住基コード取得済通知

nenkin1R.jpg筆者宛てに日本年金機構から住基コード取得済の通知が送られてきた。

年金機構のホームページで確認すると、「年金記録確認のお願い・住民票コード登録のお願い」というのがあって、年金機構が既に住基コードを取得している人は「取得済」のお知らせ、そうでない人には住民票コードの登録を求める内容。

筆者のように住基コードやマイナンバー法制について多少知識があれば、この意義は理解できるが、そうでなければ「一体、何のこと???」となるだろう。そもそも住基コードって何だろう、という人だっているに違いない。

nenkin2R.jpgと思ったところ、機構のホームページによると「※原則としとて、平成25年3月末時点において年金加入履歴を有する60歳以上の方で年金受給者でない方にお送りします。」となっている(たまたま、筆者はその比較的少数の対象者になったわけ)。

それより、事前知識がないと、まるで「おまえの居所はわかっているのだぞ」と突然言われたようで、気持ち悪さを感じる人もいるかもしれない。
はじめから住基データは年金機構にも提供されることを承知していれば良いが、「いつの間にか」法改正でそういうことになったわけで、本人同意なしでも法律さえつくれば良いのか、と「後出しジャンケン」に疑問を持つかもしれない。


文面を見る限り、既に受給している人なら当面、住基コードを取得しなくても、今まで通り事務を続けることができるのだろう。しかし、未取得者に住基コード登録を依頼していることでもわかるように(住所変更を機構に届ける必要がなくなるというのがメリットだそうだ)、既受給者であっても今後は住基コードを取得していくと思われる。

今回の住基コード取得は、住基コードで名寄せをする新しい仕組みが動き出す準備だろう。
(拙稿「情報連携ネットワークにマイナンバーを流しちゃいけないのか」参照)

機構は、おそらく捕捉している加入者の4情報(名前、性、生年月日、住所)を用いて、住基ネット(おそらく住基全国センター=J-LIS)が保有している住民票情報と照合し、マッチした加入者について住基コードを付加したものと考えられる。今後、加入者異動等が発生したとき、住基コードをベースにした機関符号により、情報連携ネットワークを使って、それを把握することになる。

ところで、年金機構はマイナンバーも使うはずだが、それはどこから取得するのだろうか。
情報連携ネットワーク上、マイナンバーを流してはいけないことになっているが、本人から取得するのだろうか。
単純な本人申告だと書き間違いとかも大量に発生しそうだ。これではマイナンバーの意義が全く失われる。
マイナンバー通知カード(希望者はマイナンバーカード)が全員(全国民、外国人登録者)に送られるから、本人がこのカードを持って年金事務所に行くのだろうか。それともカード券面をコピー(ただし名前などのある表だけでなく、マイナンバーが記載された裏も!)したものの郵送で良いのだろうか。

最も簡単で確実なのは、既に同定が済んでいる住基コードを利用して、情報連携ネットワークを使って市町村から収集することだ。
マイナンバーは情報連携ネットワーク上は流さないというが、名寄せのためには流さないと狭く解釈すれば、マイナンバーを名寄せに使うのでなく、住基コードで名寄せして、マイナンバーはその属性情報であるという詭弁もある。そしてこの詭弁を認めるほうが、国民の負担も、機構の負担も、はるかに低くなると思う。

いずれにせよ、市町村以外に、マイナンバーと住基コードを対応づけることができる組織が一つ増えたわけだ。国がマイナンバーは連携ネット上で流通させないとか、住基コードは門外不出と言おうが、どちらをつかっても個人を特定できるようになった。年金機構は基礎年金番号ももってるから、3つの個人特定番号を持った。これなら、まさか年金記録が消えたりしないですよね。

筆者は国民総背番号制には賛成だが、住基ネット、マイナンバーはその目的・本質(国民総背番号)を隠したいためか、常識的な設計から外れた無理なシステムになっていると思う。きちんと正面から議論して、コンセプトを明確にして、姑息なシステム(マイナンバーは連携ネットワーク上で流通させない)は撤回したらどうか。

マイナンバーカードは、表が名前や住所・顔写真、裏にマイナンバーが記載される仕様になったらしい。マイナンバーが簡単にコピーされないように配慮したのだそうだ。とすると、コピーが必要になったとき、表と裏が同じカードのものだということを示すために、たとえばカードのIDのようなものを表裏に印刷しておく必要があるだろう。(書類に記載する人、それを確認する人が、カードを何回も裏返す姿が目に浮かぶ)

ところで、クレジット・カードでは署名欄はカードの裏にある。これは店員がカードをわざわざ裏返すことにより署名を確認するという手順を励行させることと、他人のカードを使う人がカードの裏の署名を模倣しながら書くのを防止する(店員は署名確認のためカード裏面をみており、署名者にはカードの署名欄が見えないようにする)ことが理由だと聞いたことがある。
マイナンバーカードでは、裏面の本人には見えないマイナンバーを暗唱させて本人確認でもするつもり?(米SSNの失敗だからありえないでしょうけど)

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AKB48.tokyo

以前「地理的名称トップレベルドメイン」という稿をアップしたが、その後、".tokyo" は、かなり派手に販売促進活動をしているらしい。

AKB48tokyo.jpg関西では東京での販促の状況が伝わってこないので気付かなかったが、既に4月の段階で、AKB48を使った販促を展開していたらしい。
もっとも、前稿執筆時点では、".tokyo" でGoogleドメイン限定検索をかけても、レジストリ事業者のGMOのURLしかヒットしなかったので、販促効果は未だ出ていなかったのだろう。
今、同じようにドメイン限定検索をかけると、結構な数のURLがヒットする。

想像するに、これからドメインを取得しようというユーザーなら、同じような値段で取得できるなら、"xxxx.jp" でなくて、"xxxx.tokyo" を選択してもおかしくない、というより、.tokyoの場合、"xxxx" の部分は未開の広野であるから、希望する名前を使える可能性も高いのだろう。
この種のドメイン名ビジネスは、卸元レジストリ以外に、それを取り次ぐレジストラという商売があるわけだが、以前からある "お名前.com" というサービスで、".tokyo" を扱うようになっており、年間920円で販売しているとのこと。

既に定着している大企業・有名サイトがドメイン名をわざわざ変更するということは考えにくいが、新規ユーザーには、案外、売れるかもしれない。
ICANNに支払う審査料が185,000ドルで、承認後も年間25,000ドルを払うわけだから、1ドル=92円、つまり年間10ドルで計算すれば、2500ユーザーで維持費相当。審査料185,000ドルを5年で回収するとすれば、310,000ドル/50=6000ユーザーが必要。もちろんICANNへの費用だけでなく、システム経費が必要だが、新規なら相当の投資だろうが、既存のシステムを使うならそれほどでもないかも。

大昔、パソコン通信が勃興してきたころ、某県の第3セクターが、県民の1%余、10万ユーザーの加入で黒字になると見込んでいたが、あえなく潰えたことがあった。(本当に頑張っていて、1~2万人ぐらいは集めたと思う。なお、当時、最大手のNIFTYでも20万ユーザー程度だったから目標自体に疑問はあるが。)
さて、".tokyo" は目標ユーザーを確保できるだろうか。
(それにしても、".osaka"、".kyoto" はまだか)
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「やってもた」の経過(その4)

「やってもた」の経過も4回目。

昨日、経過観察で整形受診、例によってレントゲンで治癒状況を確認。
前回、3か所の骨折と判明したが、修復が始まっている(骨折個所周囲に骨ができてくる)ことが確認されたが、今回、その経過が良いことが再確認された。
修復中という診断ではあるが、おそらくこのまま順調に治癒するだろうという診立て。
IMG_20140728_174331_505.jpg IMG_20140728_174406_712.jpg
1ヶ月後とかにレントゲンで確認しても良いが、そういう必要もないだろう、もしまた痛みが苛いなどあればその時に来てください、ということで、経過観察も終了。

あらためて質問すると、通常、こういう骨折は落ち着くまで3カ月くらいかかるそうで(最初にそう言ってもらったら良かったような)、無理な動作は8月下旬ぐらいまで控えるようにとのこと。
また、完全に元に戻るのは1年かかるそうだ。修復され一旦太くなった骨が、不要に太い部分を除去するとかで、それには1年かかるという説明。

思えば5月26日の夜にやってもた後、5月28日から5回の診察を受けた。
1回の診察で2枚のレントゲンを撮るから、1ショット0.1mSvとして、ちょうど1mSv。
ICRP(国際放射線防護委員会)基準の年間人工放射線限度量に達した計算になる。

ということで、ご心配をおかけしたが一応落ち着いたという事で、このシリーズはおしまい。
(快気祝いしなければ)
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運転免許証の更新

ShikenjoCrop.jpg今日は運転免許証の更新に行ってきた。午後には整形外科の予約が入っているので、休みをとって午前中。

更新のたびに視力検査で引っかからないか心配だが、考えてみると近視ではないから、少々の老眼は問題にならないと思う。
K府はサービスが悪くて、一部地域を除いて警察署では更新手続きができない。試験場まで行かなければならないのだが公共交通機関では不便。しかも受付時間が朝8:30~9:30、午後1:00~2:00とそれぞれ1時間で、これに遅れると出直しとなる。

30分程度の道のりを、混んでいるため50分かけて8:40試験場着。
月曜の朝だが大混雑で、車は受付から最も遠いところに停めることになった。8:45頃に長い待ち行列に入って、10:25更新免許証受け取り、手続き時間は約100分だった。

koshufukei.jpgK府は免許証のICカード化が遅れていたが、今回の更新で私もICカード免許証になり、4桁数字のパスワードを2つ一組みで登録した。講習会の説明の半分以上がICカード化の説明。要するに、

運転免許証は従来も身分証明書として(目的外)利用されていたが、利用実態から身分証明書としての利用を積極的に認めることとし、その厳格性を保つために、券面偽造されてもICチップ内容を確認できるものとした。
このため身分証明として免許証を利用する場所においては、IC免許証読み取り装置が置かれている場合があるので、一組みのパスワードは、その求めに応じて入力し、内容確認することになる。


ということなのだが、まだそういう経験はない。
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レギュラーソリュブルコーヒー

goldblend.jpg報道によるとネスレが、コーヒー関係の業界団体を脱退するという。

脱退の理由は、ネスレ製品の「レギュラーソリュブルコーヒー」という表示が認められなかったからとか。
業界ルールでは、消費者を混乱させないために「レギュラー」か「インスタント」かを表示することになっていて、コーヒー豆から直接つくるか、抽出液を乾燥させた粉末を使うかで分けているそうだ。

