1台、Windows7を残すことにした

P_20160731_105644.jpg 去る7月29日で、Windows10への無償バージョンアップ期間が終了した。

家で現役で動いているPCは3台ある。うち2台は既にWindows10になっている。
もう1台(FMV NFC70N)は、7年4ヶ月使っていて、購入時はVistaだったのを、Windows7に無料アップグレードしたもの。
今は、音楽・ビデオ専用マシンになっている。
  • DAC内蔵アンプ(PMA-50)に接続して音楽再生
  • USBサウンドプロセッサーに接続してアナログレコードのデジタル化
  • VHSビデオのキャプチャ(ビデオキャプチャデバイス接続)
  • 他、YouTubeやAmazonビデオの鑑賞

このPCをWindows10にアップグレードするかどうかでちょっと迷った。
アップグレードの必要性がないことは明らかだけれど、ネット情報によると、Windows7のままで使いたい場合も、一旦Windows10にアップグレードしておき、すぐにWindows7に戻せば、無料アップグレード期限の7月29日を超えても、いつでも無料アップグレードができるというから。

もっとも、実際のところ、このマシンがアップグレード対象なのかどうかは怪しい。もう7年以上使っているから対象外かもしれない。少なくともメーカーのサポートページでは対象機種にはなっていない。
実際、このマシンでは、Windows7は最新のWindows update適用済であるにも関わらず、例のバージョンアップ推奨バルーンが現れない。ディスク(Cドライブ)の空きも20GBあるし、メモリーは4GB積んでいる。ハードウェア条件は満たしているように思う。

であるけれど、前にWindows7 starterのネットブックをWindows10にバージョンアップした経験があるから、このマシンでもできるかもしれないと考えていた。

で、結局、バージョンアップはやめにした。

やめた理由だが、一番は面倒くさい、である。
次にあげる理由から、結局Windows7に戻すことになるだろうから、面倒くささが倍である。そして、ディスクスペースがぎりぎりになりそうだから、本当に戻せるか心もとない。

まず、接続しているUSBサウンドプロセッサーがWindows8以降には対応していないこと。そして実際にも動作しないことは別のWindowsPCで経験している
いいかげん古いデバイスだから、これを機に新しいものに買い替えるということも考えたけれど、現状で何も問題がないわけで、無理にするのはどうかなと。

また、DAC内蔵アンプ(PMA-50)のWindows10対応も心配。メーカーサイトではよくわからないが、ネットにはWindows10で問題なく動作しているという情報もあるけれど。


とどめは、前述のとおり、このPCは既に7年4ヶ月も使っていること。このマシンの前は4年過ぎで買い替えたから、その倍近くである。いつ壊れてもおかしくない。

そして壊れてもなんら問題は起きないように使っている。音楽・ビデオ用というけれど、データはNASに置いてあるから、PC上には保存すべき何もない(ディスクを使うものと言えば録音時の一時ファイルぐらい)。


でもって、バージョンアップ最終日は飲みに行くことを優先した(これが一番の理由かも)。

かつては我が家のメインマシンとして活躍していた。
その余生は、静かに過ごしてもらおう。

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本町で一献

satsuma_sushi_arata.jpg 昨夜は、前の会社を、私の1年後に退職した人と一献。

場所は、大阪本町。
こぢんまりした店、カウンターで。

この相手とは、何年か前にも2人で飲んだけれど、2人とも過ごして、こっちはともかく、向こうは奥さんに叱られたそうな。
お互い、定年退職を過ぎたわけで、少しは控えめに……はならなかった。
時間制限なしの飲み放題、4000円コース。

IMG_20160729_173414.jpg

ここは刺身用の醤油がだし醤油。
連れは旨いというが、わたしには合わない。生醤油を出してもらった。

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His Master's Voice

HisMastersVoice.jpg グッドール「音楽の進化史」によると、クラシック音楽のありようが大きく変わったのは録音技術の進歩も一因だという。

録音技術は、音楽愛好家の裾野を広げたが、クラシックの演奏会では新作を求められていたのが、聞き慣れた曲の演奏を求める聴衆が増えた。音楽の主流はポピュラーに移ったのである。


レコードの発明により、それまであまり聴く機会のなかった過去の作品が録音され、それらに注目が集まるようになり、演奏会においても、家にあるレコードの名曲を生で聴きたいというニーズがより強くなったということらしい。

名曲というものはレコードの発明で成立したカテゴリーなのかもしれない。


P_20160630_220246.jpg 実際、アンリ・ゲオン「モーツァルトとの散歩」(1932年)には、(当時)演奏会でとりあげられることは多くないモーツァルトだけれど、ほぼすべての作品は録音されていると書かれていた。
つまり、その気になりさえすれば、モーツァルトならたいていのものが聴けるのである。

ところが、これにより、音楽を支えてきた聴衆の関心はどんどん過去へ向いていき、作曲家は新作発表の機会を奪われ、収入も得られないということになる。
新作発表は、クラシックの演奏会ではなく、バーやクラブ、ディスコへと変わり、音楽の推進者はポップスにとってかわられるということになる。

そして「クラシック」の作曲家は、ますます実験的な傾向を強め、普通人にはとても受け入れられないような前衛音楽にのめり込んでいく(ただしその前衛的試みは、実はムダではなくて、それがポップスの作曲家が吸収する)。

ということで、"His master's voice"。

私はこの犬の名前は"Victor"だと思っていたのだが、正しくは"Nipper"。
昔、我が家にレコードプレイヤーが来たとき、電器屋さんが、この犬の陶器製の置物を持ってきた。
HMV_old.png それと、いつもお世話になるHMV、これも、MはMusic、VはVideoだと思っていたけれど、本当は"His Master's Voice"からとられているのだという。今は使ってないようだが、犬が聴き入る図がHMVの商標にも入っている。


グッドールによると、音を記録する技術はエジソンが最初ではないという。それより早く、カーボン層をつけた板に針で音信号を書き入れる装置を発明した人がいるそうである。ただ、残念なことに、この装置では再生ができなかったのだ。

今なら再生できるかもしれない。
カーボンに刻まれた溝を光学的に読み取れば良い。その原理による、アナログレコードの針なしプレイヤー(レーザーターンテーブル)というのも存在するらしいから。


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ポケモンGO、その後

Screenshot_2016-07-27-10-11-20.jpg 前に書いたように、私もものはためしで、ポケモンGOをスマホにインストールして、ほんの少し触ってみた。

はじめてポケモンに触れたおじいさんのすることだから、ポケモンで遊んでいる部類には全く入らないと笑われると思うけれど、やってわかったことを書いておく。
  • 前回記事にしたときは、昼食に出たときに職場の近所で1匹ゲットと書いたけれど、気付いたら職場の自席でもゲットできることがわかった。
  • 職場最寄駅のK鉄Y駅は、ポケスポットになっていて、朝夕利用する駅前の喫煙スペースで、モンスターボールなどを無料で手に入れられることも判明。
    実際にはポケスポットというのはやたらたくさんあるらしい。マクドナルドがポケモンGOと提携したというが、ポケスポットというだけならアタリマエすぎて、ここでなきゃという集客効果はでないのでは。
  • 自宅は閑静な住宅地なので、そのままではポケモンは現れないのだけれど、「おこう」という道具を使うと、ポケモンが寄ってくるので、これを捕まえることができた。
実に罪のない範囲である。
おそらく、今後もポケモンGOをアンインストールすることはなく、旅先での待ち時間などには、ここにもポケモンがいるかな、という程度の興味で遊ぶのだろうと思う。

こういう年寄りの遊び方ではなくて、本格的に遊ぶ人が事故・事件を起こし、それに応じて関係機関もポケモンGO運用者へ要望を出している。
主な要望は、前に記事に書いたように、ポケモンが現れる場所の規制である。鉄道事業者が連名で、また、敷地への侵入事件があった原発を管理する電力事業者。

またゲームが始まると既にいろんな裏技・裏情報もネットに流れるようになっていて、車を運転しながらポケモンGOをやって事故を起したということは、高速で移動していてもポケモンGOが遊べるんだという情報を与えることにもなっている。

自治体の中には、ポケモンGOで遊ぶときの注意をホームページにアップしている。

珍之助さまがいらっしゃるN市。O府で他の自治体はどうしているのかと思ってざっと見てみたら、トップページにポケモンGOの注意らしきものを載せているのは、他には柏原市だけのようだった。


もう一つ、これはなるほど、根が深い問題かもしれないなと思ったのは、ネットで見つけた「ポケモンGO人気が投げかける本当の問題点」という記事。
問題が投げかけられているのは

「バーチャルなデジタル地図の空間上で、貴方の家の住所に何かを書き込んだり、情報を張りつけたりすることは違法なのか?」

ということ。
字面だけ追うと理念的な印象もあるけれど、少なくともポケモンGOではポケスポットの位置などはリアルな問題になっていると思う。

ポケモンGOのポケスポットの設置や除去は、運営者にメールなどで依頼することができるらしいのだけれど、これは手続き・手段を提供しているだけであって、問題の解決にはなっていない。隣り合う2家のそれぞれが設置で対立することは大いにありうる。


プライバシー権を「ひとりでほっておいてもらう権利」とするならば、自分の家に勝手にポケスポットを設置されたり、ポケモンを出現させられたりするのは、プライバシー権の侵害であるということもできるのではないだろうか。

もっとも日本では「プライバシー権」というものは法定されていないようだから、何に違反かは別途吟味だろうけれど。


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リスト~グッドール「音楽の進化史」

グッドール「音楽の進化史」については、1750年まで読んだところで感想を書いた。

他にも、この本で知識を得て、カッシアヒルデガルト・フォン・ビンゲンについては、それぞれ記事にしたし、この本で触発された19音音階でも遊ばせてもらった。

というわけで、久しぶりにその続き。
といっても残り全部を1記事にするのは困難。あまりに多彩な方面から音楽史をとりあげているし、私には理解不能のものもたくさんある。
要約してもしかたがない(というかその能力が私にない)ので、ちょっと気になったことだけ。

まず、1750年以後といえば、古典派の時代だけれど、私がコメントできるようなことはない。ただ、モーツァルトについては、グッドールは「神」とのみ書いて通り過ぎていることだけ注意しておこう。

liszt_1956919c.jpg で、急ぎロマン派に移るわけだけれど、グッドールはリストを最も重要な作曲家の一人としてとりあげている。リストについては、もちろん知らないわけではないし、ポピュラーなものばかりとはいえ作品はいろいろ聴いたことはもちろんあるわけだけれど、この作曲家に対して私には特別な思い入れはない。
しかし、グッドールは様々な作曲技法、音楽改革がリストによって創められたことを力説する。
いかにも本職が作曲家である著者らしい切り口で高い評価が与えられている。

そう書かれていたから、あらためて手元にあるリストを何曲か、ピアノ曲や管弦楽曲を聴きかえしてみた。
それで思った。ピアノ曲ではそれほどではないのだけれど、管弦楽曲を聴くと、なんだかすごく時代がかっているというか、古さを感じる。つまり、時代を感じさせるようなところがある。

