないが、やめようという気持ちにならない。

禁煙運動家には「タバコを憎む人」と「タバコの害を憎む人」(害がなければ問題ないと考える人)がいるとかで、前者はヒステリックな感じというか、喫煙者を人格破綻者のように言うので、ええかげんにせえよという気持ちになって、かえって反発してしまう。

たとえば、昨日の記事でタバコに含まれる有害成分のデータを使ったけれど、そうしたキーワードで検索すると、何百・何千と化学物質が含まれていて、どれもこれも有害物質であるといった、情緒的な主張ばかりヒットして、量的データを見つけるのに苦労した。

WHOの事務局長は、「タバコは何本まで許されるか」という質問に対し、ゼロと回答したそうだ。
どういうやりとりの中で出た言葉かわからないけれど、1日1本でも害があるにしても、それがどの程度のものか知りたいという質問者が満足する答えではないと思う。
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有害物質でも量的な閾値というのがあるはずで、ゼロ=あってはならないというのは、気持ちとしてはわかるけれど、dose-response関係が立証されていないとしたら、少なくとも私が読んだ疫学の本では、因果関係を認めることは困難と書いてあったと記憶する。もちろんタバコと諸疾患の間には、dose-responseはあるとされているけれど。


吸わないことがベストだとしても、1本の快楽と1本の害毒を天秤にかけて考えるような余地はないのだろうか。

タバコの値段を上げれば良いという意見があるけれど、じゃあ、いくらにすれば良いのか。
タバコ1本吸う事と同等の満足を得られるのは、
コーピー1杯でしょうか、ビール1杯でしょうか、それともディナーコースでしょうか。

ピロリ除菌

P_20170111_132413s.jpg 先日12日から、ヘリコバクター・ピロリ菌の除菌を開始した。

昨年12月に内視鏡検査を受けて、随分胃が荒れているということ、前に人間ドックでピロリ陽性の結果が出ていることから、医師がピロリ菌の確定診断のために組織を採っていたのだけれど、推測どおり、ピロリの存在が確認された。

12日に開始して、7日間、朝夕に除菌用の抗生物質などを連続服用する。
副作用として、下痢・軟便、発疹などが出ることがあるというが、今のところ、顕著な副作用はない。

強酸性の胃の中に、細菌が住んでいるということは、比較的新しい発見で、それが胃がんとも関連があると言われ出したのは、さらに新しい。その頃、多分10年ぐらいも前だろうか、知り合いの医師に、ピロリの除菌やりますかと言われたことがあったのだけれど、雑談の中での話で、あまり気にせず、そのままになっていた。

IMG_20170111_114757-crop.jpg 私は、20年ぐらい前に胃潰瘍をやったことがあるのと、その後も、ときどき胃が痛む感じがあるので、この際、ピロリとの関連もあるかもしれないと思って、ピロリ除菌をやることにした。

除菌が成功したかどうかは、2ヶ月後に検査をすることになっている。
前に精密検査を受けたときに、内視鏡またやりましょうと言われていたけれど、それは胃の荒れ方が少し酷いので、年一回の内視鏡検査をやるべきという趣旨で、2ヶ月後に内視鏡ということではないようだ(ちょっとほっとしている)。

医師から特に注意されたわけではないが、ネット情報などを見ると、深酒は除菌失敗につながるおそれがあるという。
一週間、おとなしくしていよう。

除菌に失敗すると、二次除菌ということで、別の薬を飲むことになるらしいが、そのときはアルコール禁止だそうだ。そんなことになってはたまらない。


システムレビュー

iryotantei_sougoushinryoi.jpg 山中克郎「医療探偵『総合診療医』」(光文社新書 2016)を読んだ。
この本にも書かれているが、NHKの「ドクターG」という番組で、総合診療医という医師の姿を垣間見ることができ、注目が集まっている。

昔から、近くに大病院などがない田舎の医者は、経験のある優秀な内科医が良いけれど、専門分化が進んでいてなかなかそういう医者はいないという話を聞いたことがある。
この本や「ドクターG」で扱われる症例は、ありきたりのものではなくて、むしろ原因不明、診断がつかないという難しいものが多いわけだけれど、能力、資質、診療スタイルなどには通ずるものがあると思う。

本書でも、著者も出演している「ドクターG」でも、問診の重要性が強調されている。そして、本書では具体的に「攻めの問診」と「パッケージ問診」という手法が紹介される。
「攻めの問診」とは、怪しいとにらんだ病気の診断の確度を高めたり、あるいは除外したりするための積極的な問いかけであり、「パッケージ問診」とは病気に対してセットで起こる症状をまとめて確認する手法をいうようだ。(これらも、予断をもって誘導するような問診になってはいけないのだろうけれど。)

そして、問診で絞り込んだあとで、何を見るのかという明確な目的をもって検査をするという手順になる。
小さな医院などでは、検査機器も、検体検査も十分ではないだろうから、問診はとくに大事だということだ。

至極納得できる話である。情報システムのトラブルでも似たような手順を踏むことがある。さまざまな分野で応用できる手法だろう。

システムレビュー  (一部)
当てはまるものに〇をつけてください
[一般]
体重変化(  ヵ月で   kg増/減)
食欲不振
全身倦怠感
下着を替えるほどの寝汗
発熱
発熱の前に身体がガタガタ震えた
便通(整/不整)
排尿(日中  回、夜間  回)
睡眠障害(有/無 なかなか寝付けない・睡眠中に目が覚める・朝早く目が覚める)
[皮膚]
湿疹
かゆみ
色の変化
こぶ・腫れ物
爪の変形
脱毛
太陽に当たると赤くなる
[頭部]
外傷
めまい
失神
頭痛
[眼]
視力低下
眼鏡/コンタクトレンズ
物が二重に見える
視界が暗い
涙が出る
痛み
目が乾く
[耳、鼻、喉]
聴力低下
耳鳴り
鼻水
鼻づまり
鼻血
歯茎からの出血
口の乾き
[乳房]
しこり
痛み
腫れ
乳首からの分泌物
[胸部、血管]
胸の痛み
胸の圧迫感
動悸
呼吸困難
就寝後1~2時間で息苦しくなって目覚める
横になると息苦しく起き上がると楽になる
[消化管]
飲み込みが悪い
みぞおちの痛み
げっぷ
胸焼け
吐き気
嘔吐
今日の標題の「システムレビュー」というのは、要するに問診票のことで、本書では、診察の時、医師が患者のその症状があるかないかをチェックするためのリストと説明されている。
医師用のリストはかなり詳細、かつ難解なものが多いとし、その一部が掲載されていた
(右の表がその抜粋。全体のCSVファイルはこちら

このリストには、喫煙や飲酒習慣、出産歴、職歴などが入っていないが、実際に使用しているものは入っていると思う。


医師が患者に聴きたいことというのがある。それが主訴である。
そして、症状がいつから、どんな頻度でといった時間軸にそって、また、どういう環境や患者の来歴があるのかという空間軸を見て、診断をつけていくという。

患者は苦しい思いをして病院にやってくる。その訴えは必ずしも整理されて出るとは限らない。一方、自分は風邪だといって来る患者もいる。
システムレビューはそういうなかから、正確な情報をとり、コミュニケーションを円滑にするツールだというわけだ。

で、ふと思った。
本書でも書かれていることだが、患者がシステムレビュー(問診票)に〇をつけて持参する使い方もあるだろう。

実は、家人が診察を受けるときに、その医院のホームページに問診票が掲載されていて、それをあらかじめ記入して持って行ったことがある。それだけでも受診の心構えができて良かったように思う。


病院の待ち時間は長いから、問診票を書くのも良い時間つぶしになるのかもしれないけれど、だからといって、あらかじめ、落ち着いた状態で、きちんと問診票を書いて持っていったら邪魔になるということもないだろう。

医師が使うシステムレビューは、項目が多くて、難解だというのなら、患者が書きやすい、患者用のものを作れば良いのでは。なんでもマニュアル化するのが得意な医療の世界だから、学会とかで標準的なものを作らないだろうか。
そして、それを各医院に備え付けたり、ホームページから配布する。あるいは、医師会や市役所などから配布・周知したらどうだろう。

素人の戯言と言われるかもしれないけれど、積極的に否定されるとも思えないのだが。

余談だけれど、そのうちシステムレビューをAIに投入したら、診断を絞り込んだり、追加の検査を指示してくれるようになるだろう。

30年ぐらい前、娘が虫垂炎から腹膜炎にまでなって大変だったが、入院していた病院では、緊急手術で腹を開けるまで、診断がつかなかった。その後、症状や検査結果を米国製の診断エキスパートシステムに入れたら、腹膜炎がトップに疑われたんだけれど。


季節外れの精密検査(続き)

IMG_20161202_112149.jpg 今日は、昨日書いたとおり、胃の検査。

10:30予定だったが、医院から10:00頃に来てくださいと連絡。
で、10:00に行って、しばらく待たされて、10:15頃から、まず、エコー診察。
女医さんの「息を大きく吸って、止めてくださ~~~い」の指示に従っておとなしく。
パンツを下げられてびびる。
肝臓、脾臓、腎臓、膵臓あたりを診て、特に異常なし。