今回、業界団体は、ソリュブルはインスタントに分類するということにしたようだ。
ネスレの言い分は、製法が違うから食品関連法規を尊重して「レギュラーソリュブル」の表示を変えないとのこと。
20140726_162321_Android-crop.jpg goldblendlabe-crop.jpg
ネスレの肩をもつわけではないが、業界団体が二分法にこだわる理由がわからない、新しい分類を作って何か問題があるのだろうか。

とはいえ、この記事が出るまで、レギュラーソリュブルコーヒーという表示になっていることは全く気がつかなかった。
ただ、ネスカフェ・ゴールドブレンドを常用してきたが、ある時から、ざらっと粉が残るようになって、違和感を覚えるようになった。たしかにコーヒーの香りや味わいというのは良くなったのかもしれないのだが。
title_Fragile.jpg
ネスレの最高級「インスタント」コーヒーをご存知だろうか。
「フラジール」というのがある。
受注生産通販限定・販売期間限定という商品で、4月までの販売のものが、1瓶15g×7本で3,150円。現在は販売終了。
はじめて飲んだときは、すっきりした味でなかなか良いものだと思ったが、1~2年後に飲んだ時にざらざらした粉が残るようになった。思えば、これがレギュラーソリュブルの出始めだったのではないだろうか。

excellalabel-crop.jpgそして前述のとおり、今ではゴールドブレンドも同じように粉が残る。冒頭の記事によると、エクセラとか他の製品もレギュラーソリュブルに切り替わっているそうだ。
AGFも追随して、マキシム・ハイブリッドという製品を出している。

正直に言えば、粉が残らない方が好き。ネルか何かで濾せば良いのかもしれないが、それではインスタントの値打ちがない。

第三の分類を作って、「ゴールドブレンド・インスタント」「ゴールドブレンド・ソリュブル」を出してくれるのが消費者には一番ありがたいと思うのだが。
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煙管の掃除

煙管の良くないところは掃除が面倒なこと。
今までいろいろ試してみたが、最近になって「サビネリ」というパイプ洗浄液の存在を知った。
これを使うとしつこいヤニがとれるような気がする。

我流だが、手順としては、

1 ピンセットで煙管の火皿あたりにヤニとともに溜まっている燃え滓を掻き出す。
  次のブラシ掃除で汚れが大きすぎない程度に大雑把にとればよい。

2 煙管用ブラシに2,3滴のサビネリを付けて、煙管の吸い口から差し込んでゴシゴシする。
  写真のブラシはかなり大きいので力を入れる必要がある。
  サビネリは強力にヤニを溶かすので、溶けだしたヤニが手に付く。

3 モールの先に1、2滴のサビネリを付けて、煙管の吸い口から通す(一方通行で)
  火皿にモールの先が出てきたらピンセットで摘み出す。ピンセットを操作して燃え滓などを拭うようにする
  2で溶けだしたヤニをモールが吸いつけるように。

4 モールを火皿側から引き抜いたらティッシュで吸い口や火皿付近を拭っておく


モールは使い捨てだから良いのだが、この後、煙管用ブラシの洗浄が待っている。
結構な量のヤニで固まった燃え滓が付着しており、水洗い程度では落ちないから、洗剤をつけて何度もゴシゴシしないときれいにならない。
2本のブラシで煙管2本を掃除し、この2本を互いにこすり合わせるようにすると汚れをとりやすい。

ネットで見るとアルコール洗浄が良いとも書かれている。
ラオ煙管だと丸洗いは厳しいが、延煙管だと、いろんなやり方ができそうだ。
面倒だが、かわいい煙管のためにしっかり手入れをしなければ。

【煙管お掃除セット】
○ピンセット
 細かい作業をするわけではないので、火皿の奥の汚れを掻き出せるように先を適当に曲げている

savinelli.jpg○サビネリ
 パイプ洗浄液

○煙管用ブラシ
 スチールの先にナイロン製のブラシを付けたもの
kiserubrush.jpg
colormall.jpg

○パイプクリーニング用モール
 パイプ用として売られているものもあるが、割高。
 100円ショップへ行くと50本100円で売っている(カラーでないほうが良いのだが)


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煙管が好き

kiseru-koiki.jpg先日、前職の先輩・後輩による送別会をしていただいた。記念品は何がいいか、と事前に希望を問い合わせてくれる。合理的。それで記念品として指定したのが延煙管(右写真)。

外出時はシガレットだが、家にいるときはシガレットより煙管。
過去に、煙管に凝ったことがあるが、道具類が面倒だし、家や職場の近所に刻みを置いている店がないから、いつしかご無沙汰していたのだが、2年前に職場が変わったとき、職場最寄の駅前のたばこ屋に刻みも置いていた。充実したたばこ店で、葉巻、パイプ、手巻きなどを取りそろえていた。また、ゼロスタイルも置いていた。

4月に消費税増税があったので、この店で刻みを買いだめしていたのだが、新職場からは遠くなってしまった。どうしようかと思っていたが、ネットで調べると、今の職場から1駅先(手前なら電車賃不要なのだが)に刻みを扱っている店があった。めでたしめでたしである。
chalon.png
煙管たばこを吸う一番の理由は正直なところ経済性だが、それだけではない。紙や余計なものがないストレートな煙が楽しめる味わい、一服、二服と量を調整できること(実際は物足りなくて4回詰めることが多いが)、日本の伝統文化を守っているという自負。

煙管の良くないところ。刻みを詰めるのは面倒ではないが、煙管の掃除が面倒。ラオ煙管の場合だと1年も使っているとラオにヤニ徐々に染み込み表面にまで出てくるようになる。ここらが廃棄の目途。それで記念品には延煙管を所望した。記念品が1年で廃棄はちょっと申し訳ないから。

短い延煙管(豆煙管)は前から持っていて、ドイツ、オーストリア旅行のときも持って行った。喫煙所で煙管を吸っているとやはり注目されるが、特に話しかけてきた人はいなかった。Ziplockの小さめの袋に煙管と小粋の箱を入れて持ち歩いたのだが、叺(かます、煙管を持ち歩くケース)で粋に行きたいものだ。
kiseru4.jpg
うろ覚えだが、坂口安吾の著書で、煙草は西洋式の大きなボウルに葉を詰めてたっぷり吸うのがうまいに決まっている、日本の煙管でちまちまと詰めて一服吸ってチョンが粋だとか言っているのはみじめだ、とかなんとか書いてたと記憶している。

だが、別に粋がって煙管を吸っているわけではない。
たっぷり葉を詰めた西洋パイプはたしかに連続して吸える点が良いのだが、次第に味が変わってくる、ボウルの底に水分がたまっていやらしくなる。
それにパイプの掃除は、煙管よりよっぽど気を遣う。(きれいにカーボンを付けるのはもっと気を遣うし、面倒だ)
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電子書籍リーダー

どなたかの著書の冒頭にあった、「紙の本を読んでるなんて、紙に対するフェティシズム」と言われる時代が来るのかもしれない。

share_2014-07-23-13-35-07.jpg昨日、バルテュスの"MITSOU"の記事中、「電子書籍で読みたい人のためのPDF版」のダウンロード・リンクを記載している。そう、いわゆる「自炊」である。
Kindle利用者は、PDFファイルをダウンロードし、それを"Send-to-Kindl用Eメールアドレス"宛てに、件名は書名、本文は空、添付ファイルにダウンロードしたPDFを指定してメールを送れば、Kindle電子書籍として端末に登録されるわけだ。

私はKindle専用機は持っていない。Kindle Paperwhite 3Gモデルはとても魅力的な端末だが、さすがにタブレットとKindleの両方を持ち歩く気にはならない。

電子書籍端末というと、SONY Readerを亡くなった母のために購入したことがある。このときにKindleを買わなかったのは、音楽プレイヤーとして使えなかったから。
SONY Readerも新しい機種はだめだが、少し古い機種はMP3プレイヤーとして使えた。入院中のベッドで落語を聞くために買ったのだった。普通のプレイヤーでいいじゃないか、と思うかもしれないが、右手が麻痺して使えないと、小さな携帯プレイヤーでは大変操作しにくい。眼も悪くなっているから、小さな画面は読めない。ということで画面が大きくていいだろうと思って買った。結果、スイッチ類が小さく・固く、使いにくいので思ったようには操作できなかったが。
それでも、しばらく使っていたが、やはり病院のベッドで使っていると、機械の上に寝てしまったりするのだろう、早々と壊れてしまった。結局、トランセンドのVideo/MP3プレイヤーを買った。操作しにくいので、結局、収録されてるコンテンツを連続再生して、ラジオのように使っていたようだ(MP3だと大量のコンテンツが収録できる)。

というわけで、その頃は、SONY ReaderのアプリもAndroidタブレットにインストールしていた。リーダー本体を買ったときについてくるクーポンで有料コンテンツもいくつか買った。

sonyreader.png

honto.png総合書店hontoもインストールしている。これはジュンク堂で会員カードを作ったときにhontoで使える金券がもらえたから。

aoisora.png電子書籍というには少しシンプルだが、青空文庫も使っていた。
青空文庫用のリーダーはいろいろあるのだが、スマホ、タブレットで使っているのは「青い空」というアプリ。このアプリが優れているのは、書籍内検索ができること。以前、仕事上で関係する法令をテキスト形式のままタブレットに入れて、必要があれば青空文庫リーダーで読んでいたのだが、こういうときに書籍内検索ができると便利だった。

kindle.pngこのような遍歴だが、結局、今はKindleがメインになった。
青空文庫所収コンテンツは、ほとんどKindle化されたので、コンテンツ上、青空文庫のメリットはない。自炊についても、Kindleはプレーン・テキスト、PDFなら問題なくSend-to-Kindleで簡単に送り込める。
リーダーとしての出来は普通。文書内検索もできるし、辞書をひくこともできるが、できればDroidwingと連携してくれるともっとありがたい(私はDroidwingで広辞苑を使っている)。hontoのリーダーは辞書はWeb検索になるのでちょっと不便。マーカーやメモの書き込みなど、私的にはあまり使わない機能だが、会議資料などの場合は役にたつだろう。もっとも会議資料はPDFのまま見ているからKindleを介することはない(PDFの場合、Adobe Readerを使うと、手書き図形を上書きできる。Kindleもできれば良いと思うが)。

