電子書籍のまとめ買い

前にも書いたが、電子書籍ショップのhontoは、しょっちゅう割引クーポンを出す。ユーザーの私にはそれがメールでも知らされる。
5%とか10%の割引なら食指も動かないというものだが、50%割引クーポンが来ると、この際、まとめ買いしようかと考える。
hontocoupon50.jpg
どのくらいの頻度で半額クーポンがくるのか、メールの記録を見ると、今年に入ってからは、2月19日、4月24日、6月25日、7月16日と4回あった。
どのクーポンも使えるのは数日間だから、この間にまとめ買いをしたくなる。

とはいっても、電子書籍ってあんまりこれというものがないとかねてより嘆いているわけで、まとめ買いらしきことをしたのは2度。1度目は、音楽史の本8冊シリーズで通常価格7,020円。2度目は科学エッセイや歴史エッセイなど3点で2,884円。

通常、図書館で借りた本を最優先で読み、電子書籍の優先順位は低い。なにより急いで読まなければならないような・あるいはそういう気になる本があまりない。
そして、旅先で本を持たずに出かけたとき用にキープしておくので、まとめ買い⇒買いだめになってしまいがち。

それでも、半額クーポンの知らせが届くと、ついまとめ買いをしたくなるのである。

Amazonはこういう半額クーポンのようなディスカウントはちょっと記憶にない。ということで電子書籍の有料購入は、今のところhontoに軍配があがる。

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喫煙マナー

IMG_20150729_172636-crop.jpg少し前のことだが、大阪府の庁舎敷地内に喫煙スペースが復活するというニュースがあった。

橋下前知事により2008年5月から庁舎敷地内全面禁煙を実施、職務時間中の禁煙を義務付け、庁舎内の喫煙コーナーを廃止した。
橋下禁煙が始まった初日には、あぶれた職員が外で喫煙する姿をカメラに納めようと、いくつかのテレビ局が府庁に近いコンビニなどに集結していたという。
また、このお触れに叛いて、勤務時間中に喫煙した職員は容赦なく、その時間を職務専念義務違反に問い、給与返納させるということまでしている。

今回、敷地内の2ヶ所にフェンスで囲った喫煙場所を設けるという。

知事は12月の任期満了まで待てんかったんか、という声もあるらしい(再選を目指す意思かとも)。

IMG_20150727_172357.jpgただし、喫煙場所に灰皿は置かず、喫煙者はそれぞれ携帯灰皿を持ってくることになるらしい。灰皿を設置すると、吸い殻などの回収や清掃などの維持費が発生するから、それを嫌ったのだろう。

もともと勤務時間中禁煙だから、休憩時間に一斉に庁舎敷地外へ出て、灰皿が置かれている場所へ大量に移動していただろうから、それは目立つことだったに違いない。

私は会社への往き復り、K鉄Y駅の前にある喫煙コーナー(写真上)で一服することにしているが、ここもときおりマナーの悪い喫煙者の痕跡を見かける(現認することはあまりない)=写真中

RenoirBalaBougival.jpg こういう喫煙スペースができると府の職員だけでなく、来庁者も使うだろうけど、やっぱり吸い殻が散乱したりするかもしれない。
灰皿には吸い殻以外は入れないのがマナーだけれど、空になったタバコの箱とか、缶入り飲料の缶とかが放置されていることが良くある。もちろん灰皿の外の地面に落ちた吸い殻も良く見かける。他の喫煙者の邪魔になるとか、見苦しいとかいう感覚はないのだろうか。
「優良喫煙者」を自認する私には許せないことである。こういう喫煙者がいるから、本来のタバコの害以外に、喫煙者の害まで糾弾されることになる。

私などは初めて訪れた場所では、「タバコが吸える場所がありますか?」と聴くのだけれど、マナーの悪い連中は、そんなことはお構いなく吸うらしい。携帯灰皿をもってないという不届きな連中もまだまだいるようだ。

ところで、ルノアールの「ブージバルのダンス」という作品(写真下)には、踊る男女の足下に、吸い殻やマッチの燃えかすが何本か散らばっている(画像クリックで拡大して確認されたい)。
この吸殻(美しいものではない)を書き入れた意図はなんなのだろう。
リアリズム=写実主義と考えるとルノアールはそれにはあたらないだろう。

ダンス場の落ちている吸い殻にクローズアップ………しばらくしてカメラが引いていく………つぎに映し出されるのは女が横たわるベッド………さらにカメラが引いていく………連れ込みの薄暗い一室………流れのまま、ダンスの昂奮を引きずって、男は強引に女をここまで連れてきたらしい………既に事は終わっている―吸い殻がそう語っている………

えらい妄想やな、珍之助さま並みや。


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「女帝の歴史を裏返す」

joteinorekishiwo.jpg 永井路子「女帝の歴史を裏返す」の感想。

以前、「天上の虹」完結の記事中で、 ”永井路子に元正天皇、孝謙天皇を主人公にした歴史小説があるらしい” と書いたし、また、持統天皇をとりあげた「茜さす」という小説もある。これらの小説はどれも読んでいないのだけれど、その永井路子氏が、推古天皇から後桜町天皇までの8人の女帝について歴史講座をされたものを本にまとめたもの。

これは歴史の本と言うには推論が大胆、つまり今までの「常識」やイメージとは違うようだけれど、その推論を裏付ける具体的事実がないとしても、それを否定する事実もなさそう。そして、この推論は、明確にスジが通っていて、なるほどと腑に落ちる。簡潔で大変読みやすい。

私が今までもっていたイメージは、さすがに単なる中継ぎ論ではないが、推古は自身が政治を行うというより、どっしりとそこに居て存在感のある女帝、皇極(斉明)はそれほどの存在感はなく、とりわけ斉明時代は中大兄の隠れ蓑というもの。そして持統はやはり「天上の虹」のイメージである。
しかし、永井先生のこの本は、その天上の虹の持統のイメージを補強するとともに、覆してもくれる。

キーワードは、女系、より正確には双系という当時の氏族・家族の構成原理。
女性が家に居て、その女性を支える男たちという構造が、氏族を引き継いでいく。大家(おおとじ)というそうだ。
そうであるなら、推古帝が蘇我氏という家を保持する立場であることは当然のことである。そして、その蘇我氏を中心に国政が行われる。という絵解きである。この構成原理をベースにおけば、女帝の存在はなんら不思議なことではないという。

そしてこの構造は、皇極においても持統においても同様に続いているという。
持統はこの権力構造を強く意識し、その中心にあってその維持に努め、それゆえに力をふるうわけだが、その後の元明・元正はその役割を自覚しつつも氏族の力が減退していく時代となる。
その蘇我氏の地位が藤原氏に簒奪されていく。そこに孝謙天皇が登場するというわけだ。

この本では、たとえば、なぜ藤原鎌足は持統期にはあまり目立たなかったのかをはじめ、飛鳥・奈良時代の不思議がさまざま取り上げられ、前述の推論を軸として、その謎解きが行われる。そして、いろいろな歴史上の事件が関連し、筋道をもってあらわれてくるのである。
だから、ちょっとわかりにくかった飛鳥・奈良時代の歴史の動きが腑に落ちてくる。

「天上の虹」がきっかけとなって読んだ本だから、最後に持統帝について補足。天上の虹では、偉大な政治家、厳しいところもあるが信念と慈愛をもったスーパーヒーローであるけれど、永井路子の筆はもっと穿つ。前記のとおり、権力構造の中心にいて、その権力をふるいかつ補強する女性であり、権力者なら当然するであろう、陰謀、卑劣な振る舞いも含めて、力をふるった容赦ない帝王が見えてくる。

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同盟国を選ぶ基準

20150727_0047.jpg いわゆる「安保法案」が参議院で27日、審議入りした。
国民の理解を得るため、審議ではしっかりとした質疑をするという話である。

一方、法案の反対運動も引き続き活発である。
しかし反対運動のトーンとして、戦争はイヤ、子供を戦場に送るな、というだけでは論理的な強さを感じない。
かたや、「法的安定性は関係ない。わが国を守るために必要かどうかが基準だ」という発言が出て、また冷静な議論から外れていく。
相変わらず、このあたりの議論は非平衡(「平和主義とは何か」)なようだ。

当然だけれど、外国が理不尽にも日本に攻めてきたら戦争状態になるが、それでも戦争はだめというのかと言われたらどうか。
もちろん戦争絶対反対論者であっても、そうした事態にあって抵抗することを否定はしないに違いない(絶対無抵抗主義の一部宗教は別として)。ただ彼らはそれを戦争とは呼ばないというだけの話であろう。ここにも言葉のすれ違いがあるようだ。

前の戦争については、日本はやむをえず戦争をしたのだという人達がいる。
こういう人達は、満州、台湾、朝鮮を失ったら日本は生きていけないと言っただろうけれど、このすべてを失っても日本は高度成長を実現し、世界有数の経済大国になった。もちろん人口も戦前をはるかに上回った。
つまり、「やむをえず戦争をした」というが、やむをえないと思っただけで、実際は別の道もあったと推測するに十分な証拠である。
安易に「やむをえないから戦争」という判断をしない、つまり国家の手を縛っておくというのが平和憲法の意義だろう。平和憲法も実力で侵略されるようなことがあったら実力で対抗することは否定しない。

それはそれとして、日本に対するアメリカをはじめとする諸外国の世界の安全保障に協力せよという圧力も看過できない。
以前、集団的自衛権と集団安全保障は、似ているけれど別の枠組みであるという論を紹介した
しかしそういう視点は、このところの報道などでは全く見受けられない。私は集団安全保障に参加する上で、集団的自衛権を否定できないのであれば、その範囲、つまり制約条件付きでの権限行使を規定すれば良いと考えているのだけれど、それでは安倍首相の思いは実現できないのだろうか。

集団安全保障、実状としては国連へ安全保障を委ね、それに協力することが不十分だという論拠はもちろんある。湾岸戦争でもそうであったように、国連軍ではなくて多国籍軍というトリッキーな作戦行動への参加である(湾岸戦争の正当性はちょっと措いて)。

で、反対論者は言う、「アメリカの戦争に巻き込まれる」と。
集団的自衛権というのは、それを認めたら、無限定に同盟国に協力しなければならないのか? そうではないだろう。集団安全保障への参加については、特定の同盟国の意思に従うわけではないから、平和主義的なメカニズムが組み込まれると思うが、特定国との同盟でも、同様の平和主義的な規定を持ち込めないのだろうか。

集団的自衛権⇒同盟国の戦争に巻き込まれる、という論理はちょっと短絡的すぎると思う。
そういう「原理主義」的な主張だけでは、現実的な着地点なんか見つけようもないだろう。そして、国会ですらそんな議論―大人の議論とは思えないをやっているなら、ただの税金の無駄遣いだ。(そして最後は強行採決か)

