芸術音楽~「西洋音楽史」(その2)

岡田暁生「西洋音楽史」の2回目。

「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」
前稿で特に抜出したこの言説に続いて、いよいよ「第1章 謎めいた中世音楽」 から各時代を追うことになるわけだが、「はじめに」に書き忘れたのか、はたまた楽譜らしきもの(ネウマ)が中世から残っているからか、もう一つ重要な通史的観点を、第1章冒頭においている。

「芸術音楽とは何か?」である。

ここで著者は、「楽譜として設計された音楽」のことであると言う。
……本書で「芸術音楽」という時、それは断じて「質」――「芸術音楽=高級な音楽=西洋クラシック」といった――の問題を指しているのではないということである。むしろ芸術音楽とは、数ある音楽の「ありよう」(祭りや宗教で使われる音楽、映画音楽やコマーシャル・ソング、ダンス・ミュージックや軍楽等々)の中の1モードにすぎない。「芸術音楽とは芸術として意図された音楽のことだ」と、とりあえずはいっておこう。……
 しからば「芸術」としての音楽のありようとはいったい何なのか? 端的にいえばそれは、「楽譜として設計された音楽」のことである。……

……芸術音楽を「音の文字=楽譜で書かれる音楽」と考えれば、ここからその第二の定義が出てくる。つまり芸術音楽は、主として西洋社会の知的エリートによって支えられてきた音楽のことなのだ。芸術音楽が民衆の音楽であったことは、かつて一度もなかったとさえいっていいかもしれない。

また、ずっと先のことになるが、こういうことも指摘されている。
uraomote.png
ちなみに1945年にシェーンベルクは、マンの70歳の誕生日を祝って、非常に複雑なカノン(《四声の無限のカノン》)を献呈したが、これについて作曲者自身「ほとんど演奏不可能」と述べた。「音楽は必ずしも耳に聴こえる必要はない(音楽は現象界の背後の数的秩序だ)」という特異な考え方こそ、中世から現代に至る西洋芸術音楽の歴史を貫いている地下水脈である。

「音楽は音であって、音以上でも音以下でもない」という近代的な感覚があるが、一見「音楽は必ずしも耳に聴こえる必要はない」とは反対のように読めるが、この2つには何か通じるものがある。(この2つに対立するのは、音に込められた情念である。)

そして、この命題に違和感を感じない感性と、芸術音楽を「楽譜として設計された音楽」と定義する感覚は、なんだかとても近いような気がする。
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岡田暁生「西洋音楽史」(その1)

seiyouongakushi.jpg昨年の暮れ、クリスマス音楽について連続して書いたが、ヘンデル、バッハ、シャルパンティエ、コレルリとバロック期のものばかりをとりあげた。
また、30日には西洋中世音楽という稿を、ニューイヤーオペラコンサートでも、バロック・オペラで1稿を起こした。

書いてはみたものの、どうもこのあたりの音楽史のきちんとした知識が不足していることを自覚、付け焼刃の勉強で、タイトルの本を読んだ。

岡田暁生氏の著書は、この本を含め中公新書から3冊出ている。
・オペラの運命 十九世紀を魅了した「一夜の夢」(2001年)
・西洋音楽史 「クラシック」の黄昏(2005年)
・音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉(2009年)

他の2冊は前に読んだことがあるのだが、主張が客観的で(自分の趣味が入ることを否定はされないが)、根拠も明確なので(音楽にはたくさんの伝説があるが信憑性に欠けるものも多い。楽曲解説とかにそういう俗説が無批判に書かれているものもある)、信頼できる著者と評価している。

ongakunokikikata.jpg operanounmei.jpg新書という体裁は分量も語り口もちょうど良い。


さて、内容だが、まずはじめに、音楽史についてこう書かれている:
…「古楽」/「クラシック」/「現代音楽(欧米では新音楽というが)」という時代区分が音楽史への私たちの眼差しの遠近感を、暗黙のうちに語っている。つまり「古楽」および「現代音楽」は「古い/新しい」という時間軸のカテゴリーであるのに対して、「クラシック」にはこうした歴史性の含蓄は含まれていないのである。……古楽は「クラシックよりも前(クラシックが形成されていった過程)」の、そして現代音楽は「クラシックよりも後(クラシックが崩壊していった過程)」の音楽、つまり歴史的音楽なのだ。「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」

この見方は、私だけでなく、多くの「クラシック」ファンに共感されることだろう。
そして、なんだかクラシックというものの位置づけがすっきりしたという感じがする。

ところで、classicは日本語では古典的と翻訳されるが、例によってOnline etymology dictionaryによれば、classicの語はclassから派生し、"of the highest class" を表すのだそうだ。またこの辞書によれば、西欧でもBachからCramerあたり、つまり1700~1830年を指していたものが、1880年頃には時代の評価に耐えて残ったものという意味になり、ロマン派と対照してclassicと呼び、それが、ジャズに対照して、さらにはポピュラーに対照してというように、音楽の領域が広がるにつれて、classicも対象を広げてきたとされる。

以前、クラシックが好きですかと聞かれて「はい、クラシックは好きです。ロマン派は嫌いです」と相手を困惑させる応答をした覚えがある。


さて、本書の構成は次のようになっている。

第1章 謎めいた中世音楽
第2章 ルネサンスと「音楽」の始まり
第3章 バロック――既視感と違和感
第4章 ウィーン古典派と啓蒙のユートピア
第5章 ロマン派音楽の偉大さと矛盾
第6章 爛熟と崩壊――世紀転換期から第一次世界大戦へ
第7章 20世紀に何が起きたのか


なので、第1、2章が古楽、第7章が現代音楽であり、第3~6章はクラシックということになる。「クラシックには歴史性の含蓄は含まれていない」のだが、クラシック自体には歴史があるということになる。
「現代音楽の美学」(A.ゴレア)などという本は大昔に読んでいるから、第7章あたりは多少の知識はあるが、なんといっても第1章、第2章は初めて聞いたことが非常に多い。

ところで、今回、本書は電子版を読んだのだが、随所で言及される楽曲の一部でも音を収録しておいてもらえないものだろうかと思う。また、本書では要所要所でCDが紹介されている。既に私が持っているものもあるが、本書を読んだことで購入したものもいくつかある。さわりだけ紹介したら、全部を聴きたくなるという人も多いと思う。販売促進にもなると思うのだがどうだろう。

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Kindle for PC

KindleForPCmask.png先週の土曜日、Kindle for PCのリリースを知らせるメールが届いた。
取り急ぎPCにインストールした。

なかなか良い。
動きはなめらか(PCが速くなっているから?)、フォントも見やすいし、ページ割り付けもウィンドウサイズに追随してくれる。

以前は電子書籍と紙の本が同じ値段だったら紙の本だろうと思っていたが、電子書籍の方がちょっぴり安い値付けになっていることが多い。それだけではなく、hontoの方は、しょっちゅう割引クーポンを送ってくるので、この頃は、電子書籍もちょくちょく買っている。この2か月ほどで1万円は買っていると思う。

画像上がKindle for PC、下がhontoのPC版。Kindleの方が冊数は多いが有料書籍は4冊だけ。hontoは冊数は少ないが1冊を除いて有料。

ひきかえ、Kindleはあんまり見なくなった。割引がないから。それに、今までPC版のリーダーが日本ではリリースされていなかったこともある。
近頃、電子書籍はhontoで、紙の本はAmazonで、というような感じになっている。

hontolibrary.pngリーダーの出来は正直、Kindleの方が良いと思う。特に「自炊」コンテンツを置くにはKindleは便利である。また、hontoのリーダーはコンテンツの問題かもしれないが、フォントサイズが調整できないものがあったりする(拡大はできるが、それは画面の拡大でページ割り付けは変わらない)。

そこへもってきてKindle for PCである。結局コンテンツの値段を考えると、hontoが主にならざるを得ないので、hontoもリーダーをもっと良くしてもらわないと。

電子書籍については今までもこのブログに何度か書いたが、だんだん評価が上がってきているのは事実。
やっぱり、紙の本と違って嵩張らない。通勤の往復で途中で読み切ってしまいそうなら2冊持っていっていたが、そういうことも不要。老眼鏡も不要(一部アプリではダメ)

ところで、前に書いたようにKindle Paperwhiteも衝動買いしてたが、hontoで買った電子書籍はもちろん読めないから、このところ全く出番がない。
ハードとソフトをセットで囲い込むのは販売戦略に違いないが、なんとかならんものか。
もし、Kindleが市場のほとんどをおさえていたら、antitrust法で争って、ハード、ソフトのアンバンドリングができるかもしれないが。
願わくば、さまざまな版元の電子書籍を同じように扱えるソフトが、複数のメーカーが鎬を削ってリリースする、そうなれば。
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新しいスマホの設定作業

先週の金曜日にスマホの機種変更をしたわけだが、新しいスマホで真っ先にしなければならないのは、もちろんGoogleアカウントの設定だが、これを済ませたら、次にしなければならないのは、家のWiFiとの接続。これがないとアプリのダウンロードも何もできない。

Screenshot_2015-01-26-14-32-53.png次に使い慣れたランチャー(ホームアプリ)の導入。他のタブレットとも同じような操作にできるようランチャーは同じものを使用したいので、前のスマホでも使用していたNOVA launcherを導入。

NOVA launcherは新しいアプリを入れるとホーム画面に自動的にショートカットを作成することができる。この機能をうまく利用するため、ホーム画面のページ数を3~4ページにして、そのうちの1ページは自動生成されるショートカット専用にしておく。こうすれば新しくインストールしたアプリはこのページで一覧できる。テストして良ければ本採用、他のページにアイコンを移す。


次にやるべきなのは、クラウド・ストレージへのアクセス環境。クラウド・ストレージに対応しているファイル・エクスプローラー系のアプリと、そのクラウド・ストレージに対応した同期アプリを導入する。具体的には、OneDriveを使えるようにするとともに、OneSyncを導入して、パスワード・データベースを置くクラウド上のフォルダと、端末のローカルフォルダを対応づけて同期設定する。

