名刺認識アプリ

camcartlite_ico.png いよいよ明日から新年度、人事異動で名刺交換の頻度が高くなる。
名刺というのも結構かさばるもので、今の職場ではあまり名刺交換はしないから助かっているけれど、以前は年間300枚ぐらいは交換していたように思う。

Screenshot_2016-03-23-13-33-42.jpg で、スマホを使うようになってから、名刺認識アプリのお世話にもなっている。
名刺を写真にとって、OCR処理をするアプリのことである。

はじめのころ、無料で出ているこの種のアプリは、認識力も低いし、使い勝手も悪かった。納得できる程度になったのは、タブレット(SH-08E)にプリインストールされていたメーカー製アプリだったので、そのタブレットでは結構、名刺を読み込ませていた。
そのため、スマホではこの種のアプリは使っていなかった。

しかし普段持ち歩くスマホにこの機能があるほうが便利であるから、久しぶりにアプリの状況をチェックしてみた。
名刺を写真にとって、OCR処理をしてくれ、連絡先をGoogle連絡先に登録してくれるもので、無料のものが希望である。

中には、画像を送って人間が認識するサービスがセットになっているアプリもあるが、これって気持ち悪い。


いろいろネットであたってみたところ、
"CamCard Lite:名刺管理・日本語他16言語対応"というアプリが良さそうである。ネットの評価もまずまずだが、無料版だと200枚しか読まないとあった、まぁ、テストだけなら、ということでこれを使ってみることにしたところ……
Screenshot_2016-03-23-13-33-58.jpg

【NEW!名刺登録枚数無制限!】これまで名刺登録枚数を200枚と制限しておりましたが、2015年7月9日より無制限となりました。

とある。

使ってみると、これはなかなか良い。
写真を撮るのはもちろん簡単だし、文字認識もまずまずである。

Screenshot_2016-03-23-13-34-33.jpg 登録先がいろいろ設定でき、Google連絡先を指定することもできる。認識結果を保存すれば、Googleにも登録されるわけだ。

前に使っていたのでは、認識後に手作業でGoogle連絡先への登録指示を行っていた。

あとは、Google側で、グループ指定など、所要の微調整・微修正を行えば良い。

ローカルには名刺画像も保存しておけるようだが、その中央部分を円形にトリムしたものが、Google連絡先では顔写真として登録されるようだ。これも名刺画像をそのまま登録してくれればありがたいところだが。
また、名刺の裏も写真をとって置いて、表とセットで管理できるようだ。
ただ私はローカルに置いておくような使い方はしない(Google連絡先で十分)から、この機能は使わない。しかし、表裏をセットで管理できるのは、便利だろうと思う。

右には操作過程のスクリーンショットを並べておく。あたりさわりのない店の名刺をテストに使っている。


アプリ、とりわけスマホのアプリは、欲張っていろんな機能を用意するより、本質的な部分をきっちりと作って、あとは他のアプリやサービスに任せるのが良いと思う。

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インスタントって塩辛いのでは

引き続いてインスタント食品の話題。
といっても、今日は、どういう名前のジャンルになるのか知らないけれど、一手間が前提となる調味食品。

nipponham_yapposai.jpg 独り暮らしが続くと栄養バランスも気になるし、手間も面倒、それに一人分を作ると言うのは結構難しい。
そんな中、スーパーで、白菜を加えるだけで八宝菜ができるというものを見つけた。
そんなに気楽なら一度使ってみようと考えた。1袋は2人前とのことだが、漬物などをのぞけば他におかずがあるわけじゃないから、2人前で作っても多すぎるということもない。

たしかに簡単にできあがる。具を袋からとりだして、白菜の芯の部分を加えてフライパンで加熱3分、つづいて別袋のスープ(うずら卵入り)と白菜の葉の部分を加えて1分加熱。実に簡単である。

しかし、塩辛い。

pic_awase013_package.jpg 八宝菜用の合わせ調味料というのを以前試したことがあった。このときは具材は別に用意したわけだが、これも塩辛く感じた。

そういえば冷凍食品も多くは塩辛い。
前述の調味料のようなものなら使い方の工夫(ひかえ目)で何とかなるかもしれないが、チンして食べるような冷凍食品で塩辛いともう何か他の手段で塩辛さを緩和するしかない。たとえばサラダを工夫するとかである。

私は、薄味派だとは自分では思っていない。家人からも塩辛いのも平気なように思われていた。
その私が塩辛いと感じるのだから、これはやっぱり塩辛いんだと思う。

織田信長が上洛したとき、京で一番という料理人によるお料理を食べて、こんなものが喰えるかと怒ったという話を聞いたことがある。このとき料理人、あわてず騒がず、料理を一旦下げて、次に見た目は同じ料理を信長に進上したところ、信長はいたく満足したという。
件の料理人、出した料理のすべてに塩を足しただけだったということである。

思うのだけれど、塩を足すのは簡単なんじゃないだろうか。
こういう食品(調味料)を作るメーカーは、塩味を控えめにして、作るときに好みで塩を足すようにすれば良いと思うのだけれどどうだろう。

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10分どん兵衛

2016-03-25_130818.jpg 昨日に続いてカップめんの話。
巷で話題になっている「10分どん兵衛」を試してみた。

職場の昼食、昼休みを5分フライングして熱湯を注ぐ。
5分程して。

私: 10分どん兵衛って知ってるか?
職員A: やりました。やってみましたが、全然おいしくなりませんでした。
私: 今、それを言うか!?
職員X: 墓穴掘っとるな。
職員B: やりました。おいしいとおもいました。
職員X: ナイス・フォロー、Aを踏み台にして出世する気やな。

IMG_20160325_115637.jpg 私: 7分半でやめとこかな。
職員B: やはり初志貫徹がよろしいのでは。
私: そやな。


さらに5分経過しておもむろにフタを剥して……

私: Aがまずいと言って期待を抱かせんようにしてくれたおかげで、悪くないと思えるわ。


IMG_20160325_120502.jpg 以上、最初の「10分どん兵衛」の顛末。

一言で感想を言うと、
「食べ終わりの頃の味を はじめから」である。

そもそも10分お湯で戻したからといって生めんになるはずはない。というか、昨日も書いたように、私はインスタント・ラーメンがラーメンとは別ジャンルの食品であると考えているのと同様、インスタントうどんも、うどんとは別ジャンルの食品であると考えている。
また、一部に10分どん兵衛のデメリットとして、さめるというのがあるようだけれど、私としては十分の温度を保っていると思う。これはあたらないと思う。

どん兵衛のあのうどんだから、これだけの長時間熱水に堪えるのだと思うが、カップヌードルだったらどうなんだろう。

私: (職員Xに)カップヌードル食べとるやないか、6分ヌードルやらんのか!?
職員X: 機会がございましたら、試してみとうございます。
(ウソや)


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インスタント・ラーメン考

sukiyanenn_fukuro2-crop.jpg このところインスタント・ラーメンのお世話になることが多い。
弁当を作ってくれていた家人が暫くいないので、そういうことになっている。

弁当代わりにするのはカップ麺だが、家で作るのは袋麺である。
袋麺の場合は、麺を茹でるお湯に、残り物の白菜やベーコンなどを入れてから麺を投入するようにしている。やはり一人暮らしだと野菜の摂取が気になるから、気休めかもしれないが一手間かける。

ところで、昔から私はラーメンとインスタント・ラーメンはジャンルとしては別のものと考えていて、インスタント・ラーメンはラーメンの味がする・しないで評価することはない。
高級なインスタント・ラーメンで「生麺のような」というようなのがあるけれど、これに価値を見出さない。それにだいたいこういう商品は前述の「一手間プラス」というような手間では済まないのが普通である。
麺を茹でるお湯と、スープを作るお湯を別にするなど、インスタントの風上におけない。
手間を惜しまずということになるなら、いろいろ出回ってる生タイプのものを使えば良い。値段も高級インスタントととそう変わらない。これにちゃんと焼豚やメンマを加えればよろしい。

cup_noodle_ex.jpg 職場ではカップ麺に限るわけだが、これについても袋麺とカップ麺は別だと思う。
袋麺のシリーズをカップにしたという商品、つまり袋麺の商品名を冠した商品はよろしくない。鍋で加熱するわけにはゆかないカップ麺を袋麺に近づけようという努力はむなしいのではないか(チキンラーメンは例外、そのまんまだから)。
一定の評価を得ている袋麺の名前で消費者を惹きつけようということなのかもしれないが、そこで袋麺の味を再現しようとするのは、制約でしかなく、カップ麺としての味が犠牲になるような気がする。

カップ麺は、熱湯を注いでできあがるカップの中味がすべてである。やっぱりカップ麺の嚆矢であるあの一品の方向で追究すべきだろう。

ところで、藤子不二雄のマンガに、いつもラーメンをたべているお兄さんが出てくるが、これって、ポパイに出てくるいつもハンバーガーを食べているおじさんからの発想なんだろうか。

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「戦国武将の実力」

sengokubusho_no_jitsuryoku.jpg 小和田哲男「戦国武将の実力―111人の通信簿」の感想。

この本は「武将名鑑」というか、事典のようなものなので、感想というようなものは特にない。
111人の武将をとりあげて、簡単な経歴・業績などを紹介しているわけだが、副題に「通信簿」とあるように、先見性、統率力、教養、実行力、企画力という5つの面をそれぞれ5段階評価している。

