「透けていく画像の重ね合わせ」 力作!

Bouguereau: The Bather(1870)      
「透けてゆく画像の重ね合わせ」作品。

以前、スーパーリアリズム絵画をもとにした作品を披露したけれど、それらは単純にテクスチャを載せて重ね合わせ画像を作ったもの。
今日は、かなり凝ったものをご紹介。

その苦労を少しご報告。
まず、読者(珍之助さま)が喜びそうなオリジナル画像をネットで探索。

(今回は、パブリックドメイン「世界の名画」から)


次に、重ね合わせる素材の下着画像の探索。最終的にAmazaonで販売されていたものを選択。

そして、この下着を体に合わせるのだが、これが難しい。

胸の部分だけを切り出して、それに少し角度を付ける。
下腹部、同体部分についても同様の細工を施す。
さらに、不自然さをへらすため、下着の一部をコピーして重ねる。


以上の煩わしい作業、何度もやり直しをして、ご覧いただいている作品となった。
さて、読者さまは、ご満足いただけるだろうか。

もともとは休刊日用に作ったのだけれど、苦労のほどをアピールするため、正規の記事とさせていただきました。

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昨日の休刊日記事へのコメント

昨日の休刊日の画像について少々コメント。

おなじみの「重ねた画像が透けてゆく」技巧を使ったわけだが、この技巧に適当な画像をネットでいろいろ探していて、ようやく、昨日の休刊日にその成果を見ていただいた。
今日は、いくつか試作していたのを、せっかくだから、披露しておくことにした。

透けてゆく効果は画像あるいはボタンのクリックでお確かめください。


元絵には、スーパーリアリズム作品を使うと決めて、ネットを物色、Gonzálezという画家に出会った。
昨日もGonzálezの作品を元にしていたが、こちらもGonzález。
どちらも捨てがたかったので、昨日と今日、使用することにした。

Hadaka
Original painting by Antonio Cazorla González       


次に、日本のスーパーリアリズム作家の作品をもとにしたもの。
島村信之氏の作品は、質感が素晴らしい。Gonzálezはむしろ厚ぼったい感じがするが、島村氏の作品はすがすがしい。

Hadaka
原画:島村信之     

重ね合わせ画像に使用したシーツのテクスチャは、 Gonzálezの作品からとったもの。

Nobuyuki_Shimamura_sleeping_beauty.jpg それはともかく、絵を探しているときに島村信之氏の作品には、とても惹かれた。
この画家が描く女性は、本当に魅力的。
右に載せた服を着て寝ている女性を描いた作品が特に気に入っている。

透かしテクニックを効果的(ウケ狙い)に使うためには、元絵には、ヌードまたはヌードに近いものを選ばざるをえなかったので、これは採用を見送った次第。


ハイレゾ配信サービス~PrimeSeat

PrimeSeat_logo.jpg PrimeSeatという音楽配信サービスがある。
インターネット・サービス・プロバイダの老舗、IIJが2015年12月に始めたもので、私もサービス開始とほぼ同時にPCにインストールしていた。

とはいうものの、配信されるコンテンツには興味を惹かれるものの、お金を出すならストリーミングじゃなくてモノ(データ)を置きたいと思い、無料コンテンツにはあまり魅力がなかったから。

ということで2年間ほどは全くアクセスしなかったのだけれど、この間、我が家のオーディオのハイレゾ化も進んだから、
ふと、PrimeSeatのことを思い出した。(久しぶりに使ったので、いきなりソフトウェアのバージョンアップを求められた。)

そして無料で配信されているコンテンツを見て驚き、そして喜んだ。
東京芸術大学、東京音楽大学、国立音楽大学のオーケストラなどの演奏が無料配信されている。
いずれもPCM 96kHz/24bitのハイレゾである。さらに、東京音楽大学、国立音楽大学のものは、DSD5.6MHzでも配信されている。

2018-01-31_195639.jpg これは試聴しなければ。
PrimeSeatのソフトウェアのメニューには、デバイスの設定がある。
これを"DENON ASIO Device"にすれば、USB接続しているDAC内蔵アンプ(DENON PMA-50)にハイレゾデータが流れる。

アマチュアオーケストラでは、自分たちの演奏会の録音をハイレゾで配信しているところがある。 たとえば、東京アカデミーオーケストラがある。

これらは、アマチュアといっても、それでメシを食っていないというだけで、素人というわけではない。学生などは、いずれも高名な音楽大学で、将来はプロとしてやっていける人が多いだろう。そうした人たちが、そう数多くない演奏会のために集中して練習するのだから、一定の水準は確保されている(プロが手抜きでやって酷い演奏をすることもある)。カギは指揮者だろう。
(ただし、東京音楽大学の「幻想」は、なんだか指揮者が遠慮しているような感じがした)
東芸が配信しているものには、邦楽もあって、これなどは比較できるものを私は知らない。とりわけ貴重である。


こうした取り組みが増えると、貧乏人にはありがたい。海外のアマチュア・オーケストラとかはやってないのだろうか。(YouTubeは、ハイレゾ配信はどうなっているのだろう。)

ハイレゾの音を手軽に楽しむのには、これらの音源はなかなか良い。
とくにDSD5.6MHzというのは、L2などの無料サンプルは聴いたことがあるが、1曲を通してとなると、販売されているものも限られる。PrimeSeatのDSD5.6MHz配信はとてもありがたい。

それで同じ演奏で、DSD5.6MHzとPCM(ハイレゾ 96kHz/24bit)で聴き比べて見た。
DSD5.6MHzのほうがやはり心持ち良い感じ。PCMもこの規格だと(というか今まで我が家のハイレゾはこの規格が中心)なかなかのものなのだが、DSD5.6MHzではより艶やかでダイナミックレンジの広い音に感じた。

はじめ、DSD再生では、プチッ、プチッというノイズがときどき入ったが、バッファサイズを大きくするとそのノイズは出なくなった。


実は、最初、このソフトに、オーディオ設定というのがあることを知らず、そのままPCのドライバーを使って同じアンプに流したときは、44.1kHz/16bit(CD品質)で流れていた。たくまずしてハイレゾとの比較をしたわけだが、ハイレゾの凄さを実感することとなった。

このサービス、おすすめである。

昨日の休刊日画像(透けてゆく画像の重ね合わせ)について

昨日は休刊日にした。
文字記事は休んで、休刊日の常套手段として、画像に技巧を施した。

Bartholomaeus: Minerva's victory   
気づかなかった人はいないと思うけれど、2枚の画像を重ね合わせて、前面にある画像を徐々に透明化していくというのをやってみたわけだ。

説明を入れなかったが、のボタンはクリックすると重ねている上の画像を、完全不透明⇔完全透明に切り替える。透明化が進行中のときは、進行を止めて完全不透明にする。


こういうことをするなら、同じアングル、同じポーズの絵が2枚あれば良いわけだが、そんな都合の良い絵はそうそうあるもんじゃない。
乏しい美術知識では、昨日のとおり、ゴヤの2枚しか思い当たらなかった。

ということで、それなら、もとの絵の一部をペイントしてやれば、それが少しずつ透明化していって、最後にオリジナルの絵が現れるようにできるだろう。
そして、当然、こういうことをするなら、美しい女性裸体画に限るわけで、ネットで画像をいろいろ物色してみた。

だけど、案外、印象に残っている裸体画ってないもので、ギリシア・ローマ神話に題材をとってる絵にはいくらでもありそうなものだが、そして実際たくさんあるんだけれど、どうも気に入ったものがない。
ようやくテストしてみようという気になったのが、Bartholomaeus: Minerva's victoryという1品。
できあがりをご確認ください。(胸がはだけている方が原画です、念のため。)

今日の記事は、敢えて自動スタートはさせていないので、画像をクリックしてください。


こうやって上に置く2枚目の画像を作ると良いこともある。
着衣・裸の2枚のマハの場合、そもそも別々に描かれたもので、絵がぴったり重なるというわけにはいかない。昨日の作例では、マハの顔が重なるように、ポジションと幅の縮小をいろいろとりかえて試している。
しかし、自前で作る場合は、いじる場所以外は元の絵のままだから、ぴったり重ねることは造作もないことである。


上の作例では、変化が乏しいので、もう少し派手なものも用意した。
見たい人は、ここをクリック


気に入らないデザイン

P_20170810_151638_vHDR_Auto.jpg 昨日の記事は「お茶の科学」、それで思い出したことがある。
以前、喫茶店で、ケーキと紅茶のセットを頼んだときのこと。ちょっと洒落た店であれば当然だけれど、紅茶はポットで出てくる。

このポットのデザインが気に入らない。

見た感じ、ごく普通のものなのだけれど、いざカップに紅茶を注ごうとすると、蓋がとても熱くなっている。本体の取っ手を持って、おそるおそる注いだわけだけれど、普通、お茶を注ぐときって、蓋が落っこちたりしないように手を添えるんものじゃないだろうか。
蓋にツマミが付いていれば、そこは少しは温度が低くて、手をあてられるだろうと思う。

もっと低い温度で淹れる日本茶の急須でもツマミは付いているのが普通だろう。
ちなみに、日本茶用の湯飲みには取っ手はついていない。高温で茶を入れると磁器製のものは熱くなる(我が家の普段使いは砥部焼なので結構熱い)。日本茶をそんな高温で淹れるなと言われそうだけど。


さて、このポットに戻る。
これを製作した人、そしてこれを店で使おうと選択した人は、どう考えてたんだろう。

「デザイン性がある(ない)」とか、「デザインを重視」というような言葉がある。
私が大嫌いな言葉である。言葉自体がではなく、その使い方である。

見てくれを否定するわけではない。 「人は見た目が○割」というように、見てくれというのは大事だと思う。「整った顔・体つき」というのは、その個体は健康で欠陥がないというシグナルであるという話もある。


デザイン性云々という言葉は、絵画や彫刻などの芸術作品には使われない。
普通は実用品に使われる言葉だ。
機能性を離れてのデザイン性なんて、商品として失格だと思う。
412Z7VZFGDL.jpg

本来の機能を無視して、人を驚かせることで成り立つ商品もあるが、それは既に目的を異にしている。


私が考える良いデザインとは、機能性を高めるものだ。
機能性を高める、あるいは維持した上でなら、見た目を競うのも良いと思う。

私は無意味な装飾は嫌う方で、問題のポットはそうした装飾がないところは好印象なのだけれど、逆に必要なものが欠けているというわけだ。


以前、新国立競技場のことで、観客のスタンドの傾斜が緩くて、観戦しにくいのではないかという記事を見た。
前の席に座っている人が邪魔になるのではというわけである。
これなども、私流にいえば、悪いデザインである。

誰のためのデザイン?

262th anniversary

今日は、Joannessの262回目の生誕記念日。

昔、私の父が言ったことがある。
「普通の人は、命日に祭儀が行われるけれど、偉人というのは、“生誕○○年”というぐあいに、
 誕生日が祝われる」と。


同じ誕生日の有名人というと、ルイス・キャロル(Charles Lutwidge Dodgson)が、1832年のこの日に生まれている。「アリスの日」とでも言おうかと思ったら、以前から、出版を記念して“Alice's day”というイベントが、キャロル所縁のオックスフォードで行われているらしい。
命日の方を見ると、音楽家ではヴェルディが、1901年のこの日に、87歳で亡くなっている。
日本人では、昨年大河ドラマで大活躍(?)の今川氏真が1615年(旧暦では慶長19年12月28日)に77歳で没している。(以上、“歴史データベース on Web”から。)



例によって、262回目の生誕記念日には、KV262の作品を。【⇒楽曲解説(Mozart con grazia)】

 ミサ・ロンガ ハ長調    K.262(246a)
 
1. キリエ

2. グローリア

3. クレド

4. サンクトゥス

5. ベネディクトゥス

6. アニュス・デイ

団塊フリーターの10年

仕事と人生の先輩であるA氏から、
“自分史「アートに生きる=団塊フリーターの10年」”という本が送られてきた。
奥付では、昨年12月28日印刷となっている。

P_20180118_222815_vHDR_On.jpg 細かい活字と、たくさんの写真が詰まった、かなりの分量の本である。
タイトルどおり、アートに生きるをされているようで、スッキリと落ち着いた編集のように思う。

書かれている内容については、自分史ということで、敢えて紹介も論評もするつもりはないけれど、定年退職後も、さまざまなことに挑戦して、見聞を広げ、センスを高めている暮らしが、いろいろな身辺に起こる事件とともに書かれていて、だらだらすごしている身としては敬服するとともに、我が身の至らなさを思い知る。

現役のときから、お洒落な人であったけれど、そしてこだわりのある人であったけれど、記憶をひもといても、「アートをする」(作品を作る)という姿は覚えていない。
氏のフリーターの10年は、意外にプロダクティブな10年だったのかもしれない。

そういえば、「世界ふしぎ発見」というテレビ番組で、アイスランドが紹介されていたのだけれど、アイスランド人の10人に1人は、自叙伝を執筆・出版していて、一般の本屋さんで平積みになって売られていて、また良く売れるという。番組中で、冬の厳しいアイスランドでは、冬の間、家族が集まって、暖を囲んでお話をする伝統から出たものだと解説されていた。

私はこうしてブログを書いているが、これが10年貯ったら、このような本を作れるだろうか。

ニューイヤーオペラコンサート 2018(その3)

