古楽器~礒山氏の推薦盤(続き)

礒山雅「モーツァルト」の最後に掲載されている推薦盤のうち、3つのCDを購入し、そのうち2つについては、昨日感想を書いた。今日は、その残り1枚について。

Les_rondos_Ogura.jpg ■輪舞(ロンド)~モーツァルトの輝き~
  ソナタ第8、9、11番、2つのロンド 小倉貴久子

作曲当時のA.ヴァルター1795年モデルの名器を使用したという演奏。
収録曲は、
  • クラヴィーア・ソナタ(第9番)ニ長調 K.311 (284c)
  • ロンド ニ長調 K.485
  • クラヴィーア・ソナタ(第8番)イ短調 K.310 (300d)
  • ロンド イ短調 K.511
  • クラヴィーア・ソナタ(第11番)イ長調 K.331 (300i)
    『トルコ行進曲付き』

礒山氏はKV310の短調のソナタの演奏に対する推薦盤とされていたけれど、素直に先頭から、つまり、KV311から聴きはじめた。
ピアノが古いというだけで普通の演奏、特に驚くこともなく、これも古楽器を使っていることをセールスポイントにしただけかと、ちょっと残念な気持ちになった。

古いピアノの音(CD)はいくつか聴いているけれど(たとえば、前にやはり古楽器で演奏された協奏曲)、なんだかガチャついた音で、音量が小さくても騒がしい質感がする。
このCD、つまりワルターのピアノもその例に漏れず、ガチャついた感じがする。とくに、無理にフォルテを出そうとすると、強い音ではなく、騒がしい音と感じる。

ところがどうだろう、KV310、礒山氏推薦のこの演奏を聴くと、がらりと印象が変わった
この曲については、やたら悲壮感を強調し、悲嘆にくれるというか、激情をぶつけるような演奏が多いと思うけれど、そういうものとはかけ離れている。
小倉氏は、随所に装飾音を加えていて、それが心地よい不意打ちで、また趣味の良いものである。そして、多くの演奏のような劇場にかられたようなフォルテではない。前に書いたように、ピアノの古楽器の場合、ガチャついた音で、フォルテは騒がしいと思うのだけれど、この演奏では、もちろんフォルテ/ピアノの交替は明確なのだけれど、全然騒がしくならない。

礒山氏は息をのむような演奏とおっしゃるのだけれど、その意味がわかる気がする。
(昨日、礒山氏は日本人演奏家のものを優先しているのではないかと書いたけれど、このCDの解説は礒山氏が書いているから、ひょっとしたら御本人にもなにがしかの実入りがあるのだろうか。)
私もこのCDは推薦盤としたいと思う。

whenpianobecamepiano.jpg 現代ピアノだと、こういう弾き方にはならないのじゃないだろうか。
良くいわれるようにストロークが深い現代ピアノでは、この演奏のような装飾音は、演奏可能ではあるだろうけれど、このような軽々とした音にはならないように思う(触ったことがないからわからないけれど)。
つまり、この演奏とこのピアノはマッチしていて、というか、このピアノに対してはこの演奏に必然性があるようにまで感じてしまう。

昨日とりあげたフラウト・トラヴェルソの演奏は、この楽器とは思えないキビキビした動きだと書いたけれど、音は若干ひなびた感じはするものの、やはりフルート族である。

フルートも管の材質で音が変わるが、メインは空気振動であり、管体の振動の影響は小さいから、材質が変わってもそう大きな違いではない。それに音の違いといっても、必ずしも優劣、安い材料だからチープな音というわけではないと思う(高い楽器が買えない貧乏人の科白)。


しかし、ピアノ(モーツァルトの時代ならクラヴィーア)となると、筐体も、アクションも、弦も、随分変わっている。
ピアノはいつピアノになったか」という本がある。これには、昔の復元ピアノによる演奏のCDも付録でついているけれど、音色というのはずいぶん違う。
初期のものは現代ピアノより、ハープシコードに近い音がすると思う。

これは筐体の差だと思う。初期のピアノは、現代ピアノのような鋳鉄製のフレームではなくて、ハープシコードの筐体に似たものだったのではないだろうか。それに弦も、現代ピアノの強い力で張られたコイル状の弦ではないだろう。
アタック時はともかく、その後は、弦自体と筐体の響きが問題になると思うから、ハープシコードに近い音になるのではないだろうか。


c0039487_22583929.jpg そして、たいていの曲は、現代ピアノの、深くて広い音のほうが気持ち良い。
こうも思うのだ。
もし、モーツァルトが現代のスタインウェイとかベーゼンドルファーと、あるいはヤマハのピアノを知ったら、モーツァルトは大いに気に入るのではないだろうか。モーツァルト自身は、足鍵盤付きのピアノを持っていて、低音補強をしていたらしく、豊かな音を好んだのではないだろうか。なにより、性能の高い新しい楽器―たとえばクラリネットを好んだということもある。新し物好きだったのでは。

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礒山氏の推薦盤―礒山雅 「モーツァルト」(その3)

本書の最後では、15作品をとりあげて、推薦録音が紹介されている。

セレナード ト長調 KV525ゲヴァントハウスSQ+コントラバス、ユーロアーツ 2005年
ワルター/コロムビアSO、ソニー 1958年
モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」 KV165バーバラ・ボニー、ピノック/イングリッシュ・コンサート
 アルヒーフ 1993年
フルート四重奏曲 ニ長調 KV285 菅きよみ、鈴木秀美他 アルテ・デラルコ 2011年
ピアノソナタ イ短調 KV310 小倉貴久子「輪舞」 ALM 2012年
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 KV364 寺神戸亮、クイケン、ラ・プティト・バンド アリアーレ 1995年
弦楽四重奏曲第14番 ト長調「春」 KV387ゲヴァントハウスSQ 《アイネ・クライネ》 DVD
セレナード 変ロ長調 KV361
 「グラン・パルティータ」
ブリュッヘン/18世紀オーケストラ フィリップス 1988年 DVD
ピアノと木管のための五重奏曲 変ホ長調 KV452 シフ、ホリガー デッカ 1993年
ピアノ協奏曲第20番 ニ短調 KV466グルダ、ミュンヘン・フィル クラシカル 1985年
バレンボイム/ベルリンPO ワーナー 1988年
歌劇「フィガロの結婚」 KV492プライ、ポップ、ヴァイクr、ヴァルツァ、ヤノヴィッツ、
 ベーム/ウィーン国立歌劇場来日公演1980年
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」 KV527 ムーティ/ウィーン国立歌劇場 デノン 1999年
交響曲 第40番 ト短調 KV550アバド/モーツァルト管弦楽団 アルヒーフ 2009年
クラリネット五重奏曲 イ長調 KV581四戸世紀、トッパンホールアンサンブル TDK 2006年
ヴィトマン、アルカント・カルテット ハルモニアムンディ 2012年
歌劇「魔笛」 KV620 デイヴィス/コヴェント・ガーデン デノン 2003年 DVD
レクイエム ニ短調 KV626アバド/ルツェルン祝祭管弦楽団
 キング・インターナショナル 2012年 DVD

で、著者礒山氏の推薦盤というのは1つも持っていなかった。

本文中で紹介されている録音については、私も持っているものがいくつもあったけれど。

それで、とくに興味を惹かれたものを買うことにした。
フルート四重奏曲 二長調(KV285)、ピアノソナタ イ短調(KV310)、協奏交響曲 変ホ長調(KV364)の3CD。
このいずれもが古楽器を使用したものである。

flute_quartet_suga.jpg ■フルート四重奏曲全曲
 菅きよみ(Flauto traverso) 、
 若松夏美(Vn)、成田寛(Vla)、鈴木秀美(Vc)

これは驚いた。フラウト・トラヴェルソがこんなにきびきびと鳴るなんて。
もちろんモーツァルトの時代には、この楽器でこの曲を演奏していたはずだから、驚くようなことではないのかもしれないけれど。
モーツァルトはフルートが嫌いだったという説がある。しかし、磯山氏は、本当に嫌いだったら、魔笛のフルートの説明がつかないと仰っている。私もそう思う、というか思いたい。
モーツァルトが嫌いだと言ったのは、協奏曲の注文主の銭払いが悪かったからだろう(2曲注文されて、1曲はオーボエ協奏曲の編曲だから無理ないことだけれど)。


Baroque-Traversos.jpg 実は、知人が持っているフラウト・トラヴェルソを触らせてもらったことがある。
トラヴェルソは現代フルート(C管)と違い、管自体の調性はD管、つまりすべての穴を塞いだ管長が最も長い状態で出る基音はDである。そう考えれば、ある程度は納得できる運指ではある。

リコーダーはソプラノはC管、アルトはF管である。私はアルトを吹くときは、頭の中で移調してソプラノと同じ指使いにするのだけれど、人によってはアルトは別の楽器として、アルトの指使いを覚えるそうだ。
つまり、Fを鳴らすとき、私はそれをアルトのドと頭の中で移調して、ソプラノのド(C)の指使いで吹くけれど、人によってははじめからアルトのFは指孔を全部塞ぐ指使いと覚えているということ。正確にシフトされるわけではないだろうから、アルト用に指を覚えるほうが正しいのかもしれないけれど。

が、それ以上に奇々怪々な運指が要求されていて、とても尋常には演奏できない。トリルを吹くときに、バラバラの指を3,4本動かすなんて芸当は無理。私は小一時間ためして、あきらめた。

Symphony_concertante_K364.jpg ■協奏交響曲、ヴァイオリン協奏曲第3番
 寺神戸亮(Vn)、S.クイケン(Vla)&ラ・プティット・バンド

これはちょっと期待はずれ。
この曲の初演のとき、モーツァルトがヴィオラを担当し、ヴィオラを半音高く(つまり変ホ長調に)調弦したことは良く知られている。しかし、現代の演奏でそういうことをしている奏者は少ない。この演奏はそれを注実にやっているという。
ヴィオラの音に張りがある、そう思って聴けばそのとおりなのだけれど、いかんせん、ヴァイオリンの音が薄い。
この曲は、哀愁の強い(第2楽章)ところもあるので、もっと豊かな音が合うと思うのだけれど、どうもヴァイオリンがひぃーひぃー鳴きすぎる感じ。
あらためてヴィオラをモーツァルト指定の調弦にした演奏のCDを調べると、五嶋みどり・今井信子・北ドイツ管弦楽団の演奏、ヨセフ・スークのものなどがあるようだ。こちらも聴いてみたいと思う。


礒山氏は、日本人による良い演奏があれば、そちらを優先的にとりあげているような気がする。

もう1枚のCD、輪舞(ロンド)~ソナタ第8、9、11番、2つのロンド 小倉貴久子については、稿をあらためて。

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ちょっと出入りがひどいけど―礒山雅 「モーツァルト」(その2)

時事の話題を優先させたので、日があいたけれど、礒山雅「モーツァルト」の感想の2回目。

71mMblyTkfL.jpg 本書では、モーツァルトの晩年の生活ぶりについても、通説(俗説)への批判が書かれている。
これも私のもっていた先入観をくつがえすのに十分なものだった。
私の、そして多くの人がもっている先入観とは、

