「ヌーハラ」って知ってる?

yd_kubota2_nuhara.jpg このところ、メディア不信について何度か書いたけれど、ときどきチェックするビジネス情報サイトに興味深い記事があったので紹介する。

「ヌーハラ報道」に、目くじらを立てる理由という記事。

「ヌーハラ」という言葉は初めて聞いたから、何のことだろうと思って読んでみた。
「ヌードル・ハラスメント」を縮めて「ヌーハラ」というのだそうだ。麺類を食べるときの音がうるさいということらしい。
落語では麺類をすする音は重要である。そばとうどんは微妙に演じ分ける(ラーメンをすする音というのは未だ聞いたことがないけれど)、というような奥深い日本文化が、外国人に理解されないことだろうかと思ったけれど、そういう話ではなかった。

この記事は、そもそも「ヌーハラ」などというものは、少なくとも社会問題としては存在しないとし、これを面白おかしくとりあげて拡散しているマス・メディアの姿勢を批判するものだ。
「ヌーハラ」などは笑い話で、いつしか終息するだろうけれど、この記事では、デマが人の生命を奪う罪深い事例が紹介されている。

米国あたりには、超常現象や怪しげな事件を専門に取り上げる「新聞」があると聞いたことがある。まともなアメリカ人は、その新聞全体を一種のジョークとして楽しむのだそうだが、この記事を取り上げて、米国の新聞でも報道されていますと、まことしやかに増幅する日本のメディアがあったりする。

大した問題でもないことを、さも重大なことのように取り上げたり、ネットの怪しげな風説を興味本位に取り上げる。
裏をとる取材も、科学的な追求もしない。

政府などの報道発表はそのまま転載する。
官僚の間では、「マスコミの脳は『小鳥の脳』だから、これくらいの情報を食わせておけばいい」と言われているそうだ。
官僚側はそれで良いかもしれないが、国民としては、これがさえずるから始末が悪い。

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マイナンバーカードの電子証明書

P_20161125_210818_masks.jpg マイナンバーカードを作ったので、今年の確定申告はe-Taxを使っても良いかなと考えている。
それで、まずはマイナンバーカードの電子証明書が家のPCで使えるものか、まずはカードの読み取りテストをしてみることにした。

カードリーダーは、住基カードのときにも使っていた、"SONY PaSoRi RC-S330"という機種。
前のPCでは利用環境をセットアップしていたが、今のPCではまだインストールしていなかったので、SONYのホームページから、関連ソフトウェアをダウンロード/インストール
さらに、地方公共団体情報システム機構(J-LIS)の公的個人認証サービスのページから、"利用者クライアントソフト"をダウンロード/インストール。

マイナンバーカードをカードリーダーに載せて、クライアントソフトを起動。
マイナンバーカードに収録されている「電子署名用電子証明書」と「利用者認証用電子証明書」をチェックする。

2016-11-17_223747m.png どちらもチェックするためにはカード発行時に指定したパスワードが必要である。
JPKIは英数字の長いパスワード、利用者認証用は4桁数字のPINである。
それぞれ有効性チェックを行って、無事、有効であることが確認できた。

ということで、ここまではどうということはないのだけれど、住基カードのJPKIのときにはあったファイルへの署名機能は、マイナンバーカードのJPKIでは使えないようだ。
前は、PDFの署名機能を使って遊んでみたのだけれど、これでは遊びようがない。

2016-11-17_223920m.png 前からわかっていたことだけれど、JPKIの電子証明書にはマイナンバーが収録されていない。この電子証明書の主たる利用方法がe-Taxで、そしてe-Taxではマイナンバーの記載が求められるはずだから、どうしてこの証明書にマイナンバーを載せなかったのか、記載されている番号が正しいかチェックするという余計な手間がかかるではないか。

住基カードのときに、電子申請でJPKIを使うシステムが作られているらしいから、それを継承するという事情もあるのだろうけれど、おそらくそんなに電子申請は普及していないと思うから、法例でマイナンバーを使えるようにするほうが良いと思う。
こういうところにも、マイナンバーは秘匿しなければならないというバカな法律がシステムの邪魔、そしてコストアップの原因になっているわけだ。税金をとるための制度を作ったから、その分税金を過剰に投入しても良いと考えてるんだろうか。


もう一つの利用者認証用だけれど、こちらは見事に何にもないことが確認された。前にも書いたように、鍵ペアの対応でカード保有者を同一人とする仕掛けだから、これは理屈上は問題ない。ただし、これが本当に使えるのかはまた別の問題であろう。
ただ、CRL(失効リスト)照会ポイントには、しっかり発行自治体(つまり居住自治体)名が入っているようだから、個人情報が全く無いということにはならない。
また、有効期限は、発行から5回目の誕生日ということで、しっかり誕生月日が入っている。

外交官とは、女性の誕生日は覚えているが、年齢(生年)は覚えていない人のことである、という話もあるけれど。


今日のところは、マイナンバーカードの論評は差し控えて、とりあえず電子証明書が読めるということの報告にとどめることにする。

公的個人認証サービス 利用者の利用者証明用電子証明書 詳細情報
[バージョン]
V3
[シリアル番号]
xxxxxx
[署名アルゴリズム]
Sha-256WithRSAEncryption
[発行者]
OU=Japan Agency for Local Authority Information Systems
OU=JPKI for user authentication
O=JPKI
C=JP
[発行年月日]
2016年xx月xx日xx時xx分xx秒
[有効期間の満了日]
2020年xx月xx日23時59分59秒   (※発行から5回目の誕生日)
[ランダム文字列]
xxxxxxxxxxxxxx
[受付端末識別記号]
xxxxxxxxx
[主体者の公開鍵情報]
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
[鍵用途]
critical TRUE
digitalSignature
[拡張鍵用途]
critical FALSE
clientAuth
[証明書ポリシー]
critical TRUE
[1]certificatePolicies:
policyIdentifier=1.2.392.200149.8.5.1.3.30
[1,1]policyQualifiers:
policyQualifierId=CPS
qualifier=http://www.jpki.go.jp/cps.html
[発行者代替名]
critical FALSE
directoryName:
OU=地方公共団体情報システム機構
OU=公的個人認証サービス利用者証明用
O=公的個人認証サービス
C=JP
[CRL分配点]
critical FALSE
[1]cRLDistributionPoints:
DistributionPointName:
fullName:
directoryName:
CN=xxxxxxxxxxxxxxx CRLDP   (※居住市町村が入るらしい)
OU=xxxxxxxxxxxxxxx  (※都道府県が入るらしい)
OU=CRL Distribution Points
OU=JPKI for user authentication
O=JPKI
C=JP
[機関アクセス情報]
critical FALSE
[1]authorityInfoAccess:
accessMethod=ocsp
uniformResourceIdentifier=http://ocspauthnorm.jpki.go.jp
[認証局鍵識別子]
critical FALSE
keyIdentifier=xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
authorityCertIssuer:
directoryName:
OU=Japan Agency for Local Authority Information Systems
OU=JPKI for user authentication
O=JPKI
C=JP
authorityCertSerialNumber=01
[主体者鍵識別子]
critical FALSE
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
[sha256フィンガープリント]
xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
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決定版 江戸散歩

2016-11-03_085202-crop.png 東京の人が大阪へ来て、展望台から街を見ると「何だこの街は、緑が全然ないじゃないか」と言うらしい。
ほっといてくれ、という気持ちもないわけではないけれど、実際そうなのだから困ったものだ。

たしかに東京タワー(未だスカイツリーに行ったことがない、建設中の姿は良く見たのだけれど)などの展望台から、都内を眺望すると、あちこちに緑地が散在している。
某テレビ局は敷地にある「毛利庭園」からたびたび中継画像を流している。

けれども、こういう姿は、別に東京人が偉いとか、政府や東京都がしっかりしているからだとは言えまい。すべては江戸幕府の遺産といって良い。
もし大阪が首都になっていたなら、こういう景色にはならなかったに違いない。
理由は簡単である。武士の街だったから。

山本博文「決定版 江戸散歩」は、その事情を具体的に教えてくれる。
KADOKAWAの電子書籍が割引販売されていたときに、何かないか見ていて、この著者なら間違いないだろうと思って買ったもの。

フォーマットがイメージだったので、テキストを自由に拡大(つまり文字サイズにあわせて改行改頁)できないので、スマホの画面で見るのは困難。PCか大画面のタブレットで読む。
もっともイメージ収録というのもしかたがない、とりあげられた各所の写真が数多く収録され、レイアウトされているのだから。


2016-11-03_085328-crop.png 歴史上のエピソードを紹介しながら、尾張屋版江戸切絵図と現在の地図を重ね、往時の様子と今の姿を、解説してくれる本で、江戸の観光ガイドになっている。
東京の公園というのは、その多くが、将軍家や大名の屋敷跡なのだそうだ。

地方にある名園の多くが大名庭園だったのと同じ。
日本三名園とされる金沢兼六園、岡山後楽園、水戸偕楽園、いずれもそう。家人の郷里の香川県には栗林公園、中津万象園がある。
地方に分散しているのと同じくらい、江戸に集結していたのかもしれない。

