首里城

沖縄、というか琉球に来れば首里城は見ておかなければならない。
もっとも首里城の解説はネットでいくらでも出てくるから、記事は旅の記録として。

旅の最終日、早くホテルを出て、少なくとも2時間は首里城を見ようと思っていたのだけれど、一昨日の「総括」に書いたように、車のキー紛失事件で1時間程度の見学となった。

それすら危ないかと思ったが、タクシーの運転手さんが、1時間ぐらいは見学できます、沖縄で首里城と美ら海水族館はmustです、と仰るので、その提案を受けて。

首里城に近づくと、タクシーは対向困難なぐらい細い裏道に入る。正面に行っても駐車するには裏に回らなければならないからだそうだ。
自分ではとても通る気にならない。
そして、駐車待ちの車の列。タクシーはバスの駐車スペースに駐車、さすが。
自分ではとても停められない。

首里城はテレビでも良く紹介されていたし、2000円札の図案でも有名。もっとも、守礼門は思っていたより小さい。平城京の朱雀門(復元)などをイメージしてはいけない。

実は沖縄に来たら、本土ではあまり流通していない2000円札を手に入れたいと思ったのだけれど、それはかなわなかった。タクシーの運転手に聞くと、沖縄でもこの頃はそんなに流通していないそうだ。それどころか、2000円札は1000円札に替えるという。自動販売機の問題ですかときくと、タクシーの支払などでは、1000円札と間違えることがあるからだという。

首里城は山城、山の上に中心部がある。
脚の悪い連れがいるので、車椅子を借りるわけだが、これを押すのは結構疲れそう。
美ら海水族館で体験済(ホテルの車椅子使用)。
(後で、タクシーの運転手さんに聞いたところでは、美ら海水族館は電動車椅子を貸してくれるで、乗り換える人が多いそうだ。)
というわけだが、首里城では、運転手さんが私が押しますといってくれる。介護タクシーみたい。

正殿の入場は有料なので、運転手の分のチケットも買おうとしたら、タクシーの運転手は名札だけで入場できるように契約してあるから不要とのこと。

正殿は細工は見事だけれど、意外にコンパクト。
中心になる御差床(うさすか、玉座)と、謁見者の距離はかなり近い。これなら荊軻が始皇帝暗殺に失敗したようなことにはならないだろう。

そう思いながら、ぐっと腕を伸ばして御差床の撮影をしていたら、係の女性に注意された、下がってくださいと。
なので、その場で床に膝をつき、御差床に向かって平伏してみせたら、手を叩いて満足そうなご様子であった。

正殿などのある中心部分を出ると、順路は下りとなる。
復元された建物も見ものだけれど、石垣が実に見事である。
沖縄戦では首里城には日本軍の司令部が置かれたというが(そのため貴重な文化財だったが砲撃を受けた)、どの程度修復された結果なのか、美しい石垣だ。

熊本城の石垣も見事で、西南戦争のとき、熊本城が薩摩軍の攻撃に耐えたことで有名だけれど、戦国の城も捨てたものではないという感じである。もっとも実際に近代戦で有効だったかはわからないけど。
また、ここからの眺めも良い。

帰り際、淑順門で野鳥を見かけた。同じ種類を万国津梁館でも見た。
スーサー(イソヒヨドリ)という種で、沖縄では良くみかける鳥らしい。

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首里城への上り口

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正殿

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正殿の模型

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御差床

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なんの儀式だったか失念

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首里城の石垣

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園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

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首里城にいたスーサー(イソヒヨドリ)




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平和祈念公園

3月25日からの沖縄3泊4日旅行について、「編年体」で書いてきたけれど、今日は「紀伝体」というか、「列伝」というか、テーマを絞って感想を書いていきたい。

あまり旅行しない私にとっては記事の回数を稼ぐ大ネタだから、使い尽くしたいというわけ。


第一回目は、「平和祈念公園」および近くの「ひめゆりの塔」。

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P_20170325_165430_vHDR_Auto.jpg 私は沖縄は今回が初めてである。
そして、初めて沖縄を訪れるものとしては、何をおいても平和祈念公園に行くべきだ、できれば、真っ先に訪れて、沖縄観光をするならその後でないと、罰が当たるような気がした。

平和祈念公園は、毎年6月23日の「慰霊の日」に慰霊祭の様子が全国放送されるから、知らない人はいないだろう。
また、「平和の礎」が建設されたのはそう昔ではない1995年(沖縄戦終結50周年)で、このことを伝えるテレビ報道を見て、一度はこれを見ておきたいと思ったことを憶えている。

ただ、残念なことに、今回訪れたときは平和資料館の入館時間は過ぎていたので、慰霊祭が行われる広場、摩文仁の丘、平和の礎を回るだけとなった。(というか、事前調査が足りない、平和資料館の展示内容も良く知らなかった。行って、その規模に驚いた。)

P_20170325_170043_vHDR_Auto-crop.jpg その駆け足でのお参りだけれど、この日は小雨が降っていて肌寒い。また、足の悪い連れも居て、車椅子を借りようと案内所に行こうとしたら、ちょうど、園内を案内するカートが目に入った。雨降りなので、カート全体に透明シートがかぶせられている。大人も小人も100円。
既に客が乗っていて、足の悪い連れはこれに乗ってもらおうと思っていたら、運転手さんが携帯電話をかけて、もう一台呼んでくれた。

P_20170325_170707_vHDR_Auto.jpg 運転手兼ガイドさんが、園内のポイントを案内してくれるわけだが、ここ摩文仁の丘に全国都道府県の慰霊碑が築かれていることは知らなかった。なかには香川県など、慰霊碑を置いていないところもあるが、これは沖縄戦を戦った各都道府県の部隊のなかで、別の地域を主な持ち場とした、つまりそこに戦死者が多い県は、そちらに慰霊碑を建てたからだそうだ。

地図をみると、ひめゆりの塔の向かいに「ひむかいの塔」というのがある。これは宮崎県の人たちの慰霊碑らしい。「ひむかい」は「日向」ということだ。

各県の慰霊碑は、それぞれ県の特色を表した造形がなされている。
雨で、透明シートを通してなので、写真を撮っても綺麗には撮れそうもないので、写真は撮らなかった。
(右にあげた写真は案内所の掲示物を撮影したもの。)
埼玉県の慰霊碑は、鋳物の街・川口(たしか前の東京オリンピックの聖火台もここで作られたのじゃなかったっけ)があることから、鋳物を作るときの炎を表しているとのことであったが、ガイドさんは、みなさんタコの脚かななどと勝手なことを言ってますとのことである。

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私は、親戚縁者に沖縄戦で亡くなった人を知らない。
平和の礎に誰かの名前を探すということはない。
とにかく数の多さに圧倒される。
刻まれた名前一つ一つを、遺体に置き換えたところを想像したら。

この日、何カ所かに花が供えられていた。写真は北海道十勝支庁とある。北海道から来られたのだろうか。

以前、あるテレビ番組を見ていたら、一家全滅で名前のわからない人が、「○○の子」というように刻まれているとのことだった。
民間人も巻き込んだ戦闘の激しさ、厳しさを表している。


P_20170325_165317_vHDR_Auto.jpg 海岸に近いところには、柵がしてあり「きけん立入禁止」とあるのだが、そのときにはここから身を投げた人もいたのだそうだ。

近親者を偲ぶような感傷ではないけれど、事実の重さが伝わる公園、そしてとても綺麗に維持されていることが、これをいつまでも伝えようという人の思いが伝わってくるところだ。

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P_20170325_155434_vHDR_Auto.jpg 那覇空港から平和祈念公園へ行く途中に「ひめゆりの塔」がある。
ついでと言っては問題だと思うけれど、ルートの都合で、こちらへ先にお参りしている。

お腹が空いていたので、食事のできるところ、「ひめゆり会館」というのがあったというのも理由だけど。


私より上の世代なら、吉永小百合主演の映画を知っていると思う。
昔、一度だけテレビで見た覚えがある。たしか白黒の映画で、吉永小百合が健気な鉢巻き姿で頑張っていたような記憶がある。