集団的自衛権が日本にあるかないかと言えば、それは、各国が持つ権利と同様という意味で、日本にもあるだろう。ただ、日本はその行使を自ら平和憲法によって制限している(これをアメリカの押し付けという論は措いておく)。しからば、集団的自衛権の有無そのものを問うより、どういう限定の元でならその権利が行使できるのか、という論議を行うのがまともな話だろう。

集団的自衛権を、{認める・認めない}
集団的自衛権を認めた場合、{無限定に行使する・制約の下に行使する}
集団的自衛権を制約の下に行使する場合、どういう法秩序を用意するべきか


反対者が言うような「同盟国の戦争に巻き込まれる」に対し、そんなことにはならないというなら、それを明確にすることが反対者への回答になるだろう。つまり、同盟国が勝手に起こした侵略戦争には付き合わないという停止条件を付ける工夫が、安定した安全保障体制になるのではないか。「そんなことにはならない」と口先で言うのだけでなく、それを同盟関係の中でどういう約束として明文化するかを検討するべきだろう。それを曖昧にしていたら、現実的な「合意」あるいは「着地点」は見つけられず、多数決というあやまった意思決定を強行することになる。

かつて日本がロシアと戦争をはじめたとき、日英同盟があったけれども、英国はロシアと直接戦闘行為はしなかった。もちろん日本の戦争遂行に協力もしたし、バルチック艦隊のスエズ運河通行を認めなかったとか、石炭供給も質・量を制限したなど、ロシアへの妨害は行ったけれど。
なぜ日英同盟は可能であったのか、同盟関係は無限定な運命共同体でなければならないという理屈ではない証左ではないだろうか。日英同盟の時代は戦争はもっと「普通の」国際関係の一つでしかなかったにもかかわらず。

現に日米安保は同盟だというが、それによって日本がアメリカの海外戦争に付き合う必要はないだろう。これは集団的自衛権は行使しないという従来の憲法解釈にも整合的だと思うのだけれど、なぜ日米安保を認めた砂川判決が集団的自衛権の根拠になるのか、良くわからない。


そしてそういう条件付きの同盟ならまっぴらだという国とは同盟する必要はない。むしろ、そういう国にとっては日本との同盟は、自らの行動を縛ることになるから、安易に日本とは同盟できないだろう。つまり、集団的自衛権の抑制的使用は、国際平和に貢献することになるかもしれない。
一緒に戦争してくれる国と同盟して、敵陣営を滅ぼそうなどということはできない理屈にもなる。
(第一次世界大戦で、日本は連合国側に入って、弱ったドイツを敵国として中国のドイツ租界を攻撃した、そういうやりかたは認めないということ)

つまり、同盟国は選ばなければならないのだ。そして選ぶ権利は日本にある。
同盟国は日本と同程度の平和主義国家でなければならないというのがその条件ではないだろうか。(侵略国家と同盟するなんて、口が裂けても言えないだろう)
また、同盟する場合は、それを逸脱した場合は、同盟の破棄または、逸脱行為には付き合わないことを明文規定すれば良いのだ。
同盟国には、ともに国際平和を追求するパートナーを選ぶべきだ。

ここまで同盟国と書いてきたけれど、要するにアメリカである。
となるといろいろ問題はある。前述のような日本と同等の平和主義国家ではない。先制防御理論(やられるまえにやれ)という国である。大量破壊兵器があるといって侵攻してはばからない国である。

そして、アメリカは、ISに対して宣戦布告をしているといっても良いだろうし、アルカイダについてもそう。
ということは、米国は既に戦争状態にあるわけで、これら勢力からの攻撃は、相手の立場で考えれば同盟国を攻撃する大義名分があることになりはしないか。
(もちろんテロを正当化するわけではなく、戦争状態にあるかないかの話)
議論上気をつけなければならないのは、まずISと武力で対峙する覚悟があるかないかを確認したうえでのことだけれど、アメリカと同盟したからといって自動的にISとの戦争をしなければならないわけではないということ。 無限定な同盟はもちろんそういう結果を招来するだろう、そうしたいのか、それともそうならない国際秩序を考えるのか、一体どっちだ?

また米国は世界中に基地を持っている。この基地への攻撃は米国への攻撃とみなせるのだろうが、日本は国外に基地はない、危険度も違い過ぎる。沖縄の米軍基地への攻撃は日本への攻撃か?

具体的に米国を相手とする場合、こうした疑問はたくさんでてくる。なのに「そうはならない」の一点張りでは本当の理解には至らないのではないか。そして反対論者も、こうした具体的な論点をぶつけてみてもらいたい。ただ、その前に、集団的自衛権をどのように自ら制限し、同盟国の戦争協力にはどのような制約を設けるのか、といった、見様によっては妥協的な議論を怖れてはならないと思う。

ところで、ホルムズ海峡が封鎖されて日本に石油が来なくなったらそれを実力排除する(つまり掃海する)ことを想定していると仰っていて、これって戦争を始めると言うことなのだけれど(これは前の戦争でアメリカに石油を止められた記憶だろうか)、集団的自衛権となんの関係があるの?

長い記事になって、整理されていないが、賛成論者には「最後は数で押し切れば良い」という姿勢が感じられるし、反対論者には原理主義的な「戦争は悪」という態度が感じられる。特に反対論者は、現実的な合意点を探ると戦争を肯定したとされ、支持を失うと思っているのかもしれない。しかし、それこそ、戦争への道かもしれない。
政治というのは、妥協の技術ではないのだろうか。

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Windows10へのバージョンアップ、どうしよう

一昨日気が付いたのだが、タスクバーにWindowsを指し示す意匠のアイコンが表れた。
マウスをそのアイコンに合わせると、「Windows 10 を入手する」というポップアップ・メッセージが表示される。

windows10get.png


そうなのだ、数日前に、PCを起動すると、「Windows10の予約」というメッセージが表示され、もちろん、Windows10を入手したからといって、直ぐにインストールしようとは考えていないのだけれど、とりあえず予約をしておいたのだった。

自宅PCは特別なアプリケーションを使っているわけではないから、おそらくWindows10にアップデートしてもPC自体に問題は起きないと思うのだけれど、気になるのは周辺機器の動作である。
具体的には、プリンターとサウンドプロセッサ。

プリンターのドライバーは、OSのバージョンや、32bitか64bitかによって対応状況が異なっていて、前の職場でも32bitOSにしていたのは、プリンターの対応状況に不安があったからだ。
そして、サウンドプロセッサであるが、これは前にも書いたように、物によってはOSのバージョンアップによって動かなくなる。

で、プリンター、サウンドプロセッサのWindows10対応状況を調べてみた。
プリンター(CANON MG6130)のドライバーのダウンロード・ページではWindows10対応が明示されていない。(画像左)
サウンドプロセッサ(Creative USB Sound Blaster Digital Music Premium HD)のドライバーも同様である。(画像右)

canonprinterdev.png creativedevdl.png


ネットでWindows10へのバージョンアップについての注意事項みたいなことを書いてあるのは良くあるのだが、多くは、PCのハードウェアが対応しているかどうかという点についてであり、周辺機器のドライバー供給状況について注意喚起しているのはあまり見かけない。

ということで、私の心配をみなさんにも共有していただき、そして、周辺機器メーカーにWindows10対応状況についての早期の情報提供をお願いしたいわけである。でないとWindows10へのバージョンアップを安心して実施できない。

といっても、前記の2機種は今は販売されていない旧製品だから無視されるのかもしれない。家電製品は販売終了後何年かは補修部品をおいておくことになっていたと思うが、情報機器も今や家電みたいなもの、同様の趣旨だと思うのだけど、なんとかならんでしょうか。


【補足】

記事をアップしてから気づいたのだけれど、自宅のプリンターはUSB接続ではなく、ネットワークプリンタとして使っている(つまり周辺機器にはあたらない)。ネットワーク機器であれば、プロトコルやオーダーの問題だから、Windows10対応とは直接関係はしないとも考えられる。それでも不安はある。メーカーにはこれについても情報提供して、安心させてもらいたい。



【補足2】
creativewin10-crop.jpg

creativeは、Windows10対応状況についてまとめてホームページで広報していた。
私が使っている Creative USB Sound Blaster Digital Music Premium HD の対応は7月予定となっている。
7月29日現在、まだドライバーの対応OSにWindows10の表示は表れていないが、Windows10がリリースされたから、近々、ドライバーが配布されると思う。
ドライバーが配布されしだい、Windows10へのアップデートをやろうと思う。

creative はしっかりしたメーカーだと、あらためて感じ入った。これからもよろしく。

CANONのプリンターについても、Windows10の対応予定が情報提供されていた。こちらも一部付属ソフトをのぞいて対応予定となっている。(時期の表示はなし)

CANONもやっぱり、しっかりしたメーカーでした。

どちらも、いきなり製品のソフトウェア・ダウンロード・ページを見に行った私が慌て者だったということで、両社とも7月中旬にはちゃんと広報していた。「メーカー名 Windows10対応」などでググると、すぐにわかることだった。


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公開講座

去年のいつだったか、会社のエレベーターで旧知の大学の先生に乗り合わせた。
その先生が私の今の会社で外部有識者として関係されているのは知っていたけれど、向こうは私が乗り合わせたので驚いておられた。

そういうことも忘れていたら先日、突然電話があって、大学(正確には大学院)の公開講座をやるのでPRしといて、ということだったのだけれど、まぁ、休日をつぶして公開講座を聴講する現役職員はそういないだろうから、私も賑やかしで聴講することにした。

IMG_20150725_125728.jpg 講義は14:00からなので、13:00頃に最寄り駅(実際には一つ隣駅、定期区間内なので)について、腹ごしらえ。
見た目はちょっと色が濃いが普通のラーメン。塩にしようか醤油にしようか、味噌にしようか迷ったが、この店のデフォがわからないので、私のデフォである醤油。一口目のスープはまあ良いかな。ただ、だんだん塩辛くなる。ちょっとどうかと思ったのは麺。熟成がたりないような気がした。

で、はじめて訪れる大学へ。

そして、ここでもまず、喫煙場所を確認。

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私の会社の職員や、同業者とかはいないか見ていたが、あまり見知った顔はなく、50人ぐらいの聴講者のほとんどは高齢者である。と、見ていると、しばらくして私の前職の同業者(N県)が来場。自宅が近所だから来たという。ひとしきり最近の動向などを情報交換。

公開講座の内容だが、最初の講義、「GISとオープンデータ」などは、この世界の現況が要領よく、簡素にまとまっていて、良い講義だった。
詳細や、他の講義についてはまた何かの折に触れることにしたい。
そうそう、土曜日の午後を潰して聴く値打ちはあったと思う。