モーツァルトは貧乏のあげく、体と頭脳を酷使しすぎて、早死してしまい、犬のように葬られた。

というものである。

恥かしながら、私も、モーツァルトは不遇な晩年を過ごしたとなんとなく思っていた。
なにしろ、最後の年は、KV595のピアノ協奏曲ではじまり、レクイエムで終わる。
ゴホゴホと咳き込みながら、寒い部屋で体に鞭を打ってレクイエムの作曲に臨む姿、そういうイメージ。

主要な曲は、快活さからは程遠いものが多いということがあるのかもしれない。
アヴェ・ヴェルム(KV617)は言うに及ばず、(バセット)クラリネット協奏曲(KV622)、魔笛(KV620)。

また、晩年は作品数が少ないという印象もある。
実際には少ないわけではない。30年間で600曲、つまり年間20曲のペースと考えれば通常通りと言って良いのだけれど、数から言えば、舞曲やフリーメーソン用などの小品が多くて、片手間仕事?の印象があり、名作がひしめきあう時期からすればさびしく感じるわけだ。
ところが、それも単なる目録のトリックにすぎない。オペラは2曲も書いている。とんでもなく労力がかかるものを2つも作っているわけだ。

ただ、「魔笛」はジングシュピールで、ブッファと違ってレチタティーヴォがないから、作曲量は少ないのかもしれない。「ティトゥス」は手抜きとも言うけれど(当時は人気だったらしいが)。

そして、本書では、この年、宮廷楽長として舞曲などの作曲を仕事としてこなしており、教会にも無給とはいえ居場所を得て、次の仕事に向けて準備を怠っていない姿が描かれる。

最晩年も、充実した仕事ぶりではないだろうか。

■モーツァルトの年収
年代収入(グルデン)
17811084~1284
17822174~3074
17831892~2408
17843720
17852950
17862604~3704
17873321
17881385~2060
17891483~2158
17901850~3255
17913672~5672
(メイナード・ソロモンによる推定)
もちろんモーツァルトは健康優良児ではない。無理がきく体ではなかったと思う。
しかし、長の患いで病の床についていたというわけではない、朝早くから仕事(作曲)をし、昼間はレッスンや付き合いで忙しくしていたのだ。

著者は、今までのモーツァルト研究の成果を引用して、モーツァルト窮乏説を否定している。
600フローリン(グルデン)あれば普通の生活ができたという。
収入はちゃんとあるわけだ、それも普通の音楽家以上に。
浪費、それはあっただろう。しかし、赤貧生活をしていたわけではない。
借金の申し込みの手紙がいくつも残っているけれど、食うに困っての借金ではないようだ。

死後に莫大な借金があったという噂もあるが、1桁ぐらい過大に宣伝されていたらしい。


この単純な事実からして、憐れむべき晩年を過ごしたモーツァルトというイメージは間違いだといえそうだ。
ちょっと出入りがひどい生活をしていたけれど、それができるということは、窮乏生活を強いられていたということではなさそうである。

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政治家の言葉

abe_shoshinhyoumei.jpg 国会がはじまり、安倍首相の所信表明演説が行われた。
ネットなどでは「未来」という言葉がやたら多かったと評されている。

私もニュースで一部を聴いたが、「未来への投資」という。
やっぱり、突っ込みたくなるのよね、「未来へのつけまわし」という意味ですよねと。
経済学では、投資=貯蓄だから、未来への投資=未来への貯蓄、つまり未来に債権を渡すということ。

もう一つ突っ込みたくなったのは、憲法改正について。
安倍首相はこう行った、「与党も野党も立場を越えて」と。
党が立場を越えて議論するというなら、党議拘束を外して議論すべきということでしょうか。
自民党議員にも、憲法改正に慎重な方は多いと思う。自由に意見が言える環境を整えるのでしょうね。

政治家ではないけれど、先日、日銀総裁が金融政策の方針について記者会見を行ったけれど、インフレターゲットは続けるそうだ。やはり思うよね、2%のインフレ率って、消費税を増税すれば達成できるやんか。(インフレ率の計算では変動の大きな生鮮食料品ははずらしいから、食料品対象の複数税率が行われても影響は小さい。)

政治家の言葉は、力強い修飾語でできている。(内容は、修飾語が規定するわけではない。)

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合祀

IMG_20160924_100759.jpg 一昨日の土曜日、親兄弟の霊を所縁の教会に祀っていただいた。
いわゆる合祀である。

この教会では、春と秋に御霊祭というものを行っていて、それに合わせて、合祀祭というものが行われる。合祀を希望するなら、このときに依頼すれば合祀してもらえる。
その人(霊)のために合祀祭を特別に行うこともあるけれど、今回は、こういう定例の機会があるからどうかという教会側からのお声がけによる。

春と秋というのは、彼岸に時期を合せているのかもしれない。仏教行事だから、神道は本来は関係ないと思うが、衆庶の民俗を考えて設定されているのだろう。


儀式自体は単純なもので、合祀される故人の名前を読み上げ、合祀させていただく旨を宣言するだけ。
その後、遺族などが合祀された社(写真の左端のもの。なおこの写真は御霊祭時のもので合祀祭ではもっと簡素化される)を参拝する。
お供え物もはじめから献饌されているし、玉串奉献などもない。

もっとも御霊祭のほうは、この教派の定式があるのか、軽く1時間半を超える。
ヒエロニムス・コロレド大司教がミサは30分以内にしろといった気持がわかる。


こういう儀式に詳しくないので、はじめ、実家の社にある霊璽か何かを持っていくのかと思ったが、そういうことはない。霊は空中からやってくるようだ。
うちのような普通の家、普通の人でもこうやって、あちこちに祀られるわけだ。

合祀された霊を、もう結構ですと言って抜くことについては聞いてない。(靖国神社はできないらしい)

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豪栄道優勝

2016-09-24_183202.png 大相撲秋場所、豪栄道が1日残して優勝を決めた。
大阪出身の力士の優勝は、86年ぶりだという。
豪栄道は初優勝。

地元N市のフィーバーぶりは、こっち


13日目の日馬富士との一戦は、まるで力士が入れ替わったような投げが決まった。普通、日馬富士が投げる側だろう。
そして昨日、玉鷲戦は、格下とはいえ、完璧な相撲だった。

大阪力士の優勝は珍しいというが、そもそも優勝力士を生んでいない都道府県って結構あるんじゃないだろうか。
○大阪出身力士の優勝
大正6年春大錦
大正9年春大錦
大正9年夏大錦
大正10年春大錦
大正11年夏大錦
昭和5年夏山錦
平成28年秋豪栄道
※NHK中継より

高校野球だと、47都道府県で優勝校のない県はそう多くないと思うけれど、大相撲の場合、強い力士が何度も優勝して、なかなか他の力士の優勝はない。以前は、東北・北海道あたりの力士の優勝が多かったように思う(大鵬や北の湖)けれど、このところはほとんどモンゴル出身力士である。

大阪は、「またも負けたか8連隊、これでは勲章くれんたい」といわれる土地柄だけれど、格闘技・相撲と縁がないわけでは決してない。何といっても人口が多い。
後援者の意味で使われる「谷町」という言葉は、大阪の谷町のことだ。また、大阪相撲といえば、幕末に新撰組と死傷事件を起こしたことでも知られる(力士側の負けみたいだけれど)。
2016-09-24_182948.png

江戸の方では、ペリーの前でデモンストレーションや水兵と試合をした力士の話がある。こちらは結構、米国をおどろかせたとか。


では、ということで、今住んでいる京都府出身力士はどうなんだろうとネットで調べると、これはまことに心細い。
今売り出し中の宇良和輝は、京都府立鳥羽高等学校の相撲部だったということで、京都ローカル放送でも注目しているのだけれど、高校卒業後は関西学院である。そして、ネットで調べてわかったのだけれど、なんと、豪栄道と同じ大阪府N市出身である。
2016-09-24_183340.png
そして、私が生まれ育った奈良の力士として名前が思いうかぶのは、当麻蹴速である。垂仁天皇の御代。
しかし、野見宿禰(出雲国)と対戦して、腰を踏み折られて死に、蹴速の土地は没収されて野見宿禰の土地となったという伝承である。(やっぱり奈良は弱いのか)

今日、千秋楽は、琴奨菊との取組。全勝優勝を期待しよう。
そして次は……

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「すみれ」の真実―礒山雅 「モーツァルト」(その1)

71mMblyTkfL.jpg 「モーツァルトと女性たち」では、「モーツァルトの伝記として絶対に外せない書であると思う」と書いた。
この本に触発されて、比較的最近のもので、評判の良い伝記も読んでみようと思って、「モーツァルトは貧乏じゃなかった」というコピーが付いた、この本、礒山雅「モーツァルト」を読むことにした。

モーツァルトについては、「神童」で片づけられてしまう風潮に多くの人が異義を唱えてきている。

もちろん神童でもある。しかも二十歳すぎてもただの人ではない。

モーツァルトは曲芸を仕込まれた犬ではないし、「赤い上着を着た子供」で終わるわけではない。
その作品を、「優美」や「美しい」で済ますわけにはいかないし、「疾走する哀しみ」や「デモーニッシュ」と言えば深いということにもならないと思う。

本書では、アタリマエのことだけれど、大変な霊感と真摯な作曲態度、さらに加えて洒落のめした遊びまで、幅広いモーツァルトが描かれる。
特に、この最後の洒落のめした遊びというのは、もちろん沢山の下品なカノンの類については前からモーツァルトの遊びとして理解してきたけれど、本書の「すみれ」KV476の解説には驚いた。そして、大いに納得した。

Das_Veilchen_KV476.jpg 「すみれ」は前にも記事にしたことがある。

庭に咲いた花をスミレだと思って書いたのだけれど、スミレではなさそうだ。


恥かしながら、この曲については、「すみれ」というイメージに引きずられて、あまり深く考えたことはない。
曲自体は、美しく、劇的である。
しかし、最後にモーツァルトが付け加えた「かわいそうなスミレ、本当に素敵なスミレだった」の歌詞で、モーツァルトがスミレに寄せる思いを「素直に」語ることで、「かわいいモーツァルト」という、あまりにもベタなところがあると思っていた。

実際、これをモーツァルトの優しさと解説するものは多く目にすることができる。

ところが磯山氏は、ここにモーツァルトの秘密(大袈裟だな)があると言う。

この曲を劇的にしているトリックの一つは、テーマがなんと7小節=4小節+3小節で構成されているという点にある(礒山氏の指摘でなるほどと思った)。
これにより、劇的で、ひっかかるような、躓いたような感じが生まれてくるように思う。
そして、これは一種の諧謔でもある。通常の作曲作法を知る人達にとっては。

そうしてみると(聴くと)、最後にモーツァルトが付け加えた部分:「かわいそうなすみれ、それは本当にかわいいすみれだった」の部分は、少女趣味ではなくて、これは、悲劇を喜劇に笑い飛ばすためのダメ押しなのだ。

秘かに美しい少女に思いを寄せ、そのことに気づかれることもなく、さらに、存在すら気づかれないまま、踏み潰されるというのは、悲喜劇以外の何だろう。そういう思いをした可哀そうな少年はたくさんいるに違いない。そして、それを傍から見ている他人。


