梅が咲いた(2)

20150228_DSC_0054.jpg先週、梅の開花を投稿したが、1週間後の今日は、三分咲きというところ。

下の方が良く咲いていて、上の方はもう少しかかりそう。


先週も書いたように、隣の紅梅はまだ蕾が固い。

20150228_DSC_0058.jpg

これでは、南高梅と花の時期が合いそうにない。
今年もあまり実をつけないかもしれない。

近所に梅があれば良いのだが。
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女性を泣かせちゃいけません

tachikawasaori1.jpgこのところ、セクハラ、モラハラ、マタハラが裁判例もあって、よくメディアで取り上げられている。
そしてパワハラ。ネットではかなり話題になっている大阪府教育委員会の中原徹教育長の問題。

三人の弁護士で構成する第三者委員会の調査により、以前の「疑惑」から「認定」へ昇格した。

この件を、疑惑段階でとりあげた週刊誌の記事を読んだが、見出しの派手さからすれば、たいした内容ではなかったのだが……

tachikawasaori2.jpg調査報告は第1次は既に昨年の12月に出ていたらしい。第2次、第3次とあるようだ。
調査報告書全体は、大阪府のホームページ(平成27年2月委員会会議)に掲載されているから、誰でも読める。(「急施議題 第三者による調査の取扱いについて」の添付資料)
特定の委員・職員へのパワハラというより、中原氏の人格問題という面があらわになるような報告である。
なお陰山教育委員長は「戦慄した」と表現している。

週刊誌の疑惑段階では、職員に対するものだけが取り上げられていたと思う。
調査に決定的だったのは「女の涙」だったのでは。

tachikawasori3.jpg立川さおり委員は、いわゆる教育学者とか、教育専門家という立場ではない。報告書のなかのやりとりでも、「三歳の子の母として」という発言が記録されているが、保護者としての真摯な思いを吐露されているように思う。
立川委員は、自分の知識不足を補うためだろう、精力的に勉強され、学校現場や教育行事を熱心に視察されていたようだ。
いろんな意味で、悔しかったに違いない。
訂正する。女の涙ではない、正義の涙である。

そもそも教育委員には保護者委員を入れることが求められている。レイマン・コントロールという考え方が教育委員会制度の基本にあるからだ。
それを、まるで委員を素人扱いするような態度は、法の趣旨に反する。また、教育長の「罷免要求するぞ」は、罷免条件を定めた法の事務的・手続的な部分で(こういうところで揚げ足をとるのが得意はずなのに)、法を理解していないということになる。

セクハラでは、相手がセクハラと思えばセクハラだというようなおそろしい話があるが、パワハラも相手がパワハラと思わなければ良いのかもしれない。「このくそったれ」という言葉に親近感を覚えるのならパワハラじゃないのかもしれない。
が、それは相互の信頼関係が基礎にあってこそである。それはリーダーの条件である。

辞職しないということだが、このまま居座っても、部下がきちんと動くとは思えない。
ということは、大阪府の教育行政は、既定路線を粛々とやる以外には何もできるとは思えない。
まもなく統一選だが、この状態では選挙に不利になることは間違いないから、普通なら、周囲(お友達の徹ちゃん)が辞職をすすめるのが普通だと思うのだけど。

セクハラ、パワハラ、ナカハラ、と語呂が良いから、七十五日で忘れられたりはしないと思う。
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「検証 戦争責任」

sensosekinin1.jpg今日は2・26である。
政治家もメディアも、自由な言論が国内から失われていく契機となった事件が起こった日として記憶される。

少し古いことになるが、読売新聞社の記者が集まって、前の戦争の責任について取材し、新聞に連載したことがあったらしい。それが本になっている。(前述の言論が死んだというような評価も、この中に書かれている)

はずかしながら、この本の存在は、豊下楢彦・古関 彰一「集団的自衛権と安全保障」 (岩波新書)を読むまで知らなかった。

読売新聞というと発行部数日本1位、2位の朝日新聞と対抗するメディアだが、どちらかといえば保守的傾向があるように思っていたし、渡邉恒雄氏はメディアの独裁者、政界フィクサーと言われる人物で、(だいたいにっくきジャイアンツのオーナーだし)、保守的・タカ派的な印象があったのだが、この戦争責任の検証作業は、渡邉恒雄氏の指示で始められたという。

sensosekinin2.jpg渡邉恒雄氏は、戦争中は二等兵で従軍し、上級兵や先輩に随分理不尽なイジメを受けたとのことで、友軍兵士に対してさえそうなのだから、中国・朝鮮人民を苛酷に取り扱わないはずがない、とも仰っているそうだ。
戦争責任を曖昧にしたままの日本国を許せないという強い思いがあるのだという。

従って、氏は靖国への参拝はしないらしいし、Wikipediaでは「日本の首相の靖国神社参拝は、私が絶対に我慢できないことである。すべての日本人はいずれも戦犯がどのような戦争の罪を犯したのかを知るべきである。」という発言が紹介されている。

本書はそうした渡邉氏の思いにもとづいて、淡々と事実を追う形で、また多くの学者・評論家の意見も紹介している。これには、メディアが戦争に協力して事実にもとづかない大本営御用報道や扇動的報道をしていたという反省も含まれているのだろう。
前の戦争(本書では「昭和戦争」という呼び方を提案している)を総括する上では良い本だと思う。

watanabetsuneo.jpgしかし、近年は、いつまでも過去にこだわってはいけないという人や、戦争責任というだけで自虐史観だという人が増えているようだ。
本書では戦争責任がなぜ曖昧にされてきたのかという歴史にも触れている。戦争責任を調査研究する取り組みは、戦後すぐにあったらしいのだが、結局、これは実を結ばなかったとそうだ。

この取組を総括する「おわりに」は渡邊恒雄氏が書いている。
氏の、この本を残したいという意欲と、戦争責任を追及する思いは本物のようだ。

いやなことを忘れる、なかったことにするというのは、自己防衛本能だと思うが、本当に忘れたとしたら、
それは病気である。
ここで内容を紹介する気はない。読んでない人は是非一度、熟読されたらどうだろう。

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foobar2000―PMA-50でのDSD再生

疑似ハイレゾの話が連続したが、今日は前に「ハードルが高そう」と書いたが、その稿に追記2で予告したとおり、foobar2000でPMA-50にDSDデータを送ることができたので、それについて報告。

前にも書いたように、ネット情報では、foobar2000でDSD再生ができるという話があるので、腰をすえてチャレンジした。
大変参考になったのがFOOBAR2000でDSD再生というページ、ほとんどここに書かれているとおりにやって、どうやらうまくいったらしい。貴重な情報提供に大感謝。
らしい、というのはPMA-50のパネル表示がDSDと出るようになったから。
PMA-50DSDdisplay.jpg

ただ、PMA-50はDSD再生といっても、アンプはPCMで動作するらしい。そもそも何をもってDSDダイレクトというのか良くわかっていないのだが、PDMみたいなものらしいから、DSDデータを「そのまま」音にする回路があるのかもしれない。
それはともかく、以下に手順。

0. foobar2000を最新バージョンにしておく

これができてないと、foobar2000のcomponentのインストールがうまくできない。実は筆者は無理やりfoobar2000のcomponentフォルダーにDLLファイルを放り込んでfoobar2000が動作しなくなった。しかたがないので最新バージョン(v1.3.7)を再インストールして、以下の手順がスムースにできるようになった。
(拡張子fb2k-componentのfoobar2000 componentファイルは、zipファイルの拡張子を変えただけのものらしく、解凍すればその中にDLLファイルがあるのだが、これを無理にコピーしてはいけないようだ)
なお、DENONのドライバー(標準のもの、Denon USB Audio)はもちろんこれに先立ってインストールしておく。


1. 必要なfoobar2000 componentのダウンロード/インストール
1-1 ASIOコンポーネントのインストール

http://www.foobar2000.org/components/view/foo_out_asioのDOWNLOADをクリックして "foo_out_asio.fb2k-component" をダウンロード。
foobar2000を起動して、file-preferencesメニューを出し、componentを選択、ペイン下方のinstallをクリックして、ダウンロードしたファイルを選択してインストールする。


1-2 SACDコンポーネントのインストール

http://sourceforge.net/projects/sacddecoder/files/foo_input_sacd/を開いて、最新の foo_input_sacd-0.7.4.zipファイルをダウンロードし、解凍する。
解凍したフォルダ中の foo_input_sacd.fb2k-component を1-1と同じ手順でインストールする。


1-3 ASIOProxyInstall.exe

1-2で解凍したフォルダ中にある ASIOProxyInstall.exe を実行する(通常のWindowsソフトのインストール)。


2. foobar2000の動作設定
2-1 ASIO deviceの選択

File-preferencesで表示されるメニュー(左ペイン)からplayback-outputを選択する。
Deviceのプルダウンに ASIO:foo_dsd_asio が表示されるはずなので、これを選択する。推測だが、foobar2000が制御できるドライバーを選択するということではないだろうか。


2-2 ASIO deviceの設定

次にメニュー(左ペイン)にplayback-outputの下にさらにASIOが表示されるようになるのでこれをクリック。
ASIO driversとして、 Denon ASIO Device と foo_dsd_asio の2つが表示されるので、foo_dsd_asioをダブルクリックする。
foo_dsd_asio の設定ダイアログが表示されるので、ここでdeviceをDenon ASIO Deviceにする。これも推測だが、ハードウェア側のドライバを指定し、ハードへ渡すデータ形式を設定するという仕掛けではないだろうか。
DSD Playback Methodというのは、DSDデータを「生」(native)で送るか、PCMに擬装(DoP)するかを指定するようだ。PMA-50の場合、nativeでもDoPでも、どちらでも動作する。
DSD to DSD methodは、PMA-50側のUSBはDSDを受け付けるのだから、当然、Noneで良いと思うが、他の指定をしたらさらにオーバーサンプリングして出力するようである。DSD64で2.8Mhz、DSD128で5.6MHzというわけだ。オーバーサンプリングすると、私のPCではプツッというノイズが出る。
PCM to DSD methodは、PCMデータをDSDに変換するかどうかのようだ。type A~D、およびtypeA~D(32fp)というのがあるようだが、いろいろネットを調べると変換時の計算方法のようだ。DSDへ変換すると音が良くなる(疑似ハイレゾ?)という話があるようだが、実際にやってみるとDSD to DSDと同様プツッというノイズが盛大に出たりする。ましなのはtypeC(fp32)という設定だったが、オーバーサンプリングの音はなんとなく不自然な感じがして使っていない。疑似ハイレゾはWPUPに任せることにしよう。
DenonASIOdevice2.jpg


