モンドリアン

mondriancomposition.jpg 先日見に行った「チューリッヒ美術館展」に、モンドリアン「赤、青、黄のあるコンポジション」が出展されていた。

モンドリアンという画家については、子供の頃、科学図鑑で知った。このコンポジションと同様の絵がきれいな印刷で載っていて、その解説にこんなことが書いてあったと記憶している。

「あなたの描く絵はスクエア(正方形)ばかりですね」という問いに対し、モンドリアンは「私には(スクエアは)一つも見えないね。」と答えた。
そこにあるのは黄金矩形ばかりである。

goldenrectangle.png
黄金長方形から短辺を一辺とする正方形を取り除くと、残る部分はまた黄金長方形となる。
これを繰り返すと、黄金長方形は無限個の正方形で埋め尽くされる。(Wikipediaから引用)

この「コンポジション」に限らず、コンポジションという名前の作品は夥しくあるようだ。Googleでイメージ検索をすれば、いろんな「コンポジション」がヒットする。上にあげた画像もネットから拾ったものだが、たくさんヒットする「コンポジション」の中で、私が見たのはどれだろう、と特定するのに苦労するぐらいである。矩形が細かい・たくさんあるか、画面の縦横比がスクエアかどちらかが長いか、そういうことが手掛かりになる(最終的には、展覧会で買ったクッキーの缶に印刷されていた図柄が決め手になった)。

そういうわけだし、誰にでも書けそうでもある。
そして誰がどんな思いで、あるいは何も考えずに、こういう作品を描いたとしたら、モンドリアンを知る誰もが、モンドリアンの模倣(盗作)だと言うに違いない。逆説的だが、それほどユニークなのである。

おまえはモンドリアンが好きかと聞かれたら、純粋に絵のことであれば、好きでも嫌いでもない。
しかし、これが、例えばノートブックの表紙になっていたとしたら、なんとセンスの良い表紙だろうと言うに違いない。

今や、一部のマンガ家はペン・タブレットで絵を描くという時代である。パソコンでモンドリアン風の絵を描くことは造作もないことである。しかも、完全に均一に、正確に色を塗ることができる。
もし今、モンドリアンが生きていたら、微妙な絵の具のムラ、線の乱れが避けられない手で書く絵と、パソコンで書く絵、どちらがモンドリアンの意思を正しく反映することになるだろう。

mymondrian3.png
(これは私が作った「モンドリアン」、誰が書いてもモンドリアン)

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大阪一望

20150425fqcity.jpg 神戸の美術展を見終わって、大阪へ戻ってきた。

大淀方面に用事があって、梅田から20分以上歩いて目的地へ行ったけれど、汗ばむ陽気、所用を済ませて梅田に戻る途中で、さすがに疲れと渇きもあって、新梅田スカイシティへ。
展望台の観覧券は800円であるが、まぁ、話のタネに1回ぐらい登ってみてやろう、お茶でもできるだろう、ということで登ってみた。

所用があって訪問したマンションが間近に見おろせる。なんと、屋上にヘリポートがある。

梅田スカイビルは今や外国人観光客のメッカみたいで、この日も多くの外国人でにぎわっていたが、このビルができたとき、オフィスビルとして建設したのにテナントが入らず、施主のセキスイが自ら入ったと聞いたことがある。

展望台からは大阪-神戸まで一望できる。
美術館ではあまり活躍しなかった単眼鏡にも出番ができた。

下の写真の赤矢印は大阪府咲州庁舎(WTCビル)。遥か遠く、ほとんど地の果てと言ってよい。
逆方向(北東)には私が前に住んでいた守口市にあるマンションがWTCより、ずっと間近に見えていた。

20150425WTCs.jpg


この立地の破綻ビル(だから安かった。ただし維持・改修は高い)が府庁舎に最適と判断したのはどういう根拠だったのだろう(梅田スカイビルのように観光名所にはできないんですか)。
そして、大阪市長になってから、WTCは市の失政・失敗事業だと批判材料にし、大阪市を潰さなければならないと主張するわけだが、それなら購入した府知事としての判断も併せて批判しなければおかしい。

さらに、こんな不良不動産を買うような馬鹿な大阪府は潰さなければならないと主張すれば一貫性がありますな。
それとも、不良不動産を売り抜けた大阪市は賢い、それを承知で助けた大阪府は偉いとでも?


と言ってるうちに、案外、何年か経ったら、このあたりがカジノで繁盛してたりして。そうなれば橋下氏も鼻高々、というわけだが、失敗事業とこき下ろしてるから、大阪の将来を見通してましたと言うわけにはいきませんな。

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単眼鏡がいらない美術展

チューリッヒ美術館展の感想。

アウトラインは展覧会のサイトを見ていただければ良いが、出展されていたのは、印象派からシュールレアリズムまでの34人の作家の作品74点。彫刻(ロダン、バルラハ、ジャコメッティ)もある。
数字でわかるように、一人の作家に集中するものではなく(本稿で紹介のダリ、マルグリットは1点ずつ。シャガール、ジャコメッティは大盤振る舞いの6点出展)、比較的小規模の展覧会である。(ゆっくり全部見ても疲れません)

大作と言えるのは、モネの睡蓮で2幅連続の大キャンバスに描かれたもので、どちらかといえば規模のあまり大きくない作品が多い。
woman-with-a-head-of-roses.jpg
作品との距離も近いし、絵の傾向からしても、今回は単眼鏡は1枚の絵を除いて、不要だった。
単眼鏡を使ったのは、次の1点のみ。
ダリの「バラの頭の女」(画像右~ネットから。クリックで拡大)。

この作品を見ると、頭部右のところがピンクで、しかも鼻のように見える突起があるので、これが顔だと感じてしまうのだが、

(人間の認知機構は「顔」を認識するのが性だから、顔を探してしまう)

そう考えて視線を下に落とすと体が捩じれている。
手の指を見ればわかるように、画面右側に描かれている手は左手である。
ダリは頭部のバラを細かく描き込んでいるから、そこを単眼鏡で拡大して視ると、「顔」と認識することはなくなる。
ピンクのバラによって顔を表しているというわけではないようだ。


sixteenth-of-september.jpg ダリの隣にはマグリット9月16日」(画像右はネットから)。
夕闇とおぼしき中にあたりまえの木がすっくと立って、ありえない月が見える。好きな人にはたまらない幻想を掻き立てるかもしれない。

私には、絵とは別の作用が同存している、たとえば何か鋭いものが当たって切れてしまったような別次元の作用が感じられる。

20150425msX.jpg

展示を見終わって帰ろうとすると、ロビーに、ルソー「X氏の肖像」をもとに、X氏の代わりに絵に入る趣向の写真コーナーがあった。観光地によくある顔出しのやつ。こういう趣向はときどきお目にかかる。

写真中央、金色の額縁の中にX氏に扮した来館者が収まっている。
ヒゲと赤いトルコ帽子が扮装のために用意されている。(眼の辺りは個人情報保護のためレタッチした)


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統一地方選後半戦

touitsu2015.png 昨日は統一地方選の後半戦。
関心のある選挙がいくつかあった。

まずは居住市の市長選。前回は無投票だった。今回、市議選は無投票だったが、市長選は3人の候補者がいて、現職、新人2人。新人の1人はK府議から鞍替えで、K府会の民主党議員団の幹事長らしいのだが、何故か連合は現職を推薦している。なんで?というか、どうしてそうなったのか、事情に疎い私には理解できない。もう1人の新人は共産党。
結果は、現職の再選だった。しかし、意外なことに、大変な僅差だった。
kyotanabe2015.png
次に関心があったのは、勤務地の市長選。ここの市長は反維新の会、都構想反対であるから、連日、維新の会の宣伝カーが市内を走り回って、大阪の将来を考えるなら対立候補へという訴えを繰り返していた。大阪維新の会幹事長の府知事の地元でもあり、注目された選挙だったと思う。
結果は、大方の予想通り、現職の再選である。6:4で現職というのが下馬評と聞いたことがあるが、当たっている。
yaoshicho2015.png
もう一つは、このブログでとりあげた東京都北区議選あの筆談ホステスである。
結果は、私も予想していたとおり、トップ当選である。
kitaku2015.jpg

ということで、いずれも番狂わせということはなかった。
さて、次は5月17日の大阪都構想の住民投票である。残念ながら大阪市民だけの投票。
一部には賛成多数という予想もあるが、大阪府議・大阪市議選挙ではどっちつかずという結果のように見える。
そして今回の大阪での首長選挙では、S市、N市でも維新vs反維新の対決だったが反維新候補が勝った。
都構想の先行きはあいかわらずはっきりしない。

住民投票の告示は今日行われるらしい。 住民説明会の記事も新聞に載っていたが、これは説明会であって反対意見を聴く場ではないそうである。既に決まったことについて、運用上・事務的なことを説明するだけということらしい。
ということなら、住民投票で否決されれば、都構想推進者は公職を退くべきかもしれない。

やれやれ、また選挙か?



