井伊次郎法師

おんな城主 直虎」も、いよいよ直親が殺されて、次郎法師が城主になるようだ。

何度も書いたことだけれど、NHKの大河ドラマにとりあげられると、その人物・事件についての本や、特集番組などが大量に生産される。本編の制作者のNHKなんかは、直接的な番組宣伝を狙うのか、繰り返し、繰り返し、手を変え品を変えて、直虎モノを番組にしている。

というわけで、何度も同じ話を聞かされるわけだけれど、一味違ったのが、「英雄たちの選択 戦国の女(1)“おんな城主”の賭け~次郎法師の生き残り戦略~」。放送は1月12日と随分前だったのだけれど、録画したまま見ずにいたもの。
さすがに磯田先生である、単純に従来の説を紹介するわけではない。

FabPlayer_[20170320-214346-207] 番組の最初に、井伊直虎でなく、井伊次郎法師とするのは、直虎は今川家の男子家臣が名乗ったのではないかという説(このブログでも取り上げた)が、昨年出たためとことわり、番組最後に、直虎が男だったかどうか考えるということが宣言される。

おそらく、番組自体はその説が出る前に企画されていたのだろう。タイトルも企画時点では「直虎の生き残り戦略」だったのではないだろうか。それが、この新説が出たことで、番組でもちょっと触れる必要があるだろうということになったのかもしれない。

ただ、次郎法師が女性であり、城主となり、地頭として公認されたことが史実として疑いえないという説明があり、これなら、直虎を名乗った別の男子がいたとしても、井伊家を守り、直政からずっと続く井伊家の礎を築いたのは女性(次郎法師)というストーリーに変わりはない。次郎法師の功績は従来の説に変更を迫るわけではない。
次郎法師ファン(柴咲コウファン?)も安心して「直虎」を見ることができるというものだ。

別男子存在説の信憑性をどこまで確かめられるか、これだけでは十分とは言えないと思うけれど、番組では、次郎の署名がある二通の古文書の筆跡を見比べて、同一人物か否かをみんなで判定しようという趣向になっていた。

FabPlayer_[20170320-214037-150] 男の字、女の字と、性別が字の特徴にあらわれるような話もあるようだが、そういう方法ではなく、直接、二通の署名を比較する。
使っている筆や墨の違いなどもあって、なかなか比較は難しいとのことだが、磯田先生は、断定的ではないものの、二つの署名は別人ではないかとお考えのようだ。

番組に出演していた飯田泰之氏(経済学者)は、次郎法師は徳政令を出したくなかったので、一時的に領主に立てて出させたのではないかという想像を話されていたが、それもおもしろい。

いずれにせよ、史料が乏しい井伊次郎法師である。わからないことがたくさんある。
たとえば、直親が帰参するとき、妻子を伴っていたという話もあるが、ドラマではこの説はとらない。なお、井伊直政の生年は1561年、直親の没年は1561年で、井伊谷に戻ったのが1555年だから、妻子を伴っていたとしても、その子供は直政ではないわけだ。

ドラマは、この後、小野政次(道好)によって、次郎法師が城を追われることになるはずだ。歴史記録を単純に追いかければ、嫌われ役の政次が、ドラマでは、幼なじみで次郎が信頼を寄せる役どころである。これから、政次はどう描かれていくだろう。(その信頼と自分の信念の間で苦悩することは既に描かれているけれど)

それにしても、主要な脇役が次々に非業の死をとげるドラマだ。
直盛(戦死)、直親(誅殺)、家康が来たら政次(刑死)。瀬名姫は何月頃に殺されるんだろう。

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「おんな城主 直虎」スタート

onnajoshu_naotora_titleshots.png 今年のNHK大河ドラマがはじまった。
前に書いたとおり、今年の主人公は
井伊直虎

周知のとおり、男子不在の井伊家の危機を救った女傑というのだが、つい最近、「直虎」を名乗ったのは女性ではなく、いとこにあたる別の男性だった可能性を示す史料が新たに確認されたという新説が発表された。
(⇒「おんな城主直虎」は男だった? 大河主人公に新史料

AS20161214004856_comm.jpg これを報道する記事(上のリンク先)によれば、NHKは「ドラマはあくまでもフィクション」という回答をしたと伝えられている。

もちろんフィクションということは見るほうも承知であるけれど、フィクションにもフレームワークというものがある。新説=真説ではないわけだけれど、やや困惑。
それに、もともと直虎の資料は少ないようなので、どちらの説が正しいか、そう簡単には決着しそうにない。

前に大河ドラマ「江」では、私が知る限りすべての時代劇がそうであるように、江は徳川家光の母という従来の説を踏襲していたわけだが、前に「大河ドラマの功罪」に書いたように、福田千鶴氏はこの説を否定されている。
なので、本当は家光の母じゃないらしいけれど、ドラマとしては従来の説に従っておくのが無難ということなんだろう、と自分を納得させていた。


ところで、前に書いた記事「再来年の大河ドラマは井伊直虎」へのコメントで、るりひめ様から、「胸のホクロがエロいです」と教えていただいた。

「戦国無双」というゲームのキャラクター。
昨年の「真田丸」では、信繁役の堺雅人さんも、このゲームを参考にしていたというもの。
では、柴咲コウさんも? ならば、付けボクロでも良いから、是非、胸にホクロをお願いしたい!

ということで、ネットで拾った画像(元画像出典:http://trend-news135.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_4c3/trend-news135/cef543a6-s.jpg)に、「戦国無双」のキャラクターとほぼ同じ位置に、ホクロを付けてみた。(拡大しないとわかりにくいと思う=画像クリックで拡大)


cef543a6-s_spot.jpg sengokumuso_naotora.jpg

「真田丸」では、第1回から、子役を使うことなく、大人(実際は少年?)の信繁が登場したけれど、「おんな城主 直虎」は、第1回では、まだ直虎は成熟した女性という齢ではない(ホクロがあってもエロくない)。

ということで、まだドラマの出来を云々する段階ではないのだけれど、敢えて感想を言わせてもらうと、

子供たちが、あまりにも大人びた科白を言う。これはできすぎではないか。
中村梅雀のナレーションがなんとなく映像と合わない気がする。淡々としているほうが合うのでは。


去年の「真田丸」はちょっと変わったノリで成功したけれど、それは脚本、配役がはまったからできたこと。同じことをしようとしているわけではないようだが、去年の成功を意識しすぎてるのではないだろうか。
まして、NHKが、女性を主人公にしたら視聴率がとれると思ってたら論外である。

そのことは「花燃ゆ」で証明されている。
井上真央だったからダメで、柴咲コウなら成功するというようなものでは、大河はないと思う。


まぁ、始まったところだから、これからどうなっていくのか見守りたい。
(といって、結局、ずっと見るんだろうけど)

「大河ドラマと日本人」(その2)

前稿は「通しての感想で、一作毎の評価については、ちょっと微妙なところもある」とした。
今回はその「微妙」なところ、つまり、私の作品評とは合わないところをピックアップして。

このお二人は揃って「獅子の時代」を(というか菅原文太を)高く評価しているのだけれど、私には、歴史を再解釈する醍醐味は「獅子の時代」では持てなかった。それに架空の主人公だとその人物の伝記があるわけでもないから、これを機に勉強するわけにもいかないし。

「獅子の時代」は視聴率はこの時代としては高くない。翌年の「おんな太閤記」のほうがずっと視聴率が高いのだけれど、著者お二人は、こちらは「サラリーマンの妻のホームドラマ」と手厳しい(と思う。それには同意するけれど)。

もっとも、そうした歴史性や教養主義的な評価をするのは、一昔前なら正統的な大河評かもしれないが、今のものにはなじまないともいう。

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大河ドラマ視聴率(出典:http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3967.html



この本は二人の著者の対談が中心になっている。
対談という形式は、主と聞き手という組合せだと、主の知見・知識が絶妙に引き出されてわかりやすくなることや、読者の聴きたいことを代わりに聴いてくれるという効果があると思う。
しかし、対談にはこの他に、対立する二人が意見を戦わせるもの、二人がフィードフォワードし合うものがあって、本書はこの後者にあたる。フィードフォワード、言い換えれば、内輪で盛り上がっているようなもの。

これがいつも悪いわけではないのだけれど、第三者たる読者が、その評価はちょっと違うぞと思ってしまうと、一緒に盛り上がれなくて、斜に構えることになる。

この本が出たのは昨年で「花燃ゆ」がさんざんな評価を受けていたとき。本書の著者の一人の一坂氏の 「吉田松陰とその家族 兄を信じた妹たち」は、私も前にこのブログでとりあげていて、同書は「花燃ゆ」放送前だから、ドラマへの批評はなかったが、本書ではやはり否定的な評価でお二人が一致している。
私もドラマ評は否定的だけれど、お二人が違うだろうという松陰(伊勢谷友介)については、私は良い配役だったと思う。松陰についての著書もある一坂氏だから、私の感じ方がおかしいのかもしれないが。

「信長」の緒形直人もこの二人は不評だけれど、私は、はじめは大丈夫かと思ったのは事実だけれど、見ているうちに信長の静かな狂気(それが信長の真実かどうかは別として)が表現されていて、好演だと思う。

また、本書ではとりあげられなかった作品もたくさんある。
視聴率は悪かったけれど、私はおもしろく見たものもいろいろある。たとえば、数年前の「平清盛」もそうした作品の一つ(前の「新・平家物語」もよかった)。

こうした本が出るように、やっぱり大河ドラマはネタの宝庫である。

「大河ドラマと日本人」(その1)

taigadrama_and_nihonjin.jpg 星亮一、一坂太郎「大河ドラマと日本人」について。
タイトルを見て、「赤穂浪士」以来の大河ドラマファンとしては読まない手はないと思って、図書館で借り出した。