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マイナンバーの未来

昨日のFIDOの記事中でマイナンバーカードに触れたところだけれど、雑誌を読んでいたら、先般閣議決定された「日本再興戦略」改訂2015でのマイナンバー制度の活用が書かれているという記事があった。

seicho2015mynumber1.png あらためて、その戦略なるものを見ると「世界最高水準のIT社会の実現」という節があって、マイナンバー制度の活用という項がある。
制度の活用事務の拡大としては、戸籍や旅券事務、医療分野の利用とかいろいろ書いてある。
戸籍や旅券事務は行政のすることだから今の延長だと思うけれど、医療分野となると主として民間サービスだから、今の異様にうるさい法律(マイナンバーは大事な番号だから、人に知られないようにしましょう)というわけにはゆかないと思うけれど、どうするんだろう。

あと、在外邦人も対象にするよう拡大するつもりらしい。というか、電子政府の恩恵が一番強く意識されるのは在外邦人だと思うのだけれど、なぜ最初からそうしなかったのが不思議である。住基に基礎を置いたために対象にするのが難しかったという事情があるのかもしれないが、それで制度を歪めるというのは本末転倒である。
制度の立ち上がりは住基を利用して円滑にスタートするにしても、住基とは別の番号制度として設計し、制度が定着すれば住基ネットワークの方を廃止するのが制度もシステムも簡素化されるはず。一体、どうやって在外邦人を取り込むのか見ものである。(一番簡単なのは在外公館を市町村に見立てることなのだろうけど)

seicho2015mynumber.png この「戦略」ではマイナンバーの制度面だけでなく、それとは切り離してカードの利用についてもいろいろ書かれている。
ふうんと思ったのは、「来年1月から国家公務員身分証との一体化を進め」とある。え、でもマイナンバーカードのどこに身分の記載をするんだろう。そもそもマイナンバーカードにそんな記載が許されるんだろうか。同様の利用方法を自治体や民間企業にも検討してもらうとも書いてあるのだけれど、企業等の身分証って、入室時の認証機能(ICチップなど)も持たせているのが多いと思うのだが、マイナンバーカードにその機能を持たせられるの? 昨日書いたFIDOのような仕掛けなら原理的に可能だとは思うけど。

すごいのは、キャッシュカードやクレジットカードとしての利用も検討するとある。いやこれは便利だと思う。それにマイナンバーカードの常時携帯が期待できる。
しかし、キャッシュカードって、いまだに磁気ストライプを使ってるんだけれど? ICチップの仕様もマイナンバーカードとは違う。そういう技術面はどうするんだろう。複数の銀行を使ってる場合、ATMでどの銀行との取引か指定するんだろうな。
クレジットカードもICチップの仕様が違う。それより、クレジットカードの裏には署名することになってるけど、これなんかどうしようもない。
つまり、どちらもカードとして携帯してATMや店舗で使うのではなく、ネットで使うということしかできなさそうだ。

JPKIのことも考えている。スマートフォンで電子申請をするために、マイナンバーカード内の署名用電子証明書が読めるようにもしたいという。さすがにカード内の証明書をスマートフォンに格納することは避けたようだけれど(エクスポート不可能が前提)、こういう細かいところは配慮されているのね。

なんだかすごく否定的なトーンになってしまったけれど、私はマイナンバー制度(国民総背番号制)には賛成だし、身分証明書を国民が持つことにも肯定的。しかし、なぜ、こんな歪んだシステムになってしまったのか、そしてまた、こんな突っ込みどころ満載の「活用」策なるものを無理やり書かなきゃいけないのか、そこが不思議である。
関連業界の人たちは何も言わないのだろうか? (できないことがあきらかだから?)

実現困難な「活用」策をたくさん並べるより、マイナンバー制度の本質に即した利用に違う部分の改善とコストダウンを考えるほうが良いと思うのだが。

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FIDO

指紋認証システムについて、取り扱っている業者の簡単な販促用資料というのを見せてもらった。
それ自体は特にどうということもないのだけれど、どういう業者かネットで調べると、FIDO(Fast IDentity Online Alliance)という標準化推進団体にも参加しているという。FIDOについては全く知らなかったので、どういうコンセプト、技術なのか調べてみた。

FIDOpresentation.jpg FIDO allianceのページはしっかり作られているようだが、英語の文献を読むのは面倒、探すとITproに解説記事のようなものがあった。
FIDOのアイデアは、本人認証とデバイス認証を分離したと説明されている。
間違っているかもしれないが、バイオ認証による本人認証部分、そして本人を認証したあとそのデバイスがサイト等の認証情報を創出する部分になっているらしい。
前に、本人認証と権限認証の違いについて書いたけれど、同様の構造になっているわけだ。

ということは、本人認証は別にバイオ認証である必要はない。たとえばICカードのようなものを使っても構造は同じ。
重要なことは、アプリケーションが認証するときには公開鍵システムによる本人確認を使うということらしい。つまり認証デバイスは、本人を認証できたら、あらかじめ登録してあるキーでアプリケーションのユーザー認証を受けるようだ。

これがなかなか良いアイデアではないかと思うのは、1つは認証の基礎となるバイオデータが外部には出ないということ。指紋認証そのものが標準化されたとして、もし標準化された指紋のデータが流出してしまったら、もうその指を使って認証を受けられなくなってしまうことになる(普通2本は登録するから、5回流出したらもう使えない)。しかしFIDOならそういう心配は随分小さくなる。また、より優れた認証技術の導入にも障害とならない。

もう1つは、アプリケーション側のユーザー認証が標準化されるだろうということ。そして多くのサイトが行っているだろうパスワード管理の負担が軽減されるだろうということ。そして、仮に登録されている公開鍵が流出したとしても、なにせもともと公開鍵であるからして、何の問題も起きないわけだ。

既にいくつかのサイトがFIDO対応をしているらしいし、タブレットなどのデバイス側の対応製品もあるようだ。Windows10も対応するという。

ふと思ったのだが、例のマイナンバー・カードには「空の」電子証明書が入っていて、マイナ・ポータルの利用時の本人認証に使うことが予定されているわけだが、「公的個人認証の民間利用」で、面白いけれど、使えるかなぁ、と書いた覚えがあるけれど、FIDOのような考え方だと、使えるかもしれない。
というのは、その記事では、個人の公開鍵そのものを相手に渡すのは、それで名寄せされる危険があると疑問を書いたわけだが、FIDOのように、端末側デバイスでカードを認証して、新たにキーペアを生成し、その公開鍵を登録するというやりかたにすれば登録する鍵はすべて違うものにできるのではないだろうか。(カードが識別できる情報であれば良く、電子証明書である必要はないけれど)

世の中にはなかなかの知恵者がいるもんだ。

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古池に蛙は飛び込んだか

furuikenikawazu.jpg 俳句がおもしろいと思ったのははじめてだ。(ちょっと言い過ぎ)
長谷川櫂「古池に蛙は飛びこんだか」。
書名はもちろん「古池や 蛙飛び込む 水の音」からである。

俳句というものは、文化人の教養ではあり、知らなければ恥ずかしい思いをすることはある。けれども、解ったような、解らないような、せいぜい解ったような気になる(そうならないと不愉快だ)以上に何があるのだという程度のものと思っていた。
私には関係のないものと思っていた。(周囲の人も不似合と一蹴するだろう)

何分、俳句には全く疎いもので、図書館でこの本を見たとき、歌枕がどこかとか、古池がどこにあるかとか、そういう考証をしているのだろうかと思って手に取った。

「閑さや岩にしみ入る蝉の声」で、このセミの種類は何かという論争があったと、北杜夫のエッセイで読んだ覚えがある。ニイニイゼミが通説で斉藤茂吉がこれに反論したという。そういう類の考証をするのだろうかと思った。

ではなかった。全然違った。
俳句の簡明な理論、そして奥深さを教えてくれる本であった。

結論は、蛙は古池に飛びこまなかった、である。
蛙の飛び込む水の音が聞こえてくる、心の中に古池の像が浮かんでくる、ということだという。
著者がそう解釈するのには、明解な根拠がある。

この句が出来たときの様子を記録した各務支考「葛の松原」という本がある。芭蕉は、まず「蛙飛び込む水の音」を作った、上五をどうするか。その場の門人も含めて考え、其角は「山吹や」を提案したのだという。 古今集以来、「蛙の声」には「山吹」を合わせるのが慣いという(私の居所の隣町、井手町の玉川の河鹿と山吹がともに名所)。ここで声でなく水音に山吹をずらして合わせるのが、伝統・因襲への批判になるという意図があるのだそうだ。
対して、芭蕉は「古池や」と置いた。

「や」は切字というのだそうだ。現代では「や」「かな」「けり」を3つがあるとされる。

(助詞のおもしろさについては前に「に・へ・を」でも書いたおぼえがある)

著者は別の著書で次のように述べているそうだ。

「句を切る」ことによって生み出されるこの間こそ、短い俳句が文章や詩に匹敵し、あるいはそれ以上の内容を伝えることを可能にしている。間とは言葉の絶え間。すなわち沈黙。俳句は言葉を費やすのではなく言葉を切って間という沈黙を生み出すことによって心のうちを相手に伝えようとする。


本書で、俳句の作り方として、「一物仕立て」「取り合わせ」というのがあると知った。
「古池や」は、蛙の水の音と、心象風景の古池の取り合わせであるという。これに対し、通俗理解では一物仕立てで「古池があって、そこに蛙が飛び込んで水の音がした」という一つの叙述。

著者は、古池の句を、通俗理解していたのでは、次の疑問の答えが見つからないと考えている。
  • 古池の句がなぜ蕉風開眼の句といわれるか
  • 蕉風とは何か
  • 蕉風開眼の句である以上、古池の句はそれ以後の芭蕉の句にどう影響したか
そうして、切字と仕立ての2つの概念を使って、芭蕉・蕉門の句を解釈する。

「閑さや」の句も、セミの鳴く声に気づき、そしてそのセミの声以外の音がしないことに気づく、それが「閑さや」と立つと解釈される。決して静かだからセミの声に気付いた訳ではない。時間の順序は、「古池や」と同様、逆転しているという。そして「古池や」以後の多くの芭蕉の句が同種の構造をしていることを示し、新しい解釈を与える。

Amazonのレビューを見ると面白いことに気付いた。
レビューが8つ載っているのだけれど、うち6つが★★★★★、2つが★と、評価が両極端である。
★1つの人は、それまでの人生での俳句体験を否定された思いなのだろう。あるいは子規や虚子の崇拝者で、彼らの読みを「浅い」と否定されたことに対する憤りなのかもしれない。

著者は「写生主義」を批判している。目の前に実際にあるものが、心象よりもリアルであるという思いこみによる「リアリズム」が、芭蕉の読みを誤らせてきたと考えているからである。ただし、写生主義そのものを否定するわけではなさそうである。芭蕉・蕉門の理解を写生主義で行う必要はないと言っているにすぎない。


