公開練習のような演奏会

P_20170722_132423_vHDR_Auto.jpg 昨日は、大阪フィルハーモニーのオール・モーツァルトの演奏会。
イ長調 K.201の交響曲、ニ長調 K.218のバイオリン協奏曲、ハ長調 K.551の交響曲。

楽曲や演奏についてはとやかく言わない。悪くはなかった。

「悪くない」はモーツァルトの言葉では「最高のでき」という意味らしいが。


少しだけ感想を書くと、K.201の交響曲は、テンポはどちらかといえば快速(マリナー/アカデミーぐらい)だけれど、かなり丁寧(ベーム/ベルリンのよう)な演奏。
K.218の協奏曲については、元気。個人的にはもう少し輝かしいほうが好き。
P_20170722_132439_vHDR_Auto.jpg K.551の交響曲は、第1楽章がやや荒いか。最初の音に続く三連符、この音型は随所に出てくるわけだが、なんだか装飾音のような印象だった。また、K.201とちがい、トランペットやファゴット、フルート、ティンパニが加えられているわけだが、弦の編成は同じだったので、やや弦が弱い印象。
全体として、アンサンブルは良く(合わせやすい曲でもあるけど)、気持ちよく聴くことができた。

連れは気持ちよく、最初のシンフォニーの第1楽章からスヤスヤ眠っていた。


変わっているのが会場、大阪フィルハーモニー会館というところ。
大阪フィルハーモニーの練習場である。
天下茶屋駅の傍で、南海電車の窓からよく見える場所なので、以前からここにあることは知っていた。

西成区なので、この日の演奏会は、「にしなりクラシック」と銘打っていて、西成区民の聴衆が多いらしい。普段、クラシックを聴かない人も来ているようで、おどろいたのはランニング姿の人とか、甚平の人が来ていたこと。

この会館での演奏会は、今までもたびたびあったようだけれど、今まで縁がなく、今回がはじめての入場となる。写真のように、ステージはなく平場。ホールの半分が聴衆席。350席ぐらい。
入口に「完売御礼」の札が貼ってあった。モーツァルトの集客力かもしれない。

肝心の音響だが、やはりコンサート・ホールとは違い、やはり若干体育館的な響きがする。

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今年もいつもの演奏会

IMG_20170625_135348-crops.jpg 昨日は、このところ毎年聴きにいっているアマチュア・オーケストラの定期演奏会。
仕事を持っている人の楽団だから、定演は年1回。私は今回で5年連続の5回目。

アマチュアだけれど、会場はシンフォニー・ホール。
初めてこの楽団の定期にいったときは、いずみホールだったが、その後は毎回シンフォニー・ホール。

この日の演目は、シューマン:「マンフレッド」序曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲「皇帝」、ブラームス:交響曲第3番。

ピアノ・ソロはれっきとしたプロ。なお、楽団にもエキストラでプロが入っている。コントラファゴットのような特殊楽器はしかたがないだろうけれど、やはり人数不足のところなどに配置されている。普段は楽団のトレーナーをしているプロなども、この日は楽団の一員として参加しているらしい。

演目だけれど、アマチュア楽団の場合、少人数で演奏するものは避けるだろう。特殊楽器は使いにくいと思うが、かといって、管楽器が限られるようなのも。やっぱり標準的な、木管はフルート、オーボエ、クラリネット、金管はホルン、トランペット、トロンボーン、テューバにちゃんと出番があるもの。

となれば、ロマン派以降から選ぶのが順当。今回も協奏曲以外はそう。

学生のときは大学のオーケストラの定演に良くいった。学生オケは、昨日のような職業人のオケよりずっとたくさん練習しているから、うまいものだが、こちらも演奏会の演目は、やはりロマン派か近代曲が多かったと思う。


いずれにせよ、アマチュアは演奏会自体が少ないから、演目が決まれば、その曲を熱心に練習するので、基本的な技術がともなわなければどうしようもないけれど、そうでなければ結構、聴ける演奏になる。

とはいうものの、職業人の場合は、学生とはちがい、みんなが集まって練習できる機会は少ないらしい。
このチケットを手配してくれる楽団の知人は、演奏会後に一言、「練習不足」と。

たしかに、ブラームスの第3楽章あたりから、ようやく意思統一がなされてきたと思う。
第3楽章は有名な親しみやすい旋律だから、気持ちを合わせやすいのだろう。また、指揮者のノリかたが、3楽章以降は、たしかに違ってきたように思う。
もしそうなら、第1曲は、複雑なシューマン(スパッとした曲のはずが、妙にからみつく団子になった)ではなくて、合わせやすい曲、そう、名前のとおり「シンフォニー」的なのにして、演奏会全体がノレるようにしたら良いのでは。

貧乏人のハイレゾ

hires-logo.jpg 先日、ローコストSACD再生の記事で、安物のブルーレイプレイヤーのSACD再生でも、HDMI/SPDIF分離により、176.4kHzという、高品位のPCM信号が取り出せたと書いた。

これで一応満足できる水準には達したのだけれど、この一種裏技を試みる前に、やはりプレイヤーを買わなければならないかと思ってネットで情報収集していた。
SACDの音声信号はDSDという形式である(e-ONKYOなどは電子データで配信している。私もそれを購入してPCから読みだしてPMA-50のUSB入力に送り込んでネイティブ再生している)。
ならば、SACDプレイヤーで、USBにDSDを出力するものがあれば買っても良いかなと考えた。
しかし、そういう製品はどうやら存在しない。

もし存在して、数万円以下とかだったら買ったかもしれない。なくてかえって良かったかも、2600円で高品位再生ができたわけだから。
また、S/PDIF出力はどの製品も付いているわけだが、この出力規格はカタログなどで確認できない。これでは安いからといって飛びつくわけにはゆかない。


他にもいろんな製品をチェックしてみた。
マランツのSA8005というプレイヤーは、USB-DACも持っていて、なかなか良さそうだった。値段もAmazonでは90,000円を切っていて、高いことは高いけれど、許容できる範囲である。

しかし、この製品を買うと、DACは、アンプ内蔵のものと重複して揃えることになる。聴き比べるならともかく、普通、両方同時に使うことなどないわけで、なんとなく勿体ない。そう考えると、90,000円近く出すのは馬鹿馬鹿しくなった。

アナログ時代であれば、オーディオ・コンポーネントというのは、各コンポーネントの機能分担は明確で、コンンポーネント間のインターフェイスも簡単だった。
ところがデジタル時代になると、不思議なことに製品コンセプトに、機能独立性などは配慮されていないように見える。つまり、上述のように、DACが単体であったり、アンプにあったり、SACDプレイヤーにあったりする。
私が、アンプにUSB-DACが付いているという変則的な製品を使っているからいけないのかもしれないが、このあたりのデジタル・オーディオは結構、ややこしい。

ただ、メーカーが不誠実じゃないかと思うのは、私がやったように、2万円もしないプレーヤーに、2600円の追加投資(HDMI/SPDIF分離器)をすれば、10万円以上もするプレーヤーとそう違わないだろうということ(S/PDIFの出力品位が低ければ、高級プレイヤーのほうが低品位になるかもしれない)。

アナログなら機器の通過を重ねるごとに信号が劣化するけれど、デジタルならアンプまでデジタル信号が正確に届けば良いはずである。それに、DAC側がアシンクロナス転送を行うなら、信号のエラーの問題も回避できるようになるだろう(エラーが酷ければ停止)。


オーディオの満足度は投資額に対し逓減するもので、それゆえ高い道楽といわれてきた。
しかし、デジタル時代の今では、アンプとスピーカーが本質的なオーディオ機器だと思うから、ここさえしっかりしていれば、貧乏人でもそこそこ、昔の高級オーディオ並みの音が楽しめると思う。

ライブ・コンサートは高くてなかなか行けない。
というわけで、貧乏人のハイレゾである。

ところで、SACDの出力で苦労したわけだが、もしアンプがAVアンプだったら、HDMI接続で、何ら悩むことなく高品位再生ができただろう。やはり、これからはAVが主流になるのだろうか。

私はピュア・オーディオに拘っているわけではない。以前から持っているオーディオ機器がAV対応ではないというだけである。ただ、今まで聴いたAVアンプの音って、貧相なんだけれど、ピュア・オーディオ並の音にするにはどのぐらいのアンプにしなければならないんだろう。


ローコストSACD再生

TANNOY Arundelにスーパーツィーター追加アンプをDAC内蔵に取り換え、とオーディオの調整をしてハイレゾ対応を進めてきた。先日は、PMA-50のUSB-DACを利用して、PCからPCM 24bit/192kHzや、DSD 2.8MHzといった音源を聴いたことを書いた。

そして、ここへきて、SACDがCD音質でしか再生されないことに苛立ちを抑えきれなくなった。
SACDのディスクは20枚ぐらいしか持っていないが、ちゃんとした音を、まともなオーディオ・セットで聴いてみたい。

我が家で、SACDを再生できるのは、安物(2万円しなかったと思う)のユニバーサル・プレイヤーしかなく、これにデジタル出力(S/PDIF)はあるけれど、ここからはCD音質しか出せない。
YAMAHAのサウンドプロジェクターYSP-2500にHDMI接続すれば、本来のSACDの品位のデータが送られ、サラウンド効果も含め、それなりに聴けるものであるが、入力信号の品位が維持されていても、この機械は、ピュア・オーディオに比べれば、音自体は貧相である。


スピーカーもアンプもハイレゾ対応ならば、やはりSACDをその品位で再生したい。かといって、高価なSACDプレイヤーを買うのも財布が許さないし、今使っているDAC内蔵アンプ(PMA-50)と重複して、HDMI入力のあるアンプなんかを買うのも勿体ない。

それに、高級SACDプレイヤーといえども、製品企画が古いせいか、デジタル出力はDSDを出せるものはないようだし、S/PDIFもどんな品位で出力されるのかアヤシイ(はっきりしない)。SACD自体は古い規格かもしれないが、デジタル時代に合わせた製品ラインアップを考えないのだろうか。


というわけで、手ごろなSACDプレイヤーも、お金も、無いので、何か手はないのものかとネットを渉猟していると、解決策があった。
HDMI出力から、音声をS/PDIF(光デジタル)に分離するデバイスである。

P_20170607_200005_vHDR-notes.jpg Flylinktech hdmi音声分離器(hdmi spdif 信号変換器)
Amazonで、2,599円で購入。

同種製品は他にもあるが、HDMIの分岐機能(出力が2系統以上)が付いてるような製品は、高い上に、余計な機能が加わるので、私の目的からすれば不要である。


デジタル信号というのは、アナログが電気的特性だけ定めているのとは違って、すごく面倒で、単純にINからOUTへ信号を流すわけではない。HDMIでは、送出側と受信側がネゴをして、伝送フォーマットが決められるらしい。この分離器は、その信号から音声だけを取り出すものだけれど、HDMIがネゴをする相手というものが必要になる。

この理屈でいけば、送出側が出力可能なフォーマット、受信側が入力可能なフォーマットに一致するものが選ばれるということになる。私が欲しいのはS/PDIFの音声信号だけだから、受信側HDMIは信号フォーマットだけを定める役割、いわばダミーである。

SACDを再生するのは、上述のBDP-S370という安物のブルーレイ・プレイヤーで、これがどんな規格の信号を送出可能なのかはやってみなければわからない(取説などにはそんなことは書かれていない)。HDMI経由でDSD出力もできる機器なのだが、分離器がDSDに対応しているはずがない、もちろんS/PDIFはPCMを伝送するものである。なので、BDP-S370の音声出力はPCM 2chに固定する。
分離器の音声出力(光デジタル)はPMA-50につなぐ。なお、この分離器には、2ch/5.1chの切替スイッチが付いているのだが、2chで使う(元が2chだからどうでも良いのかもしれないが)。

ダミーのHDMI受信機器だが、ダメもとということで、まずリビングの古いテレビを選択した。
光デジタルから音声信号が取り出せていることは確認できた。44.1kHz。CD音質である。
これは予想した通りの結果なので、落胆せず、本命の機器、YAMAHAのサウンド・プロジェクター YSP-2500をダミーとして使うことにする。

P_20170607_195538_vHDR_Auto-crops.jpg やったー! 176.4kHz!