また、著者が「はじめに」でことわっているように、戦国武将の人数というのは、その定義が曖昧だから、数字をあげることはできない。「信長の野望」では100人ぐらいの武将が登場するようだが、本書にとりあげられていない武将もいるようだし、その逆もあるらしい。

「真田丸」で惜しまれつつ殺されて終わる室賀正武は残念ながら取り上げられていない。また、来年の大河ドラマの井伊直虎も取り上げられていない。


5つの評価軸もゲームだったら、知力、攻撃力、防御力などとなるのだろうが、歴史家としては先見性があるかどうかというのは結構ウェイトが高いのかもしれない。

sengokubusho_no_jitsuryoku_yukimura.jpg 戦国ファンの便宜のため、本書にある小和田先生の採点をファイルにしたので、興味のある方はどうぞ。
(CSVファイル、ただし拡張子はtxtになっているので、ダウンロード後ファイル名を変更のこと。下の表画像クリック)

2016-03-25_150751.jpg

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喫煙シーンがあったら18禁

romanholidaytobacco5-zitter.jpg 新聞のコラムで、WHOが喫煙シーンのある映画を「成人指定」するよう勧告したという話を読んだ。
 世界保健機関(WHO)は2016年2月1日、喫煙シーンのある映画やドラマなどが若者の喫煙を助長しているとの調査結果を発表し、各国に「成人向け」に指定する措置を取るように勧告した。
 WHOは、世界中でたばこの広告規制が強まる一方で、映画やドラマなどでは喫煙シーンが規制されていないと指摘。さらに、米国で新たに喫煙を始めた青年の37%が、映画やドラマをきっかけとしてタバコを吸い始めたという調査結果を引用し、各国政府に「たばこ関連映画の鑑賞に関する年齢制限を設ける」「喫煙シーンのある映画上映前に禁煙広告を表示する」といった対策を講じるよう勧告した。

vlcsnap-2016-03-23-09h23m05s175.png 昔の映画などをテレビで放映するとき、放送禁止用語が使われていると、そこでチンとか鳴ってセリフが消えることがある。
ということは、これに倣って、喫煙シーンではモザイクがかけられたり、たばこを吸わないようにしようというCMが流されたりするのだろうか。

これに関係しては、前に「タバコと映画」という記事を書いたけれど、喫煙シーンといえば、やはり「カルメン」を忘れることはできない。
vlcsnap-2016-03-23-09h20m36s175.png

またまたオッターのカルメン、馬鹿の一つ覚えと言う人もいるだろうけれど、しつこく喫煙シーンを集めてみた。
(1枚を除いて、ギャラリーには入れていない写真)


カルメンは、タバコ工場の女工という設定であるから、カルメンはもとより、他の女工もスモーカーである。
酒場のシーンでは、当然のごとく、喫煙シーンがある。

これからはカルメンを上演するときは18禁ということになるかもしれない。
Carmen004s.png

たばこを吸わなくてもカルメンは子供には刺激が強すぎると思う。

カルメンとは快楽に生きる娘であり、ひどい悪女だ。男から男へと、何の躊躇もなく渡り歩く。この台本は、最悪の不道徳において表現されている。女工カルメンが本物のタバコを手にして舞台に出てほどなく、その悪魔のような心が姿を現す。〈ハバネラ〉には、官能性が充満しており、恥知らずの態度とあけすけな身振りによって、よりいっそう露骨なものになっていた。

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ベルイマン監督の「魔笛」では、ストーリーとは関係なく、楽屋で夜の女王の演者がたばこを吸うシーンがあったのを覚えている。

偉大なバリトンのフィッシャーディスカウは、喉に大変気をつかっていて、たばこなんぞはもっての他だったそうだが、やはり偉大なテノールのペーター・シュライヤーは平気でたばこを吸ってたらしい。



vlcsnap-2016-03-23-09h30m28s7.png そういえば40年ぐらい前の話、NHK教育テレビでマリファナの喫い方を流していて問題になったことがあった。なぜそんなことがと思う人もいるだろうが、私はしっかりそのシーンを見ている。
それはフランス語講座の寸劇であった。「ゆっくり、深く、静かに吸う」というように教えられた。

シャーロック・ホームズはアヘン常用者であるが、こちらは問題ないのだろうか。



vlcsnap-2016-03-23-09h32m31s210.png   vlcsnap-2016-03-23-09h31m35s139b.png
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午餐のマクドナルド

IMG_20160324_120722.jpg 昨日は新年度の人事異動の内示の日で、私の職場でも何人かが内示を受けている(ただし転出1名)。
だからというわけでもないのかもしれないが、お昼を全員がともにするというイベント。
この職場は、前にもピザ・パーティや、とんかつマンジェ弁当など、共食するイベントが好きなようである。

で、昨日は、若い衆のノリなのか、マクドナルド。
この企画を聞いた時、マクドナルドは出来上がってから数分以内に出せないと、その商品は廃棄されるという話だけれど、少し遠いところのマクドナルドで買って、持ってくる時間はその時間内におさまらんだろう、つまり廃棄物を食べるということではないのか、と一応注意はしたのだけれど、結局、強行することに。

全部で24個のハンバーガー類、それにポテトとチキン・ナゲットの山。
猛者(といっても見かけは小柄な痩せ体型)は、ダブル・クォーター・パウンダー+フィレ・オ・フィッシュ。
またある職員は、ビッグ・マック+フィレ・オ・フィッシュ+エッグ・チーズ・バーガー。
小食の職員はビッグ・マックのみとか。

IMG_20160324_120840.jpg 私は1個だけ、選択したのはクォーター・パウンダー・チーズ。初体験。
バンズももっと大きいものを想像していたけれど、パティがはみ出している。

心配したとおり、店で出されてから食べ始めるまで20分近くかかっている(会議スペースで前の打ち合わせが長引いていて、それによるロス5分)ので、既に温度が下がっている。
また、以前は大きめの商品は発砲スチロールの容器に入っていたけれど、このごろは全部紙の容器で、さめやすい。

ということで、これが本来の味ではないと思うが、まあまあ久しぶりのマクドナルド、十分である。

それにしても、一人で4つ食べていた職員もいるが、4つ目になるともうさめきっていたのでは。

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腕時計の買い替え(2)

AS7090-51A.jpg 昨日の続き。
結局、前の時計と同様のものを購入して、ちょっと思慮が足りなかったということについて。

今回もAmazon、注文した翌日に届いた。
ネットの写真を見て、まぁこのデザインはシンプルで悪くないと思った。
諸元を調べると、ほとんど同様である。前より少し(0.9mm)厚みがあるが、重さはむしろ軽いぐらい。
前の機種は、文字板に高級素材(白蝶貝)が使われていたこと、バンドの造作がやや繊細であることなど、少しの違いはあるけれど、ネットの写真を見る限りでは、そんなに違いはないだろうと思った。

で、届いた商品、これだけを見ると、まぁいいんじゃないか、と思ったのだけれど、前のものと並べてみると、どことなくデザインの品というものに違いを感じる。
一言でいえば、前の機種のほうが「光っている」。というか、新しく買った機種はどことなく、くすんでいると感じた。

ことわっておくが、新しい機種が安っぽいというわけではなくて、おそらく最初にこれを買っていたら、それはそれで満足していたに違いないのだけど、比較すれば、やっぱり上は上があるということ。
定価ベースでは3万円の違いである。

watch_watch_20160320.png ここで自分の思慮の不足に思い至った。
前の時計をオーバーホールに出せば良かったじゃないか!
1000円ぐらいの安物でつないでおいて、その間にオーバーホールをしてもらえばムダなお金を使わずに済んだはず。

で、反省。
前の時計はとても気にいっていたのだけれど、ちょっと機嫌をそこねたので、それをきっかけに浮気心が頭をもたげたというわけだ。その浮気心が、思慮分別を失わせたということである。
手にいれてしまえば、浮気相手は若いだけが取り柄で、ちょっと安っぽく物足りない。前のがやっぱり気に入っているし、しっくりくる、そういうわけだ。

やっぱり浮気は良くありません。

で、この記事を書いていると、CITIZENから、ムーブメントの厚さ1mm、ケースに入れても2.98mmという、超薄型のソーラー腕時計が出るという(電波ではない)。かなり高価なものだから、知っていても選択肢にはならなかったけれど、とても魅力的だ。(懲りてない)
結局、前の時計はオーバーホールに出した。

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腕時計の買い替え

smartwatch-comparison-2014.jpg 先日、「ソーラー腕時計が停止」の記事の最後に、新しい時計を買うことにしたと書いたけれど、止まった時計が気に入っていた分、決めにくい。

検討対象の1つは、いわゆるsmart watch、スマホと通信する情報機器といっても良いものである。
しかし、smart watchは、毎日のように充電しなければならない。これは時計としては失格。毎日のようにスマホに充電して、さらにsmart watchにも充電するなんて、私にはとても耐えられない。
GPS_SOLAR150610_12.jpg ということで、早々と候補から脱落。

もう1つ検討したタイプは、GPSを使った電波腕時計
今までは電波時計といえば、標準電波(長波)で発信される日本標準時をキャッチするものだったが、GPS信号には正確な時刻情報が含まれているから、これを使って時刻合わせをすることは自然だと思う(商品としては、標準電波とGPSの両方を受信できるものが出ている。車のナビの時計はGPS時刻を表示しているのではないだろうか)。