第3部は、いつもどおりの、名曲・名歌手競演。

今年は、ヴェルディで始まって、各歌手の出来が、いつも以上に素晴らしかったように思う。

第1部、第2部が素晴らしかったので、第3部の歌手にも力が入ったのではないだろうか。


幸田浩子さんのヴィオレッタ。

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終盤はワーグナーなのだが、オープニングで「タンホイザー」が使われ、最後は「ニュールンベルク」というわけで、ワーグナーのなかでは、コンサート映えする曲が選ばれていたと思う。

こういう催しで無限旋律やられたらしらけてしまうし、きっとワーグナーもそんな使い方はするなと言うに違いない。


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実は、オペラ・コンサートのあった3日のお昼に、録画しておいたN響“第九”を聴いていたのだけれど、この催しのように、歌手が、のびのびと実力を発揮するのを聴くと、ベートーヴェンはなんてひどい奴なんだろうと思う。
今にはじまったことではないのだが、第九では、4人のソリストはみんな声を張り上げて歌わされる。第九では、歌手は完全に楽器として扱われているように思える。(大してうけなかった「フィデリオ」しか書かなかったベートーヴェン、何か問題でもあったか)

昨年末のN響“第九”は、市原愛、加納悦子、福井敬、甲斐栄次郎だったが、市原愛、福井敬の2人はオペラ・コンサートにも出演している。オペラが彼らの本当の姿だろう。

プロの歌手に訊いたことはないけれど、第九のソリストになるのは、微妙というか、あんまりうれしくないのじゃないだろうか。


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昔のオペラ・コンサートは、西洋音楽を日本人もやれるんだ、とりあえずやっていたという感じだったけれど、今年のオペラ・コンサートは、ヨーロッパへもっていっても、拍手喝采を受けるのではないだろうか。

とりわけ、「モーツァルト・ファンタジー」、同じような試みをヨーロッパでやっているのかどうか知らないが、これは歌手一人一人にスポットを当てるものではないけれど、出し物としては、素晴らしいものだったと思う。

それに、日本人歌手も、どんどん美しくなってきた。(美人が増えるのはやはり嬉しい。)
もちろん歌唱の実力も昔とは数段上がっている。(歌唱を先にほめるべきかもしれない)

また来年が楽しみだ。

       
NHK ニューイヤーオペラコンサート 2018
<オープニング>
歌劇「タンホイザー」から
大行進曲「歌の殿堂をたたえよう」(ワーグナー)
新国立劇場合唱団、二期会合唱団、
びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
 
●第1部「モーツァルト・ファンタジー」
歌劇「魔笛」から
「私は鳥刺し」
黒田博(バリトン) 
歌劇「フィガロの結婚」から
「愛の神よ、照覧あれ」
砂川涼子(ソプラノ)
歌劇「フィガロの結婚」から
「自分で自分がわからない」
林美智子(メゾ・ソプラノ) 
歌劇「後宮からの誘拐」から
「お前とここで会わねばならぬ」
櫻田亮(テノール)
歌劇「皇帝ティートの慈悲」から
「ああ、最初の愛に免じて」
嘉目真木子(ソプラノ)、林美智子(メゾ・ソプラノ)
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から
酒の歌「みんな楽しくお酒を飲んで」
黒田博(バリトン)
歌劇「フィガロの結婚」から
「若い娘たちよ、花をまけ」
びわ湖ホール声楽アンサンブル
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から
「お手をどうぞ」
嘉目真木子(ソプラノ)、黒田博(バリトン)
歌劇「イドメネオ」から
嵐の合唱「なんという恐ろしさ」
新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部
歌劇「魔笛」から
「恋を知るほどの殿方には」
砂川涼子(ソプラノ)、黒田博(バリトン)
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から
「恋のいぶきは」
櫻田亮(テノール)
歌劇「魔笛」から
「やがて朝を告げる太陽が」
砂川涼子(ソプラノ)、3人の天使:盛田麻央(ソプラノ)、守谷由香(ソプラノ)、小泉詠子(メゾ・ソプラノ)
歌劇「魔笛」から
「パ・パ・パ」
嘉目真木子(ソプラノ)、黒田博(バリトン)
歌劇「イドメネオ」から
婚礼の合唱「愛の神よ、婚姻の神よ」
新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部
 
●第2部「ロッシーニ没後150年」
猫の二重唱
(伝ロッシーニ)
小林沙羅(ソプラノ)、市原愛(ソプラノ)
山田武彦(ピアノ)
「フィレンツェの花売り娘」
(ロッシーニ)
幸田浩子(ソプラノ)
山田武彦(ピアノ)
「踊り」
(ロッシーニ)
村上敏明(テノール)
山田武彦(ピアノ)
歌劇「タンクレーディ」から
「君がこの心を燃え立たせ」(ロッシーニ)
藤木大地(カウンターテナー)
 
●第3部
歌劇「椿姫」から
乾杯の歌「友よ、さあ飲みあかそう」(ヴェルディ)
幸田浩子(ソプラノ)、藤田卓也(テノール)
新国立劇場合唱団、二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
歌劇「椿姫」から
「さようなら、過ぎ去った日よ」(ヴェルディ)
中村恵理(ソプラノ)
歌劇「ドン・カルロ」から
ヴェールの歌 (ヴェルディ)
清水華澄(メゾ・ソプラノ)、市原愛(ソプラノ) 
女声合唱:新国立劇場合唱団、二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
歌劇「トロヴァトーレ」から
「ああ、あなたこそわたしの恋人」
「見よ、恐ろしい火よ」(ヴェルディ)
笛田博昭(テノール)
男声合唱:新国立劇場合唱団、二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
歌劇「ボエーム」から
「もう帰らないミミ」(プッチーニ)
村上敏明(テノール)、上江隼人(バリトン)
歌劇「トスカ」から
「歌に生き、愛に生き」(プッチーニ)
大村博美(ソプラノ)
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から
「朝はばら色に輝き」
「親方たちをさげすんではならぬ」(ワーグナー)
福井敬(テノール)、妻屋秀和(バス)、小林沙羅(ソプラノ)、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
 
<エンディング>
喜歌劇「こうもり」から
「ぶどう酒の燃える流れに」(ヨハン・シュトラウス)
ソリスト全員、新国立劇場合唱団、二期会合唱団、びわ湖ホール声楽アンサンブル、藤原歌劇団合唱部
沼尻竜典/東京フィルハーモニー交響楽団

ニューイヤーオペラコンサート 2018(その2)

昨日の続き、今日は第2部
第2部は、没後150年のロッシーニをとりあげる。

第1曲は「猫の二重唱」。
これはロッシーニ作ではないということだが、歌手二人(小林沙羅<写真右>、市原愛<同左>)があまりにも魅力的で、作曲者が誰なんてことはどうでもよかった。

この2人、今回出場歌手の中では、ルックスで1、2を争うと思う。
市原愛さんは、暮れのN響“第九”にも出演していたけれど、やっぱり第九では歌手の魅力は引き出せないと思う。


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そして、私の贔屓の幸田浩子さん。
本当は、第1部に出てほしかったところだけれど、前にも書いたように「夜の女王」は今回出番がなかった。あの「モーツァルト・ファンタジー」では、夜の女王を入れるのは難しかったのだろう。

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もっとも、幸田浩子さんは、第3部でもご活躍である。
       
●第2部「ロッシーニ没後150年」
猫の二重唱
(伝ロッシーニ)
小林沙羅(ソプラノ)、市原愛(ソプラノ)
山田武彦(ピアノ)
「フィレンツェの花売り娘」
(ロッシーニ)
幸田浩子(ソプラノ)
山田武彦(ピアノ)
「踊り」
(ロッシーニ)
村上敏明(テノール)
山田武彦(ピアノ)
歌劇「タンクレーディ」から
「君がこの心を燃え立たせ」(ロッシーニ)
藤木大地(カウンターテナー)

「モーツァルト・ファンタジー」 ~ニューイヤーオペラコンサート2018(その1)

今年のNHKニューイヤーオペラコンサートは素晴らしかった。

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今回は、3部に構成され、第1部は「モーツァルト・ファンタジー」、第2部は、今年没後150年となるロッシーニ、そして第3部は、いつも通りというか、各歌手の競演。

今日は第1部 「モーツァルト・ファンタジー」について。
「イドメネオ」、「後宮からの誘拐」、「フィガロの結婚」、「ドン・ジョバンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」、「魔笛」、「皇帝ティトーの仁慈」の7つのオペラから抜き出したアリア、カバティーナ、重唱、合唱で、ストーリー(らしきもの)に仕立上げたもの。

あらためてこの作品リストを見ると、未完成の2作品(カイロの鵞鳥、騙された花婿)を除いて、「イドメネオ」以降のオペラがすべてとりあげられているわけだ。(つまりいずれも名作)

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残念ながら、「イドメネオ」と「皇帝ティトーの仁慈」は、あまり上演されない。私もテレビ放送で見たことはあるけれど、舞台を見たことはない。
そして、この2つは、他と違って、格式の高い、「まじめな」オペラ・セリア。皇帝の戴冠祝賀行事用だから、それに合せた寓意が強く、おふざけもなし。ロッシーニや後のイタリア・オペラとは随分違う。であるけれど、こうした仕立て方でも、うまくはまっていた。

これで、この2つのセリアが注目されるのは良いことだと思う。
というか、これでモーツァルトのオペラ全体が人気をあげて、上演機会が増えるとうれしい。
(財布がうれしい悲鳴をあげる)


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まさに上質のエンターテイメントといってよい。
45分ぐらいだから、この部分だけでも、いろんな機会に「本物の歌」を広く知ってもらえるようにしたら良いのではないだろうか。できれば中学や高校の音楽の授業で鑑賞すれば、何割かの子供たちが、電撃にうたれるような思いをするのではないか。

この試みは、やはりモーツァルトだからできたのだと思う。
ヴェルディとかプッチーニでは、多分、こうはいかないだろう。もちろんワーグナーなどは論外。

そう思うのは、モーツァルト以降は、脚本のできはむしろ良くなっていて、その分、ストーリーにどっぷりひたるというか、ストーリーに支えられているようなところがある。ストーリーを離れては、つまりその楽曲が歌われる状況を踏まえないと、感情移入がしにくいというか、その役になりきって歌われるもののように思う。

対して、モーツァルトは、モーツァルト自身の言葉とは裏腹に、音楽のために脚本があって、人間の情緒・感情をスケッチした趣が強く、より抽象性が高い。あれこれ考える必要はなく、音楽がそのまま頭に、心に入ってくる。その分、応用範囲が広いのではないだろうか。もちろん、具体的な状況を思い出しながら聴けば、楽しみも倍加するというものだけれど。

このような、オペラの楽曲を再構成するという試みは、ヨーロッパでも行われているのだろうか。
本当に楽しい仕上がりだった。

もっとも、この7曲、合せて20時間もあろうかというなかで、45分にまとめるわけだから、珠玉の名曲がこぼれおちる。
見方を変えれば、今回使わなかった曲で、まだ何度かは「モーツァルト・ファンタジー」ができそうだ。


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ところで、歌詞に出てくる固有名詞(フィガロやパパゲーノ)は、そのまま使われていたけれど、違和感はないとはいうものの、どうせ仕立てるなら、新しい名前を放り込んでも良かったかもしれない。もっとも、それほど明確なストーリーがついているわけではないが。

●第1部「モーツァルト・ファンタジー」
歌劇「魔笛」から
「私は鳥刺し」
黒田博(バリトン) 
歌劇「フィガロの結婚」から
「愛の神よ、照覧あれ」
砂川涼子(ソプラノ)
歌劇「フィガロの結婚」から
「自分で自分がわからない」
林美智子(メゾ・ソプラノ) 
歌劇「後宮からの誘拐」から
「お前とここで会わねばならぬ」
櫻田亮(テノール)
歌劇「皇帝ティートの慈悲」から
「ああ、最初の愛に免じて」
嘉目真木子(ソプラノ)、林美智子(メゾ・ソプラノ)
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から
酒の歌「みんな楽しくお酒を飲んで」
黒田博(バリトン)
歌劇「フィガロの結婚」から
「若い娘たちよ、花をまけ」
びわ湖ホール声楽アンサンブル
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」から
「お手をどうぞ」
嘉目真木子(ソプラノ)、黒田博(バリトン)
歌劇「イドメネオ」から
嵐の合唱「なんという恐ろしさ」
新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部
歌劇「魔笛」から
「恋を知るほどの殿方には」
砂川涼子(ソプラノ)、黒田博(バリトン)
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」から
「恋のいぶきは」
櫻田亮(テノール)
歌劇「魔笛」から
「やがて朝を告げる太陽が」
砂川涼子(ソプラノ)、3人の天使:盛田麻央(ソプラノ)、守谷由香(ソプラノ)、小泉詠子(メゾ・ソプラノ)
歌劇「魔笛」から
「パ・パ・パ」
嘉目真木子(ソプラノ)、黒田博(バリトン)
歌劇「イドメネオ」から
婚礼の合唱「愛の神よ、婚姻の神よ」
新国立劇場合唱団、二期会合唱団、藤原歌劇団合唱部

ニューイヤーコンサート 2018(続き)

一昨日に続いて、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート。
続けてアップするつもりだったけれど、昨日は急遽、インターネット不調の記事にしたので、一日おいてのご報告。