日本の詩歌といえば、短歌と俳句ということになると思うが、七七の違いは随分大きいと思う。
短歌には、その決して長くない五七五七七に、語りがあると思う。ストーリーがあると思う。もちろん先立つ長歌があったり、詞書があったりすることもあって、それらに助けられることもあるかもしれないが、五七五七七の中に語られる世界が感じられる。

俳句というのは、蕉風というのは、心象の切り取り、だと思う。
(こういう解ったような解らないような言葉使いは本当は良くないと思うけど、今は他に言葉が見つからない。)

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梅雨明け

月曜日、近畿地方も梅雨明けが報じられた。
今日は一日雨のようだし、台風12号も気になるけれど、明けた日はまさに夏の空だった。

台風11号が通過したら梅雨明けかなぁと思っていたが、その通りになったのだけれど、今までも台風が通過して梅雨が明けたことがあったように思う。
台風一過の青空の印象がそういう記憶になるのかもしれないが、たまたまそうなったのではなく実際に因果関係があるのかもしれない。

20150707-00047316-roupeiro-005-12-view.jpg テレビの気象解説を見ていると「台風が太平洋高気圧を強めたために、梅雨前線が北へ押し上げられた」と説明されていた。
もとより気象に詳しいわけではないから、この説明が正しいかどうか判断できないが、説明としては違和感もある。
というのは、台風って低気圧だから、高気圧を強めるとはどういうことなのか、高気圧に台風がぶつかったら高気圧が薄まるのではないか、と思うから。

気象予報士のサイトを見ていると、
「もし台風11号も、9号と同じように西にコースをとるようであれば、太平洋高気圧の強さが持続するということですが、11号は東寄りのコース。太平洋高気圧は東へ、いったん退くということです。 」
という説明をしていたところもある。(図もこのサイトから)


台風の気圧として表示されるのは中心付近で外縁部の気圧がどうなのかはわからないし、中心に吹き込んだ風は上昇して外へ吹き出すはずだから、上空は高気圧のように作用するのだろうか、などと考えてしまう。

思いっきり単純化して、太平洋高気圧の麓を回り込んで北上した台風が、高気圧の麓に居座っていた梅雨前線を引っ張ったというような説明だと、高気圧・低気圧という言葉と整合的だから、それなりに納得できる。

納得しちゃいかんのだろう。台風は宇宙から来たような独立の存在ではなく、地球上の気象現象であり、周囲の気象との相互関係で生まれるわけだから、こんな荒っぽい話ではないだろうけれど。


お天気解説では前述の「強めた」とか「刺激して」というような言葉が良く使われるのだけれど、これってどういう意味なのか、どういう現象を指しているのか、私のような凡人にはさっぱり解らない。(言葉で誤魔化してるわけではないだろうけれど)

予報業務に忙しいときはそんな余裕はないだろうけれど、事後解説では、気圧や風向風速などの状況をきちんと数値化して、3D動画(上層・下層の状況が同時に見えないと本当の気象現象はわからないと思う)で表現したら、視聴者にも良く解ると思うのだが、どうだろう。

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イラガ

IMG_20150719_185334.jpg 連休の仕事は、毛虫退治。

毎年のように、ヤマボウシにイラガの幼虫が発生する。
一匹ずつつまんだり、一枚の葉に群れている場合は枝ごと切り落とす。

イラガの毒を持った毛は飛びやすいので、慎重にやらないと毛虫自体に触らなくても、手や首などに痛みが走る。
つまんだ毛虫を潰しても良いのだけれど、そうすると庭中毛虫の体液で汚れそうな気になるので、ゴミ袋に放り込んで、厳重に袋の口を縛る。

見ていると、毛虫の歩く速さも結構なものである。ゴミ袋に放り込んでも、うっかりすると上まで上がってくる。
木についている毛虫も、葉ではく枝などに居るやつは、おいしい葉っぱを探してか、結構な速さで動く。もちろん、つまむのが難しいほどの速さではないが。
(写真下はネットで拾ったもの。写真を撮る気持ちの余裕がなかったので。)

10f740.jpg ネットで調べると、カマキリやアシナガバチが天敵のようだ。カマキリは庭で良くみかけるのだけれど、ヤマボウシで見たことはない。アシナガバチも時折飛んでくるが、ヤマボウシ付近で狩りをしている様子は見られない。
カマキリはあんまり好きじゃないのだけれど、見かけても苛めたりしていないんだから、ちょっとはイラガ退治に協力してくれても良さそうなものだ。
(かといって、ヤマボウシにカマキリが大量発生したらそれはおぞましい)

小鳥も毛虫を食べるという。スズメやムクドリヒヨドリなどは良く来るのだけれど、こいつらも毛虫を食べるだろうか。

とにかく幼虫の成長は結構速そうで、一気に湧く。
木の枝には、あきらかにイラガが孵った繭が何か所にもある。

イラガはたいていの木に付くというが、うちでは樫や梅には付いていないようだ。
ヤマボウシの柔らかい葉っぱがいたくお気に入りのようである。

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カサブランカが半開

IMG_20150718_223839.jpg ようやく半開きのカサブランカの撮影に成功。
ということで、さらにさらにしつこく、カサブランカの5回目。

前回の記事の写真から3日後の土曜日。
この日、朝から蕾が膨らんでいることに気が付いたのだけれど、午後3時ころはまだ開いていなかった。
特にじっと見ていたわけではなく、半開きに気付いたのは夜の10時半頃。

やはり、ばね仕掛けのように一気に開くわけではなく、乾き具合か何かで、花弁の内と外の張力の違いが発生するようなメカニズムになっているのではないだろうか、遅くはないが、じわじわと開くようだ。

IMG_20150718_223745.jpg

これで、思い残すことなくカサブランカ・シリーズを終えることができる。

IMG_20150718_223813.jpg            IMG_20150718_223709.jpg



【補足】

写真に写っている蕾だが、月曜日の夕方には未だ全然口を開けていなかったのだが、夜11時に見ると完全に開いていた。5~6時間ぐらいで完全に開いたようだ。
土曜日に半開きの状態が撮影できたのは、日中が雨だったせいかもしれない。


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京都コンサートホール

IMG_20150712_132657-crop.jpg 「ラーメン藤 本店」でお昼をすませて、向かったのは北山の「京都コンサートホール」。
10年ぶりぐらいだろうか。

前に来たのは、近所の人からチケットをいただいた、たしかアマチュアの演奏団体がいくつか出ている、そういう催しだったように思う。
京都でコンサートというと、もちろん学生の頃はたびたび行っていたわけだが、昔は音響が悪いことで有名だった京都会館。今は全面改修中のはずである。
それでも、大阪のコンサートに行く回数の方が、京都よりは多かったように思う。学生で時間の余裕もあったから。
IMG_20150712_132837.jpg
京都コンサートホールは、家からだと、交通機関の乗車時間としてはバス25分、地下鉄20分ぐらいで、大阪のフェスティバル、シンフォニーと大して違わない。ただ、仕事帰りに行くというのはちょっと厳しい。早退しないとだめだろう。

IMG_20150712_133021.jpg 知り合いのオーケストラ団員の話によると、大阪以外の知己にコンサートに来てもらおうと思っても、終演が夜10時とかでも問題はないのだけれど、開演が7時だと。仕事が終わってからでは間に合わないと言われるらしい。

はじめて京都コンサートホールに行ったとき、ホール入り口までの大きな螺旋スロープにびっくりした。なんだか延々と歩かされるような気分になった。フェスティバルは階段、エスカレータがやけに長いけれど、ホール入り口がそこにあると思うと、それほどには感じないし、シンフォニーだとすぐそこがホールの入り口というわけだ。

IMG_20150712_133731-crop.jpg IMG_20150712_133400.jpg 前に、フェスティバルでもシンフォニーでも喫煙スペースの写真をアップしているから、京都コンサートホールのそれもアップしておく。ここはゆったりした喫煙室である。この写真には写っていないが定番の吸煙装置も置いてあるが、なんといっても喫煙者にありがたいのはソファに腰かけながら吸えることである。


ホール内。結構、縦方向に長い。
私の席(2階バルコニー席)からは舞台が遠い。

IMG_20150712_134449.jpg


さて、この日の演奏だが、私は、ネットの演奏会案内サイトで知って、こういうのがあるなら行ってみようということだったのだけど(年に1回、命日に必ず聴くことにしている曲だけど、生演奏を聴く機会がなかった)、合唱団は素人の寄せ集め(この曲をみんなで歌おう式の)だから、聴衆もその関係の人が多いのだろう。
前半のシンフォニーは、第二楽章がやけに高速だったけれど、気持ちよく聴かせていただいた。

メインのミサ曲では、「レヴィン版」という今まで聞き慣れない版が使われていた。
未完の曲だからいろんな人が補作したりしているわけだが、レヴィン版というのは1991年にレヴィンというピアニストが補作したものだそうで、"Lacrimosa"のアーメンが長大な新作になっている。聞き慣れないせいかもしれないが、何変なことやってるんや、と思ってしまった。その他、後半部分は、ジュスマイヤー版を踏襲しているとは思うのだけれど、同じ和声でアルペジオの形が違うという不思議なもの。

演奏については、ソプラノ、テノールはなかなか良い、というか日本人では、アルト、バスという低域の歌手はなかなか難しいように思う。
あと、"Tuba mirum"で、いきなりトロンボーンがプルッったのはきつい。

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京都ラーメン

IMG_20150712_125447.jpg 今週はいろいろ時事の話題があって、ちょっと書くのが遅くなったけれど去る日曜日のこと。
この日曜日の昼時、京都の北山(といっても山ではなくて、地下鉄の駅)まで行くので、どこかでお昼をとることにした。

家からは、京都駅まで、高速バス(第二京阪-阪神高速京都線経由)が使えるが、京都駅まで出て地下鉄烏丸線に乗り換えるより、途中十条で地下鉄に乗るほうが、時間のロスも歩く距離も少ない。ということで、十条にある有名なラーメン屋、「ラーメン藤 本店」に入ることにした。

「ラーメン藤」は京都ラーメンの源流ともいわれているらしいが、初体験。
製麺所(近藤製麺)が直営している店だそうで、ここの麺は、これも有名なラーメンチェーンの「第一旭」や「新福菜館」にも卸されているということである。細麺のストレート。

「第一旭」は店舗数が多いので、今まで、塩小路七条の本店他数カ所で食べたことがある。「新福菜館」も一度経験している。

今回、前日のお昼はスーパーで買った「新福菜館」の生ラーメンを食べているので、2日続けてお昼をラーメンというのはちょっとどうかとも思ったけれど、十条や北山で食べるとなると、他に特にこれという選択肢もない。ラーメンおたくなら、毎日ラーメンを食べるそうだから、おたくでない私でも2日連続ぐらいは問題ないと判断。