美しいメロディが悲劇性をかきたてて、その悲劇を笑い飛ばすための変則な4+3小節があるわけだ。
礒山氏が書くように、モーツァルトは友人たちと、笑い転げていただろう。

P_20160922_162230.jpg シューベルトの歌曲の多くは、「シューベルティアーデ」と呼ばれる、作曲家と親しい人達の集まりで生まれたといわれている。
モーツァルトの歌曲もそうした私的な集まりで生まれたようだが、その雰囲気の違い、片や堅物、片や洒落、ということなのかもしれない。もちろん、これによって、作品の質が落ちるわけではないが、見様によっては、悪魔の所業である。

ベートーヴェンがモーツァルトを許さない理由の一つは、ここにあるのではないだろうか(それだけベートーヴェンは良い耳を持っていた?)。


こうしたことを踏まえて、氏は、劇的に歌うペーター・シュライアーの演奏を推薦されている。なるほど。
少々、大げさに、歌うのがこの曲の本来の姿なのかもしれない。

ペーター・シュライアーの「すみれ」。
(LPからデジタル化、レコード針のトラッキングが悪くて申し訳ない。
アップするにあたって、モノーラル・低音質化した。)


良く表現するには、表現しすぎないことです
超越的な表現者、モーツァルトの哄笑が聞こえてくる。

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読書で寿命が伸びる

dokusho_yd_book2.jpg ネットの情報サイトに、“読書で「寿命が伸びる」のは本当か ”という記事があった。

私は月10冊以上は読んでいるから、読書量は平均より多いと思う。この記事で引用されている調査では、月7冊以上読む人を最上位の階層としているから、私もここに属する。

ただし、自分では読書家だとは思っていない。
理由は簡単、読書時間がほとんど通勤電車だからだ。
読書家というのは、やはり書斎で本と睨めっこして、徹底的に読みこなすような人でなければ本物じゃない。

もっとも私の先輩には「通勤時間が長いやつほど文化人だ」と言っていた人がいる。通勤時間が貴重な読書タイムという意味だ。


冊数というのもいいかげんなもので、ハーレクイン・ロマンスのようなものを何十冊読んだところで、それで読書量が多いと言えるだろうか。
数学の本などは教科書ですら1ページ進むのに何日もかかることはザラ。それでもじっくり取り組めば理解もできようというものだが、読んでも読んでも理解できないハイデッガーの著作なんて、ついに1冊も読めなかったと思う。

スラスラ読めるというのは、その本に書かれている世界とか論理と同様・同類のものが、既に読者の頭にある場合だろう。


それはそれとして、読書で寿命が伸びるというならアリガタイことだが、この読書量には、こういうジャンルというか本の特性は考慮されているんだろうか。難しい本ばっかり読んでたら、寿命が伸びるとは思えないのだけれど。

そういえば、読書量と所得に相関があるという説もある。
本を買って読むとしたら、所得がないと買えないから正の相関があってもおかしくはないけれど。(そうすると、所得と健康にも相関があるのでは、というか、それが陰にあるのでは。)

子供の学習能力は、家庭の「文化資産」の量と相関があると言う説があるが、文化資産の量は所得と相関していると思う。

所得と学力の相関だが、たとえば市町村別に全国学力テストの結果と当該市町村の平均所得と相関させてみれば顕著に表れるといわれている。


dokusho_yd_sukima1.jpg はじめに戻る。通勤時間が長いやつほど健康だということについて。
実際は通勤時間に本を読んでいる人はそう多くはない。読書する人よりも、音楽を聴いている人、新聞やネットで情報を得ている人、ゲームをしている人のほうが多いように思う。

“通勤電車の中で何をしている? 年収によって違い”


なお、冒頭にあげた記事によると、電子書籍は場合によっては健康を害することがあるという。
いくつか例示されているが、とくに電子書籍よりも実際の本からの情報のほうが、頭に内容が残りやすいとの結果が出ているという。電子書籍よりも印刷された書籍を読んだ人のほうがストーリーの順序をよく覚えており、その差は「著しい」のだそうだ。

これが本当だとしたら悩ましい。たしかに、私自身もはじめは電子書籍は頭に入りにくいと感じていた(老眼鏡を付けて読むのと、付けないで読むのと同じような感覚)。この頃はそうでもないと思うのだが、この調査は、どんな本を、どんなデバイスで読んだのか、被験者の電子書籍への習熟度は、など、気になる点は多い。

電子書籍は、持ち運びがラクで、いつでも辞書・事典を検索できて便利だと思う。
読書者自身が、電子書籍でも紙の本と同等に理解ができるというなら、統計的な結果を気にすることはないのだけれど。

いるのよねぇ「そういう調査結果があるんだ」と、統計に合わないと事実の方を否定する人が。


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キリシタン―「宗教で読む戦国時代」(その2)

KB252160.jpg 一昨日、神田千里「宗教で読む戦国時代」をとりあげたけれど、今日は関連して思ったこと。
一昨日は、キリシタン、一神教になると、神の観念が変わるようだと書いたが、そういう神の観念自体が一神教特有のものなんだろう。

本書では、一向一揆は信仰をめぐるものではない、つまり信仰を賭けて戦ったものではない、弾圧者から、棄教を迫られるというような面はなかったと説明されているが、昨日書いたように、私はこの著者の説はやや怪しいと思っている。

絶対的な信仰を持つと人は変わるのである。そしてそれはキリスト教では顕著な姿になるようだ。
一昨日も書いたように、天道思想はキリスト教受容の下地になったと著者は指摘するのだが、仮にそうだとしても、キリシタンになったとたんに、日本の天道思想とは相容れないものになったのではないだろうか。

島原の乱は、キリスト教を棄教すれば許すという点、信仰のかかったものである。

もちろん叛乱者の団結を切り崩すという意図があっただろう。無理やりキリスト教徒にさせられた人たちもいて、それなりの効果もあったらしい。いずれにせよ、信仰が乱の大きな要素である。


一神教というのは、たくさんの神のうち一つを選んで信じるのではない。
神は一つのみ存在し、そしてその神のみをすべての人が信じなければならないということである。
 ∃1xy [ y は x を信じる ]   ([ ワイクルスを信じる ] と読んでください)

※ x と y の順番を入れ替える (∀y∃1x [ y は x を信じる ] ) と弱い命題=寛容な一神教になる

従って、他の神はすべて否定される。

同じ1つの神を信じるとしても――ユダヤ教の神、キリスト教の神、イスラム教の神は同じ神だと聞いているわけだけれど、この3宗教の対立は一体どうしたことか。同じ神を信じるものとしての連帯ではなく、お互いを異端(異教)視する。

対して、日本には八百万の神が居る。アニミズム的信仰の対象となるものは別として、主要な神や、各種の仏教教派があっても、これらは同じ神が違う姿で顕れたもの(本地垂迹)として、丸く収める知恵があるのに。

他宗を否定する教義の場合は、これがあてはまらない。


キリシタンは、弾圧された被害者のような扱いというか、学校の歴史の授業ではそういうイメージで教えられた覚えがある。しかし、既存宗教を否定し、信仰のためなら乱暴狼藉を働く一面があったことが、本書では紹介されている。
キリシタン大名の領国では、多数の寺社が破壊され、僧侶が殺されたという。島原の乱にあっても、多くの寺社が破壊されたそうだ。(昨日稿に書いた仏教教団間の暴力闘争があったことも、キリシタンの暴力行使への抵抗感を下げていただろうと思う。)

こういうキリシタンの乱暴狼藉の話を読むと、「ローマ人の物語」(塩野七生)や「背教者ユリアヌス」(辻邦夫)が重ねあわされてくる。これらを読んでいると、キリスト教というのが、どれほどイヤラシく、卑劣で、粗野なものなのか、「あのガリラヤ人どもめ」と罵りたくなる。現代の我々が賛美してやまない、ミロのビーナスやサモトラケのニケのような美術品が、キリスト教徒によって無残にも木端微塵にされてしまったのだ。

偶像崇拝を禁止するイスラム教(本来、キリスト教もだけど)では、過激派は異教の偶像を破壊する。タリバンやISの美術品破壊行為を批判する資格が、キリスト教徒にあるのだろうか。


eikyuji_map16.jpg それは古代ローマの話じゃないか、その後キリスト教は洗練され、すばらしい芸術も生み出したという意見もあるだろう。しかし、日本ではわずか400年ほど前、すでにプロテスタントも出現している時代に、キリシタンが神社仏閣を、仏像・神像を破壊しまくったわけである。

もっとも、明治の廃仏毀釈の嵐も同様のことをしているわけだ。私が生まれ育った市には、内山永久寺という壮麗な寺院があったらしいが、廃寺となった。

西洋に学ぶということは、キリスト教の不寛容という精神を学ぶということだったのかもしれない。
一神腐乱である。

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アンヌレラ

昨日の台風16号は、強い雨、風だったけれど、我が家には特に被害なし。
以前、植木が傾いたことはあったけれど、このところは落ち着いている。

ただ、少し強い雨が降るとすぐにダイヤが乱れるGT線の利用者としては、電車が止まる、あるいはダイヤが酷く乱れるのがいやで、夏休みもたくさん余っていることなので、午後休をとって、さっさと帰宅。このあたり、嘱託身分の気楽さ。(同室の職員は、台風に備えた配備もあってそれどころではないのだけれど。)

職場を出た12時過ぎ、Y市は、風は強かったが、雨はそれほどでもなかったが、OH線S徳道ではかなり強い雨風。GT線への乗り換えのH出駅も暴風雨状態。
このためか、OH線は少し遅れて運転していて、そのためにGT線の本来乗れるはずの快速には乗れず、12分も待たされた。

GT線が遅れるとOH線の列車は到着待ちになるのだけれど、逆はやってくれない。理不尽なように思うけれど、ダイヤの密度が全然違うから、OH線を待たせるのは簡単だけれど、GT線を待たせるのは難しいから、しかたないのかもしれない。

というわけで、どうなることかと思ったが、S道駅ではもう、雨風は弱くなっていて、自宅最寄りのMY駅はさらに東だから、やはり風雨は弱く、助かった。
もっとも、夕方まで職場にいたら、その時点ではおそらく雨も止んでいて、傘もいらない状況だったのではないだろうか。

P_20160920_214726s.jpg さて、その傘である。
いつもは、前に紹介したレクタス生地の折りたたみジャンプ傘を使っているのだけれど、かなり強い風が予想されたので、今回は、折りたたみでない傘で、それも「アンヌレラ」というやはり、「濡れない傘」を標榜しているものを持って行った。
レクタスのジャンプ傘も結構風に強いのだけれど、それでも壊れる心配がないわけではないので、家人用に買って、未だ出動したことのないアンヌレラを、撥水性能を確かめるために使ってみた。普通のジャンプ傘、折畳でなく、閉じるのは手動というタイプ。

以前の記事で、アンヌレラはレクタス生地と同様なのかと書いたけれど、実際に手にとると違うものである。
アンヌレラの生地はつるんとしていて、もちろん、雨滴だ垂れるというようなことはおきないのだけれど、良く見ると細かい水滴がくっついている。この点は、普通の撥水傘と同様である。
レクタス生地はビロードのような手触りで(心地よい)、雨に濡れても生地に細かい水滴が残るようには見えない。実際には残っているのかもしれないが、ミクロの絨毛の間にはさまっているのか、水滴として感じることはない。