仕事の資料類をタブレットに入れておくのは良い。休み中に読みもしない資料を、紙のまま大量に持ち歩くなど考えられないが、タブレットだと、それによって物理的な量が増えるわけではない。どこでも必要なときに仕事の資料を見ることができるというのは大きな安心感につながる(実際には見ることはまずないのだから一層ありがたい。それに、そもそもオンライン・ストレージを使えばタブレットに入れておく必要もない)。



hontoはリーダーとしては同様。前述のようにローカル辞書がないのが少し困る。検索機能はhontoリーダーのほうが使いやすいと思う。
それより、hontoはしょっちゅう、書籍や電子書籍の割引券を送ってくる。これでコンテンツがAmazonぐらい充実したら良いのだが。
share_2014-07-23-14-32-21.jpg
と、ここまで書いてきたが、実は電子書籍を愛用しているということでもない。
車中ではもっぱら紙の本。私が10インチでなく、7インチのタブレットを使っている理由は、軽くて、車中でも片手で操作できるということを重視したからなのだけれど、やっぱり慣れた紙がいい、ただし今のところ、かもしれない。

何といっても、本を読んでる途中にわからない言葉や調べたい事象があったらすぐに調べられる電子書籍はありがたい。車中で読んでいて気になった事柄があると、職場について真っ先にネットで調べたりするわけだが、ときどき何を調べようとしてたのか思い出すのに時間がかかる。(本とタブレットを並べて車中で使うほど余裕はない)

今までのところ、電子書籍で読み切った本といえば、仕事で必要な本と、前にこのブログでも紹介したSleeping lady、青空文庫所収の古典的作品数冊にすぎない。結局、良いコンテンツがあるかどうか。
仕事の参考でどうしても買う必要があった本は電子版があって、紙より安かったから迷わず電子版を選んだが、通勤の慰みで読む本の場合、図書館で借りるわけだが、残念ながら電子版というわけにはいかない。

公立図書館でも電子書籍の貸出を行っているところがあるが、現時点ではまだまだ図書館で扱える電子書籍の出版点数が少ないようだ。大阪市立図書館の電子書籍一覧を見ると、たしかにあまり読まなさそう本がならんでいる。青空文庫のほうがはるかに広い。とはいっても、青空文庫は、著作権フリーが基本だから仕方がないのだが、古い小説中心で、最新の科学的知見を含むような本は無縁。小説なら名作がたくさんあるけれど、私はできる限り小説は読まないことにしているからあんまり読むものがない。
新刊の電子書籍の図書館貸出ができるようになるには著作権問題の解決が必要なんだろうが、これにはまだまだ時間がかかりそう。

確実に電子書籍は良くなっていると思う。配信サイトは随分増えた。しかし、販売サイトによって仕様が違う・専用アプリが必要、コンテンツの互換性などの技術的な問題があって、このままではAmazon Kindleに収斂するかもしれない。
また、もっと大きな問題は、コンテンツの貧弱さだろう。
出版点数は増えてきているが、なんで面白そうな本は電子では出版されないんだろうと思う。一つの目安だが、岩波新書で電子版が出ているものを調べると157点、岩波文庫ではたったの151点しかなかった。他の出版社も似たようなもの。NHK出版などは、放送のテキストぐらいしか電子版は出してないようだ。


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バルテュスという画家(その3)

KingofCat.jpgバルテュスの3回目。
昨日、最後に「地中海の猫」を載せているが、バルテュスと猫というのも、この画家を特徴づけるものだそうだ。
「猫の王(The king of cats)」という作品では自らをそうなぞらえている。

なにより、展覧会の最初のコーナーが “MITSOU” 
猫(MITSOUという名前)との出会い、猫との生活、猫との別れが40枚の絵に表されている。
バルテュスが13歳のときに、詩人のリルケの努力によって、リルケの序文を付して出版された作品(書かれたのはその前)。

IMG_20140720_180429_497-crop.jpg

私事だが、この “MITSOU” というタイトルが他人事と思えない(加えて、私の高校のときのあだ名がネコ)。
そういうこともあって、ミュージアム・ショップで、40枚の図版が印刷されたクリア・フォルダーをみやげに買った。
そのままでは絵が小さいので、スキャンして見やすくしたものがこちら、関心があればどうぞ。

⇒電子書籍で読みたい人のためのPDF版


ところで、名前は知っているが読んだこともないリルケだが、どんな序文なのか気になった。
ネットで序文そのものを見つけることはできなかったが、こんな語句が書かれていたようだ。

「ミツに会えなくなると,ミツの姿がいっそうよく見え始めるでしょう」
「関係性など・・・危うい仮説以外の何ものでもない」
「喪失は所有の終り」

最初のフレーズはまだしも、後の2つはどう見ても、子供向けとは思えない。

バルテュス自身、回想録でMITSOUのことを書いているそうだ。

「ミツはとても反抗的で,機会を見つけては逃亡した。しかし,最後の逃亡は決定的だった。再会することは二度となかった。」
「公衆ベンチに捨てられているミツ,拾ってきたミツ,旅行するミツ,電車に乗るミツ,紐に繋がれ木立の中を飛び跳ねるミツ,作者のベットでロンロンと甘えるミツ,父親の画架の前でポーズをとるミツ,イルミネーションをともしたクリスマス・ツリーに見惚れるミツ。」
「私の絵は消え去った世界をある方法で物語っているのだ。」


なお、調べると日本語版がちゃんと出版されている。

「ミツ バルテュスによる四十枚の絵」バルテュス/R・M・リルケ(序文)、阿部 良雄 訳

大阪府立中央図書館にはあるようだ。

最初に書いたように、特に期待もせずに展覧会に行ったのだが、なかなか見応えがあった。
(このとおり、ブログ3回分のネタは十分ある!)
IMG_20140720_181756_107-crop.jpg

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バルテュスという画家(その2)

バルテュスは「少女を描いた画家」といわれると同時に、完璧な構図で描く画家とも言われているらしい。
なんども下書きをして(それが大量に残っている)、作品を仕上げているそうだ。

まずは次の2点。同じような情景、同じような構図。こういう対角線の構図が多いそうだ。
Balthus_-.jpg m_984balthus11.jpg

展覧会場に入ると初めのほうに、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」の挿絵。
arashigaoka2.jpg arashigaoka3.jpg
2つだけあげたが、どの絵もがっしりした三角形や対角線の構図がはっきり感じられる。
まるでミュージカルの1カット、1カットを見るよう。
このネットから拾った写真では明確にわからないが、他のシーンなどでは、まるでヒースとキャシーが踊りをおどっている、そのストップ・モーションのような感じのものが多くあった。

neko.jpg
「地中海の猫(The Mediterranean Cat)」は、レストランのために描かれたそうだ。レストランの壁面を飾っていたのだろうと思うが、右に猫が居て、また灯台もその隣にあって、重心が偏っていて、否応なく猫に注目する構図といえるのだろう。

ところで、この猫を見たら、鉄腕アトムに「赤い猫」とかなんとかいう話に出てくる猫のお面を被った人物を思い出した。
akaineko.jpg
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バルテュスという画家

IMG_20140720_090850_619.jpg
バルテュス展を見に行った。
あんまり興味もなかったのだけれど、新聞販売店の無料招待券があったので、特に期待もせずに行ってみた。

完全な個人展だが、絵画50点余、デッサン50点余という大規模なもの。音声ガイドも節子夫人の生前のバルテュスについての語りなど充実しており、これも聴いていると、全体を回るのに2時間近くかかる、なかなか見応えのある、重量級の展覧会だった。

どんな画家も、長い画業の中で、作風も思いも変わるだろうから、一言でこんな画家とは言いにくいと思うのだが、バルテュスもそう。ピカソが「20世紀最後の巨匠」と評したそうだが、巨匠というのは、誰々の作風に似てるとか言われない人のことじゃないだろうか。そのぐらい○○派と言えない画家だと思う。本人は、私は芸術家ではない、職人である、と言っているのだが。

thérèse-dreaming-1938一番知られているのは少女を描いた画家、代表作と思うのはなんといっても「夢見るテレーズ(Thérèse dreaming)」なんだろうと思うのだが、本人がインタビューで、誤解を受けることがあるのですが、と答えているように、ロリータ趣味ではない。同様、ロリータ趣味ではない私(どっちかと言えば熟女派?)にはわかるような気がする(証明になってないなぁ、ロリータ趣味だったらそういう感想にはならないんだろう)。バルテュスは、少女は聖なる存在と表現するようだが、いわゆる聖女というようなものではないと思う。

ふと思ったのは、レ・ミゼラブルの中で、コゼットの少女としての美しさについて「未だ自分の美しさに気がついていない、とらわれることのない美、無垢の美」というような表現があったようなこと、おぼろげな記憶だが。
見ている人からは、この少女の成長があれこれ想像される、そういう潜在性を秘めているが、本人は無頓着、今はその前段階にある、というような感じ。

SleepingGirl.jpgところで、「夢見るテレーズ(Thérèse dreaming)」の何枚か隣に、「眠る少女(Sleeping girl)」が展示されていたのだが、こちらは私にはとても “少女” とは感じられない。
絵の論評はおいておくとして、 “girl”  を “少女” と訳したのは間違いじゃないかと思う。英語の “girl” は日本語の “少女” と重なるところもあるが、もっと広く、成熟した女性も girl と言うと聞いたことがある。

前述のとおり、日本語題名の下に英語題名が付記されていたが、そもそも元は何語? フランス語? ドイツ語?
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Dress for success

いよいよ暑くなってきた。ありがたいことにクールビズが定着して、昔に比べ随分夏を過ごしやすくなった。

Dress for successという本があるそうだ。随分昔のことだが、IBMの企業誌∞(無限大)に、その内容の一部が紹介されているエッセイが掲載されていて、興味深かった。
たとえば、スーツはブルー系かグレー系、ネクタイはマロンの無地または控えめな単色、レジメンタルは避ける、靴下はネクタイとの調和を考えて、というようなアドバイスが載っているとのこと。

で、このエッセイによると、IBMの成功は、白いシャツとブルーのスーツ(文字通りビッグ・ブルー!)という服装によるところもあるという。
IBMの次の時代はMicrosoftというわけだが、Tシャツ・ジーンズがMicrosoftの成功に寄与したという。

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IBMのSEは顧客を回り、その信頼を得ることで成長したわけで、この顧客から好ましく信頼される服装がIBMスタイルなのだそうだ。今でもそうなのか、ためしにGoogleで「IBM役員」を画像検索してみると良い。