著者はメディア関係者でもあったから、私の知らない大河ドラマの裏話みたいなものや、ドラマのテーマと当時の社会状況などの鋭い指摘があって、どちらかというと漫然とドラマを見てきた私には、そうだったのかと思わせることも多い。

そして、この本を通しておもしろいと思ったのは、NHK(というか制作者)の大河ドラマに対する姿勢についての評価である。
記念すべき最初の作品「花の生涯」(はじめはシリーズ化する予定はなくて、視聴率が良かったから結果としてシリーズになったという。「大河ドラマ」という言い方もこの頃はない)だけれど、維新以来、ずっと悪役だった井伊直弼を主人公にした。NHKとしては、戦後になってもはや薩長に遠慮しなくても良いだろうという判断があったのではという。はじめは視聴者の常識を覆してやろうという挑戦だという。原作(舟橋聖一)がベストセラーだったということが後押ししたのだろうとも。

小学校のとき、足利尊氏は天皇に逆らった悪者とされているから、テレビや映画の主人公にはならないという話を聴いていたが、ちゃんと「太平記」もできた(昭和が終わったからできたとも)。


翌年はお話としては定番中の定番「忠臣蔵」で、今度は着実な成功を狙ったのだとか。ただし、1年かけて描くという大河ドラマならではの描き方に挑戦したわけだ。

その翌年の「太閤記」は緒形拳の抜擢は冒険である一方、なじみ深い太閤記をとりあげることでストーリー的には安定指向とも見える。しかし太閤記は、それまで劇や映画にすることはできなかった素材で、これも大河だからこそできたという意味では一つの挑戦と言えるのかもしれない。

そしてこの頃は、大河に限らずだが、テレビと映画の戦いという問題が重なる。

大河スタート時は「映画ではやれないものをやれ」という指示があったという。

一流の役者のテレビ出演への気概などのエピソードもとりあげられている。

つまり大河ドラマでは、ストーリー(主人公)やドラマ作り、役者起用など、いろんな面での挑戦と安定の揺れ、視聴者への訴えか阿世か。そういうものがNHKでは毎年繰り返されてきたわけだ。

それが、2000年代に入ってくると、挑戦的な姿勢はだんだん薄れてくる。ベースとなる素材に枯渇してきたとか、役者で視聴率をかせごうとか、もう一つ元気がない。
一方で、地域振興とやらで、NHK大河ドラマの地方誘致合戦が繰り広げられる(舞台となった地域では200億円以上の経済効果があるとも言われる)。そのはしりが「独眼竜政宗」であり、近年の成功例としては「八重の桜」だとのこと。

「八重の桜」では、綾瀬はるかが、役者人生の転機はこの作品だと公言し、その後も東北の復興活動を継続しているなど、役者に目を開かせ、育てたという面もあるのだそうだ。

こうなると、時の政権に阿っているのではないかと言われる(たとえば「花燃ゆ」。制作決定が異様に遅かったことなどから)。

通しての感想はこうしたところだけれど、一作毎の評価については、ちょっと微妙なところもある。
それは次稿で。

第一次上田合戦

三谷幸喜に脱帽。

NHK大河「真田丸」、先日は第13話「決戦」、第一次上田合戦を描いていた。

以前アップした「大胆予想 真田丸」で、私の予想では、第一次上田合戦は第11話になっていた。それだけ取り上げれば、そう大きくは外れていないように見えるわけだが、ここまでのストーリー運びは、どうしてどうして、私の凡庸かつ平板なものとは次元の違うものとなっている。

大きな時代の流れを大きくとらえていると思うし、各話での山場もきっちり作られている。登場人物も一人一人、巧みに造形されていて、時代を超えた共感を持てるように描かれていると思う。
(爪を噛む家康も、氏政の汁かけ飯も、歴史好きをくすぐるところ。)

しかも、私が「初恋の女性」は架空の人物で、自由な発想で描くのだろうと予想したのに対し、たしかに描き方は自由なんだろうけれど、架空の人物ではなくて、作兵衛の妹という記録が実在するという(番組後の解説で知った)。

三谷幸喜だけではなくて、おそらく歴史考証のスタッフがしっかりしていて、さまざまな資料・記録から、秘話めいたものも拾い集め、それを三谷幸喜が汲み取ってドラマに活かしている、そう推測する。

また、俳優陣もなかなかの好評価、次々に死んでいく脇役もそれぞれ死なせるのは惜しいと思わせるものだった。


さて、先日の第一次上田合戦を見ていて、これはひょっとすると、と思ったことがある。
以前、“「真田丸」では、真田丸の戦いはどう描かれるだろう”の記事で、最新の説として、真田丸の戦いは、従来、野っ原の戦闘のように描かれていたが、そうではなくて市街戦であったという説について書いた。

今回の第一次上田合戦での戦闘シーンは、上田城内ということで市街とは違うけれど、
  建物や柵の間を突進する徳川軍、
  誘いをかけて引き込む真田軍、
  待ち受けて伏兵が襲いかかる真田軍、
  堀ならぬ落とし穴に雪崩落ちる徳川軍、
  やっと本丸にたどり着いた徳川軍への真田軍の主力攻撃、
  城内廓の二階からの銃撃・射撃、
  逃げる徳川軍を待ち構える真田軍、
  逃げ場を失い包囲殲滅される徳川軍、
というシーンの連続であった。

見事である。(昌幸が? 幸喜が?)
そして、これは市街戦に近い感じなのではないだろうか。
だとすると、クライマックスの真田丸での戦闘は、市街戦説に則った描き方をするかもしれない。第一次上田合戦はその伏線というか、練習(信繁にとっても、ドラマスタッフにとっても)だったのでは。

私としては、このぞくぞくする市街戦のほうが、野っ原の間延びした戦闘よりもはるかに緊張感のあふれたドラマづくりができるのではないかと思う。

問題は、緒戦での大勝利・大敗北の後は攻め手は自重して膠着状態になる(史実でもそう)が、これをどう挑発するのか。
それと、やはり疑問なのは、城内なら廓は真田方であるが、市街戦ならそうではないだろう、徳川方は建物づたいに攻めていくのが普通じゃないだろうか。また、史実では徳川方は陣地を築いたとも伝えられているが、矛盾しないのか。

さて、どうするんだろう、期待が高まる。
虚実いりまじって逸話の多い真田幸村(あえて幸村とする)、まだまだストーリーに彩を与えるネタには事欠かない。

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「あさが来た」終了

asagakita_crankup.jpg NHK朝の連続テレビ小説(朝ドラ)は、普通の学生、勤め人でじっくり見ている人は少ないと思う。
ただ、夜に再放送があるので、それを欠かさず見ているという人もいるらしい。
私も興味津々の「あさが来た」は、そういう人たちが多いらしい。

「あさが来た」は高い視聴率をとっているけれど、この視聴率には再放送分も入っているんだろうか。
今までの高視聴率番組は、なんとなく主婦受けする作品が多いように思うけれど、「あさが来た」は男性ビジネスマンの受けが良いらしいから、再放送の視聴率が考慮されれば、もっと高いランクになる可能性があるのではないだろうか。


totonechan_crankin.jpg 次の作品は「とと姉ちゃん」で、ヒロイン(小橋常子)は「暮しの手帖」創業者・大橋鎭子氏がモデルだという。
今回も実在の人物をモデルにしたということだ。

このタイトルを見て「マー姉ちゃん」という朝ドラがあったことを思い出した。このドラマも長谷川町子がモデルになっていたと思う。

ということで、実在の人物を描いた、あるいはモデルにしたという朝ドラで、私の記憶にあるものを拾ってみた。
古くは「おていちゃん」という女優・沢村貞子の半生を描いたものがあった。また、「あぐり」は吉行淳之介のお母さんの話だった。

近いところでは、「マッサン」(竹鶴政孝・リタ)、「花子とアン」(村岡花子)、「ゲゲゲの女房」(武良布枝・水木しげる)、「芋たこなんきん」(田辺聖子)などがあった。

もちろん勤め人の私はこれらをきちんと見たわけではないけれど、それぞれ好評価のドラマで、土曜日ぐらいしか見ていない私でも記憶に残るものだった。

実在の人物をモデルに、事実・史実に基づいた原作あるいは脚本を用意してドラマ化すれば、外れは少ないというのが私の持論。
さて「とと姉ちゃん」はどうだろう。

はるか頑張る

2016-03-20_180640.png NHKで始まった「精霊の守り人」、"大河ファンタジー"と称している(なので本記事の分類は"大河ドラマ"にした)。

このところ、NHKを見ているとやたらこのドラマの番宣が目に付く。
積極的に見たわけではなくて、たまたま映っていた番組で、綾瀬はるかの殺陣のシーンを見て「こんなこともできるんだ」とびっくりぽん。

綾瀬はるかと大河ドラマといえば、「八重の桜」だけれど、このときの八重は活発な鉄砲名人とはいえ、剣や槍(「精霊の守り人」では短槍)の立ち回りというわけではなかったから、それなりの演技をすればよかったのかもしれないが、今度の「精霊の守り人」では大立ち回りが要求されているようだ。

2016-03-20_181517s.png というわけで、第1話をしっかり見てみたら、写真のようにテーマ演奏がNHK交響楽団となっている。大河ドラマのテーマ演奏は、NHK交響楽団というのがおきまりだけれど、他の番組でN響を使ったというのは寡聞にして知らない(NHKの楽団なんだからもっとあっても不思議じゃないようにも思うけど)。
こんなところでもNHKの力の入れ方を感じた次第。