以前、岡田暁生「西洋音楽史」の記事で、「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」という岡田氏の言葉を引用して、そしてそのとおりだと思うのだけれど、リストを聴くと「今その中で生きている」という感覚ではなくて、昔こんな音楽が流行ったという感覚になる。
それは若い頃聴いた歌謡曲を今聴くと古いと感じる感覚に似たものである。

もちろん今聞いても名曲だなと思うものも数多いのだけれど。


これに対し、モーツァルトはいつ聴いても新鮮である。
もちろん、少々黴臭い感じがするもの、練習で作ってみましたみたいなもの、「なんだこりゃ、ベートーベンみたいだな」と思うものもモーツァルトにはあるけれど、時代を感じることはあまりない。

バッハなんて時代を感じるという人などまずいないだろうと思う。trop mechaniqueという人はいるかもしれないが。
ドビュッシーなどのフランス近代ものも、昔聴いた曲だなという感じにはならない。

グッドールはそういうことは書いていない。岡田暁生もそうは書いていない。
「昔流行ったみたいだけど、今は聴かないな」という、この私の感覚は何に由来しているのだろう。

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将門伝説の歴史

masakadodensetsu.jpg 歴史ものの書評が続くが、今日は、樋口州男「将門伝説の歴史」。

図書館の棚にあったので、特に思い入れもなく借りたものだし、けっこうな分量があって、かつ、カタイ内容なので、半分も頭に入っていないとお断りしたうえで。

将門伝説というのは、将門を英雄視する伝説のことだろうと思っていて、しかも、それは眉唾じゃないかとも思っていた。
というのは、この伝説を知ったのは、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年)で将門がとりあげられたときに、ドラマの冒頭で語られたからである。
うろ覚えだが、東京大手町に将門首塚があり、関東一円に数多くの将門を祀る神社があるという話があり、皇位を覬覦した大逆人が、愛され尊ばれたことを意味するという解説がなされていたと思う。

もっとも関西人としては、将門所縁の神社や古跡には縁がない。


しかし待てよ、全国に天神社があるけれど、菅原道真が国民に愛されていたというわけではないだろう、道真の祟りを怖れ、怨霊を鎮めるために建てられたのが天満宮である。同様に、早良親王(祟道天皇)など、非業の死を遂げた人物怨霊を鎮めるために祀られてきた例は他にもある。
神社に祀るのは、祟りがおそろしいからというのが多く、その人に親近感があるからというわけではないだろう。非業の死をもたらした側(道真なら藤原氏)が祀る。あるいは疫病などをきっかけに、民衆が誰それの祟りとして祀る。その誰それは、祟ると恐ろしいと思われるぐらいの力のあった人でなければならない。

本書でも、こうした将門の祟りと神社の関係が解説されている。将門の祟りとされる天変地異や疫病の流行などが起こっており、それを怖れて神社を建てて祀ったようだ。
江戸鎮守の神田明神に、将門が祀られているのは、疫病を将門の祟りとしたことがきっかけだそうだ。そして、時は流れ、江戸時代には、将門は江戸の総鎮守と崇められることになる。

そのうち、そうした祟りを怖れるという由来はあったにとしても、将門を単純に否定せず、それなりに立派な武人であったというふうに顕彰する人達がいたわけで、そうした伝説は、将門の死後早いうちに作られてきたらしい。将門の縁者であることを自らの血統に取り入れ誇りとする例もあるという。たとえば、頼朝挙兵を支えた千葉氏などもそうだということである。
祟るからだけでは、関東一円に広く信仰されるということにはならなかった、何か別の心情もあったということらしい。

なお、将門伝説とくくっているなかには、将門を滅ぼした側、俵藤太などの調伏伝説も含まれるかもしれないが、本書では将門がどう思われていたかを補強する史料としての扱いのようだ。なお、将門を調伏した高僧が地獄に落ちたという伝説もあるそうで、こちらは将門贔屓ということになる。


本書では「将門記」が、ほぼ事件の実相を伝えているとしている。そして、「将門記」の筆致は、将門のしたことを悪としながらも、英雄として戦い、死んだと評価したうえで、なぜ事件が起こったのか、叛乱の動機・経緯へ目を向け、「誰か図らむ少過を糺さずして大害に及ぶとは」、つまりどうしてこんな大事件になってしまったのか、という「将門記」著者と問題意識を共有するとしている。

将門の伝記、軍事・政治史としては、ほぼこれで総括されていると思うのだけれど、これは最初の章「平将門の乱と『将門記』」に要領よくまとめられている。

後の章は、その後の将門伝説が紹介され、その系譜を追う。
ここからが本書の真骨頂だと思うけれど、将門に関連する能や歌舞伎など、芸能史の知識がない私としては、ひたすら文面を追うだけになってしまうが、一部を紹介しよう。

まずおもしろいと思ったのは、馬琴の将門評である。馬琴は、そうした多くの伝説に語られる逸話について、自ら疑問を発し、そしてそれに自らが研究して得た解釈を提示しているそうだ(「昔語質屋庫」)。

明治政府は、神田神社(明神あらため)から、将門を祀ることをやめさせようとしたこともあるという。
この頃には、将門は既に江戸鎮守の神様として、庶民の崇敬を受けていたから、当然のごとく大反発したという。そして、さらに将門が末社に追いやられたときには、大祭礼の日に、大風・大雨で、祭の山車やら何やら、破壊しつくされ、これぞ将門の祟り・怒りであると、おもしろおかしく書き立てた新聞もあるそうだ。
将門の祟りというのは、昭和40年代になってもまだあって、いろいろな凶事が起こるたびに、お祓いが行われたという。

本書の冒頭では、将門の雪冤に努力した織田完之という人が紹介されている。この人は、将門の冤罪を晴らそうと裁判所に訴えたということである。もちろん、歴史上の人物は審理の対象にはならないということで裁判所は門前払いしたらしいが。
織田氏は、関東の庶民に広く、根強く将門信仰があることに強く惹かれて、将門の事績を調べ、復権を図る著作「平将門古蹟考」を残していて、本書のベースにもなっている。

将門は、はじめから関東の人々に愛され、敬われたわけではないのだろうと思う。しかし単純に祟りを怖れるだけで祀ったわけでもなく、やはりそこに力あるものへの畏怖というか期待があり、次第に信仰に高められたのではないだろうか。
伝奇小説の主人公として、まだまだ生き続けるだろう。

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戦国の陣形

sengoku_no_jinkei.jpg 「司馬遼太郎が描かなかった幕末」に続いて、乃至政彦「戦国の陣形」を読んだ。

歴史ドキュメントや時代劇などで良く聞く「鶴翼の陣」とか「魚鱗の陣」というものが、精確にはどんなものなのか、それ以外にどのような陣形があるのか、基礎的な知識を得ようと思ったからである。

ところがである、この本には、そのようなものは漠然とした言葉があるだけで、陣形として運用されたことなどないというのが結論なのである。

曰く、
  • 「鶴翼の陣」とは広がった状態、「魚鱗の陣」とは固まった状態、という程度の意味しかない
  • かろうじて武田軍は、諸葛孔明の八陣なるものを、勝手に解釈して陣形らしきものを運用しようとした
    (これは山本勘助の提案だったが、信玄が勘助にどのようなものか聞いても勘助は本は読んだことがないので知らないと答えたという話である)
  • 陣形の基本とされる諸葛孔明の八陣というのも実はどんなものか全くわかっていない
  • 明治になって、西洋軍制が導入されるまで、我が国では陣形の運用はない
hachijin_jinkei.jpg なんとも身もふたもない結論なのであった。
文献には、鶴翼とか魚鱗とか、あるいは車懸りという語は出てくるが、これはその陣形をとったという積極的な運用としてではなくて、拡散していた、固まっていた、次々に交替した、という、戦闘の様子を事後的に表現しているものにすぎないというわけである。

陣形らしきものを運用して成功したのは、武田氏と戦った村上氏であると言う。ただ、これは窮鼠猫を噛むというようなところがあってとられたもののようで、これで痛い目にあった武田氏がその戦い方をとりいれたとも。
そういえば、長州奇兵隊のクーデターでは、奇兵隊は散兵戦(より正確にはゲリラ戦)で藩兵を打倒したような話である。こうしたものも戦国時代の記録では鶴翼の陣とされたのかもしれない。


「司馬遼太郎が書かなかった幕末」で、小説は、主人公を魅力的に書くために、事実の隠蔽、捏造などは当然行われるというわけだが、史実だと思われてきたことにも、存外、怪しいものもあるというわけである。

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司馬遼太郎が描かなかった幕末

ichisakataro_shibaryo.jpg 一坂太郎「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像」という本を読んだ。
国民的作家の影響力について警鐘を鳴らした、というものである。

司馬遼太郎の小説に盛り込まれている話には、事実とは異なるものがあるという指摘は、以前にも何かの本で読んだ覚えがある。もちろんそれはストーリー全体の流れでは大したものではなかったと思う。
この本のタイトル「描かなかった」というのは、史実からはこういう解釈ができるというスタンスで書いているのかと思ったのだが、もっと手厳しい。

自分に都合の良いストーリーを組み立てる上で、不都合な真実は隠蔽するというのは良くやられる方法である。作家に限らず、政策立案者というのもだいたいがそうではないだろうか。

だからこそ、有能な野党は、そうやって隠蔽されている事実を提示して、ストーリーを破壊しなければならない。ところが、そうした情報収集・分析能力を欠いて、ポーズだけで、口先の反論や揚げ足取りをしているようでは、野党の仕事を果たしているとは言えない。


本書で糾弾の対象となっているのは、次の2作品。
  • 吉田松陰、高杉晋作を描く『世に棲む日日』
  • 坂本龍馬を描く『竜馬がゆく』
本書では、司馬作品には、事実の隠蔽(小説を書いた当時には知られていなかった史実というのもある)だけでなくて、史実とは異なるものが散見されるという。
こうした細工は、おそらく主人公を英雄として描くためのものなのだろうという。

そして、司馬作品の問題は、小説の流れを一旦止めて解説風に挿入したりするから、読者は史実と創作の区別がつかなくなるという点にあるとする。中には「史料」の引用を装った書き方がされているものも指摘されている。
一坂氏は、司馬遼太郎(いわゆる司馬史観)を全否定しているわけではないとことわっているが、実際に主人公たちと同じ時代を生きた人達が、正当に扱われていないということには憤り(個人的なものもあるかもしれないが、歴史理解を妨げることとしてだろう)を持っているようだ。

大物政治家が尊敬する人物に龍馬をあげたりするのは、ほとんど「竜馬がゆく」の影響だろうという。
また、学校の社会科よりNHKの大河ドラマの方が教育に良いなどと暴言を吐いた大臣がいたが、これも同様だろう。


私としては、興醒めかもしれないが、小説として面白くするための史実の変更については、作家がはっきりとその旨を表明するべきだろうと思う。以前、永井路子氏が「草燃える」の頼朝による政子の略奪シーンを、史実は違うけれど、おもしろくするためにそうしたとお断りしていた話を書いたけれど、歴史小説(時代小説ではなく)なら、そういうやりかたをしたほうが良いように思う。

たとえば、高杉晋作は奇兵隊に農民なども加えたことから、民主的で非差別主義者のように評価されがちだが、実際は、民主的思想を背景に農民を加えたわけでもないことは、隊内の差別的待遇が示しているとする。

だからといって高杉を否定する必要もない。仮に兵力確保のためとはいえ、農民を隊に加えるという発想自体が時の常識を打ち破るものであったし、そもそも民主化が目的ではなく、長州を守ることが目的であったはずだから、その行動は評価されてしかるべきだと思う。また、現代の価値基準で単純に評価することは、歴史を理解する上では邪魔になるだろう。

龍馬についても「船中八策」はなかったとするほか、有名な事蹟についても、そのとき龍馬はこの場にはいなかったという史実をつきつけてくる。

と、本書の評を書いてきたけれど、実は、私は司馬遼太郎作品をあまり読んでいない。随筆・評論の類はともかく、小説となると「坂の上の雲」ぐらいである。
若い頃はSF、ついで純文学ばかり読んでいた。社会人になってからは小説は遠ざけるようになった。


司馬遼太郎は惚れっぽいのだろう。
歴史に名を残すような人物には、やはりそれぞれ見どころがあるに違いない。でないと龍馬と新撰組のどちらにも肩入れできようはずはない。

司馬作品の幕末ものといえば『燃えよ剣』もある。このときは土方に肩入れしていた?


