イスラム女性のアスリート

IsramicAthlete.jpgアジア大会のTV中継、特に女子のトラック種目を見ていて思った。

多くの女子選手のユニフォームは短いセパレートスタイルなのだが、なかに長袖・長裾のユニフォームを着ている選手がいる。

彼女たちは、イスラム教国の代表のようだ。
イスラム教では、女性が肌を露わにすることが禁じられていると聞く。戒律の厳しいところではスポーツをすることも禁止と聞いたから、代表を派遣しているということだけでも、大変なことなのに違いないが。

しかし、他の選手とあまりに違う服を見ているとやはり考えてしまう。
AsianGameWomen100.jpg

短距離では、動きの邪魔にならないのだろうか。
長距離では、熱がこもらないのだろうか。


第1回の東京国際女子マラソンで優勝したジョイス・スミス選手は、長袖を着ていたが、これは日焼け防止だったと聞いた覚えがある。

古代オリンピックは、男しか参加できなかったそうだが、一糸まとわぬ姿で競われたそうだ。
(古代ギリシア時代にはイスラム教はまだ興ってなかった)

ところで、水泳だったら、全身をすっぽり覆う「高速水着」というのがあったが、ああいうのを着たら良いのだろうか。
(裸で泳ぐと、女子は速く、男子は遅くなる、という怪しげな話があったが、この説の根拠は…、分かりますね)
関連記事
スポンサーサイト

御嶽山噴火

ontake16.jpg御嶽山噴火については、多くのブログやSNSでも持ち切りの話題だと思うが、私も記録の意味でアップすることにした。

その日(9月27日)、テレビで「11:53頃、御嶽山噴火」の速報がテロップで出たと記憶している。
登山事情に疎い私は、この季節、紅葉の名所でもあるという場所であり、人出もあるということは知らなかったから、人的被害がどれほど出るかなどはまったく想像できなかった。(ちなみに筆者居住市の教育委員会の企画による御嶽山登山が開催されていて、ロープウェイを降りて、これから登ろうというところで噴火があった、予定は当然中止し、約30名全員無事、と報道されている。意外に身近に危険に曝された人々がいたわけだ)

で、ネットでかなりかまびすしいコメントが流れている。中には「原発をやめない日本に天罰」などと書いているのもあるし、かつて民主党政権時代の事業仕分けで、火山の監視システムがヤリ玉にあがり、「数千年に1度しか噴火しないものを24時間監視するのは無駄」という勝間和代氏の主導で、御嶽山の監視予算が削られたなどとネットで批判されている(ご丁寧に当時の仕分けの様子のビデオまで。ただし、結局どうなったかは知らない)。

勝間氏は賢いから、コメントを求められて「それじゃ、十分な予算があれば予知できた、少なくとも多くの被害者を出さなかったと言えるのですか」などと不用意な発言をして炎上することはないと思うが、私も、多分、監視システム予算が削られていなくても、予知は難しかったのだろうと思う。

まるっきりの素人だから、当てずっぽうの推測だが、今回の噴火は水蒸気爆発だという。この詳細のメカニズムは承知しないが、地下水がマグマに触れる、あるいは極めて近づくことにより、水が一気に沸騰することによるという。
まず、気になるのは、こうした地下水にかかる圧力で、これが高圧であれば、当然沸騰温度は高くなる。したがって沸騰(突沸)が持つエネルギーも常圧のものより大きいと思う。次にこうした水が少量だったら沸騰量も少ないだろうが、少ない水でも沸騰して体積が急激に数百倍にもなるわけだから当然、周りの地殻に大きなひび割れ(クラック)を起こすだろう、それがマグマに接触する水の通り道を塞ぐこともあるかもしれないが、一気にクラックを広げ、マグマに触れる水の量を増やす方向になるほうがありそうだ。とすれば、なだれのように水蒸気爆発が続くことになる。

そして、このような最初の小さなクラック(水がマグマに触れる)を予測することはまず無理ではないだろうか。そしてそれが急激に大爆発に至らしめる予測も無理では。
世の中には、地震は複雑系と考えるべきでその予測は無理、と言う学者もいるが、噴火予知は地震以上に難しいだろうと思う。

じゃあ、おまえは勝間氏に与し、火山監視予算のカットが正しいと考えているのか、と言われると、それは全く違う。
純粋に火山の研究として、仮に噴火予知ができなくても、そこに未知がある限り、それを追求することは正しいと思う。国民が喰うに困るほどの予算をつぎ込んでいるならともかく、仕分けで削った額は国家予算からみたら微々たる額(せいぜい億)ではないだろうか。その程度の額で、世界有数の火山国が、火山学で世界一になれるならいいじゃないか(「世界一でなきゃいけないんですか」と言われそうだが)。

役に立たないものに投資してはいけないというのは貧しい根性だ。
1円の無駄も見逃さないのは行政として当然のことだが、それが確実に正しいと言えるのは、その無駄が方法・手段のレベルで論じられる場合(実はこれが結構多そうだ)で、その目的を吟味せずに無駄と断じるのは軽率だろう。
このレベル差こそ、行政と政治の差だと、私は思っているのだが。
関連記事

honto電子書籍

前に電子書籍のことをアップした。
hontocoupon.jpg
そのときはhontoの電子書籍は、ジュンク堂でポイントカードを作って付いてきたポイントで一度だけ購入したと書いたのだが、hontoの会員になっているとしばしばクーポンの案内がメールで来る
hontoは品揃えが少ないように思っていて、今まで全然気にせず無視していたのだが、ふと思った。

Kindleで買った電子書籍、hontoで扱ってないのだろうか?

売ってるのもあるじゃないですか。とするとhontoでクーポンを使うとずっと安くなる。
今まで気にしてなくて、Kindleで検索して、購入してたけれど、これからはちょっと見直し。
(以前はAmazonは気前良くポイントを出していて、高額商品を買うとかなりのポイントを取得できたが、この頃はあまり見かけない。)

問題はリーダーの出来。KindleもhontoもUIはそんなに違うわけではないのだが、hontoのリーダーはローカル辞書を持っていない。Web検索・Web辞書検索を起動することはできるが、どうしても一呼吸おくことになる。DroidWingあたりと連携してくれるとKindleより良いのだが(青空文庫リーダーの多くはDroidwing連携を行う)。
ただし、hontoにはWindows用のリーダー(無料)が公式に配布されている。(KindleにはKindle for PCというWindows用リーダーがあるのだが、何故か日本(amazon.co.jp)のユーザーは使えない。)

リーダーを自由に選べるようなライブラリー規格が標準化されれば良いと思う。
買ったサイトによってリーダーを切り換えるのはやはり面倒だし、わかりにくい。いろんなリーダーをインストールするのは煩わしいし、システムを圧迫するような気がする。

ところで、Amazon狙い撃ちだと思うが、海外通販への消費税課税が検討されている。
実際、最近Kindleで購入した電子書籍は\463(つまり非課税!)だったが、hontoでは\500(税込)と表示されている。ただし、hontoにはクーポン500円分があったので、hontoで買ってればタダになったはず。

この頃、実店舗で商品を手にとって、これ欲しいと思っても、すぐに手元のスマートフォンでAmazon価格などを調べて、やっぱり買うならAmazonだな、となってしまうことが時々ある。そう考えれば、Amazonで書籍を探したうえで、これはhontoでも扱ってるかな、と調べてクーポンが使えるhontoで買うのも悪くはない。

関連記事

悪魔の辞典

devilsdictionary.jpg説明する必要もないA.ビアス「悪魔の辞典」、私も大好きである。
二番煎じというか、類書はたくさんある。
Amazonで"悪魔の辞典"で検索すると、

「悪魔の用語辞典」副島隆彦、
「ビジネス版 悪魔の辞典」 山田英夫 、
「当世悪魔の辞典」「ことわざ悪魔の辞典」 別役実、
「噴版 悪魔の辞典」 安野光雅,日高敏隆,横田順彌、
「平成 悪魔の辞典」 吉田直央、
「悪魔の俳句辞典」 俳魔神の会、
「永田町「悪魔の辞典」」 伊藤惇夫、
「悪魔の教育用語辞典」 愛川今生、
「クラシック悪魔の辞典」鈴木淳史

などがヒットしてくる。
(ちなみに「萌える!悪魔の辞典」というのもヒットしてくるが、これは全く別種に属す)

なお、元祖ビアスのものは英語版がProject Gutenbergにあり、Kindleからも無料配信されている。
The Devil's Dictionary by Ambrose Bierce

筆者の記憶にあるところでは、とっくに廃刊になっているが、雑誌「bit」には、”bit悪魔の辞典”というコラムがあった。
その中で覚えているのをちょっと挙げると(意味は覚えてるが、表現は覚えてない):
bit悪魔の辞典

インテル
プロセッサーも作っている法律事務所。

LISP
括弧中毒者(parentoxim)が使用する言語。

ハイパーリンク
このことを知りたければそっちを見よ、という構造。結局、どこにもそのことの説明は存在しない。



ネット上には、「○○悪魔の辞典」と銘打っているサイトやブログも良く見かける。
私も作ってみた。
六二郎悪魔の辞典

政治的決断
自分の主張に、理屈がなく、多数決でも負けそうなときに、主張を通す方法。
その性質から、説明責任も回避することができる。
同義語:わがまま
ただし、裏事情がある場合はこの限りでない。