今年は、「ウィーンの森の物語」が演奏された。
「美しき青きドナウ」とならぶシュトラウスのワルツの代表作。

というか、この2曲が特に演奏時間が長いと思う。
どっちが好きかときかれたら、どちらかといえば「ウィーンの森」の方かもしれない。


ウィーンの森の物語では、ツィターが使われる。
なかなかツィターを演奏している姿というのは見る機会がないので、興味深かった。

奏者は、Barbara Laister-Ebner という方らしい。

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そして、ニューイヤーコンサート名物のバレエ。
ここでも、ハプスブルク帝国崩壊100年がとりあげられた。
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バレエはもう一カ所、皇帝一家が利用した鉄道駅で収録されていた。鉄道が敷かれているということは帝国終焉に近い頃。また、エリーザベト王妃(シシー)の礼拝堂などの映像が流されていた。

ハプスブルク帝国の終焉が響く演奏会として企画されたようだ。


インターネット不調のせいで、予定がずれたけれど、明日は、日本での恒例のニューイヤーオペラコンサートをとりあげる。

ニューイヤーコンサート 2018

ニューイヤー・コンサート2018
ヨハン・シュトラウス喜歌劇「ジプシー男爵」から「入場行進曲」
ヨーゼフ・シュトラウスワルツ「ウィーンのフレスコ画」
ヨハン・シュトラウスフランス風ポルカ「花嫁探し」
ヨハン・シュトラウスポルカ・シュネル「うわ気心」
ヨハン・シュトラウス(父)メリー・ワルツ
ヨハン・シュトラウス(父)ウィリアム・テル・ギャロップ
 
フランツ・フォン・スッペ喜歌劇「ボッカチョ」序曲
ヨハン・シュトラウスワルツ「ミルテの花」
アルフォンス・チブルカステファニー・ガヴォット
ヨハン・シュトラウスポルカ・シュネル 「百発百中」
ヨハン・シュトラウスワルツ「ウィーンの森の物語」
ヨハン・シュトラウス祝典行進曲
ヨハン・シュトラウスポルカ・マズルカ「都会と田舎」
ヨハン・シュトラウス「仮面舞踏会」のカドリーユ
ヨハン・シュトラウスワルツ「南国のばら」
ヨーゼフ・シュトラウスポルカ・シュネル「短い言づて」
リッカルド・ムーティ
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
今年も恒例のニューイヤーコンサート、そして例年通りビデオに録ったものを視聴。

今年の指揮者はリッカルド・ムーティ、名前は良く聞くけれど。14年ぶりだそうだ。

2018年は、どういう演目だろうとネットで調べると、もちろんNHKのページにも掲載されているのだけれど、HMVとかタワーレコードにも掲載されている。もう、CDの予約を受け付けているらしい。
そして、なんとアンコール曲も、美しき青きドナウ、ラデッキー行進曲と入っている。
たしかに毎年のおきまりだけれど、プログラムに書くか?

書かずもがな。書かなくてもみんなわかっている。そしてこのアンコール2曲がCDに収録されていなかったらブーイングの嵐だろう。


オープニングは、『ジプシー男爵』から「入場行進曲」(ヨハン・シュトラウス)。
いかにもオープニングらしいと思ったのだけど、テロップを見てうならされた。
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今年は、ハプスブルク帝国 崩壊100年 だという。
そしてこの曲は、ハプスブルク帝国崩壊後、独立したハンガリーと、オーストリア人の融和のために作られたものだそうだ。
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メモリアル・イヤーといえば、今年は、ロッシーニ没後150年。
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聴きなれたウィリアム・テルの序曲が鳴り出した。
おやおやプログラムにロッシーニって書いてない。ヨハン・シュトラウス(父)が、ウィーンにこの曲を紹介するために、「ウィリアム・テル・ギャロップ」として編曲したもの。
FabPlayer_[20180102-172817-905]

そして、この曲でコンサート前半が終了。

新しいタブレット(その4)~MuseScore Songbook

2017-12-18_144439.jpg MuseScore及びその追加機能のMuseScore Songbookについて。

新しいタブレットの購入目的は、実はこのアプリを使って見たかったから。
前のF-01D(Android4.0)ではインストール自体ができなかったもの。

楽器練習時にはマイナスワン(カラオケ)音源があると、少しは楽しい。
その音源の作成について、随分以前に、MIDIでマイナス1という記事を書いている。

記事では、ネットで拾ったMIDIファイルをPC(Windows)のMuseScoreで開いて、それを使ってワンパートの音を消したオーディオファイル(mp3など)を作成すると書いた。
そのオーディオファイルをタブレットにコピーして、タブレットのNeutron music playerで、速度・ピッチを調整して、マイナスワン音源として利用するわけだ。

ところが、スマホ/タブレット用のMuseScore & Songbookを使うと、このオーディオファイルの作成が省ける上に、各パートの音量調整、移調、速度変更が、動的に行えるようになる。

このアプリについては少し前に気づいていて、スマホ(Zenfone3)にはインストール済だったのだが、楽譜表示も使える程度のものにしたいので、新しい10インチ・タブレットが欲しくなったわけだ。
つまり、このアプリを使いたいがためにタブレットを新調したようなものである。

Screenshot_20171217-222012.png 手順は極めて簡単。はじめはPCを使って、ネットで適当なMIDIファイルを探して、それをダウンロードする。それをPC上のMuseScoreで開くと、ただちにMIDIデータから楽譜を作成・表示してくれる。
続いて(特に何もせずに)ファイルに新規保存する(msczという拡張子のMuseScore独自の形式のファイル)。
このmsczファイルをタブレットにコピーする。
このファイルをMuseScore Songbookで開くだけである。

この状態で、MIDIファイルとして演奏できるのはもちろん、演奏速度の変更、キーの変更(移調)、各パート及びメトロノームの音量調整ができる。移調の場合は、表示楽譜そのものも移調される。
今まではオーディオファイルを作って、それをNeutronで再生していたわけだが、手数としては大幅に減るというわけではないかもしれないが、なんといっても、ダイナミックに演奏方法が変えられるのがすばらしい。精神衛生上、大変よろしい。

先日、タブレットに楽譜を表示させて演奏するということも書いたけれど、Songbookの楽譜でももちろん同じである。デジタルデータから楽譜を作っている分、印刷楽譜のイメージ表示よりも、こちらの方がくっきりとしている。

P_20171216_175307s.jpg しかし、MIDIから作った楽譜というのはいろいろ問題がある。
まず、MIDIデータはアーティキュレーションが反映されるようには作られていない。つまりレガート記号がない。また、データ作成者がスタッカートで打ち込んでいたら、それは音符と休符で表現される(見にくい)。
装飾音やトリルが、演奏どおりの楽譜になっている(見にくい)。
臨時記号が、C#がD♭になっているなど、勘が狂う。

このあたり、将来はAI技術で良くなることを期待したい。(無料のMIDI音源を拾おうという貧乏根性に問題があるのだろうけど。)

各パートを全部表示するのか、特定パートを抑止するのかも指定できる。この楽譜を見ながら演奏するのなら自分のパートだけ表示すれば良さそうに思うけれど、やってみると他のパートも表示しておくほうが拍を合せやすい。

なお、練習用だから、MIDIデータは、オーケストラ曲であってもピアノ編曲版があればそちらを使うほうが良いだろう。(合奏はフルート・カルテットあたりが限界である)

素晴らしいアプリである。
しかし、機能追加を期待したいところもある。
一つは、タブレット上で各パートの楽器指定変更ができること。
そしてもう一つ、書き込みができること。出される音は今のままでよいけれど、演奏上の注意、ブレスやアーティキュレーション、その他、表現にかかるコメントなど、そうしたものが書き込めると、本当に、練習にはこのタブレット1台、とできるのだけれど。

関係リンク


ボストン美術館の至宝展

P_20171214_104347-crops.jpg 昨日は、休暇をとって、「ボストン美術館の至宝展」へ。

昨日の記事「クリスマス・イリュミネーション」で、神戸ルミナリエのことに触れたけれど、今が、ルミナリエのシーズン。

写真は神戸市役所の傍の東公園のお昼の様子。

写真は撮らなかったが、このイリュミネーションの反対側には屋台のテントが並ぶ。


目的のボストン美術館の展覧会だけれど、よりすぐった名品とはいうものの、テーマというものははっきりしない。
美術館が幅広く、古今東西の美術品を集めているということのアピール。
古代エジプト、中国、日本、ヨーロッパ、アメリカと、つまみ食いしているような感じ。

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印象に残ったものをいくつか。

まずは、陳容 《九龍図巻⦆

一頭(龍はどう数えるんだろう?)だけの龍だと、いかにも架空の神獣・神の姿なのだけれど、九頭がいろんな情景で描かれていると、なんだかすごく生き物的というか、人間的で、親しみを感じる。


次に、英一蝶の2作品。

『月次風俗図屏風』 ( 左隻  ・ 右隻
『涅槃図』
月次風俗図の方は、当時の風俗を描くもの。ただし、なんだか豊かな生活をしていて、あんまり庶民的には感じられない。
涅槃図の方は、二十数年間、展示されたことがないというもので、大変な大作。見飽きない。
英一蝶という絵師は、以前、テレビドラマで、片岡鶴太郎が演じていたと記憶する。ドラマが何だったのか、もう一つはっきりしないけれど、展示されていた2作品の絵師とはちょっと雰囲気が違っていて、ドラマではお上に逆らったという描き方だったと思う。


曽我蕭白《飲中八仙図》は、絵に感心したというより、八仙というのに、八人いなくて、七人しか数えられない。絵の中には他の人物も数人描かれているが、これは酔っ払っている賢人ではない。八人目はどこにいったのだろう。

この展覧会の目玉としてちらしなどに使われているは、ゴッホのルーラン夫妻それぞれを描いた2点
夫の方はなんとなく天真爛漫に描いているが、妻の方は描き方にかなり悩んだあとのように思える。

あと、印象に残ったのはルノワールの「陶製ポットに生けられた花」
すごくくっきりしている。単眼鏡でじっくり見ると、絵の具の盛り上がりが見て取れる。ルノアールでもこういう描き方をするんだ、という感覚。

現代に近くなると、ジョージア・オキーフとか、名前は知ってても今までナマで見る機会がなかった人も印象的。

今日は、それぞれの画像は上げないので、見たい人は会場へ。

(あるいはネットで検索を。上の各作品リンク先はボストン美術館がネットに公開しているもの)


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昔の感動を思い出して

P_20171029_112657_vHDR_Auto-crops.jpg 前にCD通販サイトのポイントが切れそうなので、ドン・ジョバンニのブルーレイを購入したけれど、それでもなお1500ポイント余りが残っていたので、もうどうでもいいやと適当なCDをポイント購入した。

購入したCDは、オットマール・スゥィトナー/シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)によるモーツァルト・オペラ序曲集。

40年以上前、学生時代に、スゥィトナー/ベルリン国立歌劇場の来日公演で、フィガロ、コシ・ファン・トゥッテ、ドン・ジョバンニを見て、本当に素晴らしい舞台で、今でも私が生で見たオペラでは、これが最高だったと思っている。
だから、前述のCDを見つけたときに、40年前の感動をもう一度と、反芻したいように思い、この指揮/オーケストラで、序曲だけでも聴いてみようと思った。それがポイントを使って実質タダ同然というわけだし。

演奏は、実にはきはきしたもので、いかにもオペラの序曲という、わくわくさせる演奏。40年前の感動が甦るというか、思い出される。もちろん、昔聴いた音を覚えているかというと、とてもこころもとない。それにオペラの序曲というのは、テンポが大きく違わない限り、そうそういろんな演奏があるとも思えないわけだが、それでも、なんとなくスウィトナ/ベルリン国立歌劇場っていうのはこんな感じだったかなと思う。
また、その昔の公演ではとりあげられなかったけれど、「後宮からの誘拐」の序曲は、このトルコ風(と当時信じられていた)の強弱交替が見事、また追加したスーパーツィーターの効果かトライアングルも素敵で、良いものを聴かせてもらったと大満足。

で、そんなに新しい録音ではないはずだけれど、古い録音にありがちなくぐもった音ではない。
見ると、「高音質CD UHQCD」と表示されている。
注文するときに、同じ演奏らしきCDに、普通のCDとUHQCDの2種類があったのだけれど、普通のCDの方は在庫なしになっていたので、特に考えることもなく在庫のあるUHQCDを選んだのだった。

高音質CDというのは、CDと同じ規格で、単に製版時の精度が良いというだけのものなので、音が違うというようなことは、原理的に考えにくい。
だから、意図的に高音質CDを選ぶというようなことはなかった。

これがアナログ・レコードだと、低速カッティングとか、材質の吟味とか、さまざまな工夫が行われ、それぞれ実際に音に影響していたに違いない。

なのだけど、このスゥィトナー/シュターツカペレ・ベルリンのCDの演奏は、なんだか音が違っているようにも思える。UHQCDだからなのか、普通のCDでも同じ音がするのか、さすがにわざわざもう1枚CDを買う気はない。

もし音が違うとしたら、CDプレイヤーがデジタル信号を読み間違えたり(致命的)、エラーリトライをしてそのためにCPU負荷が高くなって正確な再生が狂うとか、そういうことがあるのかもしれない。
もっとも、私はCDを直接再生などしていなくて、一旦PCでリッピングしたものを聴いているから、そんなことが起こるはずはないと思う。プレス時に少々ピットがつぶれていても、エラー修正されているはずだ。
デジタルデータで比較したらはっきりするだろうけれど。