DSDではないものの、十分のクォリティの信号である。
さんざん購入を検討したン十万円とかの高級SACDプレイヤーなどではなく、わずか2600円の投資で、満足できる結果。


YSP-2500は一応、本格的なサウンド機器であるから、高品位のPCMに対応しているだろうという期待を裏切らなかった。まさか、オレ様がダミーで使われるなんて、思ってもみなかっただろうけど(しかも音は出さないのに電源はオン)。

ネットで調べると、送出側とのネゴに使うダミーのHDMIプラグというのがある。我が家ではYSP-2500があるので不要ではあるけれど、そもそも、このダミープラグの音声規格が解らないので、買ってもムダになるおそれがあった。使えることが判れば、これの方が、電源がいらない、ケーブルの始末が自由ということで、こちらを使うのだけれど。
分離器自体にHDMIダミーの機能があれば良いのだろうけど、そうすると、上述のような特殊な用途に限られるから、商品としては売りにくいのだろう。
なお、もう一台あるユニバーサル・プレイヤー PIONEER DV-610AVを使って同じことをしたら、88.2kHzまでの出力だった。これはプレイヤーの能力ということだろう。


さて、SACDの本来の品位に近い音の評価である(我が家のオーディオ・セットでの)。
アンプ、スピーカーが良くなったので、CDでも随分と良い音になっている。それは先日、スーパーツィーターの追加の記事でも書いた。
そのときに試聴した「幻想交響曲」を、今回実現した176.4kHzで聴き直してみる。

力強いとか、繊細とか、あるいは抜けが良いというような情緒的な評価をぶっとばして、驚いた。
CDの音が、ppp―fff だとすると、この176.4kHzの音は、pppppp―fffff と言って良い。
とにかく、ダイナミック・レンジがめちゃくちゃ広い。フォルテ側はCDでも結構な迫力の音であるけれど、もちろんハイレゾはさらに迫力が加わるわけだけれど、なんといってもピアノ側、驚くほどの弱音、微音が出てくる。

繰り返すけれど、情緒的にというか、なんとなくというか、そんな気持ちの違いではない。
はっきりと、ダイナミック・レンジが何桁も違う。これがハイレゾの音だったんだ。
以前、ハイレゾというのは聴こえない音(周波数帯域)の聴感の改善だろうと書いたけれど、これは訂正しなければならない。
周波数帯域だけではなくて、ダイナミック・レンジがまるっきり違っている、まさに音として聴こえる部分だ。

この音源の違いがわかるには、パワーが入り、きっちりと低域から超高域までを再生できるオーディオ・セットがのぞましい(我が家のセットなんてまだまだ、片鱗を感じる程度のものだろう)。

ハイレゾ対応ヘッドフォンとか売ってるけれど、このダイナミック・レンジの音をヘッドフォン、とくにカナル型とかで聴くのは、自傷行為のような気がする。


外部からの音の遮断(自分の鑑賞を妨げない)、外部への漏洩の遮断(近隣に迷惑をかけない)、も考えないと。(楽曲によるけど)

アンプの入替

何度も書いたように、我が家はオーディオ・セットが2つある。
一人で集中して聴くためのオーディオ部屋に1セット、リビングに1セットである。

オーディオ部屋は、今までは前に書いたような機器構成(その後サブウーファーNS-SW200を追加)で、アナログ・レコードのデジタル化もこの部屋で行う。

リビングは大きいけれど古いスピーカー(TANNOY Arundel)を置いて、エッジが傷んでいたので、前はたまにしか音を出していなかったのだけれど、スピーカーの修繕スーパーツィーターの追加ということで、ハイレゾ対応の満足度の高いセットに変わった。
ということで、今まではオーディオ部屋がメイン、リビングはサブという位置づけだったのが、逆転してしまった。

そうなると、リビングの方の音をもっと良くしようということになる。
さしあたって、アンプのデジタル入力が24bit/96kHzという低い(?)規格なので、もっと品位の高いソース(DSF 2.8MHz/1bitとか、PCM 24bit/192kHz)をその品位で再生したい。
そう、オーディオ部屋で使っているDENON PMA-50をこっちのセットで使おうということである。

PMA-50入力仕様
 入力端子 フォーマット サンプリング周波数 ビット長
 USB-B DSD(ASIO、DoP) 2.8/5.6 MHz 1 bit
 LPCM 32/44.1/48/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit
 光/同軸デジタル LPCM 32/44.1/48/64/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit

PMA-50にすれば、外付けサウンド・プロセッサーを介さず、PCに直結できる。
この外付けサウンド・プロセッサー24bit/96kHzまでの対応であるが、ダイレクトにPMA-50に接続すれば、手持ちのハイレゾ音源、

菊池洋子のモーツァルト(DSF 2.8MHz/1bit)
ラトル/ベルリンのベートーヴェン(PCM 24bit/192kHz)

などを、その品位で再生できる。(他のハイレゾ音源は、24bit/96kHzが多い)
どちらも、前は、PMA-50+Autograph mini+NS-SW200で聴いていたもの。変わったのはスピーカーと部屋である。

さて、菊池洋子、モーツァルトの協奏曲だからオーケストラは小編成なので、広大な音とはならないけれど、ピアノの音が妙に生々しくなった。Autograph miniではとにかく綺麗に鳴ったという印象だったが、迫力とタッチの微妙なところが際立ったような感じ。
ラトルのベートーヴェンは、とにかくオーケストラが柔らかくなった。これがハイレゾの効果ではないだろうか。

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PMA-50のディスプレイに "DSD 2.822MHz"の表示


とはいうものの、PMA-50の音は、繊細で均整がとれたような音なのだけれど、前に接続していたONKYO A5-VLのほうが、なんとなく色気を感じる。ただし、A5-VLには、高域にノイズが出てる感じがするけれど。
原信号の再生にこだわるのか、さて、悩ましいところである。

ところで、DSDの再生には、PCのfoobar2000をDSD対応にする必要があるが、これがちょっと苦労した。
前に、foobar2000―PMA-50でのDSD再生という記事を書いているので、この通りにやれば良いはずだが、foobar2000のコンポーネントをダウンロードしようとしたら、前の記事のときから随分、バージョンが上がっている。最新がいいだろうと思ってやってみたのだけれど、どうやらソフトの構成が変わったようで、いろいろやってみたものの音が出ない。新バージョンの使い方を調べるのも面倒なので、結局、記事通りの古いバージョンで無事、再生にこぎつけた。新バージョンについてはいずれゆっくり調べるつもりだが、メリットはなんなんだろう。

スーパーツィーターの追加

修理から帰ってきたTANNOY Arundel、前はエッジが傷んでたので手をかける気もなかったが、修理も済んだので、ちょっと良くならないか考えた。

前から気になってはいたのだけれど、要するに、音の抜けが悪い感じ、というかちょっと頭を抑えられたような感じがする。これは、スーパーツィーターを追加したら改善されるかもしれない。
そもそも、Arundelは古~いスピーカーで、いわゆるハイレゾ対応というわけではない。素性は良くても、鈍重ということかもしれない。

そう思って、ダメもとでやってみることにした。Arundelをバラしてネットワークを組み替える(つまり改造)などはやる気がないので、単純に追加で置けるものを探した。

P_20170603_110341_vHDR_Auto.jpg TANNOYにもスーパーツィーターがあるけれど、バカ高いのでパス。
いろいろ探していると、TAKET-BATPRO2という製品に行き当たった。ペアで42,023円(Amazon)。

メインのスピーカーにパラでつないでも良いけれど、今使っているアンプ(ONKYO A5-VL)はスピーカーが2系統つながるようになっているので、比較試聴することも考えてアンプに接続。
(TAKET-BATPRO2側にもレベル・スイッチがあって、OFFにもできるけれど)

Arundelの周波数特性は30~20,000Hz、BATPRO2は18,000~150,000Hz(測定限界)。
私も加齢により、耳は悪くなっていて、10kHzぐらいまでしか音として認識できないから、このスーパーツィーターの音域は私には音として全く聞こえない。

というか若い人でもほとんどの人は音として認識できないだろう。思えば、昔のカセット・レコーダーなどは16kHzまでしか録音できなかったわけで、このスーパーツィーターは超音波領域専門。
なので、結線に不具合がないか調べようとしても、通常の音源ではこのスーパーツィーターからは全く音が聞こえない。そこで、PCのオシレーターソフトを使って、10kHzの正弦波を送り込んでみたら、ようやく、鳴っていることが確認できた。

このように年寄りには音として認識できない10kHz以上にこだわってスーパーツィーターを追加するなんて無駄じゃないのかと言われそうだけれど、そもそもハイレゾというのは可聴帯域外の音まで再生することで、聴きやすい良い音として感じるというところに意味がある。アナログの場合は、高調波成分は少しでも残っていると思うが、デジタルでは原理的に高調波を含まないから、ハイレゾには意味があるとも考えられる。

それなら、同じような理屈で、年寄りが音として感じない10kHz以上の再生も無駄ではないだろう。
また、高調波成分は単音としては感じないかもしれないが、波形には影響しているはずで、音として感じるかどうかとは別の作用だという考え方もできるかもしれない。

まぁ、繰り言はそのぐらいにして、実際に聴いてみる。
まず、Arundelを切って、BATPRO2のみで聴いてみた。
もちろん、何にも聴こえない。

次に、ArundelをONにしてみる。
音源は、いつもテストに使う、LPからデジタル化した24bit/96kHzの「金と銀」(ボスコフスキー/ウィーンpo)。特に低弦の自然な音をチェックしたい。
ん~ん、良い感じ。

スーパーツィーターを追加してまず低弦をチェックするというのも変なのだけど、キラキラした部分もある曲なので、高音域の伸びもわかりやすい。なにより聴き慣れている分、評価しやすい。

特別に変わったという印象はないのだけれど、心なしか抜けが良くて、圧迫感が低いと感じた。

そして、BATPRO2をオフにしてみる。
あれ、あんまり変わらんやんか。

BATPRO2のオン/オフを繰り返しても、もう一つ音の違いがわからない。
ネットでは劇的に変わるという評価が多いのだけれど。
あらためてArundelって素性が良いスピーカーなんだなぁと思う。

少々落胆したが、悪くなるわけではない。

実は、ArundelはTANNOY独特の同軸2wayで定位の良いスピーカーなのだけれど、3本目のスーパーツィーター追加で定位が悪くなるか心配していたが、そんなことはなく、むしろ音像がクリアになった印象さえある。

なので、気を取り直して、せっかく買ったのだから、気に入らなくなるまでBATPRO2をオンの状態で使うことにして、別の音源を試してみた。
5113oEiKSbLSY355.jpg ということで、ダイナミックレンジが広大で、繊細な音を含むものが良いだろうと考えて、久しぶりだけど、「幻想交響曲」(Yannick Nezt-Seguin/Rotterdam Philharmonic)を聴いてみた。
オーケストラがフォルテでもハープが鳴っていることがわかる。他にも、今まで気づかなかった音が大量に見つかる。低弦の動きがくっきりとしてくるし、ロングトーンではステージを漂う雰囲気が伝わる。第五楽章、わざと下品な音を出しているクラリネットにニンマリする。

テストのつもりだったけど、結局、全曲を聴いてしまった(だから第五楽章のクラリネットにニンマリしたわけだ)。

やはり、抜けの良い音になっているようだ。長時間聴いていても圧迫感がなく、疲れない(曲そのものは大迫力で疲れるものだけれど、別の意味で)。やはり、しっかりと効果があるようだ。

どうやら、完全なハイレゾ対応になったと言えるのではないだろうか。

ところで、上記の「幻想」は、SACDなのだけれど、安物のユニバーサル・プレイヤー(SONY BDP-S370)しか持っていないので、実は、CD音質でしか出ていない。それでも、これだけの音が出てくるのだから、ちゃんとしたプレイヤーだったらどうなんだろう。

SACDプレイヤーというのは飛びぬけて高いものばかりなのだけれど、デジタル出力に特化したらそんなに高価な製品でなくても十分作れるのではないだろうか。技術的に正確なことは知らないが、アンプへのデジタル出力(S/PDIF)というのはLPCMで流しているだろうから、その精度(量子数と標本化周波数)だけが問題になるように思う(ONKYO A5-VLのデジタル入力は、24bit/96kHzまでのPCM信号に対応)。SACDのDSDフォーマットからLPCMに、なるだけ品位を落とさないで変換できれば良い。そして、それに違いがなければ、安物のユニバーサル・プレイヤーでも何十万円もするSACDプレイヤーでも同じじゃないだろうか。


今まで私としては、別室においてあるTANNOY Autograph mini+YAMAHA NS-SW200(サブウーファー)の方がメインで、リビングのArundelはサブという位置づけだったのだけれど、どうも逆転した感じ。

コンテンツに合せた上映設備

IMG_20170527_145009.jpg 先日、久しぶりに映画館(シネマコンプレックス)へ行って「美女と野獣」を見たことは既に書いたけれど、ちょっとここのシネコン(TOHOシネマズくずはモール)で、不満に思ったこと。

このシネコンは10スクリーンあるのだが、「美女と野獣」は"SCREEN 6"で上映されていた。
で、映画館でいつも思うのだけれど、音が大きすぎる。そして割れて、ガサつく。
また、映像も、やや動きがぎごちなく、精細度も低いように感じた。

このシネコンにも、1ヶ所だけ、TCX、ATOMOS対応のスクリーン(SCREEN 1)がある。
しかし、「美女と野獣」を上映していたSCREEN 6は、通常設備である。私が行ったとき、SCREEN 1で上映されていたのは、通常のドラマ作品である。