レクタスは1年半近く使ってきて、今までに2度撥水効果復元のための、洗浄・アイロン掛けをしてきている。もし、アンヌレラは撥水効果が長持ちするのなら、メインテナンスの手間という点でアンヌレラが上ということになるが、それは未だわからない。

撥水効果の「感動」、これはレクタスに軍配が上がる。

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天道思想―「宗教で読む戦国時代」(その1)

KB252160.jpg 日本人は無宗教だという言説がある。

日曜日に教会に行くこともないし、一日のはじまりが神への祈りで始まる人というのはそう多くない。
そのくせ、初詣に行き、お盆やお彼岸の行事はやる。結婚式は神式が多く、最近はキリスト教式が増え、葬式は多くが仏式である。
外国人からは、日本人には信じる神はいないのかというように見えるというわけだ。

「家の宗旨は○○です」という言い方はしても、「私は○○の信者です」という言い方は稀である。


何という本だったか忘れたけれど、日本人に宗教心がないというのは、特定の教派・教会という組織への帰属のことにすぎず、ちゃんと神を敬う気持ちはもっているという反論を読んだことがある。

神田千里「宗教で読む戦国時代」は、この根深い日本人の宗教心というのが、既に戦国時代からあったという。
著者はそれを「天道」思想と表現している。

子供の頃、「お天道様が見てるよ」と言われて育った人は多いと思う。脈々と流れている神を畏敬する気持ちであろう。


信長ですら天道思想の持ち主であったとする。
信長と宗教といえば、叡山の焼き討ち、長島一向一揆の皆殺し、石山本願寺との長い闘いが思い起こされるけれど、信長は宗教を否定しているわけではない。信仰も布教も禁止はしていないという。僧にあるまじき富や権力への執着、そのための敵対勢力との共闘、そういったものを攻撃したにすぎない。

また、日本の仏教諸派間の諍いは信仰上のものではなく、もっぱら教派指導者の権力争いだと分析する。
一向一揆(この言葉も江戸時代に真宗側が自らの功績を誇るために使いだしたものだという)は、宗教のための戦いではなくて、その地の時の権力者の争いに加わったもので、加賀が門徒で持つ国というのは、宗教国家を作ったのではなく、守護をめぐる戦いの結果として、寺が地域支配をしたものという見方。

しかし疑問もある。当時、激烈な宗派間闘争があったことをどう理解するのか。
天文法華の乱(1536年)。

僧兵と宗徒、近江の大名・六角定頼の援軍が加わって、延暦寺は総計約6万人を動員して京都市中に押し寄せ、日蓮宗二十一本山をことごとく焼き払い、法華衆の3000人とも1万人ともいわれる人々を殺害した(天文法難)。
さらに延暦寺の勢力が放った火は大火を招き、京都は下京の全域、および上京の3分の1ほどを焼失。兵火による被害規模は応仁の乱を上回るものであった。

(Wikipedia)

本書では、この乱については全く触れられていない。
なお、この事件の前に起こった山科本願寺焼き打ち(法華宗側と浄土真宗の諍い、浄土真宗の京都での勢力拡大に法華宗が対抗)については本書でも触れられてはいるが、著者は当時の公家の日記に「今日一時に滅亡、しかしながら天道なり」(鷲尾隆康『二水記』天文元年8月24日条)とあることをもって、天道思想が一般的であったことを傍証するものという扱いとなっている。

しかし、これはやはり無理があるように思う。
天文法華の乱の引鉄となったのは、法華宗が延暦寺に宗教問答をふっかけ、法華宗の一門徒が叡山の僧を論破してしまったこととされている。これを根にもった延暦寺側が、上述の暴挙に出たというわけだ。
著者がいうように、俗世の権力争いがからんでいたかもしれないが、発端は信仰の違いと考えるべきだと思う。

天道思想をもちだすなら、一部宗派は天道思想を受け入れていない、そしてその宗派の門徒以外は天道思想を持っているから、当該宗派を受け入れない、と解することが自然だと私は思う。

私の知り合いで教誨師をされていて、あちこちの刑務所を回っておられた方がいたが、その方は「創価学会の人が講和をすると他宗を否定するので受刑者が騒いでしまう」という話をされていた。


それはそうとして、著者は、天道思想がキリスト教受容の下地になった可能性を指摘する。
キリスト教の宣教師も、そのことに気づいていて、天道思想とキリスト教の教えを照応させて、布教につとめていたという。

2016-09-13_094714-index.jpg しかしながら、一旦キリシタン、というか一神教になると、神の観念は変化するようだ。

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電車での放尿事件

018.jpg 列車の運転士が乗務中に線路へ放尿という事件が伝えられている。

もちろん許されるようなことではないけれど、報道によると駅の外の目撃者の通報だそうだが、その状況を想像すると、笑いがこみあげてくる。

以前、N海電車の車中で、乗り合わせた人から聞いた話を思い出した。

電車に飛び乗ったのはいいが、たらふく飲んでるということもあって、小便が辛抱できない。車掌をつかまえて車両連結部で用を足して良いか聞いたら、それは困るという。どうしても我慢できないというと、仕方がないといって、車掌室のドアから放尿することになった。
と、赤信号で電車が停止、車掌室がちょうど踏切の前になった……
止めようもなく、踏切待ちの人達の目の前で出し続けることになったのだそうだ。

eki_densha_shoben.jpg
放尿事件、次は私が直接目撃したものを2つ紹介。
(どちらも乗客が起こしたものだけれど)

【軌跡の尿線】

随分昔、私が通勤で使っていたK鉄の乗換の○○駅でのこと。
23時頃、酔っ払った乗客がホームの辺に立って、放尿を始めた。酔っ払いの小便は長い。
そこへ電車が入ってきた。
件の男、止めて、ブツをしまおうとするのだけれど、もちろん小便は止まらない。先頭車両からずーっと小便のあとが線を引いた。
電車には乗客も乗っている。電車が止まってドアが開いた。
立小便男の前にドアが来なかったのが不幸中の幸いだった。

kaidan_falling_water.jpg
【○○駅の滝】

前の話と同じ駅、同じぐらいの時間だと思う、ホームの乗換階段を降りたところで、電車を待っていた。ふと気がつくと、何やら階段を伝って大量の液体が順々に降ってくる。上の方を見上げると、そこには酔っ払った乗客が座り込んで、大量の放尿中。
それにしても物凄い量の尿だった。


写真はイメージです。本文の事件の記録ではありません。

読者のなかに、同様の経験をされた方がいらっしゃたら、コメントを。

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豊洲市場、落としどころが見えてきたかな

toyosu_ichiba_tokyo.jpg マスコミで連日、東京都の築地市場の豊洲移転問題が伝えられているけれど、責任追及はともかく、市場自体については、そろそろ落としどころが見えてきたように思う。

小池知事が立ち上げると言った「専門家会議」、ここでは豊洲の問題点を点検し、有毒物質等の環境問題、盛土がないことの影響、竣工済みの建物の安全性などを「明らかに」して、市場としての利用については、軽微な問題点を指摘して、豊洲移転を適正と判断することになるだろう。
前の専門家会議の提言は否定されるわけではなくて、既成の工事は、本来なら当初から選択肢になっていてもおかしくない程度の妥当性があったという総括をすると思う。

もちろん、意思決定過程や、前の専門家会議の提言を無視した都の独断については、不適正であったとし、引き続き調査、必要なら処分が検討されることになるだろう。

ということで、どうしてこんなことになったのだろう。「天の声」があったにしろ、なかったにしろ、都の職員の計画及びその実行力が弱かったということではないだろうか。

天の声があれば、それにそうように周到に計画しなければならないし、天の声がないのなら、天に責任を負わせるぐらいの内部の意思形成過程を整えなければならない。


建築も環境も素人の私の推測だから、間違っているかもしれないが、都の土木建築系の職員は、東京ガスが既に土地の改良工事もしているはずだから、盛土までしなくても問題ないと判断したのでは。ただ、それなら専門家会議に対して、その方向で誘導するのが役人の知恵というもので、専門家会議において、盛土なしでも安全性が保てるという意見を対決させるという仕掛けをしなかったのが、役人としてはデキが悪い。

それと、報道などによると、新市場は使いにくいと言われている。
衛生面の要請から、入居者が使えるスペースが区切られて、そのため使える面積も、間口も小さくなったという。また、海産物を洗うのに、築地では海水が使われているのに、新市場では真水でないとならず、これでは魚の傷みがはげしくなるという話もある。塩水に耐えられる仕様になっていないのだという。

こういう点については、移転に疑問を持っている業者を、反対者と切って捨てて、その意見を汲み上げなかった結果のように思う。良いものを作ろうという意思に欠けていたのではないか。この面においても、都の職員のデキの悪さを感じる。

都の職員はエリートなんだろうけれど、エリートの悪いところ、傲慢さが顕れたと言えるのかもしれない。

「専門家会議の先生方より、俺たちの方が偉い」、「市場の業者より、俺たちの方が偉い」


某府の前知事は「収入に見合った支出」と言っていたけれど、東京都の場合は同じようなことだけど、言葉を変えて「入るにまかせて使い放題」だったのかもしれない。

同様の事業でも、東京都は他府県に比べて数倍の経費をかけてる例もあるやに聞く。
大阪本社の大手電気メーカーが、新宿新庁舎の建設時に東京都から「うちは地元優先ですから」と言われたという話も聞いたことがある。


石原元知事が「伏魔殿」と言ったそうだが、それにしてはレベルが低いのでは。

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画面そのままロック

gamen_sonomama.png 昨日に続いてポケモンGOの話題。
ポケモンGOをやるのに便利なアプリを見つけた。

ポケモンGOに入れあげているということは全然ない。
わざわざポケストップへ行くこともないし、ジム通いもしない。バトルもあるらしいが、そんなことはしたことがない。
たまにポケストップに居る時に、道具を手に入れたり、そのときあらわれたポケモンを捕まえるぐらいである。

ところが、私と同程度の遊び方しかしていないと思われる知人が、ピカチュウを手に入れたという。
卵が孵ってピカチュウが出てきまして」とのことである。

Screenshot_20160908-093740.jpg 別にピカチュウが欲しいわけではないけれど(いや、ピカチュウをゲットしたら、それを潮にポケモンGOをやめようかなとも)、卵は少し溜っていて。そして、今まで少ししか孵したことがない。ポケモンGOをしながらうろうろするということがないからである。つまり歩かない。

ポケモンGOの画面がオフだと、移動距離に積算されないという。
スマホは一定の時間で画面をオフにするのが普通で、私もそうしている。しかしこれではポケモンの卵が孵らない。かといって、スマホを手に持ってウロウロするのもイヤである。

