ピリス/ブーレーズのモーツァルト

2015-11-09_104552.jpg Amazon Fire TV stickを買ってから、ときどきテレビでYouTubeなんぞを見たりしているのだけど、たまたまピリスのKV466の配信が目に入った。

昔からピリスのモーツァルトは好きなので、YouTubeの大して良くない品質のビデオだけれど見てみたら・・・・・・

最初、指揮者の秀でた額を見て「アルノンクールか?」と思った(アルノンクールのモーツァルトなら珍しくもなんともない)が、なんと、ブーレーズだった。

それはともかく、これは素晴らしい演奏だと思う。ピアノ・ソロが入ってからは、皮膚が粟立つような感覚や首を絞めつけられるような感覚が止まらない。(もっともこれはこの曲の性質で、演奏の問題ではないかもしれないが)

IMG_20151109_202753-crops.jpg YouTubeでは飽き足らず、どうしても高品質のソースが欲しくなり、ブルーレイ(DVDもある)が販売されているのを知って、すぐにHMVで注文した。
ブルーレイの視聴はやはり期待通りのものである。
もし、KV466の良いディスクがないか聞かれたら、これを推薦しようと思う。

とかく著作権が問題になる配信サイトだけれど、こういう需要喚起効果もあるわけだ。もっとも音にうるさくなければ話は別だけれど。


そもそも、ブーレーズのモーツァルトって全く記憶がない。実はアルノンクールはどこかのりが悪く感じて、アルノンクールかと思ったときには、あまり期待しなかったのだけれど、ブーレーズじゃないか、どんなモーツァルトになるんだろうと思った次第。

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指揮といっても、協奏曲の場合はソリストの意思がかなり出てくるだろうから、ブーレーズだけの問題ではないと思うが、それにしても見事なオーケストラ(ベルリン・フィル)だ。

ブーレーズを知ったのは、作曲家としてが先(「ル・マルトー・サン・メートル」とか「恋するトカゲの嘆きの歌」とか)なのだけど、指揮者としては、ベートーヴェンの5番の演奏で、それまでの普通の演奏とは全く違う、遅めでしっかりとテンポを刻み、繰り返しは譜面通りというもの。おもしろいけど、正直、楽しくなかったのを覚えている。
もちろん、近現代曲については、ブーレーズのCDはいろいろ持っているけれど、そして素晴らしいと思うけど。
(このあたり、ちょっと吉田秀和風の言い回しのつもり)

ブーレーズはもう歳だから、新演奏が出るとは思えないが、モーツァルトの交響曲もやってもらってたらと思う。

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名寄番号 その3 コスト

名寄番号の3回目。
マイナンバーに代えて名寄番号を考えた動機はコスト問題だから、金額評価はともかく、そんなに経費がかからないだろうという説明を試みる。

まず、税や年金の源泉徴収で使われるケースなど、発行された名寄番号を使うコストについてである。
これは、各企業等の情報システムが、それぞれの納付先へデータを送るときに、名寄番号を併記するようにするだけだと思う。そのフォーマットは納付先当局が決めるのだと思うが、各企業等のシステム変更が最小になるように、たとえば名前の後ろに名寄番号を入れてくださいという方法など、何種類かを認めるようにすれば良いと思う。
もちろん企業内では、既存の社員番号と名寄番号の対応表を用意するか、社員データベースへの名寄番号フィールドの追加が必要にはなる。

つまり、名寄番号の主たる使用で発生する負担・コストは、「面倒だけどしゃあないな」という程度であろう。

マイナンバーでは自治体には連携ネットワークとか中間サーバーとかの仕掛けがたくさんある。私が思うに、番号の主たる利用はたとえば源泉徴収義務者から税当局へといったもので、これらの仕掛けとは関係がない。それでも制度の目的は達成できるから、これらは「使用で発生するコスト」には含まれない。


それに対し、名寄番号の発番、付番については、新しい社会インフラだから、当然、それだけのトーシが必要である。
私は、発番と付番は別の行為と考えている。
名寄番号の発番と付番
  • 発番は、重複した番号が複数人に付番されないように、使用済番号を管理しながら、新しく番号を生成する機能である。
  • 付番は、発番サービスに依頼して名寄番号を発行してもらい、それをリアルの人間に割り当てる機能である。そしてこれは既存事務に付加するなら、市区町村の住民登録に付加するのが良いだろう。

発番については、前にも書いたように、実質11桁(見掛け上12桁)というのは高々1000億個の番号しかないわけで、その番号が使われているかどうかは1000億ビット=125億バイト=12.5GBのデータ量が保持できれば良く、PC 1台程度の機能である。

発番システムは、全国から来る発番要求に遅延なく答えなければならないが、新しく付番しなければならない数は、新生児等で、年間100万人程度である。役所が連休で休んだりするため、1日の登録事務が最大10日分まとめて行われるとして、27,400件/日、これを8時間で処理するから1秒あたり0.95件、つまり1秒に1件処理できれば、発番要求が滞留することはない。で、この程度なら10年前のPCでもなんなくこなせそうだ。

なお、番号自体は受け付け順とか、そういう意味のある順番で出されるわけではない。ランダムに発番され、発番した番号に対応するビットがオンになるというイメージである。これで登録地・時期などの意味が排除された番号を出す。


心配なのは、各市町村側が、番号を受け取り損ねたり、受け取ったけれど住民登録システム側に反映できなかったなどのシステム障害が発生した場合である。
対応方法はいろいろ考えられるが、たとえば次のような方法も考えられる。

発番システムには発番の予約機能を用意する。その日に発生しそうな出生届の数ぐらいの番号を毎朝もらっておいて、実際に使ったら発番システムに使用した旨を送って、使用済とするわけだ。もっともこの場合、番号が使用済みかどうかだけでなく、予約中かどうかも管理する必要があるので、1つの番号に対して2ビット用意することになる。つまり、前述の説明の12.5GBでなくて25GBの容量を用意する。こういう設計にした場合は、1件だけ登録する場合でも、登録直前に発番予約・登録・登録完了という手順にすれば良いわけだ。

なお、発番の予約というのは制度起ちあがり時の一斉付番でも利用できるだろう。


マイナンバーでは、番号生成システムは住基コード及び機関別符号の対応関係まで管理しているようだが、名寄番号の発番システムでは、番号が発番済かどうかしか管理していないから、もしこのデータが漏洩したとしても、直ちにその他の個人情報が漏洩することにはならない。つまりマイナンバーより名寄番号の方がずっと安全であるし、余計なネットワークが不要となり、セキュリティ対策もはるかに簡単になる。

問題は、転居などで住所がわからなくなった人を探す場合。名寄番号ではリアル人間との対応の集中管理はしていないから、全市区町村に対して「名寄番号○○の人が居住しているか」という照会をしなければならない。
もっともマイナンバーは集中管理はしているけれど、そんな問い合わせは認められていただろうか。


発番の問題ではなく、付番の問題だが、同一人に2つの番号を割り当てることは起きないだろうか。
これは同一自治体で発生することは考えにくい(システム上、1つしか名寄番号は記録できないはず)けれど、同一住民が複数自治体に住民登録されている場合には起こりうる。ただ、これはマイナンバーでもそういう事態は避けられない。つまり情報システム上の問題ではない。

聞いた話では、複数の自治体に住民登録があって、だから、選挙権も2カ所(2つ)持っていた人がいたそうだ。北海道と和歌山の2カ所に生活と仕事の拠点があったために、戦後のどさくさで住民登録がはじまったときに、両方に登録したという話である。

あるいは、架空の住民登録をして番号をもらうことも考えられるけれど、これもシステムの問題ではない。

名寄番号では、リアル世界の住人との対応は住基コードだけれど、各自治体は住民のもの(住民であったものも含むと思う)しか保有していない。転居時には転出・転入届がなされるが、このときにはじめて名寄番号が転居先自治体に知らされる。

そんなことで良いのかと言う人もいるかもしれないが、名寄番号は名前と同じ扱いであれば、それで何の問題もないはずである。もし、転入届に名寄番号の記載がないなら、前の役所に問い合わせればOKである。
本質的なのは、転入転出で住民票が移動することではない。前住地での各種記録を転出先に引き継ぐかどうかという問題である。そしてこれは、住民基本台帳法や個人番号法の守備範囲では全然ない。

そしてこうしたデータの交換をするために複雑な情報連携ネットワークが構築され、中間サーバーという実態は集中運用される自治体システムが必要となる。そして個人情報が溜め込まれ、厳格なセキュリティ対策が必要となる。まさに泥沼状態である。


住基ネットワークも必要ない。名寄番号を制度化すれば、住基ネットワークを廃止しても問題はないと思う。
住基ネットのメリットとして説明される住民票の遠隔交付だが、名寄番号カード(本人認証)を使って直接居住自治体へ請求すれば良い(サービスが動いていることが前提だけど、それは現行システムも同じ)。
住基だのマイナンバーだので、特殊な仕様のシステムを作らなければ、行政サービスのスタイル自体が標準化されることになるだろう。

制度起ちあがり時には、一斉に全国民・在留外国人に付番しなければならないが、それは各自治体の住民記録システムをベースとして行う。期日を決めて、その日に住民であった人の番号を発番してもらうわけだ。このとき、発番予約機能があれば、20万人都市なら20万人分をもらって、実際に付番したもの・そうでないものを発番システムに報告すれば良い。この作業は高速に行う必要があるから、このときだけ高価なサーバーを使っても良いが、より現実的なのは一定の期間内の住民移動を吸収する事務手順を作ることだろう。

前に「情報連携ネットワークにマイナンバーを流しちゃいけないのか」という記事を書いたけれど、名寄番号なら、制度維持のために、そんなネットワークを用意する必要はない。必要なのは発番用ネットワークだけである。
また、自治体間の情報連携は、その内容に応じて、各事務ごとに手順が決められるべきものであるし、ネットワークも選択されるだろう。プライバシーが心配なら、暗号化通信を行えば良いのである。


これなら年間100万円もあればできそうに思うのだけれど(金がかかりそうなのはネットワーク利用料だけ)。
マイナンバーの効用がどのぐらいと算定されているのか知らないけれど、仮に効果額が100億円だとしても、システムに100億円使って良いという話にはならないと私は思う。

3回にわたって名寄番号について書いてきたけれど、これは米国のSSNとそう違わないものだろうと思う(SSNに詳しいわけではないけれど)。SSNを持ち出すと、直ちに悪用が心配という反応があると思うけれど、悪用例のほとんどはSSNを知っていることで本人認証を行ったために発生したと推定される。

番号制度が、SSNに学ぶべきことは、他人も知り得る番号であることを前提に制度設計をする(番号を知っていることで本人認証とはしない)ことであって、他人に知られてはならなない番号として設計し、マイナンバー自体の秘匿がセキュリティの要であるかのようなシステムを構築することではないと思う。さらに、それでも後者の立場をとるのならば、源泉徴収制度そのものをやめるべきである。
こうした根本的な部分でのコンセプトについて無自覚なまま進められているのがマイナンバー制度だと、私は考えている。
(そしてその無自覚の代償が数千億円だ)

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名寄番号 その2 使い方

昨日稿で「名寄番号」というマイナンバーに代わるものを考えたが、今日はその続きで、使い方について考える。
まず確認しなければならないのは、名寄番号による名寄行為はどうあるべきかである。

名寄番号による情報照会制度の基本的考え方

事務間での情報照会は、名寄番号制度とは別に、それぞれの必要性・妥当性が吟味され、個別法により認められたものであり、そうした照会事務において、名寄番号を使うことで、円滑・確実な情報照会を実現するものである。
名寄番号制度の創設により、事務間の情報照会が可能になるわけではない。
情報照会における名寄番号の利用は、手続き・技術を定めるにすぎない。


実際には、こうした事務間の情報照会は、個人情報保護が厳格に行われるようになる前からあったことで、慣例として行われているものもあるに違いない。税務調査に至っては、どうやって情報を取得したかさえ秘密にされているだろう。(公務員一般に守秘義務があるが、税務職員については守秘義務が特に定められている。これは、課税情報そのものを守るためではなく、課税の根拠となったデータを守るためだと言う話を聞いたことがある。)

そうした事態が、マイナンバー法制により関連事務の範囲があきらかになるという余得はあるかもしれないが、それは本末転倒の話である。


○名寄番号は、法で指定した手続きには記載を義務付ける
具体的には税の申告、公的年金の加入などで、マイナンバーと同様である。源泉徴収義務者は本人に代わってこれらの手続きをするわけだから、当然、本人の名寄番号を収集することになる。
そして法に基づいて事業者等に情報提供を求める場合、事業者側は名寄番号を記載して回答しなければならないとする。なお、この場合、情報提供を求める側が名寄番号を提示して対象者を特定することができるとする。今まで名前と住所などで本人を推定していたところを、名寄番号で済ませるというだけの話である。