どうしてだろう?
たしかに、私が行ったとき、「美女と野獣」の観客は、314人収容の部屋で、せいぜい20~30人。封切直後はおそらく、相当の人数が押し寄せたものと思う。そして、その時には収容人数374人という、一番大きなSCREEN 1が使われたのではないだろうか。
部屋の広さだけで言えば、シネコン側の判断はそれなりの理由もある。

封切直後に観ておけば良かったんじゃないかといわれそうだけれど。やっぱり空いてるときに行きたいから。


10スクリーン・約2,000席の映画館。メインスクリーンに独自規格のラージスクリーン「TCX®」と関西で初めてドルビーの革新的なシネマ音響「ドルビーアトモス」を導入。全作品デジタルプロジェクターでの上映となり、3D映画や演劇・音楽・スポーツの中継などの新しいエンターテイメントの楽しみ方も提供していきます。
しかし、上映されるコンテンツの特性からすれば、ミュージカル仕立てで、音楽のウェイトが極めて大きい作品に対しては、やはり、Dolby ATMOSのスクリーンを使用すべきではないだろうか。

以前、このシネコンで"Mission impossible"を見たとき、オペラ場での銃撃シーンがあったのだが、このシーンで歌われていた「トゥーランドット」のアリアの音は、素晴らしかった。その時の会場はSCREEN 1、Dolby ATMOS音響だった。ここでオペラ映画をやったらどうかと思ったぐらいである。

目利きというか耳利きの観客なら、この設備を目当てに来場する人がいるものと思う。つまり、集客効果もあると思う。音楽に重点をおかないコンテンツに、SCREEN 1を使用するのは、勿体ないのではないだろうか。

この作品のように、映像と音楽の質にこだわったものが、本来の品質で上映されていないと知ったら、制作者は、がっかりするのではないか。
一定以上の上映品質が確保できないところでの上映を拒否したらどうだろう。
ディズニーなら、そのぐらいのことは、やれると思う。

Blu-rayが発売されたら、それを家で見る方が、映画館よりも、滑らかな映像、ダイナミックレンジが広く、繊細な音楽を楽しめるに違いない。

というか、TOHOシネマズくずはモールが、Dolby ATMOSで上映してくれるんなら、もう一回見に行くけれど。
このスクリーンを「美女と野獣」専用にするのが無理なら、上映スケジュールの調整でなんとかならないものか。

ストラディバリウス負けた!

ストラディバリウス負けた!聴衆は現代製に軍配
【ワシントン=三井誠】数億円の値段がつくバイオリンの名器「ストラディバリウス」と、現代のバイオリンの演奏を聴衆に聞かせると、聴衆は現代のバイオリンの方を好むとする実験結果を、仏パリ大などの研究チームがまとめた。
 論文が近く、米科学アカデミー紀要に掲載される。
 このチームは5年前、ストラディバリウスと現代の楽器を弾いた演奏家でも、音の評価に大きな差がなかったとする研究を同紀要で発表している。チームは今回の研究で「バイオリンの作製技術が上がったのか、あるいは一般に信じられているほどの音色の違いがなかったのかもしれない」とコメントしている。
 実験は、パリ郊外と米ニューヨークのコンサートホールで、音楽の批評家や作曲家などを含む聴衆計137人の前で行った。ストラディバリウス3丁と現代のバイオリン3丁を、演奏者にはどちらのバイオリンかわからないようにしてソロで弾いてもらい、どちらの音色がよく響くかなどを、聴衆が評価した。
読売新聞 5/9(火) 7:42配信
昨日に続いてバイオリンの話題。
ネットでニュースを見ていると、ストラディバリウスと現代製のバイオリンのブラインド・テストを行った結果、現代製の方が好ましいという評価が出たという記事が目に入った。

聴衆がどのぐらいクラシック音楽、とりわけバイオリンを聴き慣れているのかなども評価に影響するだろうと思うのだけれど、記事によると、音楽の批評家や作曲家なども含まれるという。
アメリカでの実験結果だというから、"Stradivarius modern violin test"でググってみると、今までも同様の結果が出ているらしい。しかも、演奏家にも区別できないという結果も報告されている。

Stradivarius Fails Sound Test versus Newbie Violins (Scientific American)


ストラディバリウスが名器というのは定着した評価で、それ自体は今後も変わらないと思うけれど、現代製のバイオリンが、それに追いついたということなのかもしれない。
ストラディバリウスを研究して、その再現を図ったという話もある。木の材質、構造など寸分違わぬように作っても、ニスがどうしても再現できないというような話を聞いたことがある。

同じものを作る努力はともかくとして、聴衆が良い音と感じるものから、その音を追求するというアプローチもあるだろう。
良く言われるのは、倍音の豊かさである。
基音しか出ていなければ、どんな楽器の音も同じになるわけで、倍音の出方が楽器の音色を決めるわけだから、これは納得できる。ただ、単に豊かであれば良いわけではなくて、何次倍音が多く、何次倍音が少ないのかということが音色を決めるはずである。クラリネットの独特の音色は、偶数次倍音がないことによると言われている。

安物のオーディオだと、クラリネットかフルートかオーボエかわからないような変な音になることがある。一つ考えられる原因は、スピーカーが高調波に追随できない、あるいは変な分割振動をするため、本来の楽器音が再現できていないことだと思う。


mozart_violin_concerto_no_3.jpg そのほか不規則振動も影響しているかもしれない。響板が分割振動したら(極端な場合、割れていたらそうなる。もちろん不快な音だけれど)、違う音になるはずである。

何が良い音かわからなければ難しいけれど、ストラディバリウスという目標があれば、それに近い音を目指すというのはアプローチの方法としてアリではないだろうか。

midiなどで楽器音のスペクトルデータが出ているけれど、これでその楽器の音色になるかといえば、案外そうでもない。アタックやディケイ、サステインなどのエンヴェロープは別だし、やはり演奏となると、その一瞬一瞬のゆらぎ、息づかいというものが入って楽器の音になる。スペクトルの再現だけではできないだろう。


楽器の音の違いというと、フルートでは、管の材質の違いが良く話題になる。
曰く、洋銀(銅、亜鉛、ニッケルの合金)は軽くて安っぽい、銀は重厚、金ははなやか、など。
ただ、これもブラインドテストをやると、管体の材質の違いはわからないという結果になる。音色の違いは管の材質より、演奏家の違いの方が遥かに大きい。

原理的にフルートの音は空気柱の振動であるから材質は無関係と思われる。材質が問題となる管体も少しは振動する(それは唇や指に感じる)けれど、その寄与はそう大きくないと思う。


現在、プロ・フルーティストの多くは、金製のフルートを使っているようだけれど(金製のフルートというとランパルがその嚆矢じゃないだろうか)、20世紀最高のフルーティストといわれるマルセル・モイーズは洋銀のフルートを使っていたことは有名である。

金のハンドメイドだと1000万円以上するものも多いけれど、「芸能人格付けチェック」で、5万円ぐらいの大量生産品と比べてみたら面白いと思う。

思うに、材質が音に与える直接的な影響はほとんどなくても、楽器職人がその材質にどれだけ慣れているかなど、加工にかかる問題が大きいのではないだろうか(洋銀は加工しにくいらしい)。視覚的印象もあるだろうけど。

私? もちろん洋銀製である。ローエンド製品。
洋銀製が一番重量が軽くて、疲れにくいからである。


リコーダー・コンサート

akiyama_shigeru_recorderss.png 昨日は、リコーダーの演奏会。

実は、リコーダーの演奏会は、無料のものは行ったことがあるけれど、有料のものは記憶がない。
今回は、弦楽アンサンブル(チェンバロ付き)と合せている。

曲目はテレマン。演奏者は秋山滋氏。
CDか何かで聴いたことがあるものだけれど、生だとどうだろうと、興味津々。
最大の気がかりは、リコーダーの音量である。
コントラバスまで入った弦5本+チェンバロだと、リコーダーの音はどうなんだろう。もちろん、人間の耳は、カクテル・パーティー効果があるから、リコーダーの音を聴き取ることはできるかもしれないが、それでは音楽として聴いたことにはならない。

とはいうものの、テレマンの時代、実際こうした構成で盛んに演奏されていたはずである。


会場はキリスト教の教会。
といっても大聖堂というようなところではなく、こぢんまりしたところ。

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IMG_20170514_165450.jpg 会場は礼拝堂、演奏者と聴衆の距離が近い。
聴衆は100人ぐらい。礼拝堂の備え付けの椅子だけでは足りず、パイプ椅子を追加していた。

教会での演奏会の経験がないわけではないけれど、それらはもっと大きな空間で、オルガンなんかもあるような場所である。
この日の会場に相当するところでクラシックを聴いた経験は、結婚式ぐらい。

私は一番前の席に座ったので、目の前が第1バイオリン。
正直、近すぎて大丈夫だろうかと思った。
バイオリンがやかましいのじゃないか、リコーダーとのバランスが悪くなるんじゃないか、などなど不安。
  • Concerto in F major for alto recorder, strings and basso continuo, TWV51:F1
  • Concerto in C major for alto recorder, strings and basso continuo, TWV51:C1
  • Suite in a minor for alto recorder, strings and basso continuo, TWV55:a2

すべては杞憂。
残響多めの礼拝堂で、目の前のバイオリンの音も甲高くならず、全体のバランスも悪くない。
心地よく音に包まれる。

そして、肝心のリコーダー。
これは超絶。

極めて高速のスケールやアルペジオが連続するテレマンで、フィンガリング、タンギングがぴったり。

演奏後のお話で、すごく疲れる、テレマンは若いうちにやらないと、とおっしゃっていた。

今まで、リコーダーといえばフランス・ブリュッヘンやミカラ・ペトリばかり聴いていたが、秋山氏の演奏は、それと遜色ない。
アルト・リコーダーで、全く苦しげにならないというのがすごい。
IMG_20170514_165501.jpg

写真は後半の曲で、この曲では使われなかったが、前半の曲では、足を置く台が用意され、管端のホールを膝で塞ぐ奏法も披露。ブリュッヘンなんかは座ってやるんだけれど、この人は立ったままでやっていた。


リコーダーは、吹けば音が出る楽器であるけれど、逆に、息で音を調節することが困難である。
その分、フィンガリングに負う部分が大きく、誤魔化しがきかない。
たしかに、フルートよりも使う息は少なく、タンギングもらくではあると思う。
とはいうものの、家へ帰って、ちょっとリコーダーをいじってみたが、とてもああはいかない。

そういう難しい楽器なのだけれど、やっぱり音色はフルートに比べるとなんだか間のぬけたようなところがあると思う。それでも聞かせるためには、相当のテクニックと音楽性が要求されると思う。

アンサンブルも良かった。
気持ちの良い、満足できるコンサートだった。

スピーカーが帰ってきた

P_20170430_212648_vHDR_Auto.jpg 知人に修理を頼んでいたスピーカーが、1年半ぶりに帰ってきた。
TANNOY Arundelという古い(1982年発売)のスピーカーで、別の友人がスピーカーを買い替えたときに、余ったのを無償で譲り受けたもの。

古いスピーカーだから、コーンのエッジ部分が劣化して、ボロボロになっていた。修復剤(一種の接着剤)で誤魔化して使っていたが、やはり低音のしまりみたいなものが悪いのと、なんだかガサッとした音がするような気がして、本格的に修理をしようと思っていた。

ネットで製品に対応したエッジを探し、割りに評判の良い、永持ちしそうなプラスティック系の交換エッジを購入していたのだけれど、作業が面倒なので修復は延び延びになっていた。

スピーカーの自作とかもするという若い知人がいるので、修復をお願いしたら軽く引き受けてくれた。
なお、スピーカー自体が気に入ったらそのまま使ってもらって良いということにしていた。

P_20170430_212707_vHDR_Auto.jpg 修理自体は、1年ぐらい前に終わっていたのだけれど、そのまま使ってもらっていたけれど、知人の嫁(私の娘)が、家が狭くなって困ると苦情を垂れて、また我が家に戻ってきた次第。

修理に出す前の環境(PC―USBサウンドプロセッサ―アンプ―スピーカー)に戻して音出し。
エッジが修復されているということで、安心して聴ける。
ただ、なんとなく高音域の伸びがイマイチ、もともとこんな音だったかなぁと思いながら聴いていて、古いスピーカーでハイレゾとかの無い時代だから、こんなものだろう、今度はスーパーツィーターを追加しようか、それもやってくれるかな、なんて笑い話をしていた。

で暫くして、アンプ(ONKYO A-5VL)にデジタル入力があることを思い出した。
サウンドプロセッサ(Creative USB Sound Blaster Digital Music Premium HD)側の光デジタル出力をアンプにつないで、再度、音出し。