2-3 再生仕様(SACD)の設定

File-Preferencesから左側のメニューにあるTools-SACDを選択する、とネットでは説明されているのだが、表示されるダイアログからの推測だと、DSDをPCMに変換するときのパラメータのように見える。DSDで渡すのなら意味がないのではないだろうか。
Tools-SACD.jpg


これで、dff、dsfともfoobar2000で再生し、PMA-50のパネルに、DSD 2.8MHzの表示が出るようになった(冒頭写真)。
なお、PCM 24bit/96kHzや、16bit/44.1kHzの音源も、この設定のままでOK("PCM to DSD"はNone)。

手探りであったが、一応満足できる状態にはなった。実際の音の感想はあらためて投稿する。
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疑似ハイレゾ(その3)

昨日に続いて、疑似ハイレゾについて。

昨日は、一部で激賞されているような音の変化は感じない、言われなければアップサンプリングしているとは気が付かない、ただし音源によって微妙に効果が違う、とした。
今回の試聴は、いずれも比較のため、各曲の冒頭の一部、短い時間しか聴いていないから、長時間聴くと、また評価が変わるかもしれない。また、すべてクラシックで試聴したが、ポップス系の場合はまた違うかもしれない。

最後にWPUPの操作性について。
WPUPは、アップサンプリングをするために元のデータを先読みして分析するようだから、直ちに再生が始まるわけではない。再生ボタンをクリックしてから数秒遅れてスタートするようだ。また、再生位置を示すバーは、少しずれて表示されていた。

foobar2000でもバッファを大きくとっていると(私は楽曲をNASに置いているのでNASへの他PCからのアクセスなどで遅延が発生することも考えてかなり長めのバッファをとっている)若干、スタートが遅くなる。


WPUPの再生可能フォーマットは、wavだけでなく、flac、mp3にも対応、WMAには対応していない。前に書いたように、長年WMAでリッピングしていたデータをflacに順次移行中なのだが、そのままでWPUPを使えるから、flacに移行することは無駄ではないということになる(いつもWPUPを使うかと言われれば、テスト結果から考えるとちょっと疑問だけれど)。
なお、WPUPはmp3のプレイリスト(.m3u)にも対応しているから、foobar2000などと同じプレイリストが使える。私はあんまりプレイリストは作らないのだけれど(エクスプローラーからファイルを開くのが普通)、こういう互換性というか汎用性にも配慮されている。

ということで、アップサンプリング・ソフトはお金を出してまで使うかと言われればやや疑問。しかし、ときどき使ってみるのはおもしろそう。

何より、先日書いたような「理屈」をあれこれ考えるのが一番おもしろいかもしれない。

それより、WPUPの試聴をしていて思ったのだが、DAC内蔵アンプを使っていると、SACDプレイヤーとかにDACを内蔵してもらわなくても良いし、アナログ出力もいらない。S/PDIFあるいはUSBの出力だけあれば良い。SACDをパソコンで再生できればそれでよいと思うのだが何とかならないものか。コピー防止のために意図的に使いにくくされているのだと思うが、DSD配信が始まっているわけだから、そろそろ解禁しても良いのではないだろうか。このままではSACD自体が廃れるのではないだろうか。
nounonakanoyurei.jpg
ところで「音として感じないのに違う」ということについて、視覚での話だけれど、脳疾患で、本人は見えていることを認識できない(見えていない)にもかかわらず、カードをポストに入れてくださいというと、全然迷うことなく、きちんと縦横を間違わずポストに投函するというような症例があるそうだ(ラマチャンドラン「脳のなかの幽霊」)。
意識することと、感覚器に入った信号を(自動的に・無自覚に)情報処理する多層構造の認知機構とは違うらしい。

ならば、素人考えだが、ひょっとしたら聴覚においても同様のことが起こっているのかもしれない。聴覚と言語の結びつきは精妙だろうから、いろんな可能性があるのではないか。

加齢で高音域が聴きにくくなるのは共鳴器の劣化という物理的原因で脳の情報処理の問題ではないらしいが、聞こえなくなった高周波を認知機構が違う形で補うこともありえるかもしれない。そういうのは「幻聴」というのかもしれないけど。


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疑似ハイレゾの音

一日おいて、疑似ハイレゾについて続報。

昨日は理屈を述べ立てたが、今日は、実際にアップサンプリング(WPUP)で聴いた感想である。
PMA-50につないでいるPCでは、デバイスは "Denon USB Audio"、量子化は32bit、サンプリング周波数は "Auto(176.4kHz/192kHz)" に設定した。スピーカーはTANNOY Autograph mini+サブウーファー NS-SW200。再生するとアンプが信号形式を判別して "176.4kHz" の表示が出る。

リビングの方はCreative USB Sound Blasterを経由してアンプ(ONKYO A-5VL)につないでいる。量子化は24bit、サンプリング周波数は他の設定ではエラーになるので "Force(96kHz)"。機器の仕様が合わないようだ。スピーカーはTANNOY Arundelで、いわゆるハイレゾ仕様ではない(周波数特性は30~20kHz)から、今回のテストには使わず動作確認だけした。


WPUPでは、高調波の追加はオプション(デフォルトは追加)となっているようだが、昨日書いたようにハイレゾのキモが高調波だとすればOnで真価がでると思うので、ONのまま(実はOffでも使ってみたがあんまり違わない。イヤな予感)。

以下、少し細かくレポート。

テストに用いた音源は、

・ピリス/デュメイ「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ KV301」 
・ペトリ/ハンニバル「シャコンヌ」 
・ザハリアス/ローザンヌ室内管「ピアノ協奏曲 KV459 第1楽章」 
・デセイ/「復讐のアリア」
・幸田浩子/プラハ・フィル「Exultate jubilate KV165」
・小澤/ウィーン・フィル「ニューイヤーコンサート2002~美しき青きドナウ」


PiresKV301.jpg
ピリス/デュメイのKV301を選んだのは、ヴァイオリンは高調波が多そうだし、ピアノの強いアタックには高調波が多く含まれるはずだから。結果、通常再生とWPUP再生に違いはほとんど感じられなかった。はじめ通常再生のほうがアタック(ピアノもヴァイオリンも)が立っているように思ったが、WPUPで確認するとそうでもない。

PetriBaroque.jpg
繊細な録音のミカラ・ペトリの「シャコンヌ」を聴いてみた。通常再生とWPUPの違いはあまり感じられない。元はSACDなので、SACDの音と比べた。うちのSACD再生環境は悪くて本来の音は出ないのだが、心持ち柔らかく感じる。


ZachariasKV459.jpg
オーケストラ作品の場合はどうだろうということで、ザハリアス/ローザンヌ室内管でKV459のコンチェルトを聴いてみた。アップサンプリングの音も大して違わない。これも元はSACD。それで聴くとやはりこれが一番耳にやさしく感じる。


DesayMiracleVoice.jpg人の声は高調波の違いを感じにくいのではないかと思いつつボーカルを試してみた。ナタリー・デセイによる「魔笛」の夜の女王のアリア(復讐のアリア)。この曲では、WPUPだと音量が小さくなった。量子化の深さの違いで音量が再調整されても不思議はないが、他の曲ではあまり感じられなかった。
で、もう一つボーカル、幸田浩子の「Exultate jubilate KV165」。これは不思議なことに、WPUPで聴くとオーケストラに広がりが出た。通常再生(CD)では中央に小さく固まっているような感じだったのが、なぜか広がって包まれ感が出た。

OzawaNY2002.jpg
最後に、低品質の音源を試してみた。小澤のニューイヤーコンサート2002をウォークマン用にmp3にしたものを聴いてみる。ちゃんとしたオーディオセットで聴くと、ちゃちくて詰まった音である(ただしウォークマンで聴くとそうでもないのだけど)。WPUP再生だとちょっぴりだが、のびやかな感じになるような気がする。もちろん元のCD音質とは違う。

結論から言うと、一部で激賞されているような音の変化は感じない。多分、言われなければアップサンプリングしているとは気が付かないだろう。(音質を悪化させていないという誉め言葉である)
ただし、どんな音源でも同じということではなく、効果は微妙に違う。
今回試聴したなかで、アップサンプリングで一番印象が変わったのは、幸田浩子/プラハフィルの録音だった。なぜこういうことになったのか実はわからない。同じボーカル/オーケストラの編成では、デセイの録音よりエコーが少ないように思うが、そういう点だろうか。
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梅が咲いた

niwanoume2.jpg昨日、我が家の梅が開花。
(今日は疑似ハイレゾの音について書くつもりだったが、こういう季節を感じることがあったので、それはお休み)

先週、すでに蕾が膨らんでいたので間近だろうと思っていたが、朝、一輪が開いていた。
月並みだが、「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」である。

そう思っていると、午後には四輪が開いており、半開きも3,4輪となっていた。

開花したのは南高梅。そのとなりには紅梅があるが、こちらはまだまだ蕾が固い。
どちらも10年ぐらい前に植えた覚えがある。南高梅は梅の実を採る品種だから、もちろんそれが楽しみである。隣に紅梅を植えてあるのは、実をつけてもらうためもある。

植えて2年目だったか3年目には少しだけ実をつけたが、5年目ぐらいからしばらくは、毎年、梅酒を漬けられるぐらいたくさん立派な実が成った。ところが、ここ数年はあまり実をつけなくなった。
もともと南高梅は花が早く、紅梅は少し遅れて咲くのだけれど、その遅れ方がこの頃はひどくなってきて、両方咲いている期間が短くなってしまったのだ。
はじめは南高梅と紅梅の大きさは少し南高梅が大きいぐらいだったが、今では南高梅は1.8mぐらいになり、紅梅はその半分の丈にもなっていない。かといって、今更、南高梅に見合うぐらいで同時期に花をつける木を植えるのも大変。
紅梅に頑張ってもらえるよう支援するのが精いっぱいというところ。

今年の実はどうなるだろう。
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疑似ハイレゾ

何度も書いたように、DAC内蔵アンプ(DENON PMA-50)を買ったおかげで、私にとってもハイレゾが身近な存在になった。
このところ、新聞やテレビでも、ハイレゾがたびたび話題になっており、最近ではハイレゾ対応機器が良く売れるようになっているとも報道されている。

とはいうものの、前にも書いたようにハイレゾ音源は高い。DSDファイルをダウンロード購入するより、SACDの方が安いという困った状態である。そう思っていると、ハイレゾ対応機器の中には、アップサンプリング機能をもっている製品がちょくちょくある。このデジタル万能時代である、そういう機器があるとなると、きっとそういうパソコンソフトがあるに違いない、そう思ってネットを調べるとやっぱりある。しかもフリーのものが。

ピュアオーディオマニアなら、アップサンプリングなど邪道も邪道、とんでもないことだと言うに違いない。そういう人は高価なオーディオセットに、高価なハイレゾ音源を組み合わせれば良い。


2015-02-16_214755.jpgで、WPUP(Wave PCM Upconvert Player)というのをダウンロードした。
アップサンプリングするソフトには、再生時にアップサンプリングするものと、アップサンプリングしたデータを作成するものがある。WPUPは再生時アップサンプリングも、データ作成もできる。

アップサンプリングは要するにCD品質ではカットされている高調波成分を補うのがキモのようだ。
CD品質は22.05kHzが理論的再生可能上限(44.1kHzでサンプリング)だが、そこから上は「ゼロ」として扱われるらしい。しかし考えてみれば、「ゼロ」になるというのは、たとえていえば固定端振動みたいなもので不自然、自由振動のような動きをする方が良いのではないか、つまり高調波部分に「自然な」拡張をするというアイデアのようだ。

そう考えると、これは原情報を損ねているということにはならない。22.05kHzまでは原情報と同じだからだ。(もっとも、実装されているアップサンプリングが本当にそうなっているのかは分からない。また、実際の再生装置では、当然スピーカーが勝手な高調波を出すはずだから、高調波がゼロの信号でも、出る空気振動はそうではない。これもアップサンプリング?)