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新緑の神戸-チューリッヒ美術館展

20150425kobegreen.jpg 土曜日、チューリッヒ美術館展を目指して、神戸へ。

汗ばむぐらいの陽気。神戸市立博物館へ向かう道の並木も新緑が艶やかである。

そして博物館の入口。
20150425museum.jpg

ときどき美術展に出かけるが、神戸と京都が多く、大阪は少ない。
神戸はたいてい神戸市立博物館、京都はというと、京都国立、京都市美術館、国立近代美術館など、やはり京都は数多い。
大阪はというと、近年は国立国際美術館ぐらいしか行ったことがない。

大阪に芸術は似合わないと前知事も言っていたから仕方がない。
しかし、美術館は閉鎖空間だから、中身が大阪に似合ってなくとも、それで大阪らしさが失われるとも思えない。

似合うかどうかでなくて、儲かるかどうかで決めるのが大阪流である、そう考えるような人でも立地を嫌うことはないだろう。そういえば、昔、某予備校が歓楽街に校舎を建てようとして、環境が悪くなると地元風俗業者から反対されたという話を聞いたことがある。

似合わなくても、大阪は三都の中で、交通は一番便利だし、観光客がついでに美術館に来て混雑をひどくするなんてこともなさそうだ。

京都では、寺社めぐりを済ませた観光客が、時間があるから適当な展覧会でもあれば見に行こうとか、あるいは逆に美術展を見て、ついでにどこそこの文化財を見に行こうという相乗効果があるのじゃないかと思う。

前にも書いたおぼえがあるが、特に雨なんかが降るとかえって美術展などへ足が向くんじゃないだろうか。

神戸だと、南京町とか、おしゃれなレストランでの食事がセットになりそうだ。
その点、大阪では何もしなくても便利さだけで集客できるという強みがあるのではないだろうか。他の2都からしたら羨ましい限りかもしれない。

出不精の私が出かけた貴重なネタ、記事数を稼ぐために美術展の中身についてはあらためてアップする。

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QuickShortcutMaker

QuickShortCutIcon.png便利なAndroidアプリの紹介。
"QuickShortcutMaker"は、設定メニューやアプリへのショートカットを作成するアプリ。
ワンタッチでメニューやアプリの深いところにある機能を呼びだすことができるようになる。

一例として、モバイル通信の使用量のチェックは、設定メニューの中のデータ利用というサブメニューでできるが、ショートカットを作成することで、ワンタッチでできるようになる。
quickshortcutexample.png実際、私はホーム画面に、QuickShortcutMakerで作成したショートカットを置いて、すぐにチェックできるようにしている。

使い方だが、本アプリを起動すると、ショートカットを作成したいアプリの検索画面が出てくるので、アプリ名(部分で良い)を入れて検索する。さらにアプリ内により下位モジュールがあるものは"∨"で示されるから、クリックすれば下位のエントリ・ポイントが表示される。
モジュールが特定できたら、このアプリからテスト起動もできるので、うまく動作するかどうかチェックすることができる。
また、ショートカットの名前やアイコン(画像データ)を指定できるから、必要ならこれらを変えても良い。


quickshortcutcr1.png   quickshortcutcr2.png


ショートカットは設定メニューに限らない。どうやら、アプリを構成しているモジュールでAndroidから制御を渡せるものであれば、それへのショートカットを作成できるようだ。

具体的には、私のタブレット(SH-08E)には、プレインストールされている"SHツール"というアプリがあり、テレビ/ビデオとのリンク、ボイスレコーダー、名刺・バーコード・文字読み取り、辞書という4種類の機能がセットになっているのだが、通常のアプリの一覧では、SHツールとしてのみ表示される(設定メニューのアプリ・サブメニューで「すべてのアプリ」とすれば表示されるようだ)。
これをQuickShortcutMakerで検索すると別々のアプリとしてヒットし、SHツールの場合、名刺などの読取りは「読取カメラ」というアプリとして認識され、そのショートカットも作成できる。

機能が複合的なアプリの場合、これと同様に機能別にモジュールを持っているものがあるから、メニューが邪魔とか、必要なのはこの機能だけだというような場合に使える。


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URLへのショートカット(Androidアプリ)

shortcuttoURL.png久しぶりにAndroidアプリで便利なものの紹介。
"URLへのショートカット"というアプリである。

インストールすると、ブラウザの共有メニューに「URLへのショートカット」というエントリが追加される。
使い方はいたって単純、あるページへのショートカットを作成したいとき、そのページをブラウザで開き、(ページの)共有メニューを出して、「URLへのショートカット」を選択するだけである。

shortcutcreate-crop.png 私は自分用のホームページにちょっとしたデータ(ただし数もファイル・サイズも大きい)を置いているのだけれど、これへのショートカットを端末のホーム画面に配置していて、このデータを使う時にすぐにそのページが表示できるようにしている。

そうした使い方に限らず、良くアクセスするサイトがあるなら、ショートカットを作っておくと便利だと思う。
特に、アプリがどんどん増えるのがイヤな人は、同様のサービスをするサイトへのショートカットを作成しておけば、アプリがメモリーを圧迫することを避けられる。

たとえば天気予報や時刻表のサイトなどはURLショートカットで十分ではないだろうか。
というか、わざわざアプリにしなければならないようなものか疑問のものもよくある。
ほとんど使われていないアプリを「デブリ」というらしいが、自分の端末の中も、いつしかデブリでいっぱいになっているという人も多いのではないだろうか。


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謎の絶滅動物たち

nazonozetumetu.jpg北村雄一「謎の絶滅動物たち」という本を読んだ。
絶滅動物というと、真っ先に思い出すのは恐竜。
ついでリョコウバト(この本でもとりあげられている)など、つい最近、人類によって滅ぼされた種。

この本はタイトルで手に取ったわけだが、てっきり、いろんな時代に、いろんな原因で絶滅したものをピックアップしているのだろうと思っていたら、取り上げている45種の生物は、すべて新生代第四紀(というより完新世、地質年代的には現代)の生物で、5万年前あたりから現代までに絶滅した種。
そしていずれも人類によって絶滅させられた、または人類によって餌動物が絶滅させられたために絶滅、と解説されている。

いずれも、大きい、強い、すごいという形容詞が付くもので、いかにも当時から人類の興味を惹きそうなやつばかりである。
人類のような獰猛な生物の興味を惹くから命を落とすわけで、と言いたいところだけれど、別にそういう生物ばかりが絶滅したわけでもないだろう。恐竜は人類の興味を大いに惹くが人類が滅ぼしたわけではない、というのは戯言としても、人類による過剰殺戮説に対する真っ当な反論もあり、気候変動にその原因を求めている。また、北米のマンモスは人類が北米に到達する前にその数を減少させていたと推定できる資料もあるという。反論・再反論がまだまだ続いている状況のようだ。

なんだか、創刊まもない頃の少年週刊誌の特集記事のような雰囲気で、理詰めでの説明は少なく、最後が「人類によって滅んだ」のワンパターンだと、この本だけを信じて良いものか、眉に唾をつけたくなる。その一つの理由は、前述のとおり、反論・再反論などを記述していないからで、やはり人に信頼してもらうには誠実に議論の過程を見せるのが良いだろう。(もっともこれを利用して、まともでない反論を選んで取り上げ、それを論破して自らの主張をもっともらしく見せるという手法―誠実さのかけらもない政治家が使う方法もあるので気をつけなければならない。)

ところで、出始めの少年週刊誌はマンガばかりでなく読み物も多く、巻頭はイラストや写真を使った特集記事が置かれていた。特集記事には「世界の秘密兵器」とか、それこそ「恐竜特集」みたいな企画が多かったように思う。また、「全国の難病・奇病」というような特集では、水俣病やイタイイタイ病も原因不明の難病と紹介されていたことを記憶している。読み物としては、戦国・戦争もの、スポーツものが多かったと思う。


