沖縄 慰霊の日

昨日は「沖縄 慰霊の日」。

沖縄の人が、本土へ来てショックを受けたと言った話を聞いたことがある。
それは「沖縄 慰霊の日」が、本土のメディアでは、あまり大きく取り上げられていないということ。
なので、このブログでは、前にも取り上げたことがあるが、できるだけ記事にしようと思った。

FabPlayer_[20180623-191203-150] 式典では、知事による平和宣言の後、中学生が自作の詩「生きる」を朗読。毎年、この式次第のようだが、昨日の朗読は、力のこもった見事なものだった。テレビのニュースでもこのシーンが流されていた。目頭を熱くした人も多かったのでは。

平和の詩「生きる」全文(毎日新聞)


ところで、沖縄ではなく今は鹿児島県に属するが、奄美大島も琉球文化圏である。
そして戦後、沖縄と同じように米軍の占領下にあった(1953年に返還)。

これを記事にとりあげたのは、大河ドラマ「西郷どん」で当時の島の様子、島民が薩摩の圧政下で苦しい生活をしていたことが描かれたから。
琉球は清と薩摩に両属していたわけだが、奄美は薩摩の直轄地、ただし対外的には琉球の一部となっていたそうだ。

「西郷どん」では、島民の代表のようなイメージでとりあげられていた龍佐民だが、おそらくは島の名家で、薩摩の命で島民を監督する立場であったのではないだろうか。龍という姓を持つのは、そうした有力者だからであろう。

NHKの「日本人のおなまえっ!」という番組の6月21日放送分は、『奄美のおなまえ』で、奄美大島には龍などの一字姓が多いとしていた。これは、一字姓は中国風に見え、中国との交易に有利だと考えられていたからだと言う。


「西郷どん」の時代考証はアリエンだろうと思っていたが、奄美の歴史に少しでも触れられたことは良かったのではないだろうか。

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18歳でオトナ

先日、民法上の成人を18歳に引き下げる法改正が行われた。2022年4月1日に施行されるという。
以前、選挙権を18歳に引き下げて、成人年齢の引き下げについても、議論が本格化した結果だ。

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22年4月、成人年齢18歳に=飲酒、喫煙は20歳維持-改正民法成立
 成人年齢を20歳から18歳に引き下げる改正民法は13日の参院本会議で採決され、与党などの賛成多数で可決、成立した。女性の婚姻可能年齢は16歳から18歳に引き上げられ、男女とも18歳となる。飲酒、喫煙の開始年齢は現行の20歳を維持。周知期間を経て、2022年4月1日に施行される。
(時事ドットコム 2018/06/13)
20歳が良いか、18歳が良いか、成人=一人前のオトナと認めるのは何歳からが良いかということに、ちゃんとした答えが出せるわけもない。

そもそも成人とは、成人を迎える側の問題というより、迎え入れる大人の事情のように思う。
お前はもうオトナなんだから、これからは自分でちゃんとしなければならんぞ、あるいは、今までは親や社会に保護される立場だったが、これからは貢献する側なんだぞ、ということである。
今の世の中、早くオトナになりたいなんて考えている子供は少数派であろう。ピーターパン・シンドロームという言葉もあるぐらいだ。

今回の法改正がそういう意味で不満なのは、年金受給者たる私としては、なにより国民年金の保険料の納付義務は20歳のままであること。逼迫する年金財政の改善が喫緊の課題であるはずなのに、どうして納付義務年齢を下げなかったのか。(なんとワガママなジジイ)

今回は民法の範囲で、契約権限などに関することが中心だから、自動的には年金制度にまで手が伸びなかったのだろうけれど、これを除いたら、まだまだ大半が親がかりの18歳には、大した影響はないと思う。
はやく年金法の改正にも手を付け、私たち年寄りを支えるオトナを増やしてもらいたいものだ。

といっても収入がなかったらできない相談。学生などに対する猶予制度が拡大するだけか。


報道によると、成人式の扱いも悩ましいのだそうだ。
同じ学年の高校生で、成人式に参加するものと、しないものが出るとか言ってるらしい。
そんなこと何の問題もないだろう。今でも、選挙の投票権のある生徒と、ない生徒が同一学年で混在している。単なる儀式にすぎないことで悩むか?

法施行直後は大変だと思う。3年分の成人式をやることになるから。
というか、何も一斉にやらなくても良いと思う。やるなら月単位とかで順に成人式に出させていった方が、次はオレの番だと心の準備ができて、良いかもしれない。


上では単なる儀式と書いたけれど、それは現在の実態がそうだからであって、本当は通過儀礼(イニシエーション)として、もっと当人の心構えが変わり、アホな行動が抑制されるべきなのかもしれない。学校の入学式、卒業式ともそういう意義があってのものだと思う。(親のためにあるわけじゃない)
スパルタの男の成人儀礼では、最小の武具を持たされ、一週間の野生生活(狩猟や農奴からの略奪)を生き延び、さらに農奴の首をとるという課題があったという(塩野七生「ギリシア人の物語」)。
人一人殺さないと一人前じゃないなんて恐ろしいが、服装や髪形などで、明確にオトナとわかるものにすると、まだ子供のくせにとか、もうオトナのくせにというように周囲から見られるわけで、行動変容の役に立って良いかもしれない。この際、月代を剃らせたらどうか。(悩む男が減るかもしれない)

それで成人儀礼について提案。
大人の導師が、新成人にバイプをすすめ、新成人は生まれて初めて煙草を喫う、なんていう儀式をしたらおもしろいと思うけどなぁ。

(あっ、今回の法改正では、喫煙・飲酒は20歳からのままだった)


米朝会談

昨日は休刊日でさぼったので、少し遅れて世界的大事件について。
2018-06-13_092218.jpg
一昨日、メディアがこぞってとりあげた米朝首脳会談が行われた。
ニュース映像では、何度も、歩み寄って握手をするシーン、なごやかに会談するシーンが流された。
おおかたの評価は、まず「歴史的」ということ、そして始まったばかりというもの。

共同声明は、次のようなもの。
 トランプ大統領と金委員長は、新たな米朝関係の確立と、朝鮮半島における持続的で強固な平和体制の構築に関連する諸問題について、包括的で詳細、かつ誠実な意見交換をした。トランプ大統領は北朝鮮に安全の保証を与えることを約束し、金委員長は朝鮮半島の完全非核化への確固で揺るぎのない約束を再確認した。
他、箇条書きで、少し具体的なことも書いてあるけれど、北朝鮮の体制維持と、朝鮮半島の非核化というのが、今後の方向として合意されたと読めばよいのだろう。

これからの動きだけど、金正恩委員長がメディアに向かって発言することはそう多くはないだろうし、発言する場合は、今までどおりのトーンではないかと思う。
一方のトランプ大統領は、早くも、この会談を実施したという事実を最大限利用した発言が続いているようだ。それによれば、アメリカだけではなく、戦争当事国の韓国、そしてなぜか日本に対しても、非核化の費用負担を求めるというようなことも含まれている。

もちろん朝鮮半島の平和はのぞましいと思うけれど、本当にそうなったら、在韓米軍は撤退しなければならないのでは、そうだと日本の米軍のポジションも大きく変わる。中国とはどうなるんだなど、先が読めないことが多い。
また、経済制裁から経済協力へと転換して、北朝鮮国民が豊かになったりすると、それはそれで北の国内情勢が怪しくなりはしないかと変な心配もある。

ところで、このニュースを聞いて、最初に思ったことは、北朝鮮の国体の護持が約束されたんだなということ。北朝鮮は敗戦国というわけではないから、武装解除とか、戦争犯罪の追及などはなかった。
そこが大日本帝国のときとは違うようだ。

「歴史の舞台」

5132KP26XXL.jpg 司馬遼太郎「歴史の舞台 文明のさまざま」について。

図書館の新刊棚にあるのが目に入ったもの。例によって、通勤の無聊を慰めるために内容を見ることもなく、著者の名前だけ見て借り出した。

書名から想像されるものとは全然違うものだった。
欧米中心の世界史教育を受けたものとしては、「歴史の舞台」と言えば、そりゃ本書にあるモンゴル、中央アジアもあるだろうけれど、エジプトとかローマとか、もっといろいろあるだろう。しかもご丁寧に「文明のさまざま」ときているわけだから。
目次も開けずに、そう思った私が悪いのかもしれないけれど、それに、司馬遼太郎とローマというのもピンとこないわけだし。
でもおもしろかった。

内容だが、30年以上も前に書かれたエッセイが14本。

なので図書館の新刊棚にあったのが不思議。

最初の2つは、著者が西域へ旅行したときの旅行記でもある。これが本書のメイン・コンテンツ。
残る12本はごく短いエッセイというか、コラムのようなもので、雑誌などで使い捨てにされるようなもの。

天山の麓の緑のなかで
イリ十日記―天山北路の諸民族たち
文明論への重要な資料
鮮やかな光度をもつ北方文化
沸騰する社会と諸思想
複合された古代世界の舞台
漢字と孔子
『叛旗』と李自成のこと
古朝鮮の成立
アラブと錠前
友人の旅の話
倭寇と老熟
倭の印象
高野山管見
内容についてはいちいちコメントする気はないが、司馬氏が旅した当時の西域の街や人びとの写真も興味深い。なんといっても、ソビエト連邦時代である。これはこれで貴重かも。

書かれているのは遊牧民のことがほとんどである。
遊牧というと、財の蓄積もあまりなされない、原始的なイメージがあるけれど、実際には、農業よりも新しい生産形態だという。

遊牧生活では野菜とかはあまりとらない。(草なんか食べるのは馬や羊だとでも考えているのかも。)
肉は遊牧していてうじゃうじゃあるわけだが、それらを食するのは特別な場合で、もっぱら乳の利用である。
エネルギーも、ミネラルやビタミンも乳から得る。
保存食品も乳製品である。

遺伝的に、乳の分解酵素の欠損なんかないんだろうなぁ。腸内細菌も遊牧生活に対応しているに違いない。
それでも、遊牧民に生まれたかったかと聞かれたら、やはりイエスとは言いにくい。
やっぱり音楽も聴きたいし、本も読みたい。そうしたものが貯まって行く。

しかし待てよ、以前ならレコードやCD、分厚い本が貯まったけれど、ネット社会になったら、随分と軽くなる。そういえば、テレビ番組などで見ると、遊牧民は衛星アンテナを持っていて、ネットも利用していたようだ。現代は案外、遊牧生活に向いているのかも。


後半は、朝鮮、中国、倭(日本)の話だが、一つだけ紹介しておこう。
前に「倭奴」という言葉を紹介した。(戦争の日本古代史
この語は「ウェノム」と発音するそうだ。この言葉が使われると気持ちの平衡が失われるという。朝鮮語ではよほどひどい語感をもっているらしい。
単純に蔑むという程度ではなく、憎しみもこもっているようだ。
覚えておこう。

バスケットの中味と値段

Keicho-koban2.jpg 先日とりあげた古川愛哲「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」では、経済感覚を現在と比較するためだろう、当時の物価を現在の価格に換算して示している。

同書では、大工の手間賃、つまり人件費を基準に、1両=30万円としている。しかし、どうも私の感覚では、これで評価するといろんなものが高く感じられる。
前に紹介した山口博「日本人の給与明細―古典で読み解く物価事情」では、この本は奈良時代から扱っているということもあって、概ね米価を基準にしていて、江戸の1両は10~20万円としている。

思うに、江戸時代は相対的に人件費が安くて(人の命が安い?)、今の人件費にあてはめて考えると、物の値段に対して過大な評価になるのではないだろうか。
実際、日本銀行金融研究所貨幣博物館の資料では「当時と今の米の値段を比較すると1両=約4万円、大工の手間賃では1両=30~40万円、お蕎麦(そば)の代金では1両=12~13万円」という試算があって、基準にするものによって、受けとめる感覚が随分違う。

niigata_koshihikari_10kg.jpg 米の価格で比較するのも、供給側から考えると、米の生産技術や品種の改良で、現代の米の生産性はあがっていて、相対的に江戸の米は高かったということになる。
さらに思うのは、今でこそ日本人は米を常食としているが、江戸時代はよほどの高禄の武士や大金持ちしか米を常食にはできなかった。(⇒お米と食の近代史

米は主食だというけれど、庶民の食事を考えるなら、現代の主食の米と比較すべきは、江戸時代の麦や雑穀類のほうが、感覚的に合うかもしれない。


shopping_basket.jpg もちろん、米や手間賃という限られたもので物価を換算するのは、データが少ないからで、現代の物価指数は、特定商品の価格で計算しているわけではない。
値段が上がるものもあれば、下がるものもある、そういういろんなものを寄せ集めて(バスケット)価格を比較している。

そしてバスケットに何を入れるのかも時代の変化で調整されている。
消費者物価指数の計算に使う品目に、パソコンが入ったと知ったときは、そういう時代になったんだと思ったものだ。

消費者物価指数の計算では、「標準的な暮らし方」というものも時代とともに変わると考えているわけだ。(⇒2015年基準 消費者物価指数の解説

ただ、現代は連続的に観測されていて調整の範囲だけれど、江戸時代となると不連続でバスケットの中味自体が推定できないのだろう。パソコンなんて江戸時代にはなかったし。


bigmac_l.png 同時代の国際比較では、バスケット方式とは逆に、世界共通商品の価格比較ということも行われる。
有名なのは「ビッグマック指数」。
世界諸都市で販売されているマクドナルドのビッグマックを同一価値として、その価格を基準として物価を国際比較する。

図体のでかいアングロサクソン人と、日本人にとって、ビッグマックの価値は違うかもしれない。そういえば、日本のレストランのステーキも彼らには驚くほど高い(量が少ない)のでは。


ところで、消費者物価指数の計算には、社会保障負担は入ってなかったと思う。
これを入れたら、インフレターゲットはすぐに達成できそうに思うのだけれど。

「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」

9784062724791.jpg 古川愛哲「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた―サムライと庶民365日の真実」について。

江戸時代は、時代小説や時代劇に描かれているものとは、本当は違う、実際はこうだったという話が数多くとりあげられている。

多くは今までにも聞いたこと・読んだことのあることだし、系統だって書かれているわけではないから、雑知識の収集程度で軽い気持ちで読んだ。

だから、最初は、大正時代にねじ曲げられたというけど、それはたまたま「はじめに」でトピックス的にとりあげられている、『チャンバラ』という言葉が(たまたま)大正時代にできたという程度で、大正という時代に特別な意味があるとも思えなかった。

ところが、ちゃんと読むと、著者は、為政者の方針とか時代の空気というのをきちんととらえて、「大正」を持ち出しているようだ。

ただし、そうしたストーリーに拘りすぎると、変な思い込みに陥るおそれもある。このあたりはどこまで事実をとらえているか、吟味が必要になるところか。

はじめに―「チャンバラ」は大正時代に生まれた
 
第一章 これが本当の江戸庶民の生活
時代劇とは違う江戸の町景色 / 江戸の町は右側通行、左側通行? / 悪臭漂う江戸の町、臭いの元は? / 町に張り巡らされた意外な監視網 / 家計を支える「つゆ稼ぎ」とは? / 江戸のびっくりDNA鑑定方法 / 男たちが浮世絵好きだった理由 / 江戸の町は不倫三昧 / 意味も発音も味わいある江戸語 / 古着が当たり前の生活 
 
第二章 ビジネスに行政―これが本当の江戸社会
武家と町人が接触できない社会 / 一握りだった正式な町人 / 役所と交番を兼ねる大家さん / 江戸にもいた派遣社員 / 大名行列にも日雇いを起用 / 商人の馬鹿息子は跡を継げない / 江戸の商家で息子が跡取りだと / 江戸にもあったコンサルタント業 / 儲かる江戸っ子はバイリンガル / 野菜と糞尿のリサイクル生活 
 
第三章 嘘かまことか―これが江戸の現実
江戸の華、火事に消された真実 / 「生類憐みの令」は悪法か? / 座布団に老中がドカリと座る嘘 / みんな同じ形の葵の紋の嘘 / 葵の御紋が持つ本当の威力 / 大名行列、切捨て御免も金で解決 / 切捨て御免で復讐された馬鹿殿 / 日本刀の切れ味はいかほど? / 日本刀での理想的な斬り方 / 時代劇の切腹は不作法? / 「学問は道楽」が江戸の常識 / 学問で身を持ち崩した侍たち / 江戸時代にも受験ノイローゼが / 数学は武士より庶民の方が優秀 
 
第四章 時代劇の英雄たちの現実
武家地だらけの江戸の裏住宅事情 / 今とはちがい、不正役人は即処分 / 困窮を極めた鬼平の生活 / 博打と借金で堕落する旗本たち / 江戸町奉行所、捕物帳の現実 / 同心はでっち上げで点数稼ぎ / 将軍さまの大いなる退屈な日々 / 年間維持費六百億円の大奥 / 引退した御殿女中を忍者が監視 / 幼君への驚愕の性教育 / 妊娠した側室が殺された理由 / 悪代官はどのぐらいいたのか? / 農民は本当に虐げられていた?
 