昔、アナログ・レコード時代に、疑似ステレオというのがあった。モノーラル録音を、おそらくハイパス・フィルタ、ローパス・フィルタを使って左右に振り分けていたものだと思うが、ステレオ感はあるものの、不自然な音になって、そのうち廃れてしまったと思う。アップサンプリングはこれとは全く違う戦略だと思う。


補う高調波部分をどんなものにするのかだが、原情報が持つ22.05kHzまでのスペクトルに従ってその倍ぐらいまでを埋め込むというのが普通だろう。楽器によって特有のスペクトルがあるから、たとえばクラリネットは偶数倍音はない、それに応じてという考え方もあるだろうが、22.05kHzまでの範囲でそれはすでに埋め込まれているから、敢えて楽器に合わせる必要はないとも考えられる。(これらはいずれも私の推定で、実装がどうなっているかは全く知らない、念のため)

ハイレゾは量子化の細かさも違う。CD品質は16ビットだが、ハイレゾは24ビットとか32ビットである。
こちらは、原情報に基づいて標本点を補完するような方法は安直で、そうではなくて、高調波を補った分を反映するようなやりかたをすべきだと思うが、実際はどうなのだろう。

で、私が考える正しいアップサンプリングは、

その疑似ハイレゾ化された音源を、CD品質で再度サンプリングし直した時に、
元々のデータに一致すること=原情報は全く損なわれていないこと。
(いわば、「可逆アップサンプリング」であり、「聴こえない音のみの操作」―なんだか変な表現だが)

である。これに賛同していただけるかどうかはわからない。おそらく音として感じる範囲に違いがないと納得しないユーザーもいるだろうから、色をつけるようなことをするソフトもあるに違いない。

さて、あらためて、ハイレゾにどんな値打ちがあるのかだが、私の耳など、既に9kHzあたりが限界である。
前にアナログ・レコードのディジタル化の稿でコメントとして書いたけれど、国立国語研究所の研究結果では、可聴帯域外の高調波を含む音源と含まない音源をブラインド・テストすると、前者を心地よいと感じる人が多いという、これがハイレゾの値打ちだと思う(テレビのインタビューで「低音がすごい」と言ってた人がいたが、そんなはずはない。単に機器が良いだけだろう)。
その心地よさというのが、CDにありがちな「頭を抑えられたような」感覚からの解放だろうと思っている。それと、これも前に書いたが、ハイレゾ⇒ヘッドフォンみたいな世情だが、音に頭を抑えられなくても、ヘッドフォンで頭を抑えられる。これはいやだ。

いろいろ理屈を考えてみたが、問題は音、というか聴感である。
その報告は明日の稿にあげるつもり。
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これが物理学だ

DSC_0045-crop.jpg先日(水曜日)、くっきりとした虹が見えた。

随分近いところに出ているように感じた。
写真は私の職場の窓から撮ったもの。(部屋の蛍光灯が窓ガラスに反射して写りこんでいる。)

虹は、光源(太陽)と観察者を結ぶ直線を想定して、この直線に対して観察者から42°の角度の円周上に見える。

2年ほど前、NHKの「白熱教室」で有名になった、ウォルター・ルーウィン教授の「これが物理学だ」という本には、虹についての考察がたくさん書かれている。前述の虹の見える位置も同書の中で説明されている。
fortheloveofphysics.jpg

テレビ番組でも虹はとりあげられていたが、本にあるような詳細な説明はテレビでは無理である。
本の緻密な論理・計算を学生が理解するためには、その記述を読み解き、自分の中で組み立てる活動が絶対に必要である。テレビのような受け身のメディアだけで理解させることは不可能だろう。

また、ルーウィン教授は、授業の前に、授業時間の2、3倍の時間をかけてリハーサルを行うそうである。
X線天文学のパイオニアという一流の研究業績のある(本書でもその一端が垣間見える)人だが、加えて、プロの教師でもある。

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サブウーファー NS-SW200のセッティング

昨日書いたとおり、TANNOY Autograph mini にサブウーファー NS-SW200を追加した。

そもそも、狭い部屋なのでオーディオラックの位置の関係もあるから、置き場所だけでも苦労する。
はじめに置いてみたのは、正面オーディオラックの左の床面。左のスピーカーの外側に置く形。
ここでしばらく使ったが、実はその左にクローゼットのドアがあって、サブウーファーを置いているとドアが開けにくい。さらに、低音には指向性がないと言うけれど、たしかにそこから音が出ているという意味での指向性は感じないのだが、なんとなく音圧のバランスを欠くように思った。また音が左右に散る感じや、反射音(?)が聞こえるようにも感じた。

subwoofersetting.jpg

それで、結局写真のように、オーディオラックの上に置くことにした。結果、音圧のバランスは左下に置くよりは良いようだ。ダクトが真横右を向いていることが気になったが、斜めに置いても聴感上はほとんど変わらなかった。

オシレータ(PCで動作する発振器、昨日稿参照)でチェックしてメイン・スピーカーから平坦につながるようにクロスオーバー周波数、ゲインを調整する。そうすると聴感上はやはり60Hz以下はだら下がりになるわけだが、途中、35Hzあたりが膨らむ感じ(定在波の影響にしては低すぎる)。また位相の反転スイッチもついていて、説明書では「逆」が標準とあったが、うちでは「正」の方が良いようだ。メインスピーカーがバスレフダクトを後ろに持っていることが関係あるのだろうか。

実は左下に置いたときは、楽曲を聴くと、低音が塊になったように聞こえたが、ラック上中央に置くことで改善された。フローリングの床面より、オーディオラックの方が板厚があって堅いので、それが良いのかもしれない。

サブウーファーの隣、同じラックの天板上にアナログ・プレイヤーがあるのはまずいと思うが、アナログ・プレイヤーを使うときはサブウーファーはoffにするつもりだ。


低音は力強く出て、しまりもあるが、体を包み込む風とまではゆかない。ゲインを上げると、頭・耳にくる塊が目立ってくる。ホールの響きの再現は難しいし、38cmのArundelに比べれば色気に欠ける。
ホールトーンを再現し、包み込む感じにするには、サブウーファーといえども2本あるほうが良いのかもしれない。
また、1ランク上のNS-SW300はf0が20Hzだから、こちらにならもう少しゆとりある低音が出たかもしれない。贅沢をいうなら、やはり38cm以上の口径のスピーカーを使ったサブウーファーが良いのだろう。

結局、「そういえば鳴ってるな」ぐらいで使う、つまり存在を感じさせないのが良い。それでも低音のさびしさは改善されている。
というわけで、いろいろ不満はあるが、メインスピーカーを邪魔して音が濁ったようになるわけではないし、ステレオ感にも特に影響はないようだから、邪魔しない使い方をする分には、悪くはないと思う。
何と言っても、コントラバス奏者への敬意の表明になるし。

それにしても、リビングの方が、伸びやかで繊細、低音にもゆとりがある。金はこっちの方がかかってないんだけど(Arundelはもらいものなので)。
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サブウーファーの追加

オーディオのアンプをPMA-50に変更したことは既報だが、そのときTANNOY Autograph mini(10cm)では低音がさびしいとも書いた。

実は、今はもう持っていないのだが、TANNOY Lancasterというスピーカーの音が強く印象に残っている。前にも書いたが、低弦が風のように気持ち良いという表現は、このスピーカーを使っていたときの感覚である。
この感じが欲しい。

それまでは「全周波数帯域でフラットな特性」を謳っていた国産スピーカーを使っていたが、オーディオ・テストレコードで低音から高音までの正弦波を再生すると、あきらかに途中で音が変質する(部屋鳴りではない)。2wayスピーカーだったから、おそらくそのクロスオーバー付近で音の質が変わるのだろう。TANNOY Lancasterで同じテストレコードを再生すると、低音から高音まで音質が一定している(今使っているAutograph mini、Arundelも同様)。
TANNOYはフラットな特性などは宣伝していないし、オーディオ評論家はTANNOYは楽器的で特別な趣味人が使うもので、ピュアオーディオマニアからは論外のスピーカーとされているようだ。もちろん一定の水準(価格)以上のスピーカーならこのTANNOYと同じように低域から広域まで自然につながっているに違いない。ハイファイとかフラットとかの理念は好きだが、音としてどう実現するかはまた別の問題のようだ。


さて、前置きが長くなったが、PMA-50で鳴らしているスピーカーはTANNOY Autograph miniだが、このスピーカーの再生周波数帯域はカタログ上 68Hz~であり、実際、オシレータで正弦波を出して確認すると( "WaveGene" というフリーのWindowsソフト使用。PCがつながってるといろいろ便利)、70HzまではOKだが、これより低くなるともう音にならない。70Hzというと楽音で言えば C#2 あたりであり、真中のドの2オクターブ下がもう出ていないわけだ。(楽音と周波数)
cbass-open.gif
最近、コントラバス奏者と知り合いになったが、コントラバスの通常の最低音はE1(≒41Hz)、5弦だとC1(≒33Hz)あるいは B0(≒31Hz)というから、こういう人に対しては、70Hzまでしか出ないオーディオは失礼なような気がする。(図はコントラバスの調弦。括弧は5弦の場合)
なお、リビングの別のオーディオセットのTANNOY Arundelでは40Hzまできちんと出ている。