そして、メインの内視鏡。
10:30頃、鼻に通りを良くする薬、麻酔などをして準備。
これがなかなか気持ち悪い。
10:40頃、検査室で、まず柔らかいプラスティック・チューブを鼻に通して待つ。

ff2011inKeibicar.jpg 10:45頃、いよいよ医師が内視鏡の挿入にかかる。ここで問題。
はじめ、鼻の右の穴から通そうとしたのだが、ここが狭くて、内視鏡が通らない。
医師が「無理せんとこ」ということで、左側でチャレンジ。
事前の処置は左右ともしている。左は広く、問題なく挿入。
喉を通過するときも、唾をのみ込む要領でと言われて、難なく通過。

ここからは食道、胃、十二指腸と、モニター画面を見ながら進む。
カメラは胃を水洗いしながらすすむのだけど、ときどき胃壁に強く当たるので、出血する。医師はキスマークと表現。

素人目では、色普通にピンクで、悪いところはなさそうに見える。
医師の眼では、胃・食道は、かなりあれているということで、もともとピロリ除菌も考えていることを伝えていたので、ピロリの検査のために検体をとる。
集検で指摘されていた部位は特に問題はないけれど、以前の潰瘍で胃に変形があること、十二指腸潰瘍の瘢痕があることなどの所見。

11:10頃に検査終了。
近年は経鼻内視鏡がはやりのようだ。吐き気があまりしないこと、医師と会話ができることなどがメリットという。
ただ、私の経験では、口からの内視鏡でも、医師が上手なのか(医師と患者の相性もあるらしい)、あまり苦しくなかった。検査の苦痛という点では、経鼻内視鏡が特に優れているという印象はない。

悪性を疑うような所見はないので、年明けに結果説明、ピロリ除菌をしましょうということになった。
そして、除菌後、また内視鏡をやりましょう、だって。たまらんなぁ。

季節外れの精密検査

IMG_20161130_114433.jpg 昨日は休みをとって病院へ。

1月に、市の胃の集団検診で要精検になっていたのを、今までほったらかしにしていた。
昔、胃潰瘍をやったことがあって、数年間は経過観察を受けていたけれど、それもやめになって、その後は集団検診を受けていたのだけれど、潰瘍の瘢痕のせいか、集団検診でたびたび要精検と判定される。
特に、検診業者が変わるとその傾向が強いように思う。(なので、何度か要精検を無視した。)

IMG_20161130_114822-crop.jpg 現役ばりばりの頃は、いつも森之宮にある、ちょっと縁のある検診機関にいっていたが、歯医者を変えたのとおなじように、自宅に近い医院をかかりつけにするつもりもあって、近所の内科を受診。

昨日は、診察と事前検査で、明日、内視鏡検査を受けることになった。
内視鏡は20年ぐらい前に経験しているが、それは口から。こんどは経鼻内視鏡ということだ。
状態はいつもどおりだと思うけれど、経鼻内視鏡ははじめて。
医師は、1月の集検の2次検診とはえらい季節外れですね、と。

11時前に行って、1時間待ち。会計が終了したのは12:10頃。
大勢のお年寄り(私もそうか)が来院していた。
インフルエンザの予防注射に来る人もいるようだ。

受付も忙しい


「江戸前魚食大全」

61sVWQ4oHHL.jpg 冨岡一成「江戸前魚食大全」について。
別に、豊洲市場問題から、築地の歴史を調べようなどと考えて読んだわけではない。

実際、築地中央市場についてはほとんど触れられていない。
(江戸では市場を整備したのは幕府ではない、公設市場は築地中央市場からである、という程度の説明はある)


Amazonのレビューでも同じような感想を投稿している人がいたが、書名からすると「江戸前寿司」とかの話かと思いそうだが、もちろん、それについても触れられている(第八章)けれど、江戸の魚食について、もっと総合的に、漁、流通、料理、及びそれらの成り至った歴史の全般を取り扱っている。

目次を見ればその拡がりが推察されるだろう。まさに、「大全」であり、江戸の上下の人々と魚の関わりの文化誌というにふさわしい本だと思う。

第一章なぜ江戸だったのか?
江戸前とは何か
自然と人のつくった漁場
江戸の生活からうまれた魚
第二章江戸の始まりから魚河岸ができるまで
江戸の都市づくりと水運の改変
関西漁業の進出
魚河岸の誕生
第三章海に生きた人々
漁業はどのように始まったか
水産業のルーツ
古代・中世の流通ネットワーク
海の上のしきたり
第四章江戸前漁業のシステム
漁村と漁法と流通
江戸時代に漁村がうまれる
江戸沿岸の漁村
江戸前の漁法
江戸の鮮魚流通
第五章賑わう江戸の魚河岸
江戸っ子のルーツを探る
日に千両の商い
幕府御用達の明暗
江戸っ子の見本
第六章日本人と魚食、知られざる歴史
日本人はなぜ魚を食べてきたのか
「食べられない」から生まれた食文化
江戸の魚食、現代の魚食
第七章関東風の味覚はどうつくられたか
魚が劇的にうまくなった理由
江戸の味覚
旬と初物
外食文化の発展
第八章江戸前料理の完成
浅草海苔―真の江戸前―
佃煮―漁民のつくった保存食―
―外食文化のルーツ―
天ぷら―南蛮渡来の江戸前料理―
すし―伝統食のコペルニクス的転回―
第九章楽しみと畏怖、江戸人の水辺空間
水辺に遊ぶ
異界の水際
水辺の信仰
第十章江戸から東京へ、江戸前の終焉
海からやってきたえびす
去りゆく江戸前
江戸前漁業の終焉
付録魚河岸の魚図鑑
文章は平明・簡潔で読みやすい。難を言えば、着眼点に沿って書かれているので、時代が跳ぶことがあることぐらい。そして、それは江戸時代というのが、開府から幕末まで、ひとしなみに語れないということでもある。
たとえば、魚河岸というのは、もとは幕府へ魚を納めるためにできたものだが、中期を過ぎると御用よりも、民間需要が重要になる。

驚くべきことに、本書によれば、幕府は市価の1/10ぐらいの価格で魚を仕入れていたと言う。そして魚屋が魚を隠すとそれを見つけ出して、有無を言わさず安値でとりあげる御用役が置かれるという「進歩」もあり、そして魚河岸と幕府の暴力沙汰まで記録されているとのことだ。

そのことを思えば、今どきの役所が民間の商売にいいようにされて、高い買物をしているという批判が、可笑しくなってくる。江戸の奉行所の方が良かったとでも言うのかな。


本書では、随所に江戸川柳が引用されて、魚にまつわる江戸人の様子を描いている。落語も紹介される。それどころか、江戸以前、日本人の魚とのかかわりについては、万葉集までその範囲は広がる。

こういう該博な知識を、読みやすくまとめている著者は、どんな人なのだろう。
本書裏表紙見返しに次のとおり紹介されている。
冨岡一成(とみおか・かずなり)

1962年東京に生まれる。博物館の展示や企画の仕事を経て、1991年より15年間、築地市場に勤務。「河岸の気風」に惹かれ、聞き取り調査を始める。このときの人との出会いからフィールドワークの醍醐味を知る。仕事の傍ら魚食普及を目的にイベント企画や執筆などを積極的におこなう。実は子どもの頃から生魚が苦手なのに河岸に入ってしまい、少し後悔したが、その後魚好きになったときには辞めていたので、さらに後悔した。江戸の歴史や魚の文化史的な著述が多い。近著に「築地の記憶―人より魚がエライまち」(共著・旬報社)


いわゆる学者・研究者の類でもなければ、文筆業というわけでもないようだ。
著書も本書以外は、写真集のようなものの解説を付けているものしか見当たらない。

本は、何冊も書けば良いというわけではない。
しかし、この著者は、この本の一部を取り出して、適宜、膨らませたりすれば、まだまだ何冊も書けるに違いない。
そのぐらい、見事な本に仕上がっていると思う。

真摯に仕事に取り組み、そしてそれを楽しみ、そこから興味を広げていけば、こういう本が書けるんだろうか。

tomioka_tsukiji.jpg そうそう、ネットでこの著者名でググると、“あと半年で閉鎖、「築地市場」に行くべき理由~「人より魚がエライまち」の懐は実に広かった”という記事が見つかった。
豊洲でも、このように親しみと誇りを持った本が書かれるだろうか。







日本ハムが日本シリーズで日本一に

nihon_series_2016.jpg 日本ハムが日本シリーズで日本一になった。

パリーグ贔屓の私としては、例によって日本ハムにやや肩入れしていたけれど、やっぱり大谷選手にはもう一試合投げてもらいたかったので、第7戦までもつれるのもおもしろいと思っていたけれど、。

北海道日本ハムファイターズの本拠・本社は札幌だけれど、親会社の日本ハムの本社は大阪市である。地元球団である、といっては言い過ぎか。


広島で連敗したときは、ズルズルと敗けるかとも思ったが、札幌で3連勝。
どの試合も一方的ということはなくて、終盤まで勝敗の行方がわからないという試合ばかりだったから、どちらかのチームを特に応援している者は気が気でなかったものと思う。

