人間と機械、どっちを信用するか

Germanwingsの「墜落」は、ボイスレコーダーの記録などから、副操縦士の「自殺」ということがほぼ確定。
当面、コックピットに1人だけいるという状態がないようにするという対策もとられるようだが、それでも、かつて日本であった逆噴射事件のようなものは防ぎようがないかもしれない。

pilotsupply.gif今、世界的にパイロット不足が深刻だという。2030年ごろには、パイロットの高齢化が進み大量退職時期が来るといわれ、「2030年問題」という言葉もあるそうだ。よく知らないが、養成には大きなコストがかかるため、航空会社で自社養成するところは少なく、航空大学校とかに頼るらしいが、そこでもコストがかかることは同じわけで、学校が養成したパイロットを採用する航空会社が応分の負担をするらしい。なんだか、サッカーの移籍金みたいだが、サッカーと違うのはスター選手が渇望されているわけではなくて、普通に飛行機を飛ばせる人の数を揃えれば良いわけで、もう少しシステマティックなやりかたがあるのではないかと思う。

それでも今回のような事件が起きる。
で、思うのだが、車では自動運転の実用化が急速に現実味を持ってきている(自動運転)。「人間が運転するなんて、そんな危険なことを」と言われる時代になるのではと書いた覚えがある。

飛行機の場合、物理的な「道路」があるわけでなし、突然、歩行者が飛び出してくることもない。信号や標識は空にあるのではなくて、無線で機内に伝えられる。素人考えとでは、車の自動運転より、むしろ簡単なのでは。今でも、飛行機のオートパイロットは、実は人間のパイロットより正確に飛行機を制御するらしく、人間がすることは「目的」を定めることで、裁量の範囲で、どの高度や経路を飛ぶか、雲を避けるか否かなどを判断することらしい。

技術的には、既に2年ほど前、無人機が自律飛行で、空母からの発艦・空母への着艦を実験的に成功させている。(米海軍の無人機、空母への着艦に初成功)
陸上の基地ではもっと前から普通に無人機が運用されているわけで、空母での発艦・着艦の成功も当然のことと受け止められているらしい。

あるいは、遠隔操縦というものもある。コックピットを地上に再現してそこから操縦する。これならコックピットで事件が起きても、いくらでも対応できる体制がとれるのではないか。高度に電子化された航空機で、そこに人が乗っているからといって、そこでできることは案外限られているのではないか。

また、宇宙では、実用的な用途で使われるロケットは無人。惑星探査のような遠距離探査船ももちろん無人。遠隔制御と自律判断(ロボット)を組み合わせている。ロケットにパイロットとして人間が乗る意味など全くないのだ。ロケットに乗るのは宇宙ステーションに行く人、つまり乗客である。

新交通システムでは無人運転はあたりまえである。もっとも大阪のニュートラム事故で乗員がいないと不安ということで、事故後しばらくは添乗員(運転資格なし)を乗せていた。

パイロットがいないと不安という気持ちはわからないでもないけれど、今回のような事件があると、どっちを信用する?
昔から「人間だから間違うこともある」「機械だから故障することもある」と言われ続けているけれど。

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細かい字が読みづらくなって……

歳をとるとだんだん眼が悪くなってくる。老眼である。

ReadingGlass_R.jpg家のあちこち、そして職場に100円ショップで買ったリーディング・グラス(要するに老眼鏡)を置いてある。カバンにも入れて持ち歩いている。ペンのように背広のポケットにひっかけておけるタイプのものも購入したが、どうも耳かけがうまくなくてズレるので使っていない。
通勤電車内読書で読みにくいときにさっととりだせると良いかなぁ、と思ってペンダント型のルーペも購入したが、これも使っていない。

特に苦労するのは、゛(濁点)と゜(半濁点)の識別。昔、知り合いがPC使い始めのとき、おかしいおかしいというので何がおかしいのか見てみると、濁点と半濁点を取り違えていた。「こんなの見分けられるはずがないじゃないの」


その点、電子書籍は文字の大きさが変えられるから、老眼鏡を持ち歩く必要がない。

もっとも電子書籍のなかにはイメージデータそのままのものがあって、拡大すると行がはみ出てしまうものもある。こういうのは詐欺じゃないかと思うのだけれど。


PCの画面でも同じではあるが、うちのメインのPCはWindows8.1なのだが、画面にタッチセンサーはついていないから、ピンチ操作などはできない。画面は17.3インチと大きいのだが、ワイド型のフルハイビジョンなので、文字は前に使っていたPCのより小さい。ドットピッチは0.2mmに満たない(前につかっていたのは0.26mmぐらいだった)。
拡大できるはずのPCの画面を見るのに別に老眼鏡や拡大鏡を使うのもイヤなので、表示を拡大するソフトを使う。
Windowsのユーザー補助には拡大鏡というのがあるけれど、これを使うとデスクトップのアイコン類が再配置されてしまうので、使えたものではない。

FSCaptureMagnifierR.jpgそれで以前から使っている拡大鏡ソフトは FastStone Capture というフリーのもの。
このソフトは本来画面キャプチャのソフトで、フルスクリーン、アクティブ・ウィンドウ、任意の矩形領域をキャプチャでき、キャプチャしたら即そのイメージ編集ができるという優れもの。これに拡大鏡の機能がついている。
私はこのソフトをスタートアップに登録して常駐させるようにしている。拡大鏡の倍率は1.5, 2.0, 2.5, 3.0から選択でき、拡大する領域も画面全体あるいはポインタ周辺(100から600ドット)を指定できる。画面キャプチャや拡大鏡起動をファンクションキーに割り当てられるから、電子書籍を全画面モードで読んでいるときでも、ファンクションキーで直ちに拡大鏡を起動できる。

FastStone Captureは最新バージョンはシェアウェアらしいのだが、世の中、なかなか奇特なサイトがあって、有料化される前のバージョンを集めているところがあって(Last freeware version)、フリーのものはここからダウンロードできる。

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職場の勉強会

2015-03-27_101048.jpg今の職場では、不定期だけれど、時間外に職員が自主的な勉強会をしている。
もろに職務に関連している内容だから、本来は時間外勤務ではないかと思うのだが、そこはまぁ追求しない。
私は嘱託の身分だけれど、職員の教育も期待されているようだから、勉強会に付き合うのだけれど、若いのになかなか熱心である。

昔、同業他社の人から聞いた話では、そこではやはり職員の勉強会を時間外にやっているということだった。これも自主的な勉強会のようだったが、講師招聘費は組織の予算が使われていたかもしれない。

以上は同一職場内での勉強会だけれど、珍之助さまのところでは特定職場でなく、あちこちから若手職員が集まる勉強会をやっておられたことがある(今はどうなのか?)。組織としての正規の事業だったそうだが、参加する職員は自主参加で勤務扱いではなかったそうだ。私もおつきあいしたことがあるが、勉強会用に資料を作るのは面倒だが、自分自身の勉強でもあるし、同様の内容を使い回しして、自分の職場研修でも利用したりした。ぐうたらな私としては、そういう機会を与えてもらわないと寝たきりになる。

さて、今の職場の勉強会だけれど、ちょこっとコメントを言うのが通常だが、仕事柄、調達・調達仕様のまとめかた、というようなテーマでは1講義をさせてもらったこともある。直近の勉強会は、もっと卑近なExcelやPCの小技を職員同士で交換していた。私からも、ちょっと冷や水を浴びせておいた。
(本当はこわいExcelの話)

学校の先生の世界では「学び続ける教員」が求められるそうだが、別に教員に限らない。
(もっとも歳をとると、わかることをあきらめるようにもなるのだけれど)

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公的個人認証の民間利用

テレビCMもはじまったマイナンバー制度だが、この制度によれば「個人番号カード」が希望者に発行される。これにともない、従来の住民基本台帳カードは廃止される。

住民基本台帳カードは私も持っているし、公的個人認証(JPKI)の電子証明書も取得している(既に有効期限切れ)。遊びで自分のパソコンで電子署名を付けてみたことはあるが、結局、一度も使ったことはない。
理念的には、ネット社会で個人を特定するインフラであるのだが、税の電子申告専用というイメージだった。

そのJPKIが、マイナンバー導入で拡張されるかもしれない。
「公的個人認証サービスの民間活用への期待」(平成26年4月15日 総務省自治行政局住民制度課)という資料によると、個人番号カードには2つの電子証明書が納められるらしい。一つは従来のJPKIと同じ署名用電子証明書だが、もう一つ「利用者証明用電子証明書」というのを新設するという。
この利用者証明用電子証明書というのは、カード本人にかかる基本情報を全く含まない証明書だという。つまり、何も証明事項がない電子証明書というわけだ。

MyNumber-JPKI-crop.jpg

これはなかなかの発想、役所らしくない発想、キーペアだけあげましょう、というわけだ。
何も証明事項はないから、この証明書の機能は、同一人(カード)が利用しているということの保証だけということになる。

ネット・サービスを利用する場合、なりすましの防止が重要なわけだが、ID/パスワード方式は破られる危険を常にはらんでいる。これの代わりとして、ずっと安全性の高い手段になるわけだ。

実装方法はいろいろあるだろうが、サービス提供者がこのカードの公開鍵を使って暗号化したメッセージを利用者に送り、それを利用者がカード内の秘密鍵で復号化することで、利用者を認証するという原理である。
当然、カード内の秘密鍵はカードの外へはエクスポートできない仕様で作られるだろうから、カードをもっていなければ認証できないわけで、かなり確実な本人認証が行える。


ただ、問題もある。
この方法がネット社会で受け入れられるか、デファクトをとれるかである。
サービス提供側は、カードを持っていない人のために従来のID/パスワード方式を捨てることはできないから、単純に追加投資となる。

次に、利用者の公開鍵がサービス提供者に保持されるわけだから、これを使って名寄せができることになる。いろんなサービスに同じIDを使っているのと同じわけだ。

それではということで、シングル・サインオンを別事業者がサービスするというアイデアもある。
つまり、

各サービスは従来どおり、ID/パスワード認証を行うが、そのID/パスワードはシングル・サインオン・サービスから提供する。
ユーザーはシングル・サインオン・サービスの利用にあたって、電子証明書を使った本人認証を受ける。

という仕掛けである。公開鍵がシングル・サインオン事業者に集まることにはなるが、実体サービスにおいてはユーザーの名前やクレジットカード番号といった実社会にリンクした情報が管理されるのに対し、公開鍵だけを集めてもそうした実社会にリンクした情報はないという点が違うわけだ。