この段階でクラウド環境を用意する理由は、私の場合、各種サイトのユーザー登録の管理にパスワード管理ソフト(KeepassDroid)を利用していて、パスワード・データベースをPCやタブレットで共用できるようクラウド上に置いているからだ。なお、このデータベースはパスワード管理ソフトが暗号化しているので、cloudfoggerなどの暗号化は適用していない。そのかわり、データベースパスワードが漏洩しても読みだされないよう、キーファイルを指定していて、これはクラウド上には置かないようにしている。そして当然だが、続けてパスワード管理アプリを導入、続いて、PCからキーファイルの転送(USB接続)を行う。


続けてパスワード管理アプリを導入し、今置いたローカルフォルダ上のパスワード・データベースを開いて正常動作を確認、またデータベースの場所を覚えさせておく。

Screenshot_2015-01-26-13-20-04.pngここまでやれば、私なりの基礎的な運用環境が整うことになる。特に、クラウド・サービスや電子書籍の利用には、それぞれのユーザー登録も参照しなければならないから、パスワード管理アプリが使えないと大変めんどうである。
そうそうもう一つ、大事なアプリ、使い慣れた手書き入力システム(7notes with mazec)を導入して、後々の作業をやりやすくする。

これで作業環境は整ったから、この後は必要なアプリを一つ一つ導入する。前のスマホのアプリを全部移すわけではない。新しいスマホでは同様の機能が標準でプレインストールされていたり、前のスマホでは入れていたが使わなかったものなどはインストールしない。

移行作業は面倒なものだが、手戻りが発生するとさらに煩わしい。特に私のようにPC、タブレット、スマホを使い分けて、共用・同期させる使い方をしていると、それなりの手順を考えなければならない。もっとも、クラウドの利用が増えてきて、アドレス帳やカレンダーの移行はしなくて良いから、手順さえきちんとやれば、以前よりラクだろう。

と、こう書いているが、今回の移行は、はじめからこんなに手順を整理してやったわけではなくて、やりはじめてから、そうだ、先にあれをやっておかないと、という具合だった。その反省を含めて、ここに作業手順を記録しておくことにした。

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ヨアンネスの誕生日

今日は、Joannes Chrysostomus Wolfgangus Theophilus Mozart の誕生日。

例年、この日は生後年と同じ数のケッヘル番号が付いている曲を聴くことにしている。
で、今年は生後259年、KV259は、ミサ・ブレヴィス ハ長調 「オルガン・ソロ・ミサ」。
1775年または1776年12月に作曲された聖誕祭用のものという。(暮れの稿で、クラシックのクリスマス音楽をいろいろとりあげたのに、迂闊にもこのミサ曲もクリスマス用だったことに気付かなかった。)

はじめのKyrieと、曲名の由来であるオルガン・ソロが入るBenedictusの冒頭をあげておく。


♪KyrieKV259kyrie.png










♪BenedictusKV259benedictus.png









何かで読んだ覚えがあるが、殿様(ザルツブルク大司教ヒエロニムス・コロレド)は、ミサは30分以内、歌詞が聞き取りにくくなるのでポリテキストは避ける、という指示がされていたというが、この曲もそれに従っている。

ところで本稿タイトルで、「ヨアンネス」としたのは、モーツァルトが小さい頃は、ヨアンネスとか、ヴォルフェルルとか呼ばれていたというので、普通は使われていないヨアンネスを使ってみた。

昔、テレビのクイズ番組で「モーツァルトのフルネームを答えてください」という問題が出題されたと話してくれた人がいて、即座に「ヨアンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス・モーツァルト」と答えたところ、「正解は、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト」だったそうだ。私の回答だと×にされたかもしれない。



「旋律、リズム、和声、現代音楽に求められるすべてを満たしている作曲家」というのが当時の評価だったそうだ。
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厄除け(春日大社)

DSC_0004.jpg日曜日、本厄の家族がいるということで、春日大社へ。

小さな神社だと拝殿などへ昇殿して厄払いを受けるのが多いようだが、春日大社ぐらいの大きな神社になると、祈祷所を設けていて、システムがきっちりできている。

祈祷所で、願意を書いた「祈祷申込書」を出して、祈祷料を納める。
絵馬を渡してもらうので、これに願いを書き込む。
待つことしばし。今回は30分弱だったと思う。DSC_0029-crop.jpg DSC_0006-crop.jpg DSC_0007.jpg

祈祷の場へ案内される。(ここでは写真撮影禁止)
場内の様子だが、正面全面は御簾がかけられ、その陰に灯。手前に後で祈祷を受けた人に渡されるグッズ一式が置かれる(巫女が後で運んでくる)。中央に大きな幣、これはお祓いをするためのもの。こちらから見て左手に神官と楽員、右手に巫女2名、うち1名の前には筝が置かれている。

祈祷の式次第は次のとおり。

修祓―祈祷を受ける人みんなを清める祓。一同首を垂れる。
献饌―いろいろな儀式では食べ物などを捧げるのだろうが、前述のグッズが置かれたようだ。
祝詞奏上―祝詞の様式で、祈祷を受ける人の願いを一つ一つ語る、「○○年○○月○○日に、×××に生(あ)れ出(いで)し、□□□□の 《願意》 を……」というように。一同首を垂れる。
御幣奉戴―御幣を神にささげる。
神楽奉納―唄と笛、筝の伴奏で鈴を持った踊り子が神楽を演ずる。笛は唄と同じ旋律をなぞっていた。西洋ならオルガヌムで反行したりするところか。一体、いつから伝わっている音楽なのだろう。
御鈴―神楽を躍った子がその鈴で祈祷を受ける人々を浄める。一同首を垂れる。
拝礼―一同拝礼(二礼二拍手一礼)
撤饌―前述のグッズを撤収する。
直会―言葉としては神人共食の意味だが、これは会場を出てからお神酒として供されるらしいが、実際に飲んでいる人は見かけない。

ここまで20分ちょっとぐらい。
会場を出てすぐのところに絵馬を掛けておく。これがこれからしばらく(祈祷料によって期間が違う)祈祷される。
     DSC_0009-crop.jpg DSC_0015.jpg

ということで厄除け祈祷は無事終了だが、このあと、お礼に神殿にまわる。祈祷をうけた人(およびその随行者)は拝観料無料で入れてくれる。

DSC_0023-crop.jpgちょうど吊灯篭を展示しているところがあった。場内を暗くして点灯。
     DSC_0021.jpg 

ということで、お守りや御璽などグッズ一式。
     DSC_0031-crop.jpg DSC_0030-crop.jpg
DSC_0028-crop.jpg春日大社の駐車場に車をとめたのだが、駐車料は1000円(1回)。この駐車料領収書の上半分に、住所・氏名・車のナンバーを書き入れて、祈祷申込書と一緒に出すと、車の交通安全祈祷もついでにしてくれて、ステッカーがもらえる。

大社を出ると、たくさんの寄付者の名前の木札が掲げられていた。さだまさしの名前を発見。
             DSC_0027-crop.jpg
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スマートフォンの買い替え

DSC_0007-crop.jpgスマートフォンを買い替えた。

今まで使っていたのは Motorola 201Mという機種。2年2か月使用。新しい機種はSONY Experia Z3.

前にも書いたように、5月以降に販売される機械はSIMロック解除が義務付けられる見込みだから、それまで待とうと思っていたのだが、この2,3ヶ月というもの、極端に調子が悪くなっていて、このまま使い続けているとこちらの精神が壊れてしまいそうな(端末を床に叩きつけたくなる)ので、5月を待たずに変更することにした(Softbankの店員に聞いたところ、そんなことは聞いてないという)。それにしても、スマートフォンもタブレットも何故か2年が使用限界のような気がする。

調子が悪くなったという点を具体的に書くと、

・WiFiの接続が突然切れ、暫く(といっても数分)すると再接続するが、また突然切れる。ファイルのアップロード中などにこれが起こると、とても耐えられれない。
・JuiceDefenderを使っており、画面OFF状態だと15分でモバイル通信を切る設定にしているのだが、画面ONにしてからセルを捕まえるまでにかなりの時間(30秒近く)かかる。
・インターネット・メール(Gmail)を開くのに時間がかかる。また、削除を指示してからも十数秒たたないと消えないことがしょっちゅうある。
・SMSで、同じメールを2通受信することがある。送信者に確認しても1通しか出していないと言う。
・文字入力は手書き(mazec)を愛用しているが、指を動かしてそれが軌跡として画面に表示されるまでにラグがある。それが漢字変換されるまでにも時間がかかる。
・カメラを起動しても、撮影画面が表示されるまでに十数秒かかる。
・ブラウザの起動が遅いし、リンクをクリックして切り替わるまでにやはり十秒近くかかることがある。
・裏でアプリの更新が動くと、ほとんど操作不能になる。
・とにかく何をするにも、あまりに遅い。


これだけ書いたら、私がどれほどイライラさせられているか読み取っていただけると思う。
なお、端末を再起動しても全く改善しない。

世の中で一番タチの悪いコンピュータは、スピードの遅いコンピュータだと、誰かが言っていたが、まさにその通り。
また、最近バッテリーの持ちが悪く、以前は満充電で朝出勤し、帰宅したときは70%ぐらいのバッテリー残量だったが、今や60%を切る状態である。

しかし、2年前、この機種にしたときは、感動的なぐらい速かった。キビキビ動いて、動作も安定していた。それが、何故こうなったのか。
アプリがそんなに増えているわけではない。とくに常駐アプリは嫌いだから最小限にしてきたつもり。
前にタブレットを買い替えたときにも思ったのだが、この種の機械は、2年が使用限界なのか。
周囲の人に聴くと、やはり2年で買い替えている、何故か2年たつと調子が悪くなる、「タイマー」でも仕込んであるのかと思う、とのこと。
【前の機種】

Motorola Razr M 201M
OS:Android 4.1
CPU:MSM8960 1.5GHz(デュアルコア)  RAM:1GB
ディスプレイ:4.3inch  540×960
重量:128g  サイズ:123×61×8.3