GPSはユニバーサル。海外でも正確な時刻で時計合わせができるが、標準電波はそういうわけにはいかない。私の腕時計も国内専用、海外の電波は拾えない。
それに写真の機種はソーラー方式である。私の時計の理想、ほっておいても正確に時刻を刻み続ける、を実現している。

Screenshot_2016-03-07-15-12-13.jpg ということで、なかなか魅力的である。で、物欲が頭をもたげてきたのだけれど……
ちと手が出ない、高嶺の花。
  • 今の時計よりずっと重いし、分厚い。海外に行くこともあまりない
  • デザインがゴテゴテしすぎ、機能を印象付けたい虚仮おどし。

    今は腕時計というのは、時刻を知るための必須アイテムというより、アクセサリ。
    フォーマルな場で恥ずかしくないものでなきゃ。

  • 時計として優れているのはGPS受信だが、それはスマホでもできる

    GPS時計が見たけりゃ、スマホを使えば良いじゃないか
    (右のスクリーンショットはスマホのGPS時刻表示アプリ)。

ほら、やっぱりつまらない商品だ。酸っぱいブドウのようなものだ。
こんなものは要らないさ。

もう1つは、フォーマル腕時計、シルバーで黒革バンドといったタイプ。調べると、クォーツで年差±10秒とかいうものが出ていて、値段も3万5~6千円と手ごろ。
1本持っていても悪くないと思うけれど、完全フォーマルは普段使いは気が引ける。

結局、今まで使っていた時計と同様のものを探すことにした。
で、結局、同じくCITIZENのEXCEEDというシリーズから良さそうなものを選んだのだけど。
Amazonで注文して、すぐに届いて、そして、ちょっと後悔、というか自分の思慮不足を反省(以下、次稿)。

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はるか頑張る

2016-03-20_180640.png NHKで始まった「精霊の守り人」、"大河ファンタジー"と称している(なので本記事の分類は"大河ドラマ"にした)。

このところ、NHKを見ているとやたらこのドラマの番宣が目に付く。
積極的に見たわけではなくて、たまたま映っていた番組で、綾瀬はるかの殺陣のシーンを見て「こんなこともできるんだ」とびっくりぽん。

綾瀬はるかと大河ドラマといえば、「八重の桜」だけれど、このときの八重は活発な鉄砲名人とはいえ、剣や槍(「精霊の守り人」では短槍)の立ち回りというわけではなかったから、それなりの演技をすればよかったのかもしれないが、今度の「精霊の守り人」では大立ち回りが要求されているようだ。

2016-03-20_181517s.png というわけで、第1話をしっかり見てみたら、写真のようにテーマ演奏がNHK交響楽団となっている。大河ドラマのテーマ演奏は、NHK交響楽団というのがおきまりだけれど、他の番組でN響を使ったというのは寡聞にして知らない(NHKの楽団なんだからもっとあっても不思議じゃないようにも思うけど)。
こんなところでもNHKの力の入れ方を感じた次第。

ところでファンタジーというのは年寄りの私には疎いジャンル。中高生の年代だとサイエンティフィック・ファンタジー(SF)というのも魅力があったけれど、歳を経ると、事実・真理のほうがファンタジックだということに気がついて、ファンタジーの値打ちをあまり感じなくなっていた。

そもそも、ファンタジックな真理というのは映像化できるようなものとは限らない。
たとえば2次元にn次元を描くようなもので、それは本来不可能だけれど、ある特徴に着目すれば、その本質をとらえ、他を捨象した絵を描くことはできる。そして、見る人がそれを理解し、それを美しいと感じるためには、その対象に対する理解が前提となる。あるがままの絵が描けるわけではない。


文字で表現しているものをどう映像化するかは、これはこれで別の興味が出てくる。
残念ながら、このファンタジーについては、原作も知らないわけだから、その文字の世界の映像化がなるほどというものなのか判断できないけれど、かなり手の込んだ映像化が行われているように思う。

NHKの番組宣伝番組によると、原作者 上橋菜穂子さんは、2014年の国際アンデルセン賞の受賞者だそうだ。原作は各国語に翻訳され、米国ではハリーポッターも出したところが出版しているそうだ。また、本の挿絵は、国によって随分違ったものが付けられているとのことである。


映像化にあたって、綾瀬はるかの殺陣にはびっくりぽん。映像化のかなり重要な要素になっている。
この女優については、「天然」という評価を聞いたことがあるけれど、どうしてどうして、役者としての姿勢・根性、なにより能力はただものじゃないのではないだろうか。


【追記】
本記事を「大河ドラマ」に分類した関係で、今までの分類名「大河ドラマ」を「大河、ドラマ他」に変更。
テレビドラマ全般などについても、この分類で書くことにするつもり。

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ホールの音

2016-03-20_102100s.png 昨日の「題名のない音楽会」の題名は"日比谷公会堂さよなら音楽会"。

関西人の私は日比谷公会堂での演奏会はもちろん、入ったこともない。

そもそも東京でのコンサートといえば、NHKホール、東京文化会館ぐらいしか記憶にない。

なので、日比谷公会堂がこの3月で休館するといっても特段の感慨はない。
で、あらためてこの番組を視て、やっぱり古い会場だな、見た目も音も、と思った。
やはり、近年のコンサート専用ホールのような響きではなくて、残響が薄いようだ。

ホールトーンというのは、もちろんホールで演奏を聴いて感じるものなのだろうけど、テレビを通じてもある程度それは伝わる。「題なし」もNHKのコンサート番組もサラウンド・ステレオで放送しているからというわけではなくて、普通の2chステレオでも伝わるように思う。

そのことを最初に意識したのは、シンフォニーホールでの演奏会の放送を見たとき。たぶんシンフォニーホールのこけら落としの企画かなんかだったと思う、コンサート専用会場として鳴り物入りで開館したときのコンサートではなかっただろうか、テレビを通じても、ふわっと包み込むようなホールトーンが気持ちよかった記憶がある。

シンフォニーホールは我が国のコンサート専用ホールの嚆矢だと思う、その後、東京にはサントリーホールができたし、大阪でもいずみホールができたりした。
以前は、ホールは何よりも容量、見た目が中心で、用途も演奏会だけでなく、講演会や演劇など多目的のものが多かった。コンサート専用と銘打っているホールは、有名な海外のコンサート会場の残響等を計測して、意識的に設計されたという。海外のホール、たとえばウィーン楽友協会ホールなどは、設計の結果では多分ない。歴史的に生き残ってきた音である。

エイジングで音が良くなったわけではないだろう。
先日、フェスティバルホールの演奏会では、前回よりホールの音が良くなったような気がしたけれど、座席位置の関係?

で、そういうホールでのコンサートの音を普通に思っていると、この番組での日比谷公会堂の音の違いが意識されたということ。

それにしても、この番組で演奏されたショスタコーヴィッチの9番、ピッコロが素晴らしく上手。この会場の特性というわけではないだろうが。

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「ブッダは実在しない」

buddha_wa_jitsuzaishinai.jpg 島田裕巳「ブッダは実在しない」の感想。

腰巻(写真参照)に書かれているように「ブッダは創作された一つの観念である」という本。
もちろんブッダに限らず、偉人の伝記にはその人を称揚するためか、話が作られるということは良くある。アリエナイ奇跡譚がくっついてくる。
ただ、そういう場合は、その人の実在は動かしがたいという前提で、どの話は事実で、どれが作り話かということになるわけだが、この本では、一人の人間としてはブッダは実在しないという。ブッダは今更言う必要もないが、もともと「悟った者」という普通名詞である。普通名詞である以上、ブッダの集団がいてもブッダであるというわけだ。

まぁ、そういう説を出しても、否定できるだけの証拠もないのだろうとは思う。

釈迦入滅後、お釈迦様の骨は8カ所に分けて奉納され、さらにアショーカ王がうち7つを発掘、8万4000の寺院に小分けして配布したという。人間の骨は3kgぐらい(乾燥重量だとさらに少ない?)だから、1粒が小さすぎるなら、複数人説の根拠になるかなと思ったが、計算してみると、3kg×7/8÷84,000=0.03125g、玄米1粒の重さは0.022gあたりというから、むしろ仏舎利として納得できる数値である。


著者は古い仏教経典には一貫性がなく、それは一人のブッダのものではなく、複数のブッダによるものだから当然だというわけだけれど、「嘘も方便」が当時からあったなら、一貫性がなくてもおかしくはないとも考えられる。

ブッダ複数人説を否定したいと考えているわけではないけれど、この著者は宗教と科学をどう調和させているのだろう。
著者は、我が国仏教にはもともとのブッダの教えは入っていないと大問題のように言うのだけれど、それはブッダの教えを一人の人間の教えとして考える態度であって、神を信じる態度ではないように思う。
宗教的な心情を思うなら、ブッダが教えたところの神(にあたるもの)が居て、後の仏教を発展させてきた多くの高僧・名僧は、宗教的体験をしてきて、その教えを深化させてきたとも言える。時代とともに何度でも仏の教えが更新されて何らおかしくはない。
そうした神を否定したら、そもそも宗教が成り立たないのではないか。
ブッダが一人であろうと複数であろうと、それがそんなに大きな問題だろうか。

著者はキリスト教において、イエスの復活などという荒唐無稽なことを否定したら、キリスト教が成立しない。「史的イエス」という考え方は行き場を失ったともいう。
そりゃそうかもしれないだろう、けれどこんなことで宗教と科学の対立や調和の問題が終わるというほど単純な話じゃないのではないだろうか。
やっぱり、信じるものは救われるのであろう。
(私自身は「救われないもの」の一人だろうと思うけど)

というわけで、お釈迦様がいたかどうか、それはわからない。
各種の経典類は多くの仏教徒がこの形にしてきたものであることは歴史的事実である、ただし、そのなかにお釈迦様の言葉がそのまま入っているかどうか、それもわからない。

著者によると、仏教が西欧に知られ、研究対象になったのは比較的最近のことであり、原始仏教がどんなものであったのか、経典成立史は、というような問題意識は、それからのことだそうである。
ならば、それまでの仏教の発展はどう理解すべきなのだろう。

ところで、この本を読んでいて、ふと次の小咄を思い出した。

あ、定期券が落ちたぁる……
届けたらなあかん思うけど、名前書いたぁらへんがな。
そやけど、けったいな定期券やなぁ、日付が書いたぁらへん……
そういうたら、駅の名前も書いたぁらへん…………

わし、なんでこれが定期券やと思たんやろ?