もっとも、シングル・サインオン事業者は、ID/パスワードを全部知っているわけだから、ID/パスワードをそれぞれのサービス提供者の鍵で暗号化したうえで預けるとか、パスワードは別管理にするとかしたほうが良いかもしれない。あるいは、シングル・サインオンだけに頼らず、実体サービス側が、自身が保有するユーザー情報(シングル・サインオン事業者が持っていない)を使って利用者確認するなども考えられる。


しかし、良く考えるとなんのことはない、私が使っているパスワード管理ソフト(無料)のように、自分が全ID/パスワードを管理するのとたいして違わないから、サービスとしてあまり魅力はない。それに、カード利用前提だと、スマホでは使えないし。

やっぱり絵に描いた餅か。
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つぶれるまえに

つぶれるまえに(私が?、店が?)、また同じような写真をアップ。
昨夜の一杯目は、たしか青森の酒。(獺祭は売り切れ。)
genge150326s.jpggenge150326bs.jpg

前に、東京からのお客さんと行った、K鉄Y駅前の店
今回は、この3月末で、某大学を定年退官される先生と。

店に入った17:50頃、1組2人の客がいたので、われわれ3人組は2組目の客。
前回と同じ奥の席に座ろうとしたら、こちらにお願いできますか、と中央付近の席を案内されたので、予約が入っているのだろうと思ったのだが……
結局、店を出るまでこの2組だけ。
我々が先に出たから、その1組だけが残っていたことになる。

前回は、22:00まで私の組だけだったから、それよりはましといえばましだけれど。
本当、大丈夫か、この店!?
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お米と食の近代史

okometoshokuno.jpg大豆生田稔「お米と食の近代史」という本を読んだ。
著者の名前が、いかにもという感じで、ペンネームかと思うほどだが、どうやら本名らしい。

江戸末期から明治(といってもデータがあるのは明治)の米の、主として流通にかかわる話である。米が歴史を動かしたというような話でも、秘話のようなものがあるわけではないのだが、米が余るというか、米への執着が弱くなった現代では、忘れてしまったような話が丁寧に記述されている。

我が国では、米はずっと足りていたように思っていたのだが、長い間、米食はあこがれで、実際には麦や粟などの雑穀を食べていたから消費量が少なかっただけのようだ。
明治以降、国民が次第に豊かになるにつれ、米は不足しており、海外からの輸入に頼っていたという。朝鮮米は日本の米を移植したため、食味が日本米と同様だが、東南アジアはインディカが多く、近年の大不作でもあったが、外米はきらわれたようだ(カレーライスで食べるのが良いそうだ)。
輸出入は海外情勢に大きく影響される。たとえば第一次世界大戦時は日本以外には輸出できなかったインドや東南アジアの国々が、大戦終了後は、高値で売れるヨーロッパ輸出へ転換して、日本はほとんど輸入できなくなったそうだ。

興味深いのが、産地ごとの米の品質問題。

・乾燥が足りない(→重量が増えるが、腐りやすい米になる)
・砂などの異物が混入する
・俵装が雑で漏れる

というような粗悪な米が出荷されていたという。
当然、こうした米は市場では低いランクで高値がつかない。しかも、それは産地全体としての評判を落とす結果になる。

江戸時代には、藩の威信のようなものがあってか、自国米の品質を厳しく管理する藩が多かったが、維新後、それが崩れて、たとえば加賀米は江戸時代には上級の評価であったものが、明治に入ると一気に劣等米へと評価を落としたという。
このため、各県は農家や米商を指導して、市場で評価されるものにしよう、ブランド・イメージを確立しようと努力したという。
ところが、その施策が成功して、せっかく評価を上げても、しばらくすると、また前のように乾燥不足、異物混入、粗悪俵装がまかり通るようになる。生産者・流通者が、手間を惜しみ、姑息な儲けに走る。その繰り返しであったという。職業倫理も何もあったものではない。

今その状態ではないかと疑われるのが中国。中国製品の品質の悪さがしばしば話題になる。

最近のニュースで、EUが危険な製品として指定した2500点のうち、半分以上が中国製だという。私の身近なところでは、使い捨てライターのほとんどは中国製だと思うが、火のつきにくいもの、炎の調節がおかしいものなど、ばらつきがはげしい。
検査を徹底したのに品質が良くならない、調べると測定器の品質が悪かったという笑えない話もあるようだ。


対して、日本製品は品質管理が行き届いたものの代表のように言われているが、以前は、日本製品は粗悪品、"made in Japan" は品質の悪い安物というイメージという時代があった。

外国テレビドラマで、海外(日本ではない)での仕事を終えた主人公が、土地のみやげを本部へ持って帰ったら、"made in Japan"と表示されていて顰蹙を買うシーンがあったことを覚えている(日本放映のために脚色していたかもしれないが)。
また、学校の社会科の授業で、第一次世界大戦のときに、戦場になっていない日本から輸出された製品が極めて粗悪だった、たとえば洋服のボタンを糸でとめず糊付けして誤魔化したなどの話を聞いたことがある。


つまるところ、日本人が誠実になったのは、実は、そう昔のことではなかったということだ。
これも教育(学校教育だけでなく、企業の社員教育も含め)の成果に違いない。
(とはいってみたものの、東洋ゴムの偽装問題を聴くと、日本もまだまだなのかもしれない。)

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火山の山頂でも携帯がつながらないといけないのか

20150323-00000004-asahi-000-1-view.jpg朝日新聞によると、

気象庁が常時監視している47活火山の山頂63地点で大手3社の携帯電話が全てつながるのは4割あまりの28地点にとどまることが各社への取材でわかった。9地点では3社とも通じなかった。


事実を淡々と伝えている文章ではあるが、記事として取り上げると、携帯が通じないことが問題であると主張しているように思えるが真意はどうなんだろう。

10年ぐらいまえのことだが、知り合いが休暇をとって山に行ったとき、携帯に着信があってびっくりすると同時に、ここまで追いかけるか、とあきれていたことがあった。当時は、つながらないところがあるのがあたりまえだった。

記事は続けて、

御嶽山噴火を受け、気象庁は携帯電話で登山者に噴火情報を提供する予定。専門家は「国や自治体、登山者は何通りもの伝達方法を用意すべきだ」と指摘する。


情報の性格上、プッシュ型サービスが良いから、携帯電話での情報提供ならエリアメール(セル・ブロードキャスト・メッセージ)のイメージなのだろう。しかし、

・基地局が必要だが、山の陰なども全部カバーするなんてできるのだろうか。
・衛星携帯電話ではエリアメールは無理だろうな。
・テレビの電波に載せるというのもありえるな。
・携帯へのメッセージに気づかないこともあるだろうから、防災無線のスピーカーを置くことも必要かもしれない。
・ドラえもんの「望遠メガフォン」(ゼロックスのTV CMでおなじみ)で山裾から山頂に警告を発射するのも良い。

といろいろ妄想はつきないが、住民の暮らしに直接影響する場所は既にいろいろな対応がなされているはず。
お前は山が趣味じゃないから言えるんだろうという批判を覚悟で言うのだけれど、この話は、人が居ないところ、行く必要もないところにサービスを整備するということでは。
そこへ行く人が、そこで使える手段を確かめて準備する、そういう手段がないところは、そのリスクを踏まえて、行くか行かないか判断する、というのが普通で、無いなら用意しろというのはどうなんだろう。もちろん登山者が整備費用を負担するなら話は別だが。

携帯キャリアがニーズもないところに基地局を整備するとも考えにくいから(ラッシュになるような山は、もう整備されているだろうし)、補助金を出すことになるのかもしれないが、そっちが優先して、火山警報体制(先日、インドネシアの事例がテレビで紹介されていた)や、火山観測システムへの投資が割を食わないか、公共投資として行われるなら、優先順位は、そっちの方が高いと思うのだけれど。
それにそっちができないと、伝達すべきコンテンツもできないのだし。

次は、携帯に充電できるように、山頂まで電気を引いてくれと言うのだろうか。
(携帯の基地局ができたら、そこからおすそ分けできるだろう、めでたしめでたし)
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YSP-2500 総合評価

昨日に続いてYSP-2500、今日は音楽を聴いた時の評価を中心に、総合評価というような感じで書いてみる。

昨日も書いたが、フォン・オッターのカルメンだが、音はくっきりし、拡がり感がある。しかし、音に艶というようなものが欠ける感じである。
他の音源はと考えて、「題名のない音楽会」は5.1chサラウンドだったことを思い出して、録画で残っているものを視聴。
また、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも試してみたが、サラウンド(つまり会場に居る)という雰囲気は乏しい。ただ、細かい音がよく拾えていて、そこは気持ちよい。

テレビは10年近く前のものだが、音は比較的ましなものだ(最近のものは薄型にするため音を多少犠牲にしているという話を聴く)。しかし、やはりYSP-2500の音と比べると、質が違う。当然だが、YSP-2500の方がくっきりとしていて、繊細感があるし、サブウーファーがついているので低音も充実している。

JuliaFischer-Bach.jpgと、こう書いてくると、良いスピーカーのように読めるが、ピュアオーディオと比べると、それはもう全然、足元にも及ばない音である。

前に書いたBlu-ray Audioのラヴェル管弦楽曲集を再生してみると、たしかにステージが広がって、小さな打楽器がここでなっているという感じははっきりとわかるのだけれど、なんだか音がむしろステージの奥に引っ込んでいるような感じ。2チャンネルのピュアオーディオで聴く音の方がずっと生々しく、前に出てくる。

SACDにもサラウンド録音のものがある。ザカリアスのモーツァルト/ピアノ協奏曲を再生してみた。音が全く前へでてこない。音質はたしかにテレビのスピーカーとは別物で悪くないのだけれど、ピュアオーディオには全く及ばない。
どちらも5.1chのハイレゾ音源なのだが、こんなものかとがっかりする。

ところが、ユリア・フィッシャーのバッハ無伴奏のSACDを再生してみると、これが、結構生々しく響く。ダイナミック・レンジもはっきりと広くなる。指が指板の上を動くかすかな音までわかる。さすが、ハイレゾ時代の音響機器という感じがする。

Michala-Petri.jpgそれでは、ということでミカラ・ペトリとラース・ハンニバルによるバロックの二重奏のSACD(パケ写より写りの良い写真をアップしておく)。これも本当に広がりがある、というか同じ部屋の中で演奏してもらっている気分。

そして、一番感心したのは、武満徹「秋庭歌一具」のSACD(パケ写下)。演奏している場の奥行と幅が見事に再現され、素晴らしい。

で、考えた。
そもそもDTSとかDolby digitalとかいうサラウンド・システムって、映画館のために開発されたものではないかしら。
YSP-2500は映画館の音は良く再現している、あの強調された低音や金属的な、腹にこたえる音。