P_20170325_155823_vHDR_Auto.jpg 戦争はおそろしい、かなしいもの、だけれど、吉永小百合が頑張る姿は、また違うおそろしさを感じるべきなのではないだろうか。
本当におそろしいのは、お国のために働き、そして死ねると喜々としている姿の方じゃないだろうか。

もちろん映画にケチをつける気はない。
平和憲法のもとで、こんなことが繰り返されることはないと国民が考えていた時代なら、健気な吉永小百合の姿に感動する、それは自然で、国民に訴えるところが大きかっただろう。

今は、そういう哀しみが前面に出るだけですまない時代になりつつのあるかもしれない。
戦時中に作られた、喜々として死んでいくような宣伝映画の威力が、身近に感じられるようになりつつあるのではないだろうか。


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沖縄旅行総括

昨日はホテルの朝食までで唐突に記事が終わり、読者は失望したことだろう。 今日は、昨日までの3泊4日の沖縄旅行を、忘れないうちに総括しておくことにする。

  • 3月25日(土)
      IMG_20170325_112625.jpg P_20170325_103617_vHDR_Auto-crop.jpg
    • 10:20 空港リムジンバス、伊丹空港着。春休みで学生グループらしいのが多く手荷物検査が長蛇の列。20分ぐらいかかって手荷物を預ける。空港のラウンジで暫く休憩(ゴールドカードのおかげ)。
    • 11:20 伊丹発(ANA765)。満席。

    • 13:55 那覇着 予定は13:35着、着陸はほぼ定刻だったが、予定の駐機場が空いていないため、20分程度の遅れとなる。 P_20170325_145832_vHDR_Auto.jpg
    • 14:30 高松組2名と合流、1時間前に到着の羽田組4名が借りているレンタカー(エル・グランド)の到着を待つ
    • 14:40 レンタカー到着。一般車送迎ゾーンはいっぱいなので、バス・タクシー・ゾーンに来てもらい、手早く乗車。
      途中、航空自衛隊那覇基地の前を通り過ぎる。

      P_20170325_155434_vHDR_Auto.jpg
    • 15:25 ひめゆりの塔のそばの「ひめゆり会館」で食事(ソーキそば)。
      最近はANAでも機内食は出ないことが多い。てっきり軽食が提供されると思っていたので、絶食状態。

    • 15:50 ひめゆりの塔を参拝。

    • 16:30 続けて、平和祈念公園到着。
      小雨。寒い。
      P_20170325_170037_vHDR_Auto-crop.jpg 足の悪い連れのために車椅子を借りようとしたところ、公園内を案内してくれるカートが目に入ったので、これを利用することにした(大人も小人も一人100円)。
      摩文仁の丘を15分ぐらいで一回り。その後、平和の礎などを参拝。カートの運転手さんにいろいろお話を聞かせてもらえた。

    • 17:15 平和祈念公園を出発。高速経由でホテル(ザ・ブセナテラス)へ向かう。

      P_20170325_200815_vHDR_Auto.jpg P_20170325_183637_vHDR_Auto.jpg
    • 18:30 ホテル到着。ホテルの車椅子を借りる。
    • 20:00 夕食。カフェテラス方式のレストラン、「ラ・ティーダ」。19:30頃にレストホテル内のレストランはどこも予約でいっぱい、ここなら20時には入れるとのこと。
    • 21:00 夕食終了。というか21:00でレストランが営業終了。最初にその旨注意してもらいたかった。部屋へ戻って入浴
    • 23:00 就寝。第一日目終了。
    P_20170326_073652_vHDR_Auto.jpg
  • 3月26日(日)
    • 07:00 起床。
    • 07:30 朝食は和食のレストラン、「真南風(マハエ)」。
    • 08:30 ホテル発。羽田組が借りたレンタカーで美ら海水族館へ。
    • 09:30 美ら海水族館到着。かなりの人数。後から後から増えてくる。外国人観光客も多い。

      P_20170326_111006_vHDR_Auto.jpg
    • 12:50 水族館発。 P_20170326_131138_vHDR_Auto.jpg
    • 13:00 昼食は、レストラン海路。Google map検索で先頭に表示されていた店。店内は狭い。タコライス・カリー大辛を注文。はじめは沖縄名物タコライスでと思ったが、カレーにしたらルーをかけずにタコライスが味わえて、もしタコライスが気にいらなければカレーとして楽しめるというわけ。
      われわれはタイミング良く駐車場が1台分空いていて、待ちなしで入れたけれど、すぐ後から複数グループが待っていた。同じように、お昼を食べるところをGoogleに聞いて来た人が多いのではないだろうか。
    • 13:40 レストラン発
    • 14:30 ホテル着。しばし休憩、で昼寝。
    • 15:20 思い立って屋内プールで泳ぎ、その後、大浴場で入浴。

      P_20170326_163802_vHDR_Auto.jpg
    • 16:00 ツアーチケットに、ケーキセットのクーポンが入っていた人がいるので、それにお付き合いして「マロード」でお茶。 P_20170326_171255_HDR.jpg
    • 16:40 お茶会後、ビーチ(多分ホテルのプライベートビーチ)に出てみる。まだ海開き前。ホテルの屋外プールも4月から。
    • 17:00 ロビーで休んでいると、ホテルに到着した新郎新婦に遭遇。また、新婦の紹介で新婦の親族3名と挨拶。
    • 20:00 明日の結婚式前に新郎側親族の食事会。中華料理「琉華菜苑」。ホテルから歩けるところだけれど、車椅子もいるので、シャトルバスを利用。
    • 21:30 食事会終了。シャトルバスが来るのを待ってホテルへ。
    • 24:00 就寝。
  • 3月27日(月) IMG_20170327_082148.jpg
    • 07:30 起床。
    • 08:10 朝食は、一日目に夕食をとったカフェテラス。
      たくさんの宿泊客(だいたいが子連れ)が詰めかけて、待ち時間が長い。
      待ちリストに名前を書いてもらって待つこと20分ぐらいだった。
      料理は悪くないほう。フレンチ・トーストも焼き立てが供される。


      P_20170327_093255_vHDR_Auto.jpg
    • 09:30 食後、散歩をかねてホテル隣接の万国津梁館へ。
      この日は貸切で入館見学はできなかったが(前日に聞いたら予定は入ってないから入館できるということだったのだけど)。
      外観を見るだけでも値打ちはある。
      ここからの眺めも良い。さすがにサミット会場である。

    • 10:00 ホテルの部屋へ戻って着替え。
      平服でOKといわれても、新郎の親としては、やはり黒スーツ。
      P_20170327_105532_vHDR_Auto-crop.jpg
    • 10:40 結婚式場へのバスの責任者を頼まれていたので、出席者をバスへ案内、人数を確認して、出発。
      途中、米軍が演習しているところが見えた。写真を撮っている人がいたので、「今の写真は没収です」という時代じゃなくて良かったと。

    • 11:10 結婚式場へ到着。
    • 12:00 結婚式開始。
      祭式をとりもつのは牧師というからプロテスタントだろう。
      「厳粛にして聖なる儀式なので、写真・ビデオの撮影はお断り」だそうだ。
      「みなさんが集中して儀式に立ち会えるよう、プロのカメラマンが撮影します」とのことである。

      P_20170327_125059_vHDR_Auto.jpg P_20170327_123900_vHDR_Auto.jpg
    • 12:15 式後は写真撮影。
      式場の前のビーチで思い思いに写真をとったり、貝殻拾い。

      P_20170327_135047_vHDR_Auto.jpg
    • 14:00 式後のパーティ。披露宴というような形をとらず、挨拶も新郎新婦のみの食事会。

    • 16:00 閉宴。ホテルへ。
    • 16:30 ホテル到着。着替えてこのホテル系列の海中展望塔を見にいこうと考えたのだけれど、17:00にバトラーサービスで聴くと、17:00で終了しているとのこと。ネット情報では18:00まで営業となっていたのだが。