目を見張るというか、耳を立てるというか、明らかにクリアな音に変わる。
前もデジタル接続していたのである。

アンプまでデジタル接続するということは、信号の劣化はアンプまでは起きていないということだと思う。
スピーカーの問題ではなくて、アナログでの信号の劣化が問題だったようだ。

それにしても、35年も前のスピーカーで、製品仕様上は、周波数特性は30Hz~20kHzとなっているのだけれど、ハイレゾが無い時代だから20kHz以上を記載していないというだけで、実際はとてもスジの良いスピーカーであったわけだ。

50cm×50cm×100cm、50kgの重量級スピーカー、スジが悪けりゃ粗大ゴミ。


四月のパリ

gatag-00004680-crop.jpg 今日で四月も終わり。
日本では四月は新年度の浮き立つ気分。

四月というと、爽やかさいっぱいの「四月のパリ」という歌を思い出す。

Isabelle Aubret-En avril à Paris(YouTube)
○四月のパリEn avril à paris(訳詩)


原題に忠実にいえば「四月に、パリで」ということになるようだけれど、パリでは恋の季節らしい。
古いシャンソン(1953年)だけれど、いささかも古さを感じない。(けど懐かしさを感じる)

YouTubeで検索すると、何人かがカバーしている。
私が聴いたことがあったのは、ダニエル・ビダルというフランス人形のような歌手が歌ったものだが、それはYouTubeには載っていないようだ。

昔のレコード屋では、ポップスのコーナーは、ロック、カントリー、フォークなどと並んで、シャンソン、カンツォーネというような分類がなされていたのだけれど、この頃は、アメリカ系の発信力が優勢となり、シャンソンもカンツォーネも一括りに"ワールドミュージック"というような扱いである。

微妙な陰影(転調)をご鑑賞ください。


残念ながら四月のパリに行ったことはない。というか、今まで一度しかパリに行ったことがない。
誰だったかな、「パリにゆきたしと思へど、パリはあまりに遠し」。

間違いでした:
   ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し
                        萩原朔太郎 「旅上」


FLACファイルのヘッダー修復

2017-04-21_212830m.png ビデオファイル(mp4)から、音声だけ取り出して、VLC playerの[メディア]-[変換/保存]機能を使って、Audio:flacのフォーマットで変換したところ、なぜかflacファイルのヘッダーがおかしい。演奏時間が入っていないのである。

foobar2000では何の問題もなく再生してくれるので、演奏時間が入ってなくても良さそうなものだけれど、やはり気持ち悪い。
そこで、flacファイルのヘッダー修復をしてくれるソフトがないかネットを渉猟したけれど、見当たらない。

mp3に変換したら演奏時間ぐらいはきちんと入ったデータができるんじゃないかと思って、freacで変換しようとしたのだけれど、ヘッダーがおかしいせいか、freacが動作しない。

2017-04-21_213032m.png それならということで、foobar2000では再生できているわけだから、foobar2000で変換しようと考えた。
それも、flacからflacである。

変換前後で同じフォーマットでも動作するのか、ちょっと不安だったけれど、そういう意地悪な仕様にはなっていない。
それよりも、同じフォーマットだと、変換したフリをして、そのまま出力するのではということが心配。

2017-04-21_212900m.png で、flacからflacへの変換を実行して、出力ファイルをMediainfoで確認すると、ちゃんと演奏時間がセットされている。
正常なflacファイルができた、めでたしめでたし。

foobar2000の変換は、元ファイルをとにかくデコードして、そのデータをエンコーダ(この場合はflac)に送り込むという律儀な動作をしているのかもしれない。


大したことではないけれど、ネットにはflacデータの修復についての情報が見当たらなかったので、私と同じようなことで困った人がいるかもしれないと思って、記事にして公開することにした。

古代ギリシア展

P_20170311_103531_vHDR_Auto.jpg 昨日は、古代ギリシア展を見に神戸へ。

アップするのはパンフレットなどの写真だけれど、会場内は写真撮影禁止なのでご容赦。

それに図録や額絵などのほうが綺麗な写真がある。それは旅先の風景などもしかり。なので、私はブログに載せようというつもりがなければ、まめに写真を撮ったりはしない。


充実した展覧会である。
会場の最初の展示はアルテミス像。
少し小ぶりだけれど、美しく、整った作品。チラシに印刷されている。

アルテミス像だというけれど、なぜアルテミスだと判断したのか、見たところ鹿はいないのは仕方がないとして、箙をしょっているわけでもない。他にアルテミスのアトリビュートってあったっけ。


大きな彫像としては、チラシに大きく印刷されている男女のもの。神殿に奉納されたものらしい。
しっかりした構成で迫力がある。男女とも、張りのある丸いお尻が印象的。

Ancient_Greece_IMG_0001-crops.jpg 古代ギリシアといえば、ミロのビーナスとか、サモトラケのニケなどをイメージして、私もそういうものを期待して行ったのだけれど、この展覧会は、そういう彫像よりも、ギリシア文明が遺物で説明されていることに注目すべきだろう。これは、大変充実していると思う。

最初期のキュケラデス文明から、時間を追って、ローマに吸収されるまで、8つの時代に区分して紹介されている。その時代の微妙な違いがわかるようにしっかり展示されていると思う。

それにしても、ネックレスなどの装身具の細工の精緻なことには感嘆する。数千年も前のもののわけだけれど、熟練した職人が丁寧に仕事をすれば、21世紀と比べて劣るということはない。
メノウが嵌め込まれているネックレスもあったけれど、メノウがきれいに磨かれ、揃えられている。

行くときは、短焦点の単眼鏡か双眼鏡を携行することをおすすめする。私は、今回は双眼鏡を持って行った。


ただし、コインについては、これは量産が求められるものだからだろう、現代のように高等な機械でプレスして寸分たがわぬ、そして角が立ったようなものは難しいだろう。

また、ギンバイカ(銀梅花、銀盃花、学名:Myrtus communis 古代ギリシアでは豊穣の女神デーメーテールと愛と美と性の女神アプロディーテーに捧げる花とされたという)を模した金製の冠は、葉はなんだかくしゃくしゃしていて、細工としてはどうなんだろうと思うけれど、金の色が鮮やかなのに驚かされる。
ミダス王の伝説を思い出す。

あと見もの、というか、見られて良かったと思うもの。
一つは、この時代の医療器具。メスやピンセットなど4点が展示されていた。
ギリシア医学といえば、言わずと知れたヒポクラテス。この時代にも簡単な外科的処置がされていたのだろう。

もう一つは、オストラコン(陶片)。
世界史の教科書などで写真は見ているが、現物は多分はじめて。
これが結構くっきりとしたものである。教科書の写真はそもそも質が悪かったので、いかにも土中から掘り出された感があったけれど、どうしてどうして、鮮やかなものである。
展示されていたものには、有名なテミストクレスの名前が刻まれたものもあった。

他、火山灰に埋もれていた壁画も展示されていた。
ポンペイの壁画が有名だけれど、時代の差は感じない出来である。フレスコ画という説明だったが、フレスコ画の技法というのは、こんな昔からあったのだろうか。

墓碑が何点か展示されていた。自分で墓碑を彫ってみたくなった。

ところで「暗黒時代」というのは、何も展示がないのだけれど、だから暗黒時代なのだろうけど、いまだに暗黒時代なのだろうか。

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ヨアンネスの261回目の誕生日

今日は、ヨアンネスの261回目の誕生日。

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前にも書いたように、この日は誕生からの年数に一致するケッヘル番号の作品を聴くことにしている。
ということで、今日は、ヴァイオリンのためのアダージョ ホ長調 KV261を聴く。

(クリックで、冒頭部再生ページへ)

K261_50491000-crop.png

オーケストラと独奏ヴァイオリンのための曲で、KV219のイ長調の協奏曲の第2楽章の代替として作られたという。

楽曲解説は、いつも便利に使わせていただいているMozart con graziaにおまかせしよう。


KV261は、演奏時間が7分に満たない短い曲なので、今日は、作曲目的に合わせて、KV219の第2楽章として聴くことにする。
51Hd9xlLrOL.jpg
去年買った"Mozart225"のCD、ちょうど昨日、全200CDのリッピングも終わったところなので、それを聴こうかと思ったけれど、Mozart225の演奏は、
  • K261: Simon Standage, Christopher Hogwood/The Academy of Ancient Music
  • K219: Giuliano Carmignola, Claudio Abbado/Orchestra Mozart
と別の演奏者になっている。
あまり音が変わるのも変だろうから、同じ演奏者でつなぐことができるように、KV261も収録されている全集、
  • Julia Fischer, Yakov Kreizberg/Netherlands Chamber Orchestra
で聴くことにする。

ニューイヤーオペラコンサート2017(その3)

時事の話題を優先させたので、少し間があいたけれど、ニューイヤーオペラコンサートをとりあげる3回目。

2017-01-03_213752s.png 毎年のようにニューイヤーオペラコンサートを見ているわけだが、私はオペラファンというわけではなくて(DeAgostiniのオペラDVDは買ったけれど、それは舞台を見に行くことは、そうないだろうから)、モーツァルトのオペラ(このジャンルを完成した、そしてこの後のオペラは、モーツァルトがやったことを模倣し、脚本を替えてやってるように思う)のファンで、オペラならなんでも良いというわけではない(ワーグナーは通して見たいと思わないし)。

今年は「イドメネオ」、「魔笛」、「ドン・ジョヴァンニ」がとりあげられたが、基本、短調の曲を選曲しているとのこと。

2017-01-03_213901s.png 「イドメネオ」は、なかなか通して聴く機会のないものだけれど、完全なモーツァルトになる手前という感じだけれど、後世のイタリア・オペラ以上の水準にはなっている(贔屓か)。エレクトラ(森谷真理 )は熱演。

パミーナ(砂川涼子 )は、この歌手に良くあったアリア。もちろん魔笛のストーリー自体に難がある(アリエンやろという設定)わけで、ちょっとタミーノが口をきかないぐらいで、狂っちゃうか? なのだけれど、その狂気がモーツァルトの手にかかると真実になってしまう。

昔、突然、口をきくのをやめたガールフレンドがいた。別にきらいになったわけじゃない、ただ、このままでいいのかと反省する時が欲しかっただけなのだ。そしてそれは永遠に失われた時になってしまった。重い思い。


2017-01-03_214008s.png 劇的に演じられたのは、当然だがドン・ジョヴァンニ。
ドン・ジョヴァンニ(黒田博)、なかなかはまり役。レポレッロ(久保和範)、騎士長(ジョン・ハオ)も良かった。

楽しんでいて、ふと目にとまったのは、舞台と照明。
円形の床を客席に向かって傾斜させている。そこにエレクトラのときは炎、パミーナのときは凍れる心、そしてドン・ジョヴァンニでは冷気と炎が、照明で表現される。そしてドン・ジョヴァンニが地獄へ落ちるシーンのためのエレベーターが装備されていた。

傾斜した舞台というのはオペラではときどき見かける仕掛けで、ホールのステージより目線が下になる客からでも奥まで見えるようになっていると思うが、それ以外に奥行きの深さを表す視覚効果もあるだろう。
左右にも壁を立てて、客からハの字になるようにしてあるのを見たことがある。ここまでやれば、一種のホーンのような音響効果も出るのかもしれない。NHKホールという音が抜けるようなホールではとくに有効かもしれない。

いつのことだか忘れたけど、大阪フェスティバル・ホールのオペラ公演のときは、ハの字に壁を立てると、袖に近い席だと壁が文字通り壁になって、舞台奥が見えなくなる。その席は販売していなかったようだった(満席だが、左右のその席は空席だった)。


もちろん、この円い舞台は、モーツァルトだけで使っていたわけではない。ファルスタッフのときには「世間」をイメージさせる動画(渋谷の交差点?で人々が行きかうもの)を写すスクリーンにもなっていた。

舞台転換に時間をかけられないこの演奏会では、なかなか良い工夫だと思う。

新春コンサート

P_20170107_131336_vHDR_Auto-crop.jpg 昨日は「新春コンサート」というのを聴きに行った。

はるばる箕面市。
お昼は早めに家でとって、箕面駅からすぐのミスドで時間調整。
ドーナッツ1個とほっと・コーヒー。
スタバより、ミスドのコーヒーのほうがおいしいと思うのは私だけ?