映画館より良いと思うのは、自分で音量を調整できること。映画館では見終わったあと、あの音響に疲れ果てるという経験をすることが多いのだけれど、それをコントロールできる。


独奏や小編成の室内楽はなかなかの音が出るのに、オーケストラがもう一つ。
これは、演奏会場を再現する録音ノウハウが未だ成熟していないということなのかもしれない。
shuteigaichigu2.jpg特に、前述の素晴らしい「秋庭歌一具」は、演奏会を収録するというのではなく、サラウンド録音の可能性の追求も意図して制作されたのではないだろうか。

ということで、独奏や室内楽を楽しむならまだしも(音の艶はやっぱりピュアオーディオ)、オーケストラを楽しむなら、やはりYSP-2500には少々荷が重い。音はそう悪くはないよ、けれど、という感じ。
もっとも、我が家の大して高価でないオーディオセットでも、スピーカーだけでも3倍以上、アンプ、サブウーファーを含めると5倍以上の価格である。比べるほうが間違い。(ピュアオーディオが負けちゃそれはそれで悔しいでしょう。)

それなら、リビングのオーディオセットでテレビの音も流せば良いじゃないか、となるのだけれど、残念ながら、我が家のリビングでは場所の制約から、テレビとオーディオは90°方向が違うので、そういうわけにはゆかない。
(それにピュアオーディオ機器でテレビの音を聴くのも実はがっかりしたりする。)


買ってよかったかと自問すると、まぁ、良かったのではないだろうか(そう思わないとやってられません)。
テレビの音をもっと良くしようというニーズには十分答えているし、ど派手な音響を収録した映画はたしかに大迫力で楽しめる。

購入動機は、前に書いたとおり、フォン・オッターのカルメンを、ブルーレイの品位の画像と音で楽しみたいで、これについては不満は残るのだけれど、まぁ、テレビのスピーカーで聴くよりは良いということで納得。
そして、自分への言い訳である。老い先もそう長くはないし、これから聴力はどんどん落ちていくだろうから、良い音を楽しめるのも今のうちだ、とね。
(オーディオ部屋のテレビ買い替えが課題として残ったままだ。)
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映画館の再現~デジタル・サウンド・プロジェクター

wagayanoysp2500.jpgYSP-2500の三回目。写真は見苦しい我が家でセットしたところ。
さて、いよいよYSP-2500の音の評価を書こうと思う。ただし、デジタル・サウンド・プロジェクターは、設置環境が決定的に重要なので、あくまでも我が家での評価である。
(昨日書いたが、我が家の設置環境はかなり悪い方だと思う)。

製品付属のサラウンド・チェック用DVD。周囲を囲むジャズ系音源、雨の音や、林の中の鳥の声、街角の音などが収録されている。
ジャズ系音源ではテレビ画面にどこから強い音が出ているかの表示があるようだが、はっきりいってそのようには感じられない。他の音源ははじめに2ch、続いて5.1chが流れるのだが、あきらかに5.1chのほうが音の広がりを感じる。

ネット評では、雨に囲まれているというか部屋の中で雨が降っているように感じるとまで書かれているのだが、たしかに左右から聞こえ、多少はそういう感じがするが、後ろから聞こえるかは微妙。対して街角の音は、最後のほうで、うしろから車が近づく音が聞こえた。たしかに少しはサラウンド効果が出ている。

何より購入の動機づけとなった、フォン・オッターのカルメンのブルーレイ。テレビに比べて、音はくっきりし、拡がり感がある。まぁ、こんなものかな。しかし、ボーカルが少しさびしい、フォン・オッターの艶やかな声が堅く感じる。
音楽(クラシック)での評価は、なかなか難しく、ソースによって随分違うので、まとめて別稿にする。

テレビやビデオの音楽ソフトを楽しむために購入したわけだが、テレビを見ていると、5.1chサラウンドで放送しているのは音楽番組だけではない。
今、ちょうど、選抜高校野球を中継しているが、NHKは5.1chサラウンドで放送している。
これはなかなか臨場感が出る。どこで試合を見ているという設定なのだろうか、音から感じるのは、バックネット裏に居るような感じである。

DSPという音質調整機能がついていて、映画系でSFX、Adventure、Spectacle、音楽系でMusic video、Concert、Jazz clubという設定があるのだけれど、これらでの音場の変化はかなりある。Spectacleというのが一番、サラウンドっぽくなるように思う。

結局、なかなか面白いおもちゃには違いない。

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久しぶりのフェスティバルホール

20150321festivalhall.jpg昨日は大阪フィルハーモニーの定期演奏会で、久しぶりにフェスティバルホール。

2年ぐらい前、新ホールのお披露目公演のシリーズの一つに行って以来。
それ以上に大フィルの演奏会というのは、何十年ぶりだろう。

大フィルが嫌いということもないのだが、昔の記憶では、大フィルは大きな曲をとりあげることが多くて、結果的にあまり縁がなかった。

今回は、ブラームスのバイオリンとチェロのドッペルコンツェルトと、ドボルジャークの交響曲8番。どちらも全く聴いたことのない曲。そして、特別大きなオーケストラというわけではない。

ブラームスは昔「新古典派」などと言われたこともあったようだが、どう聞いてもロマン派。
つまりあんまり趣味じゃないわけだが、といって聴けば悪いものではない。ソリストも結構のっていたと思う。
バイオリンもチェロも、協奏曲の後にアンコールをサービス、どちらもバッハの無伴奏。なかなか良かった。

20150321festivvalwine.jpgドボルジャークは「新世界より」だけのように思っていたが、考えれば「新世界より」は9番という番号がついているわけで、当然、8番があってもおかしくない。金管の使い方はいかにもドボルジャークだし、木管も民族楽器風にならすところ、やっぱり「新世界より」のニュアンスを感じる。
ブラームスもだったが二管編成なので、決して巨大オーケストラではない。ただし、ドボルジャークではトロンボーン3、チューバ1が加わるほか、コントラバスが4→8と倍になり、他の弦もすべて増量されていた。

休憩時間にはワイン。

そして、たばこ。写真はフェスティバルホールの喫煙場所。
こうしてみるとなかなか美しいスペースだ。

20150321festivalsmoke.jpg




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デジタル・サウンド・プロジェクター

YSP2500PRimage.png一日おいたけど、予告どおり、デジタル・サウンド・プロジェクター YSP-2500について。

この機械はその方式上、設置条件が厳しい。奥行、幅が3~7m、天井高が2m~3.5mの部屋でないといけない。また、設置場所と視聴場所は1.8m以上離れていなければならない。
我が家では、リビングの長手方向の壁にテレビを設置していて、奥行がぎりぎり3m超である。また、テレビと通常の試聴位置を測ると、これもぎりぎり1.8mであった。窓にはカーテン(レースと厚手の二重)がかかっているし、テレビ横にあるダイニングに通ずるドアは通常開放している。かなり厳しい条件だと予想。

設置自体は極めて簡単、テレビの前にYSP-2500を置き、HDMIケーブルをつなぐだけ。YSP-2500は脚の高さが調整できてテレビの足を跨ぐには十分の35mmぐらいの高さが確保できる、というのだけれど、うちのテレビの足の間隔がほぼYSP-2500の幅に同じで、跨ぐということはどちらかへ偏るという状態だったのは誤算。

で、肝心のサウンド・プロジェクションの調整だが、付属の「インテリビーム・マイク」というのを使って自動調整する。スピーカーとの距離が1.8m無いなど、条件が悪いと自動調整がエラーになると説明されていたので、びくびくしながらやってみたのだが、無事に調整終了。夜中にやったので分厚いカーテンを閉じた状態だが、調整自体は無事終了。
部屋の条件が変わる場合などに使える設定メモリーが付いているのだが、これが3つだけというのは困る。カーテンの開閉だけで2つあるわけだが、ドアの開閉状態も記憶したいので、最低4つは欲しいところ。YAMAHAも変なところをケチったものだ。

YSP-2500はこのシリーズの最新型だが、私としては古くても良いから安いので良いと思っていたのだが、ネットで評価を見ていると、サウンド・プロジェクションという面はともかく、オーディオ機器としては旧製品よりずっと良くなっているという評があるので、ちょっと高いけど、このタイプにしたわけだ。

焦らすようだが、音の評価はまた明日。

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米朝さん逝く

jigokubakkei.jpg今では、昨夜になったが、テレビのニュース番組を見ていたら、米朝さんがお亡くなりになったことがテロップで流された。

米朝落語大全集の「地獄八景亡者戯」(YouTubeにリンク)の中では、地獄にも寄席があって、
「桂米朝、近日来演」(クリックで該当箇所を再生)と宣伝されているというくすぐりが入っていたのを思い出す。

このところ歌舞伎や演劇の名優・名人が次々に鬼籍に入っておられる。
地獄八景によれば、地獄の芝居・寄席では、さぞかし賑やかに名演が催されていることだろう。

しかし、此岸のわれわれは、あまりにさびしい。
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サラウンド・ステレオ

YAMAHAのデジタル・サウンド・プロジェクターという機器を購入した。
以前、フォン・オッターのカルメンのブルーレイをリビングのテレビで見るのに、音を少しは良くしたい、デジタル・サウンド・プロジェクターを買おうかと書いた、その機器である。
(珍之助さまは、テレビの買い替えを推奨されたのだけれど、以前からの興味もあってこっちを選択)

この機器の評価はあらためて書くことにして、今日は、サラウンド・ステレオというものについて。

Quasi4channel.jpg学生の頃、4チャンネル・ステレオというのがちょっと流行ったことがあった。本格的な4チャンネルは音源自体が、FL(フロント・レフト。以下同様)、FR、RL、RRの4チャンネルあるもので、今のサラウンドにつながるものだったと思うが、その他に、疑似4チャンネルとして、もともとL、Rの通常の2チャンネル・ステレオ音源を、リア・スピーカーにも振り分けるものもあった。Wikipediaにも書かれているが、要するに、FL、FRはもとのL、Rで、RLは [L-R]、RRは [R-L]の音が出る。配線だけでできるので、私もやってみたことがある。

これを私に教えてくれた人は、疑似4チャンネルに明確な意図を持っておられた。要するに「音が前へ出てくる」のが好きだという。当然、リアにスピーカーを配置しているわけだから、音は前へ出てくる。それが音に包まれる感覚になる。
ただ、もちろん音は前へ出てくるのだけれど、なんだか本来のステレオ録音とは違うような感じがしたし、良いスピーカーを使うと、そんなことをしなくても音は前へ出てくるので、面白がってやってみたものの、すぐにやめた。