ということで、この本で種の絶滅について理解しようというのは無理があるが、過去にこんなおもしろそうな動物がいたんだということは、恐竜やリョコウバトにばかり目がいきがちなところ、また別の視点を提供したということか。

ところで、天然痘ウィルス(ウィルスも生物というなら)も自然界では絶滅してしまったが、惜しむ声はあまり聞かない。保護するものとしないもの、どこで線引きするのだろう。

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ママ名刺

最近「ママ名刺」というものがあるらしい。新地のママの名刺とかではない。
ネット情報では「ファッション雑誌『VERY』(光文社)が4年前に子育て中の母親が名刺を愛用する動きを取り上げ、販売サイトを立ち上げたことが、近年のブームの一因となっている」そうだ。
mamacard2.png
子供の公園デビューや幼稚園入園などで知り合いになったママ同士が、誰々のママという肩書で名刺交換するらしい。
これはそれなりに合理的に思うのだが、ネットでは否定的な意見も目にする。紙質を競ったり、夫の勤め先を入れたりして、ママ間の格付けを助長するというもの。
こんなことで格付けだと騒ぐことも品格を疑うことだと思うけれど、そう割り切れない人たちには切実なことらしい。
ママ名刺に記載する項目は、子供の名前、本人の名前、住所、連絡先電話が基本だろう。どうしても緊急のため夫の連絡先も入れる必要があるなら携帯の番号にしておけば良いだろう(害あっても、せいぜい浮気のお誘いをしやすくする程度)。

普通、ビジネス名刺は所属と連絡先(電話、メールアドレス)を入れるものだけれど、政治家には連絡先を敢えて入れていない人もいる。これは隠しているわけではなく、世に知られたものであるという自負心なのかもしれない。
また、人によっては私用名刺として、所属を書いていない名刺を作っている人がいた。飲み屋などで知り合った人と名刺交換するときに使うのだそうだ。
私が就職してすぐの頃「うちの名刺を見せたら飲み屋でツケがきくぞ」と言われたことがある。私はそんな使い方をしたことはない。
某大企業の部長あたりになると、顧客と飲んで遅くなったら、客をタクシーに乗せるときに、部長の名刺に裏書をして運転手に渡すという。タクシーチケットの代わりになるわけだ。凄い威力である。

脱線したが、ママ名刺の問題では、気になる意見も眼にした。近年、幼稚園や小学校などで、個人情報保護とやらで園児名簿を配布しないのだそうだ。このため親同士が自分たちで名簿を作らなければならず、ママ名刺はそういう場合に役にたつのだという。
jiijimeishi.png

私が子供の頃は、クラスの連絡網というのがあって、緊急時(遠足や運動会が雨のときに開催するかどうかなど)に、速やかに情報を伝達するルート(今のようにメール一斉送信などができなかったから、階層ツリー構造にする)が決まっていた。


私も孫ができたら、孫の公園デビューのときには「ジジ名刺」を作って、お母さん方に配ろうかな。

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割引クーポン

この4月から、職場の福利厚生事業の委託先が変更になった。
今までは「リロクラブ」、4月からは「ベネフィット・ステーション」という会社になった。

ベネフィット・ステーションは、「食べタイム」という会員制のサービスと提携していて、職員はこのサービスの会員扱いになる。今でもあるのかどうか知らないが「チェック・アンド・チェック・クラブ」というのがあって、いろんな飲食店を割引クーポンとともに案内していたが、それと同じである。

20150419_tennai.jpg 今まで、こういうサービスは会費が要るから使ったことはなかったのだけれど、せっかくだから、どんな店があるか調べてみた。すると、ときどき買い物に行くホームセンター内のイタリアン・レストラン「Caffe Cent per Cento」が登録されていた。飲食代金が10%割引になるという。
(右は店内写真。ホームセンター内の画材専門店のフロアが店からの眺めになる。)

それでは、ということで、一昨日の日曜日、このクーポン(ネットからクーポンを発行=印刷する)を使ってみた。

20150419_lunchzensai.jpg いつもはランチ・セット900円(右写真はその前菜、この後に日替わりパスタが出る)を頼むのだが、いつもいつもランチ・セットも芸がないから、「海の幸山の幸のリングイネ」1150円+ドリンク150円を注文。具は充実していて、アサリ、イカ、キノコ、ベーコンがたっぷり入っている。とくにアサリは12粒ぐらい入っていた。

少々茹ですぎか柔らかい。ソースもややねっとり感。トマトソースの方か、クリーム仕立てのほうが良いかもしれない。



20150419_linguine.jpg    20150419_kanshoku.jpg

「食べタイム」のクーポンはクラシックなビジネスのようだが、近年はネットでの共同購入(前売り)クーポンというのが流行っているらしい。私は今まで使ったことはない。

いわゆる共同購入クーポンは、店からは客数が安定し、かつ予測できるというメリット、利用者は安く利用できるとメリットということで、Win-winの関係だともてはやされたのだけれど、ニッチを狙っているうちは良かったが、それをシステムとしてしまうと、いろいろ悪知恵が働いてくるらしい。
良く聞くのは、サイト運営会社が中間マージンを大きくとるとか、店に割引を強いるとかである。
店もたまらず、クーポン客向けの料理は質を落としたり、はじめからクーポン販売を想定して、定価を割高に設定していたりするという。(そういうことを聞くから、使うことに二の足を踏むわけだ。)

結局、Win-winから、lose-loseになってしまう。
また、一つうまくいったサービスがあると、次々に模倣者があらわれる。より良いサービスに改善する模倣なら歓迎だが、安易あるいは悪知恵を働かせた模倣だと、業界全体の信用問題になるだろう。
ネット社会は巨人と、小人(模倣者)でできているようだ。

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名曲の悪口

先日、フィギュア・スケートの国別対抗戦が行われた。残念ながら日本は3位に終わった。
見ていると、演技に「オペラ座の怪人」を使う人がやたら多かった。今シーズンから、ボーカル入りの曲が容認されたことで、一気に使用者が増えたということらしい。

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「オペラ座の怪人」を使ったのは、羽生、無良、村上、米国のゴールド。
村上はショート・プログラム、フリー・スケーティングの両方で、他の三人はフリー・スケーティングで使った。

昨日は「名曲悪口事典」を紹介し、その本の悪口も書いておいた。
今日は、私自身が名曲の悪口を書いてみよう。
とりあげるのは、もちろん「オペラ座の怪人」である。

phantomoftheopera.png

オペラ座の怪人の音楽は、不自然な旋律線、過度の半音進行、さらに連続5度の空虚な和声。耳をつんざく大音響効果音での虚仮おどしの連続である。劇的に見せかける技巧は誉めても良いが、それに貢献しているのは作曲家ではなく、場内のPA装置である。ときおり騒音が消えて歌唱の聞かせどころがあるが、凡庸な旋律が未熟な歌の練習を思わせる。この音楽で踊ることを想像したまえ。到底踊りきることなどできず、転倒するに違いない。


いかがでしょう? それっぽく書けていると思いませんか。

これは半分は冗談や洒落ではなくて、この音楽が好きになれないのは本当のところでもある。
作曲者の意図はわからないでもない。半音で進行する連続音程は不安定で、これから一体何が起こるのかという期待(不安)でいっぱいにさせる。そういう意味では成功しているのだろう。
場内のPA装置については、私も劇団四季の舞台を見たことがあり、ホールに響く大音響には度胆を抜かれた覚えがある。こういう大きな音を立てられると、それだけで体の震えを覚える(物理的に!)。
凡庸な旋律というのは言い過ぎかもしれないが、何か無理しているように聞こえる。
おどろおどろしいが、繊細なものを感じないとも思う。

「オペラ座の怪人」は、ミュージカルでない映画もテレビで見た覚えがあるし、前述したとおり四季の舞台も見たし、ミュージカル映画も見ているのだけれど、ストーリーも何か無理があるのでは。パリの下水道だったら、「レ・ミゼラブル」でヴィクトル・ユーゴーが丁寧に書いたように、おどろおどろしいことが起こっても不思議じゃないが、オペラ座でしょう?