選手も、傑出して活躍したという選手がいるわけではなくて、もちろんMVPのレアード選手は目立っているけれど、圧倒的ということはなく、チーム全体が頑張ったという印象。

それにしてもスゴイと思ったのは、優勝決定後の広島のファンの人たちの態度。
目の前で監督を胴上げしている敵チームに対して、なんと拍手をしているではないか。
以前、甲子園で行われた阪神vs巨人戦、巨人が目の前でリーグ優勝を決めた時、阪神ファンはグランドに物を投げ入れ、巨人選手に殴りかかろうとまでして、巨人は優勝の胴上げもできずにさっさと引き上げたということがあった。
時代が変わったということなのか、ファンの品性の差なのか。

ダブルチェック

shika_eiseishi_sample.jpg 先日、歯科の定期健診を受けた。
結果としては、早期の齲歯が見つかって、即時に処置してもらって終了。
「定期健診を受ける値打ちがありましたね」とは歯科医の言。

実は、歯科医の検診の前に、歯科衛生士が、歯周ポケット検査、歯垢・歯石除去などをしてくれるわけだが、歯科医が検診後「特に問題ありませんね」と言ったところ、衛生士から「先生、ここがちょっと……」と耳打ち。あらためて、念入りに見て虫歯を見つけたといういきさつがあった。

それほど軽いものだったので、当日の処置で済んだわけだが、もし見逃していたとしても次回の健診(半年後)までに、それほど進行するとも思えないので、歯科医が見落としたことも、さして問題ではない。この歯科がヤブとかいうような話では全然ない。

ではあるけれど、これほど軽く済んだのは、衛生士がきちんと見ていたお蔭である。
ダブルチェックが働いたわけである、この歯科がそういうシステムにしていたかどうかは別として。

医療機関では見落としが重大な結果をもたらすこともある。
もう30年以上も前に知ったことだけれど、胃がんの集団検診を実施している某検診機関では、ダブルチェックをシステムとして実施していた。
stomach_xray.jpg 集団検診では、多くの受診者の受診票・レントゲン画像を医師がチェック(読影)するわけだが、その検診機関では、最初に読影した医師とは別の医師が同じ資料を見て、先に見た医師の判定が異常なしでも、怪しいと思えば要精検に変更することになっていた。

その上、もう一つ重要なチェックが先行している。
胃のレントゲン撮影というのは、肺とは違い、相手が動く臓器であるため、アングルやシャッターチャンスが難しいそうだ。発泡させてバリウムを胃壁に付着させて撮るわけだが、病変があっても、バリウムの付着状態や、胃の動きによっては、きちんと画像に現れないことがあるという。

そこで診療放射線技師という人達は、病変の特徴をよく知っていて、つまり医師と同様の読影技術を持っていて、撮影時に怪しい場所を見つけたら、そこがきちんと写るように撮影する。
また、胃の集団検診では、6方位から胃を撮影することがマニュアル化されている(これを守らないと見落とした場合に医療過誤を問われるおそれがある)そうだが、その検診機関では、技師の裁量で、病変部位がもっとも良くわかりそうな方向・タイミングで、余計に1枚の写真を撮ることになっていた(検査料が高くなるので、検診機関間の価格競争では不利になる。質を問わなければ入札で不利になる)。

同じレントゲン検査でも、精密検査の場合は医師がずっと透視しているから、実際には受診者が検査台に載っている間にだいたい診断がつく(余程、見にくい病変でフィルムをじっくり見るような場合は別)。だから大したことがなければ、検査が終われば直ちに診断結果を伝えられる。
で、ふと思ったのだけれど、集団検診でも動画で記録しておいたらどうなるだろう。動画だと医師が読影するのは時間的に厳しいから、AIを使って自動化を考えたらどうだろう(静止画でも同じだけれど)。もっとも最近は一次検診を内視鏡でする傾向のようだが。


ダブルチェックはコストがかかる。
前述の検査機関のようにシステムとしてダブルチェックを行っていれば、それは明示的なコストになる。
歯科の例は明示的にコスト計算には入らないかもしれないが、優秀な歯科衛生士を雇うというところでベースのコストがかかっているかもしれない。胃の場合も、読影技術を持っている優秀な技師にコストがかかるだろう(育成もしているはず)。

世の中(政治の世界)では、コストをかけても、ダブルチェックではなくて、共振(フレームアップ)効果になる場合が多いようだけれど。

平尾誠二逝く


平尾誠二逝く。
53歳。若すぎる。
Doshisha_Hirao.jpg
私がラグビーを一番熱い思いで見たのは、
同志社の三連覇の頃だと思う。
それまで、関西勢は歯が立たなかった、
早稲田、明治、慶応の東京勢を蹴散らし、
完膚なきまでに打ち破った、あの頃。

神戸製鋼のときは、
他チームとはあまりに違うスタイルで、
そして圧倒的に強かった。
敵なしだった。

残念。念いは残りまくりだ。
冥福を祈るのみ。

禁煙外来の設置条件

 禁煙外来を設置している済生会江津総合病院(島根県江津市)の敷地内で、職員らの喫煙が常態化していたことが分かった。厚生労働省は、禁煙治療で保険適用を受ける病院に対し、敷地内の全面禁煙を条件としている。同病院は敷地内喫煙の事実を認めて9月から禁煙外来を休止し、診療報酬も今後返還するとしている。
(毎日新聞2016年10月2日 20時30分)
スモーカーとしては見逃せないニュースがあった。

島根の病院「禁煙外来」病棟裏で職員らスパスパ


病院が敷地内禁煙にすること自体は、それは管理者の勝手だと思う。今の私の職場も敷地内全面禁煙である。少し前までは外階段に置かれていた灰皿も撤去された。

見逃せないとしたのは、敷地内全面禁煙が、禁煙外来の保険適用の条件になっていることだ。
喫煙を絶対悪として、直接・間接に煙草の撲滅に資する行為を優遇し、その逆は冷遇するという強い強制である。

kinenn_gairai.png なるほど、病院職員が、禁煙しようという野望を抱いた人たちを尻目に、その神経を逆なでするような行為であるかもしれない。でも、それを言いだしたら、病院の周囲○○kmは禁煙とかにしなくちゃ。それにこういう施設だと、その外へ出たとたんに一服する人はいっぱいいるだろう。
病院の姿勢、そうかもしれない。けれど、この処置で禁煙外来に来なくなる人が増えるほうが問題だとは考えないのだろうか。

正義の拳は、振り回し過ぎないようにしてもらいたい。
自分に正義があると思っている人ほど残酷になれるものだから。

千代の富士、お別れ

fc2blog_2016100123403848b.jpg 千代の富士のお別れ会が開かれた。
61歳とあまりに早い死だったが、膵臓がんだったそうだ。

先日のニュースでは、膵臓がんは発見時に既に末期という割合が、他の部位のがんにくらべ高いと報道されていた。


相撲取りは、引退後早く亡くなられる方が多いような気がする。無理に体重を増やすための暴飲暴食で肝臓をやられることが多いという話もある。しかし、千代の富士はあの体型である、こんなに早く亡くなられるとは思わなかった。

アメリカの15歳の高校生が膵臓がんの早期発見の検査法を開発したという話がTEDにあったけれど、その後、どうなったんだろう。


相撲のことはあまり詳しくないけれど、とにかく精悍な姿、取り口は、誰の記憶にも残る強烈なものだった。
で、ちょっと土俵違いになるけれど、千代の富士で思い出すのは、名ソプラノのキリ・テ・カナワが千代の富士の熱烈なファンだったということ。いつだったか、来日中のキリ・テ・カナワが大相撲の観戦に来ていたところをテレビ中継がとらえていた。

アナウンサーが千代の富士に「キリ・テ・カナワさんが大ファンだとのことですが」と聞いたのだが、千代の富士のほうは、このソプラノについては知らなかった。(不思議ではないけれど)


私がキリ・テ・カナワの名前を知ったのは、40年ぐらい前のこと、FM放送で聴いた"Exsultate jubilate"。当時、他の歌手の演奏もいろいろ聴いたけれど、キリ・テ・カナワが一番だと思った。

2016-10-01_233847.png YouTubeで探したら、いくつかキリ・テ・カナワのKV165がアップされている。
うち一つにリンクを張っておく。
Kiri Te Kanawa "Exultate, jubilate" Mozart KV165 (YouTubeにアップされているのは、40年前の演奏ではないようだけど)

もう一つ、キリ・テ・カナワが歌うラグビーワールドカップのテーマソング。
Kiri Te Kanawa - 'World In Union' Music Video
(キリ・テ・カナワはニュージーランドだから歌手に選ばれたのかな)

同じくホルスト「惑星~ジュピター」をカバーした平原綾香と比べるとおもしろいと思います。


豪栄道優勝

2016-09-24_183202.png 大相撲秋場所、豪栄道が1日残して優勝を決めた。
大阪出身の力士の優勝は、86年ぶりだという。
豪栄道は初優勝。

地元N市のフィーバーぶりは、こっち


13日目の日馬富士との一戦は、まるで力士が入れ替わったような投げが決まった。普通、日馬富士が投げる側だろう。
そして昨日、玉鷲戦は、格下とはいえ、完璧な相撲だった。