これらの大名屋敷は、庭園が公園になったり、公共施設になったり、中には民間宅地になったものもあるようだが、それだけのゆとりある空間を都心に保持していたから、ど真ん中に政府機関や公共施設が立地できた。
(やはり大阪や京都では近代日本の首都にはなれなかっただろう)
もっとも江戸の総面積の1/6に、半分の人口=50万人が住んでいた町人地の方にはゆとりがあったはずはないけれど。

それはともかく、オールコック「大君の都」では、

将軍の都は心を奪われるほど美しい。……
ヨーロッパには、江戸のように沢山の素晴らしい特質を備えている都はない。また、町のたたずまいと周囲の風景のこのような美しさを誇れる都もない。……

とある。
そのなれの果ての東京だけれど、そのゆとりがあったから今があり、そして、やはり、ところどころにはその面影が残っているというわけだ。

そして、この本で紹介される数々の名所のほとんどに行ったことがないことにも思い至った。

現役の頃は頻繁に東京に行ってたけれど、たいてい日帰り、とんぼ返りだった。
かといって、用事もないのに東京なんて行くかなぁ。


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福岡市で陥没現場がまた沈下

2016-11-26_220118.png 先日、大きく陥没した福岡市の道路が、また沈下したと大々的に報道されていた。
この陥没事故は、わずか1週間で復旧したことが、海外では高く評価されているそうだ。そこが、また凹んだということである。

私は、なんといいかげんな復旧工事をしたのかと責めるつもりではない。
沈下したということを聴いてまず思ったのは、そりゃ沈下するだろうよ、よほど密なもので隙間なく埋め、完璧に均一に整地しないかぎり、沈下するのは当然だろうということ。
関空などは、何年、何十年で沈下することを想定して、建物にはジャッキが備え付けられている。

それに報道では、市側ではある程度の沈下(80mm程度。今回は70mmぐらいの沈下)は想定内だという。
市側は、監視カメラをたくさん設置していたというし、沈下を検知してからすぐに、道路を封鎖して安全確認に念を入れている。
思うに、今回については、市側はできる限りのことをしていたように思う。
もし責めるとすれば、沈下がおさまるまで数十年間、道路を封鎖しつづけなかったということだろう。

それより気になったのは、これが重大事件であるかのように、全国放送(たとえばNHKの午後7時のニュース)のトップ記事として、長時間放送されたということ。
これって、それほど重大なことなんだろうか。

報道するなというつもりはもちろんないけれど、市側の説明と土木の専門家の意見、過去の事例などなど、きちんと調べて、どの程度の重大性があるのか評価してるのだろうか。
それに、今後の沈下についての情報提供はなかったようにも思う。最初ある程度沈下すれば、その後はあまり沈下しないと思うけれど。

メディアは、責める側にまわって煽り立てることが正義だと勘違いしてないか。
この姿勢は、ポピュリズム政治家と同じだと思う。
マスメディアが、ポピュリズム政治を生み出しているのではないか。

この国のメディアは、所詮、イエロージャーナリズムだったのか。
メディア不信だ。

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浄瑠璃寺・岩船寺【おまけ】

P_20161120_094746_vHDR_Auto.jpg 浄瑠璃寺・岩船寺の記事を3回(リアルタイムを入れると4回)アップしたけれど、写真をあらためて見ていて、これも紹介しておこうというものがあったのでオマケ。

まずは、浄瑠璃寺の参道。
岩船寺の参道もだけれど、ここの参道も狭い。
地元の一休寺の参道も細いと思っていたが、ここはさらに細い。京都市内にある大寺の参道とは大違いである。逆に、参道両側の木々が色づいて風情もある。

P_20161120_095734_vHDR_Auto.jpg

たくさん撮った写真を見ていて、本堂の前、池の畔に灯篭があるが、池を挟んだ反対側にも灯篭がある。
こういうのは他の寺では記憶がない。Wikipediaによると「古代寺院においては、伽藍の中軸線上に1基置かれるの通例」とあるが、平等院などはその典型だろう。

P_20161120_111650_vHDR.jpg
次は、前の記事でも少し触れた「無人店舗」の写真。
以前来たときは、あちこちに小さな無人店舗があったけれど、今回はそうでもなかった。この写真は「石仏の道」の途中にあったもので、昔の記憶のものより大きい構えになっている。

P_20161120_115228_vHDR.jpg







岩船寺の写真も追加。
岩船寺の三重塔は、山の懐に立つ。その山の一方には鐘楼があり、その反対側は「貝吹岩」と呼ばれている(今回は登ってない)。

昔、本堂で住職の話を聴いたとき、住職が法螺貝を取り出して、貝吹岩のことにも触れたように思う。

この貝を吹くのはなかなか難しいですぞというので、ちょっと吹かせてもらったが、金管楽器の要領だから(私は金管楽器はやったことはないけれど)、別になんということもなく音は出た。

FabPlayer_[20161123-172811-663]-crop
ごく狭い山の懐に抱かれた三重塔は山側からすぐに見下ろすことができる。
その写真。

最後は岩船寺の鐘楼。
自由に、ただし節度をもって、叩くことができる。
音も聞いてもらおうと思う。(Gansenji_no_kane.mp3)
音量が小さいのはご容赦。
その場では、軽く1分ぐらいは余韻が聴こえる。



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岩船寺

日曜の午前から午後早くまで、せいぜい5時間半程度のお出かけなのに3つめの記事。

前回、前々回に書いたように、浄瑠璃寺に行けば、岩船寺にも行くのが定番でもある。
(とはいうものの、堀辰雄も和辻哲郎も岩船寺のことは書いてなかったように思う。)

だけれど、今回、はじめは浄瑠璃寺だけにするつもりだったのは、岩船寺というお寺で見たいというものが思い当たらなかったからである。山の中のなんとなく荒れた感じのお寺、浄瑠璃寺が傍にあって、ハイキング・コースだから参拝者がいる、そういう印象を持っていた。

ところが、行ってみると、岩船寺は随分、整備されていた。
それが古刹としての風情をなくしているというわけではない。整備されたというのは、きちんとしたということで、本尊の説明など、このお寺のストーリーがわかりやすく示されるようになったということである。

このお寺の開基は行基上人、聖武天皇の時代に遡る。なまはんかな古刹ではない。
本尊は阿弥陀如来。天慶9年(946年)の制作である。
阿弥陀さまの廻りを四天王(鎌倉時代制作)が守る、揃い過ぎている感じ。
また、阿弥陀の後ろには、曼荼羅が掲げられていた。 やはり本堂内は撮影禁止なので、画像はネットで拾っていただきたい。

この日、三重塔の中が覗けるように扉が開かれていた。
鮮やかな色は、平成12~15年の修復の結果である。
塔を隔てる垣は、ボタンだろうか、綺麗に咲いている。
岩船寺も「花のお寺」の一つになっている。一番はボタンではなくてアジサイ。

一通り見終わって、浄瑠璃寺に車を置いたままなので、また戻らなければならない。
バスも出ているのだけれど、待ち時間がかなりあったので、歩いて浄瑠璃寺に戻る。ただ、戻りは石仏の道ではなくて、バスも通る平坦コースを選んだ。濡れた石段は下りのほうが気を使う。

昔来たときは、ハイキングコース沿いに、椎茸などの無人販売がたくさんあったのだけれど、まだそういうものもあるのかもしれないが、それよりも普通に野菜や漬物を販売している店や露店がある。平坦コースだと、車でそういう露店に乗り付けて買っていく人も眼にした。
そういう店で、日の菜漬(小さいのが5本ぐらい)が100円、柚子が6,7個でやはり100円というのを買った。
日の菜は酢漬けで、少々苦味が強かったが、スーパーなどで売ってる妙に甘いものではなくて、悪くなかった。

浄瑠璃寺へ戻ったのが13時前、お腹もすいたので、事前に調べていた寺のそばの蕎麦屋にしようと思った。
行くと、店の前に2×2人が並んでいる。待つことにしたら、しばらくして前の1組があきらめて店をはなれたので、ラッキーと思ってさらに待っていた。

10分ぐらいして、店の人が、あと二人前しかできませんと言ってきた、おしまい。
次に来るとき(馬酔木の頃?)の目標が出来た。


P_20161120_114004_vHDR_Auto.jpg
岩船寺本堂

P_20161120_113622_vHDR_Auto-crop.jpg
三重塔を臨む

P_20161120_114500_vHDR_Auto.jpg P_20161120_114709_vHDR_Auto.jpg
三重塔(扉が開いている)、塔を隔てる垣のボタン

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塔の内部

P_20161120_121541_vHDR_Auto.jpg P_20161120_124417_vHDR_Auto.jpg
浄瑠璃寺への戻り道(平坦コース)              
            浄瑠璃寺近くの食べ損ねた蕎麦屋




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浄瑠璃寺~岩船寺

浄瑠璃寺で1時間20分ほど、紅葉や仏様を堪能したあと、石仏の道を歩いて岩船寺へ。

実は、当初は予定しておらず、浄瑠璃寺だけ見てさっさと帰るつもりだったのだけれど、あまりに久しぶりということもあって、途中であきらめても良いかと思いながら、石仏の道に踏み入った次第。

このコースはハイキングの定番となっているが、私が中学ぐらいのときに行った時も、やはりこのコースを歩いている。
その頃は土道だったけれど、今はほとんどが舗装されている。

この日は前日の雨の残りで、路面が濡れて滑りやすくなっていたが、もし土道だったら、それどころではなかっただろう。
(途中のきつい上りは石の段がもうけられていて、ちょっと滑りそうだった)