今では、サラウンドには、DTSとかDolby(私の世代はDolbyといえばテープレコーダーのノイズリダクションの代名詞だったが)など、複数の方式があるようだ。また、5.1ch、7.1chというようにスピーカー数も増えている。
DVDやブルーレイ・ビデオの映画系ソフトの多くはサラウンドになっている。
となると、音源のすべてを再生する、つまりサラウンド・システムを導入したいという思いが募るのだけど、リビングではリア・スピーカーを置くのが難しいし、配線もうっとおしい。

SurroundHeadphone.jpgで、手軽にサラウンド体験をしてみようと、サラウンド・ヘッドフォンというものを購入したことがある。サラウンド効果ねぇ、鳴るよ、たしかに。音が右左に動く感じはわかる。

しかし、今までも何度か書いたように、私はヘッドフォンはあまり好きじゃない。圧迫感がいやだし、このサラウンド・ヘッドフォンは写真でわかるように結構嵩高いもので、少々重くもある。
さらに、音が動く感じはわかるけれど、音に包まれているというような感覚は得られなかった。理屈から言えば、ヘッドフォンでも十分音場再現はできそうに思うのだけれど、なぜかそうは感じない。
ということで、このヘッドフォンは、今は家のどこかで眠っている。

今回のデジタル・サウンド・プロジェクターの購入は、大袈裟に言えばサラウンドへの挑戦の3回目ということにはなるが、簡便さからいえばヘッドフォンと同等、実に安易な方法をとったわけだ。

周知のとおり、この製品は、たくさんの小さいスピーカーを使って、部屋での音の反射をコントロールするという技術である。いわゆる疑似サラウンドとは違う。部屋の条件さえよければ、リアスピーカーを配置した本来のサラウンドに近い状態を作れるというふれこみである。

この逆の製品がある。アレイマイクという。これはたくさんのマイクを並べて音を拾うもの。オーディオ編集ソフトにはバックグラウンド・ノイズを取り除く機能がついているものがあるが、これらは適当なノイズパターンを単純に引き算するだけのようだが、アレイマイクは、たくさんのマイクで音を拾って、反響(マルチパス)と判断できるものを取り除く技術のようである。
実は、前の職場でテレビ会議を導入したとき、会議室の音響効果が良くないもので、普通のマイクだと、しゃべっている人の声が聞き取りにくく、実用に耐えなかった。そこで結構効果なアレイマイクを導入して、なんとかテレビ会議がそれらしくできるようになったことを経験している。

録音には、演奏会場で実際に発生しているマルチパスが含まれているはずである。それが会場の音というものだ。サラウンド・システムとは、考えようによっては、演奏会場のマルチパスを家庭で再現すると言えるのかもしれない。

さて、期待どおりの効果が得られただろうか、焦らすようだが、それについてはあらためてアップする。
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道鏡

NHK大河の「花燃ゆ」が不調だそうだ。
幕末青年群像を描くドラマとして、文の眼を通して生き生きと描かれていて、それなりに楽しめる作品だと思っている。(心配なのは、久坂や高杉が死んだあとどうするの?)
まぁ、NHK大河が年度途中で打ち切りになる心配はなさそうだから、別に視聴率を気にしなくても良い。

昔、「勝海舟」で渡哲也が勝らしくないと批判されて降ろされたことがあったが、文の場合、ほとんどの人は文についてイメージをもっていないから、そういう批判が出るはずもないし。


閑話休題。
昨日稿では美坊主をとりあげたが、道鏡は美坊主だったという説がある。
その線で大河に「道鏡」をとりあげてはいかがだろうか。

NHK大河ドラマで一番古い時代をとりあげたのは「風と雲と虹と」―平将門、平安中期である。
「大河ドラマの時代」参照

それ以前の時代は、1年の長丁場を持たせる自信がないのか、国民になじみがないと視聴率を期待できないのか、未だ取り上げられていない。
前にも書いたように、里中満智子「天上の虹(持統天皇物語)」などは、1年では短かすぎるぐらい中身が詰まっている。作者が「あと1巻で完結」と予告しているから(といってもいつのことかは)、完結を待ってで良いから、取り上げてもらいたいものだ。(持統天皇は真木よう子あたりが凄みがあって良いのでは。)
古代史でもしっかりした(歴史考証がという意味ではないが)原作はいくらでもある。

ただし、大河ドラマ以外(スペシャル・ドラマ?)では、古い時代を取り上げたものはちょくちょくある。
民放でも、テレビ朝日が「額田女王」(原作:井上靖)を取り上げたことがある。
NHKでは、古代史シリーズという括りがあるようで、時代の古い順からあげると、

・「聖徳太子」2001年
・「大化改新」2005年
・「大仏開眼」2010年

と、時代順と放送順が一致している。
  NHKshotokutaishi.jpg  NHKtaikano.jpg  NHKdaibutsu.jpg

で、「大仏開眼」では孝謙女帝(石原さとみ)の即位あたりで終わるわけだが、
孝謙(称徳)女帝とくれば連想されるのはやはり道鏡でしょう。

AngoDokyo.jpg坂口安吾に「道鏡」という短編がある(青空文庫・Kindleから無料ダウンロード可)。
この短編では、姦通は否定していないが、それは女帝が淫乱であったからで、道鏡はそれに逆らえない、清純で、学問に熱心な美青年(美坊主)として描いている。政治には無関心で、政治的野心もなく、ひたすら仏法修行に務める僧となっている。また、道鏡は天智天皇の孫という説に立っている。

NHKの「英雄たちの選択」という番組で、道鏡をとりあげていたが、道鏡の豊かな学識について触れていた。ただ、最近の平城宮の発掘成果により、天皇と同等の儀式を法王たる道鏡が行ったと推測されるなど、安吾の小説でいうようなまるっきり政治に無関心というわけでもなかったようだ。ただ単純に、悪人とかエロ坊主というとりあげかたではなかった。

そもそも番組名からすれば、道鏡を英雄に列しているわけだ。よくNHKの会長や経営委員が文句をつけなかったものだ。


また、称徳女帝崩御後、道鏡は下野薬師寺の別当に「左遷」されたというが、下野薬師寺は、奈良の東大寺、筑紫の観世音寺と並ぶ「本朝三戒壇」であり、他に戒壇を持つ寺はないほどの重要な寺であるから、左遷というのはあたらないという批判がある。そもそも相手が女帝であろうと誰であろうと、女犯は破戒であるから、それが事実認定されたなら、当時なら僧籍が剥奪されるだろうとも言われている。

道鏡は、平将門、足利尊氏と並び、日本三悪人の一人とされる。後の二人は天皇に逆らった「逆臣」であり、道鏡は天皇と姦通したとんでもない男ということである。(これは孝謙女帝を、ひいてはその父帝聖武を貶める話で、それこそ不敬だと思うのだがいかがであろう。)

shoutokuetdokyo.jpg従来、道鏡の画像なるものは、精力絶倫の脂ぎったエロ男に描かれている。
川柳では「道鏡はすわるとひざが三つでき」と、巨根伝説が付随する。
こんなのもあるそうだ:

「道鏡に根まで入れろと詔」
「道鏡に崩御崩御と称徳言い」 
(つい悪乗りしてしまった)。


弓削道鏡は私の職場があるY市の出身であり、道鏡が羽振りが良かった頃は、Y市あたりは「西の都」と言われたという話もあるようだ。
しかし、後世、こういう話が流布されてか、道鏡の出身地元での人気はいま一つ。Y市からこんな極悪人を出して申し訳ない、そいつがここにいたら石をなげてやりたいというところか。戦時中、Y市弓削出身であるというだけで不敬だと殴られたというひどい話もあるらしい。
三悪人でも、他の二人は勇壮な武士だから英雄視する向きもありそうだが、道鏡は、姦通と巨根という淫靡な言葉に塗れているためか、口に出すのもはばかられるという扱い。

将門も、尊氏も、NHK大河ドラマの主人公になったのに、三悪人の中で、道鏡だけがまだ取り上げてもらっていない。
一年間の主役は務まらないかもしれないが、賢く、涼しげで、女帝とは純粋な愛で結ばれる道鏡をスペシャル・ドラマにしても良いのでは。(私は読んでないが、黒岩重吾の小説もある)

ichikawaraizouyousou.jpg調べると、過去に映画になったことがあるようだ(「妖僧」)。道鏡を演じるのは、あの市川雷蔵である。荒唐無稽な脚本だったようだが、雷蔵がそんな下卑た淫乱坊主になるはずがない。

孝謙女帝は石原さとみが続けても良いし、宮沢りえも良さそう。清純そうで乱れたら怖そうな感じ。
道鏡は、雷蔵というわけにはゆかないから、男と女が逆転したという設定の「大奥」で、知的で将軍(女)を愛する役を演じた堺雅人(既に雪村が決まっているから無理か)が良いかもしれない。
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美坊主

bibouzuzukan.jpgbibouzu.jpg昨年のことだが、仏教の本場奈良で、お坊さんのファッションショーが開かれたと伝えられていた。
モデルは、なんでもイケメンの坊さんで、全国からの選りすぐりだということだった。

最近もイケメンの坊さんに人気とかで、「美坊主図鑑」という本が紹介されていた情報番組を見た。
「美坊主」である。美少年、美青年はカビが生えた言葉だけれど、「美坊主」とは何ともフレッシュ。

寺ガールというのもこの頃増えているそうだ。
神社仏閣を訪れることを趣味とする女性を指すらしいが、寺ガールが、美坊主にキャーキャー言うようになったらスゴイ。

と考えていると、昔見た古典文学を紹介するテレビ番組を思い出した。
「枕草子」を紹介するもので、その一節「説教の講師は」をとりあげて、現代風に脚色して、マンガと現代口語(ギャル語?)訳をつけていたもの。

NHK100min.jpg
説教の講師は、顔よき。講師の顔を、つとまもらへたるこそ、その説くことの尊とさもおぼゆれ。ひが目しつれば、ふと忘るるに、にくげなるは罪を得らむとおぼゆ。

(仏教の講師は、顔がよくないと。講師の顔をじっと見守ってしまうくらいだと、お話も尊く思われてくるわよね。わき目をふると、すぐ忘れちゃうから、醜いのって罪なんじゃないかしら。)