ということで、Autograph miniにサブウーファーを追加することにした。選んだ機種はYAMAHA NS-SW200。周波数帯域は28Hz~となっている。これはほぼA0(普通の88鍵ピアノの最低音、27.5Hz)に相当する。またクロスオーバー周波数も50Hz~150Hzの間で設定できるので使いやすそうだった。
NS-SW200.jpg
サブウーファーの追加は、ピュアオーディオマニアという人種からは邪道と言われるらしい。そういう人達は、最低でも38cm級のスピーカーを使い、このスピーカーで制動の聞いた低域を出すしっかりしたアンプが必要となると言う。

安物のアンプで38cmを駆動してもそこそこの音は出ると思うのだけど、実は、PMA-50の購入で、置き換えになったONKYO A-5VL(これもピュアオーディオマニアからは安物のアンプと言われるだろう)をリビングのアンプに転用した。それまでONKYO A-973というアンプだったのだが、A-5VLにするとTANNOY Arundelの低域の締りが良くなった。エッジが劣化していて要修繕と思っていたが……。矛盾するようだがアンプで音は変わるようだ。スピーカーとの相性のようなものかもしれないが。


ピュアならぬプア・オーディオ愛好者としては金がかかりすぎる。しかし、楽器から出ている40Hzの音が出ないということは、本当のコントラバスの音ではなく、その倍音だけを聴いているというような状態だから、邪道と言われても、他に選択肢はない。

サブウーファーのセッティングはなかなか難しい。長くなるので稿をあらためる。
それにしてもオーディオって、一か所いじると、あちこちいじりたくなるなぁ。
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ぼおるぺん古事記

知り合いから薦められて、こうの史代「ぼおるぺん古事記」を読んだ。

ballpenkojiki123.jpg

知らなかったのだが、かなり話題になった作品らしく、次のような賞も獲っている。

平成25年度「古事記出版大賞」 稗田阿礼賞
この賞は、「古事記の魅力や奥深さ、内容の豊かさを分かりやすく伝える出版物を紹介するのが狙い。今回は平成20年7月から25年6月に発刊された、古事記をテーマにした作品が対象。読者に近い立場の書店員や図書館司書らが審査員を務め、雑誌や漫画など幅広い分野から選考する。」ということらしい。


古事記といえば、断片的には子供の頃から親しんでいるわけだが、通して読んだと言えるのは、三浦佑之「口語訳古事記 完全版」が出たときかもしれない。こういう学術的な出版物は、やたら注釈・解説が多いから、なかなか楽しく読むというわけにはゆかなかったのだけれど、この「ぼおるぺん古事記」は実にあっさりとそういうシガラミをクリアーしている。
古事記の絵本やまんがといえば、子供向けの「八岐大蛇」「因幡素兎」などがあるとおもうが、いずれもお話をかいつまんで絵を付けるというものではないだろうか。

それに対し、こうの作品は、描いているシーンについては古事記の読み下し文そのままで、これに絵を付けているという意表を突く作品。余計な(?)セリフやナレーションはない。
全三巻(天地創生、出雲繁栄、天孫降臨)それぞれの冒頭に古事記の原文がぼおるぺんで筆写されていて(これを読むのは至難の業。私はあきらめた)、原稿用紙風にページを二つ折り(袋綴じ)して製本されている。
もちろん子供の読み物ではないし、子供に読ませるものでもない。

感心したのは、神様の系譜が長々と書かれているところ。神名を覚えたからと言って、神社関係者以外には、どうということもないのだが、樹状図の形で一柱一柱の絵が付けられていて、本来退屈なだけの神名列挙が(そういえば、アポロドーロスのギリシア神話や旧約聖書でも神様や人の系譜が長々と書かれていて、この部分を読むのは苦行である)、この世が発展していく様を描いているように感じられる。また、ヒエログリフのカルトゥーシュよろしく神様の名前は(四角)で囲ってくれているので、神様の数(柱)を数えて確認するのも便利。

第三巻には全巻を通じた系譜がまんがで添えられている(ここに神名も添えてあったら煩わしいか? 天照や素戔嗚などの主要なキャラ以外は絵ですぐわかるとまではいかないので。)


三巻のなかでは、第一巻がいちばんおもしろい。第二、三巻になると、前述のような世界観の提示より、「昔聞いた話」風になってくる。もちろんこれらの巻も気持ちよく読めるのだけれど、他の誰にもやらなかったことと言えば、やはり第一巻だろう。

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確定申告

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確定申告の季節になった。

私も昨年は退職金があったし、減額されているものの年金も受け取っている。
再就職の給与収入やアルバイト報酬などもある。
まちがいなく源泉徴収額は過剰のはずだから、確定申告すれば戻るはず。
職場の年末調整では、こうしたもろもろは反映できない。

確定申告なんていうのは、家を買ったときぐらいしかやったことがないので、事前に銀行主催の説明会に行っていたのだが、国税庁が申告書作成支援のネット・サービスもしているので、これを使う。

珍之助さまはe-Taxを使っておられるらしいが、私は昔JPKIの証明書を取得はしたものの、結局、e-Taxはやらなかった。私のような普通人の場合、だいたい確定申告の必要はないのだけれど、もしするなら収入は余さず、虚偽の申告をしてはならないという。申告したら多少は戻ったかもしれない(出張などで依頼元から出る旅費の源泉分ぐらい)。

事前に銀行の説明会に行っていたおかげで、申告書の下書きはできていたので、国税庁のネット・サービスで申告書を作成しながら、下書きと見比べて確認。下書きと全く同じ結果(還付○万円)。
私のように簡単な申告だと、税務署の人も相手するのがわずらわしいだろうから、郵送することにしたが、証拠書類(源泉徴収票など)を台紙に貼って送らなければならない。

マイナンバー制度が運用開始されたら、こういうものが簡単になるのだろうか。
源泉徴収時にマイナンバーが付されることになるだろうから、マイナンバーで検索すればその人が既に納めた税額がわかるようになる。証拠書類などいらなくなるのではないだろうか。
あるいは、そもそも申告しなくても一方的に税務署から、還付・追徴のお知らせが来るようにまでなるかもしれない。

私はマイナンバーのITシステムについては批判的(やたら複雑で経費が高く、運用上の脆弱性も多そう)だが、マイナンバー自体の必要性、有用性は認めていてる。ちゃんと考えてもいないセキュリティに振り回されず、もっとシンプルに設計すべきだと思う。

この制度が有用なのは何と言っても税と社会保障の分野であり、そして、この2種のデータをどう管理し、アクセス制御するか(誰が、どういう目的で、どの範囲を利用できるかなど)が、この制度の肝心なところなのだが、ここがもう一つはっきりしない。

制度の基礎となる住民記録にやたら神経質になっているようだが、実は住民記録はマイナンバーを附番すればその役割はほぼ完了したようなもの、本当に利用価値があるのは税情報のはずだ。これが各種の制度において参照される個人の収入根拠になるはずだから。前にも書いたが、守るべきはマイナンバーという「名前」ではなく、それに付随する税をはじめとする、それにリンクした情報のほうである。決めるべきはマイナンバーの利用範囲ではなく、これらのデータの利用範囲の方だろう。

守るべきデータが何であるのかが明確でないと、セキュリティ議論ははじめようがないはずなのだが。

だから、全部守る(「全部」を特定できないくせに)→やたら複雑で使いにくいシステム→結局バックドアがないと運用できない、という図式。



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平穏なバレンタイン

昨日はバレンタインデー。
その前の日には、職場に派遣されている数名のインプット・オペレータさんから、みなさんへ、ということでパイとクッキーの詰め合わせ。

valentinechoco15.jpgそして本番は……

うちにいる人からのいつもの義理チョコ(右)。
「お相伴」と称して自分が食べたいらしい。私がもらって帰るのも楽しみにしていた。

これだけではさびしいということでもう一つ(左)。
valentinechoco15b.jpg

定年前は女性の多い職場で気遣いいただいていた。
向こうはお金を出し合ってだったが、こちらは単独で受け取っていたから、お返しは、一人一人+職場分という形にしていた。

昔、上司で、かなりの金額(10倍返し?)のお返しをしていた人がいた。別に下心があるとか、本命がいるというわけではなくて、一人一人に。デパートで女性のよろこびそうな衣料品や雑貨を探してお返しされていた。
そんな人のマネは到底できなかったが、3倍返しは心がけていた。

まあ、こんな気遣いをしなくてよくなったのも善し悪しというところ。
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住民投票

osakatoenquete.jpg数日前、大阪都構想についてのA新聞の世論調査の結果が報道されていた。

見出しでは、賛成35%、反対44%というものだったが、この世論調査は、不思議な問い方になっていた。
単純に賛成・反対を聞くのでなく、住民投票の実施がほぼ決まったという状況を踏まえてだろう、住民投票に行くか行かないかを「行く」「たぶん行く」「たぶん行かない」「行かない」に4区分して、その上で「賛成」「反対」「その他・答えない」を聞いているようだ。

この結果を見ると、住民投票に行く・行かないにかかわらず反対が多数を占めている。
簡単に解釈すれば、大阪都構想に賛成の人は住民投票に行って賛成票を投じるが、反対の人は必ずしも行動を起こさないという結果と読める。
普通に考えれば、「投票に行かない」≒「わからない・判断できない」という図式で、投票に行く程度が下がるにつれて、賛成も反対も減りそうなものだが、そうはなっていない。賛成と反対が非対称になっている。反対だが投票に行かないという人は、自分が反対しなくても多分否決されるだろうと考えているということだろうか。あるいは現状維持が良いと思っている(反対)が、どうしてもやりたいというなら仕方がない、という諦念でもあるのだろうか。

ちょっと見ただけの報道からは、住民投票へ行くかどうかのパーセンテージは示されていなかったので、どのぐらいの人が住民投票に行くのかわからない。
そこを報道していないのはなんだか不誠実な感じがする。
というのは、この住民投票では、余程のトリック*を仕掛けておかない限り、投票に行かないことは、実質反対票になると考えられるからだ。

*たとえば「都構想反対住民投票」として設計する。言葉の上では反対者の意見を聴くだが、実際は投票しなければ賛成(あるいは継続検討)扱いという設計。


また、投票率について、たとえば過半数が投票しないと無効(開票しない)とかは規定しないのだろうか。以前、市町村合併のアンケートなどではそういう規定を設けていた例があるが。
都構想推進側が、賛成者は投票に行くという読みをしているなら「きちんと投票に行くという真剣に考えている人の意見で決めるのが正しい民主主義だ。投票に行かないような無責任な住民の意見は聴く必要がない」と言い、投票率規定をもうけない、あるいはかなり緩めの規定にするだろう。

それにしても、大阪市民で投票するというのは、理屈上は推進派には不利じゃないだろうか。
というのは、固定資産税などは新しい特別区ではなく、大阪都の収入と考えられているだろうから、その収入は旧大阪市域ではなく、広く大阪都全体で使われると思われるからだ。自分の財布を預けていくらかは返してね、というようなものだ。東京特別区が普通地方公共団体(市)になりたいのもそういう事情が大きいはずだ。
大阪市を除く住民で投票したら、大阪市のおこぼれにあずかれると期待する賛成票が多くなるかもしれない。

ところで、もし住民投票で都構想が否定されたら維新はどうするのだろう。
「今回は住民の理解が不十分で残念だった。方向性は正しいので今後も構想の浸透を図り、あらためて住民の意思を問いたい。」(要するに賛成多数になるまで何度でも住民投票をする)というところか。
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本日、休刊日

kyukanbirds.png

(昔はやりましたねぇ~)

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オーディオ・フォーマット変換中!