浄瑠璃寺から少し東へ歩くと、石仏の道方向と、比較的平坦な岩船寺まで車で行く道の案内がある。
その隣には、石造の遺物「あたご灯篭」がある。

本当なら石仏の案内図を参照しながら、沿道の石仏を見て回ればよいのだけれど、前述のとおり雨で濡れているので、深入りはしないようにした。(昔来たときは友人が案内・解説してくれた。)

岩船寺から浄瑠璃寺へ向かう人もぼつぼついて、会う人毎に挨拶を交わしながら歩く。

子供づれもちらほら。子供にはかなりきついと思う。
子連れの人たちは、お先にどうぞと道を譲ってくれる。

歩いていると、紙で作ったと思われる赤い鎧を着た男、しばらくすると大きな三日月をつけた兜姿の男が向こうからやってくる。もちろん前者は真田信繁(幸村)、後者は伊達正宗だろう。
さらにいくと、桃太郎の恰好をしている女子。
幸村や政宗にも会ったけれど、これは一体どういう趣向? と尋ねたら、同志社の学生だそうで、ウォークラリーを企画しているとのことだった。

かなりきつい坂もある。
多分、昔来たときにはなかった手すりが整備されていた。
前述のとおり、雨で濡れていたから滑りそうなので慎重に上る。

浄瑠璃寺から岩船寺まで1.5kmぐらいだけれど、けわしい上りもある、30分程度の道程である。
意外にあっけなく歩き通した。

岩船寺を観るだけなら、車で行けばよかったのかもしれないが、歩けばそれなりのこともある。
(このブログの記事が、2回分になるか、3回分になるかということ)

ということで、明日は岩船寺をとりあげる。

P_20161120_110855_vHDR_Auto-crop.jpg
「石仏の道経由岩船寺」と「岩船寺」の標識

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舗装されている「石仏の道」。沿道の石仏の一つ(右)。

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ウォークラリーの同志社の女子学生。     
   (顔を匿そうとしたら変になった、申し訳ない)
きつい上りは石段になっている。        
まだ小さな子供も登っている。

P_20161120_113339_vHDR_Auto.jpg
岩船寺に到着。


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浄瑠璃寺の紅葉

日曜日、急に思い立って浄瑠璃寺に行くことにした。
すでに、現地からリアルタイムで「浄瑠璃寺ナウ」で、紅葉の映える写真1枚をアップしている。

写真はスマホで250枚余も撮っている。ただ、フィルム・カメラの時にはフィルムがもったいなくてやらなかった、1シーンで複数回シャッターを切っているから、シーンとしてはその半分以下である。それでも、かなりの量を撮っているわけだ。昔のフィルムカメラだったら、フィルム1本で30枚ぐらいしか撮れなかったのだから。

浄瑠璃寺には今までに2度、中学・高校の頃に、行ったことがあると思う。
中学・高校の同級生がJR加茂駅の近くに住んでいて、浄瑠璃寺は彼の地元自慢の古刹なのである。
九体仏と吉祥天女、これがこの寺を特別なものにしているのだが、それはその彼の特別な思い入れでもある。

浄瑠璃寺は名前でも得をしているかもしれない。
なんとも奥ゆかしげなこの名前は、一度聴いたら忘れられない。堀辰雄の随筆の一節に「浄瑠璃寺の春」があり、和辻哲郎「古寺巡礼」でも、浄瑠璃寺の名前が出ると記憶に残る。

この二人の文筆家は奈良から浄瑠璃寺まで歩いたようだが、私がはじめて訪れたときは、件の友人の家、つまりJR加茂駅から歩いた。季節は、はっきりしないが、多分初夏だったと思う。

今回、50年近くの間をおいて訪れるわけだが、自宅から車で約45分。京奈和道を使えばもっと早いだろうが、急ぐ旅でもないので地道を走る。
車で訪れるときの心配事はやはり駐車場。ネットで30台ぐらいの駐車場が参道入り口すぐのところにあることを確認していたが、現地へ行くと、その駐車場以外にもたくさんの駐車場がある。私が到着したのは9:45頃だけれど、その30台の駐車場に、未だ10台程度しか停まっていなかった。帰りには満車だった。

お寺は、本堂には拝観料300円がいるが、フリーで散策できる。
私が着いた頃は、まだ境内に人も少なかったけれど、途中、車で追い越した団体さんが2,3組あって、その人達もしばらくしてやってきた。

大きなカメラ、三脚を持ってきている人も多い。紅葉が目当てであろう。
私はスマートフォンのカメラだけだけど、芸術写真も報道写真にも縁がない。個人的記録である(ブログに使ってるけど)

浄瑠璃寺の本尊は、九体の阿弥陀仏である。だからこの寺の別名は九体寺という。
装飾性は高くない仏様である。たって見回していては本当のお姿を感じることは難しい。前に座って手を合わせると、仏を慈悲を実感できる。
なお、今は九体御揃いだけれど、来年4月から修復のため、毎年2体ぐらいずつ外へ出ることになるそうだ。だから5年ぐらいは、九体が揃った姿は見られなくなる。

そして、九体の仏の主の仏の脇には、吉祥天女。
年3回、特別開扉が行われるが、この日も開扉されていて、お姿を拝むことができた。
前に見たときには、いくら保存状態が良いといっても、時を経て、やはり少しすすけた感じがして、それほどのものかとも思ったけれど、大人になってからあらためて見ると、そういう表面のすすけなどは気にならなくなって、衣のはじまできちんと伸びたお姿に感じ入る。

本堂内は撮影禁止なので、九体仏も吉祥天女も写真は撮っていない。
どちらも有名なものだから、ネットで写真を拾うのはたやすいと思う。そちらをご覧いただきたい。

浄瑠璃寺は京都府にあるが、奈良の観光案内にも載る。
だけれど、浄瑠璃寺の南に奈良市のゴミ処理場が計画されているということで、お寺に計画の撤回を求める署名簿が置かれていた。

「関西花の寺二十五ヶ所」というお寺を案内する取り組みがあるらしく、浄瑠璃寺もその一つになっている。
右に、花の写真もアップしてみた。池のほとり、ちょっとわざとらしいような気もするけれど、やはり目を惹く。さすがに幾何学的な庭園を作るというわけにはゆかないだろう。

このお寺の花といえば、一番有名なのは、堀辰雄のエッセイの影響もあるのだろうか、馬酔木である。
3月には馬酔木が満開になるだろう。
またその頃に来てみたい。


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本堂を臨む。池は梵字の阿字を象るという。

P_20161120_100844_vHDR_Auto.jpg P_20161120_104746_vHDR_Auto.jpg
三重塔。毎月8の日には塔内を観られるらしい。

P_20161120_101208_vHDR_Auto.jpg 20161120103850919.jpg
左は本堂の裏。右は「浄瑠璃寺ナウ」に掲載のもの。

P_20161120_100132_vHDR_Auto.jpg P_20161120_100408_vHDR_Auto.jpg
庭の片隅にある石仏(左)。池の周りの花(右)。

P_20161120_104230_vHDR_Auto.jpg P_20161120_104254_vHDR_Auto.jpg
池のまわりの黄葉とススキ。

P_20161120_104112_vHDR_Auto.jpg P_20161120_104216_vHDR_Auto-crop.jpg
本堂の前。時ならぬ背広姿の団体客に説明をする僧。

P_20161120_103437_vHDR_Auto.jpg P_20161120_103444_vHDR_Auto.jpg
境内には猫が多い。本堂脇の寺務所で。

P_20161120_103605_vHDR_Auto.jpg 境内の隅。ここで一服。




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津波速報

朝、起きたらテレビは繰り返し「つなみ、ひなん」を繰り返していた。
また東北 福島沖で地震。

NHKはずっと「つなみ、ひなん」を繰り返しているので、他局の様子も見てみようと思った。
民放各局も同じように津波の状況と避難の呼びかけを繰り返している。
なかにはコマーシャルを流しながら、それに津波情報を重畳している局もあった。旧UHF系のローカル放送は通常番組のところもあった。
NHK Eテレも総合テレビと同じ放送をしていたのは、ちょっと意外だった。

Yahooの初画面も津波避難を呼びかけるものになっている。

先日、「五年目のひとり」というテレビドラマを見た。
福島で津波にあい、家族・親戚を一度に8人失った男の話である。津波後3年は必死に復興に尽くしていたのが、3年経って、急に精神的に不調になった、そして5年目、まだ精神を病んでいる。そのことが5年も経ってるのにと、周囲から冷たい眼で見られていると感じている。そういう設定だった。

今朝のテレビは、「避難してください、東日本大震災を思い出してください」と繰り返した。

まだ終わらないのか。







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メディア不信

昨日の「浄瑠璃寺ナウ」で詳報はあらためてとしたので、今日、また綺麗な紅葉の写真を期待した人もいるかもしれないけれど、写真の整理に手間取っているので、本日は 時事記事で。

2016-11-18_113536.jpg テレビや新聞などの既存メディアがネットより優れているのは、発信する情報に対する信頼感である、そう思ってきた。
それがタダの「感」でしかないということがあからさまになる事件があった。