関連記事

罫線のこと

日本で使われているいろいろな書式、プリントアウトには、昔から、罫線が多用されているものが多い。筆者の職場にもたくさんある。(下左の画像は、ある自治体の情報公開請求様式。)
欧米の書式は罫線はあまり使われていないように思う。あっても横罫線のみとか、縦罫線は1本だけとかで、日本のように項目の欄を罫線で囲んでいるようなものは、少数派ではないだろうか。(下右の画像FBIのFOIA。引かれているのは罫線ではなく、書込み位置を示すアンダーバー)

kokaiseikyu.png      FBIfoia.jpg


lettera34m.jpg欧米はタイプライター文化で、タブで区切ることはあっても、罫線で区切るようなことはあまりやらない(タイプライターで縦バーを綺麗に並べるのは実は難しい。なお、横罫線はアンダーバーを続けて印字する方法もあるが、タイプライターの印字面にあるプレートには小さな穴が開いていて、ここに鉛筆の先を挿し込んで、プラテンを移動させると綺麗に線が引ける)。ちなみに表を作成するときは、タビュレーションキー(tabulation key、作表キー、タブキー)で、所定位置までキャリッジを移動させる。
最近はパソコンの印刷なので、縦横の罫線を使うのも簡単になったので、細かく罫線を引いた印刷も増えたようだが、やはりタイプライター文化をどこか引きずっている。

筆者は罫線の多用はあまり好きではない。というか紙面やコンピュータの画面を細かく区切って情報を詰め込むようなスタイルがあまり好きじゃない。(見出し 内容)[改行](見出し 内容)[改行]……という形で、並んでいるのが好きである。細かく区切って罫線が引かれているようなタイプだと、画面の文字をコピー/ペーストするのは面倒だが、後者のようなリストだと、ストレスなくコピペできる。
業務用のコンピュータシステムの画面は、前者のタイプが多いのだが、ちょっと画面のレイアウトをいじったり、項目を増やしたり、あるいはデータの長さが長くなると、いちいち面倒な手入れが入る。後者のようなリストだとそんな心配は全くなく、プログラム開発の工数は圧倒的に少なくなる。画面のスクロールが簡単ならリスト形式で十分なように思う。

faxsoshin.png     faxcoversheet.png

ファックスが普及し始めたころ、ファックスの送信票なるものが使われることがあった。宛先・発信者・件名にちょっとしたメモ欄がついているものなのだが、この送信票に罫線をつけているものが結構あった。筆者が職場でそういう送信票を見かけると、作成者に良く注意したものだ。
「罫線とか使うと、送信時間が余計にかかるから、最小限にするように」
ファックスはスキャンした原稿(二値画像)をMH(Modified Haffman)という方式でデータ圧縮する。このとき罫線があるとその分データ量が増えるのだが、とりわけ横罫線があると、原稿は完全に真っ直ぐに入ることはまずないから、微妙に斜め線となって、圧縮しにくいデータが一気に増えるらしい。
関連記事

Jota text editor+

JotaIcon.pngAndroidアプリ紹介、今回はJota text editor+

Jotaイオタと読むらしいが、ヨタと読みたくてしようがない。
何ということもないテキストエディタ。PCでは山ほど種類があるソフトだが、Androidでは同種アプリはそんなには多くないようだ。このアプリはネットの評価では定番とも言われている。

筆者はこのブログの原稿はPCで書くのが多いわけだが、思いつきをメモるのにタブレットを使うこともある。タブレットだとソファに寝そべりながらでも書けるのが良い。
こういうときにはエディタを使う。直接Webの入力画面に書いても良いわけだが、何かの拍子で入力が失われる危険が伴うように思うので、オフラインでも気にせず書けるエディタがありがたい。
Jotaは、テキストの保存先としてオンラインストレージを直接指定できるのも良い(但し無料版は24時間に2回のみ保存可。筆者は有料版を使用している)。

Jotaは、機能的には充実しているようだ。タブレット上でプログラミングでもするなら、便利そうな機能がある(筆者はPCでは、Windows3.1の時代から秀丸の愛用者)。しかし、括弧のバランスチェックとオートセーブがないようだが、これは欲しい。

ということで、アプリの優劣というより、使い方の紹介でした。
関連記事

Phogy 3Dカメラ

phogyicon.pngAndroidアプリ紹介。今日はPhogy 3Dカメラ。iOS版もある。

前に使っていたスマートフォン(シャープ ガラパゴス 003SH)は、裸眼立体視のできるスクリーン付だった。
もっとも3Dアプリというのがいろいろある、というわけではなくて、壁紙と写真ぐらいしか3D効果を発揮できる場面はなく、特に実用的というわけではない。
3D写真を撮るときは、スマホを少し横に動かして2度シャッターを切り、視差のある写真2枚を撮る。これを「視差バリア方式」という3D液晶スクリーンで表示すると、立体視ができるというもの。

これが役に立つのは、飲み屋などでお姐さんの写真を撮るとき。
普通に写真を撮るのだと、そのお姐さんの写真が欲しいという意味になり、相手から気味悪がられるおそれがあるが、3D写真だと「こんな写真が撮れるんや」と言って、他愛ないスマホ自慢にすることができるというわけである。

そのスマホも機種変更し、今は3D機能はない。(最近は3Dスクリーン付の機種ってみかけない)
そこで、このPhogyである。

写真を撮ってすぐ、それに特殊効果を加えるアプリはたくさんある。私もPaper cameraというのを持っている。取った写真を絵で描いたように加工してくれる。
このPhogyは、名前に3Dとあるように、3D画像を作成するのだが、前述の003SHのように2枚の写真を撮るわけではない。そもそも3Dスクリーンを使っているわけではない通常のスマホでは、視差による立体像を「見せる」ことができない。
Phogyでは、撮影したオブジェクトをスクリーンに表示すると、スマホを右・左に少し回転すると、スクリーンの中の画像がそれに応じて回転する。ホログラム像を見ているような感覚である。
これは実に不思議な体験・感覚である。
(飲み屋のお姐さんを驚かせるのに十分である)

vlcsnap-2014-09-22-16h15m56s29.pngPhogyでは、被写体の一点に注目しながら、シャッターを押した後、注目点を外さないようにして、右方向に被写体の周りを回りながら撮影する。
どうやら、静止画ではなくて、動画(連続スナップ?)を撮り、各フレームには端末の動き(位置)が合わせて記録されるようだ。この動きが表示時のスマホの動き(回転角)に変換されるらしい。つまり、表示時は被写体の周りを回る動きを裏返して、スマホの回転の動きに合わせて、対応するフレームを連続表示していると推測される。

こうして撮影した「3D」写真は、Phogyでしか再生できないわけだが(Phogyはライブ壁紙機能を持っていて、3D写真を壁紙に設定して動きを楽しむこともできる)、画面を回せないPCで再生することは考えにくいから、これで実際上問題はないわけだ。

どうしてもPCなどで見たい場合は、Phogyが再生する3Dの動きをmp4動画として保存する機能がある。
それで生成したmp4動画のサンプルをFC2動画にアップした(右の花の写真をクリック)

Phogyが作る立体像がどんなものかはこの動画でもわかるが、スマホの回転に合わせて見える角度が変わるという感覚こそがPhogyの醍醐味であることは強調しておく。


Phogyは機能限定版は無料だが、無料版は撮影できる回数が制限されているので、使い続けるなら有償版を購入する必要がある。
なお、無料版では、撮影時間(被写体の周りを回る時間)は3秒と決められているが、3秒で被写体の周り120°ぐらいを回るとなかなか良い立体像が得られる。

実際に撮影やスマホの動きに合わせて立体像がどう動くかは、Google PlayのPhogyのページで確認できる。

関連記事

FC2動画

本ブログでは、ところどころで動画をアップしている。
昨日の「スタイラスペン」にも動画がある。ご覧いただいた方はすぐわかるように、このブログのサービス、FC2ファミリーの一つである「FC2動画」にアップしたものにリンクしている。

FC2videoup.jpgFC2ブログ内には動画をアップできないので、以前は、FC2ウェブの領域にアップしていたのだが、サイズ制限が2MBと厳しいので、解像度やビットレートを落としたり、音声をカットして苦労してその制限内に抑えていたが、FC2動画では1GBまでアップでき、そういう苦労をしなくて良いので、昨日稿から、動画をアップするときはFC2動画を使うことにした。

FC2には、実に雑多な動画がアップされているが、再生をはじめるとコマーシャルが流れるものと、流れないものがある。
昨日稿の確認のため動画を再生してみたところ、コマーシャルが流れる場合と、流れない場合がある。同じ動画に対してもそうなる。どうやら、FC2側でランダム(?)に選ぶようだ。今まで、動画をアップした人がアフィリエイトしているものと思っていたが、筆者はアフィリエイトしているわけではないので、勝手にコマーシャルを挿むようだ。

だらだら書いたが、要するに、
筆者がアップした動画にコマーシャルが流れても、筆者がアフィリエイトしているわけではありません。
このことをお断りしておきます。
関連記事

スタイラスペン

筆者がタブレットの入力は手書きを常用していることは今までも何度か書いた。
で、手書きは文字通り、指を使っている。

指は尖っているわけではないので、どうしても小さい文字、画数の多い文字はちょっと書きにくい。
そこでスタイラスペンが期待されるというわけだ。

StylusPens-crop.jpg筆者は3本のスタイラスペンを持っている。

・SH-08Eに付属のペン
・パイロット・フリクションボール黒・赤・鉛筆の3色で、ペン先側がスタイラスペンとして使えるもの
・クロスの黒・赤・鉛筆の3色ボールペンでペン尻がスタイラスペンとして使えるもの

これらの他、昔Galaxy tabを買ったときのおまけ、IT関係の展示会でノベルティで配られていたものもあるが、どちらもイマイチなので評価は差し控える。

タッチスクリーンの反応という点では、いずれも同じくらいだと思う。これはペンとスクリーンの相性もあると思う。

・タブレット付属スタイラスは、胴が細くてやや書きにくいし、ペン先が滑る感じがする。細くて固い分、文字を細かく書ける。
・パイロット製は少し太くタブレット画面上ではややかさばるし、ゴムがややふにゃふにゃしているので、小さい動きはやりにくいが、クロスのようにペンをひっくり返さないから、筆記具感は一番ある。。
・クロス製はこれら2つの中間の太さであり、ゴムがしっとりした固さで書き心地は良いと思う。スクリーン上のすべりは少し悪い気がする。


