エレベーターの開閉ボタン

前に、エレベーターの開閉ボタンがわかりにくい、錯誤すると書いた。
で、こんな表示にしたら良いのではないかと考えた。

elevator_openbtn.gif          elevator_closebtn.gif


どっちが [開く] で、どっちが [閉じる] かわかりますか。
(わからないなら、失敗デザイン)


こういう動的サインは、今ならそう難しいことではないと思う。小さな液晶パネルかなにかを使って、アニメーションを表示すれば良いだけだから。
どこかのメーカーがやらないかな(意匠権などは主張しません)。

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秘書がやりました

amaridaijinn_jishoku.jpg 政治家から何度、この科白を聞いただろう。
「秘書がやりました」(私は知りませんでした)

甘利氏が現金授受に関して、大臣を辞職した。
甘利氏は、秘書の監督責任は認めていて、「『秘書が勝手にやったから責任はない』という逃げはうたない」というスタンスのようなので、以前の政治家よりはハイレベルな言い方となっている。

とりあえず甘利氏の弁明を信じるとして、しかし、秘書にするかどうかは議員本人が判断しているのだろうから、監督責任+任命責任ということになるのでは。あるいは、人を見る目がないということか。

議員秘書を経験して、議員になるというパターンも良くある。そうした場合、議員と秘書の関係も学習して身に付けているだろう。どちらも脛に傷を持っていて、議員にしてみれば秘書が何をするのか、直接知らなくても、何をしそうかぐらいは知っているということかもしれない。
amari_mynumberPR.jpg

政治とカネの問題がいつまでもなくならないのは、政治にカネがかかるからというだけでなく(政治はつきつめれば税金をどう使うか決めるものだと思うけど)、こうした議員と秘書、ステークホルダーにあるカネの繋がり、これらがインターロック状態になって、ほどけなくなっているのかもしれない。


今回、発覚したのは秘書の問題だけど、TPPがらみで、アメリカやオーストラリアあたりからは何にももらってないのだろうか。秘書では海外からは相手にされないのかもしれないが。

amari_mynumber_juminhyo-crop.jpg それはそうと、甘利氏はマイナンバー担当大臣でもあった。マイナンバーのPRで、替え歌まで披露している。

(画像クリックでYouTubeのニュース動画へ)

ところで、このテレビ報道中「今までは年金受給や確定申告の際に必要だった住民票は不要に」と解説されているのだけれど、普通は、今までも住民票は不要。
甘利大臣が言ったわけではないだろうが、マスメディアの不勉強には呆れるばかりである。


で、今回のような現金授受が発生すれば、というか政治献金があれば、これからは、政治資金規正法を改正して、献金者のマイナンバーを記載するようにはしないんでしょうか。

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マイナンバーによる自己情報へのアクセス

maina_portal.jpg 昨日は、マイナンバーのアクセス・ポリシーと題して一稿をアップした。
そのなかで、アクセス・ポリシーとして、自己情報へのアクセスは当然認めるべきだろうと書いた。

マイナンバーでこんなに便利になりますという宣伝文句に、「マイナ・ポータル」がある。
マイナ・ポータルは、H29.1月からもサービスされるという話であるが、
  • 自分の個人情報をいつ、誰が、なぜ提供したかの確認
  • 行政機関などが持っている自分の個人情報の内容の確認
  • 行政機関などから提供される、一人ひとりに合った行政サービスなどの確認
ができるようになるという。
税・社会保障に関しては多分すぐにでもサービスできるのだろうけど、他の分野ではどうなんだろう。
あらゆる行政情報がサービスの対象になるんだろうか。

マイナンバーが名前のように使われているのなら、いろんな行政情報へのアクセスもマイナンバーでできるわけだけれど、現在の制度では、マイナンバーを使える事務は限定されている。その上、厳格な取り扱いをするということで、マイナンバーが付いた情報は特定個人情報として特別扱いされ、腫物に触るように隔離するような対応が推奨されているようだ。
マイナンバーが付いていない個人情報を、マイナンバーで特定しようとしたら、また余計な手順を踏まなければならないだろう。

yamiyoniteppou.jpg 私はマイナ・ポータルで、自己情報へのアクセスを保障するのは素晴らしいことだと思うのだけれど、もしそれを実施するのなら、アクセス可能な個人情報にマイナンバー(もしくはそれと同等のID)が付いていなければならないだろう。
「あらゆる自己情報(公安関係除く)にアクセス」するなら、「あらゆる行政保有情報にマイナンバー」じゃないのだろうか。

ほら、やっぱりマイナンバーは名前と同じように扱うのが良いでしょ。


それを何を勘違いしたのか、幻覚を厳格にとりちがえ、何を守るかポリシーも曖昧なまま、とにかくセキュリティ技術の導入にばかり走っている状態は、「闇夜に鉄砲」状態といえるのでは。

幻覚にまどわされたセキュリティ対策は、マイナンバーの意義を貶める敵といって差し支えないのではないだろうか。

何より、「税収は国民から吸い上げたものでありまして」、
それを無駄遣いするのは国民の敵でございます。


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マイナンバーのアクセス・ポリシー

今までマイナンバーについては何度も取り上げてきている。
もちろん批判的にだけれど、それは国民総背番号制の問題としてではなく、設計の悪さによるコストの問題としてである。

私は国民総背番号制を否定するものではないが、現在のマイナンバー制度は、国民総背番号制という正面からの議論を避けているのか、本質的な情報管理ポリシーの問題を、セキュリティ問題にすり替えているように思う。
この姿勢は住基ネットワークの導入時と変わらない。役人の学習能力を疑う。

その結果、使いにくく、コスト・事務負担の大きなシステムになっている。安倍首相は、憲法改正もきっちり議論しようと言っているのだから、国民総背番号制についても、きっちり議論してもらいたいものだ。

今からそれをやったら、この膨大な人的・財政的・社会的負担を引き起こした責任が問われるからやらないだろう。会計検査院が問題として取り上げてくれないだろうか。


OECDguideline.png さて、私は、マイナンバーは名前と同じに扱えば良いと言ってきているわけだが、それについてまとめておこう。

どなたにも了解できることは、マイナンバー自体はその個人についての情報は何も担っていない。番号はランダムに付けられていて、住所や性別などといった個人の属性はカケラも入っていない。つまり、番号が他人に知られても、そのことで個人情報が漏洩することにはならない。

ただし、「条件○○を満たす人のマイナンバー」という場合は、マイナンバーだけでも重要な個人情報になる。


問題は、個人情報にマイナンバーがリンクしている場合、マイナンバーで検索すれば当該個人情報が引き出せるのではないかという点にある。

たしかに番号さえ知っていれば、当該個人情報にアクセスできるのであれば問題である。だから、番号を知っていても引き出せないようにアクセス制御が必要となる。米国のSSNが問題を起しているのは、番号を知っている=本人と推定するという、かなり乱暴な運用があったためである。


つまり、マイナンバーを使って個人情報にアクセスすることをコントロールすれば良い。
アクセス・ポリシー自体は単純である。

ポリシーとそれを保障するための方策は別のレベルの議論である。まずポリシー、そして方策(技術)という順でなければならない。


まず、自己情報コントロール権という立場からは、原則として本人のアクセスを認める。このとき、本人であることの推定はマイナンバーを知っていることではなく、マイナンバーカードを持ち、かつ、そのPINを知っているなど、本人認証手続きは別途定めることになる。(本人認証と権限認証は別のもの

次に、マイナンバー付きの個人情報を収集した組織が、その収集目的に従って利用する場合は認められる。このとき、そのアクセスが正当であることを保障するのが、利用者認証やシステム認証などのセキュリティ技術である。

基本的にはこの2つの利用方法は当然のものである。この他、やや境界が曖昧であるが、統計的利用も新しい個人情報保護法制上は認められる。

こんなことは、OECDのガイドラインの昔から、ずっと言われてて、アタリマエのことなのだけど、ポリシーを意識することがセキュリティ設計の基本のはずなので、もっと強調すべきだと思う。


これに加えて、行政の事務軽減や、本人の利益になるものとして、どういう利用方法があるかということになる。
前者では、多くの公的制度が所得状況に基づいて実施される場合、行政職員が所得情報に職権でアクセスするようなことが考えられる。
後者については、無保険状態にある人を抽出して、保険加入を勧奨するなど、本人のためになる事務の実施が考えられる。
ただ、これらは是々非々であって、一般化することは難しいだろう。

このあたりをきちんと審査するのがPIAとかの仕事じゃないんだろうか。


現在のところ、税、年金、健康保険以外の分野で、マイナンバーを利用するというのは、ほとんどが所得情報の確認に利用するというもののようだ。現行制度では、実に煩雑なことにマイナンバーが使える事務はホワイトリスト方式だから、こんな単純な使い方でも、○○事務ではマイナンバーを利用する、という言い方になる。
しかし、税情報へのアクセスは、マイナンバー(=納税者番号)をキーにして参照するというだけのことである。マイナンバーを使うことが本質的なのではなく、税情報へアクセスすることが本質的なのである。議論すべきは、マイナンバーを使うかどうかではない。

実際、市町村で福祉関係の手続きをする場合、市町村側では住民税の情報を参照して事務をすすめるのが普通である。今まではマイナンバーがなかったし、住民票コードは普及していないから、各種手続きでは、名前、性、生年月日、住所によって本人を確認して、税情報にアクセスしていたはずである。そして、それについては住民は理解、納得していたと思う。

こんな利用方法までいちいち「マイナンバー利用事務」などというのはちゃんちゃらおかしい。税側が決めれば良い話である。
制度立案者は、厳密にしたつもりだろうが、本質的なところを示せていないなら無意味だし、それによって、なんでもかんでも「特定個人情報取扱事務」として、特別な保護をしようというなら、どんどん事務コストを上げていくことになる。

もし、住民の側に十分なITリテラシーがあれば、もっと厳密な制度運用ができる。
窓口で所得の証明を求められたら、本人が自分の税情報にアクセスして、それを証明する文書を入手して提出するようにすれば、職権でのアクセス自体をなくすことができる。これができればマイナンバーは捨てたもんじゃないと思う。


以上のようなアタリマエのことをあらためて書こうと思ったのは、国民の不安を掻き立てるような広報が繰り返される一方、マイナンバーの収集目的、利用の範囲や方法が、納得できる形では説明されていないように思うからである。