ただ、こうも思う。
史料というものも人間が書いたもので、その時点で既に何らかの価値基準で書かれているだろう、自分が目撃したことだって、実際はどうだったか、結構あやしいものもあるだろう。
その事件の当事者のどちらに肩入れするのか、既に存在した流言飛語を事実として記載するのか。
そういう意味で、司馬が伝説を作ったとしても、それが「史実」として語り継がれる状況と本質的には同じなのかもしれない。
幕末~明治で、史料が比較的残っているからこそ、こういう本が成り立っているわけで、遥か昔の話となると、もうどうしようもないだろう。

作家は、小説と、史実あるいは異説というものをきちんと区別して情報提供してもらいたい。あるいは作家自身がやらなくても、編集者が、注を加えても良いと思う。
2016-07-19_104641.jpg 先日のNHK大河「真田丸」では、秀次の娘たかが信繁の側室になってルソンへ逃れるという話になっていた。

あのやさしい秀次の一族が皆殺しにあうのをどう描くのか、この娘も殺されてしまうんだなぁと思ってドラマを見ていたのだけれど、皆殺しのシーンそのものは描かれず、娘は助かったわけだ。

その回のドラマの後の解説(「真田丸 紀行」)では、秀次の娘(隆清院)は信繁の側室になり、女子(田)もなしていることがとりあげられていた。たかの話とは違うわけだけれど、こうやって本編ストーリーと異なることをきちんと解説することは良いことだと思う。
ストーリーと異なる解説を聞いて、話が違うと怒るのは「狂信者」と言って良い。

もちろん史実とされてきたことが覆ることもたびたびあるという留保も忘れてはいけないが。


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冷麺にマヨネーズ(リベンジ)

先日、「冷麺にマヨネーズ?」の記事をアップしたら、珍之助さまから、「マヨ必須」というコメントをいただいた。
私自身も、だんだんタレの味がしつこくなってくるから、マヨネーズを試してみる価値はあると思っていた。
で、コンビニ冷麺に再チャレンジ

IMG_20160721_120324.jpg 前回は、ファミリー・マートの冷麺だったが、今回はローソンの冷麺。
値段は同じ460円。

具は写真に見えるとおり、焼豚、きゅうり、錦糸卵、もやし、ゆで卵、紅生姜。
ファミリー・マートのものとの違いは、わかめがなくて、もやしというところ。
で、マヨネーズ、マヨネーズっ、と見ると、
マヨネーズがない、カラシが付いてる

マヨネーズなしで食べ始めたところ、ファミリー・マートのものと特に違いは感じない。ワカメのかわりにもやしなので、そこが一番の違い。

そして、少し食べ進んだところで、満を持して、前回使わずにとって置いておいたファミマ冷麺付属のマヨネーズの小袋を足してみた。

なるほど、タレのからさがやわらげられる。
特に違和感はなく、これなら珍之助様の言うことも納得できる。

焼きそばにマヨネーズをかける人がいる。私は滅多にやらないが、やればそれなりの風味になる。そういう感じ。


ローソンの冷麺には、辛しは付いてるが、マヨネーズは付いていない。
ファミリーマートのには、マヨネーズは付いてるが、辛しは付いていない。
一体どうしたら良いんだろう?

三大コンビニチェーンのもう一つ、セブン・イレブンの冷麺はどうなんだろう?

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ポケモンGOのトレーナーへのお願い

"Pokémon GO"の20日ローンチは見送られた。
これも噂だけれど、20日ローンチがリークされたからやめたとも。

先日の記事でも、いろんな事件が起こっていることを書いたけれど、注意してネットを見ていると、
  • ポケモンGOを楽しむためのモバイルバッテリー
  • ポケモンGO専用端末レンタル(他の用途での使用禁止)
  • ポケモンGO通信無料の通信サービス
  • ポケモンGOと提携したマクドナルドの株価の高騰
などの記事が続々、関連サービスにも活気を与えているようだ。

その一方、
  • サウジアラビアの聖職者組織が、ポケモンを禁じた2001年のファトワ(宗教令)を再発令
    (ポケモンGOフィーバーを見越して再発令か)
  • インドネシア当局が警察官に勤務中のポケモンGOの禁止を通告、近く軍関係にも
    (他のゲームは良いの? 軍関係では安全保障上のリスクも懸念しているそうだ)
という記事も。
その他、ポケモンGOプレイ中の交通事故とか、深刻なニュースもちょくちょく目にする。

PokemonGo_Onegai.jpg そして、先日はついに日本国政府も。
<ポケモンGO>政府が注意喚起 「みんなへおねがい♪」

人気を見越しての注意、適切だと思う。
ただ、ちょっと受身すぎるんじゃないだろうか。
禁止とか言えば当然無粋と言われるだろうけど、政府が規制にのりだすなら、ゲームの仕掛け上、危険が予測されるものの除去を求めても良いのではないだろうか。

自由主義のタテマエ上、法的規制は難しいかもしれないが、ネットの世界では「業界ルール」による規制もあると思う。だいたいIPアドレスやドメイン名だって業界ルールである。

昔なら「行政指導」というのもあったけれど、今はそんな「不透明な」指導は認められない。

業界ルールでは粗悪ゲームの出現は防げないかもしれないが、ルールに従わないゲームは「裏ゲーム」扱いになるだろうから、セントラル・パークで数百人が一斉にポケモン探しというような騒ぎになるほどの人気は、少なくとも大っぴらには、得られないのではないだろうか。

先日の記事では、高速移動体上でプレイしたら、捕獲したポケモンが死滅するようにプログラムしたら、と書いたけれど、他にもたとえば、ポケモンの出現場所に対する規制とかはできるんじゃないだろうか。

端末のGPS精度などの問題もあるだろうけど、それなら精度の悪い端末だとプレイできないようにするとか。
(GPS精度が悪かったら、待てど暮らせどポケモンは現れないのかな)


それにしても、知らなかった、ポケモンGOで遊ぶ人のことを"ポケモントレーナー"と言うらしい。
NISCの人は良く勉強されてるようだ。
Screenshot_2016-07-22-10-18-05.jpg

【追記】

Android版の配信が始まったというので、取り急ぎインストールしてみた。
ところが、私のZenFone2 Laser(5inch)では、ジャイロセンサーがなく、ARが有効にならない。
これでは興味半減というか、皆減である。

それでも昼休みに「野生のドードー」なるものをゲット。
やっぱり、ポケモンがいるところへ歩いて行かなくちゃいけないというのは、私には向いてないな。


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今日から夏休み

o0480048013006581716.jpg 小学生の子供を持つ同僚によると、今日から小学校は夏休み。

私は小学生じゃないし、小学生の子供がいるわけでもないから、別にそれがどうということはない。子供がずっと家にいて困るというようなことはないわけである。
子供が家にいても静かにお勉強をしてくれれば、親としては助かるだろう。夏休みの宿題をおとなしくやってくれれば良いというのが親の本音だろう。

件の同僚によると子供が持って帰ってきた夏休みのドリルの表紙には「ガリガリ君」が使われているそうだ。中味は見てないらしいが、ところどころにガリガリ君があしらわれて、「わかるかな?」なんて吹き出しのセリフが付いてるかもしれない。

ガリガリ君は、いろんな商品とコラボしているそうだが、小学生用のいろんなドリル類にも良く使われているらしい。子供に興味を持たせようと(そう考える教師に採用してもらおうと?)、あの手この手である。

生徒に興味を持たせるといえば、先だって大いに話題になったのは、中学校英語の教科書に登場するエレン・ベーカー先生。
こちらは、大ブレークして、海外のニュースでもとりあげられたらしい。エレン先生のコラージュ(アイコラである)も大量に制作されているようだ。大人用のNew Horizonもあるらしいが、こちらはエレン先生じゃなくて、ストーリーはもっとドロドロしているという噂である。


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さて、小学校の夏休みというと、大阪はだいたい7月21日から8月31日の42日間のようだが、北海道は、夏涼しく、冬が厳しいという、まことに合理的な理由で、7月26日~8月21日の27日間となっている。
震災などで学校が休校になる日が多かったところなどは、夏休みや冬休みで調整していると思う。
全国都道府県の夏休み期間を調べてアップしているサイトがあったのだけれど、不思議なことに京都市では7月23日~8月24日の33日間となっている。本当だったら、一体どういう理由なんだろう。

子供の頃を思い出すと、夏休みのドリルなどは、終業式が終わって家へ帰ったらすぐに全部やってしまっていたと思う。それを先生に見透かされて「六二郎君、一遍にやらないで毎日少しずつやりなさい」と注意されたことも憶えている(もちろんその指示には従わなかったと思う)。

夏休みの宿題でイヤだったのは、(絵)日記。
先生は、子供がどんな生活をしていたのか情報も得られて良いのだろうけれど、とにかく私は毎日やるというのがイヤイヤでたまらない。まとめてやってしまいたい。

長じてもそうで、高校のときは、長期休みには参考書(問題集)を一冊決めて、それだけを全部やる、他の本・他の教科には見向きもしないという勉強の仕方をしていた。


毎日ブログを書くというのは本当は私には合わないのである。

だから、実際はある程度書き溜めて、オチないようにしています。


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Pokémon GO

2016-07-19_133044.jpg "Pokémon GO"というゲームの話題が沸騰している。

ニュージーランド、オーストラリア、シンガポールなどで先行提供(ソフトローンチ)され、機能確認・改訂、バグ修正などが進められ、米国で正式ローンチ(7月7日)された途端、爆発的にダウンロードされたそうだ。
日本でも今日7月20日にローンチされるという噂が流れている(まだ確認していない)。

