立川吉笑「現在落語論」

kissho_genzairakugoron.jpg 立川吉笑「現在落語論」。

若僧が何を生意気に講釈垂れてるんだ、というのが読み始めた時の年寄りの感想。
というか、著者はもともと京都のくせに(というか京都だから大阪への反発?)、江戸落語なんぞやって、上方落語をどう考えてるんだということも初っ端にもよおす不快感。
上方の落語家が、江戸落語について「もぞもぞ言ってるだけで何がおもしろいんや」と酷評していたこともあった。

もっともそういう状態は本書にも書かれているように、一時代前の状況で、かつて立川談志がこのままでは能のようになってしまうと憂えた頃のことでもあるようだ。

その談志、粋の固まりみたいなところを感じるわけだけれど、そしてうまいと思うけれど、上方贔屓の私としては、いちばん小気味よい話は、米朝の東京公演を談志が聴きに来て、ガックリ肩を落として帰ったというエピソードである。(「名人は名人を知る、ようわかっとるやんけ」と余裕で談志を誉めた。)

ということで、訝りながら読み始めた本だけれど、そこに書かれていることは至極きちんと筋の通ったことである。
落語について、その技術や特性について考えた、あるいは考えさせられた人なら、右に掲げた目次を見れば、どういうことが書かれているか、たちどころに了解できるものと思う。

著者は、自らのお笑い体験・落語家としての修業を通して、こうした理詰めの落語技法を文章化したのだろうと思う。その分析にはなるほどと思わせるところも多いし、よくまとめられている。

少し違うかなと思うのは、落語がもつアドバンテージを強調するあまり、実はその表現技法は落語だけというわけではないんじゃないかということ。
たとえばありえない時間・空間的設定(第一章1。跳躍や歪みであったりする)を落語の特有のもののように書いているが、これはエッシャーの絵をはじめ、絵画やマンガでも、ケースによってはよりうまく表現できる場合もある。『胴斬り』のシュールさは『猿飛佐助』をはじめとする初期のマンガでも多用されていると思う。

また落語特有と著者がいう、情報を「隠す」(第二章1)技は、小説のような単線的な順序を持つ表現形式なら同様に可能である(もちろん演劇とかだと、隠れていたということに意味が出てしまってうまくいかない)。

その一方、昔からあるシュールな落語について、落語の表現の柔軟さを強調するわけだが、実際には、それ以上に感心すべきなのは、そんな昔から、その話をおもしろがる感性を持っていた庶民の方かもしれない。

この本を契機として、立川吉笑、立川談笑という落語家の芸をYouTubeで見せてもらった。
やっぱりまだまだこなれてないなぁ~、と思ってしまう。

米朝などは、喋っている人間や場面の転換、そうしたものを表現するための、顔や体の向き、目線、言葉使い、そのすべてに対し、細かな演技が必要であり、それが自然にできる(それがどれほど難しいかはやってみようとすればわかる)ようになるのが落語の稽古であると考えていたようなフシがあって、それを厳しく弟子に求めていたと思う。

また、言葉使い一つで、大家なのか店子なのか、侍か商人かがわかるわけだが、もちろん、吉笑氏もそのことは承知の上だろうけれど、この人の高座ではそれは残念ながら十分には聞き分けられない。
みずから自身の代表作という「ぞおん」でも、登場人物2人のメリハリはもう一つのように思う。

落語の技術としては、まだまだ未熟なのだと思う。
おそらくそのことは自身も良く解っていて(でないとこれだけの本は書けないだろう)、これからの精進を期待する。

第一章 落語とはどういうものか
1 何にもないから何でもある
顔色の悪い赤鬼
不条理な空間を描く
2 落語の二面性―伝統性と大衆性
始まりは大衆芸能
二面性についてのコンセンサス
3 古典落語と新作落語
伝統性と大衆性のバランス
古典落語の誕生
アーカイブによる伝統性の強化
なぜ新作落語がつくれるのか
それ、落語じゃなくていいだろ
4 マクラは何のためにあるのか
自己紹介の役割
お客さまを知る
メッセージにリンクさせる
フェイントマクラ
幻想マクラ
第二章 落語は何ができるのか
1 省略の美学
引き算の美学
下半身の省略
空想の具現化
場面転換が容易
情報を「隠す」ことができる
自由自在な入れ子構造
2 使い勝手のよさ
辻褄が合っていなくても問題なし
歌のように聴ける
定番キャラクターの存在
3 古典落語を検討する
『二階ぞめき』
『不動坊』
『胴斬り』
第三章 落語と向き合う
1 志の輔の新作落語
落語でしか描けないもの
伝えたいメッセージとは
2 談笑の改作落語
改作落語の狙い
「花魁」を「アイドル」に
スライドの技術とセンス
大衆性をブーストする
噺の本質を掴む
改作としての『紺屋高尾』
3 擬古典という手法
擬古典とはなにか
擬古典を選んだ理由
擬古典『舌打たず』台本
4 ギミックについて
ネタづくりのルール
ギミックの展開例
ネタをチェックする基準
代表作『ぞおん』
現代が舞台のネタ
落語との向き合い方
第四章 落語家の現在
1 吉笑前夜
弟子入り
師匠選びも芸のうち
2 「面白いこと」への道
ぼくの好きなお笑い
お笑い芸人を目指す
面白いことをやりたい
決定的な転機
3 落語会の抱える二つのリスク
需要と供給のバランス崩壊
外部参入による構造改革
ただの大衆芸能になる日
4 落語の未来のために
全国ツアーという活路
ぼくが立つ場所


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ヤマボウシ

P_20160626_104810.jpg P_20160626_104800.jpg 前に、我が家のヤマボウシが、今年は、それなりに花をつけたと書いた。

もちろん花の季節は過ぎて、今は葉だけになっているが、うちを向いにするお宅には、品種が違うのだろう、ちょっと呆れるぐらいの花をつけている木がある。

ネットで検索すると、"ヤマボウシシネンシス"というものが似ているように思う。名前からすると、中国ヤマボウシということなのだろう。

ただWikipediaには、"ヤマボウシシネンシス"は見当たらない。
"Cornus hongkongensis"というのがあって、こちらで画像検索すると、よく似たものが見つかる。名前から推察するとホンコンだから、シネンシスと同じだろうか、こちらは学名だから、シネンシスが通称("ヤマボウシ"は属の学名ではないから、"ヤマボウシシネンシス"が学名のはずはない)なのかもしれない。

P_20160626_104844.jpg ちなみにハナミズキは、アメリカヤマボウシという別名もあるらしい。

(それなら、問題の木は中国ヤマボウシとか香港ヤマボウシでもよさそうだが)


ついでに、我が家のアジサイ。
15cmぐらいの小さい鉢植え。
(一稿を起すだけのインパクトがないのでひっそりと。)


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遅い歓送迎会

昨日は、職場の歓送迎会。

この4月の人事異動にともなっての歓送迎会は、異動前の組織変更→解散会を含めて4回目。
昨夜のが、もっとも普通の同じ職場での歓送迎会である。

場所はY市を離れ、O市内ミナミのビヤホール。
私も若い頃に行ったことがある(当時は場所が少し違っていた)。からあげが評判の店。
幹事がからあげに目がないので、ここになったらしい。

歓送迎会というと、以前、他県で働いている人の話によると、そこでは歓送迎会はなくて、送別会と歓迎会をやるのだそうだ。
出入りの人が集まるのではなく、出る人と残る人、来る人と迎える人、というわけである。

なぜそうなっているかにはちゃんと理由があって、県内に事業所が広がっていて、しかもそのどれも結構遠い。

車だとそうでもないらしいが、公共交通機関は不便。宴会だから車で来るというわけにはいかないらしい。
となると、出ていく人が出ていく前に、来る人が来てから、と分けて宴会をすれば集まるための負担が小さくなるというわけだ。

この話を聞いて思った。
歓送迎会の場合、異動する人は旧所属・新所属の2回出席、異動のない人は現所属の1回出席となるけれど、送別会と歓迎会だったら、新入社員・退職者以外はみんな同じ2回の宴会になって、公平になるなぁ。

それはともかく、昨夜の宴会で一番盛り上がって、宴席全体で話題になったことがある。
家で食器洗いをするとき、洗い桶を使うか否か。
洗い桶派は、水につけることで汚れがとりやすくなるという。
対して、使わない派は、洗い桶に汚れた食器を入れると、汚れが全部の食器に移って、全体として効率が悪いという意見。
宴席で賛否を問うと、使う派がやや優勢だった。

私は使わない派である。
油汚れなどは、さっさとキッチンペーパーで拭きとる。
もちろん、グラス、油汚れのないもの、油汚れのあるものという順序は遵守する。
さらに、洗い桶を使うと、洗い桶自体が洗い物になって、1品増えるということもある。
家人は使う派であり、娘は使わない派である。
同じように夫婦で意見が対立し、夫婦喧嘩に発展するという話も。

子供がいる家庭では洗い物が多く、かつ、食後にすぐ洗えるだけの余裕がないという場合もあると強く主張する人もいて、そういう人は使う派になる。

なんとも平和な話題なのであった。

P_20160627_182827.jpg

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newmunchensouth_chiken.jpg
IMG_20160627_192242.jpg IMG_20160627_193722.jpg

(この店の名物のからあげは、
写真を撮り忘れたので、
ネットから拾ったものを使用)



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「おもてなし」~アトキンソンの続き

アトキンソン「新・観光立国論」の続き。

昨日は、アトキンソン氏が言う観光立国のマクロ面を中心にしたけれど、本書で手厳しく批判されているのは「おもてなし」である。

takigawa_roku.gif 滝川クリステルのプレゼンテーションで有名になった「お・も・て・な・し」は、日本国内では絶賛され、流行語にもなったけれど、アトキンソン氏によると、欧米のメディアは否定的な反応だったのだそうだ。

アトキンソン氏が言うには、あのように音を区切って話されると、欧米人は馬鹿にされているように感じるのだそうだ。

氏は、ああいうプレゼンのしかたもスタッフの指示によるものだろうから、滝川クリステルを批判するつもりではないようだ。
rokujirorw 私は滝川クリステルのファンではないから、やっぱりお人形?と言いたくなるけれど。