で、一時的に画面をオンのままにするアプリ("No Screen Off")というのを試してみた。

以前、指定アプリ動作中には画面をオフにしないアプリ("KeepScreen")を使っていたけれど、ポケモンGOのときだからこれで十分。シンプル・イズ・ベスト。


が、画面が明るいままだとバッテリー消費が激しそうなので、一時的に画面を暗くするアプリ("Night Mode")も併用してみた。
これで、ポケモンGOを立ち上げて、カバンに放り込んでおけば、移動距離が稼げるだろう、そう考えた。
ところが、画面がオンのままカバンに放り込むと、タッチパネルが作動して、思わぬ動作をしたりする。
Screenshot_20160908-093757-crop.jpg
そこでタッチパネルを一時的に無効にするアプリを探した。
見つけたのがタイトルにある「画面そのままロック」。

これがなかなか具合がよろしい。
アプリを動作させると、タッチパネルが作動しなくなり(ロック)、標準設定の状態では、音量キーを押せばロックが解除される。作動中の画面の明るさも設定できるようになっている。

デフォルトだと、ホームやメニュー、戻るのキーは有効のままだから、設定でハードキー無効化を選択する。
また、作動中の画面の明るさも、私は0%にしている。

つまり、ポケモンGO実行中のスマホをカバンやポケットに放り込むときに、このアプリを作動させれば、タッチパネルの予期せぬ作動を心配することもなく、歩く距離をきちんとカウントしてくれるというわけだ。
Screenshot_20160908-093802-crop.jpg
アプリは一旦起動すれば常駐するので、通知領域から有効化する。ポケモンGOの画面から通知領域を引き下げて、「画面そのままロック」をタッチすれば良い。
まさにワンタッチで、前述の"No screen off"も"Night Mode"も使う必要がない。

ときどきGPSを見失ったりするのは機器の問題(昨日稿参照)で、これは仕方がない。
それより私のスマホでは、ポケモンGOがしばらくすると応答しなくなることが多い。クリアして再起動するのだが、これは他のスマホでも同じなんだろうか。


Screenshot_20160908-100739-crop.jpg 画面ロック中でもポケモンが現れたらバイブレーションするから、その気になればスマホを取り出してロック解除すれば良い。

なお、「操作がないときスリープ」をオフにしていると、OSのディスプレイ・スリープ時間が来ると、そちらが優先して、このアプリも解除されるようだ。オンのまま忘れてバッテリー切れが怖いなら、オフのままにして、歩く時間にあわせてスリープ時間を設定しておくのが良いと思う。


このアプリを使うようになって、卵がどんどん孵るようになった。

「ふかそうち」が、「むげん」の1コだけになってしまった。

私のような横着な遊び方をする人はお試しあれ。

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ポケモンGOができなくなった⇒半分解決

Screenshot_20160825-094223.jpg ポケモンGOができなくなった。

端末のGPSが不調で、位置情報がとれないのである。
ポケモンGOを立ち上げると、右のような画面、「GPSの信号をさがしています」のままで、地図も近所のポケモンの表示も出てこない。

2kmぐらい離れた別地点に居るという状態になったこともある。


使っている端末はZenFone 2 Laser (ZE500KL)という機種。
もともとジャイロ・センサーが付いてないからポケモンGOでは、あのARが使えないのだけれど、それはそれであきらめるとして、今まで順調に使ってきたのに、突然、この状態。"GPS test"でチェックしてもやはり衛星をキャッチできていない。

ネットで調べると、この機種にはこの不具合が頻発しているらしい。
そして、こうした状態になったときの対策についてネットにいくつか情報がある。
良くまとまっているのは、「Zenfone2 LaserのGPS精度を上げる方法」というページだが、それや、他の情報を集めて書き出すと
  1. 端末を初期化してみる
  2. 裏蓋(ケースの蓋ではなくて部品を覆っているもの)をはずして、GPSの端子の接触を改善する
  3. ケース裏に所定の形(L字型)の銅箔を貼り付ける
  4. ファームウェアを最新にする
1番目は、アプリの再インストールや設定が面倒だし、何より、全くGPSを掴まないという症状なので、まず2番目をやってみた。この作業は、やると保証外になるおそれがある(ネジの一つにシールがされていた)し、随分気をつかう作業なのだが、親切なサイトがあったので、これを見ながら、注意深く断行。

努力のかいあってGPSは一応復活した。けれど、不安定で、ポケモンをやると数十秒で「GPSの信号を探しています」になって、操作不能になる。GPS testでチェックすると、GPSを掴んでからしばらくするとまた衛星ゼロとなったりする。

Screenshot_20160825-203614.jpg Screenshot_20160825-203445.jpg それで、2よりは簡単な3番目の作業もやってみた。銅箔と書いてあったが、電波状態の改善なら、アルミでも似たような効果は出るだろうと考えて、台所のアルミフォイルを使って、同じようにケース裏に糊付け。
結果、少しは改善したようだ。

はじめGPS testでチェックすると、同じ場所で掴む衛星の数は2つぐらいしか違わない(右写真)ので、こんなものかと思ったが、ポケモンGOをやると、安定している。衛星2個の差は案外大きいのかもしれない。
なお、4番目は既に最新だったので、やっていない。というか、先日Android6にバージョンアップしたばかりである。


これでまあ大丈夫と思っていたら、家を出て、職場でやってみると、やっぱり「GPSの信号をさがしています」。
GPSの掴み方は家でも職場でも大差ない(GPS test)ので、一体、何故だろう、環境の違いはどこにあるのだろうと考えて、家ではWiFiをオン、家を出るときにはオフにしていることに思い当たった。
試しに、WiFiをオンにすると、何故か順調に動作する。もちろん、WiFiの電波は拾っているけれど、いずれも認証を必要とするアクセスポイントであり、どことも接続はしていないから、WiFiアクセスポイントから位置情報をもらえているとは考えにくい。
WiFiオフだと全然ダメということでもないようだけれど、いずれにせよ、以前はWiFiをオフにしていても位置情報をキャッチしていて、ポケモンも現れたし、ポケストップも使えたのだから、これは未解決である。

ポケモンができなくても別に困ることはないけれど、GPSがアウトということで、現在地情報が使えないわけで、ナビやいろんな検索サービスでの現在地連動ができない。
GPSがまがりなりにも前のように使えるようになって、とりあえずはよしとしておこう。

この端末は今年2月はじめに購入したもの。もともと家人用に買ったもので、Zenfone3が発売されたら私はそちらに買い替えるつもりだが、同じASUS製品、大丈夫だろうか。

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ブログのレイアウトが崩れている

2016-09-15_085023.jpg 昨日夕刻、気がついたら、このブログのレイアウトが崩れている。

サイドメニューが、サイドに表示されず、本文の後に表示される。
そもそも、テンプレートの変更などは一切していない。
今までも、本文にHTMLタグを書いて、それを閉じるのを忘れたりすると、崩れることがあったが、そういう状況ではない。
また、投稿画面からプレビューすると、正常に表示されるので、原因がわからない。
FireFoxでも、Chromeでも同じ状態になるから、ブラウザの問題(仕様・動作変更など)ではないようだ。

2016-09-15_085109.jpg テンプレートのソースを調べているが、何分、複雑なので解析が難しい。
レイアウトを決めているとおぼしきCSSの部分を眺めて、marginなどのパラメータをいじってみたけれど、なるほどmarginは変更されるけれど、サイドメニューがメインコンテンツの後ろに表示される状態に変わりない。

他のテンプレートを使ってみようかと、代わりになりそうなものを探したが、装飾的なものは多いけれど、今使っているシンプルなものは案外少ない。それに、多くのテンプレートは、HTMLタグやJavaScriptが無効化されていて、これでは使えない。

fc2ブログでは、たまにこういうことが起こるらしい。放っておいても直ることもあるという。
とりあえず、しばらく、この崩れたレイアウトで表示されるかもしれないが、あしからず。


【追記】

この投稿直前は崩れていたが、この記事を投稿したら直ってる。なんで?


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シン・ゴジラ

IMG_20160911_095350.jpg 久しぶりに映画を見に行った。おそまきながら「シン・ゴジラ」。

封切りから日が経っているからか、観客もそう多くはない。スクリーンもこのシネコンでは一番狭い部屋での上映になっていた。

怪獣映画というか、特撮映画というのは結構好きだから、観てみたいと思っていたけれど、それに加えて、この映画は、意外なところで話題になっている
ゴジラが日本に来襲したときの防衛行動についての法的な問題などである。
映画冒頭でも、ゴジラへの対処に、根拠法を議論するシーンが興味深く描かれていた。そのせいか、この議論自体が話題となったようだ。

ダイヤモンド誌(オンライン)には、「もしゴジラが上陸したら?現役自衛官たちが真剣に考えてみた」という記事がある。
かいつまんで記すと、

野生動物の一種であれば動物愛護法の観点から、領海内に侵入した段階で、外に追い出すことが防衛出動の目的になり、国土に侵入させないよう、領海内にいる段階で、領海外へ誘導、駆除を行うことになる。
現時点で、ゴジラは有害鳥獣指定がないので、捕獲や殺処分はもってのほか、ただし、領海内に入って火炎を放射したら、国民への危害のおそれがあるので、鳥獣保護法を準用する。
しかし、鳥獣保護法が準用されても、自衛隊が対応できるかはまた別の問題。クマ被害の場合は狩猟免許を持った人たちが地方自治体の委託を受けて出動する。自衛隊や警察は狩猟免許をもっていないから、ゴジラが表れた場合、猟友会では対応できない、警察も難しいという判断がなされてから、自衛隊の出動が検討される。


また、あの石破元防衛大臣が、自身の公式ブログで、映画のシナリオに対し、

「いくらゴジラが圧倒的な破壊力を有していても、あくまで天変地異的な現象」と指摘。自衛隊法に規定された「国または国に準ずる組織による我が国に対する急迫不正の武力攻撃」ではないとし、「害獣駆除として災害派遣で対処するのが法的には妥当」

とコメントしている。
日経ビジネスオンラインには石破氏のインタビュー記事、「シン・ゴジラは全然、リアルじゃない」「ゴジラを攻撃した戦車はどこから来たか」が載っている。
同サイトには、他にもいろいろシン・ゴジラ関連の記事がある

あと、ふと思ったのは在日米軍の動き。
映画では、日本政府の要請で米軍が出動し、高価なステルス爆撃機がゴジラの犠牲になるわけだけれど、米軍は要請なんかなくても動くと思う。むしろ、米軍が先に巨大生物の存在に気づいて、日本政府に情報提供し、日本政府がえらいこっちゃとあたふたするほうがありそうな話。(こっちのほうがリアルだけれど、これでは石原さとみばっかり目立って、長谷川博己の出番がなくなるから却下されたのかもしれない。)

福島第一原発事故に際し、直ちに飛行機を飛ばして、放射性物質の状況を観測したのは米軍である。日本国内では秘されていた放射性物質の汚染状況マップを公開したのも米軍。
ゴジラの発する放射能に対しても、米軍は直ちに行動するはずである。


ゴジラも、モスラも、ガメラも、最初は単独で現れて、人智で撃退するのだが、2作目、3作目となると、もっと凶悪な怪獣を登場させて、安易で薄っぺらな着ぐるみ相撲に化してしまう。これでは大人の鑑賞にたえないだろう。