私がマイナンバーを提出したことについては既に書いたけれど、提出にあたって、収集目的や利用方法がきちんと説明されていたようには思えない。届け出用紙には、それを明記するべきだろう。

法律に書いてあるから収集するというのでは、答えにならない。クレームに対して「それがルールです」と回答するのは事態を悪くするというのがセオリーである。


やたらセキュリティ対策ばかりが言われるが、どんなに厳しい技術を導入しても、ポリシーが徹底していなければ、そのシステムを利用する人間がセキュリティ・ホールになる。

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ヨアンネスの260回目の誕生日

今日は、ヨアンネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオフィルス・モーツァルトの260回目の誕生日。

昨年も書いたけれど、ヨアンネスの誕生日には、その年齢と同じ番号を持つ作品を聴くことにしている。

つまり今年は、KV260 "聖体の祝日のためのオッフェルトリウム「ヴェニテ・ポプリ」ニ長調" がそれにあたる。(ただし、ケッヘル6版では、248aという番号が付いている。)
2組の4部合唱(Sop.,Alt.,Ten.,Bs.)を持つという変わった曲。1776年(モーツァルト20歳)、ザルツブルクで書かれたと考えられている。
儀式用のファンファーレのような印象の、フォルテとピアノが交替する短い、5分ちょっとの曲である。
こんな小さな作品にも詳細な解説がつくところがモーツァルトである(上のリンク-"Mozart con grazia"の該当ページ)。
A1130800.png

(ここ or 楽譜画像クリックで冒頭l部分を再生)


今日は多分、めったに聴くことのないこの曲をじっくり(といっても5分だが)聴く。

こういうときに全集をもっているありがたさを感じる。
さすがに5分ではと思うので、"260"から派生する番号の曲をながめると、
  KV26:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調「ハ-グ・ソナタ第1番」
  KV62:行進曲 ニ長調 [カッサシオン ニ長調]
  KV206a:チェロ協奏曲 ヘ長調 (紛失)
  KV602:4つのドイツ舞曲 K.602
  KV620:「魔笛」
なかなかの大物もあれば、今はもう聴けない曲(紛失)もある。KV62の行進曲は、カッサシオンの一部だろう。今日は、「魔笛」は敬遠して、KV26あたりでも聴くことにしよう。


ところで、先日、このブログのリンク集に "モーツァルト作品目録" を置いたけれど、このページを開くと、誕生から何日、死去から何日、と表示されるようになっている。
これを見ていて、ふと気が付いた。そう遠くなく、あと数千日で、キリの良い日数になるんだ。
そう、今日2016年1月27日は、ヨアンネスの誕生から数えて94,963日である。

あと5,037日で、100,000日じゃないか!

1756年1月27日から100,000日後は、2029年11月11日(日曜日)である。


順調なら、私もまだ生きていておかしくない日である。
いや、この日まで生き延びて、生誕10万日を盛大にお祝いしたい。

とりあえず、今年の3月4日が95,000日目だから、この日もなにかお祝いを考えよう。

誕生から    年月日
95,000日2016/03/04(金)
96,000日2018/11/29(木)
97,000日2021/08/25(水)
98,000日2024/05/21(火)
99,000日2027/02/15(月)
100,000日2029/11/11(日)

世界中のモーツァルティアンの皆さま、賛同されるなら拍手をください。


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ディズニーについて

DisneystoreinNY42.jpg 一昨日、ディズニーの絵本について、ピントはずれかもしれない個人的印象を書いた。

この稿は昨日にアップするつもりだったけど、琴奨菊の優勝という、まさにその放送中に速報が流れるほどの大事件があったので、そちらを優先してアップ。

今日は私が目にしたディズニー評をいくつか書きとめておこう。

○ディズニーの殺菌効果

ニューヨークの42nd streetにディズニー・ストアが出店されたときの話。
当時、42nd streetは、麻薬や暴力行為など、ニューヨークでも治安の悪い一角といわれていたという。しかし、ここにディズニーが出店すると、普通の、というか、模範的な家族連れが訪れるようになり、街のすさんだ雰囲気が改善されたという。これをディズニーの殺菌効果という。
ディズニー作品は周知のとおり、健康的で明るく楽しく設計されている、アリエナイほど。

この話を雑誌で読んだとき、昔、大阪の十三の風俗街に予備校が建つということになったとき、風俗街の方から「環境が悪くなる」と反対の声が上がったという話を思い出した。
せっかく遊びに来ている人達を相手に商売しているのに、そういう遊べない人種が来るようになっては、街の雰囲気が壊されるというわけである。

こうした話は、例の「割れ窓理論」と通ずるところ(逆命題)があると思うが、さて、どっちが先だったんだろう。


○ディズニーはパーティーの話題にふさわしくない

これもとある雑誌に書いてあったことだと思う。
アメリカ人は、みんなディズニーが好きだと思ったら大間違いで、中にはディズニーの人工的な世界を嫌う人も結構いるという。
ディズニー信奉者は絶対的に支持する傾向があるようで、批判されると躍起になって反論しがち。それがパーティーの雰囲気をぶち壊すという話である。
パーティーでは、お天気の話がやっぱり無難?

昔、東京ディズニーランドができるときに、ちょっと関わったという人と話をしたことがあるけれど、もちろんその人はディズニーの信奉者で、無限定にディズニーを礼賛していた。このパーティーの話題にふさわしくないという話があると言うと、フンとそっぽをむかれた。


私は、昨日の絵本の話でもわかるように、ディズニーを信奉するものではない。子供のころ、テレビ番組で「ウォルト・ディズニー・アワー」というのがあって、良く見ていたけれど、ミッキーやドナルドとかが出てきても特にどうということはなかった。
それより、ドナルドの親類のルードヴィヒ・フォン・ドレイク(この記事を書くにあたってネットで調べて名前を確認)が出てきて、いろんな自然現象・社会現象を解説するもののほうが、ずっと面白かった。
ディズニー映画では「砂漠は生きている」とかの方が好きだった。

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10年ぶりの優勝

kotoshogiku_sokuho.jpeg 昨日、大相撲初場所で琴奨菊が優勝した。

他の力士と星1つの差での千秋楽、勝てば優勝という一番、珍之助さま贔屓の豪栄道に完勝。

豪栄道は既に負け越しが決まっていたが、もし勝ち越しをかける一戦だったらどうだったろう。珍之助さまはどちらを応援されただろう。

日本人力士の本場所優勝は10年ぶり、平成18年の初場所での栃東以来だという。

「ウィンブルドン現象」という言葉がある。
「門戸を開放した結果、外来勢が優勢になり、地元勢が消沈または淘汰される」ことをいう(Wikipedia)。もともとは、ロンドンの金融街で活躍する企業の多くが、イギリス以外の企業だったということかららしい。

ウィンブルドンはいうまでもなく、テニスの全英選手権のことだけれど、活躍するプレイヤーがイギリス人以外という状態だったことから、こういう言葉が生まれた。

もっとも、この言葉が生まれて後、2013年の優勝者はイギリスのアンディ・マレーだった。77年前、1936年のフレッド・ペリー以来のイギリス人優勝者以来ということである。それにくらべたら、10年なんて短いものだ。そのせいか、「両国現象」という言葉はないようだ。


ところで、私はテレビの生中継を見ていたのだけれど、琴奨菊勝利の直後に、ニュース速報のテロップが出た。
こんなタイミングでいったい何が起こったのだろうと思ったら、なんと、琴奨菊優勝の速報だった。

ryomaden_terrop.jpg 前に、NHK大河ドラマ「龍馬伝」の最終回、その日行われた選挙の速報のテロップが、こともあろうか、龍馬が暗殺されるシーンに出て、視聴者から文句が出たことがあった。
それに比べたら、取り組みが終わったあとのことで、琴奨菊の顔にひどくかぶるというほどではなかったけれど、そもそも今流している放送の内容を速報するって、どういう神経?

さて、来場所優勝すれば横綱昇進となるわけだ。
日本人横綱は13年間不在だそうだ。こちらはどうなるだろう。

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ディズニーの絵本

wanwanmonogatari.jpg このところ絵本の話題をつづけたけれど、絵本というと大量に出回っていたのがディズニーの絵本。
私の家にもディズニーの絵本が何冊かあった。

アニメのシーンを切り取って本にしたというものだったと思う。
今、手元にはないが、記憶をたどると、「わんわん物語」、「シンデレラ」、「バンビ」、「ピノキオ」などがあったと思う。

で、実は、バンビぐらいはそうでもなかったが、他の本は、なんとなく怖かった。
後に、なぜこれらに対して怖さを感じたのか考えて、思ったのが、これらの本の色使い。深く、べったりとした色なのだ。
吸い込まれるような不安感を覚えたのではないかと思う。

それに対し、お気に入りの「ちいさいおうち」は、淡い色調で落ち着く。

そもそも、ディズニーのアニメは、昔のものはそうではないけれど、最近の主人公は、口は耳元まで裂け、眼は大きくつりあがり、日本のアニメのかわいさ強調のワンパターンとは違うけれど、やはりワンパターンじゃないかと思う。そして、あんまり感情移入できない。
disneycinderella.jpg このブログでも「アナと雪の女王」をとりあげたことがあるが、そこにも同じようなことを書いていた。

日本のアニメは、かわいさの記号が充満していて、見るものはその他の細部にはそれほど注意がいかないのではないだろうか。だから細部は結構大胆に雑に描かれていても、それがかえって落ち着くように思う。
ディズニーは細部までのこだわり、特に動きのなめらかさにこだわりが強くて、気を休めるところがないのかもしれない。そして、動きの中であればそうでもないけれど、絵本に固定化すると、その細部が平たく塗りつぶされていると、空虚感を感じてしまうのかもしれない。

私はテレビゲームのたぐいはほとんどやらないのだけれど、テレビCMなどで目にする絵を見る限り、ゲームの絵はどんどん精細化しているようだ。そして、当然だが、細部へのこだわりも強くなっているだろう。しかし、ゲームの絵へのこだわりは、アニメのように平たく塗りつぶすものではなく、コンピュータが細部を埋め続けているから、ディズニーとは違うようだ。