氏の主張を簡単に言えば「おもてなし」は客寄せにはならない、日本人の自己満足の押し付け(「小さな親切大きなお世話」?)になっているかもしれない。

日本人が誇りに思う「おもてなし」=無料奉仕とは、チップ代が料金に含まれていることでしかなく、客にはサービスの良否を評価することが許されていない、そしてそれがフィードバックされないシステムでしかない。その証拠に、日本のホテルは型どおりのサービス以外は提供しないところがほとんどであると言う。

アトキンソン氏は事前に箸も使えることを和食レストランに伝えているにもかかわらず、店に行くとナイフとフォークが出されるのだそうだ。外国の方へのおもてなし・気遣いというのが店側の説明だそうだ。


それより重要なことは、成田に最終便が到着した頃には、成田エクスプレスは運転を終了していることとか、入国審査では外国人の窓口が少なく、日本人の窓口が手すきになってもそちらへ誘導するようなことはしないとか、観光スポットの案内がない、外国語表記がない、つまり、知ってるものだけが来たら良いと言わんばかりのインフラの状況をさして、客を客としてもてなす真心がなさすぎると糾弾している。
そして、こうした面での整備は、観光大国フランスや、観光振興を頑張ろうと言うイギリスでは既に達成されたことなのだそうだ。

もっとも数年前、イタリアでもドイツでも、電車に乗ろうと思っても、それぞれイタリア語、ドイツ語表示しかなくて苦労したけれど。


 高級ホテル一泊の宿泊費
 Hotel President Wilson, Switzerland   $65,000~80,000 
 Lagonissi Resort, Greece $47,000
 Four Seasons New York $45,000
 Raj Palace, Jaipur, India $40,000
世界にはとんでもなく高いホテルもあるそうだ
本書のAmazonレビューはおおむね高評価だが、中に低評価のものを見ると、観光客のために日本のやりかたを変える必要はないという趣旨の意見のようだ。そもそもアトキンソン氏は、観光立国を実現するために、やりかたを変えるべきと書いているわけで、そういう人は観光立国=外国人がたくさん来る国になってはいけないという主張をすべきであろう。

日本特殊論(本当に日本を解ってもらうことはできない)を持ち出す人も多いが、たいていの国・地域は、自国は特殊であるという自意識を持っているものであり、日本文化はユニークなものだけれど、他の文化も同様にユニークなのだということを理解しなければならない。

また、政府や自治体の観光政策はピンボケであるとも言う。
昨日書いたように、マクロ的な押さえもできず、マーケッティングもできない。
「日本の理解者を増やして来てもらう」などという、悪くはないがさほど効果を上げないものを「戦略」と勘違い。
だいたい、数が来れば良いのではなくて、日本にお金を落としてもらわなければならない。

「爆買」で観光客が増えた、沢山お金を落としてもらったと喜んでいるが、それで買われているのは実は中国、アジアで生産されたものが多いということには気づいているか。


郷に入っては郷に従え」というのは、郷に入る側の心得であって(したがってアトキンソン氏はそれに従っている)、郷に居て迎える側の心得ではない、それこそが正しい「おもてなし」の心得であろう。

外国人には日本のことはわからない、それならそれでも結構だが、外国人に日本に来てもらいたいなら、外国人による本当の日本の評価をちゃんと聞く耳をもちなさい、そういうことである。

「外国人」と一括するのもダメ。相手にあわせた「おもてなし」というか、接客が必要で、イギリスですら相手別の接客マニュアルが用意されているという。


「おもてなし」が悪いわけではないのだけれど、自分たちのやりかたが世界で一番だと過度に誇って、それを受け入れない外国人は間違っているというように考えていては、接客の基本である、相手に合わせる、相手の気持ちになる、ということからは最も遠い姿勢に陥る。

どうして私の気持ちを受け入れてくれないんだといって、ナイフでアイドルを刺すのに通じると言ったら言い過ぎか。

アトキンソン氏の批判を受け入れられないとしたら、そのことが批判されていることになる。
巧妙な論理である。

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デービッド・アトキンソン「新・観光立国論」

以前、「魯山人の美」という記事中で、以下のようにデービッド・アトキンソンの紹介をしたことがある。
「新・観光立国論」で有名なデビッド・アトキンソン氏の意見もやはりもっともだと思う(原本は未だ読んでないが、同様の主張はネットのあちこちで紹介されている(下のリンク)。
日本は観光小国でしかない、「おもてなし」では外国人観光客は呼べない、というのも納得の主張。 外国人観光客に人気なのはラーメン屋という現実もある。

atkinson_shinkankorikkoku.jpg ここで紹介したリンク先記事は、それぞれかなりの分量があって、私としては「新・観光立国論」を読んだような気になったのだけれど、そして要点は確かにそのとおりなのだけれど、たまたま図書館に置いてあったので、きちんと読んでみることにした。

この本の要点は、前述のリンク先記事を見れば概ねわかると思うが、本書には、その主張の根拠となる数字があげられている。
具体的には、観光客数や観光収入の国際比較、日本を訪れる観光客のカテゴライズなどである。

とりわけ、日本が目指すべき観光客数は、観光立国といえる諸国におけるGDP比や観光収入と同程度を目標とするならば、現時点においても5600万人、世界的な観光の発展からすれば2030年には8200万人とし、政府の観光ビジョン懇談会の目標値(2016年3月:2020年で4000万人、2030年で6000万人、本書執筆時点ではさらに低い)に疑問を表明し、根拠なき目標設定と斬って捨てている。

そしてその目標に向かってなすべきことは、マーケッティングであり、そのためのターゲッティングであり、このどちらも確たるビジョンもフレームワークも持っていないように見えると批判している。

私はこの主張があたっているのかどうか判断できる情報は持っていないけれど、いろんな政策について、科学的と言えるような根拠を持たず、鉛筆をなめて目標設定をしているように見える我が国の政策立案者なら、さもありなんという感じはする。


氏は観光立国の基本条件は、「気候、自然、文化、食事」といい、日本はこの4つが揃う稀有の国であるという。フランスは4つを備えており観光大国としてトップにあるが、イギリスは気候、食事は落第なのに日本よりも観光で成功していると言う。
日本はその4つを活かしきれていないとし、それを活かすための投資が必要であると言う。

氏が言う「観光立国」とは、外国人観光客=「短期移民」とし、国内総消費を飛躍的に増やす経済活動であるから、それを実現する投資は当然のものである(歴史的建造物を大事にしない京都のみすぼらしい街並みは、外国人観光客を失望させている)。


ここは氏の意見に耳を傾けるべきだろう。

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UK votes to LEAVE the EU

世界中の話題となったBrexit、昨日の国民投票で、離脱派が勝利した。

2016-06-24_150531.jpg ブログで2回とりあげるほど高い関心を持っていたわけではないけれど、予想が当たらなかったので言い訳がてら。

まずは、この日10時過ぎに、お金を預けてある銀行から電話。

「今、イギリスの国民投票が行われています。離脱が優勢という情報もありますが、まだまだ分からないと思います」

大金を預けているわけでもないのだけれど、ご丁寧にいろんな相場が下がったときの予防線だろうか。

そういえば少し前に、運用成績の報告で、

「イギリスのEU離脱がどうなるかが心配され、今は下がってますが、残留となればまた落ち着くと思います」

というような話をしてきて、さらに

「今が底で、EU離脱が片付いたら反転するでしょうから、今、株投資の好機です」

と営業トークを受けていた。

2016-06-24_150623.jpg 私としては、今は現金で持っておくのが安心、それに株や債券の価格に直結するというより、その変動が問題だろうから、上手に運用してもらえばと答えて、今回の勧誘にはのらなかった(ただ面倒くさいというのが本音)。
そういう話をしていたから、小口顧客でも気にして電話してきたのかもしれない。

さて、予想に反して離脱となったわけだけれど、私が思ったのはこういうこと:

EU離脱の影響はいろいろ言われているけれど、総合的に影響を予測することは難しいだろう。
そういう意味では必ずしも方向性がある判断とは言えない。
だから、とにかく「現状変更」を求める者が離脱賛成の中心だろう。
そうした人がイギリスの過半数ということもないだろう。


つまり、ある程度、日本のポピュリズム政党が人気を得るのと同じようなところがあるのではと考えていた。
だけど、直前のテレビ番組などを見ていると、守るべきものをもっていそうな経営者層ですら、EU離脱の方が良いと考えを変えているとのことだった。
であれば、これは、単なる人気投票や気の迷い投票ではなくて、ひょっとすると離脱派が勝つかもしれないと、半信半疑ながら考えていたところ。

2016-06-24_150705.jpg 結果は出た。ただ、前述のとおり、EU離脱の総合的な得失は案外難しく、離脱派といっても否定でまとまっているようなものだから、まだ離脱後のビジョンや政策運営方針が合意されているとも思えない。
この判断を受け入れて、離脱後のビジョンをきちんと示して行ってもらいたい。

キャメロンは10月には辞職すると表明しているが、国政運営に制約ははめられたものの、その制約下でどうイギリスを導いていくのか、先行きが見えないだけに、それまではトップリーダーを務めるべきではないだろうか。
ところで、ポンドの急落が開票途中でも伝えられていた。日本では円が下がると大喜びする人がいるのだけど、ポンドではどうなんだろう。(年金生活者にとっては、デフレの方が望ましいんですが)


地域別では、スコットランドは残留支持が強かった。
うろ覚えだけれど、スコットランド独立の国民投票のとき、独立したらスコットランド国内はポンドではなく、ユーロを使用するというような話も出ていたように思う。
イングランドとの対抗上、残留を支持したのかもしれない。

実際にイギリスがEUから離脱するまで、いろいろな調整や新しい条約その他、さまざまな手続きもあって、2年ぐらいはかかるという。そうしたことも踏まえ、パニックにならず、早く落ち着きますように。

真田丸の台詞じゃないけど、「乱世でなければ生きていけない者もいるのだ」なんて、やめてほしいな。


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予定外でお休み

2016-06-23_104746.png 昨日は関西地方にもかなり強い雨が降った。

後でニュースを聴いていると、京田辺市では6月における1時間降水量が観測史上最大(43.5mm、それまでは1984/6/20の43mm)を記録したという。


いつものように出勤しようと駅へ向かって歩いていると、いつになくたくさんの車が駅方向へ向かっている。
雨が降っているから、家の人が働きに出るお父さんや、学校へ行く子供を駅まで車で送っているのだろうと思っていたのだけれど、駅へ着くと、人があふれている。