ところでファンタジーというのは年寄りの私には疎いジャンル。中高生の年代だとサイエンティフィック・ファンタジー(SF)というのも魅力があったけれど、歳を経ると、事実・真理のほうがファンタジックだということに気がついて、ファンタジーの値打ちをあまり感じなくなっていた。

そもそも、ファンタジックな真理というのは映像化できるようなものとは限らない。
たとえば2次元にn次元を描くようなもので、それは本来不可能だけれど、ある特徴に着目すれば、その本質をとらえ、他を捨象した絵を描くことはできる。そして、見る人がそれを理解し、それを美しいと感じるためには、その対象に対する理解が前提となる。あるがままの絵が描けるわけではない。


文字で表現しているものをどう映像化するかは、これはこれで別の興味が出てくる。
残念ながら、このファンタジーについては、原作も知らないわけだから、その文字の世界の映像化がなるほどというものなのか判断できないけれど、かなり手の込んだ映像化が行われているように思う。

NHKの番組宣伝番組によると、原作者 上橋菜穂子さんは、2014年の国際アンデルセン賞の受賞者だそうだ。原作は各国語に翻訳され、米国ではハリーポッターも出したところが出版しているそうだ。また、本の挿絵は、国によって随分違ったものが付けられているとのことである。


映像化にあたって、綾瀬はるかの殺陣にはびっくりぽん。映像化のかなり重要な要素になっている。
この女優については、「天然」という評価を聞いたことがあるけれど、どうしてどうして、役者としての姿勢・根性、なにより能力はただものじゃないのではないだろうか。


【追記】
本記事を「大河ドラマ」に分類した関係で、今までの分類名「大河ドラマ」を「大河、ドラマ他」に変更。
テレビドラマ全般などについても、この分類で書くことにするつもり。

「真田丸」の猿飛佐助

2016-01-12_205709.png "「真田丸」スタート"で書き忘れたこと。

「真田丸」の初回で、いきなり"佐助"という名前の情報連絡担当の小物が登場した。
信之・信繁の前で「新しい技を覚えました」という台詞と演技があったから、これから忍者として成長を重ね、猿飛佐助になるのだろうと思う。

"大胆予想 真田丸"では、猿飛佐助がいつ登場するのか考えあぐねていたわけだけれど、いきなりの登場である。

sanada10yushi_NHK_ningyogeki.jpg 勝頼が滅んだ時、信繁は16歳だから、このとおりなら、このとき佐助の年齢はどう低く見ても10歳超で、大阪の陣のときには40歳を優に超えていることになる。40歳を超えても軽い身のこなしで、単身で、敵情を探り、敵陣を混乱させるという武将というのはちと無理があるのでは。

服部半蔵のように、実は忍者ではなくて、忍者を支配する武士だったら話は別だけれど。

それとも、歳をとらない忍術を会得しているとか。

sarutobi_NHK_ningyogeki.jpg ところで、前にも書いたけれどNHKの人形劇「真田十勇士」(⇒NHKアーカイブス)では、佐助はなんと勝頼の忘れ形見(「だいすけ」という名前だったような)とされていたと記憶する。「真田丸」ではいきなり勝頼が亡びるわけだから一世代違う。

佐助の写真は「適当に玩具とかのブログ」からトリムして借用(無断で申し訳ありません)。

この人形劇では、最初に山本勘助が勝頼の家臣として出てくるのだけれど、勘助は信玄の代、川中島で死んでるんじゃなかろうか。

ところでNHKの人形劇といえば、「チロリン村とくるみの木」、「ひょっこりひょうたん島」から、「三国志」、「八犬伝」そして「真田十勇士」と錚々たるラインアップである。そして、比較的新しい「三銃士」では、脚本は三谷幸喜である(まったく見た覚えはないが、「シャーロック・ホームズ」も三谷幸喜脚本)。

脱線してしまったが、他の真田十勇士は登場するのだろうか。
どうせなら、伝統的な十勇士にこだわらず、くノ一を出したらどう?

というか、佐助は女だったとしたら一挙解決(何が?)だけど。

「真田丸」では、真田丸の戦いはどう描かれるだろう

2016-01-09_223235s.png 昨日予告した「歴史秘話ヒストリア~徹底解明! これが“真田丸”だ」について。

NHKは、このドラマを絶対に失敗させないという意気込みでだろう、さまざまなプロモーション(関連)番組を放送しているが、出色なのは、年明けに放送されたこの番組である。

昨年の調査で初めてわかった真田丸の位置(大阪市天王寺区餌差町周辺)、そしておそらくこうであったろうという真田丸の構造、徳川軍が大損害を受けた戦いの様子が、見事に説明されていた。

2016-01-09_223921s.png 真田丸の位置推定は、地下探査レーダーと、終戦直後の米軍の航空写真による立体視での地形確認。
さらに、それによって推定された場所の現在の街の様子から、真田丸の当時の状況―堀、天然地形、建造物(寺)が符合することから、まず位置は間違いないということである。

昨日見た民放の歴史番組でも、真田丸の位置はこの説がとられていた。


そして、この新しい知見により、真田丸の姿、真田丸での戦いの様子が、見事に解き明かされる。
2016-01-09_213307s.png ポイントは、
  • 真田丸の戦いは野原ではなく、町なかで行われたこと
  • 真田丸は既存の寺と天然の断崖を取り入れた構造であったこと
  • 真田側は長距離の鉄砲を保持していたこと
ということであった。


2016-01-09_213352s.png 番組中でも言われていたが、従来は真田丸の戦いのシーンは野原の先にあるむき出しの砦へ向けて、徳川の騎馬・歩兵が各方位から一斉に突撃するように描かれることが多かったが、この新しい説によると、町の建物の間の狭い通りをひしめきあって真田丸へ攻め寄せ、堀に落ち、行き止まり、狙い撃ちされるという戦い(というかなぶり殺し)になる。

そういう状況なのに突っ込んだ徳川軍の将は、あまりに凡愚と思うけれど。
もっとも、初日に1万を超える損害を出してからは、塹壕戦に移行したわけで、そうそう失敗を繰り返したわけではないようだが。


2016-01-09_213540s.png また、番組終盤では、夏の陣がとりあげられ、冬の陣では家康が本陣を置いた茶臼山が、今度は信繁の本陣として、しかも真田丸の再現を狙って整備されたという。冬の陣の真田丸のように、先鋒をはやらせ、手薄になった家康本陣を衝く作戦だったという。

見方の統制がとれない動きのために失敗したわけだが、もし成功していたら、失敗でも家康に肉迫したわけだから、ひょっとしたら家康の首をとったかもしれない。

さて、「真田丸」では、この戦いを野原での戦いとして描くのか、それとも新設に従って町なかの戦いとして描くのか。
その答えは年末のお楽しみだ。

最後に、この新事実は昨年の調査で明らかになったわけだが、この調査はたまたま昨年に行われたのだろうか、それとも「真田丸」が大河ドラマになったから行われたのだろうか。

番組では調査風景も収録されているから、NHKが企画、あるいは何らかの寄与をしたのだと思う。
これも大河ドラマの功である。


「真田丸」スタート

2016-01-10_211141s.png いよいよ今年のNHK大河ドラマ「真田丸」がスタートした。

ストーリー運びについての私の大胆予想は当たるだろうか。
なんと、予想とは異なり、いきなり武田氏の滅亡から始まった。

私の予想では、武田氏の滅亡は第6話である。ストーリー運びで5回分を跳ばしているわけで、この5回をどこかで稼がないといけない。三谷脚本は多分、歴史に責任を負わなくて良いいろんな創作挿話を入れてくるに違いない。
ところで、私の大胆予想では、第5話で子役と堺雅人が交代するとしていた。つまり、第6話=武田氏の滅亡から本格的に堺雅人が演じるとしていた。このことに限っては大正解である(子役のめどがたたなかったので、5回をカットしたのでは―そんなはずないでしょ)。読者のみなさん、いかがでしょう?

ところで、NHKは、昨年の「花燃ゆ」がコケて、「真田丸」では絶対に視聴率をとろうと考えたのか、年末ぐらいからプロモーション番組をやたら多く流していたと思う。

真田信繁をテーマとしたクイズ番組、真田丸の場所を探訪する番組、「ブラタモリ」と「家族にかんぱい」を合体させて、タモリと鶴瓶に堺雅人を加えた番組…と、二の矢、三の矢の乱れ射ちである。
(そこまでやらなくても、きっと視聴率はとれると思うけれど)

そういうプロモーション番組をみて知ったのだが、この題字を書いたのは、書家ではなくて、左官屋さんだそうだ。
もちろん芸術性に優れた名のある左官屋さんなんだと思うが、NHKから依頼が来たときに、何で?俺書家じゃないけれど?と思ったんだそうだ。(その題字を書く―壁に土を塗り、削るシーンも放送されていたけれど、見事に一発で決めたらしい。)

前に「大河ドラマの功罪」で、大河ドラマが放映されると、その人物・時代・地域がクローズアップされ、きちんとした歴史解説書が新刊あるいは復刻されることが大きな功だと書いた覚えがある。

今回は、それに加えて前述のようなプロモーション番組が多数放映された。
「花燃ゆ」ではこうしたサポーターを作れなかった。いわばNHKは杉文を見殺しにしたわけだが、これも仕方がない。何といっても歴史上の人物としての重みが違いすぎる。思えば、新島八重も、来年の井伊直虎もNHKの歴史番組でとりあげられている。