【新しい機種】

SONY Experia Z3
OS:Android 4.4
CPU:MSM8974AC 2.5GHz(クアッドコア)  RAM::3GB
ディスプレイ:5.2inch 1080×1920
重量:154g  サイズ:147×73×7.4


新しい機種の選定理由は、とにかく速いこと。SoftbankではCPUのクロックも主記憶のサイズも最大である(だいたいどの機種も同じアーキテクチャーだから、CPUのクロックが速く、メモリが大きいほうが速いに違いない)。
タブレットも併用しているから、本当はこんなに大きなディスプレイはいらないし、もっと軽くて小さいほうが良かったのだが、とにかく速さを最優先で考えた結果である。

新しい機種の評価については、もう少し使い込んでから。
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またおっしゃいましたね

報道によると、橋下市長は、市の職員が報道機関に都構想について語るのをやめるよう指示したという。

「(大阪都構想の)説明の責任は市長にある。個別職員が市役所職員の肩書きでメディアに語ることはやめてほしい」

とのことである。

tokousoukankourei.jpgテレビ取材の映像も流れているから、たしかにそう言ったらしい。
メディアによっては微妙な違いもある。
新聞によっては、「メディアには情報提供能力はない」(大阪市長以外はこの問題を理解していないという意味のようだ)というような発言があったとか、市幹部の発言として「『無理だ』と思っても本音を口にしてはいけないということ。まさに情報統制だ」と伝えていたりする。
取材への応答といえば、過去に、テレビ局の街頭取材で批判的な意見を述べた二人の職員を探し出し、反省文を書かせたということもあった。

住民投票を選挙と同じように考えれば、公務員が特定の主張を指示することは制限されると思うし、通常、組織人というのは、組織のトップに従うことが求められるのも、法に反しない限りにおいて、当然だと思う。その意味では市長の言うことは筋が通っている。

しかし、一方で内部告発というのもある。虚偽の情報で世論を操作しているとしたら、それを告発することは社会的には容認されるだろう(ただし組織内での「処分」は覚悟しなければならないが)。

市長と本来、緊張関係にあるべき議会をはじめ、都構想をめぐる議論が公開され、精確な情報が市民に提供されることが何よりも優先で、市長の指示が「箝口令」という印象を与えるのであれば、残念な発言と言わざるを得ないと思う。

 一体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります。 革新を唱えない者は経世家ではない、思想家ではない、愛国者でもなけれは憂国者でもないように思われて居るのでありまするが、然らば進んで何を革新せんとするのであるか、どう云う革新を行わんとするのであるかと云えば、殆ど茫漠として捕捉することは出来ない、……彼等の中に於て、真に世界の大勢を達観し、国家内外の実情を認識して、仮令一つたりとも理論あり、根底あり、実効性ある所の革新案を提供したる者あるかと云うと、私は今日に至る迄之を見出すことが出来ないのである。
 国家改造を唱えるが如何に国家を改造せんとするのであるか、昭和維新などと云うことを唱えるが、如何にして維新の大業を果さんとするのであるか、国家改造を唱えて国家改造の何たるかを知らない、昭和維新を唱えて、昭和維持の何たるかを解しない、畢竟するに生存競争の落伍者、政界の失意者乃至一知半解の学者等の唱える所の改造論に耳を傾ける何ものもないのであります。
 而も此種類の無責任にして矯激なる言論が、動もすれば思慮浅薄なる一部の人々を刺戟して、此処にも彼処にも不穏の計画を醸成し、不逞の兇漢を出すに至っては、実に文明国民の恥辱であり、且つ醜体であるのであります。

(斎藤隆夫)



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みぞ掃除とうがい

bowl123.jpg昨日は、職場のレクリエーション・イベントに参加。

今の会社は、職員の厚生活動がそれなりにある。職員で構成する厚生会という団体があって、会費を納める必要はもちろんあるが、職員の健康や親睦を目的とする活動をする。
今回は、ボウリング。結構な数(10以上?)のレーンを、2週間ぐらいにわたって、18:00頃から20:00頃?まで、借り切っているらしい。職員数も多いので、職場単位で分散して参加するようになっている。
(新参者なので、どういう活動なのか詳しくは知らない。ただ誘われるままに参加)

で、1時間ほどでゲーム終了、当然の如く、打ち上げ。
ボウリング場近く、K鉄Y駅すぐの居酒屋。
全然期待していなかったのだが、なんと、地酒が充実していて、餌も良い。

dassaigenge.jpgあまりにも有名だが、私はなぜか今まで遭遇しなかった「獺祭」ブランド。置いてあったのは「獺祭50」という比較的廉価なもの。(1杯680円。手ブレご容赦)
枡のほうも縁までタップリと注いでくれた。
他、「るみ子の酒」とか、「飛路喜」など。
また、ハウス・ブランドの焼酎「げんげ」というのもあったので、これも。

あても悪くなく、刺身も鮮度が高いようだった。ただし、仕入れ量が少ないのか、メニューにはブリがあったのだが、既に売り切れということだった。
何料理ということはなくて、チヂミがあったり、ピザがあったり。

駅前の好立地にもかかわらず、席間がゆったりしていて、もう2席ぐらいセットできるのではないか、というぐらい。これも高得点。

箸置きに殻つきピーナッツを使っていたので、女給さん(20前半・美形、まだ不慣れ)に、「これ食べられますか?」と尋ねたら「はい」とお返事。
(店を出るときには忘れてしまっていた、残念)
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iQOSの再評価

新型電気加熱式たばこ「iQOS」については先日レポートし、あまり高い評価を与えず、最後には、今もっているヒートスティックがなくなっても名古屋まで買いに行くことはないだろう、というふうに書いた。

しかし、ちょっと評価が変わってきた。
comparisonTobacoECt.jpg
私の先日のレポートを、禁煙運動家のO先生、N先生にも見てもらったのだが、N先生から、充足感が低いのは、普通のたばこに比べてニコチンの吸収速度が低いせいではないかというご指摘をいただいた。
iQOSの充足感が低いのは実感だが、それならと、あらためて、他の新型たばこや電子たばことの違いに注意しながら、吸い始め、吸い終わりに分けて充足感を吟味してみた。

まず吸い始めの充足感だが、私の感覚では最初の一服で一応の充足感というか安心感が得られる。これは他の新型たばこや以前テストした電子たばことは違う。案外、ニコチン吸収速度は普通のたばこに近いものがあるような気がする。
そして、吸い終わりでの充足感は、やはり前に書いたとおり物足りないというもので、さらにもう一本(普通の)たばこを吸いたくなるというもの。

N先生から送ってもらった論文("Nicotine absorption from electronic cigarette use: comparison between first and new-generation devices" / Farsalinos et al. ―SCIENTIFIC REPORTS) によると、電子たばこの充足感が低いのは、初期のニコチン吸収が遅いことが原因であり、第二世代の電子たばこでは改良されている―ただし未だ紙巻には劣る、としている。同論文掲載のグラフ(上図)によると電子たばこの場合、5分後ぐらいにようやく普通のたばこの最初の一服でのニコチン濃度になるように読める(こういうグラフの読み方は研究者の想定外だと思うが)。なおiQOSの吸引時間は最大5分弱。

ということはiQOSは、ニコチン吸収速度はそれなりにあるが、摂取できるニコチン総量が小さいということではないだろうか
テストしているうちに気がついたのだが、この物足りなさは、かなり軽いたばこ(私が普段吸っているピースライトと比較して)を吸った時のそれに似ているというのも、こうした特徴に合致する。
また、たばこに含まれる一酸化炭素の害が指摘されているが、COは一方で軽いめまい感となって、充足感にも影響しているように思うのだが、iQOSはCOはあまり出ていないのではないだろうか

結局、iQOSの充足感の低さは、機器や方式の問題ではなく、ヒートスティックそのもののニコチン量の問題ではないかという気がしてきた。今後、スティックが改良(改悪?)されれば、充足感が向上する可能性があるかもしれない

評価を上げたポイントはもう一つある。先日、風邪をひいたのだが、iQOSは風邪をひいていてもあんまり抵抗なく吸えるように思う。咽喉への刺激が低いようだ。

また、先日も「煙の出ないたばこではない」と書いたわけだが、実際、喫煙の排気はしっかり煙に見えるのだけれど、消えるのにそう時間はかからない。咽喉への刺激の低さとも考えあわせると、iQOSからの吸気およびその排気は、固体成分が少ないと推測できる
煙を出しているという見た目からは、決して公共の場で受容可能とは言えないが、しばらく経てば、ほとんど臭わなくなるようなので、特にたばこの臭いに敏感な人がいる場合、睨みつけられる頻度が減ると期待される。(実際、私が部屋でiQOSを吸った後、たばこに敏感な人が部屋に入ってきても気づかないことが多い。)

以上をまとめれば、iQOSは、他のいろんなくだらないものと同様、考え方、使い方次第では、普通のたばこと同じ充足感は得られないにしても、それなりに使えるものというのが再評価の結論である。

ただし、これはスモーカーがたばこの代替品として使うということであって、禁煙補助具にはならないだろうという意見は変わらない。なお、harm reductionになるのなら、代替品であっても存在意義はあると思うが、現在のところ、それを示すデータは示されていないようだ。

フィリップ・モリスが強調するのは「たばこ葉を燃やすことなく、正確に制御された温度の範囲で加熱するため、副流煙や灰による不都合さのない、味わい豊かなたばこ体験」である。


名古屋に行くことがあったら、ヒートスティックを1カートン調達しておくのも悪くない。

【追記】
大阪でも手に入るようになった。
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民主党はどうするのかな

K10047709611_1501181529_1501181529_01.jpg民主党の新代表が決まった。

「原点回帰」と「過去との決別」を掲げた2人の決選投票だったわけだが、

「原点回帰」=今までのことはなかったことにして、
「過去との決別」=今までのことは忘れて、

という意味では、まさか、ないだろうと思うが、なぜ政権が失敗したのか、その総括はされたんだろうか。代表代行に蓮舫氏ということだが、また繰り返すのだろうか。

蓮舫氏といえば「一番じゃなきゃいけないんですか」発言だが、政治家なら「一番になるのはすごいことです。しかし、限られた予算の中でできることは限りがあります。いたずらに、それも特定の条件下での速さだけを競うのでなく、利用のしやすさやサポートなど、センターとしての総合評価を上げるなども考えてみてください」と言うべきところだろう。仕訳をするにしても、ムダなことにお金を使うこと(政治)と、お金をムダ使いすること(行政)は違うという視点も入れたほうが良いのでは。