事業者の既存システムには手を入れる必要はない。名寄番号自体は特別な保護対象ではないから「特定個人情報」という概念もないから、それ用に保管ロッカーを用意する必要もない。
実務的には、内部管理用の個人識別コードと名寄番号の対応表を分離して凌げばよいだろう。オーソライズされた機関から情報照会があれば、当然、照会手順・項目などは厳密に定められていなければならないから、それに対応したパッケージ・ソフトを用意するのは難しくない。
たとえば、源泉徴収義務者が従業員の天引き情報を税務署に渡すとき、電子データならフォーマットが定められているから、そこに番号のフィールドを設けるだけである。そしてそのフォーマットはもともと共通だから、内部の個人識別コードと名寄番号の対応表から所定フォーマットに変換するのも、余程特殊な識別方法をとっていない限り、共通のものが利用できるであろう。


○利用範囲の法定
問題は、名前以上に強い規制が必要かどうかであるけれど、制度の適切な運用と国民の理解を求める上では、名寄番号は法で定められた使い方に限るとしておくのが良いだろう。
もちろん収集制限の原則に照らして、名寄番号の収集が正当化されるのは、その必要性が明確な場合であるから、法定しなくても保護されるべきものであるが、そういう約束はすぐ反故にされるので、必要性は法によるもの以外は認めないという論理である。

法定主義を導入すると、利用範囲が拡大されるたびに法改正をしなければならないわけで、国は条文に1行書くだけで済むかもしれないが、現場では、自分には何の必要性もないにもかかわらず、その改正に対応するために、あらためて名寄番号の収集やシステム改修をしなければならない事態となり、大変煩わしい。
しかし、このことが逆に、簡単には法改正できないように働くと期待するべきなのだろう。現場の迷惑も考えず簡単に別表追加などするなということである。

それよりも、たとえば信用情報照会システムで、より確実な情報照会を行うため、クレジット・カードの加入者には名寄番号の提示を求めたいというような業界の要望があって、それが妥当で、利用者の利益になるということが国会で審議されて認められる、という制度こそがのぞましいと思う。
(使いたいといっても、個人情報保護審議会や国会が否定する。そもそも個人情報の国家管理がいやだと言う人がいるから保護に力を入れているんでしょう。)

○流通規制
名寄番号では、その秘匿を義務付けるのではなく、流通を規制する。すなわち、法定外での名寄番号入り個人情報の提供禁止(提供元、提供先両方に罰則規定)、名寄番号を含んだ出版、公衆送信の禁止などである。
これにより名簿屋などによる名寄番号入りのデータの販売は直ちにアウトとなる。もちろんそうすれば、名簿屋は、手に入れた名寄番号入り個人情報を照合して、その中にメールアドレスなど個人識別可能な情報があれば、そちらをキーにしてデータを販売すると思われる。ただし、もともとの名寄番号入り個人情報は不正に取得したものだから、その時点で違法である。

マイナンバー制度で秘匿をやかましくいうのは、個人情報の保護をITセキュリティという発想で見ているからだと思うのだが、悪用防止という発想でも良いのではないだろうか。というのは、漏洩に対しては個人情報保護法や不正アクセス禁止法が既にさだめているところであり、番号制度特有の問題ではないと思うから。
漏らしたら罰ではなく、使ったら罰である。

○公的記録等への照会(身分証明)
以上は、機関間での情報照会にあたってのルールだけれど、本人は必要な時に公的機関へ自己情報を請求する際に、名寄番号を使うことができるという使い方である。
たとえば警察などから職務質問を受けたときに、名寄番号カード(マイナンバーカードのようなもの)を提示すれば、券面顔写真と持ち主を照合したうえで、名寄番号により、本人の住所等が確実に照会できるというわけだ。
もちろん名寄番号カードの発行は、名寄番号制度の本質とは別に、別の法律により行うべきだろう。


さて、こういう使い方はマイナンバーとほぼ同様なのだけれど、名寄番号という考え方でなぜコストが下がるのか、その説明はまた、稿をあらためて。

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名寄番号~貧乏国のマイナンバー

国を挙げて大騒ぎのマイナンバー、突っ込みどころ満載の施策なので、結構関連記事を書いてきている。
(「マイナンバー」でブログ内検索をすれば本記事を入れて30本ぐらい出てくる)

マイナンバーの制度・システムの知識が不足しているから、的を射た意見にはならないかもしれないが、米国のSSNとかはコンピュータ・ネットワークを前提にしない時代の産物でもあり、決して我が国のような複雑な制度ではないはず。そうした素朴な疑問はずっと持っている。

そして、このブログにも書いているように、私は制度設計、システム設計が良くないと思っている。
そこで、私が設計するなら、というのをちょっと書いてみたくなった。
もちろん細部まで熟慮したわけではないから、一笑に付してもらってもかまわない。

まず、標題の「名寄番号」だけれど、私はマイナンバーの本質は名寄せにあると考えており、マイナンバー制度をなぞって同じものを実現しようとは考えていない。このぐらいで十分じゃないでしょうか、というスタンスである。なので「個人番号(マイナンバー)」とは違うという意味で、「名寄番号」と表現する。

なぜ設計が悪いと思うのか、そのもっとも素朴な疑問、理由は、システム価格である。
たとえば、名寄番号は同じ番号を異なる人に割り当ててはいけないから、発番を管理しなければならないわけだが、マイナンバーの番号生成システムは69億円もかかるという。
しかし、実質11桁(冗長構成のため見掛け上12桁)というのは高々1000億個の番号しかないわけで、その番号が使われているかどうかは1000億ビット=125億バイト=12.5GBのデータ量が保持できれば良い。
もちろんシステムの安全性や関係機関とのネットワークなど、備えるべき機能はたくさんあるけれど、主要部分は原理的に同じなのに、4桁も価格が違うというのは一体なんなんだろう。
column-img005_tcm102-1291700.jpg 簡単に言って、スーパーコンピューターと安物のPCほどの差があるわけだ。

番号生成システムだけではない。自治体や公的機関の間での「情報連携ネットワーク」の巧妙だけれど高価、そしてマイナンバー利用の主流のデータ流とは別のネットワークへの投資、自治体に置かれるという中間サーバーという名前の「自動応答」装置とそれを運用するために必要な自治体システムの大量のシステム変更、なにより情報連携ネットワークと中間サーバーという仕掛けがセキュリティ上の問題を深刻にするので、このために多大なセキュリティ投資が必要になる。これら全部を合わせれば数千億円の投資だろう。


これが問題意識の発端である。とても財政的に小さい国にできることではない。
(だから「貧乏国のマイナンバー」というわけだ)

前にも書いたけれど、住基ネットワークができるとき、反対派の人が「セキュリティに矮小化するな。求めているのは自己情報コントロール権である」と言うとともに、「どこでも住民票がとれるという程度のサービス向上なら、インターネットの暗号化通信で簡単に実現できる。数百億円の投資の合理性はどこにあるのか」と言っていたことが思い出される。


さて、私が言う「名寄番号」の原理は、伝統的な名前の他に、国がユニークな名前(番号)を付けるというものである。親が子供の名前を届けるときに、役所がこの子供はこういう名寄番号(名前)で識別されます、というだけである。

今でも、いろんな組織に自己情報を照会するときに、名前や住所、生年月日、性(以上、いわゆる4情報)などで照会するが、同姓同名や転居などでマッチングがうまくいかないことがある。手続きがややこしいのは住所が変わるとき(転居)、姓が変わるとき(結婚)などのときで、皮肉なことに、こうしたニーズが高い場合であればあるほど、4情報ではマッチングがうまくいかない。古い4情報を使って、マッチングして履歴を追うことになるなど、結局、その人の個人記録から推定することになり、大変煩わしい。これは提出を受ける機関だけでなく、その証明を求められる国民にとって大変煩わしい。これが名寄番号の価値である

金融機関などが一番欲しがるのは、結婚して姓が変わっても同一人を識別できる番号である。金融機関は役所じゃないから、改姓・転居などは顧客からの申し立てによる。結婚して口座の名義を変更しようとしたときの煩わしさを思い描けば良い。


名前であるから、当然、それは秘密ではない。
名寄番号の管理・保護の考え方は名前と同様に考えれば良い。

本人がネットに公開するのはちょっと微妙だけれど、隣の人に教えたからと言って、何ら問題はない。
ある個人情報について、名前を伏せてもらいたい場合は、名寄番号も伏せてもらいたい場合であると考えれば十分である。

たとえば給与明細を名前付きで公開されるのがイヤというのと、名寄番号付きで公開されるのがイヤというのは同等である。

今まで名前が入っている情報の取り扱いに払っていた注意と同等の注意をもって、名寄番号が入っている情報の取り扱いにも注意を払ってもらえば良い。それさえ守られれば、その組織が持つ個人情報が漏洩することはない。

他人の名寄番号を手に入れたとして、それを有効に利用できるのは名寄番号入りの個人情報を別途保有し、それと照合できる場合である。たしかに、「この名寄番号の人は○○です」という情報があれば、会社などが従業員がそこに含まれているかどうかを確認するなどの使い方はできるだろう。では、「名前が△△さんは○○です」という情報と、どの程度違うだろうか。名寄番号と異なり同姓同名もいるだろうけれど、その名前の従業員がいれば本人に確かめることもできるだろう。また、名前は、表札その他、周知の情報との照合ができる。確実に個人を特定できるわけではないにしても、推定は十分可能である。さて、どちらが危険だろう。

なお、事業者が個人情報を収集すれば、個人情報保護法の適用対象となるわけで、個人を特定できる名寄番号が入っていれば当然個人情報保護法の適用対象となるのは自明である。

また、マイナンバーでは、漏洩したとか間違って他人に渡ったとかで番号を変更するという話が頻繁に出ているが、私は変更の必要などないと考えている。変更は、名前と同じく、家庭裁判所で判断してもらえば可能ということにしておこう。


今まで、いろんな個人記録には名前が入っていたけれど、名前を隠すために巨額の追加投資をしたなどということは聞いたことがない。関係機関に照会する場合も、気軽にといっては言い過ぎだが、名前を言って電話やメールで照会していただろう。

名寄番号だけで、名前を使わずに個人情報を照会すれば、途中で照会情報が漏洩したとしても、その名寄番号の個人情報を持っている第三者でなければ意味を持たない。なお、番号の入力ミスをチェックするために名前を併せて送ることが多いが、私は番号は12桁でなく、16桁ぐらいにして、5桁分を符合の冗長化に使用した方が良いだろうと思っている。クレジットカードは、先頭4桁が事業者識別ではあるものの、トータル16桁だ。


マイナンバーには名寄番号とは違う、もっと深い意味があるのかもしれないけれど、税や年金の名寄程度なら、名寄番号で十分ではないだろうか。
以前から書いているように、マイナンバーは「大事なものだから他人に知られないように」というような広報がされていて、住民票に誤って番号が記載されて問題になって(番号も変更するらしい)、腫物に触るような扱いがされている。名寄番号はもっとおおらかに使おうというスタンスで考えているわけ。

プライバシーを守る、それ自体は否定する必要はないけれど、やみくもに匿すことで保護しようとし、そのために匿すことを徹底するためにセキュリティを徹底的に強化しようという発想は、制度の本質をはずれて、セキュリティが自己目的化しているのではないだろうか。
マイナンバーのコンセプトがもうひとつ曖昧であるため、リスク評価ができず、このためセキュリティ対策は、とにかく漏れないようにしろの一点張りで過剰な投資になっているのではないか。
これが4桁もの価格差を生んでいる原因だと、私は睨んでいる。

それに、マイナンバー制度では、おおっぴらに公開されることはないにしても、必要な相手には教えなければ制度が運営できないにもかかわらず、隠さない・隠せないのは犯罪だと言うわけだ。
教えなければならない相手は、公的機関以外では、今は源泉徴収義務者程度だが、今後、医療機関、金融機関へと、拡大されていくだろう。
医師には患者の病状等について守秘義務があるが、マイナンバーの守秘義務はそれより重いというのでは、やっぱり変じゃないだろうか。