昔見た番組が何だったかは解らなかったが、調べると「100分で名著」というNHKの番組があって、これもこの話をとりあげたらしい(写真)。

江戸時代には、大奥女中が美僧と密通した事件とかもある(こっちはちょっと淫靡な感じがしてしまうが)。

女犯は破戒です。いくら女房衆がキャーキャー言っても、親鸞の前の時代に、妻帯する坊さんなんかいなかっただろうなぁ。というか、坊さんが妻帯しているなんて日本だけだ、というような話を聞いたことがある。
(理趣経というのもあるけど)
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縮む世界でどう生き延びるか?

chidimusekaideikinobiru.jpg長谷川英祐「縮む世界でどう生き延びるか?」を読んだ。
この本では2つのことが印象に残った。

一つは、ヒトは2つの「世界」に属しているということ。
通常、生物は自分の生きている世界(社会)は「個体-コロニー-生態系」と考えることができる。ヒトはこれに加え「社員-会社-経済社会」というもう一つの世界を生きている。
この2つの「生き方」は分裂しがちだということが注意されるが、分裂していること自体にはそれ以上の突っ込みはしない。これは一つの伏線であって、生態系と経済社会はパラレルに考えることができるというのが、経済学素人と自称する著者の主張として、後に浮かび上がってくる。

もう一つは、本書のテーマである、「膨らむ世界」と、「縮む世界」の対比である。
膨らむとか、縮むというのは、その場所に住む特定種の個体群に注目して語られるのだが、生物学の知見として、どちらのタイプの世界になるのか、それを分ける要因、メカニズム、典型的な帰趨の観察事実と予測が語られる。

膨らむ世界で生きる生物は、繁殖速度が速く、短命であり、不安定な環境に適応しており、縮む世界の生物は、繁殖はゆっくりで、長生き、安定した環境に適応しているという。
膨らむ世界の典型例は、めったに雨の降らない砂漠にいきるカエルやエビの仲間。雨が降ると一気に繁殖活動(卵を産む、卵から孵ってすぐ卵を産む)を高速で行う。また、卵には一度の降雨で孵るもの、複数回の降雨で孵るものがあり、一度の降雨が少量のため繁殖完了ができないケースも想定して、一斉に死滅するリスクを避けるようになっているそうだ。
縮む世界の典型例は、極相林で、林床に日がささず他の光合成植物が繁茂できない世界。あるいはシーラカンス。

筆者は、進化は生物界だけのものではない、遺伝、変異、選択が存在するものには適応進化が起こるとする。
つまり、これらがあてはまる(同じ構造をもつ)なら、経済社会においても適応進化が起こるという。
これは類推適用ではなく、遺伝、変異、選択からなる数学的モデルなら、その挙動は当然同じものになるということを意味している。(個、群れ、社会、そして諸々の条件を数学的モデルとして記述してしまえば、あとは数学的・論理的帰結になる。)
本書は一般向けに書かれているから、特に数学的モデルとして解説されているわけではないが、専門書・論文では、おそらく厳密な(プレイヤー定義や環境条件の緻密な)数学的モデルの提示がなされているのだろう。

hatarakanaiariniigi.jpgなお、著者は本書に先だって「働かないアリに意義がある」を著している。働かないアリができるメカニズム、その効用を解説している(やはりバックには数学的モデルがあると思う)。本書でもこのことが随所で参照される(先にあげた卵の孵り方の違いも実は同種のメカニズムである)。

で、こういう本を読むと思う。
生物学者がその知見のいくつかが経営にもあてはまるところがあるというのは面白いのだけれど、経営コンサルタントとかがビジネス本で組織論や経営論、人材育成などを述べ立てるときに(自説に都合の良い)生物学的知見を引っ張り出してくるのは違うとおもうのだ。
言い古されたことだが、科学は反証可能でなければならない。生物学的知見は、それを成り立たせる条件やその解釈がきちんと吟味された(その適否はともかくとして)科学的と言いうる知見で反証可能な仕上がりであるのに対し、ビジネス本の著者の言説は(条件は曖昧で解釈は多義的な)占い師のそれのようなものだからだろう(私のこの文章もそうだけど)。

ビジネスのヒントが欲しい人もご一読を。
その判断の参考になるかもしれないので、著者の意見を2つだけ紹介しておく。

・草食系は縮む世界への適応かもしれない
・生物界では個体の利益を損ねる組織は存在しえない
 (だからヒトは2つの世界に分裂して属しているといわざるを得ないのか)


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朝三暮四

3月もなかば、昔、公務員には年度末の3月にもボーナスが出ていた時代があった。
0.5ヶ月分程度だったというが、国民からは怨嗟の声。曰く、


公務員は年3回もボーナスが出ている、けしからん。


なので、制度が変更され、年度末のボーナスは廃止された。
その0.5ヶ月分は、その年度の6月、12月に前倒しで支給されるようになった。

衆皆伏して喜ぶ。めでたし、めでたし。


四字熟語に「朝三暮四」というのがある。
その意味も来歴も、国民には良く知られていると思う。

そしてその行動も、その故事のとおりである。
宋有狙公者。愛狙、養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲
俄而匱焉。将限其食。恐衆狙之不馴於己也、先誑之曰、与若芧、朝三而暮四、足乎。衆狙皆起而怒。俄而曰、与若芧、朝四而暮三、足乎。衆狙皆伏而喜

宋に狙公なる者有り。狙を愛し、之を養ひて群れを成す。能く狙の意を解し、狙も亦公の心を得たり。其の家口を損じて、狙の欲を充たす。
俄かにして匱し。将に其の食を限らんとす。衆狙の己に馴れざらんことを恐るるや、 先づ之を誑きて曰はく、若に芧を与ふるに、朝に三にして暮に四にせん、足るかと。衆狙皆起ちて怒る。俄かにして曰はく、若に芧を与ふるに、朝に四にして暮に三にせん、足るかと。衆狙皆伏して喜ぶ。


sarunomure.jpg




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ようやく紅梅も咲いた

koubai150314.jpg
南高梅に遅れること2週間、ようやく紅梅が咲いた。

既に南高の花は半分以上、散っている。
これでは南高はうまく受粉しないかもしれない。
(紅梅の方は十分だけど、もともと花が少ない)

ということで、今年も梅の実は少ししかつかないと予想。

そういえば近所でオリーブを植えている家が何件かあるが、オリーブが実をつけないと言っていた。オリーブも多くの品種では、多品種との受粉が必要らしい。オリーブは梅とは違い、風媒花だそうだから、風向きが悪いのだろうか。

実がつかないと困るということはないのだけれど。

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本日、休刊日

本日は13日の金曜日ということではなく、恒例の休刊日のため、サービスショットのみアップ。

OtterDanceLesson1.png   OtterDanceLesson2.png
フォン・オッター ダンスのお稽古

そして本番
OtterCarmenAct2-1.png

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大阪府教育長辞任

powerharanakahara.jpg前にとりあげたパワハラ教育長が、結局辞任するようだ。

市町村教育委員会からも「毅然たる対応をとるべき」などと批判されていたが、「自分より下」と考えている風だから、こうした批判に対しては強気をくずさなかっただろう。
おそらく、大阪府議会での追及が厳しく、辞職勧告が議決されそうな雰囲気もあったから、それでも居座るとますます政治情勢にも悪影響が出るという判断だったのではないだろうか。

思い起こせば、大阪府では前知事が役人はダメということで民間から登用した部長がセクハラで辞職しているし、公募校長は万引き事件で辞職。
大阪市では、公募校長、公募区長で、次々にセクハラや公文書偽造やら、さまざまな違法行為を起こして辞任連続。やはり役人には任せられないとした交通局では不適正随意契約、府市共同でやるのに一応意義はあると思っていた観光局でも、タイミングが悪いという同情すべき点はあったにしても、イベントの大赤字、個人賠償で免責されると勘違い。

前にも書いた覚えがあるが、こうなると人を見る目がなかったとか、たまたま選任した人が悪かったというようなレベルではなくて、当然、そういう人を選んでいるとしか思えない。
仮に5%が問題職員(維新の会の府会議員はそういっていた。どんな組織でも5%は問題職員がいるから、その5%をクビにしろと)、だとすると、何人ぐらいが知事・市長の意向で選ばれたかわからないが、これほど問題職員が出る確率は、たまたまで済ませられる数値ではないだろう。

何人のうち何人が問題職員になるかは二項分布に従うと考える。何人が橋下・松井人事かわからないので、15人ぐらいだったとしよう。仮に問題職員が5%の確率でいるとして、全員が問題職員ではないという確率は46%しかないわけで、1人ぐらい問題職員が混じっても責められるようなことではない。しかし、15人中5人以上が問題職員になる確率はなんと0.06%である(表の4人以下の確率の補数)。
あまりにひどいから、問題職員はもっと多くいると考えなければならない。30.5%ぐらいいるなら、問題職員5人以上の確率が50%となって納得(?)できる数値が得られる。公募に応募した人の3割は問題職員候補でした、それとも眼鏡にかなうのはやっぱりそういう人ということか。


     ■15人中、何人が問題職員になるかの確率
                  問題職員の出現率
    15人中の問題職員数   5%のとき  30.5%のとき
        0 人以下     46.33%     0.43%
        1 人以下     82.90%     3.26%
        2 人以下     96.38%    11.93%
        3 人以下     99.45%    28.39%
        4 人以下     99.94%    50.00%
        5 人以下     99.99%    70.82%



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立ちション禁止

ShobenMuyoTorii.jpg情報サイトで『立ちション禁止を促す「マナーステッカー」好評』というタイトルを見たとき、立ちション禁止といえば、鳥居の絵に決まってるだろうと思ったのだが、違っていた。

「立ちション禁止」とは「座りション励行」ということだった。

件のサイトの記事によると、

座りション派向けの便器を早くから開発してきたパナソニック・エコソリューションズ社が平成25年にネットで実施した「男性の小便姿勢の実態調査」(1030人)によると、「座ってしている」と回答した人は55%で、11年の15%に比べ大幅に増加した。
 ところが、男性に本音を尋ねると、「立ってしたい」「できれば立ってしたい」が39%、「どちらでもかまわない」が36.1%で、積極的な座りション派は24.9%にとどまった。


tachishonkinshi.jpg20年ぐらい前の話だが、ご近所の奥さんが旦那やまだ幼い息子に「座ってしなさい」と言っているという話を聞いて、なんと理不尽なことを言う奥さんだと思った。大人はともかく、まだ幼い子供がトイレの使い方も知らないと学校で言われるんじゃないかと。
もちろんその話を伝えた家人の意図は、トイレが汚れるのよね、あんたも少しは考えたら、という圧力をかけることにあったに違いないが、「座りション」などという言葉も文化も認知していない私としては当然無視してきた。ところが記事が引用している調査によれば、既に座りションが過半数になっているという。本当?