報道によると、このテレビ局は、ネットの噂話をパクって番組を作ることが常態化していたという。ど素人でもネット情報を鵜呑みにするような愚はおかさないというのに。

もっとも、マス・メディアは政府に統制されているから、本当の情報はネットにしかないという国もあるらしい。

日本はマス・メディアは自己規制していて、やっぱり本当の情報はネットにしかないといわれるかもしれない。


「犬が人を噛んだ」ではニュースにならないが、「人が犬を噛んだ」らニュースになるとは、よく言われる話。「大蛇が10人もの人間を食べた」が誤報で、本当は「10人で大蛇を食べた」だったという話も聞いたことがある。

特殊ケースだからニュースになるわけだが、報道されることで、特殊ケースがよくあることと誤解される場合もある。
たとえば生活保護の不正受給が頻りに取り上げられたことがあるが、不正受給の割合を同時に報道している例は、寡聞にして知らない。実際には不正受給の割合は決して高くないそうだが、不正受給者が多いからこの制度は間違いだという輿論が起こる。

また、こんなことも聞いたおぼえがある。

阪神淡路大震災の時のこと、ある市の避難所が閉鎖されるという根拠のない話がウラもとらずに報道され、それに怒った市民が市にクレームをつけた。市はもともと閉鎖の予定がないわけで避難所を継続しているが、放送局側は、報道の力で避難所が継続されたと伝えたという。

仕事上、眼を惹く報道があっても鵜呑みにせず、ソースに確認することを心がけるように指導されていたが、日常生活で、そこまですることは難しい。

マス・メディアの良識や責任感は既に地に落ちていると思うが、かといって、他に頼れるところも思い当たらない。

初めにもどるけれど、今でもネットを検索すると、田中マー君がトランプ・ワールド・タワーに住んでいるという情報が沢山出てくる。最初の発信源がどこなのかわからないが、それをもとに面白おかしく記事が書かれているようだ。そして、これだけたくさん検索でひっかかると、さも真実であるかのように思える。

しかし、これって私だけのことではないと思う。
あちこちで起こっている革命や反体制運動というのは、真実か、ためにする虚偽なのか、それらがないまぜになったネット情報の力ということもある。

昔は、というか今でも、革命やクーデターのときは、放送局を真っ先に占拠してたけど、今ではネットを抑えるのはそう簡単ではないだろう。もっとも完全ではないにしろ、国内へのインターネットの入り口を抑える国もあるようだが。


人類は、自分の手にあまるネット(ネット知能)という化け物を生み出している。
幽霊を見るのと同じように、幽霊がネットをうろついている。

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浄瑠璃寺ナウ

今日は浄瑠璃寺。



詳報はあらためて。

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「万葉集―隠された歴史のメッセージ」(続き)

時事の話題を優先したり、休刊日があったりしたので、続けて書くつもりだったのが、随分遅くなった。
"万葉集一番歌「籠もよ み籠持ち」の作者は雄略天皇ではない"の続き。

時代代表歌人
巻一原撰部
(巻一の前半)
持統・文武額田王
巻一、巻二元明柿本人麻呂
巻三~巻十六聖武山上憶良
巻十七~巻二十光仁大伴家持
小川靖彦「万葉集―隠された歴史のメッセージ」について、前の記事で「私には新鮮」と書いたけれど、この本の内容について少し具体的に補足する。
万葉集は全20巻であるが、一度に成立したものではないという。このことは、著者が初めて言ったわけではなく、平安期から既に定説となっていたものである。
本書の著者は、その理由・経緯を次のように説明する。

《目次》
 
第一章『万葉集』という「書物」
──「やまと歌」による〈歴史〉の創造
「書物」としての『万葉集』
皇統の《始祖》──一番歌・雄略御製
満ち足りた実りの国──二番歌・舒明御製
歴史上の舒明天皇
天皇による統治の完成への歩み
藤原宮の主・文武天皇
巻子本であった『万葉集』
成長する「書物」・『万葉集』
 
第二章万葉歌人たちの詩の技法
額田王の〈媚態(コケットリー)〉
柿本人麻呂の想像力
山上憶良の悟り得ぬ心
大伴家持の孤独
作者未詳歌の輝き
 
第三章漢字に託す心
──漢字で書かれた「やまと歌」
巻一の書記法──記憶に支えられた大胆な表記
『万葉集』の《文字法》
漢字から「かな」へ
 
第四章万葉集古写本の世界
 
まず、巻一の53番歌あたりまでが最初に編まれた(原撰部)。これは持統天皇の正統性を主張することが目的であるという。そもそも万葉集の編纂は持統天皇の意志による。
ついで、巻一の残り、持統後継である。
そして巻二は、藤原氏の特権性を印象付ける目的だとする。
ここまでは、政治的である。
そして、巻三からは大きく編集方針が変わる。
巻十七~巻二十は、大伴家の私家集の性格があるという。
つまり、それぞれ編纂目的があって、順に増補されてきたものである。

異なる目的であったにもかかわらず「万葉集」として増補されてきたのは、既に権威として確立していたからだろう。とりわけ巻二が藤原氏を持ち上げるものとするなら、権威を利用する姿勢というのは、いかにも藤原氏らしい。

そこで不思議に思うのが、大伴家の私家集という説である。
大伴氏は、周知のとおり、古くからの武門の家系だけれど、奈良時代末には没落する。藤原氏との権力争いに敗れたわけだ。
大伴家持は、歌人である前に、政治家であったのではないか。
その私家集がなぜ万葉集に、紛れるどころか堂々と入っているのだろう。
そんなに読み込んでいるわけではないけれど、家持の歌に直接的に藤原氏を悪く言うようなものはないのではないか。

あらためて、茂吉「万葉秀歌」でも、そういう眼で読み直してみようか。

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給食中止の撤回

2016-11-15_152853.jpg

三重県鈴鹿市の給食中止で市長が方針表明

 三重県鈴鹿市が、野菜価格の高騰を理由に、市立の幼稚園と小学校の給食を2日間中止にするとし、その後撤回した問題で、市は、15日、中止を回避する分を防災訓練の炊き出しなどで、対応する方針を示しました。
 「2回削減した給食のうち、1回分は実施することとし、もう1回は、災害時の訓練を兼ねた炊き出しを行い、備蓄食と合わせて給食の替わりとして提供します」(鈴鹿市  玉川登美男教育長)
 鈴鹿市の末松則子市長は、15日、給食中止の回避策として、1日分を防災訓練での炊き出しなどを行い、もう1日分は献立を変更し、食材費を抑えることで対応する方針を示しました。
 市の教育委員会は、先月、野菜価格の高騰を理由に、市立の全ての小学校と幼稚園で、来月20日と来年1月12日の2日間給食の中止を決めましたが、市長がすぐに撤回を表明しました。
 防災訓練は、来年3月10日に実施し、費用は公費で負担する考えで、市は、今月中に結論を出したいとしています。

CBCテレビ

■発端の記事
 【野菜高騰で給食中止 鈴鹿市、今冬に2日間(中日新聞)】
食材の値上がりで学校給食が提供できないという問題、市の教育委員会が中止を決定し、即座に市長が撤回するとしていたが、このほど、その対応方法が発表された。

もともと2日分の中止を予定していたところ、1日は献立を変更して食材費を抑え、もう1日分は防災訓練の炊き出し(備蓄?)で対応するのだそうだ。
とりあえず、これで学校給食の中止は回避されたわけだ。

このところ野菜が高騰しているようで、家人が行っているグループ購入の注文書には、「価格が高騰していて注文時の価格で納品できない場合は、注文に応じられない場合がある」という但し書きが入っているそうだ。

それはそうとして、最初に給食中止の報に接した時に、そんなことができるんだろうか、と疑問に思った。
学校給食というのは、市から補助も出ているだろうけれど、保護者も給食費として負担していると思う。

そうなら、給食というのは、学校、というか教育委員会と保護者の間の契約、一定の負担をすれば期間中の給食が提供されるという契約なんじゃないだろうか。それが、原材料費高騰により、提供できませんで理屈が通るんだろうか。

先日、地元の文化祭のことを記事にしたけれど、このとき地元農家の協力でナスを無料配布する予定になっていたのだけれど、天候不順ということでそれができなくなった。しかしナスの引換券は既に各戸に配布してしまっているから、何も出さないというわけにはいかない。しかたがないので、自治会予算(自治会費は毎年度繰越金が出るぐらい余裕がある)でタマネギ、ジャガイモを購入して、ナスの代わりに配布することにした。

こんな話も思い出した。
ある事業所では、学生対象のイベントを実施、プログラムでは合宿も予定されていたが、台風接近のため合宿を中止した。相当する内容は別途実施したが、予定していた飯盒炊爨は中止となった。合宿施設は食材は用意済なのでその分のキャンセル料が発生する。

さて、一方の参加者側は、予定通りのプログラムを受けていない。本社では「一旦納入された参加料は返金しない」という一文があるし、キャンセル料に充当し、返金する必要はないと言う。
営業所側は、その一文は参加者都合というのが当然の前提で、主催者都合の場合にはあてはまらないと判断、本社の指示には従わなかった。本社は、キャンセル料は持ち出しになるから、監査で不適正支出と指摘されても責任は負わないと言うので、問題になったら所長・次長が私費で弁済すると押しきった。

監査で問題になるより、返金しなかったときのクレームのほうが大きな問題になるだろうし、まともな監査人なら、実費徴収しておきながら、サービスを提供せず相当額を返金しないことが不適正と判断すると思うのだけれど、読者諸賢のお考えは如何。