昔、「ゴジラ対ビオランテ」だったか、企画段階では、関空をゴジラが踏み潰す予定だったのが、関空側からまだ竣工前で縁起でもないと異議があり、とりやめになったことがあったそうだ。私はこの映画を観たが、完成した映画では「関空予定地」という看板が立てられていて、やりよったなと思ったことがある。


荒唐無稽のシチュエーションで、大真面目に議論する、こういうの結構好きだ。

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休刊日

二カ月ぶりの月例休刊日。






rokujiro-nr.gif


7月の休刊日記事と趣向を変えて、スライドショーで。


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スマホ用テレコンバージョンレンズ

DSC_0002-crop.jpg またオモチャを買ってしまった。
Kenkoスマートフォン用コンバージョンレンズ REALPRO CLIP LENS KRP-7tという製品。
Amazonで\3,754

カメラはズームのきく製品に気持ちが惹かれる。

DSC_0004-crop.jpg DSC_0008-crop.jpg 昔、カメラを持っている人がまだそう多くない50年ぐらいも前の頃、私の父は運動会など学校の催しものの写真撮影を頼まれたときには、35mm、56mm、200mmの3種類のレンズを用意していたと思う(カメラはNikon F)。
他の親にも写真を撮る人はいたけれど、そういう人達は望遠レンズなどは使っていないから、被写体(自分の子供)にかなり寄る必要があるわけだが(当時はずうずうしく前へ出る親などいなかった)、父は被写体に寄ることは写真撮影の基本と言いながら、200mm望遠レンズの威力を発揮していたものだ。

そういうことを小さいころから刷り込まれているからか、カメラは望遠でないとという思いが強い。

話は違うけれど、観光地を訪問したときの記念写真、たとえば建物をバックに人を撮る場合など、撮られる人が建物の方に寄って行ってしまうことが多い。そうされると人物が小さくなるので、私が撮影するときはもっとこっちへ寄ってください、もっと、もっとと言わねばならない。人物にフォーカスしても、後ろの建物がピンボケになることなどまずないのだけれど。


ということで、ASUS ZenFone zoomという光学ズームを搭載したシリーズが出たときは、とても欲しくなった。
P_20160903_082750s.jpg 結局、バッテリーの持ちが悪いという評価や、重量が重いということ、そして値段も結構するので見送ったけれど、これらが改良された機種が出れば、やっぱり食指が動くだろう。

ZenFone zoomの代わりにはならないが、ダメもとでテレコンバージョンレンズを試してみることにした。それが冒頭の製品。
これは18×7の単眼鏡として使えるもの。
単眼鏡にはこだわりがある私からすれば、視界は狭いし、最短合焦距離も長い(2m弱ぐらい)けれど、単眼鏡としての性能を欲しているわけではないので許容範囲。

購入を考えている人の参考に使用感を書いておく。
装着は結構難しい、というかスマホのレンズにきちんと合わせるのにコツがいる。つまりサッと出して、望遠で撮るというようなことは到底不可能である。良く使うのなら、なにかしっかりしたテープのようなものでレンズ周りにガイドを付けるのが良いかもしれない。
特に今使っているASUS ZenFone2 Laserはケース裏のレンズ回りが微妙にカーブしていて、ぴったりくっつかない。

P_20160903_082759s.jpg 問題の撮影画像であるが、サンプル画像を見てわかるとおり、鏡筒の形に丸く切り取られたものになる。望遠効果はレンズ装着前の画像と見比べればわかると思う。

ASUS ZenFone2 Laserは、"レーザーオートフォーカス"といって、赤外線を発射してその反射光によりフォーカスをあわせる仕掛けなのだが、このオートフォーカスが有効なのかどうかはっきりしない。結局、フォーカスはスマホ側は∞にしておいて、レンズ側のフォーカスリングで合わせるのが良いようだ。

おもしろい製品だと思うけれど、実際に使う場面はどうだろう。
常時、コンバージョンレンズを持ち歩いているだろうか、それは考えにくい。
望遠で撮りたい対象があるとわかっているときは、望遠のきくカメラを持って行くだろう。
合焦距離の短いタイプが必要な美術館とかだとダメだけれど、ちょっとした外出に単眼鏡を持っていくというつもりであれば悪くはないかもしれない。

ところで、このリアルクロップ・プロ・レンズというシリーズは、マクロコンバージョンレンズなどもあるようだが、クリップは同じものが使い回しできるのだろうか。もしそうなら、レンズだけでの販売はやってないのだろうか。

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車椅子で大ジャンプ~リオ・パラリンピック

rio_kurumaisu_jump.jpg リオ・パラリンピックがはじまっている。
テレビ中継では見られなかったけれど、YouTubeで開会式の様子が流されている

見ていてびっくりしたのは、車椅子で大ジャンプというシーン。
着地はどうなってるんだ?、と思ったけれど、どうやらグラウンドに大きなエアクッションのようなものが置かれているようで、それらしきものが波打っている様子がビデオに写っている。

パラリンピックの種目はいろいろあるけれど、私が一番注目するのは、車椅子マラソン。
なんといっても、42.195kmを1時間20分、平均時速31.7kmつまり100mを11.4秒のペースである。普通の陸上のマラソンの1.5倍の速さである。
こうなると、用具を使ってのスピード競争である。
健常者が参加してもまったくおかしくない。ただ、普段から車椅子で生活している人が有利になりそうだから、ハンディキャップをつけないと不公平になるかもしれない。

先日テレビで、東京1964のパラリンピックに出た人の話が流れていたが、それによると海外の選手はレース用車椅子を使っているのに、日本選手は病院の車椅子。そりゃ勝てんわ。

今では日本のレース用車椅子もすごいらしい。⇒競技用車椅子(オーエックスエンジニアリング)
こうした器具の開発では日本は負けないぞ。

ところで、前述のテレビ番組では、競技用器具の違いだけでなく、海外の選手が、人生に自信をもち、楽しんでいる姿を間近に見て、当時、日本の障害者が置かれていた状況との落差を感じたという話もされていた。
ここで勝てないとね。

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「介護」って造語なの? 商標登録されてるんだって

時々チェックしているビジネス情報サイトに、
『えっ、「介護」って造語なの? 市場をつくった“生みの親”に聞く』という記事があった。

footmark_header-logo.png 記事を読んでいると、造語というのはともかく、なんと「介護」は登録商標(1984年登録)なのだそうだ。
登録したのは、この記事で紹介されているフットマーク株式会社というところ。
同社が、大人が使えるおむつカバーを商品化したときに、「介助」と「看護」から1字ずつとって作った造語を商品名にしたという。

普通に使われている言葉が商標登録されることはないと思うから、登録以前にはこの言葉は通用していなかったと推定できる。
介護保険法、育児・介護休業法、介護労働者法など、法律に介護の語が使われている。役所には、介護保険課というような組織がある。もちろん民間でも介護保険や介護用品など、完全に1ジャンルを形成している。

登録した会社は、介護という言葉が人口に膾炙してきて、保険会社から「介護」の語を使いたいと相談を受けたときに、どうぞご自由にということで、別に使用料とかもとらずに認めたそうである。
『当社だけが「介護」という言葉を使っていたら、介護に関係する商品やサービスが広がっていなかったかもしれません』とのことである。

もっとも商標登録には、商品区分という考え方があって、同類でなければ他者が使用することができるらしい。
「介護」が「第24類 織物及び家庭用の織物製カバー」での登録だったとしたら、保険商品(「第36類 金融、保険及び不動産の取引」)は、同類とはみなされないのではないだろうか。


kaigo_yd_mark1.jpg 記事ではこれ以上のつっこみはなく、私の憶測にすぎないけれど、同社の商品である「介護おむつカバー」の後発類似品が「介護」の語を使うことは、少なくとも粗悪品に対しては、認めないのではないだろうか。でないと、商標権には維持費が発生するから、同社が維持費を払って商標権を確保する意義はないと思う。
その一方、競合することのない保険会社や行政が「介護」の語を広めてくれれば、この商品の認知度も高くなるだろう。

これを意図していたなら、見事である。
しかし、会社の会長へのインタビューで構成されている記事を読んでいると、この会長さんは計算ずくでやっているようには全然思えない。
「正直の頭に神宿る」といった雰囲気だ。

この記事が載っているビジネス情報サイトは、多くの人が愛読していることだろう。
今頃、日本のあちこちで、「『介護』って登録商標なんだぞ」という話題がひとしきり語られていることだろう。

そうそう、学校の水泳帽子というのも、この会社が開拓したものだそうだ。

『なぜ学校のプールで「水泳帽子」をかぶるのか 知られざる下町企業のチカラ』


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失政は選んだ国民の責任

gempatsu_cost_tenka.jpg 眼を疑うようなニュースが流れている。
原発コスト新電力も負担、政府調整 料金に上乗せ

原発の是非については措くとして、原発を推進してきた理屈はいろいろ言われるけれど、つきつめれば経済性だったはずで、それが正しければ原発を持つ電力会社は十分儲けてきたはずだろう。
それを、廃炉が見えてくるようになると、その廃炉のコストは新電力会社、つまりそれを通じて国民が負担しろという。

原発にも耐用年数があるはずだから、減価償却や廃炉引き当てをしているだろう、税制上の優遇も受けただろう。


なるほど福島第一原発事故は「想定外」で、このような天変地異にあっては、福島県民だけでなく、全国民が負担を分かち合うべきだという言い方もできるだろう。
こうした「災害」を免れたことで、自分だけが無事で申し訳ないと感じる他県民としては拒否もしにくい。

電力自由化の理念から考えるとどうだろう。
自由競争の論理のもと、より効率的に電力を供給できる電力会社が競争に勝ち、低廉な電気料金が実現されるという説明を聞いてきた。そして原発に反対という人が多くなれば、再生可能エネルギーだけを使う電力会社が選択され、原発は競争に負けて、原発反対者にとっても満足な結果になるという説明もあったと思う。

そういう電力会社を選んだとしても、原発のコストを負担しなければならないというのは腑に落ちないことだ。
けれども、どの電力会社を選んでも全国民が等しく原発廃止コストを負担するのであれば、電力会社の選択に対してはニュートラルになる。「公正な」競争条件を確保したというわけだ。言い換えれば、旧来の電力会社が持っているお荷物は、リセットしないと勝負にならないということだ。

もちろん新電力のシェアは今のところごく僅かだろうから、直接的な被害者はそう多くないだろう。それに、私は旧来の電力会社のままであるから、負担を新電力が分担するというなら、私の電気代は下がりこそすれ、上がる理屈はないのだけれど。
新電力のシェアが大きくなって、うるさい人が少ない今のうちに制度化してしまおうという手回しの良さなら唖然とする。

新自由主義の帰結で書いた通りの状況がここにもある。

強者が利益を独占し、それがうまくゆかなくなると、強者が倒れたらみんなが困るから、みんなで助けなければならない。それに、危機が来るまでは、危機は存在しない(想定外)からそんなことは考える必要がないのだし。


どうやら、株式会社の失敗なら株主は出資の範囲での有限責任を負えば良いが、政府の失敗には、国民が無限責任を負うというしかけになっているらしい。

要するに実質増税である。
この国の為政者は、失敗しても、国民から搾り取れば誤魔化せると思ってるようだ。なめられたもんだ。

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Viber国内通話無料トライアル

Viber-logo-icon-375x195-crop.jpg ViberというIP電話・メッセージング用のスマホ・アプリがある。
LINEみたいなものだけれど、Viberはかなり昔から、少なくとも5,6年前には存在していたと思う。