政権が失敗した原因はいくつもあるだろうが、一つは政治主導というポーズに拘泥して官僚を敵視するような印象を与えたことではないだろうか。
実際にはそうではない大臣・議員もいて、それなりに官僚と手を結んでいたという話もあるやに聞くが、どうも官僚を悪者にして叩いて喝采を受けるという感じがあって、国民の人気を得るには手っ取り早いが、その結果、政策立案能力を自ら貶めることになったのではないか。

与党になったら官僚組織は改革を行う実働部隊のはずである、というかそうしなければならない。
歴史上も新しい殿様が藩改革をするに、はじめは宿老から嫌われたり無視されたりしても、辛抱強く接し、信頼を得て、改革を成功させる話は上杉鷹山をはじめいろいろある。現代の民間企業でも手腕を買われて突然やってきたトップのもとで改革を成功させたのは、既存組織を叩きつぶすのではなく、信頼からはじめるほうが多いのでは。
選挙の時は官僚を叩いて国民の喝采を得て、政権をとったら官僚とともに改革する、というのは、裏切りっぽくてちょっとひどい感じもするが、現実的にはその方が国民の利益になるかもしれない。また、気に入らない役人でも、まずは手なずけて、最後に切る、というぐらいの陰謀も必要だろう。

そもそも政党が叩くべきは官僚組織ではなくて、その組織を動かしていた対立政党の閣僚・官邸のはず。
事業仕訳にかけるにしても、その事業を決定した当時の大臣・政務次官など政治家を召喚し、役人は証人という役割をあてがえば良かったのではないか。もちろん小さな事業決定に大臣が直接からむこともないだろうが、最終責任者は大臣じゃないのだろうか。「担当にまかせていました」と答えても良いが(それも見てみたい)、担当がイヤイヤやったのか、喜んでやったのか区別できたらおもしろい。
大臣は監督責任を問われるというアタリマエのことが行われないから政治主導にならないのではないだろうか。

もちろん官僚組織に自己利益誘導や不効率があるなら、それは正さなければならないけれど、それは政治ではなく事務レベルの問題と考えられる。ただし、官僚階層が肥大化・固定化・貴族化というような状況があるなら、そのこと自体を政治課題にしなければならないけれど。


思うに官僚が吸う甘い汁なんて国家予算からすれば大した額ではないだろう(だから良いというつもりはもちろんない)。それより、効果も、他の施策との整合性も吟味されない出来の悪い施策に投じられるムダ金あるいは「逆噴射」の方が多いのでは。
そして、そういう施策の多くが政治主導だったり、政治家の威を借り、迎合する官僚の立案だったりすると、政治主導って何だったんだろうということになってしまうのでは。
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白と黒

先週、休刊日の稿だったにもかかわらずコメントをいただいて、その応答もしていわけだけど、そうするなかで面白いなぁと思ったこと。

「黒板の白は黒」と感じる。

TouminKusanoRv.png昔、グラフィック・ディスプレイで遊んでいたとき、画面をハードコピーにとると、白が黒に、黒が白に印刷されるようになっていた。他の色はそのまま出てくる。当時のコンピュータ・ディスプレイというのは、地は黒(無光)で使うのが普通で、文字などの表示部分のみが発光していた。だから、白いところを白いままハードコピーに出しては紙の上で白いまま、すなわち文字にならないわけで、白が黒に、黒が白に印刷されることには実用上の理由もあったし、ユーザーも違和感を持たない。ただし画像処理をしていると、画面上、白く表示されている場所が黒く印刷されるのは違和感があって、衛星リモートセンシングのデータで遊んでいた時、コンクリートの地表(空港などが良くわかる)を白く画面表示して、それらしいという感じにしたのだが、ハードコピーをとると真っ黒になって変な感じがしたものだ。

いつ頃からか、ペーパーホワイト・ディスプレイというようなものが出てきて、背景が黒ということはなくなった。
実際、Word、Excelのようなアプリケーションも、ホームページも白地に黒などの文字が基本である。

grouptaisenseiseki.jpgディスプレイもCRT(陰極線管)から液晶が普通になったが、普通の液晶ディスプレイはバックライト(白)は常時点灯していて、液晶フィルターが光の通過/遮蔽を行うことで像を作るわけで、機構的にも地の色は、CRTとは異なり、白となっている。

聞くところによると、液晶で光を遮蔽するように配列するほうが電気を喰うとのことで、ディスプレイの電力消費を抑えるには背景は白が良いらしい。ただしディスプレイ・オフはバックライトを消灯して画面を黒にすることだから、これが一番電気を喰わないのは当然だが。


コンピュータ・ディスプレイと同じく、テレビ画面の主流もCRTから液晶へと変わったわけだが、ここでも白黒で混乱することがある。

scoreboard.jpg前から気になっていたのだが、スポーツ番組で、戦績などを表示するときに、○●が使われるのだけれど、
「どちらが勝?」と迷うことはないだろうか。

また、伝統的に野球場のスコアボードは黒板と同じく黒(暗緑)。
ここに○●で表示されると、迷うのは私だけだろうか。

写真を良く見ていただきたい。
上のテレビ画面と下のスコアボードでは○と●の使い方が逆になっている。

人間の認知機構の不思議さ、と感心するのは良いけれど、情報を伝えるという目的からすれば、そういう迷うような表現じゃなく、○×で表現したらはっきりすると思うのだけれど、テレビ局の人はどう考えて・感じて・見えているのだろう。

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心斎橋の店

urokoyadenshu.jpg昨年の職場の忘年会で使った店で、友人と一献。
金曜日だったので満席。前日に予約を入れていてよかった。

【飲んだもの】    【食べたもの】
  ビール        刺身の盛り合わせ
  田酒純米大吟醸    マグロ頬肉の鉄板焼き
  喜楽長(燗)     まんぼうの串焼き
  大七純米生酛(燗)  牡蠣のバター焼き
  松竹梅(燗)     いわしのアヒージョ
  生酒(銘柄失念)


ここの刺身は、しっとり柔らか。刺身は、こりこりしたものを良いという人がいるが、それも悪くないと思うが、適度に熟したのは旨味が引き出されているように思う(これって前も書いた覚えがあるが)。
マグロ頬肉は、小さな鉄板で自分で焼くもので、バターを使うので魚というより柔らかい肉のよう。
まんぼうは、肉じゃなくて腸を使っていた。ネギまのような串焼き。まんぼうははじめてなのだが、腸なので店主がいうようにミノのような触感。ちょっとイカのような感じもした。
牡蠣のバター焼きは特にコメントは不要だと思う。
いわしのアヒージョは、たっぷりのアツアツのオリーブオイルに浸かった状態で供される。そのときはあまり意識しなかったがかなりにんにくも効いていた。

最初の田酒だが、数年前に青森に行ったとき、市内でも置いている店が少なかった。大規模なパーティーで田酒の一升瓶が置いてあったのだが、気づいたときはもう遅く、空になっていた。そのときの口惜しさがあって、店主から、今日はこんなのがあります、とすすめられて即注文した。
喜楽長は冷でも燗でもいけるようだが、私は食中は燗が普通なので、燗をつけてもらった。
この店は、燗酒を運んでくると、「43°です」とか、温度を言ってくれるのが面白い。
大七は前にも書いたように、定番にして標準。
松竹梅は地酒ではなくて、この店で単に燗といえば松竹梅が出てくる。
最後の生酒は、〆で飲んだもの。銘柄は忘れてしまった。

この店は各地の地酒を置いていて、店主に聞けばその日のおすすめとかも教えてくれる。
傾向としては生酒や吟醸酒が多いようだ。燗をつけておいしい酒というのをもっと開拓してもらうとうれしい。
現地限定販売という酒を結構手に入れているので、酒好きの人とだとその話題だけで過ごせる。

一つ一つ写真を撮ってお伝えすべきところ、今回も忘れてしまった。
その代わりというのも変だが、この店のブログを紹介しておく。
  漁師直送居酒屋『うろこ屋』のブログ

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大阪都で地下鉄が便利になる?

テレビを見ていたら、市長が大阪都のメリットをしゃべっていた。
二重行政のムダがなくなると、いつものごとく具体例は出さないで主張していたが、このときは、例えばと具体的に地下鉄が便利になると主張。(具体例をあげれば説得力が上がると考えるのは正しい、だけど……)

曰く、大阪都になれば、大阪市内だけの地下鉄が市域を超えて延長され便利になるんだそうだ。

え!? ちょっと待ってくれ、前は地下鉄は民営化するといってたんじゃなかったっけ?? だからこの間も地下鉄は都構想とは関係ない、と書いたところじゃないか。いくら思いつきでしゃべってるにしても、情勢変化も何もないと思うのに、そうコロコロ意見変えてもらったら、コメントする方が面喰ってしまうじゃないか。

ま、それはそうとして、それならば大阪都になったら地下鉄は便利になるんだろうか。
市長はすぐ比較する東京だが、東京は都だから広い地域をカバーしているとおっしゃる。だから大阪が都になれば同じように広い地域をカバーできるんだそうだ。(これは都という単語を形式的にあてはめただけですね)

しかし、東京の地下鉄は、都営(3路線、総延長106.7km)もあるけれど、大きいのは東京メトロ(9路線、総延長194.6km)。(なお、大阪地下鉄は8路線、総延長129.9km。)
周知のとおり、東京メトロは、以前は営団地下鉄と言われていた国策事業者で、2004年からは東京地下鉄株式会社法に基づく株式会社になり、株主は財務大臣53.42%、東京都46.58%の2者である。経営形態が全然違う。また、同法では「東京都の特別区の存する区域及びその付近の主として地下において、鉄道事業及びこれに附帯する事業を経営する」とされているから、都内を広くカバーすることはできないだろう。
          osakametro2.png
また、大阪市の中だけというのも、実は違っていて、堺市、守口市、東大阪市には延びている。(はみ出しているという感じなら、吹田市、門真市、八尾市も)。これらは車庫の確保という意味があるらしいが、守口の場合は車庫を超えて大日まで延びている。
市域外延長の場合は、大阪府も費用負担をしてきたらしいが、基本的に地下鉄を延長するかどうかは、ニーズの問題で、伸ばせば良いというものでもない。