明日は、その中でもとりわけ意義深いと思われる「歴史秘話ヒストリア~徹底解明! これが“真田丸”だ」を取り上げる。

AKO47

今日12月14日と言えば、国民的行事と言うと爺臭いと言われそうだが、赤穂浪士討ち入りの日である。

2015-12-12_181047.png 他人から教えてもらったのだが、近年、赤穂義士のことをAKO47という咄がある。
オリジナルが誰によるのか知らないけれど、YouTubeに月亭八方が語るその咄がアップされている。

私が名前を覚えているメンバーは、間違いなくAKO47の方が、AKB48より多い。
センターは選挙じゃなくて、大石内蔵助と決まっている。
私の印象が強いのは赤垣源蔵、兄の紋付きと酒を酌み交わしたシーンは、酒飲みならぐっとくるところ。ただし、モデルとなった赤埴重賢は下戸だったという話もある。この話も講談から落語の演目として名高い。
人気が高いのは、高田の馬場で有名な堀部安兵衛だと思う。落語に、素人が赤穂浪士の芝居かなんだかをやるという咄でみんなが堀部安兵衛になりたがるというのがあったように思う。
赤穂浪士をとりあげた落語がどのくらいあるか知らないが、聴衆をのせやすい題材である。

vlc-2015-12-12-18h02m17s372.png 前にも書いたけれど、私が毎週のように見た最初のNHK大河ドラマは「赤穂浪士」、大河第2作である。
NHK大河では、これを最初に4度、赤穂浪士が取り上げられている。

1964年 「赤穂浪士」 第2作
1975年 「元禄太平記」 第13作
1982年 「峠の群像」 第20作
1999年 「元禄繚乱」 第38作

先週8日のNHK「知恵泉」では、"組織の危機に対処せよ!「忠臣蔵 大石内蔵助の極意」"だったが、これは2週にわたる企画で、明日15日は、"すべてはチームのために!「大石内蔵助 討ち入りへの道」"がテーマとなっている。
NHKは、結構、忠臣蔵が好きなようだ。

広岡浅子

前に、大河ドラマ「花燃ゆ」と朝ドラ「あさが来た」を比較した。

COTMs4yU8AAv7WK.jpg「花燃ゆ」はあと1回で終了だそうだ。
本ブログでは批判的に書いたけれど、こうしてみると、なんだか名残惜しい。
井上真央が悪いわけではなくて、大河ドラマの宿命である歴史性についての微妙な立ち位置の脚本の問題である。
お話としてはそれなりに楽しめたし、随分前に「大河ドラマの功罪」で書いたとおりの「功」はたしかにあったと思う。
つまり、ドラマで取り上げられた歴史上の人物について、あらためて知ろうとする契機として、美和(文)はともかく、楫取素彦はもちろん、出番は少ないが紡績業発展につくした人々(星野長太郎、新井領一郎とか)など、あまり大きく取り上げられてこなかった偉人の存在を教えてくれた。

一方の「あさが来た」の方だけれど、最近、小前亮「広岡浅子」を読んだ。
著者もこの本に書いているように、この広岡浅子が再び凄い人物として脚光を浴びたのは「あさが来た」の力である。実は、私もNHKの制作発表があってから調べた口である。
実際、広岡浅子をとりあげた本は、前にこのブログでとりあげたときには未だあんまり出版されてなくて、古川智映子「小説土佐堀川 ――女性実業家・広岡浅子の生涯」ぐらいしかなかったけれど、今では何冊か出版されている。「あさが来た」にあやかっているのである。

さて、こちらの朝ドラは広岡浅子をモデルとしながらも、自由にお話を作っているわけだが、本当は怖いおばさんだったに違いなく、そばに寄るのは御免蒙りたい浅子(小前前掲書)が、何ともかわいらしく描かれているにしても、埋もれていた人を再評価させる点、大河ドラマに劣らぬ功があることを実証している。

いつも見ているわけではないけど、先日浅子の妊娠を喜ぶ店の中で、新次郎にひそかに思いを寄せる下女の姿が描かれた。多分、彼女が浅子が新次郎の妾に選んだ女がいたという史実に沿った役になるのだろう(史実では多くの子供を産むから軽い役ではないのだけどあの役者で良いのかな)。


ご苦労様でした「花燃ゆ」、まだまだ頑張ってください「あさが来た」。

真田丸 大胆予想(その2)

Screenshot_2015-11-09-13-31-37.png 昨日稿で、戦の見せ場は4回、他、女性とのロマンスを描くとして、さぁ、50回の放送にどう振り分けるか、私の大胆予想を以下に述べる。(信繁の年譜は、平山優「真田三代」を参考にした。)

まず、タイトルの真田丸の攻防は1回で終わらせるのは勿体ないだろう。準備で1話、合戦場面で2回、少なくとも3回は、直接真田丸を描かない手はない。
そのように考えると、三大見せ場(4戦)はそれぞれにかなりの回数を稼がせることになるだろう。
こうした点に注意して、第1話から、第50話までを考えてみた。
(以下「作る」としたのは史実不明、創作部分という意味)
    第一部 戦乱の世
    信繁が生まれ育った時代と場所を描いて、その後の信繁の生き方のベースを説明する。話の中心は父昌幸の世代のことにならざるを得ないが、そうした中で信繁が知恵を身に付け、それを働かせて真田家を助けるという話を「作る」。
  • 第1話は、北信濃をめぐる戦国乱世の状況が解説される。真田氏は信玄与力であるが、狭い領地にこだわって、これを守ろうと躍起になっている。そんな中、信繁が誕生する。
  • 第2話から暫くは、信繁の姿はあまり描きようがない。破竹の勢いの武田軍の中で活躍する真田一族の姿が描かれ、すくすく育つ信繁の姿を想像する。しかし、三方原で徳川を粉砕するものの信玄が病没し、真田氏の行く末に暗雲が。このとき信繁7歳。架空の話で信繁の賢さを強調するしかない。
  • 第3話、前話で暗示された運命は、長篠の合戦でいよいよはっきりとした形をとる。信綱・昌輝兄弟の戦死の報がもたらされる。気丈にふるまう信繁9歳。たとえば戦死の報を受け取るのが信繁だったり、架空の話で時間を埋める。
  • 第4話では、勝頼を頼み、また勝頼から頼りにされる昌幸。上野白井城代となった昌幸のもと信繁10歳が城で成長していく。
  • 第5話では、謙信が急逝、これをチャンスと暗躍する昌幸。3年後、後の秀吉の小田原攻めの因縁となる北条の沼田城を昌幸が攻略する。信繁14歳は、後方で、何らかの働きをしたことにする。ここで子役から堺雅人へ
  • 第6話、武田氏が滅亡。昌幸は勝頼の強引なやりかたに疑問を持ちつつも頼られ苦悩する。幸い、上杉への備えのため北信濃にいて武田氏滅亡の現場には居合わせない。昌幸は北条に接近するも結局、信長に従属する。武田滅亡に騒然とする城内と信繁16歳が描かれる。そんななか、梅との初恋が描かれる。きりも高梨一族の娘として登場。
  • 第7話では、織田に付いたのも束の間、本能寺の変。上杉と結ぶが、これは一時のこと、北条に従属して上杉を離反、沼田城を押さえる。さらに転じて徳川に付き、北条を攻めるのだが、徳川・北条が和睦してしまう。すべては領地を守るためである。信繁16歳は、この土地への思い、そのための政治的立ち回りを深く考えるようになる。

  • 第8話は、昌幸が家康の支援を得て上田城を築城する場面。これが後の二度の上田合戦で徳川を苦しめる伏線となる。築城にあたって、信繁(17歳)が知恵を出したようにすれば、事蹟が残らない時代の信繁の優れたところを描けるだろう。
  • 第9話、昌幸は着々と勢力を固め、悲願の小県郡を統一。昌幸にしてやられ家康は昌幸の暗殺を企てるが失敗。ここでも信繁が父を救うような話を作っておく。
  • 第10話、家康に殺されそうになった昌幸は上杉に接近、信繁19歳を上杉の人質として越後へ送る。将来起こる家康の上杉攻め、関ヶ原における、上杉と真田の連携の下地となる信繁と直江兼続あたりとの間で信頼関係が生まれたような話を作る。
  • 第11話は第一次上田合戦。信繁不在の上田城で、攻め寄せる徳川軍を迎え撃つ。信繁が知恵を出したさまざまな策略が徳川軍を苦しめたという話を作る。
  • 第12話、真田はなかなかやるというわけで、小牧長久手で家康と戦う秀吉が真田へ接近、そして、信繁は秀吉のもとへ人質として送られ、秀吉に可愛がられる。これが後の関ヶ原、大坂の陣での豊臣方へ付く伏線として描かれる。しかし、秀吉は真田を信じきっているわけではなく昌幸を「表裏比興の者」と評す。
  • 第13話は、信幸の結婚を扱う。徳川に接近する政略結婚である。昌幸・信繁と信幸が別れていく伏線として丁寧に描く。
  • 第14話、信繁の結婚。竹林院との結婚時期ははっきりしないが、平山優氏によると天正15(1587)年だろうというから、初陣前に竹林院との婚儀が描かれるだろう。この政略結婚はもちろん秀吉の指示であるが、実は信繁が秀吉の人質になっているときに二人は接近しているという話にする。なお、側室きりの配役(長澤まさみ)が大物だから、かなり配慮が必要である。竹林院との結婚を陰でうらめしくおもうのちの側室きり、ひょっとしたら、九度山へ流されるときについていってはじめて信繁ときりが結ばれるということにするかもしれない。