店内で気が付いたのだが、ミスドの1番店は、箕面だという。
入った店がそれだったのか定かではないが、1番店開業時の写真が店内に掲示されていた。


開演30分前に、会場に到着。
このホールに来るのは初めて。
図書館、生涯学習センターが併設されている施設。

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この日の演目は、オール・モーツァルト。
ディヴェルティメント、ファゴット・コンチェルト、セレナード、ファゴットとチェロの二重奏、そしてオペラ・アリア4曲。

オペラ・アリア4曲はすべてテノールで、同じ歌手(小餅谷哲男)が歌った。
少しバリトン的なテノールで、声量豊か、しっかりした歌で、気持ちよく聴かせてもらった。

最初のフェランドのアリアは、生で聴いたのは40年以上前、学生時代にベルリン国立歌劇場来日公演。そのときはペーター・シュライアー、さすがにシュライアーの甘美なのに大声量という奇跡のような声には及ばないにしても、今回のテノールは十分聴かせてくれた。だから、驚いた。

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shinshun_concert2017.jpg オール・モーツァルトということだったが、アンコールに「モーツァルトの子守歌」。これはモーツァルト作じゃない。去年、テレビドラマ「漱石の妻」で、良く使われていた「夕べの想い」とかにしたほうが良かったのでは。

オーケストラは急ごしらえだと思うが、大フィルの各パートのトップが中心になっていて、気心もしれているのだろう、アンサンブルもしっかりしている。

とくに、KV239では、ヴァイオリン2本、ヴィオラ、コントラバスの4人が、ステージ前面に立って演奏し、アドリブを効かせる趣向。
やっちゃえ、というところかな。

ということで演奏者も楽しくやってるみたいだし、聴いている方も楽しい。2000円(前売り)の値打ちは十分ある。
これで演奏者がギャラをいっぱいもらえてたら、みんなハッピーということ。

なかなか気持ちの良いコンサートだった。
(もちろん、その最大の功労者は、モーツァルトだと思うけど)


ニューイヤーオペラコンサート2017(その2)

2017-01-03_214410s.png 今年のオペラコンサートでも、バロック・オペラがとりあげられた。

昨年は、グルック「オルフェオとエウリディーチェ」、ただしフルート曲"精霊の踊り"。
一昨年はヘンデル「リナルド」がとりあげられて、ヘンデルはオラトリオだけじゃないんだと再認識。

もっとも凡人が聴くのは「メサイア」ばっかりだけど。


2017-01-03_214506s.png そして、今年のバロックは、ヘンデルである。
伴奏は、鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパン。息子の鈴木優人さんがチェンバロをひいていた。

思うに、世界的に、といって世界の状況を知ってるわけではないけれど、日本のニューイヤーオペラコンサートが世界に発信できるとしたら、多分、このヘンデルをフィーチャーしたことではないだろうか。

これはまったく私の独断というか、偏見なのだけれど、19世紀のオペラは、日本人が演じるとなんだか、ちょっと無理してるような、違和感を感じることがある。
なぜなのか理由は良くわからないのだけれど、19世紀のオペラは、ヨーロッパ文化というか、スノビズムが強くて、そんなところに無理して入って行かなくても、というような感じである。

だから日本人にはモーツァルトまでが良く似合うと思う(それに、モーツァルトだけできれば十分だし)。


それに対して、バロック・オペラだと、ヨーロッパ人にとってもきっと隔絶した時代で、当時をどう理解、再現するのかという点において、日本人もなんら臆することなくできる、ヨーロッパの「伝統」にある意味対等に対抗できる、そういうことではないだろうか。
金持ちの道楽といっても、18世紀までの王侯趣味と、19世紀のブルジョア趣味は全然違う、そういうこともあるかもしれない。

2017-01-03_214609s.png そして鈴木雅明/バッハ・コレギウム・ジャパンというのも、見事な演奏、生き生きとした演奏をしていて、バロックが決して古色蒼然たる音楽ではないことがわかる。もちろんピリオド楽器が使われていて、ヴァイオリンの弓も丸いやつ。全く黴臭くない。

ヘンデルから、3曲とりあげられたが、森麻季さんは、この分野でも見事な歌唱、芸域の広さを印象付けた。

衣装は、エジプト女王然とした装飾品をつけて、防備を固めなくても良いように思う。
シーザーの恋人なのだから、女体の柔らかさを感じさせるような、ローマ風の衣装が良い。


ニューイヤーオペラコンサート2017

2017-01-03_213213s.png 恒例のNHKニューイヤーオペラコンサート、今年は60回目だそうだ。
60回といえばそれは盛大にやって不思議はない。

私の贔屓の幸田浩子さんが、今年も出てない!
忙しいのか、それとも何か事情があるのだろうか?


それはそうとして、今年は、ヴェルディ「ファルスタッフ」のタイトル・ロール、ファルスタッフ(折江忠道)が狂言回しのようなポジションを占めていた。
2017-01-03_213602s.png オープニングの出演者紹介は、歌唱順のようだったけれど、ファルスタッフは最後に紹介された。
そして、要所要所でファルスタッフが出てきて、最後、エンディングでもファルスタッフを中心にした「すべてこの世は冗談」である。

で、気がついた。
去年はシェイクスピア没後400年のメモリアル・イヤーだったわけで(コンサート中にもそのことに触れられている)、なぜ去年じゃなく今年に、この趣向にしたんだろう。

2017-01-03_214239s.png さらに追い打ち。
今年はモンテヴェルディのメモリアル・イヤー、生誕450年である。
そして今回の演目に、モンテヴェルディがない!

モンテヴェルディといえば、現存する上演可能な最古のオペラとされる「オルフェオ」や、悪女が主人公の「ポッペアの戴冠」、オペラの創始者と言っても良いぐらいの人じゃないだろうか。そして、オペラ関係者ならこの名前を知らない人はいないのでは(生誕450年ということを知らないとしても)。
2017-01-03_214805s.png

まさか、主催者が自分たちの60周年に浮かれて、モンテヴェルディのことを忘れちゃった?


それで気になった。来年2018年がメモリアル・イヤーになる、オペラに縁の深い作曲家は誰だろう。

  • グノー(1818~1893) 生誕200年
      「ファウスト」、「ロメオとジュリエット」
      去年のオペラコンサートで森麻紀さんが「ロメオとジュリエット」を歌った
  • バーンスタイン(1918~1990) 生誕100年
      オペラとは普通いわないかもしれないが「キャンディード」、「ウエストサイド物語」など
  • ロッシーニ(1792~1868) 没後150年
      「セヴィリアの理髪師」、「泥棒かささぎ」、「ウィリアム・テル」などなど
      なんといってもモーツァルト後、最初のオペラの巨匠。今年も「理髪師」がとりあげられた。
      ベートーヴェンと時代がほぼ同じ(当然、ベートーヴェンより人気がある)

    そしてもう一人、オペラは一曲しか作曲していないが、
  • ドビュッシー(1862~1918) 没後100年
      「ペレアスとメリザンド」、ワグナー嫌いの人のために是非

来年は誰かのメモリアル・イヤーを意識した企画がなされるだろうか。

もっとも、メモリアル・イヤーといっても十進法でキリのよい数字だから、コンピュータ(AI)が支配する時代になれば、メモリアル・イヤーも、64年、128年、256年、……というふうになるかもしれないが。


記録のために、今年とりあげられた演目を掲げておく。
レオンカヴァルロ 歌劇「道化師」から「ほら、急げ!」
ベッリーニ 歌劇「ノルマ」から「清らかな女神よ」 大村博美
プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」 村上敏明
プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」から「氷のような姫君の心も」 中村恵理
ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」から「私は町のなんでも屋」 上江隼人
ロッシーニ 歌劇「セビリアの理髪師」から「かげぐちはそよ風のように」 妻屋秀和
モーツァルト 歌劇「イドメネオ」から「心乱れ 怒りが込み上げる」 森谷真理
モーツァルト 歌劇「魔笛」から「愛の喜びは露と消え」 砂川涼子
モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から「地獄落ち」 黒田博、久保和範、ジョン・ハオ
ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」から「この悪党め!」 折江忠道
ヘンデル 歌劇「タメルラーノ」から
「非道な者よ、お前に戦いを挑むために」
櫻田亮
ヘンデル 歌劇「ロデリンダ」から
「いとしい人よ あなたはどこに」
藤木大地
ヘンデル 歌劇「ジュリアス・シーザー」から
「戦闘のシンフォニア」~「嵐で木の船は砕け」
森麻季
ヨハン・シュトラウス 喜歌劇「ヴェネチアの一夜」から「ほろ酔いの歌」 中嶋彰子
カールマーン 喜歌劇「チャールダーシュの女王」から「踊りましょう」 中嶋彰子
ヨハン・シュトラウス 喜歌劇「こうもり」第2幕フィナーレから
ジツィンスキー ウィーンわが夢の街 中嶋彰子、西村悟
ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」から友情の二重唱「われらの胸に友情を」 与儀巧、髙田智宏
ヴェルディ 歌劇「アイーダ」から
二重唱「すでに神官たちは待っています」
清水華澄、笛田博昭
ワーグナー 歌劇「ローエングリン」から「婚礼の合唱」
ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「イゾルデの愛の死」 池田香織
マスネ 歌劇「ウェルテル」から
オシアンの歌「春風よ、なぜ私を目ざますのか」
福井敬
チレーア 歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」から
「苦い喜び、甘い責め苦を」
藤村実穂子
ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」から「すべてこの世は冗談」

ニューイヤーコンサート2017(その2)

2017-01-03_142812s.png 今年のニューイヤーコンサートでは、合唱付きの曲が披露された。

合唱付きの曲というと変わった曲のように聞こえるけれど、なんのことはない歌劇の一部であるから、まったく不思議なことではない。
歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」から"月の出"、合唱はウィーン楽友協会合唱団(国立歌劇場合唱団とは別?)。

そういえば、以前のニューイヤーコンサートでは、よくウィーン少年合唱団が出演していた。

2017-01-03_144005.png 合唱付きというと、今年、初演150年を迎える(番組中で紹介されていた)「美しく青きドナウ」は、もともとは合唱曲(男声合唱)として作曲されていて、初演のときも合唱曲だったらしい。
しかし、合唱付きで演奏されることはむしろまれなようで(私もFM放送かなにかで1度しか聴いたことがない)、今回のニューイヤーコンサートでも、おきまりのアンコールで、楽友協会合唱団は出ていなかった(せっかくだから、出てもらったらよいのでは)。


話変わって、ニューイヤーコンサートのテレビ放送では、何曲かバレエの画像が入る。
昨日の記事でもスナップショットを載せたけれど、どこか別のところで踊られているもので、どうやって撮影しているのか、うまく演奏に合わせている。

昔から疑問に思っていた。今ならネットで調べたら何らかの情報はあるだろうけれど、敢えて調べずにいる。


そして、いつ頃からか、演奏会場にもダンサーが入って、その場で踊るという趣向も加えられるようになった。
正月気分を盛り上げる演出ということだろう。
そのスナップショットをオマケ。

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ニューイヤーコンサート2017

恒例のウィーンフィルのニューイヤーコンサート、今年の指揮者はグスターボ・ドゥダメル。

この指揮者については全く知らなかった。
ウィーンフィルの来日公演の指揮者もつとめたそうだけれど。

35歳というから、モーツァルトの歳までは既に生きてきたことになるが、ウィーンフィルの団員の多くは指揮者より年上だろう。
ニューイヤーコンサートでは、指揮者の違いってそんなにあるのかなとも思うけれど、ドゥダメル指揮だと、なんだかウィーンフィルが軽やかだけれど、しっかりアンサンブルしているように思った。

巨匠といわれる人達は、なんだけ結構、お祭り気分というか、ウィンナワルツなどは、自分が指図するより、オケに任せておく方が良いということなのか、あるいは、お遊びを入れていた昔のイメージがあるのか、どちらかというと、うきうきしているけれど、アンサンブルはあまいところがあるように思っていた。

例外は、小澤征爾が指揮をしたときで、この直前か直後にウィーン国立歌劇場の音楽監督になっていて、ウィーンフィルの団員にしてみれば、こいつがボスだという感じだったのか、それまでのニューイヤーコンサートとうってかわって、アンサンブルが精緻になったように思った。

ドゥダメルの指揮も、その小沢が振ったときに近い感じがしたが、ドゥダメルのほうが、団員のピリピリしたような緊張感は薄いかな。それがこの演奏会には好ましいと思うけど。

正月の晴れやかな気分と、音楽の快適性が両立した、素晴らしいニューイヤーコンサートだったと思う。

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アニメの鳥たち

昨日は「マンガの鳥たち」だったが、今日は「アニメの鳥たち」。

Coyote_RoadRunner.jpg アニメの鳥で、一番に思い出すのは、「ロード・ランナー&ワイリー・コヨーテ(Wile E. Coyote and The Road Runner)」

(YouTube検索:"Wile E. Coyote and The Road Runner")


子供の頃、テレビで放送されていた「バッグス・バニー・ショー」(ルーニー・テューンズ=Looney Tunes)に出てくるもの。
超高速で走り回るロード・ランナー(ミチバシリ)と、それを捕まえようとするコヨーテの話。

台詞はいっさいなし。ロードランナーがときどき"beep, beep"と鳴く(子供のころは「ミンッ、ミンッ」と聞こえていた覚えがある)のと効果音だけ。

何年か前、またテレビ放映されていたのだけれど、へんな台詞が付いていた。ぶち壊しだった。笑いのセンス、子供の理解のどちらもを知らないというか馬鹿にした所業だと思う。