Microsoftは固苦しさがなく、自由な発想をする若者を集めて成功した。彼らはスーツとネクタイを忌み嫌うらしい。ビル・ゲイツを検索すると、さすがにスーツ、ネクタイ姿も多くヒットしてくるが、ラフな服装(Tシャツ・ジーンズ姿は見つけられなかったが)の写真はたくさんヒットする。(ビル・ゲイツ個人の服装云々より、Tシャツ・ジーンズで良い会社ということが重要)

また、このエッセイに、こんなことも書いてあったと記憶している。
暑い夏に、きちっとスーツとネクタイで過ごすのはとても無理だと言ってるようではだめ、エグゼクティブと呼ばれるような人は、車で会社に乗り付け、エアコンが完璧に調整されたオフィスに直行する。汗ばんでよれよれのシャツ、スーツというだけで信用は失われるのだと。(うちのトップはこの盛夏でもスーツにネクタイである、行事用Tシャツなどを除けば)

私自身は着るものには無頓着なほうで、センスもポリシーも何もないが、そういう人は尊敬するエグゼクティブを真似れば良いそうだ。(ただし、これには結構費用がかかると思う)
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うちの娘は男なのよ

image-preview25.jpg数日前の新聞のコラムにこんな話が載っていた。

父親と子供が載った車が事故にあい、重症を負った子供はすぐ病院に運ばれた。
診察に出てきた病院の医師は驚いて「我が子よ」と言った。
この二人の関係は。


この話は結構有名で、このコラムで出処としていたユーモア本ではなく、言語学関係の本で読んだ覚えがある。こっちはもっと凝った脚色があって、脳外科医であり、手術が終わったらタバコを吸ってというような、男性医師を連想するように工夫されていた。
たしか同じ本に、ちょっと聞くと変だが、状況によっては十分ありうる表現の例がいろいろ収録されていた。

reborn.png本稿タイトルの「うちの娘は男なのよ」もその一つ。

この文が何の違和感もなく受けとめられる状況を考える。
「うちの娘は男っぽい」を縮めた、というあたりが普通に出てくる解釈だが、実際、そういう表現は多少の違和感がある。
本に載っていた解答は、次のような会話中なら自然な表現というもの。

A 「○○さんとこの娘さん、女の子を産んだそうよ」
B 「××さんとこも女の子」
C 「うちの娘は男なのよ」


バリエーション:

A 「○○さんとこの娘さん、読書が好きなのよ」
B 「××さんとこは、なんといってもテレビゲームよ」
C 「うちの娘は男なのよ」



Unagiinu.jpg「ぼくはウナギだ」

これは多分、大野晋「日本語の文法を考える」あたりに載ってたもの。「ゾウは鼻が長い」の主語は何かという有名な問題に続いてあげられていた例文で、日本語の文法は文に主語を要求しない、助詞「は」は話題の提示であるという説。

長嶋茂雄氏が、機内食を配りに来たCAから、
"Beef or chiken?" と聞かれて、
"I am chiken." と答えたという話を思い出す。



最後は言葉の問題ではなくて、SEの適性検査として雑誌に載っていたもの。

100円持って、リンゴを買いに行きました。リンゴは1個30円です。リンゴを2個買うとおつりはいくらですか。



(おつりはありません。100円は50円1枚と10円5枚だったので、50円と10円1枚を出しました)

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文脈で判断

代数・代数幾何学の世界的権威だったN教授(故人)、書評で「著者は読者が自分ほど頭が良いと思っているのだろうか」などと書かれていた先生だが、実は教育熱心(単位が実に厳しかった)。
それも、専門だけでなく、退官後、やりたかった小学校の授業もされたらしいが、数学教育についても尋常でない。教職必修の教科教育法(数学)の授業もされていた(私もとりました)。

そんなN教授が、中学高校の数学の先生が集まる勉強会みたいなところで、こんな質問を受けたという話をしてくれたことがある。
shougen.png

質問者 「座標平面で第1象限、第2象限、・・・って言いますが、座標軸は含むんでしょうか?」
N教授 「さぁ、どっちでもいいんじゃないですか」
質問者 「それでは困るんです」
N教授 「なんで?」
質問者 「正解を決められないと点を付けられません」
N教授 「・・・」


こういうのは文脈で判断するもの。軸を含む・含まないが本質的なときは積極的に書けば良いというのがN教授のご意見だが、こういうの、○×発想の教育者には受け入れにくいだろうな。
きっと悩むに違いない、こんな風に。

軸を含ませたら、軸上の点が両方に含まれることになるのか。軸を含まなかったら、軸上の点はどこに属すことにしたらいのか。それにしても原点はどう扱ったらいいんだろうか・・・(延々)

実にくだらない。
maxarinashi.png
ところで「本質的」という便利な言葉だが、本質的かどうかは文脈(命題)によって決まる(なので循環論に陥るようだが、そこはこの際気にしないこととする)。
2次元だと面倒だから1次元で言うと、閉区間 [0,1](端っこの点0,1を含む)と、開区間 (0,1)(端っこの点0,1を含まない)の差のようなもの。[0,1]上の連続函数には必ず最大値が存在するが、(0,1)上の連続函数には最大値があるとは限らない、という大変な違い。端が有るか無いかで大違い。

Excelなどに用意されている乱数関数は[0,1)の範囲の乱数を発生するのだが、0が出るのか出ないのかって、どっちでもいいでしょう。乱数ってそんな使い方しませんよ。0が欲しけりゃ整数化しなさい。実数のままなら端が有っても無くても大差ない(almost everywhere)。(ただし、コンピュータ・プログラムを書くときは有限桁の計算が行われるから、一応考慮するのが普通。たとえ1600万分の1の確率でも)
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安全なネット生活~フィッシング

ベネッセの情報流出事件のように、こちらでは防ぎようのないものもあるが、自衛できることもある。
報道などでも「ネットの利用に注意」、「ID、パスワードを厳重に管理」とか、脅し文句が並んでいる。
某銀行は、テレビでもしつこいほどフィッシングを警告するCMを流している。
思うにセキュリティを喧しく言われても、ユーザーとしてはどうしたら良いのかわからない、というのが実際のところ。

2014_07_09_10_57_48.jpg先日、某大学の市民にもオープンにされている講義を傍聴したのだが、聴講生(初老?の女性)から、「ネットは便利だと思うし、使っていきたいけれど、一方で、危ないとも言われる。ネットを安全に使う教室のようなものを市役所とかでやってもらえないだろうか。」という発言があった。
もっともなことだと思う。ユーザーを脅かすだけではダメだから。

その某銀行のフィッシングサイトだが、あまり気にとめてなかったのだけれど、思っていた以上に巧妙だ。
fakepage.jpg truepage.jpg

(左が偽、右が正)

「必ずご確認ください!!」とか、ベリサインのロゴも入ってる、本当に凝ったページである(作ってる人は趣味と実益を兼ねてるのか)。

で、笑うのは「フィッシング対策協議会」というところの警告文で、「2. このようなフィッシングサイトにてアカウント情報 (ご契約番号、IBログインパスワードなど) を絶対に入力しないように注意してください」だと。
logincert.png
銀行側では、本物・偽物を見分けるポイントを広報しているが、「当行では・・・」式の注意点はサイトによって違うだろうが、電子証明書については、この銀行に限らず、銀行やネットショッピングサイトでは、ちゃんとしたところの電子証明書(サーバー証明書)を取得しているはず(でないとSSL通信利用時に「信頼されていない証明書」警告が出るはず)で、一般常識として身に付けておくべきだろう。

右画面はFirefoxの場合(IE、Chromeなど他のブラウザでも同様。下の画面はAndroidタブレットのChromeの場合)、アドレスバーに緑色で証明書ありが表現され、クリックすれば簡単に認証状態がわかる。たったこれだけ、手間を惜しむというようなものではないはず。(緑表示にならない場合、Firefoxなら「ツール」-「ページの情報」-「セキュリティ」で確認)
share_2014-07-15-11-30-03.jpgVerisignのロゴで安心しては余計まずい。フィッシングサイトは「真正サイトであることの確認方法」という表示までマネてるが、ここをクリックしたら何が出るんだろう。

電子証明書というと、この銀行からのメールは電子署名付きで来るのだが、Outlookなどのメーラーだと簡単に署名確認できるのだが、Webメール(Google)では結構面倒で、電子証明書が添付ファイルになって、一旦それをダウンロードして、証明書として開き直す必要がある。このあたりはGoogleも考えてもらいたい。

ところでVerisignに電子証明書発行を申請すると、申請責任者にVerisignから電話がかかってくる。

Verisign 「六二郎さまですか」
六二郎  「はい、そうです」
Verisign 「このたび当社のサーバー証明書を申請いただきましたが間違いありませんか」
六二郎  「間違いありません」
Verisign 「わかりました、それでは手続きをすすめます」

これだけ。だいたい申請責任者は職位は高いが技術は素人だから、ややこしいことは聞かない。
ここだけ書くと証明書の信用性が軽く見られそうだが、実際は、「電子署名法(電子署名及び認証業務に関する法律)」に基づき、細かく規定された同法施行規則に従って業務が行われるはず。
(上のやりとりを書いたのは、一度で良いから「あなたがVerisignのしかるべき担当社員であることを証明できますか」と言ってみたかったからで、他意はない。)

ネットは怖いといってネットバンキングを使わない人もいるようだが、キャッシュカードと4桁暗証番号があんまり安全には思えない(今はそんなことはないと思うが、キャッシュカードの出始め頃は、磁気ストライプに暗証番号を書き込んでた銀行があるくらい)。それにATMへ行って現金を出し入れするのも剣呑だと思うが、どうだろう。


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キロは、距離ですか、重さですか

言葉はネタの宝庫。ときどき思いついたことを書いてみようと思う。

キロは日本語では、kgでもkmでも使われる。
10kilo.png

  [A] 10キロ、患者を運んだ
  [B] 10キロ、牛肉を運んだ


単独で使われたり、普通の文脈で使われていたら、
[A]は距離(キロメートルkm)、[B]は重量(キログラムkg)である。

キロは速さでも、km/h(時速○○km)の意味で使われる。
速さのキロで思い出した、ファインマン物理学教程に載っていた話。

猛スピードで走る車を警察官が停止させて、
 警察官「この道路の制限速度は時速50キロです。あなたは時速100キロ出してましたね。」
 運転者「私はまだ家を出て30分そこそこ、未だ100キロも走ってませんが。」