それぞれ特徴があるが、大きな差はない。入力テストのビデオを見てもらえばわかるが、とくに入力でひっかかるようなことはなく、いずれも実用上問題ない。

sharppen.png   pilotpen.png   crosspen.png
(左から、タブレット付属のペン、PILOT製、cross製。  画像クリックで動画)


もっとも、タブレットで大量に入力すると身構えることはまずないから、わざわざペンを出すのも面倒。今や指で書くことに慣れてるからスタイラスペンを使うことは実は稀である。

それでもスタイラスペンには期待している。
というのは、大阪府教育センターの情報・技術教育研究室の先生(タブレットの教育現場利用も研究)の話だが、鉛筆とノートで考える習慣が身についているので、スタイラスペンを持つということが、考えるという行動に良い刺激になるのだそうだ。

やはり今後の技術改良を希みたい。
話題のMicrosoft surface proにもペンが付属している。筆者は試したこともないが、ネットでは好評価されているようだ。
タッチスクリーンの反応の改善はもちろんだが、ペン先の固さ(相手が固いガラスで、紙ではないから適度な弾力が必要だし、歪むと細かい文字が書きにくい)、ペン先のすべり具合(ガラス面上ですべってはいけないし、抵抗が大きすぎても良くない)が重要だと思う。
関連記事

スマホのホームアプリを変更した

NOVAscreen.jpgスマホとタブレットのホームアプリを"Zeam Launcher"から、"NOVA Launcher"に変更した。

今まで使ってきたZeam Launcherは気に入っていたので、かれこれ3年は使ってきたのだが、最近なぜかよく異常終了するようになった。デフォルトホームアプリをZeam Launcherにしていて、ホームボタンで再起動するので、操作上特に不都合は起きないのだが、異常終了というのはそれだけで十分気持ち悪いわけで、思い切ってホームアプリを変更した次第。

筆者がホームアプリにもとめる機能はごく控えめ。

・アイコンの行数・列数が変更できること
・フォルダーを作れること
・ドックがあって、それがスクロールするなどして画面をはみ出る個数も登録できること

それ以外は標準ホームアプリと同じで良い。
ただし、軽く、動作が速いことが重要で、多機能でも重たいものは願い下げである。
Zeam Launcherは動作が速いという評価であり、上記3条件を満たしていた。よけいな機能がなくて好ましかった。

しかし、前述のように、この頃動作が不安定なので、同じようなホームアプリを探した。
実は、今までもいくつかホームアプリをインストールしてみたことがある(有名どころのGo LauncherとかADWとか)が、ちゃんとテストするにはある程度使い込まなければならない。結局、比較的新しくて評価もそこそこのNOVA Launcherを選んだ次第。

使ってみて、Zeamより良いと思ったのは、ウィジェットやフォルダをドックに置けること(Zeamはアプリショートカットのみ)。
Zeamのほうが良かった点は、アイコンのラベルが黒地に白表示のため、壁紙画像がどんなものでも見やすいこと。ジェスチャーが無料で使えること。
動作は、高速のタブレットでは違いは感じられないが、スマホではNOVAは少し重い感じがする。

ランチャーを変更して良かったのは、今まで、何故かZeam Launcherがインストールできなかったタブレット(F-01D LTE)にNOVAを導入できたこと。スマホもタブレットも同じような操作に統一したいわけで、F-01D(ベッドサイドに置いてある。ワンセグテレビ、電子書籍、音楽再生用)が、実にゴタゴタしたスクリーンのまま放置していたのを、今回、NOVAで統一できた(この端末標準のNXランチャーというのはとても使いにくい、何より動作が重い)。

ホームアプリの使いやすさは多分に慣れだと思うし、視覚効果は操作ミスを防げるようなものなら意味があるが、虚仮おどしのようなのはすぐに飽きると思う。
それにしてもホームアプリの変更は本当に面倒。願わくは、NOVA Launcherがつまらぬ飾りの開発ではなく、UIは変更せず、軽量・高速化のための改良を続けてもらいたい。

ところで、ホームアプリ変更の理由だった、Zeam Launcherのエラーだが、どうやらZeam Launcherの問題ではなくて、他のエラーがZeam Launcherを引きずりおろしているように思える。NOVA Launcherでも同じような現象が起きる。無駄な作業だったような気もするが、ベッドサイドのF-01Dも使いやすくなったことなので、当分、NOVA Launcherを使うことにするつもりだ。

で、ちょっと欲。ホームアプリとはMS-DOSのコマンド・シェルのようなものなわけで、バッチ処理ができるようなのはないだろうか。あるいは、バッチ処理を実行できるウィジェットでも良いのだが。


関連記事

スコットランド独立否決

スコットランド独立の住民投票の結果、スコットランドは連合王国にとどまることとなった。

無責任な外野人としては、ちょっと残念(変化がない)な気もする。もし独立したら……

お札の肖像画は誰になるのだろう、コナン君だろうか。裏の図案はネッシーだろうか
withoutScotland.png連合王国旗は、青が抜けた、間抜けなものになるのだろうか
もしそうなったら、英連邦に属してユニオンジャックを国旗に取り入れているところはどうするのだろうか
 (図はスコットランドが抜けたときの新国旗案だそうだ)
エジンバラ公は改称されるのか


もう少しまじめなものとしては、

続いてウェールズや北アイルランドも独立するのだろうか
そうしたら北アイルランドはアイルランドと併合されるのか
核基地や潜水艦基地はスコットランドにあるらしいが、これらは移動せんとしゃないけど大丈夫か


政治・経済の問題はよくわからないが、文化面では、スコットランドは結構自己主張しているように思う。
バグ・パイプやキルト、こういうものがスコットランドの伝統だというのは我が国でもかなり知られていると思う。
イギリスの蒸気機関車特急は、Flying Scotsman。
「頑固者」イメージのスコットランド人というのも文化。スタートレックのエンタープライズ号機関長スコットは、名前の通りスコットランド人という設定だったと思う。
スコッチ・ウィスキーも名前の通りで、アイリッシュとは違う。
(BBCのホームページで開票速報を見てたら、最後に開票結果が出たのがHighlandというcouncil。ハイランド・モルト・ウィスキーで有名なハイランドで、スコッチ・ウィスキー関係サイトでハイランドとして示される地域と一致しているようだ。今まで漠然と地方名と思っていたが、councilの名前でもあるらしい。)

現状に不満があるとか、独立すると新たなビジネス・チャンスが期待できる人ならともかく、現状変更には通常リスクを感じるから、最後は賛成が少なくなったのだろう。
とにかく、他で聞くような独立抗争とかではないところがイイ。

大騒ぎだったわけだが、イギリスの人たちは、今頃、こういう心境だろうか。

なべて世は事も無し(All's right with the world)

The year's at the spring,
And day's at the morn;
Morning's at seven;
The hill-side's dew-pearl'd;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in His heaven--
All's right with the world!

(Robert Browning)


関連記事

くじらも

昨日、兄弟ブログで鰻屋文化の危機として、鰻がまた遠い存在になるかもしれないと憂える記事がアップされていた。また、今日のA新聞のコラムでも鰻がとりあげられていて、昔はなかなか庶民の口に入るものではなかったこと、やっぱり食べ過ぎなのだろうか、今後も細く長く生き続けてほしい、みたいなことが書かれていた。

whale.gif今度は、鯨である。
国際捕鯨委員会(IWC)総会は最終日の18日、日本の南極海での調査捕鯨開始を遅らせることを狙ったニュージーランドの決議案を賛成多数で採択した。
 決議に拘束力はないため日本は従わず、来年12月頃に調査捕鯨船団を出港させる方針を改めて表明したが、反捕鯨国との亀裂がさらに深まる結果になった。

子供のころ、鯨はあんまり好きじゃなかった。学校給食でも良くでたが、特に鯨ベーコンは苦手だった。まだ、カツは食べやすかったが牛・豚よりは美味とは思えなかった。おでんのころも、脂ものが苦手な私はあまり好きになれなかった。
長じて、尾の身の刺身とかはさすがと思うようになり(この頃には既に相当の高級品になっていた)、メルヴィルが「白鯨」で、鯨はすばらしく美味である、にもかかわらず珍重されないのは、その圧倒的な量故である、というようなことを書いていたことに改めて賛同した。

子供のころ読んだ本には、鯨は捨てるところがない、使いつくしていると書いてあったのを思い出す。(上の絵のような説明図)
欧米では、マッコウクジラの抹香のみとって他は捨てるというような話を聞いたことがあって、生き物をいただくという精神文化との差を感じる。

ウナギ、クジラと来て、マグロも厳しい。おそらく今後は、エビもタコもあぶない。特にあまりタコを食べない連中からすれば、狙われるかもしれない。チリメンジャコもきっと非難されるに違いない。

魚介類を食べる文化はおそらく日本が世界でもっとも進んでいると思う。ウナギの食べ方なんか、欧米の料理法(ぶつ切りでフライにしたりなど)だとそれこそ勿体ない。海藻にいたっては、食べ物とすら思っていないらしい。話は飛ぶが、筍も中国や日本では珍重されるが、アフリカではただの草。アフリカでゴリラの研究をしている日本チームが筍を喜んで食べる姿を見た現地の人たちが、そんなもの食べるのはゴリラだけだ、といわれた由。