大阪力士の優勝は珍しいというが、そもそも優勝力士を生んでいない都道府県って結構あるんじゃないだろうか。
○大阪出身力士の優勝
大正6年春大錦
大正9年春大錦
大正9年夏大錦
大正10年春大錦
大正11年夏大錦
昭和5年夏山錦
平成28年秋豪栄道
※NHK中継より

高校野球だと、47都道府県で優勝校のない県はそう多くないと思うけれど、大相撲の場合、強い力士が何度も優勝して、なかなか他の力士の優勝はない。以前は、東北・北海道あたりの力士の優勝が多かったように思う(大鵬や北の湖)けれど、このところはほとんどモンゴル出身力士である。

大阪は、「またも負けたか8連隊、これでは勲章くれんたい」といわれる土地柄だけれど、格闘技・相撲と縁がないわけでは決してない。何といっても人口が多い。
後援者の意味で使われる「谷町」という言葉は、大阪の谷町のことだ。また、大阪相撲といえば、幕末に新撰組と死傷事件を起こしたことでも知られる(力士側の負けみたいだけれど)。
2016-09-24_182948.png

江戸の方では、ペリーの前でデモンストレーションや水兵と試合をした力士の話がある。こちらは結構、米国をおどろかせたとか。


では、ということで、今住んでいる京都府出身力士はどうなんだろうとネットで調べると、これはまことに心細い。
今売り出し中の宇良和輝は、京都府立鳥羽高等学校の相撲部だったということで、京都ローカル放送でも注目しているのだけれど、高校卒業後は関西学院である。そして、ネットで調べてわかったのだけれど、なんと、豪栄道と同じ大阪府N市出身である。
2016-09-24_183340.png
そして、私が生まれ育った奈良の力士として名前が思いうかぶのは、当麻蹴速である。垂仁天皇の御代。
しかし、野見宿禰(出雲国)と対戦して、腰を踏み折られて死に、蹴速の土地は没収されて野見宿禰の土地となったという伝承である。(やっぱり奈良は弱いのか)

今日、千秋楽は、琴奨菊との取組。全勝優勝を期待しよう。
そして次は……

車椅子で大ジャンプ~リオ・パラリンピック

rio_kurumaisu_jump.jpg リオ・パラリンピックがはじまっている。
テレビ中継では見られなかったけれど、YouTubeで開会式の様子が流されている

見ていてびっくりしたのは、車椅子で大ジャンプというシーン。
着地はどうなってるんだ?、と思ったけれど、どうやらグラウンドに大きなエアクッションのようなものが置かれているようで、それらしきものが波打っている様子がビデオに写っている。

パラリンピックの種目はいろいろあるけれど、私が一番注目するのは、車椅子マラソン。
なんといっても、42.195kmを1時間20分、平均時速31.7kmつまり100mを11.4秒のペースである。普通の陸上のマラソンの1.5倍の速さである。
こうなると、用具を使ってのスピード競争である。
健常者が参加してもまったくおかしくない。ただ、普段から車椅子で生活している人が有利になりそうだから、ハンディキャップをつけないと不公平になるかもしれない。

先日テレビで、東京1964のパラリンピックに出た人の話が流れていたが、それによると海外の選手はレース用車椅子を使っているのに、日本選手は病院の車椅子。そりゃ勝てんわ。

今では日本のレース用車椅子もすごいらしい。⇒競技用車椅子(オーエックスエンジニアリング)
こうした器具の開発では日本は負けないぞ。

ところで、前述のテレビ番組では、競技用器具の違いだけでなく、海外の選手が、人生に自信をもち、楽しんでいる姿を間近に見て、当時、日本の障害者が置かれていた状況との落差を感じたという話もされていた。
ここで勝てないとね。

チャレンジというルール~サッカー編

サッカーにはチャレンジ・ルールはないのか。

先日、「チャレンジというルール」という記事をアップしたところだが、昨日、サッカーにはチャレンジはないのかと嘆かせるシーンがあった。
多くの視聴者がそう思っただろうから記事にしなくても良さそうなものだけれど、やっぱり書かずにはおれない気分。

そもそも日本のサッカーは、先日のリオ・オリンピックでもそうだったけれど、期待を裏切る常習犯で、昨夜も負けるんじゃないかという不安いっぱいでテレビ中継を見始めた。
まず気になったのは、審判がカタール人ということ。UAEの隣国じゃないか、大丈夫なのか。(後で調べるとカタールとUAEの関係は悪いらしい。)

最初の日本の先制点は見事だった。
で、その1点リードの後、UAEのフリーキックが直接ゴール、同点。
このフリーキックを与えたファウル、これがおかしいと私には見えた。
日本のディフェンダーがUAEの選手を引き倒したという判定のようだったけれど、ビデオで見ると、UAEの選手がバランスを崩して倒れかかり、その胸あたりに日本選手の手が当たったように見える。

2016-09-01_223407.png きわめつけは何と言っても後半のUAEの2点目。決勝点。
日本がUAEゴールに迫ってシュートしたボールが相手GKにパンチングで阻まれた、そういうことなのだけれど、ビデオで見ると、シュートしたボールはゴール・インしている
日本選手はアピールしていたようだが、サッカーで選手のアピールがレフェリーに受け入れられたシーンというのは見たことがない。試合後、ハリルホジッチ監督はインタビューに答えて、「普通はボールがゴールに入ったら得点だが」と。

場内に大画面でビデオを映していたら、会場は大騒ぎになったことだろう。
観客にはスマホなどでテレビ中継を見ていた人もいたに違いないが。

サッカーは1点の重みが一番大きなスポーツだと言われる。
しょっちゅう発生する接触プレイでいちいちチャレンジがかかっては試合にはならないだろうが、ゴールのイン/アウトぐらいチャレンジを許してもいいんじゃないか。
高校サッカーでは誤審により、悲劇の敗者と悪者の勝者が作られてしまったという事件があった。こんなことが繰り返されて良いとは思えない。高校サッカーは教育で、ワールドカップはそうじゃないから、誤審の損得もゲームの一部ということだろうか。

試合終了後、すぐにネットにはたくさんの書き込みやビデオのアップがなされていた。
なんとも後味の悪い試合となった。
残り試合を勝って、ワールドカップ行きを決めるしかありませんな。

リオの手羽先~リオ・オリンピック・シリーズ

2016082100009_5-crop.jpg リオ・オリンピックから採集した手羽先画像。

休刊日ネタにしようかとも考えたけれど、オリンピック・シリーズの掉尾を飾ることにした。

右は新体操、だ~れだ?








Russias Natalia Ishchenko and Russias Svetlana Romashina_2-crops 次はシンクロナイズド・スイミング。だ~れだ?



このロシアの選手については、オリンピック前にNHKが特番を組んでいたのを見た。
子供の頃からシンクロをやっていて、身も心も酷使してきているそうだ。とりわけおどろいたのは、シンクロの回転(ひねり)の方向がいつも同じ方向のため、使う筋肉も著しく偏り、それがために背骨まで曲がっているという話。


新体操もシンクロも、ロシア選手、出れて良かったね。


2016081514-crop.png 陸上選手からも1人。

女子200mの予選の画像らしい。
あの、タカ・マツ・ペアの準々決勝ゲームカウント1-1で中継が中断されたときに切り替わったのがこの女子200m予選。

この画像の選手だったかどうか実ははっきりしないのだけれど、「日テレのアホ、ボケ、カス」と言いながら、「カワイイ子がいるんやな」と思った、多分その選手。








rio1608190014-p1-crop.jpg 最後は、その陸上200m予選のために、ライブ中継が中断されたバドミントンから。













それにしても美しい選手が多かった。
「スポーツをやってるにしては」ではなくて、ベースが水準以上で、それにスポーツが磨きをかけているような。
女子選手が一番美しく見えるのは、競技に集中しているときである。

何故、人は見た目の美しさに惹かれてしまうのだろうか。

― 盲目の人以外にそんな事を聞く人はいない。 (アリストテレスの答)


技術を盗まれる心配は~リオ・オリンピック・シリーズ

リオ・オリンピックの最後の最後に、驚くべきことが起こった。
400mリレーで日本チームが銀メダル。

北京で銅メダルをとったときは、たしかアメリカが準決勝で失格していたと思う。
今回は、アメリカを抑えて(ただしアメリカは結局は失格)の銀メダルだから、文句なしである。

160820105411.jpg


なんといっても、4人の選手の誰一人として、100mを10秒以下で走る選手がいないのに、37.6秒という記録である。リレーゾーンをいっぱいに使って、助走してトップスピードでバトンを受ける、理屈はそうなのだけれど。

日本のバトンパスは世界一です
選手はそう胸を張ったし、優勝したジャマイカのボルト選手も賞賛していた。

でも気になる、この言葉。これには「今は」と付くんじゃないか。

テレビの解説によると、リレーのバトンパスにはオーバーハンドパスとアンダーハンドパスがあって、アンダーハンドのほうがスピードが落ちないが、ミスが起きやすいのだそうだ。
多くのチームは安全サイドのオーバーハンドパスを選択するが、日本は練習を繰り返すことでミスを防げると考えて、アンダーハンドパスを行うのだという。