    • 19:00 宴会でそれなりの量を遅めに摂っているので、お茶会をした「マロード」で軽い夕食。サンドイッチ。
    • 20:00 部屋でのんびり。同室者は未だ行ってなかった大浴場へ。
    • 23:00 就寝。
  • 3月28日(火)
    • 07:00 起床。 P_20170328_073820_vHDR_Auto.jpg
    • 07:30 朝食はメイン・ダイニング。
    • 08:30 帰宅する前に、沖縄に来たからには首里城は見ておこうと、メンバーはチェックアウトを済ませ、レンタカーをエントランスへ持ってくるのを待っていたのだが……
    • 09:40 車が来ない。ホテルがレンタカーの鍵を紛失というか、別の車のトランクに閉じ込んでしまったという。ホテル側のミスなので、首里城に寄ってから空港へ行く旨を伝えたところ、ホテルが貸切タクシーを用意。タクシーで首里城へ。

      P_20170328_110556_vHDR_Auto.jpg
    • 10:40 首里城着。
      タクシーは狭い道を通る。駐車場は正門の裏になるのではじめから裏道を行くのだそうだ。その狭い道に駐車待ちの車が並んでいる。こちらはタクシーなのでバスの駐車場へ停車させてもらう。首里城でも車椅子を借りたけれど、なんとタクシーの運転手さんが首里城を案内しながら車椅子を押してくれる。首里城は丘の上だから、これは助かる。レンタカーの鍵紛失でどうなることかと思ったが、結果オーライというところ。

    • 12:15 首里城発。
    • 12:45 空港着。親切な運転手さんに心づけを渡す。
      ここも大変な人で。手荷物検査場は出発時の大阪空港の3倍ぐらいの長蛇の列。20分くらい待ってようやく手荷物を預けることができた。首里城付近で昼食をとる目論見ははずれ、空港のフードコートで軽く食事(沖縄そば)
    • 13:30 保安検査場通過。14:00発の伊丹行は遅延のアナウンス。那覇空港ははじめてなので、保安検査前に昼食をとったのだけれど、普通、空港はセキュリティを越えてからもみやげもの屋や軽食があるもので、ここも充実している。とくに沖縄の特別免税制度による免税店もあるから、ここでゆっくりしたほうが良かったかもしれない。 IMG_20170328_142808-crop.jpg
    • 14:20 20分遅れで那覇発。飛行機は満席。
    • 16:00 予定では15:55着だったが16:00には伊丹に着いた。どうやってか知らないが、遅れをとりもどしたようだ。

今回は人里離れたリゾート・ホテルと観光名所のみで、街歩きは全くできなかったのは悔いが残る。

「なう」と今日の総括と、「編年体」で書いたけれど、せっかくの大ネタである、しばらく「紀伝体」で記事を書くつもり。

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沖縄旅行4日目(最終日)

沖縄旅行4日目、最終日である。

今朝の食事。



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沖縄旅行3日目

沖縄旅行3日目。

朝食。
とりあえずフレンチ・トースト。



食後の散歩はホテル近くの「万国津梁館」、かつてサミットが行われたところ。



そして、この旅の目的、ケッコンシキヘ。



海の見えるところで式を挙げたいということで、ここを選んだそうな。



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沖縄旅行2日目

沖縄の2日目。



昨日は雨で冷たく、今日も肌寒い。
屋外プールは4月からということで残念な気がしたが、この寒さでは泳ぐ気にはなれない。

ホテルの朝食から。



昨日、おまいりをすませているので、 今日はレジャー。
美ら海水族館へ行くつもり。



春休みの日曜日、結構な人出。

疲れ果ててお昼。



美ら海水族館から近いレストラン。(Google mapで検索したら一番はじめに出てくる店)
タコライス・カリー

ホテルに戻って、ン十年ぶりに屋内プールでー泳ぎ、そして大浴場で暖まる。

ぶらっとビーチヘ。





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今日から沖縄

今日から、3泊4日で沖縄旅行。
旅行中には、ときどきやってきたが、今回も、スマホからの投稿による「なう」シリーズをするつもり。

ということで、まずは伊丹空港から。



手荷物検査場は結構混んでる。
春休みで卒業旅行とか、学生グループが多いようだ。

はしゃいでる。




飛行機は満席だそうだ。
FAは大忙し。



沖縄は恥ずかしながら初めて。
やはり真先に訪れるべきは。





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男女差合憲判決

もうひとつ釈然としない。

izokunenkin_danjosa.jpg 遺族年金の受給要件の男女差、つまり、男が死亡したとき配偶者女性は年齢に関係なく遺族年金を受けられるが、女が死亡したとき配偶者男性は55歳以上でなければ受給できない、という制度が合憲という最高裁の判断。

遺族年金が高齢者でなければ受け取れないという趣旨なら、裁判所がいうように女性の置かれた状況から、受給要件を緩和したという理屈もあるのかもしれないけれど、遺族年金ってそういう趣旨だったのだろうか。

判決理由について、いじわるな読み方をしてみた。

夫が自分の死で妻が苦労すると心配するのは合理的だけれど、妻が自分の死で夫が苦労すると思うのは合理性がない。

とか、

多くの夫婦は夫のほうが年上で、平均余命から考えても、夫が先に死ぬから、残された妻が受給するという制度には、合理性がある。
つまり、標準的な夫婦と異なるなら、異なっているやつが悪い。そんなことを法は想定していない。


遺族年金の男女差「合憲」 最高裁が初判断
賃金格差踏まえ


 労災で配偶者を亡くした場合の遺族補償年金をめぐり、夫だけは55歳以上でないと受給できない規定が憲法違反がどうかが争われた訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(山崎敏充裁判長)は21日、規定は合憲とする初判断を示した。「男女の賃金格差などを踏まえれば、(妻に手厚い)規定に合理性がある」と指摘した。
 合憲かどうかが争われたのは、1967年施行の地方公務員災害補償法の規定。妻は年齢を問わずに受け取れるため、妻を亡くした原告の堺市の男性(70)が、法の下の平等を定めた憲法に反するとして提訴した。
 同小法廷は判決理由で、男女間の労働人口の違いや平均賃金の格差、雇用形態の違いを挙げ、「妻の置かれている社会的状況に鑑みれば、妻に年齢の受給要件を定めない規定は合理性を欠くものではない」と判断した。裁判官5人の全員一致。男性の敗訴が確定した。
 民間や国家公務員の労災の遺族補償にも同様の年齢制限がある。
 2013年11月の一審・大阪地裁判決は「現在の一般的な家庭のモデルは共働き世帯で、配偶者の性別による差別的な扱いには合理性がない」とし、地方公務員災害補償基金(東京)による不支給の決定を取り消した。
 15年6月の二審・大阪高裁判決は男女間の賃金格差を理由に「夫を亡くした妻の方が、独力で生計を維持できなくなる可能性が高い」と指摘。規定は不合理な差別ではないとした。逆転敗訴した男性が上告していた。
 一、二審判決などによると、1998年、市立中学の教員だった妻(当時51)が自殺。男性は遺族補償年金の支給を申請したが、妻の死亡時点で男性が51歳だったため、受給要件の55歳に達していないとして支給されなかった。
日経 2017/3/21 23:27
前にも似たようなことがあった。
定年後の再雇用である。

定年後の再雇用で、職務内容が全く以前と変わらないのに給与が著しく下がるのは不法だという訴えに対し、一審は原告勝訴、二審の高裁で逆転敗訴した事件。

この事件については、もし同一労働同一賃金原則を徹底したら、そもそも定年後再雇用という、近年、広く行われつつある労働慣行自体が崩れるおそれがあるという社会的影響を考慮して、苦しいけれどなんとか理屈をつけたのだろうと思った。
(ただ現状追認ばっかりしていて良いのかという疑問は残るけど)


しかし、今回の事案は、裁判所が言うように、原告のようなケースは少数派だというのなら、原告勝訴でも社会的な影響はそんなに大きくなく、実物である年金基金の支給総額が著増するとかいうことはないのじゃないだろうか。
それなら、ここはエエカッコして、違憲判決出しても良かったのでは。

それとも「男女の賃金格差などを踏まえれば、(妻に手厚い)規定に合理性がある」というのは、判決を出す上での理屈で、これが解消されていったら、こういうケースが増えて、年金財政に大きな影響を与えるかもしれない、と予測したのだろうか。


それにしても、問題の地方公務員災害補償法だけでなく、他の法律でも同様の規定があるという。
合憲判決を出すにしても、男女別規定に対して疑問を投げるぐらいの付帯意見があっても良いのでは。

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どうして「一本化」したがるんだろう

20170321-00000044-mai-000-view.jpg ローマ字の表記で学校が混乱しているから、教員が一本化を要望しているというニュースを見た。

またか、どうして学校の先生というのは、何でもかんでも正解を決めておかないとダメという発想をするんだろう、と思った。
どっちでもいいという教育はなぜできないんだ? 試験の採点(減点)が目的か?