ところで、ディズニーものというと、こうした絵本でも、パクリのものがあったのではないだろうか。
絵柄がディズニーのそれとは違う感じのものを見るような気がする。

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ぞうのババール

zounobabar.jpg 子供の本の話をもう一つ。
やはり、親から与えられた絵本で「ぞうのババール」。

あらためて表紙を見ると「ババール」とカタカナで書いてある。幼年向けの本はたいていひらかなだけで、カタカナにはひらがなでルビがふってあったように思うのだけれど。


この本も繰り返し読んだ覚えがある。
しかし、この本の中では、ぞうのおうさまが毒キノコを食べて死んでしまうというくだりがある。震える線で描かれた、その年老いたおうさまの絵が痛々しかった。
おうさまが亡くなったので、街にいたババールが象の群れに呼び戻され、新しいおうさまになるわけだ。しかも結婚して。

「ろけっとこざる」のようなドタバタ要素はないし、「ちいさいおうち」のようなしあわせな暮らしを考えさせる要素もうすいと思う。しかし、ぞうたちの友情のようなものが描かれていたように思う。

ところで、ぞうのばばーるの原題は、"BABAR"であるが、こっちのBaBarとは関係ないでしょうな。

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ちいさいおうち

先日、映画「パディントン」のCMで原作本を思い出したことを書いた。
また、元日の記事は干支にちなんで「ろけっとこざる」を取り上げたけれど、その時も子供の頃に読んだ本のことをいろいろ思い出していた。

chiisaiouchi.jpg 私の一番のお気に入りだったのは、「ちいさいおうち」。
「ろけっとこざる」よりも前で、小学校に上がってすぐか、その前ぐらいからである。
周囲の大人に何度も読んでとせがんだことを覚えている。

田舎ののどかな場所に建っているちいさいおうちが、遠くに街の灯を見て、街ってどんなところだろうと考えていると、ちいさいおうちの周りも街になってしまう。そこへ、ちいさいおうちを建てた人の子孫が、このうちはご先祖が建てた家だといって、ちいさいおうちを元の田舎に似た場所へ引っ越しさせるというお話。

どうしてこの話が好きだったのか、自分でもさっぱりわからない。バージニア・リー・バートンの絵が良かったのかもしれない。
この本の絵の多くは、ちいさいおうちを同じアングルで描いていたと思う。
田舎のこんもりとした芝地に建つちいさいおうちの春夏秋冬、同じく夜、それから周りがだんだん街になっていくところ。ビルと高架線(鉄道)に囲まれたちいさいおうち。そして元いたような田舎に引っ越したちいさいおうち。

イエラ・マリ「木のうた」という有名な絵本がある。小中学校の授業で使ったりするらしいが、まったく言葉がない絵本である。これも同じアングルで木を描き、季節を一巡するように作られている。
これも、見る対象を固定しながら、対象や周囲の変化が描かれる。
こういう書き方というのは、時の流れに自分の身を任せるような感じで、そこが子供心に響いたのかもしれない。

ところで、長じてからこの話をしていたら、その場にいた2人の女性が口をそろえて「六二郎さんには似合わないねぇ」と一蹴された。
しゃくなので、英語原本を手に入れた(2人のうち一人は外国人だったので)。

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マイナンバーの提出

fuyokojoshinkokushomk.png 今、社内全職員のマイナンバーの収集がはじまっている。扶養控除の届という形で、本人・扶養家族のマイナンバーの記入が求められている。
家人が離職して収入減になったので扶養親族として、家人のマイナンバーも届けた。

これで、私がマイナンバーを提出したのは、共済組合(退職年金関係)国民健康保険(世帯主として)の2カ所に加えて、雇用主経由で税当局へと、3カ所になった。

ところで、家人は今まで国民健康保険に入っていたのだけれど、離職してこちらも扶養者扱いになり、協会けんぽに加入することになった。
それで福利厚生担当へ行って扶養届を出そうとしたら、届には私と家人の基礎年金番号を記入しなければならないという。その場ですぐにはわからなかったので、つい、マイナンバーならわかりますけどと言ったのだけれど、「未だマイナンバーは導入されていません」と申し訳なさそうであった。もちろん私も期待はしていないし、これは過渡期だからかもしれないけれど。


税については、今までは本人に見える形では個人を特定できるキーはついていなかった(キーはシステム上当然付いているはずだが、税当局内でしか使用していないと思われる)。
これが本制度の肝じゃないだろうか。
年金も保険も、そして各種の公的制度においても、手続きには対象者の所得の確認がついてまわる。税が持つ情報を他機関で参照できれば、手続きが簡素化される理屈である。

2016-01-20_111856.jpg 国はこのように説明すべきだったのではないだろうか。

マイナンバーの創設により、国民の所得情報を、法で定めた制度・機関が利用することができるようになります。(今まで必要だった証拠書類は不要になります。)

これなら、その是非はともかく、混乱や不安は随分解消されるだろうと思う。
国民がなんとなく不安感を持つのは、マイナンバーを届けたら、それがいろんな機関に伝達されて、どのように使われるかわからないからではないだろうか。
難しいセキュリティ技術の話より、どこでどう使われるかだけ説明して、それ以外は違法であると言えばそれで良いと思う。

技術をいくら丁寧に説明しても誰も納得できないと思う。技術にできることは利用秩序(What、for what)を打ち立てることではなく、定められた秩序の維持(How to)のみである。


私はマイナンバーは名前と同じ扱いで良いと考えているから、そもそも利用制限は不要で(個人情報保護法の遵守は必要)、マイナンバーを収集するところがどういう使い方をするか説明し、本人がそれを納得すればそれで良いと思う。

その一方、安易にマイナンバーを義務付ける制度には疑問を持っている。
たとえば、医療機関でマイナンバーを書かせるなんていうのは、支払だけなら保険証で十分なわけで、一体何に使うつもりかがはっきりしない。

ただし、医学の進歩のために患者のマイナンバーを使って、患者のライフヒストリーを収集して分析するなどは許されるべきだと思う。


個人情報保護の基本には自己情報のコントロール権がある。
情報漏洩しないように高度な技術と厳格な運用をしていると言われても、それは自己情報のコントロール権を保障するものではない。
また、情報漏洩(セキュリティ)の説明ばかり聞かされると、個人情報保護を技術の問題に矮小化しているようにも思えてくる。そして、守るべきものが明確でないまま、漫然とした対策をうつのでは、前にも書いたが、そのコスト、人的負担は過大になる。

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モーツァルト作品目録

今年もヨアンネスの誕生日が来週に近づいてきた。

mozartworksimsg.png 私は、以前、携帯電話の頃から、モーツァルト作品目録(HTMLファイル)を端末のローカル・ストレージに入れていて、ふと気になったときに検索できるようにしていた。

しかし、端末が変わるたびにコンテンツを移すのが面倒なので、まずはそのHTMLファイルを非公開のWebに置いて、リンクだけを端末に入れるようにした。
一昨年からこのブログを始めたので、同好の方もいるだろうからということで、このブログのリンク集に載せることにした。
(自分は自分と同好=反射律)。
H28.1.13から載せているから既に気付いている人もいるかもしれない(わざとらしく、NEW と入れてるし)。

インターネット上には、解説つきのすばらしい作品目録・年代記が、Mozart con grazia として公開されている。
Mozart con grazia は自由にリンクして良いと宣言されているので、やはり同好の方に広く知ってもらいたいと思って、これにもリンクを張っておくことにした。
これに、Mozart con grazia内を検索する(Google)フォームを付加しているので、いろいろな語句で調べものができると思う。

あと賑やかしで、誕生および死去からの日数表示と、ランダムに選んだ1曲を表示するようにした。
「これはいかが」の1曲表示は、何を聴こうか迷ったときのため。気に入らなければ [他を選ぶ] で。

モーツァルティアンの皆さま、ご活用ください。

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Google Keep

Screenshot_2016-01-05-13-02-59.png しばらく一人暮らしが続いているので、買い物やゴミ出しなど、日常の雑事で煩わされる。
家事全般を家人に任せていたから、要領を得ない。

買物は帰りがけに慌ただしく済ませるので、食材は家に何があったか、何を買うのかなど、結構、面倒である。また、台所まわりやお風呂などの消耗品の補充などはつい忘れがちになる。
それではと、気がついたときにメモをすれば良いと思って、何か良いアプリはないか探してみた。

前には「見ながらメモ」というアプリを使ったことがある。これは画面を見ながら必要なところをメモするというもので、Webページの一部をメモするのに便利なものだが、どんどんメモを入れるという用途には適さない。

そもそも、日常雑事のメモなどは今まで必要がなく、何か覚えが必要な場合は予定表に書いておけば良かったのだが、はじめに書いたようなメモ類は特定の日付にリンクするというわけでもなく、大袈裟な予定表に入れること自体が気が引ける。

(予定表はoutlookを使っているが、職場のグループウェアなので、こんなところに買物メモは入れたくない。)


Screenshot_2016-01-05-13-08-39.png で、適当なアプリを探していると、GoogleからGoogle Keepというアプリというかサービスが提供されている。
これはGoogle Driveにメモの領域を持ち、アプリやブラウザ(https://keep.google.com/)からアクセスするもの。

ということは、スマホでも、PCでも同じメモを見たり、追加したりできる。

(下の写真はブラウザからアクセスしたところ)

2016-01-05_131016m.jpg

私は枕元にも古いスマホ(目覚まし時計としても使用)を置いているのだけれど、このスマホからでもメモを入れることができる。
Screenshot_2016-01-05-13-13-02.png しかも、メモの入力はGoogle音声入力でもできるので、寝ているときに思いついたことをメモするのにはなかなか良い。

アプリは 機能の多彩さに値打ちがあるわけではなく、特定の使い方が自分にハマれば良いと思う。いたずらに機能を増やして、動作が緩慢になったり、サイズが大きくなっては無意味である。
つまり、開発者は、どういう人がどういう使い方をするか、ターゲットを明確にして、余分な機能は付けないことが良い。
たとえばGoogle Keepではメモに色を付けられるけれど、こういうものは私には要らない。操作上、邪魔にならないからあっても構わないけれど。

取扱説明書というものは、そのシステムが持っているすべての機能を説明しようとするけれど、そういうものは初心者にはまったく不向きである。
典型的な使い方と、裏のメカニズムの説明を手短くしてもらうのが良い。