つまり技術の勝利というのだけれど、この技術は日本以外の国の選手にはまねできないものだろうか。

日本は技術で勝利しても、その技術がまねされて勝てなくなる歴史を繰り返してきたように思う。
あるいは、まねできないような技術だったら、ルールを変えてその技術をルール違反にされてしまう。
  • バレーボールでは日本があみだしたクイックや時間差攻撃などのプレーはすぐに真似られた。それだけでなく、以前はブロックも1ストロークと数えていたのが、ブロックはストロークに数えなくなった。この結果、ブロックで有利になる身長の高い海外チームは、1ストロークの余裕をもってパワーのあるスパイクが打てるようになった。
  • スキージャンプでは、身長に対するスキー板の長さ制限で、身長の低い日本選手には不利なルール改正が行われた。
  • 古くは、平泳ぎでの潜水泳法。日本選手が得意としたこの泳ぎ方は禁止された。
  • 卓球でも、サービスのときに指先の器用な日本人がボールに指で回転を加えて返しにくいサーブを打つので、今のように掌にのせてトスするようにルールが変わったと聞いたことがある。
陸上のリレーでは、海外のチームもアンダーハンドパスができるように技術の向上をめざしてもらいたい。
でないと、アンダーハンドパスそのものが禁止されかねない。

卓球とバドミントン~リオ・オリンピック・シリーズ

リオ・オリンピックで一番入れ込んでライブ中継を見たのは、先日書いたとおりバドミントン。
何と言っても金メダルの期待があったし、中継のある時間帯が日本にいる我々にも見やすいこともあった(決勝はちょっと遅めで、寝不足になったけれど)。

ishikawa_vs_fen.jpg そしてバドミントンに劣らず気を入れてみたのが卓球である。
時間帯があわなくて、なかなかライブでは見られなかったし、あの石川のシングルス初戦敗退は、やっぱりだめかと思わせられ、気をそがれた。

そんななか、福原愛選手のおかげで、俄然、卓球の試合観戦に入れ込むこととなった。
「泣き虫愛ちゃん」なんて言ったら怒られると思うけれど、やっぱりあのひたむきにプレイする姿が、応援しようという情動になる。NHKに寄せられた選手への応援メッセージで、一番多かったのが、やはり福原選手へのものだったそうだ。
20160816-00000107-dal-000-view.jpg あと一歩で銅メダルにはとどかなかったが、その思いが団体戦の銅メダルに結実したということだろう。

さて、感動については書かない方針なので、このぐらいにして、バドミントンと卓球の試合を見ていて思ったこと。

二人または二組のプレイヤーがネット越しに相手コートにラケットで打ち合う競技」といったら、テニス、バドミントン、卓球のいずれもあてはまる。

テニスでも錦織選手が銅メダルをとっているから、この3競技で、金1、銀1、銅2のメダルをとったわけだ。


言葉にしたら似たようなことになるのだけれど、テニスと、他の2つの競技は、試合の印象が全然違う。
選手や競技に詳しい人にとってはアタリマエのことかもしれないが、バドミントンや卓球では、駆け引き、予測、作戦というものが、テニスよりずっと重たいような気がする。
一つ一つのショットやサーブの質よりも、どこへ打つか、それも1本のショットではなく、シリーズとして考えて打つ。

卓球の場合は、回転のかけかたによってエースになるようだが、それも慣れと読みで効かなくなるみたいだ。

テニスでは、もちろんそういう作戦も重要だけれど、実際に打つショットの力がかなり大きいのではないだろうか。私も遊びでテニスをしていたことがあるが、たまたまネット際でボレーを決めれば、少々上手な人でも、まず返せないと思う。
それに対し、バドミントンや卓球だと、そういうシーンを素人が作れるとは思えない。

素人考えだけれど、やはりコートの大きさが物を言うのではないだろうか。打たれたショットに対応する時間の長短というものがあって、それはコートの大きさに依存するだろうから、テニスと他の2つの競技のゲームの運ばれ方が違うのではないかと思う。

こんな風にごちゃごちゃ素人が言ってるけれど、要するに、バドミントンも卓球も、あの最高峰の試合を見ていると、なぜあんなことができるんだろうと、ただただ感心しているわけです。

「チャレンジ」というルール~リオ・オリンピック・シリーズ

badminton_drible.png 昨日書いたとおり、バドミントン女子ダブルス決勝、日本の高松・松友ペアvsデンマーク・ペアの試合は大変な熱戦で、食い入るように中継を見せてもらった。結果は周知のとおり。

この試合中、デンマーク選手のドリブル(二度打ち)があった。
これについてはネットに「大誤審」として取り上げているページがある。このページには、スロービデオも掲載されている。

私もライブ中継を見ていて、問題のポイントで、松友選手が審判に抗議するのを見た。放送でもスロービデオを流して、たしかに二度打ちになっていた。解説者も2回当たってますね、と言っていた。

上で紹介したスロービデオを見ると、二度打ちどころか、三度打ちのように見える。
二度打ちといっても、ラケットヘッドとストリングド・エリアで、1回のストロークで連続して打たれるのは「フォルト」ではないそうで、ネットの意見でも、セーフというものがある。しかし、私には、最初の二度打ちはそのルールが適用されてセーフだけれど、さらにもう1タッチしていて、これならフォールトのように見える。

今ここで、蒸し返す気はない(勝ったからだけれど)。
しかし、中継中にも思ったけれど、「チャレンジ」は、シャトルのイン/アウト判定にしか使えないのだろうか?
この試合でも何度かあったチャレンジでは、コンピュータが画像解析してシャトルが落下した影を映し出していたが、ダブルタッチの判定はもちろんこのシステムは使えない。だからといって、ビデオを肉眼で見たら、少なくとも判断の材料にはなるのではないだろうか。

「チャレンジ」というルールを初めて知ったのは、テニスの試合中継でだったと思う。あまりに高速だからイン/アウトが判定しきれない。テニスでは、その前はセンサーが音を出す仕掛けを採用していたようだが、レフェリーは参考程度にしていたように思う。

その後、チャレンジが定着してきて、バレーボールでも採用されているようだし、野球でも米大リーグでは既に採用されている。
このオリンピックで知ったのだが、レスリングにもチャレンジ・ルールがあって、こちらはチャレンジに失敗すると、相手にポイントが与えられるそうだ。
チャレンジの乱発はもちろんゲームの進行を妨げるから、どの競技でもチャレンジの回数制限や、レスリングのようなペナルティなどが規程されている。

審判は間違ってはいけない、というのは、ビデオや機械判定に対抗心を燃やすことではなくて、それを審判の道具として使って正しい判定をするということだと思う。ましてや、ビデオが真実を捉えていて誤審があからさまになると困るから、ビデオそのものを否定するというのは本末転倒、まるでラッダイト運動のようだ。

ところで、このオリンピックでは、風の影響でアウトになりましたというシーンが何度もあった。
昔、体育館関係者から聞いていたところでは、バドミントンのときは空調を止めるというのだけれど。


【追記】

より見やすくするために、前記のビデオを、拡大して再生速度を落とした動画を作成した。

double_touch_final_s.gif


バドミントンなんか見なくて良い~リオ・オリンピック・シリーズ

20160816-00000020-reut-000-view.jpg このオリンピックで、一番熱心に、ライブ中継を見たのがバドミントンのタカ・マツの試合。

普段、バドミントンの試合中継なんて見ることはない。やはり、オリンピックの威力。そして、マイナーと言われる競技でも、メダル候補となれば国民の注目を浴びる。

ネットのおかげで、あまり知らない競技のルールも簡単に調べられる。バドミントンもその一つ。
サイド、エンド(この用語も知らなかった)のラインが二重になっていて、シングルスとダブルスでインコートが違うというのもネットのルール解説で知った。

それまでは、今のは入ってるんじゃないか、と思ったりした。


そういうマイナーな競技だから、テレビ局も軽く扱ったのに違いない。
タカ・マツの準々決勝。
ゲームカウント1-1で、中継終了。画面は、NHK-BSでも放送している陸上予選に切り替わった。

Yahooニュースのこの試合結果の記事には、大量のコメントが付されていた。
もちろん私もそのコメントに激しく同意。
「日テレ(関西なので読売TV)のアホ、ボケ、カス!」

怒りのコメントを読んでいて、NHKのアプリだと中継されていたらしい。
知らんかった。


プロ野球中継で「試合の途中ですがまもなく放送を打ち切らせていただきます」の仕打ちをうらめしく思っていた人から絶大な支持を受けたサンテレビの完全中継というのもある(もっとも野球はメジャー・スポーツだけれど)。
taka-matsu-hyosho.jpg
野球は攻守交替のときにCMを入れられるから問題ないけれど、サッカーやラグビーなど、CMを入れるタイミングがとりにくい競技は民放では放送しにくいと思う。
というか、私にも複数回経験がある。