  • 第二部 信繁勇躍
    エピソードに乏しいので、ちょっと短いシリーズとなるが、一人前の武将となった信繁を描く。
  • 第15話は、秀吉のもと、しばしの平和のなかで起こった沼田領問題。北条の臣従を期待した秀吉の裁定に不服な北条氏による名胡桃城奪取事件が発生。小田原征伐へと動いていく。
  • 第16話、信繁初陣。真田氏の利害にも大きな影響のある小田原北条征伐。真田父子の戦闘を描く一方、長陣のなか、信繁は石田光成などとの親交を深めていくのであったという話にする。
  • 第17話では、北条氏の滅亡、沼田城の昌幸への安堵。
  • 第18話は、秀吉のもとでの平和な日本が描かれる。一方で変質する秀吉。
  • 第19話は、朝鮮の役への真田父子の参陣。
  • 第20話は、秀吉の死、家康の台頭が描かれる。

  • 第三部 上田合戦・関ヶ原
    上田合戦については結構な証言記録のようなものがあるから、合戦をベースにストーリーの回を重ねることはそう難しくはないであろう。
    問題は、九度山へ流されてからの日々をどう描くのか。息・大助の誕生、父・昌幸の死などの大事件もあることはあるが、回数を稼ぐのは無理がある。
  • 第21話は、上杉討伐へ真田父子が参陣する。
  • 第22話は、「犬伏の別れ」。昌幸・信繁と信幸の別れ。
  • 第23話は、緊張する上田城と小松姫のエピソード。
  • 第24話、上田合戦。
  • 第25話も上田合戦。手に汗を握る大攻防戦が描かれる。
  • 第26話、上田合戦の終了。撃退された秀忠軍が関ヶ原へ急ぐ。
  • 第27話、主戦場関ヶ原を丁寧に描くことはこのドラマの本筋ではないかもしれないが、大谷吉継の討死は、竹林院の思いと重ねられて描かれる。
  • 第28話は、関ヶ原が終わり、戦後処理、昌幸・幸村父子が配流されるシーンとなる。九度山へついていく正室竹林院、側室きり、他の面々。
  • 第29話、大助誕生。九度山での主従の貧しい暮らし、それでも平和な日常を描く。
  • 第30話は、知られたエピソードだけでなく、架空のエピソードも作られるだろう。なんといっても、関ヶ原の後、九度山の10年間はなあ~んにもないが、その時間の流れを、九度山での平和な、しかししかるべき日に備えた生活を描かないと、視聴者が時間の流れを勘違いする。
  • 第31話、「去年より俄かにとしより、殊の外病者に成り申し候、歯なども抜け申し候、ひげなどもくろきはあまりこれなく候」
  • 第32話は、昌幸の死と信繁の入道。有名な昌幸の遺言がとりあげられる。

  • 第四部 大坂の陣
    大坂の陣は、歴史記録と多くの歴史エピソードで彩られているから、ストーリー展開には苦労しないだろう。
  • 第33話は、大坂への参陣要請。
  • 第34話は、九度山脱出を描く。ドラマチックに想像を交えてである。
  • 第35話、歓迎される信繁。
  • 第36話、大坂城内の内紛、意見がいれられず孤立する信繁。
  • 第37話、真田丸の構築。
  • 第38話、徳川軍来る。
  • 第39話、真田丸攻防。
  • 第40話、真田丸攻防の続き。
    2015-11-16_131956.jpg
  • 第41話、カルバリン砲が大坂城天守に命中、壁をぶち抜く。和睦。
    NHK『世界へGO! まるわかりヒストリー「徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実」』より。
    それにしても大砲1丁(実際には2門)が戦に終止符を打つとは。原爆にもたとえられるだろうか。
  • 第42話、堀の埋め立て。

  • 第43話、夏の陣へ。
    osakarakujo400.jpg
  • 第44話、樫井の戦い
  • 第46話、道明寺・誉田合戦
  • 第47話、八尾、若江合戦。
    大坂夏の陣は1615年5月のこと。昨年、八尾の常光寺では、「大坂夏の陣 甦る八尾の戦い」というイベントが開催された。
  • 第48話、大助、秀忠出陣を懇請。
  • 第49話、家康へ肉迫。
  • 第50話、信繁の討死。それを知らされた家康が「真田、天下一の強者」と呟いて完。
    今年は大坂落城400年、大坂城が燃え落ちる城のイメージをプロジェクション・マッピングで見せるイベントが行われていた。
    思えば、まだ現職まっさかりのとき、築城400年を記念する大坂城博覧会が開催され、職場がすぐ近くだったので見に行ったことがあった。中国から兵馬俑が展示されていたけれど、これを倒されて大きなニュースになったことがある。また、このとき記念テレホン・カードが販売されていたが、電電公社の時代であった。
とまあ、これで何とか50回なのだが、戦のシーンがいかにも引っ張り過ぎだと反省。
で、思ったが、ここには初恋の女・梅との話(架空だろう)が織り込まれていない。年譜にはそんなものは書かれてないから、どこへ入れたら良いのかわからないからだが(竹林院との結婚より前でないとおかしいはずだけれど)。
また、配役に含まれている佐助に関わる話も入れていない。これも一体いつのことなのかわからないので、どのあたりになるか想像できなかったわけだ。
これらのエピソードをうまく嵌めることができれば、長すぎる合戦シーンを少し減らして、間延びしないように作れるかもしれない。

それにしても、50回にするのはなかなか苦労。やっぱりなぜ「真田三代」にしなかったのか。
三谷幸喜氏のお手並み拝見というところである。

真田丸 大胆予想(その1)

来年のNHK大河ドラマ「真田丸」は2016年1月10日放送開始と伝えられている。
してみると最終回は12月18日あたり、毎週休みなく放送されれば、ちょうど50回(25日までやれば51回)となる。

あまり記録のない信繁だから、今まで一度ならず「どうやって1年もたせるんだ?」と書いてきたので、どういう流れになるか、大胆に予想してみた。

ところで、真田「信繁」という正統な名前を使うか、それとも「幸村」という来歴の怪しい通称を使うかだけれど、「真田十勇士」的講談ベースでやるなら「幸村」の方が据わりが良いと思うけれど(猿飛佐助は発表されたキャストに含まれている)、NHKのページでは「信繁」としている。史実に近くしようという意欲だろうか。


信繁の見せ場といえば、小田原攻め参陣(信繁初陣)、上田合戦(関ヶ原の時)、そして大阪の陣の3つであることは衆目の一致するところだろう。
また、史実上でのエピソードとしては、越後上杉、次いで豊臣秀吉の下への人質体験もドラマに取り入れやすく、それぞれで人間関係を作り、武将としての成長を遂げるという描き方ができるだろう。
これ以外は、父昌幸、兄信幸の活躍を描き、それがどう信繁に影響したのかを想像して描くことになるのではないだろうか。

そして、ドラマとして忘れてはならないのはロマンス。
発表されている配役では、信繁に関わる女性は、梅(初恋の女性)、きり(生涯のパートナー)ということだが、梅はおそらく架空の人物で、信繁が初陣を果たす前の淡い恋心を描くに違いない。
きりは高梨内記の娘という設定だから、史実では側室とされているわけだが、内記は信繁とともに九度山に随っているから、きりもそうで、それが生涯のパートナーという位置づけにできるのだろう。ただ、高梨氏は古くから真田氏と関係があるから、梅との前後関係はどうなるのだろう。
問題は、信繁の正室竹林院である。大谷吉継の娘(養女?)で、大変な重要人物であり、政略結婚とはいえ、史実では九度山まで随っているとされている。発表された配役にその名がないが、「花燃ゆ」での文の姉・千代のように黙殺できるような相手ではない。おそらく、追って配役が発表されるだろう。

以上のような見せ場をもとに、どう50回に振り分けていくか。合戦は4回(大坂の陣を冬・夏に分けた)だから、1つの合戦を描くのに5~6回を費やしたとしても、放送回数の半分に達しない。
さあ、どうする。(以下、次稿)

大河ドラマと朝ドラ~幕末・明治の女のドラマ

hanamoyufumigenzui.jpg 大河ドラマ「花燃ゆ」の不調に対し、同じく江戸末期から明治を生きた女性を主人公とした朝ドラ(連続テレビ小説)「あさが来た」が好調である。

朝ドラというのは、残念ながら、毎日見るというわけにはゆかない。土曜日の放送を見て、全体の流れを押さえるということしかできないのだけれど。
(1週間分をまとめて見られる番組編成もされているらしいけど)

大河は歴史ドラマとしての制約があるが、朝ドラは連続テレビ小説で自由な設定だから、伸び伸びとストーリー展開ができる、というのは表層的な理解で、どちらも創作物である。

2015-11-03_174006.png ただ、「花燃ゆ」はほとんど無名でその事蹟が知られない主人公、「あさが来た」はしっかりと時代に足跡を残した偉大な女性実業家をモデルにした主人公である。
どちらもストーリー展開上の「夾雑物」(「花燃ゆ」では長姉、「あさが来た」でも他の兄弟や妾の存在など)は排除しているし、挿話の創作や人物のとりかえなども行われていると思うが、やはり歴史上の事実をもとにした原作があるほうが、ドラマ性が高いと思う。魅力的な実在の人物をもとに描く方が魅力的な主人公を造形できるようだ。

asagakitaasasinjiro.jpg 京都の豪商の娘が大阪の豪商へ嫁いで、幕末~明治の動乱期にお店の存続に努力し、さらには金融業や女子大学の設立に尽力したなどというのは、話ができすぎで、そういうプロットを書いたら嘘っぽいと一蹴されるかもしれないだろう。