子供たちがかわいそうとか、親の負担が、とか、そういう意見があったことは想像に難くないけれど、そもそも法的に問題がないのかという議論はあったのだろうか。
今回は市長の決断で丸くおさまったようで、これはこれで良かったと思うけれど。

この記事を書いていて、アップせずに寝かしていたところ、フォロー記事があった。
市会議員の問題意識は私とは違うようだが、行政ではそれがアタリマエなんだろうか。

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防犯(寒)パトロール

P_20161116_200322_NT.jpg 昨夜は、立待の月もあがった午後8時、定例の町内防犯パトロール。

前日までは暖かかったが、冬の寒さにまた近づいた。
仕事帰りのカッターシャツに、ベストと厚めのフリースで寒さ対策。その上に防犯パトロールの蛍光ジャケットといういでたち。

暗い上に歩きながらなので、写真がうまく撮れない。


前々回までは、駅近くの交番からスタートしていたが、前回からは公民館を起点に、45分ぐらいの巡回。
住宅街で特に行きかう人もなく、世間話をしながら、つまり緊張感のないウォーキング。

ポケモンの卵を孵そうとしたのだけれど、途中で停止したようで、1.2kmしか進んでいなかった。


寒さはそう感じなかったけれど、帰って風呂に入ると、体が冷えていることが実感される。
お風呂を自動保温にしていたら、何度か加熱がはじまったことで、客観的にもそれがわかる。

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スーパー十六夜

P_20161115_202407_NT.jpg 一昨日はスーパームーンで、テレビでは青森あたりで見える月を放送していたけれど、うちのあたりでは、雨雲に覆われて、その姿を拝めなかった。

で、昨夜は旧暦10月16日、十六夜。
スーパームーンというのは、月と地球の距離が近いときを言うわけだから、1日経ったからといって、その距離が急に遠くなるわけではないから、スーパー十六夜といっても良いんじゃないだろうか。

というか、月齢に関係なく、地球に一番接近した月を特別視するのもアリかもしれない。
月は潮汐を引き起こす原因で、それに相当する運動エネルギーを失うことで、月の軌道が次第に地球から遠ざかる。
そういえば、昔、月との距離を精確に測定するといった目的で、アポロ宇宙船が月にレーザー反射板を設置したけれど、あれは今でも使われているんだろうか。


写真は家から、スマホ(ZenFone3)で撮ったもの。
去年のスーパームーンは、ズームのついたデジカメで撮影しているけれど、今回アップしたのはナイト・モードで撮ってトリミングしたもの。
他に、ローライトやHDRでも撮ったけれど、これが一番見た感じに近い。それに、天体写真ならいざ知らず、日常のスナップとしては家並が写っているほうが良いだろう。

今夜は立待の月。

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過労死と電通「鬼十則」

s_ice_screenshot_20161107-110222.jpeg 電通社員の過労死(自殺)がクローズアップされている。
一言で言えば、酷い会社である。あまりにも前近代的で、労働生産性の低い、効率の悪い最低の企業である。
苛酷な労働というが、無駄に苛酷、つまり苛酷さが自己目的化していたのでは。言い換えれば、全社イジメ体質だったのでは。

この会社は、仕事の成果と投入する労働の関連について、何の分析・評価もせず、生産性の低さに問題意識を持っていなかったに違いない。
およそ、科学的経営ということを知らない田舎企業と言われてもしかたがない。
それを見直す機会は、いくらでもあったはずである。まして、この会社は二十数年前にも社員の過労死自殺を起している。
それをしなかったのは、仕事というのは厳しいものだという観念に凝り固まり、厳しいということに安住、自己満足していたからではないだろうか。

十数年前、私も所属課の人事担当を仰せつかったことがある。
課員の異動、勤怠管理、健康管理、セクハラ相談(だれも相談にこなかった)など。

人事担当になると、いろんな研修を受けさせられる。
健康管理、とくにメンタルヘルスや過労死問題もテーマになっていた。
過労死問題の研修では、当時でも既に、過労死認定があれば補償は1億円を超える時代になったということが解説されていて、その兆候に早く気付くことが人事担当には求められていた。
もちろん私がいた職場でも、残業の多い職員は結構いたけれど、過重労働という問題にまではなっていなかった(メンタル面でちょっとというのはあったけれど)。

こういう労働安全衛生について考える機会が与えられたなら、成果の上がる働き方を追求するのが真っ当な会社というものである。

 電通鬼十則
 一、仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない。
 二、仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。
 三、大きな仕事と取り組め、小さな仕事はおのれを小さくする。
 四、難しい仕事を狙え、そしてこれを成し遂げるところに進歩がある。
 五、取り組んだら放すな、殺されても放すな、目的完遂までは……。
 六、周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。
 七、計画を持て、長期の計画を持っていれば、忍耐と工夫と、そして正しい努力と希望が生まれる。
 八、自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない。
 九、頭は常に全回転、八方に気を配って、一分の隙もあってはならぬ、サービスとはそのようなものだ。
 十、摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ、でないと君は卑屈未練になる。
ところで、この事件に関連して、有名な電通の「鬼十則」についても、厳しいルールだという取り上げ方がされている。この「鬼十則」は、私が前いた会社でも良く知られていて、ある人は厳しいルールだという評価をしていたけれど、また別の評価もあった。
たとえば、

  • 「仕事は自ら創る」というのは、押し付けられた仕事より、自分がやりたいことをやる方が楽しいと考える。
  • 「先手先手」というのは、守りに入るより、攻めるほうが、主導権を持てる分、負担が少ない、という意味。
  • 「周囲を引きずり回せ」というのは、何でも自分でやらず、他人の力をうまく使って成果を上げるという意味。

「鬼」とついているから厳しいように感じるけれど、こう考えれば、仕事を楽しく、少ない負担で成果をあげるという意味にもとれる。

そもそも、頭脳労働というか知識労働というのは、時間に縛られるようなものではない。若い頃、上司から、「24時間考えろ」と言われて、「それじゃ寝る時間ありませんよ」と抗弁したら、「夢の中でも考えるんや」と言われた覚えがある。
また、あるとき、六二郎さんはいったいいつ仕事をしてるんやと言われたこともある。職場では本を読んだり、馬鹿話をしたりしていて、普段、手を動かしている時間が少なかった(「雑用」もそれなりにあったけれど)。もちろん、要所要所の企画書や意思決定資料はきちんと用意したし、年度末などには報告書一冊をきちんと書き上げていたわけだけれど。

どんな仕事でもそうだというつもりはないけれど、たとえば、何か企画をまとめようというときは、手を動かす時間はそう多くない。企画書というのは簡潔・明瞭にまとめられているべきで、短いほうが良いものである。問題は、ビジョンをどう熟成させるかであり、時間をかければ、まして残業すれば出来るものではない。それに至るまでに、それを根拠づけたり、補強するための資料収集と、利害関係者の理解など、手順はいろいろあるけれど。

なにより、これらの作業こそ、チームでやるもの。私は書き手役が多くて、関係者を説得(強請)するのは上司にまかせたし、資料の収集や整理は周囲が気を利かせていた。

そして、ああでもない、こうでもないとぐるぐる頭の中を回っている間に、考えが練れてきて、ビジョンが固まる、そういうものではないだろうか。

資料作成では、ドラフトができるまでが勝負であって、それができたら、あとは頭脳労働というより、職人仕事になる。そして、これはある程度、時間でも測れる仕事になる。ここまでくれば、経験の浅い社員でも十分できるし、優秀な人材なら、ここに至るまでの過程からノウハウを身に付けることもできると思う。

この会社は、効率的に成果をあげるだけのノウハウを社内で共有できていないのか。
日本の時間あたり労働生産性は先進国中でも最低ランクである。これは同じ成果を出すのにかける労働時間数が多すぎるからだ。おそらく、一人当たりの産出は他国より多いぐらいなんだろうけど、それにかける労働時間が多すぎるのだ。

この社員は「きみの残業時間はすべて無駄」と言われていたという報道もあったけれど、ただ時間をかけても能率が上がらないから切り替えようとか、ビジョンを組み替えたり、ヒントを与えたり、そういう指導はできなかったのだろうか。まして経験の浅い社員相手である。
「鬼十則」を本当に深く考えたのだろうか。(私の読みが違うのかもしれないけれど)
同じ金言でも、適用する環境や社員の能力によって、読み方が真逆になってしまう、そういうことかもしれない。

上司・指導する側の能力不足だったんだろう、そんな奴がエラそうに言うな。
失われた命の重さをきちんと受け止めて、繰り返されないことを祈る。

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松方コレクション展

P_20161112_124410.jpg 休刊日をはさんだのでアップが遅くなったが、一昨日の神戸行きの主目的は、神戸市立博物館で開催の「松方コレクション展」。

特に目当ての作品があるわけではなくて、これもやっぱり行き所のない老人の暇つぶしである。

そして、単刀直入に感想をいうと、特別感動する作品というのはなかった。

そのなかで、敢えてこれはというのを挙げると、モネの「ヴェトイユ」という、お城を中心にして、セーヌに面した小さな村を描いた作品(画像右下、ネットから)。
0001570003L.jpg 城に当たる光、水面に映る影、いかにも印象派というタッチというか、色づかい。さすがにモネである。色を決めて塗るようなことはしない。