店に行ったのは12:40頃。十条(久世橋通り烏丸東入ル)は、観光客とかが来るような場所ではないから、休日のお昼でも並んでいる人はおらず、すぐに座れた。席はカウンターのみである。
入ってすぐに、普通のラーメン(700円)を注文、すると「麺は固め、柔らか目?」と聞かれるので、「普通で」。はじめての店だからとにかく店の「標準」を試す。

IMG_20150712_124228.jpg 3分ほどで供される。汁受けの皿が付いている。写真では確認できないがスープがこぼれて皿に溜っていた。

まずスープを一口、・・・良い。
出汁は透き通っていて、しっかり旨味が出ている。醤油味。
ラーメンは最初の一口のスープが一番おいしいものだと思う。
ただし、食べ進んでいくと、だんだん塩からく感じてくることもある。ここのスープもそういう傾向がある。

最初の一口で塩からいと感じるラーメンの場合は、食べ進むうちに慣れて(麻痺して)くる。
「古潭」なんかはそんな感じ。

なかには温度が下がるとスープに臭みが出てくるラーメンがあるが、ここのはそういうことはない。

具はネギ、モヤシ、チャーシュー。
写真でネギの量は確認できると思うが、この下にかなりの量のモヤシがある。チャーシューは、しゃぶしゃぶ肉ぐらいの薄さで面積も小さいが、7~8枚入っている。

有名ラーメンには、奇を衒ったようなものも多いと思うが、ここのは素直においしい。私の好みである。

京都ラーメンというと、実に幅が広くて、何味というように決められない。第一旭はこれ見よがしの背脂が浮くけれど、藤に良くにたスープで、なるほど藤が源流と言わればそういう気がする。私の好きなタイプである。一方で「天下一品」というとんでもないラーメンもある。

「天下一品」は同志社前(京田辺の方)の店で、一度だけ食べたことがある。テレビで本日特別に割引している店として案内されてたので行ったのだけれど、スープの中で箸が立つような粘っこさには閉口した。同じように口に合わないという人はときどきいて、そういう人は「天一下品」と呼ぶ。


京都は「世界で最も魅力的な都市」ランキングで2年続けて1位になったことがテレビの報道番組で取り上げられている。意外な人気スポットということで、先日の番組ではラーメン屋と紹介されていた。配膳されたラーメンの上に、炎をあげる油を注ぎこむパーフォーマンス―ファイヤーラーメンが人気だそうだ。
味はどうなんだろう?

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カサブランカが咲きました(4)

昨日は時事話題を優先、そして本来なら今日は台風の記事または台風来襲中にもかかわらず強行された飲み会の話を書くべきところだけれど、例によって飲み会の写真を撮り忘れた(幹事はたくさん撮ってたようだけれど)。ということで、しつこくカサブランカの記事。

さて、前の記事で、開きかけ状態と見えたのは、そのまま萎れゆくものだったと訂正を入れ、未だ咲いていないカサブランカの蕾が開くところを観察したいと書いたけれど、残念ながら、やはり「開きかけ」とか「半開き」というところを捉えることはできなかった。

IMG_20150714_184246.jpg IMG_20150715_065724.jpg


前回記事で「2つ(実際には4つだった)の青い蕾が確認できる。この子たちに期待しよう。」としたその蕾に注意していた。
・・・・・・そして3日後

写真左は夕方に撮ったもの。微妙に蕾の先端が開きかけているようにも見える。この後、夜にも見てみたが様子は変わらなかった。
写真右はその翌朝、つまり12時間後に撮ったもの。既に「ほとばしる青春」状態。

前々回記事の「くっついている花弁に隙間ができたら、そこから一気に、ばね仕掛けのように開くのかもしれない」というのが案外、当たっていたのかもしれない。

写真にも写っているように、同じ株に未だ3つ蕾があるのだけれど、これらの「半開き」状態の撮影もまた難しそう。
早起きして観察すれば見られるのだろうか。

コマ撮り機能を備えた定点カメラ(前にいた職場にはあったけど)があったらいいけど。


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安保反対

60ampo.jpg 高度成長が始まる前である。まだみんな貧しかったけれど、子供は沢山いて元気もあった。
子供は学校が終わると集まって外で遊んでいた。
私はやっと小学校に入ったぐらいの頃である。子供も隊列を組んで意味もわからず「アンポハンタイ」と声をあげながら行進した。

この頃だったら、「声なき声は賛成している」という言い方もできた。

ただし「声なき声の会」というのが出来て、「声なき声も反対だ」とアピールしたという。


憲法学者のほぼ全員が違憲と判断している。
新聞、テレビなど、マスコミのほぼすべてが疑義を表明。
各社が行った世論調査で、国民の6~7割が反対。
元自衛官は、国民に支持されて活動したいという。
右翼言論人も、これでは「正しい国・正しい憲法」をつくる上での障害になるという。

そうした中、衆院特別委員会で採決が行われた。今日、本会議で採決される予定だという。
スピーディな国会運営である。

急ぐ理由は、首相が米議会で「夏までに成立させる」と約束したことしか見当たらないのだが。

kyokosaiketsu.jpg 一説によると、議論が長くなれば長くなるほど、時間が経てば経つほど、反対が増えるからだとか。これ以上、反対が増えないうちにさっさと採決してしまおうということだとか。

結果が全てではない。それが良い判断だったか、悪い判断だったかは後になってしかわからない。
だから法案の当否については措いておく。
多くの反対からうかがわれることは、プロセスも大事にしなければならないということ。

もっとも、国会で言うプロセスとは、意思決定のそれではなくて、「顔を立てた」ということにすぎないようだが。

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哀しいカサブランカ

るりひめさまから「ブログ向きではない」というご意見をいただきながら、それでも、コメント返信で予告したとおり、萎れ逝くカサブランカの画像。
(昨日アップしようと思っていたのだけれど、ギリシアのほうが気になって一日遅れでお届け)

IMG_20150712_110614.jpg IMG_20150712_110646.jpg


前回の「カサブランカが咲きました(2)」と比較していただけるように、同じ株の写真を同じ順に並べた。
まず写真左、茶色く変色し、萎びた花弁が垂れ下がっているのが2輪確認できると思う。このうち左は今にも花弁全体が落下しそうである(写真撮影の半日後には落下)。落下してしまえば株全体としては、「ほとばしる青春」がよみがえるような印象が戻ってくる。

問題は写真右である。右側に既に変色している花があるが、注目は左にある開いていない花。前回、これから咲くことを期待して口を開いているのだと書いたのだけれど、ずっとこの形のままで、そして少し茶色く変色が始まっている。
つまり、大輪の花を咲かせることなく、このまま萎れていくようである。

前回、「ある程度の開きかけの状態」が確認できたと書いたのだけれど、そうではなかった。るりひめさまのご意見にもかかわらず写真をアップしたのはこのことを報告するため。

本当の開きかけの蕾を見ることはできるのだろうか。
写真右には、右の株に2つの青い蕾が確認できる。この子たちに期待しよう。

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高等戦術?~ギリシアの国民投票

cypuruspm.jpg 前の「ギリシアの国民投票」の記事では、EU緊縮策を受け入れる方が優勢と伝えられていると書き、ツィプラス首相は国民に責任を転嫁して政権を投げ出すのだろうと思っていた。

ところが、投票結果は緊縮策受け入れの拒否である。
そして、こうして再度信任を受けたと理解される首相が打ち出した施策が、事実上EU緊縮策と同様のものだった。

なんという高等戦術だろう。
「皆の覚悟は良く解った。ここは私に預からせてくれ」というのなら、時代がかった芝居のようだ。
首相の思惑がうまくいくことになったら、大英雄としてもてはやされるかもしれない。

そして、かなり成功したらしい。
国民の過半数が拒否している緊縮策をやろうというのだ、EUにも譲歩すべき点があるだろう、ということだ。
EUとの交渉において、随分強気で臨め、苦々しく思っているだろうEU首脳から見事に支援策を引き出した。
もちろん、これから国内の緊縮策反対の世論を説得していかなければならない。それはそう簡単なことではないかもしれないが、一時の熱で国を亡ぼす結果になったかもしれない緊縮策拒否を、受忍するように説得する時間的余裕を得たことは間違いないだろう。(もっとも7月15日=明日までにいくつかの法律を通すってのはできるのか?)

それにしても国民投票って何だったんだ? 世論調査とどこが違ってたんだろう。
憲法や法律で、意思決定手続きとしてオーソライズされていなかったのだろうか。あるいは具体的な法案などでなければ意思決定とみなされないということなのだろうか。
正式な意思決定手続きであれば、いくら強弁しても認められるはずはないだろう。

ひょっとしたら下がり続けるギリシア株、国民投票の実施でさらに下がり、そして、国民投票結果を受けて暴落。
この結果というか、この行動を知っていた者は、暴落した株を買い占めてぼろ儲けしたのではないか?

学校では、古代ギリシア(アテネ)は民主政治(デモクラシー、δημοκρατία)発祥の地と習う。女性・奴隷が参加していないとはいうものの、全市民の直接民主政治も行われたという。
一方で、当時既に、アテネの共和政の実態はペリクレスの独裁政治であると喝破していた人がいるという話もある(塩野七生「ローマ人の物語」)。

民主主義とは所詮手続きにすぎず、立憲主義とは守れるときの護憲にすぎぬのかもしれない。

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休刊日

本日、休刊日。

夏の手羽先。

IMG_20150706_173435-crop.jpg tebasakigt1nuki.jpg


休刊日の手抜き原稿を用意していたら、ウィンブルドンの決勝の中継が放送されていた。
そしてボールパーソンの姿もたびたび映っていた。
これはいつのウィンブルドンかわからないが、そういうことで、ネットから拾ったボールパーソンの写真。

Wimbledon_ballgirl_(9270629917).jpg

(珍之助さまは、これも手羽先と認定してくださるだろうか)


本日は以上。     


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隣家の取り壊し

IMG_20150711_105830.jpg 隣家の取り壊しが始まった。

お隣とその裏に、親子の家が並んで建っていて、お隣のご主人は早くに亡くなられ、奥さんが一人で使っておられたのだけれど、その奥さんも亡くなられ、孫がときどき使うぐらいだったようだが、地盤の沈下があって、開発業者に買い戻してもらったということだ。

地盤沈下は、隣の敷地だから、我が家には影響しないか心配であるけれど、我が家に接する側ではないので、特に問題はなさそうである。
地盤工事などをやって再度売り出すだろうとは思うけれど、当面は、まだ売れ残っている区画の商談などのために、駐車スペースとして使うことになるようだ。