ちょっと話は違うけれど、情報システムの利用では、セキュリティ問題で、あれをするな、これをするなという、べからず集になりがちだけれど、現場のニーズ、使い方を良く調べ、こう使えば安全で効果的という、使い方の提案をするほうが良いのではないかと思う。

悪意と技術のある利用者は、べからず集を守るどころか裏ワザも駆使するから、セキュリティ・バイオレーションを防ぐのは簡単ではない。
一方、善意で技術に弱い利用者が、あやまってルールを破ってしまう、というかリスクに曝されてしまうことを防ぐには、やってはならないことを指導するのではなく(何故やってはいけないかは指導しなければならない)、こうしましょう、もっと具体的には、どういうことをしたいのかカウンセリングして、それならこうするのが良いと指導する方が効果的だろう。

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こんなところにもマイナンバー

gendogakutekiyoumsn.jpg 前に、年金の手続きで、マイナンバーを記入した届をした話を書いた。

今度は、医療保険(国民健康保険)でマイナンバーの記入を求められた。
私は厚生年金だけれど、家人は収入の関係で国民健康保険に加入している。高額医療費については、事後還付が行われるわけだが、事前に「限度額適用認定証」を受けていれば、月に支払う医療費そのものが、減額されるわけだ。

厚生年金や共済の場合はいちいち手続きをしなくても還付される。国保もそうしてもらいたいと思う。

この手続きをしようとしたら、マイナンバーの記入を求められた。
マイナンバーの記入に抵抗感はないわけだが、ちょっと不思議である。

窓口では、私が申請書を出す前、つまりマイナンバーを伝える前に、家人がその手続きに適合するかどうかをすぐに調べてOKと告知してくれた。

しかも、去年の10月分の医療費の還付が、まもなく行われるということまで教えてくれた。

マイナンバーがなくても、従来から市の情報システムは、住民の情報を内部で名寄せしていて、所得の確認や保険の加入状況などが瞬時にできるようになっているわけだ。

そこで疑問。
国保の制度は、市で完結していて、加入・掛け金・支給にかかる情報が、他の機関に出る必要はないはず。

医療機関とのやりとりは、被保険者番号で行われる。

そうなら、本質的に名寄番号であるマイナンバーを使う必要はない。
一方、国保の標準事務は、多分、全市町村共通で、厚労省あたりが決めていると思うのだけれど、なぜ、ここにマイナンバーを入れようと考えたのだろう。
必要性があるというより、マイナンバーが出来たから入れておこうという発想ではないだろうか。
OECDのガイドラインに準拠するなら、必要でない個人情報は収集すべきではない。国は何のために収集するのか説明できるのだろうか。

私はその発想は安易だと思うけれど、そのことが不適当だとは思わないのだけれど、一方で、マイナンバーを秘匿しなさいという雰囲気や、ネットワークを分離しなさいという「セキュリティ指導」がなされていると、何のためのマイナンバーなのか、わけがわからなくなる。

そうした腫物に触れるようなマイナンバー対応は、システムのコストを間違いなく押し上げる。
まして、マイナ・ポータルで考えられているような、自己情報へのアクセスに対応しようとすると、どう考えてもネットワーク分離などということはアリエナイのではないか。

前に"マイナンバー・アイソレーション・ブース"というのを提案したけれど、こういう個別の事務にマイナンバーが入り込んできて、その都度、マイナンバーを別管理するのは、面倒でコストもかかる。なお、直接住民情報を管理する住基や国保などのシステムは、会計や人事などの市町村の組織管理のシステムとは分離されているようだ。

そうではなく、マイナンバーは名前と同じと割り切ったら、システムはシンプルになり、コストを低減できるはずである。

マイナンバー制度というのは、実に一貫性のないものである。
名前と同じように扱って、柔軟に利用する方向で考えるのか、それとも必要最小限の利用を厳密に考えるのか。どうも、その両方の方向性が、何ら調整されずにすすめられているような気がしてならない。

ところで、国保は都道府県を保険者にする制度改正が予定されている。
今までは市町村で完結していた事務が、都道府県と窓口となる市町村に分担されることになる。そうなると、また、マイナンバーの管理の徹底とやらで、高いシステムを作ることになるのではないだろうか。

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2市・2図書館

昨日「真田丸の謎」について書いたけれど、この本の存在は、珍之助さまが私のブログへのコメントで知った。

kyotanabelib.jpg コメントをいただいて、早速、居住地の図書館(以下、K図書館)と勤務地の図書館(以下、Y図書館)にあるか、ネットで調べてみた。
旬の本でもあり、どちらの図書館もそろえていた。K図書館は「貸出中」、Y図書館は「在架」。ただちにK図書館へはネットで貸出予約を行い、無事、現物を手にすることができた。

こういうことは今までにもあった。
一例をあげると、前に3回にわたって「戦争の世界史」という本について書いたけれど、このとき、上巻はK図書館で、下巻はY図書館(「新しい図書館が開館」で紹介している)で借りている。
上巻はK図書館で、たまたま手にとって読んで面白かったので、続けて下巻を借りようと思ったが貸出中だったのである。返却を待っているといつになるかわからないので、Y図書館にもあることを確認して急ぎ借りた次第。

YaoLibrary.jpg 勤務地のY市は、居住地のK市に比べて人口で5倍弱、財政で5倍強の規模があるので、詳しくは知らないが図書館予算もそれに応じて差があるものと思う。どんな本があるかなど、よく新聞の書評などを参考にしているのだけれど、K図書館は書評でとりあげられる本の一部しか揃っていないのに対し、Y図書館は大抵のものは揃っている。そして、K図書館で貸出中になっていても、Y図書館だと貸出可能になっていることがよくある。

私は小説はまず読まない、教養書の方に目がいくのだが、K市の住民は、私と同じように新聞の書評などを参考にして借りる本を決めているようで、その手の本に人気が集中し、なかなか借りられない。以前、塩野七生「ローマ人の物語」を図書館の本で読んでいた時など、新刊が出てから借りられるまで半年以上待つことも珍しくなかった。図書館の貸出期間はだいたい2週間だから、私の前に10人以上が待っていたに違いない。

Y市ではそういう事態は少ない。冊数が多いのかもしれない。
市町村立図書館は、住民ニーズにこたえるため、ベストセラーになるような本は多く用意するという話を聞いたことがあるが、教養書の類はベストセラーにはなりにくくて、数は用意されないのだろう(都道府県立はアーカイブ性を重視するから、同じ本を沢山用意するより、できる限り広く収集すると言われる)。

多くの公立図書館では、貸出を認めるのは在勤・在学・在住のいずれかが条件となっている。筆者のように勤務地と居住地が違うと2つの自治体の図書館が利用できる(図書館の利用者カードが2枚いるけど)。しかも職場のすぐ隣がY図書館というすばらしい立地。

都道府県立も利用できるわけだが(私なら、O府、K府の2つ)、どちらの図書館も、家からも、職場からも遠く、わざわざ行くのは時間も費用も要るし、最寄市町村立から取り寄せ依頼しても良いのだが、それも面倒。


図書館法

(図書館奉仕)
第三条  図書館は、図書館奉仕のため、土地の事情及び一般公衆の希望に沿い、更に学校教育を援助し、及び家庭教育の向上に資することとなるように留意し、おおむね次に掲げる事項の実施に努めなければならない。
一  郷土資料、地方行政資料、美術品、レコード及びフィルムの収集にも十分留意して、図書、記録、視聴覚教育の資料その他必要な資料(電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によつては認識することができない方式で作られた記録をいう。)を含む。以下「図書館資料」という。)を収集し、一般公衆の利用に供すること。
二  図書館資料の分類排列を適切にし、及びその目録を整備すること。
三  図書館の職員が図書館資料について十分な知識を持ち、その利用のための相談に応ずるようにすること。
四  他の図書館、国立国会図書館、地方公共団体の議会に附置する図書室及び学校に附属する図書館又は図書室と緊密に連絡し、協力し、図書館資料の相互貸借を行うこと。
五  分館、閲覧所、配本所等を設置し、及び自動車文庫、貸出文庫の巡回を行うこと。
六  読書会、研究会、鑑賞会、映写会、資料展示会等を主催し、及びこれらの開催を奨励すること。
七  時事に関する情報及び参考資料を紹介し、及び提供すること。
八  社会教育における学習の機会を利用して行つた学習の成果を活用して行う教育活動その他の活動の機会を提供し、及びその提供を奨励すること。
九  学校、博物館、公民館、研究所等と緊密に連絡し、協力すること。


市町村が協定を結んで、協定市町村内での在勤・在学・在住と条件を緩和する、いわゆる広域利用が行われている地域もある。

Y市も北に隣接するO市(分裂が噂される)と、また別の協定により南方向の複数市と広域利用をしている。

利用者としては便利になると思うが(私は地元・勤務先で自分だけの広域利用をしているわけ)、利用者の範囲が広くなるので、借りたい本が競合するようになると、特定の利用者にとってはマイナス(クラウディング・アウトみたいな状態)になることもあると考えられる。

頻繁に起こることではないかもしれないが、こうしたことが問題になったケースも聞いたことがある。
A市で、議会が、市民の税金で運営している図書館を他市住民に使わせるのはおかしいという論理で、広域利用協定への参加に反対したという。(A市が広域利用を周辺自治体に働きかけていたにもかかわらず、自分だけが参加できなかった。まるで国際連盟創設時の米国みたい。)

公共施設には、実は、なかなか難しい問題があると思う。
どこも同じだと、同じようなものを作ってどうすると言われ、個性的な施設にすると、その個性にあわない住民にはいらないものになる。
これらをネットワークするという考え方が必要ということになるわけだ。

ところで、20年以上も前に聞いた話だけれど、公共施設の住民ニーズについてアンケートをすると、図書館がだいたい1位になるという。
私が利用する図書館では、いつも多くの年配者が居る。高齢社会では、さらに期待が高まるのだろう。

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「真田丸の謎」

sanadamarunonazo.jpg 珍之助さまに教えてもらった千田嘉博「真田丸の謎~戦国時代を『城』で読み解く」について。

書名から、先日NHK「歴史秘話ヒストリア」で解説された、真田丸の位置・構造、真田丸での戦いの様子が解説されているのかと思ったのだけれど、それも書かれているが、主は副題「戦国時代を『城』で読み解く」の方にあった。