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クラウドファンディング

前に、これ欲しいと書いた超小型ドローン「Zano」、Kickstarterによるクラウド・ファンディング方式で事業化されるはずだったが、その後、とんと出荷の気配がなかった。すると、このプロジェクトが破綻したというニュースが流れていた。
2015-11-25_151012.jpg
全世界の1万2000人以上の出資者から1万5000機を越えるオーダーを集め、「ヨーロッパ最大のKickstarterプロジェクト」とも言われていた手のひらサイズの超小型空撮ドローン「ZANO」のプロジェクトが頓挫してしまったことが判明しました。2015年1月に締め切られていたKickstarterのキャンペーンでは、360万ポンド(約6億5000万円)もの出資が集まっていたプロジェクトでしたが、そのお粗末な顛末も明らかになっています。
……
懸念されていた飛行性能と画質の問題も解決されておらず、そればかりか「自動追尾機能」など多くの機能が実際には全く実現されておらず、ほとんどの機能が「構想」の段階に留まっていた実態が明らかになりました。

面白そうな商品だから、私も欲しかったのだけれど(何に使うかようわからんけど)、たまに販売取次サイトをチェックしたりしても出荷案内がなく、これを申し込んで良いものやらと疑問を持っていたわけだ。
できるかできないかわからないからこそ出資する意義があるわけだが(成功まちがいなしなら銀行出資で十分)、報道の通りだとすると、ちょっと酷い状態のようだ。

同様に注目している「WalkCar」という商品があるけれど、これも発売を延期しているけれど大丈夫だろうか。


クラウドファンディングというネットを利用した資金集めというアイデアを誉めそやす論調の記事が多いわけだけれど、出資にはリスクが伴うこともあらためて印象付けられた。今後、クラウドファンディングでは、リスクを評価する仕組みや、プロジェクトの進行状況の情報公開のありかたなどが議論されるのではないだろうか。

前に、クラウドファンディングで寄付集めをしている自治体のことも書いたことがある。気になったので、寄付金の集まり具合をチェックしてみたのだけれど、どうやら目標額には程遠そうである。
文化財の修復費用に充てるということだったが、それが実現されないなら返金されるのだろうか(面倒くさ)。

40年以上も昔のことだけれど、知り合いの先生が米国の教育事情の視察に行ったときに、大学の実験設備(たしか原子炉)の建設のためにかなりの額を目標に寄付を募ったところ、目標額の8割だか9割ぐらい集まったが、期限内に達成できなかったので、集まった寄付金は全額返金されたという話を聞いたことがある。
日本だったら、もうあと少しだからと期限延長とかしそうなところだが、米国は割り切りの見事な契約社会だと、その先生は仰っていた。


こうした中途半端に集まった資金の取り扱いはどうしたもんだろう。
「いただいた寄付金は理由によらず返金しません」なんてやったら寄付金詐欺が横行しそうだし、文化財修復で「不足分は自治体が出します」としたら、それはそれで寄付自体が集まらないだろうし(条件付き寄付にあたるとしたら、受け入れには議会の承認も要るだろうな)。

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マイナンバーが届かない

IMG_20151122_143605.jpg 先日、書いたように、私にもマイナンバー通知が来た(写真右)

マイナンバーをブログに公開して問題視されたケースがあるので、良識ある六二郎としては、番号自体を秘密にする必要はないと個人的には考えているけれど、ここは、番号、名前、住所などには、モザイクをかけた。


私にはこうして無事配達され、11月末までにマイナンバーを記入して提出することを求められていた書類も無事に送付できたのだけれど、報道によると、マイナンバーの通知カードの配達が順調ではないらしい。
高市早苗総務相は24日の閣議後記者会見で、社会保障と税の共通番号(マイナンバー)を記載した個々人への通知カードの初回配達について、全国約5680万世帯の9%に当たる約510万通が12月にずれ込むことを明らかにした。
 最も遅い地域では12月20日ごろとなる見通し。
 政府は当初、11月中に不在世帯を除く全世帯への配達を終える計画だったが、郵便局への納入の遅れが響いた。総務相は来年1月に予定されるマイナンバー制度の本格運用に関しては、「年内に番号が届けば特に影響はない」と述べ、スケジュール変更の必要はないとの考えを強調した。

(時事通信 11月24日(火)12時36分配信)


前に、「マイナンバー通知の不達はそんなに問題か」と書いたけれど、私の考えは今も同じで、配達不調でもそんなに大問題とは思えない。
というか、不達の大量発生は事前に予測できていたはずだから、今頃慌てるのはみっともない。

政府は「年内に届けば問題ない」と言っているが、私みたいに11月末までにマイナンバーを記入した書類の提出を求められていたら問題あるわけで(通知がこなければマイナンバー記入は後日でも良いとは注意書きがあったけど)、書類提出先である共済組合にはちゃんと説明したんだろうか。


前にも書いた通り、これから公的手続をするにあたって、マイナンバーの記載が求められるものが出てくるから、そのときにマイナンバーが書ければ良いわけで、いついつまでに通知しなければならないと考える方がおかしく、通知はあくまで、一斉に問い合わせをされたら対応できないから、その混乱を避けるために行うものと割り切らなければならない。

それより、不達のときには、役所へ行けばすぐに教えてもらえる、マイナンバーを知るための住民票発行は無料で対応するなどの対応を充実させるべきである。
というか、「マイナンバーを知りたい人は・・・・・・」というのを一番というか主にして、次いで「問い合わせが殺到するのを防ぐために通知カードを送ります」という広報をするほうが良いのでは。

本当は、電話で役所に問い合わせても教えてもらえるのが良いと思う。コールバック、生年月日その他による本人確認手順をきちんと決める必要はあるだろうけど。

問題は不達にあるのではなく、それが予測されたのに、ひたすら配達の強化で対応しようとした制度立案者の想像力の欠如の方にあるのでは。

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物語 行政サービスゼロ地域 (5)水道

shishiodoshishashin.jpg シリーズ5回目は水道をとりあげる。
4回目の「エネルギー」とともに、供給施設ということになる。

水道は、たいてい市町村営水道である。市町村営というと、その自治体内での事業に限られるのが普通だが、以前、瀬戸内海のある島では、行政区としては四国側だが、本州側に近いというような理由で、本州側自治体の水道の供給を受けているというようなケースもあったと記憶する。
行政サービスゼロ地域もそうした形で給水を受けることは可能だろう。問題は電力同様、コストである。(ただ市町村水道はもともと固定資産税とか道路占用料とかは賦課されていないだろうから、電力のときのように非課税分が魅力になることはない。)

水道料金は地域間の料金格差が大きい。月10㎥使用の家庭用料金(14年4月)では、最高は群馬県長野原町の3510円、最低は兵庫県赤穂市の367円と、10倍近い開きがあるという。


水源があれば、外部からの供給を受けなくても良い。今でもそうなのか寡聞にして知らないけれど、自治会が水道を運営しているという住宅地が京都府亀岡市内にある。井戸、配水施設、水道管、いずれも自治会の共同所有である。開発業者が倒産して、住民が結束して運営しているのだという。これは住民が望んだということではないだろうけど。

山村の方は水源はまだなんとかなりそうだが、離島になると厳しいかもしれない。
たとえば関西国際空港は人工島だから水源は全くない。対岸の泉佐野市の水道の供給を受けていると思う。なお、下水道については、空港島全体の汚水を処理する浄水センターが島内にある。

水はエネルギー以上に生活に必須のものである。地域の人口上限は、利用可能な水の量で決まるという説もある。ガソリンより高い水(ペットボトルの水はガソリンより高い)を使い続けるわけにはゆかない。

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マイナンバーがやってきた

我が家にも昨日、マイナンバーの通知がようやく届いた。
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J-LISの通知カード発送状況案内では、私の居住市では11月17日に差出完了となっていたので、18日か19日には届くと思っていたのだけれど、土曜日にも届かなかった。テレビのニュースで、配達できなかった通知カードが多いこと、22日、23日に重点的に配達するというようなことが報道されていたので、そうなんだろうと思っていた。

前にも書いたけれど、11月末までにマイナンバ-を書いて提出しなければならない書類があるので、これ以上遅くなったらと、やきもきした。

また、早速、マイナンバーカードの申請も行った。
スマートフォンで写真を撮って出すというのもあるようだが、安易に撮った写真では受け付けてもらえないんじゃないかと思うので、デジカメで写真を撮って、適当なサイズにトリミングして出した。

で、めちゃくちゃ不親切だと思うのは、写真の規格について、紙の申請書に貼って出す写真については丁寧に書いてある(パスポート用と同じ)のだが、デジタル・データで出す写真については、チラシには全然案内がないし、ネットで調べても公式に案内しているページはなさそうである。
PCで申請していくと、写真の規格も案内されるのだが、ファイルサイズは20KB〜7MBで、jpeg形式である。私が出した写真は、1650×2121の1.55MBであるが、事前に規格を確認できなかったので、もし、ここで規格に合わなければ、あわててやり直さなければならない。もちろん、形式規格だけ通れば良いわけではない。ちゃんと受け付けてもらえるのか不安である。

以前に、パスポート写真で失敗している。電子データではなく、印刷したものだったけれど。

スマートフォンの申請の場合、トリミングなんてできるんだろうか。
顔画像を自動でチェックしてすぐに受付不可を返すようなシステムにはできないんだろうか。

この頃は、スマイル・シャッターとかいろいろあるから、顔として認識できて、変に歪んでないかなどをチェックするぐらいならできそうだが。もちろん、最終的には人の目でチェックするにしても。


マイナンバー制度というのは、金をかけてる割りには、ユーザーサイドでの発想がなさすぎる。というか、どうでも良いことはしつこいくらいに宣伝するくせに、本当に知りたいことは何にも教えてくれない。
役人はともかく、ITの専門家もたくさんついているはずなのだが。

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物語 行政サービスゼロ地域 (4)エネルギー

久しぶりに「物語 行政サービスゼロ地域」。今日は、エネルギーを取り上げる。

地域のエネルギー代謝が云々というような物理学的な話ではなくて、単純に、生活上必要な、電力、化石燃料などをどう調達するかということである。
今では、大抵の土地にも電力は供給されている。ガスについては、都市ガスというような設備は僻地にはない。というか、大都市域でないとガスが配管されている地域はあまりなく、LPガスがボンベで配送されているだろう。石油類も同じである。

さて、これらの供給が絶えるというようなことはあるだろうか。
それは、まずないと考えられる。というのは、これらのエネルギー供給業は、現状、いずれも黒字である。税金の補助ではじめて運営できるというような事業ではない。であれば、通常の民々取引で、事業者側に利益が出ればそれでよしとなるだろう。

1a1f4ad6a834b2bcf8a4c5ba4576049f.jpg 電力で考えてみよう。事業者にしてみれば、社全体が黒字でも、この地域に限ると赤字になることも十分ありえる。この地域への送電コストと、地域からあがる電気代の比較である。
ただ、変電所などはかなりの大規模設備であるから、この地域のために設置することはなくて、隣接する通常の市町村への給電設備から、電線が延びる(電柱、トランスなども)と考えることができるのではないだろうか。
それに、行政サービスゼロ地域では、いわゆる固定資産税の賦課はないし、道路占有料というのもない。電柱を立てても、それで税金や道路占有料が発生したりはしない。
あくまで隣接地域への給電能力の余力ということでしかないけれど、地域内での送電にかかるコストは他地域よりも低廉になるのではないだろうか。

電力以外、ガスや石油類については、タンク等による輸送になる。これは恒常的な供給設備が必要になるわけではないから、電力よりもずっとシンプルになる。ただ、配送にかかるコストは都市部よりも相対的に高くなるかもしれない。地域としては、まとめて受け取る(備蓄もできる)設備があれば大いに助かるかもしれない。

さて、いずれもコスト高になるとしよう。
となると、自給自足はできないにしても、エネルギー全体として考えて、地域で生産できるエネルギーがあって、それを利用もしくは外部へ移出することができれば良いという理屈になる。
たとえば太陽光発電設備を地区内に置く案もある。もっともこれには相当の初期投資が必要であるから、小さい住民組織の自給のためと考えると難しい。むしろ、外部の発電会社の設備設置受け入れ、つまり自給ではなく、むしろ外部へエネルギーを供給するような事業のほうが有望かもしれない。

一方、地域に山林がある場合は、間伐材の利用という方法がある。実際、中国地方を中心として、村おこしの手法として、間伐材をチップ化しているとこは多い。夏の暑さはともかく、煮炊きと冬の寒さをしのぐには、こうした間伐材の利用で足りそうで、その余剰を域外へ販売することで、地域としてはエネルギー収支をプラスにできる可能性がある。

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また「民意」が問われるそうだ

明日、11月22日に大阪府知事・大阪市長のダブル選挙があるので、一応コメントをしておこうと思う。

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はじめに、ダブル選挙となっている理由だが、4年前に当時の橋下府知事が、知事を辞任して市長選に出たためである。結果は、橋下市長、松井知事ということになった。
それだけではない、昨年3月には、橋下市長が辞任して「出直し選挙」により再選されるということがあった。

(同一人が当選した場合は、任期はリセットされず、継承される。)