ところで現市長になってから廃止されたバス路線には市外にでている路線がいくつか含まれている。市外を走らせてたじゃないか。大阪市だからやる必要はないと言って、廃止しておいて、だから都でないとだめと言うのは、だだっ子のやることでは


また、東京は遠いところから乗っても直接都内まで来れると、どうやら私鉄との相互乗り入れのことを言っているようだが、堺筋線は阪急、御堂筋線は北大阪急行、中央線は近鉄と相互乗り入れを行っている。相互乗り入れが少ないのは鉄道の構造(第三軌条による給電)の問題である。JRにいたってはゲージが違うから到底無理である。なお、聞くところによると、堺筋線は阪急との相互乗り入れのためにパンタグラフ方式を採用し、このために地下軌道の高さが高くなっているが、このための追加費用は阪急が負担したともいう。なお、東京も同様の事情から相互乗り入れが多いとまでは言えないと思う。

主張にあわない事実には触れないようにして、主張を補強できるようなインシデントは些細な、例外的なものでも、典型例として喧伝するのは、自分の主張を通すために良く使われる手法だから、今更おどろくことはない。

しかし、番組に出ていた他の出演者の誰も、こういう稚拙な主張に突っ込みを入れないというのが気にかかる。単に基礎知識を欠いているだけなのか、それとも、変に逆らうと後がうるさいとでも思っているのか。

5月の住民投票で、大阪市の解体が賛成多数になるのかどうか、大阪市民の知識と良識が問われる。
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大学入試改革

今日からセンター試験がはじまった。
例年、どこかでなにかのトラブルが起こるようだが、たくさんの会場・受験者がいるのだから、完璧にするのは難しいだろうと思う。

NHKdaigakunyushi.jpgところで、昨年、中教審の大学入試改革のことが報道されていた。
NHKの解説委員室のページ「時論公論」で「大学入試改革 実現性は?」として、とりあげられている。
このページに改革の要点がまとめられているので引用する:

▽今の大学入試センター試験を廃止して、知識の活用力を問う新しいテスト「大学入学希望者学力評価テスト」を導入し、年複数回実施する。
▽高校在学中に学習の到達度をはかるため「高等学校基礎学力テスト」という新たなテストを設け、進学や就職の際の学力の証明として使えるようにする。
▽大学は、個別試験では、筆記だけでなく、小論文や面接、志望理由書など様々な物差しで学生を丁寧に多面的に評価するとともに、どんな学生が欲しいのか、そうした学生を選ぶためにどんな試験を行うのかを明らかにする。


知識の活用力とか考える力とか、それは大事なことなのだけれど、これをペーパーテストで判定するのは難しいと思う。また「基礎学力テスト」というのも知識を基礎学力というのなら学校でやってるテストと変わらないのではないだろうか。

そもそも、知識の活用力というが、その前提として相当の知識の量が要求される。
人工知能研究でも、膨大な情報が知的な振る舞いをする上でのキーになるというのが流れではないだろうか。それに、たとえば負数の計算で「マイナス×マイナス=プラス」と機械的に覚えている人は多いが、なぜそうなのかをきちんと理解している人はむしろ少数だと思う(裏の裏は表ぐらいの情緒的な理解程度だろう)。これを考える力などと言い出したらほとんどの人は大学へ行く資格もない。

英語でも、使える英語といって会話を重視する風潮があるが、昔、国際的な企業人の話として、英語が使える人というのはやっぱり東大卒とかで、ビジネスで必要なのは高度な単語・表現で、そしておよそ日常会話ではありえない、そういう文章が出題される入試を突破した者にそれが期待できる、というような趣旨のことを読んだ覚えがある。(ネイティブの子供は、6歳ぐらいまでに、日本の生徒が高校までに習う単語の数より1桁ぐらい多い単語を覚えるともいわれている)

韓国のエリート高校は、ペーパーテストによる入試はやらないのだと聞いたことがある。中学校で既に選別されていて、限られた生徒だけが推薦されてくるので、高校側は面接で評価するのだそうだ。これは一握りのエリートしか対象としないからできる方法だと思うが、もし文科省がそういうエリートを育てることを考えているなら、大学入試改革などは実は不要かもしれない。そういう生徒はそもそも入試で苦労したりしない。それこそ応用力・活用力が高い。
一定の知識・スキルを持つ学生を育てる《マスプロ教育》を目指すのと、一握りのエリートを育てる教育は全く違うものだと思う(「エリートの大量養成」は言葉として矛盾している)。
教育改革の議論の多くは、そのターゲットの設定にズレがあるのではないか、また、そのことを自覚して議論しているのか怪しいのではないだろうか。

おそらく大事なことは、入試改革ではなくて、大学改革・高校改革だと思う。
まず大学で簡単に単位を与えないこと。卒業させるのが大学の責任だという考え方を捨て、卒業するのは学生の責任、単位がとれない自分が悪い、にすること。大学に全入させてもいいけれど、卒業できるのはそれだけのものを身につけた学生に限るとすれば、やる気のない学生は大学に行かないだろう。

実は、本稿はセンター試験にあわせてアップするつもりで、あらかじめを書いておいたところが多いのだが、先日、「卒業要件厳格化へ…15年度に省令改正 文科省方針」という報道があった。


そしてそうなると、大事になるのは高校教育、大学へ行かせる教育をすれば良いということにならない。

大学の卒業要件厳格化が何をもたらすか、ちゃんと文科省は考えているのだろうか。
大きく振れてきた(その時の声の大きさ次第だろう)教育政策の歴史を見ると、悲しいことにそこが信じきれない。企業からの大学に対するニーズに反射的に対応して済む問題ではない。


前にも書いたかもしれないが、段階別の教育の役割は、

小学校は社会で生きる基礎的な力を身につけるところ、
中学校は大人になるための教育を行うところ、
高等学校は自分の進路を決めるところ

と私は考えている(教育者でも、教育の専門家でもないが、少なくともこのうち小学校・中学校の役割は大村はま先生がおっしゃっていたことの受け売り)。
今の日本では考えられないというかもしれないが、現に、学力トップクラスと崇められるフィンランドなどでは多くの高校生は大学へは行かないという。就職してから、さらに深く、あるいはまた別のことを学ぶために大学へ行くらしい。

問題の一部への対症療法や、他国のシステムの一部だけを見て、あちこちつぎはぎ細工をして制度設計しても、良くなるはずはないだろう。
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オペラの思い出

ニューイヤーオペラコンサートの話題が続いたので、今日はオペラの思い出を書いてみる。

IMG_20150106_201336_323-crop.jpgはじめてオペラの舞台を見たのは高校生のときで、演目は「魔笛」。チケットをもらったから。演じていたのは日本の歌劇団(多分、二期会だと思うが覚えていない)。このときはそんなにモーツァルトにもオペラにも入れ込んでいるわけではなかったし、何より地方公演で舞台装置もさびしいもので、大した感興を覚えなかった。
また、同じくチケットをもらったので見に行った覚えがあるのは、石井歡作曲「袈裟と盛遠」という日本オペラ。これも高校生のとき。

私はオペラ・ファンというわけではない。前にも書いたように、大学へ行ってからモーツァルトとの出会いがあって、それからはレコードやFM放送、さらにはテレビ放送で、モーツァルトのオペラを聴いていた。モーツァルトの時代は、オペラでの成功が、とりもなおさず音楽家としての成功であると考えられていたそうで、モーツァルトもこのジャンルに力を入れたはずである。

そうこうしているときに、ベルリン国立歌劇場(当時は東ドイツ)の来日公演があり、大阪ではフェスティバル・ホールで3夜続けてモーツァルト・プログラム=ドン・ジョバンニ、コシ・ファン・トゥッテ、フィガロ(なぜかドイツ語版)が上演された。
私は3夜とも行った(プレイガイドで「三日ともいくんですか?」と驚かれた覚えがある)。

IMG_20150106_201427_194-crop.jpgこれは、それまで見聞きしてきたオペラとは全然格が違った。
生の迫力、優れた歌手、しっかりした装置。
音楽監督・指揮は、N響の指揮者もしていたオットマール・スウィトナー。

ペーター・シュライアーのなんとも自然で甘く豊かな声、そしてなかなかの役者ぶり。

腹這いのまま歌ったのにもびっくりした。フィオルディリージを陥落させた(と思われる)後、口を拭きながら登場したのも笑わせた

テオ・アダムの張りつめた、そして体全体が大きなスピーカーと思わせるような「鳴り」。

ALTEC A7のような劇場用スピーカーがそこにあるような迫力と言えばわかるだろうか


そして何よりも、モーツァルトである。

この3曲のブッファ(ドン・ジョヴァンニはブッファとは言わず、ドラマ・ジョコーソと言うが)、人類史でただ1度きりの(といっても3曲だが)、奇跡。
多くの登場人物がそれぞれの個性を、ときにはデュエットやトリオを組みながら、つまりそれぞれのモチーフとポリテクストが、全体として統一され、劇が構成される、これこそオペラ。
  (通常演劇で登場人物が口々にセリフを言ったのでは、ただの喧噪だろう)
そしてモーツァルト以外、誰にも書けなかった。

IMG_20150106_201726_476-crop.jpgそれからも外来オペラがモーツァルトをやるときはたびたび行ったのだが、初めての本格的オペラ体験で衝撃も大きかったこともあるのだろうが、未だに、このベルリン国立を超える感動を覚えたことはない。

IMG_20150106_201527_403-crop.jpg 
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ニューイヤーオペラコンサート 2015(その3)