ハイレゾの話が続いたが、今日はハイレゾに限らずディジタル・オーディオのこと。

我が家には2つオーディオ・セットがある。一つは1階のリビング(TANNOY Arundelが置いてある)で、もう一つは2階のオーディオ部屋(先日書いたPMA-50はここに設置)。それとベッドサイドに置いてあるタブレットでもたまに音楽を聴く。

ということで、CDの多くをリッピングしてNASに置いて、どのセットでもCDを使わず再生できるようにしている。
モーツァルト全集(全190CD)は全部リッピングしてある(50GB余)。

全集と銘打つものはたいてい大層な箱に入っていて出し入れが面倒であるから、全集を置いてあるオーディオ部屋でも、CDを出して聴いたりせず、もっぱらNAS上のデータをPCで再生している。

PCで他の作業さえしなければ、ごくまれに音が跳ぶこともあるが、まずまず安定して再生する。(音が跳ぶのはおそらくNAS側の問題だと思う。)

で、今まではリッピングのフォーマットはWMA losslessにしていたのだけれど、ただいま順次、flacに変換中である。
機器互換性からいえば、mp3が良いのだろうが、可逆圧縮(ロスレス)でないと保存フォーマットとしては不適格であろう。

私がCDをリッピングしはじめたころは、あまり考えずに可逆圧縮なら良いだろうと、Windows media playerでロスレスフォーマットでとっていた。Microsoft標準という安心感もあったし、他のロスレス・フォーマットの存在は知らなかった。自分でディジタル化したデータ(24bit/96kHz)も、保存時にはWMA lossless(24bit/96kHz)にしていた。
今では、Apple losslessやflacがあるわけだが、iTunesのような面倒くさいソフトを使う気にはなれないのでAppleは使わないし、flacはフリーというのが気にかかり、このフォーマットが今後もサポートされるのかもわからないので、敬遠してきた。

なので、逆に再生環境―機器やソフトを選ぶときにWMA lossless対応かどうかをいつも気にしていた。
世間にはWMA対応のプレイヤーというのは良くあるのだけれど、多くのそれはlosslessには対応していない。新しいスマホXperia Z3の標準プレイヤー(Walkman)もWMA対応と言っているが、losslessには対応していない。おそらくWMA用のコーデックは著作権料とかが発生するのだろうと思う、廉価版の機器はまず対応していないようだ。

一方、flac対応機器、ソフトは随分増えてきたように思う。Xperia Z3もflacに対応している。
flacは、以前はマニア向けフォーマットのような印象だったが、今はそうでもなくなっている。Xperia Z3の標準プレイヤーWalkmanもflac 24bit/96kHzはきちんと再生する(192kHzは音源がないのでテストしていない)。
flacの場合、もちろん名前のとおりロスレスだから、その品質で再生できる。WMA対応をうたっている機器の場合のようにlosslessはダメでがっかりするというようなことはない。
そして、今回、ハイレゾ配信を調べてわかったことだが、以前のWMAからflacに配信フォーマットが変わっている(もちろん他にwav、DSDもあるが)。そして、24bit/192kHzで配信されるのものが増えてきている。今のところWMAでサポートされているレゾリューションは24bit/96kHzどまりらしく、他のフォーマットから192kHzのWMAに変換するソフトも今のところ出ていないようだ。なら、やっぱりflacがいいんじゃないだろうか。

機器にあわせていろんなフォーマットを用意するなんてのはやりたくないわけで、元ネタの統一フォーマットとして、この際、flacに統一することにした。
可逆圧縮だから、mp3と違って、ビットレートを気にする必要はないし、手間を無視すればいつでもwav、wmaにできる。
実は、Windows PC、iPod touch、スマートフォンといういろんな機器があって、今までも面倒だと思っていたわけだが、既に結構な量がWMA losslessで溜っているわけで、統一したいと思いつつ、そのままにしてきた。パソコンも高速になったし、ハイレゾ対応もしはじめたから、ここらで思い切って、全曲flac化を思い立った。

フォルダーごと、一気に変換できれば良いのだが、そういうソフトはないから、1フォルダーごとに変換を行う。

まず、変換元楽曲のフォルダー構造をそっくりそのまま別の場所に構築する。このためのフリーソフトはいろいろある。「フォルダ構成コピー」で検索すればいろいろ出てくる。

フォーマット変換には、今は"fre:ac"というフリーソフトを使っている。
freac.png

パソコンが高速になったので、WMA losslessでリッピングしてあるCD1枚分の楽曲をflacに変換する時間は1.5~2分である。
(パソコンが遅いととてもやる気にはならなかっただろう)

1日CD20枚分ぐらいやっていけば、そう遠くない日に、WMAのライブラリーをflacのライブラリーにできるだろう。
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ハイレゾ音源

新しいスマホ(Xperia Z3)がハイレゾ対応ということに端を発し、DAC内蔵アンプを購入してしまうなど、ちょっとハイレゾに関心が出てきた。

あらためてハイレゾの現状を見てみると、e-ONKYOやmoraは、24bit/96~192kHzというPCM音源に加え、DSD音源も配信している。なお、e-ONKYOは以前はWMAでの配信だけだったと記憶しているが、今はwaveやflacでも配信している。WMAだけで配信していたのはDRM(著作権保護)をかけるためだろうと思っていたのだが、もうコピープロテクトはあきらめたのだろうか。DSDもそれ自体にはDRM機能はないと思う。

で、昨日書いたようにいろいろ新しいアンプでテストをするなかで、moraから無料で配信されているDSD収録曲を聴いてみたりしたが、これだけではやっぱり物足りないので、あらためてDSDでどんな楽曲が配信されているか見ると、いくつか興味深い録音を見つけた。
その一つは、ペーター・レーゼル(Pf), ヘルムート・ブラニー/ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団による、ピアノ協奏曲 第19番(KV459)、第27番(KV595) 3,600円。
e-onkyoRoesel.jpg

少々高いが、思い切って買ってみようかと思ったのだけれど、調べるとSACDでも販売されている。Amazonで2,861円。739円も安い!
amazonRoesel.jpg

ということで、やっぱりダウンロードではなくて、SACDの方を買ってしまった。(やっぱりスマホで聴いたりしないよなぁ。)

普通の音源の場合、ネットの方が安い場合が多いと思うのだけれど、ハイレゾ音源だとネットの方が高いようだ。SACDはリッピング困難だがネット配信はコピーが簡単、ということでそういう価格になっているのかもしれない。

電子書籍はまだまだ普及が進まず、紙の本より安く売られたり、割引クーポンが使えたりするのだけれど、音楽の方は、CDが売れず、ネット配信の方が多いと言う状況だから、無理にネットで安売りする必要はないのかもしれない。

もう一つ、ハイレゾで配信されている演奏は、是非聞きたいというのをあまり見つけられない。
私が知らないだけで、すばらしい演奏がいくつも収録されているに違いないのだが、全く聞いたことのない曲の場合はともかく、聴いたことのある曲の場合、この演奏家ならどう演奏するのだろうというように、既知の演奏家でないと、なかなか買ってまで聴こうとしないように思う。
年寄りには、若い頃に夢中になった名演奏・名録音というのをハイレゾで出してもらうのも良いと思う。
昨日書いたように、グリュミオーのモーツァルト:協奏曲全集とか自分でディジタル化したものもなかなか良いから、少々録音が古くても(ハイレゾ録音でなくても)、結構良い音がする。(もっともハイフェッツになるとさすがに録音が古すぎるように思う。)
いずれにせよ、まだちょっと高い。

ところでうちのマルチメディア・プレイヤーは、CDは楽曲が表示されるのだが、SACDは出ない。SACDはCDDBに入っていないのだろうか。多くのSACDはハイブリッドタイプでCD層もあるからCDDBに入っていてもおかしくないと思う。これはプレイヤーの問題なのだろうか。
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PMA-50の評価

昨日は機械的な動作確認だけ書いたので、今日はオーディオとしての評価(機器構成は昨日の稿参照)。

まずSACD。
私はピュアオーディオのSACDプレイヤーは持ってなくて、ブルーレイ(マルチメディア)プレイヤーで代用している。SACDプレーヤーには高価なものもあるが、私が思うにデジタル再生装置というのは、ノイズの拾い方とか、クロックの正確性とか、違いが出そうな部分もあるだろうが、ディジタル伝送するのならノイズは関係なさそうだし、クロックもPMA-50側のクロックが使われるから、安物でも問題ないのではないだろうか。(演算速度が遅くて再生が途切れるなどは問題外で、あとは操作性の違いぐらいでは。)
前に使っていたONKYO A-5VLというアンプにもディジタル(同軸、光)入力があり、同軸でつないでいて、状況はたいして変わらないようだが、やはり、ハイレゾ対応をうたうPMA-50は前述のとおり、クロックがしっかりしているのか、やはり前よりくっきりした音になったと思う。これはアナログ増幅段の性能も大きいのだろう。
【追記】 今もっているマルチメディア・プレイヤーではSACD再生してもS/PDIFではPCM 16bit/44.1kHzでしか出てないようだ。

次にPCからのUSB接続。再生に使用したプレイヤーはfoobar2000。昨日も書いたが、foobar2000のoutput deviceのところに "DENON USB Audio" の表示が確認できる。
【追記】 DSD対応ができれば、ASIOが選択できるらしい。
foobar2000output.jpg

これは明らかに違う。今までのサウンドプロセッサでの再生は、おそらくジッターだろう、音が埃っぽかったが、大変くっきりし、プレイヤー直結のSACD/CD再生に勝るとも劣らないというところ。以前にアナログ・レコードを24bit/96kHzでディジタル化していたものを聴くとそれが良くわかる。
前述のとおり、アンプ側が「責任をもって」デジタル音源をアナログ化するということなので、ストレートな音になるのだろう。