226周忌

2017-11-27_102552.jpg 今日はJoannessの226回目の命日。
恒例により、KV626を聴く。

もう40年以上も続けている個人的年中行事。
KV626は、それこそたくさんの名演奏があるわけだが、定番にしていたのは、リヒター/ミュンヘン・バッハ管弦楽団・合唱団の演奏のもの。

LPでは、繰り返し聴くうちに、出だしの音が消えて、半拍休符が入ったようになってしまった。


であるけれど、今日聴くのは、昨年購入したCD全集(Mozart225)に収録されているものにした。

Requiem in d K626
(completed by Franz Xaver Süssmayr)
  Barbara Bonney(soprano)
  Anne Sofie von Otter(alto)
  Hans Peter Blochwitz(tenor)
  Willard White(bass)
  Monteverdi Choir
  English Baroque Soloists
  John Eliot Gardiner
ガーディナー指揮のレクイエムは、男声を除いて同様の顔ぶれの演奏が、YouTubeにも全曲がアップされている。

私のお気に入りのフォン・オッターが独唱アルトなので、以前にもこのYouTubeを聴いている。


今更、という感じもするけれど、リヒター同様、あまり重々しくはない演奏だが、しっかりと劇的である。

誰が演奏しても劇的な曲だけれど。

今日聴くのは、YouTubeとは、少し面子が違うわけだが、どうだろう。

誕生日には、その年数をケッヘル番号に持つ曲も聴くことにしている。それで、命日も同じようにしてみようと思ったのだけれど、KV226というのは欠けている。
良くお世話になるMozart con graziaによると、“KV226 = Anh.C10.02 カノン「妹よ、愛の女神を信じるな」”となっている。 手持ちのCD全集2セットでは、該当曲が見当たらない。

KV350:子守歌「眠れよい子よ」(ベルンハルト・フリース作) のように偽作だったら、あきらめもつこうというものだが。


ということで、今日は仕事も休んで(親の命日でも休まないのに)、ゆっくりと過ごすつもり。


考えたあげく、KV626と同じ調性のものを聴くことにした。
まず、KV421の弦楽四重奏曲(第15番)、胸をかきむしるニ短調。
次に、それよりは悲劇性は弱いが悪魔的といわれる、KV466のピアノ協奏曲(第20番)。

一休みして、気持ちを整えてKV626。

ああ、良い日だ。

メサイア ライブ

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昨日は、ヘンデル「メサイア」のライブ。
12月にはCDなどで聴くことが多いけれど、全曲をライブで聴くのは、恥かしながら、今回が初めて。

この公演の会場は「いずみホール」。コンパクトで響きの良いホールである。バロック音楽が良く似合う(勝手な思い込み?)。
残響が心地よい。

メサイアっていうのは、クラシックをあまり聴かないという人でも、とても聴きやすい演目ではないだろうか。
歌詞も、古風だとはいえ英語だから、イタリア語やドイツ語よりは、日本人にもなじみやすいと思う。
昔、キリストの生涯を描いた映画で、全編、メサイアをバックに使っていたのがあったように思う。映画音楽だとしても十分の魅力をもっているといえる。

この公演のチケットを購入したあと、ふと思い立って、ミッション系の大学なら、メサイアをやるところがあるだろうと思って、「D志社、メサイア」でググったら、やっぱりありました。
来年はこっちにしてみようかな。


P_20171202_131741.jpg さて、公演の感想。

聴衆は、主催者(JVC=日本国際ボランティアセンター)の性格によるのか、高齢者が多い。
冒頭に、最初に世界で活動しているというJVCについて、日本語と英語で同内容、あわせて10分近い挨拶があった。
入場料の一部がこの活動への寄付になるらしい。クリスマスから年末は寄付の季節でもある。

まず驚いたのは、オーケストラはせいぜい二十数名なのに、合唱は100人ぐらいという構成。テレビやYouTubeで見る公演の倍ぐらいの人数じゃないだろうか。
それでも、合唱が強いという感じにはならなかった。オケと合唱では音が混ざらないということもあるのかもしれないが、合唱団がプロではなく、高齢者も多くて、その分一人一人の声量が小さいのかもしれない。
人数が多いのは、声量云々より、団員全部をステージあげようということなのかもしれない。

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ソリストはステージの隅に控えていて、それぞれの出番のときに前へ出てくる(靴の音が結構する)。
「ハレルヤ」ではその隅の席に座ったまま。アーメンコーラスではさすがに前へ出てきた。もし出てこなかったら曲が終わったあと、身の処し方に困るだろう。

コンチェルトのソリストも、ソロ楽譜に指定がなくても、楽曲の最後はオーケストラ・パートなどを演奏することがあるという。


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ロビーにはクリスマス・ツリー。
この日のメサイア用ではないだろう。
そのソリストだけれど、私が持っているCDなど、多くの演奏がアルトが歌うところが、カウンターテナーになって、男声3、女声はソプラノのみになっている。作曲当時はカウンターテナーだったのだろう。

アルトをカウンターテナーに代えるというのは考えにくい。

そのカウンターテナーだが、最初、少しガサついてるかと思ったのだけれど、聴いているうちに、変に女声っぽくなくて、エヴァンジェリスト風に聞こえて、良い感じ。
また、テナー、バスは日本人だけれど、いずれも良いでき。特にテナーが低めの音域でよく伸びる声で、聴きやすかった。ホールが小ぶりというのもあるかもしれない。
ソプラノは、写真でみるより美人(チラシの写真ではきつそうに見える)。艶のある声で、合唱に紛れない強い声だった。

「ハレルヤ」では、聴衆も立ち上がるというのがマナーともされている。欧米の公演(YouTubeなどで見る)だと、たしかに場内は総立ちになっていると思う。なので、わたしもハレルヤで起立しようとしたのだが、ほとんどの聴衆が立たないので、一旦立ち上がったものの、すぐに座った。ソリストも控え席で座ったままだったから。見回すと立っている人もちらほらいた。欧米系と思われる客はしっかり立っていた。

「メサイア」ではトランペットも注目される。"The trumpet shall sound"でのソロである。第三部が始まると、ソロ・トランペットに緊張が走るという話を聞いたことがあるが、この日の公演のトランペットは余裕たっぷり。そして、見事な演奏だった。

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喫煙室。館内(暖かい)にある。
ところで、入場時にプログラムと一緒に、歌詞が配布されていた。
どうも、演奏中にこれを見ている人がいて、ページをめくる音がする。これはちょっと考え物。
オペラ公演では、歌詞(あるいは大意)が会場内で電光掲示されることがあるが、そういうやりかたにしたほうが良いと思う。

メサイアの終了後、「キャロル」ということで、「きよしこの夜」が演奏された。
最初は、合唱団のみで。そして、聴衆も(私も)一緒に歌う。キャロルというのは、やはり集まった人たちが歌うものだろう。(プログラムに歌詞が掲載されていた。)

演奏会の間だけキリスト教徒になったようだ。
それにしても、メサイアは、演奏している方もきっとそうだと思うけれど、聴いている側も、達成感を感じる曲だと思う。

三大交響曲の演奏会

20171122_Dai_phil.jpg 昨夜は久しぶりの大フィル定期、そして久しぶりのフェスティバルホール。去年の3月以来である

知人からチケットがまわってきたので、いそいそと聴きにいった。
演目は、モーツァルト後期の三大交響曲。

K.543 変ホ長調(第39番)、K.550 ト短調(第40番)、K.551 ハ長調(第41番 「ジュピタ-」)の三曲を三大交響曲というわけだが、個人的には、演奏会でこの3つを連続演奏するというのは、かなり気合を入れて聴かなければならない。

39、40番をやって休憩かな、しかしこの2曲を連続して聴くのもなぁと思っていたら、ー曲ごとに休憩15分となっていた。
この方が良い。

であるけれど、 クラシック演奏会というのは、
  • 音合わせ(シンフォニア=序曲あるいは軽い交響曲)
  • 演奏家の名人芸をフィーチャー(協奏曲系)
  • 楽団の総力でのメインディッシュ(交響曲などの大曲)
というのが普通で、これがやっぱり落ち着くというもの。

P_20171122_183642_vHDR_Auto-crops.jpg 前に、公開練習のような演奏会でもオール・モーツァルトをやった。しかもそのときもKV551がとりあげられている。
そのときは、小編成で、会場も練習場だったから、今回の大編成、フェスティバル・ホールとの違いというのは興味があった。指揮者も違うのだけれど。

昔は、モーツァルトの交響曲も全集はベーム/ベルリンのものが定番みたいになっていた(私も持ってる)けれど、近年は、作曲当時のスタイルを重視するものが「本物」っぽくて喜ばれる傾向があるようだ。
ピノック/イングリッシュ・コンサート、ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ホグウッド/エンシェント、ブリュッヘン/18世紀、といった名前が思い出される。

最近のモーツァルト全集CDにはこれらが収録されている。
少し前のフィリップス版だとマリナー/アカデミー。これも大オーケストラではない。

もちろんこれらも良いのだけれど(ピリオド楽器といっても、これらはけっして黴臭い古ぼけた感じはしない。きびきびして、表情豊かである)、モーツァルトの時代には絶対に聴けなかった、大きなオーケストラ、現代の楽器で演奏するのも、あながち悪いことだとは思わない。

モーツァルト自身は、大きなオーケストラにあこがれを持っていたに違いなく、自分の曲が、こんなに大きなホールで、大きなオーケストラで演奏されるのを聴いたら、案外、喜ぶのではないだろうか。

昔、「題名のない音楽会」(黛敏郎司会)で、作曲家は、自分の曲が演奏されるのを聴いて、「こんなんと違う」というのか、「こんな風になるんだ」というのか、というあたりをとりあげていたことあある。結論は、どっちもあるだったと思うけど。


IMG_20171122_182840-crops.jpg さて、昨夜の大フィルの編成だが、やはりこれらの曲としては大編成である。
第一ヴァイオリン14、第二ヴァイオリン12、ヴィオラ10、チェロ8、そしてコントラバス7である(40番のときは各パート2本ずつ減らしていた)。
前述のピリオド・オーケストラの倍以上の編成ではないかと思う。

ところが、39番ではその編成が生きてないように感じた。
昨夜は夕方から雨で湿っていたからかもしれない。濡れた傘をホールに持ち込んでいる人もいる。
冬でコートを持ち込んでいる人が多かったからかもしれない。

クロークに預けるべきだと思う。私はそれが面倒なので、コートを着ずに行っている。


しかしそれより39番は演奏がなんとなくかたくて、十分歌えてないように思ったことが大きいのかも。
休憩後の40番は弦の各パート2本ずつ減らしていたのに、そっちの方が音は出ていた。
最後の41番は良く鳴っていたと思う。特に第4楽章はしっかりと造型されていて気持ちよかった。
だんだん良くなるというのは、多くの演奏会で感じることだけど。

また、前から思っているのだが、フェスティバルは、シンフォニーホールやいずみホールに比べて、音がさみしい感じがある。

残響をきちんと計算して作ったというけれど、残響というのはマルチパスも含んでいるはずで、そのマルチパスはホールの大きさによって遅延時間が違うと思う。どこのホールでも音速は同じはずだし。そうしたことが響きに影響を与えるのだとしたら、ホールには最適な大きさというものもあるのではないだろうか。(つまり、フェスティバルはクラシック・コンサートには大きすぎる)


国宝展

P_20171111_135358_vHDR_Auto.jpg 昨日は、京都国立博物館の特別展「国宝」。

道中のバスの中で博物館のツィッターを見ると、待ち時間はゼロ、ただし会場は混雑ということだった。
ということで、すっと入場したのだけれど、会場内は、とてもゆっくりとみられるような状態ではなかった。

順路どおりに動いていたのでは人の後頭部ばかり見ることになりそうなので、会場案内の人の「空いたところから自由に見てください」に従うことにした。

IMG_20171111_135918-crop.jpg いつもは音声ガイドを借りるのだけれど、ここも待ち行列が長いし、とてもガイドの順で見られそうにもないから、これもパス。

1階は人がぎっしりなので、階段で2階へ。
そうすると、2階から仏像の展示を見下ろすことができた。暗い展示室に、輝く大日如来。
あとでゆっくり見ることにして、空いている展示室を回る。

比較的すいている部屋が、なんと、今回の私の目当てだった、長谷川等伯の「松林図屏風」。
もう、これだけ見たら来たかいがあるというもの。
今まで気づかなかったけれど、左隻の右上の方は山影だろうか。

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そして同じ展示室の反対側には、丸山応挙の雪松図屏風。
ふわっと、また、ぽったりと雪が積もった松の姿。近寄って単眼鏡で見ると、雪が積もっているわけではない。紙だ。
少し離れると、丸みのある雪の積もり具合がなんとも言えない。
気になるので何度も近寄って単眼鏡で観察するのだけれど、やはり紙の色か。
下はネットで拾った画像だけれど、実物はこんなに彩度は高くなかったと思う。