お経もこの定期券みたいなものだったりして。
ありがたい、ありがたい。

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円陣

enjin_20160317.jpg プロ野球のいくつかの球団で「円陣」という賭け事まがいのことが行われていたことが問題になっている。

そうだったのか、野球中継でも良く目にする円陣というのは、そういうことだったのか。
良くアナウンサーが「○○選手が声をかけてますね、気合が入ってますね」と言っていたが、「○○選手はこの試合に勝たないと○万円の損害になりますね」ということだったのか。

ネットを見ていると、「円陣」が賭博にあたるのかどうかという視点で解説してくれているページ(木曽崇 国際カジノ研究所・所長)があって、これはこれでなるほどと思う。
※ニュースサイトは記事が消えることが多いので要点を再掲しておく。

勝った時に「声だし」を行った選手にチームメイト全員から5000円が支払われるというだけならば、巨人軍が説明しているようにご祝儀の範疇となるが、負けた時に逆にチームメイト全員に千円を支払うというオプションが付いている時点で、財物の移動に双方向性が生まれてしまいご祝儀の範疇を超える。(賭博にあたる)


これを不正、あるいは不適切な行為であったとコミッショナーも言っているようだが、野球ファンの間では、賛否は拮抗しているようだ。問題はないという意見は、

大人の遊びの範囲、目くじらたてることはない
それで真剣にゲームに取り組めるならOK

というようなところだろう。

私は、一見似たような行為でも、「円陣」のルール次第で、評価できるかどうかが変わると思う。
問題は監督・コーチ陣やフロントがどういう意識のもとに判断していたのかであろう。
選手も監督・コーチも、試合に勝つことに集中しなければならない。「円陣」が勝つための意欲を高める方向にのみ作用するものであったのか。
報道では、連勝が続いて「賭け金」が多額になると、そろそろ負けようという気になるというような話も伝えられていた。マイナス・インセンティブである。

試合中に「賭け事」で遊んでいたというなら、それ自体が問題である。公務員だったら職務専念義務違反である。
「賭け事」でないとしても、その行為がチームの勝利への意欲を殺ぐ効果があると判断できるなら、監督らが、それをやめさせなかったことが問題である。司令官として失格だろう。

「(本当はやりたくないけど)仕事やからやってる」というような意識でやられちゃ困るんだ。まじめに試合の勝敗に賭ける者が困るじゃないか。
試合中は試合に集中してください。

「円陣」が試合に集中し、勝利への意欲を高める方向でしか作用しないのであれば、それは決して悪いことではないと思う。同じような行為でも、ルーズな金銭感覚ではじまったのものなのか、試合への集中を高めるためにはじまったのかで評価は変わると思う。
もちろん前者では困るが、後者であれば、マイナス・インセンティブになるようなルールを排除しなければならなかった。

賭け事まがいという事であたふたしたり、あるいは大したことじゃないと考えてもらっては困る。
目的に合った手段を選ぶこと、目的に合わないことは排除する、それが司令官の役割であろう。

ところで、「円陣」はゼロサム・ゲームである。身内でやる麻雀のようなもので、身内の中で勝ち負けが出る。
それに対し、競馬やパチンコは、とくにパチンコは胴元がリスクを負うというもので、身内の勝ち負けではない。むしろ共同で胴元に挑戦できるゲームである。
多くのスポーツで、勝利チーム賞がある。これなら、負けようというインセンティブは働かないのではないか。

要はルールの設計である。

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ソーラー腕時計が停止

EBG74-5023.jpg 愛用しているソーラー電波腕時計が停止した。
6年近く使ってきて、初めてのことである。

はじめは単純なバッテリー切れだろうと思った。
思い当たるのは、このところ独り暮らしが続いて、暗い部屋に時計を置く時間が長くなったこと。
たっぷり光を当てて、もう大丈夫だろうと思ったのだけれど、その後も朝になると止まっていることが2度ほどあった。
取説によれば、充電不足になると2秒運針になるというのだけれど、そうはならないし、止まるたびに針の標準位置がずれて、そのたびに位置調整をしなければならない。
しっかり光が当たっていれば動作に問題はないようだが、こういう状態では時計を信頼することができない。
信頼できない時計では、時計の意味が全くない。

3時間ぐらい日光にあてれば、2日間ぐらいは順調なようだが、うっかりすると夜中に止まることの繰り返し。いつも晴天できっちり日を当てられるとは限らない。
2秒運針の状態を見ないのは、バッテリー消耗が酷くて、短時間でそれが終了するからかもしれない。


IMG_20160307_152946.jpg 実は、この時計はかなり気に入っていた。
購入したのは2010年7月(Amazonで買ったから、いつ買ったか記録が残っている)である。まだ6年経っていない。10年は使いたかった。

この時計の前もソーラー電波腕時計で、いつまでも正確に動くのは良かった(2000年問題担当になったので、2000年を正確な時刻で迎えたいと思って買った)。難点は、少々重く、武骨なデザイン。

前の時計は10年ちょっと使ったわけだが、フォーマル(特に葬式)でも気を遣わなくてすむデザインにしたくなり、この機種を選んだのだった。
ソーラー電波腕時計でアナログ(針式)表示のものとしては、最も軽量・薄型のものである。
しかも、筐体もガラスも頑丈で、堅いものにぶつけたりしても傷がつかなかった。

ということで、新しい時計を買うことにした。
理想の時計は、ほったらかしにしておいても正確に時刻を刻み続け、しかも腕に着けていることを意識しないぐらい軽くて薄いもの。
また同じタイプ(ソーラー電波時計)にするか、ソーラーはやめて長時間電池にするか、あるいは電波をあきらめて年差時計にするか。

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「右傾化する日本政治」

nakano_ukeikasurunihonseiji.jpg 言葉で書くと遠く隔たっているけれど、ある種の心理的メカニズムが働いて実は通じている、そういうことがある。
「小さい政府」と「巨大な権力を持つ政府」がそれである。

言葉の上では、この2つは対極にあるように見えるのだけど、我が国で起こっていることは、小さい政府を標榜して規制緩和を推進した勢力は、立憲主義さえも葬ろうとするほど巨大な権力をふるっている、そういう状況のように見える。

おそらく「小さい政府」のビジョンには、その言葉を使う人の間でも大きな隔たりがあったのだろう。
それは、リベラルの精神でのそれなのか、権力意識の延長に過ぎないのかということではないだろうか。

なお、上記とは異なり、巨大な官僚機構に喧嘩を売って、政治主導を進め、結果、統治能力そのものを喪失し、政治の主導力のなさを露呈する結果となった例もあるけれど、これはリベラル云々以前のビジョンなき権力志向の産物だろう。


リベラルな心性というのは自然に育つものではないようだ。
私は、リベラルに近いと自分でも思うけれど、これは権力者が否定に躍起となっている戦後民主教育の影響だと思う。
ただ、ことっておくが、戦後民主教育には、戦前教育の残滓というか習慣も残っていて、日の丸、君が代はアタリマエだったし、卒業式は「仰げば尊し」であった。
外国、たとえばアメリカでは教室に星条旗が置かれているのがアタリマエであると教えられ、日の丸に敬意を払うのは当然であると教えられてもいる。

つまり、日の丸を大事にすることと、リベラルであることは、何ら矛盾しないのだけれど(それはリベラルな米国人が星条旗を敬うのと同じ)、どうも昨今は、リベラル=非国民と断罪されるような風潮を感じ、私などは肩身が狭い。かつて言われていた「逆コース」である。
そういうわけでか、今や我が国の政界では、リベラルは死に絶えた観がある。

ただし、この国の権力を持っていて、リベラルを否定する風潮を作っている人たちは、完全な米国追従外交を推進されているようなのがおもしろい。
米国も、非民主国家でも、非人権国家でも、国益のために必要なら同盟関係は維持すると思う(これらの非をならすのは、攻撃の口実になるとき、つまり攻撃したいとき)。


さて、中野晃一「右傾化する日本政治」(岩波新書 2015年7月)についての感想はとても私の能力に余る。
前述のようなことは、この本を読みながらふと思ったことである。