ニューイヤーオペラコンサートの3回目。

私の贔屓の幸田浩子さんが出演していた。リゴレット。
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女たらしに恋してしまう清純な乙女の役である。
かなり技巧を要するがリリックな曲で、幸田浩子さんにはぴったりのような気がする。

相手役のマントヴァ侯爵もにくたらしい役を実にうまくやっていた。
また、メゾソプラノの鳥木弥生さんも4重唱に参加するのだが、この人、別の曲でも出てて、なかなか良い。
newyearopera6.png

普段、オペラに接することがなく、したがって、歌手についてもあまり知らないので、いつも新しい発見がある。

で、少しミーハーだが、マスコミ露出の多い、森麻紀さんの写真もおまけ。マイヤーベーアの「ディノーラ」というオペラらしい(私は聞いたことがない)。
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今年はモーツァルトはなかった。
今年のテーマは「恋」正確には、「恋する喜び、恋する哀しみ」というテーマなので、「恋に恋するケルビーノ」では不採用か。

最後は、かの有名な「乾杯の歌」(椿姫)で、華やかに締めくくられた。
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いただいた年賀状にも結構な数、飲み会やりましょうという趣旨のメッセージが書かれていた。
今年もよろしくお願いします。
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新年のW県

昨日は、新年最初のW県行き。

IMG_20150113_205331_498-crop.jpg前回のW県行きと同じWラーメンの店で昼食。珍之助さまに目ざとく指摘された、なれ寿司を購入。ただ、病み上がりなので、その場で食べるのは遠慮して持ち帰り。

土曜から風邪症状、日曜昼の38.1°をピークに夜には下がり、月曜にはほぼ平熱。鼻水が出る以外、吐き下しや関節痛などはないので、インフルエンザっぽくはない。インフルエンザかどうか確認するために休日診療も考えたが、気が付けば日曜はすでに受付時間終了、月曜は平熱なので行く気もしなかった。
結局、三連休を風邪にあてた格好。そういえば昔、ラジオ生放送に出たとき、相手のパーソナリティを務める落語家さんが風邪気味とかで、「こういう仕事をしていると風邪もひけないんですが…」と仰ったので、
「それは大変ですね、私ども宮仕えは、風邪は休日にひくことにしています」と応答したのを思い出す。


話がそれたが、なれ寿司は、写真でわかるかどうかわからないが、酢飯に塩鯖で、生姜をあしらってあるのだが、バランがプラスティック製なので、仕込んだ原材料のままという感じ。やはり「柿の葉寿司」のように、葉っぱから香味成分・ビタミンが出て味わいが出るものに軍配を揚げざるをえない。なお、前に1コ100円と書いたが、今回は140円になっていた。単なる値上げでなく、大きさも変わっているようだ。

wakayamamanyo.jpg目的地のI市へは、W線でさらに20分弱。前回、この線のペインティング車両を紹介したが、今回もまたそういう車両が来た(ただし、今回は当駅どまりで、実際に乗ったのは普通の車両)。塗り替えたとは思えないので、何列車か用意されているのだろう。

で、年始なので相手先社長への挨拶も済ませ、無事仕事を終えて、今回もKIXとW県方面の分岐するH駅まで送ってもらったのだが……

止まってるやん、ホームに人があふれてるやん。
(すみません、写真撮り忘れました)
信号故障とかで、電車が動いていない。場所が場所だけに、大きなスーツケースを持った人、韓国語などの外国語で駅員に詰め寄る人、それなりに喧しい。

駅員に大阪へはどの列車が早く着くのか聞いたら、りんくうタウンまで行って、N海電車で行ってくださいという。言われるとおりに、そちらのルートを選択、新今宮で環状線へ。
意外にスムーズに乗り継げたので、インジャリータイムは少なかった。
(ちょっと、どうせなら、KIXまでいって、バスで帰ろうかとも思ったけど)

最後にハプニングのあったW県初日だった。
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休刊日

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ニューイヤーオペラコンサート 2015(その2)

昨日に続いてニューイヤーオペラコンサート。

今年のニューイヤーオペラコンサートでは、20世紀中ごろ以降のオペラが2曲とりあげられていた。
1つはバーバーの「ヴァネッサ」、もう1つはストラヴィンスキーの「放蕩児の遍歴」。
どちらも全く知らない。国内でもまず上演されていないという。
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そして、どちらも歌詞が英語。
で、やっぱり英語ってオペラに向かないのでは、と思ってしまった。
思えば、オペラはやっぱりイタリア語が多くて、朗々と歌うには母音過剰のイタリア語が良いようだ。ただ、これは慣れの問題で、「魔笛」や「後宮」のドイツ語が不自然だと思ったことはないし、「カルメン」のフランス語もそう。
ただ、英語となると、クラシックで英語というと「メサイア」ぐらいしか聞いたことがなくて、オペラで英語?となる。
なお、日本語はイタリア語同様母音過剰だけど、アクセント、イントネーションの問題で、朗々と歌うのはどうも気恥ずかしい気がしてしまう。

また、実際、英語なのに、歌っている歌詞がさっぱり聞き取れない。日本語訳詩がスーパーインポーズされていたが、英語の原詩を出したら良いのではないだろうか(そんなに難しい英語ではなさそうだから)。

ところが、ミュージカルとなるとほとんどが米国製で当然英語。それで、何ら違和感はない。
オペラとミュージカルで受ける印象のこの違い、一体、なんだろう。
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ニューイヤーオペラコンサート 2015(その1)

先日、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートをとりあげたが、日本にも年始恒例のコンサートがある。
NHKニューイヤーオペラコンサートである。
今年が第58回だという、歴史がある催しなのだ。大河ドラマより古いのだ。
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番組としては、ウィーンは3時間近く、オペラコンサートは2時間なのだが、書きたいことはオペラコンサートの方が多い。バラエティに富んでいるからである。

実は、オペラコンサートはそんなに古くからのファンというわけではない。そもそも、私はオペラファンというわけではなくて、生で見たオペラといえば、モーツァルトばっかりなのだが、前にとりあげたフォン・オッターのカルメンに触発されて、DVDはそれなりに見るようになった。

で、今年のオペラコンサートは「恋」をテーマにしたというが、何より、今年の特徴は、バロックから20世紀までのオペラをとりあげていることだと思う。
本稿では、そのうちバロック・オペラについて。

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オペラの発祥は、ベニスで、モンテベルディというが、ヘンデルもオペラを書いている。ヘンデルというとオラトリオが多いと思っているが(「メサイア」、表彰式のBGM「ユダス・マカベウス」など)、今回のオペラコンサートでは、ヘンデルの「リナルド」という作品をとりあげていた。
モーツァルト頃にはレチタティーヴォでしか目立たないチェンバロが、アリアでもずいぶん活躍する。決して、古いという感じはしない。(さらに時代が下るとチェンバロは使わない?)

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「リナルド」からは、前奏曲と3曲のアリアがとりあげられたが、最初のアリアはカウンターテナーによって歌われるのだが、作曲当時はどうだったのだろう、カストラートが歌ったのかもしれない。今や、カストラートは絶滅したと思うが、そもそもカストラートって、やっぱりキリスト教が要求した職業なのだろうか、教会の聖なる音楽は穢れた女性には歌わせないという話を聞いたが。

おそらく、バロック・オペラを上演しても、そんなに純粋に観客が集まるとは思えない(歌手や合唱団の縁で案外、チケットが売れるかもしれないが)。私も、バロック・オペラを通して聴いたことはない。グルック(昨年が生誕300年だった。全然騒がれなかったように思うけど)の「オルフェウス…」とか名前は知っているし、一部の曲は聞いたことがあるけれど。
ただ、だいたいバロックの音楽というのは、のちのイタリア・オペラよりも、技巧的なところもあって、歌手の技量を楽しむのには良いかもしれない。(もっともヘンデルは、メサイアでもわかるように、あんまり技巧的ではないけれど。)

とにかく、バロック・オペラが古色蒼然というわけではない、と認識を新たにした次第。
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とんかつ弁当

前にピザで小納会をしたと書いたが、そのとき断念した有名とんかつ弁当を無事、昨日、昼食で調達。

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私が頼んだのは上ロース弁当1,370円(税込)。
写真のとおり、何の派手さも、飾りもない、サラダと漬物ぐらいで余計なものは一切なし。まさに見た目は普通の弁当。

もっとも、私は幕の内のようなのは好きではない。冷たい焼き魚、ふにゃっとなった天ぷら、作り置きの煮物、妙に甘くて食べられない豆や飾り物。以前、お午の出る会議に良く行ってたが、実は閉口ぎみ。そういう弁当(値段は結構してそうだった)より、こういうカツ弁当の方が良い。あるいは、うどんかそばの一杯がいい。


噂通り、分厚いロース肉がほどよく揚がっている。
やや冷えてしまっているにもかかわらず、柔らかく、適度な弾力があり、言うまでもなくジューシー。

私はそのまま食べるのが一番良いと思うが、タレは2種類、良く見るタイプのとんかつソースと、この店特製のりんごの擦りおろしなどを使ったソースがついている。前者はだいたい想像できる味をすこし薄めにしたと思えば良い。後者はポン酢に近い感触だが、りんごの甘味が効いている。マスタードも付けてあるが私は使わなかった。

周りを見回すと、「チョイス」というタイプの弁当を頼んでいる職員が多い。とんかつ+シーフードフライ2つというもので、箱も二回り大きい。それにもかかわらず、全員が完食。
ただし、みんな食べ過ぎだぁ~、と言っていた。
小食の私はシーフードプラスというような蛮勇は奮っていないが、それでもお腹いっぱい。2~3割減でも良いように思う。(あまり多いと単調さを感じてくる)

それにしても店であつあつを食べたらどんなだろう。

読者の便宜のため、友里征耶氏のブログへのリンクを再掲しておく。

・最近訪問した店 実名短評編 2012-34
・豚を肉と認めない大阪の旨いトンカツ


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大阪市解体構想

公明党の協力により、大阪維新の会の看板・大阪都構想の住民投票が行われる見通しになっている。
橋下代表は、都構想が否決されたら、政界を引退すると言っている。事実上の不信任投票というわけだ。