真田丸の位置や構造については、NHKの番組と同じである。というか、千田先生の説を番組が取り上げたものではないだろうか。違うのは、番組では地下のレーダー探査(奈良文化財研究所)を大きく扱っていたが、本書ではその話は出てこない。
番組はレーダー探査の結果を照合するために、千田先生が米軍の航空写真を立体視して地形の確認をされているような流れで作られていたが、おそらく、千田先生のこうしたアプローチが先で、それを確認する意味でレーダー探査が行われたのではと思う(もしそうなら、先発見者の功績をきちんと伝えるべきだと思う)。

nobunaganoshiro.jpg それはそうとして、前述のとおり、この本のメインは真田丸より副題である。千田先生の前著「信長の城」では、城郭そのものをとりあげていたと記憶するけれど、本書では、城郭がそれを築いた大名・社会の構造を写すという面にも触れていた。
このあたりは文献的裏付けなどが難しくて、著者の想像も混じっているだろうとも思うのだけれど、視点としては新鮮なものがある。

簡単に言えば、城郭や城下町の構造は、大名と家臣、領民の関係に照応しているという主張である。
  • 今川にはこれといった城はない、それは今川は家臣団を掌握できていなかったからである。
  • 武田は「境目の城」の主は、信玄から派遣された城代であって、そのため軍事に特化した城である。
  • 信長の城は集権的に築かれ(著者が言う「織豊系城郭」)ている。
そしてさらに、武田や今川の支配構造・領地構造では天下統一の上洛行動はできないとされ、普通には京を目指したとされる両将の行動は、実際には京を目指してはいなかったのではないかとまで言われている。
大河ドラマ「真田丸」の第1回では、勝頼を裏切る諸将の姿が描かれていたが、武田が何故簡単に滅んだか、今川がなぜ雲散霧消したのか、権力構造を抜きには理解できない。
そして、この視点は、大坂の陣の描き方(敗者の美学か、勝算あっての乾坤一擲か)にも大きく影響するだろう。

単純な誤記だと思うけれど、京極高次夫人(お初)は淀殿の姉ではなく妹[p.34]、明星学園は「みょうじょう」ではなく「めいせい」ですね[p.86]。


それにしても、一昨年の6月、今年の大河ドラマが「真田丸」と発表された頃には、真田信繁あるいは真田一族、真田丸といったタイトルの本は数えるほどしかなかった。それが、今調べると、雑誌の特集版も含めたら数十冊はありそうだ。
何度も繰り返すようだが、大河ドラマの「功」である。

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くまのパディントン

takecarethisbear.jpg テレビで「パディントン」の映画のCMが流れている。
今日、1月15日日本公開である。

CMを見る限り、設定やキャラクターは多分原作を踏襲していて、エピソード(要するにパディントンのいろんな失敗)も原作から取り入れているように見えるが、悪役が出てくるみたいだから、ストーリーはオリジナルなのかもしれない。

この悪役はニコール・キッドマン。
この私好みの女優の悪役は素敵。


原作は周知のとおり、マイケル・ボンド「くまのパディントン」。
paddington_large.jpg 私はこの本とは、今から四十数年前、高校生のときに出会った。少し歳の離れた妹に贈ったもので、私自身も読んだ。

インターネットもないし、子供向けの本の評価もそこらで簡単に手に入る時代ではないから、私とこの本の出会いといったら、まったくの通りすがり。
パディントンも飼い主(家族になる家の人)との出会いは、パディントン駅でのただの通りすがりなわけだが、私にとっても本屋でたまたま見つけたというわけである。

kumanopadington.jpg 特に話題になっていた本というわけでもなかったように思うし(当時は受験生だから、書評を読むという習慣がそもそもなかった)、本屋でも平積みされているわけではなかった。さして大きくもない、ただし本に詳しくこだわりのある本屋の比較的高い棚にあったのを見て、なんだかおもしろそうと手にとったもの。

最初の作品である「くまのパディントン」が面白かったので、続けて第2作「パディントンのクリスマス」、第3作「パディントンの一周年記念」の2冊も後に購入した。

もともとは妹のために買ったのだけれど、妹がちゃんと読んだかどうかは知らないし、感想を聞いたこともない。高校生の分際で、小学生が読むような本を読んで面白がっていたわけだ。

子供向けの本なのかもしれないが、内容としては大人が読んでも、上質のコメディだと思う。
パディントンはどことなく紳士ぶって、というか本人(本クマ)は、まるっきり紳士のつもりなのだが、それと引き起こされる行動及び結果との落差が愉快でほほえましい。
carethisbear.jpg
さて、映画になると、パディントンが映像化されてしまうわけだが、その紳士と子供じみたところがうまく描けるだろうか。偶像崇拝を禁止する宗教が、教祖の映像化を拒否するというのと、次元は違うけれど、通ずるものがあるかもしれない。

であるけれど、やっぱり、映画も見てみたいと思う。


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「真田丸」の猿飛佐助

2016-01-12_205709.png "「真田丸」スタート"で書き忘れたこと。

「真田丸」の初回で、いきなり"佐助"という名前の情報連絡担当の小物が登場した。
信之・信繁の前で「新しい技を覚えました」という台詞と演技があったから、これから忍者として成長を重ね、猿飛佐助になるのだろうと思う。

"大胆予想 真田丸"では、猿飛佐助がいつ登場するのか考えあぐねていたわけだけれど、いきなりの登場である。

sanada10yushi_NHK_ningyogeki.jpg 勝頼が滅んだ時、信繁は16歳だから、このとおりなら、このとき佐助の年齢はどう低く見ても10歳超で、大阪の陣のときには40歳を優に超えていることになる。40歳を超えても軽い身のこなしで、単身で、敵情を探り、敵陣を混乱させるという武将というのはちと無理があるのでは。

服部半蔵のように、実は忍者ではなくて、忍者を支配する武士だったら話は別だけれど。

それとも、歳をとらない忍術を会得しているとか。

sarutobi_NHK_ningyogeki.jpg ところで、前にも書いたけれどNHKの人形劇「真田十勇士」(⇒NHKアーカイブス)では、佐助はなんと勝頼の忘れ形見(「だいすけ」という名前だったような)とされていたと記憶する。「真田丸」ではいきなり勝頼が亡びるわけだから一世代違う。

佐助の写真は「適当に玩具とかのブログ」からトリムして借用(無断で申し訳ありません)。

この人形劇では、最初に山本勘助が勝頼の家臣として出てくるのだけれど、勘助は信玄の代、川中島で死んでるんじゃなかろうか。

ところでNHKの人形劇といえば、「チロリン村とくるみの木」、「ひょっこりひょうたん島」から、「三国志」、「八犬伝」そして「真田十勇士」と錚々たるラインアップである。そして、比較的新しい「三銃士」では、脚本は三谷幸喜である(まったく見た覚えはないが、「シャーロック・ホームズ」も三谷幸喜脚本)。

脱線してしまったが、他の真田十勇士は登場するのだろうか。
どうせなら、伝統的な十勇士にこだわらず、くノ一を出したらどう?

というか、佐助は女だったとしたら一挙解決(何が?)だけど。

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休刊日

本日、休刊日。

yukimura_NHK_ningyogeki.jpg


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「真田丸」では、真田丸の戦いはどう描かれるだろう

2016-01-09_223235s.png 昨日予告した「歴史秘話ヒストリア~徹底解明! これが“真田丸”だ」について。

NHKは、このドラマを絶対に失敗させないという意気込みでだろう、さまざまなプロモーション(関連)番組を放送しているが、出色なのは、年明けに放送されたこの番組である。

昨年の調査で初めてわかった真田丸の位置(大阪市天王寺区餌差町周辺)、そしておそらくこうであったろうという真田丸の構造、徳川軍が大損害を受けた戦いの様子が、見事に説明されていた。

2016-01-09_223921s.png 真田丸の位置推定は、地下探査レーダーと、終戦直後の米軍の航空写真による立体視での地形確認。
さらに、それによって推定された場所の現在の街の様子から、真田丸の当時の状況―堀、天然地形、建造物(寺)が符合することから、まず位置は間違いないということである。

昨日見た民放の歴史番組でも、真田丸の位置はこの説がとられていた。


そして、この新しい知見により、真田丸の姿、真田丸での戦いの様子が、見事に解き明かされる。
2016-01-09_213307s.png ポイントは、
  • 真田丸の戦いは野原ではなく、町なかで行われたこと
  • 真田丸は既存の寺と天然の断崖を取り入れた構造であったこと
  • 真田側は長距離の鉄砲を保持していたこと
ということであった。


2016-01-09_213352s.png 番組中でも言われていたが、従来は真田丸の戦いのシーンは野原の先にあるむき出しの砦へ向けて、徳川の騎馬・歩兵が各方位から一斉に突撃するように描かれることが多かったが、この新しい説によると、町の建物の間の狭い通りをひしめきあって真田丸へ攻め寄せ、堀に落ち、行き止まり、狙い撃ちされるという戦い(というかなぶり殺し)になる。

そういう状況なのに突っ込んだ徳川軍の将は、あまりに凡愚と思うけれど。
もっとも、初日に1万を超える損害を出してからは、塹壕戦に移行したわけで、そうそう失敗を繰り返したわけではないようだが。


2016-01-09_213540s.png また、番組終盤では、夏の陣がとりあげられ、冬の陣では家康が本陣を置いた茶臼山が、今度は信繁の本陣として、しかも真田丸の再現を狙って整備されたという。冬の陣の真田丸のように、先鋒をはやらせ、手薄になった家康本陣を衝く作戦だったという。

見方の統制がとれない動きのために失敗したわけだが、もし成功していたら、失敗でも家康に肉迫したわけだから、ひょっとしたら家康の首をとったかもしれない。

さて、「真田丸」では、この戦いを野原での戦いとして描くのか、それとも新設に従って町なかの戦いとして描くのか。
その答えは年末のお楽しみだ。

最後に、この新事実は昨年の調査で明らかになったわけだが、この調査はたまたま昨年に行われたのだろうか、それとも「真田丸」が大河ドラマになったから行われたのだろうか。

番組では調査風景も収録されているから、NHKが企画、あるいは何らかの寄与をしたのだと思う。
これも大河ドラマの功である。


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「真田丸」スタート

2016-01-10_211141s.png いよいよ今年のNHK大河ドラマ「真田丸」がスタートした。

ストーリー運びについての私の大胆予想は当たるだろうか。
なんと、予想とは異なり、いきなり武田氏の滅亡から始まった。

私の予想では、武田氏の滅亡は第6話である。ストーリー運びで5回分を跳ばしているわけで、この5回をどこかで稼がないといけない。三谷脚本は多分、歴史に責任を負わなくて良いいろんな創作挿話を入れてくるに違いない。
ところで、私の大胆予想では、第5話で子役と堺雅人が交代するとしていた。つまり、第6話=武田氏の滅亡から本格的に堺雅人が演じるとしていた。このことに限っては大正解である(子役のめどがたたなかったので、5回をカットしたのでは―そんなはずないでしょ)。読者のみなさん、いかがでしょう?