また、今年の5月には大阪都構想の是非を問う「特別区設置住民投票」が行われた。

ということで、大阪はこのところ、やたら「民意」を問う機会が増えているわけだ。
今回のダブル選挙のスローガンも「さあ投票 選挙の主役は あなたです」となっているけれど、政治家の都合で繰り返し「民意」を問われているだけで、大阪市民・大阪府民は「主役」という感じは持っていないのではないだろうか。(何度も事務コストが発生することを捉えて、「何してんねん、市民不在や」という人もいるだろう)

その繰り返し問われる「民意」だが、今回の選挙は、またしても都構想が焦点であると言われている。
5月の住民投票から半年、構想の内容に特に進展があったとは聞かないし、あいかわらず「二重行政のムダ」を繰り返しているのだけれど、都構想を住民に説明しきれなかったという反省はどうなったんだろう(理解が深まれば反対が増えるという皮肉な見方もあるけれど)。

以前、大阪都構想の住民投票についての記事の中で、都構想が否定されたら維新は「賛成多数になるまで何度でも住民投票をする」だろうと書いたけれど、その予想が当たったというような状況である。

今回は首長選挙で、候補者の魅力で決まる割合も多いだろうから、都構想推進派が勝っても、それで都構想が支持されたということにはならないという意見もあるだろうが、推進派としては、選挙の争点として打ち出している以上、勝てば都構想への支持と喧伝することは間違いない(前回のダブル選では、未だ都構想という言葉は使われていなかったと思う)。


そんなことより、今回は違うのかもしれない。今度は、住民投票では問われなかった府民の意思が入る。
大阪市を切り取り次第にして、大阪市外にも旨味が回るようにしてもらおうという府民の意思が。

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Amzon プライム・ミュージック

2015-11-18_164030-crop.jpg Amazonがまたやってくれた。
11月18日から、Amazon プライム・ミュージックのサービスが始まった。

Amazonのプライム会員だと、無料で100万曲のストリーミング再生ができるという。
私はプライム会員だから、もちろんこのサービスが利用できる。

前にAmazonビデオのことを書いたけれど、それに続くサービスである。当然、Amazon Fire TV stickでも再生できる。

Amazonのプライム会員の会費は年3,900円だから、1ヶ月あたり325円である。これでビデオ見放題、音楽聞放題だからステキではないか。
もっともコンテンツがつまらなければ100万曲あっても話にならない、というか聴く気にならない。
ポップス系には詳しくないので、クラシックでどんなものがあるのか見てみた。

2015-11-18_125722m.jpg プライム・ミュージックにはカテゴリーが設けられているが、クラシックに限るとアルバム数は17,880と出る。

(11月18日現在、以下同様)

そこで、とりあげられる作品数が多そうな作曲家で検索してみた。
アルバム数は、

Bach:      611
Mozart:    511
Beethoven: 404

となった。

(Mozartは私の保有数の方が多い)

おそらくこの三人がクラシックの作曲家の配信数ベスト3だろう。Bachが多いのは、息子たちも含まれているのかもしれない。

2015-11-18_125806m.jpg 配信されているのは、古い録音じゃないだろうかと思っていたのだけれど、Bachを検索したときに、これも配信されているんだと驚いたのがある。ユリア・フィッシャーのバイオリン協奏曲集。数年前にCDを買ったとこじゃないか。

つぎは配信の音質である。
実際に私の環境で調べたわけではないのだけれど、報道ではAAC 256kbpsが最高品質ということだ。今までのAmazonのmp3ダウンロードだと、mp3 192kbpsが上の部類で、それより高品位というわけで、ほぼCD音質と言える。もちろん全コンテンツがこの音質かどうかはわからない。

こうなってくるとパッケージの購入は、SACDやブルーレイ・オーディオしか対象にならなくなるかもしれない。

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テンパリ~「語り得ぬ世界」10執念

昨日、予告通り、「テンパリ ブログ『語り得ぬ世界』 開設10執念」が催された。

その様子は『語り得ぬ世界』に、早々とアップされているので、私は証拠写真だけ。

店の様子。
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珍之助さまの方もほぼ同じ写真をアップされているけれど、はじめの刺身盛り。
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右から、アジ(昆布〆)、ヒラメ、マグロ、ブリ、一番左の赤いのは鹿のタタキ。
いずれも美味。特に、鹿は柔らかく、獣臭さもない、逸品である。

例によって、写真を撮ることは失念して、これぐらいしかない。
その理由の一つは、参加者を撮影するつもりが、あてがはずれたからである。

この日は「仮面舞踏会」という噂で、実際、マスクも用意されていたのだけれど、これをずっと付けていたのは私と珍之助さまだけで、みなさん、付けることに羞いがあったようである。
このため、華やかな仮面舞踏会の様子の写真は、残念ながらアップできないことになってしまった。

素面は外部との緊張で作られたものであり、仮面を付けることにより、その緊張が解かれて本来の姿が表出する。
それが羞しいに違いない。

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ボジョレー・ヌーヴォー

ks_beaujolais_lawson.jpg 明日、11月19日(木)は、11月の第三木曜日。
ボジョレー・ヌーヴォーの解禁日である。

今宵は「テンパリ~10執念」、本ブログの兄弟ブログ(リンク先参照)である 『語り得ぬ世界』 開設10周年記念パーティーが開催される予定なのだが、ヌーヴォーはこれには間に合わないわけだ。明日だったら誰かが用意してくれたかもしれない。

それはそうとして、いつ頃から日本でこんな騒ぎになったのか、酒屋だけでなく、コンビニまでもがボジョレー・ヌーヴォーを大々的に販売する。

(右:ローソン、
 下左:ファミリーマート、下右:セブンイレブン)

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そもそも、ボジョレー・ヌーヴォーなるものを知ったのは、今から40年以上も前、テレビのフランス語講座でのフランス文化の紹介で、「フランスでは年代物のワインとは違う楽しみ方として、その年の新酒を楽しみ方がある」というような話から。決して高級なものではなくて、熟成前の安酒である。

それがいつ頃か、日本にも入るようになってきたわけだが、何と、今や経度でもっとも東の国の部類である我が国が、事実上世界に先駆けて解禁されるということになって、話題性も高くなったわけだ。

新酒を祝う、楽しむというのは全く賛成なのだけれど、なんだかいろんな趣向をこらして、安酒を高値で売っているような気がしないわけではない。
半年以上過ぎたら、ボジョレー・ヌーヴォーも投げ売りのような価格になるから、それを待つ。
年代物のヌーヴォーなんてね。

ところで、今宵の宴会の店は日本酒にこだわりのある店である。日本酒にも当然新酒があるわけだが、こちらは大騒ぎにはならない。ボジョレーのような仕掛人はいないのだろうか。

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真田丸 大胆予想(その2)

Screenshot_2015-11-09-13-31-37.png 昨日稿で、戦の見せ場は4回、他、女性とのロマンスを描くとして、さぁ、50回の放送にどう振り分けるか、私の大胆予想を以下に述べる。(信繁の年譜は、平山優「真田三代」を参考にした。)

まず、タイトルの真田丸の攻防は1回で終わらせるのは勿体ないだろう。準備で1話、合戦場面で2回、少なくとも3回は、直接真田丸を描かない手はない。
そのように考えると、三大見せ場(4戦)はそれぞれにかなりの回数を稼がせることになるだろう。
こうした点に注意して、第1話から、第50話までを考えてみた。
(以下「作る」としたのは史実不明、創作部分という意味)
    第一部 戦乱の世
    信繁が生まれ育った時代と場所を描いて、その後の信繁の生き方のベースを説明する。話の中心は父昌幸の世代のことにならざるを得ないが、そうした中で信繁が知恵を身に付け、それを働かせて真田家を助けるという話を「作る」。
  • 第1話は、北信濃をめぐる戦国乱世の状況が解説される。真田氏は信玄与力であるが、狭い領地にこだわって、これを守ろうと躍起になっている。そんな中、信繁が誕生する。
  • 第2話から暫くは、信繁の姿はあまり描きようがない。破竹の勢いの武田軍の中で活躍する真田一族の姿が描かれ、すくすく育つ信繁の姿を想像する。しかし、三方原で徳川を粉砕するものの信玄が病没し、真田氏の行く末に暗雲が。このとき信繁7歳。架空の話で信繁の賢さを強調するしかない。
  • 第3話、前話で暗示された運命は、長篠の合戦でいよいよはっきりとした形をとる。信綱・昌輝兄弟の戦死の報がもたらされる。気丈にふるまう信繁9歳。たとえば戦死の報を受け取るのが信繁だったり、架空の話で時間を埋める。
  • 第4話では、勝頼を頼み、また勝頼から頼りにされる昌幸。上野白井城代となった昌幸のもと信繁10歳が城で成長していく。
  • 第5話では、謙信が急逝、これをチャンスと暗躍する昌幸。3年後、後の秀吉の小田原攻めの因縁となる北条の沼田城を昌幸が攻略する。信繁14歳は、後方で、何らかの働きをしたことにする。ここで子役から堺雅人へ
  • 第6話、武田氏が滅亡。昌幸は勝頼の強引なやりかたに疑問を持ちつつも頼られ苦悩する。幸い、上杉への備えのため北信濃にいて武田氏滅亡の現場には居合わせない。昌幸は北条に接近するも結局、信長に従属する。武田滅亡に騒然とする城内と信繁16歳が描かれる。そんななか、梅との初恋が描かれる。きりも高梨一族の娘として登場。
  • 第7話では、織田に付いたのも束の間、本能寺の変。上杉と結ぶが、これは一時のこと、北条に従属して上杉を離反、沼田城を押さえる。さらに転じて徳川に付き、北条を攻めるのだが、徳川・北条が和睦してしまう。すべては領地を守るためである。信繁16歳は、この土地への思い、そのための政治的立ち回りを深く考えるようになる。

  • 第8話は、昌幸が家康の支援を得て上田城を築城する場面。これが後の二度の上田合戦で徳川を苦しめる伏線となる。築城にあたって、信繁(17歳)が知恵を出したようにすれば、事蹟が残らない時代の信繁の優れたところを描けるだろう。
  • 第9話、昌幸は着々と勢力を固め、悲願の小県郡を統一。昌幸にしてやられ家康は昌幸の暗殺を企てるが失敗。ここでも信繁が父を救うような話を作っておく。
  • 第10話、家康に殺されそうになった昌幸は上杉に接近、信繁19歳を上杉の人質として越後へ送る。将来起こる家康の上杉攻め、関ヶ原における、上杉と真田の連携の下地となる信繁と直江兼続あたりとの間で信頼関係が生まれたような話を作る。
  • 第11話は第一次上田合戦。信繁不在の上田城で、攻め寄せる徳川軍を迎え撃つ。信繁が知恵を出したさまざまな策略が徳川軍を苦しめたという話を作る。
  • 第12話、真田はなかなかやるというわけで、小牧長久手で家康と戦う秀吉が真田へ接近、そして、信繁は秀吉のもとへ人質として送られ、秀吉に可愛がられる。これが後の関ヶ原、大坂の陣での豊臣方へ付く伏線として描かれる。しかし、秀吉は真田を信じきっているわけではなく昌幸を「表裏比興の者」と評す。
  • 第13話は、信幸の結婚を扱う。徳川に接近する政略結婚である。昌幸・信繁と信幸が別れていく伏線として丁寧に描く。
  • 第14話、信繁の結婚。竹林院との結婚時期ははっきりしないが、平山優氏によると天正15(1587)年だろうというから、初陣前に竹林院との婚儀が描かれるだろう。この政略結婚はもちろん秀吉の指示であるが、実は信繁が秀吉の人質になっているときに二人は接近しているという話にする。なお、側室きりの配役(長澤まさみ)が大物だから、かなり配慮が必要である。竹林院との結婚を陰でうらめしくおもうのちの側室きり、ひょっとしたら、九度山へ流されるときについていってはじめて信繁ときりが結ばれるということにするかもしれない。

  • 第二部 信繁勇躍
    エピソードに乏しいので、ちょっと短いシリーズとなるが、一人前の武将となった信繁を描く。
  • 第15話は、秀吉のもと、しばしの平和のなかで起こった沼田領問題。北条の臣従を期待した秀吉の裁定に不服な北条氏による名胡桃城奪取事件が発生。小田原征伐へと動いていく。
  • 第16話、信繁初陣。真田氏の利害にも大きな影響のある小田原北条征伐。真田父子の戦闘を描く一方、長陣のなか、信繁は石田光成などとの親交を深めていくのであったという話にする。
  • 第17話では、北条氏の滅亡、沼田城の昌幸への安堵。
  • 第18話は、秀吉のもとでの平和な日本が描かれる。一方で変質する秀吉。
  • 第19話は、朝鮮の役への真田父子の参陣。
  • 第20話は、秀吉の死、家康の台頭が描かれる。