過熱気味の状況を伝えるニュースを拾うと、
  • プレイヤーが同じ場所に殺到して、それにより騒動が起こる
  • テレビの生中継中にポケモン探しに夢中のキャスターがカメラを横切った
  • ポケモン出現ポイントで待ち伏せる強盗事件が発生した
  • 博物館などではポケモン探しを禁止した
  • ポケモンを探していて崖から転落死した
  • ヒラリー・クリントンが「ポケモン投票に行く」をやってもらいたいと発言した
  • 任天堂の株価が急騰した
などなど、公開からわずかな期間でいろいろな事件を起こしている。

テレビでゲーム解説を見たが、なるほど、よく考えてできている。
AR(Augmented Reality)技術の応用だけれど、それだけではなくてゲーム性を高めるためにさまざまな工夫をしているし、継続して遊ばせるための工夫(ちゃんとスマホを持って移動しないとマズイらしい。その代行業まで出ているそうだ)も周到に用意されている。

とてもおもしろそう、だから一度は私もダウンロードしてやってみようと思うが、問題は、ポケモンが出現する場所が、私の身近なところにできるかどうかである。

ただし、これにどっぷりはまるかというと、それはないと思う。
こういう、人工的で、他人が作り、他人がコントロールしているゲームで遊ばされるということに抵抗があるからだ。
PCやスマホのゲームの多くは、プログラムの匙加減一つで、いくらでもコンピュータ側が強くできる。ゲーム進行の決定権が相手に委ねられてしまっている。"Pokémon GO"は、プレイヤーを実際に街中で動かさせるという点で、その究極の形かもしれない。

もっとも、プログラマーの鼻をあかしてやろうという遊び方で、お前らに都合によい遊び方なんかしてやるものか、という人もいるだろうけど。


同じPCゲームでも、ルールが外的に与えられている(将棋や囲碁など)ものなら、コンピュータと人間は対等の舞台で戦っているわけだし、パズル(ナンクロとかスリザーリンクとか)はコンピュータば紙と鉛筆、及び正解チェックの支援をするだけだが、これはコンピュータが神様になっている。

そもそもコンピュータ・プログラムで達成される動きは、自然の法則とは無関係に定義される。画面に指で触れて、全然違う場所に指の跡が付いたとしてもおかしくない(スマホのタッチパネルの調子がおかしくて、そういう問題を起すことは多い)。そういう世界で育った人間、つまり自然の因果関係とは別に用意されたトリックの世界で育った人間って、なんだか問題がありそうである。

もっとも、プログラムがどこまで自然の法則に近い動きを再現するかというのも技術。ハコスコによる3D VRもそうである。そして、これは、自然を模倣するという明確な目的があり、現実的かつ価値ある応用が行われている。たとえば医療において手術前に3Dで事前に患部を確認し、模擬練習ができるなどの応用がある。

"Pokémon GO"はおもしろいから、間違いなくヒットすると思う。そのことは悪くないと思うし、やめさせる必要もないだろう。ただ、ゲーム提供者は、危険な場所、他人の迷惑になる場所へのポケモンの出没は避けるような配慮が必要だろう。

いっそ、家の中で世界中のポケモン出没地に仮想的に行けて、ポケモンをゲットできるようにしたら……それじゃARゲームとしての意味がないけれど。


今でも、混雑した電車や駅で、周りへの配慮なくゲームをしている輩がいる。
ポケモンではそんなことが起きないように願う。

電車(高速移動体)の中でゲームをしたら、捕えたポケモンがみんな死んでしまうようにプログラムすることぐらい簡単だろう。


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honto(激安)クーポンが少なくなった

以前、電子書籍の購入はhontoが多いと書いた。

2016-07-12_162330.jpg その理由は、hontoはたびたび割りの良いクーポンを送ってくるからで、実際、大きなものとしては、カッロッツォ他「西洋音楽の歴史」全8冊、塩野七生「ローマ人の物語」全15冊など、いずれも半額クーポンを使って購入している。(この2シリーズだけで2万円以上、コスト軽減できている計算。)

クーポンというものは、今でもしょっちゅう送って来るのだけれど、その多くが作品や出版社限定のものになっている。
これでは私が欲しい本には利用できない。
2016-07-12_162421.jpg 購入後のポイントが○○倍、というようなポイント優遇もあるが、これも対象商品限定ばかりのようだ。

私は買っても良いと思う本を「買い物かご」に入れて、半額クーポンが来るのをひたすら待っているのだけれど、それが来ない。

通常、紙の本より電子版の方が少しは安いのだけれど、それも数円~数十円といったところなので、その程度の差であれば、紙の本を買うだろう。


今でも、本を限定しないクーポンもあることはあるが、このところ10%オフがたまにくる。
そう思っていたら、先日、ようやく20%オフ・クーポンが来た。
2016-07-15_141046m.jpg

10%オフは有効期間1ヶ月で3回利用、20%オフは有効期間4日間で1回限り利用可能。

hontoは半額クーポンをもう出さないのだろうか。

無理に出してもらわなくても良いけれど、出さないなら出さないで、こちらにも都合というものがある。
バスケットに入ったままになっている本をどうしようか、いいかげん買うべきだろうか。
(電子書籍だから品切れの心配はないと思うけど)

それとも、Amazon(Kindle)で買うことにしようか。
(最近全然使ってないKindle paperwhiteでも読めるし、リーダーはKindleのほうが使いやすいから)

結局、とりあえずバスケットに入っていた4000円相当は、20%オフクーポンで買った。

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冷麺(冷やし中華)にマヨネーズ?

お昼の弁当がわりに、コンビニで冷麺(冷やし中華)を買った。

冷麺というのは、大学へ行くまで食べたことがなかったが、学食のメニューにあって、それからはときどき食べた記憶がある。
もともと小食で、お昼に大量の米を食べたりしないので、ラーメンとかうどんとかで済ますことが結構あったわけで、冷麺もその延長である。

韓国が冷麺の本場とか言われていて、韓国に行ったときのこと、何せ2月のソウルである、食堂は暖かいといっても、冷麺という風情ではなかったけれど、少し食べたおぼえがある。麺の形、歯触りが日本のものとは違った印象があったけれど、タレなどは国内のバリエーションの範囲内かもしれない。食べ比べなどしているわけではないけれど。

IMG_20160714_120432.jpg さて、コンビニの冷麺である。
以前から、コンビニの棚にあることは知っていたけれど、どんなものだかわからなくて買ったことがなかった。
それを、先日、勇気を奮い起こして買ってみた。ファミリーマート460円。

具は普通に見かけるもの。ハム(?)、きゅうり、わかめ、錦糸卵、ゆで卵、それに紅生姜。
そして驚いたのが、カラシではなくてマヨネーズが付いていること。

私だけが世間から遅れているのかと思って、同僚数人に聴いたところ、一人が「マヨネーズも案外いけます」と言った他、全員が否定的、子供向けですか?という。

結局、マヨネーズは使わなかったのだけれど、やはり少しはためしてみるべきだったと後悔している。
なぜなら、食べ進むうちに、タレがどんどんからくなってきたから。

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イギリスの手羽先

o-LADYS-570.jpg EU離脱で大揺れのイギリスの首相が決まった。

テリーザ・メイ前内相。サッチャー以来の女性首相ということだ。

本人は残留派だったそうだが、これからは離脱へ向けて、ソフトランディング(テイクオフ?)を目指すことになるのだろう。
残留派からは、残留に向けた調整の期待もあったらしいが、離脱は既に決まったことであるというスタンスらしい。

組織で仕事をするという場合、上司の指示や、前任者までの仕事が、自分の判断とは異なるということは良くあると思う。
そこで上司と喧嘩したり、サボタージュを決め込むとかすれば、自身の評価は著しく下がってしまう。
メイ首相の場合、上司はいないけれど、国民投票でEU離脱が決められているということは、いわば前任者のお荷物を背負わされたようなものである。
slide_496278_6876554_free.jpg そこでメイ首相は、明確にEU離脱という自分の判断とは異なる政策の実現に向けて、向き合うということを打ち出したというわけである。

私も以前、そんな事業がうまくいくはずがないだろうと考えていたものが、やはりうまくいかず、その整理を担当することになったことがある。
当然、同じように失敗するだろうと考えていた関係者からは、整理担当者である私には厳しい言葉が投げつけられることもあるが、中には、おまえがやったことでもないのに整理だけさせられて大変だなと同情してくれる人もいる。

slide_496278_6876626_free.jpg というわけで、こういうケースは案外気楽なもので、何せ、自分が悪いわけではないのだからと開き直って対応することになるわけだ。
メイ首相が抱える問題は、そんなに軽いものではなく、無責任な開き直りでは済まないと思うけれど、離脱・残留の二分法の時期は既に過ぎ、これからは離脱のデメリットを最小限に、残留のメリットを最大にする微妙な政策調整という努力しがいのある仕事をされるのだろう。

ところで、タイトルの「イギリスの手羽先」であるが、メイ首相は、イギリス政界のファッション・リーダーとかファッション番長と言われているそうだ。とりわけ、靴のファッションが有名で、豹柄パンプスを良く履いているいるらしい。
ネットを探すとその写真を拾うことができる。

アップした写真2枚とも拾ったまま、トリミングしていません。
イギリスのカメラマンもこういう趣味の写真が好きなようだ。

珍之助さまの定義による「手羽先」では大腿部の露出が必要である。
手羽先の先」というべきだったかな。

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今年のカサブランカ

P_20160714_210916.jpg 今年も庭にカサブランカが咲いた。
立派な花だが、カサブランカから想像される大輪よりは、心持ち小ぶりである。
咲いたのは一輪、あと蕾が一つ。
離れたところに、もう一株あるのだけれど、こちらは蕾がついていないから、花は期待できそうにない。

それもそのはず、このカサブランカは去年咲いたものが自然に残した球根から出たもの。

⇒去年のカサブランカ


写真は開花に気付いて夜中に撮ったもの。家人が言うには、この日の夕方は未だ咲いていなかったというので、夜中だけれどスマホで慌てて撮影。

写真には不思議な色がついているが、こちらで細工したわけではなくて、カメラのストロボの関係だろう。角度的にとても撮りにくい場所だったので、懸命に腕を伸ばして、画面も視ずに手探りで撮ったもの。


例年であれば、家人が園芸店で新しい球根を買ってきて植えるのだけれど、今回はその時期に世話をする家人がいなかった。カサブランカに限らず、春の花、例年ならチューリップなども、何一つ、新しく植えたものはなく、そして咲かなかった。そんな中でも、小さい水仙などは可憐に咲いていた。

P_20160714_211139-crop.jpg 本音を言うと、園芸店から買ってきた球根や種を植えて花を楽しむというのは、悪くはないけれど、園芸家ではない私は、そんなに執着しているわけではない。
むしろ、季節になると自然に花が咲いてくる、野草のようなものでも十分だと思っている。