タイトルに興味を持たれて訪れてくださった方のために、本書の一部を抜き書きしておく。
  • 冷戦の終結とともに五五年体制の保革対立が解凍されると、政党システムの流動化を経て小選挙区制の作用により二大政党制が登場し、有権者による政権選択を通じて、新右派転換が強化した国家権力に対するチェック・アンド・バランス機能が行われると謳われた。しかしオルタナティブとして育ったはずの民主党の崩壊により、戦後かつてないまでに政治システムがバランスを失い、首相官邸に集中した巨大な権力だけが抑制の利かないかたちで新右派統治エリートの手に残り、今それがさらに憲法の保証する個人の自由や権利を蝕む反自由の政治へと転化し、またその度外れの歴史修正主義で日本の国際的孤立を招きつつあるのである。これが右傾化する日本の政治の現実ではないか。だとするならば、対抗勢力を欠いたままでは、安倍政権の後も小休止をはさんで、さらにとめどなく右傾化が進んでいくことになる。
  • 開かれた公共財としての政党の構築をおろそかにしてきたことにより、脆弱な民衆的基盤しか持たなかった民主党は、……
    ……政局ひいては政界再編という名の次なる「個人商店」の離合集散が画策される事態に至ってしまった。
昨年7月に出た本だけれど、この絶望感に満ちた予測どおりというか、それよりさらに深刻かもしれない。
民主党がついに無くなった。民進党というのになったそうだ。近年はリベラルを標榜するに値しない政党になっていたようだから、これで良かったのかもしれない、政党としては。
被害者は、ついに選択肢を失った国民ということになるのだろう。

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iQOSユーザー増加中?

IMG_20160311_083250r2.jpg このブログで一番関心をもたれている(アクセスが多い、拍手が多い)のは相変わらずiQOSの記事のようだ。
しかし、私の周りでは、iQOSを吸っている人はもとより、iQOSの存在を知っている人も、まだまだ少ない。

そう思っていたところ、朝いつものように一服する喫煙コーナーに、iQOSを吸う人が現れた。
話を聞くと、心斎橋を歩いていて"iQOSストア"という店に気がついたので、どんなものか試そうと買ったのだそうだ。

O府も中心をはずれたY市では、都心の最新状況に疎遠なので知らなかったけれど、その人の情報では、iQOSストアでは1日50箱ぐらいは売れているという。また、iQOSのカバーの無償配布など(しっかりゲットされていた)、販売促進にも力が入っているようだ。
また、その人は心斎橋の喫茶店で、数人が吸っているのを目撃したとも。

前にiQOSが大阪でも入手可能になったの記事を書いたけれど、既に私の居住市でも販売されている。
着々と浸透しつつあるようだ。
なお、iQOSユーザーは、紙巻たばこの代替品として使っているわけで、禁煙補助具とは考えていないようだ。



ところで、前にとりあげたPloomは、新型"Ploom TECH"という商品が出たようだ(出てすぐ注文が多くて販売停止になっている)。
Ploom_TECH_guide.jpg タバコと名のつくものなら、なんでも試してみたいというところだが、前のPloomがもう一つだったのと、新しいPloom TECHもネットでの評価では、タバコとしての充足感はiQOSには及ばないというものが多いようだ。
前のPloomが不満でiQOSを試す気になったのだけれど、今回はちょっと気乗りしない。

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3月15日 Ides of March

2016-02-29_133302.jpg 今日は3月15日、欧米では誰知らぬ者はないとも言う、歴史上の大事件-禿の女たらしが殺された日。

「ローマ人の物語」電子版を全巻揃えたことは先日書いた。
既に図書館で借りて、紙の本(ハードカバー)で通して読んでいるから、全巻買ったからと言って、焦って全部読んでいるわけではない。通勤の車中などで、これという本が手元にないときなどに読み返したりしている。
で、今は、第5巻「ユリウス・カエサル ルビコン以後」を読み終わったところ。

ローマ史については全く門外漢であるけれど、読んでいてふと思った。
カエサルが殺されなければ、アウグストゥスの帝政は打ち立てられなかったのではないだろうか。

何故か。
まだカエサルが健在だったからオクタヴィアヌスの出番はなかった、という軽口ではなくて、オクタヴィアヌス個人の問題ではなくて、制度としての帝政のことである。

Cesar-sa_mort.jpg カエサルが健在ということは、アテネでペリクレスが健在というのと同様、実質的な第一人者政治が行われている、けれど体制としては共和政や民主制が続いているということ。

カエサルが生きていたら、カエサルの前にカエサルなし、カエサルの後にカエサルなしという状態になったような気がする。
カエサルの後継者オクタヴィアヌスという構図があってこそ、ローマ人をして帝王を待望し、帝政を受容するという時代の流れができたのかもしれない。

歴史にifはない」と言うけれど、誰が言ったか「歴史にifは、歴史の楽しみ」である。
2016-03-03_173745-crop.jpg

カエサルの長い治世が終わったら、ペリクレスなきあとのアテネが衆愚政治といわれるように、ローマも早々と滅亡あるいは衰退したかもしれない。帝政どころの騒ぎでない。

あるいは、カエサルといえども、歳とともに頑固で依怙地になり、もし後継者の心配をしはじめたら、余の帝王の例のように、子供のために国をあやうくしたかもしれない。そうなれば決してローマ人は帝王を戴こうとはせず、制度としての帝政にはいたらなかったのでは。

愛人セルヴィーリアの息子マルクス・ブルータスが後継者なんぞになったら、足利義持が父義満の路線を否定したように、カエサルを殺しはしなかったまでも、カエサルの施策を全否定したかもしれない。

そして、カエサルがあと20年も生きていたら、アントニウスはただの中堅軍団長でキャリアを終わっていて、クレオパトラはカエサルの子供カエサリオンを無事に育て上げている。
そして、カエサリオンは母クレオパトラに唆されて、ローマの正当な後継者であると主張し、内乱が……

ほら、どれも帝政にはつながりそうにない。

続く第6巻「パクス・ロマーナ」では、オクタヴィアヌスによって周到に帝政への道が敷かれていくことが描写される。これを読めば、カエサルではなく、他の誰でもなく、オクタヴィアヌスでなければならなかった、そんな思いがしてくる。

カエサルは暗殺されることによって、その後の帝政ローマを決定づけた、そんな言い方もあるのではないだろうか。

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春画入門

shunganyumon_cover.jpg 地元の公立図書館で、車浮代「春画入門」という本を借りた。
カラー図版がたくさん収められているけれど、新書判ではちょっと小さい。

わざわざ「公立図書館」とことわったのは、こんな本も収蔵・貸出するんだと思ったから(貸出時に年齢チェックはしないのかな)。
職場の近くのY図書館にも収蔵されていた(昨日時点で貸出中)。


春画というと二流、三流の作品と思いがちだが、それは現代の我々の勝手な思い込み。これは有名絵師・彫師・摺師が競う最高のジャンルなのだそうだ。
北斎、歌麿をはじめ、錚々たる絵師の春画が残されている(写楽は特殊で春画はない。広重はこの本の著者によるとそもそも肉筆画での画力がなくて、春画にも見るべきものがないという)。

著者によると浮世絵というのは芸術というより、メディアであるという。

浮世絵に対する言葉は本絵、狩野派のようなもの。はなから芸術を意識した一品物。

今では浮世絵は(春画も含め)芸術品として、1枚数千万円で取引されることもあるそうだが、作製された当時は、今の価格にすると数百円からせいぜい数千円である(組み物とかだと数万円もある)。
春画は、現代では、さしずめアダルトビデオのような役割なのだろう。

しかし、現代のアダルトビデオと違うのは、浮世絵では、春画というジャンルにもっとも質が高い作品が多いのだという。
春画を知らずに浮世絵を語るなとでも言いそうな勢いである。

ビデオレンタルショップでカーテンで仕切られたコーナーは、単調なストーリー、無理な設定、品位の低い映像でできている同種作品が並んでいるわけだが、江戸の春画というのは、黒澤明が8K超ハイビジョンで究極の映像表現を追究しているというようなものかもしれない。
(公立図書館にもカーテン・コーナーがあったらおもしろいのでは)


技術の高さといえば、たとえば、すぐれた彫師なら1mmに3本の髪の毛を彫ることができるそうだが、春画では真っ直ぐな髪の毛だけではなく、その細密さで縮れた毛を描写するなど、驚くべき高難度のものが描かれる。
あるいは、多色刷り版画は、普通の浮世絵なら9摺ぐらいだそうだが、春画ではなんと20回以上の摺りを重ねるのである。センズリである。
また、ストーリーも工夫されていたり、おカタイ本のパロディであったり、知的遊戯がいっぱいなのだそうだ。

たとえば、『女大学宝箱』→『女大楽宝開』、『女今川教文』→『女令川趣文』という具合。

ただ、その性格上、局部の描写がのぞまれ、不自然なポーズ、誇張された道具など、無理なところもある。

こういうジャンルであるから、絵師・彫師・摺師が、全精力を注ぎ込むのは至極当然であろう。
さらに春画は禁制品だったから、本屋の表には並ばず、裏で流通したとのことで、表の本では禁じられていた高価な絵の具の使用や、お上に逆らう内容などでも作品になったのだという。

hokusai_kinoenokomatsu_tako.jpg この本の「はじめに」で、2013~2014年に大英博物館で開催された"Shunga exhibition at the British Museum"、およびそれに続く、凱旋公演のような展覧会 "世界が、先に驚いた。春画(Shunga)展"(東京・永清文庫)のことにふれられていて、こういう本が出せるのも、こうした展覧会を通じて春画が復権しているからである。