フィギュア・スケートで使う楽曲というと、出だしの大技、中間での抒情的演技、そしてクライマックスという演技構成に合わせて、音楽も急-緩-急の組み立てで、そういう選曲やアレンジが多くなると思う。
そういう中で、トービル&ディーンの「ボレロ」は斬新だった。荒川の「トゥーランドット」も新鮮で、これらで金メダルをとってから使う人が増えたのでは。テレビのフィギュア番組のタイトルバックでも良く耳にするようになった。
凄かったのは浅田真央の「仮面舞踏会」。それまでのフィギュアの音楽らしくない、新機軸を打ち出したように思う。この音楽で演技できるのは浅田しかいないのではないか。

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「名曲悪口事典」

meikyokuwarukuchi.jpg これほど無駄に紙幅を費やした本に出会ったのははじめてだ。

序文(「序文」と「事典への序文」の2つある)は、大変面白い。
たとえば、「カルメン」についての批評が次のように紹介されている。
もしも魔王がオペラを書くとすれば、《カルメン》こそ、彼が書きたいと願うオペラであろう。
     (1878年「ミュージック・トレード・レヴュー」―ロンドン)

カルメンとは快楽に生きる娘であり、ひどい悪女だ。男から男へと、何の躊躇もなく渡り歩く。この台本は、最悪の不道徳において表現されている。女工カルメンが本物のタバコを手にして舞台に出てほどなく、その悪魔のような心が姿を現す。〈ハバネラ〉には、官能性が充満しており、恥知らずの態度とあけすけな身振りによって、よりいっそう露骨なものになっていた。
     (1884年「フィガロ」―ロンドンの演劇新聞)
いやぁ、この批評、ぴったりだ、私がカルメンに期待するのはこれだよ。

序文が終わって、いよいよ個々の楽曲・作曲家の批評に入るといただけない。別に批判されている楽曲・作曲家を擁護したいとか、敬愛しているから不愉快というようなことではない。批評の文章が実に定型的で「エモーショナル」。そしてこれが延々と続く。紙幅を無駄に費やしたと言う所以である。
たとえばこんな具合。

ベートーヴェンの《交響曲第九番》は、長さがちょうど一時間と五分である。まさに、楽団員の筋肉と肺、さらに聴衆の根気を厳しい試練にさらす、恐ろしい時間である。(中略)最終楽章には混声合唱が加わる。この合唱がこの交響曲とどのような関わりを持つのか我々には理解できない。ここでもまた、ほかの部分と同様、明瞭な構想に欠けていることが明らかだ。
     (1825年「ハーモニコン」―ロンドン)

「我々には理解できない」という楽曲批判のそのままに、批評文が何を言いたいのかわからない。
また、演奏会直前にプログラムが変更になったのに、それを知らず聴いてもない楽曲をこき下ろした評論も紹介されていた。
音楽評論もあてにならないものだ。

しかし、面白いことにも気づいた。批評にも音楽の時代性があるのだ。
ベルリオーズとか、シューマンとか、ロマン派時代の批判の常套句は、「和声学に反している」である。こんな具合。

リストとワーグナー楽派の音楽は、鞭打ちを好む性的倒錯者には何と抗いがたい課題であろうか! リストはレーナウ風の田舎酒場を本格的なオーケストラ作品で描き出した。この作品は始まると同時に、恐怖で背筋がぞくぞくし、歯が疼き出すほどの悪魔の不協和音を始める。コントラバスは二十四拍もの間、空虚なホ-ロの5度音程を演奏し、そこにまず嬰へ-嬰ハの5度が重ねられ、それからロ-嬰へとニ-イの5度が一緒に奏でられ、挙句の果てにはおぞましい5度構造ホ-ロ-嬰へ-ニ-イ-ホが浮かび上がる。リストは音楽の自然法則を単にひっくり返すにすぎない。独自のやり方で美を生み出すことができないものだから、意図的に醜を生み出すのだ。
     (1873年 エドゥアルト・ハンスリック)

「連続1度」「連続5度」「並達1度」……、こういう語をちりばめれば批評文ができあがるわけだ。

次にワーグナーなど後期ロマン派の時代になると、今度は「調性の破壊」や「旋律の欠如」がやり玉にあげられる。

リヒャルト・ワーグナーの《トリスタン》や《ニーベルングの指環》、そして彼の教義である「無限旋律」といったものについて考えることにしよう。「無限旋律」とは、無理に昇格させて原理と呼ぶことになっている無形式のことであり、組織化された非音楽のことであり、五線紙に書きつけられた旋律恐怖症のことである。
     (1865年 エドゥアルト・ハンスリック)

そしてさらに現代に下ると、「騒音」が常套句である。(この頃には12音技法はもはや「騒音」扱いではなくなっている。)

ヴァレーズの《ハイパープリズム》を聴くと、選挙の夜や、大小の動物園、それからボイラー室の破壊場面を思い浮かべてしまう。
     (1924年 オリン・ダウンズ『ニューヨーク・タイムズ』)

※以下には不快な気持ちにさせる表現が含まれます。ご覧になる場合はボタンを押してください


こうして見ると、音楽の実験・冒険が続いてきたことと、それを受容(受忍?)してきた歴史が良く出ている。
訳者あとがきによると、原書は作曲家名のアルファベット順に並べられていたそうだが、訳本では年代順にしたという。訳者の慧眼であろう。

本書では、ベートーヴェンからショスタコーヴィチまで43人の作曲家がとりあげられているが、作曲家の「重要性」は悪口の量と正の相関があるようだ。本書での悪口ベージ数のベストテンを挙げておこう。

①シェーンベルク    38    ⑥ブラームス      18
②ワーグナー      37    ⑦ベートーヴェン    15
③シュトラウス     29    ⑧リスト        14
④ドビュッシー     27    ⑨チャイコフスキー   12
⑤ストラヴィンスキー  19    ⑩プロコフィエフ    11

それにしても同工異曲の空虚な装飾文が連なる。読む値打ちがあるのは序文の部分だけだけど、存在価値としては、十分なものがあるのではないだろうか。

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雑誌読み放題サービス

情報サイトを見ていたら、"dマガジン" というサービスが便利だという記事に出くわした。

magazinesite.jpg


docomoのサービスだが、docomoユーザーでなくても、docomo IDを作って利用できる。
私はSoftBankユーザーでdocomoのサービスには縁がない。docomoタブレット(SH-08E)にMVNOのSIMを挿して使っているが、docomoのプレインストール・アプリは邪魔だなぁ(rootをとらないと削除できない)ぐらいにしか思っていなかった。

そもそも、携帯キャリアのこの手のコンテンツ・サービスにはあまり関心がなかった。パケット代を稼ぐためだろうぐらいに思っていたのだけれど、この頃はどこもパケット定額になっているから、そういうわけでもないようだ。


Screenshot_2015-04-18-08-38-43.png で、"dマガジン" だが、多くの人はご存知だと思うが、100誌を超える雑誌が定額(400円/月)で読み放題になるというサービスである。同種のサービスは他にもあって、ネットに比較記事があった。(上の画像)
端末はiOS、Android、―PCは使えない―で、1契約で5台まで使えるから、家族で分け合うこともできる。そう考えれば、かなり割安のような気がする。

昔は、親が「サンデー毎日」とか「週刊朝日」といった週刊誌を定期購読していて、それをよく読んでいたけれど、この頃はとんとご無沙汰、ネットでも事足りるしと思っていた。(この2誌もdマガジンで配信されている。)
その状況に特段の変化はないけれど、新聞広告や電車の宙吊り広告などで、興味を惹かれる記事タイトルがあると、どんなことを書いているのだろうと思ったりする。そういう時に、これは使えるかもしれないと思う。また、バックナンバーもある程度までは読めるらしい。

「100誌の雑誌」といっても、読む気がするものはごくわずかであるが、なかに1つでも2つでも読みたいものがあれば、週刊誌1冊ぐらいの値段で読めるわけだから安いと考えても良いような気がする。
今はお試し期間中だけど、継続して利用するかどうか思案中(かなり継続契約に傾いている)。

ただ、雑誌のページがそのままだから、タブレットの画面が大きくないと読みづらい。もちろんズームできるのだけれど、7インチ画面ではページ全体を見るのは無理。10インチでも少々苦しい。(そりゃそうでしょ、雑誌のページサイズと比較すれば当然だ。)

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投票所入場券

先日の統一地方選前半の投票日当日は、知り合いの引っ越しの日だった。
それで、投票は済ませたのか聞くと、入場券が来ていないとのこと。
入場券がなくても、選挙人名簿で対照して確認できれば投票できるよと言ったが、引っ越しでバタバタしているから、多分行っていないだろう。
それにしてもなぜこういうことが起こったか、原因を推測すると、結婚のタイミング、3月上旬に婚姻届を出していて、4月(投票日)に新居へ引っ越し、その後転入届(住民登録)という流れが関係しているようだ。
つまり、