Google大先生なんて、訓令式でもヘボン式でも理解してくれる。ローマ字に限らず、表記のゆれにはかなり広く対応している。
「おんな城主 直虎」でも言ってるじゃないか、「答えは一つとは限らない」って。

前に数学の場合で、学校の先生の理不尽な質問について書いたけれど、ローマ字の問題も、これが問題になること自体が嘆かわしい。

と、反射的に思ったのだけれど、この問題については、先生方の言い分にも一理あると思うところがある。
それは、記事にもあるように、文部科学省は「特段の理由がない限り、内閣告示で定められた訓令式で教えることになる」としているからだ。

問題は、学校の先生じゃなくて、それを指導する文科省か。


<ローマ字>表記で混乱 
 英語教科化、教員ら「一本化を」


 2020年度から実施される学習指導要領改定案に基づき、小学校のローマ字教育が従来の国語だけでなく、新たに教科化される英語でも始まる。ローマ字には「ち」を「ti」と表記する訓令式と「chi」と書くヘボン式があり、使い分けに混乱する児童もいることから、教育現場から「どちらかに一本化してほしい」との声も上がっている。
 ローマ字は小学3年の国語の授業で習うことになっている。読み書きのほか、情報通信技術(ICT)教育の一環として、コンピューターで文字を入力する操作を学ぶ。これに加え、20年度からは小学5、6年で教科化される英語でも「日本語と外国語の違い」に気付かせることを目的に、ほぼ母音と子音の2文字で構成されるローマ字について学習することになった。
 学校では現在、ローマ字を原則的に訓令式で教えている。しかし、名前や地名など実際の表記は圧倒的にヘボン式が多く、国際的な身分証明書となるパスポートもヘボン式だ。使い分けに困惑する児童もおり、教え方に悩む教員も少なくない。
 2月に新潟市で開催された日本教職員組合の教育研究全国集会でも、ローマ字について小中学校の教員から「いつヘボン式を教えればいいのか」「ヘボン式を教えると子どもが戸惑う」などの意見があった。兵庫県の中学校に勤務する女性教諭は「訓令式とヘボン式の2通りあるから子どもが混乱する。学校で教えるローマ字はどちらかに一本化すべきではないか」と話した。
 これに対し、文部科学省は「特段の理由がない限り、内閣告示で定められた訓令式で教えることになる」としている。
 ローマ字教育に詳しい清泉女学院大の室井美稚子教授(英語教育)は、訓令式について「日本語の音の大半を母音と子音の2文字で表すことができ、読み書きがしやすい」と利点を挙げたうえで「日本語の音に対応しているヘボン式と混同する恐れはある。訓令式は外国人に間違って発音されやすく、自分の名前や地名はヘボン式で書けるように指導する必要がある。自分で名刺を作製するなど楽しい活動を通じて練習させるべきだ」と指摘している。【伊澤拓也】
毎日新聞 3/21(火) 12:19配信
先生が困っているのは、文科省の指導が現場と合っていないということなのかもしれない。
それなら話は違うぞ、先生を逆説的に応援したくなる。

社会通念と異なる指導を行わなければならないということになる学校現場において、それでも内閣告示の通りに教えなければならないということを、はっきり言ってもらいたい、と。


もちろん、ものごとには標準化とか一本化とかが必要なことがある。スポーツのルールなどはその典型で、野球でホームラン性の打球を観客が客席から身を乗り出してキャッチしたらどうなるのかなんてのは、適切な判断が示されていないともめる元になる。

しかし、ローマ字の使い分けって、そもそも社会的になされていない。そんなものに「正解・不正解」なんて決めようがないだろう。

文科系の学問では、よく言葉の定義でもめる。けれど、理科系ではそういうことはあまりない。
理科系では、この研究で使われている言葉は、こういう意味で使われているということを理解し、了承したうえで、成果の正否や効能を評価するのが普通だと思う。もちろん、普通の使い方とか、優勢な使い方ってのが、次第に定まるだろうけど、それこそ、その言葉の定義の有効性の証拠でもある。
学問に限らず、まず相手を理解しよう、そういう姿勢こそ尊重し、教育すべきじゃないだろうか。


さて、ローマ字だけど、記事にはヘボン式と訓令式の違いが掲載されているけれど、日本語のローマ字表記には、これに該当しないものも多くある。
たとえば、「ジ」というのはヘボン式では「ji」、訓令式では「zi」だけれど、「gi」というのも見かける。これは英語圏での表記に多い。フジナミがFuginamiとなる。
ところが訓令式では「ギ」を表すことになっているから、初めて見たときには違和感があった。
なぜ「gi」が「ジ」になるのか。英語でもフランス語でも、「ギ」と発音する場合は普通uを挟んで「gui」と綴り、そうでない場合は「ジ」である。

また、PCが普及して、日本語をローマ字入力する場合には、独特のローマ字綴りを使うということもあるかもしれない。

というか、英語由来のカタカナを入れる場合、もとの英語の綴りを入れてしまいヘンテコになるという経験は多くの人がしていると思う。


ところで、訓令式って、一体誰が決めたんだろう。
記事中に「日本語の音の大半を母音と子音の2文字で表すことができ、読み書きがしやすい」ことを訓令式の利点としながらも、ヘボン式を教える必要性を説く先生が紹介されている。
しかし、これって利点だろうか。タ行で、タ、テ、トの子音と、チ、ツのそれは別の音である。同じ文字で違う音を表す訓令式が教育的とは思えないのだけれど。
やはり、日本語では子音と母音の可能な組合せがすべてそろっているわけではない、訓令式の子音字母は正しい音を示さないことを教えるほうが良いのでは。

パスポートの表記はヘボン式だったように思うし、クレジット・カードも、特に希望しなければヘボン式だったと思う。それこそ、ヘボン式のほうが通用する場面が多いことの証拠だろう。

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井伊次郎法師

おんな城主 直虎」も、いよいよ直親が殺されて、次郎法師が城主になるようだ。

何度も書いたことだけれど、NHKの大河ドラマにとりあげられると、その人物・事件についての本や、特集番組などが大量に生産される。本編の制作者のNHKなんかは、直接的な番組宣伝を狙うのか、繰り返し、繰り返し、手を変え品を変えて、直虎モノを番組にしている。

というわけで、何度も同じ話を聞かされるわけだけれど、一味違ったのが、「英雄たちの選択 戦国の女(1)“おんな城主”の賭け~次郎法師の生き残り戦略~」。放送は1月12日と随分前だったのだけれど、録画したまま見ずにいたもの。
さすがに磯田先生である、単純に従来の説を紹介するわけではない。

FabPlayer_[20170320-214346-207] 番組の最初に、井伊直虎でなく、井伊次郎法師とするのは、直虎は今川家の男子家臣が名乗ったのではないかという説(このブログでも取り上げた)が、昨年出たためとことわり、番組最後に、直虎が男だったかどうか考えるということが宣言される。

おそらく、番組自体はその説が出る前に企画されていたのだろう。タイトルも企画時点では「直虎の生き残り戦略」だったのではないだろうか。それが、この新説が出たことで、番組でもちょっと触れる必要があるだろうということになったのかもしれない。