第五章 江戸の祭事記の現実
将軍様の雑煮はなぜまずい? / 初詣でなど至難だった江戸っ子 / 正月二日は「姫始め」 / 正月三日は凧揚げ / 「七草がゆ」で正月を締める / 一月は「節分」、三月は「節句」 / 四月は「年度始め」に参勤交代 / 六月は参勤交代に「天下祭」 / 七月は「七夕」「中元」「盆休み」 / 八月は盆踊り、九月は「二百十日」 / 十一月の酉の位置、師走煤払い / 東京の歳時記に残る御家人の内職 
 
第六章 関東平野に残る江戸の現実
誰が関東平野を開拓したのか? / 追放されたキリシタンはどこへ / 新時代到来で地方と中央に格差 / 関東に名博徒が多い理由 / 善と悪、表裏一体の博徒たち / 領民の逃げ出しは最大のタブー / 浄土真宗の寺は移民の足跡 / 幕末の慰安婦外交とハーフの運命 

さて、著者の主張を、乱暴にまとめるとしたら、

明治政府は江戸幕府を否定することに躍起になった。何事も明治が良くて江戸は悪い・遅れていたということにする。そして庶民は江戸の記憶を封じられ、忘れていった。

しかし、明治末期から大正になると、もうそろそろ江戸を目の敵にしなくても良いだろうと、少しずつ昔(江戸)が懐かしがる風潮に寛大になる。

そして、日清・日露を戦って戦勝に湧く国民には、誇るべき歴史を持つ一等国民であること、忠君愛国の精神を持つ皇国臣民であることを求めた。改変された江戸の歴史、理想化された「武士道」が役にたつ。

そして、この転換が起こったのが大正時代であり、その非科学的な江戸賛美・武士賛美は、アジア太平洋戦争の敗戦まで続く。


著者が言う「大正時代にねじ曲げられた」とはこういうことのようだ。

戦前までの教育の歴史は長い。既に真実は見えなくなっているところも多い。
本格的な歴史研究では、多様な事実(の断片)を使って、それらの相関を調べ、納得できる復元をする。そうして江戸人のエートスというようなものを追体験できるようにする。
あるいは、為政者の意図を読み取り、それによって歪められた歴史、江戸像を正しくしようとする。

本書の著者は専門の歴史学者というわけではないようだから、読者が自分で、江戸人の気持ちをつなぎ合わせることが必要かもしれない。
そして、そのとっかかりになる断片は、本書がたくさん与えてくれる。

おもしろいエピソードはいくらでもある。
雑談のネタを仕入れるには格好の書だと思う。






「源平合戦の虚像を剥ぐ」

はじめに
斎藤実盛/親も討たれよ、子も討たれよ/平家物語史観/石母田領主制論の政治史認識/鎌倉幕府は「予期せぬ結末」/手つかずの分野―現実の「戦争」/現実的かつ冷静に
 
第一章 武士再考
1 歴戦の老武者の嘆き
源充と平良文/理想の「兵」像/通説を疑え!/三浦真光は語る/戦闘様式が変化した/格闘そのもの―組打ちと相撲/馬当て
2 武士の芸能
芸能者の一類/成立史を見なおす/王朝国家の軍制改革/神出鬼没/武士は都で発展した/武士の真骨頂―騎射と馳射/重さは二〇キログラム以上―大鎧の構造/「馳組み」戦の心得
 
第二章 「弓馬の道」の実相
1 壮士等耳底に留むるべし
大庭景能の体験談/教訓は二つ/驚くほどの至近距離―合戦の実態
2 馬をめぐる諸問題
大きさはポニーなみ/軍記物語に見える名馬/上馬の多かる御館かな、武者の館とぞ覚えたる/駿馬をお借りしたい―鹿岡の書簡/愛馬を殺せなかった知盛/悪馬の条件/NHKの実験/まさに駆けひき/那須与一の扇の的/遠矢では勝負は決まらない/日々是れ鍛錬―高度の専門性/一朝一夕には身につかない―武士の階層性
3 戦闘様式はなぜ変化したのか
内乱は同時多発/時には万を超える軍勢が/河原兄弟―戦闘員の階層的拡大/素人参加の戦争?/「士風」とは……/頼朝はなぜ「馳射」を奨励したのか
 
第三章 源平の「総力戦」
1 治承・寿永内乱期の「城郭」
史料にあらわれる「城郭」/堀をほり、逆茂木引き、高矢倉かき……/生田の森・一の谷合戦は「城郭」攻略戦だった/中世城郭史再考/交通遮断施設こそ/「城を枕に討死」はほんとうか?/武士はもっと柔軟/馬は遮断物に弱い―堀・逆茂木・掻楯の意味/いまやいまやと待ちかけたり/楠木正成だけではない/やはり戦闘員の階層的拡大が背景にあり/阿津賀志山二重堀/全長三キロメートルにわたる空掘と土塁/遺跡が一つでも存在する以上……
2 中世工兵隊―民衆動員の軍事的意識
杣工を動員せよ―重申状は語る/動員令の通説的理解は?/人夫の徴発/ただ働きはさせられない/工兵隊の編成/武士だけでは戦争を勝ち抜けなかった/「平家物語史観」の克服/さて、鎌倉方は/梶原景時の意外な側面/軍事動員と勧農/戦後処理・復興対策
 
第四章 飢饉のなかの兵粮調達
1 軍勢の路次追捕
飢え死ぬるもののたぐい、数も知らず/治承四年の異常気象/人、人を食らう―養和の大飢饉/西も東も/一国平均役―平氏による兵粮調達1/有徳役―平氏による兵粮調達2/かように天下を悩ます事は只事に非ず―平氏による兵粮調達3/いわば現地調達方式―路次追捕/九条兼実は嘆く/刈り取りを組織的に―補給部隊の活動
2 制札の成立
其の羽音雷を成す/いとなみの火―富士川戦場の情景/穴を掘り、白旗を掲げ―民衆が資財を守る方法/梶原景時、勝尾寺を襲撃す/戦乱時における寺社の役割/制約されたアジール/鎌倉殿御祈祷所なり―現存最古の制札/案文か正文か/制札成立の意義
 
第五章 鎌倉幕府権力の形成
1 内乱期の御家人制
頼朝の旗揚げ/恩こそ主よ/ひとえに汝を恃む/千葉・上総氏の思惑/佐竹攻め/内乱の推進力/追討宣旨を読み懸ける/主人を替えるのはあたりまえ/草木の風に靡くが如し/軍事動員のなかで―内乱期御家人制の特質
2 「反乱体制」の一般化―荘郷地頭制の展開
文治勅許/守護・地頭論争の展開/下文を見てみれば……/敵方所領没収/敵方本拠地の軍事的占領/必然的に展開する戦争行為/平氏の限界/「反乱軍」の強み/そして、朝廷には弱みがあった/御家人の没官活動/鎌倉追認地頭/大橋御園・河田別所武士乱入事件/村々の戦争
 
第六章 奥州合戦
1 内乱の延長
軍中将軍の令を聞き、天子の詔を聞かず/なぜ頼朝は奥州に出兵しなければならなかったのか?/建久年間の諸政策/頼朝の「政治」/内乱の政治的延長
2 空前の大動員
義経逃亡をめぐって/いやがらせ―砂金三万両の要求/潜伏発覚/なぜか頼朝は動かず/誅罰を加えんと欲す/義経問題は口実にすぎない/鎌倉に群集するの輩、巳の一千人に及ぶなり―動員開始/身の安否は、このたびの合戦によるべし―敗者復活戦/頼朝自身が陣頭に/平泉炎上―なぜか厨川をめざす/あわれ頼宗―不参者にたいする制裁/六つの特徴/鎌倉殿のもとに
3 「神話」の創造―頼義故実と鎌倉殿権威の確立
その興あるべし/過去こそが現在を支える/「源太が産衣」と「髪切」―家門の表徴/是れ曩祖将軍秀郷朝臣の佳例なり/侃々諤々/頼義故実/鎌倉入りもその一環/一門更に勝劣なし―不安定な頼朝の貴種性/前九年合戦の再現/八寸の鉄釘―泰衡梟首/日付まで意識/内乱の総括/「大将軍」号の申請/源氏将軍という「神話」
 
 註
 参考文献一覧
 原本あとがき (一九九六年二月 川合 康)
 学術文庫版あとがき (二〇一〇年二月二十日 川合 康)
 関東武士団系図
 関連年表
 解説―征夷大将軍について/兵藤裕己(学習院大学)
川合康「源平合戦の虚像を剥ぐ」について。
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先日、西股総生「戦国の軍隊」をとりあげて、4件の記事を書いたけれど、同書がとりあげるのは、タイトルどおり戦国時代。古い時代でも、いちはやく戦国が始まった東国の享徳の乱である。
ということで、その前はどんな戦い方をしていたのか、そもそも武士が政治の主役になったのは、保元・平治、治承・寿永の内乱である。

おもしろいことに、既に治承・寿永の戦では、保元・平治の頃のようなスマートな戦いが昔の話で、今はもっと泥臭い戦い方であるという。
どういうことか。
保元・平治の頃は、騎射(うまゆみ)、馳射(はせゆみ)という、馬上の武士同士の弓戦が戦いの主流だった。それが、寿永・治承になると、馬上打物戦とか、馬を相手にあてて倒すことも含め組打ちするような戦いになってくるのだという。

これが泥臭いと評されるようなら、戦国時代に発達した足軽の戦いなどは、武士のすることではない―実際、武士ではないわけだが。


何より、保元・平治の戦いは、京を舞台に、数百騎が戦ったものだが、治承・寿永になると、数千単位、富士川では万とも言われる兵士が動員されるようになる。
戦いには武士の郎党も参加する。(木曽義仲は郎党に頸をとられてしまう。)

思うに、貴族の護衛や盗賊の取り締まりであれば、動員される武士の数も、相手の賊の数も少ないし、対等の立場での戦いにはならない。軍事というより、警察のようなものではなかったのだろうか。保元・平治は、まだそういう段階だったのかもしれない。
それが、治承・寿永では、どちらも正統を主張(頼朝の挙兵時点では、頼朝は反乱軍で、平氏は官軍であるけれど)、大規模な勢力の激突となったのではないだろうか、そして、個々の戦い方にも変化が生まれたのではないだろうか。

となると、承平・天慶のときはどうだったんだろうという疑問も湧いてくるけれど。


本書では、有名な源平の合戦もとりあげているが、どちらかというとそっけない。
例えば、鵯越はなかった(あの坂を馬で一気に降るという意味での)とあっさりと書いてある。

本書によれば、一の谷の合戦で重要なのは、「生田の森・一の谷」の合戦ととらえることで、平家は、東は生田、西は一の谷に、しっかりとした城砦を築いて、源氏を迎え撃つ体制を整えており、けっして、のんびりと休息していたところを、鵯越からの奇襲を受けたというわけではないことだという。

つまり、川合氏は、一の谷合戦は、当時の城砦がどのようなものであり、城砦戦がどうおこなわれたのか検証する事例としてとりあげたようだ。

本書で一貫しているのは、公家化した軟弱な平家が、東国の質実剛健な源氏に負けるべくして負けたという「平家物語史観」の批判。
平家物語で語られる多くの平家の公達(歌の文句にもなるほど)の軟弱さは、平家物語史観ありきで、潤色されているという。

歴史は勝者が書くという。そうなのだろうけれど、平家物語が平家の軟弱さを書いたとしても、私には雅な感じがされて、普通の歴史で敗者が残虐で、勝者に天命があるというような描き方とは感じられない。
清盛の傲慢さはところどころ書かれているにしても、どうして平家にここまで同情的なのか、平家物語史観というのは、勝者にのみ阿っているわけではないように思える。

「戦国の軍隊」(その4)

日記的記事を優先したので少し間があいたけれど、西股総生「戦国の軍隊」の4回目。

Nitobe_Bushido_cover.jpg 本書では、戦国の戦いがどのようなものだったのかトピックス的に紹介する第一章につづいて、第二章では、武士とは、そもそもどういう人たちだったのか、後年に作られた武士イメージを否定する(でないと戦国を正しく理解できない)ことに手を付ける。

まず、新渡戸稲造の「武士道」に書かれているような、武士は自慢や傲慢を嫌い忠義を信条としたなどということは、少なくとも戦国時代にはない。

外国人の認識では「サムライは伝説的な兵士であり、刀を携えて勇ましい甲冑に身を包み、命がけで戦う誇り高い戦士であり、生涯にわたって厳しい規律を守り抜く。」というのが日本のサムライの姿というが、これは新渡戸の本の影響だろう。新渡戸は、自分が理想とする高潔な人のありかた、あるいは西洋人が受け入れやすい部分を、武士道と呼んだのかもしれない。

「武士道」という言葉は明治33年(1900年)以前のいかなる辞書にも載っておらず、実際には江戸時代には一般的な言葉ではなかった、
との指摘もある。(Wikipedia「武士道」


武士道は死狂ひなり、一人の殺害を数十人して仕かぬるものと、直茂公仰せられ候、本気にては大業はならず、気違ひになりて死狂ひするまでなり、又武道に於て分別出来れば、はやおくるゝなり、忠も孝も入らず、武士道に於ては死狂ひなり、この内に忠孝はおのづから籠もるべし、

 
「死狂ひ」の者は数十人でかかってもなかなか仕留められない、戦場では正気を保っていては大したことはできず、あれこれ理屈で考えて動こうとしても他人に遅れをとるだけだから、忠も孝も考えずにひたすら死に物狂いで戦うだけで、忠孝は結果としてあとからついてくるものだ と言っているのである。
鍋島直茂のいう「死狂ひ」とは、他人に遅れをとらないよう正気を捨てて突き進む蛮勇のことだが、それは山中城攻防戦における勘兵衛そのものではないか。ちなみに鍋島直茂は、肥前の戦国大名だった龍造寺氏を下剋上で傀儡化し、肥前藩の事実上の始祖となった人物である。そのことを前提に読むと、ここに述べられた忠孝観は何とも現実的、というか現金なものだ。
次に、江戸時代に書かれた「葉隠」がとりあげられる。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝による、武士としての心得が描かれていて、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」はあまりに有名だ。

ところが、西股氏は、葉隠に書かれているのは、そういう格好良いことだけではないと指摘する。なにより、山本常朝の主君の鍋島直茂の言葉として右を引用する。

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以前、NHKのクイズ番組(鈴木健二アナウンサーがやってたやつ?)で紹介されていた話だけれど、江戸時代、武士が町を歩いていて喧嘩の現場に遭遇したら、武士はどうしたか? という問題があった。
答えは、素知らぬふりをして通り過ぎるである。
変に関わりを持ったら、どんなややこしい立場になるかしれたものではないということである。


こういう卑怯な姿が武士の姿であるわけだ。
前に、遠隔武器を使えるなら、私はそうしたい臆病者であると書いたけれど、普通人は臆病者、武士は卑怯者というところかもしれない。

洋の東西を問わない。
騎士ときたら、女を口説くのに「私は騎士だからあなたを守る、だますはずがない」などと言うのだ。そして言うことをきかなければ、手籠めにしようとする。しかも、その騎士を主人公にしたオペラは、ローマ教皇から「黄金拍車勲章」(黄金の軍騎士勲章)を与えられた作曲家の作である。


弓矢とる物の家をよく作てハなにかハせん、庭草ひくな、俄事のあらん時乗飼にせんずるぞ、馬庭のすゑになまくびたやすな、切懸よ、此門外をとをらん乞食修行者めらハやうある物ぞ、ひきめかぶらにてかけたてかけたておもの射にせよ、

 
 弓矢取る者(武士) の家を美麗に造ってどうするのか。庭の草はむしるな、急な変事があった時の飼い葉にするためだ。馬場の入口に人の生首を絶やすことなく切り懸けておけ。屋敷の門前を通る乞食や修行者などを見かけたら、捕まえて弓の的にせよ、と言っているのだ。
 うっかり男衾家の近くを通って郎従に捕まってしまったよそ者は、弓の的として大きな蟇目(音の鳴る部分)のついた鏑矢で射られ、散々なぶりものにされたあげく、最後は首を切られて馬場の末に懸けられるのだ。しかも詞書を読むと、男衾三郎は兄の遺志に背いて、吉見家の屋敷や所領をわがものとしてしまったことになっている。二郎の妻女が男衾の屋敷で下女のごとく使役されるのも、このためだ。
卑怯なだけではない。卑劣で非人道的。
武士がどれほど残虐なものだったかも本書で紹介される。

⇒男衾三郎絵巻 (右に一部の引用)

ObusumaSaburo1.jpg 武士の研究が進んで、今や武士道というのがあったと考えている人は、歴史に詳しい人のなかにはもういないのではないだろうか。もちろん、戦国時代には武士道という言葉はなかった。

武士道がもてはやされたのは、軍国教育の影響があったからではないかと思う。今では武士とは「職業的人殺し」という見方をする人も増えてきたのではないだろうか。
武家の出とえらそうにいうが、遡れば先祖は人殺しだろうということである。

こんなことを書いていたら、武士の子孫から闇討ちされそうだ。
以上の武士への悪口は、私が言っているのではありません。歴史の先生が仰ってることです。


ところで、再来年(2020年)の大河ドラマは「麒麟がくる」、主人公は明智光秀である。
本書では、光秀の謀反は、戦国大名であれば当然の行動と評し、織田の重臣たちは、程度の差こそあれ、全員が光秀と同様の思想・行動原理を持っていたとしている。その構造は、秀吉政権にも引き継がれており、家康によって権力が奪われる。秀吉は、それがわかっていたから、石田三成などの子飼いの官僚家臣団を傍においたのだという。

とはいうものの、光秀は重臣の中でも浮いていたらしく、当時の光秀評をフロイスの「日本史」から紹介している。
■足元の陥穽

殿内にあって彼は余所者であり、外来の身であったので、ほとんどすべての者から快く思われていなかったが、自らが(受けている)寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし,忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。

(『日本史』五畿内編第五六章)


 明智光秀に対するルイス·フロイスの人物評である。フロイスは続けて、光秀が信長の歓心を買うための極意を心得ていたこと、築城術に長けていたこと、人を欺くためのさまざまな方法に熟達していたこと、などを挙げている。

えらくフロイスには嫌われているようだが、さて、この主人公に感情移入できるだろうか。


「戦国の軍隊」(その3)

西股総生「戦国の軍隊」の3回目。
昨日は、軍団編成原理(兵種別編成と足軽)を中心に、理にかなっているという感想を述べた。

侍(正規)と足軽(非正規)の二重構造も指摘されていたが、西洋でも、将校と兵卒は貴族と平民という出自で、やはり二重構造だったのではないだろうか。

今日とりあげるのは、組織論ではなく、具体的な戦闘における通説について、西股氏が疑問を提示していることについて。

まず、長篠合戦での鉄砲三段射ち。これは既に三段射ちはなかったという方が優勢のようだが、本書もその説をとっている。(西洋でのマウリッツの改革とも対比している。)

マウリッツの改革は、銃兵の動作を細かく分節し、その一つ一つを全員が同じリズムですすめることで、統制のとれた射撃をできるようにしたもの。
 鉄砲三段撃ちと、マウリッツの改革は、本ブログでも過去にとりあげたことがある。
 ⇒「検証 長篠合戦 鉄砲三段撃ちはあったか」 ・ 戦争の世界史(上) その2


このような精緻な訓練が行われたことをうかがわせる史料はなく、日本の戦国ではこれはできなかっただろうという推測がされている。

それでは、長篠では鉄砲はどのように使われたのだろう。この問いに対し、本書は意外な答えを示す。

20180509IMG0000s.jpg 武田主力が突っ込むなか、その正面にいない場所から、たくさんの鉄砲が撃ちかけられた。
なるほど、これなら鉄砲隊は落ち着いて射撃をしただろう。

西股氏が言うには、長篠合戦は、武田対織田・徳川連合軍の戦いだと思われているが、これは、武田対徳川の戦いであり、織田は徳川の援軍であるということが重要であると。
位置づけはそのとおりである。
長篠も含め、戦いが行われている場所は、徳川と武田がせめぎあっている場所である。そこへ武田が攻め込んできた、同盟者である織田がその援軍に向かう。

かつての三方ヶ原も、織田の援軍はかなり充実していたらしいというものの、徳川対武田の戦いである。

領地を盗り、盗られし、長年直接干戈を交えている、武田・徳川である。武田にしてみれば、憎き徳川であって、憎き織田ではない。
重要なのは武田がそう考えていて、徳川陣への攻撃に主力を向けるかどうかである。

かくのごとく、御敵人替へ候へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。
 

このように敵は入れ替わり立ち替わり攻めて来たものの、こちらは部隊を繰り出すことなく、鉄炮だけを追加投入して、足軽で敵をあしらい、うち倒したので、武田軍は死傷者を出して退却していったのである。

武田がそう考えていたかどうかは明示的な史料はないようだが、織田側の史料を注意深く読むと、攻撃が徳川陣に集中していて、信長は、一兵たりとも前へ出すようなことはせず、鉄砲を撃ちかけさせるという戦いが続くという。

徳川陣は武田の猛攻により柵を破られ、近接戦も行われている。おそらく織田もそういう場所への援軍には行っているだろう。

こうして、武田は正面の徳川へ突撃しながら、側面から織田の鉄砲攻撃を受け、なすすべなく斃れていったのだという。

■ルイス·フロイスの証言

実は、小田原の役において秀吉軍瓷粮不足に苦しんでいたことを、はっきりと証言している者がある。その証人とはルイス・フロイスだ。フロイスは『日本史』の中で、秀吉が圧倒的な大軍を動員したことにつづけて、次のように述べている。


しかしそうした事態にもかかわらず、関白勢の窮状は否定すべくもなかった。なぜならば(北条殿の)城内には十分な貯えがあり、多大な兵力を擁していたので、人力をもって諸城を占拠することは不可能に思われた。関白の兵士たちは、遠隔の地方からの長途の旅で衰弱しており、豊富な食料にありつけぬばかりか、その点では不足をさえ告げていた。わずか数ヶ月でもって城を陥落させることは、とうてい考えられず、まして冬季に入れば積雪のために包囲を継続できなくなって、退避することを余儀なくされる。
もう一つ、通説の見直しを紹介しておこう。
秀吉の関東制圧(小田原合戦)は、兵站の勝利というのが通説だが、本書では、フロイス「日本史」の記述をひきながら、実際はかなり兵粮に困っていたという説を提示する。

秀吉軍は、小田原にどっかりと腰をおろし、徳川をはじめ、多くの武将を小田原の支城攻めに向かわせているが、これも西股氏に言わせると、兵粮不足が背景にあるという。
それだけの数の兵を養う兵粮が小田原に集積できていたわけではないという。