都構想のウリは「府・市二重行政のムダをなくす」なのだが、前にも書いたように、私が不勉強なせいか、二重行政がそこらへんにごろごろ転がっているとは思えないので、二重行政というなら、それがどの程度不効率の原因となっているのか、具体的にあげてもらいたいと思っている。
聞こえてくる指摘は、似たようなことをしているから二重というものが多いようだが、実際はサービスの対象や目的が違っているものも多いし、そもそも府民・市民の需要に応えるには、府・市両方がやっても足りないぐらい(市民には市が、それ以外は府がでおかしくない)のものもあるのではないだろうか。
また、府民サービス施設が大阪市域にあるからといって二重というわけではなく、大阪市民以外の府民にとって一番便利な立地が大阪市ということにすぎない。鹿児島の複数の離島で構成する村には、村役場を鹿児島市内においているところもある。そこが各島民にとって一番便利だからだ。

東京中心の交通体系整備に大量の国費を投入しておいて、東京が日本で一番便利な場所と言われるのは盗人猛々しいものがあると思うけど。北陸新幹線開業でますますそうなるだろうなぁ。


それはそれとして、これも前に書いたが、今まで大阪市のためにつかわれてきた富が、大阪市を解体することで、固定資産税が主になると思うが、これが他の府域に配分されるようになれば、それはそれで意義はあるかもしれない。
ただ、大阪市を解体して区にすると、行政コストは相当(1000億オーダー?)増加するだろうと思う。特別区になれば、当然それに必要な体制、特に必置施設・機関が増えるはずだし、事務体制も増える。

osakadiv.jpgそれならいっそ、大阪市に接する衛星都市で、大阪市を分割してしまったらどうか。たとえば

西淀川区・淀川区・福島区・西区⇒豊中市に編入
北区・東淀川区⇒吹田市に編入
中央区・都島区・旭区・城東区・鶴見区⇒守口市に編入
浪速区・天王寺区・東成区・生野区⇒東大阪市に編入
西成区・阿倍野区・東住吉区・平野区⇒八尾市に編入
此花区・港区・大正区・住之江区・住吉区⇒堺市に編入

わぁーい、戦国乱世、国盗りゲームだい!

これなら、議会は定員微増で済むし、行政委員会の多くはそのままでOK。事務体制も従来の区の踏襲でだいたいOK。なお、大阪市交通局は民営化するとおっしゃってるわけだから、そもそも問題ない。
ただ、これだと現行法上、固定資産税は各市の収入になって、さらに外縁にある市町村にはメリットがないかもしれない。
(まあ、この分割の絵を見て、これが永続的な大阪の姿と思える人は皆無だろう)

大阪市がムダな施策を実施したとか、高コスト体質であるという指摘は、そういう面があるだろうと私も思うが、それは、変に富をもっていたからやってこれたことだと思う。
都構想は、その体質・体制を変革する荒療治にはなるだろうが、都構想の理念とは別の問題だろう。

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ニューイヤーコンサート 2015

先日は、年末年始の芸能人総出演バラエティは辟易するというように書いたわけだが、元日のウィーンフィルのニューイヤーコンサートは、ほぼ毎年見ている。(ただし、悲しいかなチャンネル権がないので、ライブはあきらめて、録画で。)

72954d04.jpg

昔はウィリーボスコフスキーの指揮で、結構、悪ふざけも入ったコンサートだったと記憶している。ファゴットに花火を仕込んでいたようなシーンがあったようにも記憶している。(その頃もNHKで録画放送があったと思う)
お祭り気分で、楽団員も面白おかしく軽い曲をやり、聴衆と一緒に遊んでいる、そんな感じだったのでは。

それが一変した、と私が思ったのは、小澤征爾が指揮した2002年のコンサート。
なんだか、すごく真剣なのだ。
小澤さんは、例のとおり、汗を流しながらの指揮だったように思う。楽団員もなんとなくピリピリしていたのではないか。
この時の小澤氏は、とちると許さんぞ、という雰囲気が感じられた。とはいうものの、演奏が縮こまっているわけではなく、良い緊張感で、楽曲として全く破たんしない、さすが小澤というものだった。

そういえば、昔、「オーケストラがやってきた」という番組で、ホストで指揮者の山本直純氏が、たまたま出来の悪かったオーケストラ(それは私にもわかった)に、怒りながら指揮していたのが写っていたのを憶えている。公開収録番組とはいえ、そのまま放映するかぁ。

この年には、もうウィーン国立歌劇場の音楽監督になられていたのだったか、楽団員も、ここでとちったら自分の身が危ないとでも思ったのかもしれない。

そして、今年の指揮者はズービン・メータだった。何人かの楽団員とシャンペンで乾杯するという演出はあったが、全体に落ち着いた演奏だった。

毎年のように見ているわけだが、いつも今まで聞いたことのない曲が演奏されて、この時代のシュトラウスをはじめとする流行曲が実に沢山あったということに感心する。

今年おもしろかったのは「電磁気ポルカ」「ポルカ:蒸気をあげて」という当時の最新技術をテーマにした曲。「加速度円舞曲」がウィーンの技術者の協会のために作曲されたというのも知らなかったが、いずれもはやりの技術をすぐに取り入れてウケを狙うというのが、なんともおもしろい。
また、曲名は忘れたが「ローマの謝肉祭」からとったという曲もとりあげられていた。ローマの謝肉祭序曲は割りに良く演奏されると思うが、こんな風に使いまわしをしていたと聞くと、シュトラウス二世は1日3か所の舞踏会を掛け持ちしたという話がなるほどとうなずける。

レコード大賞はこの頃は30日にやるようになったみたいだが、以前は大晦日で、レコード大賞が終わって紅白に走るという話を聞いたことがあるが、人気者は今も昔も大変だ。
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iQOSをゲット

前に電気加熱式たばこPloomについて書いたが、こんどは同じく電気加熱式たばこであるiQOS(アイコスと読むらしい)をゲットした。

iQOSfolder.jpg

iQOSは、現在のところ世界でたった2都市=ミラノ、名古屋だけで販売されている。
暮れに、娘が名古屋に行ったので、それなら、ということで買ってきてもらった。

電子タバコ(ニコチン吸引機)は国内では手に入らないので無視して、新型煙草3種類=iQOS、Ploom、Zero styleの私の評価は次のとおり:

喫煙者本人にとって   iQOS > Ploom ≫ Zero style

周囲の嫌煙家にとって  Zero style > Ploom ≫ iQOS


iQOScharger.jpgiQOSは、フィルターたばこを切ったような形状で、この3製品の中では、吸入感が紙巻たばこに最も近く、たばこを吸っているという感じがする。ただし、満足感は普通のたばこに比べれば半端。もっとたっぷり吸いたくなる。禁煙補助具にはならない。むしろ、喫煙促進具になるのではないか。
特に、一度吸うと、次に吸うためにはホルダーをチャージャーに戻して充電しなければならない。連続吸引はできないので、これも満足感が得られない理由である。
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一方、周りの人にとっては、これはやっぱり煙草と意識されると思う。
写真のとおり、吸えば結構白い「煙」が喫煙者から排出される(煙の出ないたばことは言えない!)
この煙はしばらくすると見えなくなり、普通の煙草のように煙が長く室内に漂うというようなことはないのだが、吸わない人からは独特の臭いがする、同じ室内では吸われたくないと言われる。これでは気兼ねなく吸えない。

ただ、タールは出てなさそうだから、普通のたばこのように煙が壁や家具に染み付いて茶色くなることはなさそうだし、強く、長く残るというほどの臭いではないから、煙草嫌いの人が居ないうちに吸うという使い方はできるかもしれない。

ということで電車の中などではまず許容されないだろう。Zero Styleは会社によって扱いが違い、JRはOKだが、阪急はダメと聞いたことがあるが、Zero Styleですらそうなら、iQOSは到底無理だろう。

iQOSheatstick.jpgiQOSで吸うたばこ(ヒートスティックと言う)は2種類、マールボロとマールボロ・メンソールがあるが、私には、メンソールはメンソールがきつく、また苦く感じ、たばことの調和がもうひとつなので、普通のマールボロのほうが良い。
(写真上がノン・メンソール、その吸殻、下がメンソール、使用前のスティック)

スティックの加熱であるが、ホルダー内に細いカッター刃のようなものがあり、スティックを押し込むとこれに刺さるようになっていて、これが発熱するようだ。

また、この製品のウリとして、灰が出ず、吸殻の始末がラクということだが、はじめ、挿したスティックをそのまま抜いて、たばこの葉がボロボロと落ちて周りが汚れたし、次のスティックを入れようとしてカスが詰まっていた。これは私の使い方が悪くて、スティックを挿す口がスライドするようになっていることに気づかず、上述のホルダー内の刃に刺さったものを無理に引き抜くからで、正しい使い方をすれば、そのようなことは起こらない。

結局、これは新種の煙草であって、PloomやZero styleのようには使えないというのが結論。
煙がしつこくないという点で、同室者の許可が得られるかどうかがポイントである。
特に副流煙―普通の煙草のようなものではないが、前述のとおり吸えば煙を排出する―の弊害を克服したというのがウリなのだが、本当だろうか。

あとは何といっても健康への影響がどうかなのだが、まだ出初めだし、今後も統計的に信頼できるだけのデータが集まることも難しそうだ。シガレットのデータの類推適用ができるかどうか、専門家はどう判断するだろう。

それにしても、スティック20本460円はともかく、器具6,980円はちと高いと思う。
AC充電器や充電コードは、普通のUSB充電器・USBケーブルが使えるから、その分だけでも安くしてもらいたいものだ。今持っているスティック2箱がなくなったら名古屋まで買いに行くだろうか。多分、わざわざ行くことはないだろうなぁ。