コヨーテ(子供の頃はオオカミだと思ってた)は、いろいろロードランナーを捕まえる工夫をするのだけれど、ことごとく裏目にでる。そのワンパターンなのだけれど、どう裏目に出るのかを予想しては、笑い転げていた。

それにしても、ロードランナーって窮極の地鶏(走り回る)で、スープはとれそうだけれど、肉はあまりなくて、あってもめちゃくちゃ固そう。苦労して捕まえてもどうだろう。


「バッグス・バニー・ショー」には他にもいろんなキャラクターが出てくるけれど、ロードランナーは超然としていた(喋らないから特にそういう印象になる)。
そんなところも気に入っていた。

Tweety_Silvester.jpg また「バッグス・バニー・ショー」には、ツウィーティ(Tweety)というカナリア(?)も出てくる。こちらは、見た目は小さく、可愛い。一緒にいる猫に食べられそうになるが、そういうフリを飼い主に見せつけて、猫を折檻させるという悪辣なところもあるキャラクター。
こんなの子供向けではないでしょう。

アメリカのこの手のマンガ(カートゥーン)は、ディズニー・アニメとは異なり、悪辣な主人公や、妙にエロティックな場面が出てきたりすると思うのだけれど、マンガは子供のものと決めてかかったのか、子供に見せていた大人の感覚ってどうなんだろう。

ところで、ロードランナーでも出てくるが、西部の乾燥地帯を舞台とするマンガでは、草が丸まったものが風に吹かれてゴロゴロするシーンがある。
これも子供の頃は、一体これは何なんだろうと思っていたが、「タンブルウィード(Tumbleweed)」=回転草というものらしい。
こんなものも本当にあるんだなぁと感心。
そういえば、山水画に描かれる山も、シンボリックに誇張されたものだとずっと思っていた。この景色が桂林など実在するものと知ったのはずっと後のことだ。

米国アニメには、他にもたくさんの鳥たちがいる。
ヘッケル&ジャッケルとか、ウッドペッカーとか。

日本のアニメでは、こうした擬人化した鳥が活躍するようなものはあるのだろうか。
犬や猫を擬人化したものはあるようだが、鳥はどうだろう。

マンガの鳥たち

今年の干支にちなんで、鳥の話。
tezuka_hinotori.jpg マンガに出てくる鳥を集めてみた。

まずは、手塚治虫の「火の鳥」。
手塚自身がライフワークと言った作品。
ではあるけれど、一編ごとに見れば短編の味わいだと思う。
そしてどの話が一番印象深いかというと、大王の殉死者たちが、墳墓に埋められるとき、火の鳥の生き血を少しずつ分けて飲んで、地中から呻き続ける話だろうか。
あるいは、滅亡した地球で、生命の歴史を繰り返す話だろうか。
それとも、鳥から進化した知的生命体(鳥人)の星に流れ着いた地球人が、その星の鳥人を妻にしたものの、鶏の味が恋しくなって、その妻を殺して食べてしまう話だろうか。

otokooidon_last.jpg
鳥といえば松本零士の「トリさん」というのもあった。
松本零士というと「宇宙戦艦ヤマト」とか「銀河鉄道999」が代表作かもしれないけれど、私は「男おいどん」がこの人との出会い。
押入れのサルマタケと、同居(?)するトリさん。主人公がときどき「お~い、トリよ」と呼びかける。
「トリさん」は銀河鉄道や他の作品にも出てくるけれど、「男おいどん」で見たのが最初。

阪神タイガースの鳥谷も私は「お~い、トリ」と呼ぶ。

右図は、ネットで拾った「男おいどん」。最終回だそうだ。


tanioka_mujidori.jpg 次はむちゃくちゃな鳥。
谷岡ヤスジの「ムジドリ」。
rokujirorw.gif なんとも言いようがないキャラクター。
朝日に向かって「アサー」と鳴く(吠える?)、見様によっては正月っぽい。
「鼻血ブー」もこの人のアイデアではないだろうか。

休刊日などに、ときどき使う「六二郎アバター」もその趣向(画像クリックで登場)


おしまいに北斎に差し替える前に用意していた若冲の「鳳凰」。



Mozart: 225 The New Complete Edition(その4)

2016-12-26_111108.jpg Mozart225の200枚のCDは、ボックスにギッシリ詰まっていてコンパクトではあるけれど、取り出すのはかなり面倒である。これでは気軽に聴こうという気にならない。

私は購入したCDはたいていリッピングしてNASに置いているので、面倒だけれどMozart225もそうするつもり。
リッピングに使用するのは"foobar2000"、形式はFLACである。

ところがfoobar2000が引いてくれるCDDBは"FreeDB"で、どうやらMozart225のCDはヒットしない。曲名もわからない"01.Track01"のようなファイル名では大いに困る。
幸い、Mozart225のサイトは、コンテンツデータをPDFで配布しているから、これをもとに、タグ付を自分ですることにした。

配布されているPDFは、画像だけでなく埋め込みテキスト情報も入っているようなので、PDFヴューアーからテキストを取り出すことができた。200枚のCDについて、該当箇所を選択して、エディタに貼り付けるのはちょっと面倒(5~6時間かかったように思う)。


タグ編集には"mp3tag"を使っている。CD1枚分とかだと手作業で直接入力しても良いけれど、200枚ものCDとなると、いくら気長にやるにしても大変である。そこで、一旦別のファイルにタグ情報を用意して、取り込むことにした。そうするほうが、編集しやすいし、間違いも少ないだろう。何より、既存データを取り込む自由度も高くなるだろう。

Mozart225が配布しているコンテンツデータは、トラック単位ではなくて、たとえば交響曲でも、楽章単位のデータはなく、"1-4 Symphony xx"という形になっている。
なので、手元にある楽曲目録とマッチングしないとわかりにくい。

一番困るのはオペラなどで、演奏によってトラックの切り方が違うから、既存のカタログと単純にマッチしない。ただし、全く同じ演奏が収録されているCDがあれば、これのタグ情報を利用できることがある。前のCD全集からも初期オペラ(ハーガー/モーツァルテウムなど、録音が少ない)は利用できた。

同じ演奏を収録しているなんてムダなんだけれど、タグ情報の取り出しはラクである。というか、同じ演奏が既にNASにあるから、これを再度リッピングする必要もないわけだけど。


その他、オペラについてはバラ売りもあるだろうから、CDDB(FreeDB)にマッチするものがあるかもしれない。これはリッピングしてみないとわからない。

というような苦労を重ねて、タグ情報の元になるExcelファイルを作成した。
使用するタグは、disc number, track, title, artist, album, album artist, comment の7つ。
私と同じようなことで苦労されている人がいるかもしれないので、現時点で出来上がっているExcelファイルをアップロードしておく。

2016-12-26_202835.png

なお、メディアへのタグ情報の書き込みは、前述のように"mp3tag"を使うのが便利である。
使用するソフトは、"mp3tag"、Excel、適当なテキストエディタの3つ。

  1. mp3tagで読めるタグ情報ファイルの作成
    1. 前記のタグ情報Excelファイルを開く
    2. 取り込むタグ情報の部分を選択して、クリップボードへコピー(右クリックコピー)する
    3. テキストエディタを開いて、クリップボードの内容をペーストする
    4. 一旦、適当な名前でテキストファイルを保存する(タブ区切り形式になってる)

  2. mp3tagでのタグ情報の取り込み
    1. mp3tagでタグを書き込むメディアファイルを選択する
    2. [変換]―[テキストファイル―タグ」のメニューを開く
      2016-12-26_105045m.jpg(ファイルとフォーマットを指定するダイアログが表示される)
    3. ファイルに先に保存したテキストファイルを指定、フォーマット指定は次のようにする。
      %discnumber% %track% %title% %artist% %albumartist% %album% %comment%

      ここで、区切り記号はタブになっているが、mp3tagのダイアログではタブ文字を直接入力する方法がないので、テキストファイル中のタブ文字を[ctrl-C]でコピーし、ダイヤログ側に[ctrl-V]でペーストする。

    4. [OK]で実行

このようにタグ情報を準備しているのだけれど、肝心のリッピングの方は全く進まない。
いったい、いつになったら気楽に聴けるようになるだろう。

というか、ラトルのベートーヴェン交響曲全集のようにダウンロード販売してくれたら良かったのに!



【追記】

年明けに、根性を入れてリッピング・タグ編集しようと思って、foobar2000でCDをリッピングしたら、MusicBrainzからタグ情報を検索してきた。
前に同じことをしてヒットしなかったCDも、あらためてMusicBrainzを引きに行ったら、ちゃんとヒットした。
どうやらMusicBrainzが、この間にタグ情報を収録してくれたようだ。
ただ、artistがどれも、"Mozart"になってるみたい。
演奏者名を入れたいと思うので、気が向いたら、上述のデータを使って、artistタグを書き換えようか。
  (Mp3tagの上の手順で、artistの列のデータだけ使う)


Mozart: 225 The New Complete Edition (その3)

昨日は、Mozart225の楽曲(CD)の配列について感想を述べた。
今日は収録演奏について。

前に書いたように、この全集のウリの一つが、"70% of recordings different from 1991 Philips Mozart Edition"で、実際、私が持っている演奏とまるごと、つまりそのジャンル全体がぶつかるものは一部の例外を除いてない。同じ演奏でも家にあるのはLPだったりするわけで、全く同じものが揃うということでもない。
Trevor_Pinnoch_English_concert.jpg

例外というのは、舞曲と行進曲で、これは、もともと「舞曲と行進曲全集」としてLPのボックスを買っていたものと同じ上、同じ演奏が、後のLPでの全集、前のCDでの全集、そしてMozart225にも収録されているから、私は4つめになる。演奏者ボスコフスキー/ウィーン・モーツァルト合奏団(実態はウィーン・フィル団員)だけが、録音を出していて、全集に納めようとすれば、この演奏になるわけだ。
同じようなものは、メサイアの編曲(KV572)もそうで、これも同じ理由でまともに衝突する。
単体としては、内田光子のピアノ協奏曲とか、ピリスのピアノソナタとか、重なるものもチラホラあるけれど、この全集は1枚300円もしないわけで、10枚ぐらいダブっても3000円程度、割安だから許容できる。

こうなったのは、Mozart225は、近年の風潮であるピリオド楽器による演奏を積極的にとりあげていて、新しい録音が多いからだと思う。
academy-of-ancient-music-in-derbyshire-1379601052-view-0.jpg 実際、交響曲は、
  • 初期交響曲は、ピノック/イングリッシュ・コンサート、ところどころ(主に番号のついてない交響曲)ホグウッド/エンシェントの演奏、
  • 中期のものは、ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、
  • 後期交響曲は、ピノック/イングリッシュ・コンサートとブリュッヘン/18世紀オーケストラ
の演奏が収録されている。いずれもピリオド楽器が使用されるものである。前の全集だと演奏者は、録音がないという事情がなければ、同じ演奏者で揃えていたけれど。

Gardiner_Baloque_soloists2.jpg 全く同じ演奏が、既に持っているものとダブるのは比較的限られていたわけだけれど、なんと、Mozart225は、同一曲について複数の演奏が収録されている。
前からもっている2種類の全集もそうだけれど、全集というのは、同じ曲を重複して収録しないと思う。あったとしても、編曲などバージョンが複数ある場合である。(前のCD全集は、全巻購入者には、フィガロがもう1つの演奏が付いてきたが、これはオマケとして。)
しかし、Mozart225では、いわゆる有名曲は、いくつかの演奏が収録されている。

Bruggen_18th_century.jpg 40番KV550は、なんと4種類もの演奏が収録されている。それも全曲だから、KV550だけで2時間あるわけだ。
  • Orchestra of the 18th Century/Frans Brüggen
  • Les Musiciens du Louvre/Marc Minkowski
  • Camerata Academica des Mozarteums Salzburg/Sándor Végh
  • London Symphony Orchestra/Benjamin Britten
このうち2番目のMinkowskiの演奏は、モーツァルト自身による編曲版(クラリネット版)による。

メインに位置づけられているのはブリュッヘン/18世紀の演奏で、これ以前の39番まではピノック/イングリッシュ・コンサートをおしのけて収録されたような観がある。(実は、ブリュッヘン/18世紀は別に持ってるから、ピノック/イングリッシュ・コンサートがあるなら、そっちを収録してもらいたかった)
他の演奏は、"Supplementary performances"、"Classical performances"という小カテゴリーに入れられている。メインはピノックやブリュッヘンだけれど、昔から名盤とされている演奏も収録した、というわけである。

ちなみに41番KV551は2種類、39番KV543は3種類の演奏が収録されている。KV543は、ベーム/ベルリンという懐かしい(LPで交響曲全集を持っている)ものも収録されている。

特別な協奏曲KV595も4種類の演奏が収録されている。
  • Malcolm Bilson fortepiano, English Baroque Soloists/John Eliot Gardiner
  • Emil Gilels piano, Wiener Philharmoniker/Karl Böhm
  • Maria João Pires piano, Orchestra Mozart/Claudio Abbado
  • Clifford Curzon piano, English Chamber Orchestra/Benjamin Britten
Bilsonのは、fortepianoと記載されているように、古楽器が使われている。そしてこれがメインに位置づけられている。(このなかでは、ギレリス、ベーム/ウィーンはLPで持っている。ピリスは別のオケのものを持っている。)

自己保有のものとのダブりはともかく、有名曲はいろんな演奏が聴けるということは全然悪いことではない。
最も有名なピアニストだけどモーツァルトも弾いてたのかといホロヴィッツとか、家にあるのはLPばかりで最近聴かなくなったハスキルやヘブラー、骨董的演奏のブリテン、これはこれで楽しみである。

一方、すごいことになってるのが、歌曲(リート)。
歌曲もおおぜいの歌手が録音をしているわけだけれど、Mozart225は誰を選んだのだろう?