婚姻届で姓が変更になり、それが住民登録に反映
入場券は旧住所・新姓で送付、住所はあっているが姓が違うので宛所に尋ね当たらずになる


こういうことがあったので、投票所入場券について調べると、いろいろおもしろい。
私は今まで、4つの自治体で投票してきたが、この4自治体ではいずれも、入場券は個人単位に出されていた。どれもおなじような様式で郵便はがきで配達される。これで全く疑問に思ったことはなかった。

ところが、自治体によっては、世帯員全員を連名にしているところもあるらしい。この場合、入場券は一人ずつ切り取って使ったり、投票所で係員が切り取ったりするらしい。後者の場合は切り取りに手間取って列になったり、家族のだれかが持ち出していると他の人が困るなどの問題も発生しているらしい。シールはがきを使っている例もあるようだが、宛名が世帯主だけになるため、他の家族の分もあると気が付かないでクレームになったという話もある。また、封筒で人数分をまとめて送っているというところもあるらしい。

今回の統一地方選では、前半(4月12日)と後半(4月26日)の入場券を一枚のはがきにしたところもある。

touhyounyujokenomotes.jpg


[ 選挙人名 | 26日の入場券 | 12日の入場券 ] という並びになっていて、12日の投票でその部分を切り取り、26日にはその残りの部分を持っていくことになる。
しかし、転居のタイミングによって、この2週間の間で選挙権が変わる人がいるはず。このため投票所では名簿と対照して確認することになる。(入場券の裏の説明に、入場券があっても転居などで投票できない場合がある旨、ことわり書きがされている。)

大阪市は一昔前まで投票所入場券を配布していなかったそうだ。投票所で名前・生年月日を言って、名簿と対照して投票していたらしい。

そういう状況だったら、マイナンバーカードとか使って、オンラインで選挙人名簿と対照するとか、いっそネット投票でもできそうに思うのだけれど。

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考えすぎ?

維新の党から比例代表で復活当選した上西小百合代議士が党を除名された。

wpid-1427927425-0012-001.jpg 世論では、比例代表、すなわち党として当選しているのに、党から除名されても議員を続けられるのかという疑義が出ている。私もその疑義は同じように思うところである。そのことは暫く措いて。
考えすぎだと言われるだろうが、上西代議士を除名したのは、橋下氏一流の戦術なのかもしれない。(そしてどうやら成功したようだ。)

どういうことかというと、はじめはこの人の女の魅力に期待して入党させておきながら、非行があると、不純とか、化粧が濃いという批判が噴き出してきたら、もはや利用価値はないと判断し、切って見せることで、党の自浄能力が高いことをアピールして、自らのプラスになるようにしたのではないかということ。
一部評論では維新の党に不利になる材料とするが、そうではなくて、自浄能力があると党への評価を高めるようにしたのかもしれない。論点をすり替えるのが得意の政党であるから。

人を見る目がなかったということかもしれないが、民間から採用した重職・校長での歩止まりの悪さが推測させるように評価基準・評価する側にも反省が必要ではないだろうか。


統一地方選、それも5月の住民投票を控えた重要な意義があるこの選挙の時期を選んでのアピールである。しかも上西代議士は大阪である。
中原元教育長の場合もそうだが、人気・支持が落ち目の人は、最適のタイミングを見計らいながら切っているのではないか。

ところで、比例選出の議員が、党を除名されても議員辞職しなくてよいのか、という点についてだが、私もおかしいと思う。しかし、現実の投票行動では、純粋にその党の主張に賛同したという人ばかりではないだろう。比例の得票に上西代議士の力も預かっていたのではないだろうか。その分を党の得票から差し引けるならそうすればよいが、そんなデータはどこにもない。
もっとも法案等への賛否が党中央の意向のとおりになるのなら、誰がなっても良いじゃないか、という話もあるけれど。

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統一地方選前半が終了

ishinsenkyokekka.jpg統一地方選の前半、都道府県・政令市の首長・議員の選挙が終わった。
一番の注目は大阪府・大阪市である。やはり大阪では維新は強かった。
大阪で何故こんなに強いのか、いろいろ考えてみた。

まず思い当たるのは、大阪の維新議員には、前は自民という人がかなりいる。地方選挙では、地縁・血縁がまだまだ強いといわれるが、こういう人達はもともとそういうものを持っていて、維新であるか自民であるかに関係なく当選すると予想される。(他府県では震源地大阪のような動きにはなっておらず、新顔ばかりだから、数はなかなか稼げないのだろう。それにしては兵庫や奈良での躍進はすごい。)

そしてそうした古株議員以外は、若手中心である。これは維新の会が行っている政治塾の活動が汲み上げてきたものだろう。維新の強さは、こういう、これから政界に入ろうという人達に、そのチャンスを与えるということにあると思う。既成政党の場合は、それなりに政治関連の領域での経験を積んでからになるようだが、それも縁故があるとかでないと入りにくそうだ。それに比べて維新は開かれていて、若い人が入りやすいわけだ。民主党にもそういうところがあったかもしれないが、その分が維新の方へ流れてしまい、民主党の凋落に結びついているのではないだろうか。
既成政党・今までの政界出世パターン、そういう定型が閉塞感を生んでいるなら、維新の躍進はまだまだ止まらないだろう。

問題は、そういう若手の質。大阪で多くの議員が誕生したとき、何をはき違えているのか、役人に圧力を加えたり、威丈高にふるまったりする議員がいると新聞でも報道されたことがある(役人バッシングで票を稼いでいるからしかたがないのだけれど)。誰にでも開かれているからといって、誰でも良いわけではないだろう。
「稔るほど 頭を垂れる 稲穂かな」であってほしいものだし、その方が主張を通しやすい。革命家は隣人とは仲良くするものだ。

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本日は休刊日

昨日の予告通り、1日遅れの休刊日。

IMG_20150412_112432-crop.jpg

写真に写っている川は淀川。夏にはこの付近で花火大会があるそうだ。


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自祝 一周年

本ブログの開設からちょうど一年を自分でお祝い。

毎月13日は「休刊日」ということで、記事としては書かないで画像などで誤魔化しているが、さすがに一周年なので、休刊日はあしたにまわして、今日は、一年の反省を。

koudou12kyu.jpg

まず1年続いたことを自賛。
続けられた理由の一番は、仕事がラクになったことだと思うが、大先輩の珍之助さまなどは、年々忙しくなるなかで10年近くも続けておられる。これは凄いことだと思う。

訪問数はサイドバーの一番下のところ、「聞いたもん」でカウンターを表示しているが、現在は10,000にちょっと足りない数字が表示されている。カウンター設置が昨年の6月11日だったので、1年で10,000は超えていることと思う。もっとも、この数には、私自身がアップの確認や過去記事の参照などを行ったもの、Googleのクローラーなどのロボットが見ているものがかなり含まれているだろうから、ちゃんと見られている件数はその半分程度だろう。

かといって、見てもらうための積極的努力はしていない。ブログの存在を私から伝えた人は3人しかいない(定例的にチェックしてくれているのは珍之助さまぐらいだろう)。自己満足ブログという所以である。
コメントや拍手がほとんど付かないのはさびしいけれど(先日、怪しいコメント―多分プログラム入力―がついたが)、私も人のブログを見て、素晴らしい、役にたったというものでも拍手やコメントを送っていないから、これは仕方がないことだ。

1年続けられるとは、実は思っていなかったけれど、続けているうちに、続けることが目的になり、世間に出すのは恥ずかしいという気持ちが次第に薄れてきた。
続けることが自己目的化すると、原稿落ちが怖くて、貯め原稿を用意。話を分けて二日分にするなどのテクニック。出不精でこれといった話題を身辺にもたない私の場合、ネタに困ったらニュース評や書評で誤魔化す。
こうして、ブログらしいリアルタイム性がなくなって、「先日」の話が増えてくるのは少々みっともない。

もっとも、平安時代の日記文学の多くは、あとから思い出して書いているものらしい(前に書いたら予言)。
日記とは呼ばないが枕草子もそうだから、ということで自己弁護。
枕草子は日記的でないブログの形として一つの定型ではないだろうか。もっとも全段を通して読んだことはないけれど。