さて、コレクションとしてである。
正直、何かを集めたというものではなくて、手あたり次第という感じがする。
音声ガイドでは、たびたび「松方コレクションは手あたり次第に買い集めたという評価がなされるが、先進的な作品を選んでもいる。そのことは作品が訴えている。」というようなことを言っていたが、やっぱり手当たり次第に買い集めた中に先進的な作品があったということでしかないかもしれない。

それが悪いと言っているのではない。
松方幸次郎の時代に、西洋文化をまるごと日本に持ってこようとしたなら、そうならざるを得ないと思う。ソファなどの家具も買い集めて博物館に展示するつもりだったという話もあり、それらも展示されていた。

聞くところでは、蒐集家としても知られる某宗教団体のトップのN氏は、昭和のはじめ、帝大の学生として東京で暮らしていたときに、神田の古書店などで大量の古書・古筆を買い集めていた。それらは今では、その宗教団体が設立した図書館に集められていて、さまざまな研究や歴史番組などの資料として参照されている。
「もう少し選んで買ったらどうか」と意見した人がいたらしいが、N氏は「向こうも商売、良いものだけ選んで買ったのでは困るだろう。それに、そうやって買うから、滅多に出てこない貴重なものも手に入るというものだ」と答えたそうだ。ノブレス・オブリージュにも通ずるものである。

ちなみにN氏は、帝大の学友を教団の要職に引き入れて、教義・教団組織を整備しているという。人間も蒐集したわけだ、こちらはしっかり選んだものだろう。


倉敷の大原美術館に行くと、美術の教科書に載っている名品がたくさんある。
だが、これは名品を買い集めたというよりも、教科書に載せる作品の写真を撮るのに、国内にある美術館だと撮りやすかったからだと聞いたことがある。
教科書に載るような名品が大原美術館にあるということではなく、大原美術館に所蔵されている作品だから教科書に載った、そしてわれわれは、それを教科書にも載るほどの名作だと思うわけである。

そういえば百人一首も、歌人の代表歌となるものばかりが選ばれているのではなく、むしろ百人一首に含まれているから名歌とされているものもあるという。


コレクションというのはなかなか一筋縄でいかないものらしい。

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休刊日

本日は月例の休刊日。 kankore_kongo.jpg
rokujirorw.gif
珍之助さまご提供の画像に、六二郎プラス
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今日は神戸

今日は神戸。

家から神戸三宮までは一本の電車もあるのだが、T西線E老江で、H神線(N田)に乗換。(こっちの方がだいぶ安い)



H神A崎で快速に乗換。
ホームに停車中の列車の中を通って移動。



<中略>

ランチは神戸っぱいところで。



スープ(orサラダ)、パスタ(2種)、ケーキ、コーヒー(or紅茶)のセットで、¥1600(or \1400、パスタによる)。
悪くない。



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今日は良い天気

今日は良い天気。
仕事を休んで家人の付き合い。

三ヶ月ごとにここへ。



13:00の予約だが、時間通りになったことがない。
今、13:30過ぎ。未だ呼ばれない。



14:22、ようやく呼ばれた。

30分で処置終了。また3ヵ月後。

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米大統領選

2016-11-09_164316.jpg 米国大統領選挙で、おおかたの予想とは異なり、トランプ氏が勝利。
このニュースも記録のために記事にすることにした。

図は、おそらくウィスコンシンでトランプが勝利して、選挙人の過半数を押さえたときのもの。


正直、私もこの結果には驚いた。
今年は、"Brexit"でも、おおかたの予想に違う結果が出て、大騒ぎになった。なんだか、国際政治の曲がり角のような気がする。

米国民はとにかく、なんでも良いから、現状が変わってほしいと考える人が、今では多数派になったということだろう(日本でも、同じような状態にあると思う)。
冷静な政策議論なんてどこにもなくて、とにかく破壊したいという判断。民主主義の行き着くところ、ハーメルンの笛吹きについていくところになるのかも。

米国がどうなろうと知ったこっちゃない、というわけにはいかない。
「アメリカがくしゃみをすると、日本が風邪をひく」というのは、かつての日米関係で言われたことだけれど、グローバル化(アメリカ・スタンダード化)が進む世界では、アメリカがくしゃみをすると、世界が風邪になってもおかしくないように思う。

クリントン氏が大統領になった場合は、多くの政策がオバマ大統領時代を引き継ぐと考えられていたが、トランプ氏の場合はどうなるのかまったく予測がつかない。そのため、株・為替の動きがあやしくなっている。一日たって、ニューヨークは株高になっているようだが、ドル安は変わらないようだ。
どうなるかわからないなら、動かなければ良さそうなものだと思うのだけれど、やっぱり賭け事というのは、座が乱れたときに勝負をかける人が出てくるわけだ。

私のような年金受給者(減額されているけれど)にとっても、基金が株式などのリスク資産で運用される割合が拡大しているから、他人事とは思えない。

年金基金の莫大なお金を動かして、株式を買い支えてアベノミクスの予言を自己成就し、政府を支える政策。結果、投機筋のリスク、さらに実損も負担。


何より心配なのは、トランプ大統領は、日本は安全保障タダ乗りなどと言っているから、軍事・外交でも、どんなことになるやら。
そして、それに対する日本政府の対応能力を信用してよいものか。

期待もある。
トランプ氏は、アメリカの製造業を守るといっている。それならば、金融の世界で、「カジノ資本主義」をリードしてきたアメリカン・スタンダードを是正すべきだ。実体経済を大事にしてもらいたい。しかし、実体経済といっても、現在の世界では、Google、AmazonをはじめとするIT企業がアメリカを支えているわけだから、かつての保護主義をとろうとしても、それは無理な算段ではないだろうか。

ただ、「アメリカを偉大な国にする」という心情は、今まで以上に、アメリカン・スタンダードがグローバル・スタンダードだという、強い態度に繋がるかもしれない。

ところで、今回の選挙で選ばれたトランプ支持州の選挙人が、トランプ氏じゃなくて、クリントン氏に投票するなんてことはないんでしょうね。

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こりゃたまげた

201611080021_000.jpg びっくりした。
多くのブロガーがとりあげるだろうけど、ブログは日記的要素もあるから、記録のために私もとりあげることにした。

昨日の朝、福岡市の駅前の大きな通りが、30m×30mにわたって陥没した。
地下鉄工事をしていて、そのトンネルに向けて、上部の土砂が崩れ落ちたということらしい。

テレビで地盤工学の専門家という人が説明していたが、福岡市のこのあたりは、地層が複雑で、地表面は平に見えても、岩盤は山あり谷ありになっていたり、曲がっていたりするのだそうだ。だから、岩盤部分を掘り進んでいるつもりでも、谷やクラックにあたればこういうことが起きるらしい。
福岡市の地下鉄工事では、過去にも同種の事故が起こっているというが、それも同じ状況だったのだろう。

専門家は、こうした地盤の状況は調査してもわからない可能性も高いとも説明していたが、この事故では、すでに小さいトンネルは通っていて、それを拡げる工事をしていたというから、素人考えかもしれないが、その小さいトンネル内から上部地層を調べるようなことはできなかったのだろうか。過去にも事故を起しているわけだから、通常以上の慎重さが要求されると思う。

山を削った造成地では、もともとの谷筋、水道があると、そこに土を入れても陥没してしまう危険があるという。なかなか難しいものだ。

復旧に向けて特殊なセメントを流し込むという話だけれど、またまた素人考えたけれど、せっかく地下に開いた孔である、いっそ地下利用でも考えてはどうだろう。地下の空洞って、今のはやりだし。

今回の事故は早朝であったこと、工事担当者が危険を察知して、すみやかに道路封鎖したので、停電で転んだ人がいたそうだがそれを除けば、けが人などは、なかったという。もちろん工事の人も避難したわけである。
迅速な判断はほめられて良いと思う。

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万葉集一番歌「籠もよ み籠持ち」の作者は雄略天皇ではない

P_20161015_113617.jpg 小川靖彦「万葉集―隠された歴史のメッセージ」について。

「万葉集」は読んでみたいと思い、そしていくばくかはトライもしてきた歌集である。

中学3年ぐらいのときだろうか、解説書を買い求めた覚えがある。
家には岩波の日本古典文学大系の万葉集(1~4)を飾ってある(もちろんこうした専門的な本がきちんと読めるわけではない)。
斎藤茂吉「万葉秀歌」は、随分前に紙の本でも読んでいるが、青空文庫に収録されていることに気づいて、おそらく電子書籍として一冊を読み通した最初の本だと思う(今はKindleでも配信されているから、こちらを使っている)。

思えば、今までの読みは「日本人の心のふるさと」というような淡い、曖昧な憧れだったと思う。
P_20161015_113507.jpg 前掲の解説書も、歌の鑑賞が主であり、その理解のために、詠まれた時の状況や作者の説明といったものが付随する。

例示するなら、一番歌「籠もよ み籠持ち」は、歌のリズム、当時の習俗(家聞かな 告らさね)、雄略天皇は倭王武(ワカタケル)であり、王者らしい力強い言葉(おしなべてわれこそ居れ)を味わうという読み方である。