しかし便器に腰かけると、「大」の気分になるのではないだろうか。
昔、何かで読んだ話だが、排泄にかかる「大」と「小」の神経は脊髄上で近接しており、和式便器にしゃがむ姿勢の場合、脊柱が圧迫されて、「大」を排泄する神経の興奮は「小」の方にも伝わり、「小」も出したくなる。このため、日本人はそれが習慣化する傾向があるという。対して洋式便器に座るスタイルにはこうした圧迫はなく、「大」が「小」を刺激することも起こらず、西洋人は「大」と「小」を分けて排泄すると解説されていた。
本当の話かどうかはわからないが、日本人に対する解説は私の場合には適合するようだ。

トイレの洋式化が進むなか、これからの日本人はどうなっていくのだろう。

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虫歯治療

4週間前の歯科定期健診で、虫歯が発見された。

以前、虫歯になって、かぶせをしていた歯なのだが、そのかぶせの境目あたりがまた虫歯になっているという。前にかぶせたものを取り除いて、新しくかぶせることになった。
2週間前に、前のかぶせの除去と、新しいかぶせのために型とりをしてもらい、昨日、無事、新しいかぶせをしてもらった。
DSC_0064-crop.jpg写真の奥の方の歯が今回治療したところ。

そもそも6年ぐらい前にかかりつけの歯医者が廃業したので、調子が悪くても2年ぐらい放置していたのだが、ひどくなってから行った歯医者で歯肉炎の診断。応急的な治療だけにしていたところ、また2年ぐらいして調子が悪くなった。
定年退職が近かったので、それまでは職場に近い歯医者にしていたのだが、家に近い歯医者に通うことにして、今の歯医者をかかりつけにした。

その後、6か月ごとに定期健診に行くようにしているのだが、そのかいあって、今回、未だ自覚症状が全くない段階での虫歯の早期発見に至った次第。
虫歯を放置して、そこで黴菌が繁殖して、敗血症で死んだ例もあるそうだから、侮ってはいけないのだ。

歯医者に好んで通う人はまれで、だいたいは酷くなってからになるようだ。はじめにいった歯医者で「ここまで酷くなってから来るのは恥ずかしいんですが」というと、やさしい歯医者さんは「みなさんそうですよ」となぐさめてくれたのを憶えている。

ところで、今の歯医者さんは、ニコニコしながら「親しらず、抜きませんか?」とおっしゃるのだけれど、どうしよう。
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フォン・オッターの「カルメン」、ブルーレイ版

前に「アンネ・ゾフィー・フォン・オッター」で、彼女の演ずるカルメンをとりあげている。そのとき「ブルーレイも出ているらしい」と書いたのだけれど、今までに何度か、ブルーレイ版の販売がないかネットでチェックしていて、品切れというようなつれない結果に終わっていた。

ところがところが、ブルーレイ・オーディオというものがあるということを知って(ブルーレイ・オーディオの稿参照)、HMVでブルーレイ・オーディオを調べていたら、件の「カルメン」のブルーレイも検索結果に引っかかってきた。お取り寄せとなっている。

これは買わなければ。


ということで、昨日のブルーレイ・オーディオと一緒に、これも注文することにした。
意外なことに(というのは、HMVでは今までに何度か「手配できません」ということがあったから)、受付メールでは出荷目安が16日後になっていたにもかかわらず、わずか5日で配達された。

CarmenOtterBluRay.jpg


たまたま深夜のBS放送で見たときの衝撃の画面が甦る、はずだ

オーディオはDVDと同じ品質のようだが、映像はハイビジョンである。
しかし、オーディオ部屋に置いてあるテレビは適当に買った安物で、フルHDではないから、これで見ても本当の画面ではない。
う~ん、フルHDのテレビに買い替えようか、どうしようか。

リビングのフルHDで見る。音がさびしい。少しましなスピーカー、たとえばヤマハのデジタル・サウンド・プロジェクターシリーズとかを付けようか。

OtterExtra1.png    OtterExtra2.png

素晴らしいコンテンツがあると、物欲が昂進するなぁ。
暫く見ていなかったカルメンだけれど、こうして、また理性が崩壊していく……


今、私のスマホ、タブレットの壁紙は、マリア・テレジア(少女時代)を駆逐して、フォン・オッターのカルメンが、さまざまな姿態で誘惑してくる。(壁紙切替アプリ使用。壁紙フォルダにマリア・テレジアを混ぜておこうかな)
OtterExtra3.png


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ブルーレイ・オーディオ―もう一つのハイレゾ音源

以前の稿でDVD-videoのオーディオ規格はPCM 24bit/96kHzまであり、その規格のDVDを作ったことがあると書き(グリュミオーのモーツァルト協奏曲5曲を24bit/96kHzでサンプリングして、1枚のDVDに入れた)、そういう規格のDVDを出したら良いのではないかとした。

ものを知らないとは恥ずかしいことで、DVDではなくて、Blu-rayでそういうものがあることを最近知った。ブルーレイ・オーディオと言うそうだ。
(ただし私が24bit/96kHzのDVDを作ったのは5年も前の話である。ひょっとしたらブルーレイ・オーディオより先?)

ものは試しと、ブルーレイ・オーディオのディスクを2つ、HMVで購入。
NicholsonBluRay.jpg一つは、ピアノ協奏曲集(KV271,KV414,KV415,KV456,KV467,KV488)/ニコルソン、クレーマー&カペラ・コロニエンシスで、PCM 24bit/96kHzで収録されている。6曲も入っていてお得な感じ。
実は、リンダ・ニコルソンというピアニストについては知識がなかったのだが、ブルーレイ・オーディオはまだ少ないので、他にこれという選択肢がなかった。
くっきりして、かつ響きのあるオーケストラで始まって、やけに臨場感がある。で、録音の問題では全然ないのだけれど、KV271といえば、序奏部でピアノが存在感を示す曲なわけだけど……、えっ、(現代)ピアノの音じゃない、ハンマーフリューゲルと言うべき部類。これじゃ音の比較にならない。

以前にもFM放送とかでハンマーフリューゲルで弾いたモーツァルトというのを聴いた覚えがあるが、ふーん、という感じ。「ピアノはいつピアノになったか」という本があるが、各時代のピアノ(復元)の演奏がCD付録でついている。おもしろい、でも博物館的興味というところ。
もちろん、ニコルソンは博物館的興味で聴く類の演奏ではないのだけれど、古楽器をそれゆえに礼賛するという気もないから、あえて音について言うとしたら、どうしても現代ピアノと比べてしまう(ブルーレイ・オーディオの音がどうこうという話でなくてタイトルには合わないけど)。
まず、このピアノをピアノフォルテ(pf)というなら、現代ピアノは pf も2つか3つ並んでいる(ppff)ような感じ、オーケストラのテュッティ(このディスクだとかなり少人数のオーケストラだと思うのだが)に対すると苦しい。音色も、聞き慣れたピアノの音と比べると、軽く弦を弾くようなタッチで、ハープシコード的に響くところもあり、それでオーケストラに埋没しがちになるのかもしれない。
18世紀のピアノはアクションが軽くてパッセージが軽やかに弾けるというようなことを何かで読んだ覚えがある。そういわれればそうかもしれないが、結構、音を揃えるのが難しそうだ。楽器のせいか、なにか音がばらつくような感じがする。
オーケストラを含む全体としては、大変良い録音で、弦楽器は艶やかな音がする。

RavelOrchestralWorksBluRay.jpgさて、もう1枚は、ラヴェル管弦楽作品集第1集/スラトキン&リヨン国立管弦楽団で、24bit/96kHzで収録されている。
これはもう、現代的な音で、いろんな楽器がいろんな強さで入っている。ハイレゾの実力を評価するのに良い音源だと思う。聴くと、pppppぐらいで鳴る管楽器や打楽器の音がきちんと聴こえる。追加したサブウーファーのおかげで、コントラバスの動きも良くわかる。
「ハイレゾでも、聴こえる音には違いはない(違いは聞こえない音)」というのが私の逆説的意見なのだけれど、やっぱり聴感は違う。

素人考えだけれど、
可聴帯域外をゼロにするか自由振動させるかの違いが、
スピーカー振動を無理に止めるか本来の動きをさせるかの違いに対応して、その意味でハイレゾは無理がないということなのかもしれない。
疑似ハイレゾの稿も参照)

今回購入した2枚のオーディオは、いずれもLPCM 24bit/96kHzだが、ブルーレイの規格では24bit/192kHzもあり、その規格のディスクも出ている。たとえば、小澤/サイトウ・キネンの第九がある。この演奏は、Blu-rayオーディオでは 3,780円、e-ONKYOからのダウンロードは 2,520円。なんだ、ダウンロードのほうが安いのか。SACDとは若干事情が違うようだ。(なお普通のCDは\1,851―Amazon \1,477)

ハイレゾ音源としては、SACD、ブルーレイオーディオ、そしてダウンロード配信の3種類があるわけだが、どれが一番有望なんだろう。音声フォーマットとしては、SACDはDSD、ブルーレイはPCM、ダウンロード配信はその両方(ソースによる)がある。
個人的な事情を言うと、SACDは持っているプレイヤーが悪いし、PCで扱えない。ブルーレイは何といってもPCでも扱える。素直に考えればパッケージや物流コストのいらない、そして家のスペースもとらないダウンロード配信が価格では有利だと思う。
海外では音楽コンテンツの商売では、CDはさっぱり売れず、ネット配信(ストリームも含め)が主流になっているという。我が国もそうなるのだろうか。あるいは、海外サイトにおしまくられて日本ではコンテンツ商売が全滅することになるのだろうか。

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古い録音のハイレゾ

HeifetzSACD.jpg私のCDライブラリーには、こんなSACDがある。
ハイフェッツ、ライナー/シカゴ響によるブラームス、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。
それぞれ1955、1957年の録音らしく、当然だがディジタル録音ではない。

ディジタル録音というと、ピリスのモーツァルト・ソナタ全集がそのもっとも早い部類だと思う。コロンビアが開発したPCMレコーダーで、東京のイイノホールで録音されたものだと記憶している。LPで発売され、吉田秀和氏が解説と楽曲分析を書いている。ピアノはアタックが強くてアナログ・プレイヤー泣かせだと思うが、このレコードはきれいに音が拾えた。