全線運休。

K鉄やK阪が振替輸送をしているというが、それぞれの最寄り駅までのバスの振替はない。
以前、同じような状態になったときは家人の車でK鉄の駅まで送ってもらったが、今回はもう面倒で、運転再開を待つことにした。

7:30頃に一旦家へ戻って、運転状況をPCで確認。
8:30には運転再開するだろうと思っていたし、Jorudanのユーザー情報ではそういう情報も流れていた。

2016-06-23_104937.png 待てど暮らせど再開の情報が来ない。
職場には、運転再開したらぶらぶら出勤すると連絡してあったが、10時過ぎにはもうあきらめて、大した予定もないから、休むことにした。

その後も運転状況をチェックしていたら、「大雨により」から「大雨による線路トラブルにより」と、事象が変更され、復旧作業のために運転見合わせとなり、結局、12:45に復旧作業を完了、運転を再開したという。


結局休むことになったわけだが、はじめからわかってたら、朝早く起きたりしないでゆっくりするんだけれど。

それにしても、現役バリバリの時だと、こんな悠長なことは言えない。電車の遅れだけでも大変で、絶対出席の委員会が朝から予定されていたときなど、随分あせった覚えがある。

珍之助さまなんかまだそのかわいそうな状況から脱していない.。
今、まさにその時期にあられるものと思う。お気の毒です。


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Brexit

Brexit_banner.jpg 今日(6月23日)、英国のEU離脱(Brexit)についての国民投票が行われる。

昨日は「代議制民主主義」をとりあげたけれど、Brexitは国民投票である、代議制ではない。

この重大な意思決定において、残留派、離脱派は拮抗していて、どちらになってもおかしくない。
英国は2年前にも、スコットランド独立についての国民投票が行われている。このときも、独立支持・不支持はきわどい結果であった。
brexit-800x500.jpg

重大だからこそ、正解が得られないからこそ、国民投票になっているわけだ。やむにやまれぬ気持でやっているのだろう。
自分の思い通りにしたいから国民を煽って国民投票に持ち込もうというようなものではない。


英国のEU離脱は、他のEU諸国はもちろん、米国も日本も好ましく思っていない。また、経済に関しては、すでに開放された市場となっている以上、英国にとってもEUにとってもマイナスの影響が強いと考えられているようだ。

Brexit_image1.jpg それでも離脱しようというのは、EUから「おしつけられるルール」に我慢がならないかららしい。これは情緒的な問題ではなくて、移民の受け入れ問題など、元々の英国民にとってマイナスと考えられているわけだ。

こういうロジックは、トランプ現象にも通ずるところがあるように思える。もちろん、英国民がトランプのような過激な言説を支持しているわけではないと思うし、国民の利益ということから考えて、外野の私にはどちらが良いのかなんて判断できないけれど、なんだか、昔のブロック経済のような状態に、世界の雰囲気が向いているような感じがする。

開放体制でも国によって損得は出るだろうし、閉鎖体制でも同じ。
力の強い方の損得で、開放か閉鎖かが決まる、それが気に入らない、という意見もあるだろう。

私の予想は残留。根拠はないが、リスクを抱えるのを避ける保守的心情が優るような気がする。


【追記】
2016-06-24_110716.jpg

EU referendum: Latest results - BBC News
(右図は、11:10頃の状態)





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待鳥聡史「代議制民主主義―「民意」と「政治家」を問い直す」

machidori_daigiseiminshushugi.jpg 今日は参議院選挙の公示日(投票日は7月10日)である。

参議院というのは、巷では存在意義がどうのとかいろいろ批判もある。私は以前、参議院について意見を書いたことがある。その意見は今もそう変わっているわけではなくて、ねじれで何が悪い(それも民意)、一票の格差それがどうした(衆議院と同じ原理で選んでどうする)、やっぱり「良識の府」としての存在価値を発揮してもらいたい。

とはいうものの、例のフランス革命時に言われたという「上院が下院と同じ意見なら上院はいらない、上院が下院と異なる意見なら上院は邪魔だ」という論理があるから、二院制の意義をもう少し考えてみても良い。

歴史的には、二院制とは、貴族院と平民院の対立が前提となっていて、フランス革命時に二院制を否定=平民院(国民公会)を唯一の議決機関にすることは自然だったと思う。しかし、米国のように貴族がいない国をはじめ、二院制を採用している国は結構多い。

本書「代議制民主主義」では、どちらが良いかという問題に答えるわけではないけれど(いろんな政体を比較するのが本書のメインだろう)、米国の二院制の起源について説明があった。

米国は独立後まもない間は、まだ合「州」国ではなく、各独立植民地が「邦」として存在し、連盟規約はあったものの、それぞれ「邦」の利害が優先していて、一つの国としての結束は弱かったという。そして、この状態では、独立革命を成功させたことが水の泡になるおそれがあり、合衆国憲法が制定される必要があったという。
この時、「邦」の利害と「合衆国」の利害を調整できる体制として、大統領、上院、下院が考案されたということらしい。
大統領は任期4年で、間接選挙とはいうものの合衆国民の代表、上院は任期6年で州の代表、下院は任期2年で選挙区の代表という考え方で、それぞれ代表と想定されている集団(選出母体)が異なっている。また、上院は連邦の長期的政策を、下院は短期的問題解決を担うという、役割分担があって、それは選出方法の性格に沿ったものだという。

もちろん、現在の米国でこれがこの通りに運用され、機能しているわけではないだろうけれど、なぜ上下両院があるのかということについては、なんとなく腑に落ちる説明だと感じた。

inin_sekinin_chain.jpg もっとも、この本は読んでいて、とてもわかりにくい、というか何を主張しているのかピンとこない。
「序章」に、代議制民主主義の基本構造として「委任と責任の連鎖」という図解があって、基本にこれが押さえられているのだろうけど、というかそれを常に頭において読まなければならないのだろうけど、なかなか頭に入ってこない。
腰巻に書かれている「この国の政治はおかしいと思う、すべての人へ」には答えてない、少なくとも私には、本書に書かれている政体論とかに答えを見出すことはできなかった。

とくにわかりにくい印象をもったのは、著者は解りやすくしたつもりだと思うけれど、代議制は自由主義と民主主義の両方から異なる要請があるなかで生まれたという点。
著者が言う自由主義は、エリートの競争と相互抑制の下での意思決定メカニズムだという。たしかに歴史的には絶対権力からの自由、つまり王様に対する諸侯の自由から生まれたもののようで(それはマグナ・カルタの歴史)、片や民主主義は意思決定の原理だという。
言葉の定義だけの問題かもしれないが、私は議会の歴史としては首肯できるけれど、自由主義という言葉を使うことに違和感も感じる。

これだけでは理念的で、私にはイメージできないので、古代ローマの皇帝、元老院、市民の関係のようなものを思い浮かべていた。塩野七生氏が言う、ローマの主権者は元老院と市民であって(S.P.Q.R.)、皇帝はその両者の信任により成り立つ地位であるという話である。

政体が歴史的に形成されることは当然としても、歴史性で説明しても一般解としては納得できるものではないと思うがどうだろう。

本書ではいろいろな政体について考察されているのだけれど、政党政治が基底にあるのなら、どんな政体になろうと、決定される国家意思に違いが出てくるようには思えない。大統領であろうが、首相(議院内閣制)であろうが、政党が力を持っていたら同じ結果になるような気がする。著者は、中国のような一党独裁についてはどう考えているのだろう。
もっとも、近年は「支持政党なし」が最大のようだから、政党は一部謀略集団程度なのかもしれない。

だとするとますます参議院の意義は大きい?


本書の序章では、「熟議民主主義」という言葉も出てくる。著者は代議制に対するもののようにとらえているみたいだけれど、私にはこちらの方が未来を展望させるように思えてならない。

「熟議民主主義」についてはいろいろ本も出ているようだから、また読むことがあったら感想をアップしたいと思うけど、参議院について書いたことに近いように思う。


蛇足だが、著者は政治家はアマチュア、官僚はプロフェッショナルとしているけれど、日本の官僚は行政のプロだけれど、執行のプロではないと思う。本当に執行のプロだったら、ポリシーのかけらも感じられない、パーフォーマンスの悪い、でたらめな制度設計なんてしないだろう。

1000億円の予算があったら、10億円でできることでも1000億円かけるのが官僚というやつらしい。


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「MomentCam モーメントキャム: 私の姿を漫画の中に!」

momentcam_icon.png 久しぶりにAndroidアプリのご紹介。

プロフィールや時々記事にも使っているアニメーションGIF、「六二郎アバター」と自分では読んでいるけれど、Facebookのプロフィール写真にも使うことにしたところ、Facebookの方で「いいね!」を何人かの方からいただいた。

Facebookは、今の会社の社長から友達リクエストが来たので、断るわけにもいかずアカウントを作って、スマホにもインストールしたのだけれど、実際のところほとんど使っていない。ただ、Facebookを多用している知り合いから、Facebookで飲み会の案内などが来たこともあるので、今さらFacebookやめましたというわけにもいかない。


その「六二郎アバター」だけど、これはMomentCamというAndroidアプリ(iOS版もあるらしい)で作成したもの。
自分の写真を撮って、すぐに漫画(静止画、GIFアニメ)にはめ込めるという、なかなかおもしろいアプリである。

やってみると、なかなかリアルな顔が埋め込まれるので、ブログで使うには不適当、六二郎アバターは、その中で一番本物を推測しにくい絵を選択したもの。それでも、私の顔を知っている人には、それらしく見えるので、Facebookの「いいね!」になったのだろう。

注意して見てもらうと、六二郎アバターには左右反転したものを作っている。
これは、GIFの各コマを左右反転して、再度アニメGIF化して作っている(使用しているのは"PhotoScape"というWindowsフリーソフト)。

rokujirorw.gif    rokujirorw.gif


このアプリで気にいらないところは、顔があまりデフォルメされず、元の顔がバレそうなこと。
前述のとおり、六二郎アバターは、なんとなく面影を残しながら、本物が推察できない絵柄のものを選んだわけだけれど、他の絵柄でも、もう少し似顔絵的、山藤章二的にならないかと思った。