解体業者と話をすると、まだ新しいしっかりした家でもったいないけれど、地盤に問題があるなら仕方がないということだった。

この間まで人が住んでいた家が取り壊されるというのは、寂しいものだ。

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カサブランカが咲きました(2)

先日、カサブランカが咲いたことを投稿したけれど、5日経って、前に蕾だったものも開いたので続報。

IMG_20150709_184326.jpg IMG_20150709_184345.jpg


左の写真は、前回投稿した株。すっかり開いたもの、開きかけのもの、白くなったが未だ蕾のものが見える。
前の写真と比べると、前は花弁の開き方はまだ控えめだったけれど、今回はカールするように反り返っている。

右の写真は、違う場所に植わっているもの。前回の投稿時には、まだ青い蕾ばかりだったが、こちらも開いた。
こちらには左の写真のものより、さらに進んで、口を開けているものがある。なお、写真には写っていないけれど、この株の右にはまだ青い蕾がある。

前回の記事では、「くっついている花弁に隙間ができたら、そこから一気に、ばね仕掛けのように開くのかもしれない」と書いたけれど、今回の写真でわかるように、ある程度の時間、開きかけの状態があるわけだ。
そういえば、百合の絵では、開ききった花、開きかけの花、蕾が組み合わされているものを見かける。

百合は、キリスト教国では、聖母マリアの純潔のシンボルとされ、マドンナリリーと言うのが長く利用されていたそうだが、日本の百合(テッポウユリ)が西洋に紹介されると、たちまち日本産が広がったという話を何かで読んだ覚えがある。
また、日本の百合との交配や品種改良も盛んに行われ、カサブランカはヤマユリの血統が入っているとのことである。オリエンタル・ハイブリッドの一種だという。

今回の写真では、開花の諸段階―青い蕾、白い蕾、口を開け始めたもの、開いたばかり、開ききったところ―が見られるものになった。
記事を読まれた方は、どの段階が好みだろう。

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音楽が先か、言葉が先か

chimpanzierhythm.png 先週のこと、ニュース番組を見ていると、音楽と言葉のどちらが先に生まれたかという問題に対して、音楽が先ではないかという研究報告があるということが紹介されていた。

音楽と言葉のどちらが先かというのは、進化史上の大きな問題で、こうした話題が番組でとりあげられるということは、番組の見識として評価できると思うけれど、キャスターが、シンバルを叩くサルのおもちゃを引き合いに出して、このおもちゃにはモデルがあったということでしょうねなどと、面白おかしく、そしてくだらなく、取り扱っていたことには、研究者も苦笑いしただろうと思う。

それはともかく、このニュースを聞いて、すぐにネットで該当しそうな研究報告を検索してみたら、どうやら、「ヒトもチンパンジーも自分のリズムに近いリズム音を聞くと自発的に引き込まれる」という研究のようだ。実験の様子はYouTubeにもアップされている

cymbalmonkey.jpg 件のニュース番組では、従来は、言葉が先という説が有力であったと解説されていたが、この研究者(服部裕子 野生動物研究センター特定助教)のコメントには次のように書かれている。(番組では、定説を覆すことにニュースバリューがあるという判断で、そういう解説を付けたのかもしれない。)
ダンスや合唱といった音楽活動は、集団の結束を高め、さまざまな感情を共有できるヒト独自のコミュニケーションですが、それを支える認知的基盤は既に600万年前から獲得されていました。今後は、その後分岐したほかの霊長類種が、そうした基盤をどのようにコミュニケーションに取り入れているのかを明らかにしていきたいです。

「600万年前から」ですぞ。
何をもって言語の誕生とするかは難しい問題だが、音楽的なコミュニケーション自体は、ヒトが類人猿から分かれたころには既に成立していたということだ。

saezurigengokigenron-crop.jpg この研究に関連しているだろう、岡ノ谷一夫「さえずり言語起源論」という本がある。
この本はタイトルの通り、鳥のさえずりの話であるのだけれど、さえずりが行われるメカニズムを、パターンの習得、組み合わせなどから解明している。

ヒトと鳥というのは生物種として、あまりにも離れているという感覚があるので、鳥のさえずりが言語になぜ関連するのか、現象として似ている以上の意味があるのだろうか、などと思いながら読み始めたのだけれど、さえずりのパターンの習得や組み合わせ(連続のさせかた、ループのさせかた)などは、さえずり断片の要素に対するシンボル操作のメカニズムであって、そうしたシンボル操作を獲得していることが、そしてそれが発声とリンクしているということが、言語を生む前提になっているのだろうという、なかなか深い話である。

こういう情報処理能力が「認知的基盤」ということなら、600万年前どころではないのかもしれない。ただ、やっぱり鳥と人間がどこで分かれたかといえば、それは恐竜以前のことだろうから、共通性があるとしても、直接的な継承関係というよりは、やはり相似・収斂進化じゃないかという気はする。
もっと飛躍して、シンボルの生成ルールとか、入れ子構造とか、いわゆる言語を構成するメカニズムというのは、鳥のさえずりでも同様だろうということなら、この言語の原理は宇宙共通で、宇宙人との会話も可能なのかもしれない。

また、こうした研究からは、意味と文法のどちらが先かということも問題として提示されることになるだろう。
(もちろんこの場合の文法とは、音声パターンの生成ルールのことで、特定の言葉の意味にリンクした、たとえば動詞文法というような意味ではないけれど。)

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夕方の大混雑

昨日、17:00頃、JR G研都市線 K池新田で人身事故、このためG研都市線H出~N尾まで、運転見合わせ。

Yahooの運行情報で情報は来ていたけれど、十分確認せずにいつもと同様の電車で、K鉄Y尾からJR S徳道へ。小さな駅で、乗客少なく、改札に特に事故情報の掲示もなかったので、ホームで待っていたら、場内放送でG研都市線の運転見合わせの案内があった。
例によって振替輸送が行われているというので、駅員に振替の交通機関を聴いて、はじめはK鉄N良線→K都線で帰ろうかと思ったり、あるいはJR S徳道から逆方向に乗って、K宝寺からK本線でN良、N良線でM井山手まで行こうかなどと考えた。しかし、スマートフォンで時刻を調べると、1時間40分以上かかるらしい。

今までの経験では、人身事故の場合は、早ければ1時間程度、だいたいは2時間以内に運転再開するので、17:00に事故があったなら、18:30には運転再開になるだろう、ここは焦らずじっくり運転再開を待つことにしようと、いつものルートでH出駅まで行くことにした。そうしていると18:15運転再開見込みという情報もあった。ただし、車内放送では、ダイヤが大きく乱れているので振替輸送も利用するように言っていた。

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H出駅につくと、プラットフォームを埋め尽くす人。ホーム端までぎっしりだから、危なっかしいことこの上ない。けしからんことに回送電車が止まっている(この回送電車はどこへ行くのだろう)。そのまま待つこと約10分、普通電車が到着(おそらく運転再開の最初の列車)、しかし、当然だが、K橋方面から乗ってきている人で満杯。多くの人をホームに残したまま出発。

それでも少しの人は乗ったと見えて、ホームを歩く隙間ができたので、一番空いてそうな先頭の方へ移動。次の快速電車は数分たって到着。もちろんこの列車も満員状態。それでもH出で降りる客が少しはいるので、ホームに並んでいる人が乗り込みはじめる。私は後ろの方にいたのだけれど、前の方で乗車をあきらめた人たちがたくさんいるので、これ幸いとすぺりこんで、ぎゅうぎゅうではあるけれどとにかく乗車に成功。

電車は満員の乗客を気遣うように比較的ゆっくりと進行、先行の普通列車が遅れていることもあって、普段の倍ぐらいの時間をかけて次のS道駅へ。ここでそれなりの数の客が降車。予想通りである。これで普通の満員列車並に余裕が出た。

先頭車両の先頭部分に乗っていたので、通る駅を観察していると、この時間帯の郊外向きは乗客は少ないはずだけれど、それなりの数の客が駅に居る。運転見合わせのため、いくら利用者が少なくても、止まっていた時間分の客が滞留しているらしい。

結局、最後まで立ちっぱなしではあったが、時間的にはせいぜい35分程度の遅れであった。ばたばたせずじっと待ったのが良かったようだ。

しかし、疲れた。

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新国立競技場

shinkokuritsu.jpg 新国立競技場の建設費が膨大ということで、随分もめていた。
昨日、建設の事業主体の日本スポーツ振興センター(JSC)の有識者会議が開かれ、既に決まったことだったらしいが、最終的に建設費2520億円ですすめられることになったようだ。(問題のデザインを選定した審査委員長の安藤忠雄氏は欠席と伝えられている。)

建設費が膨大になったのは、そのデザインに大きな原因があるらしい。
どうやら予算制約をかけずに、「ブッ飛んだ」デザインを求めたようだ。
で、その結果「ブッ飛んだ」コストになったということらしい。目論見通りである。

この問題についてはいろんな記事がネット上に出ているけれど、ちょっと読んだところ一番まとまってそうなのは玉木正之「新国立競技場、船頭なき"大艦"の視界不良」(東洋経済オンライン7月6日付け)の記事のようだ。

私などは素朴に、なぜ予算制約をかけなかったのかと訝しく思っていたけれど、そもそも提案時の予算の倍ぐらいの建設費になるらしい。提案段階での積算が甘いことはしかたがないけれど、それが倍にもなるなら選定結果を反故にするという停止条件を付けておくのが普通では。それなら提案者も納得せざるをえないと思う。

件の記事では、こういう建設費の問題だけでなく、そもそも建設可能なのかというとんでもない疑問や(建設可能かなんていう疑問が出るとしたら審査員は何をしていたのだろう。この設計者は「アンビルトの女王」と呼ばれるぐらい、作品の実現性が低いといわれているそうだ。)、もしできたら維持費がとんでもなく高くなるという問題も指摘されている。
この記事の当否を判断できるような知識はないが、本当ならめちゃくちゃな話ではある。

ニュースサイトの記事は時間が経つと消されることがあるので、念のため要点を抜き書きしておく。
建設費2520億円の経緯:コンペ時の建設予算は1300億円だったがJSCが試算すると3000億円に。規模を縮小して昨年5月には1625億円の見積もり、だがゼネコンが受注不能と拒否
建設費が高い理由:デザインの特徴である2本のキールアーチ=長さ370m、直径7m、重さ約3万t。東京スカイツリーの半分ほどの巨大構造物を2本造ることになる
維持費は年間35億円:旧国立競技場の維持費は年間約7億円だったが、新国立競技場では35億円(JSC試算、修繕費含まず)
収入計画が杜撰:年間にサッカー20試合、ラグビー5試合、陸上競技大会11回、コンサート12回を開催を計画だが、計画どおりのイベント開催は不可能
地盤改良工事も必要:旧国立競技場跡地は、高低差10m以上、旧競技場を支えた5000~1万本のコンクリート製杭の除去も必要
設計図は未完成:竹中工務店、大成建設の2社と建築契約を結んだが、詳細な設計図は未完成。キールアーチをどちらが建設するかも未定