このハイフェッツのSACDのソースになったのは、ブラームスは76cm/s 2トラック、チャイコフスキーは38cm/s 3トラックで録音されたものと解説に書かれている。私が持っていたオープンリール・デッキでも周波数特性は30Hz~25kHz(19cm/s)となっていたから、保存状況に問題なければ、ハイレゾのソースとして十分な帯域が入っていたに違いない。

仮に、周波数特性が20~20kHzとなっていたとしても、こういう数字はフラットな帯域を示すもので、この外側の周波数が含まれないということではない。昔は、可聴帯域はどんなに広くとっても16Hz~20kHzで、それ以外は音楽鑑賞に影響はないと考えられていたが、それでも機器の特性としてはそれを超える値が書かれていた。
これは機器の「余裕」というようなものを示す、つまり、20kHzまでフラットということは、20kHzでは少し悪くなるという意味であり、45kHzまでフラットというのなら20kHzでも全然悪くならない、という意味だったと思う。結果、可聴帯域外の音も当然含まれていたと考えるべきだろう。CDのように、22.05kHz以上は「ゼロ」とは違う。

DENONdl110.gifレコードでも同様で、昔、アナログ・プレイヤーのピックアップ・カートリッジのCMで「アナログ・レコードには数Hzから45kHzまでの音が刻まれています」「カートリッジが拾う音溝の凹凸は分子レベルです」などというのがあったし、現在、私が使っているカートリッジも、再生周波数範囲は20Hz~45kHzと書かれている。

私もアナログ・レコードを24bit/96kHz(一応ハイレゾとされるサンプリング)でディジタル化して、CDよりも豊かな音として感じているわけだ。前も良かったと思うが、DAC内蔵アンプになった今の環境ではさらに良くなった。前にデジタル化していたグリュミオーの協奏曲全集などは、驚くほど快適な音になったと思う(不思議なことにアナログ・レコード出力でそのまま聴くより、一旦デジタル化したもののほうが綺麗に聴こえる気がする)。

ところで、ハイフェッツの録音は音はいいよ、だけど、なんか最近のCDとは違うような感じがする。
演奏自体の時代性の問題だろうか、それとも最終製品(レコード)を意識したときの録音設定やミキシングの問題だろうか。

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筆談ホステス、政界進出

saitoriehokkoriblog.jpg“筆談ホステス”の斉藤りえさん(31)が政界進出を目指すそうだ。ご自身のブログに出馬宣言がある。

【ブログから】
わたくし、斉藤りえは、今度四月の統一地方選、北区政へ挑戦することを決意いたしました。
※日本を元気にする会の公認候補ともなります。
 :
また「耳が聞こえなくては、議会活動ができないのでは?」そう思う方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、これだけ技術などが進歩した現代において、“聞こえないこと”は必ず乗り越えられると思っております。
例えば、議会に提出する質問状や政策案はパソコンで作ってメールで送れば事足ります。
問題提起もパワーポイントを使って視覚化すれば可能です。有権者への情報発信にはブログやTwitterがあります。
受け入れる議会側に現在、聴覚障害者を前提とした仕組みはありませんので、その変革に最初はご迷惑をおかけしてしまうかもしれませんが、議会からまず本当の「障がい者へのバリアフリー」が起こること自体にも、大きな意義があるのではないでしょうか。
 :


hitsudanhostess2.jpg美人、苦労人、母、障碍とくれば、当選は間違いないところ。
「小沢ガールズ」も「美人すぎる市議」もまっさおのダントツ当選ではないだろうか。

このニュースを見て、すぐに思ったのは、議会・役所は聴覚障害者への対応はできるのだろうかということ。
ブログを拝見すれば、ご本人も既に解っているらしく、受け入れる議会側に現在、聴覚障害者を前提とした仕組みはないようだ。

以前、研修関係の事務に携わったことがあるが、1人でも聴覚障害者が受講すればそのために手話通訳を依頼していた。予算が潤沢にあるわけではないし、細かい話だが講義時間が延びると、その分費用も上がる。全部の研修に手話通訳をつけるのは難しいので、講師などが本人と連絡をとって、研修の実効果があがるように(そしてできる限り費用が発生しないよう)工夫していた。必要なものは必要としても、青天井というわけにはゆかない。
研修の場ではこうした対応ができても、実際の仕事の現場では無理である。仕事をきちんとしてもらうには、手話通訳がいない場で、周囲の人とどううまくコミュニケーションするかが大事になるから、それも研修の意義という都合の良い理屈もあったけど。

さて、議会ともなると、当然、民主主義のコストとして予算措置はされるから金の心配はないのかもしれない。
本会議、委員会などの公式日程はおそらく形式上も手話通訳を手配するだろうが(質疑の予稿を通訳に見せるかどうかでもめるかもしれないが)、それ以外の非公式な打ち合わせは無理かもしれない。
もっとも、少人数であれば、この方は筆談できちんとコミュニケーションができるだろうし、本当に実質的な意見交換や協議には大した障りにはならないかもしれない(ご自身が、メールやブログとかでできると仰っているとおり)。儀式には手話通訳、実質は筆談やメール、というのも変な話だけど。

Googleの音声認識はずいぶん優秀になったから、これも使えるかもしれないが、今のところ、議場で笑いを誘ってしまうことがあるかもしれない。「オショクジケン」(お食事券)が、「汚職事件」になっては場内爆笑(一部議員は激昂する)だろう。

また、モバイル型情報保障サービス「e-ミミ」(株式会社アイセック・ジャパン、沖縄県うるま市)というのがある。「リアルタイム文字おこしサービス」と言い、詳細はリンク先の記事を読んでもらえば良いが、「世界最高の日本語音声認識エンジン」だそうだ。

それはともかく、私は2045年には人とコンピュータは逆転している、つまり人間の議会は既に死に絶えている(あるいは形骸化している―それなら既にかも)と思うが、それよりも前、おそらく今から5~10年後には、日本人の日本語音声認識より、コンピュータの日本語音声認識のほうが正確になっているだろうと思う(発声のほうが悩ましい。コンピュータは東北弁も関西弁も喋れるが、いったいどれで喋ればいいのか悩むことになる)。

Google音声認識は優秀だと書いたが、こういうシステムはデータを蓄積し(経験を積み)、ビッグ・データを利用したディープ・ラーニングなどの技術を使って、精度をどんどん、おそらく幾何級数的に、上げてくるにちがいない。

異言語通訳でも同様だろう。コンピュータの通訳のほうが正確になるだろう。今小学校で英語教育を受けようとしている子供たちが大人になるころは、機械を通さずに伝えたいという特殊な状況はあるにしても、通常のコミュニケーションは翻訳機で十分になるのではないだろうか。
それでも、コンピュータが人間の言語を学んでくれているうちはまだ良い。そのうちコンピュータが発する言語によって人間が言語を獲得するようになるのでは。


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お客さんと

東京から来客があったので、以前、溝掃除とうがいでいった店で。いや、もちろんボウリングではないほう。

わりにきれいに写真が撮れていたのでアップ。

IMG_20150304_174802.jpg


獺祭50と刺身盛り合わせ

お酒はわりに良いのを揃えている店だが、食べものは酒の肴が中心。前はもう少しいろいろあったと思う。
速い時間に行ったからわれわれ2人で貸し切り状態、と思っていたら、22:00過ぎまで、結局、他の客が来なかった。ずっと貸し切り状態。

これはちょっとまずいのでは。
最近できた店だと聞いた覚えがあるが、これでは最近まであった店になる。
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特攻 歪められた戦果

NHKでこの日曜日の朝、「特攻 歪められた戦果」というドキュメンタリーが放送された。再放送らしい。
周知のとおり、以前から、特攻については、米軍が予測するようになってからは戦果はほとんどあがっていないという話がある。

Kamikaze2shot.jpg

番組では、特攻の「戦果」がどのように「確認」されていたのか、その当事者の証言を放送していた。

戦果の確認は3つの方法で行われていたという。
一つは、戦域での偵察機による目視確認。相当の高空からでないと実行できないわけで、実際には確認は難しかったようだ。

次に、米軍の通信傍受。米軍側は攻撃を受けている状況を司令部などに伝えていたそうだが、これを傍受して、hit、pass を聴きとる。ただ、これに携わっていた人の証言では、上官は当たっただけでも「轟沈」とするのだという。

もう一つは、特攻機の電信。「突入報」というそうだが、目標を表すモールス信号、たとえば戦艦であれば「セ」のモールス信号を打ちながら突入する。この電信は、突入すれば当然途絶える。この信号が途絶えたことをもって特攻遂行とするのだそうだ。もちろん突入中に撃墜されてもやはり消えるのだが、「地上にいるものとして、特攻完遂としてやりたいのが人情」ということである。

これは私の推測だが、このような方法なら、まだ浮かんでいる敵艦も何回かは「轟沈」されるし、撃墜された特攻機の数だけ敵艦を撃破することになる。数字の上では、撃沈○隻、撃破○隻、になるだろう。
つまり、自分をもだます根拠数字として使えるわけだ。

メディアや国民も誇張された数字だと感じていたに違いない。
「特攻の戦果はどのように確認されてますか」と質問されたときには、「戦域での視認、米軍の通信傍受、特攻機の突入電信、これら三重の方法をもって確認しておる」と、しっかりした根拠に基づいた発表であると説明したのだろう。(周到な役人的対応
正確かと追及されれば、「最善の努力をしている、これ以上に何ができる」と居直っただろう。(傲慢な権力者的対応
また、部下にしてみれば「上が判断すること」であり、上司にしてみれば「部下からの報告に基づいている」という構図もある。(私は悪くない

帝国陸海軍では、作戦に直接的には責任をもたない参謀が指示するという相互無責任体制が構築されていたというが、命令系統においても上下にこうした無責任体制があったということだろう。(「検証 戦争責任」

一方で、大本営は戦果が上がっていないことは十分承知していた。そのことを番組では、海軍の内部文書を引いて紹介している。特攻は何艦沈めたとかいうことが大事なのではない、国のために身を捧げて戦っているということが大事なのである、と。

「犬死」である。そう言うと「彼らは犬死だと言うのか」と猛反発を受けるかもしれない。
しかし彼らを「犬死」にしない唯一の方法は、その事実を誤魔化すことではなく(前述の証言でも当時からその人情が働いていることがわかる)、その悔しさを忘れず、二度とその愚を繰り返さないことだろう。

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桃の節句

hinaningyo1tou.jpg今日は桃の節句、雛祭り。

誰でも知っている「うれしいひなまつり」という唱歌がある。
「あかりをつけましょぼんぼりに……きょうはたのしいひなまつり」という、ちっとも明るくも楽しくもない短調の曲。