「春画入門」は2015年9月出版だが、Amazonで "春画"で検索すると、この時期にたくさんの関連書籍が一斉に出版されている。大英博物館の影響力→逆輸入だろうか、展覧会の力は大したものだ。

私はどちらも行ってないので、どんな作品が展示されていたのか、ネットで拾ってみた。
その中で、永清文庫での展覧会から、有名な北斎の一品「蛸と海女」をアップ(タコとのからみは北斎の独創ではなく、元ネタは北尾重政「謡曲色番組」からだそうだ)。

この稿を書くにあたって、"春画展"でググったら、永清文庫での展覧会が京都に巡回していることが判明。
4月10日まで開催中。18禁である。
春画を知らずに浮世絵を語るな、やはり行くべきか。


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休刊日

本日、月例休刊日

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一年ぶりのフェスティバルホール

20160311daiphil.jpg 昨夜は、大阪フィルハーモニーの定期演奏会。
フェスティバルはほぼ一年ぶり。

演目はいずれもロシアの作曲家のもの。
名前も知らなかった作曲家リャードフの管弦楽曲(交響詩)、あとは大家の作品で、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲と、ラフマニノフの交響曲。
どれも今まで聴いたことがない。

どちらかというと聴衆を集めにくそうな作品ばかりだけれど、定期演奏会は年間会員とかも居るし、ヴァイオリンの諏訪内晶子の人気もあるのだろう、ほとんど満席(同じ演目の2日目はチケット完売になっている)。

今回の演目は、時代的にはやや近い作曲家がならんでいて、ストラヴィンスキーとも重なるけれど、今まで聴く機会はなかった。誘われたから行ったけれど、自分から進んで行くかときかれたら、Noだろう。

そして、聴き終わって、もう一度聴きたいか、CDが欲しいかと言われたらビミョー。
リャードフはこれで終わりか、とまぁ可もなく不可もなく終わる。
プロコフィエフは、ヴァイオリンが引っ張ってる感じで、それはたしかに聞かせるけれど、なんだかオケ全体としてはバラついた感じ。
そしてラフマニノフ、んー、聞いたような旋律が歌われるところは落ち着くとも思うけれど、どうもややこしい。感想としては、作曲家より演奏家のほうが偉い!というところ。作曲家は紙の上の作業では。
ということで、今まで聴いたことがなかったけど、聴いてなくても人生に損失はなかったかなというのが正直なところ。

IMG_20160311_195432-crop.jpg 大フィルは定期演奏会ではアンコールはしないということだが、アンコールがあった。エルガー「エニグマ」から"ニムロッド"。
これは、3.11ということで特別。指揮者が最近行った仙台の様子など、復興はまだまだという話をした後。
さすがに拍手をためらう。

実は、はじめに何かするかなと思っていた。職場では黙祷をしていた。


休憩時間には、フェスティバルではいつもするように、ビュッフェで白ワイン。
白ワインの写真は撮ってないが、どういうメニューがあるか、備忘のため、メニューの写真をアップ。

といっても、結局、次に行く時もワインを飲むんだろうな。



IMG_20160311_180903.jpg 昨日は仕事が終わってからの演奏会、45分くらいで会場にまでは行けるわけだが、晩御飯も食べなきゃいけない、終わってからでは遅くなる、ということで、安直にラーメンで腹ごしらえ。「神虎 肥後橋」。

辛いものとかもあるようだが、デフォとおもわれるとんこつ。
くせがなく、とんこつ臭さも少ない。
背油がたっぷり入っているが、これで普通。「たっぷり」、「普通」、「少なめ」、「なし」から選べる。
少し甘いので、黒七味を足して刺激をつけた。
チャーシューはトロトロで分厚い。脂身のところはや豚臭いけれど、悪くない。


まぁ、久しぶりのコンサートを楽しませてもらったということでした。

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名をとるか、実をとるか

2016-03-10_230032.png 民主党と維新の党の合流で、党名でもめている。

ネット公募でそれなりの応募があって、多かった順に、民主党、立憲民主党、民新党となっているそうだ。
今から思えば、この結果はある程度予測されていて、ネット公募をやろうと言い出したのは民主党の謀、数をバックに、民主の名前を残すのが「民意」だという作戦だったのではないだろうか。

そこまで読めるなら、国会でももっとうまくやれそうに思うけど。


維新の党もそのことに気づいてか(やる前に気づいてたらネット公募はやめろと言っただろう)、さらに反発、「民主」の語を残すなというわけだ。

名をとるか、実をとるか、といえばカッコ良すぎ。名もなく、実もなくといった感じだけれど、名前のことでもめて、結局、合流が破談になるなんてこともあるかもしれない。どうせ、合流後もジリ貧になるだろう、党を貫くポリシーのようなものが感じられないから。

じゃあ、どの党ならあるのかと言われたら悩むけど。


維新の方に気を遣うなら、「維」か「新」かを残すんだろうけど、「新」では一般的すぎるし、「維」では何も主張がない、「これ」の意だから。

記事を書いていると、テレビのニュースが流れた。
民主は「立憲民主党」、維新は「民進党」を押しているらしい。
「民新党」が痛み分けの名前ではないかと思っていたが、「新」ではなくて「進」?
一方、「立憲民主党」というのは、憲法が未制定ならまだしも、今更「立憲」というのは日本語としてはどうなんだろう。憲法を改正しようという意思の表れ?
「立憲改進党」ってあったなぁ、早稲田だな。ご一新の雰囲気がまだ強かったころ。

こういう名前はどうだろう、自由民主党に対抗するのだから、否定詞を付けて「自由民主党」とか。
あるいは、今話題の「共和党」なんてどうだろう、本来の語義はともかく、見た目合流にはふさわしいけど。

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撥水復活

IMG_20160220_165140.jpg 以前、このブログでとりあげた撥水傘の撥水効果が落ちてきた。
去年の5月から使って、随分出番も多かったが、12月頃から少し気になっていた。

販売店のサイトでは、中性洗剤で汚れを落とせば、撥水効果が戻るとあった。
また、ググるとアイロンをかければ撥水効果が戻るというユーザーのブログ記事もあった。
ということで、両方やってみることにして、中性洗剤で汚れを落として、アイロンをかけることにした。

撥水効果が落ちたのは、骨にあたっているところ、特に折りたたみの蝶番があるところである。こういう場所は傘をたたむときにどうしても手垢がつくのだろう、それが「蓮の葉の撥水効果」のキーである繊維が寝てしまう原因になると思われる。

風呂場で中性洗剤を少量振りかけて、水で洗い流し、続いてアイロンをかける。
アイロンのかけかたは、なかなか難しい。はじめは、傘の外側からかけようとしたが、ふわふわと頼りないので、写真のように主に内側からかけることにした。
骨にあたっているところを丁寧にかけるのが良さそうに思う。
作業後は、心なしか、生地が柔らかくなったような印象。

この作業をしたのは1月だったが、しばらく本格的な雨に遭わず、昨日、ようやく試す機会が訪れた。
正直、撥水効果が戻るか不安だったが、ちゃんと戻っている。注意して撥水の状況を見ると、布の端、特に骨の先端付近の撥水はあまり戻っていないが、前述の折畳の蝶番付近などはOKである。アイロンのかけ残しだったのだろう。次にこの作業を行うときは、この点に注意しようと思う。

さて、この作業の効果はどのくらいの期間持続するだろう。新品からの期間には及ばないと思うけど。
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フリーズドライのカレー

P_20160304_202503_1_p.jpg ネットのニュースサイトを見ていたら、フリーズドライのカレーが売り出されたとあった。
味噌汁やスープ類はフリーズドライのものがいろいろあるのは前から知っていたし、何度かそのお世話にもなっている。どれも結構いい値段である。

調理不要のインスタントのカレーと言えば、レトルトとばかり思っていたので、このニュースからネットを巡ると、結構前からあるものらしい。
で、一人暮らしの知人に言うと、ずっと愛用しているという。結構いけると言う。

それなら試してみようと思って、フリーズドライ食品をいろいろ出しているアマノフーズという会社のお試しセットというものを注文した。
味噌汁3種(なす・ほたて貝柱・かきたま)、 かに玉丼 、ビーフ カレーのセットで、1000円(送料無料)である。

カレーのセットもあったけれど、期待外れだった場合のことを考えて、カレーは1品だけのセットにした。

P_20160306_115924_1_p-crop.jpg
袋から取り出して、スープカップに移したところ(写真右上)。
固形のカレールーのように見えるが、乾燥しているのできわめて軽い。

P_20160306_120141_p-crop.jpg 続いて、沸騰水を注ぎかけて、軽く撹拌したところ。
(写真中)

そして、ご飯にかけたところ。
(写真下)

ご飯はラップして冷凍してあったものなので、見た通り、冷凍時の形のまま。

P_20160306_120223_p.jpg
で、食べた感想。
味は普通にカレー。というか、カレーというのは、そもそもはっきりした味覚傾向だから、これもアリと思わせるもの。
とろみはなく、しゃばしゃばしている。ただ、カレーはとろっとしたものというのは固定観念で、こういうカレーも世の中には存在する。とろみがない分、ストレートにカレーが舌にくる。
具は商品の名前のとおりビーフ。カップ麺の肉うどんに入ってるようなもの。しゃばしゃばカレーのアクセントにはなっている。