それでは、ということで、別人の写真を使ったら、私のものとはどのくらい違ったものになるのか、やってみた。
まず、世間を騒がせた舛添氏

Screenshot_2016-06-16-16-57-50.jpg        Screenshot_2016-06-16-17-00-26.jpg


私よりずっと若々しく良い男になってしまい、これがあの舛添?というものになる。
そして、「六二郎アバター」と同じ絵柄にはめると、私のと区別がつかないものができあがった(掲載省略)。

顔の傾向が全然違う人ならどうだろうということで、イチロー選手でやってみた。

イチロー選手をとりあげたのは、安打記録を打ち立てたときのインタビューで、自分についての号外が出たことについてはとぼけて、「別の人の号外が出たことは知ってます」と、「第三者の厳しい眼」につづいて舛添ネタが飛び出したから。


Screenshot_2016-06-17-13-39-27.jpg        Screenshot_2016-06-17-13-42-29.jpg


あきらかに違う、私と間違う気遣いはない。
ところが、六二郎アバターと同じ絵柄にすると、やはりこれも区別がつかないデキ。

MomentCam_20160617_151657.jpg もともと六二郎アバターに使った絵柄は、眼は元のものを使っているようだが、形はかなり変形していて、口は元の写真とは関係なく作っているようなので、差がつきにくいようだ。


このアプリ、無料なのに良くできている。

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最後に、右の絵で、元になった女優は誰でしょう?


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「フライドチキンの恐竜学」のおまけ

kentucky_friedchiken_cut.gif 昨日とりあげた「フライドチキンの恐竜学」に、日本大学の学園祭で野生生物学教室の学生が配布していたパンフレットからとことわって、ケンタッキー・フライド・チキン(以下KFC)のピースの可食部について、サイが122g、ウィングが72gということが書いてあった。

KFCは学生になるまで食べたことがなくて(近所に店が無かった)、はじめて食べたときは、可もなし不可もなし、普通の鶏の唐揚げの方がおいしいんじゃないかと思った。

唐揚げは具材に味付けをして揚げるもので、フライドチキンは粉に味付けして揚げるものだそうだ。


その割には無性に食べたくなることがある。前にも書いたけれど、以前は小食の私でも3ピースは食べるのが普通だったけれど、歳をとると2ピースでもう十分ということになっている。
しかしピースによって肉量が違うのなら、食べるピースによって3ピース食べられるのかもしれない。

 部位 KFC重み 肉量(可食部)
左記ページ 本書の値
 リブ 1 119.0
 サイ 1.5 127.5 122 
 ウィング  0.5 83.5 72 
 キール 1 92.0
 ドラム 1 65.5
「フライドチキンの恐竜学」では、サイとウィング以外は書かれてなかったので、他の部位はどうなのか、同じようなことを調べた例はないのか、ネットで検索してみた。
日大のパンフレットは見つからなかったが、肉量を計量したというページが見つかった(⇒「チキン肉量分析」)。

こちらのページでは本書が引用しているデータとは異なり、ウィングよりドラムの方が可食部が少ないという結果が報告されているのだが、KFCでは部位に重みがついていて、リブ、キール、ドラムは単独で1ピースだが、サイは1.5ピース、ウィングは0.5ピースという重みを付けているらしいから、それとは矛盾することになる。
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同ページでは、計量の様子が写真で示されているが、ドラムでは食べられそうなところがまだまだ残っているように見受けた。これがKFCの重みや日大の調査結果とのずれになっているではないだろうか。
私ならドラムの関節部分もガリガリ食べるし、一番好きなリブなら、肋骨はほとんど残らない(そこにこそ鶏本来のジューシーさが詰まっていると思う)。



なんだか、久しぶりに食べたくなってきた。

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フライドチキンの恐竜学

friedchiken_dinosaurus.jpg 私が子供の頃は、学校でフナやカエルの解剖とか、高校では牛の眼の解剖とかをやった覚えがあるのだが、この頃は命を大事にしなければならないとかで、そういう授業は避けらるそうだ。

だから、先生方は、煮干しのイワシの「解剖」など、授業を工夫されているようだ。
また、本書の内容を先取りするようだが、鶏手羽先を使って骨格標本を作るなどもあるらしい。


こうした「気遣い」には賛否もあると思うけれど、本書では、沖縄の子供たちに「知ってるトリは?」と聞いたら「ハクチョウ」と答えるような自然との距離(バーチャル化)に対する問題意識があるようだ。

さて、盛口 満「フライドチキンの恐竜学」は楽しい本である。
内容は、タイトルからもちろん想像できるのだけれど、どんな風に料理するのかワクワクさせてくれる。

第1章に、こんなことが書いてある。

トリケラトプスを発掘し、自宅に展示しようとしたら、調査に1~2ヶ月半、発掘に1~2ヶ月、掘り上げてから展示できるようになるまでに1~2年、この間に必要な費用は、ざっと20~25万ドル……
  (ファストフスキー他「恐竜の進化と絶滅」による)

というわけで「貧者の恐竜」を着想して、それがトリの骨というわけだそうだ。もちろん子供にとって、それはやっぱり恐竜ではなくて、トリなんだけれど。

全ページカラーで、見開き左ページはやさしい語り口の解説(というかエッセイ)、右ページは西澤真樹子氏(なにわホネホネ団)の愉快な絵―この本の成功の半分はこの絵の手柄かも)という構成で、とてもとっつきやすい。

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しかし内容は高尚で、難しい骨の名前もばんばん出てくる。子供の読み物のように考えていると内容が頭に入ってこない。当然、しっかりと骨のイメージを頭に描きながら読もうとすると、普通の本よりもずっと時間もかかる。

本書末尾の参考文献に挙げられている犬塚則久「恐竜ホネホネ学」(NHKブックス)ほど手ごわいわけではないが。


なかなか骨のある本なのであった。

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MLBの価値観からイチローは生まれただろうか

ichiro_4256.jpg 一昨日、イチローが日米通算で4257本目のヒットを打って、ピート・ローズのMLB通算安打数を超えた。

このブログでとりあげたからといって、世界中で飛び交う情報に、何にも追加できるわけではないけれど、ブログの日記性ということから、この出来事についても、そのとき私が何を思ったかという意味で書いておくことにした。

写真はネット上の動画からキャプチャしたもの。

Yahoo映像トピックス「イチロー、ローズ超えた偉業達成の瞬間」から。

ローズを抜いた4257本目でなく、並んだ4256本目。
なぜこっち(キャッチャーゴロ内野安打)を選んだかというと、こっちの方がある意味イチローらしいと思ったから。
4257本目の眼の醒めるようなツーベースの方がはるかに恰好良いけれど、年齢を加え、出場機会も限られてきて、それでも最高のコンディションを維持して、自分の出番に備えるというイチローのひたむきさが良く表れている、そう感じたから。

ローズの記録との比較がやかましいけれど、イチローはイチロー、ローズはローズ、どちらも最高のバッターで、どちらが上かなんてことは、永遠に決着しないだろう。それはローズとカッブのどちらが上かというのと同様だろう。あるいは、ペレとメッシのどっちが上かなんてことと同じ。

ローズは野球賭博で晩節を汚し、MLBを追放されている。古代ローマだったら「記録抹殺刑(Damnatio Memoriae)」を受けて記録そのものを失ったかもしれないが。


それにしてもイチローの記録達成で思うのは、MLBでは、だからといってイチローの出場に特別な配慮はしてないように見えること。日本だったら記録のためには間違いなく1番イチローで使い続けるのじゃないだろうか。言い換えれば、イチローが試合に出ること自体が凄いことで、だからこそMLBの記録は値打ちが高いのだと思う。

MLB記録しか認めないという人に対して、イチローがもしはじめからMLBでプレイしていたらということで、MLBはNPBより試合数が多いとか、イチローはNPBのときよりMLBへ行ってからの方が試合当たりヒット数が多いとかで、今頃は4600安打打ってるだろうという人もいる。

しかし、もしイチローがはじめからアメリカへ行ってたら、マイナーリーグからはじめて、メジャーへ順調に上がれただろうか? あの華奢にも見える体で?
ホームランを打てる打者でなければ引き上げられなかったのでは。もちろんイチローはホームランを狙ったらそれなりの結果を出したかもしれないが、決して他を圧するような成績は出せず、メジャーに上がるのは難しかったかもしれない。

そう思うと、オリックスで仰木監督に巡り合い、見い出され、自由に活躍の機会を与えられたことが重要なのではないだろうか。

今、大谷翔平が注目されているが、彼も栗山監督によって、さまざまな活躍の場を与えられている。日本ハムは大谷翔平を口説き落とすのに、高卒でメジャーを目指すことがいかに大変であるか詳細なレポートを示したそうだが、大谷も、もしいきなりアメリカへ行っていたら、どうなっていただろう。

イチローは、日本での7年連続首位打者という実績があったからこそ、MLBの舞台に立った。
MLBの価値観の中だけでプレイしていたのでは、イチローはMLBの舞台に立つこともできなかったかもしれない。

ところで、イチローがメジャーへ行くことが決まったとき、日本ではおおかたの予想では(そしてアメリカ側でも)、そんなに活躍はできないだろうと言われていたと思う。日本では「振り子打法」として有名だったが、メジャーではこれは通用しないとも言われていたと思う(イチローはメジャーでは振り子打法はやめている)。

本人がインタビューに答えて「常に人に笑われてきた悔しい歴史」と話したという。
本当にそうだ。
これからはアメリカの子供でも、イチローみたいな選手になりたいと言って笑われることはないだろう。
イチローはMLBの価値観も変えたのではないだろうか。

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コンビニの傘

梅雨に入って久しい。
今年の梅雨はどちらかというと、晴れと雨が交替するような感じがあって、傘を持っていくかどうか迷うことも多い。

2016-06-13_105235.jpg 先日、夕方までに雨は上がるという予報だった日だと思うが、夕刻、突如として強い雨が降ったことがあった。
私は傘を持っていたのだけれど、降車駅では、雨をにらんで立っている人も多かった。その中に、駅の傍のコンビニまで走る人がいた。駅からコンビニまでは約20mである。