昨日の有識者会議を伝えるニュースでは、仮設スタンドの建設費が含まれないなど、2520億円には含まれない費用があるらしい。前記の地盤改良も含まれていないのでは。


東京開催が決定された有力なポイントがこの競技場だったとしたら、IOCも杜撰な計画を鵜呑みにして評価したということになるのではないだろうか。(「福島原発は完全にコントロールできている」という大うそに比べたら小さい話かもしれないが。)

以前、オリンピックは開催国・都市の負担が大きすぎるということで、開催を希望する都市があまりないという時代があった。
1984年のロサンゼルス・オリンピックは開催希望都市はロサンゼルス1市だったということで、だからできたのかもしれないが、このオリンピックでは税金は1ドルも使わずに開催され、しかも大きな収益を上げたといわれる。テレビ放映権や各種スポンサーシップのコントロールが成功したためらしいが、経費をかけないためだろう、メイン・スタジアムも1932年のロサンゼルス・オリンピックで使われたところを使っている。
このロサンゼルスの成功のあと、「オリンピックは金がかかる」は、「オリンピックで商売をしようとすると大金を要求される」という意味に変わったようだったのだけど。

で、これだけの経費をかけて整備しようという新国立競技場なのだけれど、オリンピック以外では中学生の全国大会ですら使えないという指摘もある。
日本陸連は国内の競技場を1~4種に分類しており、国際大会や日本選手権など全国規模の大会を開ける「1種」の条件に、全天候舗装された400mトラックの併設を挙げていて、新国立はこの条件を満たしていないので2種だという。
オリンピックのときはそばに仮設トラックを作ってしのぐらしいが、オリンピック以外でそういう措置がとれるかどうかははっきりしないという。
私にはこういう問題のほうが、スポーツ施設としては、ずっと重大だと思えるのだけど、こういうのはデザイン評価にあたっては考慮されなかったのだろうか。

ところで2019年のラグビー・ワールドカップには間に合わないだろうと思うが、新国立ではラグビーもあてにされているらしい。
今はラグビー日本選手権はトップリーグ6チームと大学4チームのトーナメントだけれど、以前は、社会人1位と大学1位が、1月15日、当時は「成人の日」に国立競技場で戦う、お正月の名物で、晴れ着姿の御嬢さんがスタンドで観戦する景色も正月風景として懐かしい。
しかし、旧国立競技場はラグビー向きではないと言われていたと思う。

インゴールが狭く、端っこから進入してゴールポストの方へ回り込むプレイがやりにくい、
観客席が微妙に弧を描いていて、これが目に入ると、ラインアウトが真っ直ぐになりにくい、など。

新国立はどうなるんだろう。

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サッカーとラグビー

2015fifajapanvsusaover.jpg なでしこJAPANは残念ながら準優勝。しかし、体格では劣る日本がここまで来たことは凄いことだと思う。

賄賂・裏金がまかり通るマフィアみたいなFIFAのやってることに、そんなに熱狂して良いのか、クソッ。


体格の差は歴然、蹴り出されるボールの勢いや接触プレイでは、どう見てもアメリカが優位だった。チームプレイでは日本に一日の長があるとしても、相手チームもそれを学んで同等以上のプレイができるようになってきているようだし、それ以前にパワーでチームを切り裂かれたという印象。アメリカのシンプルで力強い攻めが目立った。

今回は体力に勝るアメリカに完敗したが、サッカーというのは不思議なもので、強い方が勝つとは限らないようだ。
(実際、PK戦とはいえ、前回のW杯では日本が勝ったわけだし)
同じくフットボールとして、祖先を同じくするラグビーとはその点が随分違うように思う。
ラグビーではまず間違いなく「強い方」が勝つようだ。

ラグビーのサッカーとの違いは手でボールを扱うことが一番だが、「ボールより前でプレイしてはいけない」というルールがチームの隊形、ゲームの構造を決定していると思う。


情緒的な表現になるけれど、どちらもチームプレイだけれど、サッカーは足し算、ラグビーは掛け算という感じがする。
サッカーの得点では、パスをつないで最後のシュートによるが、パスの一段一段、最後のシュートの一蹴りが独立しているように見える。

japanwomenrugby.jpg 対してラグビーの得点は、ラックやモール(以下、密集)からの球出しを繋いでトライへ結びつけるが、この球出しにチーム力が表れる。

サッカーでロングパス1本でシュートが決まるケースがあるように、ラグビーでもロングキック1本で選手が走り込んでトライということがないわけではないけれど、主たる得点パターンは密集からの球出しが連続して、ゴールエリアへ向かって進むという、この繋ぎではないだろうか。

この密集からの球出しを何回か繋いではじめて得点になるとする。途中で球出しがうまくいかないとトライに結びつかないから、連続して円滑な球出しをしなければならない。この回数を、仮に5回とする。
この時、密集からの球出しの力の比が、たとえば、0.6:0.4というようになっているとする。力が0.6のチームは、0.6の5乗=0.07776の率でトライに至るのに対し、力が0.4のチームは、0.4の5乗=0.01024の率でトライに至る。つまり、力の差が0.6:0.4、すなわち1.5倍あるとき、得点については、0.07776/0.01024=7.59375倍(0.6/0.4=1.5の5乗)という計算ができる。
もっと僅差の場合、たとえば力の比が、0.51:0.49(1.041倍)というようなケースでも、得点では1.22倍となる。

球出しの力の差と言うのはボールの獲得確率ではない。ゲームではたいていの場合、ボールを持ち込んだ側が球出しをする(それよりレフェリーの笛のほうが多い?)。ここでいう力の差は、スムースに球出しをする力(それにより次のプレイが円滑に行える)というイメージで考えている。


よく他のスポーツで、大量点を表現するのに「ラグビーのような得点」というたとえが使われるように、ラグビーは力の差以上に得点差がつく試合が多いように思うのだが、以上のような理屈なら、ラグビーの得点では、力の差が増幅されるということになるのではないだろうか。
今、球出しの繋ぎを5回としたが、実際のゲーム、とりわけ両チーム元気なうちは、もっとこの回数は多いように思うが、それならさらに掛け算効果は大きくなる。
力の差は、10回やって何回という現れ方ではなく、1つの試合での点差としても正直に現れるだろう。

サッカーでも同じようにパスを繋いでシュートに至るといえばそうだけれど、このパスの繋ぎの途中で、相手ボールになることは多いし、最後のシュートでは選手個人の力量で決まってしまうような感じで、ラグビーのような計算にはならないように思う。根拠はないが、力の差が1.5倍だったら、得点も1.5倍というような現れ方、10回やって何回勝つかというような率として現れるのではないだろうか。

以上は、ラグビーもサッカーも素人が傍から見ての憶測にすぎないのだけれど、実際のところはどうなんだろう。

オフサイド・ラインを挟んで対峙し、ボールの獲り合いとともにその前線が前後するラグビーというゲームは、美しくて、見ていて面白いのだけれど(高校生ぐらいの未だ体格がそれほどでないときは特に)、番狂わせが少なくて、勝敗の興味にはやや乏しい(いや、だからこそ番狂わせがおもしろいという意見もあるだろうけど)。
サッカーは見ているとイライラすることが多いのだけれど(だからこそ、胸のすくようなシュートが感動を呼ぶ)、勝敗の興味ではラグビーよりずっと大きいように思う。

2019年には、ラグビー・ワールドカップが日本で開催される。
勝敗の興味が殺がれる試合にならないよう、ジャパンが強化されることを期待しよう。

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積んでるエンジンが違う

2015fifajapanvsusa.jpg FIFA女子ワールドカップ2015 日本対アメリカ。
前半終了で、1-4。
アメリカのパワーとスピードにただ唖然。

昨夜のテレビ番組で「凄い試合になる」と言っていたが、そのとき「凄い」というのは一方的に大量得点されるという意味ではないか、0-3で日本が負けるのではないかという不安が頭をよぎった。

通勤途上でタブレットのTVを見ていたのだが、前半3分のいきなりのゴールである。続いて5分、フリーキックからのいとも簡単な失点。やはり、予想どおり0-3になるのか、と思っているうちに、前半15分で0-4。TVを見るのはやめた。

昔、私の友人が学生時代にアメリカに長期間旅行したときの話だけれど、アメリカの女子学生とソフトボールの試合をしたことがあるのだそうだ。
「積んでるエンジンが違う」という。アメリカの女子学生の体力は、日本の男子並みだという。食べる量からして違うという。
もちろん時代が違う(友人の話は40年も前のこと)。今は日本女性の体力も上がっていることはまちがいないけれど、やはり、体力の差を意識させられた。

じゃあ、どうやって勝つのか。このワールドカップの今までの強豪との試合は、相手に走らせて体力を奪ってというパターンじゃなかっただろうか。すばしこい動きで敵のボールを奪う、攻めきれないという焦燥感で疲労を倍増させる。

後半が始まっている。どこまで差を広げられるか、あるいはもう1点を日本がとれるか。

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カサブランカが咲きました

H27casablanca3.jpg 先日、アガパンサスが咲いたときに、次はカサブランカが控えていると書いた。

そのカサブランカが咲いた。

金曜日の夜に1輪咲いていることに気が付いたのだけれど、土曜日の朝には、さらに1輪咲いていた。

カサブランカは、少しずつ花が開くということではないようだ。
蕾の状態ではしっかりと口を閉じているけれど、くっついている花弁に隙間ができたら、そこから一気に、ばね仕掛けのように開くのかもしれない。

蓮の花は、ぽんと音を立てて咲くというような話があるけれど、本当に音がするのだろうか、あるいは音がしてもおかしくないような開き方をするのだろうか。
百合族の場合、そのめくれあがるような花弁の形からは、一気に開くとしても、ポンという音が出るようには思えない。

まぁ、物が動けば、周りの空気も動く、それが音だというなら音には違いないが。



H27casablanca2.jpg H27casablanca1.jpg


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椿事

centralleague.png 今日しか書けない、そして今日の夜にはもう書けないかもしれない椿事である。

セントラル・リーグの全球団の勝率が5割を切っている。どのチームも負け数の方が勝ち数より多い。
この間、セリーグ首位の阪神の勝率が5割丁度になったときに驚いた。全球団が5割を切ることもありえるけれど、まさかね、と思ったが、そのまさかが起こった。