それでも、なかなか子供の頃に見ていたような野草が、今の新興住宅地では思ったように咲いてこない。
それは、たとえば、タンポポであったり、オオイヌノフグリであったり。花とはいいにくいけれど、ツクシも生えない。

その一方で、タカサゴユリは、今年もたくさん繁茂していて、夏の盛りにはまた花が咲くことだろう。
どうも、帰化植物のほうが進出速度が速いように思える。もっとも、悪名高いキリンソウ(セイタカアワダチソウ)などは、未だ我が家には侵出してきていない。

雑草の庭、それもまたよし、である。

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天皇の生前退位

2016-07-14_132851.jpg 今上陛下が生前退位の意向ということで、各紙、大きな紙面を割いている。

皇室典範には、生前退位の規定がないということで、法改正が必要という話にもなっている。

昭和天皇のときにもご譲位のことが議論された覚えがある。
長い闘病期間があって、国民からも、いいかげんお可哀そう、ご譲位はできないのかという声があったと思う。
報道では、法制局は国民世論の動向も踏まえてという趣旨が書かれていたが、おそらく大半の国民は、高齢や疾病などで退位されることに反対はないと思う。

「ラクにしてあげれば」なんて言葉の使い方を間違ったら大変だけれど。


報道では「退位後の役割や尊称、時期などを議論する必要がある。元号も変わる」という記事もあるけれど、大した問題じゃないのでは。

まず、役割なんか特に当てなくて良いだろう、というかあてちゃいかんだろう。天皇の家族として、気が向いた時に行事に出ていただければ良い。宮中参賀などで、皇室ご家族が並んで出られるが、これって法的根拠なんてないだろう。ときどき元気な姿を見せていただければありがたい、そういうことではないだろうか。

尊称って、"上皇"で何か問題があるのだろうか。歴史的にも、たとえば白河天皇⇒白河上皇でなんの違和感もない。もちろん諡号だから、通常、平成上皇などとお呼びするわけにはゆかないが、上皇さまで良いのではないか。

元号も変わるというけれど、昭和から平成へ替わるとき、みんながやきもきしたのはXデーがいつかということだったのでは。そのことを思えば、計画的に元号を変更できるのだから、むしろ混乱が小さくなって良いのではないだろうか。
上皇となっても崩御の日にはいろいろあるだろうとは思うけれど、天皇崩御よりは軽い扱いができるようになって、経費節減にもなるのでは。

生前退位でなくても、摂政の規定(昭和天皇は大正天皇の摂政もされ、摂政の宮と呼ばれていたと聞く)を使えば、ご高齢の陛下をわずらわさないようにできるという意見もあるが、海外の儀礼に出席されるとき、国家元首の扱いを受けなくなると思うけれど、それでも良いのだろうか。

いずれにせよ、法改正は必至の情勢のようだけれど、ごく簡単なもので良いと思う。
やみくもな譲位で国が混乱しないようにしようと思っているのかもしれないが、そんなことをされるはずがないだろう。皇位をめぐって骨肉の争いが起こるなんてことも、反政府勢力が皇族の誰かを担いで権力を奪取するなんてこともアリエナイでしょ。

heisei_obuchi.jpg 皇室のこととなると、伝統がどうしたとかうるさいように言うけれど、その多くは明治以降のものともいう。
宮中儀礼も、昔のものを参考にしただろうけれど、明治以降に整えられたものが多いらしい。

その一方、平安以来の伝統を無視したことも行われる。
たとえば「平成」という元号だが、平治の乱以降、縁起が悪いとして「平」ではじまる元号は避けられてきた(保元の乱の「保」も)という説がある。
本当なら伝統を無視した悪行である(保元も平治も京都の話、東京は関係ないという意思の表れ?)。

なので次の元号は「保安」ではないだろうかと思ったが、既にあった(1120-1124)。

古には、周知のとおり、生前退位などあたりまえ。本人の意志(徳川将軍を困らせるためとか)や、無理に退位させられたとか、いろいろ理由はあるけれど。それどころか、重祚した天皇もいる(皇極=斉明、孝謙=称徳。どちらも女帝)。

あとは、女御・更衣あまたさぶらひたまひけるようにすれば皇嗣問題も解決


それより、旧皇室典範(昭和22年廃止)「第11条 即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」約束はどうして反故にしたんだ。

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休刊日の続き

h_086qizz00028pl-crop.jpg 珍之助さまに墓穴を掘ってもらいたくて、昨日の休刊日の続き。

右画像は、昨日の画像の元ネタになったビデオのパッケージ写真。(元ネタ画像はこちら


このビデオは別のサイトでも配信しているけれど、それ以外にも、Google画像検索などすれば、個人のブログとおぼしきサイトのものも含め、かなりの量の画像がヒットしてくる。

昨日使用した元画像は、著作権問題を考慮して、正規の配信サイトが出しているものを選んだわけ。


昨日の記事をアップして気付いたのだけれど、最近「アイコラ」(アイドル・コラージュ)という問題が注目されている。
ヌード画像などで、顔の部分をアイドルや有名人のもので差し替えて、その人のヌードを妄想するという趣向で、ネットにはその手の写真を集めたサイトもあるようだ。

顔の差し換えは昔からよくある。たとえば「ヒトラーの扮装をしている○○氏」という類は、政治的思想的信条の表現というカタイ世界であり、しかるべき公人がターゲットになる。
アイドルも公人と言えないこともないが、前述のような、もっぱら淫らな妄想を目的とする場合、顔を使われた側が訴えをおこし、名誉棄損を認定した判例もあるらしい。名誉毀損だけでなく、肖像権の侵害とか、業務妨害という犯罪になるとも考えられているようだ。

昨日の私のコラージュ(?)は、「六二郎アバター」をコラージュしているだけだから、そうした問題はないし、女優の顔もカットしている。ただし、胸や脚、お尻など、女性の性的誘因物を、そこだけ取り出してアイキャッチに使用することが女性蔑視につながるという批判を聞いたことがある(私はそういうつもりはありません)。

「豊満な胸は私の商品、私の一部。顔をカットして胸だけアップすることは認めない」とマリさんに言われたらどうしよう。


ということで顔出しのコラージュも用意しました。    


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休刊日

245155-0sl-hokuro.jpg 本日は月例休刊日。







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ほくろ は井伊直虎を参考に 六二郎が描き加えました。


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フジツボ

NUMERATI_cover.jpg スティーヴン・ベイカー「ニューメラティ ビッグデータの開拓者たち」という本がある。

"ニューメラティ(numerati)"とは、聞き慣れない(というか見慣れない)言葉だけれど、元々は"nume(rate)(lite)rati"に由来し、"数学が得意な学者"のことで、昨今は、"財テクのやり手"の意で使われるのだそうだ。

サブタイトルのとおり、ビッグデータの意義(技術的解説ではなくて、その効果、活用場面の説明)が中心になっている。
ビッグデータについての、私なりの理解は、

狙う母集団についてのとりとめない(と思われる)データがあり、一方で、抽出集団のとりとめなくないデータがあるとき、抽出集団のこのとりとめなくないデータを使って推定したい母集団の性質を関連付け、次に母集団の性質をとりとめないデータから推定する

といったもの。
昔は多変量解析の手法であるクラスター分析とかをベースにしながら、変数のとりかたについて、さまざまな試行錯誤を大量・自動的に行うようなものではないだろうかと、まったく実態を知らないど素人である私は思っている。数学というよりは、どういう試行をコンピュータにさせるのかという、経験知が有用なんだろうと思っている。

ということで、この本についての感想や解説はまた機会があればやってもよいけれど、今日は、この本のなかで紹介されていた話を一つだけ取り出す。
それが「フジツボ」という言葉。長くなるけれど引用させてもらう。
経営者にとってもっとも不愉快な買い物客は、「フジツボ」と呼ばれている。この生物にたとえたのは、マーケティングのコンサルタントでもあるコネチカット大学のV.クマール教授だ。小売業者にとって、フジツボほどいやな顧客はいない。この連中は、切り取った割引券を手に、店舗から店舗へと車で乗りつけて、大幅に値引きされる商品だけを買っていく。船底に付着したフジツボのように、他人まかせに動きまわる。小売業者の利益にならないどころか、損失をもたらすこともわかってきた。
身に覚えのある人も多いに違いない。

SeepockenMiesmuscheln_Galicien2005.jpg さらに続けて、
全員が同じように扱われると、フジツボばかりが得をする。好機が独占されてしまい、ふつうの人々にまわってこない。だが、いまや小売業者はフジツボを識別するだけでなく、差別待遇を与える手段も得ようとしている。このような手段が実行に移されたとき、もちろん、はじめに気づくのは当のフジツボだ。連中は本能的に油断がない。そして、この種類の差別には、間違いなく訴訟で対抗するだろう。2005年、映画のDVDをオンラインで貸し出すネットフリックスが、約600万人の会員から集団訴訟を起こされた。その理由は、もっともよく借りる顧客がDVDを受け取るまでに、平均よりも長い時間がかかっていたことだ。映画の熱狂的なファンは、レンタル回数に制限のない月額17.99ドルの会費を払い、可能な限り多くの映画を見ようとした。つまり、DVDが到着した日に1本か2本の映画を観て、翌朝に急いで送り返すのだ。

ほかに、「チョウ」という顧客類型もある。
ときどき店舗にふらりとあらわれ、散財をしていくが、何か月あるいは何年にもわたって姿を見せない。まったく当てにならないので、むやみにかまっても徒労に終わる。「チョウを追いかけてはいけません」とクマールは警告する。

これらは昔から、経営者がリアル店舗において見出した顧客類型だと思うから、ビッグデータの活用によってこうした類型があぶりだされたわけではないだろう。
おそらく、多くの店が並ぶネットショッピングモールにおいて、複数店舗をわたりあるくユーザーを分析するような場合にビッグデータが利用されるのだろう。

で、やっぱりモール側が、客によって対応を変えるのはどこまでできるのだろう。
それが「抽選であなたが選ばれました」式の特典付与(客の差別ではない、あくまで抽選)になっているのかもしれない。

ただし特典内容によっては、景表法違反になるかもしれないが。


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2016参議院選挙結果(比例区)

■2016年参議院比例区選挙結果         開票終了
党派 得票数 得票率 議席
自民党 20,114,788 35.91% 19
民進党 11,750,965 20.98% 11
公明党 7,572,962 13.52% 7
共産党 6,016,195 10.74% 5
おおさか維新の会 5,153,584 9.20% 4
社民党 1,536,238 2.74% 1
生活の党と山本太郎となかまたち 1,067,300 1.91% 1
日本のこころを大切にする党 734,024 1.31%
新党改革 580,653 1.04%
幸福実現党 366,815 0.65%
支持政党なし 647,071 1.16%
国民怒りの声 466,706 0.83%
昨日、参議院選挙が行われた。

注目していた「支持政党なし」は、残念ながら議席を獲得することはできなかった。
「支持政党なし」に票を入れる、つまりネット投票で議案の賛否を決めることに賛成するとは、何のことはない、もしネット投票が国民の賛否を反映したものになるなら、与党に従うというのと同じことだという見方をする人もいた。