大同生命がアニメのCMを流しているが、便乗なのか、たまたまタイミングが合ったのか。いずれにせよ、同社は以前から広岡浅子を創業者として称揚してきているようだ。

「事実は小説より奇なり」である(懐かしい台詞ですね「私の秘密」)。

思えば、近年の朝ドラで評判をとった(というより私が興味を惹かれた)のは、「花子とアン」(村岡花子)、「マッサン」(竹鶴政孝・リタ)で、どちらも歴史的事実に基礎を置きながら脚色されたもの。
「あさが来た」の制作が決まったときに、広岡浅子をモデルにしたということで、歴史的事実をベースにしているならとドラマの出来を期待していた(見るわけでもないのに)。

前にも書いたような気がするが、人間の貧弱な想像力で書いたお話より、歴史のほうが荒唐無稽、悲劇の悲劇性、喜劇の喜劇性ともに歴史のほうが荒唐無稽ではないだろうか。
詩人や小説家の描く自然より、生物学者や物理学者、天文学者が描く自然のほうがずっと素晴らしいというか荒唐無稽と思うのは理系の人間だけだろうか。人間の想像力では量子力学なんて絶対に思いつきません。


仮名手本忠臣蔵の昔から、大星は大石、塩冶は浅野、高は吉良よと、置き換えながら楽しんだだろうし、長大な話の中には「作り話」がいっぱい詰め込まれているに違いない。
これがドラマ作りのテッパンなのかもしれない(美形役者を揃えるより確実)。

ところで、「あさが来た」のあさの姉・はつであるが、Wikipediaによると天王寺屋に嫁いだのは異母姉の春で、25歳で早逝しているという。
ドラマではその通りの展開にすると、宮崎あおいの出番がなくなってしまう。異母姉妹という雰囲気もドラマにはない。このあたりは、広岡浅子を下敷きにした「小説」という自由さであろう。

対して「花燃ゆ」のほうは、文(美和)の姉・寿が、史実通りに40代で亡くなるようだ。
主人公直接の事蹟が乏しいため造形が平板・定型的になってしまった一方、歴史的事実が制約になって、どうにも身動きがとれない状況に陥ったというわけだ。

<ドラマと歴史上の人物等の対比>
 白岡 あさ   広岡 浅子
 白岡 新次郎  広岡 信五郎
 眉山 はつ   大眉 春
 眉山 惣兵衛  大眉 光重

 今井家     三井家
 加野屋     加島屋
 山王寺屋    天王寺屋

それにしても気になる来年の大河「真田丸」、どうやって1年引っ張るんだろう?

再来年の大河ドラマは井伊直虎

気が付いたら、再来年のNHK大河ドラマは「おんな城主 直虎」になったと報道されていた。
主人公 井伊直虎を演じるのは柴咲コオということである。

iinaotorakaou.jpg 井伊直虎は、以前「歴史秘話ヒストリア」でとりあげられている。
「それでも、私は前を向く~おんな城主・井伊直虎 愛と悲劇のヒロイン~」というタイトルだった。

正直、この番組でとりあげられるまでこの歴史上の人物については知らなかった。
決して、男をおしのけて城主になったわけではなく、男に人材を欠いた井伊家にあって、そういう役回りをしなければならなかったというものだが、その役を期待以上にこなし、後の井伊家の礎となったという理解。
田舎城主であり、派手さはないけれど、戦国を着実に生き抜いたというところだろう。

Wikipediaによれば、直虎を主人公とした小説も2つばかりあるようだ。
なかなか興味深い話なのだが、やはり戦といっても田舎のそれで、天下を左右するような大戦ではないと思う。
どう、視聴者の興味を惹き、維持するか、それがやはり課題だと思う。

田舎の小領主、国人が、家の存続のために働き、戦った話はたくさんあったに違いない。歴史秘話はそれぞれにあった。直虎が関心の的となるのは、やはり女性であること、加えて井伊家という、徳川四天王から幕末の大老までという圧倒的な家系の始まりであること。

「花燃ゆ」により、女性を主人公にして、イケメンを揃えるような安易な企画では、視聴率はとれないことが実証されている。(別に視聴率などとれなくても良いけれど。)
この不人気の一因は、史実から離れすぎているということではないかと思う。今度は、戦国専門の小和田哲男先生が考証するのじゃないかと勝手に想像しているが、歴史ファンに応えられる、考証のゆきとどいたストーリー、情景描写で、視聴者をうならせるような、辛口のサポートを期待したい。
さて、どうなるだろう。

兄を信じた妹たち

shouinandfamily.jpg 以前「大河ドラマの功罪」で、功の方として、関連書籍を読む動機づけになると書いたけれど、今年の大河ドラマ「花燃ゆ」では、関連書として一坂太郎 「吉田松陰とその家族 兄を信じた妹たち」を読んだ。

その感想を書く前に、周知のとおりNHK大河ドラマ「花燃ゆ」が低視聴率にあえいでいる。この水に落ちた犬を打つように、いろいろな悪口が言われている。

女性を主人公にすれば視聴率が稼げる
イケメンをたくさんだせば視聴率が稼げる―龍馬に福山を使え
ヒロインの知名度が低くても成功例はある(篤姫、八重)

要するに、NHKの安易な企画が失敗の原因であると分析されている。

私などは文に感情移入することなどないし、イケメンと言われても俳優の名前がわからないぐらい芸能オンチだから、基本的にストーリーと演技を楽しんでいるわけで、酷評されるほど酷いドラマだとは思っていない。
特に松陰の伊勢谷友介ははまり役と言ってよい。「八重の桜」のときは小栗旬が演じたが、端役にすぎず評価のしようもないが、松陰の狂人じみたところが出ておらず印象に残るものではなかった。

この本で、ケチをつけるところは書名、その副題である。
「兄を信じた妹たち」というのは、あまりにあざとい。「花燃ゆ」に阿ったネーミングまるだしである。
ただし、その副題のあざとさと、内容とは別の話。
松陰の家族、親戚が、松陰にどう関わり、松陰をどう支えたかを丁寧に追跡しているもので、内容については申し分のないものになっていると思う。もちろん、松陰の事蹟を通観していて、松陰伝といっても良いものに仕上がっていると思う。
松陰については幕末ものの本や歴史番組などで紹介される断片的な知識はあっても、まとまって松陰伝という形では読んだことがなかった。本書ではじめて知ったことが多いことは勿論だが、いろんな知識の断片がうまくつながったと思う。

ただし、ドラマのヒロイン文のことはあまり書かれない、というか書くべき内容が少ないのが実態らしい。
「あざとい副題」と言ったが、大河ドラマの文は四女(三女・艶は夭折している)であり、松陰とは13も歳が違う。本書によれば、松陰には2つ違いの妹で杉家長女の千代という人がいて、歳が近いこともあって、松陰は兄・梅太郎、妹・千代 の3人で一緒に遊び、また学んだという。
松陰についての身近な人たちの証言として重要かつ量も多いのは、この千代や、母・滝のものだという。

ドラマでは壇ふみ演じる滝だが、実際の滝も士の奥方として、母として立派であるだけでなく、ダジャレ好きだったという。松陰もユーモアあふれる人物だったらしいが、これは滝の影響かもしれない。

また、次女・寿、四女・文は、父・百合之助、兄・梅太郎が藩の役を与えられて経済的に豊かになる前のことは知らずに育ったという。

そうであれば、松陰を支えた妹というのは、文ではなく千代のほうが重要な気がするのだが、なぜか大河ドラマでは千代は全く出てこない。
これは一体どうしたことだろう?
文をクローズアップするために、邪魔な千代を歴史から消し去ったのであろうか。

また、大河ドラマ中では、次女の寿は、気が強く、小田村伊之助との間もそれがためか、もうひとつしっくりしないように描かれている。しかし、本書によれば、寿は女性としては規格外で、気丈だ(古風な女性観を持つ松陰はずっとそれを気にかけていた)が、二人の間は睦まじく、寿がいなければ小田村はただの書斎人で終わっただろうともされている。

本書によれば、伊之助は、寿が亡くなったとき、着ていた服の襟などについている垢さえも愛おしんで、このままではカビるから洗わなければならないが、それもつらい、と言ったと伝えられている。

寿を意地悪く、夫婦仲を冷たく描くのは、文をひきたてるためだろうか。

こういうのが大河ドラマの罪である。
ドラマ中で描くのが難しいのなら、せめて番組の後に放送されている「紀行」で、より歴史的事実に近い説明をつけてとりあげたらどうだろう。

「草燃える」では、時政に結婚を反対された政子の頼朝への逃避行が描かれるが、原作者の永井路子氏は、これは歴史的事実ではないと思うがドラマティックにするために作為したと解説されていた。

まぁ、大抵の場合、作家の貧弱な想像より、歴史事実のほうが遥かに意外性がある。作家がすべきことは、歴史解釈に基づいて登場人物の内面を推し量り、それを台詞・演技に込めて、生き生きと描くことであろう。

ところで、松陰亡きあと、これからは久坂・高杉を中心にドラマが進むのだろうが、文の出番はどう作るんだろう。

道鏡

NHK大河の「花燃ゆ」が不調だそうだ。
幕末青年群像を描くドラマとして、文の眼を通して生き生きと描かれていて、それなりに楽しめる作品だと思っている。(心配なのは、久坂や高杉が死んだあとどうするの?)
まぁ、NHK大河が年度途中で打ち切りになる心配はなさそうだから、別に視聴率を気にしなくても良い。

昔、「勝海舟」で渡哲也が勝らしくないと批判されて降ろされたことがあったが、文の場合、ほとんどの人は文についてイメージをもっていないから、そういう批判が出るはずもないし。