ただ、次郎法師が女性であり、城主となり、地頭として公認されたことが史実として疑いえないという説明があり、これなら、直虎を名乗った別の男子がいたとしても、井伊家を守り、直政からずっと続く井伊家の礎を築いたのは女性(次郎法師)というストーリーに変わりはない。次郎法師の功績は従来の説に変更を迫るわけではない。
次郎法師ファン(柴咲コウファン?)も安心して「直虎」を見ることができるというものだ。

別男子存在説の信憑性をどこまで確かめられるか、これだけでは十分とは言えないと思うけれど、番組では、次郎の署名がある二通の古文書の筆跡を見比べて、同一人物か否かをみんなで判定しようという趣向になっていた。

FabPlayer_[20170320-214037-150] 男の字、女の字と、性別が字の特徴にあらわれるような話もあるようだが、そういう方法ではなく、直接、二通の署名を比較する。
使っている筆や墨の違いなどもあって、なかなか比較は難しいとのことだが、磯田先生は、断定的ではないものの、二つの署名は別人ではないかとお考えのようだ。

番組に出演していた飯田泰之氏(経済学者)は、次郎法師は徳政令を出したくなかったので、一時的に領主に立てて出させたのではないかという想像を話されていたが、それもおもしろい。

いずれにせよ、史料が乏しい井伊次郎法師である。わからないことがたくさんある。
たとえば、直親が帰参するとき、妻子を伴っていたという話もあるが、ドラマではこの説はとらない。なお、井伊直政の生年は1561年、直親の没年は1561年で、井伊谷に戻ったのが1555年だから、妻子を伴っていたとしても、その子供は直政ではないわけだ。

ドラマは、この後、小野政次(道好)によって、次郎法師が城を追われることになるはずだ。歴史記録を単純に追いかければ、嫌われ役の政次が、ドラマでは、幼なじみで次郎が信頼を寄せる役どころである。これから、政次はどう描かれていくだろう。(その信頼と自分の信念の間で苦悩することは既に描かれているけれど)

それにしても、主要な脇役が次々に非業の死をとげるドラマだ。
直盛(戦死)、直親(誅殺)、家康が来たら政次(刑死)。瀬名姫は何月頃に殺されるんだろう。

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ぼんやりの時間

4004312388c.jpg 辰濃和男「ぼんやりの時間」について。

読みたい本が手元にないとき、通勤時間はムダな時間になる。
そう考える人に、ムダな時間があることが豊かさの根源にある、そこを思い直せという本である。
通勤電車でぼんやり過ごすのが勿体ないと考えて、こんな本を読んでいる。笑い話である。

とはいうものの、著者が言うようなぼんやりの時間は、けっして通勤電車のような猥雑で、ぎすぎすした時空で過ごされていない。本当のぼんやりの達人なら、そういうところでこそ心の静穏を、本も読まずに過ごせるのではないだろうか。

電車の中の乗客の様子を観察するのは、実は面白い。だけど、それではぼんやりしたことにはならないだろう。


ぼんやりする時間が必要だということは、私も納得している。
また、工程図(PERT)には、フロートという考え方がある。何もしないという工程を導入することで、不測の事態への対処を可能とすることになる。

贅沢な時間の過ごし方は、なにもしないで過ごすことだと思うし、素晴らしいコンサートで気持ちよく寝てしまうことは、それ以上の贅沢だと思う(めちゃくちゃ悔しいけど)。

だから、著者の意見には賛同するところも多いのだけれど、ただ、著者がぼんやり過ごす時間というのが、あまりにも上質なので、そんな立派なぼんやりはできそうにないと思ってしまう。

また、著者は著名人の言動・文章を引いて、ぼんやりの達人であるとし、その人達の活動を支えたのがぼんやりだろうと言う。それは多分間違っていない。
しかし、こういう偉い人にことよせて、ぼんやりが大事だと言われても、私はただぼんやりするだけで、そのぼんやりが支える私の活動なんて、これぽっちも世の中の益にならない。小人閑居して不善をなす、というか小人閑居して不善すらなさない。

本書は、動-静、緊-緩、実-虚、陽-陰、といった対照に、ぼんやりを考えている風もある。しかし、そんなことをする必要もないだろう。それに光に対してダークエネルギーがあって宇宙を支えているというような言い方は好きじゃない。宇宙は宇宙、人間のぼんやりとは何ら関係がない。変な擬えを持ち出して、わかったとか説明したという気になるより、あるがままを受け入れる、というか、あるがままとは何かを追求するのが正しい姿だと思う。
(擬えに意義があるのは、擬えるもの、擬えられるもののの、それぞれの世界が同一構造を持つ場合)


心足即為富
身閑仍当貴
富貴在此中
何必居高位
心が満ち足りれば、富んでいるのと同じだ
身が閑であれば、高貴な身分にあるのと同じだ
富貴はこうした心身のあり方にある
どうして高い身分にいる必要があろう
白氏文集巻六 閑居(抄)
本書が説くぼんやりの一例として、白楽天が引かれている。

著者の教養がしのばれる。
その余光を鑑賞し、先人のぼんやりの意義深いお言葉を賜る。

勉強になった、とてもぼんやりなどしてられない。

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アイヌと縄文─もうひとつの日本の歴史

ainu_to_joumon.jpg 瀬川拓郎「アイヌと縄文─もうひとつの日本の歴史」について。

日本は単一民族の国と言って、認識不足を咎められた政治家がいたように思う。
最近はどうだか知らないが、私が昔受けた学校教育では、アイヌのことはほんのわずかしか触れられなかったように記憶する。
学校教育でとりあげられるのは、中央政権と接触した「事件」、哀しいかな、コシャマインの戦いとかシャクシャインの戦いとか、戦争である。

もっとも、それはそれでしかたがないとも思う。
日本史を学ぶなら、日本とは接点のなかった世界がとりあげられないのは当然で、日本史という枠組みではなくて、人類史ということであれば、例えば古代ローマ史なんてのは日本とはおよそ接点がなくても、人類史を代表するような時代ということで興味深いわけだ。

それにアイヌには文字がない。ユカラは文字化されているけれど(知里幸恵「アイヌ神謡集」青空文庫にもある)、アイヌの歴史を語ってくれるわけではない。

と、言い訳ばかりしているが、「もうひとつの日本の歴史」については思い至ることもなくこの歳まで生きてきた。
この本を読んで、このすっぽり落ちている部分が、というか、その抜け落ちているということに気づかないでいた部分の存在に気づき、そして少し埋めてもらった。

第1章アイヌの原郷
―縄文時代
   アイヌと縄文文化
   アイヌと縄文人
   アイヌと縄文語
第2章流動化する世界
―続縄文時代(弥生・古墳時代)
   弥生文化の北上と揺れ動く社会
   古墳社会との交流
   オホーツク人の侵入と王権の介入
第3章商品化する世界
―擦文時代(奈良・平安時代)
   本州からの移民
   交易民としての成長
   同化されるオホーツク人
第4章グローバル化する世界
―ニブタニ時代(鎌倉時代以降)
   多様化するアイヌの世界
   チャシをめぐる日本と大陸
   ミイラと儒教
第5章アイヌの縄文思想
   なぜ中立地帯なのか?
   なぜ聖域で獣を解体するのか
本書は、アイヌを縄文人の正統な末裔とする。
縄文人は弥生人に包含されて居なくなったのではなくて、縄文ライフスタイルを選んだ人達が独自の歴史を築いてきたということが再構成される。

前述のように、アイヌには文字がないからアイヌ自身による歴史記述というのはないわけだけれど、伝承や考古学的資料、和人や大陸の側の記録などで、丁寧に説明される(史料が少ないから、著者の推測とことわっているものも多いけど)。
そしてその縄文的なものは、現代日本人にも引き継がれている。

関西人である私は、東日本は後進地域で、東京へ行くことは東下りと表現する。(負け惜しみか)
西国の方が早く文明化し、都は奈良・京都、不破関より東は文化果つるところで、貧しく、人口密度も低いという観念を持っていた。