ところで、NHKは、昨年の「花燃ゆ」がコケて、「真田丸」では絶対に視聴率をとろうと考えたのか、年末ぐらいからプロモーション番組をやたら多く流していたと思う。

真田信繁をテーマとしたクイズ番組、真田丸の場所を探訪する番組、「ブラタモリ」と「家族にかんぱい」を合体させて、タモリと鶴瓶に堺雅人を加えた番組…と、二の矢、三の矢の乱れ射ちである。
(そこまでやらなくても、きっと視聴率はとれると思うけれど)

そういうプロモーション番組をみて知ったのだが、この題字を書いたのは、書家ではなくて、左官屋さんだそうだ。
もちろん芸術性に優れた名のある左官屋さんなんだと思うが、NHKから依頼が来たときに、何で?俺書家じゃないけれど?と思ったんだそうだ。(その題字を書く―壁に土を塗り、削るシーンも放送されていたけれど、見事に一発で決めたらしい。)

前に「大河ドラマの功罪」で、大河ドラマが放映されると、その人物・時代・地域がクローズアップされ、きちんとした歴史解説書が新刊あるいは復刻されることが大きな功だと書いた覚えがある。

今回は、それに加えて前述のようなプロモーション番組が多数放映された。
「花燃ゆ」ではこうしたサポーターを作れなかった。いわばNHKは杉文を見殺しにしたわけだが、これも仕方がない。何といっても歴史上の人物としての重みが違いすぎる。思えば、新島八重も、来年の井伊直虎もNHKの歴史番組でとりあげられている。

明日は、その中でもとりわけ意義深いと思われる「歴史秘話ヒストリア~徹底解明! これが“真田丸”だ」を取り上げる。

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顔認証

kaoninshoumynumber.jpg 市役所で、マイナンバーカードを手交する際には、もちろん渡す相手がカード記載人であることを確認しなければならない。これは身分証明書でもあるからだ。

この本人確認は、市役所の職員がカード券面の顔写真と見比べることで行うのだろうが、聞くところによると総務省は、顔認識システムの併用を求めているそうだ。
このため、各市役所の交付窓口あたりには、顔認証システム用のカメラが置かれ、カードを取りに来た人をカメラでとらえ、システムによる本人確認をするようになる。

実際の運用がどうなるかは市によって違うとも言われる。全員に対して顔認証システムを通すのか、怪しい人にだけそうするのか。

他人にマイナンバーカードを渡さない、つまりフォールス・ポジティブを極力減らすという趣旨なら、当然、職員による認識と顔認証システムの認識が一致したときに限って本人と見做すのが正しいはずである。

逆にフォールス・ネガティブを減らしたいなら、職員と機械のどちらかが本人だと判定すれば良い。


しかし、そもそも何か変だ。
普通、顔認証システムって、予め登録されている顔と一致する人物かどうかを判定するためのものだろう。そこでは、警備員が相手の顔を知らないとか、無人ゲートであるとかが想定されている。けど、マイナンバーカードの手交では、カード券面の顔写真とカードを取りに来ている人が同一人かどうか判断するわけで、こんなところに顔認証を使う意義があるのだろうか。

同じ写真を、同じ人物を、職員と機械が見て、本人かどうか判定するわけで、どちらも同じ情報を使っている。
普通、人間と機械の判定が違う場合、他の情報を使って確認するのがスジではないだろうか。

多くのサービスでは、たとえば、生年月日がすらすら言えるとか、同居人を正しく言えるかとか、あるいは他に持っている証明書等の提示を求めるとかの対策をしている。

そして、マイナンバーカードの交付にあたっては、カード券面の写真による顔のチェックだけでなく、マイナンバーカードの交付通知書、通知カード、さらに運転免許証等の身分証明になるものの提示が必要とされるらしい。これを全部そろえられて、しかも顔がどうやら本人ぽいとなれば、誤交付っていったいどのぐらい起こるんだろう?

それに顔認証だけだと、顔が似ているということでだまされることは排除できないだろう。
前にも書いたけれど、パスポートの偽造はあまりなく、顔が似ている他人のパスポートを使うというケースが多いという。
ところで顔写真付き身分証明といえば住基カードでもOKなのだけれど、住基カードは役所に返却となるそうだ。500円払ったのに取り上げですか?


「顔認証システムの併用により厳格な本人確認を行う」というのは、顔認証システムの能力や使い方を知らない人の科白というか、穿った見方をすれば、それは承知の上で「高いセキュリティ」とやらを印象づけるための宣伝なのだろう。(あぁこの宣伝費も税金だ)

ところで私はスマホの顔認証機能も使っている。暗いところや、顔の角度によっては認識しないこともたびたびである。顔が認識されなければ、手でパスを入れる。
こちらはフォールス・ネガティブ対策である。

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マイナンバー・アイソレーション・ブース

いよいよ運用開始となったマイナンバー
私は前から、制度設計、システム設計が悪いんじゃないかと書いてきている。
悪いと感じる一つの要因は、活用と情報保護に対する一貫性というか、ポリシーが曖昧なことだと思う。

いろんなサービスに活用しようという一方で、マイナンバーは大事なものだから妄りに教えてはならないし、知った人はそれを鍵をかけて厳重に管理しなければならないという。
で、それぞれの方向で、首を傾げる活用法が言われたり、やたら厳しいセキュリティ対策が求められる。

前者の代表は、マイナンバーカードを企業等の社員証にしたら良いというもの。見ただけでは社員かどうかもわからないカードが社員証になるんだろうかと思う。また、マイナンバーカードに組み込まれる電子証明書を使ってネット上での本人確認に使えば良いというけれど、JPKIを使うのか、無記名の証明書を使うのかどっちなんだろう。

そして後者の代表は、何を守るべきかがはっきりしないまま、とにかくセキュリティ技術をありったけ使えば良いとでもいうような話。で、とうとう、ネットにつながってたら情報漏洩の危険がある、マイナンバーを扱う情報システムはインターネットにつなぐな、他のネットワークと分離せよなどという、そんなことしたら仕事が回るんだろうか? ということまで言いだしているらしい。

今日は、この最後のネットワーク分離について考える。

私は、そもそもマイナンバーは名前と同じに考えて、名前入りの情報を扱うのと同等の注意を持って扱えばそれで良いと考えているから、そもそもネットワーク分離してまでセキュリティ対策をする必要はないと思っている。それに、マイナンバー自体は特別な意味はなく、他の情報とセットになるから意義があるわけで、その「他の情報」とは従来からある情報システムに由来するわけだから、なんらかの方法でマイナンバーを扱う事務と情報交換しなければならないのはアタリマエである。そこでネットワークを分離していたら、どうやって情報を受け渡しするのか。結局、オフライン媒体を使えというのだろうか? それってアブナイのでは?

とはいうものの、こういう理不尽とも思える指導をする側は国家権力だから、やっぱり従わざるを得ない。
そこで、これが一番安上がりだろうという方法として、標題に書いた「マイナンバー・アイソレーション・ブース」(特定個人情報処理室)というのを考えた。
mynumberisolation.png
マイナンバー入り情報(特定個人情報)が流れるメインの流れは、給与・報酬等の支払に付随する税・社会保障の源泉徴収にかかる部分である。つまり外部提供する部分。
前にも少し書いた覚えがあるが、マイナンバー・アイソレーション・ブースというのは、従来の社内システムとは別に、特定個人情報を外部へ提出するためのブースである。ここでマイナンバーを付加して外部提供すれば、社会的な役割は果たしたことになるはずである。

マイナンバー騒ぎで、会計システムや人事給与システムなどは、マイナンバーを記録できるように改修されているだろう。昨今は、これらのシステムをスクラッチ開発しているところは稀で、ほとんどの組織がパッケージを利用しているに違いない。つまり、パッケージ・ソフトもマイナンバー対応を謳ったものになっているだろう。
そして、私はこのマイナンバー対応パッケージを使っていても、マイナンバーを記録する部分には、マイナンバーを入れず、従来の社内で利用していた個人識別番号を入れておいたら良いだろうと思う。
パッケージ・ソフトは、税当局等への報告データもまた出力するだろうから、そのパッケージが作成する報告データにはマイナンバーは入っていないわけだ。

このパッケージ生成データを、オンライン・ストレージか媒体へ記録して、マイナンバー・アイソレーション・ブースでこれを読みだす。そして、マイナンバー・アイソレーション・ブースには、社内で利用している個人識別番号とマイナンバーの対応表を用意して、外部提供の直前に社内個人識別番号をマイナンバーに変換するのである。

こうした処理は余程の大組織でない限り、PC1台で、ExcelかAccessでマクロを書けば十分できるだろう。


外部(税当局等)への提供はファイル単位のはずだから、これでも円滑なデータ引き渡しができるだろう。
もし、個々の個人情報をリアルタイムでやりとりするのなら、どうしてもネット接続が必要となるだろうが、そうだとしてもアイソレーション・ブースを作っておけば、セキュリティ対策をしやすいはずである。

また、外部からの照会があるかもしれない。「このマイナンバーの人の情報を教えてください」である。
こうした場合も、マイナンバー・アイソレーション・ブースで対応する。
社内システムへアクセスする端末をブースに置いておくだけでも良いだろう。照会件数が少なければこれで十分対応可能。
大量に照会があるとか、即時応答が要求されるなら別途検討が必要だが、この制度でそれはないだろう。

こういう方法だと、マイナンバーは既存システムでは一切扱えないことに不安を感じるかもしれない。新しい法制度、システムでマイナンバーを使う必要が出てきた場合、既存システムはマイナンバーにアクセスできないから、それが制約になるのではないだろうかという不安である。