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架空の人物を主人公とする大河ドラマ

昨日の「今年も大河ドラマが始まった」の最後に、歴史ものでも架空の人物を登場させて描く手法があるとして、「ベルサイユの薔薇」のオスカルを例示したのだけれど、今までも、大河ドラマで、架空の人物が主人公になっているものがあったことを思い出した。

vlcsnap-2015-01-05-16h02m23s47.pngあらためて調べてみると、古くは1967年の「三姉妹」があり、その後、「獅子の時代」(1980)、「山河燃ゆ」(1984)、「いのち」(1986)、「琉球の風」(1993)とある。とりわけ「いのち」は歴史上の人物というものが登場しないという。

「三姉妹」と「いのち」はほとんど見ていないが、他の作品は印象深い主人公だった。「獅子の時代」では菅原文太(会津藩士)、「山河燃ゆ」では松本幸四郎(日系二世で米軍に従軍)、「琉球の風」では東山紀之(琉球の役人)。


「獅子の時代」の菅原文太は、パリ万博にも行ってた(そこで薩摩と幕府が対立)と記憶している。時代・場所が重なるので、「八重の桜」を見ているとき、会津藩が下北へ追いやられて苦労する話など、「獅子の時代」を思い出した。また主題曲もダウンタウン・ブギウギ・バンドがコラボして、大河でははじめてのエレクトリック・サウンドだったのではないだろうか。
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vlcsnap-2015-01-05-16h08m57s160.png「琉球の風」はオープニング・テーマが谷村新司「階(きざはし)」で、カラオケでも良く歌った覚えがある。効果音的にボーカルを使う主題曲はいくつかあるが(「信長」「新撰組」「龍馬伝」など)、全くの歌というのはこれしかないと思う。

こうしてみると、全くの架空の人物でも大河ドラマになるわけだから、事蹟もエピソードにも事欠く人を主人公にしたからといって、大河ドラマにならないというわけではない。

なお、辞書(三省堂大辞林)によると、大河ドラマとは、長期間放送されるスケールの大きなテレビドラマだそうだから、人物の実在性も、歴史性も問わないようだ。


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今年も大河ドラマが始まった

今年もNHK大河ドラマが始まった。
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周知のとおり、今年は「花燃ゆ」、主人公は吉田松陰の妹・杉文である。
何をした人か、Wikipediaでは楫取美和子として項目が立てられているが、年譜程度で、夫を支えたというような書き方しかされていない。
また、Wikipediaによると他のNHKK大河でも「花神」には登場していたとあるが、さっぱり記憶にない。

同じく幕末の女性でも、2年前の新島八重は、華々しい社会的業績が目立っていて、本人のエピソードにも事欠かないと思うが、杉文の場合はどうなんだろう。

ただ、この二人は、はじめの夫に先立たれて再婚、どちらの夫との間にも子供はいない、という共通点がある。(それがどうした、だけど。)

第1回では、義兄であり、後にその後妻に入ることになる小田村伊之助(楫取素彦)との出会いのシーンが挟まれていたが、これも多分、根拠があるわけではないだろう。
ということで、自由に描くというのが今年の脚本になるのだろう。
そういえば、番組中で、毛利公が「そうせい」と言ってた。「そうせい公」という綽名で有名なエピソードを挟んでいるわけだ。(「そうせい」は実は相当の深謀遠慮だったという話もある。)

歴史ものでも、架空の人物を登場させて描く手法がある。
特に派手なのは「ベルサイユの薔薇」のオスカルだろう。マリ・アントワネットにフェルゼンという、歴史上隠れなきキャラクターの周りで、架空の主人公が重要な役割を果たしている。

ということで幕末群像を楽しみながら、一年間付き合っていこうと思う。
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芸能人格付けチェック

年末年始のテレビ番組というと、関心のあるスポーツ番組以外にはあんまり見たいものがないと思っている。
とくにタレントがたくさん出て、無意味なお祝い気分と、それに制約されてしまうことが、どこまで人間を堕落させるかの見本みたいな番組が並ぶ。
ということで、テレビがついていても、そうした番組だと注意が向くことはない(キッパリ)、のだが、このところ恒例になっている「芸能人格付けチェック」という番組がある。
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番組の説明は不要だと思うので省略するが、この番組を見ていて思うのは、1本5,000円のワインと100万円のワイン、100g 500円の肉と14,000円の肉を取り違えるというようなことが起こり得るというなら、5,000円のワイン(これでも相当良いワインだと思う。いつも1,000円まで、頑張って2,000円ぐらいのワインしか買わないものからみれば)とか、100g500円の肉(こっちはずっと身近)で十分楽しめるのだということ。

暮れに、COSTCOで100g300円弱のアメリカ産のステーキ用肉を買ってみたが(一番安いのを興味本位で)、ぐにゃぐにゃしていて、それでいて筋がきつく、脂のかたまりもくっついている、決しておいしい肉とは思えない(実際、何切れかは口に含んですぐ吐いた)が、この番組によれば、500円のアメリカン・ビーフが14,000円の国産ブランド牛に互せるというのだから、さすがに300円はきついかもしれないが、500円を出せば良いのかと、逆に感心する。
おそらく、安い肉でも筋や余計な脂身を取り除き、適切に調理しているのだろうが、そうやって仮に重量が2~3割減ったとしても100g625~714円という計算になる。
こんどCOSTCOに行ったら、奮発して、100g500円の肉を買うことにしよう。
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雪のお正月 K都編

四国からK都へ戻ってきた。
元日の四国も雪が降ったと報告させていただいたが、3日まで西日本も雪に警戒してくださいという。
前日から中国道も津山から西、名神は栗東から京都まで通行止めという情報があって、さらに雪がひどくなると大変だなぁと若干不安。

その心配を除けば、1月2日といえば、まだまだお正月真っ只中だから、まだ高速もそんなに混んではいないはずなのだが、同じように天候が気になる人が多いのか、普段はそんなに多くない高松道、瀬戸中央道、山陽道がいずれも結構な車の量。
この間は、レーダークルーズを巡航速度100km/hにセットして走ったが、80km/hがなかなか出ない。そして何度も経験している中国道との合流。直前で気持ちよく100km/hで走っていて、合流直前のカーブを曲がった途端……止まっとるやんけ。
クルーズのセットもできない60km/h以下。救いは、いつも渋滞する宝塚TNが意外にも渋滞の終わり。近畿道はいつもより少し多い程度。名神が京都から栗東まで通行止めという情報があったので、第二京阪ー京滋バイバスに回る車が多いかもと心配したが、意外にも第二京阪はいつもどおりガラガラ。

京都府内に入ると、路肩には融け残った雪がちらほら。良いときに帰ってきたと一安心。なにせタイヤ・チェーンも持ってないから。

で、その夜、つまり昨夜、気がつくと雪、家の周りが真っ白。そして今日の朝も雪が凍りついている。
P1010460small.jpg P1010465small.jpg


今日はゆっくり、ごろごろするだけだから、もう高速の心配をする必要はない。めでたしめでたし。
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MVNO SIMのAndroidタブレットでテザリング

FoxFiIcon.png昨年11月末に、スマートフォン(SoftBank)のテザリング・オプションが2年間の無料期間を終了した。少しでも固定料金を減らしたい私としてはあまり使わないテザリングに500円/月を払うのはイヤなので、当然解約した。もし必要になれば、MVNOのSIMを挿しているタブレットでテザリングすれば良いと安易に考えていた。

ところが、Docomo端末もSoftBank同様、テザリングをONにすると、APNが強制的に書き換えられ、DocomoのAPNになってしまい、Docomoとの契約がないMVNO SIMでは使えない。
年末年始はインターネット通信環境が劣悪な場所で過ごさなければならない。タブレットだけで済ませるなら問題ないが、PCも持っていくことにしたら、当然、ネット環境がないと困る。

PdaNet_Icon.jpgあわてて方法がないか調べてみた。
ネットにはrootをとってシステムを書き換えれば良いということも書いてあるが、残念ながら今使っているタブレットではrootをとる方法がわからないからこの手は使えない。
しかし、代替手段はあった。
USBテザリングだけど、FoxFiというAndroidアプリと、PC側にPdaNet desktop clientをインストールすればOKだった。

そういえばFoxFiはBluetoohテザリングで既に使用実績があった。テザリングする相手の端末はカーナビ。新しい車に買い替えた時、ナビも新しいものにしていたのだけれど、スマートフォンやタブレットから、行き先のセットや、ナビで再生する音楽の選択などができるというので、テストしたのだった。このナビとの通信がBluetooth。9か月前のことで、テストしただけで満足していたので忘れていたわけだ。
(なお、今回持っていくPCはBluetoothが付いていないのでUSBテザリングしかやりようがなかった。)

ということで、この原稿は少し前に用意したのだけれど、アップするにあたって、
〔PC-USBテザリングーAndroidタブレット(MVNO SIM)-MVNO〕 というルートで最終確認をしたというわけ。

今年5月以降、SIMロック解除が義務付けられる見込みであるが、こういう卑怯なAPN強制書き換えもさせないようになるだろうか。それと、前にも書いたが、他社端末利用時はパケット定額適用外などという、事実上他社端末を使えない料金制度(もし知らずに使ったら地獄の青天井通信料!)もやめてもらえるのだろうか。

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雪のお正月

kannonji20150101.jpg
四国香川もめずらしい雪のお正月。
この原稿を書いているときは、もう雪はあがって、晴れてきた。

昨年は徳島で大変な雪害があった
テレビではお年寄りでさえ、経験がないと話しておられてと思う。


明日、高速道路は大丈夫だろうか。






雪はすぐにやんだが、気温は低く、風が強い。

燧灘にも白波が立っている。
zenigata150101.jpg
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あけましておめでとうございます

kadomatsu.pngあけましておめでとうございます。



moutoncaisse.jpg

- Ça c'est la caisse.
  Le mouton que tu veux est dedans.



いつのことか忘れたが、昔の未年のときの年賀状でもこの絵を使った覚えがある。
さすがに、子供じみていて、大人のすることではないから、今年、郵便で出した年賀状はこういう遊びはしていない。
そう、そういう子供じみたことをやらない分別で生きているものには、この箱の中のものは見えないから。

(ところで、箱の絵は、原典がアップされているサイトにリンクしているのだけれど、ポリテクニークの数学教室みたいなURLになってるのだが、どういうことだろう。)

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