それでは、なぜ勝利したのか。
それはなんと、第一章に紹介されている渡辺勘兵衛のような命知らずの侍どもの力、彼らが文字通り血路を開いたのであろうという。

これは私にはやや納得しかねる。ほんまかいな? である。
で、私なりに考えた。

たしかに支城レベルでは、著者がいうような敢闘精神が発揮されたところもあるだろうけれど、そして支城が落ちたことが小田原にもショックを与えただろうけれど、実のところ、あちこちの支城が落ちたり、籠絡されたりするなか、ここまでと見きりをつけただけなのではないだろうか。
そもそも、籠城戦というのは、外から援軍が来るという状況でないと勝ちきることは難しい。まして、頼みの伊達が敵にまわり、日本中を相手に戦うような状況なのである。

ここは軍の組織や戦い方という話ではないような気がするが、どうだろう。

「戦国の軍隊」

41avwli2HFL.jpg 昨日、フライングしたけれど、あらためて
西股総生「戦国の軍隊―現代軍事学から見た戦国大名の軍勢」をとりあげる。

以前、書名も著者も忘れてしまったけれど、やはり日本史上の戦争で使われる武器や戦い方について書かれた本を読んだ覚えがある。
その本では、武士の持つ武器といえば刀(太刀)が連想されるけれど、戦では刀ではなく、弓や槍が主たる武器であるというようなことが書かれていた。

臆病者の私には得心できる話である。
自分は安全な場所に身を置きながら、相手を攻撃する。それができるなら、自殺願望の持ち主は別として、臆病者でなくても、そちらを選ぶだろう。

「戦国の軍隊」の著者も同じように考えているようだ。
著者が、私と違うのは、その人間自然の思いが、歴史的にもそうだったと、きちんと立証しようとするところである。

そして、凡人が考える戦い方が合理的であり、文献等から直接・間接にそれが証拠だてられるというわけである。

はじめに
 
第一章 戦いの現場から
――天正十八年の山中城攻防戦
箱根路の戦雲
渡辺勘兵衛の活躍
山中城陥落
 
第二章 中世の軍隊
――封建制的軍事力編成の原理
武士とは何者か
封建制的軍隊の成立
元冦から南北朝・室町時代へ
 
第三章 戦国の兵士は農兵か
――軍団の編成と戦争の季節
後北条軍団を解剖する
後北条軍団の諸相
戦争と季節
 
第四章 足軽と長柄
――軽装歩兵の戦列化
兵種別編成方式と領主別編成方式
足軽とは何者か
戦争を変えた長柄鑓
 
第五章 鉄炮がもたらした革新
――集団戦から組織戦へ
兵種別編成方式の成立
鉄炮と戦国の軍隊
軍事上の画期
 
第六章 侍と雑兵
――格差社会の兵士たち
侍と軍役
侍たちの戦場
戦国時代の非正規雇用兵
二重構造の軍隊
 
第七章 補給と略奪
――軍隊に出されつづける永遠の宿題
戦国時代の兵站
小田原の役と補給
飢餓と略奪
 
第八章 天下統一の光と影
――信長・秀吉軍はなぜ強かったか
兵農分離と民兵動員
鉄炮神話の再検証
覇者の素顔
戦国軍事革命の結末
戦国時代の戦争で大量に使われた武器は、弓、鑓、そして鉄砲である。
いずれも、敵兵と切り結ぶような距離で使うものではない。そして、この3種の武器は、単独でも使えるが、集団になると異なる用い方がある。

弓は、もちろん相手を狙って射ることもできるのだが、戦では一斉に相手の上空へ向けて放てば、それが弾幕ならぬ「矢幕」となって、相手の動きを制することができる。

鑓は長柄、密集した鑓兵がいわゆる鑓襖を作る。戦場で足軽・雑兵が使う鑓は、突くものではない(雑兵の心得として、そのようにはっきり書かれている当時の史料があるという)。

鉄砲は、この時代は射程が短く命中率も低い。大量使用することにより、敵の突破力を殺ぐ。

そして、ここが重要なところなのだが、いずれも同じ種類の武器をまとめて大量に使用する、つまり、弓兵、鑓兵、鉄砲兵というぐあいに、武器の種類(兵種)ごとに組織する必要がある。
これを兵種別編成という。

素人が考えて(というか、映画やドラマの影響でそういうシーンを見せられているからか)、それはあたりまえじゃないかと思うのだけれど、歴史学では、ここに大きな議論があるのだという。

それは、封建制の大名と家臣の関係を前提とする軍団編成というのは、領主別編成、つまり土地を与えられた侍が従者を引き連れて参陣し、その侍を中心にまとまったチームが集まった形になるのであり、兵種別に編成することは不可能だという理解である。

これは、戦国から江戸時代を通じて、大名が家臣に示していた動員規定で、○○石の者は弓○○人、鑓○○人、鉄砲○○人などと書かれていることを、そのまま受け止めることから来るわけだが、本書では、動員の責任は各侍にあるけれど、そうやって集められた兵は大名に引き渡され、その運用は大名が行うものと解釈している。

さらに、動員規定では、具体的に物具について、例えば鑓の長さまで規定されているのは、鑓隊として兵種別の集団運用をするからである、(領主別編成なら、武器として何を持ってこようと、それは各侍・各チームの好きにすれば良いはず)、だから、これは、兵種別編成を志向する証拠と考えるべきとする。

ただし、侍は騎馬だから、その馬の口とりや侍の道具を持つ従僕は別である。彼らは兵ではない。


軍団の編成原理のもう一つは、足軽である。
著者は「非正規雇用」と表現しているが、要するに臨時雇いの兵隊である。

それも、腕に覚えがある連中を集めるというよりは(もちろん特殊能力を買って雇うものもいたのだろうけれど)、誰でも良いから数を集めて、鑓なり鉄砲なりを持たせるというように編成したらしい。

本書では、まず応仁の乱での骨皮道賢の例を紹介しているが、これが戦場での足軽の有効性を思い知らせ、大名が足軽隊を組織する動機づけになっただろう。

大名が、足軽集団を組織することの実効性を認識するところから、兵種別編成が受け入れられていったと考えるのは納得できる。それが有効で、相手がやりだしたら、当然、自分もやって対抗するだろう。

20180510IMG0000s.jpg ここでまたしても、従来の通説が否定される。
「当時の兵士は農民で、季節労働である。足軽衆を組織することは簡単ではない。それができたのは兵農分離を実現した織田軍団のみである」という説である。

著者は、そもそも農業の季節によって、戦争時期が制約を受けていたという通説を再検討し、およそ農繁期を避けたというような事例は、実際には見られないという。(むしろ兵粮現地調達のためにそういう時期を選んだ可能性がある)

そうした時期の戦争は足軽なしで戦ったのか? そうではないだろう。
農地を持てない者、主君を失った者、その他、食いはぐれ者はたくさんいた、そして戦争自体が、そういう者を大量に生み出していたから、農繁期・農閑期にかかわらず、足軽のなり手などいくらでもいただろうと想像される。戦争こそ足軽の供給因である。

兵農分離は戦国末期からという思いこみがあり、ならば足軽・雑兵は農民を徴発しただろうという推定につながり、それなら農繁期には戦争などできなかったに違いないという理屈が信じられていたわけだが、話はまるで違っていたというわけだ。
なお、村に徴発をかけることとして、村側が金銭代納することを認めれば、それで足軽を雇えば良い。


織田軍団のみが兵農分離をなしとげ、常備軍を持っていた、だから織田軍団は強かった、というのが通俗的な理解(私もそう思っていたの)だが、本書によると、どの戦国大名も軍団編成原理には大差がない、ただ、織田軍団は、信長包囲網といわれるごとく、常時、各方面で戦争を行っていた。その結果、非正規・臨時雇用の足軽衆も、ずっと戦い続けており(つまり、結果的に常備軍のようになった)、それにより錬度が上がり、強くなったという。

テニスプレイヤーで、バックが弱かったグラフが、バックを攻められ続けた結果、バックハンドも一級品になったみたいなもの。


以上、軍団編成原理を見ると、侍の郎党に参陣させたものもいれば、大名が金で雇った足軽を運用した場合もあり、これを著者は「二重構造」と表現している。
江戸時代、減封された大名が石高にあわない家臣を養ったという「美談」が語られるけれど、少なくとも江戸初期においては、非正規の足軽を解雇すれば持ちこたえられる範囲だったともいう。

太平が続いた幕末には、辞官納地を迫られて石高が極端に下がった徳川氏は、切るべき非正規雇用の足軽衆もいなかったから、希望退職を募るしかなかった。


思えば、農繁期に戦争をしたかしなかったかなんてことは調べればすぐにわかりそうなものだ。

「遅れている」東国ですら、農繁期でも戦争をしている。
もっとも思い込みのきつい人なら、それを例外として処理してしまうのだろう。


元寇のときに、「やぁやぁ我こそは…」とやって、蒙古の雑兵集団にとりまかれてむなしく死んだ武士の姿を見ていた人たちが、いつまでもそんな戦い方を続けたはずはないだろう。そのことを学習するのに何百年、何年、いや何日ですらも、かかるとは思えない。

物理的に無理があることは、歴史的にも無理に違いない。
一時的に不合理なことが行われたとしても、永続きはしない。より合理的なやりかたを知れば、そちらへ変わっていくだろう。
そういうシンプルな事実をあらためて認識する。

ただ、どんな卑怯な、非人道的な手段を使っても勝てば良いということになるのか、「戦争のルール」という面については、「戦争の社会学」も考えなければならない。
戦争の当事者とはレベルの違う力なり権威(集団安全保障体制、第三国の圧力、朝廷)についても考察する必要があるのだろうと思う。

「戦国の軍隊」~享徳の乱

41avwli2HFL.jpg 昨日の「享徳の乱」の記事で、乱が長引いた理由について、西股総生「戦国の軍隊」が、軍事的視点から説明していると書いた。
今日は、同書全体の感想は控えて、享徳の乱に関わるところだけを紹介する。

享徳の乱では、公方方と管領方が、関東平野を東西に分けて対立し、その勢力が拮抗していたわけである。
そして、この両勢力は、平和的に共存しようなどと考えていたとは思えない(形式的には公方と管領という上下関係、主と補佐というか監視人の関係に思える)。隙あらば相手の勢力を削ぎ、そして力の差が見えれば、決着を付けようと考えただろう。

勢力差があるなら、一方が相手を押し潰そうと戦いを挑んで(あるいは取り込んで)、短期に決着することもありそうだが、勢力が拮抗していると、お互いに手を出しにくい、従って、なかなか決着はつかないというのは、漠然とは理解できる。

そこで西股氏の解説である。
享徳の乱が始まったころの軍隊は、馬上打物戰を主要な戦法とする、決戦指向の強い軍隊であった。そして実際、大規模な野戦が何度か起きたという。

ところが、そうした状況で、両陣営で戦争を指導した長尾景春とこれを鎮圧した太田道灌は、どちらも軍事的天才があったとのことで、足軽(非侍身分)の長柄隊などを編成し、また、城砦を活用し、高度な戦術を駆使するようになる。
両軍とも、面的に制圧することはできず、部隊単位での、直線的な進軍・撤退の繰り返し。
馬上打物戰は行われにくくなり、さらに膠着状態に陥るなかで、侍たちが消耗していった。

20180509IMG0001s.jpg そして西股氏が指摘するのは兵站の問題である。
当時の軍隊は兵粮自弁が原則だったけれど、それでは長期の戦闘は戦えない。当然、兵粮の現地調達(略奪)ということになるのだけれど、享徳の乱のように、同じ地域に並立する勢力の争いでは、それが難しい。そうした状況で、兵站を商人に頼っていたという。

 中世の日本には貨幣経済が浸透していたし、遠隔地に送金するための為替のシステムも存在していた。おそらく、五十子に駐屯していた管領軍麾下の領主たちは、自分の領地から送金を受け、出入りの商人たちからめいめいに食料や日用品等を購入することで、陣中での生活を維持していたのであろう。この方法は、兵粮自弁という中世の軍隊おける大原則にもかなっている。
 こうした商業資本を利用した補給システムを前提に考えたとき、享徳の大乱が泥沼化してしまった理由の一端が見えてくる。管領軍と公方軍は、それぞれ五十子陣や古河城という策源地に軍勢を結集した。両軍が対峙をつづけている間は、商人たちが「戦線」の背後を通る補給線をうまく機能させて、隊を長期間維持することも可能であった。
 享徳の乱が膠着状態に陥ってしまった大きな要因の一つは、こうした合理的ではあるが脆弱な補給システムに求められる。そのことに気づいた長尾景春は、ゲリラ的な襲撃をくり返して補給線を寸断してしまうことによって、少数の兵力で管領軍を崩壊に追いこんだのである。

近代軍隊では、兵站を略奪に頼るということは難しい。本書で紹介されている話だが、第二次世界大戦において決定的に重要だった兵器は何かと聞かれたアイゼンハワーは、ダコタ(ダグラスC-47輸送機)とジープと原爆、と答えているそうだ。前二者は兵站にかかわる兵器である。

独立して作戦を遂行する能力を保有する最小の戦略単位を師団といい、それぞれ兵站を持ち自己完結性を有する各師団は、独立して外地で作戦を遂行することができると聞いたことがある(食糧をたたれたから戦えない、では困る)。そうした兵站を組織内に持っているから、自衛隊は警察や消防とは違い、長期間の災害救援活動にも従事できるわけだ。


享徳の乱にかかわる解説は上のとおりだけれど、この範囲だけ見ても、足軽の登場、兵種別編成への移行など、軍としての戦い方の変化の一端がうかがわれる。

こうした戦い方の変化が室町―戦国時代に起こり、その後の社会体制をも決定していく。
西股総生「戦国の軍隊」、読み応えがある(続く)。

「享徳の乱」

峰岸純夫『享徳の乱―中世東国の「三十年戦争」』について。

「享徳の乱」という名称を提唱したのは、他ならぬ本書の著者だという。1963年のことだそうだ。
そして、本書は次のように始まる。
 ◎戦国時代は応仁の乱より13年早く、関東から始まった
 ◎応仁の乱は「関東の大乱」が波及して起きたものである

51etSCu9oTL.jpg さらに、
呉座勇一「応仁の乱」(中公新書)のサブタイトルは「戦国時代を生んだ大乱」となっている。新書などのタイトルは概して出版社や編集者の意向をうけて決まることが多いから、やはりこれは最大公約数的な見かたといっていいのだろう。
と、先ごろのベストセラーにも、チクッと言及している。

室町幕府の初期について書かれた本については、本ブログでも、
をとりあげていて、「享徳の乱」という言葉について、特に注意を向けなかったのだけれど、そういえば、昔(高校日本史)はそんな言い方はなかったように思う。

しかし、今では教科書にも載るようになっているとのことで、著者が関与した教科書の該当部分が以下のとおり、紹介されている。
第4章 中世社会の展開―ア 内乱と一揆の世

享徳の乱
 1440 (永享12)年の結城合戦ののち,東国では足利持氏の遺児成氏が鎌倉公方に紞任し、鎌倉府が再建された。しかし,成氏と関東管領上杉憲忠の両勢カが対立し,1454 (享徳3)年に成氏が憲忠を暗殺したことで両勢力の戦闘が開始された。1455 (康正元)年6月,上杉方支援のために派遣された幕府軍が鎌倉を制圧し,成氏は下総の古河に移り(古河公方),幕府の意向により上杉方は、将軍義政の弟*政知を関東の公方として,伊豆の堀越にむかえた(堀越公方)。これ以後東国では,小山氏,宇都宮氏,千葉氏などの豪族勢力とむすんだ成氏方に対して,上杉氏が対抗し,家臣の長尾氏,太田氏や武蔵・上野の中小国人層を国人一揆として組織した。両勢力は,ほぼ利根川を境に24年にわたる内乱を続けた(享徳の乱)。このように,東国は畿内にさきがけて戦国動乱に突入した。

応仁・文明の乱
 東国の内乱は京都に飛び火した。京都では足利義政の後継をめぐる将軍家の家督争いと,畠山氏や斯波氏などの一族の内部分裂が重なり,1467 (応仁元)年,細川勝元山名持豊(宗全)を頂点とする東軍と西軍の戦闘が京都を舞台にはじまった(応仁・文明の乱)。西国の守護大名は大軍を率いて京都へ上り,それぞれの軍に属してたたかった。合戦は11年に及び,京都は焼け野原となった。
 その結果,公家や手工業者などには戦火をさけて地方に下る者も多く,地方文化の発達をもたらした。また,守護大名が中央で争っているあいだに,国元では守護代・国人らが国内の地侍などを家臣にして勢力を強め,独立の動きを示しはじめた。やがて内乱は地方にも波及して下剋上の風潮をうみだし,本格的な戦国動乱となっていった。
実教出版「高校日本史B」
著者が関わったというだけあって、著者が本書で主張する内容に沿った記述になっている。本書では、享徳の乱の経緯についてつぶさに書かれていて、東国での勢力対立、有力武士の右顧左眄する様子が良くわかる。(「観応の擾乱」でもそうだったけれど)

また、上杉や武田、北條はもちろん、本書で「狂言回し」の役回りをあてがわれた新田岩松氏など、後の時代につながる武家の系譜や動静がおいかけられ、享徳の乱という時代だけでなく、戦国時代の理解にも、大いにヒントになる内容だと思う。

はじめに 教科書に載ってはいるけれど……
第一章 管領誅殺
1「兄」の国、「弟」の国
2 永享の乱と鎌倉府の再興
3 享徳三年十二月二十七日
第二章 利根川を境に
1 幕府、成氏討滅を決定
2 五十子の陣と堀越公方
3 将軍足利義政の戦い
第三章 応仁・文明の乱と関東
1 内乱、畿内に飛び火する
2「戦国領主」の胎動
3 諸国騒然
第四章 都鄙合体
1 行き詰まる戦局
2 長尾景春の反乱と太田道灌
3 和議が成って……
むすびに 「戦国」の展開、地域の再編
ただ、こうして書評を書いていると、私の読みがたりないからかもしれないけれど、ちょっとしっくりこないところがある。
それは享徳の乱(東国の戦乱)が京都に「飛び火」して応仁の乱が起こるということ。
「飛び火」と言うのは、火元の火事を消し止められず、その火が燃え移るということだと思うのだけれど、東国の騒乱が直截京都に影響したのかが良くわからない。
なるほど、東国の戦乱を治められない幕府の弱体化が露わになり、将軍や管領の指導力が落ちたということはあるだろう。しかし、東国での対立が京都に持ち込まれたかと言うと、それはどうなんだろう。

同族対立など、京都と東国には相似形と見られるものはあるけれど、東国の利害関係が京都にも持ち込まれたというような面はあったのだろうか。京都側で東国の争乱を利用して優位にたとうという動きはあったかもしれないにしても、それが東国の戦乱をこじらせたとか、応仁の乱に発展したということはあるのだろうか。

時代精神として戦国へ向っていく、それが享徳の乱からあるということは了解できる。しかし、その動きは、顕在的に持続したと言えるだろうか。享徳の乱が戦国への動きだったとしても、それは伏流水のように流れ、応仁の乱で表出するのではないだろうか。
つまり、享徳の乱が京都へ飛び火して戦国時代が始まったというより、東国では、いちはやく戦国時代に突入したというほうが、正しいのではないだろうか。(上に引用した教科書の記述どおり)

無知なためか、私の理解(というか印象)では、南北朝時代が終わってから、応仁の乱までは、少しは落ち着いていたのではないかと思っていた(三宝院満済が活躍した頃か)。それが、観応の擾乱からの流れのまま、享徳の乱を、そしてそれが応仁の乱に飛び火したとなると、室町時代というのは、まったく落ち着いた時期というのがない。
一休さんと義満のほのぼのとした世界(マンガだけど)は、アリエナイわけだ。

もっとも戦国時代でも、四六時中というか二六時中、戦いが行われていたわけではなくて、政治的な駆け引きや調略、情報戦が続く中で、いよいよとなって軍をすすめたり、こぜりあいから暴発したり、というのが実態だったらしい。
そうなら、表向きは平和な時代と、戦国への伏流水が併存していてもおかしくはないということになるのだけれど。
現代につながる室町文化、それを生み出す中心である京都が、血で血を洗うような戦闘現場であり続けたわけではないはずだ。