問題はロー・レゾリューションの音源。mp3 192kbpsというような楽曲を聴くと、なんとも貧しい音になる。そうした音源でもウォークマンで聴く分にはそんなに貧相な音に思うわないのだけれど、ちゃんとしたオーディオセットだとハイレゾ(CD音質でも)との落差が大きい。

ということで、プレイヤー直結でもPCからでも同じような音になるので、音源の違いは無視して、スピーカーから出る音、つまり最終のアナログ信号の印象について若干コメントしておく。

これこそディジタルの本領と言える。
音源のディジタル記録が同じならスピーカーから出る音も当然同じになるはず。
同じPCM 24bit/96kHzなら、どのルートで入力しても同じ。元はPCでも、CDでも、スマホでも関係ないはず。
ただし、同軸デジタルは192kHz対応だが光デジタルは96kHzまでという規格上の違い、USBはDSDを流してくれるが、他はPCMに変換するなど、それぞれの規格に合わせて伝送されるから、ルートによってデータが違うということはある。
こういうアンプと組み合わせる場合、高級SACDプレイヤーに存在価値はないだろう(見た目の満足感を別にすれば)。


Julia Fischerのモーツァルト KV216(SACD)を聴くと、高音がやや固い印象。少し高域を落とし気味にするほうが聴きやすいかもしれない。となるとGrumiauxと比べたくなって、KV219(LPから24bit/96kHzでディジタル化)をPCで聴いてみた。いやぁ、古い録音とは思えない。涙が出る。やっぱりFischerよりGrumiauxかな。
以前、ONKYOが24bit/96kHzでお試しで無料配信していた楽曲でも、CD音質とははっきりした違いを感じたが、これはハイレゾ効果なのか、アンプの素質なのか(あるいは単にソースの問題なのか)はよくわからない。

LP時代からオーディオチェックに使っているBoskovsky/Wien POによる「金と銀」(LPから24bit/96kHzでディジタル化)を聴いた。定位は以前よりさらに良くなったと思う。ただし、この曲では低弦が風のように体を包む感覚を確認したいのだけれど、やはり口径10cmのAutograph miniでは、しっかりした低音が出てはいるのだが、その感覚は得られない。トーン・コントロールで低域を上げても低弦の音は風というより塊になる。今まで使ったことはないのだが、サブウーファーの追加(PMA-50にはサブウーファー用端子もついている)で良くなるのか、単にバランスを崩すだけなのか、もう少し考えたい。

ボーカルは、ナタリー・デセイの夜の女王の復讐のアリアを聴いてみた(CD音質)。ハリと透明感のある声だと思っていたのだけれど、それに加えて艶めかしさが出てきた。やっぱりオーディオを変更すると、人の声が一番変わるような気がする。
ピアノはもちろんしっかり鳴る。もう、こうなると音のことはどうでもよくなって、演奏の方にばかり注意が向くようになってきた。
まとめると、ハイレゾの効果はともかく、音はクリアで締りの良いものになったと思う。

いろいろ聴いているうちに、入力セレクタがボタンを押して一つずつ進むようになっているのが、使いにくく、またわかりにくい。機械的接点が劣化などで音質に影響することを嫌ったのかもしれないが、操作性は旧来のダイヤル式の方が良い。

私が設計者だったら、ルック&フィールは昔のものを目指す。パネルにセレクト・ダイヤルを配しソース名を印字しておき、ダイヤルを右へ回すと右クリック、左へ回すと左クリックとして動作させ、選択されているソースをLED発光で示すというようにするだろう。(前のONKYO A-5VLは、デジタル音源が生きているとそこがブルーのLEDで示される。)


それとBluetoothはいらない。機能があるから動作確認はしたけれど、やはり音としては情報量が減ったものになるようで、使うことはないだろう。マニュアルにもBluetoothはノイズの原因になるから、使わないならoffにするように書いてあるが、それなら初めから付ける必要はない。当然、ペアリングのためのNFCも不要。
これらをカットして値段を下げるか、前述のような操作性向上をお願いしたい。

Amazonで54,000円を切っていたが、これはなかなか良い買い物だった。
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DAC内蔵アンプ―DENON PMA-50

新しいスマホ Xperia Z3 はハイレゾ音源に対応している。
前にも書いたように、スマホにヘッドホンを挿してハイレゾで音楽を聴こうとは全く思っていない。ハイレゾは圧迫感のない音が良いのであって、ヘッドホンというだけで、違う意味でだが、圧迫感があるので値打ちがないと思っている。ハイレゾ再生でネットを検索するとヘッドフォンの記事がやけに多いように思うが、みなさんヘッドフォンを愛好しているのだろうか。

DSC_0033-crop.jpgしかし、ハイレゾ音源対応と言われると、やっぱりハイレゾ再生をやってみたくなるのが、デジタルおたくの習性である。
初め、いつものサウンドプロセッサ(Creative)につないでみたのだが、どうも認識してくれない。この際、USB-DACを一つ手に入れようと思った。そして買ってしまった。DENON PMA-50。

Amazonで在庫5台とあったのを見て、どうしようかと迷っているうちに、しばらくして在庫なし、入庫待ちになってしまった。あぁ、すぐにポチればよかったと思って物欲が昂進してしまいオーダー。10日以上待ちとなったが、すぐに「早く出荷できるようになりました」ということで2日で到着。


DSC_0034-crop.jpgXperiaにつなぐのは最後のお楽しみとして、ステレオ・アンプの置き換えから。

まずはSACDで動作確認。これはもちろん問題ない。ただし、PMA-50のディジタル入力はDSDに対応していないから、PCMになっているはず。

ついで、PCのUSBにつないで動作確認。まずはメーカーサイトへ行って、ドライバーをダウンロード/インストール。オーディオ用のPCはセカンドマシンで、あまり手入れをしていないので、ハイレゾ対応プレイヤーの導入も必要。SONY、TEACがハイレゾ対応プレイヤーを無償提供しているので入れてみた。が、デバイスを認識してくれない。それぞれ自社製品のDACが前提のようだ。ケチなことを。

DSC_0035-crop.jpgものは試しということで、普通のオーディオ再生でいつも使っているfoobar2000でハイレゾ再生ができるらしいのでこれに挑戦することにした。
とにかく現行の環境を確認しようとしたら、なんと、デバイスリストを見ると、何にもしてないのに "DENON USB Audio" が現れた。このまま再生できてしまうじゃないか。
moraで無料配信されているDSDのテストデータを再生、問題なく音が出る。ただし、DSDがそのままPMA-50に流れているのか、PCMにしているのかは判断できない。

【追記】 PMA-50の表示を見ると、PCM 44.1kHzとあった。foobar2000でDSD再生する話はネット上にあることはあるが、対応DACも限られているようで、なかなハードルが高い。

【追記2】ネット情報をもとにやってみたところ、無事にDSDデータをPMA-50に送れるようになった。これについては近いうちにまとめて投稿するつもり。2015/2/25に投稿:「foobar2000―PMA-50でのDSD再生」


PCでビデオ(mp4)も再生してみた。これも問題ない。ただしAAC 48kHzでビットレートが160kbpsだと貧相な音。
マルチメディア・プレイヤーでDVDを再生してテレビから光デジタルで戻すように結線した。

DSC_0009-crop2.jpgそしていよいよXperiaの接続。
オーディオ設定メニューで、USB接続をONにして、USBケーブルをつないだらあっけなく動作。DSD音源もなんなく再生。
【追記】 PMA-50のパネルを見るとPCM 176kHzとなっていた。DSDダイレクトではないようだ。相手がSONYでないとだめなのかもしれない。

絶対に使わないと思うが、Bluetooth接続もやってみた。これも簡単にペアリングできて、何の問題もなく再生。apt-X仕様だけれど、USB接続に比べればやっぱり音はさびしいように思う。

ということで、機械的には特に迷うようなこともなく、いずれもOKという結果。
結局、新しい構成は次のようになった。
audioconfig3.png

うれしいことに今までデジタル音源再生とアナログレコードのディジタル化に使用していたUSBサウンドプロセッサはフォノイコライザーが付いていて、今までどおりレコードのディジタル化ができる(イコライザーが付いてなかったら、RIAA補正をPCでやるつもりだった)。
また、プロセッサの入力(イコライザー通過後)を出力端子で同時モニターできるので、PCで録音していてもいなくても、モニター出力をアンプのアナログ入力に入れれば、今まで通りアナログ・レコードを聴くことができる(プロセッサの給電がUSBなのでPCはONにしないといけないようだが)。

また、テレビには光ディジタルのオーディオモニター出力端子があって、これもアンプに入れて、マルチメディ・プレイヤーのBD/DVDをテレビに写しながら、モニターから帰ってくる音声をステレオセットで聴くようにした。
【追記】 BD/DVDの音は、デジタル・オーディオにも同時に出ているので、こちらを使えば良いことに気付いた。テレビからくる光デジタルは、テレビ放送用になる。

問題は音である。これは稿をあらためて。
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フィンランドの離婚率

昨日は、夕方からとある講演会・シンポジウムへ参加。タイトルに書いたように、講演はフィンランドのことが主。
それはともかく、このシンポジウムの写真だけ見ると、変に気をまわす人がいるかもしれない。
IMG_20150207_194900-crop.jpg

お断りしておくが、決して気をまわすような要素は少しもない。(口火を切ったY市長からは、このメンバーだと反○○と言われそうだが、そういうことではなくて、出産子育てを重点施策と考えている市が集ったらたまたまこうなった、と笑いをとっていた)

件の講演会は次のとおり。
IMG_20150207_182553-crop.jpg

内容は大変、面白く、興味深かった。本来のテーマは「妊娠・出産・子育て」なのだが、フィンランド紹介を聴いていると、ちょっと気になることがあった。

フィンランドの離婚率は50%だという。

フィンランドでは、世界で最もお母さんにやさしい、子育てのしやすい国と言われている。
育児休業制度(両親とも)の充実はもちろんのこと、産後3年での職場復帰を受け入れなければならない法があり、「ネウボラ」(相談するところの意)という、妊娠から出産、子育てはもとより、それに関連して家庭問題の相談を幅広く受け入れるシステムが整備されている。すべての幼児には保育園に入る権利が保障されている。また、男女の雇用機会が実質平等と言えるほどであるし、それを法定もしている。

で、考えた。それほど女性に、母性に暮らしやすいと、離婚率が上がるのだろうか。

昔、住民の幸福度の指標について議論したことがある。
その時、離婚率は、不幸の指標なのか、それとも幸福の指標なのかが問題になった。
離婚というのは、失敗した結婚と考えればマイナス指標だが、女性は離婚すると経済的・社会的に不利な立場に置かれがちという実態からすれば離婚を許容する社会としてプラス指標とも考えられる(離婚したくてもできないのは不幸)。
結局のところ、不幸な離婚もあるし、幸福な離婚もある、という平凡な話で終わったと記憶する。