で、結局、何のために書いているのかと自問すれば、「老化防止」としか言いようがない。
自分の考えを文章にまとめることは、たとえそれが雑談のようなものにすぎなくても、なかなかの作業である。
しかしブロガーとしてはまだまだ。出かけても写真を撮り忘れることもしばしばで、慢性的なネタ不足が実情である。

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今日は選挙

統一地方選の前半、都道府県・政令市の首長・議員選挙の投票日である。
先週は、毎日のように、通勤の乗降駅で候補者の「お願いします」を聞いた。

私が選挙権を行使できる自治体では争点というのがはっきりしないのだが、大阪府議・大阪市議は、5月の住民投票を控え、それなりの熱気があるようだ。

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昔、国政選挙では、郵政民営化だけを争点とし、これに反対するものには抵抗勢力というレッテルを貼ることによって、投票行動に少なからぬ影響を与えるという戦術で大勝した事例がある。

レッテルを貼ることにより、候補者個人の資質や主張を考慮の埒外におき、投票者を思考停止させる効果がある。戦争で敵・味方を区別するのと同じだと考えればわかりやすい。敵と言われたらその時点で攻撃対象になる。
レッテル戦術の良し悪しは何とも言えないが、古来、政治の実権を得る手段として使われてきたと思えるし、それによって世界が大きく動いてきたということがある。また、実は争点自体は大した意味がなく、敵・味方のレッテル貼り自体を目的とする場合もある(その争点によって勝利した後、まるでそんな争点があったことも忘れるようなケースがままある)。

とはいうものの、自治体の選挙というのは、地縁・血縁が強いと言われていて、争点がどの程度、票に影響するかはわからない。

ところで、争点である大阪都構想は、信頼できるデータや理屈、ビジョンに基づいて議論されているのだろうか。
たとえば、二重行政のシンボル的にとりあげられる図書館だが、府立・市立のどちらかを廃止するのだろうか。
寡聞にして、府立図書館、市立図書館は二重だからこうするという話はついぞ聞いたことがない。

事務効率が上がると言う程度では二重行政のムダというほどのことではないと思う。それに2つを1つにすれば効率があがるというなら、1市をつぶして5区にしたら効率が下がるというのが理屈というものだけど。


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「天上の虹」完結

去る3月18日の「道鏡」の稿で、『作者が「あと1巻で完結」と予告しているから(といってもいつのことかは)』と書いたのだけれど、3月13日に、第23巻<完結>が出版されていた。
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ときどき Amazonで出版情報をチェックしていたのだけれど、その狭間になって気付くのが遅くなった。だいたいAmazonは購入実績はもちろん、調べただけのものでも記録して、おせっかいなメールやウェブで「おすすめ」を執拗に案内してくるのだけれど、この数年来「天上の虹」の新刊はAmazonで買っていたにもかかわらず、第23巻を案内するメールが来た覚えがない。今までなら出版予告段階でも案内されて、すぐに予約購入していたのに。


既に前の巻から、長寿の妙薬として水銀を服用していて(中国にはこんなすばらしい薬があると言いながら)、体調が悪いことが描かれ、崩御が近いことが予告されていたから、最終巻はおそらく淡々と死に至る日々が書かれるに違いないと思っていた。

ネタバレにならない程度に書くけれど、日本書紀と古事記、なぜ2つの歴史書が作られたのか、従来からいろいろな説があるようだし、古事記には偽書説もある。本書ではその理由が推測されている。その根拠はおそらくまったくないのだろうが、作家だからこその想像力、うますぎる話のようにも思うけれど、なるほどとも思う。

讃良の読みは「ささら」と「さらら」の2つがあり、「ささら」の方が有力だったのだが、音感で「さらら」を選んだと作者あとがきにある。私は「さらら」だと思っていたが、これも里中先生の影響だったのかもしれない。

そういえば、万葉集で有名な「ささのは」の歌について、「さのはは やまもやに やけども」と「さのはは やまもやに だるとも」の2つの読みがあり、前者はさ音の多用が笹の葉が風に騒ぐ音風景を表すというのに対し、斎藤茂吉は「万葉秀歌」のなかで、前者は軽すぎ、「やま」のに対して「だるとも」が韻であり、それが重厚であると後者をとる。音の問題は讃良を音仮名(万葉仮名)で表記したものなど決定的な証拠が出ないと難しいのではないだろうか。


そして、讃良の死の状況であるが、これも今まで聞いたことのない様子で描かれる。
最後は、良く知られた史実、初めて火葬された天皇として、後の仏教立国の礎を築くことになるのだが、本作では火葬の煙となって全国にゆきわたり、国を、民を、ささえていくのだという讃良の思いで情緒的にしめくくる。

茶化すようだが、大河ドラマでヒロインがぜんぜん歳をとらない、おかしいという話を耳にするが(最後に突然、白髪になったりする)、「天上の虹」でも、讃良が一向に老けない。しわひとつないままで崩御する。

持統の後、文武、元明、元正、聖武、孝謙(称徳)と続くわけだが、里中先生には「女帝の手記―孝謙・称徳天皇物語」という作品もある(未だ読んでない)。これには道鏡はどう描かれているのだろう。
また、永井路子に元正天皇、孝謙天皇を主人公にした歴史小説があるらしい。これも未だ読んだことはないが、興味が惹かれる。

こうして完結してみると、またあらためて第1巻から通して読み直したくなるのだけれど、実は、読みたいという人がそこそこいて、そういう人のところに分散してしまっている。これを揃えるのにまた一苦労しそうだ。

ところで、以前、大阪府立弥生文化博物館を訪れたとき、ミュージアム・ショップで、里中満智子先生による色紙や扇などが販売されていた。マンガ一冊より高い価格だったので購入しなかったけれど、まだ売っているのだろうか。

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Galleryの改修

先日、本ブログのサイドバーにGalleryを導入した。
小さい画面でスライドショーを、それをクリックして大きな画像を出すというものだったけれど、その後、既にお気づきのかたもかたもいると思うが、大画像のウィンドウ(タブ)側もスライドショーになるようにしてみた。

なかなかうまく動作せずに、ああでもない、こうでもないと苦労したのだけれど、なんのことはない、スクリプト中の論理式で、"=="とすべきところが、"="になっていただけだった。しばらく書いていないとこういう勘違いをしがちである。

※記事中にJavascriptが書けることがわかったので、以下に上記改修と同様のスクリプトを入れてみた。

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ギネス記録?

元中学校校長(64歳)が買春、その数12600人(延べ?)、というニュースが流れた。
一部報道では、マニラ赴任の25年前ぐらいからとかで、買春相手の女性には(順に?)番号を付っていて、最後が12638だという。また、その相手の年齢は14歳から70歳だとも。

vlc-2015-04-08-19h55m08s253.pngニュースを伝えるネットには、大量のコメントが書き込まれている。そりゃそうだろう、みんな電卓を叩いたに違いない。 ネットのコメントの大半は、その数に驚いているもの。

毎日1人でも、365×25=9125、どうなってるんだ?
毎日1人でも、30年かかるじゃないか


ドン・ジョバンニは、イタリアで640人、ドイツで231人、フランスで100人、トルコで91人、スペインで1003人である。全部足しても2065人にしかならない。
村娘も、お手伝いも、町の女たち、伯爵夫人も、男爵夫人も、侯爵夫人も、お姫さまも、ありとあらゆる地位の、格好の、年齢の女、にもかかわらず、その数である。(以上「カタログの歌」に基づく)
vlc-2015-04-08-19h56m18s2.png

ちなみに劇中の女性関係に限れば、ドンナ・エルヴィラは間違いなくモノにしているが、ツェルリーナは邪魔が入ってできていない。
ドンナ・アンナを襲って成就したかどうかは議論があり、ある意見では、その後のドン・ジョバンニの態度が冷たいところから判断するとモノにしている、最後にドン・オッタービオの求婚を暫し斥けるのは妊娠の有無を確かめるためだとか、もっともらしい理屈が述べ立てられている。
もう一人、名前も明かされず、歌もなく、演出によっては姿も出さないバルコニーの女(セレナーデを歌う相手)は、その後のシーンでドン・ジョバンニが上機嫌で登場するから成功だろう。なお台詞中ではレポレルロの女房にも手をだしているようだが、これは最後まではいっていないと信じる。


いやぁ、それにしても12000、とんでもない数である。
買春という以上、代価を払っているわけだが、いったいいくらで買っていたのだろうか、という疑問もわいてくる。国内だったら、億単位になると思われるが。