室町幕府も、もともとは東国から生まれた政権であるから、鎌倉公方といえど、東国武士に認められなければ東国を治めることはできない。鎌倉公方が京都の手先にすぎなければ、その指示には従わない、むしろ公方が領主化してしまう。
鎌倉幕府が京都に六波羅探題を置いた(しかも南北)からといって、六波羅探題で権力争いが起こったというような話は聞かない。もちろんそれは朝廷を監視するためで、領国経営をしたわけではないからにすぎないのかもしれないけれど、

次は、何故、京都は東国を掌握できなかったのか、それが知りたい。

ところで、享徳の乱が、何故長引いたのか、両勢力が拮抗していたことがベースにあるにしても、決着をつけるような会戦などが行われなかった理由について、西股総生「戦国の軍隊」が、軍事的視点から説明している。

「義経伝説と為朝伝説」

71EWxYmS13L.jpg 原田信男「義経伝説と為朝伝説―日本史の北と南」について。

他愛ない義経ジンギスカン説とかをおもしろおかしく紹介するような歴史俗学ではない。これらの伝説が生まれた経緯、つまり時代状況やそれを生んだものを考証する、重たい本。

本ブログでは、以前、井上章一「妄想かもしれない日本の歴史」をとりあげたことがある。
井上本では、「偽史が生まれた状況も歴史ととらえ」、「英雄が生き延びて当地で没したという類の言説は、その土地の人々の思いを伝えているもので、一蹴して済むものではない」という姿勢で書かれているわけだが、本書では「歴史学からすれば、伝説自体は虚構であり研究の対象とはなり得ないが、人々に語り継がれた伝説の基底には、その集団や地域の歴史性が深く根を下ろしている」とする。

つまり、両書の基本姿勢は通ずるものがあるのだが、井上本は軽妙な語り口のエッセイであるけれど、本書は、2つの英雄伝説を具体的にとりあげつつ、その姿勢を徹底し、広く深く追究している。

その結果、これらを英雄伝説と一般化することなく、義経伝説、為朝伝説の発生・受容の差が見えてくる。そして、そのことは、日本本土人が、北海道と、沖縄と、それぞれと向かい合ってきた(そして包摂した)歴史の違いを際立たせる。

以上は、終章の「3 英雄伝説と東アジア-英雄伝説の北と南」にまとめられているから、一部を引用しよう。
北の義経伝説には、悲劇の英雄が苦労して逃げ延びる貴種流離譚的な性格が強く、華々しさは見当たらない。これに対して、南の為朝伝説は、悲劇的な貴種の英雄が、それぞれの地域で活躍する物語が多い。
 :
北海道と沖縄では、全く位相を異にする。北海道のアイヌ民族は国家を持たなかったし、義経がその長となる話を彼らが好んで語ったのではなく、和人がアイヌの英雄を、勝手に義経に置き換えただけで、あくまでも和人の間での伝説にすぎなかった。沖縄では、為朝に関わる伝説は、あまねく各地で人々に語られたのではなく、運天や浦添·大里など王権の形成に関わる主要地域に限られるかたちで分布している。これは自然発生的というより、琉球の正史『中山世鑑』における舜天の話を承けたもので、為朝を王権の系譜に利用しようとした琉球王府と、その背後にあるヤマトの影が色濃く認められる。
 :

はじめに―英雄伝説と日本
 
序章 伝説の前史―北と南の原点
1 北と南の考古学
2 古代国家のまなざし
第Ⅰ部 英雄伝説はどのように生まれたか
     ―北と南の中世
第一章 北の義経伝説―東北から蝦夷地へ
1 逃げのびる義経
2 語り広められる伝説
第二章 南の為朝伝説―南九州から琉球へ
1 交易ににぎわう南の島々
2 南下する為朝
3 琉球王国の成立とヤマト
 
第Ⅱ部 英雄伝説はどのように広がったか
     ―近世の変容
第一章 海を越える義経伝説―蝦夷地から大陸へ
1 アイヌ民族のなかで
2 広まる「義経渡海説」
3 大陸へ渡る義経
第二章 浸透する為朝伝説―琉球王朝の祖として
1 薩摩の侵攻と為朝伝説
2 為朝中山王祖説はなぜ生まれたか
3 琉球使節と『椿説弓張月』
4 知識人たちの南北認識
 
第Ⅲ部 「史実」化していく伝説
     ―帝国の「英雄」
第一章 義経伝説の飛躍―北海道開拓史のなかで
1 内国植民地化される蝦夷地
2 義経=ジンギスカン説への熱狂
第二章 為朝伝説の完成―日本化の根拠に
1 琉球王朝の併合
2 帝国統治下の為朝伝説
終 章 伝説の領域―北と南の相似性
1 歴史と伝説の位相
2 生活と文化の領域
3 英雄伝説と東アジア
 
あとがき
この違いは、伝説のその後、つまり北海道、琉球が日本に包摂されるときに、それぞれの伝説がどう意識され、使われたかにもあらわれる。

北海道のアイヌについては、明治新政府によりアイヌが狩猟と交易の生活から、強制的に農業者に転換を迫られたこと、そして、それになじめずに日本の外へ移って行った人たちもいる。
彼らのなかで、義経が英雄として扱われているというものの、それは源平合戦を闘ったあの義経ではなく、アイヌの中でもともと尊崇されていた英雄を義経だということにした。弁慶岬などの地名も和人が都合よく作ったものでしかない。その根拠はアイヌの音と似たところがあるなどの牽強付会にすぎない。

琉球においては、薩摩そして明治政府に抑えつけられたことへの反発があるというが、それは王族・高級官僚・士族のそれであって、実のところ民衆がそれを支持したとも簡単には言いきれないようだ。

琉球王朝は日本の僧侶を顧問として受け入れていたが、民衆に仏教は浸透していないということもその例か。

為朝伝説はむしろ支配階級の都合で作られ、使われてきたものらしいという。

そして琉球は、差別されながらも日本へ同化するなかで、より日本になろうとし、琉球はアイヌとは違うという、差別の中の差別とも見られる言動もあったという。

琉球の上層階級には、清と日本への両属体制、中継貿易の要衝など、先進文化地域であるという自負もあるのかもしれない。


日本本土人にとっては、この2つの伝説を一般化しても、大した違いはないかもしれない。しかし、その伝説の舞台からしてみれば、全く異なる意義を持っていたわけだ。

また、明治期には、義経ジンギスカン説はもちろん、北海道に渡ったことも妄説とする一方、為朝伝説については虚説と断じることはできないという学者もいたそうである。
こうした説が出てくるのは、日本本土人にとって「使える」伝説ということがあるかもしれない。

ところで、本書終章に、昔話と伝説の違い、歴史とのかかわりについて、柳田國男の論を引用しながら、きれいにまとめられていたので、これも引用しておこう。
終章 伝説の領域―北と南の相似性
 1 歴史と伝説の位相

歴史そして昔話と伝説

 また昔話は語り手自身が事実とは認定せず、“という話だ”と保留を加えるが、伝説は最初から事実だと信じて語られる点に大きな違いがある。とくに伝説には、これに関わる神社仏閣あるいは塚や墓、さらには座ったという石や身を潜めたという場所や、伝承で固められた遺品など、主人公と関連する何らかの記念物が存在するという特徴がある。
 そして何よりも伝説は、「歴史になりたがる」という性格を強く有する。それゆえ伝説をもとに、さまざまな歴史が創り出されるが、その分だけ逆に歴史からは遠ざかっていく傾向にあることを、柳田は指摘している。つまり伝説を語る者あるいは聞く者は、それを自分たちに関係ある事実として信じ込もうとするところに最大の特色があり、もし不合理な部分があれば、それに辻褄の合う解釈を加えようと想像力を無限に働かせる。このため伝説自体が、徐々に膨らんで、時代とともに大きく成長し変化するところとなる。
 もちろん過去を事実として信じ込むためには、裏付けとなる根拠が必要であるが、伝説の論拠は身近に求められた。信じ込みたい伝説に関連する有利な伝承や物語のほか、それらしき自然物や人工物あるいは地名などがあれば、それらに独自の解釈を加えて積極的に伝説の根拠として利用する。つまり、そこでは歴史学的な厳密さよりも、事実として信じたいがために、自らに都合の良い典拠や事物あるいは論理が優先されるのが、一般的な原則だともいえよう。しかも柳田の言を借りれば,伝説とは本質的に「人間の想像力に根を差した以上は、事由に又美しく成長せねばならなかった」ことになる(柳田国男「東北文学の研究」)。
 それゆえ信じたい伝説に有利な新たな知識や解釈に出会えば、それを都合良く自らに引きつけて、伝説は「美しい」成長を遂げる。実際の伝説の広め手である物語師たちから聞いた話に拡大解釈を加えて、自分たちの伝説に組み入れたり、また物語師たちも土地土地の伝承を採り入れて、語るべき伝説の飛躍を試みたりした。そして、この循環は限りなく繰り返され、長い歴史のなかで伝説自体が膨大な物語にまで発展するところとなる。
 従って伝説は、しだいに史実から乖離していくことになるが,その形成·展開においては、昔話とは異なって、常に具体的な地名が登場したり、真に実在したかあるいは実在したと考えられる人物が主人公となる。つまり伝説の語り手と聞き手の間には,それぞれに身近な歴史的,地理的知識が共有されており、それが伝説形成のもっとも重要な母体となっている点に留意する必要があろう。つまり歴史学からすれば、伝説自体は虚構であり研究の対象とはなり得ないが、人々に語り継がれた伝説の基底には、その集団や地域の歴史性が深く根を下ろしている。

「女性活躍」を応援する

61uQQmwp-xL.jpg 昨日は、奥田祥子“「女性活躍」に翻弄される人びと”をとりあげて、結局は、活躍のしかたは人それぞれ、多様なものがあって良い、ということでしめくくった。
けれど、いろいろあるから、ということで思考停止しては、やはりいけないと思う。

家事や育児にかかるサービスの充実など、直接応援する施策が進められている。まだまだ不十分だとか、利用しにくいなど、いろいろ問題点もあるけれど、今日は、眼に見えるサービスとは少し観点を変えて、法的な面でちょっと引っかかっていることを。

明文のルールとして、男女に差別を設けている法制度は減っていっているようだ。
結婚年齢の違いとか、離婚後の再婚が認められるまでの期間の差とかも再検討されている。
看護婦が看護師に、保健婦が保健師になったのも言葉使いからの配慮だろう。

しかし、文章上、性別表記がないからといって、差別がないと考えるのは早計である。
「男性社会」が暗黙の前提になっている状況では、そのことに無自覚なルールは、性差別を黙認していると受け取られることがあるかもしれない。
スポーツの場合、同じルールの下で、男女が混じって競うものはごく一部である。(例外は馬術ぐらいでは)

91HYltUkeEL.jpg とりわけ、女性は社会で活躍せず、家にいるものだというイメージで考えているのではないかと不愉快な思いがすることがある。
離婚時の財産分与である。

周知のとおり、夫婦の財産は、特有財産と共有財産に区分される。特有財産とは、結婚前に持っていた財産や結婚後でも親から譲られた財産など、夫婦の協力とは無関係に得られたものであり、それ以外の結婚後に取得した財産はすべて共有財産であり、離婚時は、原則として夫婦が折半する。

こうした考え方は、妻が家を守るという時代にあっては、とてもありがたいものだった。そして今でも、多くの離婚ケースではそうであろう。

右写真の本は、記事を飾るために掲載したもので、私は読んでいないのだけれど、この本も、「主婦」を想定して、損をしない離婚についてを中心にしているのではないだろうか。
(私は全く読んでないので間違ってたら御免)


しかし、女性が社会で活躍し、それなりの収入を稼ぐようになったら、これは納得のいかない状況をもたらす。
共稼ぎ夫婦だが、夫は給料をほとんど自分の趣味に使っており、家計は妻頼り。家を買ったのも妻の給与でローン返済するつもりだったから……というような状況でも離婚するとなったら、財産は夫婦で折半である。

家人の知り合いで、そこまではひどくないけれど、妻が小遣いで株投資を行って一財産作っていたケースがあるのだが、離婚することになって、その半分を夫に持っていかれている。
離婚に至るケースにはもっと酷いものもあると思われる。
家にお金を入れるどころか、妻が働いて貯め、家計をやりくりしているところから、勝手に持ち出して、飲む・打つ・買う三昧というような、ヒモ以下の夫。それでも、家計の口座に残金があれば、半分は夫のものか。

このあたりは斟酌された例もないわけではないようだが、原則折半と信じられていては泣き寝入りする女性もいるだろう。


活躍する女性が増えれば、この問題はもっと目立って来るに違いない。
この問題は、男性社会であることを暗黙の了解とし、そうならば女性に有利になるという仕掛けだけれど、もはや暗黙の了解で済ませておくわけにはいかないだろう。

さらに、こんなことが離婚調停や裁判の通り相場だということでまかり通っているから、上にあげたような酷い男が、離婚したらお前の銀行預金の半分はオレのものだぞと、さらに卑劣な態度をとるかもしれない。


この問題では、家計・家財への貢献度というのはきちんと評価すると裁判所が宣言し、それを周知すれば済むのではないかと思う。もちろん、貢献度を適正に評価することは難しいとは思う。しかし、折半が原則だ(つまり貢献度を評価しない)ということでは、活躍する女性に救いがない。

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離婚問題では検事の出番はないだろうけど
もちろん、妻が遊びまくってマリ・アントワネット張りの赤字夫人をやっているケースもあるだろうけれど、そういう家庭は、夫の稼ぎもそれなりにありそうだ。

よくわからないけれど、共有財産は夫婦折半というのは、慣例であって明文規定はないみたいだから、裁判所がきちんと判断すれば解決する問題だと思う。
そして、その判断が周知され、泣き寝入りする女性がいなくなれば、社会正義が実現したと言えるだろう。
(まさか、面倒だから折半にしているなんてことはないだろう、大事なのは「正義のセ」)


こういう細かいところも見て、活躍している女性が損をしない社会にしていくことも必要だと思う。

“「女性活躍」に翻弄される人びと”

奥田祥子“「女性活躍」に翻弄される人びと”について。

61OpyIwkt6L.jpg 61uQQmwp-xL.jpg 興味本位だと不謹慎の謗りを受けるかもしれないが、この本に書かれた事例をもとに、オムニバス・ドラマを作ったら、結構インパクトがあるのではないだろうか。

本書の第1章から第3章までの各節は、それぞれ一人ずつの女性をとりあげ、彼女たちを取材した記録である。凄いのは、いずれの事例もかなりの長期間の継続取材であること。

著者紹介では、「二十年近くにわたり、取材対象者一人ひとりに継続的なインタビューを続け、取材者総数は男女合わせて四〇〇人を超える」とある。

本書でとりあげられている事例では、最初の取材が2002年、最近の取材が2017年と、15年間にわたっている。そして、この間にも数回の取材をして、継続的に対象女性の境遇、そして心境の変化が追跡されている。

はじめに
 
第1章 管理職になりたがらない女たち
1 「産め」「働け」「活躍」の三重圧力
2 男の「しきたり」から外れる自由
3 女同士の闘いが怖い
4 “数合わせ”の女性登用
 
第2章 非正規でも前向きな女たち
1 “腰掛け”仕事のつもりが……
2 処遇よりも、やりがい
3 社会貢献活動で自分と向き合う
4 女性の格差拡大
 
第3章 “敗北感”に苛まれる女たち
1 「勝ち組」専業主婦の今
2 息子を“お受験”という代理戦争に
3 出世できない夫にDV
4 女の生き方に勝ち負けはない
 
第4章 男たちを襲うプレッシャー
1 女性登用に足をすくわれる
2 女性優遇は「逆差別」?
3 妻の「活躍」がプレッシャー
4 キャリアを捨てた妻に負い目
5 プレッシャーを男女ともに乗り越える
 
第5章 真に女性が輝く社会とは
1 女の人生は一様ではない
2 男女の「差異」を受け入れる
3 内発的動機づけを味方に
4 多様な働き方と質の向上
5 「活躍」のシーンは十人十色
 
あとがき
主要参考文献
第4章は、男性への取材記録である。これも長期継続取材で、4人の男性がとりあげられている。

逆差別じゃないかという話や、一向に管理職になりたがらない(つまり活躍しようとしない)女子社員を抱えて女性活躍担当男性の人事考課が下げられた話とか。


取り上げられている事例は、もちろんそれぞれ特徴的なものであるわけだが、共通するのは書名どおり、政府が推進する「女性活躍」に翻弄される男女の姿であること。

私も前の会社では、管理職の補助そして管理職として、人事業務に携わったことがある。
当時は、女性活躍という言葉こそなかったけれど、男女雇用機会均等法が施行されていて、女性の地位向上も組織の課題であった。

もっとも、前の会社は同じ仕事をしているなら、男女の待遇の差はなかった(女性が配置されにくい職場というのはあったと思うけれど)。

で、私はそれほど意識したわけではないけれど、人事部門から言われるままに、女子職員に昇任試験の受験をお願いしたりもした(六二郎さんの顔を立てて受験するけれど、合格するつもりはありませんなどと言われながら)。

あるいは、試験外の昇任推薦で、女子職員を推薦すると、人事部門はうれしそうだった。

もちろん、女性を理由に昇任させるわけではなく、それだけの実績を評価してのことである。


とはいうものの、人事異動案を示すと、部署によっては女性をいやがるところもあった(もっともそれが女性一般なのか、その属性から推定される特定の個人をいやがったのかは不明である)。

職場に女性がいたほうが、単純な男どもが、ええかっこしたがって、頑張るんじゃないかと思うのだけれど。


さて、本書にもどる。
本書で一貫するのは、「女性活躍」を強いられた女性の生きづらさである。

「君のように、子育てをしながら仕事を続けている女性社員がもっと増えてほしい」、
「君には仕事と育児を立派に両立している女性社員の模範になってほしい」
 :
『産め』『働け』『活躍しろ』って、無茶な三重の役割りを押し付けられて冗談じゃない!

男女を問わず、家事、育児、仕事、地域活動……のどれにも一所懸命、真剣に取り組み、かつ素晴らしい成果を挙げることが期待される(でなければ欠陥人間)、そんなアホな話はないというわけである。

思うに、政府が女性を働かせたいのは、女性の幸せのためなんかではない
女性が外で働けば、家事や育児労働が外部化されてGDPが上がるから、あるいは、外国人労働者に頼らなければならないほど労働人口が減少していて、それを補う労働力が期待されているからに過ぎない。

働き方改革は、資本の論理で進められるものである。

前にも書いたように、それが労働者にとってプラスかマイナスかは別の話である。

しかし、無茶の三重化と受け止められるような、単線的価値観の押し付け政策は見直した方が良い。「活躍」の場が用意され、自由にそれを自由に選択できるのは悪くないけれど、「活躍」を強いるのはマイナスになることもある。

ウルストンクラフトのジレンマ
 女性を男性と全く同じ存在と認めてしまうと、女性が家庭など私的な領域において、家事や育児、介護などケア役割を担っているという、男性との「差異」をないがしろにして、表面的な「平等」を求めることになる。そうしてこの結果、女性は私的な領域での負担が影響し、職場など公的な領域で低評価を受けることになってしまう。一方、ケア役割や母性など私的な領域での女性の特殊性を男性との「差異」として捉えると、公的な領域において、男女を「平等」に扱うことはできないことになってしまう――というジレンマを指す。ウルストンクラフトが2世紀もの前に提起した問題点が、まさに今も根強く、女性たちを苦しめているというわけなのである。
本書では、二百年も前、モーツァルトと同じ時期を生きた、フェニミズムの先駆者ウルストンクラフト(「フランケンシュタインの怪物」の祖母?)のジレンマが、今も解決されないままだとも指摘する。

女性は生物として男性とは違い、出産という非常に負担の大きい役割がある。だから人生の計画を立て実現すること、そもそも計画を立てること自体、男よりもはるかに難しいという。男は自分の子供をもつのに、大した代償は求められないが、女は自分の子供をのぞむのなら、それに見合うリスクと負担が伴う。

何をもって「女性活躍」だというのか、人それぞれに幸福の形は違うのだということも、「女性活躍」で、十分に考慮されているのだろうか。

活躍のしかたは人それぞれ、多様なものがあって良い。

うわっ、すっごいアタリマエの感想!