CMの間にゴールが決まりました」とか、「CMの間にトライがありました
そしてこのCMのスポンサーの商品は絶対に買わないぞ、と誓うことが。


それでも決勝戦は、最後まで放送してくれた。
おかげで、あの奇跡の大逆転、16-19からの5ポイント連取を見せていただいた。

おかげでえらい睡眠不足や。さっさと中継打ち切ってくれたらあきらめついたのに。


右の写真は見事ですな。
「タカマツ」ペアはしぐさでも息ぴったり
(森田達也撮影)(写真:産経新聞)

ラグビーは何人がおもしろい~リオ・オリンピック・シリーズ

2016-08-12_100244.jpg オリンピックの7人制ラグビー(男子)では、3位決定戦で南アフリカに負け、日本が惜しくもメダルを逃した。

本大会では、ニュージーランドに勝って奇跡の再現と報道されたけれど、ワールドカップの奇跡(南アに勝利)の再現はならなかった。

高校ぐらいのときから、セヴンスという競技があることは知っていたけれど、そして得点シーンなどのダイジェストは見たこともあったけれど、1試合を通して見たことは今までなかった。

めまぐるしい動き、ぶつかり合う迫力が、視ている側にいやおうない興奮を催す。
あの屈強な、大きな体と我が身を比べると実に情けない、同じ男に分類されるのがおこがましいとしか言えないし、とても自分がプレイする自信はないけれど(女子セブンスに混じる自信も、もちろんない)、観ている分には大変おもしろい。

しかし南アに何度も抜かれてたやすくトライをあげられるシーンを見ていて、これは鬼ごっこか、とも思った。
もちろんタッチしたら終わりという普通の鬼ごっこではなく、肉弾相打つ白兵戦なのだけれど、ディフェンスをかわして走り抜けると、もう止めようがない。
ボールを持って走るのと、持たずに走るのではスピードに違いが出る。だから同じ速力の選手だったら、追いつくチャンスはあるわけだが、カウンター気味に抜かれると、反転して追い始めるときに既に相当の差がついてしまっている。

15人制の普通のラグビーではこういうシーンは、完全にそろったライン攻撃中にインターセプトでも起こらない限り、まず見られない。そして、そんなことはめったにあるものではない。

で、考えた。日本があっさり負けたから言うわけじゃないけれど、
ラグビーは何人でやるのが一番おもしろいんだろう?

7人制から考えると、ああいう鬼ごっこ的な、そして追いかける方があきらめてしまうようなシーンを減らすには、15人制のようにFB(フルバック)を1人置けばどうなるんだろう。
もちろん1人増えてお、その1人がFB的ポジショニングをとるかどうかはわからない。単純にラインを長くするのに使う方が有利かもしれない。実際、15人制でも、FBがライン参加することはたびたび見られる。

野球が発明されたとき、最初は遊撃手というのはいなかったと聞いたことがある。内野手は1,2,3の各塁についていて、野手の間を抜けるヒットがたくさん出たという。ゲームの興を落とさないため、遊撃手を置くルールに変わったのだという。


7人制の7にはどれほどの意味があるのだろうか。
もちろんいろんな人数でやってみて、7人制に落ち着いたのかもしれないが、7+1、つまり8人制にしたら、ゲームはどのように変わるだろうか。9人だったら? 10人だったら?

メダルは逃したけれど、日本の善戦、とりわけニュージーランドに勝ったことは、世界に衝撃を与えたらしい。
日本人は「チビのピカチュウ」だけではない。

重量挙げ~リオ・オリンピック・シリーズ

リオ・オリンピックが閉幕してまもなく1週間、日本は、金12、銀8、銅21、合計41のメダルを獲得した。

前に「知識のアップデート」の稿で、オリンピックはネタの宝庫と書いた。

記事にできそうなことをメモしていて、10本ぐらいは書けそうなのだけれど、その後アップしたのは「リオ・オリンピックの謎」(南半球の季節は冬なのに、何故Summer gameというんだろう)だけだった。

もはや時季外れと言われると思うけれど、ネタを腐らせるのも勿体ないので、蔵出しすることにした。と言っても、オリンピックの感動をストレートに記事にするのは、恥ずかしくてできない。ということで、偏屈な記事ばかりをシリーズで。


RIOEC8700YHCP_768x432.jpg 今日は、重量挙げをとりあげる。

感動そのものは書かないと述べたけれど、女子48kg級の三宅宏実選手の銅メダルは感動的であった。
何が何でも挙げるという形相と、挙がったときの満足そうな顔、そして試技を終えてディスクに頬ずりする姿、そのどれをとってもぐっとくるものがある。

東京1964でもそうだったと思うけれど、オリンピックでは開会後すぐに重量挙げがあるようで、東京のときは、開会の翌日にバンタム級で一ノ関史郎選手が銅メダル、そしてその翌日、三宅宏実選手の伯父さん三宅義信選手がフェザー級で金メダルだった。


それで思い出したのが北杜夫「怪盗ジバコ」(1967年)。

重量挙げなんて単純なスポーツだ、何が面白いんだ、馬鹿じゃなかろかと考えていたが、東京オリンピックのテレビ中継を見て夢中になり、自分が選手になった妄想を抱き、世界一の力持ちになったつもり……
……なのだが家人に、瓶の蓋を開けてと頼まれて果たせず、夢からさめると同時に自信喪失に陥る、
そして、もう使い物にならなくなってしまう……

こんなオリンピック後遺症が部下、とりわけ東京の部下の間に蔓延したため、やむなくジバコ親分みずからメキシコ・オリンピックに出場する、という話が「怪盗ジバコ」の中にある。

射撃のような勝ってアタリマエの競技で金メダルをとってもしかたがないし、各国にいる部下にも配慮して、小国の代表としてマラソンに出場する。はじめからぶっちぎりのトップを快走、給水所ではつぎつぎに御馳走を食べる。しかし最後にビーフ・ステーキを賞味して腹にこたえ、とうとうアベベに追い上げられながらも、今一歩でかわして優勝する、という筋書きだったと思う。

インタビューに答えるジバコ。
あっしは、追っかけられてつかまったことはないのでさぁ


リオ・オリンピックの謎

2016-08-12_113241.jpg 「謎」などと大袈裟だけれど、この南米はじめてのオリンピックでは、ちょっと首を傾げることがある。

まず、連日熱戦がライブで放送されるのは良いのだけれど、日本でのお昼前ぐらいに競技が行われている。
リオとは時差12時間、つまり真夜中である。

先日の女子バレーボールのブラジル戦は日本時間の朝10:35試合開始。こんな時間に始めたら日付が変わるんじゃないかと思ったのだけれど、結果はブラジルが3セット連取したので、日付が変わるまでに未だ10分ぐらい残していたように思う。


卓球の愛ちゃんは、準決勝を日本時間の22:00に開始して、3位決定戦を8:30に開始していた。現地では、朝にやって、その日の夜にやるというスケジュールだけれど、日本で観ているほうとしては、一晩寝て試合に臨んでいるような錯覚を覚えた。

ガセネタかもしれないが、以前、何かで読んだのだが、オリンピックの競技時刻は、メディアの意向(つまり多額の放映権料を支払うメディアが自国民が視聴するのに都合の良い時刻)で決まるというような話がある。


それはともかく、ブラジルの人たちは、普通、一体、いつ就寝するのだろう。
高緯度地方なら、夏は大変な宵っ張りになるというが、ここはブラジル、しかも冬である。

次に、これは夏の大会だということ。ブラジルは今は冬じゃないの?
IOCの公式ページでも、"the Rio 2016 Summer Games"と表示されている。

どうやら、夏とか冬とかいうのは、大会を開催する季節を指しているのではないらしい。IOCのページを見ると、"Summer Sports"と"Winter Sports"という区別がある。どうやら、この競技分類によって、夏か冬かを決めているらしい。

  Winter Sports  
  Alpine Skiing
  Biathlon
  Bobsleigh
  Cross Country Skiing
  Curling
  Figure skating
  Freestyle Skiing
  Ice Hockey
  Luge
  Nordic Combined
  Short Track Speed Skating
  Skeleton
  Ski Jumping
  Snowboard
  Speed skating
  
  Summer Sports  
  Archery   Fencing   Table Tennis
  Athletics   Football   Taekwondo
  Badminton   Golf   Tennis
  Basketball   Gymnastics Artistic   Trampoline
  Beach Volleyball   Gymnastics Rhythmic   Triathlon
  Boxing   Handball   Volleyball
  Canoe Slalom   Hockey   Water Polo
  Canoe Sprint   Judo   Weightlifting
  Cycling BMX   Modern Pentathlon   Wrestling Freestyle
  Cycling Mountain Bike   Rowing   Wrestling Greco-Roman
  Cycling Road   Rugby   
  Cycling Track   Sailing   
  Diving   Shooting   
  Equestrian/Dressage   Swimming   
  Equestrian/Eventing   Synchronized Swimming   
  Equestrian/Jumping      