  • 第三部 上田合戦・関ヶ原
    上田合戦については結構な証言記録のようなものがあるから、合戦をベースにストーリーの回を重ねることはそう難しくはないであろう。
    問題は、九度山へ流されてからの日々をどう描くのか。息・大助の誕生、父・昌幸の死などの大事件もあることはあるが、回数を稼ぐのは無理がある。
  • 第21話は、上杉討伐へ真田父子が参陣する。
  • 第22話は、「犬伏の別れ」。昌幸・信繁と信幸の別れ。
  • 第23話は、緊張する上田城と小松姫のエピソード。
  • 第24話、上田合戦。
  • 第25話も上田合戦。手に汗を握る大攻防戦が描かれる。
  • 第26話、上田合戦の終了。撃退された秀忠軍が関ヶ原へ急ぐ。
  • 第27話、主戦場関ヶ原を丁寧に描くことはこのドラマの本筋ではないかもしれないが、大谷吉継の討死は、竹林院の思いと重ねられて描かれる。
  • 第28話は、関ヶ原が終わり、戦後処理、昌幸・幸村父子が配流されるシーンとなる。九度山へついていく正室竹林院、側室きり、他の面々。
  • 第29話、大助誕生。九度山での主従の貧しい暮らし、それでも平和な日常を描く。
  • 第30話は、知られたエピソードだけでなく、架空のエピソードも作られるだろう。なんといっても、関ヶ原の後、九度山の10年間はなあ~んにもないが、その時間の流れを、九度山での平和な、しかししかるべき日に備えた生活を描かないと、視聴者が時間の流れを勘違いする。
  • 第31話、「去年より俄かにとしより、殊の外病者に成り申し候、歯なども抜け申し候、ひげなどもくろきはあまりこれなく候」
  • 第32話は、昌幸の死と信繁の入道。有名な昌幸の遺言がとりあげられる。

  • 第四部 大坂の陣
    大坂の陣は、歴史記録と多くの歴史エピソードで彩られているから、ストーリー展開には苦労しないだろう。
  • 第33話は、大坂への参陣要請。
  • 第34話は、九度山脱出を描く。ドラマチックに想像を交えてである。
  • 第35話、歓迎される信繁。
  • 第36話、大坂城内の内紛、意見がいれられず孤立する信繁。
  • 第37話、真田丸の構築。
  • 第38話、徳川軍来る。
  • 第39話、真田丸攻防。
  • 第40話、真田丸攻防の続き。
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  • 第41話、カルバリン砲が大坂城天守に命中、壁をぶち抜く。和睦。
    NHK『世界へGO! まるわかりヒストリー「徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実」』より。
    それにしても大砲1丁(実際には2門)が戦に終止符を打つとは。原爆にもたとえられるだろうか。
  • 第42話、堀の埋め立て。

  • 第43話、夏の陣へ。
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  • 第44話、樫井の戦い
  • 第46話、道明寺・誉田合戦
  • 第47話、八尾、若江合戦。
    大坂夏の陣は1615年5月のこと。昨年、八尾の常光寺では、「大坂夏の陣 甦る八尾の戦い」というイベントが開催された。
  • 第48話、大助、秀忠出陣を懇請。
  • 第49話、家康へ肉迫。
  • 第50話、信繁の討死。それを知らされた家康が「真田、天下一の強者」と呟いて完。
    今年は大坂落城400年、大坂城が燃え落ちる城のイメージをプロジェクション・マッピングで見せるイベントが行われていた。
    思えば、まだ現職まっさかりのとき、築城400年を記念する大坂城博覧会が開催され、職場がすぐ近くだったので見に行ったことがあった。中国から兵馬俑が展示されていたけれど、これを倒されて大きなニュースになったことがある。また、このとき記念テレホン・カードが販売されていたが、電電公社の時代であった。
とまあ、これで何とか50回なのだが、戦のシーンがいかにも引っ張り過ぎだと反省。
で、思ったが、ここには初恋の女・梅との話(架空だろう)が織り込まれていない。年譜にはそんなものは書かれてないから、どこへ入れたら良いのかわからないからだが(竹林院との結婚より前でないとおかしいはずだけれど)。
また、配役に含まれている佐助に関わる話も入れていない。これも一体いつのことなのかわからないので、どのあたりになるか想像できなかったわけだ。
これらのエピソードをうまく嵌めることができれば、長すぎる合戦シーンを少し減らして、間延びしないように作れるかもしれない。

それにしても、50回にするのはなかなか苦労。やっぱりなぜ「真田三代」にしなかったのか。
三谷幸喜氏のお手並み拝見というところである。

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真田丸 大胆予想(その1)

来年のNHK大河ドラマ「真田丸」は2016年1月10日放送開始と伝えられている。
してみると最終回は12月18日あたり、毎週休みなく放送されれば、ちょうど50回(25日までやれば51回)となる。

あまり記録のない信繁だから、今まで一度ならず「どうやって1年もたせるんだ?」と書いてきたので、どういう流れになるか、大胆に予想してみた。

ところで、真田「信繁」という正統な名前を使うか、それとも「幸村」という来歴の怪しい通称を使うかだけれど、「真田十勇士」的講談ベースでやるなら「幸村」の方が据わりが良いと思うけれど(猿飛佐助は発表されたキャストに含まれている)、NHKのページでは「信繁」としている。史実に近くしようという意欲だろうか。


信繁の見せ場といえば、小田原攻め参陣(信繁初陣)、上田合戦(関ヶ原の時)、そして大阪の陣の3つであることは衆目の一致するところだろう。
また、史実上でのエピソードとしては、越後上杉、次いで豊臣秀吉の下への人質体験もドラマに取り入れやすく、それぞれで人間関係を作り、武将としての成長を遂げるという描き方ができるだろう。
これ以外は、父昌幸、兄信幸の活躍を描き、それがどう信繁に影響したのかを想像して描くことになるのではないだろうか。

そして、ドラマとして忘れてはならないのはロマンス。
発表されている配役では、信繁に関わる女性は、梅(初恋の女性)、きり(生涯のパートナー)ということだが、梅はおそらく架空の人物で、信繁が初陣を果たす前の淡い恋心を描くに違いない。
きりは高梨内記の娘という設定だから、史実では側室とされているわけだが、内記は信繁とともに九度山に随っているから、きりもそうで、それが生涯のパートナーという位置づけにできるのだろう。ただ、高梨氏は古くから真田氏と関係があるから、梅との前後関係はどうなるのだろう。
問題は、信繁の正室竹林院である。大谷吉継の娘(養女?)で、大変な重要人物であり、政略結婚とはいえ、史実では九度山まで随っているとされている。発表された配役にその名がないが、「花燃ゆ」での文の姉・千代のように黙殺できるような相手ではない。おそらく、追って配役が発表されるだろう。

以上のような見せ場をもとに、どう50回に振り分けていくか。合戦は4回(大坂の陣を冬・夏に分けた)だから、1つの合戦を描くのに5~6回を費やしたとしても、放送回数の半分に達しない。
さあ、どうする。(以下、次稿)

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公開されている個人情報の保護

l_yx_fsecure_01.jpg 世間の騒ぎからはちょっと遅れてしまったけれど、Facebookから取得したらしい個人情報を編集して、自身のtwitterで公開したという事件があった。

公開した人が、ITセキュリティ・ソフト企業の社員だったため、その会社に対してもかなりのクレームが寄せられたというし、その会社の製品のボイコットを主張する地方議員もいる。なお、公開した人は会社を依願退職しているそうだ。

問題を整理する。twitterで公開した人をAさんとする。
公開された個人情報は、ある人(Hさん)のFacebookのページに対して、「いいね!」を応答したFacebook利用者(以下P)の一覧で、各利用者のおそらくFacebookに公開されている個人情報(仕事、生年月日、住所、出身学校など)を集めたもの。

なお、Hさんのページは以前、難民への偏見であると批判され炎上したことがあるらしい、


この事件については、いろいろな観点があるけれど、ネットではプライバシーの侵害という意見も散見されるので、プライバシーという点から考えてみる。
まず、今回公開された情報だけれど、これは公開情報である。公開されている個人情報を編集・利用することについては何か問題があるのだろうか。

私も件のHさんのFacebookページを見てみた。「友達」でなくても「いいね!」をしている人のリストは見えるし、その一人一人が公開している個人情報も見ることができる。つまり、Aさんは公開されている個人情報を編集したわけで、どこかから不正に取得したわけではない。ネットでは情報漏洩みたいな意見もあるが、そういうことではないようだ。
ただ、手作業では大変だろうから、自動的にこれらの情報を取得するようスクリプトを書いたりしているかもしれない。


さて、法律の名前だけ見れば、個人情報保護法というのがあるわけだが、同法は、個人情報を取り扱う事業者の遵守すべき義務等を定めるもの。結果的に個人の権利利益を保護するかもしれないが、一般人が個人情報を取り扱う場合については対象外である。

個人情報保護法では、事業者が個人情報を取得した場合は利用目的等を本人に通知することが求められており、これは公開情報であっても同様と考えるのだろう。個人情報保護マネジメント(JIS Q 15001:2006)では、公開されている個人情報の利用においても、利用目的をできる限り特定したうえで、相手に通知し同意を得ることが求められているようだ。

従って、Aさんの行った行為は、社としてやったなら、こうした基準に照らして当然不適切である。
Aさんはセキュリティ企業に所属していたわけだから、JIS Q 15001は知っていただろう。職務外の個人としての行動は、その制約を受けないと考えたのだろうか、それとも単に無自覚であったのだろうか。

個人による個人情報の不適切な提供・公開という点からは、我が国の法律では「プライバシー権」が明示的に規定されているものはなく、通信の秘密、思想・良心の告白強要の禁止、その他個人の尊厳など、プライバシーが侵害された結果として起こる非違行為に対して判断されるのが一般的のようだ。

今回の事件でも、そういう理屈で考えることになると思う。
AさんはPを公然と「下衆」よばわりしているし、仮にそうした修飾語をつけなくても、Pに対する誹謗意図が読めるだろう。P側にしても、Hさんに与することを「言い触らされる」のは不快と感じる人が多いだろう。
となれば、AさんはPへの名誉毀損の疑いがあると思うし、Pの誰かが訴えれば、Aさんが敗ける可能性もあるように思う。

Facebookへの「いいね!」は決して公的に意見を述べるような性格のものではないだろうし、クリックの間違いということも十分ある。また、Pの人たちが、公人として意見開陳したものとして、プライバシーの主張が認められないという状況にはあたらないだろう。
それならtwitterで流すのも「公然」じゃないという見方もありそうだが、おそらく手段や形式の問題ではなくて、内容次第ということなのだろう。もっとも、公然化したのは、この問題をとりあげて拡散したからかもしれないが。(この記事もそうかもしれないが、もはや周知のこととなっているからご勘弁)

2015-11-12_094356.jpg
有罪になれば、公務員の場合は職務関連性がなくても、信用失墜行為として処分の対象になると思うが、民間企業の場合は社によるとは思うけれど、どうなんだろう。

Pに対する名誉毀損だけなら、微罪の部類で、懲戒解雇・退職金不払いだと量刑不当の気もするが(ネットでは懲戒相当という意見もある)、この事件で会社への評価が地に落ちて、販売に多大な影響を与えたら、ひょっとしたら社が被害者として、Aさんに賠償を求めることができるのかも。

公開されている情報であっても、個人情報の取り扱いは慎重に。

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さざんか

IMG_20151113_095532-crop.jpg気がついたらさざんかが咲いていた。

一輪と蕾が対のようになっていると思っていたら、
枝の陰にもう一輪、また開きかけの蕾。
  IMG_20151113_145647.jpg

で、良くみたら隣の枝に未だ青い蕾をたくさん発見。
これが、これから冬を通じて咲いてくる。

例年、さざんかは沢山花をつける。3月上旬ぐらいまで楽しめるのである。
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庭にある植木の中ではこのさざんかが一番気に入っている。

花がはなやかで長く続くということももちろんだが、それ以前に姿がとてもよい。
幹・枝の明るいベージュの色も、なんとなく色っぽい。

アリストテレスは 『植物は逆立ちした人間である』といったとか。

植物は、生殖器官である花を上部に持ち、頭を下部に持つ
根が土の中から食物を取り込んで成長する


だからといって、別に、枝ぶりをそう思って見たり、手足に照応させて考えたことなどはない。
しかし、なんとなく美しい女性を見るような感覚がある。
やはり、深いところでつながっているのだろうか。