閑話休題。
昨日稿では美坊主をとりあげたが、道鏡は美坊主だったという説がある。
その線で大河に「道鏡」をとりあげてはいかがだろうか。

NHK大河ドラマで一番古い時代をとりあげたのは「風と雲と虹と」―平将門、平安中期である。
「大河ドラマの時代」参照

それ以前の時代は、1年の長丁場を持たせる自信がないのか、国民になじみがないと視聴率を期待できないのか、未だ取り上げられていない。
前にも書いたように、里中満智子「天上の虹(持統天皇物語)」などは、1年では短かすぎるぐらい中身が詰まっている。作者が「あと1巻で完結」と予告しているから(といってもいつのことかは)、完結を待ってで良いから、取り上げてもらいたいものだ。(持統天皇は真木よう子あたりが凄みがあって良いのでは。)
古代史でもしっかりした(歴史考証がという意味ではないが)原作はいくらでもある。

ただし、大河ドラマ以外(スペシャル・ドラマ?)では、古い時代を取り上げたものはちょくちょくある。
民放でも、テレビ朝日が「額田女王」(原作:井上靖)を取り上げたことがある。
NHKでは、古代史シリーズという括りがあるようで、時代の古い順からあげると、

・「聖徳太子」2001年
・「大化改新」2005年
・「大仏開眼」2010年

と、時代順と放送順が一致している。
  NHKshotokutaishi.jpg  NHKtaikano.jpg  NHKdaibutsu.jpg

で、「大仏開眼」では孝謙女帝(石原さとみ)の即位あたりで終わるわけだが、
孝謙(称徳)女帝とくれば連想されるのはやはり道鏡でしょう。

AngoDokyo.jpg坂口安吾に「道鏡」という短編がある(青空文庫・Kindleから無料ダウンロード可)。
この短編では、姦通は否定していないが、それは女帝が淫乱であったからで、道鏡はそれに逆らえない、清純で、学問に熱心な美青年(美坊主)として描いている。政治には無関心で、政治的野心もなく、ひたすら仏法修行に務める僧となっている。また、道鏡は天智天皇の孫という説に立っている。

NHKの「英雄たちの選択」という番組で、道鏡をとりあげていたが、道鏡の豊かな学識について触れていた。ただ、最近の平城宮の発掘成果により、天皇と同等の儀式を法王たる道鏡が行ったと推測されるなど、安吾の小説でいうようなまるっきり政治に無関心というわけでもなかったようだ。ただ単純に、悪人とかエロ坊主というとりあげかたではなかった。

そもそも番組名からすれば、道鏡を英雄に列しているわけだ。よくNHKの会長や経営委員が文句をつけなかったものだ。


また、称徳女帝崩御後、道鏡は下野薬師寺の別当に「左遷」されたというが、下野薬師寺は、奈良の東大寺、筑紫の観世音寺と並ぶ「本朝三戒壇」であり、他に戒壇を持つ寺はないほどの重要な寺であるから、左遷というのはあたらないという批判がある。そもそも相手が女帝であろうと誰であろうと、女犯は破戒であるから、それが事実認定されたなら、当時なら僧籍が剥奪されるだろうとも言われている。

道鏡は、平将門、足利尊氏と並び、日本三悪人の一人とされる。後の二人は天皇に逆らった「逆臣」であり、道鏡は天皇と姦通したとんでもない男ということである。(これは孝謙女帝を、ひいてはその父帝聖武を貶める話で、それこそ不敬だと思うのだがいかがであろう。)

shoutokuetdokyo.jpg従来、道鏡の画像なるものは、精力絶倫の脂ぎったエロ男に描かれている。
川柳では「道鏡はすわるとひざが三つでき」と、巨根伝説が付随する。
こんなのもあるそうだ:

「道鏡に根まで入れろと詔」
「道鏡に崩御崩御と称徳言い」 
(つい悪乗りしてしまった)。


弓削道鏡は私の職場があるY市の出身であり、道鏡が羽振りが良かった頃は、Y市あたりは「西の都」と言われたという話もあるようだ。
しかし、後世、こういう話が流布されてか、道鏡の出身地元での人気はいま一つ。Y市からこんな極悪人を出して申し訳ない、そいつがここにいたら石をなげてやりたいというところか。戦時中、Y市弓削出身であるというだけで不敬だと殴られたというひどい話もあるらしい。
三悪人でも、他の二人は勇壮な武士だから英雄視する向きもありそうだが、道鏡は、姦通と巨根という淫靡な言葉に塗れているためか、口に出すのもはばかられるという扱い。

将門も、尊氏も、NHK大河ドラマの主人公になったのに、三悪人の中で、道鏡だけがまだ取り上げてもらっていない。
一年間の主役は務まらないかもしれないが、賢く、涼しげで、女帝とは純粋な愛で結ばれる道鏡をスペシャル・ドラマにしても良いのでは。(私は読んでないが、黒岩重吾の小説もある)

ichikawaraizouyousou.jpg調べると、過去に映画になったことがあるようだ(「妖僧」)。道鏡を演じるのは、あの市川雷蔵である。荒唐無稽な脚本だったようだが、雷蔵がそんな下卑た淫乱坊主になるはずがない。

孝謙女帝は石原さとみが続けても良いし、宮沢りえも良さそう。清純そうで乱れたら怖そうな感じ。
道鏡は、雷蔵というわけにはゆかないから、男と女が逆転したという設定の「大奥」で、知的で将軍(女)を愛する役を演じた堺雅人(既に雪村が決まっているから無理か)が良いかもしれない。

架空の人物を主人公とする大河ドラマ

昨日の「今年も大河ドラマが始まった」の最後に、歴史ものでも架空の人物を登場させて描く手法があるとして、「ベルサイユの薔薇」のオスカルを例示したのだけれど、今までも、大河ドラマで、架空の人物が主人公になっているものがあったことを思い出した。

vlcsnap-2015-01-05-16h02m23s47.pngあらためて調べてみると、古くは1967年の「三姉妹」があり、その後、「獅子の時代」(1980)、「山河燃ゆ」(1984)、「いのち」(1986)、「琉球の風」(1993)とある。とりわけ「いのち」は歴史上の人物というものが登場しないという。

「三姉妹」と「いのち」はほとんど見ていないが、他の作品は印象深い主人公だった。「獅子の時代」では菅原文太(会津藩士)、「山河燃ゆ」では松本幸四郎(日系二世で米軍に従軍)、「琉球の風」では東山紀之(琉球の役人)。


「獅子の時代」の菅原文太は、パリ万博にも行ってた(そこで薩摩と幕府が対立)と記憶している。時代・場所が重なるので、「八重の桜」を見ているとき、会津藩が下北へ追いやられて苦労する話など、「獅子の時代」を思い出した。また主題曲もダウンタウン・ブギウギ・バンドがコラボして、大河でははじめてのエレクトリック・サウンドだったのではないだろうか。
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vlcsnap-2015-01-05-16h08m57s160.png「琉球の風」はオープニング・テーマが谷村新司「階(きざはし)」で、カラオケでも良く歌った覚えがある。効果音的にボーカルを使う主題曲はいくつかあるが(「信長」「新撰組」「龍馬伝」など)、全くの歌というのはこれしかないと思う。

こうしてみると、全くの架空の人物でも大河ドラマになるわけだから、事蹟もエピソードにも事欠く人を主人公にしたからといって、大河ドラマにならないというわけではない。

なお、辞書(三省堂大辞林)によると、大河ドラマとは、長期間放送されるスケールの大きなテレビドラマだそうだから、人物の実在性も、歴史性も問わないようだ。


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今年も大河ドラマが始まった

今年もNHK大河ドラマが始まった。
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周知のとおり、今年は「花燃ゆ」、主人公は吉田松陰の妹・杉文である。
何をした人か、Wikipediaでは楫取美和子として項目が立てられているが、年譜程度で、夫を支えたというような書き方しかされていない。
また、Wikipediaによると他のNHKK大河でも「花神」には登場していたとあるが、さっぱり記憶にない。

同じく幕末の女性でも、2年前の新島八重は、華々しい社会的業績が目立っていて、本人のエピソードにも事欠かないと思うが、杉文の場合はどうなんだろう。

ただ、この二人は、はじめの夫に先立たれて再婚、どちらの夫との間にも子供はいない、という共通点がある。(それがどうした、だけど。)

第1回では、義兄であり、後にその後妻に入ることになる小田村伊之助(楫取素彦)との出会いのシーンが挟まれていたが、これも多分、根拠があるわけではないだろう。
ということで、自由に描くというのが今年の脚本になるのだろう。
そういえば、番組中で、毛利公が「そうせい」と言ってた。「そうせい公」という綽名で有名なエピソードを挟んでいるわけだ。(「そうせい」は実は相当の深謀遠慮だったという話もある。)

歴史ものでも、架空の人物を登場させて描く手法がある。
特に派手なのは「ベルサイユの薔薇」のオスカルだろう。マリ・アントワネットにフェルゼンという、歴史上隠れなきキャラクターの周りで、架空の主人公が重要な役割を果たしている。

ということで幕末群像を楽しみながら、一年間付き合っていこうと思う。

イヤラシイ秀吉

hideyoshi.jpgNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で秀吉が、だんだん暴君になってきた。