それなら"Summer"という言葉に拘らず、東京2020は、前の東京五輪のように、10月に開催すれば良いのではないだろうか。
先日、東京都心が37℃を超えたという。これは気象観測場所での気温だから、日なたやアスファルトの上だと40℃を軽く突破し50℃にもなるだろう。
これでは、ジカ熱以上に嫌われるんじゃないだろうか。

この8月に開催するというのも、真偽のほどはわからないが、視聴しやすいバカンス時期にオリンピックをやってもらいたいというメディアの意向という説もある。


"Athletes first but …"

(but media)


イチロー3000安打

とうとうイチローがメジャー通算3000安打を記録した。
時間の問題とはわかっているものの、あと2本になってからなかなか1本が出ずやきもきした。

前に、日米通算でピート・ローズを超えたときにも取り上げたけれど、それまでのMLBの価値観自体を揺るがす記録だと思う。

何より、米国民がイチローを尊敬し、打席ごとにスタンディング・オベーションで迎えられるという姿が、印象的。
イチローは、その期待に応えようという気持ちが強すぎたことが、記録を目前にしての足踏みにつながった、さすがのイチローでも、そういうところがあったのではないだろうか。

とにかくおめでとう。
そして、素直に喜び、イチローに敬意をはらってくれる米国民にも感謝したい。


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糖質制限

2016-07-07_110230.jpg 先日、NHK「ためしてガッテン」で"追跡!糖質制限ダイエットの落とし穴"というのを見た。

番組では、糖質制限ダイエットを実行してダイエットに成功した話と、体重も血糖値も落ちたが、筋力・思考力が落ちたという話が紹介されていて、後者の原因は、絶対的カロリー不足であると説明していた。

これは糖質制限では常識とされることで、糖質を減らすと同時に、たんぱく・脂質はそれに見合うだけ増やす必要があるということであり、多くの書でも注意されていることである。件のダイエットで不調に陥った人はちゃんと本を読んでいたらしいのだけれど、ダイエットに熱心な人は、どうしても食べすぎることに抵抗が強くなるようだ。

私はダイエットを求められるような体型ではなく、今のところ、糖質制限を手放しで認めるわけではないし、実行しようというつもりもない。だけど、糖質制限の考え方にはちょっと関心を持っている。

それは、少し前に宗田哲男「ケトン体が人類を救う~糖質制限でなぜ健康になるのか」という本を読んで、なるほどと腑に落ちることが書いてあったから。

ketontaigajinruiwosukuu.jpg この本は、糖質制限ダイエットが話題の中心ではなくて、妊娠糖尿病が中心になっている。
そうした症状に陥った妊婦の苦労、不安が書かれ、それに対する今までの治療法に対する批判、糖質制限を推奨することに対する伝統的医療者から受ける理不尽な攻撃などが書かれている。

同書では、糖質制限の有効性の説明のため、糖質とインシュリン、肥満の関係について、いろいろ解説されていて、ふぅ~ん、そういうことなのかな、と思いながら読んでいたのだが、そういわれればそうかと腑に落ちる話が書かれていた。それは、

鳥の卵には糖質はほとんど含まれていないが、きちんと雛が育つ

ということ。

実際、食品成分表を見ると、生鶏卵100gあたりの炭水化物は0.3gであり、ほとんどが蛋白質と脂質である。鶏卵だけでなく、魚卵でも同様である(ヘビやカエルの卵は食品成分表にはないようだ)。
生物進化で、人類あるいは哺乳類でも良いが、胎生になったとたん、発生に必要な栄養素の構成が大きく変わるとは考えにくい。人間の胎児の栄養には糖質がたくさん必要だというのは一体、どういう根拠があったんだろう。

前掲書では、胎児の臍帯の血液を調べたところ、糖質は少なく、ケトンが驚くほど高濃度であったと書かれている(それまで調べた人がいないというのも信じがたいけど。調べんと言うてたんか)。


もちろん人体に糖質が不要というわけではないが、その量は多くないそうだ。NHKの番組では、ミトコンドリアが脂質をエネルギーとして使えることは説明されていたが、前掲書には、あたりまえだがミトコンドリアをもたない細胞、たとえば赤血球などは糖質が必要であると書かれている。(もっとも糖質を摂取していないと糖新生ということも起こるらしいが)

また、最近まで脳が栄養として使えるのは糖だけだと考えられていたが、NHKの番組でも指摘されていたように、脳はケトンでも動作するという。

脳の栄養は糖だから、朝起きたらすぐに炭水化物をとるべきであるという話も聞いたことがある。脂質が脳に利用可能なケトンになる時間の問題もあるから、この話の有効性が直ちに否定されるわけではないと思う。

ともかく、「脳がエネルギーとして使えるのは糖だけだから、胎児には糖を欠かすことができない、したがって糖質制限はまちがい」ということだったのだけれど、最初のところが違っている。

これは典型的なものだけれど、我々は三段論法を重ねられると、論理的で正しいと考えがちだが、実はその一つ一つの真偽があやしいものや、前提条件が違っているものが含まれていて、実は全くのデタラメだということは結構ある。専門家もそうした間違いをするというか、専門家ゆえに一層思い込みが強くて修正がきかないということもあるようだ。

前掲書によれば「三大栄養素(たんぱく、脂質、炭水化物)をバランス良く」という栄養学も実は何の根拠もなく信じ込まれていることなのだそうだ。(「バランス良く」って、その尺度は何?)


sugarTax_UK.jpg 番組では、イギリスでは糖のとりすぎが問題視され、砂糖税が設けられていると紹介されていた。米国も州によってはそうらしい。医者は、砂糖は体に悪く、しかも中毒性があるのだと言いだしている。

以前、何かの本で読んだ覚えがあるが、カロリーのない人工甘味料が体に悪いのは、甘味を感じてもエネルギー不足の状態になるため、甘味に対する感受性が落ちて、さらに大量の甘味を求めるようになるからだ、というような説明があったけれど、これもかなりアヤシそうだ。

その一方、あれほど悪者扱いされていたコレステロールも、今や健康指標として無意味とされ、新しい健康診査では使われなくなっている。


医学の世界は、健康に良い(悪い)習慣が、突然、健康に悪い(良い)習慣に、正しい(間違った)治療法が、突然、間違った(正しい)治療法に変わる世界らしい。

昔、タバコはコレラの特効薬と信じられていたことがあったらしい。今では、あらゆる病気の元凶である。これが再度、体に良いに変わることは…………やっぱり、ないだろうな。


MLBの価値観からイチローは生まれただろうか

ichiro_4256.jpg 一昨日、イチローが日米通算で4257本目のヒットを打って、ピート・ローズのMLB通算安打数を超えた。

このブログでとりあげたからといって、世界中で飛び交う情報に、何にも追加できるわけではないけれど、ブログの日記性ということから、この出来事についても、そのとき私が何を思ったかという意味で書いておくことにした。

写真はネット上の動画からキャプチャしたもの。

Yahoo映像トピックス「イチロー、ローズ超えた偉業達成の瞬間」から。

ローズを抜いた4257本目でなく、並んだ4256本目。
なぜこっち(キャッチャーゴロ内野安打)を選んだかというと、こっちの方がある意味イチローらしいと思ったから。
4257本目の眼の醒めるようなツーベースの方がはるかに恰好良いけれど、年齢を加え、出場機会も限られてきて、それでも最高のコンディションを維持して、自分の出番に備えるというイチローのひたむきさが良く表れている、そう感じたから。

ローズの記録との比較がやかましいけれど、イチローはイチロー、ローズはローズ、どちらも最高のバッターで、どちらが上かなんてことは、永遠に決着しないだろう。それはローズとカッブのどちらが上かというのと同様だろう。あるいは、ペレとメッシのどっちが上かなんてことと同じ。

ローズは野球賭博で晩節を汚し、MLBを追放されている。古代ローマだったら「記録抹殺刑(Damnatio Memoriae)」を受けて記録そのものを失ったかもしれないが。


それにしてもイチローの記録達成で思うのは、MLBでは、だからといってイチローの出場に特別な配慮はしてないように見えること。日本だったら記録のためには間違いなく1番イチローで使い続けるのじゃないだろうか。言い換えれば、イチローが試合に出ること自体が凄いことで、だからこそMLBの記録は値打ちが高いのだと思う。

MLB記録しか認めないという人に対して、イチローがもしはじめからMLBでプレイしていたらということで、MLBはNPBより試合数が多いとか、イチローはNPBのときよりMLBへ行ってからの方が試合当たりヒット数が多いとかで、今頃は4600安打打ってるだろうという人もいる。

しかし、もしイチローがはじめからアメリカへ行ってたら、マイナーリーグからはじめて、メジャーへ順調に上がれただろうか? あの華奢にも見える体で?
ホームランを打てる打者でなければ引き上げられなかったのでは。もちろんイチローはホームランを狙ったらそれなりの結果を出したかもしれないが、決して他を圧するような成績は出せず、メジャーに上がるのは難しかったかもしれない。

そう思うと、オリックスで仰木監督に巡り合い、見い出され、自由に活躍の機会を与えられたことが重要なのではないだろうか。

今、大谷翔平が注目されているが、彼も栗山監督によって、さまざまな活躍の場を与えられている。日本ハムは大谷翔平を口説き落とすのに、高卒でメジャーを目指すことがいかに大変であるか詳細なレポートを示したそうだが、大谷も、もしいきなりアメリカへ行っていたら、どうなっていただろう。