ふと思った。コンビニの傘って400~500円ぐらいだったっけ。
おそらく一般スーパーだと100~200円で売ってるような商品ではないかと思う。
もし、普段200円とかで売っていたとしたら、雨のときにその値札を500円に変更することは許されるだろうか。

sandel_what_money_cannot_buy.jpg この状況は、マイケル・サンデル「それをお金で買いますか―市場主義の限界」(Michael J. Sandel "What money can't buy - The moral limits of markets")に書かれているものに似ている。
同書では、お金を払って不妊手術を受けさせる話や、お金を出せば並ばずにすむテーマパークのアトラクションの話、テストで好成績を収めた高校生に賞金を贈る話などが考察されている。

原理的資本主義者とか新自由主義者であれば、これらのいずれも正しいというだろうし、コンビニの傘の値札の変更も正しいというだろう。

サンデルの答えは明解。
邦題は問いかけだが、原題は断定(the thing which money can't buy)。

なんだけれど、なぜ安倍首相がサンデルを賞賛するのか、そこがわからない。


客: 傘、ください。
店: 500円です。
客: あほか、さっきまで200円やったやないか。
店: 雨が降ってきて需要が増えますので、需要に応じた価格に変更しています。
客: 私は200円と思って来てるんや。
店: 500円でも欲しいというお客様も多勢いらっしゃいます。不服なら他所へ行かれては。
客: この雨の中、出ていけいうんか。背広のクリーニング代、なんぼする思とるんや。
店: 傘の500円はクリーニング代よりずっと安いですよ、経済合理性があると思いませんか。
客: 足下をみよって。
店: お客様、レインシューズもありますが、いかがなさいますか。


コンビニの傘が、普段から原価に似つかわしくない価格で売られているとしたら、需要に応じて値上げをすることがアンフェアと言われる危険を避ける知恵なのかもしれない。

それは、視方を変えれば、普段は一本も売れないことを承知の上で在庫投資をしているものと言える。
ブラインシュリンプのようにひたすら雨を待ち、雨が降ったその一時に投資を回収して利益を出すわけだ。
博打のようだが、これはこれで正当化できるやりかたと評価できると思う。

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なぜ幸村は家康より日本人に愛されるのか

hongokazuto_nazeyukimurawaie.jpg 本郷和人「なぜ幸村は家康より日本人に愛されるのか」。

「はじめに」では、「真田幸村はなぜかっこいいのか?」として、「人とは違うことを書きたい! ぼくだけの切り口で、大好きな幸村を書きたい!!」としているのだけれど……
いきなり言い訳が連続する。史料が少ないから、歴史家(の良心)として、扱いにくいキャラクターであるとのことである。
それを数字で証拠だてるように、本書には次のようなことが書かれている。

史料検索の「日本古文書ユニオンカタログ」というのがあって、それで検索すると、「真田昌幸」だと176件、「真田信幸」「真田信之」合せて135件、そして「真田幸村」は0件、「真田信繁」で7件

このカタログというのがどういうもので、どういうものが対象なのかはよく知らないけれど、たしかに落差を感じるには十分な数字である。

ということで、本書では、だから想像を交えざるを得ないとも言い訳をしているが、やはり作家ではないから、勝手なことは書けないとして、信繁のことは、直接にはあまり書かれているわけではない。

分量として多いのは、やはり大坂の陣。とはいっても、信繁の事蹟は史料的に少ないようで、大坂方全体の様子に多くのページを割いている。

大坂の陣では、浪人となった元大名(長宗我部盛親)や、信繁もそうだけれど、徳川方の大名の兄弟(細川興秋)などのビッグネームが大坂城に寄るわけだ。
本書では、さらに、その下に位置しそうな、侍大将級の武将の名前がたくさん挙げられている。そして、その武将が、同じく大坂方の誰それの縁者であるとか、その娘や姉妹と婚姻しているとか、そういう親戚・姻戚関係が細かく書かれている。
そういうことを読むと、大坂方って、案外、そういう縁故で固めていたのかもしれない。これでは大坂落城のとき、生き残ることなど全く考えなかったという人達も多かったかもしれない。
その一方、落城時に逸早く脱出し、大坂の陣の様子を伝えた女中の話(後の重要史料)などもある。

というようなわけで、何だか良くわからないまま、幸村がグッとくるのは……と締めくくっている。

yamamotohirofumi_majime.jpg それにしても、この本の著者本郷和人氏は東京大学史料編纂所の教授で、たびたびテレビにも出演されているが、この本の語り口そのままなのだけれど、東大史料編纂所というと、山本博文教授もさらにテレビの露出度は高いと思うが、このお二人、随分語り口が違う。

山本教授は、知恵泉などの番組で見ると、いかにも落ち着いた学者然とした喋りで、他の出演者の言葉にもゆとりのある微笑で対応されているのだけれど、本書の本郷先生は、やけにミーハーで「この人大丈夫だろうか?」と思わせるのだけど、前述のように、史料を細かく読んでいて、やっぱり学者でもあるようだ。

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はらいせ解散?

舛添東京都知事は、都民でない私にも、なぜか無視できない存在である。

多分、今日、都議会で不信任案が可決の見通しというのだけれど、その前に辞意を表明するかもしれない。
そうではなくて、不信任→議会解散という対応を選択するとしたら、「腹いせ解散」とか、与党への「意趣返し解散」とでも呼ぶしかない。

以前、香川県の某市で、市長不信任→議会解散・再選挙→再度市長不信任・失職→市長選・再選ということが実際にあった。これなどは市長と市議会の対立で、市民は呆れ返ったものと思う。
また、名古屋市の河村市長は、対立する議会に嫌気がさして、不信任してくれ、そうしたら議会を解散する、という、自らの不信任を求めたということもあったが、こちらは目論見通りにはならなかった。


dai3shanokibishiime.jpg さて、舛添知事については、「せこい」というのがやたら有名になったけれど、週刊誌各誌などは、この人の親の介護はパーフォーマンスだったとか、親族とは泥沼だとか、人間性を疑わせるような記事でたたいている。
これが本当なら、悪徳政治家とか、考え方の相違というような「政治的な」部分での批判ではないから、支持者が戻ってくるとは考えにくい。

舛添氏について人となりを知るわけではないけれど、今の姿を見ていると、自分中心で論理を組み立てていて、周りが見えていないというしかない。

犯罪者は、自分の犯罪の遂行にあたって、こうすれば他人に目撃されることはないとか、こうすれば証拠が残らないなどと、自分に都合よく考える。客観的には、見つからないはずはない、証拠が残らないはずがないと考えられる状況であってもである。
これを「犯罪者の論理」という。



【追記】

この記事をアップしてから、ふとネットを見ると「舛添知事が辞職の意向固める」とあり、不信任される前に辞職してしまうらしい。
これはこれで残念、ここまで惨めな姿を晒してきたからには、最後まであがいて、不信任→都議選→不信任→知事選をやってもらったら、わずかな期間に参議院選、都議選、知事選と、選挙特需が発生して、関連産業が大喜びしただろうに。
最後まで意気地なしだったな。


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地元の草引き

IMG_20160612_084605-crop.jpg 休刊日をはさんで、一昨日の話題。

一昨日、6月12日の日曜日の朝は、「市民一斉清掃」が行われた。

(一日おいた今日も、体のあちこち、特に脚が痛い)

元々は、その前の日曜日が予定されていたけれど、雨のため1週間順延されたもの。

「市民一斉清掃」というが、要するに草引きで、年2回行われる。
今までも、旅行中で不在ということがなければ、きちんと市民として協力してきたが、今年は自治会の班長も仰せつかっているから、参加者への軍手、ゴミ袋の配布、終わった人へのジュースの配布などの世話もすることになった。

今までも思ったことだけれど、女性の参加者は結構、世間話をしながら狭いところをやる人が多くて、男性の参加者は少し手ごわい場所、たとえば歩道の植え込みなどで草ぼうぼうの場所に挑戦している姿が多い。
この辺りも、女性の方が地域に密着しているということであろう。
人によってはゴミ袋2つでも足りないほど集めてくるし、申し訳程度の量の人もいる。

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作業が終わった頃、「市の公園の草引きを先にやってもらったら良い」という意見を言う人もいた。そうした役割分担を知らない人もいるし、公園からはみだしている雑草が片付いてからの作業になって合理的だという。
なるほどという意見だけれど、市の草引きは、多分、業者との契約(入札)とかが必要だろうから、のんびり予算消化をしていては、6月はじめの市民一斉清掃の時期より早くはできないかもしれない。もっとも、市民を巻き込んでの行事だから、本来は市民一斉清掃の時期を自治会と調整して決め、それに合わせて公園の草引きをやるべきだろう。

この行事で大量に発生する草ゴミの回収に、市の清掃車が来る。
今回のように雨天順延したら、清掃車の待機はどうなってるんだろう。
そもそも雨天順延の判断はいったい誰がしてるんだろう?