これと同じような話。
 テレビ「九州は、50年に1度の大雨になっています。」
 視聴者「数年前にも、50年に1度の大雨と言っていたな。」

(別に間違ってない、科学的にも日本語的にも。)
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個人情報流出事件

cd45d1f0.jpgベネッセの顧客情報、最大2000万件が流出したことが連日報道されている。データベース管理を委託されていた会社の派遣社員がコピーを持ち出した容疑が濃かったが、最新のニュースでは、被疑者が漏洩への関与を認めていると報道されている。
コピーした形跡(ログ)があったということも伝えられているが、そうだとしたら犯罪としてはあまりに稚拙。稚拙だが、繰り返されるのはこういう人的な流出。宇治市住民票流出事件もシステム開発業務の再々委託先アルバイトから。

セキュリティ対策が無駄ということではなく、例えば権限のない人による操作とかネットからの流出などにはさまざまな有効な対策があるわけだが、根源的に管理に携わる人に悪意がある場合は流出防止が難しい。システムログや、特権的処理を行える端末やコンソール操作のカメラ監視などで、流出時に犯人を特定できるようにしておくことで対抗するぐらい。
それにしても、ベネッセは気付くのが遅すぎる。発覚のきっかけは顧客からの問い合わせ(不審なDMが来る)だそうだ。(昔、家に来るDMで、届く程度に住所の書き間違えがあるのが、複数個所から来ていたことがあって、ふーんそういうことか、と思ったものだが、それを意図的にやるのも面白そうだ。)

今後、持ち出した犯人は不正競争防止法違反(産業スパイ)容疑で取り調べらるという。現行法では他に適当するものがないらしい。以前、神奈川県で高校授業料の引落口座情報が流出した事件があり、流出ルートにあったシステム関連企業とはそれなりに決着したらしいが、流出してしまった情報を回収することは困難であり、県から、流出情報の廃棄・流通差し止めを立法化してほしいという要望が出されていた。

もっともなことなのだが、現実には流出元が特定できることはまれだと思う(前述の私の家にくるDMのように、ちょっと変な住所表記とかはマークになるけど特殊ケース。ディジタルデータなら電子透かしの技術があるが)。
住民基本台帳情報の流出を心配する向きもあるが、住基の4情報(氏名、性、生年月日、住所)だけだと、流出元の特定は難しい(外部利用を禁止している住基コードでも付いてたらわかるかもしれないが)。また、流出元がわからないように加工して流通することも考えられ、実効性があるかどうか微妙だと思う。

流出情報の廃棄・流通差し止めの立法化は犯罪防止の観点から大歓迎だが、個人の立場で考えると、それでも闇での取引が完全にとめられるとは思えないし、拡散した情報は回収不能(エントロピー増大の法則)だから、直接的・経済的被害に結びつくおそれのある情報を、無効化して対応する、つまり、改名とか転居は難しいけど、銀行の口座番号やクレジットカードの番号などが漏洩したら、これらをそもそも解約することで対抗する必要がある。
ところが、これがとても面倒である。(某ショッピングサイトのカードを使っていたら、提携クレジット会社を変えるので継続発行しないと一方的に通告してきた。利用者の手間はどうしてくれるんだ!)金融機関やクレジット会社がそういう手間を代行するようなサービスをしてくれたらありがたいと思うのだが。

ところで、テレビ報道では、こうした個人情報は1件10円前後で取引されるというから、単純には2000万件なら2億円ということになるが、故買だと持ち出した人はきっと買いたたかれただろう。
名簿業者のほうも、こんな怪しげな行為で2億の取引なんてできそうもないから、1口100万円ぐらいになるように小分け(例えば地域別とか、年齢別)しそうだ。100万円でも10万件もあるわけだから、統計目的では十分すぎる件数を稼げる。

ちなみに、周りには「こどもチャレンジ」などをやってる子供の親もちょくちょく居るわけだが、「もし1件500円の詫び金やったら、500円×2で1000円もらえるな」という不届き者もいる。
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速度・ピッチを変更できるプレイヤー

休日、特に何かをしなければならないということがないと、ようやく溜まっているテレビの録画をゆっくりと見る時間ができる。

とはいうものの、溜まりに溜まったビデオを見るのはこれまたゆっくりとはしていられない。で、うちのビデオレコーダーの場合、早送りの1段目(全体で4段階ある)の場合、音声も出るので、高速視聴ができる。ただし、高速になる分、音声のピッチが上がる。

以前書いたマイナス1音源を使って楽器練習をする場合、これでは具合が悪い。速度はおとしたいが、ピッチが下がっては困る。
で、よくしたもので、高速になってもピッチが変わらないオーディオ・プレイヤーがある。私が使っているのは「聞々ハヤえもん」(Windows)というソフト。
スマートフォン、タブレットでもこういうプレイヤーがある。Androidでは「Neutron」、iPhoneでは「robick」。
また、これらには速度を変えずにピッチを変更する機能もある。カラオケでキー(ピッチ)の上げ下げができるのがあるが、それと同じである。
hayaemon.jpg neutron.jpg

そういうデジタル技術を使わなくて良くなりたいものだ。

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三ヶ月

三日、三月、三年。
あることを続けられるかどうか、分かれ目のタイミングだそうだ。
前に予告したように、毎月13日は本ブログの休稿日。
なので、これ以上は駄文は書きません。(またモーフィングで遊んでみました。click please)


hanako_p-crop.png    renko_p-cropm.png
 ⇒花子と白蓮⇒  

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雑談の解説

昨日、森先生のゼミでの雑談のことを書いたが、その意味を少し解説。

donkey.pngまず、「底角の等しい三角形は二等辺三角形」であるだが、これは深淵な定理でもなんでもなく、ユークリッド原論の公理系から出発するという論理体系の場合、へたな証明をすると循環論法になってしまうということを戒めて「ロバの定理」という。
「△ABCと△ACBにおいて」というのは裏返して重ねるという発想で、△ABC≡△ACBを示し、これからAB=ACを導くもの。

次に、10円/コ×5コ=50円はdimension概念の問題で、等式においてdimensionが合わないと直ちに間違いという感覚を身につけるもの。たとえば「時速20kmで3時間移動」ならば「20km/h×3h=60km」とhがキャンセルされてkmが残るということ。
昔、河川流量シミュレーションのコンピュータプログラムの計算結果がおかしいといって相談に来た職員がいたが、ソースリストを見て、直ちにここの計算がおかしいと指摘して驚かせたことがある。何が正しいかはもちろんわからないのだが、計算式を見るとdimensionが合わない場所があっただけのこと(足し算と掛け算の違いだったと思う。違うdimensionの足し算は物理的にオカシイ)。

sliderule_m.jpg古代ギリシアには掛け算の記号がなかったの話だが、古代ギリシア人は、「時速20kmで3時間進むのは、時速1kmで60時間進むのと同じ距離」というように表現したとか。
計算尺の目盛り読み取りみたいなものだ。

ところで、数学において良い記号を発明するのは思考の効率化につながる。知らない記号は理解できないわけだが、記号を理解するようになると言葉で表現するよりもずっと見通しが良くなる。そういう例として、サイエンスという雑誌に掲載されていたパズルを紹介しよう。
問1 1から8までの各数を書いた8枚のカードがある。この中から何枚かのカードを取り出し、それを2人で分ける。このとき2人の取る枚数は同じでなくて良く、また使わないカードがあっても良いが、カードに書かれた数の和は等しくしたい。取り出すカードの数が4枚のときは、そうした分け方はできないような取り出し方がある。

問2 同様の状況で、カードが1から100までの100枚、取り出すカードの数が10枚のときは、どのような取り出し方をしても、前述のような分け方ができる。

おそらく、この文章を読んで状況を直ちに理解するのは困難だと思う。そこでたとえば次のように記号を使って表現する。
問1 ∃S⊂{ 1, 2, ・・・, 8 }、#(S)=4 (ただし#(S)は集合Sの要素数)
 ¬∃A, B⊂S such that Σa (a ∈A) = Σb (b ∈ B), A∩B≠φ

問2 ∀S ⊂ { 1, 2, …, 100 }、#(S)=10
 ∃A, B ⊂ S, such that Σa (a ∈A) = Σb (b ∈ B), A∩B≠φ
¬は否定、∃はthere exist(適当に選ぶと、存在する)、∀はfor all(すべてについて)という論理記号。
初めはなんじゃこれ、と思うかもしれないが、慣れればこれが見やすいと感じるようになる。

回答:
問1
 {1,2,4,8} など。10通りある。Excelなんかを使って全部の組合せをやってみれば良い。

問2
Aの選び方は、10C1+10C2+…+10C9=1022通り。(mCnはm個からn個とる組合せ数)
Σa の値は、1~(92+93+…+100)=862の範囲。
したがって、Σa=Σb となるA, B (A≠B)が存在する。
このとき、A, Bに共通の要素があった場合、それを取り除いても和は等しいから、題意を満たす。(すべてが共通要素ならA≠Bに反する)

雑談でも蘊蓄のかたまりだったというオチ。
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「おじさんの哲学」(続き)

Kotenkaiseki.jpgMoriTsuyoshi.jpeg昨日に続いて、永井朗「おじさんの哲学」で紹介されている文化人のうち、私が直接会ったことのあるもう一人、森毅先生について。

森先生は、数学志望の学生にとっては、大学に入る前から良く知られた先生だった。
当然、先生の著作も何冊かは読んでいる。「現代の古典解析」(表紙はネットで拾った写真、私が読んだ本は装丁が違ったように思う)「現代数学とブルバキ」というような教養的な数学の本、社会人になってからは、いくつかのエッセイ類。

最初に森先生に会ったのは、大学入学直後に、学生グループが企画した教官と話そうというような催しに森先生が来ていて、有名人だから見に行こうということで参加。何の話だったかあんまり記憶にないが、こんなことをおっしゃっていたのを覚えている(他の機会に聴いたことかもしれないが)。当時、有吉佐和子「恍惚の人」がベストセラーになっていたのだが、森先生曰く、「わしは恍惚の人志願や。周りは大変かもしらんが、本人にはそういう意識はないんやから、苦しんで死ぬよりええやんか」。
(しかし先生は自宅で料理中に火が服にうつって大火傷を負い、厳しい闘病の後にお亡くなりになったと報道されている)
Bochner.jpg
その後、2年生の時に「自然科学史ゼミ」という半年で1単位という、それこそ冗談みたいなというか、冗談そのものの授業があって、これに出てみることにした。
この授業は、ゼミと言うけれど、実態は、森先生と井上健先生(物理学の大先生!ノーベル賞候補にもなってたらしい)の2人が掛け合いで、自然科学史の話題について雑談するだけのもので、学生といっても私を含めて2、3人。真面目な理系学生が来るところではないわけ。