イチローは、日本での7年連続首位打者という実績があったからこそ、MLBの舞台に立った。
MLBの価値観の中だけでプレイしていたのでは、イチローはMLBの舞台に立つこともできなかったかもしれない。

ところで、イチローがメジャーへ行くことが決まったとき、日本ではおおかたの予想では(そしてアメリカ側でも)、そんなに活躍はできないだろうと言われていたと思う。日本では「振り子打法」として有名だったが、メジャーではこれは通用しないとも言われていたと思う(イチローはメジャーでは振り子打法はやめている)。

本人がインタビューに答えて「常に人に笑われてきた悔しい歴史」と話したという。
本当にそうだ。
これからはアメリカの子供でも、イチローみたいな選手になりたいと言って笑われることはないだろう。
イチローはMLBの価値観も変えたのではないだろうか。

やっと決まりました、オリンピック・エンブレム

c106f802-s.jpg ごたごたしたけれど、やっとオリンピック・エンブレムが決定した。
今度は、多分、盗作疑惑や、選考過程の不透明さなどは問題にならず、関係者は安堵していることだろう。

外野では、お笑い芸人のキングコング西野さんが、「負けエンブレム展」というのをやっていて、自身のデザインも公開している(それが優勝作品)。
なかなかやるじゃないか、というのが正直な感想。

さて、公式エンブレムのほうだけれど、最終選考の4作が発表されたとき、1つだけ他とまったく違う印象のものがあって、それが採用決定されたわけだ。
no1emblem.jpg emblem1-crop.jpg

出来レースじゃないかなどと批判するネット書込みもあったようだけれど、1つだけあまりに異質なデザインだから、そういう疑惑をもたれたのかもしれない。


私は、これで良かったと思っている。というか、とにかく落ち着いて良かった。

emblem2-crop.jpg デザイン・センスなど持ち合わせていない身には、作者の講釈のほうが説得力があるのだけれど、作者がインタヴューに答えて、「同じ数で作る」というようなことをおっしゃっていたので、数えてみた。

オリンピック用もパラリンピック用も、一番細い矩形が18個、少し太めの矩形も18個、そして正方形に見えるのが9個である。
emblem3-crop.jpg
この人の他の作品や、外装のデザインをした建物などがテレビで紹介されていた。
グラフィックなものが持ち味のようだが、グラフィックなものは、似たものができやすいんじゃないかと思う。その中で、個性を出していくのは、素人が考えるより厳しいことなのかもしれない。

喫煙シーンがあったら18禁

romanholidaytobacco5-zitter.jpg 新聞のコラムで、WHOが喫煙シーンのある映画を「成人指定」するよう勧告したという話を読んだ。
 世界保健機関(WHO)は2016年2月1日、喫煙シーンのある映画やドラマなどが若者の喫煙を助長しているとの調査結果を発表し、各国に「成人向け」に指定する措置を取るように勧告した。
 WHOは、世界中でたばこの広告規制が強まる一方で、映画やドラマなどでは喫煙シーンが規制されていないと指摘。さらに、米国で新たに喫煙を始めた青年の37%が、映画やドラマをきっかけとしてタバコを吸い始めたという調査結果を引用し、各国政府に「たばこ関連映画の鑑賞に関する年齢制限を設ける」「喫煙シーンのある映画上映前に禁煙広告を表示する」といった対策を講じるよう勧告した。

vlcsnap-2016-03-23-09h23m05s175.png 昔の映画などをテレビで放映するとき、放送禁止用語が使われていると、そこでチンとか鳴ってセリフが消えることがある。
ということは、これに倣って、喫煙シーンではモザイクがかけられたり、たばこを吸わないようにしようというCMが流されたりするのだろうか。

これに関係しては、前に「タバコと映画」という記事を書いたけれど、喫煙シーンといえば、やはり「カルメン」を忘れることはできない。
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またまたオッターのカルメン、馬鹿の一つ覚えと言う人もいるだろうけれど、しつこく喫煙シーンを集めてみた。
(1枚を除いて、ギャラリーには入れていない写真)


カルメンは、タバコ工場の女工という設定であるから、カルメンはもとより、他の女工もスモーカーである。
酒場のシーンでは、当然のごとく、喫煙シーンがある。

これからはカルメンを上演するときは18禁ということになるかもしれない。
Carmen004s.png

たばこを吸わなくてもカルメンは子供には刺激が強すぎると思う。

カルメンとは快楽に生きる娘であり、ひどい悪女だ。男から男へと、何の躊躇もなく渡り歩く。この台本は、最悪の不道徳において表現されている。女工カルメンが本物のタバコを手にして舞台に出てほどなく、その悪魔のような心が姿を現す。〈ハバネラ〉には、官能性が充満しており、恥知らずの態度とあけすけな身振りによって、よりいっそう露骨なものになっていた。

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ベルイマン監督の「魔笛」では、ストーリーとは関係なく、楽屋で夜の女王の演者がたばこを吸うシーンがあったのを覚えている。

偉大なバリトンのフィッシャーディスカウは、喉に大変気をつかっていて、たばこなんぞはもっての他だったそうだが、やはり偉大なテノールのペーター・シュライヤーは平気でたばこを吸ってたらしい。



vlcsnap-2016-03-23-09h30m28s7.png そういえば40年ぐらい前の話、NHK教育テレビでマリファナの喫い方を流していて問題になったことがあった。なぜそんなことがと思う人もいるだろうが、私はしっかりそのシーンを見ている。
それはフランス語講座の寸劇であった。「ゆっくり、深く、静かに吸う」というように教えられた。

シャーロック・ホームズはアヘン常用者であるが、こちらは問題ないのだろうか。



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円陣

enjin_20160317.jpg プロ野球のいくつかの球団で「円陣」という賭け事まがいのことが行われていたことが問題になっている。

そうだったのか、野球中継でも良く目にする円陣というのは、そういうことだったのか。
良くアナウンサーが「○○選手が声をかけてますね、気合が入ってますね」と言っていたが、「○○選手はこの試合に勝たないと○万円の損害になりますね」ということだったのか。

ネットを見ていると、「円陣」が賭博にあたるのかどうかという視点で解説してくれているページ(木曽崇 国際カジノ研究所・所長)があって、これはこれでなるほどと思う。
※ニュースサイトは記事が消えることが多いので要点を再掲しておく。

勝った時に「声だし」を行った選手にチームメイト全員から5000円が支払われるというだけならば、巨人軍が説明しているようにご祝儀の範疇となるが、負けた時に逆にチームメイト全員に千円を支払うというオプションが付いている時点で、財物の移動に双方向性が生まれてしまいご祝儀の範疇を超える。(賭博にあたる)


これを不正、あるいは不適切な行為であったとコミッショナーも言っているようだが、野球ファンの間では、賛否は拮抗しているようだ。問題はないという意見は、

大人の遊びの範囲、目くじらたてることはない
それで真剣にゲームに取り組めるならOK

というようなところだろう。

私は、一見似たような行為でも、「円陣」のルール次第で、評価できるかどうかが変わると思う。
問題は監督・コーチ陣やフロントがどういう意識のもとに判断していたのかであろう。
選手も監督・コーチも、試合に勝つことに集中しなければならない。「円陣」が勝つための意欲を高める方向にのみ作用するものであったのか。
報道では、連勝が続いて「賭け金」が多額になると、そろそろ負けようという気になるというような話も伝えられていた。マイナス・インセンティブである。

試合中に「賭け事」で遊んでいたというなら、それ自体が問題である。公務員だったら職務専念義務違反である。
「賭け事」でないとしても、その行為がチームの勝利への意欲を殺ぐ効果があると判断できるなら、監督らが、それをやめさせなかったことが問題である。司令官として失格だろう。

「(本当はやりたくないけど)仕事やからやってる」というような意識でやられちゃ困るんだ。まじめに試合の勝敗に賭ける者が困るじゃないか。
試合中は試合に集中してください。

「円陣」が試合に集中し、勝利への意欲を高める方向でしか作用しないのであれば、それは決して悪いことではないと思う。同じような行為でも、ルーズな金銭感覚ではじまったのものなのか、試合への集中を高めるためにはじまったのかで評価は変わると思う。
もちろん前者では困るが、後者であれば、マイナス・インセンティブになるようなルールを排除しなければならなかった。

賭け事まがいという事であたふたしたり、あるいは大したことじゃないと考えてもらっては困る。
目的に合った手段を選ぶこと、目的に合わないことは排除する、それが司令官の役割であろう。

ところで、「円陣」はゼロサム・ゲームである。身内でやる麻雀のようなもので、身内の中で勝ち負けが出る。
それに対し、競馬やパチンコは、とくにパチンコは胴元がリスクを負うというもので、身内の勝ち負けではない。むしろ共同で胴元に挑戦できるゲームである。
多くのスポーツで、勝利チーム賞がある。これなら、負けようというインセンティブは働かないのではないか。

要はルールの設計である。

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六二郎。六二郎。


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