レトルトカレーとの比較でいうと、一番違うのはやはりとろみ。カレーライスとしてはやはりとろみがあるほうが食べやすい。また、レトルトの場合は具にバラエティをもたせた商品が多い。
ただ、レトルトの場合、パウチの臭い(金属的というかプラスティック的というか)を感じるので、その点はフリーズドライの方に軍配があがるように思う。

この商品は1つ300円、レトルトカレーは100円台から1000円を超えるものまで開きがあるが、同価格帯のハウス食品"カレーマルシェ"(メーカー希望小売価格302円)と比較すると、"カレーマルシェ"の方がカレーを食べたという感じはする。

ということで、フリーズドライカレーはこれもアリという商品だけれど、同一価格でどちらを選ぶかとなると、レトルトの方かな。
ただ、フリーズドライの方は、スープカレーにするとか、いろんな使い方があるとは思う。

もっとも独り暮らしで、簡単に食事をとるなら、手の込んだことはしないだろうけど。


ところで、珍之助さまの「語り得ぬ世界」ではご当地カレーがいろいろ紹介されていたけれど、フリーズドライは特別な技術のようだから、ご当地フリーズドライというのは簡単ではないように思う。

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iPhoneのロック解除

米国でAppleとFBIが争っている。
FBIが捜査のためにiPhoneのロック解除を要請したが、Appleが応じないということである。

Passlock-iPhone.jpg 同様のロック解除が争われた別の事件では、ニューヨーク連邦地裁はAppleを支持して、政府要請を却下したと伝えられている。

もちろん、公益優先かプライバシー優先かという話なのだけれど、こういう問題の立て方では一般解は存在しない。ケース・バイ・ケースという答えしかない。
さらに哀しいことに、インカメラ方式すら使えない状況だから、始末が悪い。

この問題に関して、大統領候補のトランプ氏がtwitterで、Appleの不買を呼びかけたけれど、投稿にiPhoneを使っていたというオチもあるようだ。


それはそうと、FBIが求めているのは正確にはロック解除ではなく、パスワードミス10回で端末初期化というのをやめてくれということ。で、Appleはそんなことをするのはユーザーを裏切ることになると。
え、できるんや、と思ってしまう(これはクラッカーにやる気を出させると思う)。

これから出す製品に組み込むことは勿論可能だけれど、現にロックされているiPhoneに対してできるというのなら、その時点でセキュリティに欠陥があるということになるのではないだろうか。普通、ICカードなどは、メモリーの直接読み書きは不可能で、かならずカード内部のプログラムを使わなければならないはず。つまりこのプログラムを使う方法があるということになる。

以前Windowsが、"BitLocker"というドライブやUSBメモリなどを暗号化して保護する機能を装備したとき、パスワードを忘れてMicrosoftに泣きついたが、バックドアはないとすげない返事をされたという話を聞いた覚えがある。


それと、もしiPhoneが初期化されたら、完全にデータが消えるんだろうか。いわゆるサルベージというのは全くできないのだろうか。FBIならいろんなツールを持っていると思うけれど。

また、もしロック解除裏技ができたとしたら、犯罪者などは、端末ロックに頼らない保護(たとえば暗号化)をするようになるのではないだろうか。以前、オウム真理教事件のとき、教団が使っていたPCのデータは暗号化されていたそうだ。たまたまパスワードリストが手に入ったから読みだせたという話を聞いたことがある。

今回は端末上のデータだけれど、犯人がiCloudにデータを置いていたら、Appleは読みだせるという話もあるようだ。
そうなんや、やっぱりクラウドを使う時は暗号化しなくちゃ。

そうそう、私はiPhoneユーザーじゃなくて、Androidユーザーだった。
Androidではどうなってるんだろう。

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顔年齢

前の意図しない成りすましの記事でちょっと言及した、顔写真で年齢・性別を判断するMicrosoftの"How old do I look?"、その記事では、多部未華子の写真で17歳という判定結果を紹介した。

日本人は若く判定される傾向があるというので、そんなものかと思っていたけれど、珍之助さまは、知り合いの美女子27歳が30歳と判定されたという

ちょっとしつこいけれど、年齢が解っている写真でやってみた。
使用するのはAnne Sofie von Otter演ずるCarmen、このブログのギャラリーにもアップしている写真である。

Otter_Carmen_46.jpg カルメン登場まもないシーンでは、46歳の判定。この収録時、von Otterは47歳だったはずだから、なかなか良い結果である。

ところが、続けて他のシーンでやってみると、79歳。
おいおい、これはあんまりだ。

Otter_Carmen_79.jpg


で、いろんなシーンを試していると、27歳と20も若い判定が出るものがある。
ダンス・シーンでは、von Otterは29歳、隣で踊っている女性が7歳!

Otter_Carmen_27.jpg    Otter_Carmen_07.jpg


Otter_Carmen_47.jpg で、最後に実年齢と同じ47歳と判定されたシーンをご紹介。

私の眼では、いずれも47歳にしか見えないんだけれど。


同一人物の、同じ時期の写真なのに、やってみた範囲に限っても、27歳から79歳、53±26である。
これでは一枚の写真で年齢を判定するなんてとんでもない。
前にこのサービスに触れた記事では、写真の取り違えのチェックに使ったらどうと書いたのだけれど、これではまだまだ使えるとは思えない。

実は、今回のテストでは、47歳という判定が出るまで8回試行を繰り返している。
試行結果を列記すると、27、29、37、46、47、57、58、79歳である。平均は47.5歳、いい線いってる。

平均値で騙されてはいけない。問題はばらつきの大きさ。
標準偏差が17もあって、95%信頼区間は35.6歳から59.4歳。熟女という判定なら○か。


こういうシステムは、来店者をカメラで撮って、客層を分析するのに使われている。こういう目的なら、統計的な扱いであり、誤判定は織り込み済みだろう。

商用では、Microsoftのシステムとは違うもっと良くトレーニングされたシステムを使っているだろう。また監視カメラの動画で判定しているようなので、多くのフレームを使ったり、動きを検出するなどで、精度を上げているかもしれない。


もっとも、女の年齢って、男には本当にわからんですから。

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タブレットにもBIGLOBE SIM

3月から、タブレット(SH-08E)にもBIGLOBEのデータ用SIMをセットした。

このタブレットには、以前はU-MobileのSIMを挿していた。また、海外旅行をする人にも貸して、Mighty SIMやら、フランスやスペインの業者のSIMを挿したこともある。また、Softbankを解約して、BIGLOBE SIMにしたとき、使える端末がこのタブレットしかなかったので、しばらくはBIGLOBEの音声SIMを挿していたこともある。
今回、晴れて、本来の使い方で落ち着いたというわけである。

で、最初、驚かされたのは、タブレットを起動すると、「通信サービスなし」と表示されること。

Screenshot_2016-03-01-20-39-05.png   Screenshot_2016-03-01-20-21-00-crop.png

待ち受け画面から、通常の画面に移動すると、通知域にはあるモバイル通信のアイコンはきちんとアンテナが立っている。通知域をプルダウンして簡易設定画面を表示すると、そこにも「通信サービスなし」の文字が見える。下の通知メッセージには、「LTEデータ通信確立済み」の表示が。

もちろん、データ通信は問題なく通っているから、「通信サービスなし」の表示は不適切。スマホの通信は、回線交換とパケット交換の両方があって、通話やSMSには回線交換のほうが使われるから、データ専用SIM、つまりパケット交換のみの場合は、回線交換が使えない。これを「通信サービスなし」と表示するのだろう。

そう言えば、前に使っていたU-mobileのSIMは、こういう表示は出なかった。SMS付きにしていたからだろう。
U-mobileでSMS付きにしたのは、端末の機種によっては、むなしく回線接続を試みてバッテリーを無駄に消費する場合があるという情報を見たからだけれど、SMSなしのデータ専用SIMでも、SH-08Eはそういう挙動はしていないようだ。バッテリーチェックをしても、セルスタンバイが著しく電力を消費しているようには見えない。

データSIMの追加は200円/月。これに初期の事務手数料3,000円が必要。
BIGLOBE SIMから、音声通話付2枚、データ専用1枚の3枚のSIMを出してもらった。これ以上のSIMの追加はできない。もし、データ通信用のSIMが追加で必要になることがあれば、"0 SIM So-net"というのを使うつもりだ。

"0 SIM So-net"は、月500MBまでの通信ならタダというサービス。私のような使い方では、せいぜい月300MBぐらいというのが実績だから、これで十分のはずである。

今回、Softbankからの移行に要した、違約金、MNP移行手数料、BIGLOBE SIMの発行手数料など、一時金が大量に必要だった。当分、この契約を続けて、一時金を回収しなければ。

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解散式

P_20160303_182320_1_LL_p.jpg 一昨日は、職場の解散式。

といっても、今の職場が解散になるわけではなくて、4月の機構改革とやらで、私の職場が、今までの総務部門から、企画部門へと所属替えになるもので、仕事や勤務場所が変更になるわけではない。
ただ、今まで同じ課で仕事をしてきたのが分かれ分かれになるということで、一席が設けられた次第。