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P_20171111_181619_vHDR_Auto.jpg 他の目当てはやはり「金印」。
金印は、今回の展示の目玉のようで、最前列で見たい人は長蛇の列、30分待ち。並ばないとみられないのかと思ったが、なんのことはない、金印のまわりをテープで区切って、その外側から見るのなら別に並ぶ必要はない。テープの位置は展示ケースから1mも離れていない。30分並んでまで最前列で見る必要はあるだろうか。それに私は例によって、単眼鏡を持って行っているから、最前列の人の切れ目から鑑賞させてもらった。
また、最前列の人は、金印に限らずどの展示でも、立ち止まらないでくださいと係員に言われるから、落ち着いて見られないんじゃないだろうか。

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P_20171111_152050_vHDR_Auto.jpg さて、この展覧会でも、バックパックの人、手をつないでいるカップルなど、邪魔な人がいたけれど、びっくりしたのは大きなベビーカーで入場している人がいたこと。中の赤ちゃんは展示物を鑑賞したりせずすやすや寝ていたようだ。もっともベビーカーの上は空間ができるわけで、後ろから鑑賞するには案外都合が良かったりする。

ミュージアム・ショップもなかなかの混雑。
私は図録を買ったのだけれど、重たいものだから、その場で発送手続きもできるようになっていた。

大規模な学会などでは、会場に郵便局が来るようだが、それと同様か。

たくさん売られていたのは金印。金印ストラップ、金印スタンプなど。他にもカードなどもあったかもしれない。
なお、上に掲載した写真は、私が以前、大阪府立弥生文化博物館で購入したレプリカ。原寸大で実物に忠実に作られたもの(ただし材質は金ではない)。
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ところで、この展覧会もオンライン・チケットを利用した。
先日、珍之助さまが、半券が欲しいからオンライン・チケットは使わなかったと書いておられたが、オンライン・チケットのチェック口で、係の人が「半券いりますか?」と聞いてくれる。
もちろんいただきました。

私の前の人が先にもらって、ちょうど半券が切れたところだったのだが、くださいというと、チケット・カウンターのほうへ取りにいって渡してくれました。




現代翻案版「ドン・ジョバンニ」

P_20171005_202317_vHDR.jpg 昨年、自分へのクリスマス・プレゼントとして、Mozart: 225 The New Complete EditionというCDを購入したので、そのショップ(タワーレコード)のポイントが大量に貯まっていた。

Mozart:225は、他のサイトと比べて安かったからここで買ったけど、このショップの通販サイト(Tower.jp)は、すごく使いにくく、商品説明もぞんざい。今までに2度しか利用したことはない。


まもなくポイントの有効期限が来るので、もったいないから何か買おうと考えた。
はじめに考えたのは、録音が新しくてSACDやブルーレイ・オーディオなどのハイレゾのものから選ぼうとしたけれど、なかなかはまらない。
モーツァルト 歌劇「ドン・ジョバンニ」
ドン・ジョバンニイルデブランド・ダルカンジェロ
騎士長トマシュ・コニチュニ
ドンナ・アンナレネケ・ルイテン
ドン・オッターヴィオアンドルー・ステープルズ
ドンナ・エルヴィーラアネット・フリッチェ
レポレルロルカ・ピサローニ
ツェルリーナヴァレンティナ・ナフォルニツァ
マゼットアレッツオ・アルドウィーニ
 
指揮クリストフ・エッシェンバッハ
管弦楽・合唱ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、合唱団
 
演出スヴェン・エリック・ベヒトルフ
ザルツブルグ音楽祭2014

次に、映像付きでは聴いたことのないモーツァルトのオペラで、ブルーレイかDVDをあたってみた。で、候補になったのは、"La finta giardiniera"(KV196)と"Lucio Silla"(KV135)。

これで決めようと思ってサイトで検索をかけいたのだけれど、たまたま、眼に入ったのが、"ドン・ジョバンニ"のブルーレイ。
ドン・ジョバンニのDVDは2種類ぐらい持っているけれど、あまり新しい演奏でもないので、ちょっとこのブルーレイの演奏について調べてみた。

なんだか、やけに評価が高い。
現代に時代を移している、いわゆる翻案もののようだけれど、原曲をそこなわないという評価。
FabPlayer_[20171015-000037-914]-crop いろいろネットの情報を調べていると、何と、NHKで放送されたことがあるらしい。

見逃した。これはくやしい。

前にも、フォン・オッターの「カルメン」で、たまたま放送を途中から見てショックを受け、結局DVD、続いて発売されたブルーレイの両方を買ったことがある。
再放送を期待したいところだけれど、カルメンのときもそうだったが、再放送にも著作権料が発生するだろうから、NHKもそうそう大盤振る舞いはしてくれまい。

FabPlayer_[20171005-200725-244] ということで、急遽、方針を変更して、このドン・ジョバンニを買うことにした。

それにしても、このサイトのポイントって、100円単位でしか使えない。全額ポイントで払いたいのにそれができない。ことごとくユーザーの期待を裏切るサイトである。ポイントを余らせることで次につなぎたいと考えているとしたら大間違い。サイトの使いにくさとあいまって、ユーザーはHMVかAmazonに流れるだろう。


前置きが長くなったが、さて、その演奏。
ドン・ジョバンニといえば、いわずとしれた女たらし。
FabPlayer_[20171005-200916-363] しかし通常の演出だと、乱暴に女性を口説くけれども、エロ要素は、フィガロやコシ・ファン・トゥッテと比べても特別強いとも思わない。
ところが、この現代に時代を移した演奏では、かなりエロ要素が強くなっている。
元になったドン・ファン伝説は17世紀スペインだから、原曲の脚本もその時代。したがって、通常の演奏では、女性の着ている服も当時の拘束的なものが使われる。
時代を現代にすると、これはもちろん自由になる。

FabPlayer_[20171005-201820-072] そして、そのエロ演出に答える女性歌手が美しい。
私がもっとも好きなドンナ・エルヴィラなんか、実にそそられる。

いや、好きなのはエルヴィラのアリア。
エルヴィラのアリアはどれも好きだが、"Mi tradi quell' alma ingrata"の方をカットするというとんでもない舞台に巡り合ったことがある。一気に気持ちが沈んでしまう。


ツェルリーナは下着姿でマゼットを誘う。

(場面は「おくすりやさん」)


DonGiovanni2014_act2.jpg さらにその直後、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラもなぜか下着姿で登場。

ちゃんとストーリー上の必然性はある。ドンナ・アンナはドン・オッターヴィオとホテルの部屋で二人きりだったし(ただしコトには及んでいなさそう)、ドンナ・エルヴィラはドン・ジョバンニに扮したレポレッロとの逢引き中。もちろんツェルリーナは「おくすりやさん」の流れでマゼットと二人で部屋に入っていた(だからマゼットも上半身裸)。



FabPlayer_[20171005-201315-731] エロさばかりに目を奪われているわけではもちろんない。
どの歌手もすばらしい声・歌唱である。まったく破綻しないし、情感もたっぷりである。
舞台演出上、無理な姿勢を強いられながらも、歌いきる。

舞踏会前のドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオの澄み切った見事な三重唱は、私の好きな曲でもあるけれど、こうしたしっとりとしたアンサンブルも見事である。

DonGiovanni2014_ElviraTear.jpg この舞台で一番引き付けられた人物はやはりドンナ・エルヴィラ。
ドン・ジョバンニに最後の改心を願うアリア"Mi tradi quell' alma ingrata"、このアリアをカットするというとんでもない演出に出会ったことがあると前述したそのアリア、ドンナ・エルヴィラの涙を見逃すことはできない。
このアリアをストーリー上不要と考えた演出者は一体、何を考えてたんだろう!

せっかくだから、そのアリアの一部分を画質・音質を落としたものをこちらに
著作権で問題にならない程度で、かつ販促につながるように。気に入ったら是非ご購入を。損はしません。


普通は硬い一方のドンナ・アンナもすっかり見直した。

ドン・ジョバンニはドンナ・アンナをモノにしたかどうかという論争がある。「モノにしなかった」派は舞台の進行時間から見て無理があるということだったようだが、「モノにした」派は、その後のドン・ジョバンニの冷たい態度は既にモノにしたからである、ドンナ・アンナがドン・オッターヴィオとの結婚について1年は待ってというのは、妊娠のおそれがあるからだということを論拠にしていた。


とにかくどの歌手も素晴らしい。
歌唱はもちろん、演技も。
シリアスな楽曲も、コミカルな曲も、静謐な音楽も、エネルギッシュな曲も、アリアも重唱も、どれも素晴らしいできである。
ウィーンフィル(≒ウィーン国立歌劇場管弦楽団)もさすがである。

RapeOfProserpina-crop.jpg そして息つく間もなく進行するシーン。
たっぷり3時間のオペラだけれど、まったく緩むところがない。

そしてフィナーレでは、時間が止まった舞台(歌手は歌い続けている)に、冥界に落ちたはずのドン・ジョバンニが現れて、女性たちを愛撫し、キスをする。
ドン・ジョバンニは「プロセルピナとプルートーのところに行った」のだが、奴のこと、きっとプロセルピナにも手を出したに違いない。

この舞台が絶賛されたことは十分納得できる。
そしてこのブルーレイ・ディスク、これは本当に推薦できるものだ。

ザルツブルク音楽祭では、2013年に"コシ・ファン・トゥッテ"、2014年にこの"ドン・ジョバンニ"、2015年に"フィガロの結婚"と、連続してダ・ポンテ脚本の3作品をとりあげて、同じ演出(ベヒトルフ)で上演しているとのこと。
この2本も見てみたい。

そうそう、"La finta giardiniera"、"Lucio Silla"はどうしよう。

たんたんたぬき

maneki-neko-amazon.jpg 井上章一「妄想かもしれない日本の歴史」に、
「たんたんたぬき……」を、さかのぼる』という節がある。
いうまでもなく、あの歌についてである。

著者は、狸の話に入る前に、招き猫がヨーロッパに受け入れられているということを指摘する。
そして、猫の像が崇拝されるということは、偶像崇拝で、かつてのヨーロッパでは考えられなかったのではないか、キリスト教の統制力が弱くなっているのではないか、というような分析をひとしきり講釈する。

そして、招き猫がこうして受け入れられているの対し、なぜあの狸の置物は受け入れられないのかと問題提起を行う。

shigaraki-tanuki-dai.jpg しかるのち、著者の幅広い外国人との交流の中でも、あれはないだろうという話になる。
世界でキンタマをこんな形で笑いのネタにしているところはないだろうという。
ということで、猫が良くて狸がダメな理由を発見して、ひとまず落ち着く。

というか狸って極東特産の動物で、ヨーロッパ人にはなじみがないのでは。
ちなみに、タヌキの分類上の位置は、哺乳綱ネコ目イヌ科タヌキ属。ネコとそう遠い関係ではない。

それと、どうも近頃、信楽の狸が、妙にかわいらしくなっているように思う。ネットで適当な画像を探していたのだけれど、デフォルメ狸という雰囲気のものが多い。昔はもっとおじさんっぽかったように記憶しているのだが。


そして話はあの歌のことになる。
著者の指摘で思わずなるほどと思ったのは、この歌は学校で教えられるものではないし、メディアで流されるものでもない、子供から子供へ口伝えに伝承されてきたはず、それにもかかわらず全国に広く、ほぼ同じ歌詞で歌い継がれているという事実。

なるほどと思いながら、良く考えてみると、わらべうたというのは、そういう成立のものが多いのではないだろうか。ただ、下品じゃないものはレコードになったり、メディアでとりあげられる機会もあるというだけで。


著者があげている歌詞は、

たんたんたぬきのきんたま
かぜにふかれてぶらぶら
それをみていた○○○
ふんどしかかえておおわらい

というものだけれど、著者が言うには、歌詞はバリエーションがあるが、だいたい全国共通だという。
実際、ネットで見つけた「たんたんたぬき」の歌詞。他にもネットを探すといろんな歌詞がある。

ちなみに、私が子供のころ覚えたのは、

たんたんたぬきのどきんたま
電車にひかれてぺっしゃんこ
それを見ていた女の子
せんべえと間違えて食べちゃった

というもの。

また、本書でも書かれているように、この歌は讃美歌の替え歌である。

Shall We Gather at the River(YouTube)

そういえば「おたまじゃくしはカエルの子」も「リパブリック讃歌」の替え歌だ。
いろんなところで讃美歌が替え歌になっているのかもしれない。

ところで、「たんたんたぬき」に良く似たメロディを聞いたことがある。
フランツ・クサヴァー・モーツァルト作曲 ピアノ四重奏曲の第三楽章のテーマである。

Xaver_Piano quartet mov3



Disneyのメディア・ミックス

前に「美女と野獣(実写版)」を見に行ったことを記事に書いた。
記事では、上映されたホールの音響がもう一つだったので、映画館はコンテンツに合せた上映設備を使ってほしい、Blu-rayが発売されたら、それを家で見る方が、映画館よりも、ダイナミックレンジが広く、かつ繊細な音楽を楽しめるに違いない、と書いた。

ということでBlu-rayの発売が予告されたときにすぐ予約して購入した。
画面の迫力は映画館に到底及ばないが、音自体はやはり家のセットの方が良い。映画館ではやたら音量が大きくて辟易する、適当な音量で聴けるというのが一番良い。当然、期待通りである。

P_20171005_185845_vHDR_Auto.jpg 今日はそういう話ではなくて、このブルーレイ・ディスクに付いてきた特典について紹介する。
そう、このディスクのパッケージを開けると、中に「主題歌ダウンロード」とかの特典の案内が入っていた。
貧乏根性の私としては、タダだったらダウンロードしてみようと考える。