しかし、鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」によると、なるほど都市としては平城京・平安京かもしれないが、地域として考えると、東北・関東の方が豊かで、人口支持力も高く、したがって人口密度も高かったらしい。

縄文時代といえば、縄文海進で知られるとおり、温暖な時期で、東北の縄文人が、何が不服で、鳥獣魚介に変えて米を喰わなきゃいけないのかという気もする。(気候が変わったのがライフスタイルの変更の一因というわけだが。)

そうした生活を基本に、弥生人に同化せずに、足りないものは弥生人との交易で手に入れるというのは、合理的で豊かな生き方だったろう。
そして、以前は、それぞれのライフスタイルは「それで宜し」とされていただろう。

ただし、文字がないというのはやっぱり損をしていると思ってしまうけど。


近代というものができて、それが圧倒的なパワーを持つようになると、相対主義はどこへやら、同じ土俵で競う公正な社会というものができて、その土俵で「勝てる」相手には容赦なく勝負を挑むようになったようだ。

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Deep Dream Generator で風景写真を変換してみた

今日も、"Deep Dream Generator"のテスト報告。

前の休刊日その前の休刊日では、いかにもタコにもの画像が生成されて、まぁ、ある程度、こちらの意図は達成できたように思う。

そして、昨日は、2Dキャラ(艦これ「金剛」)を素材にしたらどうなるかやってみて、これはもう一つインパクトに欠ける結果になった。

それではということで、今日は方向を変えて、風景写真を原画にしたらどうなるだろうかと、しつこくやってみた。
素材にしたのは、前の東下りで車中から撮った富士山。

見てわかるとおり、風景写真でも、Deep Dreamのほうはイマイチ。(予想された結果かな)

Deep Style(特定の画家やスタイルに仕上げるもの)も、あまり説得力がない。
かろうじて、"van_Gogh"風(このページの初画面)が、それっぽいと思う。


原画と変換後を切り替えて、どこがどうなったか比べると、これがこうなるのかと、多少は興もわくというものか。


小さい画像をクリックすると、それが大きな画像に表示されます。
大きな画像のクリックで、変換前後が切り替わります。


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Deep Dream Generator 再掲画像

昨日のオマケ。
"Deep Dream Generator"が、どこをどう変えたのか、わかりやすくするために、画像クリックで、「艦これ」原画と変換結果を切り替えるようにして再掲。

小さい画像をクリックすると、それが大きな画像に表示されます。
大きな画像のクリックで、変換前後が切り替わります。



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Deep Dream Generator

既に、三日前の休刊日その前の休刊日で、既に二度にわたって「成果物」を披露しているけれど、一時、ネットで大いに話題になったGoogleの"Deep Dream Generator"による画像変換。

この画像が話題になったのは、AI技術の応用という点と、生成される画像が不気味なこと。
"Deep Dream"というネーミングが先にあったのか、それとも悪夢のような画像が生成されるという結果から後付けされたのだろうか。
(後者のように思う。前2回の休刊日の画像はいずれも悪夢としか言いようがないです、私には耐えられませんです、ハイ。)

"Deep Dream Generator"は、「悪夢」だけではなくて、これもAI応用だろうと思うけれど、特定の画家や画法に似せた画像を作ることもできる。前者は"Deep Dream"、後者は"Deep Style"として、どちらも同じサイトでサービスされている。
"Deep Style"で変換したものも過去2回の休刊日に載せている。

音楽でも、自動作曲ソフトというのがあって、バッハ風とかショパン風とかの楽曲を自動生成するものがある。有名なところでは、David Copeという人がやっているのがある。
こちらは、"Deep Style"のように元データがあって、それを「らしく」改変するのではなくて、一から作るもののようだ。

音楽で"Deep Style"風にするとしたら、カラヤン風とかバーンスタイン風、あるいはテクノバージョンとか吹奏楽バージョンとかを生成するようなものだろうか。

スマホのアプリには、以前から、写真を加工して、マンガ風とか、印象派風、パステル画風などにするものがあるけれど、"Deep Style"はさすがにGoogle、AI応用とのことだが、これらよりは加工が巧みなように思う。

今日は、休刊日と趣きを変えて、2Dキャラを原画に使用してみた。
右に"Deep Dream"、"Deep Style"が生成した画像のサンプルを掲げている。
それぞれ、どういう加工をしたのかわかるだろうか。

それにしても、「艦これ」が原画では、あんまり悪夢っぽく見えない。
(休刊日の原画は、そのままでも私には悪夢、とても耐えられないデス。)


1141b7e3487d38af0db7342d4be0b31c.jpg dream_f412843311n.jpg dream_f412843311s.jpg dream_f412843311v.jpg dream_00b25f5915.jpg dream_66690ffced.jpg dream_66690ffceda.jpg dream_66690ffcedd.jpg dream_5f319e2fbd.jpg dream_76e3dc93c6.jpg dream_97cdcb660a.jpg dream_99d3fe7c00.jpg dream_b83b0ec58f.jpg dream_89c96b9539.jpg ※いずれも画像クリックで拡大







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ナビの地図をアップデート

今の車には、ディーラーオプションの車載ナビを付けている。
この頃は車載ナビを付けずにスマホのナビを使う人も多いらしい。
私もスマホのナビで十分だと思うし、なによりスマホのナビは地図データが常に新しいものが使われるから、車載ナビよりもずっと良い。
私も四国へ行ったときに、車載ナビでは行き止まりになっている道が、スマホのナビでは開通済みになっていたことがある。

それでも車載ナビを付けた理由は、全周囲モニターと連動する機器がそれだから。
たまたま車購入時に「今なら無料」といわれて付けたのだけれど、これって高い車載ナビを売るためだったのかな?

全周囲モニターが便利だと思うのは駐車したときに、車のおさまり具合が良くわかることぐらい。
見通しの悪い交差点で鼻先を突きだして、左右から接近する車を確認するという使い方もできるのだが、もう一つカメラを信用できない。というか接近する車との距離感・スピードというのがわかりにくいから、来てないことを確認するのは良いけれど、来てるときに飛び出せるかどうか判断するのは怖い。


2017-03-05_142323.png ということで、遠出するときにはお世話になる車載ナビであるが、この3月が車検だったのだけれど、車検から帰ってきたら、「地図アップデートの期限は3月末まで」というメッセージが出るようになった。

車載ナビの地図データのアップデートは通常有料なのだけれど、おそらくメーカーが古い在庫を安心して売るためだろうと思うけれど、1回だけは無料でアップデートさせてくれる。
このことは知っていたのだけれど、更新データが多くなってから、たとえば新名神がつながってからとかのほうが値打ちがあるだろうと思って放っておいたわけだが、3月末でそのアップデート特典が使えなくなるので、権利を行使することにした。

実際には結構手こずった。
納車時に付いていたアップデート用ソフトのDVDの宅内捜索、それのPCへのインストール。そして起動するとIDとパスワードを聴いてくる。
マニュアルに車載端末IDのシールが付いているので、このIDかと思ったがそうではなく、一体どこにユーザー登録するのだろうとネットで探しまわって、G-BOOKというのに登録すれば良いということが判明。
そして、ネットの検索結果から、アップデート手順を確認、端末IDをどこで入力するかもわかって、ようやくソフトが動くようになった。
なんだか凝った作りになっているのだが、普通のPCのソフトウェア更新のように簡単にできるようにしておいてもらいたい。

地図データのダウンロード自体はすぐに終了したけれど、これをナビのSDカードに反映させるのがやたら時間がかかる。所用があったので、そのままにしておいて車で外出(ナビは動作しないけど)、2時間後に戻っても終了していない。結局2時間30分ぐらいかかってようやく終了。
ナビに差し込んで起動を確認、無事完了。

なのに「アップデート期限は3月末です」のメッセージは出続ける。


家の近くや良く行くあたりには、この3年内には新しい道路の開通はない。ただ、ナビは遠方で使うものだろうから、無駄ではないだろう。(有料だったら絶対にやらないと思うけど)

ディーラー車検は高い金をとるのだから、ディーラーオプションのナビのアップデートぐらい、サービスしてもよさそうに思うけど。

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新幹線が来る!?