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本日休刊日

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国産ジェット旅客機MRJ 初飛行

2015-11-11_212452.png 昨日、国産ジェット旅客機MRJが、県営名古屋空港で初飛行を果たした。

前日から、いよいよ初飛行ということで、テレビも何度も報道していた。

乗り物というのは、何故か男の子の気持ちを昂らせるもので、飛行機はもとより、自動車でも鉄道でも船でも、わくわくする気持ちである。
ど素人の私でも、美しい姿だと思うし、外国のライバル機と比べて燃費が2割も良いという性能も凄いと思う。ネット解説などを読むと、ライバル機にくらべ10年先立っているという評価もある。また、ボンバルディア機のたびたびのトラブルは決して喜ぶべきことではないとはいうものの、MRJへの期待も高まることになるだろう。

RS-04YS-9-JA8611-19721031Nago-Twinbeech-2.jpg 戦後の国産機といえばYS-11である。同じ県営名古屋空港で試験飛行をした。このニュースは私が小学校の時に見て、やはりわくわくした思い出がある。離着陸距離が900mぐらいと、とても短く、狭い地方空港で運用できる機体が期待された。

YS-11は、技術的には、細かい改良点はたくさんあったらしいが、トータルでは優れたものだったというけれど、何と言っても売ることを考えていなかったという。具体的にはメンテナンスやアフターサービスの体制、特に海外でのそれらが整っていなかったのが大きな要因で、商売としては失敗だったともいう。
作ることに夢中で、整備士が作業しやすいようにというようなことも、あまり注意が払われなかったともいう。

honda-jet-2.jpg いいものさえ作れば売れるという素朴な時代はとっくに終わっているということを日本人も学習しているから、まだ初飛行もしていない段階から、かなり海外でも精力的に販売しているそうで、既に国内外あわせて400機以上の契約があるという。

そういえば、定期便の旅客機という用途ではないようだが、ホンダのHonda Jetというのも販売が好調だそうだ。
エンジンを主翼の上に置くという独特のデザインが目を惹く。

どの飛行機も、素人目にだけれど、ほれぼれするほど美しいと思う。

MRJはこれから、400もの項目をテストして認可を受けるというスケジュールらしい。
無事、というか、少しでも改良できるところがあればそれも取り入れて、計画通りに飛んでもらいたい。

MRJの就航は2年後という。まだ私も生きていると思うから、乗るチャンスがあるかもしれない。

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クロザル

kurozarudantai.jpgまたまた、サルの話題。
前に、「猿の著作権」でも登場いただいたクロザルである。

NHK-BS3に「ワイルドライフ」という番組がある。信頼できる学術研究成果と素晴らしい映像で構成されている番組で、この番組の素材は地上波の「ダーウィンが来た」とも共用されているようだ。
随分前のことだが、この番組でクロザルが取り上げられた回を見た。

写真を見ただけでも、なんとひょうきんなサルだろう、と思うわけだが、番組では、このサル独特の行動が紹介されていた。

クロザル同志が接近すると、他の動物ではたいてい、威嚇行動や防禦行動が起こるのだが、クロザルでは、まず友好を図る行動が起こるという。
鏡を使った実験では、チンパンジーなどは鏡に向かって威嚇行動をとるのに、クロザルはにたーっと笑う。仲良くしようということだそうだ。
そんなことばっかりでは、長生きできないだろうが、敵(番組ではニシキヘビとの戦いが紹介されていた)はちゃんと認識しているようだ。

また、赤ちゃんが泣かない。考えると、自然界で赤ちゃんがびーびー泣いてたら、敵に手ごろな獲物がここにいるぞと教えるようなものだから、当然なのかもしれない。

なぜ、ヒトの赤ちゃんはびーびー泣くのだろう。
敵に見つかりやすいだけでなく、泣く赤ちゃんをうるさがって育児ノイローゼとか育児放棄とかが問題になったりする。
お乳が欲しいときには、泣かずに甘えた声を出すほうが適応的なのではないだろうか。
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想像力はヒトだけか

またサル(広義)の話。

以前、「音楽が先か、言語が先か」という記事を書いたけれど、それよりももっと前にサルの認知に関して、次のような話があったことを思い出した。

チンパンジーと人間の子供の絵を描く能力を比較したところ、チンパンジーにも人間同様に線をなぞる能力などが一定程度あるが、想像して描く力はないことが分かったと、京都大霊長類研究所の松沢哲郎教授や中部学院大の斎藤亜矢准教授らの研究グループが発表した。人間の優れた想像力を示す結果といえる。

hitoandsaru.jpg
   チンパンジーと人間の子どもの描画の比較  ⇒京都大学のページ  ⇒pdf



欠落している部分を想像力で補えるのはヒトだけという実験結果のように見えるが、そもそも動物には欠落しているという感覚がないのかもしれない。
錯覚はヒト以外にもあるかもしれない。錯覚は、先入観というか、認知の予め仕込まれたメカニズムの作動だと思うから、ヒト以外でもあるのではないだろうか。

似たような話で、指さしに対するヒトと動物の違いについて、何かの本で読んだことがある。
ヒトの場合、指さしをすると、それを見たヒト(子供でも)は、指がさしている方向、つまり指の延長上の先を見るが、イヌなどは、指先、つまり指そのものを見るという。

他にも、ヒトとヒト以外の動物の認知能力や知的能力の違いを調べるため、いろんなテストが行われているようだ。
有名なのはバナナテストや、素朴物理学(物の移動を追いかける、隠して追わせる、途中で消える、など)。
興味は尽きない。(これがヒトの証拠かな)

昔、はやった遊び。

A 「キンリと10回言ってください」
B 「キンリ、キンリ、キンリ、キンリ、キンリ、キンリ、キンリ、キンリ、キンリ、キンリ」
A 「鼻の長い動物は?」
B 「キリン!…?……」

賢い子はひっかかる。
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ネットブックをWindows10にバージョンアップ

ネットブック(ASUS Eee PC 1015PX、2011年8月購入)のWindows10バージョンアップをやってみた。

前はオーディオ専用で使っていたが、新しいPCを買ったので、それまでのメインのPCをオーディオ用に回した関係で、持ちだし専用になっていて、昨年末から年始へかけて使ってからは、一度も電源を入れていない。
この機械のOSは"Windows7 Starter"という中途半端なOSで、壁紙もカスタマイズできない(凝ったものにしたいわけではないのだけれど)。
ネットを調べていると、Windows7 Starterも、Windows10無償アップデートの対象になるという情報があった(古い情報では対象外になっていたけれど、新しい情報ではOK)。中途半端なOSが、標準のOSになるわけなので、これはやってみる値打ちがありそうだ。

Windows10へのアップデートは、可能ならアップデートのバルーンがあがったり(しつこくアップデートしませんかとメッセージが出る)、タスクバーに表示される。そのためには最新のWindows Updateをあてる必要があるという。
というので、Windows Updateをやろうとしたら、82個のアップデートがあるという。アップデートをスタートさせて一晩ほっておいたけれど、途中で止まっていた。
無理やり電源を落として再度アップデートをかけて様子を見ると、アップデートは終了したけれど、うち13個は失敗という結果になってしまった。

2015-11-08_172609.png しかし、Windows7 Starterを最新状態にしたいわけではないから、Windows10をインストールすれば良いわけで、調べるとちゃんとそういうページがMicrosoftに用意されている。ライセンス上問題がなければできるはずだと考えて、こちらでやってみることにした。

ということで、ネットブックが最後にまともに起動した時点までシステムを復元したうえで、Windows10のインストールを実施。
「Windows10のダウンロード」というページがあり、ここから、"MediaCreationTool.exe"(32bit版)をダウンロードし、実行させる。
最初に、「このPCにインストールする、他のPC用にインストールディスクを作る」の選択肢が出るが、このPCにインストールするを選んでやってみた。

「数回再起動がかかる」とあったけれど、これは勝手に再起動されるもので、介入する必要はなかった。

インストールには2時間以上かかった。Eee PCのCPUが遅すぎるからだろう、Microsoftも予想しない長時間である(写真右)。

IMG_20151107_201304.jpg IMG_20151107_203143.jpg


2015-11-08_173332m.png スクリーンショットのとおり、無事、Windows10がインストールされた。

使ってみると、起動は今までより随分速くなった。起動画面やユーザー画面が表示されるのが早いだけで、実際にアプリケーションを動かすまでの時間が早くなったり、アプリケーションの動作が速くなるわけではないだろうが、使う側の印象というか、感覚としては、それなりに気持ちの良いものである。

メインで使っているWindows8.1のPCもWindows10にアップデートするつもりだが、このネットブックでちょっと様子を見てみようと思う。

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「サル化」する人間社会

sarukasuruninngenn.jpg先日の「文化とは」で、山極寿一『「サル化」する人間社会』についてという本に言及したので、ちょっと感想。

この本は、自身の研究生活の振り返りが中心のエッセイと言うべきもので、専門書や評論本というわけではない。
タイトルはこの本の最後の1章のタイトルをとったものだが、誤解がないようにはじめに注意しておくと、この本は主にゴリラ研究のことが書いてある。書名にある「サル」はニホンザルであって、人間社会がゴリラ化するとは言っていない。
(著者は、ゴリラの方がヒトより良くできた生物と思っているようなので、ゴリラのことだと誉め言葉になってしまう。)

昨日も書いたように、サルの本はいろいろ読んだけれど、学生時代から大して知識が増えているわけではない。
40余年前をおさらいすると、

ゴリラの社会は、数十頭からなる「バンド社会」といわれるものであること、この集団のサイズは、ヒトが親密なコミュニケーション(名前、顔、性格評価をセットで記憶)をとれるサイズであり、ゴリラの社会の研究はヒトの社会(その黎明期)の解明のヒントになる、

というのが今までの私の知識。

この知識は今でも間違っているわけではないようだが、この本では、ゴリラ社会には負けがないという表現で、社会内の行動が解き明かされる。
特に注意を惹いたのは、ゴリラだけでなく類人猿は、非母系社会であり、メスは生まれ育った群れを離れて配偶オスと一緒になるということ。メスの移管(transfer)は、人類を他の生物と区分する特徴であると言われていた(Lévi-Strauss)と思う。
また、ゴリラの同性愛行動というのも初めて聞いた。メスのいないグループで代償行為的な同性愛が観察されるだけでなく、メスが群れに加わっても、その中からオスだけをひきつれて出て行って引き続き同性愛グループを作った話がある。

で、タイトルの『「サル化」する人間社会』であるが、おそらく、出版社が、目を惹くタイトルということでこれを本全体のタイトルにしたのだろうが(その作戦に私もはまった)、この本の中では一番知的刺激には乏しい部分だと私は思う。

著者は、本書のはじめに、家族という単位がヒト社会を読み解くキーだとしていて、家族と、より大きな社会のアンビバレンツをやりくりするのがヒト社会であると言う。
個食に代表されるひとり人間の社会は(ともに食事をするのが家族。ゴリラ以外のたいていの動物は他個体から隠れて食餌する。)、家族単位の対等な社会関係が形作られている社会が崩れた姿。
個人がばらばらになれば絶対的な順位社会になり、そして、一方で、効率的な社会を追求する動きは、(対等な家族を基礎とするなら調整コストがかかるが、そうでない)順位社会になっていくだろうとも言う。
順位づけによって群れの秩序を守っているニホンザルの社会のような社会に、ヒト社会もなっていくのではないか、という。(ゴリラの社会には負けがない、順位社会ではないから、ここでいうサルはゴリラではありえない)

そう言われれば、そういう傾向を感じる場面は増えていると思う。

ところで、本書にはこんなことも書いてある。
ゴリラはヒト(著者)を受け入れてくれたが、ヒトはゴリラを受け入れることはできそうにない。

著者は京都大学学長であるが、学生はゴリラだろうか、ヒトだろうか。
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Fire TV stickへBluetoothマウスを接続

M-XG4BBSV_05.jpg 昨日の記事「Fire TVへのアプリのサイドロード」の続き、Fire TV stickへのBluetoothマウス接続について。

とにかくやってみようということで、Bluetoothマウスの安いのをネットで探していたら、家に1台、余っていたことを思い出した。PC用に買ったELECOM ワイヤレスBlueLEDマウス(M-XG4BBSV)。Bluetoothマウスはときどきカーソルの動きがひっかかったようになるのが気に入らなくて、結局、2、3日使っただけで、やっぱり有線に限ると、無駄になっていたもの。

まず、Fire TV stickとのペアリングである。
Fire TV stickの「設定」→「Bluetooth」で、機器のスキャンを開始しておき、マウスのpairingボタンを押す。
なかなかハンドシェイクに至らなかったので焦ったが、あきらめず待っていたら無事ペアリングされた。