しかし、その不安は本末転倒である。本当にマイナンバーの利用秩序をきちんとしようというなら、使うかどうかわからないマイナンバーを既存システムに置くことの方が問題である。マイナンバーはその使い方が法令等によって、厳密に定められていることが前提という以上、ひょっとしたら使うかもしれないというような思いで、安易に既存システムに記録することは慎まなければならない。情報流通を法的根拠により確実にコントロールする、それが情報管理の要諦である。不安だからあちこちに置いておくなどということをしてはならない。

このあたり、つまり、いつ、どこからどこへ、どんなフォーマットで情報を渡すかを具体的に示さないで、セキュリティ技術の導入やネットの分離といった弥縫策(敢えて言う、これらは弥縫策だ、しかも金のかかる)をいくらやっても現実から遊離したものしかできず、結果、事務を滞らせ、裏口・抜け道(つまりセキュリティ・ホール)を使わなければ仕事にならないという結果が見えてくる。
ひょっとすると年金機構の情報漏洩も同様だったのかもしれない。年金機構は、セキュリティ対策として、ネットワーク分離はしていなかったけれど、基幹システムを厳重に管理していたらしく、職員は使い慣れたOA環境(インターネット・リーチャブルな)に情報をもってこなければ仕事にならなかったのではないか。


ところで、通常の企業等ではこの方法で問題はないけれど、市町村の場合は、住民登録がマイナンバーの発番管理に関わっているため、住民登録システムに関しては、こういう対応では済まないと考えられる。以前に書いた「名寄番号」のような発番管理であれば、そんな心配はいらないのだけれど。
今更だけれど、なぜ発番管理に住基ネットワークを使わなかったのか、これも実に不思議なことである。

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自動車間維持装置

このところ、週2~3回は、自宅と宇治を往復している。
前にも書いたように、ルートは第二京阪側道、京滋バイバス側道を使う。
特に第二京阪側道は、60km/hの走りやすい道で、信号はあるもののそうそう細かく止められるわけではない。

なので、私が走る区間は7kmちょっとしかないけれど、普通は高速道路で使うレーダークルーズコントロールを有効にしてみた。(以前のレーダークルーズコントロールの記事)

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私の車(プリウス)のレーダークルーズは、48km/h以上の速度が出ていればセットできる(48km/h未満だとセットしようとしても無視される)。それで、50km/h近くまで速度が出たら、すぐにクルーズセットのレバーを押し下げて、その速度での設定を行う。そして直ちにレバーを押し上げて目標速度を高めにする(軽く押し上げれば1km/h単位、長く押し上げれば5km/h単位で速くなる。逆に押し下げれば同じきざみで遅くなる)。

IMG_20160106_162254s.jpg また、地道を走るときには、車間距離が広いままだと割り込まれそうなぐらいの車間になるので、調整ボタンで車間距離を短めにする(「広い」、「普通」、「狭い」の3段階ある。起動直後は「広め」で設定される)。これはレーダーレディになっていれば、クルーズがオフの状態でもできる。

このように使えば、車任せで、先行車のスピードに合せて、車間をほぼ一定に保ちながら、走行することができる。
いってみれば自動的に車間を維持して前車に追随するわけだ。

前車が速度を落とせば自動的にこちらも速度が落ちる。レーダークルーズは40km/h以下になると自動的に解除される(解除警告音が出る)けれど、赤信号などが見えれば、レーダークルーズに任せず自分でブレーキを踏むほうが早めに、そしてゆとりをもって減速できて良い。

レーダークルーズを使っていると、ぼんやりして前車が速度を落としたことに気づかず、あわててブレーキを踏むというようなことにならないで済む。そういう時は車が勝手に減速するから、そこでイヤでも気づくし、それからブレーキを踏んでも十分間に合う(踏まなくても緊急ブレーキが作動するはず)。

地道で使うことは、この装置の利用法としてはちょっと外れているのかもしれないが、安全装備としての意義はあると思う。
もっと低速でも作動し、ドライバーをサポートしてくれるとありがたい。

ただ、プリウスのレーダークルーズは加減速が強い。精神的にも良くないが、燃費も悪くなるのでは。前にも書いたように加速度の設定ができて、もっとマイルドな加減速ができると良い。


世の中は、まもなく自動運転車が出てくるだろうと予想されている。一方、車に任せることに不安を感じる人もいるだろう。しかし、安全装置だと思って、自動運転に頼るのではなく、最後には頼む、という態度であれば、そう違和感はない。
とりわけ、私のような年配だと、自動運転車はとてもありがたいわけで、早く実現してもらいたいと思う。

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ニューイヤーオペラコンサート2016(その3)

2016-01-04_212115.png 今年は、去年は1曲もとりあげられなかったモーツァルトがあった。
コンサートでは、天才シェイクスピア原作のオペラに続けて、音楽における天才としてモーツァルトへとつないでいた。

私は、オペラなら何でもというファンじゃなく、モーツァルトのオペラが好きなわけで、ワーグナーは願い下げだし、近代作品は「ヴォツェック」なんかもしっくりこない。

今年取り上げられたのは、ドン・ジョバンニから"みんな楽しくお酒を飲んで"と"お手をどうぞ"、コシ・ファン・トゥッテからフェランドのアリア、最後に後宮からの誘拐のフィナーレ。

(ドン・ジョバンニ:高田智弘、ツェルリーナ:嘉目真木子)


2016-01-04_212455-crop.png おもしろい趣向はドン・ジョバンニ。"お酒を飲んで"は第二幕で、"お手をどうぞ"は第一幕の曲であるわけだが、今回の演出では、順序を逆転させて、これから女をものにしようという歌("お酒を飲んで")に続いて、ツェルリーナを口説く歌("お手をどうぞ")という流れになるわけである。

原作では"お酒を飲んで"の後、舞踏会に招待したツェルリーナを、歌を歌うこともなく、強引にものにしようとするわけだが。

オペラはもちろん台本に合せて作曲されるわけだが、逆にオペラの楽曲をうまく使って、全く新しいストーリーの作品を作れるかもしれない。

ちょっと考えてみた。
"お手をどうぞ"に続いて、オリジナルではドンナ・エルヴィラがドン・ジョバンニの邪魔をするわけだが、そうではなくて第二幕の舞踏会のシーンでドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィラ、ドン・オッターヴィオがツェルリーナを救い出す(ドン・ジョバンニの邪魔をする)場面を持ってきて、ドン・ジョバンニが「今日はうまくいかない」と悔しがる。
そこへ騎士長の声がする・・・

2016-01-04_212910-crop.png いや、いっそ、他のオペラも混ぜ合わせて、騎士長じゃなくて夜の女王が出てきて、お前があの娘を助けるのだと歌うというのはいかがか。
(ああ、収拾がつかない)

「コシ・ファン・トゥッテ」は、ベートーヴェンが不埒と批判した「ドン・ジョバンニ」よりも、題名からして、さらにおふざけだと思うが、他愛ないからそういう批判には合わなかった。というか、「ドン・ジョバンニ」の音楽の方がベートーヴェン的な要素があって、それが強姦魔のドラマに使われていることが気に入らなかったのではないだろうか。ベートーヴェンのオペラといえば「フィデリオ」なんていう貞節のかたまりだから。

(フェランド:望月哲也)


「後宮からの誘拐」のフィナーレは、出演者は扮装はなくて、"Viva! MUSICA"という文字を掲げていた。

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そしてコンサートの幕。
最後はシュトラウスⅡ「こうもり」から、"ぶどう酒の燃える流れに"。

やっぱり最後は去年同様、酒でした


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歌い出しは中島彰子(中央)。


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ニューイヤーオペラコンサート2016(その2)

2016-01-03_223050.png 昨日に続いてニューイヤーオペラコンサート。昨日稿で、今年はシェイクスピア没後400年が取り上げられていたと書いたので、今日はその様子を記事にとどめておこうと思う。

コンサートで取り上げられていたのは4作(4曲)。
まず、グノー「ロミオとジュリエット」。森麻紀さん。
さすがに華がある。知り合いが、この人50歳を超えてるって信じられん、と言っていたが、その通り。

このときジュリエット14歳だったのでは。
う~ん。熟女の色気とは違うのだけれど、まぁ、いいか。歌詞との落差は大きいけど。


2016-01-03_223459.png 2曲目は、ソロではなく合唱で、ベルリオーズ「ベアトリスとベネディクト」。
ベルリオーズといえば「幻想交響曲」ぐらいしか聴かない。せいぜい「ローマの謝肉祭」、「イタリアのハロルド」ぐらい。
あらためて作品を調べると、劇的交響曲「ロミオとジュリエット」というのもあるらしい(聞いたことない)。

そして、この「ベアトリスとベネディクト」。この曲も知らなかったが、シェイクスピアにそんな題名の作品があったか?と思って調べると、「空騒ぎ」を下敷きにしてベルリオーズが書き下ろしたという説明がWikipediaにあった。もっとも「空騒ぎ」は題名は有名だけれどこちらも良く知らないのだけど。

2016-01-03_225513-crop.png 3曲目は、ヴェルティ「マクベス」。
この歌手・小川里美さんはなかなか迫力があって、コンサート全体を引き締める効果もあったと思う。

「マクベス」は手塚治虫の「バンパイヤ」という漫画でも下敷きに使われている。主人公の敵役は間久部六郎といったと思う。「マクベス」と同様、三人の魔女も出てくるし、「お前は人間には滅ぼされない、人間でないものにも滅ぼされない」というのは、「マクベス」の「お前は女が生んだものには滅ぼされない」のパラフレーズ。
また、私はケネディ暗殺直後に出た「マクバード」という演劇の脚本も読んだことがある。もちろんこれも「マクベス」が下敷きである。


2016-01-03_230723-crop.png 最後に、同じくヴェルディの「オテロ」。
砂川涼子さんのデスデモーナ。

オセロというゲームがあるが、昔、コンピュータにオセロのプログラムを書いたとき、コンピュータの名前をオセロにして、人間側をデスデモーナにした覚えがある(全然、シェイクスピアともオペラとも関係ないけど)。


ヴェルディから2曲とりあげられたわけだが、ヴェルディはこのほかに「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作とする「ファルスタッフ」というのがあるそうだ(私は聞いたことはない)。