あるいは、万葉仮名や戯訓(戯書)の話とか、仮名文字ができる前のことを少し。

そんな読みをしていることについて、とくに疑問に思ったことはなかった。

manyoshu_hidden_message.jpg 小川靖彦「万葉集―隠された歴史のメッセージ」は、そういう貧しい鑑賞者に、新しい眼でこの歌集を見ることを教えてくれる。
副題には「歴史のメッセージ」とあるが、これは喩えとかではなく、著者は明確かつ直截に政治的メッセージを読み取る。そして、その読みこそ当時の人々に共有されていたものだろうとする。

「隠されたメッセージ」ではなくて、現代の和歌鑑賞者の眼からは隠れていた、忘れられていたということだろう。


ぐだぐだ能書きばかり垂れたけれど、たとえばこういうことである。

一番歌「籠もよ み籠持ち」の作者は雄略天皇ではない。

雄略天皇の歌として素朴に鑑賞する者としては、これは虚をつかれた感がある。
虚仮おどしの好きな作家が書くなら、これを本のタイトルにしたのではないだろうか。

いきなりそう書かれたら衝撃的(なのでこの記事のタイトルとさせてもらったし、上では朱書き)だが、誠実な研究者と思しき著者は、そんな読者を驚かせようという悪趣味はお持ちではなく、こういう書き出しをするわけでも、このような断定的な表現をとるわけでもない。
この主張は、諄々と万葉集の成立過程を解き明かすなかで、なるほどと納得させられる形で提示される。
なお、誰が作ったかは措いて、雄略天皇が詠ったものとして読むことが、鑑賞上は適切であることはいうまでもないし、そう読まれることこそが、万葉集編纂者の意図なのである。

本書は、前述のような歌の鑑賞や、「我が国最古の歌集である」式の受験知識の水準ではなくて、万葉集の成立の動機、編集意図というものを解き明かそうとしている。
とりわけ興味深いのは、巻一原撰部、巻一および巻二の成立に関しての部分である。

P_20161015_113121.jpg 上述の「一番歌の作者は雄略天皇ではない」については、本当の作者が誰であるかの問題ではなく、根拠があやしいというだけでなく、編集意図を考えれば、一番歌の作者を雄略天皇とすることに意義があったという論述がされている。

二番歌は、舒明天皇御製「大和には 郡山あれど……」(おそらくこれも舒明天皇作ではない)である。
この2人の天皇の間にはかなりの年代差がある、なぜ雄略の次が舒明になるのか、なぜ推古ではいけないのか……
そうしたことに疑問をもち、そこを起点に、万葉集の編纂目的、編集者の意図を、緻密に読み解いている。

その世界では周知のことなのかもしれないが、不勉強な私には、とても新鮮な本なのである。

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自治会の懇親会

IMG_20161106_162921.jpg 昨日は、自治会の役員・班長の懇親会。

参加者は26名、半分ぐらいの出席率というところ。

会費1000円だけれど、どうみても1000円では済んでいない。
写真には未だ写ってないが、酒類が大量にあったから、倍ぐらいかかってるんじゃないだろうか。






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DMを黙らせる

2016-11-05_232937-crop.png スマホに届くダイレクト・メールがうるさいので、選択的に通知をオフにした。
同じことを考えている人もいると思うので、参考になれば。

キャリア(MNO)スマホを使っていたときは、携帯へのメールはキャリアのメールは通知をオンにしていて、他のインターネット・メールは通知をオフにしていた。

しかし、スマホをMVNOに変えて、メールはSMSもあるけれど、Gmailを基本に使うことにしたので、メール着信通知はやはりあった方が良い。
私などはメールは多少読むのが遅れても良いと考えているのだけれど、なかにはすぐに読んで、すぐに返せという人もいるので、少々の遅延はあっても数時間以内に必要な返信はしなければならない。
2016-11-05_233006-crop.png

複数のメールアドレスを持っているけれど、Outlookだけで扱うことにしている職場のメール以外は、Gmailに統合している。そうするとGmail以外のメールは、Googleが検索してくれるが、そのタイミングは数十分ぐらい遅れることが多い。


ガラケーやキャリア・メールなどは、連絡先(またはグループ)ごとに着信を設定できるものが多いから、Gmailも同じようにしようと思ったけれど、そもそもダイレクト・メールの発信者を連絡先に登録しようとは思わないし、連絡先もGoogleのものを使っていて、ラベルは付いても分類するわけではない(分類とは、ディスジョイントな部分に分けるという意味で使っている)。

2016-11-05_233042-crop.png で、結局、次のようにすることにした。

  1. GmailにDM用のラベルを作る
  2. 届いたDMのメールアドレスの自動振り分けを行って、
    受信トレイをスキップ(アーカイブ)」と
    ラベルを付ける」(DM用のラベル)をチェックして、
    フィルターを作成する。

こうしておくと、DMは自動的にアーカイブされ、受信トレイに入らないから、通知を受信トレイだけにしておけば通知音は鳴らない。さらに、受信トレイにはDMはたまらないので、他のメールと紛れない。そしてDMラベルのところには届いたDMが残っているから、暇なときにチェックすればよい。

はじめは未登録のダイレクト・メールが届いて通知音が鳴るけれど、これはしかたがない。しばらくこの操作を続ければ、そのうちひとあたり登録が終わる。

絶対にいらないメールなら、フィルター作成時に「削除」にチェックしておけば良い。


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音でHDDを破壊

2016-10-28_130110.jpg 「日経コンピュータ」に驚きの記事が出ていた。

同記事によると、「ライブ会場でHDDビデオレコーダーがよく壊れる」という話があって、それを聞いたデータセンターを運営している会社の人が「音環境が精密機器に与える影響に関する考察」という論文で警告していたという。
「130デシベルの騒音レベルであれば、HDDを故障させる力を十分に秘めている」そうだ。

カードやATMが10時間使えず
消火設備の大音量でHDDが故障

2016年9月にING銀行のデータセンターで大規模障害が発生した。原因は、ガス消火設備の定期試験で発生した大音量の噴射音。サーバーのHDDが破損した。これに伴い、カードやATM、インターネットバンキングなどが使えなくなった。復旧にも手間取り、障害は約10時間に及ぶ。大音量がHDDを破壊する問題は国内外で以前から指摘されていたが現実のものとなった。

不快な音としては、普段は精神的な印象が強くて、電車の中でヘッドフォンから漏れてくるシャカシャカ音とか、人の怒鳴り声、ガラスを引っ掻く音などなどが気になるけれど、音もエネルギーを伝える波だから、当然、物理的作用がある。

大昔、「SFマガジン」に、眉唾物かもしれないが、フランス陸軍が開発中の殺人兵器(7Hzだかの超低周波音を放射する)というのが紹介されていたことも思い出す。
そういう殺人音波ではなくて、ちゃんと実用されている音響兵器もある(Wikipedia)

音を照射される側から言えば、大音量で鼓膜が破れるということも実際にあるし、声でグラスを割る(これは共振させてだけれど)こともある。

超音波メスや超音波歯ブラシというのは、ブレードやブラシを超音波域の周波数で振動させるもので、音波の物理作用とは言えない。超音波洗浄機(一時ブームになった超音波洗顔器というのもある)は、空気ではなくて水を振動させるから、こっちは音波の物理作用と言えるかもしれない。


そういえば子供の頃、マンガで実写版TVドラマもあった「少年ジェット」の主人公の必殺技は「ミラクルボイス」、子供たちがまねて「う~、や~、たぁ~」と叫んでいた。
115651787515816546.jpg DesayMiracleVoice.jpg

同じく「ミラクルボイス」といっても、ナタリー・デセイのものとは違う。


HDDが音に弱い、とまでは言えないと思うけれど、これからはデータセンター内に「静粛に!」という貼り紙が出るようになるかもしれない。
だからといって、HDDを全部SSDに換えたら、今度はEMP(電磁パルス)が恐ろしい。

ところで、この号の特集記事は「領収書よ、さらば」となっているけれど、これは白紙の領収書を出すというような時機にマッチして企画されたものではない。念のため。

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マリー・ローランサン展

Laurencin_flyer2.jpg Laurencin_flyer1.jpg 昨日、京都での食事の後、特に予定もないので、ぶらっと駅の美術館へ。

マリー・ローランサン展
この画家については、特徴的な絵なので、名前は知っているものの、生で見たことはなかったように思うので、一度見てみようと思った。

客はあまり多くなく、ゆっくり見られた。多くの美術展では高齢者が多いように思うけれど、そういうこともない。
いつもこうだったらうれしいのだけれど。

Laurencin_work2.jpg Laurencin_work1.jpg これから行こうという人のために、チラシの表裏、展示作品リストをアップしておく。
(クリックで拡大画像)

傾向として、私が好きな絵というわけではない。ただ、この絵の影響を受けたのじゃないかというデザイナーはたくさんいそうである。

若い頃の絵は確かな腕を感じる。それが、個性を見出すまで、時間的にはそれなりにあったようだが、一旦、スタイルができると、そのスタイルで多く描いたのかなと思う。

さすがに、どの絵もリズムというか、バランスが良い。計算された作品のように思う。
色も、周知のとおり、淡い。それでいて、絵の具の重ね方などは、やはり油絵であって、不思議な深みを感じる。