日本人が魚を食べつくす、というような国際的非難があるようだが、自分たちは有効利用する智慧もないくせに、と思ってしまう。
とはいうものの、売れるとなったら集中豪雨的に取り尽くすようなやり方はやっぱり、生き物をいただくという精神からは程遠いだろう。

珍之助さまの鰻蘊蓄が効いてますね。
関連記事

Wolfram Alpha

Wolfram1.jpgAndroidアプリ紹介の5回目は、"Wolfram Alpha"。
これは実際には、アプリではなくネットサービスで、PCからでもWolfram Alpha: Computationak Knowledge Engineにアクセスすれば利用できる。

今の私にとっては、全く実用的でないアプリなのだが、理系出身者としては手元に置いておきたい一品。
数式処理ソフトは昔から憧れていて、MS-DOSパソコンのときにもちゃちなものを入れてみたことがある。
"Maxima on Android"も入れてみた、やけに重たいアプリ。
いずれにせよ、こういうものを必要とするシテュエーションにないし、そもそも使いにくかった。

Wolfram2.jpgで、テレビでGalaxy noteのコマーシャルを見ると、手書きの数式で、数式処理をやってるではないか。

欲しい、と思った。

しかし、今も将来も、こんな機能を必要とすることはないので、このためにタブレットを買うのはさすがに気が引ける。昨日紹介した MyScript Calculator(手書き電卓)ぐらいが、日常実用にはちょうど良い。
いずれ、同じようなアプリがジェネリックなAndroidでもできるようになるだろうと考えて、フルセグテレビが映るSH-08Eにした次第。

それでもときどき気になるので、数式認識(数式マッチングというらしい)のアプリとかをチェックしていたら、そもそもGalaxy noteの数式処理はWolframのサービスを使っていることが分かった。数式マッチングはできないが、わりに簡単に数式が入力できるように思えたのでインストールしてみた。

今までテストした数式処理だと、方程式ならどの変数について解くか、微分するなら何で微分するかなど、結構、面倒なところがあったが、慣習的な文字使いで解釈してくれるので、煩わしさは随分減っている。また、ピンポイントの解答(方程式の解とか、微分の結果)だけでなく、グラフ表示その他、ユーザーが希望しそうなものをあわせて返してくれるので、使う側もいいかげんに入力できる気安さがある。

Wolfram3.jpg    Wolfram4.jpg


扱える数式だが、方程式や微積分、微分方程式など。定積分だと楕円積分(上左)もしてくれる。行列計算ももちろん可。
面白いのは、数列のはじめの何項か(多い方が良いのだろうが)を入れて最後に ,... とすると数列の続きを出してくれるし(フィボナッチ数列もそうと認識しているのだが、どうやってるのだろう)、
級数だと、1-1/2+1/3-1/4+1/5-1/6+... と入力すると、級数の無限和(この場合は条件収束!)も計算してくれる(上右)。

Wolframは数式処理だけでなく、何でも答える。たとえば、会社名を入れるとその会社概要が出てくる。(Wikipediaで特に不自由しないが)

あとは、日本語化と、このアプリの入力用の手書き数式マッチングアプリが出たら良いなぁ。

こういうソフトが子供の頃、あるいは学生時代にあったら、ずいぶんと違った生活をしたかもしれない。
だいたい、タブレットが学生の頃、あるいは就職してからでももっと若い頃からあったなら、随分楽に仕事ができただろうし、何よりそれがライフログになっただろうと思う。
今の若い人たちは本当に恵まれていると思う。


関連記事

MyScript Calculator

MyScriptIco.pngAndroidアプリ紹介の4回目は、MyScript calculator、手書き電卓。

前に書いたように、スマホ、タブレットの文字入力を手書き(mazec)で行っている筆者としては、電卓も手書きというのは魅力的。というか、実はGalaxy noteのTVコマーシャルで、手書き数式マッチングにより、積分の計算をしているのがあって、これいい、と思って、似たようなことができるアプリを渉猟して見つけた次第。

はじめはほんのお遊びでインストールして、動くこと自体を面白がっていたのだけれど、使っているうちに電卓の中では一番使いやすいのではないかと思うようになった。

「AとBを足して、それをCで割って」という場合、普通の電卓だと、A+B=/Cというキー操作になる。答えを出して目的が完了すれば良いのであれば、電卓でも良いわけだが、MyScript Calculatorの良いところは、そのまま画面上で、まるで小学校の黒板に計算を書いているように、確認できること。手書きゆえ、誤認識の危険があるから常に何を入力したのか確認できることは必須だと思うが、これが安心感につながる。
MyScript1.jpg MyScript2.jpg MyScript3-7d.jpg

そして、こうして画面に残っている数式の一部を簡単に変更できる。AでなくてDというなら、Aの上に消し線を描いて消し、Dをその位置に書ける。
何より、考えていることをそのまま二次元的に書けることが良い。

こうして常用するようになるからこその不満も出てくる。
一番大きいのは手書きの認識ミスだが、一から入れる場合はあまり問題ないが、計算済みの式に手を入れる場合、認識後の数式表示が小さいため、消し線で消したり、値を挿入するのがやりにくい。引出し線のような機能があると良いのではないだろうか。

普通の事務処理で電卓を使うのは、多くの数値を合計する場合が多いわけだが、そういう使い方の場合、このアプリには途中結果を保持する機能がないため、同じ数式内に書くことになり、書くたびに表示がどんどん小さくなる。そういう意味ではお遊びの域を出ないと言えるかもしれないのだが、ちょっとした計算(特に掛け算や割り算)をする場合には他の電卓アプリにはないわかりやすさがある。

MyScript8-9d.jpgなお、関数類(ルート、べき乗、べき乗根、三角関数、対数―任意の底が使える、他π、eなどの定数)も充実している。また、1カ所だけのようだが、等式中に?を使え、?の部分が何かを逆算してくれるなど、便利な機能もある。

最後に、こういう機能が欲しいということをまとめておく。

・前述のとおり計算結果を保持し、次の計算で参照できる機能。
 より一般的にはメモリー機能
・画面を二分割して別々の計算ができる機能。
・数を縦に並べる筆算
・あと、前述のように引出し線を使って細かい修正ができるなど



関連記事

民間人校長

昨日、「教員の資質向上」の稿で、社会経験を積んだ民間企業などの経験者を校長として採用(民間人校長)する自治体があることに触れた。
今回は、これについて考えてみよう。

minkanjinkocho-crop.jpg

民間人校長の採用に積極的なのは、大阪市、大阪府であるが、そうして採用された校長から、セクハラ、パワハラ、万引き、公文書偽造(虚偽アンケート)など、問題事例の頻発が報道されている(ちなみに大阪府では知事部局のライン部長で民間採用の人がやはりセクハラで辞職している)。
大阪市では、議会が民間人校長の制度的欠陥ではないかと、制度を積極的に進めてきた市長を批判し、制度の撤廃も議論されている。市長側は制度には問題はないと(根拠は説明せずに)突っぱねている。

実は筆者は、大阪府(当時は太田房江知事時代)が採用した初期の民間人校長の一人を知っている。NHKの番組でもとりあげられた人で学校改革と生徒の進路指導(とりわけ就職)でも成果が評価されている。このときもう一人民間人校長が採用されているのだが、こちらは現場ともPTAともかなり軋轢があったと聞いている。

思うに、人を得たかどうかだけで制度の効果が決まるのなら、これは博打のようなもので、制度として評価に値しない。
「ダメなら直ちにクビにして良い人が来るまで何度でもやり直すことができる、それがこの制度の良いところだ」とでも言うつもりだろうか(公務員として採用された教員は簡単にはクビにできないからダメなんだということの裏返し。しかし民間人校長は非行が多いから簡単にクビにできる、めでたしめでたし。・・・ん、なんか変)。
そのために失われた子供たちの時間もリセットできるわけではないのだから。

それにしても歩留まりが悪すぎる。
選考する側に人を見る目がないのか、選考基準が間違っているのか、どちらかだろう。

どちらかと言えば、この後者のほうがありそうだと思う。選ぶ側が自分の気に入る人を選んだらこうなる、という見方もあるかもしれないが、それより、あるのは漠然とした期待だけで、本当の意味での選考基準がはっきりしていないのだと思う。

民間人校長は、学校に民間の経営ノウハウを持った人が入ることによって、斬新な学校経営ができるというのが制度の趣旨らしい。確かに「こんな人に校長になってもらいたい」とみんなが思っても、制度上なれないというのは問題だと思うが、民間経験=経営ノウハウ=学校改革という図式で考えるのはあまりに杜撰。現場の改革に結びつくノウハウを持っているのかを評価して選考しているのだろうか。
つまり、そのためには、選ぶ側が、経営の観点から現状を評価し、学校を改革するビジョンを持っていて、それに裏付けられた選考基準があるのだろうか。
でないと、斬新(奇異)であれば良いのか、経営ノウハウは企業によって違うけど特定のノウハウがその学校で役に立つのか。そもそもノウハウはあくまでノウハウであって目標ではない。教育の目標を民間感覚で決めて良いのか。疑問は多い。

実は、校長次第で学校は変わる、というのは教員の間では実感されていることらしい。そしてそういう校長は、教員としての経験(教え方であり学級づくり、子供たちとのかかわり方)に一本スジが通っている人が多いと言われる。

たとえば、テレビで紹介されていた話だが、ある校長は職員会議を廃止した。この校長は叩き上げの教員で民間人ではない。職員会議を廃止したのは、その時間、子供とのコミュニケーションをとる時間が減るからであり、会議をするぐらいなら子供のところへ行け、ということなのだそうだ。この改革によって、それまで荒れていた学校がみるみる落ち着きを取り戻し、県内の平均以下だった成績が、トップクラスにまで向上したという。