もちろんパリーグとの交流戦で、セリーグが大きく負け越したからだ。
このところずっとセリーグは交流戦負け越しである。(というか交流戦で勝ち越したことがあるのだろうか。)
そして、例年のように、交流戦前にセリーグで首位を走っていたチームが、交流戦で負けがこんで首位を陥落する。まるで、セリーグを面白くするためにパリーグがあるかのようである。

もともとパリーグ贔屓の私としては愉快である。
パリーグは永い間しいたげられていた。ようやく最近になって人気が追い付いてきて、マスコミなどでも多く取り上げられるようになった。それでもテレビ中継は少ない。ラジオの中継もあまりない。

昔、まだ南海ホークスがあったころ、ラジオ大阪が、南海太郎の解説で南海戦をたびたび中継していて、私は南海ファンではなかったが、近鉄戦の時には良く聞いていた。


abusan1.jpg 野球まんがも主人公はだいたいが読売ジャイアンツに所属。そうでないのは、水島新司の作品ぐらい。「あぶさん」は、まだ南海ホークスがあったころに始まったが、パリーグの名選手を紹介してくれていて、実に心強かった。

そういえば、いしいひさいち「がんばれタブチくん」というのもあったなぁ。


人気がないというのは、観客動員もないということで、パリーグチームは軒並み興業的には失敗。1リーグ制が検討された理由の一つは、観客動員が望める読売戦をやれるというものだったと思う。
興行成績が悪いから、当然、オーナー会社もしょっちゅう替わった。
九州の球団といえば今はソフトバンク・ホークスだが、これはもと大阪の南海ホークス。そして九州にあったのは、西鉄ライオンズで、今は埼玉西武ライオンズ。ライオンズについては年ごとにオーナーが替わるようなことがあった。

ある時、ライオンズのユニフォームは胸にも「背」番号が大きく入り、球団名が目立たなくなったことがあった。オーナーが替わってもユニフォームを変えなくて良いと揶揄されたことを覚えている。


近鉄バファローズは球団が解散。ホリエモンのライブドアが近鉄を助けようというキャンペーンをしていた。ライブドアを訪問した時に受付に、そのキャンペーン旗(多数の寄せ書きが書き込まれていた)が貼り出されていたのを覚えている。しかし、その願いもむなしく球団は解散。その空いた場所に楽天ゴールデンイーグルスが入ったわけだ。

パリーグは多分意識してのことだろう、それまでプロチームのなかった北海道、東北を拠点にする2チームが生まれ、それぞれ郷土の応援を得る努力をしたと思う。それも、パリーグの人気上昇につながっているにちがいない。

それにしても、阪急が球団を手放していなかったら、今はどうなってただろう。ブレーブスとタイガースの日本シリーズなんて、グループ内シリーズをやることになったかもしれない。そうすると、阪急百貨店と阪神百貨店が両方とも、日本シリーズ優勝セールと残念セール同時開催なんてね。


pacificleague.png セリーグとパリーグは、DHを使うかどうかが違うわけだけれど、これが球団の力の差になるとも思えないが、なんとなく、パリーグには力勝負というのが多いように思う。原因か結果かはわからないが、鍛え方や集中力に何らかのバイアスがかかっているのかもしれない。野球の質がメジャーリーグに近いような気がする。

しかし、今年のパリーグは、オリックスが早々とこけて、少々差がつきすぎだ。
パリーグ全球団が勝率5割、つまり最下位チームでも勝率5割という姿も見てみたいものだ。

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マイナンバーへの対応

マイナンバーで何かと騒がしい。
私もときどき本やネットなどでマイナンバーのことを見聞きするけれど、多くのものは「対応は大丈夫か」というようなもの。特に酷いのは定期購読している「日経コンピュータ」などのIT専門誌というやつで、まだまだ対応していない、問題だらけ、誤解がまかりとおる、というセンセーショナルというか、不安を掻き立てるような記事。

そんな中で、ようやく真っ当な記事に出会った。
"迫るマイナンバー開始 企業は何をすればいい?"というITmediaの記事である。
注目すべきくだりを抜き出しておく。
mynumberappjimu.jpg
野村総合研究所 未来創発センター 制度戦略研究室長の梅屋真一郎氏は、「とてもシンプルな話。マイナンバーの導入で企業が実施すべきことを突き詰めれば『行政機関に提出する必要な書類にマイナンバーを漏れなく書く』の一言に尽きる」と説明する。「必要な書類に番号を漏れなく書くだけであり、新たな提出物が増えるといった追加の業務が発生するわけではない」(梅屋氏)とも付け加える。

もちろん、これで安心して良いというものではもちろんない。しかし、制度・システムをどう理解したらよいのかという核心をきちんと記述しないで、大変だ、問題だ、そして企業の大半が未対応などと書かれると、不安が煽られるのではないだろうかと苦々しく思っていた
そんなふうにいわれたら、何か難しいことをさせられるのだろうかとか、対応していない企業が多い(自分のところも)というのが問題の難しさを著していると誤解するではないか。一般に、問題の所在を確かめることなく、あいまいな状態であるから不安が増幅される。その状況のキモを見定めて、狙いどころを明らかにすることが必要だ。

ITmediaの記事は、その点、まず単純明快な制度の本質(提出書類にマイナンバーを加えるだけ)を確認して、事務が増えるわけでもなんでもなく、単に項目としてマイナンバーが増えるだけと安心させてくれる。

だいたい税務関係書類って、しょっちゅう制度改正で書き方が変わるのでは。それにくらべればずっと簡単だろう。

その上で、対応について書くと、決して、あわてふためかせるような記事にはならない。
もちろん、法律で重たい罰則もついているから気はつかうだろうけど、真っ当な企業なら、この種の個人情報の管理は今までもきちんとされていたと思う。それを確認するだけだろう。

だいたい、危険を吹聴するのは簡単にでき、安全を宣言するのは根拠にくわえて度胸もいるのだ。


そもそも、この制度で一番の利用者であり、恩恵を受けるはずの国税庁は、そんなに慌てていないのではないだろうか。

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MVNOってやっぱり質が悪い?

長崎・ハウステンボス旅行への旅立ちはあわただしかったので、ホテルについてから、いつも見ている連続テレビドラマの録画予約をしてこなかったことに気がついた。

このブログの読者はご存知のとおり、私は家にWiTVをセットしていて、外出先からでもビデオレコーダーを操作できるようにしている。
なので、随分久しぶりのことではあるけれど、あわてず騒がず、タブレットからWiTVに接続して、ネット越しにレコーダーの電源を投入し、録画予約を実行することにした。

最近のレコーダーにはネットからの予約機能が付いているものがあり、これならWiTVなど使わなくても良い。ただ、WiTVを使うと、家のレコーダーでBS放送をキャッチして、それをスマホに転送できるので、「スマホなのに何でBS放送が見えるんだ?」と人を驚かせることができる(女子サッカーのワールドカップの生中継をBS放送でやっているなど)。


WiTVreconnect.png 最初はすぐに接続でき、レコーダーの電源投入も問題なくできた。
が、突然、「再接続中です。」と表示され、コントロールを失ってしまった。(写真上)
この状態は、今までも何度か経験している。

そしてこうなると、WiTVにもう一度接続しようとしても、「ネットワークに接続できません」となってしまう。(写真下)
この宙ぶらりんの状態が、タブレットなのか、タブレット上のアプリなのか、WiTVなのか、それとも家のルーターの問題なのか、もう一つはっきりしないのだが、とにかく一旦この状態になると、結構長い間接続できなくなる。

タブレットを再起動しても状況が変わらないから、家側に問題、ルーターがセッションを維持するとはおもえないから、WiTV本体の問題なのだろう。


WiTVconnection.png そうしてかなり暫く待って再接続、操作をはじめると、またまた「再接続中」となる。こんな状況では、とても目的(番組を選択して録画予約)を達成することはおぼつかない。

WiTVへ接続しようとしたのはタブレットからで、挿しているSIMはMVNO(U-mobile)のものである。
前に、「MVNOのLTEって遅くない?」でも書いたように、MVNOの品質にはかねがね疑問をもっている。

ということで、スマホ(SoftBank)を使ってWiTVを操作することにした。
こちらは全く問題なく、予定の操作を完了することができた。

前にSoftBankの4Gは信用できないと書いた覚えがあるけれど、端末を変更してから安定している。今の端末(Xperia Z3)は、iPhone用の4G LTE(FDD-LTE)、とその他端末用の4G(TD-LTE)の両方が使えるハイブリッドタイプだけれど、それだけではなく通信機能の基本性能が良いのだと思う。


やはりMVNOのSIMって品質が悪い?
「安かろう、悪かろう」なんだろうか?
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ノイズキャンセリング・ウォークマン

NW-M500_P.jpg 長崎旅行は飛行機を使ったが、機内で音楽を聴くためにノイズキャンセリング・ウォークマン(NW-M505)を持って行った。

実はノイズキャンセリング・ヘッドフォン(イヤフォン)にはちょっと凝っていて、今までに3機種(Panasonic RP-HC30、SONY MDR-NC100D、SONY MDR-NC33)を購入し、それに加えてノイズキャンセリング・ウォークマン(SONY ウォークマン NW-M505)も1年半ほど前に買っている。
本格的なノイズキャンセリング・ヘッドフォンには、密閉型で大きなイヤーパッドのタイプが多いが、私はヘッドフォンは好きじゃないから家では使わない、乗り物に乗っているときに使うわけだが、そんな場所で、大きなヘッドフォンをかぶってる姿はなんとも異様な感じがするから、小さく、軽い、カナル型のものしか選ばない。

Panasonicのヘッドフォンはノイズキャンセル効果は期待はずれでほとんど使わず、子供に譲った。
次いで購入したSONY MDR-NC100Dは、ノイズキャンセル効果は素晴らしかったのだけれど、このタイプとしてはちょっと重いこと、そして電池が切れると普通のヘッドフォンとしても使えないのがネック。
三つ目のSONY MDR-NC33は、ノイズキャンセル効果はNC100Dには少し劣るが、軽く、電池が切れてもヘッドフォンとして使えるところが良く、飛行機の機内サービスの音楽を聴くのには、もっぱらこれを使っていた。

しかし、国内線だと機内サービスの音楽は限られているし、音質ももう一つだと思うので、今回の旅は、購入後初めての飛行機でもあり、ノイズキャンセリング・ヘッドフォンを持って行った。なお、このウォークマンに付属するヘッドフォンは、私のスマホXperia Z3に挿してノイズキャンセリング機能を使える。

この機種についての私の評価は、Amazonに書き込んでいるので、これ以上は書かない。
(私の評価がどれかわかるでしょうか。ヒント:評価☆4つの中です。)
Amazonには書いていないことを一つだけ。このウォークマンが有線接続でノイズキャンセリング・ヘッドフォンとして使えれば、機内用でベストなんだけれど。(Bluetoothでは接続でき、スマホとペアリングすれば通話にも対応している)

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