また、その下に「国民怒りの声」も、「支持政党なし」よりも少ない得票しか得られなかった。
こちらも、安保法制違憲で、怒り心頭の小林先生の怒りが、残念ながら多くの票を集められなかったわけだ。

それにしても、世論調査では、憲法改正に賛成する人の割合、アベノミクスを評価する人の割合、いずれも、与党の獲得議席割合よりも少ない。今回、争点としてぶつかることを避けた与党の態度から、こうした個別の政策判断が、十分得票に反映しなかったのかもしれない。
あらためて複数政策の組合せを一体として問う代表選挙というものの特性を考えさせられる状態となった。

「支持政党なし」は、そういう問題意識をベースにしているとも言えるのだけれど。


代議制民主主義では、議員はすべての判断を任された存在と考えるか、公約(マニフェスト)に縛られた存在と考えるか、もう一つ所属政党に縛られるというのもあるが、理屈・是非はともかく、実態的には最初にあげたような存在として動く。
安倍首相は、選挙後のインタビューには、憲法改正は自民党結党以来の党是であるから、あえて宣伝する必要はないと言っていた。つまり争点にならなかったことと、公約違反とはリンクしないという論理を出していた。

ところで、今回、私の投票所ではNHKの出口調査が行われていた。これは初めての経験。
投票が終わってから、「NHKですが……」と寄ってきたのだけれど、パスさせてもらった。
それにしても、投票終了後、すぐに当確がやたらたくさん報じられたが、こういう人達の努力の成果である。
(開票のおもしろみがすぐに失われるのはさびしいが)

【追記】

はじめ開票率99.9%でアップしたものを、開票終了に差し換え。
それにしても、開票終了で得票数が減った政党が多いけれど、無効票があったということか。


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呪物崇拝?~ラトル/ベルリンpoのベートーヴェン交響曲全集(続き)

昨日の続き。

購入したラトル/ベルリンpoによるベートーヴェン交響曲全集、セットに含まれているブルーレイ・オーディオのリッピングはガマンしようと思っていたら、
このブルーレイ・ディスクには、上記全曲のハイレゾ音源(24bit/192kHz)をダウンロードするためのURLとそのパスワードが封入されています
とあることに気がついた。
ブルーレイをリッピングする必要がない、それにブルーレイは24bit/96kHzだけれど、こちらは24bit/192kHzと、さらに品位が高いじゃないか。
2016-05-15_211605m2.png
さらに、ダウンロードしようとしたところ、メディアと抱き合わせでなく、ダウンロードのみの販売もある。
CDもブルーレイ・オーディオもいらないじゃないか!
右のスクリーンショットでわかるように、ディスクを買わずにダウンロード販売のみの場合は49ユーロである。

メディアに封入されているパスワードを入れれば支払額が0ユーロになる)

こっちの方が安い! これで十分!

まぁ、ビデオはダウンロード販売されてないから、メディアで買うこともありかと自分を慰める。
(ビデオは80GBもあるから、ダウンロード販売はさすがにきついかもしれない。)


CDというのは、以前は、いつでも、聴きたいときに聴けるということが、購入動機の一つだった。

と言ってるけど、1度しか聴いてないCD、LPもたくさんある。コンサートの入場料と見合いということかも。

今は、たいていのものが、ネットで、いつでも聴ける環境が整っている。
Amazon prime musicにも、大変な量の楽曲がある。
この間、ヒルデガルト・フォン・ビンゲンのことを書いたけれど、その後、Amazon prime musicを思い出して、Hildegard von Bingenで検索したら、ちゃんと出てきた。私はprime会員だから、タダである。
多少、音質は落ちるかもしれないが、ハイレゾを望まなければこれでも十分である。

ただし、KassiaはAmazon prime musicにはなかった。こういう手に入らないCDこそ配信してくれたらうれしいのだけど。


こうなってくると、CDなどは、買って手元に置いておきたいものと、そうでないものという違いになってくる。
あるいは、揃えることに喜びを感じるというか、欠けていると不安になるという、蒐集趣味というか蒐集癖の問題になってくる。
つまりフェティシズム、呪物崇拝。

2016-05-15_210947.png かんじんの演奏だが、買ってから随分経つけど未だ全部を聴いたわけではないが、聴いた範囲では、総じて、予想通り、快速ではっきりしたもの。
6、7、9番などは、少し速めかと思うけれど、あんまり驚かなかった。

5番は、おそろしく速い。そしてそのテンポにきっちりとついていくベルリンフィルの恐るべき技術。

昔、ベーム(当時80歳)/ウィーンpoの来日公演で、5番をやったとき、たいして速くもないテンポなのに、「ダダダダーン」と始まったことを思い出した。


怨念のこもったような「深い」運命を期待する人には向いていないかもしれない。

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ラトル/ベルリンpoのベートーヴェン交響曲全集

Rattle-Berlin_Beethoven.jpg 記事のアップが延び延びになったので、いささか古い話になってしまったが、サイモン・ラトル指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団が、今年の5月11日~15日、東京公演をおこなった。

5日間でベートーヴェンの交響曲全曲を演奏したのだが、最初の4日は、S席42,000円、一番安いE席が17,000円で、最終日(第9を演奏する)は、それぞれプラス3000円だった。
5日間すべて通したら、S席だと213,000円、一番安いE席で88,000円となる。

こんなものにはとても手が出ない。それに東京で4泊の交通費・宿泊費も必要と思っていたのだけれど、日本での演奏会初日の前日だったと思う、新聞広告で同様の演奏会をベルリンの本拠で行ったときのライブ録音のCDが販売されることが伝えられていた。
ベートーヴェンを楽聖と崇め奉っているわけではないけれど、新聞広告を見た日にすぐ予約して買った、12,384円。
もちろん生演奏と記録メディアを同じ尺度で評価することはできないけれど、割安感があったことが購入動機であることは間違いない。

西洋クラシック音楽を聴く趣味がある者なら普通だろう、ベートーヴェンの交響曲のLPやCDは何枚も家にある(第1番、第2番は持ってない)。けれど、かねがね新しい録音が出たら買っても良いかなと思っていたところだった。

購入の決め手は一つではない、というか割安感だけではない。
演奏がラトル/ベルリンということ。ラトル/ベルリンのベートーヴェンというと、以前、第9を借りたCDで聴いたことがあって、外連味がないというか、くっきりした演奏を好ましく思った覚えがある。この組み合わせなら酷い演奏はないだろうという安心感。
次に、ブルーレイ・オーディオが付いてくるということ。24bit/96kHzのハイレゾ音源が一挙に手に入るから、この音を聴いてみたいと思ったこと。
前にちょっと触れたけれど、小澤/サイトウ・キネンによる第9のハイレゾ版を聴いてみたいと思っていたが、割高なので、よう購入に踏み切らなかったが、このセットは9曲も入っているからおトク感いっぱいである。

コンサートに行けない貧しいファンにはハイレゾというわけだ。

貧乏人のハイビジョン」という逆説を聞いたことがある。
ハイビジョンは解像度が高いので、近くから視ても走査線が目立つことなく、滑らかな映像が楽しめる。つまり、狭い(=貧乏人の)部屋に向いているという理屈である。


P_20160512_194753.jpg セットは、5CD、1ブルーレイ・オーディオ、2ブルーレイ・ビデオの8枚である。
この枚数で割安感が掻き立てられたのだけれど、良く考えると、ブルーレイ・オーディオに全曲が24bit/96kHzで収録されているわけで、5CDは不要とも言える。そうするとブルーレイ3枚というわけで、1枚あたり4000円超と、全然安くない。

私は、家の中のあちこち(といっても2カ所)のオーディオ・セットで聴けるように、CDを買うとリッピングして、NASに置いておくのだけれど、ブルーレイは著作権保護(DRM)がかかっている。しかたがないので、CD音質でガマンしようと思ったのだけれど……(続く)

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糖質制限

2016-07-07_110230.jpg 先日、NHK「ためしてガッテン」で"追跡!糖質制限ダイエットの落とし穴"というのを見た。

番組では、糖質制限ダイエットを実行してダイエットに成功した話と、体重も血糖値も落ちたが、筋力・思考力が落ちたという話が紹介されていて、後者の原因は、絶対的カロリー不足であると説明していた。

これは糖質制限では常識とされることで、糖質を減らすと同時に、たんぱく・脂質はそれに見合うだけ増やす必要があるということであり、多くの書でも注意されていることである。件のダイエットで不調に陥った人はちゃんと本を読んでいたらしいのだけれど、ダイエットに熱心な人は、どうしても食べすぎることに抵抗が強くなるようだ。

私はダイエットを求められるような体型ではなく、今のところ、糖質制限を手放しで認めるわけではないし、実行しようというつもりもない。だけど、糖質制限の考え方にはちょっと関心を持っている。

それは、少し前に宗田哲男「ケトン体が人類を救う~糖質制限でなぜ健康になるのか」という本を読んで、なるほどと腑に落ちることが書いてあったから。

ketontaigajinruiwosukuu.jpg この本は、糖質制限ダイエットが話題の中心ではなくて、妊娠糖尿病が中心になっている。
そうした症状に陥った妊婦の苦労、不安が書かれ、それに対する今までの治療法に対する批判、糖質制限を推奨することに対する伝統的医療者から受ける理不尽な攻撃などが書かれている。

同書では、糖質制限の有効性の説明のため、糖質とインシュリン、肥満の関係について、いろいろ解説されていて、ふぅ~ん、そういうことなのかな、と思いながら読んでいたのだが、そういわれればそうかと腑に落ちる話が書かれていた。それは、

鳥の卵には糖質はほとんど含まれていないが、きちんと雛が育つ

ということ。

実際、食品成分表を見ると、生鶏卵100gあたりの炭水化物は0.3gであり、ほとんどが蛋白質と脂質である。鶏卵だけでなく、魚卵でも同様である(ヘビやカエルの卵は食品成分表にはないようだ)。
生物進化で、人類あるいは哺乳類でも良いが、胎生になったとたん、発生に必要な栄養素の構成が大きく変わるとは考えにくい。人間の胎児の栄養には糖質がたくさん必要だというのは一体、どういう根拠があったんだろう。

前掲書では、胎児の臍帯の血液を調べたところ、糖質は少なく、ケトンが驚くほど高濃度であったと書かれている(それまで調べた人がいないというのも信じがたいけど。調べんと言うてたんか)。


もちろん人体に糖質が不要というわけではないが、その量は多くないそうだ。NHKの番組では、ミトコンドリアが脂質をエネルギーとして使えることは説明されていたが、前掲書には、あたりまえだがミトコンドリアをもたない細胞、たとえば赤血球などは糖質が必要であると書かれている。(もっとも糖質を摂取していないと糖新生ということも起こるらしいが)