売買春は犯罪である。しかし、誤解をおそれず言うと、売買春が犯罪になったのはそんなに古いことでもない。公娼制度が残る国もまだあるのではないだろうか。また、世界でもっとも古い「職業」という言い方もある。チンパンジーでも食料を与えてセックスをする行動が見られるという。悪いにしても、これ自体が凶悪犯罪というのはあたらないと思ってしまう。
ただし、これに付随するよくないこともある。某所では、「3ない運動」といって、「病気をうつさない、女を囲わない、暴力団の資金源にならない」という運動をしていたと聞く。
で、こっちは青少年健全育成条例の問題だが、14歳は保護されるべき子供ではあるが、昔はその歳で嫁ぐのは珍しくない。

ジュリエットは14歳だった。
藤壺 16歳、葵上 15歳、明石君 18歳、明石姫君 12歳、女三宮 14歳。紫の上は13か14歳。
しかし昔の寿命を思うと70歳はすごい。源典侍が源氏と会うのは57~8歳で、70歳ぐらいまで長生きして、それでも色好みだったと想像されるけれど、なかなか珍しいことに違いない。
(珍之助さまにからかわれそうだが、私なら源典侍に一番興味が惹かれます。)


はじめに戻る。12000人、これってやっぱりギネスものでしょう。
ギネス認定にはしっかりした証拠がいるらしいけれど、しっかり写真も残っているそうだし。
(もし全員妊娠させて子供ができてたらジンギスカン以上ではないだろうか)
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洛中洛外図展

洛中洛外図展のコメント。
展覧会の正式名称は「京みやこを描く―洛中洛外図の時代―」で、4月12日までである。

洛中洛外図といえば、上杉本として知られる、例の信長から謙信へ送られたというもの(国宝)が有名だが、他にもたくさん作られていて、私もいくつかの展覧会で目にしたことがある。何の展覧会か忘れたが、非常に大きな作品を見て、飽かずに眺めたおぼえがある。

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今回は、上杉本は複製が置かれていたが、歴史博物館所蔵品2点をはじめ、多くのものが集結している。
特に、歴博のものは、来場者がつぶさに見られるように、複製も展示されていた。歴博のものは、2隻が一組で、右隻が東を向いたもの、左隻が西を向いたものになっているわけだが、本物はガラスの中に並べられているが、複製は、おそらくそうやって鑑賞されたのだろうという、向かい合わせに置かれている。この間で鑑賞すれば、北を向いて座っているという趣向になるわけだ。

kyowoegaku.jpg洛中洛外図というのは、「芸術」鑑賞ではなくて、歴史資料を見るという感じになるのだろう、今も残る京都の名所が描かれていて、来場者の多くが、覚えのある名所を探して、見つけると「あった、あった」という具合。
「内裏はどこかしら?」というような声が聞こえたので、私も指差してあげたりした。

音声ガイドを借りて、作品の説明を聴いていたが、こういう作品の場合、ガイドは必須であろう。でないと、絵にかきこまれている細かい見どころがわからない。
もう一つ必須のものは、単眼鏡(あるいは双眼鏡)である。美術展へ行くときはだいたいいつも単眼鏡を持っていくと前に書いたけれど、今回は本当に役に立った。
wallywosagase.jpg
とにかく、大きな画面に実に細かく書きこまれているのだ。特に、桃山時代の作品では黒ずんでいて、人物の目鼻立ちが細かく書きこまれていてもぱっと見には全然わからないのだが、単眼鏡で見るとくっきりとわかる。
そうやって細かく見ていると、いくらでも時間が経つ。丁寧に見ていたら、1枚見るのに何十分もかかってしまうだろう。(ウォーリーを探しているようなものだ。)

展示でおもしろいと思ったのは、名所・大屋敷をひとつずつ絵にしているもの。これはこれで見事なのだが、これらを一幅(というかだいたい6扇あるのだけれど)の洛中洛外図にまとめるのに使われたらしい。

「大和絵の 要所要所は 雲で逃げ」という川柳があるらしいが、洛中洛外図といえば、あちこちが雲で隠されている。
そもそも現代的な地図にあたるものではなく(区割りが通りの名前が書きこまれた地図は別にある、これも展示されている)、大体の位置関係を著しているにすぎないが、それでも、初期のものは、鴨川や堀川、小川が描かれ、道筋もわかるようになっているのだが、江戸期になると、名所をだいたいこのあたりと配置しているだけの、位置関係が随分アバウトなものになる。(もっと時代が下ると、市域全体を書き込んでいる写実的な洛中洛外図も現れる⇒原在中「東山三十六峰図巻」)

higashiyama36pou.jpg


今回は時間の余裕がなかったし、長時間見ていると疲れてもくる。こうなったら図録を買って、家でゆっくり見るしかない。
図録はずっしり重い。2,300円である。(鮮やかな人物画は表紙ではなく、図録の透明ケースに描かれている。)

kyoto1000nennorekishi.jpg少し前に、高橋昌明「京都〈千年の都〉の歴史」という本を読んだ。この本でも洛中洛外図には触れているが、考古学的証拠もあわせて、京都の変遷が書かれている。

平安京は決して完成することはなかった。条坊制の遺構が残るとはいうものの、平安末には、町を管理していた役人が承認して通りが畑になっていく。
応仁の乱で人口を激減させ、その後、秀吉のお土居で城壁都市となってようやく都の賑わいをとりもどす。
そして江戸期には、さらに発展して、お土居を崩して、市街地が広がっていく。
それも、丹後・越前から京都への物流が、船運の発達で京都を通過しなくなると、また京都は力を失っていく。
御所にしろ、名刹にしろ、江戸幕府の支援がなければ京都の町はなりたたなかったと指摘している。
その京都が、倒幕の中心になったのだから皮肉なものだ。


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京都文化博物館

kyotobunkahaku.jpg 日曜日、河原町御池付近に所用があった。

用事自体は1時間程度で済むはずだったので(実際には倍ぐらいかかったけど)、京都の桜でも見ようか、御所の一般公開もしているし、と思ったのだが、あいにくの雨。
室内型の見ものはないかとネットの展覧会スケジュールをチェックしたら、京都文化博物館で「洛中洛外図展」というのを開催している。用事のある場所からも近いからちょうど良い。

写真はネットで拾ったもの。雨がひどかったので、建物の外観写真を撮る余裕はなかった。

kyotobunkahakunai.jpgkyotobunkahakunakaniwa.jpg 日本銀行の古い建物を博物館にしたもので、できてすぐ(日本銀行ではなくて、博物館がです)ぐらいに行った覚えがあるが、この古い建物の北側に本館がある。

私は南側の古い建物側(三条通)から入場して、本館へ。途中、休憩コーナーになっている中庭があるが、ご覧のとおり、雨で誰も座っていない。


「洛中洛外図展」は、60点程度の展示だし、多くは下絵とか、模本とかだから、1時間もあれば十分と思っていたのだけれど、どうしてどうして、充実した展示である。
来場者も、混雑というほどではないにしても、この種の展覧会としては結構多いのではないだろうか。私のように、雨だから博物館めぐりにした、という人が多いのかもしれない。

展示スペースは4階と3階になっている。結局、半分ほど見たところ(4階展示)で1時間を要し、用務先の約束の時間が迫っていたので、残り半分は急ぎ足で通り過ごした感じ。


用事は無事終了。予定外に時間がかかったので三条で食事(もつ鍋)
展覧会のコメントは稿をあらためて。

treatdressingser.jpg   treatdressing.jpg    kyotomotsunabe.jpg

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すっかり春。桜

出不精な私だが、土曜日、近所に買い物に出たら、街路や公園の桜が見事だった。

150404kinmei.jpg<
まずは買い物に行ったショッピング・モールの屋上の駐車場から、隣接する公園の桜。
木々の陰になっていて写真ではわかりにくいが、公園も付近の街路樹の桜も結構咲いている。

150404hirakatac1.jpg
それではということで、近所の桜の名所にもなっているゴルフ場に廻ってみた。

例年、この時期は桜見物の人が多く集まる。
多くの人が思い思いの場所にシートを広げて食べ物をたべたりしている。
駐車場もいつもいっぱいになるが、この日はまだ少し余裕があった。
雨の予報で、控えた人もいるからだろう。


150404hirakatac2.jpg
こちらはショートコースらしい。
日が落ちるとライトアップもされる。夜桜見物には行ったことはないけれど、家へ帰る夜道には、この光が結構賑やかになる。写真にその証明設備が写っている。