南北首脳会談

昨日、歴史的な事件があった。
朝鮮民主主義人民共和国の金正恩朝鮮労働党委員長、大韓民国の文在寅大統領の両国のトップの会談である。

私ごときが取り上げても何の値打ちもないし、それどころか無知を曝すようなものだけれど、記録のために。


koreas-summit-0427-story-top.jpg 世界の注目を浴びたこの会談、正直に言って、予想を超えて、南北融和への期待を高めるようなものだった。

会談に先立って、北朝鮮は、核やICBMの実験の中止を打ち出していた。(一説では、核実験場が倒壊して実験継続が不可能になっているということもあるとか。)
そして、両国での朝鮮半島非核化宣言である。

私は、口先だけだとしても、ここまで言うとは思っていなかった。
もちろん、今まで嘘ばっかりじゃないかという話もあるけれど、そして、韓国や米国の態度如何では、宣言を撤回する用意はあるのだろうけれど、とにかく打ち出した。

大統領が替わったら、前の大統領がやったことは反故にするという、信義にもとる国も一方にあるわけだが。


国際情勢、朝鮮半島情勢にまったく知識がない私だけれど、今後のことを妄想してみた。
まず、北朝鮮は、この宣言をすることで、ボールを米国に預けたのではないか。つまり、今後、朝鮮半島そして世界平和を乱す責任は米国にあるという態度なのではないか。
その一つとして、米軍の韓国駐留は、本来は停戦協定違反という説もあるから、停戦協定から平和協定へと「進展」すれば、米国の不法駐留がとがめられる可能性があるのではないか。米国にしても、駐留する大義名分が失われることになる。

もちろん、米国が北朝鮮を信用するとは思えないから、もし韓国から撤兵したなら、米国の最前線は日本ということになる。
これからの日米安保は、今までとは違うフェーズに入るということだ。

3c9a4ea95fa62a1b1445a8a265ccfcb7_640px.jpg そうした不穏な妄想はこのぐらいにして、今回の会談で、両国首脳による植樹と石碑が用意されていたことなど、実に演出の効いたものだった。また、予定外というが、文在寅大統領が金正恩委員長にひかれて、北側へ足を踏み入れるシーンも、金正恩委員長のしたたかさを感じさせるものだった。

ということで、南北統一あるいは国交が期待されるわけだが、ドイツの統一のときのようにいくだろうか。
ドイツ統一は、東側での国内情勢が基本にあった。それに、偶発的な要素(ベルリンの壁の打ち壊し)もあって、あれよあれよと進んだが、朝鮮では、国民レベルでのそうした動きはないようだ。

ベルリンの壁崩壊のまさにその時、私はCNNに視察に行っていた。私はそれを知る由もなかったのだが、案内の広報担当がそのことを教えてくれ、CNNのスタッフが、興奮状態であった。

そして東独のホーネッカー議長は失脚し、他国へ亡命したが、金正恩委員長にはそうした気配は感じられない。

日本は、総連と民団、北と南の在日朝鮮人が住む国である。
この人たちが、半島に先立って統一することがあれば、これはおもしろい展開になると思う。

今までとは違う意味で、目が離せなくなった。

「一杯の紅茶の世界史」

410apxNJ1nL.jpg 磯淵猛「一杯の紅茶の世界史」について。

少し前に「お茶の科学」という本について書いたけれど、これは紅茶の歴史、とりわけお茶貿易と、自らもそれを嗜んだイギリス人との関わりを詳しく書いた本。

思えば、お茶を嗜むといういかにも文化的な行為だけれど、そのお茶の大半は中国からの輸入であり、それによる一方的な貿易赤字を埋めるために、イギリスは中国にアヘンを売りつけたわけである。

また、アヘン戦争よりも前、アメリカ(植民地)がオランダ商人から茶を密輸入していたのを禁じ、イギリス東インド会社に植民地での茶の販売独占権を与える「茶法」への反対から、「ボストン茶会事件」での実力デモンストレーションが行われた。

かように、優雅なお茶は、歴史上は暴力的なものとも結びついている。

もっとも、本書はそれらを詳しく扱っているわけではない。
これらにも触れられてはいるけれど、やはり中心は紅茶そのものとの直截的な関係である。

第1章 イギリス人、茶を知る
第2章 紅茶誕生の謎
第3章 イギリス人、紅茶を買う
第4章 茶の起源
第5章 茶馬古道
第6章 イギリス人、紅茶を飲み続ける
第7章 イギリス人、紅茶を作る
第8章 セイロン紅茶の立志伝
第9章 アメリカの発明品
第10章 紅茶輸出国と、紅茶消費国
第11章 イギリス人と紅茶の行方
冒頭に「お茶の科学」に触れたけれど、その本はタイトルどおり、緑茶から紅茶、そして後発酵茶まで、幅広く扱っていた。今回はタイトルは紅茶だけれど、やはり緑茶や半発酵茶の話題も多い。
それもそのはずで、中国からヨーロッパへ輸出されていたお茶は、ヨーロッパ人の嗜好に合わせた紅茶であるが、現地では緑茶ないし半発酵茶が飲まれているという。

とりたてて感想めいたことを記すつもりはないけれど、前の「お茶の科学」の記事で、“ミルクティーは、ミルクに紅茶を注ぐのか、紅茶にミルクを注ぐのか”の大論争について、2003年に英国王立化学協会が発表した科学的な成果、 “How to make a Perfect Cup of Tea”が、本書に収録されていた。

上のリンクはその原文、以下は私の要約。(結構な分量なので、全体を引用するのは気が引けたので。)

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一杯の完璧な紅茶のいれ方
★英国王立化学協会
        2003年6月24日
材料
  • ルーズリーフタイプのアッサム紅茶
  • 軟水
  • 冷えた牛乳
  • 白砂糖
器具
  • 薬缶
  • 陶磁器のポット
  • 陶磁器の大きめのマグカップ
  • 目の細かいストレーナー
  • ティースプーン
  • 電子レンジ
いれ方10ケ条
  1. 新鮮な軟水を薬缶で沸騰させる。時間、水、電力を無駄しないよう必要量だけを沸かす。

  2. 水の沸騰を待つ間に、電子レンジに陶器のポットにカップ1/4の水を入れ、電子レンジで1分間加熱。

  3. レンジ加熱したポットから水を捨てるのと、薬缶の水の沸騰が同時になるように時間調整する。

  4. 1カップにつきティースプーン山盛り1杯の茶をポットに入れる。

  5. 沸騰している薬缶までポットを持っていき、湯を葉に注ぎかき混ぜる。

  6. 3分間蒸らせる。

  7. 理想的な容器は陶器製のマグ、または気に入ったもの。

  8. まずミルクをカップに注ぎ、その後お茶をいれる。豊かで魅力的な色になるようにする。

  9. 好みで砂糖を加える。

  10. 60~65℃で飲む。あまり熱いお茶を飲もうとすると下品な音をたてるのが避けられない。


  • 一旦沸騰した水は、茶の風味を引き出すカギとなる溶存酸素が減少している。
  • 硬水に含まれるミネラルは茶をかたまらせるから。
  • 金属製のティーポットは紅茶の風味を汚す。ティーバッグは手軽で便利、ただし抽出速度が遅く、好ましくない高分子のタンニンが出ない程度にゆっくり抽出する。
  • 茶葉はカップ一杯あたり2グラム (ティースプーン1杯)で良い。
  • 紅茶は高温抽出する必要があるので、ポットを温めておく。
    ポットの湯を捨てて、すぐに茶葉と熱湯を入れる(ポットをやかんのそばに持ってきておくのがよい)。
  • 茶葉によるが通常は3分から4分蒸らす。カフェインは比較的早く抽出される(1分程度)。色と香りを与えるポリフェノール複合体(=タンニン)はそれより遅い。ただし、3分以上経つと分子量の大きなタンニンが出て風味を悪くする。
  • ポリスチレン製のティーカップは紅茶の温度が下がらず、熱くて飲めない。高温はミルクもだめにする。
  • 低温殺菌牛乳(63~65度で30分殺菌、または73度で15秒間)を使う。超高温殺菌牛乳は、一部の蛋白質が熱変性しているから。
  • 牛乳は紅茶の前にカップに入れる。牛乳の蛋白質は75度で変化するから、牛乳を熱い紅茶に注ぐと、少量ずつの牛乳が紅茶の高温で蛋白質が編成する。冷たい牛乳に熱い茶が除々に注ぐと、牛乳の温度はゆっくり上昇するので変性が起こりにくい。牛乳と紅茶が混ざれば、紅茶の温度は75度を下回るはず。
  • 牛乳も砂糖は好み。どちも紅茶の渋味をやわらげる。
  • 紅茶を飲む適温は60~65度。上のとおりにすれば1分以内になる。ティースプーンを入れておくのも温度を下げるのに有効。

(Dr Andrew Stapley, Loughborough Universityの解説)

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「プロテスタンティズム」(その2 贖宥状)

深井智朗「プロテスタンティズム」に、免罪符(贖宥状)についての解説があった。

免罪符は、周知のとおり、ルターの教会批判のターゲットで、宗教改革の発端となったものなわけだけれど、本書を読むと、日本での理解は正確でないと思われる。
そもそも免罪符という訳語は不適切で、それは贖宥状と呼ぶべきであるという。

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どういうことか。
著者が言うには、お金で罪を赦せるというような権威は教会にはないのだ。
なるほど、金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るよりも難しいというキリスト教において、お金を払えば罪が許されるという信仰がどこからくるのか。

それは、聖職者による償いの代行、つまり与えられた罰を聖職者に肩代わりしてもらうという制度であるという。したがって、免罪符ではなく、贖宥状、金を払って罪を許してもらうのではなく、罰を聖職者に肩代わりしてもらった証明書というロジックなのだそうだ。

この償いの代行というのはゲルマン民族の伝統という説明もついている。
だから、贖宥状は、ローマが出すのだが、大量に売られていたのはドイツにおいてである。これも贖宥状批判の一因の可能性があるそうだ。


さて、贖宥状を正当化する論理だけれど、そもそも、償いの代行は、司祭や修道士の真に宗教的な奉仕であって、彼らは真剣に人々の救済のために自ら断食し、徹夜し祈ったのだ。贖宥状を売るために祈ったわけではなく、贖宥状の有無とは無関係に、ひたすら人々の救済を祈るという宗教行為がずっと以前から行われていた。

その崇高な聖職者の行為が、自分たちの救済に向けられていること、それを証するものとして、人々は安心を買い、天国に行けると考えた。

そして、教会の側も考えた、これは儲かる。そして個別の問題や特定の個人に対してではなく、不特定多数の者たちに対する代行をあらかじめ修道士や司祭に日常的に行わせ、その成果を教会にストックしておくようになっていった。

これが免罪符、正しくは贖宥状の論理ということらしい。
なるほどと思う。
金で免罪符を買うことで救われるという直截的なものでは信者の賛同は得られなかったのだろう、巧妙な(多分はじめは素直な)論理だったのだろう。

しかし巧妙な論理は、煙に巻く論理、胡散臭い論理にも感じられる。素朴に何か変だと感じる人が出てくれば破綻する。


DSC_0031-crop.jpg 日本の神社では、お祓いというものがある。
これは個人的な行為である。病人が医者にかかるのと同じようなもので、ご利益をお金で買う。
それとは別に、国家や国民の安寧や繁栄を祈る行事も行われている。こちらのほうが、キリスト教の祈りに近いのではないだろうか。ただ、キリスト教には原罪という観念があるから、安寧や繁栄ではなく、罪の救済が祈りになる。
ただ、日本の神社は、個人的なご利益というのがあるから、そうした国全体への祈りを切り売りしたりする必要はない。

仏教でも、国家鎮護の祈りがある。これも切り売りされないが、こちらは昔は国庫から費用が出されていた。
そして、江戸時代には寺請制度ができたことで、寺は信徒を集める必要もなく、葬式はもとより、年忌行事で儲けるようになる。
江戸時代以前は、年回供養はせいぜい四十九日、一周忌程度であったものが、徐々に回数を増やし、500年、850年、950年忌というものまであったそうだ。これで檀那寺の収入はますます増え、かつ安定していった。

巧妙な論理で創出された贖宥状というわけだが、個人救済は金次第とキリストが言っていてくれたら、「嘘つき」と謗られることもなく、宗教改革はなかったかも。

「プロテスタンティズム」

深井智朗「プロテスタンティズム―宗教改革から現代政治まで」について。

「プロテスタントの宗派や教団についての本を書けばそれは必ず電話帳よりも厚くなる」という冗談があるほど、と本書に書かれている。

81ybacazuWL.jpg ならば、どのぐらいあるのだろうとネットにあたってみたら、Wikipediaには、「日本のプロテスタント教派一覧」という項目が立てられていて、本稿を書くにあたって数を数えてみたら、300ぐらいの教派が掲載されている。

何故、こんなに教派が多いのか、それについても本書で説明されている。
プロテスタントはどの教派であろうと「聖書に帰れ」を基本ポリシーとしている。教会(カトリック)ではなく、聖書(自己)に忠実であろうとし、教会(権威)が聖書の解釈を示すのではなく、信じる個人個人が聖書と向き合って解釈することを尊重する、そうした信仰態度があるのだという。
極端に言えば、一人一教派でも良いわけだ。(カトリックは、教会の権威により解釈が統一されるから、一つの宗派をなす)。

Wikipediaの記事ではイギリス国教会系もプロテスタントの扱いだけれど、これは違うように思う。イギリス国教会は、信仰・信条とはいいにくい理由で、ヘンリー8世がカトリックから離脱して始まったもののようだから、プロテスタントというのは違和感がある。
知り合いが、キリスト教会で結婚式を挙げるというので、そこの宗旨を聴いたらイギリス国教会だというから、あぁ離婚するために作った教会だねと言ったら不機嫌になった。


私などは、あらっぽく旧教・新教と二分割してプロテスタントで済ませて来たから、こういうデータを見て改めて驚いた。

第1章 中世キリスト教世界と改革前夜
第2章 ハンマーの音は聞こえたのか
第3章 神聖ローマ帝国のリフォーム
第4章 宗教改革の終わり?
第5章 改革の改革へ
第6章 保守主義としてのプロテスタンティズム
第7章 リベラリズムとしてのプロテスタンティズム
終 章 未完のプロジェクトとして
本書では、教派の細かい違いには触れない(細かい違いを言い立てると大変だろう、それこそ電話帳どころか大百科事典になってしまう)けれど、発生の経緯や歴史的役割などで、大きく2つに括られている。すなわち「古プロテスタンティズム」(主にルター派)と、「新プロテスタンティズム」(バプテスト派などなど)である。

繰り返すが、これらも徒党を組むというわけではなく、それぞれが信仰に忠実にあろうとした結果であるという。そもそも、プロテスタンティズムのはじまりであろうルターだって、カトリックの分派活動をしたわけでも、プロテスタントという新しい宗派を作ろうとしたわけでもないという。


その2つだが、一つの政治の支配単位には一つの宗教という政治的支配者主導の改革の伝統を受け継ぎ、国営の教会あるいは国家と一体となったプロテスタンティズム、もう一つはそのような宗教改革の教会の伝統から追われ、国家との関係を回避し、自由な教会を自発的結社として作り上げたプロテスタンテイズムである。
言い換えると、「支配者の教会」と「自発的結社としての教会」の違いだという。

プロテスタント発祥の地といえるドイツでは、この「支配者の教会」が主流である。
そして、そうなると政治的利用ということも起こってくる。
 たとえば彼と宗教改革は、これまでさまざまな主張や立場を正当化するために利用され、ドイツでは幾度もナショナリズムの高揚のために使われた。とくに一九世紀にプロイセン主導で進められたドイツの統一において、偉大なる宗教改革とその指導者マルティン・ルターが、キリスト者の自由を主張し、堕落したカトリックの不正と戦い、プロテスタントは近代世界の形成に大きな影響力を持ったという物語や説明は、ナショナル・アイデンティティの形成と強く結びついていた。統一を妨げていた敵対勢力は、カトリック国のフランスとオーストリアであったから、ナショナル·アイデンティティ形成のためのヒーローとして、聖書をドイツ語に翻訳し、ドイツ語文法の統一に寄与し、一七世紀のイギリスの市民革命や一八世紀のフランス革命よりも前に自由のための戦いをはじめたマルティン・ルターはうってつけだった。ルターと宗教改革はドイツ統一に向かう戦いや、竺後のナショナリズム高揚のための政治的シンボルとされたのである。

なんとなく、敬虔なドイツ人がヒトラーに従ったものにも通じるような感じがする。
ドイツでは、福音主義派またはカトリック教会に所属する信者は、現在でも、住民登録でその旨登録され、市役所が教会税を徴収するという。政教分離原則の日本ではまず考えられないことだ。

欧米は、国民は同じ一神教の神を信じているという了解のもとに暮らしていて、日本とは宗教観が違い、政教分離の意味も違うだろう。


もう一つの新プロテスタンティズムは、政治権力と結びつく傾向のある古プロテスタンティズムには批判的であるという。
「新プロテスタンテイズム」は、一つの政治的領域の支配者によるその領域の宗教の改革を続ける「古プロテスタンテイズム」が、結局は従来と変わらない政治との結びつきを続けていることを批判し、自覚的に、信じる自由を求めた人々の自由な宗教的結社として社会に登場した。これはキリスト教会にとって、あるいはキリスト教の教えにとって大転換であっただけではなく、社会システムにとっても大きな転換点となった。
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 しかし洗礼主義などの「新プロテスタンテイズム」の教会はそれとは違っている。このような支配者の教会から自立することを考えた。先のたとえを使うなら、公立の小学校があるのに、あえて私立の小学校を作るということに似ている。自分たちの理想や信念にあった小学校を作る、あるいは自分たちの理想に合った考えを持っている学校を選んで、そこに子どもの教育を託すのが私立の小学校である。洗礼主義の教会はそのような存在である。

米国にはカルト教団が次々に生まれるというのも、関連があるのかもしれない。

ところで、プロテスタントという言葉も、ルターが名乗った教派名というわけではない。
「プロテスタント」は、「抗議する人々」と歴史の授業では習ったが、ルターの当時は、「文句ばかりいう人々」で今でいう「クレーマー」のようなニュアンスだったそうだ。だから、ドイツでは、“「プロテスタントという代わりに、福音主義という名称を、ブロテスタントの信者というのではなく、福音主義の信者という呼び方が選ばれねばならない。(プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世の勅令 1821年4月3日)”という。

本書では、宗教改革の発端となった「免罪符(贖宥状)」の本質にも迫っている。
(続く)

道鏡か否か?