札幌市では、雪かきのために市職員が待機するが、一冬で10億円の待機人件費が発生していたという。
(そのため札幌市は自前のレーダーを設置して、降雪・積雪予想を行って、職員の待機を減らしたという話を聞いたことがある。)


また、市全域で同時に草引きをしているのか、ブロック別にしているのか、こうした調整はどうなっているのだろう、当然、清掃局のスケジュールの調整も必要だろうし。

もしスケジュール調整して市内のブロックの清掃日を分けていたとしても、どこかのブロックが雨天順延すれば、他のブロックとぶつかるだろう。

前述の、市の公園清掃との調整も含め、意思決定過程はどうなってるんだろう。
まだまだ市政と自治会の関係がよくわからない私であった。

こんなことに首を突っ込むと仕事が増えて大変だから、このブログでぼやくだけにしておくけれど。


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休刊日

29year-olds.jpg 本日は月例の休刊日。










"How old do I look?"をやってみた…
29歳? ……中学生の子供がいるそうだが…

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坂野潤治「日本近代史」(つづき)

nihonkindaishi_banno.jpg 昨日は、本書全体から考えさせられることとして、

一つの事実が、教科書的な割り切りではない、さまざまな異なる意義づけをされて示される。
そうした事実に気づかされると、自由主義、民主主義、政党政治、そういうものが維新後に成熟してきた歴史と考えてはいけないことを思い知らされる。

とまとめた。

その一つの例として、選挙権のことを考えよう。

折しも選挙権が「18歳以上」に引き下げられたけれど、個人の判断能力に依拠したのでは線引きの問題で積極的な理屈はないと思う。一方、「一人前」というのを社会人として責任を果たすことというなら、18歳以上が妥当かどうかはアヤシイ。

それはそうとして、選挙権は次第に拡大してきている。
学校で教えられるのは、国会が開設され選挙がはじまったときは制限選挙で、それが少しずつ拡大されて、ついに普通選挙に至るという、まるで定向進化のような扱いだったように思う。

しかし、事実はそう単純なものではない。
表層だけを見れば、民主化勢力と、それを抑える政府という図式にも見えるけれど、それは民主化が我が国の歴史だと思いたい人の都合・思い込みでしかなくて、実際は民主的でも何でもない地主層との取引の歴史ということかもしれないというわけだ。

「直接税○○円以上の納税者」⇒「金持ちだけが選挙権を持っていた」という理解は実は不十分で、当時の税の基本は地租であって、それを納めるのは士族ではなく、地主層だということまで理解したうえで政治のダイナミックスを理解しなければならない。

公布年資格有権者数
1889
(明治22)
直接国税15円以上納める25歳以上の男子45万人
(1.1%)
1900
(明治33)
直接国税10円以上納める25歳以上の男子98万人
(2.2%)
1919
(大正8)
直接国税3円以上納める25歳以上の男子307万人
(5.5%)
1925
(大正14)
25歳以上の男子1241万人
(20.0%)
1945
(昭和20)
20歳以上の男女3688万人
(48.7%)



余談になるが、税制は選挙権の理解だけでなく、あたりまえだが財政政策の理解にも必要だ。
松方デフレのとき、税収の根幹である地租は固定額金納制であったため、当時のデフレは政府の実質増収策であって、財政再建・財政好転を行うための施策であり、単純な緊縮財政と考えたのでは間違うのである(現在の税制ではインフレが自然増税をもたらす)。

現在の税制の根幹である所得税だが、日本に導入されたのは1887年(明治20年)で、金持ちだけが納める「富裕税」的なものだったそうだ。その後大きな変更はなく昭和に至るのだから、主たる税負担者が地主層(いわゆる士族ではない)だったということは、何のことはない、明治になっても税金を負担する人はなかなか変わらなかった(小作人は地主への負担)ということだったわけだ。


もう一つ、本書には憲法制定過程もとりあげられている。
本書でそうと書かれているわけではないけれど、あらためて憲法制定を考えると、やはり大日本帝国憲法は権力者が作ったものという思いがする。

前述のまとめ(自由主義、民主主義、政党政治、そういうものが維新後に成熟してきた歴史と考えてはいけない)は、憲法制定のことを考えると、それが端的に現れているような気がする、以下のように。

西洋においては、憲法というのは国家権力(王権)に対して国民が勝ち取った歴史があるけれど、日本はそうではなくて、西洋列強並みの文明国の体裁をつくろうために、国家権力が作って国民に押し付けたものにすぎない。そういう意味ではモーセの「十戒」みたいなもの。
現行憲法がアメリカの押し付けだとか言ってる人がいるけれど、所詮、権力者側の騒ぎ。そもそも日本には西洋的な意味で憲法と言えるものなど歴史的に存在していない(だから内閣の意向で解釈「改憲」も自由)ということなのだろう。

こう書いてくると何とも情けない歴史を持ってきたのかという気になるけれど、それも民主主義を至高の理念と思うからで、そういう価値観(これは案外新しい)を離れてしまえば、別の考え方もあると思いたくなる。


教科書的な、というか「こういうことだ」と割り切るのは心地よいけれど、世の中はそう単純じゃないということに気づかされる本である。

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坂野潤治「日本近代史」

nihonkindaishi_banno.jpg 461ページ、新書としては大変な分量。
通勤電車の中で読むと5往復は必要だなと思い、実際、そのとおりとなった。

岩波、中公、ちくまなどの新書は1分で1ページを目安にしている。
通勤時間は、歩いている時間を除くとだいたい片道1時間なので1日120ページ、普通の新書だと200ページを超えるから、2日で読む計算になる。この本は4日の計算だけれど、内容が重く、細かいから、5日を要すると予想した。


わかりやすいストーリーを組み立てて、そのストーリーに合うように登場人物、社会(国際)情勢をあてはめていく、そういう教科書的なやりかたに慣れている者にとっては、なんとも読みにくい本である。
つまり、割り切った理解(正確には先入観の満足)には程遠く、もちろん著者の解釈も挟まれるのだけれど、緻密な事実を追いかけさせられる。
高校までの学校教育を最後に、歴史の勉強から遠ざかっている理科系人間には、自分の歴史理解を問い直される思いがする。

この本を読んでいると、歴史が評価するということの難しさというか、評価されるものの無念さみたいなものを感じてしまう。

今、我々が過ごしているこの時、この行動は、きっと後世に評価され、意味づけられていくのだろうけれど、今を生きている者は、そうではなかったと言うに違いない。


だから、一つの事実が、教科書的な割り切りではない、さまざまな異なる意義づけをされて示される。

そうした事実に気づかされると、自由主義、民主主義、政党政治、そういうものが維新後に成熟してきた歴史と考えてはいけないことを思い知らされる。

なぜ仇花のような大正デモクラシーから戦争・敗戦へと突き進んだのかも、とりたてて意外なことでも、民主化の敗北でもなくなってしまうように思う。


歴史を手短に理解しようという人には絶対不向きな本である。
しかし真面目に歴史を勉強しようという人には、覚悟の上で読むべき本と言えるのではないだろうか。

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国債が心配

三菱東京UFJ銀行が、国債のプライマリー・ディーラーを返上を検討中との報道があった。
金融や投資には疎いから、ニュースを見てプライマリー・ディーラーがどういうものか勉強するわけだが、国債引き受けにノルマを課して、そのかわり取得にあたって優遇するという、公認のシンジケートらしい。

kokusai_ginko_nichigin.jpg 国債がどんどん売れる状況だったらいわば御用商人の旨味があったのかもしれないが、マイナス金利政策のもとでは、国債の保有が不利になる可能性があると判断して、その資格を返上する、つまり、今後は国債は引き受けないという意思表示をしたということになる。

もっとも、現状でも、市中銀行が引き受けても、すぐに日銀が買うという状態らしいから、実質的な国債の保有者がこのことで大きく変わるというわけではないようだ。

以前ならこの手のニュースに接すると、大変だ、日本はどうなるんだ、と国民として心配したけれど、定年退職して、退職金を金融機関に預けている身としては、我が事として心配になる。それなりの大金を信託していて、その運用には国債がかなり入っていると聞いているからだ。

私が預けている銀行もこれにならって国債を売り抜ける判断をするかもしれないが、そういう状況が続くなら国債価格は暴落しそう。

もっとも、近年は、価格の上下が運用成績の上下に直結するわけではなく、価格変動の上下(二階の導関数)の挙動による部分が大きいと思うから、短期的には運用成績を上げるところもあるかもしれない。その時に売り抜ければ勝ち組ということになるのだろう。


それはともかく、いろいろ言っても国債は信用できて安心な投資先だと思って、国債の割合の高い運用をしている人も多いと思う。逆に言えば、まだまだ国債は買ってもらえるのか、決定的に信用を失うのか、そのときは日本も崩壊しているだろうけど、先行きはやはり不安としか言いようがない。

そういえば北杜夫のエッセイで、父斎藤茂吉が預貯金をはたいて戦時国債を買ったために、えらく損をしたというようなことが書いてあったと記憶している。
戦時中は、日銀が国債を買い続けて政府の戦争遂行を支え、そして敗戦とともに紙切れになったわけだ。
戦争をするためのメカニズムであり、最終的に国民に責任を負わせるメカニズムでもあった。
今、それが繰り返されようとしている(既に始まっている?)のかもしれない。


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dマガジンがPCで簡単に読めるようになった

dマガジンというのは、月額400円で百数十の雑誌が読み放題になるというサービスである。

このサービスについては、前になかなか良いものじゃないだろうかと書いて、実際、お試し期間後もずっと契約を続けている。
雑誌読み放題というサービスはいくつかあるけれど、おそらく一番良く利用されているのではないだろうか。

そのdマガジンをPCでも読みたいということで、これについてもPCにAndroidエミュレータを入れて読むことにしたという記事も書いている。

ところが先日、dマガジンがブラウザから簡単に読めるようになったということを知った。
dマガジンのサイトのお知らせを見ると、
2016/02/08 パソコンでも雑誌が読めるようになりました。

<ご利用方法>
  ・dマガジン・サイトより「ログイン」する ⇒ TOPページの「雑誌から探す」より、お好きな雑誌をクリック
     ⇒ 雑誌紹介ページの「今すぐ読む」をクリック ⇒ ブラウザビューアが立ち上がり雑誌を閲覧
  ※「記事から探す」からは、ご利用できませんのでご注意ください。

<対応機種>
【パソコン(雑誌閲覧)】
  ・以下の推奨ブラウザのOS Microsoft Windows 7 以上およびMac OS 10.6 以上
■推奨ブラウザ
   ・Internet Explorer 11.0 以上
   ・Microsoft Edge 20.x 以上
   ・Safari 8.0 以上
   ・Firefox 42 以上
   ・Chrome 45 以上

2016-06-02_142525.jpg

●雑誌の閲覧画面(画像上)
  画面上端でクリックしてメニューが表示された状態
    (アイコン左から、閲覧終了、目次、設定)

  ※ボタンを押しながらマウスを動かせば、その動きにしたがってスクロールする。
  ※画面上でダブルクリックすると拡大される(画像下)。

2016-06-02_142635.jpg


今まで、dマガジンはアプリを介して読むのが普通だったわけだけれど、1つのアカウントに対して最大5台の端末でしかアクセスできなかった。電子書籍(hontoやKindle)でも同様の台数制限がある。
しかし、dマガジンをPCのブラウザで読む場合はその台数には入らないようである(いいのかな?)。