まず、Fire TV stickの標準画面で操作してみたが、たしかにポインターが見えないところで移動はするのだけれど、選択キーでのメニュー移動が前提のようで、マウスで移動してもメニューエントリーの移動にはならないし、マウスのボタンは決定ボタンにはならない。つまり、マウスだけでFire TV stickを操作することはできない。

マウスカーソルはWindowsで見慣れた矢印ではなく。円の中心がポイントされているのか微妙に怪しい。矢印に変更できるのかどうかわからない。

そもそも、マウスを付けようとしたのは、Fire TVのリモコンだけでは事実上操作不能のアプリを何とか使おうということであった。
以下に、いくつか、サイドロードしたアプリのマウス操作について報告。

IMG_20151103_165249.jpg ○ブラウザ
Fire TVにはブラウザが入っていないし、Fire TV用のアプリもない。Chromeをサイドロードしてみた。
リモコンだけでは、ブラウザとして動作はするものの、ポインティングができないから、テキスト中のリンクを追うことができなかったわけだが、マウスを使えばテキスト中のリンクも使える。
しかし、メニューバーがPC版とは違い、「戻る」とか「ホーム」がない。設定メニューにも見当たらない。
左手にリモコン、右手にマウスというスタイルで使うことになる。
また、Yahooのニュースページの動画を再生しようとしたが、flashがない。プラグインのダウンロードの案内表示は出るのだけれど、そこから先へは進めなかった。

IMG_20151102_214625.jpg ○プレイヤー
プレイヤーとしては、"BS player"、"Neutron"、そして"Kodi"を試してみた。

("Kodi"はApps2Fireではなくapkからのインストール)

いずれのプレイヤーも起動には問題がない。
ファイル・エクスプローラーとして"ESファイルマネージャー"があるが、これはFire TVアプリに入っている(ただし操作性はFire TV用に最適化されているとは言い難い)。これからファイルを選択してプレイヤーを指定して再生すれば一応は動作する。

このファイル選択もマウスを使えば素早く目的のファイルを指定できる。

しかし、プレイヤーの各種設定はマウスでのオプション類のポインティングが必須であるから、マウスなしでは操作は困難である。"BS player"はデフォルトでもあまり問題ないが、"Neutron"は設定できないとNASの検索すらできない。"Kodi"は起動しても先へ進まない。いずれもマウスは必須と言って良い。

残念なのは再生品質である。再生できるフォーマットはプレイヤーによって違いはあるが、YSP-2500へのHDMI出力では、どのプレイヤーも、音声がマルチチャンネルにはならない。16bit/48kHz、2chステレオでしか出ないようである。これではFire TVのフルハイビジョン/7.1chマルチチャンネルという性能が引き出せない。
ネットで情報をあさると、Fire TVでのメディア再生の情報はたくさん拾えるのだが、ハイレゾなどと贅沢はともかく、サラウンドについても情報がない。今のところ、全くお手上げである。

メディア再生については、スマホ側で再生してMiracastでFire TVへ送るという方法もある。しかし、これは伝送品質の制約があり、ソースの品位が保てない(実際にやってみたが、視聴に堪えない)。
Fire TVはネット上のAmazonビデオを高品位(フルHD/7.1chサラウンド)で再生するわけだが、これには改めて感心した次第である。
なんとかNAS上の高品位コンテンツを再生したいものだ。


○"Mobizen"は×
前に、dマガジンを読むためにスマホ画面をPCに出すアプリとして紹介したもの。これができれば、マウスはいらなくなるかもしれない。
そういう期待があったので、マウスを繋ぐ前に試していたが、初回起動時の「同意」などのチェックができず先へ進めなかった。マウスをつないだことでそうしたチェックはクリアしたのだが……
動かない。Fire OS上では"Mobizen"は動作しなかった。

IMG_20151102_214055.jpg ○"dマガジン"
それではということで、"dマガジン"をサイドロードした。
なんなく起動できた。しかもdマガジンの制限である端末5台をオーバーしたので、Fire TV上で、他の端末を使用しないという操作をして、Fire TVで見ることにした。
テレビの大きな画面で雑誌が見られるのだけれど、4Kテレビじゃないから、文字がつぶれる。読めなくはないが、美しくない。

画像はテレビをスマホで撮影したもの。ブログのファイルサイズの制約上、解像度を落としてあるが、だいたいこのぐらい。(クリックして拡大)

もっともFire TV stickは4K対応していなかったと思うから、テレビを変えてもダメかもしれない。

なかなか思うようにはいかないものだが、なんだかんだ言っても1,980円。(マウスはAmazonで2,062円)

ところで、このマウス、ちょっと触るのをやめると、すぐ「接続が切断されました」と表示される。触るとすぐ「接続されました」となるのだけれど、このメッセージが煩わしい。何とかならないものか。

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Fire TV stickへのアプリのサイドロード

Screenshot_2015-11-02-11-17-52.png 先日、Fire TV stickへスマートフォンなどのアプリをサイドロードするアプリ("Apps2Fire")があることに言及した。

apkからのインストールもあるけれど、apkファイルを探す手間が要らないところがラクである。

これについてやってみたこと、残念なことを。

"Apps2Fire"は普通にGoogle playからダウンロードできる。
はじめにFire TVのIPアドレス(同じルーターに接続されていなければならない)をアプリに教えてやる。
(たしか初回起動のときは設定画面が出たような気がする)
設定画面に親切な説明があるが、Fire TVのアドレスを確認して、それを設定する。

私はFire TVのIPアドレスは別途調べていたので使わなかったけれど。

また、Fire TVの設定で、「開発者オプション」で、"ADBデバッグ"、"未知のソース"をともに有効にしておく。
以上で、サイドロードの準備は終了である。

"Apps2Fire"を起動し、"LOCAL APPS"のタブをタッチすれば、そのスマホ内にインストールされているアプリの一覧が表示される。

二回目以降の起動では、"LOCAL APPS"タブが開かれた状態になる。

この中から、サイドロードしたいアプリを選ぶだけである。

Screenshot_2015-11-02-11-16-07.png ハードウェア依存がありそうなアプリ、たとえばXperia Z3に予め組み込まれている"ミュージック"はアップロードできなかったが、試した他のアプリはどれも問題なくアップロードできた。

こうして、多くのアプリは簡単にFire TVにアップロードできるのだが、問題はFire TV上でのアプリの操作である。
サイドロードされたアプリの起動は、[設定]→[アプリケーション]→[アプリケーションの管理]で一覧表示させ、選択キーで対象を選んで決定する。
起動はするよ、たしかに。
だけど、Fire TVでは、通常のスマホのようにスクリーンタッチができるわけではない。

先日紹介したFire TVのリモコンアプリ("Fire TV remote")も、文字入力以外はリモコンを模倣するだけで、画面上でのポインティングをする方法がない(リモコンの選択キーはポインティング用ではなく、上下左右に配置された別のエントリーへの移動しかできない)。

このため多くのアプリは、このままでは、Fire TV上では操作不能となる。

で、思いついたのがマウスを付けること。
設定メニューに、Bluetoothの設定があり、マウスも使えることが示されている。
マウスが使えたら、ポインティングできるようになるかもしれない。

その結果は稿をあらためて。

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犯罪原因論と犯罪機会論

wakayamaken2015101500004_1.jpeg テレビで和歌山県の「防犯パトロール犬」が紹介されていた。

この話題は何度かテレビで取り上げられているが、だいたいは次のような取り組みであるようだ。
犬の散歩をさせる人が、時間帯や散歩コースを調整して、子供が犯罪に巻き込まれないようにするというもので、犬には、防犯パトロール犬を示すバンダナを首に巻きつけてそれとわかるようにしている。6頭で始まったが、今では70頭を数えるまでになったという。

この取り組みは、私も大賛成である。犬の飼い主には特別に負担が増えるとも思えないし、犬を通じての絆が、飼い主同士、子供と大人の間に生まれるなど、副次的効果もたくさんあると思う。

ただ、同じテレビ番組で、ちょっと気になることも報道されていた。
和歌山県の安全・安心まちづくり条例である。紀の川市で今年2月に起こった小学生殺害事件を受けて、今年7月の改正で、不審者の通報が、努力義務とはいえ、「県民の役割」として盛り込まれたという。
○和歌山県安全・安心まちづくり条例
(県民の役割)
第4条 県民は、基本理念にのっとり、安全・安心まちづくりの必要性及び方策についての理解を深め、並びに安全で安心な地域社会の形成のため、自主防犯活動を推進するよう積極的に努めるものとする。
2 県民は、安全・安心まちづくりのために県及び市町村が実施する施策に協力し、並びに安全・安心まちづくりのために地域活動団体及び事業者が実施する取組と連携するよう努めるものとする。
3 県民は、地域社会の安全に関する意識の高揚及び自らが犯罪により被害を受けないために必要な知識の修得に努めるとともに、県民の安全で安心な暮らしを害するおそれのある事態の発生に関する情報を知ったときは、県に対し、当該情報を提供するよう努めるものとする。

(*)下線部が先般の改正で追加された項


条文上、「不審者」という言葉は使われていないが、報道では「不審者の通報を義務化」と伝えられている。
なぜ、この条例が引っかかったかというと、以前、公園で子供に声をかけたら不審者扱いされた、という話があったから。
「不審者」ってどういう人なのか。
この問題については、ネットに詳しい解説記事があった。
ネットのニュースはいつ消えるかわからないので、要点を以下に。

「不審者」という言葉を多用しているのは、世界中で日本以外にはあまり見かけない。

○犯罪原因論と犯罪機会論
犯罪学では、人に注目する立場を「犯罪原因論」、場所に注目する立場を「犯罪機会論」と呼ぶ。
犯罪原因論は、犯罪は人が起こすものなので犯罪者を重視することになる。「なぜあの人が?」
犯罪機会論は、犯罪原因を抱えた人がいても、機会がなければ実行されないと考える。「なぜここで?」
欧米諸国では、犯罪原因論が犯罪者の改善更生の分野を、犯罪機会論が予防の分野を担当している。

○「不審者」とはどんな人?
日本では犯罪のとらえかたが犯罪原因論中心で、本来なら事後の「なぜあの人が?」が「事前」に持ち込まれ、その「人」を指し示す言葉として、苦し紛れに登場したのが「不審者」という言葉。
警察も「検挙に勝る防犯なし」という金科玉条の下、犯罪原因論の一翼を担ってきたため、防犯に関心を持つ人が「不審者」という言葉を使い始めてもそれを応援する。
その結果、「不審者」が防犯の世界を席巻するようになった。


もちろん直接犯罪に結びつきそうな「不審者」を見つけたら、しかるべく通報するのは当然のことだと思うけれど、無限定に、知らない人を不審者にしたり、知っていてもちょっとでも変な素振りを見せたら不審者扱いするのはどうだろう。
酷い場合は「ホームレス狩り」のようなことにもつながりかねないと思うのだが。
(それに、ときどき仕事で和歌山へ行く私なんか、地元の人から見たら結構な「不審者」かもしれないし。)
「不審者を見かけたら通報を」というのは、条例を定める人が思うよりもずっと難しいのではなかろうか。

幸い、防犯パトロール犬がはじまってから「不審者」が目撃されたことはないらしい。
防犯意識と仲間意識をもって活動することで、コミュニティの協力、防犯灯の不備や人目の陰になる場所のチェック、そういうところにこそ効果が出てくるのではないだろうか。

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大河ドラマと朝ドラ~幕末・明治の女のドラマ

hanamoyufumigenzui.jpg 大河ドラマ「花燃ゆ」の不調に対し、同じく江戸末期から明治を生きた女性を主人公とした朝ドラ(連続テレビ小説)「あさが来た」が好調である。

朝ドラというのは、残念ながら、毎日見るというわけにはゆかない。土曜日の放送を見て、全体の流れを押さえるということしかできないのだけれど。
(1週間分をまとめて見られる番組編成もされているらしいけど)

大河は歴史ドラマとしての制約があるが、朝ドラは連続テレビ小説で自由な設定だから、伸び伸びとストーリー展開ができる、というのは表層的な理解で、どちらも創作物である。

2015-11-03_174006.png ただ、「花燃ゆ」はほとんど無名でその事蹟が知られない主人公、「あさが来た」はしっかりと時代に足跡を残した偉大な女性実業家をモデルにした主人公である。
どちらもストーリー展開上の「夾雑物」(「花燃ゆ」では長姉、「あさが来た」でも他の兄弟や妾の存在など)は排除しているし、挿話の創作や人物のとりかえなども行われていると思うが、やはり歴史上の事実をもとにした原作があるほうが、ドラマ性が高いと思う。魅力的な実在の人物をもとに描く方が魅力的な主人公を造形できるようだ。

asagakitaasasinjiro.jpg 京都の豪商の娘が大阪の豪商へ嫁いで、幕末~明治の動乱期にお店の存続に努力し、さらには金融業や女子大学の設立に尽力したなどというのは、話ができすぎで、そういうプロットを書いたら嘘っぽいと一蹴されるかもしれないだろう。