一方で、教育行政を取り仕切る側は、職員会議は校長の意志を伝達するものであって、学校の方針を決定するものではないといって、職員会議の議決を禁止するという。もともと設置根拠もない職員会議についてその議決を禁止するというのも変な日本語なのだが、職員会議の意見を尊重する慣行が、職員会議が学校の最高意思決定機関だという錯覚に結びついていることを問題視しているのだろう。しかし、普通に考えて、運動会をどう運営しようかと職員が話し合って(会議といっちゃいけないんでしょ)、知恵を出し合って段取りや役割分担を決めることが、校長権限を冒すと思っているならあまりにバカバカしい話だと思う。(それに普通の仕事だと、相手に文句を言う権限がなくても、納得してもらえるよう努力するのが普通だろう。)


そもそも校長に何ができるんだろう。
校長は、学校現場の事務管理の責任者である、これは間違いない。

前述の筆者の知り合いの民間人校長は赴任してすぐの頃、呆れ返っていた。
「鉛筆一本買うのも校長の決裁がいるなんて、一体どういうことだ。」


校長が使える資源は、学校の設備と教員しかない。(あとわずかな校長裁量予算。兵站を軽視し、根性と精神論で何とかしろ、というのは我が国の伝統ではあるけれど。)
設備はともかく、教員というのは普通の会社の社員のように、職務を自由に充てることはできない。小学校ならともかく、教科担任制の中高の場合、教える教科も決まっていて、数学が足りないから、社会科の先生にお願いしますということはできない。

教育のこと、教育現場のことを大して知りもしない民間人が、甘い夢を持って校長になりたいと思ってきているのだ。
民間人校長の選考において、口先で勇ましいことを言ったとしても、現場で実行できる権能が校長に与えられていないのなら、期待に応えようとしてもそれは無理な話、その人を選ぶのなら、その主張が通る環境整備をするか、でなければできる範囲がどこまでか説明して、それでもあなたの思う学校が実現できますか、と詰めをいれないと、採用後にこんなはずじゃなかったとなっても仕方がないだろう。

たとえば、英語教育に力を入れますなどの理想を掲げるとする。校長に英語教員を増やすことはできない。もしそうしたいなら、英語教員から学校用務の類をすべて外し、英語教育に専念できる組織にするなどの方策が必要だと思うが、そういうソリューションを持っていないなら採用を見送るべきである。それが選ぶ側に必要な「経営感覚」だと思うし、そもそも民間の経営感覚を持っているなら、夢のような目標を掲げるだけでなくて、それに至るソリューションも必要だというぐらいは解っているはずだ。


使える資源が限れらているから、できることには限りがある、それはそうだが、学校改革のネタは、教育の中身とは別のところにたくさんあるように思う。
学校が閉鎖的で世間の常識からかけ離れているという批判は多分当たっていて、組織で仕事をするとか、きちんと予算管理・執行管理をするとか、ある意味あたりまえの仕事ができていないところが多いらしい。そしてそれが学校運営の非効率につながっている可能性がある。
こういうところにこそ民間経験を生かして、組織で仕事をすること、目標を定めて事業を運営すること、意思決定を迅速にするための会議の仕方とか、改革できることは、細かいかもしれないが、たくさんあるように思う。
たとえば、何か問題が起ったときに、最終責任は組織の長がとるというのが社会常識である。担当者が解決に向けて最善を尽くすのは当然で、その仕事を長が応援しつつ、組織を代表して外部と折衝するものだ。ところが、学校ではそういう常識がないようで、組織的対応が後手にまわりがちになるようだ。結局は校長が陳謝することになるのだが。

思うに、民間人校長は教育の内容には口を出さず(口は出してもよい。あんまり勉強してない教師にはちゃんと各教科に関連する世界の情勢を知らない人もいるかもしれないし、素人考えが当たることも、岡目八目ということもある。ただし決定権は教師側にあるだろう)、環境を整える仕事、つまり何が教員の足を引っ張っているのかを見極め、それに対処すること、それと教員に対する評価(ちゃんと見ているぞ)というあたりだろう。

また、教員への負担が重いのは、必要な予算や人員を確保せずに、教員の無償労働で対処してきた歴史があるからだと思う。そして持ちこたえられる限界を超えてしまったのが、今、批判される学校の姿なのではないだろうか。
やり手の自治体首長や国会議員というのは中央の金を地元に持ってくる人のことを言うそうだ。それなら、教育委員会の予算を学校に持ってくる人がやり手ということでもいいんじゃないか。教育委員会の指令に従うだけでなく。(でも教育委員会の指令に従わないとダメ校長と言われるんだろうな)

関連記事

教員の資質向上

kaikoshiki.jpg昨日の新聞に、「教員採用冬の気配」という見出しで、今後の子供の減少により教員ニーズが大きく落ち込み、2021年から採用が急減するという予測が紹介されていた。

今は、教員の大量退職大量採用時期にあって、ベテラン教員が定年退職し、ミドル層が薄く、大量採用された新採教員が多い構造になっている。
新採教員の大群を目の当たりに見たことがあるのだが、この子(新採教員)たちにうちの子供を任せて大丈夫だろうか、いきなり教壇に立たせて大丈夫かという気持ちが起きることも事実。このため、採用後の教員研修は法律にも規定されており、相当量の研修を受けることになっている。
kyoshigasodatsu.jpg
教育についてはいろんな人がさまざまな意見を持っているものだが、案外、現場のことは知られていない。
(教員の研修や、学校がおかれた状況などについては、今津 孝次郎「教師が育つ条件」 という本に詳しい。教育について語るなら読んでおくべき本だと思う。)

それはそうとして、採用減少を見据えていたのかどうかわからないが、教員の資質向上策として、教員免許資格を大学院修了にする案が議論されてきている。
もし、教育で高く評価されているフィンランドの教師が大学院修了者であることからの発想だとしたら、ちょっと情けないと思う。

finland.jpgフィンランドでは、高校卒業後すぐに大学へ行くのはむしろ少数で、それぞれ就職してからさらに高い技量を身に付けたり、別の世界の勉強をしたいと考える人が大学に入るらしい。大学院は大卒者で同様の動機を持ったエリートが入るというわけだ。だから、フィンランドの教員は、純粋培養されて教員になっているわけではなくて、社会の、人生のいろんなことを学んで、その中から自分の天職として教員を選んでいるのだろう。

フィンランドの教育についての本によると: 
フィンランドでは教員は社会的に尊敬されている。その日の自分の授業が終了すれば学校から出ても良く、そうした時間は教育内容・方法の研鑽に充てられる。教科書は、標準的なものはあるにしても、何を使うか・使わないかは教員が自分で決める。何より小学校課程では1学級十数名、一人一人に目が届く教育が可能。また課外のスポーツ指導などはない(欧米ではスポーツ活動は地域クラブ中心で学校をベースとしない)。


我が国で、単純に大学院修了とするのは、単純に2年間純粋培養期間が長くなるだけではないだろうか。何のことはない、大学4年でろくに学びもせずに、教員になろうと最後の2年だけ勉強しようというケシカラン学生を作るだけかもしれない。

それではフィンランドのように、社会経験を積んだ上で教師となる人材が確保できるか、というとこれはアヤシイ。
人口が5百数十万の国と国情が違うのは当然、そのうえ社会システム・文化が違う。
前に「日本の雇用と労働法」で書いたように、雇用が「メンバーシップ型」で、新卒者を採用して退職まで企業に忠誠を誓うことが我が国のスタイルであるなら、そもそもフィンランドのように、キャリアアップやリカレントのために大学に入るという行動(複線的ライフステージ)は、まだまだ我が国では例外だろう。そこへもって大学院への延長は、単線的ライフステージを強化するだけになる可能性が大きいと思う。当然、フィンランド型の社会経験を積んだ教員が出てくることも期待できないだろう。

ひょっとしたら、フリーター/非正規労働でいろんな経験を積んだ人が増えてくるかもしれない。
教育公務員は民間大企業が引き取ってくれないそうした人たちにとっては身分保障のある魅力的な職ではないだろうか。
(校長については民間企業経験者などを採用する民間人校長というのがある。これについては別稿で。)


それに、大学院で何を学ばせるつもりだろう。「グローバル化や情報化、少子高齢化等社会の急激な変化」「いじめ、不登校への対応、特別支援教育の充実、ICTの活用、初任段階で学校現場の諸課題への対応に困難を抱える教員の増加、知識技能の継承機能の困難化」等などというが、専門知識を身に付けるために大学院(教職大学院)でこうした講座があるのは良いと思うが、これ全部を履修し、現場で1人の教員に背負わせるのは組織としてアリエナイし、どれか必要な講座というなら大学院に毎日通う必要などないのではないだろうか。

そもそも教員の資質向上で学校現場の問題を解決しようなどというのは、教育問題を直視しない態度であって、教育行政としてあまりにも無責任な態度であろう。教員の負担がどこにあり、教育の質・効率を上げるためには教員以外の役割を含めて制度設計しなければ問題は解決しないだろう。

筆者は、教員の資質を確保するなら、医者に研修医があるように、教員にも研修教員の制度を作って1~2年は研修教員として、現場で経験を踏ませたら良いのではないかと思う。もちろんこの期間中に、教員には向いていないことが判明すれば転職してもらう。給与は安いとしても、大学院で授業料を払うよりは教員志望者にはありがたいのではないだろうか。
研修教員を指導する正規教員は大変だというかもしれないが、教材作りや授業の準備、教育委員会からくるさまざまな資料要求その他雑用など、自分の仕事=教員の仕事をある程度やらせながら、実地に覚えてもらおうというわけだ。(先生方にも人を使うことを覚えてもらわなければ)