特典を受けるには、まずディズニーのサイトにアクセスして、会員になっておかなければならない。
ディズニーのサイトにはいくつか異なるメンバーシップがある。このなかの"MovieNEX"というメンバーシップ登録をして、さらに購入したブルーレイ・ディスクに同梱されている案内書の"Magicコード"というものを入力する。これにより、当該ブルーレイ・ディスクにリンクした特典が利用できるようになる。今回は「美女と野獣」の特典というわけだ。他のコンテンツを購入していたらそれに付属の"Magicコード"を入力して、それの特典が受けられるということらしい。

特典には、主題曲ダウンロードだけでなくて、懸賞応募とか壁紙ダウンロードとかいくつかあるが、一番大きいのは、「美女と野獣」本編をネット視聴する権利(「デジタルコピー」というらしい)。このネット視聴は2000円で提供されているもの。

2017-10-05_154317.jpg このネット視聴がまたうまくできているというか、うまく手を抜いていて(誉め言葉)、Google playか、niconicoのどちらかを視聴環境(プラットフォーム)として指定することになっていて、実際の視聴は指定した環境で行うことになる。

私はディズニーの会員登録のIDとGoogleアカウントは同じものを使ったから、Google playを起ち上げて、映画のライブラリを見るときちんと同期されていて「購入済」コンテンツとして登録されていた。もし別アカウントを使っていたらどうなったんだろう。

Screenshot_20171005-154538.jpg さらにおもしろいことに、Google playのAVコンテンツは、YouTubeでも視聴できるらしい。
YouTubeの「購入済」にも「美女と野獣」が登録された状態になっている。これもYouTubeアカウントを何にしているのかに依存するだろうと思う。

ところでそもそも特典を使おうとしたもともとは、主題曲が無料ダウンロードできるという点だった。
これも上述の特典案内画面に表示されているのだが、こちらはなんと、さらに"mu-ca"というサービスに会員登録して、またまた"Magicコード"を入力することで可能になった。

1つディスクを買うだけで、こんなにいろいろなサービスがリンクしてくる。しかもアカウントを統一(Google)していたら、相互に接続されている。

そういえば、以前、ラトル/ベルリンフィルのベートーヴェン交響曲全集を買った時、中にハイレゾ音源へのアクセスコードが同梱されていた。

パッケージ・メディアとネットが融合するというのは時代の流れだと思うが、そのうちネットがさらに高速化されたらネットだけになって、低料金でのサービスになるかもしれない。AmazonはすでにネットでHD動画もサービスしているわけだから。

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「眩(くらら)~北斎の娘~」

「北斎―富士を超えて―」に関連して。
そもそもこの展覧会の存在は、NHKの番組やCMを見て知った。そして行きたいと思った。

この展覧会にはNHKも主催者に名前を連ねていて、NHKの各種番組で北斎及び北斎関連がとりあげている。
毎回録画している歴史秘話ヒストリアでは、

「世界が驚いた3つのグレートウエーブ」
「おんなは赤で輝く」

の2本。
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「世界が驚いた3つのグレートウエーブ」では、小布施の祭屋台の天井画「男波」「女波」中心。
「おんなは赤で輝く」は、まず北斎作とされていた「菊図」を分析して、光の描き方に注目して、お栄が描いていると結論づける。さらに、タイトルの「赤で輝く」は、北斎ブルーに対して、お栄の赤をとりあげたということ。

さて、ドラマの「眩(くらら)~北斎の娘~」も見た。
「眩」では、たぶんCGだろう、北斎が見た江戸の風景を印象的に再現していた(右のスクリーンショット参照)。
なにより宮崎あおいのお栄(葛飾応為)は素晴らしかった。いい役者だねぇ。

葛飾応為といえば、以前、杉浦日向子「百日紅」をとりあげているが、「眩」は別の原作(朝井まかて)である。
「百日紅」では、お栄を主人公に、その周囲で起こる事件などを書いていて、その反映としてお栄がえがかれるという趣向になっていたけれど、この「眩」は、お栄に的を絞って、絵師としての姿を表現していると見る。

特に大事件ということはないが(もちろん母の死、父の死も織り込まれるけれど)、絵の注文主から、線に勢いがない、北斎が書いたものではないものが入っていると鋭く指摘され、光を描くことに開眼する姿がある。「江戸のレンブラント」の誕生である。
なので、その方向での代表作「春夜美人図」、「吉原格子先図」がスクリーンに大写しされ、お栄の画業を顕彰する。直球である。

あまり記録は残っていないというお栄だけれど、リアリティを感じさせるドラマに仕上がっていると思う。

「眩(くらら)~北斎の娘~」から

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この秋は、大阪の北斎展、京都の国宝展、神戸のボストン美術館展と大きな催しが続く。どれも展示入替がある。とりわけ、国宝展は4期あるらしく、4期通しのチケットも売られていた(完売)。
どれも行きたいけれど、なかなか大変だ。ましてや展示替えも全部なんて、到底無理。

北斎―富士を超えて―

先日書いたように、北斎の展覧会「北斎―富士を超えて―」を見に行った感想。

総括的に言うと、有名な作品の多くが、意外に小ぶりであること。
「神奈川沖浪裏」などは他の展覧会でも見ているから、そうだったなということだけれど、小布施の上町祭屋台天井画の「男波」「女波」は、思っていたよりも小さいと感じた。
小布施以外での国内展示ははじめてだとNHKの番組が解説していたから、今回の展覧会で一番見たいものの一つ(二つ?)だった。天井画だからもっと大きいと思っていたのだが、考えれば祭屋台だから、そんなに大きなものではないわけだ。
絵自体は、もちろん小さいと感じることのない、豪快なもので、見入っていると飛び込みたくなるというか恐い。

kanmachi_yatai13b.jpg kanmachi_yatai14b.jpg
小布施の北斎館のページから


他に、意外に小さいと思ったのは、「富士越龍図」、最晩年の傑作とされるもの。
テレビなどで紹介されているときは、絵の力強さにだまされて(?)、もっと大きなものかと思っていた。
hokusai_ubagaetoki_ise.jpg
他、感じ入った作品は多くあるけれど、いちいち評するだけの鑑賞眼もないので、あとは面白いと思ったものを紹介。

まず、百人一首を題材とした「乳母が絵解き」という一連の作品。
調べると、百首全部は現存していないらしい。こういう連作があるということ自体知らなかったので、興味深く見た。あちこちの図書館に収蔵されていて、ネットでも見ることができる。

百首そろっていたとしても、これをかるたの取り札にするのはちょっと無理だろうなぁ。


P_20171008_155813_vHDR_Auto-crop.jpg 次に、画稿。下絵に、色などの指定を書き込んである。文字全部は読めなかったけれど、ベンガラを使えなど、具体的な指示がなされていて興味深い。

(右の写真は図録を撮影したもの。)


そういえば、テレビ番組で、「赤富士」は、赤い富士、青い空で刷り出されているものが多いが、初刷りではもっと淡い色であることがわかった、こちらが北斎の意図だっただろうということだったが、これの画稿は残っていないんだろうか。
なお、「赤富士」は、その赤い富士・青い空の現物のと、参考図として初刷りの写真が展示されていた。

残念だったのは、応為の作品で、もっとも有名な「吉原格子先之図」の展示期間が11月9日からの10日程度で、見られなかったこと。また、やはりNHKで北斎と合作だろうとされていた「菊図」も後期の展示のようだ。

とにかく人が多いので、あんまりじっくり落ち着いて視られない。
当然、図録を購入。結構分厚くて、読みごたえ、見ごたえのあるもの。

目録(あべのハルカス美術館のページ)


ところで、珍之助さまは京都の国宝展で半券ほしさにオンライン・チケットは使わなかったと書いておられたが、こちら北斎展では、オンライン・チケットで入場すると、半券を渡してくれる。どこでもそういう扱いをしているんだろうか? (ローソン・チケットなどだと、そういう配慮はしてくれなかったと思うけど。)

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図録(表紙と厚さがわかるかな)と、入場券の半券(オンライン・チケット入場者に渡される)


北斎展に行った

P_20171008_100329_vHDR_Auto.jpg昨日、話題の「北斎―富士を超えて―」を見に、あべのハルカスに行った。

主催者にはNHKも名を連ねている。そのためか、このところNHKが北斎をとりあげた番組を多く放送している。
ただでさえ人気の出そうな展覧会だと思うが、こうやってテレビで何度も広告しているから、かなりの人出を覚悟していった。
展覧会の感想はまたあらためて書くとして、今日は人出について。

ハルカスに到着したのは朝10時頃。
まず、ハルカス2階の入口で、いきなり人の群れ。
エレベーター待ちである。

P_20171008_100500_vHDR_Auto.jpg エレベーターが来ても1回では並んでいる全員は乗れない。
しかも見ていると、地下から上がってくるエレベーターに既に多数の乗客が。
なので、下へ降りるエレベーターが到着して、客が降りて空いた箱に乗ることにした。でないと乗れない可能性が大である。

無事、エレベーターに乗って、目指す16階へ。
大混雑。

係員が整理しようとしている。
チケットをお持ちの方はこちら、チケットをお買い求めの方はこちら、と。
しかし、列をきちんと区別もできない状態。
別の係員はとにかく並んで下さい、チケットの有無はロビーまで入ってからですという(これは間違い)。
そうこうしているうちに、前に横から入る人もいる。

ロビーに入ると、ようやく列を区分けするリボンの導線が設置されていた。
なるほど、ここまで混雑したら混乱するのも仕方がない。
P_20171008_101117_vHDR_Auto.jpg
可哀そうだったのは、チケットを買い求める人。
チケットを買うのに1時間待ちだという。
スマホでオンライン・チケットを買えば良いのにと思う。
私は事前にだけれど、オンラインでチケットを買っている。こちらなら並ぶ必要はない、というか並んでいる間に購入できる。

案の定、チケット・カウンターで噛みついている人がいた。
買ってからまた並ぶということが承服できないと見た。
こういう人がいると、それでまたチケット売りさばきの時間がかかって、他の人にも迷惑だろう。
思うに、チケットを買ってから列の最後尾に並べというのはあまりに酷だ。
チケットを持っていてもいなくても同じように並ばせて、カウンターの前を通るようにすれば良いのではないかと思う。

さて、並ぶこと約30分、思ったより早く入場。
いつもなら音声ガイドを借りるのだけれど、なんと音声ガイドがすべて貸し出されていて、借りるなら30分待ちという。見終わった人が返却するまではだめだろうから、もっと待つんじゃないだろうか。
それでも10人ぐらいが並んで待っていた。
私は音声ガイドはあきらめて、さっさと展示室へ。

P_20171008_114502_1_vHDR_Auto.jpg たいていの展覧会がそうだけれど、入った最初の展示室はやけに人が多い。
係員が第4章の展示は比較的すいていますというので、そちらから先に見ることにした。
なるほど、展示作品の前で列が二重になっているということもなく、じっくり見ることができる。

今回の展示は、前にロープなどは設置していないので、多くの作品は肉薄できる。もちろんすべてガラスに入っている。
例によって、単眼鏡でじっくりと細部の確認もできる。

そうやって、最後の展示まで見て回って、最初に戻る。
さらに人が増えている。
要所要所は見るけれど、じっくりと順に見るというのはあきらめた。

思うに、この美術館、こんなに人を集める展覧会はあんまり経験がないのではないだろうか。
もう少し、動線は工夫できるのではないだろうか。


混雑の中、見ること約1時間。


見終わって、ミュージアム・ショップで図録を買おうとした。
なんと、ショップのレジでも購入客が大勢並んでいた。

疲れた。

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公開練習のような演奏会

P_20170722_132423_vHDR_Auto.jpg 昨日は、大阪フィルハーモニーのオール・モーツァルトの演奏会。
イ長調 K.201の交響曲、ニ長調 K.218のバイオリン協奏曲、ハ長調 K.551の交響曲。

楽曲や演奏についてはとやかく言わない。悪くはなかった。

「悪くない」はモーツァルトの言葉では「最高のでき」という意味らしいが。


少しだけ感想を書くと、K.201の交響曲は、テンポはどちらかといえば快速(マリナー/アカデミーぐらい)だけれど、かなり丁寧(ベーム/ベルリンのよう)な演奏。
K.218の協奏曲については、元気。個人的にはもう少し輝かしいほうが好き。
P_20170722_132439_vHDR_Auto.jpg K.551の交響曲は、第1楽章がやや荒いか。最初の音に続く三連符、この音型は随所に出てくるわけだが、なんだか装飾音のような印象だった。また、K.201とちがい、トランペットやファゴット、フルート、ティンパニが加えられているわけだが、弦の編成は同じだったので、やや弦が弱い印象。
全体として、アンサンブルは良く(合わせやすい曲でもあるけど)、気持ちよく聴くことができた。

連れは気持ちよく、最初のシンフォニーの第1楽章からスヤスヤ眠っていた。


変わっているのが会場、大阪フィルハーモニー会館というところ。
大阪フィルハーモニーの練習場である。
天下茶屋駅の傍で、南海電車の窓からよく見える場所なので、以前からここにあることは知っていた。

西成区なので、この日の演奏会は、「にしなりクラシック」と銘打っていて、西成区民の聴衆が多いらしい。普段、クラシックを聴かない人も来ているようで、おどろいたのはランニング姿の人とか、甚平の人が来ていたこと。