なお、スマホやタブレットでdマガジンを読もうとすると、アプリのインストールが求められる。
(インストール済ならdマガジン・アプリが開く)

というわけで、さらに使い勝手が良くなったので、当分、契約継続のつもりだけど、願わくば、
  • 400円/月というのは割安感があってよいのだけれど、ネットでは読めない記事(というかグラビア)があるのはなんとかならないものか。
  • 広告部分は消されているのだけれど、消さない代わりに、購読料を下げる(タダにする)というのはやらないのだろうか。
    (それをしてくれたら絶対にそちらへ移行するけれど)

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緊急避難場所、というかオアシス

IMG_20160603_122143.jpg IMG_20160603_121929.jpg 会社の敷地内禁煙の実施は既報。

記事にも書いたように、吸える場所を探さねばならないわけだが、以前から時々利用していたのは、牛丼屋の店舗外の喫煙場所。
煙草を吸うついでに、食事もできるのがよろしい。

以前は店舗入口付近に灰皿が置いてあったのだが、写真に見えるように、店舗の敷地奥に喫煙場所が移動している。それを知らずに行って、「松屋、おまえもか」と苦々しく、勘違いした覚えがある。


勤務時間中に煙草を吸うために敷地外へ出ると職場放棄となるという理屈もあるので、通常は勤務時間中は実質的に禁煙になる。
ということで昼休みの喫煙場所が重要である(いつも牛丼というわけにもいかないし)。

IMG_20160602_121617.jpg そこで登場するのが、会社から歩いて2~3分のところにちゃんとした喫煙室を設置しているビル。普通のオフィスビルではなくて、出入りは比較的自由で、行き先を尋ねられる気遣いもない。

わざわざ煙草を吸うために行くことになるので、今まで2、3度しか利用したことがなかったけれど、しばらくはここが有力な立ち寄り場所となると思う。

もっとも昨日のように雨が降っているといささか気が挫かれる。

実際、私と同じ会社の喫煙難民が大勢ここで一服している。
心配なのは、あまりに我が社の職員が目立つようになると、
「当ビルに御用のない方の利用はご遠慮願います」攻撃の可能性。

IMG_20160602_121745-crop.jpg

喫煙室内部から喫煙室入り口を撮影。
小さく目立たない「喫煙室」の表示。


IMG_20160602_121756.jpg 喫煙室に入ったところ。


IMG_20160602_121811.jpg 喫煙室全体は奥行(というか幅)があり、
灰皿がいくつか並んでいる。



あと、私が知っているのは、駅前のいつもの喫煙スペースと、通勤路にあるコンビニ前の灰皿、同じくパチンコ屋の前(営業時間中のみ)。それと、牛丼屋からさらに数分歩いたところにあるラーメン屋の前。

ラーメン屋は煙草のついでに昼食ができるので遠くても良いが、他はいずれも少し遠い。
件のコンビニ前の道路は市条例で路上喫煙禁止地区になっているが、店舗と道路の間に結構広い駐車スペースがあるから問題ないようだ(パチンコ屋の前もそうだけれどこっちはどうなってるんだろう)。


というか、禁煙条例を作った市が、喫煙できる場所の情報をホームページにでも載せてくれたらありがたい。
それって、条例制定趣旨に反する行為だろうか?

2016-06-05_164322-crop.png


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厳しい第三者の眼

masuzoe_dai3shano.jpg いささか食傷気味の「厳しい第三者の眼」、昨日、その眼による調査結果が発表された。
「違法ではないが不適正」という、これまた予想通りの内容。

この話題、多くの人がとりあげているから、このブログで取り上げるのは気が引けたけれど、記録の意味で短くコメントをしようと思う。

まず、記者会見で「厳しい第三者の眼」が連発されたときに思ったのは、これは流行語大賞の最有力候補だろうなぁ、ということ。
なんといってもインパクトは抜群で、かつ応用範囲も広い。
その証拠に、イチローが試合後のインタビューで「いや、もうそりゃ、第三者の厳しい目で見てもらったらいいと思います」と返答したこともおもしろおかしく報道された。

流行語大賞になったら、授賞式には誰が出席するんだろう、舛添氏自身が出るとは思えないが(イチローが出れば良いのではないかと思う)。
誰が授賞式に出るかなんてことで大賞の授与を判断してもらったら賞の意義が失われる。是非、第三者の厳しい眼で審査してもらいたいと思う。


ただ、こうして手垢にまみれてしまったから、もはや本来の意味で使うことは至難である。日本語の語彙を一つ増やしたかもしれないが、同時に活用法を減らしてしまったともいえる。
同じような迷言は今までにもいろいろあったと思う。

新しいところでは、「新しい判断」というのがある。


masuzoe_chousakekka.jpg 次に冷静に考えて、第三者というのは、自分、相手、それ以外という意味で第三者なのだけれど、自分で選んだ弁護士が第三者というのは、国語的には変。せいぜい第1.5者といったところだろう。

そして冒頭のように「違法性はないが不適正」なんて、最低の調査結果だろう。というか、そういう調査結果になることを見越しての調査依頼だったに違いない。

そういえば、同じく昨日、甘利元大臣も政治活動再開のコメントを出していた(舛添氏に注目が集まっているタイミングをとらえた?)。
起訴見送りという結果について、法的には問題がないことが示されたという。

でもね、舛添氏の場合も、甘利氏の場合も、法律に問題があるという指摘が多いんですけどね。

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「超高齢社会の法律、何が問題なのか」

superagedsociety_higuchi_cover.jpg 樋口範雄「超高齢社会の法律、何が問題なのか」について。

良書だと思う。
超高齢社会を迎えて、我が国の法律のどこにどんな綻びが目立つようになったのか、具体的に指摘し、解決の糸口も提示しているし、諸外国の例も多く紹介されている。

その典型的な事例として、本書の最初に、認知症で徘徊中の高齢者が列車にはねられ、遺族が損害賠償を求められた事件がとりあげられている。本書出版時は、まだ名古屋高裁の判決(遺族に賠償責任を認めたもの)の段階だったが、周知のとおり最高裁では責任を認めず、判決は逆転している。

君主制だったら、慈悲深きお殿様が遺族へのお見舞いはもとより、鉄道会社への補償もして、めでたしめでたしとなったかもしれないが、民主主義国では、行政は法的根拠のない仕事はできないし、公金管理には一点のやましさもあってはならないから、そうした美談は生まれようがない。


著者は、名古屋高裁の判決を厳しく批判しているのだけれど、法律の専門家として、高裁の判決理由の論理的矛盾を指摘もしているが、それ以上に、この判決の意味は、認知症高齢者のケアをする意欲を挫くものだとして、社会感覚を欠き、社会的に無責任なものだと言う。

もっとも、法の不備は国会の責任であると思うから、名古屋高裁の判断も責められないように思う(著者も最高裁の判断は意外だと思ったのではないだろうか)。


行政の裁量範囲は限られるし、裁判所の判断が超法規的になれるわけはない。
しかし、法律の不備を具体的に調査し法案にできるのは行政だろうし、裁判所にも法律の不備=国会の不作為を指摘する権能があっても良いのではないだろうか。

本書を読んで、法律家というのは、裁判官や弁護士とは違うんだと感じ入った。

ただ、法律家の問題意識を政治に反映する仕組みが機能していないような気がする。
それは政治・政党の仕事だと思うんだけれど。


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梅の実

家の庭の梅が立派に実をつけた。

樹高2m程度の南高梅だが、数年前までは結構な数の実を付けていて、梅酒を漬けることができたのだが、ここ2、3年はほとんど実をつけなかった。

そのことは前にも少し触れたけれど、梅は自家受粉では実を付けないので、配色も考えて、隣に紅梅を植えてあるのだが、この紅梅の花が微妙に南高梅とずれるからではないかと推測していた。
今年もやはり紅梅の花は南高梅からはだいぶ遅れて咲いたので、今年も実は期待できないと思っていた

しかし、今年は以前(50~60個)ほどではないけれど、20個ぐらい、立派な実がついた。梅酒にするには不足だけれど、梅シロップ程度ならできるかもしれない。
ひょっとしたら近所に時期を合わせて咲いてくれる梅があるのかもしれない。


P_20160604_170849.jpg P_20160604_170859.jpg

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紅梅の方は、今まで毎年数個は実をつけていたのだけれど、今年は全く実をつけなかった。
こちらはもともと実は期待していないけれど。


【追記】

今日の午後、雨が上がったので収穫。
未だ小さい粒3つほどを残して、27粒だった。

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ものづくりのまち

私の職場のあるまちは「ものづくりのまち」を標榜している。
たまたま回覧文書に地元企業のデータベースのことが書かれていたので、記事にとりあげることにした。

Y市は、大阪府内での工業製品出荷額は、大阪市、堺市の2つの政令市に続く3位、約1兆円となっている(2012年)。
ということで「ものづくりのまち」を標榜することは妥当なところだと思うけれど、全国には「ものづくりのまち」を標榜しているところは結構ありそうだ。
Googleで"ものづくりのまち"で検索すると、たくさんのまちがヒットしてくる。

ざっと見たところ、30市以上が「ものづくりのまち」を掲げていて、中には「芸術とものづくりのまち」(福岡県久留米市)とか、「女性が輝くモノづくりのまち」(福井県越前市)のように、ちょっと色をつけたところもある。また、北海道室蘭市は、意志を感じさせる「鉄のまちからものづくりのまちへ」としている。

また、金沢市は「金沢市ものづくり基本条例」というのを制定しており、「ものづくり戦略」を策定したり、「ものづくり会館」を整備したりと、なかなか気合が入っている。もっとも製造品出荷額では、約3750億円で全国第192位である。金沢の知名度からすれば意外に小規模なのだが、金箔をはじめとする伝統工芸では量はかせげないのかもしれない。

市町村別の製造品出荷額第1位は、豊田市で10兆円、2位の3倍の規模となる。その豊田市も一応、ものづくりのまちという言い方もしているようだ。
ちなみに、愛知県は県まるごと「ものづくりのまち・愛知」としている。