菜種梅雨の予報だったが、幸い、土曜日は夕方まで雨は落ちてこなかった。
今週末には散ってしまうのだろう。

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春めいてきました

昨夜の皆既月食は、どんよりした雲に隠されて残念だった。
春の長雨、菜種梅雨というわけだが、4月に入って、気温はめっきり高くなって、一気に春の陽気である。

20150404tulip1.jpg
まず庭の花。

チューリップやムスカリといった園芸品種。
ムスカリは、わざわざ球根とかを買わなくても、毎年出てくる。
また、ツルハナナスという草が勝手に生えて花をつける。実は私はこの草のほうが好きである。
紫色で、5~6cmぐらいの径で、シンプルな花である。下の梅の写真で根元に見えている。

本当は春というと、子供のころの記憶のせいだろう、ツクシ、タンポポ、オオイヌノフグリというような草が春らしいと思うのだが、なかなかこれらが自生してくれない。近所にもあまり見かけない。

名前のわからない草もある。家人は雑草は抜けとうるさい。私が育てているわけではないけれど。

昭和天皇は「雑草という名前の草はありません」とおっしゃったそうである。

20150404bougashi.jpg
次に庭木。これはボウガシ。

この季節になると若葉が大量に出てくる。夏になるとこれが全部、大きな緑の葉になる。
緑陰といえばそのとおりだが、密になって風通しが悪くなると病気になりやすいということもあって、毎年剪定する。
秋にはドングリの実をつける。そのドングリから、新しい芽がでて幼木もちょこちょこ出る。かわいそうな気がするけれど、これも適当に抜かないといけない。

植物というのは、ほうっておくと随分と繁る。刈らざるをえないのだけれど、生き物を傷つけるようでなかなか気乗りしない。

20150404ume.jpg
最後に、前に花を報告した梅。

葉が出てきたが、これがいっぱいになって、本来なら、6月には実がなるはずだが、前に書いたように、多分、受粉がうまくできていないから、あまり期待できない。

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記事中にJavascriptを書いてみた

先日、サイドバーにGalleryを置いたけれど、そのため、今さらではあるが、ブログの動作についてあらためて調べることになったのだけれど、どうやら記事中にjavascriptが書けるようだ。

ネットの情報では、記事にjavascriptを書いても動作しないのは、投稿時にブログ側が解釈をすることがあるからで、その代表が自動改行のようである。

投稿フォーム中に改行があると、ブログ側は"<br>"を補うようだ。このため、scriptコードとしては不適当なものが生成される。

試しに、前の投稿で紹介したものだが、楽音と周波数の相互変換を行うjavascriptを記事中に埋め込んでみた。
また、formもちゃんと動作することがわかった。

fc2ブログにはいろんなプラグインがあって、私もGalleryで使わせてもらっているが、ブログ全体の動作がもう一つわかっていないと、何ができるのか、どこをいじれば良いのかなど、なかなか掴めない。記事にそのままscriptがかけたら便利かもしれないなどと考えていたわけ。

もっとも、ブログというものの性格上、scriptを書き散らすようなことはしないと思うけど。

楽音と周波数   基準 A4 = Hz


※どれかのフィールドに数値or音名を書き入れて、上ボタンのクリックで他のフィールドに計算結果を表示

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糊付けボタン

hinomarubotan.jpg先日「お米と食の近代史」で、日本人は第一次世界大戦の時、ボタンを糊付けした粗悪な洋服を輸出したという話を書いたけど、同じ話を池上彰氏もこの間放送された「戦後70年キーワードで比べてひも解く日本」というテレビ番組でとりあげていた。

私が小さい頃は、品質の良いものを、上等「舶来」などという言い方をする人がいた。「くだらない」(江戸の地のもので、京・大坂から来たものではない)ものというのと同じ構図である。
今の若い人たちは、日本製品は品質が良いと考えて疑わないかもしれないが、私の年代だと、外国製をありがたがる風潮があった。

驚くべきはウィスキー。20年ぐらい前まで国産ウィスキーは local whisky と言われ、訪日する欧米人からウィスキーの代替品扱いされていたが、今は Japanese whisky として、日本はスコットランドやアイルランドに並ぶウィスキー産地として認知され、近年はサントリーとニッカの日本勢が世界最高のウィスキーと評価されている。ただし、「最高」とされるものはめちゃくちゃ高価だが。


ところで、前に書いたように「糊付けボタン」の話は、私は学校(たぶん小学校)の社会科の時間に聞いたと思うが、学校ではそんな話を聞いた憶えがないという人もいるようだ。別に、文科省が教えるべきこととしていたわけではないだろうから、地域や時代によるのかもしれないし、たまたま私の担任教師が、こんなひどいことをした時代があった、という自省を込めて話したのかもしれない。

私が通った小学校は、祝日や学校行事ではあたりまえに日の丸が掲げられていたし、お正月は元日には登校して、新年のあいさつをするという、どちらかといえばかたい学校だったし、子供もそれに特に疑問を持つこともなかった(家でも祝日には日の丸を揚げていた記憶がある)。また、終戦時には航空隊にいたという先生とか、シベリア帰りの先生もいらして、戦前の学校行事の形は結構残っていて、過去を懐かしむところもあり、それでいて、戦争や日本の歴史を反省するという、今から思えば、ちぐはぐなようで、わりにバランスの良い教育だったのかもしれない。

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Y市の面積が広くなった

昨日から、Y市の面積が1ha広くなった。

Y市の面積は、今までは41.71k㎡だったが、平成27年3月6日公表の全国都道府県市区町村別面積調により41.72k㎡となり、平成27年4月1日からは市の面積として41.72k㎡が基準となる。
国土地理院の面積計測方法が変更になったためで、実際に面積が増えたわけではない。

1haというと結構な広さだけれど、市域全体からすればわずか0.02%である。
住宅や各種施設、道路、河川など、いろんな土地の面積が記録されているわけだが、それらを合計したところで、そもそも市域の面積に一致していたはずもなく、それぞれの記録には何の変更もない。

合計が一致しないと騒ぐようでは数物のセンスが疑われる。
小咄:(自然史博物館で恐竜の化石を見て)
   「この化石はどのぐらい前のものですか?」
   「6500万と3年前です。」
   「そんなに細かいことまでわかるんですか?」
   「私がここにきたとき6500万年前で、それから3年経っていますから。」


nihonrettou.pngこういう地理院の数字の変更というと、以前、日本の位置がズレていることが分かったという事件があった。
東京付近の経線は東に290m、緯線は南に350mズレることになった。原因は、日本の測地系の原点(旧東京天文台)ではジオイド面が歪んでいたことだった。その後、新しい座標で表示されるようになったと思う。

決定的だったのは衛星からの測量だったように思うが、おかしいということは天文学者は早くから気づいていたとも言う。というのは、日本の天体観測データが、海外のデータと常に一定方向に偏ってしまうという現象があったから。このため、せっかく日本が観測データを提供しても、海外では評価されないという悲しいことがよくあったとも。

そういえば、戦前、日本選手が次々に素晴らしい記録を出していても、日本の計測はおかしいんじゃないかと公認してもらえなかったという話を聞いたことがある。戦前の日本水泳陣の活躍は有名だが、オリンピックでの金メダルは、そういう不名誉な疑いを晴らす機会でもあったという。

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新年度の始まり

新年度が始まった。
一年契約の嘱託員なので、前の辞令の日付は平成27年3月31日で切られていたが、引き続き任用通知をいただき、また1年を今の職場で暮らすこととなった。

新年度を迎えるにあたり、室内の模様替えなどもされた。
写真は窓際の応接セット。先週末まではこの場所に廃棄予定の情報機器が積み上げられていて、圧迫感があったのだが、綺麗に取り払われて、随分開放的な空間ができた。
窓に消防隊進入口のマークがあったのも知らなかった(ダメでしょう、そこにガラクタ置いちゃ)。

そしてもう一つの写真は、その窓から見下ろしたところ(応接の写真とは逆方向を見ている)。
小学校の桜が五分咲きというところ。(今日は天気が悪いので、写真は一昨日のもの)

newreception.jpg viewfromoffice.jpg

昨日から、本ブログに"Gallery"というプラグインを導入した。
写真をランダム表示(画像クリックで大きな画像へリンク)するもので、
今のところ、プロフィールの上に出しているのだが、気づいていただいただろうか。
こういうことをやってみたいと思ってネットで調べると、
使えるプラグインを無料で公開している人がいる。
感謝々々 

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