昨日は「女帝の手記」をとりあげたので、ずいぶん前にNHKの「英雄たちの選択」で道鏡をとりあげていたことを思い出した。

たしかビデオをとっていたと思って、ビデオレコーダーに残っている番組を見ていたら、ありました、英雄たちの選択―道鏡か否か? 愛に揺れた女帝

見たら消すのが普通だけど、もう一度見たいと思って残してあった。


昨日の記事に書くべきだったかもしれないが、孝謙時代はともかく、称徳天皇は、知力・胆力に優れた、存在感のある天皇だという。

私は、今までは、孝謙天皇というのは、道鏡と姦淫にふけったかどうかは別として、お飾りの天皇であるという評価で、淳仁廃位、自身の重祚などはデタラメな行動と見え、ヒステリックな女性だろうと思っていた。仲麻呂討滅は、ヒステリーの称徳を利用して、仲麻呂を失脚させたい貴族・豪族がいたからだろうと思っていた。

番組のコメンテーターの話を聞いていると、もちろんそういう陰謀勢力はいただろうけれど、称徳自身の意思というものを、やはり無視はできないというように評価が変わった。

「女帝の手記」では、自分から離れていった仲麻呂、その傀儡でしかない淳仁天皇の天子としてのふがいなさから、政治家として目覚め、仲麻呂を追い込んでいく姿が描かれ、宇佐八幡宮神託事件においても冷静な対応をする。けっしてヒステリー女ではない。冷徹な計算のうえで行動している。

「女帝の手記」では、宇佐八幡は「神意は使者の存念どおり」という無責任な神託をして、すべてを清麻呂に押し付けたこととなっている。
道鏡を天皇にするのははばかられるが、前の神託を否定すると天皇の怒りをかうという判断である。


そして、この番組においても、コメンテーターの意見は、称徳天皇はしっかりした天皇、統治者であったということで一致していた。
コメンテーターの中でこの時代に最も詳しいだろう千田先生は、称徳天皇に道鏡を皇位につける意志はまったくなかっただろうと仰っている。
称徳天皇は、天皇権力と道鏡の仏教権力のパワーバランスをよく心得ていて、そんなことをすれば、統治体制が崩れることは予測していただろうという。

称徳天皇は、道鏡を皇位につければ結婚できると考えたという説もあるが、宇佐八幡宮神託事件は769年で、このとき称徳天皇は50歳を超えているから、既に閉経、あるいは閉経していなくても子供をのぞめる体ではない。子供を産めないなら、仮に愛人関係を続けていたとしても、正式に結婚する必要はないと考えることもできるだろう。


ところで、この番組の導入部では熊本市にある弓削神社が紹介される。称徳天皇を祭神とすること、この神社に祀られる五穀豊穣を祈るご神体や、浮気封じのまじないが紹介される。

この浮気封じのまじないは見るだにおそろしいものである。こんな目にあったら生きてはいられないだろう。


Wikipediaによると、この神社の由来は良く解らないらしい。せいぜい遡って後白河天皇の時代(12世紀後半)の創祀だという。
五穀豊穣のご神体が創祀以来のものだとしたら、この時代には道鏡伝説は既にできあがり、おもしろおかしく語られていたのだろう。

そして、それは番組の趣旨とはあわないのではないか。
称徳天皇、道鏡を正面からとりあげた番組ではあるが、そのスタートは旧来の伝説を興味をかきたてる要素として使った。
やはり、マスうけねらいだったのだろうか。

『英雄たちの選択』         (2014年10月23日放送)
「道鏡か否か? 愛に揺れた女帝」

奈良時代の769年、朝廷を根底から揺り動かす大事件が起きた。「宇佐八幡神託事件」。僧侶の道鏡が天皇の位につけば、天下は安泰という神託が下ったのだ。時の天皇は古代最後の女帝、称徳天皇。道鏡を仏教の師と仰ぎ、ちょう愛していた天皇は、究極の選択を迫られる。
  • 皇位を譲るべきか否か…?
  • 今年、平城宮跡で発掘された儀式の遺構が物語る真実とは?
  • 道鏡は怪僧だったのか!?
奈良時代最大のミステリーに、最新の研究で迫る。

司会:磯田道史,渡邊佐和子
出演:千田稔,上田紀行,宮崎哲弥,中野信子
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千田稔,宮崎哲弥,中野信子,上田紀行

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日本霊異記

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道鏡は天皇並みの拝賀を受けたという

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西ノ京造営

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現在の由義宮跡(由義神社内)

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少女らに男立ち添ひ踏み平らす西の都は万世の宮
(『続日本紀』 称徳天皇 宝亀元年3月)


以下は、熊本市にある称徳天皇を祀る弓削神社
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後世の道鏡巨根伝説にとらわれているのだろうか

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身の毛がよだつ光景。誰がこんなことを……
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「女帝の手記」

里中満智子「女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語」について。

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 誰ですか、第4巻「たまゆら道鏡」でエロを想像するのは。
4月1日から中核市となった八尾市は、かつて「西の京(みやこ)」呼ばれた土地を抱える。

今、西の京(きょう)というと薬師寺・唐招提寺があるあたり(奈良市西ノ京町)だけれど。

八尾、精確には、現在の由義(ゆげ)神社(八尾市八尾木北5丁目)付近、ここに由義宮(ゆげのみや)がおかれた。
もちろん弓削道鏡所縁の土地である。

その八尾市の広報誌に、里中満智子氏と市長の対談~道鏡と漫画がつなぐ過去と未来~が掲載されていた。

対談の中で、里中氏は、道鏡のことを「彼は非常にまっとうな人だったんじゃないか」と語っている。別に八尾市長に配慮したわけではないと思う。

そこで「女帝の手記」である。

これは他人から借りたもので、ちょうどこの里中氏の対談が市広報に掲載されたタイミングで貸していただいた。


「女帝の手記」のあとがきで、里中氏は次のように書いている。
女帝と道鏡の恋が、真実であるならば、そして女帝が「堅くて一途」で、道鏡が「素直」な人だったら、二人のイメージは語り伝えられたものとは違うはずだ。そう思ったのがこの作品を書きたいと思ったきっかけだった。

対談相手に配慮したからではなかったようだ。


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作品に対する予備知識なく読んだわけだが、大胆な推定にもとづいて書かれている。
本作では、藤原仲麻呂が孝謙天皇の愛人であったという説を採用しているのだけれど、さらに光明皇后とも通じていたとする。しかも、光明皇后は仲麻呂の子を孕む(流産)。
なんと、親子丼である。

奈良時代は、こんなに簡単に皇女、皇后に近寄って情を交わすことができたのだろうか。
時代は下がるが、源氏物語などでは、普通、これらの女人には近づくことはもちろん、顔を見ることもできない様子が描かれているのに。
玄昉が太皇太后(宮子)に、道鏡が天皇(孝謙)に近づくのは、医療行為の意味から納得もできるけれど、俗人である仲麻呂がねぇ。


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それはそうとして、本作では、孝謙天皇即位後、急に仲麻呂が孝謙天皇と距離をおくようになる。
仲麻呂は、結果的には孝謙を見くびって滅びるわけだが、未だ自分への執着を捨てきれない孝謙を早々に見限って、新たに淳仁天皇を傀儡にすることに、どれほどの必然性があったのだろうか。孝謙がただの女であれば、飽きたから捨てるということはあるだろうが、さんざん利用してきて、まだまだ使える状態の孝謙と距離をおくという展開は不思議な感じがした。

もちろん史実では仲麻呂は乱(恵美押勝の乱)を起すわけだから、そのためには二人を引き離さなければならないわけだが、作者の意図が作品中ではなかなか明かされない。

仲麻呂が距離を置き始めた頃に道鏡が登場するわけだが、道鏡は「まっとうな」人で、天皇を利用しようとしたわけではなく、仲麻呂もはじめのうち道鏡を警戒はしない。
つまり、道鏡が二人の仲を裂いたわけではない。もしそういう設定にしたら道鏡を「まっとうな人」としては描けないということになっただろう。

結局、仲麻呂が皇族でない自分は天皇にはなれないから、皇帝になろうとした(これは官制を中国風に改めたことからの推測のようだ)、そしてその焦りが孝謙天皇につけこむすきを与えたという流れになる。

里中氏の古代物は、「天上の虹」、「長屋王残照記」、「女帝の手記」と3作が集中的に書かれたようだが、「天上の虹」が完結までに長い年月を要したのに対し、「女帝の手記」は比較的早く完結している。そのせいか、最新の考古学・史学の成果はとりいれられていない。

Heijokyo_Daigokuden 平城宮址大極殿前の儀式跡(旗竿をたてる穴)の発見(平成26年)などが既に知られていたなら、また違った描き方になったかもしれない。
というのは、本作では、道鏡は天皇に引きたてられて高い地位に登るわけだが、権力を振りかざすことはもちろん、表だってその地位を見せつけることも控えている。
作者は、歴史書に道鏡が朝賀の儀を受けたことを知った上で、後世に編纂された歴史書は道鏡を貶める書き方をするわけで、これもその脚色として捨て去ったと思うのだが、遺跡が出たことで、道鏡自身の振舞いがどうであったかは別として、朝賀を受けたことは重大事件であるから、そのシーンは必ずや作品に反映したものと思う。

もちろん、そこでギラギラした道鏡を描くのではなく、称徳天皇に無理矢理押し出される格好で描かれるだろうが。


N201001880700000_x.jpg ところで、本作はNHK古代史ドラマ「大仏開眼」と重なる時代・人物であるのだけれど、このドラマでは、孝謙天皇は仲麻呂とは親密な関係とは描かれていなかった。
何より、このドラマでは道鏡が登場しない。

きりっとした石原さとみでは、仲麻呂も道鏡も、からみようがなかったのだろうか。

「『資本論』の核心」

佐藤優「『資本論』の核心―純粋な資本主義を考える」について。

61yvjg2OQWL.jpg シュトレーク「時間かせぎの資本主義」という大著と比べれば、新書版の本書は実に小さい。けれども、主張するところは相通ずるものが多い。シュトレークと併せて読むとおもしろいと思う。

この著者の本は今までにもとりあげている。
元外務省情報分析官、要するにインテリジェンス要員という著者で、その筋の本はともかく、経済についても、きちんとした自分の理解というものを持っているようだ。

氏の本態はわからないけれど、インテリジェンス要員が、断片的な情報、錯綜する情報からストーリーをまとめるには、何らかの世界観を持っている必要があるのだろう。

依拠する世界観には合理・非合理はあるだろうけれど、善悪はないと思う。善悪は信仰から生まれるものなのかもしれない。
著者は、マルクス経済学を社会を理解する道具とし、プロテスタントとしての信仰を自分の信条としているとのこと。(しかも同志社の神学部へ行ってから洗礼を受けたそうで、成人洗礼を重視する洗礼派からも文句を言われる筋合いのないプロテスタントである)


本のタイトルに『資本論』とあるように、本書で佐藤氏はマルクス経済学に基づいて、近代から現代へかけての世界経済の動きを、宇野経済学を援用しながら解説する。

はじめに―資本主義の起源について考える
 
序章 マルクスを読まねばならない
保守主義は各国の文化に裏付けられている/自由主義は、基本的に知的操作を必要としない/排除の思想/マルクス経済学を保守の立場から読み直す
 
第一部 「資本論」の骨格
第一章 純粋な資本主義とは何か
自壤した政権/マルクスの二つの魂/経済も人間の行動であるからには、背景には魂がある/「狹義の経済」と「広義の経済」/歴史的に出現した事象を、当時の歴史的条件の中で見る
 
第二章 価値
イギリス経済を対象とする/理念型を宇野は危険視した/原理論、段階論、現状分析/遡行の論理構成/マルクス経済学者とマルクス主義経済学者は違う/商品の価値はカネになること、と宇野は考えた
 
第三章 資本主義の構造悪とは
「貧民問題」/革命阻止のために、国家は失業対策、社会保障を行う/安価な農産物輸入は賃金抑制のために求められる/残存するもの/人間が作ったモノによって、人間が支配される
 
第二部 資本主義の形成
第四章 純粋な資本主義の下での商品
労働力商品という超越性/宇野の方法はヨーロッパ中心主義/時代的制約/貨幣は、身分の差を超えて浸透する/ペスト
 
第五章 近代資本主義の形成
商業には、共同体を分解する作用がある/エンクロージャ運動が近代的プロレタリアートを生んだ/対抗システムがもった「脅威」の重要性/反グローバリズム運動とイスラーム原理主義過激派の運動/商人資本には、封建社会を壊すカはある
 
第六章 商人資本による共同体の破壊と建設
偶然の事情が重なり、資本主義は生まれた/人間でなく資本が主体となった社会システム/資本主義がもたらすイデオロギー(常識)の呪縛/絶対王政は封建社会の現象ではなく、初期資本主義に随伴した現象/絶対主義は、資本主義と共にナショナリズムを育む/環境は資本によっても労働力によってもつくることができない
 
第三部 国家の介入
第七章 産業革命と労働力商品化の親和性
合理化、効率化が、かえって労働強化につながる/自立した資本、産業資本/労働には二重性がある/搾取の場合、露骨な暴力は存在しない
 
第八章 棇資木と個別資本、あるいは国家の介入
平等関係の中に埋め込まれた階級支配/資本家は特別の利潤を得ようと技術革新に力を入れる/機械打ち壊し運動を非文明的と考えるのは、資本主義に毒されているから/合理化による労働の単純化は深刻な問题を引き起こす/資本主義システムに合致する形で人口を作り出す
 
第九章 『資本論』の核心
      ―三位一体の錯認の定式とは
バベルクの批判/総資本の前提/地代は、地主に対する資本家の譲歩/利子は利潤の一部に過ぎないのに、錯認が生じる/資本主義の階級関係は隠ぺいされている
 
おわりに―資本主義の矛盾と戦うための信仰
著者がしつこく注意するのは、マルクス経済学と、マルクス主義経済学は違うということ。
宇野弘蔵もその立場であるとし、時代制約によるであろう宇野への批判も行いながら、枠組みとしては宇野経済学を基本的に利用する。

宇野弘蔵については、私は「資本論の経済学」(岩波新書)ぐらいしか読んだことがないのだけれど、すっきりとした読後感だったと記憶している。私が学生の頃、宇野弘蔵については、高い評価と限界の指摘が両方あったが、佐藤氏も同様のように思える。


さて、前者のマルクス経済学は、マルクスが、勃興しつつあるヨーロッパの資本主義を洞察して、資本主義経済のメカニズムというか、経済活動を分節し、理解するフレームとなった経済学である。
後者マルクス主義経済学は、前者の成果を踏まえつつ、共産主義革命を是とした政治運動=マルクス主義を正しいものとして受け入れた上での経済学である。

何かを絶対的に正しいと信じた上での科学というのは、たいてい歪むわけで、マルクス主義経済学もそうした問題があるというのが佐藤氏の主張である。
一方で、マルクス経済学は、実に鋭い分析をしているものとして、氏の社会理解の基本フレームとなるものだという。

実際、マルクス経済学は資本主義的発展を考える上でも有効だったようで、日本の戦後復興で重要な役割を果たした傾斜生産方式を考案したのはマルクス経済学者だという(彼らがマルクス主義者であったというわけではない)。
というか、その時代、日本で経済学といえばアダム・スミスより進んだマルクス経済学というのが普通だったのではないだろうか。


さて、私は本書とシュトレーク「時間かせぎの資本主義」を同時期に読んだので、両方の本がごっちゃになってるかもしれないとおことわりした上で、最初に書いたように、この2つの本は、相通ずるところが多いと思う。

それは新自由主義というのが、実はマルクスが考えたむき出しの資本主義に近く、そこにある資本の利潤追求の行動原理も、むき出しの状態であるから。

そして経済を動かしているのは、実は労働であり、資本主義社会を成り立たせているのは「搾取」であるという点がはっきりする。

「搾取」という言葉は、「搾り取る」という大変語感の悪いものなのだけれど、言葉を変えるなら、余剰生産物ということだろう。
善悪ではなくて、経済社会とはそういうもので、経済を動かしているのはやはり労働者からの「搾取」である。

本書では、「搾取」と「収奪」は別だという。「収奪」は資本主義以前の奴隷制社会、あるいは農奴制社会で、王侯や領主が労働者から奪い取るものだが、「搾取」というのは無理矢理奪われていると意識させないものだという。

今、「働き方改革」という言葉を良く聞く。働き方改革というのは、言ってしまえば、資本が利潤を求める上で制約になるものをとりはらう、足をひっぱりそうなところは国に責任を持たせるということに帰着するわけだが、だからといって、それが労働者にとって悪いことなのかどうかは、また別の問題である。


資本家という種類の人間が居て、搾取という「悪」をするわけではない。
資本主義社会では、誰が資本家であっても、結果として搾取というものがなければ、会社も社会も回らない。
どんな経営者も、個人事業主ならともかく、自分の思想信条とは関係なく、資本の意思に従って行動せざるを得ない。彼らに悪意はない。しかし、資本の意思に逆らえば自分が破滅するとは考えている。
人間疎外は、労働者だけではなく、資本家についても起こることなのだろう。

また、資本には矜持というものはない。
資本は、資本主義を批判する書籍でも、共産革命を訴えるビラでも、金持ちが天国に入るのはラクダが針の穴を通るより難しいと唱える聖典の発行でも、儲かるなら、その作製をためらうことはない。

昨日まで、シュトレークの本の感想をアップしたわけだが、単に私が経済学者をあまり知らないだけなのだろうけれど、佐藤氏の経済社会の理解と、シュトレークのそれは、かなり近いのではないだろうか。

どちらかがどちらかに影響を与えたというより、どちらもマルクス経済学をフレームにしているということだろう。


「時間かせぎの資本主義」(その3 国家の存在意義)

61cVOXmn9UL.jpg ヴォルフガング・シュトレーク「時間かせぎの資本主義」をとりあげる3回目。

昨日の記事では、EU、とりわけ統一通貨ユーロについての批判をとりあげた。
著者は、新自由主義のポリシーによる資本の国際的な活動は、領邦国家という文化・経済圏にとっては、内部的な格差や分断を引き起こすという考えのようだ。

その最も尖鋭化した完成型が統一通貨ユーロであるけれど、思えば、日本円、米ドルなど、ユーロとは別の通貨が使われてもいるわけで、これらの国においても、新自由主義が台頭していることは変わらない。


序章  危機理論―当時と現在
 
第一章 正当性危機から財政危機へ
新しいタイプの危機
危機理論が想定していなかった二つのこと
もう一つの正当性危機と戦後平和の終わり
時間をかけた転換
――戦後資本主義から新自由主義へ
買われた時間
 
第二章 新自由主義的改革―租税国家から債務国家へ
民主主義の機能不全による財政危機?
新自由主義革命における資本主義と民主主義
補論 資本主義と民主主義
獣を飢えさせろ!
租税国家の危機
租税国家から債務国家へ
債務国家と分配
債務国家の政策
国際金融外交としての債務政策
 
第三章 財政再建国家の政策―ヨーロッパの新自由主義
統合と自由化
自由化マシーンとしてのEU
制度的転換―ケインズからハイエクへ
ヨーロッパの多層的統治体制としての財政再建国家
国家改造としての財政再建
成長―バック・トゥ・ザ・フューチャー
補論 地域振興政策について
ヨーロッパ財政再建国家の戦略能力
国際的財政再建国家内の抵抗
 
結語  次に来るものは何か?
次なるものは?
資本主義か、民主主義か
軽率な実験としてのユーロ
ユーロ諸国の民主主義?
通貨切り下げへのエール
ヨーロッパ版ブレトンウッズ体制にむけて
時間かせぎの資本主義
 
文献一覧
訳者解説  いつまで「時間」を買い続けられるか
しかし、世界経済の最大のプレイヤーである米国が、自らの国内問題の解決を図って、新自由主義のポリシーを立てて、アメリカン・スタンダード=グローバル・スタンダードこそがフェアなものであり、すべての自由主義(資本主義)国家は、このポリシーに則った政策を行わなければならないということになった。

であれば、シュトレークが言うEUで起こっている問題は、そのまま日本などにもあてはまっていると考えられる。

シュトレークは国家とはどういうものと考えているのだろうか。
本書では、国家の存在意義について、簡潔明瞭に示している。
外部経済が存在することが、
国家の存在意義である。

これほど国家の存在意義を明確に指摘した言葉には、私は初めてお目にかかった。
自由主義経済は、外部(不)経済を内部化できる装置、すなわち国家をもたなければ、破滅へと進むということだと私は解釈している。
「コモンズの悲劇」は貪欲な資本によって繰り返されるということだ。

以前から、たとえば大気汚染は、大気をタダと考えるから起こるのであり、大気が無償で利用できることを外部経済、大気汚染に対する補償を外部不経済として、経済システムに組み込まなければならないという言説がある。
大資本によって忌み嫌われる社会運動の多くはこの構図が成り立っていると考えられる。