雑談はとりとめないから雑談だが、さすがに何らかのネタがないと始まらないので、森先生がボホナー「科学史における数学」という本を話題にして、井上先生がそれに相鎚を売ったり突っ込みを入れる。学生もテキトーに感想を言うような感じ。今でもいくつかは覚えている。

○ギリシャ数学はスゴイとみんな評価するけど、あいつらは掛け算の記号を持ってないから、なんでも比を使って説明するんや。わしらから見たらやっとられんわ。
○小学校で1個10円のリンゴを5個買いましたというのを、10円×5と書かせるけど、10円/個×5個と書かせるべきや。(dimension概念を教えるべきという話)
○底角が等しい三角形は二等辺三角形という有名な「ロバの定理」やけど、この証明をコンピュータにやらせたら、「△ABCと△ACBにおいて」とやったらしいんや。人間にはなかなか思いつかんことや。

こういう雑談が延々と続く。

GendaiOngaku.jpgで、最後の授業で、「去年までは勝手な自主ゼミやったが、今年からは正規の授業として1単位認めてもろたので、単位を出さなあかん。そこで、単位が欲しい人はその意思表示をしてもらうことにしたので、要るんやったら何でもええからレポートを出して」ということに。
ただし、1単位というのは通常アリエナイ単位数。卒業とか必修とかの単位はみんな偶数で、他に奇数単位を出す授業がなければハミ子になる運命である(そしてやっぱりこの奇天烈な授業以外に奇数単位のものはない。だからマジメな学生はレポートを出してなかったように思う)。

出しましたよ、レポート、題して「現代音楽の数学的構造」、原稿用紙十数枚。(といっても実はタネ本がある。ゴレア「現代音楽の美学」。セリー、トーン・クラスター、電子音楽、チャンス・オペレーションについて語った異様な本)

ところで、私が良く使う、この稿でも使ってる「アリエナイ」という表現は森先生のマネである(この手のカタカナ書きが森流かも)。
もともと、「アリエナイ」(impossible)、「アタリマエ」(clear or trivial)などは数学屋が多用する語。
ちなみに、物理屋は、“なんで数学の奴はメチャメチャ考えてあげくの果てに「アタリマエ」て言うんや、そんなに考えなワカラヘンのやったらアタリマエちゃうやろ”、と言う。
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「おじさんの哲学」

OjisanTetsugaku.jpg
理系出身者は、と一般化しては怒られそうだが、同時代(つまり学生時代)の文化人というのになじみがない。

永江朗の「おじさんの哲学」は、そういう文化人を「おじさん」、権威ぶってなくて、物知りで、解ってくれて、という存在ととらえて、そういう20人余りの文化人を紹介している。
そして、このほとんどが私に縁のない人たちである。名前は知っているが、著作は一部を除いて読んでいない。

だから、この本の書評など到底できないのだけど、ブログに取り上げたのは、中に直接会った人が2人いるからで、そのお二人についての個人的思い出を。

IkutaKosaku.jpg
まず、生田耕作氏。
この人は、私のフランス語(第二外国語)の先生だった。「ダンディズム」は当時も知られたものだったようだが、私はそのことは知らなかった。
教養1年目の外国語は、大学から受講する授業を指定してきていて、理学部のフランス語選択者の多くは生田先生の仏文法を履修した。当時、学生の間では「仏(ほとけ)の生田」と言われて、単位の甘い先生という噂だった。私に関しては噂どおりの結果だったのだが、なかには落とした学生もいたらしいからわからないものだ。

2年生では履修授業の指定がなくなったわけだが、私はまた生田先生の講義(講読)を履修。授業では学生に部分翻訳をさせるわけだが、ある時、私があてられて答えられずにいたとき、「文法で習っていると思いますが」と先生が言うので、「いや、私、去年は先生の授業でしたので」というと、わかりましたということで、お咎めなしだった。2年目も無事、単位は取得した。

なお、フランス語の必修単位は4コマ(2コマ×2年が標準)なので、生田先生以外の授業も出ていたわけで、そっちは抜き打ち試験もあるような、厳しい授業だった。大学全体としてはバランスがとれていたということを敢えて付記する。

Bairos.jpgさて、3年目はもうフランス語の授業とは縁が切れたのだが、そのときに勃発したのが「バイロス画集事件」。この画集の出版人が実質生田先生であり、「芸術か猥褻か」が争われた。当時有名だった「四畳半襖の下張」事件では、「猥褻何故悪い」が多くの文化人の主張であり、我々学生もそういう「進歩的」な考え方から外れる―もっと昔の「チャタレイ夫人の恋人事件」のような―「芸術か猥褻か」を論点にした生田先生は一時代遅れてる、と考えたわけだが、永江朗氏によれば、「進歩的」が大勢だからこそ、そういう論点を採らなかったのだろうと解説されている。
この事件で生田先生は退官するのだが、「学期途中で退官することは教育者としてもうしわけない」というようなコメントが新聞に載っていて、学生仲間では「それはないやろう」。

随分後のことになるが、ボーヴォワール「第二の性」の生島遼一訳を読んだのだが、訳者あとがき中に、翻訳を生田耕作氏に手伝ってもらったというようなことが書いてあった。
私にはただの変な先生でしかなかったが、そんな授業の部分だけ見てたことは、ひょっとしたら随分もったいないことをしたのかもしれない。

もう一人の直接会った人というのは、森毅先生。長くなったので、森先生については稿をあらためる。
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MVNOの利用(自分史)

仮想移動体通信事業者(MVNO=Mobile Virtual Network Operator)の利用者が増えていると聞く。
私はその初期から使ってきているので、自分史としてまとめてみる。

現在に至るまで利用してきたMVNOサービスは、

2009年 日本通信Doccica 音声通話と低速データ通信。完全従量制(1分10円、プリペイド方式)
2011年 日本通信イオンSIM 低速データ通信。完全定額制(月980円)
2012年 IIJ 高速(LTE)データ通信。SIM3枚で2500円ぐらいだった。月3GBを超えると低速サービス。
2013年 U-mobile 高速(LTE)データ通信。SMS付きで810円(月1GBまで。1GBを超えると+1300円)

見た通り、安いサービスに惹かれて乗り換えてきているわけだが、契約手数料3000円ばっかり払ってるような気もするが、一応それぞれに契約動機がある。
doccica.jpg
最初に使ったDoccicaはとにかくMVNOのはしりで他の選択肢はなかった。キャリアと契約すると月数千円は必要となっていた時代だが、データ通信を外で使うことがそうそうあるわけではないのでそんな契約はできない。
Asusの10インチ画面の小型PCとの組み合わせで使っていた。しかし、課金が通信量ではなく接続時間であるため、とても使いにくかった。また、プリペイド方式だがチャージ有効期限があるのも気に入らなかった。

次に日本通信イオンSIMだが、これは当時、最低価格のサービスとして話題になったもの。この少し前にGalaxy tab(初代機)を買っていて、これに挿して使っていた。定額制で接続する・しないに気を使う必要がないので助かる。低速でGoogle Mapなどはきついということだったが、キャッシュしておくことで間に合う。

次に、LTEが使えるタブレット(富士通Arrows LTE F-01D)を買ったので、LTE対応のサービスを使ってみたくなった。イオンSIMは100kbpsなので、Yahooのホームページを出すのも結構時間がかかる。Galaxy Tabも引き続き利用するつもりだったのでSIM挿し換えは面倒だろうと考えて、SIMを3枚出してくれるIIJのサービスに魅力を感じた。

しかしIIJの3枚SIMだが、Arrowsは家に置きっぱなしだからSIMを挿して使うことが無い。そうこうしているとU-mobileから当時としては最低価格というサービスが開始されたので、価格優先で乗り換えを決めた。現在に至っている。もしSIMが2枚必要になっても、もう1枚契約するほうがIIJの3枚より安いわけだ。
SMSオプションを付けたのは端末によってはSMSがないとバッテリー消費が激しくなる場合があるという話を目にして(LINEの利用には最初のユーザー登録用にSMSが必要というが、今のところLINEは使っていない)。

U-mobileにして困ったのがVPNが通らないということ。我が家にはNASを置いてあって外からでもこのデータを見に行っていたのだけれどそれができなくなってしまった。どうしようか考えていたのだが、その後、家の有線プロバイダを変更したらオマケについてきたルーターがPPTP機能を持っていないので、そもそもVPNをやるのは少々面倒なことになったので、「まぁいいか」ということに。
IMG_20140707_113222_205.jpg
U-mobileは月1GBを超えると自動的に追加料金1300円が発生するので、タブレットには3G Watchdogというアプリを入れて、通信量を監視、1GBで通信抑止という設定にしている。このアプリではワンタッチ(ウィジェット)で通信のon/offもできる。MVNOのSIMを使う人にお薦だ。
私の普通の使い方では月間通信量は100MBを超えない。これはパケットし放題契約のスマートフォンの通信量とほぼ同じである。ビデオストリーミングなどを見ないなら十分だろう。

今使っているスマートフォンではテザリングが使えるから、こうしたSIMを契約してなくてもいざというときには困らないかもしれない。しかし、やはりそういう手間をかけずに、単体でネットが使えるということは随分と使いやすいと思う。
テザリングも有料(今のところ無償期間中)だし、バッテリー消費の問題もある。それに、Softbank回線がダメなときにDocomo回線が使えるわけだし。

ところでMVNOではないが、WiMAXも試してみた。2011年だったと思うが1dayプランで使うつもりでWiMAXルーターを購入した。しかしその後、タブレットやスマートフォンでのテザリングが主となり、WiMAXの出番は今まで2度しかなかった。

以前は出張も多く、こうした機器を使う機会もあったが、今やそうそう出歩かない。そろそろサービスを渡り歩くようなことはやめたほうがよさそうだ。
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「平和主義とは何か」

102207.jpg
これほど割り切れない思いをする本はそう多くないだろう。

巷では安全保障にかかる議論が活発なので、基本的な言説をチェックする意図で読んでみた。
著者はおそらく平和主義者(本書では、絶対平和主義、平和優先主義を区別するが、おそらく後者)だろうと思うが、それを必ずしも擁護する論説だけが展開されているわけではなく、非平和主義(現実主義)の言説を取り上げ、「論点」を示そうとしている。括弧付きにしたのは、論点というより、実際にはすれ違い点という方がふさわしい。