Viberは、LINESkype同様、有線電話やアプリをインストールしていない携帯への通話もできるのだが、これが何と、トライアル期間中ということで、国内であれば、有線・携帯とも10分間無料になっている。
トライアルは1ヶ月前、8月初めに始まっていて、いつ終了するかわからないので、今のうちということで、このところ、スマホから電話するときは、Viberを使っている。

前に書いたように、私はSkypeも使っている。こちらはMicrosoft office365のオマケで月60分までは無料である。ただViberの無料期間が続く間はViberを使うつもりである。

Screenshot_20160906-092659m.jpg トライアルが始まってすぐにViberをインストール、何度か使ってみて、音質や遅延などは感じない。普通に電話しているような感覚で使える。ただ、ダイヤルパッドのレスポンスが遅いように思う。

LINEをまねてるのか、もともとあったのか知らないが、スタンプとかゲームとかもあるようだが、関心は音声通話のみ。
LINEもそうだが、Viberもいろんなことができるわけだけれど、私は通話だけできれば良くて、余計な機能は一切いらない。あっても邪魔になる。余計なメニューは煩わしいし、その機能の分、メモリーも消費するだろう。

それでも余計な機能を付けるのは、そちらのオプションで課金できるからだろうと思う。音声通話だけだとオプション料金をとるのが難しいかもしれないし、画面にCMを流しても効果が疑わしくてスポンサーも付きにくいだろう。

そういえば楽天は、050番号付きSIMのモバイル通信サービスを始めたという。Viber無料通話は、こういう一連のサービスのPRなのかもしれない。
そしてLINEが月額500円の音声通話SIMのサービスを始めるという。LINE通話はパケット通信量に含めないということらしい。

ポケモンGOの通信量をパケット通信量に含めないというサービスをやってるのと同様か。


なにはともあれ、タダで電話できる状態が永く続きますように。
Viberのトライアル期間が終われば、Skypeに戻るだけだから私は良いのだけど。


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豪雨でダイヤが混乱

IMG_20160906_191751-crops.jpg 昨日、午後遅く、大阪府域で豪雨。
16時頃、ネットの雨雲レーダーを見ると、大阪市内をはじめ、かなり広い地域で、豪雨を示す真っ赤な表示となっていた。
職場のY市でも16:15分頃、大粒で強い雨がひとしきり降った。

退社時刻にはもう雨は上がっていてラッキーと思って、いつもどおりK鉄電車に乗り、いつものようにJRのOH線に乗り換えて、いつものようにH駅でGT線に乗り換えて、……

H駅ホームに乗客があふれている。
豪雨でJRのあちこちで徐行運転や運転休止という。

駅構内放送によると、K鉄線での振替輸送もしているそうで、
「K鉄線振替乗車の方は、OH線でKE駅でK鉄に乗り換えてください」という。
おいおい、今乗ってきたところやないか、それならOH線の車内放送で案内せえよ。

IMG_20160906_191827-crop.jpg もっとも、今更戻ってK鉄に乗っても、通常コースで運転を待つほうが早いこともある。GT線も止まっているわけではないようだから、おとなしく待つほうがよさそう。
構内放送を聴いていると、私の目的地MY駅の1つ手前のN駅までの電車は出るらしい。満員の1列車は見送って、次の電車と思って待っていると、構内放送がMY駅までの電車がその次に来るというので、さらに1本待ってこれに乗車。

これでOKと安心していると、行き先が1駅手前のN駅までと変更というアナウンス。
それならそうと言ってよ、それなら1本前の列車に乗ったのに。

N駅では、待ち受けていた「快速」(=写真。もっともここから先は各停)に乗り換え、なんだかんだあったけれど、結局、平常時の45分遅れで無事到着。
お疲れ様でした。

この程度の混乱、連続して台風が襲った東北・北海道や、熊本の状況からすれば平和な話ではある。
今日、明日は台風13号も心配だけれど、どうだろう。

それにしてもJRの案内は要領を得なかった。
混乱しているのは理解するけれど、もう少しなんとかならないのかな。

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隣りに家が建つ

P_20160828_152849s.jpg 前に、隣家が取り壊しになったことを書いたけれど、それから1年ちょっと、買い手がついて家が建つことになった。

先々週から工事が始まっている。

工事の挨拶に来た業者の話では、この地区は売りに出るとすぐに買い手がつくということで、私としてもなんだかうれしい。

何より、風がきついときなど、今は吹きさらしのような状態だから、家が建てば以前のように風よけになってくれるだろう、日よけにもなってくれるだろう。

 開発区域の面積 34,598.66㎡
 有効宅地面積 約25,183.36㎡(約7,617.97坪)
 予定建築物 戸建住宅159戸
 1戸平均宅地面積 158.39㎡(47.91坪)
 歩行者専用道路 幅員4.0m
 緑地道路 幅員5.0m
 区画内道路 幅員6.0m・6.5m
 用途地域 第1種低層住居専用地域
 建蔽率 50%
 容積率 80%
9月には近隣の「山林」(約190m×180mの平坦地)が宅地開発され、再来年の春には売りに出されるようだ。
我が家より駅に少し近く、区画は少しだけ小さ目にして価格を抑えるらしいから、割りに早く売れると思う。

この区域内には公園(児童公園)や集会所などはないようだ。どちらも先に開発された周囲の施設を使うつもりらしい。
これでまた自治会費の分担とかで調整があるんだろうな。


関心のあるかた、私の近所でもよろしければどうぞ。

2016-08-29_132453-cropn.jpg


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アマゾン読み放題、ただし不人気本のみ

20160831-00000012-asahi-000-view.jpg アマゾンがはじめた電子書籍の読み放題サービス、"Kindle unlimited"で、人気コンテンツがラインアップから外れ始めたという報道があった。

「○○放題」といえば、私もAmazonプライム会員だから、Amazonプライムビデオが利用できるし、dマガジンは有料会員になっている。
音楽配信でもこういうサービスがあるけれど、嗜好がズレていると思われるので、関心がない。(ベルリンフィルの"Digital concert hall"というのは魅力的だけれど、€14.9(年間€149)と高い。お試しチケットしか使ったことはない。)
音質に贅沢を言わなければYouTubeで無料で配信(違法?)されているコンテンツの方がずっと魅力的である。

電子書籍でも同様で、Kindle unlimitedで扱われるコンテンツには、おそらく私が読みたいというものはあまりないだろうと考えて、言い換えると、私が読みたいと思わないような人気コンテンツばかり収録されるに違いないだろうと考えて、月額980円は高いと思った。

Kindle_unlimited.png ところがである、報道が正しいとすれば、人気コンテンツも外されているという。これでは一体誰にターゲットを絞ったんだかわからない。

読書には、知識や知恵を得ることを目的とする価値追求型の読書と、時間消費型の読書がある。

私の読書時間の大半は通勤時間で、無聊を慰める時間消費型のようだけれど、選書にあたってはそういうことではなくて、やはり価値追求型である。dマガジンは時間消費型という面がある。


テレビの視聴でも、この番組を見ようという意思に基づいて視るものと、なんとなく流していて、ときたま「ふーんそんなことがあるんだ」と漂う情報を得るものがある。
こだわりの音楽喫茶はマスターが選曲した音楽が流され、客はそれに聴き入るけれど、こだわりのない喫茶店はBGM配信サービスを契約し、客はそれを聞き流す。(もっとこだわりのないところはテレビかラジオを流す。)

Amazonの成功は、ロング・テールに着目したことと言われている。
それにしてはAmazonらしくないことをしたものだが、海外でのサービスではこんな問題が起きているとは、寡聞にして知らない。

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大阪メトロ

osaka_metro_train.jpg 大阪市の地下鉄が民営化されることになるようだ。
ネットの解説記事2018年「大阪メトロ」誕生へ、東京メトロの成功例を実現できるかに、民営化のねらいや課題について、丁寧に解説されている。

そもそも地下鉄民営化は、橋下市長時代から言われていたと思う。
ただ、民営=善、公営=悪と決めてかかっている風だったし、民営化すればいくらでも市外に延伸できるというような絵空事を言うから、信用できないという感じがしていた。

前述の解説記事では、民営化で良くなることとして、
  1. 付帯事業が自由にやれる
  2. 入札せずに随意契約で発注先を決められる
  3. 議会が承認した予算の裏付けがなくても臨機応変に事業ができる
  4. 人事異動が臨機応変にできる
といったことがあげられている。

まず1だけれど、多くの公営事業では本体ではできない事業を、関連会社を作ることで独占的利益を上げる方法をとってきたところが多い。ところがそれをすると身内企業優遇で、儲けを子会社にプールして本体の利益を低くしているという批判や、公共物なんだから、一般民間企業にも甘い汁を吸わせてくれという要望が出てくる。
民営化すれば、そういう迂回した事業や公共性への配慮(交通機関としての公共性は残る)をする必要はなくなるから、よりストレートに利益を上げることができる。

次に2についてだが、入札は受注希望者間で価格競争させることで効率的かつ公正な契約を結ぶという風に理解されているが、実は応札者が限られていて、他所から乱入することがなければ、必ずしも競争は発生しない。入札は面倒でかつ価格効果も限られているというわけである。
また、一般に民間企業は、コア事業以外については、特定のパートナーを選定して末永い協力関係を築く。これは、そうすることで実行コストはもちろん、その事務の管理コストまで下げることができるからと考えられる。

3についてはこの通りだろう。議会は普通、追認機関にすぎないわけだが、そのくせ説明責任を求める。議会を通じての市民への説明責任は、株主への説明責任にかわるから、事務コストはかなり下がる。
また、議員は地元への利益誘導を優先するから、不採算路線の新設などを求めてくる(地下鉄のない区をなくそう)から、これを防げれば経営上の利益は大きい。

4つめだが、これはやや微妙である。解雇は公務員身分でなくなってもそう簡単にはできないと考えられる。公務員給与はまだ年功序列が強いようだから、同様の仕事をしていても高齢者の方が高い給与をもらっていると推測されるから、このあたりの改革を進めるのだろう。当然、給料が下がる人が増えるから、そういう人達のモチベーションを保つことが重要になるだろう。

かつて、近鉄が奈良電を吸収したとき、奈良電社員と近鉄社員の待遇に一切差をつけず、奈良電社員の不安を一掃したという話がある。大阪メトロは民鉄との合併ではなく、自立民営化だから事情は違うけれど、大手民鉄との横並びあたりだろうか。
なお、公務員だから職業倫理が低いというようなイメージを持つ人もいるようだが、この点に関してはそうとは言い切れない。ある大学が大阪市内の自動車の運転マナーの調査をしたところ、民営バスは総じて運転マナーが良かったが、大阪市バスはかなり強引なマナーの悪い運転が目立ったという。強引な運転をしてもダイヤ通り運行しようという職業意識が高いようだ。