・An die Freude K53 Prey/Klee ・Das Lied der Trennung K519 Schreier/Schiff
・Oiseaux, si tous les ans K307 Bartoli/Thibaudet ・Als Luise die Briefe ihres ungetreuen Liebhabers verbrannte K520 Ameling/Baldwin
・Dans un bois solitaire K308 Ameling/Baldwin ・Abendempfindung an Laura K523 Brueggergosman/Zeyen
・Verdankt sei es dem Glanz der Großen K392 Ameling/Baldwin ・An Chloe K524 Holzmair/Cooper
・ [An die Einsamkeit] K391 Mathis/Klee ・Des kleinen Friedrichs Geburtstag K529 Mathis/Klee
・ [An die Hoffnung] K390 Schreier/Schiff ・Das Traumbild K530 Holzmair/Cooper
・Die Zufriedenheit K349 Ameling/Ludemann (mandolin) ・Die kleine Spinnerin K531 Ameling/Baldwin
・Komm, liebe Zither, komm K351 Ameling/Ludemann (mandolin) ・Beim Auszug in das Feld K552 Blochwitz/Jansen
・Ah! spiegarti, oh Dio, vorrei K178 Mathis/Klee ・Un moto di gioia K579 Stader/Demus
・Der Zauberer K472 Mathis/Klee ・Sehnsucht nach dem Frühling K596 Mathis/Klee
・Die Zufriedenheit K473 Prey/Klee ・Im Frühlingsanfang K597 Schreier/Schiff
・Die betrogene Welt K474 Holzmair/Cooper ・Das Kinderspiel K598 Mathis/Klee
・Das Veilchen K476 Battle/Levine ・Das Kinderspiel K598 Alternative performances with fortepiano Prey/Demus
・Lied der Freiheit K506 Schreier/Schiff ・An Chloe K524 Von Otter/Tan
・Die Alte K517 Mathis/Klee ・Das Veilchen K476 Baker/Leppard
・Die Verschweigung K518 Schreier/Schiff ・Abendempfindung an Laura K523 Baker/Leppard

なんと、12人の男女の歌手(伴奏違いを数えたら14組)が顔をそろえている。まるでカタログである。
もとの録音は、おそらく曲の順序も考えて行われたものだろうけれど。

Mozart225には、多数の演奏家が収録されている。
これも、Mozart225のサイトに掲載されている。

多くのモーツァルティアンは、たいていの曲は誰かの演奏で聴いているだろうから、こういう複数演奏家の録音を聴くことも一興と考えていると思う。そう思えば、この企画も納得できるものだ。

将来、「モーツァルト全録音」などというセットが出たりして。


Mozart: 225 The New Complete Edition (その2)

mozart225_content.png 昨日につづいて、
"Mozart: 225 The New Complete Edition"。

まず、この全集の編集の特徴。
収録演奏はmozart225.comに掲載されている(PDF)。
昨日言及した昔のLPの全集は年代順に収録されていたから、交響曲は第1番は第1巻に、41番は最終巻になっていた。また、CDの全集はジャンル別、交響曲、セレナード、……という順だった。

・室内楽作品("Chamber")1~49
・管弦楽作品("Orchestral")50~101
・劇場作品("Theater")102~152
・宗教作品("Sacred")153~170
・プライベート("Private")171~173
・断片("Fragments")174,175
・補作("Completions")176~178
・他の作曲家作品の編曲("Arrangement")179~187
・自作品の編曲("Self-arrangement")188~193
・疑作("Doubtful works")194~200
Mozart225は、カテゴリー別の年代順に配列されているようである。
最上位カテゴリーはかなり大きい(右表)。

で、"Orchestral"の中は確かに交響曲と他は分けてあるけれど、協奏曲については、普通はやらんだろう、という並びになっている。なんと、協奏曲をいっさいがっさい集めてる。つまり、同じCDに、ピアノ協奏曲も、ヴァイオリン協奏曲も、管楽器の協奏曲も入っているという構成である。室内楽でも、弦楽四重奏と五重奏が並んでいたりする。

演奏会のライブ録音とかでないなら、同じソリストの録音が収録されているのが普通だから、これはなかなか違和感がある。
この配列はなかなか難しいと思う。
他の人は知らないが、私などは、今日はピアノソナタかな、協奏曲かな、シンフォニーかな、というようにジャンルに注目して選曲することが多い。単純な年代順だと、あるジャンルの曲を聴きたいと思っても、そう簡単にCDを選べない。かといって、演奏会のように、はじめに軽いセレナード、そして協奏曲、最後にシンフォニーというようなプログラムで全曲を並べるなど無理。
自分に会うのはジャンル別だけれど、ヴァイオリン協奏曲の次にピアノ協奏曲というのは、ちょっと不思議な気がする。

また、この全集では、こうした編集方針で配列されているもの以外に、"Supplementary performance"、"Classical performance"という小カテゴリーがあって、このCDは、それこそもっといろんなものが入る。


いろんな編集者が知恵をひねるのだろうけれど、私が一番慣れているのは、アインシュタインの「モーツァルト:人間と作品」で採用されているジャンル分けである。
  • 器楽曲
    • 弦楽器のための室内楽曲
    • ディヴェルティメント、カッサツィオーネ、セレナーデ
    • シンフォニー
    • ピアノ曲
    • ピアノを加えた室内楽曲
    • コンチェルト的なものとメカニックなもの
    • 綜合-ピアノ・コンチェルト
  • 声楽曲
    • 教会音楽
    • アリアとリート
    • オペラ、オペラ・セリア、オペラ・ブッファ、《ドイツ・オペラ》

CD全集は、順番はともかく、ジャンル分けはこれに近い。
  • 01 交響曲
  • 02 セレナードと喜遊曲
  • 03 管楽セレナード・舞曲と行進曲
  • 04 ピアノ協奏曲
  • 05 バイオリン(を含む)協奏曲・管楽器のための協奏曲と室内楽・室内楽の断章
  • 06 弦楽のための室内楽
  • 07 ピアノを含む室内楽・バイオリン・ソナタ
  • 08 ピアノ曲
  • 09 宗教音楽(~10)
  • 11 オペラ(~14)
  • 15 劇とバレエのための音楽・コンサートアリア・歌曲・カノン・初期チェンバロ作品
  • 16 別巻(編曲、父・子の作品、同時代の作曲家)

※数字は巻数。1巻CD約12枚


Mozart225のカテゴリーも、あまり違わないように見えるのだけれど、違和感がある。
なぜ違和感があるのか、それの一番大きな原因は、他のジャンル分けに見られる「ピアノを含む・含まない」という分類が持ち込まれていないことだと思う。

ピアノを含む・含まないで分けるのは、量的にもちょうどよく分けられるのだけれど、アインシュタインは、モーツァルトが自分の言葉として最もよく表現できる楽器としてのピアノに注目すべきというような趣旨のことを言っていたと思う。

まぁ、所詮、CDの配列の問題ではある。
それに、演奏家がまぜこぜになった配列というのは、これは結構手間ではないだろうか。
前からもっているCDの全集の場合、既に販売されているCDの構成のまま収録しているものが多く、CDDBを検索すれば、単独販売のCDがヒットしたりする。
逆に言うと、Mozart225のCDは、残念なことにCDDBからタグ情報を取得することが、どうやらできないらしい。

作る側も、買う側も、少々面倒なのである。
リッピングするなら、自分でタグを編集することになりそうだ。


自分へのクリスマス・プレゼント~Mozart: 225 The New Complete Edition (その1)

2016-12-19_104142.jpg Merry Christmas!
今日は全国的にクリスマス。

朝、目を覚ましたら素晴らしいクリスマス・プレゼントが枕元に、なんてことはない。
子供が小さかったときはクリスマス・プレゼントというのはあったけれど、それ以外、クリスマス・プレゼントを交換するなんて習慣はない。
けれども、今年は自分へのクリスマス・プレゼントと言い訳をして買ったものがある。

先だって、自分の誕生日祝いと言い訳して、フェルメールの複製画を買ったりして、常套手段化してるけど。


Mozart: 225 The New Complete Edition
(CD200枚=240時間)

Tower recordsの通販で、6万円弱(ポイント10%なので実質5.4万円)。注文後数日、12月17日に届いた。

音楽業界激震 2016年最も売れたCDはモーツァルト

 今年最もCDが売れたアーティストにかなり意外な名前があがった。ビルボードの発表によると、2016年米国で最もCDを売ったのはモーツァルトだ。
 モーツァルトの没後225年にちなみ、10月28日にリリースされたのが200枚組のボックスセットの「モーツァルト225」。このセットがこれまで合計で125万枚のCDセールスとなった。
 モーツァルトは今やドレイクやカニエ・ウェスト、ビヨンセよりも売れているアーティストということになる。ビルボードによると今年の米国のCD販売枚数は昨年から11.6%減少し過去最低の5,000万枚となった。対照的にストリーミングは急成長を遂げている。
 今回、モーツァルトが売上1位になった背景には次のような背景が考えられる。まず言えるのは、クラシックファンの間では依然としてCDを買い求める傾向が強いことだ。オーケストラの演奏を聴くメディアとしては、恐らくストリーミングよりもCDが適しているだろう。
 次に言えるのが、このボックスセットがギフトとして人気を獲得した点だ。ギフトとして贈る場合、形に残る物のほうが好まれる。ストリーミングは今後も普及を続けるだろうが、CDプレイヤーを捨てるのはまだ早いということだ。

http://forbesjapan.com/articles/detail/14568

モーツァルトの録音の全集といえば、中央公論社+フィリップス共同編集のLP版(182枚)、小学館のCD版(190枚)と、2揃い持っているのだけれど、またまた買ってしまった。
既に全集を持っている人にもささるメッセージがメーカー・サイト(www.mozart225.com)にある。

70% of recordings different from 1991 Philips Mozart Edition
(もっとも、私は注文してから、このサイトに気づいたのだけれど)。

それに、前の全集は、2~3十万円だったと思うので、それに比べたらずっと安い。

そもそも、この全集の存在を知ったのは、ネットに流れているニュースに、
今年一番CDが売れたアーティスト」とあったから(右に記事引用)。

計算上は、1日1枚で1年以内に全部聴けるわけだけれど、多分、そんなわけにはいかない。
というか、生きている間に全部聴けるかというと、それも疑問である。

モーツァルトを自分のそばに置きたいという気持ちに偽りはないけれど、これも偏執的な蒐集癖のなせることかもしれない。

ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち

P_20161207_115825_vHDR_Auto.jpg 一昨日、国立国際美術館で開催中の「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」を見に行った。

P_20161207_102619_vHDR_Auto.jpg

まず、軽く感動したのは、模写かと思うぐらいに、画面が綺麗な作品が多いこと。
特に、「黎明期」の作品は、板にテンペラで描かれているのだけれど、衣の襞や布地のメタリックな光が、数百年も前のものとは思えなかった。
後世の作品への影響も大きかったに違いない。
San_Salvador_Interno_-_Annunciazione_del_Signore_Tiziano-crops.jpg
そしてなんといってもルネサンスの作品である。
構図がしっかりしていて、中世の作品のような歪んだところは、どの作品にも見られない。

であるけれど、なんだか全体におとなしい感がある。
やはり、いずれも教会や、ヴェネツィア独特の集会場などに、実際に飾ることを目的として描かれたものだからだろうか。

そんな中で、一際、目立っていたのは、ティツィアーノ「受胎告知」。(画像はネットから)
サン・サルヴァドール聖堂からの特別出典ということだが、絵の大きさもさることながら、それにふさわしい大胆な筆致。

(印象派の先取りという解説も)


それに聖母の表情のとらえかた。
解説では、受胎を告知される直前、天使の姿におどろいた瞬間の聖母をとらえたものという。

「実際に飾ることを目的」としたとして、これは聖堂にふさわしい。まさに目的に合致した作品。
この作品だけは、一通り見終わってから、戻ってながめていた。

音声ガイドを借りたが、語りは石坂浩二。氏は絵も描くし、芸術に造詣が深いという。語りは、氏自身の言葉であるかもしれない。構図のことや、描かれる神や聖人のアトリビュートなど図像についても解説されていた。