場所は、最寄駅であるK鉄Y駅の近く、ダイニング・バーという範疇になるお店。
なんでも、コブクロというグループがここでコンサートをしたということで、今でも店の中にその名残がある(室内写真参照)。

P_20160303_184331_1_p.jpg 費用がいくらかかったのか知らないので、料理や酒の評価は差し控える。

P_20160303_182434_1_p.jpg 壁際に、鉄道ジオラマが置いてあったが、この店の関係者の趣味だろうか。

使い始めで慣れないスマホで撮ったからか、どうもブレやピンボケがひどい。室内が暗めだったので「ナイトモード」とやらにしたのが良くなかった(多分シャッター速度が落とされている)のだろう。
特にジオラマの写真はひどくみえるが、これはジオラマにやや古くなって透明度が落ちたカバーがかけられていて、肉眼でもボケたように見える上に、スマホのフォーカス機構が、赤外線によるアクティブ方式なので、カバーの分、手前にピントを合わせたためだと思う。


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生誕 95,000日

2016-03-04_084637.jpg 先日のヨアンネス生誕260年の記事で、生誕 100,000日が近いことを書いた。

同記事で、1000日きざみのカウントダウンも記しておいた。

で、今日は生誕 95,000

バースディ・ソングというと、モーツァルトの作品では「小さなフリードリヒの誕生日」KV529 (リンク先:Mozart con graziaの楽曲解説)が思い出される。
ヨアンネスの誕生日を祝う歌ではないけれど、まずはこれを聴いて祝祭気分を盛り上げることとしよう。

2016-02-27_112400.png (画像クリックでYouTubeの検索結果へ)


みなさんも何かお祝い(拍手)をお願いします。

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Androidマルチユーザー機能

先日書いたように、携帯のキャリアを変更したため、今までの端末(Softbank Xperia Z3)が使えなくなり、しばらくdocomoタブレット(SH-08E)を端末にしたが、やはり電話としては使いにくいので、新しいスマホを検討中。

候補機種はいくつかあるのだけれど、もう少し評価がはっきりして、値段も下がるまで待つことにした。
ありがたいことに、docomoのREGZA T-02Dという端末を知り合いが譲ってくれたので、これを使おうと思ったが、これは家人にまわして、前に家人用に購入した"ZenFone2 Laser"を使うことにした(家人には重いと不評だった)。
Screenshot_2016-02-22-09-54-10m.jpg それで家人用に環境設定してたのを、家人のアカウントの削除も含め、自分用にまたやり直したのだけれど、設定画面に「ユーザー」というメニューがあることに気がついた。
これを開くと、設定した自分の名前の下に、「ゲスト」とか「ユーザーの追加」というエントリーがある。
ひょっとしてマルチユーザー対応しているのだろうか?
携帯端末のAndroidでマルチユーザー対応なんて想像もしてなかったので、ネットで"Android マルチユーザー"で検索すると、Android5からはマルチユーザー対応になっているらしい。ちょうどWindowsのユーザーのような感覚で使えるらしい。

これなら、家人の環境も同じ端末に設定しておいて、もし家人が退院してこちらの新しい端末を使うと言えば、すぐにSIMを差し換えるだけで使えるようになる。
さっそく、家人をユーザーとして追加した。

ストレージの様子を見ても、ユーザーが増えたからと言って、Windowsのようにユーザーというフォルダがあって、そこに複数ユーザーのデータがあるわけではないようだ。ネットの説明では、ユーザー個人の設定、たとえばホーム画面とか、アカウントに結びついた連絡先、写真や音楽などがユーザー別に管理されるというのだが、仕掛けはもう一つよくわからない。
アプリも、他のユーザーがインストールしたものは見えない。
レジストリのようなものがあって、それを使ってアクセス権をチェックしているのかもしれない。

有料アプリを使う場合、インストール・ユーザーが同じなら新たな課金は発生しないから、他のユーザーがインストールしたアプリが使えないというのは合理的だとは思うけど。


実際の使い勝手とかは、おいおい評価するとして、とりあえずマルチユーザー環境で使うことにした。

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もし40人学級だったら

sekaiga100ninnomura.jpg 「世界がもし100人の村だったら」という話がある。
Wikipediaによれば、2001年頃から、ネットで広まった話で、私は見たことはないけれど、これをもとにした本やテレビ番組になったりしている。

世界に飢えている人が何千万人いるというより、100人(つまり自分の周囲として認識できる集団)の中に何人いるということで、世界で起こっていることを身近に感じさせる工夫らしい。

この話が有名になる前から、自治体では、例えば「○○市の1日」(1日に赤ちゃんが何人生まれている)というような形で、市勢を理解してもらおうという工夫がされていたりした。
こういう工夫はそれはそれで良いことだと思うのだけれど、せっかく統計を使うのなら、もっと突っ込んだ使い方もできると思う。

上にあげた例は、単に尺度を変えただけである。そこに出てくる数字はすべて同じ値で除したものである。数字として身近に感じやすくなるかもしれないけれど、新しい情報は何も付け加えられていない。

この記事でタイトルにあげた「40人学級だったら」というのは、それ自体はあたりまえのことだけれども、統計の使い方はずっと凝ったものが考えられるということ。

学校の1クラス40人という集団は、一般人口の40人とは違う。
一般人口の40人だったら、いろんな年齢の人がそこに居るだろう。40人だったら10人ぐらいは高齢者だ。
しかし、40人学級というのは、実は同じ年齢の集団なのである。そこには高齢者は1人もいない。その40人の親の年齢というのは、だいたい似たり寄ったりである。
つまり、一般人口とは異なる偏った集団というわけだ。

どうしてこんなことを考えたかというと、昔は教室で先生が、親・家の仕事はなんですかという質問をすることができたけれど、今はそれが成り立たないという話を聞いたから。今、そういう質問をすると、クラスに何人か、うちは失業中で働いてません、という子供がいるという。

つまり、40人学級だったら、親が失業している子供が何人いるのか、片親の子供が何人いるのか、同じ学校に通う兄弟姉妹がいるのは何人かなど、標準的な40人学級だったら、教師が頭に入れておかなければならない子供の状況(バリエーション)がどのぐらいありそうかという視点で統計を使ってはどうかということである。

多くの統計では、対象の属性ごとに単純集計して発表されるけれど、前述のような統計を出すためには、子供と親・世帯をマッチングさせた状態で集計しなければならない。単純集計後の統計からは出てこない。

census_mirai.jpg 国勢調査ならそういう集計ができるはずである。
昨今、ビッグ・データがよく話題になるが、ビッグ・データの活用の基本は、マッチングを基礎としてパターン(グループ)を抽出することであろう。

国あるいは自治体は、そういう分析をする気はないだろうか。
特に、本記事のように、学校教育に役立てようというなら、文部科学省あたりが、問題意識を持って集計プランを作って、実施したらどうだろう。
もちろん、実際の学級の状況は先生が把握するわけだが、それを特殊と見るか、一般と見るか、文部科学省の施策には違いが出てくるのではないだろうか。

集計プランを作れないなら、生データを匿名化して公開するという方法もある。

もっとも匿名化にはそれなりの工夫が必要である。意図をもって集計しないと何をマスキングすれば良いかもわからないし、半端なマスキングでは個人を特定できてしまう。
たとえば、地域差があまりないデータにおいて、地域をマスキングするとかすれば、居住地から個人を推定することはできなくなるから、匿名化の方法として可能性があると思うけれどどうだろう。


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国勢調査で初の人口減

l_kokusei01_mf.jpg 昨年行われた国勢調査の結果速報が発表された。

それによると、日本の総人口は、国勢調査としては初めて前回調査を下回ったそうだ。
国の速報が出る前に、都道府県での速報も出ていて、大阪府も人口減という結果で、危機感を持つ向きもあるようだ。

危機感を持つのは悪いことではないと思うが、その方向を間違えてはいけないと思う。
人口減への対応を、産めよ増やせよだと考えている人がいる。それは方向が違うだろう。

当面、人口減は止めようがないと思う。重要なことは、人口減によっていびつな年齢構成になった集団が、気持ちよく暮らせる社会へ変革することだ。
総人口が問題なのではなくて、若年層が少ないことが問題なのである。

2016-02-23_085027.jpg

そもそも人口が増え続けるというのは、ロジスティック方程式からの帰結ではあるけれど、ロジスティック方程式を差分方程式として考えると、その解がロジスティック曲線(成長曲線)になるとは限らない。振動解が現れることもある。

(図は"Perios 3 implies chaos"から)


人口が増えることをアタリマエと考え、それを維持しようという発想を捨てる時期に来たと思う。
成長神話という。人口も、科学技術も、生産も、すべてが成長する。こういう世の中になったのは、人類史ではごく最近のこと、例外的な時期であるとも言われている。
そして成長があるところでないと生きられない活動の割合が大きくなったのは、当然、このためだ。

昔、オイルショック後の不景気の分析で、重工業不況は設備投資が冷え込んでいることにあるという解説を聞いたことがある。特に大阪については、東京などで通常のフローの規模が戻っても、ストックの成長に依存する重工業の割合が高いため、同じように回復することはないという話であった。


今、マイナス金利が話題だけれど、そもそも(プラスの)金利が付くということをアタリマエと考えていたことがおかしくて、良くてゼロ金利、預かってもらうのに手数料が要ると考えるほうが健康的なのかもしれない。

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