また、フィンランドは前述のような充実した施策が展開されている一方、国民の意識としては、充実した保育制度があるにもかかわらず、赤ちゃんは家で親が育てるのが良いというのが多数派なのだそうだ。
こういう保守的とも思える意識と、社会が責任をとるという制度、そしてややもすると「飛んでる」と評価されそうな離婚があたりまえ。
こう書くとなんだか不思議なのだが、それだけ実質的な選択の自由があり、多様性があるのだと考えれば納得できるような気がする。

DSC_0039.jpg少し前、「世界ふしぎ発見」というテレビ番組がフィンランドのこうした様子を伝えていたが、その中で言われていたことは「ムリしない」がフィンランド流という。ムリしてまで結婚を継続しないということなのかもしれない。

で、講演会が終わったら関係者で打ち上げ。私は何にもしてない、ただ会場に足を運んだだけなのだが、なぜか関係者の一人として参加。土曜日なのに混んでいて、予約は21:00だったのだけれど、きっちり21:00までは座れなかった。
(あ、打ち上げ参加はY市長だけで、S市長、H市長は講演会終了後すぐ退散。気をまわさないように。)

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洋式になった

shokubatoilet.jpg珍之助さまブログがトイレ故障で賑わってるのでトイレの話題を。

少し前のことだが、職場のビルのトイレが洋式になった。暮れから工事をしていて、ようやく1月中旬に供用開始となった。

建物は5階建なのだが、5,4階を工事して、それが終わると3,2階となっていたが、これだと5階の人は2フロア降りなければならない。なぜ5階と3階をやって次に4階2階としなかったのだろう。


ところで、この頃の子供は、学校で大の用をたさないという話を聞いたことがある。
理由は、学校のトイレはだいたいが和式、対して家のトイレはたいていが洋式で、使い慣れていないからという。学校へ上がるまで和式を知らずに育った子もいるだろう。そういう世の中の変化を反映したものだと思う。我が家も洋式(ウォシュレット)である。

古い家は、男子小用が別になっているのが普通で、小と大(和式)を使い分けていたと思う。大(和式)の場合、足場と同じ高さに便器があると、立って小用をたすのは難易度が高い。小と大を別に設置できない家だと、洋式にするほうが合理的。ただし、和式を一段高いところに設置して、低いところから狙うというスタイルもある。

yaoekitoilet.jpgまた公共施設でも洋式が増えている。駅のトイレも洋式が設置されてきている。写真(右下)はK鉄Y駅のトイレ。なんとウォシュレットになっている。昔の汚い駅のトイレのイメージから様変わりである(和式はなぜか便が便器の外に散っていたり、床が小水で濡れていたりすることが多い)。なお、隣に和式も設置されている。

私が子供の頃、50年近く前のことだが、洋式トイレというものをはじめてみたのは、某大学の図書館。ドアに "EUROPEAN STYLE" と表示されていたのを覚えている。
子供仲間では、そこが空いていても「お前使えや」と譲り合って、誰も使わなかった。
洋式に慣れた子は誰一人としていなかったわけだ。

正直、洋式の方が座ってラクだし、この頃はウォシュレットでないととなってしまってる(ウォシュレット・シンドロームというこわ~い病気もあるらしいが)。
この先、和式は廃れることになるのだろうか。
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法隆寺の拝観料

houryuji1500.jpg法隆寺の拝観料が、今年1月1日に1000円から1500円に引き上げられた。22年ぶりの値上げだそうだ。
(22年前に既に1000円だったいうのも驚き)

最近、訪れる人が減り、維持費を賄えないというのが値上げの理由なのだが、いくつかのテレビ局がそれなりの時間を割いて、法隆寺の現状を伝えていた。

一番の問題は、今までもそうだったのだが、奈良市内から離れていること。昔、国際交流関係の仕事をしている人が「奈良は車がないと動きにくくて……」と話していたのを思い出す。

たしかに遠いと思う。JR奈良駅からJR法隆寺駅までは10分程度だが、そこから法隆寺までは徒歩20分かかる。車なら40分。しかし、ちょっと待てよ、京都でもたとえば金閣から銀閣へ移動しようとしたら、バスで30分以上かかるはず。何より京都市内のバスって路線が複雑で乗継が難しいし、道路は渋滞、車内は混雑で不愉快。それを思えばJR関西本線のほうが快適だし、駅からお寺の20分も適度な散歩と思えば良さそうなもの。
テレビ局も遠い、遠い、とマイナスイメージばかり伝えるのは控えたらどうだろう。


hiidurutokoro.jpg法隆寺界隈は法隆寺しかない。「面的広がりを欠くと情報発信力が落ちる」というのは、昔、国立民族学博物館の先生がおっしゃっていたことだが、中宮寺はあまりに法隆寺に付属しすぎで、「斑鳩の宮」という打ち出しはできていないように思う。何か付随施設ができないものか。山岸涼子「日出処の天子」館でも良いのだが。

近くの名勝といえば龍田神社がある。1400m、歩いて17,8分。さらに龍田川。紅葉の季節には良いかもしれない(紅葉自体は他の有名どころほどではないと思うが何せ歌枕としては随一だろう)。


次に、かつては法隆寺は修学旅行で訪れる定番スポットだったそうだが、最近は沖縄が多いらしい。また、東京ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンも多いという。

沖縄が増えたのはLCCの就航の影響らしい。LCCを使うというより、沖縄への航空輸送全体の量的拡大により、団体の座席確保がしやすくなったという。
TDL、USJは引率がラクという事情がある。園内は治安は良いし、他の学校と問題を起こす心配もまずない、勝手に他所へ行く気遣いもいらない。京都では、錦小路あたりで、通りの端々に教師が立って生徒が他所へ行かないようにしている光景を良く目にする。


なにより「聖徳太子」より「厩戸皇子」が教えられるようにり、太子の神通力が落ちて(紙幣からも落ちて)、霊力で客を呼べない普通の古刹になったのかもしれない。

ちょっと気になったので拝観料が高い神社仏閣をネットで調べてみた。奈良で法隆寺に次ぐのは慈光院1000円。ただし、ここはお茶が付く。私も行ったことがあるが、そう広くない座敷でお庭を眺めながらゆっくりとお抹茶をいただける。東大寺大仏殿は500円、このあたりが普通かと思う。
全国に目を向けると、日光東照宮の1300円、しかも宝物館500円、美術館800円は別途らしい。

そういえば、春日大社の宝物殿は400円だが、大社のあちこちにいろんなご利益の神様が祀られていて、それぞれに賽銭をあげると結構な額になる。お寺ではさすがにそういうやりかたは難しいかもしれない。


法隆寺は、この際、正直に維持費へのカンパを募るのも手。先日の春日大社では桧皮葺の葺き替え寄進を募っていた。東大寺や薬師寺もそうやって改修費や建立費を募った(修学旅行生から集めるのは無理だろうけど)。
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神戸空港運営権売却調査費

Kobe_Airport_01.jpg2,3日前、神戸空港の運営権売却に関して、神戸市が来年度予算に調査費を計上すると報道されていた。

「同空港の資産評価や売却手続きの調査などに充てる。同市が目指す関西国際空港、大阪国際(伊丹)空港とあわせた3空港一体運営への動きを本格化させる」という。

神戸空港の必要性についてはいろいろ議論があったが、今はそのことは措いておいて、

調査費2億円!?

単年度予算というのだが、一体何の調査をするんだろう。予算要求の積算はどうなってるんだろう。
着工前だったら、ボーリング調査とか地盤調査などの土木関連でかなりの調査費がかかるし、その前の環境アセスメントもそれなりの費用が必要だと思うけれど、運営権売却って、紙の上の話じゃないんだろうか。
経営シミュレーション? もっともらしいが、神戸空港単独なら、空港の資産とか、経営計画とか、既存のデータがあるはずだから、膨大な作業になるとは思えないから、「関空、伊丹、神戸の一体運用」のシミュレーションをして、そのビジョンを示し、有利な売却を目指すのだろうか。それにしても紙の上、パソコンの上の作業のように思うのだが。

神戸空港は、地方空港としては、収支が極端に悪いということでもないらしい。だから運営権が売却できるということかもしれない。高値で売り抜ければめでたしめでたし、というところか。
できれば、神戸空港の意義・社会への貢献(無駄ではなかった)という総括もお願いしたい。

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「クラシック」~「西洋音楽史」(その6)

岡田暁生「西洋音楽史」の第4章から第6章。

今までもときどき意外に思ったことがあるのだが、古典派から後期ロマン派といわれる作品群が、結構、近い時代に作られている。
私は、CDをハードディスクに落として、いちいちCDを探さずに複数のオーディオ・セットで再生できるようにしているのだが、クラシックを収録しているフォルダーの最上位の構成は次のようになっている:

・モーツァルト
・バロックまで
・古典派
・ロマン派
・近現代

他に、いろんな時代の作品が混ざっている「バラエティ」、J.シュトラウスとかの「ウィンナワルツ」(作曲家に注目して聴くことがあまりないから)がある。

前に書いたように、本書に従えば、中世・ルネサンスまでを古楽、バロックはクラシックのはじまり(まだなりきってない?)で、19世紀までが「自明な音楽環境としてのクラシック」とひとまとめにでき、20世紀はその解体と大きく区分している。
そう書かれているので、やけに「クラシック」の期間が長いように思ったのだが、どうしてどうして、大雑把にいうと、時間的には19世紀の100年間であって、バロック(17~18世紀の200年)、ルネサンス(15~16世紀の200年)、中世(9~14世紀の600年)と比べて短いぐらいだ。

bee2ber2.gifベルリオーズの幻想交響曲のレコードの解説に、ベートーヴェンの第九の初演(1824年)からわずか6年後(1830年)に幻想交響曲が初演されていることは驚くべきである、というような意味のことが書かれていた。大きくなったオーケストラ(ハープやベル、ティンパニ2セット)、凝ったオーケストレーション、サイケデリックな音楽。

余談だが「幻想」のレコードは第3楽章の途中でレコードを裏返さなければならないものが多かったが、30cmと17cmの2枚組セットというのがあって、第3楽章を30cmの裏面に、第4,5楽章を17cmの表裏にというのがあった。(前述の解説はこのレコードにあったように思う)

本書でもこのことは忘れず触れられているのだが、びっくりしたのは、ロッシーニの最初の大当たりという「タンクレディ」は1813年初演でベートーヴェンが第七交響曲を書いている頃であり、「ウィリアム・テル」は1829年初演であるということ。
感覚的には、「幻想」もロッシーニもベートーヴェンから、ずっと後の時代のように感じるのだが、みなさんはどうなのだろう。