それはそうとして、何でもかんでも教育のせいにし、その責任を教師におしつけるのは、いくら何でも酷過ぎる。
関連記事

朝日新聞

兄弟ブログ「語り得ぬ世界」でもとりあげられているように、朝日新聞の虚偽報道が連日、メディアで取り上げられている。

asahisango.jpg朝日新聞というと捏造記事は今までもあって、とくに珊瑚記事捏造事件が有名。筆者も朝日新聞で実名報道され、言ってもないことを引用符付きで記事にされたことがある。(知り合いからは「あんたなら言いそう」と言われたが、言ってません)

朝日新聞は、自分でストーリーを作ってそれに沿って無理な解釈でも通す、適当な材料がなければ捏造してもストーリーを完成しようという態度がときおりみられる。われわれの主張は正しい、そのために必要なら事実を曲げてでも読者の蒙を啓く、というエリート意識があるようだ。

新聞に主張があるのは当然だし、世論を作ることも認めよう。他紙もそれぞれ、自社の信ずる報道をしている。(最近は、他社は結構、戦前の愛国調報道のような雰囲気のところもあって、朝日はあせっているのかもしれない。)

しかし、捏造は、仮に朝日の主張が理にかなっていても、犯罪だ。主張を補強する事実を根気よく収集する努力をすべきだと思う。ただし、不利な証拠は採用しないという戦術もあるから、なかなか一筋縄ではいかない。

高校の社会科の授業でも複数紙を読み比べるべきと教わったし、記事の内容が同じでも見出しの付け方で印象ががらりと変わるというのも体験するところ。
最近はネットで複数メディアの記事を比べられる場合も多いから、昔にくらべて嘘がばれやすくなっている。特に海外メディアの報道に注意することが必要かもしれない。福島の原発事故でも、米国では既に地震の3日後ぐらいには、メルトダウン報道がされていたという。だから米国系企業の東京の事業所は社員を避難させたところもある。

それと、朝日に限らずだが、記者の科学的・論理的な思考や、調査能力が疑わしい。
全国を熱狂させた「はやぶさ」の開発物語では、朝日の科学欄が、日本の固体ロケット技術を将来性のない技術として、税金の無駄遣いと断罪したために苦境にたたされた話が載っていた。無理解なマスコミの典型であり、どれだけの関係者を傷つけただろう。
SIMロック解除に関して、記者がICT技術や通信法制などの知識を欠いているのではないかと疑っているし、マイナンバー制度でも、プライバシー保護の観点だけで記事を書く新聞が多いが、その必要性を冷静に記事にする姿勢はあまり見られない。さらに言うと、前にマイナンバーのシステム上の疑問を書いたが、このシステムの開発費がどれほど多額であるか、そしてそれが必要な経費なのかという技術的吟味はどの新聞にも見られない。マスコミがうるさいから、マイナンバーを情報連携ネットワークに流さないというフィクションを作る必要があって、コストが100倍近くにまで高騰してしまったのかもしれない。

正解があるものを多数決で決めてはいけない。ましてや世論操作で決めてもいけない。

関連記事

手羽先で休業

tebasakie.jpg毎月13日、恒例の休刊日。



珍之助さまに好評いただいた手羽先の写真の再掲ですが、
少しトリミングし、反射効果を追加してみました。

実物が地面で反射しているわけではなく、ただの鏡像なのに、なぜか脚部・大腿部を裏から覗いているような感じになったように見えませんか。
(久米仙人もこういう角度から見たくて空から落ちたんでしょうね)


















関連記事

幸田浩子

先日、Anne Sofie von Otterのことを素晴らしい熟女として書いた
筆者を知らない人が、珍之助氏の言葉を信じて、熟女好きのエロ爺と誤解してはいけないので、こういう歌手も好きですと書くことにした。

KodaHiroko.jpg幸田浩子さん。(來未ではない。この人も悪くないけど、來未が好きでは誤解は解けないだろう)
見た通り、絶対にカルメンは似合わない人である。(声域が違うからその機会はないかもしれないが、やったら案外いけたりして)

近年の音楽界動向にはさっぱり疎い筆者が、このソプラノを知ったのは、5、6年も前だが、ちょっと意外なテレビ番組、「仁鶴の生活笑百科」(NHK)。
ご存知の方も多いと思うが、暮らしにかかる法律問題について漫才で事例紹介され、回答者がそれぞれ考えを述べ、最後に弁護士が正解を解説する番組。
幸田浩子さんはこの番組のゲスト回答者として出ていたわけだが、司会の仁鶴師匠がちょっと何か歌ってと促され、たしかモーツァルトの「アレルヤ」をちょっと歌われたのだが…

驚いた。 テレビを通して、スタジオのセット類が振動しているのが伝わってきた
声質は(このときは)ややリリックに思った。

これはCDを買わねばなるまい、ということで写真のCD、アレルヤも収録されているモーツァルトを購入。
DeannaDurbin.jpg
先頭に収録されているのが"Exultate Jubilate KV165"、アレルヤはその第3曲(Recitativoをはさむので第4トラック)。かの有名な「オーケストラの少女」(1937年)で主人公の少女(Deanna Durbin)が歌った曲である。

NHKのスタジオを震わせたのとは違い、声の圧力はさほど感じず(放送局のスタジオというところは決して音響効果が良く考えられているわけではないのだろう)、澄んだ声で丁寧に歌いこまれている。それより、テレビでは、はじめ8小節程度しか披露されなかったので判断のしようがなかったわけだが、この曲は、第1曲と第3曲(Allelujah)は、細かいスケールやアルペジオが続くコロラトゥーラの曲である。これが破綻しないで歌われる。

CDには、「魔笛」第二幕の夜の女王のアリアも収録されている。KV165よりさらに高度な技術が要求される。今まで、日本人による魔笛の舞台を何度か見ているが、夜の女王のアリアが近づくとびくびく、そしてがっかりすることが多かった。日本人にはちゃんとしたコロラトゥーラは無理なのだろうか、と思っていた。これは収穫である。

幸田浩子さんが夜の女王を歌う魔笛が上演されるなら、是非、聴きに行きたい。
関連記事

イヤラシイ秀吉

hideyoshi.jpgNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で秀吉が、だんだん暴君になってきた。

ただ、歴史の本では、素直に従わなくなる官兵衛を疎略に扱いつつも、他の大名に対するような過酷な処分はしないらしいので、今後も緊張感のあるからみが続くのだろう。

それはそうとして、竹中直人の秀吉は、以前(1996年)の大河ドラマをなぞっているわけで、「心配御無用」のふりと台詞もその当時のものの再現である。

前の大河ドラマのとき、週刊誌か何かのインタビュー記事で、で竹中直人が「後半生はイヤラシイ秀吉を演じる」と言っていたと記憶する。筆者は、当時、どのぐらいイヤラシク演じるのか期待していたのだが、あんまりイヤラシクならなかったように思う。やはり主役だから、あんまり嫌われてはいけないという演出に従ったのだろうか。

今回は主役ではない。官兵衛をひきたてるためにも、イヤラシサを強調できる位置である。
きっと、竹中直人自身、前の秀吉でできなかったことをやろうと考えているに違いない。
関連記事

FolderSyncが動かない、ESファイルエクスプローラも使えんなぁ

FolderSync.png前にオンライン・ストレージをPCやAndroid端末と同期させて便利に使っていると書いたのだが、その同期を行うアプリのFolderSyncが突然動かなくなった。

はじめに同期エラーが出た時は、回線(WiFi)の接続が悪いのだろうぐらいに考えていたのだが、ずっと同期エラーが出続ける。どうやらOneDriveへのアクセスでエラーになるらしい。同期設定を一旦消して再設定したが変わらない。FolderSyncのOneDriveアカウント登録を削除して再登録しようとしたのだが、認証の確認ができないと登録できない旨のメッセージが出て先へ進まない。しかたがないのでFolderSyncをアンインストールして、再インストールしたのだが、やはりOneDriveへの接続認証ができない。試しにGoogleDriveの接続認証をすると、こちらは問題ない。

OneSync.png無料版の場合は、同期できるフォルダーペアが1つしかないので使いにくいので、有料版にアップグレードしたのだけれど、結局、これは使えないと判断し、OneSyncというアプリで同期をとることにした。これも無料版だと同期できるフォルダーペアは1つしかないわけだが、今回は同種アプリにお金を払うのは馬鹿馬鹿しいので有料版をインストールせず、1つのフォルダーペアに押し込むことにした。暫く使っていると、自分のニーズがどのあたりにあるかわかってくるので、そういうことで逃げたわけだ。

ESfileexplorer.pngこうやって作業している間、OneDrive側に問題がないか、これも前に紹介したESファイルエクスプローラーを使ってアクセスしていたのだが、ESファイルエクスプローラーも問題大ありということに気付いた。それは、オンライン・ストレージへのアクセスが異様に遅いこと。フォルダ/ファイル数が少ない場合は問題ないのだが、少し多くなると極端に反応が悪くなる。ファイル一覧を出すのに数分かかる。これに気付いたのは、このブログの投稿済原稿・画像類をみんな同じフォルダに入れていたからなのだが、Windowsで使っている分には全く問題なかったので、Android端末で開きにいって気がついた次第。

FileManagerHD.jpgこれでは使い物にならないので、別のアプリを探して、ファイルマネージャーHDというのがオンライン・ストレージのレスポンスが良好ということが解った。ただ、使い慣れてるし見慣れた画面ということや、フォルダへのショートカット作成ができることから、ESファイルエクスプローラーを併用することにした。オンライン・ストレージにアクセスするときは、ファイルマネージャーHDを使う。

ネットの評価を見ると、FolderSyncもESファイルエクスプローラーも良い評価ばかりだし、FolderSyncがOneDriveにアクセスエラーを起こすというような記事はない。いつも思うのだが、Androidのアプリ評価って、本当に使い込んだ人が書いているのだろうか、ちょっとテストしただけで評価しているのではないだろうか。