また、最近まで脳が栄養として使えるのは糖だけだと考えられていたが、NHKの番組でも指摘されていたように、脳はケトンでも動作するという。

脳の栄養は糖だから、朝起きたらすぐに炭水化物をとるべきであるという話も聞いたことがある。脂質が脳に利用可能なケトンになる時間の問題もあるから、この話の有効性が直ちに否定されるわけではないと思う。

ともかく、「脳がエネルギーとして使えるのは糖だけだから、胎児には糖を欠かすことができない、したがって糖質制限はまちがい」ということだったのだけれど、最初のところが違っている。

これは典型的なものだけれど、我々は三段論法を重ねられると、論理的で正しいと考えがちだが、実はその一つ一つの真偽があやしいものや、前提条件が違っているものが含まれていて、実は全くのデタラメだということは結構ある。専門家もそうした間違いをするというか、専門家ゆえに一層思い込みが強くて修正がきかないということもあるようだ。

前掲書によれば「三大栄養素(たんぱく、脂質、炭水化物)をバランス良く」という栄養学も実は何の根拠もなく信じ込まれていることなのだそうだ。(「バランス良く」って、その尺度は何?)


sugarTax_UK.jpg 番組では、イギリスでは糖のとりすぎが問題視され、砂糖税が設けられていると紹介されていた。米国も州によってはそうらしい。医者は、砂糖は体に悪く、しかも中毒性があるのだと言いだしている。

以前、何かの本で読んだ覚えがあるが、カロリーのない人工甘味料が体に悪いのは、甘味を感じてもエネルギー不足の状態になるため、甘味に対する感受性が落ちて、さらに大量の甘味を求めるようになるからだ、というような説明があったけれど、これもかなりアヤシそうだ。

その一方、あれほど悪者扱いされていたコレステロールも、今や健康指標として無意味とされ、新しい健康診査では使われなくなっている。


医学の世界は、健康に良い(悪い)習慣が、突然、健康に悪い(良い)習慣に、正しい(間違った)治療法が、突然、間違った(正しい)治療法に変わる世界らしい。

昔、タバコはコレラの特効薬と信じられていたことがあったらしい。今では、あらゆる病気の元凶である。これが再度、体に良いに変わることは…………やっぱり、ないだろうな。


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マイナンバーカードの普及

「日経コンピュータ」7月7日号に、「申請ペースが10分の1に鈍化 マイナンバーカード普及正念場」という記事が掲載されていた。

カード発行にあたってのトラブル続きで、そもそも発行事務が滞りがち(6月21日時点で、申請1062万枚に対し、交付済565万枚)ということもあるが、3000万枚の発行を予定していて、2017年度には6000万枚を目指すということだが、どうも実現がアヤシイということらしい。
MynumberCard_ICchip.jpg

そこで、そのためにカードの利便性をアピールするとして、マイナンバーカードを使って、コンビニでのチケット販売・チケットレスエントリーができるようにする、とか、民間カードのポイントをマイナンバーカードで利用できる、とか、JPKIで契約書が作成できるとか、いろいろ考えているようだ。

しかし、私は思うのだ、こんな機能はいらないんじゃないか。
一方でマイナンバーを腫物扱いしておいて、今度はカード1枚でなんでもできると便利でしょう、と考える事自体が間違っていると思うのだ。それに、カードを利用する場合は、カードの使い分けも考えているのが普通じゃないだろうか。

もちろん私も1枚にしてもらいたいものはいくつもある。

たとえば、電車の定期券。私はJRとK鉄を利用するが、JRはICOCAで、K鉄は磁気カードである。ICOCAは分割定期(2区間に分けて購入することで安くなる)なので、K鉄乗継扱いはできない。一方、K鉄をPITAPAなどにすると、2枚のIC定期券を1つのカードケースに入れていると誤作動を起こす。
(JRの通し区間とK鉄の連絡定期にして、料金だけJR分割計算を適用すれば良いのだけれど。)
楽天カードはEdy付きだが、コンビニで使う時ローソンではポイントがつかない


こう書けば1枚にできたら素晴らしいことはたくさんありそうだ。
しかし、それがマイナンバーカードでなければならない理由は全くない

そうした利便性の提供は、民間サービスとして提供すれば良いのである。
身分証明書という意義を持ち、絶対に二重発行を認めないマイナンバーカードを使っていたら、間違いなく、カードの有効期限が切り替わるときには困ったことがおきる。

クレジットカードが期限切れ前に新しいカードを送ってきて、前のカードは自身で破砕してくださいというようなことが、マイナンバーカードでできるわけがない。

マイナンバーカードが持つ本人証明機能をつかってチケットレスエントリーなんて、他人に貸せないじゃないか(貸しちゃいけないサービスもあるだろうけど、そうでないものだってあるだろう)。

以前、JPKIの普及が問題になったとき、私はメール証明書も付けたらどうかと思ったことがある。
ただ、これも浅知恵であった。「住所が入っている証明書を使うことは立場上無理」と弁護士の先生がおっしゃっていたから。
それより、国民が普段使う電子証明書(そんなものが必要かが実はアヤシイのだが)は、民間認証事業者が発行するものを使うという方が真っ当である。民間がそうした電子証明書を発行するときに、本人確認をJPKIでやれば良いとするぐらいだろう。

また、通常の民間サービスでは、最初にそのサービスの利用者と契約する場合は、身元がしっかりしていなければならないとしても、その後、住所が変わろうとも基本的にはサービスの継続には問題はなく、あらためて身元証明を求めることはない。もちろん事務的に住所変更届が必要な場合もあるだろうけれど、カード自体を無効にするなんてことはない。

前にも書いた覚えがあるが、運転免許証は住所が変わっても有効である(速やかな住所変更届は必要だけれど)。アタリマエだ、住所が変わったら運転技量として求められることが変わるわけではない(もしそうなら運転してよい都道府県を指定しないと理屈が通らない)。


マイナンバーカードは公的な証明で、住所その他の確認ができるから、民間事業者が安心して使える、冗談でしょ。民間サービスは住民票を信用してやってるわけじゃない。サービス提供者は自身の責任で相手を信頼するのである。

最初なにもない状態なら住民票で実在確認する意味もあるだろうが、信頼できる相手かどうかは、利用記録その他のデータから判断されるもの。そのためには、クレジットカードがやってる信用照会みたいに、名寄せができることがのぞまれるけど、マイナンバーでそれをやるの?


bakkajanainonew.jpg 政府は、マイナンバーカードに無理に集約するという猿知恵ではなく、身分証明機能を基礎として(だからマイナンバーカードを持たない人は住民票等で証明すればよい)、新時代の情報サービスビジョンを示すべきである。

マイナンバーカードを使わなければ、
  • 利用制限が多く、管理が厳格なマイナンバーカードに制約されないサービスを実現できる
  • マイナンバーカードを持たない人にも、同じ利便性を提供することができる
  • 外国人観光客にも利便性を提供できる
  • 海外同種サービスと提携すれば外国でも使える
  • カード更新期の混乱を避けることができる
  • カードの技術規格はサービス提供者が決定できる。磁気ストライプも使えるだろう
そして、これを実現するのに税金の投入は不要である。
マイナンバーカードの多目的活用効果なるものをでっちあげる必要もなくなるはずだ。


今まで、政府がいろいろできる・使えるといって、実現(普及)したことなんかないでしょう?
いろいろできるというのは、「何に使うの?」に対するイイノガレでしかなかったでしょう?
同じ間違い(そして税金の無駄遣い)を何度、繰り返すつもりですか?
ちゃんと目的・効果を明確にして政策を立案し、制度・システムを設計してください。

イイノガレのために何千億円も使ってもらいたいとは考えてない。
マイナンバーにより税・年金事務の効率性・正確性が向上して、正しい事務が低いコストでできればそれで良いのです。


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獺祭、焼かれて焼酎となる

P_20160704_213610-crop.jpg 先日、親戚の葬式で、私が持って行ってお供えした「獺祭 磨き二割三分」が、故人とともに旅立ったことを書いた。

その後、四十九日(3月にわたるとよくないということから三十五日)のときに、喪主(故人の長男)が、獺祭の代わりを用意できなくて申し訳ないと言っていたのだが、その後、仕事で行った熊本で、良い酒があるから送ると言ってきた。

「やっぱり日本酒がいいですか?」ときいてきたけれど、法事のときに焼酎の話をしていた覚えがあるので、焼酎がいいなと返事をしていた。
その焼酎が月曜日に届いた。
白岳 想伝」(40%)というもの。

なんだかネーミングが葬式をひきずっているようだけれど考えすぎか。


もちろん届いたその日にすぐ試飲。ロックで飲ってみた。すっきりしていて、どんな料理にも合いそう。
届いた日の夕食はサワラの味噌漬けで、やや塩辛いものだったが、すっきりといただけて、悪くない。

普段は芋焼酎の湯割りが多く、その独特の臭みに親しみをもっていて、米焼酎は長いこと飲んだことがなかった。
もともと米焼酎一般に芋のような臭みはないと思うのだけれど、それでも米ぬかさのようなものがあったような気がするが、この「白岳 想伝」は、臭みやクセはなく、口に含み、喉を通すときにも、アルコール分が高いにもかかわらず口腔表皮を刺すような荒さを感じない。いわゆる深みやまったり感が出てきている。「長期貯蔵熟成」の効果なのだろう。

この焼酎は、ウォッカの「ストリチナヤ」と同じ40%。ウォッカはフリーザーでギンギンに冷やして飲むのが好きだが、この焼酎はそういうことをしたらどうなるんだろう。
小分けにしてテストしてみようか。

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カウンターが50,000を超えた

気が付いたら、昨日、本ブログのカウンターが50,000を超えていた。
(画面右下、「聞いたもん」のところに表示)

2016-07-04_155543.jpg カウンターを設置したのが2014年6月11日だから、それから数えて755日である。1日あたり66人。
うろ覚えだが、1日200人を超える日も何日かあったように思う。

カウンターはfc2のサービスを利用していて、表示しているのは訪問者数で、二重にカウントはしていないけれど、私自身のアクセスもカウントされている。
人間じゃなくて、ロボットが見ているのもカウントされているに違いない。

家と職場など、異なるネット(IPアドレス)から閲覧したら、別ユーザーとして数えられ、水増しされていると思う。
同一ユーザーからのアクセスとは、どう判定しているんだろう。


50,000アクセスを記念する意味で、同じfc2のカウンターに用意されている「現在の閲覧者数」のカウンターも設置してみた。
これがどういう仕掛けで、どういうタイミングをとらえているのかよくわからないが、言葉通りだとするなら、この数値が2以上、つまり今見ている自分以外にも見ている人がいるということなら、

嗚呼、今、此時、此の同じページを見ている人が、此の広いネット上に、もう一人いるのだ!