それにしても、この眼は、子供なら怖いと思うかもしれない。

marie-laurencin-the-reader-1913-trivium-art-history.jpg そういう中で、一番自然に感じたのは、
「読書する女(La liseuse)」である。
右にアップした「読書する女」はネットで拾ったもの。
ネットで見つかる画像はどれもこんな感じだが、色調は本物とは全然違う。こんなに青くない。
この色調だと、女は神経質な感じにも見えるが、もう少し明るく暖かい色調の本物だと、そういう感じはしなかった。なお、原題"La liseuse"は読書灯である。

伏し目で本を読んでいる姿なので、ローランサンのあの黒目がちの眼の絵とは違って、自然な表情を感じたわけだ。
やっぱり、他の多くの絵の、あの眼はデザイン的で、すごく目立つし、印象的なのだけれど、眼としての訴求力、つまり「目は口程に物を言う」という点は薄いというか、意図的に殺しているのではないだろうか。

ところで、この美術館「えき」は、今回はじめて訪れたのだけれど、いつものことなのかどうかわからないが、ICOCAでチケットを買うと割引(1000円→800円)になる。
それなら、入口に自動改札機を置いたらおもしろいのでは。

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今日は京都

今日は京都。



祝日でランチの予約もなかなかとれなかったらしい。
かろうじて、京都駅近くの日本食レストラン。



値段からすれば、当然の味でした。

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「江戸前魚食大全」

61sVWQ4oHHL.jpg 冨岡一成「江戸前魚食大全」について。
別に、豊洲市場問題から、築地の歴史を調べようなどと考えて読んだわけではない。

実際、築地中央市場についてはほとんど触れられていない。
(江戸では市場を整備したのは幕府ではない、公設市場は築地中央市場からである、という程度の説明はある)


Amazonのレビューでも同じような感想を投稿している人がいたが、書名からすると「江戸前寿司」とかの話かと思いそうだが、もちろん、それについても触れられている(第八章)けれど、江戸の魚食について、もっと総合的に、漁、流通、料理、及びそれらの成り至った歴史の全般を取り扱っている。

目次を見ればその拡がりが推察されるだろう。まさに、「大全」であり、江戸の上下の人々と魚の関わりの文化誌というにふさわしい本だと思う。

第一章なぜ江戸だったのか?
江戸前とは何か
自然と人のつくった漁場
江戸の生活からうまれた魚
第二章江戸の始まりから魚河岸ができるまで
江戸の都市づくりと水運の改変
関西漁業の進出
魚河岸の誕生
第三章海に生きた人々
漁業はどのように始まったか
水産業のルーツ
古代・中世の流通ネットワーク
海の上のしきたり
第四章江戸前漁業のシステム
漁村と漁法と流通
江戸時代に漁村がうまれる
江戸沿岸の漁村
江戸前の漁法
江戸の鮮魚流通
第五章賑わう江戸の魚河岸
江戸っ子のルーツを探る
日に千両の商い
幕府御用達の明暗
江戸っ子の見本
第六章日本人と魚食、知られざる歴史
日本人はなぜ魚を食べてきたのか
「食べられない」から生まれた食文化
江戸の魚食、現代の魚食
第七章関東風の味覚はどうつくられたか
魚が劇的にうまくなった理由
江戸の味覚
旬と初物
外食文化の発展
第八章江戸前料理の完成
浅草海苔―真の江戸前―
佃煮―漁民のつくった保存食―
―外食文化のルーツ―
天ぷら―南蛮渡来の江戸前料理―
すし―伝統食のコペルニクス的転回―
第九章楽しみと畏怖、江戸人の水辺空間
水辺に遊ぶ
異界の水際
水辺の信仰
第十章江戸から東京へ、江戸前の終焉
海からやってきたえびす
去りゆく江戸前
江戸前漁業の終焉
付録魚河岸の魚図鑑
文章は平明・簡潔で読みやすい。難を言えば、着眼点に沿って書かれているので、時代が跳ぶことがあることぐらい。そして、それは江戸時代というのが、開府から幕末まで、ひとしなみに語れないということでもある。
たとえば、魚河岸というのは、もとは幕府へ魚を納めるためにできたものだが、中期を過ぎると御用よりも、民間需要が重要になる。

驚くべきことに、本書によれば、幕府は市価の1/10ぐらいの価格で魚を仕入れていたと言う。そして魚屋が魚を隠すとそれを見つけ出して、有無を言わさず安値でとりあげる御用役が置かれるという「進歩」もあり、そして魚河岸と幕府の暴力沙汰まで記録されているとのことだ。

そのことを思えば、今どきの役所が民間の商売にいいようにされて、高い買物をしているという批判が、可笑しくなってくる。江戸の奉行所の方が良かったとでも言うのかな。


本書では、随所に江戸川柳が引用されて、魚にまつわる江戸人の様子を描いている。落語も紹介される。それどころか、江戸以前、日本人の魚とのかかわりについては、万葉集までその範囲は広がる。

こういう該博な知識を、読みやすくまとめている著者は、どんな人なのだろう。
本書裏表紙見返しに次のとおり紹介されている。
冨岡一成(とみおか・かずなり)

1962年東京に生まれる。博物館の展示や企画の仕事を経て、1991年より15年間、築地市場に勤務。「河岸の気風」に惹かれ、聞き取り調査を始める。このときの人との出会いからフィールドワークの醍醐味を知る。仕事の傍ら魚食普及を目的にイベント企画や執筆などを積極的におこなう。実は子どもの頃から生魚が苦手なのに河岸に入ってしまい、少し後悔したが、その後魚好きになったときには辞めていたので、さらに後悔した。江戸の歴史や魚の文化史的な著述が多い。近著に「築地の記憶―人より魚がエライまち」(共著・旬報社)


いわゆる学者・研究者の類でもなければ、文筆業というわけでもないようだ。
著書も本書以外は、写真集のようなものの解説を付けているものしか見当たらない。

本は、何冊も書けば良いというわけではない。
しかし、この著者は、この本の一部を取り出して、適宜、膨らませたりすれば、まだまだ何冊も書けるに違いない。
そのぐらい、見事な本に仕上がっていると思う。

真摯に仕事に取り組み、そしてそれを楽しみ、そこから興味を広げていけば、こういう本が書けるんだろうか。

tomioka_tsukiji.jpg そうそう、ネットでこの著者名でググると、“あと半年で閉鎖、「築地市場」に行くべき理由~「人より魚がエライまち」の懐は実に広かった”という記事が見つかった。
豊洲でも、このように親しみと誇りを持った本が書かれるだろうか。







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韓国の政治スキャンダル

slide_506656_7085660_free.jpg 韓国で朴槿恵大統領が、国家機密情報を友人に提供していたということが、大きなスキャンダルになっている。
また、大統領との関係をバックに、傘下の財団や個人的に利益を受けていたとか、子供の不正入学というようなことも言われているようだ。

この後者についてはともかく、前者の情報「漏洩」については、そこまで大きな問題になるのかなという感じもする。

もちろん報道の、それもごく一部の上っ面だけで、詳しいことは全くわからないから、私の感覚が正しいというつもりはまったくない。
ただ、大統領が人生で頼りにしていた友人に、政治向きのことも相談するということは、あって不思議じゃないように思うだけだ。

日本でも、権力者が、自分の友人や、公職についていない有力者・有識者にいろいろ相談することは、十分ありそうで、その際、ある程度の内部事情をあかすことが全くないとも思えない。

朴槿恵大統領の場合は、友人が全くの民間人で公職についていないということが問題視されているのかもしれない。公職についていない以上、守秘義務で縛ることができないということかもしれない。
かといって、その友人を顧問だとか政策秘書だとかに着けようとしたら、縁故採用だと指弾されたかもしれないが。

トップがかわったら気心のしれた秘書や、自分の意見に沿う顧問やコンサルを使う。米国はそれが政治の常道で、スタッフ総入替もある。

公職採用で問題が起こるのは異性関係がからんだときぐらい(好色採用)ではなかろうか。
「妾を秘書にしたら問題だが、秘書を妾にして何が悪い」という話もある。
(やっぱりダメでしょう、後者でもパワー&セクシャル・ハラスメントだったら)


だけど、国家の秘密を他国に売るようなことを確信的に行うような人なら、守秘義務条項があるからといって、それを思いとどまるとも思えない。
実際のところ、どういう実害があったのか、そこは今のところ、わからない。
件の友人は「国民の皆さん、許して下さい。申し訳ありません。死に値する罪を犯しました」と言ったというのだけれど、どのぐらい悪いことをしたんだろうか。

朴槿恵大統領の場合、身近なところに信頼できるスタッフがいなかったのかもしれない。
今まで頼っていた友人を、つい頼りにしたくなっただけなのかもしれない。

もちろん、そんなことでは大統領失格だといわれてもしかたがないのだけれど。


韓国という国は、何か不正や不公正があると、国民は敏感に反応するようだ。
以前、韓国の人に「韓国の学生は反政府デモとか、激しいですね、日本では、学生にそういう政治意識そのものがないように思うので、そこは立派だと思うんですが」と言ったら、否定的な反応があったことを思い出すけれど。

いずれにせよ、大統領に対する韓国民の支持率はついに10%程度まで落ち込んだそうだ。

昔聞いた小咄を一つ。
ナチス政権下のドイツ、ヒトラーは狂っていると街頭演説をしている男がいた。
ゲシュタボがやってきて男は逮捕される。
 「容疑はなんだ! 総統侮辱罪か!」
 「静かにしろ、国家機密漏洩罪だ。」

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