こういう音楽史上の時代感覚のズレは、近代にもある。
前述のように、私は自分のフォルダーではロマン派と近現代に分けているのだが、R.シュトラウス、シベリウス、ラフマニノフなどはロマン派に入っているが、それより「古い」フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルは近現代に入っている(他にはストラヴィンスキー、バルトーク、ショスタコーヴィッチ、シェーンベルク、メシアン、ベリオ、武満徹などが入っている)。
まごうことなき20世紀音楽家は近現代に迷わず入れているのだが、世紀をまたぐ場合(実際にはいちいち時期を調べたりはしないが)、やはり「近代的な」感じがするかどうかで決めているわけだ。

この感覚に共感してくれる人も居ると思うのだが、どうだろう。

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クラシックのなりはじめ(バロック)~「西洋音楽史」(その5)

baroquepearl.jpg1冊の本で5回も書評じみたことを書くのは面映ゆいが、古典派からはすっとばすつもり。なぜなら、第1回で書いたように、この本を読んだのはバロック以前の知識の欠如を何とかしようということであり、また、この本ではバロックから19世紀ぐらいまでが「クラシック」という歴史性を感じさせない、日常感覚の音楽というから。

さて、バロック音楽については、この本でも書かれているように、時期・時代によって、随分違う。
実は、昔、友人から「バロックは好きか?」と聞かれたとき、「好きだけど、どうも重い」と答えたことがある。その人は怪訝な表情をして「華やかだと思うけど」。
そう、私はバロック→バッハ、友人はバロック→ヴィヴァルディなど、という連想だったわけだ。

バロックは歪んだ真珠のことだそうだが、本書でもルネサンス期と比較すれば、不協和音や強い拍子の導入など、音楽においても歪みの導入ということが言われるのだけれど、ロマン派などを先に聴いている現代人にしてみれば、バロックは歪んでいるようには聞こえないと思うのが正直なところ。
(強い拍子―強弱が交代する拍子は「トルコ風」と言って、これはトルコの軍楽から来ているというのだが、トルコの軍楽は一体いつその形になったのだろう。西洋がバロックになる前からありそうにも思うが。)

長調、短調というのが確立したのは、平均律の発明とも密接だと思うが、バロック期だと思うが、今、われわれが普通にクラシックを聴いていて、「ゆらぎ」とか「色気」とかを感じるのは、調性が変わるときのように思う。
一方、バロック以前、ルネサンス期までは長調、短調という落ち着いた(そう感じるのも我々がすでに調性に慣れているからかもしれないが)音列じゃないから、小さなゆらぎというより、地面を感じない。
対して、バロック以降は通奏低音という大きな地面があると考えて良いのだろうか。
ただし、本書では、和声が柱になって曲が進行するのは、ルネサンス後期から始まっていると指摘している。カデンツはそのころには成立していたと思う。

MusicForAWhile.jpgところで、バロックの多くは祝祭行事のBGMとして作曲されたそうだし、実際、宗教曲では合唱が用いられるにしても、バロック歌曲というのは知らなかった。本書では「歌」というより一種の「語り」であり、「モノディ」と呼ぶそうだ。本書では、随所でCDの紹介があるのだが、フォン・オッターによるモノディ作品集が紹介されていた(オッター・ファンとしてはやっぱり買ってしまった=画像)。

ところで、本書によれば、中世の終わり頃やルネサンスでは、一番下の声部に引き伸ばされたグレゴリオ聖歌(宗教的言い訳とも)があるというのだが(私などはそれを聴き取ることはできない。なにせグレゴリオ聖歌に旋律を感じるかといわれても困るし)、だいたい現代的な安定感からは遠いグレゴリオ聖歌を、それも引き伸ばしているから、やっぱり安定しなくてもしかたがないのだろう。
そういう意味で教会からも解放される時代になるわけだ。

そしてバロックに続く古典派の時代には、旋律、リズム、和声という「現代音楽」が完成することになる。

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「音楽」のはじまり(ルネサンス)~「西洋音楽史」(その4)

HilliardEnsemble.png岡田暁生「西洋音楽史」の4回目。

「ペトルッチ楽譜ライブラリー」(International Sheet Music Library Program)というサービスがある。今まで「ペトルッチ」が何のことなのか意識していなかったのだが、本書に次のように書かれている:
商業的な楽譜印刷を初めて行ったのはヴェネツィアのペトルッチ(1466~1539年)で、1501年のことである。それ以後ヨーロッパ各地に続々と出現した印刷業者たちは、競って作曲家の名前を表紙に印刷するようになった。……「『作曲家』とは『楽譜』に刷られて後世にまで残る『作品』を作る人のこと」というイメージの最初の萌芽は、この時代にある。

そうなのだ、思えば美術史のビッグネームもルネサンスからではないだろうか。

実は、今までルネサンス音楽というと、何かひなびた印象を持っていて、ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品をルネサンスの代表とすると、音楽はもう一つぱっとしないと思っていて、音楽のルネサンスはバロック以降じゃないかなどと勝手に思っていたのだが、本書に導かれ、あらためてルネサンス音楽を聴き、また本書紹介の作曲家名を見ていると、やはり時代精神は音楽にも確実に反映しているのだなぁと認識させてもらった。
また、パレストリーナのような協和音で流れる歪みのない音楽は、ダ・ヴィンチやミケランジェロに通ずるのかもしれない(パレストリーナはダ・ヴィンチより100年近く新しいが)。崩した表現をことさら選ばず、どこをとっても自然、あるいは美。

そう本書では、中世の音楽が理念的傾向があったのに対し、美を追求するようになったと評されている。
「ハルモニア」という語は、……「高音と低音の数的比率」と定義されていた。だがルネサンスの代表的な理論家ティンクトリス(1435?~1511?)の『音楽用語定義集』(1474年)では、それは「美しい響き」と定義されるようになる。ハーモニーは「数」から「美」になったのである。

本書によると、ヴェネツィアのサン・マルコ寺院には、2つの合唱隊席があるというのだが、駆け足の観光では「ヴェネツィアはこのごろたびたび浸水するので」という説明で床ばかり見ていた私は、そういう構造になっていることなど気づきもしなかったし、ガイドからもそういうことを説明された記憶はない。(ヴェネツィア人の現地ガイドだったが、日本人には「ちびまるこ」のネタで笑いをとっていた。それだけでなく日本文化にも詳しかったのだが。)

というように、ルネサンスは音楽についても、決して停滞の時代ではなくて、むしろ新しい可能性を大胆に求める時代だったのかもしれない。そして、それは未だことさら「個性的表現」を求める必要のない幸せな時代だったのではないだろうか。

本書では、ヒリヤード・アンサンブルのCDが紹介されていた。

HMVで買った。CDを買うときはいつもHMVとAmazonを比較するのだが、HMVはよく「まとめ買い」割引というのをやっていて、それを使うとAmazonより安くなることが多い。

聴いてみるとやはりゴシック期の音楽よりも中声が充実していて、組み立てがしっかりあるように思う。しかし、後世の曲のように親しみやすい旋律というふうには思えなくて、このあたりが、中世もルネサンスもたいして違わないと感じる原因かもしれない。(もっと単純に、マンロウもヒリヤード・アンサンブルもア・カペラだから同じように感じるだけなのかもしれないが。)

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尖った5度(中世)~「西洋音楽史」(その3)

ManroeGothic.jpg岡田暁生「西洋音楽史」をとりあげる3回目。

前2稿は、「クラシック」とは、「芸術音楽」とは、という通史的な面での著者の主張をとりあげた。
今回は、「第1章 謎めいた中世音楽」から、特に私が今まで知らずにいて、あらためて驚いたことについて書く。

まず、完全五度(もちろんこの言葉も響きは誰でも知っているものだが)である。
著者は、「尖った五度」、「柔らかい三度」という表現をされるのだけれど、普通の言葉では「虚ろな五度」である。
――近代の和声法では「空虚五度」と呼ばれて禁則とされる――「ドソ」の響きの方が「正しかった」のである。つまり中世においては禁欲的で峻厳で威嚇するような響きこそが求められたのであって、音楽は――われわれがついそう考えがちな――どこかしら甘美な存在ではなかったのであろう。

完全五度は、物理学的には完全な協和、簡単な整数比2:3の周波数の音の組合せ、つまり自然倍音の、第2倍音と第3倍音である(ただし平均律のソは少し低い)。
本書でも紹介されているマンロウの「ゴシック期の音楽」(画像)を聴くと、単純に5度というより、同じ音高で低い延音を唸りながら、その上に揺れる旋律線がある曲が多い。「抜けている」と言えば抜けている。
著者は柔らかい三度というのだが、ミには、ミとミ♭があって、それによって調性が決まるわけで、長調・短調に慣れたわれわれには、調性を感じないと落ち着かないということかもしれない。
そういえば「三度の発見」は音楽史上の大きな出来事であると聞いたことがあるし、また2歳頃のモーツァルトがチェンバロの三度を引き当てて、喜んでいたとも伝えられている。

もう一つ、驚いたことは、拍子のことである。
当時の音楽はもっぱら、三位一体をあらわす「三」拍子系で書かれたのである(後で述べるように、14世紀に入って二拍子系が導入されると、教会から「神への冒涜」として大変な非難の声が上がった)。

そもそも、中世の音楽に拍子を感じるかといわれると、マンロウの「ゴシック期の音楽」に収録されている曲からは強い拍子を感じたりしない。しかし、あらためて、二拍子が忌避されたと言われると、とても意外に思う。なぜなら二拍子の方が原始的な感じがして、そして俗謡は二拍子が多いようにも思う。著者の指摘は教会音楽に限るのだろう。
carminaburana.jpg実際、本書では全然触れられていないが、「カルミナ・ブラーナ」も中世に入ると思うのだけれど、そこにある俗謡は二拍子系だと思う。(「西洋中世音楽」の稿にサンプルを載せている。)

(日本の歌には三拍子はない、という話を聞いたことがある。「五木の子守唄」は、今は三拍子だけれど、もともとは違うとも。)


通常、中世というのは、西ローマ帝国が滅んでからルネサンス以前の時代を言うらしいのだが、そうすると800年ぐらいあるわけで、800年ずっとこうだったとは言えないだろうし、そもそも三拍子を忌避するような宗教的感覚が、中世の初め頃からあったのだろうか。

それにしても、長調でも短調でもない教会旋法、全音階的音列とかを聴いていると、これも時代を超えてるやん、と思ってしまうのだけれど。もちろん使われている楽器や編成、重なる和音とかは現代とは違うわけで、旋律線を追っかけると、だけど。
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