思うに平和主義と現実主義の議論は非平衡のようだ。
平和主義は現実主義を見つめ、意識しながらの思考となりがちなのに対し、現実主義はおそらく平和主義については一顧だにすることなくバランス・オブ・パワーの論理で完結し、そこに問題が起こったとしても(現実には往々にして起こるわけだが)、それは副次的問題として、力の行使において配慮すべき点として片づける論気構成をとるようだ。
現実主義に対して危惧の念を持つのはこうした過度の単純化。主張が単線的だから説得力を感じさせる。本書が「割り切れない」のとは対照的である。(本書の著者が平和主義者だと感じるのは、そういう単純化からは程遠いこと、「論点先取の虚偽」などアリストテレス論理学の用語を使う哲学者であることから)

随分昔のことだが、岡崎久彦氏の著書『戦略的思考とは何か』を読んだことがある。実に明解である。
氏が言うには、ロシアは敵、アングロサクソンと仲良くしてれば安泰、前の戦争ではアングロサクソンと戦ったのが良くない、である(昔の本だから今は考えが変わってるかも)。


現実主義者の主張を単純化すると、反対派をユートピア平和主義と斬って捨て、国際社会は武力闘争社会であるから日本のみが平和ボケしてはいけないということのようだが、根底に武力を背景としたパワー・ポリティクスがあることは認めざるを得ないとしても、それで片付くほど国際関係は単純ではないと思う。
今の国際社会を総括するなら、タテマエに過ぎないかもしれないが、平和(優先)主義が国際世論であろうと思う(国連憲章がそう読める)。原則はそうだとしておいて、力の行使を「現実的に」制御しようというスタンスであって、むき出しの武力闘争社会を声高に肯定する国はないだろう。

我が国も憲法解釈変更の閣議決定により、集団的自衛権の行使を認めることとなったわけだが、前にも書いたが、政府はそれで一体何をしたいのか。

「中東から石油がこなくなったら我が国の危機」と言うのでは個別的自衛権の範囲、「中東の安全、石油の国際取引の確保は世界の安全保障の問題」と言ってはじめて集団的自衛権だと思うのだけど違うかなぁ。


勝手な個人的解釈だが、

今まで集団安全保障体制(国連)において、集団的自衛権の保持を曖昧にしてきた我が国は傍観者のような位置に留まらざるを得なかった(お金を除き)。しかし、集団的自衛権の保持を明確に主張することにより、集団安全保障体制に積極的に参加することに対する制約はなくなった。
平和(優先)主義を基調とする国連活動において、その原理を正しく実行するため、その意思決定に積極的に関わり、その下で我が国の安全も確保する(決して国連の言いなりになるわけではなく、国際世論形成に参加するという意味)。
「日本のみが平和非暴力に固執するのは許されない」の帰結は、「日本も平和非暴力に固執しない」ではなく、「世界の平和非暴力に日本が貢献する」であり、これこそが「積極的平和主義」と呼ぶものである。

というシナリオはないのかな。



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バーチャルということ(その2)

昨日に続いてバーチャルについて考えてみる。

昨日は英語virtualをめぐって、「事実上の」と「仮想の」がコインの裏表であること、また、コンピュータのためにできたような言葉と書いたが、もう少しふくらませてハード的なイメージだけではない点を書き足しておく。

Ptolemaic.png突然だが、地動説にもとづいて星々の運行を計算するのと、天動説にもとづいて計算するのはどう違うのだろうか。
話が逆になるが、本当は地面は動いていないのだが、地動説で計算するほうがシステムを理解しやすく計算が楽になるのだから、地動説を採用しておこう、というのがバーチャルの真骨頂である。
なお、コペルニクスがガリレオのような目にあわなかったのは、そういう便宜上の計算方法にすぎないというスタンスをとったからとも言われている。
Tychonian.png


(真の意味で地動説が受け入れられるのはケプラーを待たねばならなかった。
ティコ・ブラーエはコペルニクスの計算がそれまでより精確であったので、それを取り入れて天動説を精緻化しているそうだ。)



もちろん「そういうことにしておこう」は科学的態度だとは言えない。しかし一方で「オッカムの剃刀」という考え方もある。簡素なものが真実だという。
chidosetsu.png
真実が1つ存在するとしてもそれの記述形式は1つとは限らない。もし宇宙の運行が完璧に理解されているなら、天動説も地動説も等価だが、実際には真実に到達していないから、何が足りないのか、なにが矛盾を引き起こしているのか、というふうに、さらに真実に近づくためには、それを探求できる(しやすい)記述形式の方に値打ちがあり、それは天動説ではなく地動説なのだということなのだろう。


随分脱線したが、コンピュータ・アプリケーションもそれに似たところがあって、中では結構複雑なプログラムが動いているのだけれど、ユーザー・インターフェイスはシンプルでわかりやすいものが喜ばれる。

データベースの世界ではビュー(view)あるいは仮想テーブル(virtual table)という考え方がある。

私の経験では、ソフトウェア・パッケージのメーカーは、データベース構造を示したがらない。以前、SEにこんなことを言ったことがある。
「実際にデータベースがどうなっているかは企業秘密かもしれないから、それを公開しろとは言わない。しかし、ユーザーがデータベースをどう理解すれば良いかを教えてほしい。そうすれば、この操作をするとどのデータに影響するのかなどが予測でき、煩雑な操作マニュアルを覚える必要がなくなり、誤操作を回避する役にたつはずだ。可能ならそれをビューとして定義してもらえればBIツールやデータをダウンロードしてExcelで分析するなどができる。」
すぐには応えてくれなかったが、開発が遅れたため、帳票類のプログラムをBIツール(発注者側で選定・手配したもの)で実現することになり、結果的にはデータベースの公開に近い状態となり、一気に開発がスピードアップしたことがある。

今日主流の関係モデル(Relational Database、理論は既に1964年にできている)では、中心的なデータから冗長な部分を縮ませるいわゆる正規化という操作を行うが、逆に正規化されたデータベースから中心的なデータを、冗長でも1枚のテーブルにすることができれば安心する。
システムの発注仕様には是非入れたい項目なのだが、多くのパッケージ・ソフトは自分自身が崩壊してもデータが有効利用できるという発想では作られていない。別のパッケージへの乗り換えを阻止するため、高い移行料を要求するなど、データ移行をやりにくくする工夫かもしれないと勘繰りたくなる。
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バーチャルということ

バーチャル(virtual)という語には、「実質上の・事実上の」と「仮の・仮想の・虚の」という一見相反する日本語訳がついているが、相反していると感じているようでは、virtualという言葉を理解しているとは言えない。
virturalmemory.png
virtualは、語源的には、virtus(優秀性・能力・効力)から出て、「優越性によって影響を与えることができる」⇒「そのものではないが事実上」という用法が15世紀頃に現れたという。この「そのものではないが」から「仮の・仮想の」という日本語訳がはまる場合がある。「事実上の」と「仮想の」は相反するのではなく、コインの裏表なのである。

virtualが「ハードウェアではなくソフトウェアによって見せかけられている」という意味のコンピュータ用語として初出は1959年というが、コンピュータ史を調べると1959年に仮想記憶(virtual memory)のベースとなるページング技術のプロトタイプが出ているようで、多分これが最初なのだろう。


virtual(adj.)
late 14c., "influencing by physical virtues or capabilities, effective with respect to inherent natural qualities," from Medieval Latin virtualis, from Latin virtus "excellence, potency, efficacy," literally "manliness, manhood" (see virtue). The meaning "being something in essence or effect, though not actually or in fact" is from mid-15c., probably via sense of "capable of producing a certain effect" (early 15c.). Computer sense of "not physically existing but made to appear by software" is attested from 1959.

(http://www.etymonline.com)


virtualは、まさにコンピュータのためにできたような単語だと思う。
仮想記憶(virtual memory)、仮想ドライブ(virtual drive)、仮想マシン(virtual machine)、・・・
至る所でvirtualが使われるが、いずれも「実体がどうであるかは無視してそのように機能する」という意味で、ブラックボックスの発想に通ずる。

仮想記憶(virtual memory)もはじめは少ない主記憶を補助記憶装置で補う発想だったのかもしれないが、アドレッサブルな全域を一つのメモリとして扱える仮想空間(virtual storage)へと発展することにより、まさに事実上のメモリ空間になったと言うことができよう。
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「やってもた」の経過(その3)

IMG_20140705_120358_040.jpgやってもた「やってもた」の経過「やってもた」の経過(その2) に続くその3である。


今日の診たては、骨ができはじめてるので順調とのこと。ただし、その場所が3か所あるということで、どうやら骨折は3か所あったことが判明。
前も書いたが、レントゲンの写り具合で患部を見えないこともあると。それによって処置が変わるものでもないが、万一、全然違う病態だったらどうなるのか、ちょっと考えてしまう。





IMG_20140705_120330_915.jpg IMG_20140705_120423_994.jpg
neymar.jpg
昨日は、前の職場の歓送迎会(今頃やるか)だったが、聞くと肋骨を折った経験者は何人かいて、みんな結構時間がかかったと経験談。もっとも、野球のボールが当たって折ったとか格好良い、雨で滑りやすい路面を酔っぱらって歩いて転んだよりは。

ともかくは順調ということで、次回は7月28日夕刻。

奇しくも今日の朝(日本時間)、ネイマールが腰椎骨折と報じられていた。痛そう。
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二足の草鞋

二足の草鞋というと日本ハムファイターズの大谷翔平選手が話題。
ピッチャーなら20勝、バッターなら3割・ホームラン30本とか。
ベーブルースも初めはピッチャーで実績をあげたから、大谷選手もまずピッチャーで20勝の実績を積んだらどうかと思っていたが、今のところピッチャーでもバッターでも成績を残している。
otani1.jpg otani2.jpg

で、今日は野球の話ではない。
日曜日「久々のシンフォニー・ホール」の稿で、バイオリンのソリストが、23歳の医大生だが、艶やかでわかりやすい良い演奏、と書いたのだが、その後、このバイオリニストが気になってYouTubeに流れてないか調べてみた。
ありました、そう多くはないけれど。

毎コンでのブラームスの協奏曲、  ラベル/ツィガーヌ、  ラフマニノフ/ヴォカリーズ、 
ファリャ/スペイン舞曲、    ヤナーチェク/ソナタ、    ジョリヴェ/狂詩的組曲