この音声ガイドだが、「受胎告知」については、展示されている聖堂の紹介が動画で表示される。
小さな画面だから驚くようなものではないけれど、音声ガイドに画像表示が付いているのははじめて。


少し前、テレビで石坂浩二氏がヴェネツィアをめぐって、美術品を紹介する番組を見たおぼえがある。この展覧会の企画に合わせたものだろう。

P_20161207_141315.jpg 展示作品数は少ないけれど、10:30に入場して、11:50頃まで。
なにより、平日で閑散としていた。これはラクである。
眩暈がするほど圧倒される展覧会ではないのがかえって心地よい。

ただ、図録を見かえして、展示作品の多くを再確認しようという感じでもなかったので、図録は買わなかった。
ヴェネツィア美術については、通常の書籍にまとまったものがある(ミュージアム・ショップでも販売されている)。そちらのほうがコストパーフォーマンスは良さそうである。

会期は来年の1月15日まで。
これから行こうという人のために、展示作品リストを掲載しておく。
(クリックで拡大)

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昨日の余韻

昨夜は、例によって「レクイエム」、そして昨日稿で書いたKV595のピアノ協奏曲を聴かせていただいた。

KV364_midori_nobuko.jpg これに加えて、注文していた協奏交響曲 変ホ長調 KV364のCDが、昨日ちょうど届いたので、これも聴くことにした。

順番は、KV364→KV595→KV626の順だけど。やっぱり最後でしょう、レクイエムは。
(おやおや、♭が1コずつ減ってる)


さて、このCDだが、五嶋みどり、今井信子、エッシェンバッハ&北ドイツ放送響によるもので、何でこれを買ったかと言うと、ヴィオラが作曲者指定の半音高い変則調弦(scordatura)で演奏されているはずだから。

以前、「礒山氏の推薦盤」で書いたが、推薦盤自体は期待外れだったので、そのとき調べて、今井信子さんがこの調弦で演奏されていて、CDもあることを知って、いつか聴きたいと思っていたもの。
ネットでは一部が試聴できたので、これはイケると思って、迷わず発注した。

ヴィオラを聴きたくて買ったわけだが、ヴァイオリンも凄い。
まえに、五嶋龍さんが「姉は一音一音をきっちり弾いて、それが繋がってフレーズになる」と形容されていたけれど、なるほどと思う。

そしてお目当てのヴィオラ、強くて艶やか。
なるほど、半音高く調弦するとは、こういうことだったのね。

多くは書かない。私の推薦盤である。

一生に一度のこと

モーツァルトの作品群の中で、もっとも好きというか、よく聴くのはピアノ協奏曲。
前に、「永遠の伴侶への邂逅」で書いたとおり、「悪くない」から「特別」に変わる瞬間をもたらしたのは、ヘ長調 KV459、この出会いの曲もピアノ協奏曲だった。

そうしたピアノ協奏曲のなかでも、変ロ長調 KV595は特別。
死の年の1月に作曲された(1788年頃に構想されていたのではという説もある)、最後のピアノ協奏曲(第27番)で、アインシュタインが言うように、このジャンルがモーツァルトのジュンテーゼ(綜合)であるなら、これこそ「モーツァルトの白鳥の歌」と言える。

KV595mov1s.png 第一楽章。おずおずと始まって、断片のような音列や流れる旋律が、波のように、重なり、繰り返し、絡み合う。
モーツァルトのソナタ形式では展開部が長いものは少ないと思うけれど、この曲は比較的長い。

というかこの曲では展開部のはじまりも型どおりではなくて、ソナタ形式はフレームだけれど、フレーム通りでなくていいんだと思い知らされる一方、

展開部が進むにつれ、ピアノとオーケストラの絡み合いが異次元のものになっていく。
ここに至ると息が詰まる。

そして、再現部に入って落ち着きを取り戻す。

再現部に入るとやはりソナタ形式、その統一感というか、おさまりかたというか、

だけれど、あの瞬間の昂揚が消えていないので、どうしても後遺症(息が詰まり、汗が出る)として残り、噛みしめることになる。

実は、展開部のこの部分、初めて聞いた時には、ものすごく長く感じた、というか、これを聞ける幸せが長く続いてほしいと願った覚えがある。
だけれど、繰り返して聴くと、この部分はそんなに長くない、というかむしろ短い。わずか6小節(譜面参照)。
ここに永遠の時が封じ込められているのだけれど、やはり時の流れは止められない、終りのある世に戻ってくる。

一生に一度の経験かもしれない。
だからといって繰り返し聴くと値打ちが下がるわけでは、もちろんない。
なのだけれど、今までこの曲を聴いたことがない人、この曲を初めて聴ける人がうらやましいと思う。
そして、できるなら私も記憶を消し去って、もう一度「初めて」聴きたいと思う。

最近のことはどんどん忘れるくせに、昔のことはなかなか忘れない。

KV459との出会いが一生に一度のことであったように、この曲との出会いも一生に一度のことなのだ。

225回目の命日に。


松方コレクション展

P_20161112_124410.jpg 休刊日をはさんだのでアップが遅くなったが、一昨日の神戸行きの主目的は、神戸市立博物館で開催の「松方コレクション展」。

特に目当ての作品があるわけではなくて、これもやっぱり行き所のない老人の暇つぶしである。

そして、単刀直入に感想をいうと、特別感動する作品というのはなかった。

そのなかで、敢えてこれはというのを挙げると、モネの「ヴェトイユ」という、お城を中心にして、セーヌに面した小さな村を描いた作品(画像右下、ネットから)。
0001570003L.jpg 城に当たる光、水面に映る影、いかにも印象派というタッチというか、色づかい。さすがにモネである。色を決めて塗るようなことはしない。

さて、コレクションとしてである。
正直、何かを集めたというものではなくて、手あたり次第という感じがする。
音声ガイドでは、たびたび「松方コレクションは手あたり次第に買い集めたという評価がなされるが、先進的な作品を選んでもいる。そのことは作品が訴えている。」というようなことを言っていたが、やっぱり手当たり次第に買い集めた中に先進的な作品があったということでしかないかもしれない。

それが悪いと言っているのではない。
松方幸次郎の時代に、西洋文化をまるごと日本に持ってこようとしたなら、そうならざるを得ないと思う。ソファなどの家具も買い集めて博物館に展示するつもりだったという話もあり、それらも展示されていた。

聞くところでは、蒐集家としても知られる某宗教団体のトップのN氏は、昭和のはじめ、帝大の学生として東京で暮らしていたときに、神田の古書店などで大量の古書・古筆を買い集めていた。それらは今では、その宗教団体が設立した図書館に集められていて、さまざまな研究や歴史番組などの資料として参照されている。
「もう少し選んで買ったらどうか」と意見した人がいたらしいが、N氏は「向こうも商売、良いものだけ選んで買ったのでは困るだろう。それに、そうやって買うから、滅多に出てこない貴重なものも手に入るというものだ」と答えたそうだ。ノブレス・オブリージュにも通ずるものである。

ちなみにN氏は、帝大の学友を教団の要職に引き入れて、教義・教団組織を整備しているという。人間も蒐集したわけだ、こちらはしっかり選んだものだろう。


倉敷の大原美術館に行くと、美術の教科書に載っている名品がたくさんある。
だが、これは名品を買い集めたというよりも、教科書に載せる作品の写真を撮るのに、国内にある美術館だと撮りやすかったからだと聞いたことがある。
教科書に載るような名品が大原美術館にあるということではなく、大原美術館に所蔵されている作品だから教科書に載った、そしてわれわれは、それを教科書にも載るほどの名作だと思うわけである。

そういえば百人一首も、歌人の代表歌となるものばかりが選ばれているのではなく、むしろ百人一首に含まれているから名歌とされているものもあるという。


コレクションというのはなかなか一筋縄でいかないものらしい。

マリー・ローランサン展

Laurencin_flyer2.jpg Laurencin_flyer1.jpg 昨日、京都での食事の後、特に予定もないので、ぶらっと駅の美術館へ。

マリー・ローランサン展
この画家については、特徴的な絵なので、名前は知っているものの、生で見たことはなかったように思うので、一度見てみようと思った。

客はあまり多くなく、ゆっくり見られた。多くの美術展では高齢者が多いように思うけれど、そういうこともない。
いつもこうだったらうれしいのだけれど。

Laurencin_work2.jpg Laurencin_work1.jpg これから行こうという人のために、チラシの表裏、展示作品リストをアップしておく。
(クリックで拡大画像)

傾向として、私が好きな絵というわけではない。ただ、この絵の影響を受けたのじゃないかというデザイナーはたくさんいそうである。

若い頃の絵は確かな腕を感じる。それが、個性を見出すまで、時間的にはそれなりにあったようだが、一旦、スタイルができると、そのスタイルで多く描いたのかなと思う。

さすがに、どの絵もリズムというか、バランスが良い。計算された作品のように思う。
色も、周知のとおり、淡い。それでいて、絵の具の重ね方などは、やはり油絵であって、不思議な深みを感じる。

それにしても、この眼は、子供なら怖いと思うかもしれない。

marie-laurencin-the-reader-1913-trivium-art-history.jpg そういう中で、一番自然に感じたのは、
「読書する女(La liseuse)」である。
右にアップした「読書する女」はネットで拾ったもの。
ネットで見つかる画像はどれもこんな感じだが、色調は本物とは全然違う。こんなに青くない。
この色調だと、女は神経質な感じにも見えるが、もう少し明るく暖かい色調の本物だと、そういう感じはしなかった。なお、原題"La liseuse"は読書灯である。

伏し目で本を読んでいる姿なので、ローランサンのあの黒目がちの眼の絵とは違って、自然な表情を感じたわけだ。
やっぱり、他の多くの絵の、あの眼はデザイン的で、すごく目立つし、印象的なのだけれど、眼としての訴求力、つまり「目は口程に物を言う」という点は薄いというか、意図的に殺しているのではないだろうか。

ところで、この美術館「えき」は、今回はじめて訪れたのだけれど、いつものことなのかどうかわからないが、ICOCAでチケットを買うと割引(1000円→800円)になる。
それなら、入口に自動改札機を置いたらおもしろいのでは。

星野道夫展

P_20161009_114224_vHDR_Auto 1 昨日は、京都のT島屋で開催されている「星野道夫展」。

写真展というのは、あんまり食指が動かなくて、この展覧会も新聞販売店がタダ券をくれていて、暇だから行ってみようかという程度で、あまり思い入れもなく見に行った。

しかし、行ってみるとやっぱり、料金をとって展示されるぐらいのものである。見事な写真が並んでいる。
まず凄いと思ったのはカリブーの群れを俯瞰する大画面。
どうやって撮ったのかと不思議に思った。(それは会場の終わりぐらいにビデオで説明されていた。空撮である。)

P_20161009_114132_vHDR_Auto.jpg 次に目が引き付けられたのは、カリブーが一頭、大地に佇んでいるのだが、地平線をバックに立っているように見えるのだけれど、うしろに台地と思しきものがずっと控えている。おそらく台地の下に霧が出て、そのためカリブーが地平線に立っているように見えているのだろう、本当はうしろは切り立った崖を持った台地なのだろう。でないと、合成写真だとしか思えない。

もう一つ、こんどはなんとなく微笑ましいもので、クマが急流を飛び上がってきたサケと睨みあっている一瞬をとらえたもの。サケの表情、具体的には眼がいかにもクマと見つめあっている風情。つくづく写真というのはシャッターチャンスが一番だと思った。

展覧会の出口で、絵ハガキなどを売っているわけだが、ここにこの写真のものはなかった。私としてはこれは人気が出るのじゃないかとおもったのだけれど。


その他、エスキモー(今はイヌイットというほうが普通だけれど、発表当時ハエスキモーだったのだろうか)や、アメリア原住民を撮ったものが印象的だった。
ネズミの巣からジャガイモを取り出して、そのお返しに乾燥肉を入れておくという原住民の習俗をとらえた写真は、写真としてより、その文化に魅入られる。

会場には、星野氏が生前使っていた道具も展示されていて、ブローニー版はほとんどこれで撮られたというPENTAX、カリブーの空撮で使われた35mmのニコンなどが置かれていた。

また、30点ぐらいだろうか、原版と思しきポジフィルムが展示されていた。大きく引き伸ばされた印刷(印画?)展示も良いが、なんといっても、このポジフィルムこそすべてのオリジナルである。
6×9だろうと思うので、上述のPENTAXではないと思うが、見事にクリアーな写真で、デジタル写真なんてこれに比べたらずっと粗いものではないかと思う。

写真をゆっくり鑑賞するというのも、悪くはない。

アップした写真は、会場外で自由に撮影できるもの。本文で紹介した写真もここに載せたかったのだけれど。


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