それにしても、スマホアプリはPCのソフトに比べて有料版でもとても安いので、テストでも有料版を使ったりするユーザーがいると思うが、結局アプリ製作者は、できが悪くても金返せとならない程度の安い値付けをしてるのではないだろうか。そう思うと安さで釣る商法がいまいましく思えてくる。
(無駄にした時間はアプリの価格でまかなえるようなものではないぞ。Windowsのフリーソフトはもっと出来が良いぞ。)
関連記事

子供たちのタブレット

昨日、NHK「クローズアップ現代」で、タブレットを使った学校教育が紹介されていた。

tabletclass.jpgタブレットを使うことで自主的な学習、より深い学びが期待されるという。
タブレット利用の各国比較で、我が国が著しく遅れているというデータが示されていた。オバマ大統領の演説とともに米国の取り組みが強調され、我が国の立ち遅れが指摘されていた。

しかし、タブレットを使うことを目的にするのは少し違うと思う。学力の向上が目的であってタブレットを使うことが目的ではないはずだ。
番組では最先進国の韓国の反省が紹介されていた。学カの向上には結びついていない可能性があるという。
韓国の現場教員からの「タブレットではわかった気になるだけで、本当の理解は付いていない」というコメントもあったし、学カとの相関が強いと言われる読書の減少も観察されていることも指摘されていた。

タブレットの可能性は大きいと思う。番組にもあったように数学で3D表示により立体図形のイメージをとらえるなど良い教材だと思う。また、子供たちが、教科書に載ってないことが調べられるというのも良くわかる。

しかし、筆者の経験ではネットで調べものをするには、その動機が先だってある。
多くは、注目しているテーマに関連して、次々に疑問が湧いてくる、その先を知るために、ネットを使う。(昔なら調べるのが面倒でほっておいたことでも、ネットで検索すればすぐに結構な情報が集まる。ただし、信頼できる情報化どうかという判断能力が必要)
また、人間の記憶とはすごいもので、仕事の経験、どこかで聞いたとか、何かで読んだとか、断片的な記憶が何かに触発されて思い出される。

そういうわけでタブレットが使えるというより、タブレットにニーズを感じる子供を育てるのが大事だろう。
タブレットが学ぶ意欲の契機になることと、学ぶ意欲に応えるものになること、そしてツールとして使いこなせるようになることを期待する。
決して、アイコンをタップして、出てくる画像を無批判に見て面白がっていては、タブレットを使ったとはいえない。
何事につけ、目的が先に立つべきだ。

ただし、筆者もそうだが、なんということもなくテレビを「ながら視聴」することで、思わぬ情報が入ることも多い(実際、冒頭で述べたNHKの番組も、これを見ようと思って見ていたわけではない)。新聞も注目記事の周辺にある違う記事に目がいくこともあるし、辞書をひいていて近くにある言葉に興味をそそられることもある。
そういう意味ではすべてが目的志向である必要はないと思う。セレンディピティという言葉もある。ただし、セレンディピティは、普段から問題意識を持っていなければ発見に結びつくものではない。

関連記事

おまつり

昨日、職場のある市で大きなイベントがあったので、どんなものか見に出かけた。職場の人も踊るというのでちょっと見てやろうということもあったし、ブログネタになるという期待もあったのだが、踊りの場面ばかり撮ってもネタにはなりにくいし、身内の写真をブログに載せるのもはばかられるから1枚だけ。

matsuri1.jpg会場は府営公園内の陸上競技場だから、行けばわかるだろうと思っていたが、下調べがいいかげんなものだから、イベント会場までいくのに手間取ってしまった。さすが府営だけあってだだっ広いから、ちょっと間違うと時間のロスになる。そのため、職場の連がスタートする時刻には会場につかなかったのだが、会場自体が陸上競技場でこれまた踊りの大会には広すぎるように思うわけだが、おかげで既にスタートしていた連が一回りして戻ってくるのにはゆうゆう間に合った次第。

午後3時まではコンテスト形式で連(チーム)ごとに巡るのだが、夕方からは市民が自由に踊る時間になる。筆者はそこまでは付き合わずに帰ったのだが、多分、こちらが本当にまつりらしいのだろう。
やはり行くなら夕方から夜、祭の夜を楽しむに限る。第一、涼しいだろうし。

そういえば、K和田市の人が、「アフターだんじり」がエエんですわ、と言ってた。
気が立ってる男どもと、興奮した女どもが、アルコールも入って、祭の異様な雰囲気に居るわけだから。
関連記事

多数決は民主政治の原則

多数決は民主政治の原則ということについて異論はない。小学校でもそう習った。
間違えてはいけないのは、多数決は政治的決定に限って正当性が主張できることで、多数決が正解を決めるのではないということ。

sokuryohou.jpg

どれほど多くの人が、あらゆる数は比であらわせると思っていても、無理数が存在することは認めなければならない。
どれほど多くの人が、地球は球体だと思っていても、少し扁平な回転楕円体であることを認めなければならない(測量法・同施行令にもそう書いてある)。


正解があるときは、あるいは正解が期待できるときは、
多数決を行ってはならない。

正解がない(あるいはわからない)からこそ、多数決を行うのである。

forecast.jpg
この頃は科学的な予測の世界でも多数決があるらしい。
この頃の天気予報では信頼度が示されるサイトがある。この信頼度だが、何かの本で読んだのだが、次のようなことらしい。

天気予報では観測値を初期条件にして数値計算をするのだが、計算に必要な観測値すべてが揃うわけではない。
そうすると、初期値を別途いくつか推定して、それらを取り換えて計算する。初期値が違えば雨が降るかどうかも変わる場合が出てくる。このとき多くの初期値で雨になるなら信頼度が高く、そうでない(初期値に敏感)なら信頼度が低いとするようだ。
それにしても計算負荷の高い天気予報をいくつもの条件で計算するなんて、コンピュータの性能向上は凄いなぁ。


小学校では、少数意見の尊重ということも教える。
少数意見の尊重は、多数派の利害と少数派の利害が対立するときに、ある程度の妥協が必要という趣旨もあるだろうが、それとは別に、真摯に正解を求める態度があるなら、正解を出すために少数意見を聴くべきである、場合によっては少数意見が正解ということもあるからだと思う。

多数決は民主主義の原則であるが、それは科学的態度では、もちろんない。
ブレーン(昨日稿参照)は、多数決は政治に任せて、正解を追求する人であってほしいと思う。
関連記事

ブレーンの役割

Ted_Sorensen.jpg政治家にはブレーンと言われる人が付くことがある。

しかるべき政府の役職に就くブレーンもいるが、私的に秘書のような形で付くブレーンもいるようだ。米国では、大統領が変われば各役所のトップも丸ごと入れ替わり、大統領スタッフを形成すると言われる。

kennedy.jpgまた、ケネディとソレンセンのように、特別な能力を持つ人が私的に付くのもあるようだ。それに対し、我が国では役所の人事は、大臣・副大臣(その分野のブレーン足り得る人は少ないだろう)以外は、役所の人事なので、実質的なスタッフ総入替のようなことは起きない。

我が国でブレーンと言われる人は、たしかにその道での専門家であることは多いのだけれど、役所のポストに就いていないためだろう、発言がどうも思い付きの域を出なかったり、アジテーション的なものが多いように思う。
こういう人たちの発言は、一面の真理を突いているかもしれないが、実際一面的で、政策としての実効性の確保や政策の弊害などについて本当に熟慮されているのか不安がよぎる。
(首相のブレーンだった中谷巌氏がその後、自らの政策をすべて間違いだったと全否定したのも記憶に新しい)

また、ブレーンが本当に実効性ある働きをするためには、ブレーンにもスタッフが必要である。例えば、IT関係では役所に専門家がいない場合が多いので、民間からCIO補佐を招くところが増えているが、そういう人から聞いた話では、組織として使える職員がいないと、できることは限られてしまうそうだ。

そう考えると、やはり米国のように、枢要な政策決定に直接責任を持つしかるべきポストにブレーンがいるべきだろう。
もっとも我が国では高級官僚が必ずしもその分野の専門家というわけでもないようだから、ブレーンを支えるスタッフを支えるスタッフ、と際限なくなるかもしれない。
しかし、できのわるい「ブレーン」がしかるべきポストに付いたときの不幸も測り知れない。
さぁ、どうしよう。
関連記事

やってもらった

「やってもた」のでキャンセルした飲み会もあったし、遠慮して企画を先送りしてもらっていたのもある。
もっとも既報のとおり、最初の1週間以外飲まなかったわけではないし、実際、この間もパーティー、宴会にも出席。
で、律儀に先送りされた企画がようやく実現し、水曜日にT橋で飲むことに。
buaisou.jpg

あいかわらずブロガー魂が身に付いていない筆者は、最初にメニューの写真を撮っただけ(しかもフォーカス狂ってる)。
せめて、今年初めてのサンマ塩焼き(小さい!、真っ黒になってた)ぐらい撮ればここに載せられたのだが。

で、酔った勢いもあって、思い出したように撮ったK橋の手羽先。
tebasaki.jpg
関連記事

「日本の雇用と労働法」

昨日の「歴史性と非合理なデザイン」に関連して、最近読んだ本について。
nihonkoyo.jpg濱口 桂一郎/日本の雇用と労働法 (日経文庫)がそれ。

労働のありかたや労働法については、長年給与生活者として暮らしてきていながら、高校の社会科で習ったことと、仕事上での耳学問程度の知識しかない。
思えば、労働というのは人生のなかでもっともウェイトの高い活動だから、考えるべきことはいっぱいあるはず。しかし、労働の中身についてはいくらでも語れるのに、労働という行為を対象化して考えたことはあまりない。