「ものづくりのまち」を掲げる自治体でも製造品出荷額があまり大きくないところもある。福井県鯖江市(441位 1420億円)、兵庫県三木市(442位 1350億円)。鯖江は眼鏡フレームであまりに有名だが、額としては小さいということのようだ。三木市は工場団地があるようだ。
もっとも「ものづくりのまち」は出荷額の絶対額の問題ではないだろう。工業生産が比較優位であるかどうか、つまりまちの特徴として「ものづくり」があるということだ。

ところが、町で工業出荷額が最大の福岡県苅田町(36位 1兆2787億円)は、圧倒的に工業生産が大きいにもかかわらず(そして財政力指数は1.16と自治体として極めて裕福)、「ものづくりのまち」を掲げたりしていない。これは今更言うまでもないということなのかもしれない。

「ものづくりのまち」を標榜する市町村
      (Googleで拾ったもの)
市町村名 出荷額(百万円) 順位
豊田市(愛知県) 10,627,276 1
名古屋市(愛知県) 3,305,888 8
北九州市(福岡県) 2,128,864 15
太田市(群馬県) 2,020,629 16
浜松市(静岡県) 2,014,577 17
福山市(広島県) 1,792,060 20
日立市(茨城県) 1,397,002 32
鈴鹿市(三重県) 1,351,358 33
室蘭市(北海道) 1,130,989 45
八尾市(大阪府) 1,059,756 51
東大阪市(大阪府) 983,212 58
米沢市(山形県) 819,935 76
甲賀市(滋賀県) 754,432 89
新居浜市(愛媛県) 615,047 110
大垣市(岐阜県) 491,076 144
小松市(石川県) 487,418 146
越前市(福井県) 425,389 165
高岡市(富山県) 387,919 181
綾瀬市(神奈川県) 386,869 185
金沢市(石川県) 375,448 192
東根市(山形県) 363,218 197
足利市(栃木県) 346,053 205
燕市(新潟県) 335,980 213
久留米市(福岡県) 290,372 245
関市(岐阜県) 286,511 249
三条市(新潟県) 259,490 269
能美市(石川県) 219,749 323
里庄町(岡山県) 204,771 341
旭川市(北海道) 173,630 387
府中市(広島県) 168,775 399
南丹市(京都府) 155,641 418
岡谷市(長野県) 152,881 423
鯖江市(福井県) 142,210 441
三木市(兵庫県) 135,042 460

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「カジノ資本主義」が嫌いな私としては、「ものづくり」に夢を託したい。

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輻輳補正機構付き双眼鏡

P_20160528_232043-crop.jpg 美術鑑賞などには単眼鏡を持っていくことにしている。

愛用しているのは上のリンク先記事に書いたようにビクセンの"マルチモノキュラー 6x16"というタイプ。
小さく、軽く、明るく、最短合焦距離が短いというのが気に入っている理由。

双眼鏡には最短合焦距離がそんなに短いものはないと思っていたら、50cmという機種があることを知った。
PENTAX Papillio Ⅱ 6.5x21というもの。
双眼鏡の場合、近くを見ようとするとそのままだと光軸が対象物に合わない(輻輳)らしく、「寄り眼」にする必要があるのだそうだ。
この Papillio Ⅱはそれをやってくれ、それにより最短合焦距離50cmを実現したという。

Amazonで10,691円。
ポイントが9,237あったので、購入額は1,454円。思い切って買った。

P_20160528_231815-crop.jpg 写真の通り、ミンティアのケースと比較見てわかるように、思いのほか小さい。
(仕様では、高さ×幅×厚さ=114mm×110mm×55mm。重さは290g)

その他、この機種の数値的な説明などはネットにたくさんあるので、使用感をお伝えしようと思う。

まず、この双眼鏡はアイレリーフも15mmと比較的大きいので、メガネをしたままでも使えるかやってみた。
メガネをしたままの場合は、目当てリングを引き出さずに使うのだけれど、やはりメガネにしっかりあてて押すようにしないとさすがに厳しい。

ゴムをひっくり返すようなタイプの双眼鏡もあるけれど、こちらの目当てリングの方が使いやすいと思う。
私は普段、メガネをかけないから関係ないのだけれど、家人は最近メガネを掛けるようになったので、購入の言い訳をするには重要なポイント。


P_20160528_231926-crop.jpg 左右視力差の補正だけれど、私は左右の視力が随分違うので、これは絶対に必要である。
右眼側に補正リングが付いているのだが、これにはノッチが切られている。

無段式のものの場合、眼に押し当てていると動いてしまわないかという不安感があったりするのだけれど、この方式だとそういう心配をしなくても良い。なお、段はかなり細かいから、合わせにくいというようなことはないと思う。
使う人の気持ちを良く理解しているように思えて好印象である。


さて、もっとも重要なポイントは、50cmという最短合焦距離での見え方である。
おそらく、この双眼鏡を持っていない人は、この距離での対象物のクローズアップを見たことはないだろうから、それをお伝えする。

close-up-flower.jpg わかりやすく言うと、この双眼鏡では、世の中がクローズアップ写真のように見えるのである。

写真右はネットで拾った普通のクローズアップ写真であるが、このように対象物にピントをあわせると、他のものは当然ぼやけるわけだが、この双眼鏡でもそう見える。

短距離では焦点深度(カメラだったら被写界深度)が深くないので、こういう見え方になる。
そして、それが3Dで見えるのである。

これは思いのほか臨場感(実際、臨場しているわけだけれど)がある。
つまり写真ではなく、距離感のある像として、動きを感じるわけだ。

前に「本物の再現はできるか」の記事で、山口晃画伯の言う、眼のゆらぎのことと、静止画との差について考えたけれど、そういうものと通ずるように思う。

手近な花などを次々に見てみたくなる。

P_20160528_232254-crop.jpg この感覚は、実際に見てみないとわからないと思う。
単眼鏡でクローズアップするときとは全く違う感覚である。

昨日の記事で火星を見たことを書いたけれど、こういうものの見え方は普通の双眼鏡とそう変わらない。ネットの評価ではむしろ像が合いにくいという不評が多いようだが、私は普通の双眼鏡とそう違うとは思えなかった。


この双眼鏡は、小さく軽いので、それほど持ち歩くことが負担にはならないかもしれないが、それでも単眼鏡に比べると嵩張るわけで、それなりに気合を入れて見ようという対象がないと、そうそう使うことはないかもしれない。

さぁ、これからの美術展をチェックしなければ。

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スーパーマーズ

P_20160601_213601_LL-crop.jpg 一昨日は"スーパーマーズ"、火星が地球に接近し、見かけの大きさが極大になる。

前に"スーパームーン"を記事で取り上げたけれど、火星の写真は安直なカメラではうまく撮れないので、記事にするのは見送ろうかとも思ったけれど、言葉で誤魔化すなら悪い素材ではないと気を取り直して。


天文ニュースをあまりチェックしていないのであまり意識していなかったが、先週あたりから、夜空に明るい星が見えていた。はじめは月の形から推定して金星かとも思ったが、どうも雰囲気(つまり色)が違う。

Screenshot_2016-05-31-21-30-53.jpg で、なんだろうと思って、Androidアプリの"Sky Map"で確認したら火星だという。

それであらためて火星の情報をネットで見て、大接近していることを知ったが、そのまま忘れていたところ、テレビのニュースでも取り上げたので、やっぱり見ておこうということで空を見上げた。

"Sky Map"を使って、「この星は何だろう」と思って調べるときとは逆に、"火星"を検索してその位置を確認する。

"Sky Map"というのは、本当に楽しいアプリだと思う。
テレビでスーパーマーズを報道していた番組でも、Sky Mapを使って、火星の位置を確かめているシーンがあった。
(昼間でも火星がどこにあるかわかる。)


今回は、21:00前頃に見たが、薄く曇っている夜空に、火星だけが光を放っていた。
双眼鏡(この双眼鏡については明日の記事でとりあげる)でも見た。
見事に赤い星である。

写真は難しいと思って5月31日には撮らなかったのだけれど、記事にするにあたって、昨日、気を取り直して撮影してみた(冒頭に掲げた写真)。スマホのカメラでナイト・モードで撮影。残念ながら色はきちんとキャッチできていない。


supermars_view.jpg


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ついに敷地内禁煙

IMG_20160523_121550.jpg 今日、6月1日から、職場のビルが敷地内禁煙になった。

ちなみに、昨日は「世界禁煙デー」


前に勤めていたところも敷地内禁煙が実施されていて、昼休みや残業時にたばこを吸うために外出していた。

勤務時間中に外出すると「職場放棄」といわれていた。
実際、相当時間分の給料を自主返納させられた者もいたし、休暇をとって喫茶店などへ行って吸ったという者もいた。


敷地内禁煙は当時はめずらしかったらしく、実施初日には、近所のコンビニの前に灰皿があるので、そこで吸おうとする人が多かったのだけれど、おもしろがったマスコミ(テレビ局)がカメラを構えていたことに気付いたので、そこは通り過ぎた。

その後、喫煙者間の情報交換で、吸える場所がチェックされていて、私は前述のコンビニを除いて4カ所ぐらいを回っていた覚えがある。
ところが、そうした場所は、自社のためのスペースとしていて(つまりその会社の敷地内)、そのうち「当社に用事の無い者お断り」といったビラが貼りだされたこともあった。
そうなってくるとゆっくりたばこが吸える出張などは大歓迎である。

うちの社長も愛煙家(飲みに行ったら、まず店員にタバコを買ってきてと頼むことが多い)なのだが、私もそうであるように、繰り返される「禁煙体験」のおかげで、少々の禁煙は耐えられるようになっているようだ。

しばらく我慢すればまた吸えるという安心感。
いつでもやめられるから、今はやめないでおこうという気持ち。

であるが、出勤前に吸ってから帰るまで、およそ9時間の禁煙は、やはりキツそう。
手近な喫煙場所を確保しなければ。

ところで、前の会社では、その後、喫煙所を再整備したらしい。
分煙実施時に少数の喫煙室を設置したときは、各事務室の清掃委託費が減額されただろうから、喫煙室の設置経費があっても経済合理性はあっただろうが、その後の喫煙室廃止にはそうした合理性はない(勤務時間に煙草を吸う人件費を計算すればプラスという強弁もあるだろうけれど)。そして、喫煙所の再整備となると……

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