そして、何よりのメリットは、民営化すれば株式売却益が得られるということである。
あるいは、相互乗り入れしている路線、堺筋線(阪急)、中央線(近鉄)は、切り離して阪急、近鉄に売り払うなんてこともできそう(御堂筋線を北急に売ることはないと思う、逆に北急を吸収するほうがありそう)。

解説記事では懸念材料として、赤字の市バス事業をあげていた。
普通、民営化といえば、儲かるところだけ民営化して、お荷物は役所に残すのが常套手段のようだけれど、さすがにあからさまに市バスを切り捨てることはできない。

公営住宅の管理を民間委託している例が増えているが、普段の修繕や入居者サービスはするけれど、焦げ付いた家賃の回収のような面倒な仕事は委託範囲に含まれていないことが多いようだ。もちろん公的債権だから、これを放棄するためには議会の承認が必要だから、法制上委託範囲にはならないらしいが。

当面、事業を縮小しながら、いつつぶれてもよいように事業設計をしていくことになるだろう。

もう一つ気になるのが、現在は大阪地下鉄は167億円の黒字だが、一般会計からの補助金が104億円あるので、実質黒字は63億円ということである。ところが、民営化されれば固定資産税も発生する。軌道そのものは鉄道の公共性から減免されると考えられるが、それ以外の資産は課税対象となる。一説によればこれが50億円ぐらいになるという。

以前、ある地方自治体が公共施設の民営化を検討したとき、ある程度収支の見込みが立つような施設でも、固定資産税が賦課されるとどうも立ち行かないという話を聞いたことがある。


いずれにせよ、大阪市も儲かるし、関連事業も起ちあがる。利用者サービスも良くはなっても悪くなる要素は見当たらない。誰も反対する理屈はない。
反対するとしたら、新たな競争の場で勝ち組になれそうにない人か、今まで税金を納めて、投資や赤字を支えてきた過去の納税者だけだろう。

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システム開発の品質管理

20160829-00000040-san-000-view.jpg 度重なるマイナンバーのシステム障害で、地方公共団体情報システム機構(J-LIS)が、開発委託先の富士通に対し、損害賠償を請求する方針と伝えられていた。

J-LISの対応としては至極当然、いかにもお役所的対応。
問題が起こったら、自分たちの責任を(一旦は受け止めるけれど、実質責任を負わずに済むように)転嫁するというやりかたである。

システムを開発するだけの技術力がないから委託するのは当然として、仕様の合理性をチェックする能力も疑わしい。
というより、仕様を示したら、こんな仕様は非常識ぐらいのことは委託先から指摘されたのではないだろうか、そしてそういう文句に対しては、出来ないというのかと上から目線で圧殺したのではないだろうか。(あるいはRFPをやっても評価できなかったとか)

そう思う理由は、マイナンバーシステム全体の制度設計が悪いこと、そのためITシステムを含んだグランド・デザインが存在しないように見えること、個人情報保護対策がセキュリティ技術の導入で誤魔化されている(そしてそのために高いコストと運用の困難さが伴う)ことなど。

法律を制定するときにシステム全体の妥当性などはチェックされていないに違いない。個人情報保護は修飾語の域を出ることなく、その修飾語のためにお金だけはかける。本来単純な名寄せシステムなのに、名寄せという言葉を嫌ったのか変な情報連携システムをつくって(これはセキュリティホールというか、情報管理を複雑化する要因)、問題を技術におしこめようという態度。
ITが入った途端に、何でもITのせいにする昔から変わらぬシステム音痴。それは法秩序を設計する能力がないことも露呈している。


マイナンバーの悪口はこれくらいにして、今日の本題はシステム開発の品質管理。
知り合いに大手の関連会社で、官公庁のシステム開発に携わったことがあるという人がいる。
曰く、官公庁の仕事はやりたくないそうだ。その理由は、
  • 仕様変更がやたら多く、しかもそれを契約の範囲と強弁して追加コストを払ってくれない
  • 仕様が妥当性を欠くと指摘すると、言われた通りにやるのが受託者の仕事という

私としては、システムを開発するときに、運用開始直前に仕様変更が発生するのはアタリマエのことで、それに対応できないこと自体、設計が悪いというか、受託者の設計能力の不足だと思ってしまうのだけれど、知り合いの言うことも理解できないわけではない。

というか、契約を結んでしまえば、システム開発においては、発注者と受託者は利益共同体だと思う。
受託者が手を抜くことが発注者の不利益になるのは当然だけれど、「手を抜く」というのが簡略化であるなら歓迎すべきことだ。それは開発コストの削減(受託者の利益)であると同時に、後々の運用コストの低廉化(発注者の利益)につながる。
ムリな仕様を押し通したら、システムのあちこちに歪み・綻びが発生してしまう。運用コストの増嵩はさけられない。
どうやったら簡素なシステムになるか、そして予想される仕様変更に柔軟に対応できるかを考えて設計すれば、追加コストの発生はかなり抑えられるし、強靭なシステムを作ることにつながるだろう。

そもそも発注者側の仕様変更なんて、実はたいした問題ではない。表示の桁数や並びを変えろぐらいのものである。あるいは単一テーブルに由来する項目だけではなくて、複数テーブルをマッチングさせた結果を表示してほしいというような(仮想テーブルを作れば済むような)簡単なものばかりである(もちろんデータベース設計がきちんとできているという前提だけれど)。


ところで、こういう発注者-受託者の合意形成において、受託者が品質管理(ISO9000)の認証を受けていると、会議・打ち合わせのたびに、受託者が議事録を作って、確認印を求めてくる。
合意した仕様を確認し、変更が発生すれば追加コストが発生すると言いたいらしい。

とりわけそれでプログラムは発注(多くは中国や東南アジア)してしまってるから、変更はすべてコストとして上乗せされると言う。馬っ鹿じゃないの。


だけど、開発を進めていくうちに、表示項目やレイアウトが変わることなんてアタリマエに起こる。それよりも、どういう変更だったらコストアップなしに可能なのか、つまりシステムの大枠・書法というものがしっかりしていれば、それこそ運用開始直前になっての対応ができるのではないかといつも思う。

そしてそれに対応できないのはそもそも設計が悪い。それだけで罰金ものである。
そういう設計の悪さは、必ずバグや保守性の悪さにつながる。
システムは出来が悪ければコストも高くなる。

以前、運用開始直前になって大量の帳票作成・検索プログラムが未着手になっていて、高額の人件費が発生すると泣きをいれてきた業者があった。そのときは提案書にあったBIツールを具体的には選定も提案もできていなかったので、こちらでBIツールを選定して、これを入れて、これでその大量のプログラムをやってしまえと指示したことがある。そんなものである。


話がそれたけれど、品質管理マニュアルに忠実にやられてもあんまり生産的ではないように思う。
品質管理技能がいくら優れていても、成果物の品質を保証なんかしてくれない。というか、品質管理を盾にとって文句をいう受託者は、たいてい品質に自信がないと思う。

時々思うのだ。受託者の資格条件に「ISO9000の認証を受けていないこと」と書けないかと。

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チャレンジというルール~サッカー編

サッカーにはチャレンジ・ルールはないのか。

先日、「チャレンジというルール」という記事をアップしたところだが、昨日、サッカーにはチャレンジはないのかと嘆かせるシーンがあった。
多くの視聴者がそう思っただろうから記事にしなくても良さそうなものだけれど、やっぱり書かずにはおれない気分。

そもそも日本のサッカーは、先日のリオ・オリンピックでもそうだったけれど、期待を裏切る常習犯で、昨夜も負けるんじゃないかという不安いっぱいでテレビ中継を見始めた。
まず気になったのは、審判がカタール人ということ。UAEの隣国じゃないか、大丈夫なのか。(後で調べるとカタールとUAEの関係は悪いらしい。)

最初の日本の先制点は見事だった。
で、その1点リードの後、UAEのフリーキックが直接ゴール、同点。
このフリーキックを与えたファウル、これがおかしいと私には見えた。
日本のディフェンダーがUAEの選手を引き倒したという判定のようだったけれど、ビデオで見ると、UAEの選手がバランスを崩して倒れかかり、その胸あたりに日本選手の手が当たったように見える。

2016-09-01_223407.png きわめつけは何と言っても後半のUAEの2点目。決勝点。
日本がUAEゴールに迫ってシュートしたボールが相手GKにパンチングで阻まれた、そういうことなのだけれど、ビデオで見ると、シュートしたボールはゴール・インしている
日本選手はアピールしていたようだが、サッカーで選手のアピールがレフェリーに受け入れられたシーンというのは見たことがない。試合後、ハリルホジッチ監督はインタビューに答えて、「普通はボールがゴールに入ったら得点だが」と。

場内に大画面でビデオを映していたら、会場は大騒ぎになったことだろう。
観客にはスマホなどでテレビ中継を見ていた人もいたに違いないが。

サッカーは1点の重みが一番大きなスポーツだと言われる。
しょっちゅう発生する接触プレイでいちいちチャレンジがかかっては試合にはならないだろうが、ゴールのイン/アウトぐらいチャレンジを許してもいいんじゃないか。
高校サッカーでは誤審により、悲劇の敗者と悪者の勝者が作られてしまったという事件があった。こんなことが繰り返されて良いとは思えない。高校サッカーは教育で、ワールドカップはそうじゃないから、誤審の損得もゲームの一部ということだろうか。

試合終了後、すぐにネットにはたくさんの書き込みやビデオのアップがなされていた。
なんとも後味の悪い試合となった。
残り試合を勝って、ワールドカップ行きを決めるしかありませんな。

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リオの手羽先~リオ・オリンピック・シリーズ

2016082100009_5-crop.jpg リオ・オリンピックから採集した手羽先画像。

休刊日ネタにしようかとも考えたけれど、オリンピック・シリーズの掉尾を飾ることにした。

右は新体操、だ~れだ?








Russias Natalia Ishchenko and Russias Svetlana Romashina_2-crops 次はシンクロナイズド・スイミング。だ~れだ?



このロシアの選手については、オリンピック前にNHKが特番を組んでいたのを見た。
子供の頃からシンクロをやっていて、身も心も酷使してきているそうだ。とりわけおどろいたのは、シンクロの回転(ひねり)の方向がいつも同じ方向のため、使う筋肉も著しく偏り、それがために背骨まで曲がっているという話。


新体操もシンクロも、ロシア選手、出れて良かったね。


2016081514-crop.png 陸上選手からも1人。

女子200mの予選の画像らしい。
あの、タカ・マツ・ペアの準々決勝ゲームカウント1-1で中継が中断されたときに切り替わったのがこの女子200m予選。

この画像の選手だったかどうか実ははっきりしないのだけれど、「日テレのアホ、ボケ、カス」と言いながら、「カワイイ子がいるんやな」と思った、多分その選手。








rio1608190014-p1-crop.jpg 最後は、その陸上200m予選のために、ライブ中継が中断されたバドミントンから。













それにしても美しい選手が多かった。
「スポーツをやってるにしては」ではなくて、ベースが水準以上で、それにスポーツが磨きをかけているような。
女子選手が一番美しく見えるのは、競技に集中しているときである。

何故、人は見た目の美しさに惹かれてしまうのだろうか。

― 盲目の人以外にそんな事を聞く人はいない。 (アリストテレスの答)


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