各国が抱える経済問題。その解決に協力してあたろうというGxx。しかし、その成果は、新自由主義を国際ルールにすること、「時間かせぎ」で、短期的延命、長期的破滅に向けて進むことだった。
そうした意思決定が行われる、その「意思の本態」とは何だろうか。

いろいろなことを考えさせられる本だった。

「時間かせぎの資本主義」(その2)

ヴォルフガング・シュトレーク「時間かせぎの資本主義」は大著だから、もう一つ記事を書いておくことにした。

前回、本書の中心的な主張―資本主義が現在の危険で閉塞感に満たされた世界をつくってきたことについて紹介した。今日は、本書で強く主張されているEUの危機の方をとりあげる。

400px-Euro_banknotes.png 著者はEU、とりわけユーロによる通貨統合は、新自由主義の完成系であるとする一方、完全な失敗であると主張する。
つまり新自由主義の自然な帰結こそ、この完全な失敗だというわけだ。

しかし、多様な文化・多様な民族からなるヨーロッパにおいて、本当にそれが理想的な姿であったのか。統合はなされたが、統合のポリシーは新自由主義に依拠して行われたものであり、これは各国内における格差拡大という、新たな分断を生んでいるという。

そのメカニズムだが、通貨統合は、各国政府の経済金融政策、具体的には通貨切り下げや関税などの調整を不可能にする、従って、生産性などの実体経済の差は、各国労働者の賃金で調整するしかなくなる。
資本が利潤を求めて自由に活動するには通貨統合は都合が良いが、それがもたらす各国内の混乱を収拾する(要するに労働者を抑圧する)のは、各国政府の役割になるということらしい。

本書では、「国家の市民」(従来の国民国家)、「市場の市民」(国際金融市場のプレイヤー)という言葉でも説明されている。
前者は普通の意味での市民、後者は市場に参加してそれを動かしている、具体的には金融資本である。そして恐ろしいことにその実態はわからない。
EUは国家の市民から意思決定権を奪う。超国家的枠組みで、国民国家は機能しなくなる(為替切り下げなどの経済政策が制限される)。
市場の市民は、国家を利用したあげく、それを内側から食い破る。そして超国家的な支配体制を構築し、国家をコントロールするようになるというわけだ。そして、格差の問題や、経済活動の制約となる社会条件の是正は、国内問題として、国民国家に責任がおしつけられる。

2年前、Brexitが決まったとき、著者シュトレークはどんな評価をしたのだろうか。
もっとも、著者は、緩やかな連合を否定しているわけではない。批判の対象は統一通貨ユーロであり、それを要求する金融資本である。英国はもともとユーロには与していなかったから、特別な評価はないかもしれないが。

今更、ユーロを廃止し、EUを解体することができるのだろうか。
しかし、歴史上はローマ帝国の版図が、帝国の解体・滅亡した後にできたのがヨーロッパ各国であるわけで、ここでも歴史は繰り返すということがあっても不思議ではないのかもしれない。

「時間かせぎの資本主義」

61cVOXmn9UL.jpg ヴォルフガング・シュトレーク「時間かせぎの資本主義―いつまで危機を先送りできるか」(訳:鈴木直)について。

強烈なタイトルである。それに惹かれて図書館で借り出した。
大著であることもあるが、必ずしも教科書的に要点をまとめてくれているわけではなくて、これでもか、これでもかと、いろいろな見方で現在の資本主義、新自由主義経済の、欠陥というより、破滅への道を描き出している。

経済学に詳しくない私には、精読は困難で、飛ばし読みしかできなかった。


さて、著者ははじめに、次のような趣旨のことを言う。
解決策はない。
解決策がないような論考に何の意味があるのかと言われるが、解決策がないことが真実なのだ。

現在の資本主義の危機は3つにまとめられるとする。
金融危機、財政危機、実体経済の成長鈍化の3つである。
つまり、どこにも救いがない。
そして、
第二次大戦後、資本主義経済の危機を乗り越えるために「解決策」とされてきた施策は、
ことごとく長期的解決を難しくする施策であった。

ということで1940年代から、この危険で閉塞感に満ちた現在に至るまで、歴史が解説される。

 資本主義は自らの危機を「時間かせぎ」によって先送りしてきた.
 70年代,高度成長の終わりとともに,成長を前提とした完全雇用と賃上げは危機を迎えていた.そこで各国はインフレによる時間かせぎ,つまり名目成長に実質成長を肩代わりさせて当面の危機を先送りした.
 80年代,新自由主義が本格的に始動する.各国は規制緩和と民営化に乗り出した.国の負担は減り,資本の収益は上がる.双方にとって好都合だった.
 だがそれは巨額の債務となって戻ってきた.債務解消のために増税や緊縮を行えば,景気後退につながりかねない.危機はリーマン·ショックでひとつの頂点を迎えた.
 いま世界は,銀行危機,国家債務危機,実体経済危機という三重の危機の渦中にある.新たな時間かせぎの鍵を握るのは中央銀行だ.その影響をもっとも蒙ったのがユーロ圏である.ギリシャ危機で表面化したユーロ危機は,各国の格差を危険なまでに際立たせ,政治対立を呼び起こした. EUは,いま最大の危機を迎えている.
 資本主義は危機の先送りの過程で,民主主義を解体していった.危機はいつまで先送りできるのか.民主主義が資本主義をコントロールすることは可能か.ヨーロッパとアメリカで大きな反響を呼び起こした,現代資本主義論.
(本書裏表紙から)
はじめはインフレ政策である。
実質成長を名目成長で肩代わりし、一方で実質賃金を抑えて資本に余裕を与え、一方で名目賃金が上がったという錯覚にひたらせる。

つぎは大量の国債発行である。
お金を刷る代わりに、民間から、将来の税収を質にしてお金を借りまくる。

そして金融市場の自由化が行われる。
米国政府はドル高政策によって金利をつり上げオイルダラーを呼び込む。銀行はこれを元手に国債を購入する。金融セクターは、国家の税収不足を補填すると同時に、安定した利子収入を得る。
大きな債務を抱えた国は福祉のカットと公共セクターの民営化を進める。

続いて起こるのが、過剰な信用供与とバブルである。
そして、それがはじけたのが現在というわけだ。

最初に書いたように、本書は、戦後自由主義経済の歴史をなぞりながら、危機がどのように深まって来たのかを、多くの数値・グラフをまじえて、具体的に解説するのだけれど、同時に、この間、大衆運動(労働運動)の敗北、資本家による国家(政策)のコントロールが進んできた様相が重ねられている。
労働者からの搾取が資本主義世界の経済を動かす原動力だったわけだ。

少し古い言い回しだけれど「勝ち組」と「負け組」への分解が進んでいるのは資本主義の世界中で起こっていることのようだ。日本では、ついこの間まで一億総中流と言っていたのに。
本書を読んでいると、負け組というのは、怠け者でも無能者でもなくて、搾取された側が負け組というだけで、その負け組へのセーフティネットはモラルハザードになると指弾するのが新自由主義というやつらしい。

本書の分析・主張が正しいのか、私には良くわからない。
その時々の政府が、熟慮して行ったのか、あるいは苦し紛れで行ったのか、それはわからないけれど、他にとりうる選択肢はなかったのかというのが正直な感想である。

書いて消せる! マグネットシート

20180326-00539875-shincho-000-view.jpg

そういえば、「虚構新聞」に“公文書記録、粘土板への移行を検討 政府”という記事が載っていた。
真逆のアプローチである。

今日、佐川元理財局長への証人喚問が行われる。
私の予想では、

答弁時点で担当から知らされていたことを答えた、改竄指示などはしていない。想像では、間違った情報に基づいた答弁をさせたことに対して、辻褄合わせをしようとしたのではないか。

というあたりでうやむやになるのだろう。
自虐ネタで笑いをとろうとしたのだろうか。
昨日、ネットのニュースサイトを見ていたら、そういう記事が配信されていた。

3月25日に開かれた自民党大会でおみやげとして配られた粗品の中に、「書いて消せる! マグネットシート」というのがあって、ご丁寧にも自民党のロゴと安倍総理の似顔絵が印刷されているのだという。

今頃、配っても遅いでしょう!
それに配り先も違う、霞ヶ関でしょう!

森友文書改ざんの悪い冗談!?
 自民党大会の「お土産」がヤバすぎる

安倍首相が「何度でも書いて消した」!?
 森友文書の改ざん問題が、安倍政権を揺るがしている。そんな中、3月25日に自民党大会がグランドプリンスホテル新高輪(東京都港区)で開催された。安倍首相が「行政全般の最終的な責任は私にある。国民に深くお詫び申し上げる」と謝罪したのは、報道の通りだ。

 ***

 ところが、そんな反省の弁を一気に無力化してしまうような、恐ろしい“お土産”が自民党から出席者に配られていたのだ。
 実物の写真をご覧いただきたい。「書いて消せる! マグネットシート」とある。安倍晋三首相(63)の似顔絵があり、その横がマンガの吹き出しのようになっている。ここに水性ペンで字や絵を書けば、指でこすっただけで綺麗に消えてしまう。
 :
週刊新潮WEB取材班 2018年3月26日 掲載

ブロックチェーンの技術を使って電子的に改ざん防止をしたらどうかという意見がネット上にある。
これは以前から、電子公証サービスという形で提供されている。

ある時刻に、その内容の文書が存在したことを証明するもので、特に特許に関して先発明主義(先願でない)をとる米国では、重要なサービスとなっていると聞いたことがある。
技術的にも、米国のSuretyというサービスは、チェーンを使っていたと思う。


これは存在証明はできるけれど、不存在証明はできないだろう。
やはり決裁文書は、その時点でその文書のハッシュコードなどを公表しておくのが良いのではないだろうか。

「戦争の社会学」

Senso_no_shakaigaku.jpg 橋爪大三郎「戦争の社会学 はじめての軍事・戦争入門」について。

本書のはじめにには次のように書かれている。

はじめに

 軍について知ろう。
 戦争について学ぼう。
 軍というものがあって、戦争をする。有史以来、人類は戦争を続けてきた。それがこの世界の現実である。現実から目を背けてはならない。
 平和とは、戦争がないことである。平和を求めるなら、戦争について知らなくてはならない。戦争とはどのようなことか、戦争はどのように起こるのかわからないで、平和を実現することができるだろうか。
 戦争を通じて、平和を考える。戦争を理解して、平和を実現する能力を高める。戦争も軍も、社会現象である。社会現象であるからには、法則性がある。戦争の法則性を理解して、リアリズムにもとづいて平和を構想する。これが、軍事社会学(military sociology)である。

これは100%賛同できる言説である。
戦争や軍隊という言葉に過敏に反応して、思考停止になってはいけないと思う。
それに第一、男の子って、ミリタリー好きが多くて、いろんな兵器の性能を比べて見たり、軍艦や軍用機のプラモデルを作ったりして楽しむわけだ。ましてそれが大和やゼロ戦となると、日本はすごかったんだと、自分は何にも貢献してないくせに誇らしく思ったりする。

しかし、こういうミリタリー男子というのも、戦争や軍隊についてちゃんと考えているわけではない。そのレベルの知識や思考力しかない人や、対極の思考停止になるタイプの人が、憲法九条とかの議論をしてもちゃんとしたものにはならないと思う。

はじめに
序 章戦争とはなにか
第 二 章古代の戦争
第 三 章中世の戦争
第 四 章火薬革命
第 五 章グロチウスと国際法
第 六 章クラウゼヴィッツの戦争論
第 七 章マハンの海戦論
第 八 章モルトケと参謀本部
第 九 章第一次世界大戦とリデル・ハート
第一〇章第二次世界大戦と核兵器
第一一章奇妙な日本軍
第一二章テロと未来の戦争
あとがき
ということで、社会学の視点でというのは、なんだかちょっと魅力的に感じた。

社会学というのは私にはよくわからない学問で、経済学みたいだったり、文化人類学みたいだったり、あるいは社会統計の分析だったりで、確固とした対象、方法論、体系があるのだろうかとも思うけど。(というかありすぎるのかも)

この本は、制度的社会構成が一つの視角のようで、軍という制度や戦争を遂行する政治的メカニズムに注目するようである。
で、著者はなかなかの自信をもって書いている。
「・・・戦争と軍の本質を、しっかり議論し尽くしている。前例のない本になったと思う。」とは、著者自身の言葉である。

普通、日本の学者の文章というのは、自惚れるぐらいの内容でも、謙遜して、非才だとか、不十分だとか書くものだけれど。


ここまで自惚れて書いているためか、Amazonの書評には、本書をこきおろしているものがある。

大した内容ではない、軍事社会学は以前から精力的に研究されているのに、それを知らないはずはないのに、それらを全く無視している、そのうえ本書に書かれているのは大した内容ではない、など。


たしかに、その評もあたっているところがある。著者が大上段に「社会学」といっているわりには、社会学的な考察はあまり持てなかった。
たとえば、何故、帝国陸海軍が負けると解っている戦争に突入したのか、実に情けない話だと嘆くところで、そこに働いた文化的・社会的なメカニズムを実証的に解き明かすのであれば社会学という感じがしただろうと思う。

(帝国陸海軍の組織内の相互牽制、全体責任=無責任体制はどのような心的態度によるのか、帝国軍人の理念型とは何か、など)

さらに、そのメカニズムに通ずる社会的風潮が、(何の反省もなく)今復活しようとしているとまで言えば、戦争の社会学が果たすべきと著者が言うところの成果が得られたことになるのではないだろうか。

しかし、前述のレビューに惑わされずに読んでいくと、著者の持つ社会学的な視角というのが何となくわかるような気がしてくる。たとえば、「戦争のルール」については、歴史的に形成されてきたものだけれど(基本は西欧列強の間でだろうけど)、次のような問いを立てることで、文明国のエートスを分析しているようでもある。

代表的なものは、なぜ毒ガスや細菌兵器を使うことが避けられたのか。
著者の答えは、プロの戦士の都合であるというもの。
力を競い合うのが戦争である。だから、力の弱いものが強いものを倒せる毒物の使用は卑怯なのだという。

ちなみに毒ガスに関して、帝国陸軍の高級指揮官に示された『統帥綱領』には、毒ガス使用手順が明記されているのだそうだ。

《九五、高級指揮官は戦闘の開始に先立ち、飛行機もしくはガス撒毒部隊をもって敵にガス攻撃を加え、ことに敵軍の進路上もしくは我が軍の前方における要点にあらかじめ撤毒し、また戦闘間にありてはガス砲撃、ガス投下等を行なうほか、ガス撒毒部隊をもって適時適所に撒毒地域を構成する等、なし得る限りガスの威力の発揮に努めざるべからず。》
さきほど「報復のため」と限定がついていた毒ガス撒布は、ここでは戦闘に先立ち、先制使用することになっている。どしどし使え、としている。本音が出たと言うべきだ。

こういう感覚からすると、テロリストとの戦い、つまり、asymmetric warは、正規軍との戦いではない。戦争と呼ぶにして、それに参加しているのは正規軍として扱う必要はない。だから、彼らを拷問しても良いのだという論理が成り立つとも言う。

さらに、ロボット兵士の正当性あるいは用兵(使用法)はどうあるべきか、というかどのような国際ルールができるだろうという問題も投げかけている。

こうした問題意識は、やはり社会学的というものだろう。

ところで、前に記事にとりあげたことのあるマクニール「戦争の世界史」と比べると、もちろんマクニールのほうは大変な大著だから同じように評するものではないけれど、本書は新書であるにもかかわらず、モルトケやグナイゼナウなどの軍事理論家が丁寧にとりあげられている。ビスマルクとモルトケというように軍事理論家と政治家の(協力)関係も説明されている。
このあたりは、時代を限定してトピックスをうまくとりあげたということだろうと思うけれど、なかなか面白いと思う。

「観応の擾乱」

Kannou_no_jouran.jpg 亀田俊和「観応の擾乱 ―室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」について。

この時代については、前に、日本史史料研究会監修・呉座勇一編 “南朝研究の最前線―ここまでわかった「建武政権」から後南朝まで”という本を読んでいる。

こちらの本では、建武政権から足利政権へ移行するときの政治体制の記述に興味が惹かれたのだけれど、今度の「観応の擾乱」では、政権の状況も詳しく書かれるけれど、それに関わる武将の動きが生々しく書かれている。

そもそも足利幕府というのは、何だかわかりにくいもので、鎌倉幕府や江戸幕府のようにイメージがわかない。
そしてそれは、幕府の出発時点に観応の擾乱があり、南北朝の対立があるということと関わりがあるのだろう。また、政権が京都にあったことも、武家政権としてまとまる上では位置づけが曖昧だったのかもしれない。

さて、素人の歴史理解は頼りないのでこれぐらいにして、本書の感想。
とにかく、武将の名前が大量に出てきて、あのときはここにいた、このときはこっちにいたという具合で、尊氏、直義、直冬、高師直という、それなりにポジションがはっきりしている人物の周囲で、これらの武将たちが、損得勘定というか、日和見主義というか、右往左往する姿が描かれる。

第1章 初期室町幕府の体制
第2章 観応の擾乱への道
第3章 観応の擾乱第一幕
第4章 束の間の平和
第5章 観応の擾乱第二幕
第6章 新体制の胎動
終 章 観応の擾乱とは何だったのか?
なんだかドラマの各シーンを次々に見せられていて、一人一人の名前はそうきちんと憶えられるものでもないのだが、そうだこいつは前はこっちにいたんじゃないかという感じである。

本書には、学会でも意見が分かれているという記述も多くて、やっぱり専門家にもわかりにくい時代なのかもしれない。

弟を殺した(https://twitter.com/naoejou/status/872288077225447424
その意見が分かれるものの一つに、直義の死がある。
直義は尊氏に毒殺されたという説が強くて、NHKの大河ドラマ「太平記」でもその説がとられ、尊氏(真田広之)が「弟を殺した」と絶叫するシーンを覚えているが、本書では、直義は病死であるとしている。
この時点で既に直義を担ぐ勢力はほぼ根絶していること、直義が権力を奪回した時に優柔不断な態度をとったのは健康上の理由があったのではという推察にもとづいているようだ。

また、「室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」と副題にあるけれど、実際には、直義は一度も尊氏を直截相手にして逆らったことはなく、その標的は常に高師直であり、尊氏の周囲の勢力に対してであったという。

終章で「擾乱」全体を大きくまとめるとともに、「乱」とか「変」とかいう言葉ではなくて、この時代にだけ「擾乱」という言葉が使われていることにも注意を向けている。

「擾乱」の由来
 ここまで観応の擾乱を中心に、その前後の戦乱の様相をできる限り詳しく紹介してきた。改めて見て、実に奇怪な内乱である。
 四条畷の戦いで難敵楠木正行に勝利し、室町幕府の覇権確立に絶大な貢献を果たした執事高師直が、わずか1年半後に執事を罷免されて失脚する。だがその直後に数万騎の軍勢を率いて主君の将軍足利尊氏邸を包囲し、逆に政敵の三条殿足利直義を引退に追い込む。
 ところがその一年あまり後に、直義が宿敵の南朝と手を結ぶという奇策に出る。今度は尊氏―師直を裏切って直義に寝返る武将が続出し、尊氏軍は敗北して高一族は誅殺される。
 だがそのわずか五ヵ月後には何もしていないのに直義が失脚して北陸から関東へ没落し、今度は直義に造反して尊氏に帰参する武将が相次いで、尊氏が勝利する。そして、その後も南朝(主力は旧直義派)との激戦がしばらくはほぼ毎年繰り返されるのである。
 短期間で形勢が極端に変動し、地滑り的な離合集散が続く印象である。このような戦乱は日本史上でも類を見ないのではないか。たとえば応仁の乱も長期にわたって戦われたが、優劣不明の接戦が延々と続く感じで、観応の擾乱のようなダイナミックな攻守転換はそれほど見られないと思う。
 そもそも観応の擾乱は、なぜ観応の擾乱というのであろうか。応仁の乱などのように、「観応の乱」とはなぜ言われないのだろうか。