この本では、日本の雇用・労働について、時代々々の、姿・慣行、法律、関係裁判例などを詰め込んだ本である。筆者にその解説や批評ができる力量はないが、要点をまとめると次のようになるだろう。

労働は、雇用者と労働者の契約であるが、それには「ジョブ型」(労働者が携わる職務について契約する)と、「メンバーシップ型」(会社組織への帰属)に大別される。
現行労働法制は、西欧型のジョブ型で構築されているが、日本の雇用はメンバーシップ型が基本になっている。
裁判では、メンバーシップ型が社会通念であるという前提のもとに判断されるものが多く、これが実定法となっている。(木に竹を接ぐ状態)
このため、労働協約は飾りになり、経営側が定める就業規則が労働者の権利・義務を事実上規定することになる(裁判所も就業規則を判断根拠にする)。


そして著者は、こうした労働文化(とりわけメンバーシップ型雇用)がいつ、どのように形成されてきたのか、それは決して古い話ではなく、それまでの「渡り職工」・親方による間接管理に代わり、資本主義的経営が顕著になった時代の雇用者確保の企業ニーズであり、戦時にかけての国策(皇国に奉仕する産業戦士)も一定の寄与をしていると指摘する(なぜ欧米がジョブ型を続けたのかは説明がないが、おそらくは契約に対する意識と仲間意識の国民性の違いか)。

こうした大枠を整理した上で、いろいろな論点が紹介されるのだが、著者はどちらが良いという判断をするのではなく、どういう現象が起こったか、起こっているかを解説する。例えば、

職能給vs職務給については、メンバーシップ型雇用を前提する以上、雇用主も労働者も職務給を拒否する方が大勢である。
職務給と同根と思われる「成果主義」は、「職能給-年功序列」("-"はマイナス)という形での受容になり、結果、経営側の裁量範囲の拡大、とりわけ高齢労働者の給与引き下げに使われる。

労働をめぐっては、メンバーシップ型雇用にしろ、ジョブ型にしろ、社会の至るところに相互に関連する事象が多く、諸問題はいずれもインターロックのような状況になるようだ。

前稿「歴史性と非合理なデザイン」では、歴史がデザインを規定する部分があることを書いたつもりだが、人間の社会は、それぞれの社会の歴史を背負っているわけだから、社会システムを考えるときには、その文化から独立に最適化を考えることはできないということになるだろう。

そういえば、ウェーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」では、時給単価を引き上げた場合、労働意欲が増す国民と、労働意欲が減退する国民があることを、当時の統計に基づいて示したうえで、文化(この場合はプロテスタンティズム)の役割を指摘していたのだった。
関連記事

歴史性と非合理なデザイン

駐車場で苦労しているドライバーを見てふと思った。

priuscockpit.jpg車のハンドル(ステアリングホイール)は、車輪の向きとハンドルの向きが一致する自転車やバイクのそれとは異なる。ハンドルを右に回すと、車輪は左に切れたりしては論外だが、ハンドルの回転角は通常車輪の回転角の20倍ぐらいになるだろう(ハンドルを2回転ぐらいで、車輪の角度は45°程度)。だからハンドルがまっすぐになっていても、車輪は切られていることもあり、初心者がまごつくもとになる。もともとは、重たい車の車輪を腕力で方向を変えるのは難しく、ネジ式で動かす機構となっていたのだと思う。今なら、電動ハンドルだから、自転車やバイクのように、ハンドルと車輪の向きを対応させることも無理ではなく、初めて運転する人にわかりやすいハンドルも作れると思う。
そうはならないのは、やはり既に普及し、慣れてしまったものにとらわれているのだろう。

lettera34m.jpgタイプライターのキー配列は左上からQWERTY・・・と並んでいる。何故この並びになっているのかいろんな説があるようだ。

フォントフェイスの面積が小さい文字は相対的に力が弱い指で叩くようにしたとか、
高速でタイプしたとき活字のロッドがジャムらないように、連続して出現する率の高い文字を打ちにくいように配置したとか。

今の技術では、力加減の調整やロッドのジャム防止など簡単、というより今は活字をタイプするプリンタがそもそもないから、最も指を動かしやすい配列にしたほうが効率が良く、そういうデザインのキーボードもあるらしい。しかし、QWERTYで慣れてしまった人にとっては、キー配列を覚えなおすなどとても面倒。ある研究では、もし効率的配列にするとタイプスピードは3割ぐらい向上が見込まれるという。しかし「3割程度の向上効果では再訓練コストに見合わない」とも。

bio_codon.gif遺伝学の勃興期には多くの数学者が遺伝研究に携わったと言われている。メンデルの法則はきれいな数学的構造を示しているし、いろんな遺伝にかかる知見が得られるようになると、タンパク質をコードするとかアミノ酸を指定するといったメカニズムの解明に数学が寄与すると考えられた。ところが、まだ、化学的実態がわからない段階での数学者の予想(たとえばコドンとアミノ酸の対応とか)は外れることが多かったという。間違いの背景には「自然がそんな無駄なことをするはずはない」という信念があったと考えられているそうだ。

最近の生物学の知見では、神経ネットワークははじめは至る所につながるように生成され、それが不要なものを間引くという戦略で完成するのだそうだ。無駄なように見えて、それが良いらしい。また、生物進化とは、冷房と暖房を同時に動かすような世界だと、ドーキンスが言っていたと思う(際限のない軍拡競争の謂)。
自然がそんな無駄なことをするはずはないというのは間違いだと気付かれてきたようだ。


われわれはいろんなところで歴史を引きずっているわけだ。
関連記事

信号の系統制御

以前、「いじわるな信号」で、信号のタイミングについて(交通法規には目をつむって)不満を述べたことがある。

redsignal.jpg今回は、車側からである。
筆者の住むK府の田舎では、車を運転していると、苛立つことがある。

一応、山手「幹線」という名前が付いている道路なのだが、赤信号で停まったとき、先の信号が青になっていて、こちらが青になって発進すると、先の信号が赤になって再び信号停車の憂き目にあうことが多い(すぐ見えている信号で、制限速度超過などしていない)。

O府では、一つ赤信号で停まっても、次の青で発進すると、先の信号も青で通り抜けられることが多い。系統制御を行っているのである。

K府の田舎では、幹線と名のつく道路でも、系統制御を行っていないと思われる(もしやってたらプログラムミスでしょう)。

【動画】走行時のビデオ
damesignal.png
信号が青に変わって発進後、次の信号が黄から赤に変わるところが確認できる。







ぱっと見には、同じように見える信号なのだが、O府では見えないところで金がかかっている。
こういうところに都市の格の違いを感じてしまう。
もっともO府内でも、やっぱり変な動作と感じるところもある。系統制御はそもそも難しいものなので、投資効果が出ない場合もあるのだろう。

信号に限らず、この社会では、見えないところで、いろいろな工夫、技術、そして投資が行われている。
「何故そんなに金がかかるんだ、よそではもっと安くできてる」と言って批判すると恥ずかしい場合もある。
関連記事

ソニー不動産

SonyRealEstate.jpgソニーの子会社ソニー不動産が首都圏で営業を開始したと報道されていた。

不動産仲介業では、物件価格の3~5%(筆者の経験では5%)の仲介手数料が、売主・買主双方(従ってあわせて6~10%)に課されるのが業界標準という。ソニー不動産では物件価格ではなく、実際に要した「手数」をもとに料金を決めるという。「手数」とは、案内する物件の数とか、営業の「質」とからしい。
報道ではビッグデータを活用して、というような文言もあったが、何のことやらよくわからない。評価価格を出すとも思えないし、購買意欲を判断するとも考えにくい。そもそも個性が強い不動産、いくら活発に取引があるとしても億単位の件数があるとも思えない、「ビッグデータ」があるのだろうか。

それはともかく、不動産仲介では、1社に仲介を任せるのを専任媒介、複数社に仲介を依頼するのを一般媒介と区別するが、ソニー不動産は業界慣行からはずれるわけだから、一般媒介にするとややこしいことが起こるかもしれない。もっとも不動産屋から聞いたところでは、すぐ成約しそうな優良物件は専任媒介、そうではない物件は一般媒介にするというから、そういうややこしい事例はあまり起きないとも考えられる。

話は違うが、手数料というのは結構怪しいと思う。素人考えだが、1億円の工事と10億円の工事を比べて、つかわれる材料の量・質は違うのは当然として、設計や事務処理経費というのは、工事の規模に比例するとは思えない。もちろん工事の種類によって、調整先が多いというような事情があれば理解できるが、同種工事だったら理屈がないのではないか。

Square_root.png推測だが、一般に手数料は、対象事業の規模に対して逓減すると思う。だとしたら、たとえば規模の平方根をとるとかしたらより納得しやすいのでは。(「手数」なるものをあやしげに積算するよりは受け入れやすいかも)

逆に、二乗を使ったらというアイデアもある。昔、一芸に秀でた学生を合格させるというような意見が大学入試で言われたことがあるが、森毅先生は「二乗和(各科目の点をそれぞれ二乗して合計する)で判定したらエエんや」、てなことをおっしゃっていた。
「大体、自然界は二乗和が良く似合うんや」
(二乗和に理屈がないとしても、じゃあ質の違うものを足し算することに何の理屈があるんや、とも)
関連記事
Gallery
検索フォーム

⇒記事一覧

プロフィール

六二郎。六二郎。


定年退職
苦しい家計の足しに再就職
=いつクビになってもええねん
 言うたもん勝ちや!のブログ
リンク
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
アーカイブ
カテゴリ
タグ

ITガジェット 書評 マイナンバー Audio/Visual 

リンク
現在の閲覧者数
聞いたもん