なんて、かなりクサイ話ができるわけだ。
(もう一人は、Googlebotかもしれないけど)


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アマチュア楽団のコンサート

flyer_46th.jpg 昨日は、アマチュア・オーケストラの演奏会。
このところ毎年、メンバーから招待券をもらうので、気晴らしがてらに行く。

アマチュアといっても、子供じゃないから、音楽の感じ方などの基礎はできているだろうし、

自分自身を振り返って思うのだけれど、大人は人生経験が豊かだから、音楽の感じ方は子供よりしっかりできているだろう。

趣味とはいえ、プロとは違うお金のかけかた、時間のかけかたをして、練習にも励むだろうから、酷い演奏ということにはならないのが普通。今まで何回かこの楽団の演奏会にはいってるけれど、結構無難にこなしていた。

もっとも、今回はちょっと練習不足のようで、意思統一に欠けるところがあったようだ。


子供は未熟と言ったけれど、中学高校の吹奏楽部などでも、しっかりした指揮者の指導のもと、コンクールのために必死に練習していると、リハーサル1回だけで演奏会にのぞむプロより立派な演奏をすることがある、そう言ったプロの演奏家もいる。
プロでもそうなのだろうけど、アマチュアでは指揮者・指導者の力量というのが、演奏会の出来だけでなく、楽団の成長にも決定的なんだろう。

SymphonyHall_stamp.jpg 先日、「題名のない音楽会」で、アマチュア合唱団(いずれも全国コンクールで優秀な成績を修めるところではあるけれど)を、山田和樹氏が指導・指揮する企画があって、非常に興味深く見せてもらった。
そう、指揮者の意図、これがはっきりしていて、それに演奏者がそろえていく、そうすれば酷い演奏にはならない。

もちろん演奏者にある程度のレベルは要求されるだろうけど。


これって、一般に組織で仕事をする場合に通ずるものであろう。
意図・目的について無自覚で漫然と行動している、そういうのがダメな仕事には多いようである。

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「支持政党なし」

sangiin2016_tokyo.jpg いよいよ来週に投票日をひかえる参議院選挙、またまた出ている「支持政党なし」。

この政党を知ったのは前回の総選挙、そしてたぶん選挙に登場したのもこのときの北海道比例区が初めてだろう。
そのときは10万余票を集め、社会民主党の5万3千票よりも多く、一躍注目を集めた。私も記事にした

今回は、比例(全国)区だけでなく、北海道、東京、神奈川、大阪、熊本の5つの選挙区にも登場し、比例区2人、東京4人、他各1人で、合計10人の候補を立てている。
政党要件がないので、比例区に候補を立てるためには10人以上の候補が必要だからだけど、そうしたのは洒落や冗談ではなく、真面目に当選を目指しているのかもしれない。

■2013年参議院比例区選挙結果
党派 得票数 得票率 議席
自民党 18,460,335.20 34.68% 18
公明党 7,568,082.15 14.22% 7
民主党 7,134,215.04 13.40% 7
日本維新の会 6,355,299.50 11.94% 6
日本共産党 5,154,055.46 9.68% 5
みんなの党 4,755,160.81 8.93% 4
社会民主党 1,255,235.00 2.36% 1
生活の党 943,836.58 1.77% 0
緑の党グリーンズジャパン 457,862.08 0.86% 0
みどりの風 430,742.88 0.81% 0
新党大地 523,146.45 0.98% 0
幸福実現党 191,643.62 0.36% 0
NHKの6月の最新世論調査では、政党支持率は自民党が38.1%なのに対し、支持政党なしは36.7%で、堂々の第2党である。もちろんその票が入るわけではないけれど、前の北海道の結果からすると、2人当選してもおかしくはない。

東京では4人立候補しているから、ポスター掲示板にも4人分の枠があって、そこには全く同じポスター4枚が貼りだされていると伝えられている。

ポスターには証紙を貼るはずだが、証紙番号と掲示板の指定位置を取り違えたらどうなるんだろう。

上の写真はその東京選挙区をネットから拾ったもの。残念ながら、大阪選挙区では「支持政党なし」のポスターが掲示されているのは見ていない。見た(【追記】参照)

ネットでの評価は、ふざけているとか、「支持なし」と書かせて票を稼ぐセコイやりかたというものが結構多いようだけれど、重要論点を隠して選挙に臨む政党や、公約・マニフェストは選挙のときだけという政党のほうが、真面目なフリしてアクドイという言い方だって不可能ではない。

1名でも議席を獲得したら、これは結構面白いことになる。
そうすれば、国会の議決のときに、支持なしの動向が国民世論を映すことになっておもしろい。

Web投票をするというが、おそらく、同一人が何度も投票したりしてるのではないか、などとイチャモンがつくことは間違いない。なので、ここはマイナンバーカードを使った投票システムを開発してもらいたい。
マイナンバーカードに収録されている署名用電子証明書ではなくて、本人確認用の証明書の方を使うのなら、マイナンバー自体は使わないから問題ないだろう。

実際には証明書(公開鍵)で、同一人物の判定はできるだろうから、問題なしとはならないと思うけれど。


国会に開いた小さな小さな窓、ということになるわけだ。
で、「おまえはここに投票するのか?」ってきかれたら、「ハハハ」と言うしかないな。
P_20160704_121234-crop.jpg

【追記】

7月4日(月)に出勤したら、掲示板に「支持政党なし」のポスターも掲示されていた。東京選挙区の4枚並びのポスターとは異なり、候補者の写真がちゃんと掲載されている。
(おやおや、あらためて見ると、大阪選挙区は女性候補が4人もいる)
この休み中に掲示されたのか、それとも単に私が気付かなかったのかわからないけれど、証拠写真をアップしておく。

P_20160704_121234.jpg

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守れないルール

20160629-20102888-carview-000-2-view.jpg ネットの情報サイトを眺めていると「助手席に子供を座らせたら悪い、は日本人の誤解である」という記事が目に入った。

記事の趣旨は、
  • 日本国内では、子供は後部座席にチャイルドシートを装着して座らせ、隣に大人が付くようにすることが良いとされているけれど、常に大人が2人いなければ実行できないルールである
  • 欧米の車は、助手席エアバッグを作動しなくするスイッチが付いていて、子供を後ろ向き(つまり運転手と対面できる形)に乗せるのは普通のことである
というもの。
airbag_mortal.jpg 先日、助手席のエアバッグの作動が原因とみられる子供の死亡事故があり、この記事もそれを踏まえてのものである。
記事では、さらに、子供がうしろで泣き叫んだらとても落ち着いて運転はできない、対面できるほうがどれほど安全運転になるだろうという趣旨のことも書かれている。

チャイルドシート義務化以後には、私にはそれを必要とする子供はいないから、こうしたルールそのものを良く知らなかったし、欧米の車の機構についても知らなかった。もちろん安全面から言えば、上述のルールを守ることが良いのだろうけれど、それが守れないときがあるだろうということは、この記事に書かれているとおりだと思う。

昔から、この国では、過剰なルールをつくって、それを押し付ける傾向が強いように思う。
それが、ちょっと警戒し過ぎかなという程度のものだったらよいのだけれど、なかにはルールを作る側の自己満足というか、もっと正確に表現するなら、責任のがれに過ぎないものがあるように思う。

我々はそういう事態に対処するためルールを定めており(責任を果たしており)、それを守っていなかったためにそういう事故を招いたのなら、その者の責任であるという論理である。


これは問題を直視せず、本質的解決を先送りする無責任な態度につながりかねない。

案の定、この死亡事故をとりあげていたテレビ番組では、子供を助手席に乗せることを問題視していて、海外では法律で禁止しているという報道もしていた。
ルールはそのままでその遵守の厳格化を求めているように、私には聞こえた。


自動車の安全性を所管するところは、記事が言うような、助手席に後ろ向きにチャイルドシートを装着した場合の安全性の検証をすべきなのだと思う。
ルールを作っても、それが守れないようなものなら、それで責任を果たしたことにはならない、と思う。

こんな情報もある。
ボルボ、ちょっと贅沢なチャイルドシートの新ラウンジコンセプトを公開
volvo_childseat.jpg

……Volvoは、幼児が進行方向に対して後ろ向きに座るというポジションは、ボルボが考える独自の安全思想に基づいている からだという。
つまり少なくとも3〜4歳位までの幼児の場合、本来は、この後ろ向きの着座ポジションがベストであるというのだ。
これは主に、小さな子供が大人とは異なり、全体の体格バランスに対して、比較的大きな頭を持っていること。そして、その頭を支えるべき、首の筋力が不足しているからだという。


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ハコスコ

IMG_20160629_195816.jpgハコスコ」(二眼式)を購入。

VR(Virtural Reality)とか、3Dとか、いろいろ表現はあるけれど、スマートフォンで立体画像を見るための「装置」(ビューアー)。

以前、介護施設の職員が、あちこちの名所などを訪れて、3Dカメラで撮影し、それを施設にいる旅行に出るのが難しい人たちに、3Dで見てもらっているということがテレビ番組で紹介されていた。
また、最近、結婚式に来れない老齢の祖母に式を見てもらおうと、ロボットのペッパーの頭に3Dカメラを取り付けて、遠隔地から会場の様子をモニターするという事例も紹介されていた。

ハコスコは、ボール紙で作った組み立て式の筐に、レンズがついていて、スマートフォンの画面に移される視差による立体画像を見るもの。全く同じ仕掛けのプラスティック製のものもあるが、ハコスコは1200円と格安。

IMG_20160629_201431.jpg テレビでも3Dテレビというのがあって、あまり普及していない(コンテンツ不足?)と思うけれど、こちらのスマートフォンでの3Dは手軽さもあって結構コンテンツが増えているようだ。

YouTubeでも3Dコンテンツがいろいろアップされているけれど、多くが「削除されました」になっている。おそらくアダルト系がアップされていたものと思われる。アダルトVRの展示会に客が殺到して、公道に待ち客があふれたため、中止したという報道があったが、やはりアダルトがキラーコンテンツというわけだ。

情報コンテンツでは、売れるものは"トリプルS"といわれていたことがあった。
Stock(株)、Sports(スポーツ)、Sex(性的)の3つである。


Screenshot_2016-06-30-08-49-43.jpg それはともかく、ハコスコなどのスマートフォンで見る3Dがテレビよりも優れているのは、通常スマートフォンに装備されている姿勢センサーと連動して、頭の動きにあわせた画像が表示されること。据え置きのテレビではこれは無理である。YouTubeで配信されているのも固定アングルだろう。

前記の結婚式の遠隔地参加の場合は、おそらく見ている人の顔の動きがペッパーの顔の動きになって、見たい方を見られるようになっているのだろう。

アプリの操作も視線(実際は顔の向き)制御が使われる。
テストしたローラーコースターでは、走路脇に表示されるレバーに顔を向けることで、コースターがスタートするようになっている(スクリーンショット画像の矢印)。

ハコスコには一眼式というのもあって、それじゃ3Dにならないだろうと訝しく思っていたのだけれど、顔の動きにあわせて映像が動くということなら一応納得できる(二眼式ビューアーで一眼式用コンテンツを見る場合は、片目をつむって使えば良いのかな)。


いろいろな方式、規格があるようだけれど、スマートフォン+ビューアーを使った視差による立体視という原理は同じだから、あんまり考え込まずに体験してみるのも悪くない。

もっともまだまだコンテンツは少なくて、すぐに飽きてしまいそうだけれど。


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