文書考証ではいろいろな意見もあるだろうけれど、この乱れ方は、やはり「擾乱」という言葉がふさわしいと、私は思う。

「贅沢の条件」

Zeitaku_no_jouken_cover.jpg 山田登世子「贅沢の条件」について。

以前、なんとなくテレビを見ていたら、旅行案内か観光案内の番組が流れていて、イタリアの修道院を改装したラグジュアリー・ホテルや、フランスの民宿(メゾン・ドート=maison d'hôte)が紹介されていた。

薄っぺらいタレントがキャーキャー騒ぐようなものではない。落ち着いたシックな番組だった。
私はテレビっ子(生まれた年がテレビ本放送開始年)なので、こういうながら視聴は日常である。


その同じ番組の続きだったか、別の番組(シャネルの伝記的番組?)だったか忘れたけれど、メゾン・ドートの案内のあとに、シャネルが建てた別荘があること、高い塀に囲まれ、高いオリーブが林立する広大な敷地の中にそれがあるということが紹介されていた覚えがある。

そういえば、Airbnbという民泊サイトは、安く泊まれる宿が案内されているということが有名だが、高級ホテルよりも料金の高い(1泊10万円以上もする)民泊も案内されているという。
普通はホテルなど建たない絶景の地や、有名な遺跡のすぐそばなどにある稀少な個人住宅などが、民泊として利用されているのである。


4e781870f15f0a2e53dfa2ff3e9cc9cf.jpg 本書の「4章-5 禁欲と楽園」は、"ラグジュアリー修道院ホテル/アマルフィの楽園/プロヴァンスの「庭」/「農家」という贅沢"という内容で、前述の内容がほぼそっくりそのまま掲載されている。民宿のマダムがBMVのオープンカーに乗っているということも同じ。シャネルの別荘(ラ・ポーザ荘)は終章に紹介されている。

件のテレビ番組については情報がないのだけれど、これだけ内容・配列が同じということは、本書の著者が制作に関わっていたのかもしれない。あるいは、番組制作に関わったことが採りいれられたのか。


はじめに―「豊かさ」と「幸福」と「贅沢」と
 
序章 贅沢の近代―「優雅な生活」
 
1章 リュクスの劇場―きらびやかな男たち
1 ヴェルサイユという劇場
2 ダンディズムの「喪の作業」
 
2章 背広たちの葬列―ビジネス社会へ
1 タイム・イズ・マネー―産業社会の幕開け
2 「富」vs「贅沢」
3 消費する女たち―有閑マダムの理論
4 スーツを着る女たち
 
3章 ラグジュアリーな女たち―さまざまな意匠
1 美の香り
2 贅沢貧乏
3 趣味の貴婦人
 
4章 禁欲のパラドクス―修道院という場所から
1 ココ・シャネルの修道院
2 シャネルの贅沢革命
3 修道院の美酒
4 手仕事の贅沢さ
5 禁欲と楽園
 
終章 贅沢の条件―時をとめる術
1 樹齢千年のオリーブ
2 はるかなもの
 
最初に、本書の末尾に語られる「贅沢」の話を紹介したけれど、目次でわかるように、本書は贅沢と考えられる事象について、歴史を追うとともに、贅沢とは何かを考える。

「贅沢」の前に「豪奢」「奢侈」が考察される。
男たちが着飾った時代、続いて女たちが着飾る時代。
しかし、クルティザーヌを紹介したあと、およそ正反対のリタ・リディグの贅沢が紹介される。

著者は、豪奢と贅沢の違いは、どうやら贅沢は、贅沢する人と分かちがたいものと考えているようだ。
その代表的人物として紹介されるのは、前述のリディグの他、森茉莉、白洲正子。そして心の贅沢とでもいうのか与謝野晶子。


続いて、贅沢品についてその出自のアイロニーが説明される。
ロマネ・コンティに代表されるブランド・ワインは、清貧を旨とする修道院の、禁欲と勤労の産物であるというアイロニカルな状況を指摘する。

本書でたびたび言及される「プロ倫」(ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」)では、プロテスタンティズムのエートスが、資本主義的蓄積の源泉にあるとするわけだが、ブランドの創出にも同じメカニズムが働いたようだ。

ウェーバーは同書でさらに、プロテスタンティズムのこの態度は薄く肩にかけるようなものであるべきだったが、今では自らを拘束する鎧になってしまったというようなことを指摘していたと思うが、禁欲と勤労が、貪欲と搾取に転化し、贅沢を生んでいく。

(「ひょっこりひょうたん島」より)
貴族の仕事
作詞井上ひさし/山元護久
作曲宇野誠一郎
ドビン・ポット(新道乃里子)
 
(叙唱)
下々の人間はガツガツ汗だくお金を稼ぐ
それがしごと
私ども貴族は 上手にそのお金 使ってあげる
それがしごと
だってみなさん そう・ざま・しょ
 
トランプ遊びや お馬のレース
カルタ すごろく チェス 麻雀
ゴルフ 水泳 テニスにピンポン
暇にあかせて金つぎ込んで
みんな貢族が考えて 作ってあげたお遊びよ
ねえみなさん そうざましょ ええ そうざます
 
モーツァルトの交響楽や
あのダビンチのモナリザも
シェークスピアのマクベスも
暇にあかせて金つぎ込んで
みんな貴族が励まして やらせてあげたお芸術
ねえみなさん そうざましょ ええ そうざます
 
おやつに食べるチョコレート
お紅茶につくピスケット
アイスクリームのウエハースも
暇にあかせて金つぎ込んで
みんな貴族が考えて 作ってあげた食べ物よ
ねえみなさん そうざましょ ええ そうざます
 
本書では、本当の贅沢、時間を止めた手仕事にこだわるのは、ウェーバーとは違って、プロテスタントではなく、カトリックが多いとも指摘している。
思うに、「プロ倫」をさらに進めた大塚久雄などは、プロテスタンティズムの禁欲と勤労が、勤勉とパンクチュアリティに向い、そしてそれは合理的・計量的経営のエートスを形成するという流れを説明する。
その流れに従えば、なぜプロテスタントではなくカトリックに職人が残ったのかが解るような気がする。


そして、突き詰めれば、少なくともただの浪費ではないこと、本物を求めることなどが、贅沢といえるのではないかという。
自己顕示的な高級品・宝飾品は贅沢ではなく、欲しいと思うものは本物であり、何より、その人自身が本物でなければ、贅沢とは言えない。

そして贅沢を理解するキーワードは「時間」のようである。
ボー・ブランメルのダンディズムは、ネクタイを結ぶのに何時間もかけられるから成立する。

骨董品は歴史を持ちストーリーを担うものである。
本物は、長い時間をかけて作られる手仕事が生むものである。
これを採りいれられる人は「退屈」な時間を持てる人である。


さて、私には退屈な時間はたっぷりあるのだが、物品・サービスを購う財は全く持っていない。
かといって、贅沢貧乏ができるようにも育っていない。

時間が支えるような本当の贅沢はできないけれど、贅沢な時間を過ごすことができれば幸せだ。

二重の意味で情けない

森友学園問題で、国有地売却にかかる意思決定を記録している決裁文書の書き換えが行われたという。

新聞社が公開請求で手に入れた文書と、国会議員に示されたものに違いがあるとか、別の新聞社が関係文書に怪しい内容が書かれていたことを報道したりしていたが、それを裏付けるように、検察に内容の異なる文書があるという情報も出てくるに至り、これ以上、白を切りとおすことができないと判断したらしい。

検察に文書を押さえられているのなら、はじめから、ありていに白状しておけば良さそうなものだが。

森友学園問題そのものついては差し控えるけれど、文書書き換えについては、財務省の手際の悪さというか、危機管理能力の低さが印象的。

このテープは自動的に消滅する(画像クリックで動画)
事の重大さについては、関係役人は十分自覚していたということだろう。
そして、それなら、証拠を文書に残すというのは、あまりにも不用心ではないか。

「スパイ大作戦」(Mission impossible)の時から、証拠隠滅の重要性はみんなわかっているはず。


そんなややこしい状況は文書には残さず、上っ面だけを綺麗にまとめて文書化するのが有能な組織人ではないかと思う。
「特例」とか「特殊性」という言葉が使われたというように報道されているけれど、そんなものは紙に書くことではないだろう。そういうものなら、決裁を仰ぐときには、口頭で伝え、決裁権者が納得して判子を押す、それが普通だろう。

忖度するというのは、そういうことではないか。なんでも記録に残したのでは忖度の範囲におさまらない。

もちろん、それが正しい行政であるなどと言うつもりは断じてない。
ただ、想像力を欠き、危機管理能力が不足している。
二重の意味で情けないことだと思うのだ。

あれから7年

今日は、東日本大震災から7年。
大阪でもその揺れは感じられ、その時打ち合わせ中だった私も、すぐに室内のテレビをつけて、状況を見ていた。

押し寄せる津波と、それに気づいているのかいないのか、近くを走る車の様子。
これが、ドラマでもなんでもなく、生放送で流されている、そのことに戦慄した。

それからもう7年、未だに復興は進んでいないように報道されている。

復興税はいつまで課されるのだろう。


とりわけ原発の近隣自治体は、長い避難指示が出ていたため、まだほとんど人口が戻っていないという。僅か数%しか戻っていないという自治体もあると伝えられている。

人口がなければ商売は成り立たない。お店がなければ暮らしが不自由だ。
高齢化も進んでいるだろうから、事は簡単ではないと思う。

まったくのよそ者にして、門外漢だから、とんでもない思い違いをしているかもしれないから、以下に書くことは、ド素人の思いつきと、良くて一笑に付される、悪くすれば反感を買うかもしれないけれど、やはり思いつきとして書いておこう。

数値を出すために具体的な自治体を富岡町としておこう。
富岡町の人口は約16,000人、面積は68㎢。

まず、国がこの区域全体を国有化する。仮に1㎡を1万円とすれば、区域全体で6800億円。

もちろん市街地と山林では地価は違うだろうし、公有地もあるだろうから、実際にはもっと安いかもしれない。

適切な評価額で、国が元の土地所有者全員から購入する。
これなら補助金じゃないから。いわれのない非難を受けることもないのじゃないか。

もちろん住民の個人財産としては、建物や家財道具、商売道具などたくさんある。それは持ち出したければ持ち出してもらえば良いし、後にこの町に入殖する人たちに使ってもらっても良い。

そして、この土地は、新たな「無主の土地」として、誰でも入殖できるようにしたらどうだろうというのが思いつきである。(元の住民に優先権があることは言うまでもない。むしろ前より多くのものを得ることになるだろう)

Pilgrim_fathers_landing.jpg 入殖者には、町に残されているものすべてを、彼らが生きるために利用してもらう。もちろん入殖者が増えれば、彼らの間でルールを決めて、有効な利用方法、分配方法を考えてもらう。

国に税金は払わない。もちろん行政サービスも無いようなものだから、住民税も払わない。

前に「行政サービスゼロ地域」という物語を記事にしたことがあるけれど、そういう状態だろうか。


まずは、食料生産、農業・漁業からであろう。
そして、生活必需である、医療その他のサービス。

注意したいのは、国が買い上げた土地を単純に第三者に売るということ。
それで大資本が土地を買い占めて、大事業をするかもしれない。それが良いことなのか、旧住民の思いに沿うことなのか、私にはわからない。そういう買い手がいるなら手っ取り早いかもしれない。ただ、もしそれが認められるなら、税制その他は、通常どおりということになるだろう。

こうして入殖した人たちは、現代のピルグリム・ファーザーズとなる。

富岡町では、今のところ帰町した住民は数百人だという。ピルグリム・ファーザーズの102人よりはずっと多い。


「日本人の給与明細」

山口博「日本人の給与明細―古典で読み解く物価事情」について。

Nihonjin_no_kyuyo_meisai.jpg 命の次に大事だというお金、それに着目して、古典文学や古記録にあたろうというたくらみ。

最初にとりあげられているのは、山上憶良。
憶良の年収は、今のお金に換算して1400万円ぐらいだという。
憶良といえば、学校の日本史で「貧窮問答歌」が取り上げられ、当時の庶民の厳しい暮らしを詠ったなどと解説されていたわけだけれど、憶良自身が貧窮に喘いでいたわけではない。
憶良は、遣唐船で唐へも渡った、むしろエリートというべき人であり、貧窮問答歌には手本にした中国の作品があり、ほぼそのままを和歌に翻案したものらしい。

庶民派と言うわりに金遣いがあらいと指摘されて、「私は庶民派だが庶民ではない」といったO府知事がいたと記憶する。


昔の物価について記述されている本はいくつもあるけれど、現在価格への換算では、多くが米価での換算を利用しており、本書もそれが基本である。
それに加えて、奈良時代からあるという、布と米の交換基準を組み合わせている。おもしろいのは、そうした交換基準が刑罰(罰金刑のようなもの)での物の扱いとして読み取れるというような話。記録が散逸していると、実にいろんな断片で推定するわけだ。まるで、天文学者が星までの距離をいろんな方法で推定するようである。

はしがき
Ⅰ 奈良時代
山上憶良の年収は一千四百万円 (山上憶良)
日当六百円の出稼ぎ労務者の死 (孔王部忍羽)
単身赴任は甘受の範囲にあらず (吉志大麻呂)
天平借金地獄 (秦乙公・丈部浜足他)
ギャンブル殺人事件 (僧華達・大伴子虫)
 
Ⅱ 平安時代
ノンキャリアの星墜つ (菅原道真)
自薦とコネの就職レース (源順・清原元輔他)
平安朝マルチ官僚 (三善為康)
高級官僚の犯罪 (藤原伊房)
地位を金で買う男 (三春高基・藤原衆海)
王朝土地転がし (上緒主)
光源氏豪邸の価格 (光源氏・監命婦他)
王朝OL情報 (紫式部・清少納言)
結婚を気軽に考えないで (光源氏)
高級官僚妻の告白 (藤原兼家妻)
税を出す人、たかる人 (藤原元命・藤原清廉)
 
Ⅲ 鎌倉時代
脱サラ遁世者 (兼好法師)
虚栄を追う官僚たち (藤原定家)
鎌倉御家人疲労の事 (佐野源左衛門尉常世)
不倫のツケ (遠江国の役人・信濃国の男)
 
Ⅳ 室町·戦国時代
建設会社建仁寺組 (老番匠・檜前杉光)
エリート管理者の心得 (朝倉孝景)
戦国雑兵戦略 (雑兵 加助・馬蔵・八木五蔵)
給料なくてもアルバイトで (一条兼良・三条西実隆他)
戦国財テク武者 (岡左内)
室町花のサラリーマン (明智光秀・長崎師宗他)
 
Ⅴ 江戸時代
商社マン誕生 (三井高利・小橋利助他)
著作者兼部長 (山片蟠桃)
脱サラ·コピーライター (平賀源内)
単身赴任江戸勤番 (小倉彦九郎・和歌山藩士原田某)
東海道𨨶用道中 (大田南畝)
中堅武士の生活白書 (三百石武士某氏・五百石武士某氏他)
歌舞音曲も勤めの中 (新開戸野五郎・朝日文左衛門)
 
 
 奈良時代の物価表
 平安時代の物価表
 中世の物価表
 江戸時代の物価表
本書がおもしろいのは、単純に物の価格を推定するだけでなく、人々の生活を物価から推し量り、またその逆に、物価から生活を想像するという、いったりきたりするところである。
本書のもとは、雑誌の連載エッセイのようなものだったそうで、なるほどと思わせるところがある。それにしても、そのために多分、蓄積してきた知識を掘り起し、相当の調べものが必要だっただろうと思う。

各話を一つずつ紹介するのは面倒なのだが、一つ紹介すると、著者の作文能力を示して、そしておもしろいのは、「高級官僚妻の告白」というタイトルで、藤原兼家妻(右大将道綱母)に仮託して書かれた話。「蜻蛉日記」には書かれなかった日記である。

平安時代、藤原道長や架空の人物である光源氏の財力を推定して嘆息するのはもちろんだけれど、やはりはなやかな女流宮廷文学の担い手のお金に困っただろう話もおもしろい。

古今集で「銭」が出てくる歌が一首のみあるとして、伊勢の歌が紹介されている。
     家を売りてよめる

伊 勢 

 飛鳥川 淵にもあらぬ わが宿も
 せにかはりゆく ものにぞありける

(古今集 990)

宮仕えを終えた女房が、これといった収入源を持たないで、とうとう家を売ったという話であるけれど、思えば、伊勢は、女房として出仕したものの、宇多天皇の寵愛を受けて、子までなし(早世)、その後は宇多天皇の親王の寵愛を受けて一子をもうけている(父と子の両方と情を交わしたわけ)。
それほどの人だから、案外、しゃれのめして歌にしたのかもしれない(ただし、家への愛惜の情はやはりあったと見える)。

この歌は、言うまでもなく、
     題知らず

よみ人知らず 

 世の中は 何か常なる 飛鳥川
 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる

(古今集923、
「巻第十八 雑歌下」の最初の歌)

を踏まえたものだろう。
なお、新古今集では、私が持っている電子書籍を検索した限り、「銭」の文字は、本文にも解説文にも存在しない。

庶民に目を転じると、総じて人間の値段は安い。
小学校だったか中学校だったか、社会科でものの値段についての授業があったのだが、欧米ではサービスの値段が高いというようなことを教師が言っていた覚えがある。何が高いといって、人間にサービスしてもらう値段が高いのだという。
私が子供のころのこと、ようやく家電製品などが大量生産され、物が豊かになるなか、日本ではまだ物が珍重されている時代であったけれど、西欧先進国では、その段階は既に過ぎて、大量生産ではない人のサービスこそが珍重されているというような趣意だったと思う。

というか、ひょっとしたら日本では教師の給料が安いということを言いたかったのかもしれない。


昔は、商品経済が現代ほど発達していないから、当然、取引として表に出てくるものは一部である。
一方、労働は労役として税の現物納付みたいなものだから、これも現代感覚とは違う。

そう思って読み進めるとこんな記述にでくわした。
御油・赤坂はとくに遊女の多いので知られており、両側の家はほとんど宿屋だが、宿屋というよりはむしろ遊女屋で、どの家にも六、七人の遊女がいる。この両地は遊女の一大貯蔵庫であり、衆人共通の突き臼があるようなものだといわれており、……
これは、ケンペルが江戸往復のときなどに見聞きした日本事情を書きとめたものだそうである。
そして本書では、これに続けて、
品川の宿では、宿場の中を流れる川の北側の宿の女は、一貫目約二万円、南側は、昼間は四百文で八千円、夜は六百文約一万二千円という。
と書かれている。

現代の相場
30分15,000円 
40分20,000円 
50分25,000円 
※松島。ネット情報
思えば、人類最古にして究極のサービス産業であるから、労働の代価比較には都合が良いかもしれない。結婚は投資だが、こちらは消費だから、より純粋なサービスである。
遊ぶ時間の長さが示されていないのでなんとも言えないが、夜の部で朝まで付き合ってくれるなら格段に安い。今なら30分の料金である。

残念ながら、もっと古い時代の遊女の値段については、本書には言及がない。
義経の愛妾静御前とか、宮本武蔵が入り浸った島原の吉野太夫と遊ぶのは、いくらだったのか。

この他、江戸時代の社用族とか、幕府役人の接待など、興味深い話がたくさん盛り込まれている。

最期に、侍の家計について、本書では、もらっている俸禄をまるまる自分の家族のために使えるわけではない、侍は家来を養わなければならず、その分の扶持がいると指摘されている。
これはこの通りだろうけれど、しかし、家来は威儀をただすためだけにいるわけではないだろう。生産的な仕事もしていたのではないだろうか。

大河ドラマ「西郷どん」の初めのころの放送で、吉之助が狩りでしとめた猪を売りに行こうとし、父吉兵衛に止められるシーンがあったが、あのとき熊吉が売りにいっていたら、武士の体面は問題にならなかったのではないかと思う。

このあたりはどうなんだろう。

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苦しい家計の足しに再就職
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