ただ、歴史の本では、素直に従わなくなる官兵衛を疎略に扱いつつも、他の大名に対するような過酷な処分はしないらしいので、今後も緊張感のあるからみが続くのだろう。

それはそうとして、竹中直人の秀吉は、以前(1996年)の大河ドラマをなぞっているわけで、「心配御無用」のふりと台詞もその当時のものの再現である。

前の大河ドラマのとき、週刊誌か何かのインタビュー記事で、で竹中直人が「後半生はイヤラシイ秀吉を演じる」と言っていたと記憶する。筆者は、当時、どのぐらいイヤラシク演じるのか期待していたのだが、あんまりイヤラシクならなかったように思う。やはり主役だから、あんまり嫌われてはいけないという演出に従ったのだろうか。

今回は主役ではない。官兵衛をひきたてるためにも、イヤラシサを強調できる位置である。
きっと、竹中直人自身、前の秀吉でできなかったことをやろうと考えているに違いない。

<堺雅人>16年大河「真田丸」の主演に決定 

<堺雅人>16年大河「真田丸」の主演に決定 という見出しが目に入った。
これは何かアップしなければ、ということで書きかけの予定稿は急遽中止。

多分、この役者さんを初めて意識したのは、NHK大河の「新撰組」の山南敬助役だったと思う。切れるけれど豪傑ではない山南だったと記憶している。
篤姫のときの徳川家定役は、本当は賢く気遣いできるのにそれを隠しているという設定。
いずれにせよ、豪傑からは程遠いイメージの役である。

堺雅人は、映画「武士の家計簿」出演時には、同名書著者の磯田道史氏が、時代劇では時代状況、人物像をものすごく勉強する役者と絶賛していたが、どんな真田信繁を演じるのだろう。

⇒モーフィングのGIFアニメ(出来は悪いけど)
sakai2.gif sana_10.jpg sana_20.jpg sana_30.jpg sana_40.jpg sana_50.jpg

2016年の大河ドラマは真田丸

NHK大河ドラマ:真田幸村の生涯描く「真田丸」に
「NHKは12日、2016年放送の大河ドラマが、戦国時代の武将真田幸村の生涯を描く「真田丸」に決まったと発表した。脚本は三谷幸喜さんが担当する。キャストは後日発表される。」(毎日新聞)

今日、2本目の投稿(といっても、先のは予約投稿)だが、大河ドラマをネタにする本ブログでは、即刻、これを取り上げないわけにはゆかない。

脚本家として三谷幸喜が悪いとは思わないけれど、史実に基づいて綿密なストーリーを展開するという感じはしないなぁ。大河では前に「新撰組!」をやってたが、大河ドラマとしては? ただ、このドラマで、山本耕史(土方歳三)、堺雅人(山南敬助)がメジャーになったという記憶はある。
また、真田信繁(幸村)というと「天地人」のときに千姫を逃がすという荒唐無稽な話が入ってた。

重厚なドラマは期待薄、開き直って、立川文庫・講談調で真田十勇士をやったらいいんじゃなかろうか。
そういえば、NHKが誇る人形劇で、猿飛佐助が武田勝頼の忘れ形見という設定のがあったように記憶している。

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(私の幼い・微かな記憶にある真田十勇士)

大河ドラマの時代

大河ドラマがとりあげる時代・人物は戦国時代に偏っていることは周知のとおり。で、どのぐらい偏っているのか、とりあげられていない時代はどのあたりか、整理してみた。

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だいたいは主人公の生没年をドラマが扱う時代としたが、「草燃える」は頼朝の少年時代はドラマでは扱われないので頼朝挙兵の年からのドラマとした。また、「炎立つ」は藤原基衡の時代はドラマでは扱われないが、そのことはグラフには表現できていない。

これで見ると、平将門以前でドラマになりそうなのは、まず持統天皇。里中満智子「天上の虹」という長大なマンガが、十分下敷になるのでは。壬申の乱という大きな戦もある。奈良時代も取り上げられていない。血なまぐさいが。
将門と奥州藤原氏までの空白期間の重要人物は藤原道長・紫式部。戦いのシーンがないのがドラマになりにくいか。紫式部だと史実がわからないからさらに難しいかもしれない。
次の空白期間は、鎌倉幕府が確立してから元寇までだが、期間が短く、重要人物は日蓮ぐらいしか思い当たらない。
その次は、室町幕府成立から応仁の乱までの間。重要人物は足利義満が浮かぶ。マンガだと一休さんとのからみがあるけれど、大河っぽくない。ここも戦のシーンがないのがドラマ化には不利。
あとは江戸の文化文政。田沼意次はいかがだろう。みなもと太郎「風雲児たち」では平賀源内とともに結構活躍するが。

さて空白を埋める人物は出てくるだろうか。

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大河ドラマ2―ベストは?

珍之助さまから「困ったときの大河ドラマ」というコメントをいただいたので、再び大河ドラマの話。

今までの大河ドラマで何が一番良かったか。
3年前だったと思うが、NHKが大河ドラマ50年でいろんな企画をしたが、「あなたの好きな大河ドラマ」というのもあった。
1位は「義経」(勘九郎じゃなくて滝沢の方)、2位「新撰組!」、3位「龍馬伝」(北大路欣也でなく福山のほう)、と比較的新しく、ミーハー好みのものが並んだ。
10位内に入ったもののなかで私も同意できるのは7位の「太平記」(1991年)。尊氏はとにかく天皇に叛いた大罪人ということでドラマの主人公になることなど考えられなかった、というのが制作決定時にも言われていた。原作は吉川栄治。特に印象的だったのは高師直の悪人ぶり。
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私のイチオシは「草燃える」(1979年)。永井路子による数編の小説をもとにしている。
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本邦三大悪女にかならず入る北条政子はちょっと嫉妬深い程度であまり悪女の印象はないが、源頼朝、北条義時という武士の面々がいずれも悪人というところがいかにもと思わせて良かった。
頼朝は義経を滅ぼした後、イヤラシク哀しんで見せる。
義時は謀をめぐらし、ライバルを罠にかけ次々に潰していく。やられる側も謀に謀をもって対抗、悪人同士が謀りあい、嵌め合う姿が面白くないはずがない。
ちなみに、実朝暗殺については、公暁単独説、義時陰謀説などがあるなか、永井路子は三浦義村説を出して学界の注目を浴びている。私も中央公論社「日本の歴史」の執筆者が永井路子説を紹介、評価していたことを覚えている。

この頃は、受けや脚本家の思い込みだけで人物像を造形するようなものが目につくが、いささか薄っぺらい。
歴史というのは人智を超えて動くところが面白く、ドラマ構成の悩みどころ・肝どころ、「事実」をゆるがせにせず、ストーリーを組み立ててもらいたい。歴史に忠実ということではなく、歴史にはそれだけの面白さがあるという意味で。

大河ドラマの功罪

今年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」、今のところ好調のようだ。

私は子供のころから大河ドラマを良く見ていた。さすがに「花の生涯」は見ていなかったが、その翌年の「赤穂浪士」は結構覚えている。たしかこの年は12月14日が日曜で、その日に合わせてドラマでも討ち入りだったと思う。
その後、「太閤記」、「源義経」と続いていく。あまり印象に残っていないのもあるが、大体、毎年楽しみにしていた。

昔から、こんなものは歴史ではない、という批判はあった。
一方、「学校の歴史の授業なんかより、大河ドラマを見れば良い」と言った大臣もいる。
これを歴史の再現と思って批判するのは大人げないし、そう思って見るようでは子供だろう。
多くの大河ドラマでは(真偽のほどはわからない)講談などで語られてきたエピソードが入るが、これはこれで「歴史」を楽しむ者の常識であり、「イヨッ、待ってました」という大人のノリなのである。

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このところ、篤姫とか江とか、そういう大英雄的でない人物が取り上げられたが、これを機にそれぞれの「ちゃんとした」伝記ものを読んだ。江などは通常、家光の母として通っているわけだが、福田千鶴「江の生涯―徳川将軍家御台所の役割 」(中公新書)では、これを否定している。
だから大河ドラマはダメというのは間違い、娯楽番組は娯楽として楽しめば良いわけで、それよりも大河ドラマを契機として、実際は(歴史家のちゃんとした考証では)どうなんだろう、と関連書籍を読めば良く、その動機を与えてくれるのが大河ドラマの功だと思う。そうすれば、ドラマへの興味が倍加する上に、本当は違うらしいと批判精神を持って見ることもできるようになる。大河の放送が始まると、ストーリーや撮影裏話などのドラマ解説本が書店に平積みされる光景を見るが、ありがたいことに、便乗商法で、関係書籍が並べられたり、最新の歴史知見に基づく本が刊行される。

で、今年の「軍師官兵衛」。一番有名なエピソードは、信長が本能寺で死んだことを知り号泣する秀吉に対し、「天下をとるチャンスですぞ」と言ったという話だと思う。私も、大河ドラマが官兵衛と聞いたとき、あの策士で腹黒そうな奴に視聴者が感情移入などできるのだろうか、と否定的に思った。
だが、諏訪勝則“黒田官兵衛―「天下を狙った軍師」の実像” (中公新書)を読むと、律義者の官兵衛という全く違うイメージが語られている(本書によると「かんべえ」ではなく「かんびょうえ」と呼ばれていたとのこと)。「軍師」と呼ぶことも不適切(軍師は戦いの吉凶などの占いが本務。官兵衛にその記録はない)、また、参謀というよりも、方面軍司令官という役割だったのではないかという。
というわけで、今までの官兵衛に対する私のイメージはがらりと変わった。それにしても岡田官兵衛はまだ役をつかめていないのでは(脚本のせいかもしれない)。切れ者イメージはもう一つ、直情的すぎる。自分の策に責任を持つ厳しさではなく、責任を上司になすりつけるような甘さを感じてしまうが。

さて、大河ドラマでは、例の「天下をとるチャンスですぞ」のエピソードはどう扱われるのだろう?
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