この会館での演奏会は、今までもたびたびあったようだけれど、今まで縁がなく、今回がはじめての入場となる。写真のように、ステージはなく平場。ホールの半分が聴衆席。350席ぐらい。
入口に「完売御礼」の札が貼ってあった。モーツァルトの集客力かもしれない。

肝心の音響だが、やはりコンサート・ホールとは違い、やはり若干体育館的な響きがする。

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今年もいつもの演奏会

IMG_20170625_135348-crops.jpg 昨日は、このところ毎年聴きにいっているアマチュア・オーケストラの定期演奏会。
仕事を持っている人の楽団だから、定演は年1回。私は今回で5年連続の5回目。

アマチュアだけれど、会場はシンフォニー・ホール。
初めてこの楽団の定期にいったときは、いずみホールだったが、その後は毎回シンフォニー・ホール。

この日の演目は、シューマン:「マンフレッド」序曲、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲「皇帝」、ブラームス:交響曲第3番。

ピアノ・ソロはれっきとしたプロ。なお、楽団にもエキストラでプロが入っている。コントラファゴットのような特殊楽器はしかたがないだろうけれど、やはり人数不足のところなどに配置されている。普段は楽団のトレーナーをしているプロなども、この日は楽団の一員として参加しているらしい。

演目だけれど、アマチュア楽団の場合、少人数で演奏するものは避けるだろう。特殊楽器は使いにくいと思うが、かといって、管楽器が限られるようなのも。やっぱり標準的な、木管はフルート、オーボエ、クラリネット、金管はホルン、トランペット、トロンボーン、テューバにちゃんと出番があるもの。

となれば、ロマン派以降から選ぶのが順当。今回も協奏曲以外はそう。

学生のときは大学のオーケストラの定演に良くいった。学生オケは、昨日のような職業人のオケよりずっとたくさん練習しているから、うまいものだが、こちらも演奏会の演目は、やはりロマン派か近代曲が多かったと思う。


いずれにせよ、アマチュアは演奏会自体が少ないから、演目が決まれば、その曲を熱心に練習するので、基本的な技術がともなわなければどうしようもないけれど、そうでなければ結構、聴ける演奏になる。

とはいうものの、職業人の場合は、学生とはちがい、みんなが集まって練習できる機会は少ないらしい。
このチケットを手配してくれる楽団の知人は、演奏会後に一言、「練習不足」と。

たしかに、ブラームスの第3楽章あたりから、ようやく意思統一がなされてきたと思う。
第3楽章は有名な親しみやすい旋律だから、気持ちを合わせやすいのだろう。また、指揮者のノリかたが、3楽章以降は、たしかに違ってきたように思う。
もしそうなら、第1曲は、複雑なシューマン(スパッとした曲のはずが、妙にからみつく団子になった)ではなくて、合わせやすい曲、そう、名前のとおり「シンフォニー」的なのにして、演奏会全体がノレるようにしたら良いのでは。

貧乏人のハイレゾ

hires-logo.jpg 先日、ローコストSACD再生の記事で、安物のブルーレイプレイヤーのSACD再生でも、HDMI/SPDIF分離により、176.4kHzという、高品位のPCM信号が取り出せたと書いた。

これで一応満足できる水準には達したのだけれど、この一種裏技を試みる前に、やはりプレイヤーを買わなければならないかと思ってネットで情報収集していた。
SACDの音声信号はDSDという形式である(e-ONKYOなどは電子データで配信している。私もそれを購入してPCから読みだしてPMA-50のUSB入力に送り込んでネイティブ再生している)。
ならば、SACDプレイヤーで、USBにDSDを出力するものがあれば買っても良いかなと考えた。
しかし、そういう製品はどうやら存在しない。

もし存在して、数万円以下とかだったら買ったかもしれない。なくてかえって良かったかも、2600円で高品位再生ができたわけだから。
また、S/PDIF出力はどの製品も付いているわけだが、この出力規格はカタログなどで確認できない。これでは安いからといって飛びつくわけにはゆかない。


他にもいろんな製品をチェックしてみた。
マランツのSA8005というプレイヤーは、USB-DACも持っていて、なかなか良さそうだった。値段もAmazonでは90,000円を切っていて、高いことは高いけれど、許容できる範囲である。

しかし、この製品を買うと、DACは、アンプ内蔵のものと重複して揃えることになる。聴き比べるならともかく、普通、両方同時に使うことなどないわけで、なんとなく勿体ない。そう考えると、90,000円近く出すのは馬鹿馬鹿しくなった。

アナログ時代であれば、オーディオ・コンポーネントというのは、各コンポーネントの機能分担は明確で、コンンポーネント間のインターフェイスも簡単だった。
ところがデジタル時代になると、不思議なことに製品コンセプトに、機能独立性などは配慮されていないように見える。つまり、上述のように、DACが単体であったり、アンプにあったり、SACDプレイヤーにあったりする。
私が、アンプにUSB-DACが付いているという変則的な製品を使っているからいけないのかもしれないが、このあたりのデジタル・オーディオは結構、ややこしい。

ただ、メーカーが不誠実じゃないかと思うのは、私がやったように、2万円もしないプレーヤーに、2600円の追加投資(HDMI/SPDIF分離器)をすれば、10万円以上もするプレーヤーとそう違わないだろうということ(S/PDIFの出力品位が低ければ、高級プレイヤーのほうが低品位になるかもしれない)。

アナログなら機器の通過を重ねるごとに信号が劣化するけれど、デジタルならアンプまでデジタル信号が正確に届けば良いはずである。それに、DAC側がアシンクロナス転送を行うなら、信号のエラーの問題も回避できるようになるだろう(エラーが酷ければ停止)。


オーディオの満足度は投資額に対し逓減するもので、それゆえ高い道楽といわれてきた。
しかし、デジタル時代の今では、アンプとスピーカーが本質的なオーディオ機器だと思うから、ここさえしっかりしていれば、貧乏人でもそこそこ、昔の高級オーディオ並みの音が楽しめると思う。

ライブ・コンサートは高くてなかなか行けない。
というわけで、貧乏人のハイレゾである。

ところで、SACDの出力で苦労したわけだが、もしアンプがAVアンプだったら、HDMI接続で、何ら悩むことなく高品位再生ができただろう。やはり、これからはAVが主流になるのだろうか。

私はピュア・オーディオに拘っているわけではない。以前から持っているオーディオ機器がAV対応ではないというだけである。ただ、今まで聴いたAVアンプの音って、貧相なんだけれど、ピュア・オーディオ並の音にするにはどのぐらいのアンプにしなければならないんだろう。


ローコストSACD再生

TANNOY Arundelにスーパーツィーター追加アンプをDAC内蔵に取り換え、とオーディオの調整をしてハイレゾ対応を進めてきた。先日は、PMA-50のUSB-DACを利用して、PCからPCM 24bit/192kHzや、DSD 2.8MHzといった音源を聴いたことを書いた。

そして、ここへきて、SACDがCD音質でしか再生されないことに苛立ちを抑えきれなくなった。
SACDのディスクは20枚ぐらいしか持っていないが、ちゃんとした音を、まともなオーディオ・セットで聴いてみたい。

我が家で、SACDを再生できるのは、安物(2万円しなかったと思う)のユニバーサル・プレイヤーしかなく、これにデジタル出力(S/PDIF)はあるけれど、ここからはCD音質しか出せない。
YAMAHAのサウンドプロジェクターYSP-2500にHDMI接続すれば、本来のSACDの品位のデータが送られ、サラウンド効果も含め、それなりに聴けるものであるが、入力信号の品位が維持されていても、この機械は、ピュア・オーディオに比べれば、音自体は貧相である。


スピーカーもアンプもハイレゾ対応ならば、やはりSACDをその品位で再生したい。かといって、高価なSACDプレイヤーを買うのも財布が許さないし、今使っているDAC内蔵アンプ(PMA-50)と重複して、HDMI入力のあるアンプなんかを買うのも勿体ない。

それに、高級SACDプレイヤーといえども、製品企画が古いせいか、デジタル出力はDSDを出せるものはないようだし、S/PDIFもどんな品位で出力されるのかアヤシイ(はっきりしない)。SACD自体は古い規格かもしれないが、デジタル時代に合わせた製品ラインアップを考えないのだろうか。


というわけで、手ごろなSACDプレイヤーも、お金も、無いので、何か手はないのものかとネットを渉猟していると、解決策があった。
HDMI出力から、音声をS/PDIF(光デジタル)に分離するデバイスである。

P_20170607_200005_vHDR-notes.jpg Flylinktech hdmi音声分離器(hdmi spdif 信号変換器)
Amazonで、2,599円で購入。

同種製品は他にもあるが、HDMIの分岐機能(出力が2系統以上)が付いてるような製品は、高い上に、余計な機能が加わるので、私の目的からすれば不要である。


デジタル信号というのは、アナログが電気的特性だけ定めているのとは違って、すごく面倒で、単純にINからOUTへ信号を流すわけではない。HDMIでは、送出側と受信側がネゴをして、伝送フォーマットが決められるらしい。この分離器は、その信号から音声だけを取り出すものだけれど、HDMIがネゴをする相手というものが必要になる。

この理屈でいけば、送出側が出力可能なフォーマット、受信側が入力可能なフォーマットに一致するものが選ばれるということになる。私が欲しいのはS/PDIFの音声信号だけだから、受信側HDMIは信号フォーマットだけを定める役割、いわばダミーである。

SACDを再生するのは、上述のBDP-S370という安物のブルーレイ・プレイヤーで、これがどんな規格の信号を送出可能なのかはやってみなければわからない(取説などにはそんなことは書かれていない)。HDMI経由でDSD出力もできる機器なのだが、分離器がDSDに対応しているはずがない、もちろんS/PDIFはPCMを伝送するものである。なので、BDP-S370の音声出力はPCM 2chに固定する。
分離器の音声出力(光デジタル)はPMA-50につなぐ。なお、この分離器には、2ch/5.1chの切替スイッチが付いているのだが、2chで使う(元が2chだからどうでも良いのかもしれないが)。

ダミーのHDMI受信機器だが、ダメもとということで、まずリビングの古いテレビを選択した。
光デジタルから音声信号が取り出せていることは確認できた。44.1kHz。CD音質である。
これは予想した通りの結果なので、落胆せず、本命の機器、YAMAHAのサウンド・プロジェクター YSP-2500をダミーとして使うことにする。

P_20170607_195538_vHDR_Auto-crops.jpg やったー! 176.4kHz!

DSDではないものの、十分のクォリティの信号である。
さんざん購入を検討したン十万円とかの高級SACDプレイヤーなどではなく、わずか2600円の投資で、満足できる結果。


YSP-2500は一応、本格的なサウンド機器であるから、高品位のPCMに対応しているだろうという期待を裏切らなかった。まさか、オレ様がダミーで使われるなんて、思ってもみなかっただろうけど(しかも音は出さないのに電源はオン)。

ネットで調べると、送出側とのネゴに使うダミーのHDMIプラグというのがある。我が家ではYSP-2500があるので不要ではあるけれど、そもそも、このダミープラグの音声規格が解らないので、買ってもムダになるおそれがあった。使えることが判れば、これの方が、電源がいらない、ケーブルの始末が自由ということで、こちらを使うのだけれど。
分離器自体にHDMIダミーの機能があれば良いのだろうけど、そうすると、上述のような特殊な用途に限られるから、商品としては売りにくいのだろう。
なお、もう一台あるユニバーサル・プレイヤー PIONEER DV-610AVを使って同じことをしたら、88.2kHzまでの出力だった。これはプレイヤーの能力ということだろう。


さて、SACDの本来の品位に近い音の評価である(我が家のオーディオ・セットでの)。
アンプ、スピーカーが良くなったので、CDでも随分と良い音になっている。それは先日、スーパーツィーターの追加の記事でも書いた。
そのときに試聴した「幻想交響曲」を、今回実現した176.4kHzで聴き直してみる。

力強いとか、繊細とか、あるいは抜けが良いというような情緒的な評価をぶっとばして、驚いた。
CDの音が、ppp―fff だとすると、この176.4kHzの音は、pppppp―fffff と言って良い。
とにかく、ダイナミック・レンジがめちゃくちゃ広い。フォルテ側はCDでも結構な迫力の音であるけれど、もちろんハイレゾはさらに迫力が加わるわけだけれど、なんといってもピアノ側、驚くほどの弱音、微音が出てくる。

繰り返すけれど、情緒的にというか、なんとなくというか、そんな気持ちの違いではない。
はっきりと、ダイナミック・レンジが何桁も違う。これがハイレゾの音だったんだ。
以前、ハイレゾというのは聴こえない音(周波数帯域)の聴感の改善だろうと書いたけれど、これは訂正しなければならない。
周波数帯域だけではなくて、ダイナミック・レンジがまるっきり違っている、まさに音として聴こえる部分だ。

この音源の違いがわかるには、パワーが入り、きっちりと低域から超高域までを再生できるオーディオ・セットがのぞましい(我が家のセットなんてまだまだ、片鱗を感じる程度のものだろう)。