hokuriku-shinkansen_matsuiyamate_route.jpg 北陸新幹線の敦賀―京都間のルートが、ようやく小浜ルートに落ち着いたと思ったら、京都と大阪の間は、南回りルートが浮上したとたん、あっという間に松井山手ルートで本決まりになったようだ。

前に珍之助さまのブログへのコメントで、南回りルートは同志社付近から西へ行くのかなとコメントしたけれど、そうではなくて、なんと、松井山手である。こちらの方が距離が短く、市街地も少ないので、速くかつ建設費も安いのだそうだ。

開通すると、京都まで7分とか、新大阪まで8分とのことだが、今は京都までバスで30分、新大阪までJR片町線-環状腺-東海道線で50分である。
再来年にはおおさか東線が放出-新大阪までつながるから少し早くなるだろうけど、そんなレベルではない、驚きの速さである。

開通は随分先のことだろうから、私はそうした便益を享ける前に死んでいるだろうけれど、これによって、不動産価格や都市インフラの整備がどうなるのかは今からでも気になるところである。

新幹線の軌道や駅というのは仕掛けが大きい。
重量のある車両が高速で運転されるのだから、在来線の設備とくらべてオーダーが異なるだろうというのは想像できる。 それが松井山手というローカルな街にふさわしいかどうかは微妙。現在の松井山手では新幹線を受け入れられる基盤は整っていないと思う。
北陸新幹線、南側ルートを満場一致で可決
 与党検討委  JR西も同意
 北陸新幹線で未決定の京都-新大阪間のルートについて、与党検討委員会は13日、JR片町線(学研都市線)の松井山手駅(京都府京田辺市)に接続する新駅をつくる「南側ルート」を採用することを、満場一致で可決した。京都府や北陸3県など沿線自治体のほか、運営主体となるJR西日本も同意した。ルートは、15日に開かれる与党整備新幹線建設推進プロジェクトチーム(PT)の会合で正式に決定する。
 JR西の来島達夫社長はこの日の検討委で、松井山手接続の南側ルートの費用対効果が投資に見合う「1」を超える「1・05」との試算が出たことを受け、受け入れを正式に表明。新駅設置については「コストはかかるが、それ以上の利用者増につながり、関西文化学術研究都市(けいはんな学研都市)から北陸への新たな流動につながる」と述べた。
 京都府の山田啓二知事は「ルートは学研都市の発展につながる形にしてほしい」と要望。松井山手から学研都市内にある終点の木津駅までの区間が単線となっているため、複線化と運行本数の増加を求めた。複線化を含む費用負担について山田知事は「京都府は受ける便益に応じて、負担するべきだ」と述べた。具体的な負担額については、検討委では議論を持ち越した。
 京都府によると、松井山手駅周辺は人口増が続いており、現在半径5キロ圏内に約33万人が居住。新駅設置で京都までが50分から7分に、新大阪までが50分から8分に短縮される。
産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/170313/wst1703130062-n1.html
だから、これから新幹線開業に向けて、街のスケールが変わるような開発が進むことになるだろう。

JR片町線松井山手駅は、平成元年の開業。京阪電車が開発した住宅地(京阪東ローズタウン)で、松井山手駅の建設費は京阪電車が負担したとか聞いたことがある。掘り込まれた小さな駅である。はじめて訪れた人はどこに駅があるかわからないと言う。

道路の方は、鉄道よりも大規模な整備が行われてきた。
既に第二京阪道路が全線開通して、久御山JCTで名神、京滋バイパス、さらに阪神高速(京都線)に接続しているが、第二京阪が、八幡で新名神とつながる。既に八幡と城陽の間の工事は始まっているが、これは第二京阪と京奈和道路を接続するらしい。

そしてこのおかげで、松井山手から京都へは第二京阪経由の「直Qバス」で30分弱、500円が運行されているし、高速京田辺からは関空へのリムジンも出ている。

直Qバスは、運行前にニーズ調査があった。1コイン、30分なら使うと回答した覚えがある。それまでは京田辺まで出て、新田辺から近鉄というルートだった。
この頃は、朝の出勤時にはこのバスに大勢並んでいる。同一時刻に2台で捌いている様子である。


というわけで、交通の結節点として俄然注目されていると思う。
今回、北陸新幹線京都-大阪が、松井山手経由であっさり決まったのは、この地域イメージがあるからだろう。

shinmeishin-highway.jpg

もっとも地元住民としては、今度、スーパー銭湯ができて、その上にホテルも開業するというような話のほうが身近である。
コストコ、ホームセンタームサシをはじめとする大規模店舗が次々に開業して(いずれも八幡市側、京田辺市側はほとんど商業用途のものはない)、生活道路(山手幹線)の混雑のほうがずっと気になるところ。
引っ越した当初は、車の数も少なかったのに、今ではたびたび渋滞し、直Qバスの運転手が「今日はコストコ渋滞が予想されます」と車内アナウンスするぐらいになった。

今、周辺では複数のけっこうな規模の宅地開発が進められている。
こうやって街になっていくんだろうな。

我が家は、駅まで直線距離で約500m弱。新幹線の騒音ってどんなものだろう。
まさか新幹線が傍を通るなんて、思ってもみなかった。

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休刊日

一日遅れで、休刊日。

蛸に襲われてる夢など見たくない……


※画像クリックで原画(その前に原画を想像してね)


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神戸でランチ

古代ギリシア展を見終わってランチ。

展覧会のホームページを見ていたら、展覧会とタイアップしたレストランの案内があった。入場券の半券を持っていくと10%割引になるという。

今まで全然気づかなかったけれど、神戸市立博物館の出口のすぐ前に、"Tooth Tooth Maison 15th"というレストランがあり、ここもその対象となっている。

明治時代にアメリカ領事館として使用されたコロニアルスタイルの異人館は国指定の重要文化財だと説明がある。

この名前"Tooth Tooth"は覚えがある。前にも神戸市立博物館に来た時に、ランチをしたのが"Patisserie Tooth Tooth"
同じ系列の店のようである。つまり、ハズレにはならないだろう。

前に行った店も同様だったが、おしゃれな店で、女性客が多い。

神戸といえば、私にはJR高架下のちょっと薄汚れたイメージの店の方が合うと思うけれど、そういう店は神戸ではすっかりマイナーになって、おしゃれ、おしゃれが幅をきかせている。

で、女性客、男性客もだけれど、素材が大したことなくても、着ている服や化粧などで、いかにもおしゃれ。
香水の匂いがぷ~んとして、料理の味を殺しそうだし、どう見てもラーメンをすする雰囲気ではない。
おしゃれな店にはそういう人が集まるのだろう。

こういう雰囲気が好きな女性と、それにだまされる男。
大阪にはない、街の個性というやつだろうか。

昔、聞いた話。
神戸は女子大が多い。それが男をひきつけて、街の雰囲気を若やいだものにするのだと。

メニューは、ブリのカルパッチョ、牡蠣とベーコンのペペロンチーノ。
これにコーヒー(または紅茶orウーロン茶)。

博物館の向かいだけあって、美術に気をつかっている。
右写真の2段目は、コースター。
(持って帰れば良かった)。

料理は、この手のものは、よほど変なことをしなければ合格の味になると思う。
つまり、普通においしい。

パンは自家製、出来立てとか。
バターが出されなかった、周りのテーブルも同様。
ここはバターを使わないというポリシーなんだろうか。
バターなしでもおいしいけれど。


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古代ギリシア展

P_20170311_103531_vHDR_Auto.jpg 昨日は、古代ギリシア展を見に神戸へ。

アップするのはパンフレットなどの写真だけれど、会場内は写真撮影禁止なのでご容赦。

それに図録や額絵などのほうが綺麗な写真がある。それは旅先の風景などもしかり。なので、私はブログに載せようというつもりがなければ、まめに写真を撮ったりはしない。


充実した展覧会である。
会場の最初の展示はアルテミス像。
少し小ぶりだけれど、美しく、整った作品。チラシに印刷されている。

アルテミス像だというけれど、なぜアルテミスだと判断したのか、見たところ鹿はいないのは仕方がないとして、箙をしょっているわけでもない。他にアルテミスのアトリビュートってあったっけ。