大同生命がアニメのCMを流しているが、便乗なのか、たまたまタイミングが合ったのか。いずれにせよ、同社は以前から広岡浅子を創業者として称揚してきているようだ。

「事実は小説より奇なり」である(懐かしい台詞ですね「私の秘密」)。

思えば、近年の朝ドラで評判をとった(というより私が興味を惹かれた)のは、「花子とアン」(村岡花子)、「マッサン」(竹鶴政孝・リタ)で、どちらも歴史的事実に基礎を置きながら脚色されたもの。
「あさが来た」の制作が決まったときに、広岡浅子をモデルにしたということで、歴史的事実をベースにしているならとドラマの出来を期待していた(見るわけでもないのに)。

前にも書いたような気がするが、人間の貧弱な想像力で書いたお話より、歴史のほうが荒唐無稽、悲劇の悲劇性、喜劇の喜劇性ともに歴史のほうが荒唐無稽ではないだろうか。
詩人や小説家の描く自然より、生物学者や物理学者、天文学者が描く自然のほうがずっと素晴らしいというか荒唐無稽と思うのは理系の人間だけだろうか。人間の想像力では量子力学なんて絶対に思いつきません。


仮名手本忠臣蔵の昔から、大星は大石、塩冶は浅野、高は吉良よと、置き換えながら楽しんだだろうし、長大な話の中には「作り話」がいっぱい詰め込まれているに違いない。
これがドラマ作りのテッパンなのかもしれない(美形役者を揃えるより確実)。

ところで、「あさが来た」のあさの姉・はつであるが、Wikipediaによると天王寺屋に嫁いだのは異母姉の春で、25歳で早逝しているという。
ドラマではその通りの展開にすると、宮崎あおいの出番がなくなってしまう。異母姉妹という雰囲気もドラマにはない。このあたりは、広岡浅子を下敷きにした「小説」という自由さであろう。

対して「花燃ゆ」のほうは、文(美和)の姉・寿が、史実通りに40代で亡くなるようだ。
主人公直接の事蹟が乏しいため造形が平板・定型的になってしまった一方、歴史的事実が制約になって、どうにも身動きがとれない状況に陥ったというわけだ。

<ドラマと歴史上の人物等の対比>
 白岡 あさ   広岡 浅子
 白岡 新次郎  広岡 信五郎
 眉山 はつ   大眉 春
 眉山 惣兵衛  大眉 光重

 今井家     三井家
 加野屋     加島屋
 山王寺屋    天王寺屋

それにしても気になる来年の大河「真田丸」、どうやって1年引っ張るんだろう?

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「文化」について

今日は「文化の日」。
祝日法では、"文化の日:11月3日 自由と平和を愛し、文化をすすめる。" と定められている。
「自由と平和を愛し」というのがなかなかふるっているが、日本国憲法公布の日(1946年11月3日)にちなんでいるなら、この文言もなるほどというわけだ。

yoneyamatoshinao.jpgそして「文化」である。学校の授業で「文化ってなんですか」というようなのがあったと記憶しているが、芸術文化がある一方、文化住宅、文化包丁、・・・というような「文化」の使い方もある。憲法は「健康で文化的な生活」。
このブログはタバコの話も多いけれど、タバコを文化と言ったら、怒る人もいるかもしれないが、それは以下の説明を読んでからにしてもらいたい。

このように多様な使い方がある言葉なのだが、文化の定義というのを初めて聞いたのは、大学の教養課程の講義で、米山俊直先生の「文化人類学」。眼から鱗がおちる、というのはこういう講義のことだろう。
米山先生の授業はいきなり文化の定義で始まる。それは次のとおり。
文化とは、集団内で、
  創造され(created)、
  分有され(shared)、
  継承される(heritated)
もの

なぜ、これを文化と定義したのかは、その後の講義によって明らかになる。
多くの文系学問においては定義が結論であって、定義に至るまで侃侃諤々の議論があるのに対し、米山先生の講義では、定義すなわち概念を導入することによって、研究対象が見通しの良いものになり、理論が豊かになる。

これは建設的なやりかただと思う。研究を進めるために、中心的な概念について相互に誤解がないように決め事をしておくもの(その定義の妥当性は研究が進んでから判断され、必要があれば修正されるだろう)。

これに対し、おまえの定義は違う、といって定義の議論を延々とするというのは非生産的なように思う。ただし、その議論をめぐってさまざまな知見が集約され、定義が一致すれば議論終了というのもある。これは議論の出発点ではなくて、議論の目標。「定義」という言葉の使い方が違う。
数学などでは定義の意味が解るのは、理論がずっと広がってからになることが多い。たとえば連続函数の定義として現代数学で一般に採用されているのは「開集合の逆像が開集合になる」だと思うが、いきなりこんなことを言われても?だろう。


大学1年生の私の程度では、そんな科学哲学など持ち合わせているわけではなかったが、この定義の切れ味が気に入って、楽しく講義を聴いていた。

授業は、幸島のサル、ゴリラ、チンパンジーなどの霊長類の文化と社会、世界の部族の文化と社会がとりあげられて、どう「解釈」するかという内容。他、ローレンツ流の動物行動学とかにも広がっていた。
また、こうした「文化」の定義では、「学生の文化」「ヤクザの文化」など、「○○の文化」という言い方が可能で、そういう社会内の集団も人類学の対象になりうる、そういうこともこの講義で語られたと思う。

ということで、結構、この講義にはまって、関係書籍をいろいろ読んだ記憶があるし、思えば今までの読書傾向にも色濃く反映している。実際、講義中に、いろんな本を紹介していただいた。著者名だけあげれば、ルース・ベネディクト、コンラート・ローレンツ、デズモンド・モリス、…、日本人なら、今西錦司、中根千枝、…
サルについてなら、河合雅夫、伊谷純一郎、…。先日は、山極寿一『「サル化」する人間社会』というのもおもしろかった。

教育の目的の一つは、子供に学ぶ意欲を持たせることだと思うが、そういう意味では十分に成功した講義だと思う。ただ、こういう研究者のマネはできないなぁ、と、秘かなファンにとどまってしまったが。

何はともあれ、いまでもこの「文化の定義」は私の思考にしみついているから、多くの人が「文化的」というところは、違う言葉―芸術的とか近代的とか―にしたくなってしようがない。

ところで、理科系での言葉の使い方が、世間的なそれと違う場合は結構ある。
「一般に」というときは「例外なく」という意味で使うし、「抽象的」というときは「本質的なものを取り出している」という意味。
もちろん世間の使い方はそうではなく、「一般に」は「普通はそうだが実は違うことがある」と留保する場合だし、「抽象的」は「(具体性がなくて)何を表しているかわからない」という意味で使われる。
それは了解しているし、それが間違いだとも思っていないのだけれど、自分がその言葉を発する時は、世間の使い方にはどうしても抵抗感がある。(恩師の怒鳴る声が聞こえる「それは『一般に』じゃないだろう」)
だから会話はこんな風になる:

相手:一般にはこうなんですが、この場合はこうです。
私 :多くの場合はそうですけど、その場合はそうなんですね。

こうやって、相手の言葉の意味を確かめているわけだ。
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物語 行政サービスゼロ地域 (3)道路

行政サービスゼロ地域の物語の3回目は「道路」

およそ地方自治体の事業で、一番費用がかかるものは、道路と下水道だろうと思う。
職員人件費とか、福祉や教育のほうが費用としては大きいかもしれないが、行政サービスゼロ地域では、職員はいないし、住民も少ないから、金がかかりそうなのはやはり道路だろう(下水道はないと思う)。

aonodoumon.jpg 消滅自治体だから、ここを国道や都道府県道が通るようなことはないだろう。あったとしても高速道路などの通過道路だけで、地域内との出入りはないものと想像する。
行政サービスゼロ地域は経済的には自立することが目指されるけれど、地域で必要とする物品やサービスを地域内で供給することは土台無理な話である。となると、道路は地域の生命線である。

消滅自治体になってすぐの頃は、まだ市町村があった頃に整備された道路が生きていて、他市町村や都会へもつながっているに違いない。地域内の道路の補修が当面の仕事になる。

明治初年人力車が急増したが、明治5年には東京府が人力車への課税を始めている。名目は道路修繕費に充てるためである。役所があればこういう制度がとられるのが普通だろう。


財政危機に陥った自治体で、道路補修を委託するお金がないということで、道路の陥凹ぐらいは職員が自分で直すということで、小型の重機を導入していたところがあるが、役所が存在しない行政サービスゼロ地域では、住民が気付いたら、陥んだところに土を持ってきてローラーを曳くか、自動車で何回か踏み固めるとかという方法が考えられる。
これなら、住民の自力で何とかなるような気がするが、あまい考えだろうか。交通量は僅少だと思うから、これでもやっていけるのではないだろうか。

kamosakatouge_tetsumonkai.jpg 行政サービスゼロ地域での生産はおそらく農耕が主になるだろうけど、農耕というのは広いスペースを利用するもので、そこに少ない人数が手をかける。一方、政府から見放された地域の人が助け合うには、住居は近接している方が良いし、地域外との移出入や人の交際の場がコンパクトにまとまっているほうが良いだろう。
となれば、地域のコンパクト・コアと、広く散らばった耕作地の間は、広くなくてもよいけれど、農機が通れる程度の道路のネットワークが整っていることが大事。農機だから舗装などされていなくても良い。
そういう道路である。

地域をもっと発展させようと思って、新しい道路を通そうというのもあるかもしれない。ボランティアで粘り強く、荒れ地を開き、岩を穿つ人を期待しよう。

昔はそういう情と智慧のある人がむらを救った。
出でよ禅海(「青の洞門」=写真上)、出でよ鉄門海(「加茂坂峠」=写真下)

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物語 行政サービスゼロ地域 (2)土地

genkaishuraku1.jpg 行政サービスゼロ地域の2つ目のテーマは土地。

まず、この地域の区画であるが、これは国が消滅自治体と見做したところである。
そして行政サービスゼロ地域の原則は、「一銭の税も投入しない代わり、収益も期待しない」だから、土地に経済的価値は評価されないと考えるべきである。

森林の所有者などは不満だろうが、経済価値を主張するのは、自治体として消滅させておいて資源だけ奪おうという、虫のよい話すぎる。文句があるなら、消滅させた政府に賠償を求めるべきで、行政サービスゼロ地域となった時点で、あらゆる権利が放棄されなければならない。

年寄りが都会の息子のところへ引き寄せられ、空き家になったところなどはどうか。村おこしのポイントの一つは移住者の住宅の確保だが、そうした空き家を使おうとすると、持ち主は、墓参りのときに困るとか、仏壇があるとかといって、譲渡や貸出を渋ることがあるという。こうした場合でも、村へ帰れば宿舎は手配するとか具体的提案をすれば手離してくれる例も多いらしい。経済的価値ではない、愛着と先祖を大事にする気持ちがそうさせるのだろう。


実務的にも、この地域には市町村というものはないから、固定資産税は課税されない。
土地に経済的評価がないから、相続税などもかからない。というか、そもそも土地に所有権が設定されないと考えるほうが良いだろう。

oklahomalandrush-crop.jpg それでは何の価値もないのか、というと、そうではなくて、ここに生活の実態を置くことができなければ、住民が存在できないから、この土地を使用する権利がある。ただし、権利といっても所有権ではなくて、生活・労働に必要な範囲・時間、その排他的使用が認められるというルールを地区に導入する(住民が定める。住民が1人ならルールはいらない)。

これってどういう場所なのか、モデルになるのは人跡未踏の荒野である。
土地としては、アメリカの西部劇に出てくる荒野である。アメリカ・インディアンのいないアメリカである。

右の画像は、アメリカのランド・ラッシュを描く「遥かなる大地へ」(ニコール・キッドマン、トム・クルーズ)

ただし、アメリカの開拓とは異なり、土地に所有権はない。
切り取り次第だが、期限の制約と活用の義務化(放置=保護も活用と考えるべきだが)の制約を受けるだろう。

荒野に入植する開拓団、土地は開拓団の共有(個人に属さない)であり、そこに生きる人たちはそれぞれの役割の中で土地を使用する。その役割を円滑に果たす上で他人に干渉されない使い方ができる、そういうものである。

つまり、行政サービスゼロ地域においては、人は土地に属すのではなく、人の集団に属するという形になるだろう。

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