ハイレゾ対応ヘッドフォンとか売ってるけれど、このダイナミック・レンジの音をヘッドフォン、とくにカナル型とかで聴くのは、自傷行為のような気がする。


外部からの音の遮断(自分の鑑賞を妨げない)、外部への漏洩の遮断(近隣に迷惑をかけない)、も考えないと。(楽曲によるけど)

アンプの入替

何度も書いたように、我が家はオーディオ・セットが2つある。
一人で集中して聴くためのオーディオ部屋に1セット、リビングに1セットである。

オーディオ部屋は、今までは前に書いたような機器構成(その後サブウーファーNS-SW200を追加)で、アナログ・レコードのデジタル化もこの部屋で行う。

リビングは大きいけれど古いスピーカー(TANNOY Arundel)を置いて、エッジが傷んでいたので、前はたまにしか音を出していなかったのだけれど、スピーカーの修繕スーパーツィーターの追加ということで、ハイレゾ対応の満足度の高いセットに変わった。
ということで、今まではオーディオ部屋がメイン、リビングはサブという位置づけだったのが、逆転してしまった。

そうなると、リビングの方の音をもっと良くしようということになる。
さしあたって、アンプのデジタル入力が24bit/96kHzという低い(?)規格なので、もっと品位の高いソース(DSF 2.8MHz/1bitとか、PCM 24bit/192kHz)をその品位で再生したい。
そう、オーディオ部屋で使っているDENON PMA-50をこっちのセットで使おうということである。

PMA-50入力仕様
 入力端子 フォーマット サンプリング周波数 ビット長
 USB-B DSD(ASIO、DoP) 2.8/5.6 MHz 1 bit
 LPCM 32/44.1/48/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit
 光/同軸デジタル LPCM 32/44.1/48/64/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit

PMA-50にすれば、外付けサウンド・プロセッサーを介さず、PCに直結できる。
この外付けサウンド・プロセッサー24bit/96kHzまでの対応であるが、ダイレクトにPMA-50に接続すれば、手持ちのハイレゾ音源、

菊池洋子のモーツァルト(DSF 2.8MHz/1bit)
ラトル/ベルリンのベートーヴェン(PCM 24bit/192kHz)

などを、その品位で再生できる。(他のハイレゾ音源は、24bit/96kHzが多い)
どちらも、前は、PMA-50+Autograph mini+NS-SW200で聴いていたもの。変わったのはスピーカーと部屋である。

さて、菊池洋子、モーツァルトの協奏曲だからオーケストラは小編成なので、広大な音とはならないけれど、ピアノの音が妙に生々しくなった。Autograph miniではとにかく綺麗に鳴ったという印象だったが、迫力とタッチの微妙なところが際立ったような感じ。
ラトルのベートーヴェンは、とにかくオーケストラが柔らかくなった。これがハイレゾの効果ではないだろうか。

P_20170605_205629_vHDR_Auto.jpg

PMA-50のディスプレイに "DSD 2.822MHz"の表示


とはいうものの、PMA-50の音は、繊細で均整がとれたような音なのだけれど、前に接続していたONKYO A5-VLのほうが、なんとなく色気を感じる。ただし、A5-VLには、高域にノイズが出てる感じがするけれど。
原信号の再生にこだわるのか、さて、悩ましいところである。

ところで、DSDの再生には、PCのfoobar2000をDSD対応にする必要があるが、これがちょっと苦労した。
前に、foobar2000―PMA-50でのDSD再生という記事を書いているので、この通りにやれば良いはずだが、foobar2000のコンポーネントをダウンロードしようとしたら、前の記事のときから随分、バージョンが上がっている。最新がいいだろうと思ってやってみたのだけれど、どうやらソフトの構成が変わったようで、いろいろやってみたものの音が出ない。新バージョンの使い方を調べるのも面倒なので、結局、記事通りの古いバージョンで無事、再生にこぎつけた。新バージョンについてはいずれゆっくり調べるつもりだが、メリットはなんなんだろう。

スーパーツィーターの追加

修理から帰ってきたTANNOY Arundel、前はエッジが傷んでたので手をかける気もなかったが、修理も済んだので、ちょっと良くならないか考えた。

前から気になってはいたのだけれど、要するに、音の抜けが悪い感じ、というかちょっと頭を抑えられたような感じがする。これは、スーパーツィーターを追加したら改善されるかもしれない。
そもそも、Arundelは古~いスピーカーで、いわゆるハイレゾ対応というわけではない。素性は良くても、鈍重ということかもしれない。

そう思って、ダメもとでやってみることにした。Arundelをバラしてネットワークを組み替える(つまり改造)などはやる気がないので、単純に追加で置けるものを探した。

P_20170603_110341_vHDR_Auto.jpg TANNOYにもスーパーツィーターがあるけれど、バカ高いのでパス。
いろいろ探していると、TAKET-BATPRO2という製品に行き当たった。ペアで42,023円(Amazon)。

メインのスピーカーにパラでつないでも良いけれど、今使っているアンプ(ONKYO A5-VL)はスピーカーが2系統つながるようになっているので、比較試聴することも考えてアンプに接続。
(TAKET-BATPRO2側にもレベル・スイッチがあって、OFFにもできるけれど)

Arundelの周波数特性は30~20,000Hz、BATPRO2は18,000~150,000Hz(測定限界)。
私も加齢により、耳は悪くなっていて、10kHzぐらいまでしか音として認識できないから、このスーパーツィーターの音域は私には音として全く聞こえない。

というか若い人でもほとんどの人は音として認識できないだろう。思えば、昔のカセット・レコーダーなどは16kHzまでしか録音できなかったわけで、このスーパーツィーターは超音波領域専門。
なので、結線に不具合がないか調べようとしても、通常の音源ではこのスーパーツィーターからは全く音が聞こえない。そこで、PCのオシレーターソフトを使って、10kHzの正弦波を送り込んでみたら、ようやく、鳴っていることが確認できた。

このように年寄りには音として認識できない10kHz以上にこだわってスーパーツィーターを追加するなんて無駄じゃないのかと言われそうだけれど、そもそもハイレゾというのは可聴帯域外の音まで再生することで、聴きやすい良い音として感じるというところに意味がある。アナログの場合は、高調波成分は少しでも残っていると思うが、デジタルでは原理的に高調波を含まないから、ハイレゾには意味があるとも考えられる。

それなら、同じような理屈で、年寄りが音として感じない10kHz以上の再生も無駄ではないだろう。
また、高調波成分は単音としては感じないかもしれないが、波形には影響しているはずで、音として感じるかどうかとは別の作用だという考え方もできるかもしれない。

まぁ、繰り言はそのぐらいにして、実際に聴いてみる。
まず、Arundelを切って、BATPRO2のみで聴いてみた。
もちろん、何にも聴こえない。

次に、ArundelをONにしてみる。
音源は、いつもテストに使う、LPからデジタル化した24bit/96kHzの「金と銀」(ボスコフスキー/ウィーンpo)。特に低弦の自然な音をチェックしたい。
ん~ん、良い感じ。

スーパーツィーターを追加してまず低弦をチェックするというのも変なのだけど、キラキラした部分もある曲なので、高音域の伸びもわかりやすい。なにより聴き慣れている分、評価しやすい。

特別に変わったという印象はないのだけれど、心なしか抜けが良くて、圧迫感が低いと感じた。

そして、BATPRO2をオフにしてみる。
あれ、あんまり変わらんやんか。

BATPRO2のオン/オフを繰り返しても、もう一つ音の違いがわからない。
ネットでは劇的に変わるという評価が多いのだけれど。
あらためてArundelって素性が良いスピーカーなんだなぁと思う。

少々落胆したが、悪くなるわけではない。

実は、ArundelはTANNOY独特の同軸2wayで定位の良いスピーカーなのだけれど、3本目のスーパーツィーター追加で定位が悪くなるか心配していたが、そんなことはなく、むしろ音像がクリアになった印象さえある。

なので、気を取り直して、せっかく買ったのだから、気に入らなくなるまでBATPRO2をオンの状態で使うことにして、別の音源を試してみた。
5113oEiKSbLSY355.jpg ということで、ダイナミックレンジが広大で、繊細な音を含むものが良いだろうと考えて、久しぶりだけど、「幻想交響曲」(Yannick Nezt-Seguin/Rotterdam Philharmonic)を聴いてみた。
オーケストラがフォルテでもハープが鳴っていることがわかる。他にも、今まで気づかなかった音が大量に見つかる。低弦の動きがくっきりとしてくるし、ロングトーンではステージを漂う雰囲気が伝わる。第五楽章、わざと下品な音を出しているクラリネットにニンマリする。

テストのつもりだったけど、結局、全曲を聴いてしまった(だから第五楽章のクラリネットにニンマリしたわけだ)。

やはり、抜けの良い音になっているようだ。長時間聴いていても圧迫感がなく、疲れない(曲そのものは大迫力で疲れるものだけれど、別の意味で)。やはり、しっかりと効果があるようだ。

どうやら、完全なハイレゾ対応になったと言えるのではないだろうか。

ところで、上記の「幻想」は、SACDなのだけれど、安物のユニバーサル・プレイヤー(SONY BDP-S370)しか持っていないので、実は、CD音質でしか出ていない。それでも、これだけの音が出てくるのだから、ちゃんとしたプレイヤーだったらどうなんだろう。

SACDプレイヤーというのは飛びぬけて高いものばかりなのだけれど、デジタル出力に特化したらそんなに高価な製品でなくても十分作れるのではないだろうか。技術的に正確なことは知らないが、アンプへのデジタル出力(S/PDIF)というのはLPCMで流しているだろうから、その精度(量子数と標本化周波数)だけが問題になるように思う(ONKYO A5-VLのデジタル入力は、24bit/96kHzまでのPCM信号に対応)。SACDのDSDフォーマットからLPCMに、なるだけ品位を落とさないで変換できれば良い。そして、それに違いがなければ、安物のユニバーサル・プレイヤーでも何十万円もするSACDプレイヤーでも同じじゃないだろうか。


今まで私としては、別室においてあるTANNOY Autograph mini+YAMAHA NS-SW200(サブウーファー)の方がメインで、リビングのArundelはサブという位置づけだったのだけれど、どうも逆転した感じ。


【追記】

SACDからデジタルでDAC内蔵アンプへ送る方法 ⇒ローコストSACD再生


コンテンツに合せた上映設備

IMG_20170527_145009.jpg 先日、久しぶりに映画館(シネマコンプレックス)へ行って「美女と野獣」を見たことは既に書いたけれど、ちょっとここのシネコン(TOHOシネマズくずはモール)で、不満に思ったこと。

このシネコンは10スクリーンあるのだが、「美女と野獣」は"SCREEN 6"で上映されていた。
で、映画館でいつも思うのだけれど、音が大きすぎる。そして割れて、ガサつく。
また、映像も、やや動きがぎごちなく、精細度も低いように感じた。

このシネコンにも、1ヶ所だけ、TCX、ATOMOS対応のスクリーン(SCREEN 1)がある。
しかし、「美女と野獣」を上映していたSCREEN 6は、通常設備である。私が行ったとき、SCREEN 1で上映されていたのは、通常のドラマ作品である。

どうしてだろう?
たしかに、私が行ったとき、「美女と野獣」の観客は、314人収容の部屋で、せいぜい20~30人。封切直後はおそらく、相当の人数が押し寄せたものと思う。そして、その時には収容人数374人という、一番大きなSCREEN 1が使われたのではないだろうか。
部屋の広さだけで言えば、シネコン側の判断はそれなりの理由もある。

封切直後に観ておけば良かったんじゃないかといわれそうだけれど。やっぱり空いてるときに行きたいから。


10スクリーン・約2,000席の映画館。メインスクリーンに独自規格のラージスクリーン「TCX®」と関西で初めてドルビーの革新的なシネマ音響「ドルビーアトモス」を導入。全作品デジタルプロジェクターでの上映となり、3D映画や演劇・音楽・スポーツの中継などの新しいエンターテイメントの楽しみ方も提供していきます。
しかし、上映されるコンテンツの特性からすれば、ミュージカル仕立てで、音楽のウェイトが極めて大きい作品に対しては、やはり、Dolby ATMOSのスクリーンを使用すべきではないだろうか。

以前、このシネコンで"Mission impossible"を見たとき、オペラ場での銃撃シーンがあったのだが、このシーンで歌われていた「トゥーランドット」のアリアの音は、素晴らしかった。その時の会場はSCREEN 1、Dolby ATMOS音響だった。ここでオペラ映画をやったらどうかと思ったぐらいである。

目利きというか耳利きの観客なら、この設備を目当てに来場する人がいるものと思う。つまり、集客効果もあると思う。音楽に重点をおかないコンテンツに、SCREEN 1を使用するのは、勿体ないのではないだろうか。

この作品のように、映像と音楽の質にこだわったものが、本来の品質で上映されていないと知ったら、制作者は、がっかりするのではないか。
一定以上の上映品質が確保できないところでの上映を拒否したらどうだろう。
ディズニーなら、そのぐらいのことは、やれると思う。

Blu-rayが発売されたら、それを家で見る方が、映画館よりも、滑らかな映像、ダイナミックレンジが広く、繊細な音楽を楽しめるに違いない。

というか、TOHOシネマズくずはモールが、Dolby ATMOSで上映してくれるんなら、もう一回見に行くけれど。
このスクリーンを「美女と野獣」専用にするのが無理なら、上映スケジュールの調整でなんとかならないものか。

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苦しい家計の足しに再就職
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