私の母は人形で遊ぶような人ではなかったから、雛人形とは無縁。かろうじて家にあるのは、写真の奈良名物一刀彫の立雛(さすがに、これをいじって遊ぶような人はいない)。

全国的には左(向かって右)が女雛、右が男雛らしいが、京都ではその逆、左(向かって右)が男雛、右が女雛にするという。
元々は京都式だったそうだ(左大臣・右大臣だから左が上座と覚えれば良い)。
某天皇が何かの儀式のときに、それまでとは違う配置でお立ちになられたので、畏れ多いことと、それに倣って今の形にしたが、京都だけは頑固に古式を守っているというもっともらしい話を聞いたことがある。
なお、間違えて立ったというのではなくて、欧米式に合わせたという話もあるようだ。

ままごとのような節句行事も、あんまり記憶にない。
小学校でも、女の子だけで遊んでいたことぐらいを、おぼろげに記憶している。
中学のとき、同級生の女の子が「白酒飲み過ぎて……」とか言ってたなぁ。

昔、大和の国あたりでは、男の子は女の子と遊ぶと「女の中に男が一人」と囃したてられるのがお定まりだったから、雛祭りなどというものは、男には全く縁のないものだった。人格形成に重要な小学校時代にそういう育ち方をすると、女性の扱い方を学ぶことなく、女性相手だとぎくしゃくする男が生産されるのだ。そして、欧米の女性から「日本の男はシャイ」と評されることになる。
変に緊張して下心を疑われるぐらいなら敬遠しておこう、という態度になるわけだ。
そういえばバレンタインというのも、その頃はなかった。「女性からプロポーズして良い日」などという怪しげな説明を聞いた憶えはあるけど、それが実現した記憶はない。

sazaesanhinamatsuri.jpg「サザエさん」では、年中行事が丹念に描かれ、ワカメちゃんが雛祭りをしていてカツオがちょっかいを出す、タラちゃんはリカちゃんにお召ばれされているというような構図が目に浮かぶ。(一昨日の「サザエさん」では「みんなのひなまつり」というエピソードがあった。)

サザエさんは昭和の動態保存みたいなところがあるのだが(ステレオタイプで当否はともかく)、男の子と女の子が混じって遊ぶというのはどうなんだろう。
教科書や子供の本では当然のように男の子、女の子混じった話が多いし、東京ではそれが普通だったのかもしれないが。
「男は男同士、女は女同士」派、「男女混合」派、ブログ読者のみなさんの子供時代はどうだったでしょう。
(探偵ナイトスクープのネタになるかな?)

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DSDファイルの音

先日は、foobar2000を使って、PMA-50へのDSDデータを送れることを報告、となると、当然、DSD音源の音がどうなのかをレポートしなければなるまい。

moraとかが無料配信している試聴楽曲だけではなく、普段聴いている曲を聴きたくてたまらない。moraで配信している試聴曲は妙に色づけた曲だし、e-ONKYOのそれはごく短い。
前にDSDの配信はSACDより高いと書いたけれど、ここは奮発して、小曲の一つでもと思ってe-ONKYOサイトを検索。

え、安いのが出ているじゃないか。菊池洋子のモーツァルト・アルバム。
私が一番良く聴いているものといえば、ピアノ協奏曲。ピアノとオーケストラというのは音の善し悪しを確かめるのにも良いし、何より聴きなれている。
サイトの説明によると、3月まで割引料金で、1,944円だそうだ。
念のため調べると、同じもののSACDは定価3,086円でAmazonで2,462円。前に、ダウンロード販売のほうがSACDより高いのが気に入らないと書いたけれど、期間限定料金とはいえ、見事に逆転。

電子書籍のhontoは、このあいだ50%引きのクーポンを送ってきた。e-ONKYOもそうしてくれないかなぁ。


kikuchiyoko1.jpg買ったのは、KV467の協奏曲と、KV331のソナタ。協奏曲のオーケストラは沼尻竜典指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢。ファイル・フォーマットは2.8MHz/1bitのDSF。
実は、この演奏のCDは図書館で借りて聴いている。嫌味のない演奏で好感を持っていた。KV467というのは私としては特別好きな部類ではない。大きな神殿の柱のような建物とセンチメンタルな乙女の組み合わせのような曲なので、なんとなくロマン臭がする。映画で使われて有名になった第2楽章も甘すぎて。
だけど、この演奏は柱が太すぎることはなく、菊池洋子もセンチになりすぎない。

演奏評を書くのではなかった、DSDの音の評価であった。
一言、気持ち良い。いつまでも聴き続けたい、そう思う音である。

やっぱりCD音質や疑似ハイレゾとは違う。
ただし、ネットでも報告を目にしたが、foobar2000は、ごくまれにだが、チッというノイズが入ることがある。ないに越したことはないが、あっても特別邪魔になるということはない。まるでアナログ・レコードに傷・埃が入っているような感じがして、不思議な感覚である。

kikuchiyoko2.jpg菊池洋子モーツァルト・アルバムはもう一つあって、こちらはKV466の協奏曲、KV265の変奏曲、KV310のソナタ。短調の曲が2つも入っているというアルバムである。協奏曲のオーケストラは、同じくオーケストラ・アンサンブル金沢だが、指揮は井上道義。
この演奏はCDでも聴いたことがない。
我慢できなくなって、というか定価販売に戻る前にということで、これも買ってしまった。(演奏評は省略。)

しかし、今は、菊池洋子のモーツァルトという素晴らしい演奏が配信されているのだが、割引セールに出ている楽曲はまだまだ少ない(ほしいものがありすぎると困るけど)。もっと頑張ってもらいたい。
なお、これらはAVEXレーベルで、e-ONKYOでもmoraでも全く同じものが、同じ価格で販売されている。

このところハイレゾに凝ったようになっているが、契機はスマホをハイレゾ対応にしたことからだった。
別にハイレゾが欲しかったのではなくて、CPUが一番早いスマホを選んだらハイレゾ対応だったというだけなのだが、そこから、DAC内蔵アンプを買い、そうやって音が良くなると低音の寂しさが気になってサブウーファーを買い、ハイレゾ音源がまだまだ高いとこぼして疑似ハイレゾをやってみて、そしてハイレゾの音が出てないことに気付くとパソコンの設定に努力し、ようやくDSD再生ができるとなると、今度はやっぱりちゃんとしたハイレゾ音源が欲しくなるという、ちょっと困ったことになった。


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偏向してますよ、池上さん

「池上彰が大阪を考える2時間」(テレビ大阪)という番組を見た。
いつもの調子でなるほどと思わせるところも多かった。しかし、番組のスタート、大阪都構想をとりあげた部分は完全に偏向していた。

特定の政党や主義にとらわれない池上氏にしては、一方の意見=大阪都構想推進だけをとりあげたという感じがする。たしかに反対についても触れたが、そのとりあげかたがさらに疑問。
曰く、反対意見もある、良いところも悪いところもあると一般的な前置きをしているが、反対している自民党も元は府市二重行政を批判していたのに、維新の会との政争の経緯から反対している、という。

そして二重行政として批判的にとりあげた具体例というのがまたひどい。
WTCビルとりんくうゲートタワービル、どちらも超高層ビルだが、250mと250.1mと高さを競ったのを二重行政としてとりあげている。こういうのは二重行政とは言わない。鞘当てという言葉が適当である。近所に同じような機能のビルを建てて供給過多となったとしたら二重行政と言えるかもしれないが、この2つのビルは場所は全く離れているし、目的も違う。

結局、どちらも破綻したことは周知の事実。しかも、挙句の果てにWTCは大阪府が橋下知事の突然の思いつきで買い取り、府庁舎にして、防災拠点にするつもりが、逆に防災上問題ビルということで、安全なビルにするには削って高さを低くするしかないという状況。おまけに橋下市長は、大阪市の失敗の代表としてWTCをあげているんだが……


    20110513-wtc.jpg      Rinku_Gate_Tower_Building.jpg

次にとりあげたのが地下鉄。大阪市営だから大阪府域に延伸できない、府営だったらもっと広域的に便利になっているかもしれないと言う。これは前にも書いたが、まず大阪市長は民営化を言っている(市会で否決、ただし賛成されるまで何回でも民営化案を出すらしい)。民営化すれば府営でもなんでもない。延伸するかどうかは営業上の問題である。市外延伸に経営上のメリットが小さければやらないし、それでもやるとしたら、市税を投入せずにやらなければ市民の理解は得られにくい。民鉄との相互乗り入れ、府の補助金というような方法をとることになるが、民営化すればできるという理屈はない。

そして大阪都のモデルとして大ロンドンを大きく持ち上げる。
大ロンドンと大阪府の面積・人口が同等という事実をとりあげて、これと同様と言うのだが、大ロンドンは都市開発・交通政策中心(他、警察、消防)の行政機構である。行政部門としては600名程度の職員しかいないはずである。(大阪府には9000人の行政職員がいる。役割、権能が同様に語れないのは明らかであろう。)

私は、大阪都にメリットがあるとすれば、やはりこの都市政策・交通政策だろうと思っている。消防にも統合のメリットはあるかもしれないが、それは消防署・消防員の配置と高度な消防技術の開発・普及といったもので、集中化すれば良いわけではない。なお、警察は現状でも府警である。
だとすれば、この分野での将来像を描き、それを実現する方法を真面目に考えるべきではないだろうか。
そんなことを言っていたら、阪神間の交通政策も重要だから、兵庫県も大阪都に入れるつもりか。

建設的なことを言おう。府市統合本部を、府市を調整する部門と、都市交通政策部門にして、後者には事業主体としての権能を持たせれば良いのである。これなら行政機構の変更にともなう市民生活・行政執行の混乱は避けられるし、特別区設置にともなう多大の経費も不要となる。さらに府・市の土木・都市政策部門の人員減もできるかもしれない。
【追記】 短い時間だったので書き忘れたのであわてて追記。大阪の都市・交通政策の役者(所)はもう一人いる。国土交通省近畿地方建設局である。淀川や高規格道路の多くは地建の政策である。これを入れずにはけっきょく「田舎自治体が何を言ってる」で済まされてしまう。大阪都構想では地建のことはどう扱っているのだろう。

結局のところ、池上氏をもってしても、本当の二重行政の弊害というものを具体的に指摘することはできなかったことを証明したようなものだ。

しかし、「大阪都で二重行政がなくなる」という実態のあやふやなスローガンだけは視聴者に伝わっただろう。氏の影響力は甚大なものがあると思う。住民投票までに、きちんと検証する番組を制作すべきだと思うがどうか。
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