どちらかというと私があまり聴かない曲だが、試しにいくつか聴いてみた。
演奏時間の短いラフマニノフを聴く。シンフォニーで聴いたチャイコフスキーとはまたがらりと印象が変わる、豊かで伸びやかな音がする。なにより、こういう初めて聴く曲の場合、演奏者がその曲を良く理解して表現してくれないと、聴いている側に曲そのものが伝わらないのだが、実にストレートに何がしたいのか良くわかる演奏。
ラベルのツィガーヌは技巧を要する曲だが、これも全く破綻することなく、憎らしいぐらい載せられる。

ベッドサイドに置いているタブレットで聴いたのだが、先日の演奏会の復習でアンコール曲のハンガリー舞曲を聴いてうとうとしてたのが、ふと思って石上さんのYouTube探索をしたのが運の尽き、全然眠れなくなってしまった。
mqdefault.jpg
この人の演奏で一番共感するのは、弾いている嬉しさが伝わってくるような気がすること、そして一体感が持てること。
演奏している曲想としては、楽しい曲も悲しい曲もあるわけだが、どんな曲を弾いても、演奏者がその表現を楽しんでいる、というか、そういう表現をしていることに嬉しさを感じているように思える。これは楽器演奏をする人なら解ると思うが、テクニックに余裕がなければそうはいかない(そのように演奏できない自分に腹をたてるのが関の山)。

そもそもコンサートのプログラムにはソリストの経歴とかが載ってるが、そういうものを事前に読んだりしなかった。後でチェックするとなるほど、というものだった。医学生ということで内心、期待していなかったのだ。

Lina.jpeg
こういう若手バイオリニストというと、数年前にたまたまネット・サーフィンをしていて松田理奈という人のCDのプロモーション演奏に当たったことがある。ドボルザークだったと思うが、これは、と思ったのでCDを買った。
石上さんはまだCDは出ていないようだが、出たら(できたらSACDで)きっと買うだろう。その後の松田さんの成長とかは知らないので比較してもしかたがないが、テクニックでは石上さんの方が凄いように思う(松田さんのCDには超絶技巧の曲がなかった)。

大谷選手の二足の草鞋といっても、所詮、野球の世界の中のこと。
石上さんは、今後、医者になるのだろうか、それとも演奏家になるのだろうか。
本人はそうでもないのかもしれないが、周りは気になってしかたがない。
(医者になって助けられる人の数は、1回のコンサートで感動を与える人の数に及ばないと思うのだけど)

8歳で弾いたというモーツァルトの第5協奏曲、またやってくれないかな。
グリュミオーやユリア・フィッシャーと比べてみたい。

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最高裁はどう考えているのか

憲法解釈の変更が閣議決定され、これからは具体的に行動をとるための法整備が行われる。
法整備段階になると、具体法について違憲審査がありえるから、裁判所にも出番が来るかもしれない。
第81条

最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

―日本国憲法第6章第81条


もし違憲審査になったら、最高裁は閣議決定に縛られないはずだし、ほとんどの憲法学者は今回の閣議決定を暴挙と批判しているから、その世界で育ってきた法曹関係者も同様の判断をするのが自然、というか今までとあまりに違う司法判断を出せるとは思えない。
supremecourt.jpg
しかし、日本の裁判所は、具体的な争訟に付随してのみ憲法判断をすることになっているらしいから、何か事件が起きないと動かない。また、漠然と○○法は憲法違反と言ってみたところで、訴えの利益がないと門前払いされるのが通例だと思う。未だ国民の権利が侵害されていない段階では裁判にならない公算が強い。
(結局、裁判所は国民だけを裁いておけということか。)

前に書いたことを繰り返すようだが、私は集団的自衛権を否定するものではない。それは国際社会で認められた各国固有の権利だと思う。安倍首相がこの間の一連の議論で引き合いに出した最高裁判断も集団的自衛権はあると言っているというわけだ。

テレビや新聞では、解釈「改憲」を暴挙と憤る人のことがたびたび報道されるが、解釈「改憲」はもとより論理的にアリエナイことだから、政府は「改憲とは言ってない。解釈を時代に合わせたに過ぎない」と言うだろう。この攻め口だけでは不足だろう。

議論すべきは、時の政府の意思で無限定に集団的自衛権を行使することが許されるか、どういうケースでどの程度行使できるのかなのだが、どうも政府が例示しているのが、日本国民を守るのに必要なとき、というような修飾語で、これでは個別的自衛権との違いが分かりにくい。一方で、国連決議で制裁措置が決まったら日本は参加できない云々という変な議論が出てきてしまう。あるいは、石油が日本に届かなくなったら国民を守るために出兵できるみたいな話もあったが、前の日米戦争を正当化したいのか(正当化しても良いかもしれないが、その結果がどうだったかは未だ忘れられていないと思う)。

本当にやりたいことは何か、正直に言ってもらいたい。それによって判断したい。
たとえば「アメリカと一緒に世界の警察官になりたいんだ」というなら、まずそう言ってから議論をはじめたらどうだろう。一体どこと軍事同盟を結びたいんだ、言ってちょうだい。
無理解な国民に反発されることを恐れて言葉の遊びで誤魔化して、真の目的を隠しているのだろうか。
最終的に公明党も折れたわけだが、大した状況変化もないのに判断が変わったのは、真の目的を教えてもらったからかもしれない。(まさか政権にしがみつくためには魂も売るなどということはしないだろうから)

前にも書いたように、集団的自衛権と集団安全保障は異なる概念であるのだけれど、集団安全保障といっても国際社会において相対的な存在にすぎないから、その体制に参加することは論理的には集団的自衛権の行使と解される。
結局、集団安全保障(国連)に対し、その意思決定への参画も含め、我が国はどのように参加すべきかという議論だと思うのだけど。
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東西買物気質

Ario_Yao02.jpg聞いた話。

Y市には関東系大型スーパーがある。結構はやっていて、土日などは「アリオ渋滞」が発生するそうだ。(ちなみに私の家の近くでは「コストコ渋滞」というのがある。)

さて、そのスーパーが特売をすると、10時開店の2時間前から行列ができるらしい。おそらく早めに行かないと売り切れると考えて、早くから並ぶのだろう。聞き慣れた話である。

おもしろいのはこの先で、東京でも開店前から並ぶのは同様だが、東京の客は他の商品も一緒に買ってくれるので、売り上げ増につながるが、大阪では、その一点だけ買って帰る客が多く、必ずしも売り上げ増に結びつくとは限らないのだそうだ。

関東系の感覚では御しきれないのが大阪の消費者というところ。
移動コストを考えれば他の買い物も済ませばよさそうなものだが、近隣から自転車で来るからコストに入らないようだ。ために店舗側は自転車対策にも関東店舗よりも力を入れなければならない。

Mac100.jpgそう言えば、100円バーガーが大々的にキャンペーン販売されていたとき、西側に属する私としては、それだけ買って帰ることを何度かやった覚えがある。
「私はこれが目的で来店したのだ」「抱き合わせ販売の店側戦術にはのるまいぞ」という気分が働いたように思う。

ところで100円バーガーは抱き合わせでもなんでもなく、それ自身が大ヒットだったという分析がある(右図)。
ときどき「固定経費」という言葉にだまされて、これは動かせない経費だと考え違いをしている人がいるが、これを見れば、変動費より固定経費を圧縮することが利益につながることが良くわかる。

話はもどって、東西の気質の違いをもう一つ。
大阪では、たとえば10,000円の品物を6,000円ぐらいで買うと「これなんぼしたと思う~、6,000円で買うたんやで」と賢い(安い)買物をしたことが自慢。
対して他の地域では 10,000円の品物を買ったことが自慢。「これ割りにいいものなのよ」。自分からは値段は言わず、聞かれたら、「高かったのよ、10,000円だったわ」と言う。(そして聞いた人は、「あんなこと言ってるけどバーゲンで買ったに決まってるわ」と陰口をたたく。)
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SIMロック解除義務化

総務省がSIMロック解除を義務化する方針という記事が出ていた。

新聞報道では、どちらかと言えば、利用者にメリットというトーンだが、端末自体の互換性問題はどう考えているのだろう。
周知のとおり、3Gの通信方式が、au(CDMA2000)は他社(W-CDMA)とは違うので、au端末はロック解除しても、そのままでは他のキャリアは使えない。Docomo、Softbank端末がau対応を義務化されたり、あるいはその逆も、現行機種では対応できないし、今後それを求めるのは過剰スペックを強いることになるだろう。

多くの報道機関が非互換問題は報じていない。各紙が報じているからリークではなくて、総務省から報道発表があったのだろうと思うが、その時、記者はこの非互換問題について質問し、きちんと報道すべきだと思う。また、次の点も追究してもらいたい。

義務化というがSIMロック解除は無料か。
去年買ったタブレット(前述の海外へもっていったのとは別)はDocomoショップで正規に解除してもらった(3000円+税)。

他社機器の差別的取扱いは禁止してくれるのか。
これはロック解除料金よりもずっと重要である。
Softbankホームページ「他社が販売する携帯電話機を利用する際のご注意事項」には次のように書かれている。
(3)SoftBank 4Gをご契約の場合は、パケット定額サービスの対象外となりますのでご注意ください。
    また、アクセスインターネットプラスへの接続もご利用できません。
要するにパケ死必至の青天井料金になるということ。これを事前に知っていたらお金をかけてまでSIMロック解除などしなかった。というのは、解除目的は機会の少ない海外利用より、今使っているSoftbankのスマホを持ち歩かず、そのSIMを挿したタブレットとペン型ヘッドセットの組合せで使うことだったから。(そういう使い方をする前にこの忌々しい料金制度に気づいたのがせめてもの救いではあるが)
IMG_20140630_193436_585-crop.jpg


私も海外(オーストリア)でSIMフリー端末(IDEOS、私が最初に買ったAndroid端末)を使ったことがあるので、SIMフリーのありがたみは良くわかる。結果OKだったが、本当に使えるのか結構不安だった(プリペイドSIMがちゃんと使えるかも不安だったけど)。テザリングもできる(というか同じ機種をWiFiルーターと称して売ってるキャリアもある)ので一緒に持っていったタブレットでもネットができた。
なお、今使っているタブレット(SH-08E)には、MVNOのSIMを挿している。で、MVNOはDocomo以外にはないようだが、今後もそうだろうか。

写真は海外で使ったスマートフォン(IDEOS)と
オーストリアT-MobileのプリペイドSIM

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