ミラノへ行ったときにガイドさんから聞いた話だけれど、イタリア統一運動の結果、初代国王となったビットリオ・エマヌエーレⅡ世(Vittorio Emanuele Re d'Italia Ⅱ)の頭文字をとるとVERDI(ヴェルディ)となる。"Viva! Verdi"はイタリア統一運動のシュプレヒコールでもあったとか。なお、ミラノのドゥオーモへ至るメインストリートは「ビットリオ・エマヌエーレⅡ世通り」という名前である。


シェイクスピア作品を原作とするオペラはWikipediaで検索すると11以上はあるらしい。しかし、シェイクスピア原作オペラというのはそうしょっちゅう演奏されているように思わない。オペラ化されたものも、原作を忠実に追うというより、特定の人物やシーンに焦点を絞ったようなのが多いのじゃないだろうか。

ところでシェイクスピアの劇作品は人間を描くと評されるように思う。そしてモーツァルトもその天才である。
といっても、シェイクスピアのように内省的・哲学的にというのではなくて、直截的にというか、動物行動学的に。
これはやはり、語り中心の劇と、音楽中心のオペラの差でもあると思う。

モーツァルトにはシェイクスピアを原作とするオペラはないわけだが、モーツァルトの蔵書にはシェイクスピアがあり、モーツァルトはシェイクスピアも読んでいたはず(オペラ台本として考えていた?)いう話もある。もう少し長生きしたら(最晩年のイギリス行きを断ってなければ)、シェイクスピア原作モーツァルト作曲のオペラがあったかもしれない。

そして昨年は1曲も演奏されなかったモーツァルトが今年は取り上げられた。

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ニューイヤーオペラコンサート2016(その1)

2016-01-03_224849.png 昨日取り上げたウィーン・フィルのニューイヤーコンサートと同じく、正月恒例のNHKニューイヤーオペラコンサート。これも昨年に引き続きブログに取り上げる。

お気に入りの幸田浩子さんは出ていないのが少しさびしい。

今年見ていて、NHKホールにはオルガンがあったんだということを思い出した。
NHKホールが出来たとき、このオルガンもそれなりに喧伝されたように思うけれど、あんまりオルガンを活用した催しというのは記憶にない。
ただ、NHKホールというのは演奏者の評判が宜しくないと聞いたことがある。自分の出している音がステージでは聴きにくいという評価である。なので、上手な歌手が音痴のようになったりするんだという(ポピュラーではモニターイヤフォンを耳にしている姿を良く見かけるが、これもそれが理由なんだろうか)。

suzukimasatoNYopera2016.png それはさておき、オルガンである。

鈴木優人というオルガン奏者により、即興演奏、近代オペラのフィリップ・グラス「サティアグラハ」に合わせたオルガン伴奏による創作バレエ、そしてグルック「オルフェオとエウリディーチェ」から"精霊の踊り"。
オルガンの音は結構な迫力。NHKホールでは舞台に向かって右手に演奏台があって、そこにパイプ状のものが並んでいるようだが、ここから音が出てるんだろうか?(楽友教会の舞台後ろのパイプは伊達だと聞いた)

2016-01-03_224728-crop.png "精霊の踊り"は、やけに甘ったるいフルートだったけれど、オルガン伴奏で聞いたのははじめてである。
フルートとオルガンは、エア・リードという共通の発音機構を持つ。だからかもしれないが、音が溶け合うように思った。

今年のコンサートのテーマは「ライフ・イズ・ビューティフル~いのちの輝き~」となっていたが、今年はもう一つのテーマがあった。
シェイクスピア没後400年である。

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ニューイヤーコンサート2016

NYconcert2016_Openings.png 年の始めの恒例、ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート。

例年だと、家人の実家に居ることが多いので、ライブではなくてビデオを録っておいて後から見るのだが、今年は自宅で一人なので、ライブで見ることができた。

今年の指揮者は、マリス・ヤンソンス、ニューイヤーコンサートは3回目だそうだ。
そしてヤンソンスの希望で、オープニングは「国連行進曲」。
NYconcert2016_Jansonss.png ニューイヤーコンサートといえば、シュトラウス・ファミリーあるいはその時代のウィーンのポピュラー音楽だと思っていたから、シュトルツのこの曲がオープニングと聞いて、びっくりぽん。一瞬、国連は国際連盟じゃないかと思ったが、そうではなく、やはり国際連合である。国連創設70周年ということでとりあげたらしい(国際連盟も1920年だから、シュトラウスの時代からは一世代遅くなる)。

今更だけれど、今年目立ったように思ったのは、ウィーン・フィルに女性楽団員の姿が随分増えたこと。以前は、女性は全くいなかったと思う。

ベルリン・フィルも昔は女性団員はいなくて、カラヤンが入団させようとしたクラリネットのザビーネ・マイヤーでもめたことがあった。女性ということが理由とはされていなかったらしいが、実際のところはどうだったんだろうか。
私が中学のとき、男子ばかりの吹奏楽部に入りたいと言った女子がいたのだけれど、学校側は認めなかったということがあった。それから数年もすると女子が入るようになったのだけれど。

NYconcert2016_ROLEXs.png ところで、ライブ中継が始まると、最初に目にしたのが"Presented by ROLEX"。
天下のNHKで、堂々と企業CMが流れたわけだけれど、これって前からあったっけ。
もっとも、コンサート自体のスポンサーがROLEXみたいだし、モザイクかけるなんて無粋なマネはできないだろうけど。

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初詣

IMG_20160101_100436.jpg 大晦日から元旦にかけて、婿殿が来てくれたので、あまり慶祝気分のない正月だけれど、初詣にいくことにした。

例年は、家人の実家の方へ行っているので、そちらの神社に初詣に行くのだけれど、今年は地元の神社―月読神社に初詣。
前にも行ったことはあるものの、随分ご無沙汰。

このあたりは奈良時代に宮城警護の任務をおおせつかっていたという大隅隼人が集住した土地と聞いたことがある。現在の地名は大住である。で、この神社も奈良時代以前からあり、大隅隼人が守っていたという。由緒正しい式内社である。

IMG_20160101_102004retouch.jpg 永い歴史の間に、戦乱にあったりして、かなり荒れたこともあったようで、決して威容を誇る神社ではなく、今では、訪れる人も地元の人ばかりであろう。新住民の私も行くところもないので、お邪魔をさせてもらった。

あらためて境内を見てみると、能の宝生流の発祥地という碑があったり、伊勢神宮や八幡(石清水だろうか)、稲荷(伏見だろうか)、などの遥拝所という碑も立っている。また、池には弁財天が祭られていたりする。なんとも、統一感に欠けるような気もする。
(右の碑の写真は、完全な逆光状態でスマホで撮影したものを、レタッチソフトで輝度・コントラストを調整して、碑文を読めるようにしたもの。)

IMG_20160101_101632s.jpg そして、賽銭箱にこんな警告が書かれていた。

夜になると100Vの電流が流れ、ふたを開けるとベルが鳴り警察にすぐ連絡が行くようになっています。

お金は、毎日出しています


今年行くと、以前はなかったと思う拝殿が新築されていた。私が知らないだけで、案外、地元の人の喜捨は多いのかもしれない。

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年越し酒

今年は、事情があって自宅で年越し、年賀状も出さずに閉塞状態。

慶祝気分はまったくないけれど、昨年結婚した娘が婿と大晦日から来てくれたので、一緒に年越し。
「ろくなもの食べてないでしょ」という娘のおかげで、てっちりと年越しそば。

IMG_20160101_174451.jpg 婿殿に出せるのは酒ぐらいなもので、てっちりには私が日本酒のデフォと思っている「大七純米生酛」のぬる燗、食後には、近所の人からもらった茅台酒。アルコール53%となかなか。

グラッパのような感覚に、紹興酒のような後口がついている。
ただし、強烈。チェイサーが必要。

このお酒をいただいたとき、釣魚臺って、尖閣諸島のことでは!?、これは何か政治的意図のあるネーミングでしょうか?と言ってしまったが、説明では、釣魚臺というのは迎賓館の名前だそうで、それなりの高級酒のブランドだという説明だった。

長い間しまっておいたもの。何か機会がないとなかなか封を切れない。
来年は、旅の土産に買ったけれど封をあける機会がなかった、Glenfidich 15年(50%)をやってみようか。

いやいや、それより親が遺した、ナポレオン・ブック、サントリー・オールド大阪万博(EXPO '70)記念ボトルは、いったい、いつあければ良いのだろう。(年越しどころか、何年越しなんだ?)

IMG_20160101_232215.jpg

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます

とは言ってみたものの、実は、今年は未だ年賀状を出していない。出そうかどうかも迷っている。
例年、年賀状を出す相手で、このブログを読んでくれている人は、多分1人しかいないと思うから、ブログ上で年賀の挨拶をして代えるというわけにはいかないのだけれど、ブログからご挨拶。

さて、今年の干支は丙申。
サルの話題は本ブログでも何度かとりあげているけれど、今日は、絵本のサルの話。
だいたい私は、長じてからは、科学的な裏付けがない話は遠ざけるようになった。ケダモノはケダモノとして価値があって、擬人化して美しくする必要などは微塵も認めない。

rocketkozaru.jpg ではあるけれど、小さい頃は動物を主人公とする絵本も読んでいた。
今日は、干支にちなんで「ろけっとこざる」。

これは私は小学校2年ぐらいのときに親から与えられた覚えがある。
実は、これに先立って「ものまねこざる」という本があるのだけれど、これは読んでいない。だから、「ジョージ」(さる)と「きいろいぼうしのおじさん」の出会いのことも知らない。第2作を読んだわけだ。

今、そのストーリーや絵を思い出しながら書いているのだけれど、博物館(館長はわいずまん博士)で、つくりもののバナナをとろうとして、だいのそうるの標本をだめにするシーンとか、インクで床を汚し、それを綺麗にするために家じゅうを洗濯してしまう話、その過程で牛にポンプを引かせるシーン、そして最後にろけっとに乗って、みんなが「じょーじ、ればー(ぼたん?)を」とはらはらさせ、結局は無事に地球に戻る話など、案外、いろんな場面を覚えている。

子供向けで、説明的でないところが、かえって子供の想像をかきたてる本だったと思う。それに、絵もあたたかい。

原題は"Curious George"で、アニメにもなっている。気が付いたら、Amazonプライム・ビデオで、配信されている。

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六二郎。六二郎。


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