大きな彫像としては、チラシに大きく印刷されている男女のもの。神殿に奉納されたものらしい。
しっかりした構成で迫力がある。男女とも、張りのある丸いお尻が印象的。

Ancient_Greece_IMG_0001-crops.jpg 古代ギリシアといえば、ミロのビーナスとか、サモトラケのニケなどをイメージして、私もそういうものを期待して行ったのだけれど、この展覧会は、そういう彫像よりも、ギリシア文明が遺物で説明されていることに注目すべきだろう。これは、大変充実していると思う。

最初期のキュケラデス文明から、時間を追って、ローマに吸収されるまで、8つの時代に区分して紹介されている。その時代の微妙な違いがわかるようにしっかり展示されていると思う。

それにしても、ネックレスなどの装身具の細工の精緻なことには感嘆する。数千年も前のもののわけだけれど、熟練した職人が丁寧に仕事をすれば、21世紀と比べて劣るということはない。
メノウが嵌め込まれているネックレスもあったけれど、メノウがきれいに磨かれ、揃えられている。

行くときは、短焦点の単眼鏡か双眼鏡を携行することをおすすめする。私は、今回は双眼鏡を持って行った。


ただし、コインについては、これは量産が求められるものだからだろう、現代のように高等な機械でプレスして寸分たがわぬ、そして角が立ったようなものは難しいだろう。

また、ギンバイカ(銀梅花、銀盃花、学名:Myrtus communis 古代ギリシアでは豊穣の女神デーメーテールと愛と美と性の女神アプロディーテーに捧げる花とされたという)を模した金製の冠は、葉はなんだかくしゃくしゃしていて、細工としてはどうなんだろうと思うけれど、金の色が鮮やかなのに驚かされる。
ミダス王の伝説を思い出す。

あと見もの、というか、見られて良かったと思うもの。
一つは、この時代の医療器具。メスやピンセットなど4点が展示されていた。
ギリシア医学といえば、言わずと知れたヒポクラテス。この時代にも簡単な外科的処置がされていたのだろう。

もう一つは、オストラコン(陶片)。
世界史の教科書などで写真は見ているが、現物は多分はじめて。
これが結構くっきりとしたものである。教科書の写真はそもそも質が悪かったので、いかにも土中から掘り出された感があったけれど、どうしてどうして、鮮やかなものである。
展示されていたものには、有名なテミストクレスの名前が刻まれたものもあった。

他、火山灰に埋もれていた壁画も展示されていた。
ポンペイの壁画が有名だけれど、時代の差は感じない出来である。フレスコ画という説明だったが、フレスコ画の技法というのは、こんな昔からあったのだろうか。

墓碑が何点か展示されていた。自分で墓碑を彫ってみたくなった。

ところで「暗黒時代」というのは、何も展示がないのだけれど、だから暗黒時代なのだろうけど、いまだに暗黒時代なのだろうか。

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3.11

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写真出典:イーハトーブログ
東日本大震災から6年。

鈴木健一「天皇と和歌」という本の冒頭で、
震災の翌年 平成24年1月12日歌会始のときに、

天皇皇后両陛下の詠まれた歌が紹介されていた。

津波し時の岸辺は如何いかなりしと
 見下ろす海は青く静まる

帰り来るを立ちて待てるにときのなく
 岸とふ文字を歳時記に見ず


思いを重ねて、合掌。


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国民を無理矢理連帯保証人

福島原発賠償費、電気代での負担額は
 1世帯あたり試算
 東京電力福島第一原発事故の損害賠償費用は、原発を持つ東電以外の電力会社も一部を負担している。家庭の電気料金でまかなっている7社について、朝日新聞が取材を元に国の家計調査を当てはめて試算したところ、1世帯(2人以上)あたり年約587~1484円を負担している概算となった。家庭の負担額は料金内訳が書かれた検針票には示されておらず、利用者の目には届かない。
 国の試算で、賠償費用は7・9兆円にのぼる。うち5・5兆円分について、東電の負担に加え、他の電力会社も「一般負担金」として、原発の出力などに応じて負担している。
 7社は東京、北海道、東北、中部、関西、四国、九州の各電力。朝日新聞の試算では、家庭向けの電気料金で回収している一般負担金は1キロワット時で約0・11~0・26円だった。
 関電と中部電が取材に対し、家庭向けの1キロワット時の概算を出していることを明らかにした。この方法を元に朝日新聞が他社分も試算。全社がこの試算の考え方に誤りがないことを認めている。
朝日新聞デジタル 2/27(月) 0:30配信
genpatsu_futan_sisan.jpg 明日で東日本大震災から6年。

復興事業がどの程度進捗しているのか、はずかしながら、詳しいことは知らない。けれど、報道されるたびに情けない気持ちになるのは、やはり福島原発。
「失われた自然は元に戻らない」とはよく言われてきたことだけれど、汚染された大地もやはり元に戻らないのか。

学校での「原発いじめ」、しかもそれを教師がむしろ助長するなどという、とんでもないことも起こっている。
そのいじめのネタとして、原発賠償金のこともあるらしい。
被災してきた人に対して、賠償金をもらっているだろうと金品をゆすりとったのなどと伝えられている。

この問題では、廃炉費用、賠償費用など、多額の費用がかかる。
この経費を、電気を使う国民がみんなで負担しようということになるらしい。

現に原発事故で苦しんでいる人がいるから、それを国民みんなで支えようということは、そんなに理不尽なことではない。
国民は、(誤った情報に基づく判断だったかもしれないが)原発を容認し、放射性廃棄物処理費用や将来の廃炉費用などを過小にし、その分、安い電気代という利益を享受してきたのだから、その借りを返すべきなのかもしれない。

「オレは原発にはずっと反対だった」という人もいるだろう。
しかし、あなたが反対していたからといって、民主的に決定された国策である以上、国民としては負担するのがスジなのではないだろうか。

ニコール・キッドマンが、国民が選んだのだからトランプ大統領を応援しようと言って、さんざん批判されたと伝えられているけれど、スジとしては彼女の言うことは正しいと思う。
私はニコールの味方です、下僕です、崇拝者です、お傍に仕えさせてください。


たしかに、誤った情報に基づく判断、というか国民をミスリードした政治家の責任は重いと思う。
彼らは他人の金を思うように使える立場だ。その責任は果たすべきだと思う。
だけど、「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動」と憲法が定めている。
結局、責任をとるのは国民一人一人ということになるようだ。(ここだけは、改憲論者も改正するつもりはないらしい。)

今日のタイトル「国民を無理矢理連帯保証人」というのは、何年か前に話題になった川柳である。
そして契約当事者は、債務を弁済する意思はない。

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お役人の仕事

お役人の仕事
<○府□課>
A担当: 小学校の新設の申請が来そうなんですが。
B係長: ちゃんとしたとこやろな。
A担当: それが、今幼稚園をやってるとこなんですが、ややこしいとこで。
B係長: どうややこしいねん。
A担当: 前に、設置認可条件を変えろというてきたとこです。
B係長: ああ、あれか。あれが布石やったんやな。
A担当: 何でも首相が関係してるとかで、幼稚園の名誉園長は首相夫人ですわ。
B係長: そうか……、申請内容はちゃんとしてるんか。
A担当: それが、経営計画とかもう一つで。
B係長: あかんとこちゃんと言うたりいな。
 
 
<○府□課応接>
A担当: この間のご相談ですが、経営計画に無理があるように見えるんですが。
C理事長: どこがあかんねん、収入か、支出か?
A担当: そうですね、バランスしてないというか、この支出やったら児童数もっといるんちゃいますか。
C理事長: そしたら、児童数、増やそか。
A担当: そんなんしたら、少子化の今日日、審議会通りませんよ。
C理事長: そしたら支出下げなあかんけどな。
A担当: それできますか。
C理事長: ちょっと調整するわ。
 
 
<●省×局応接>
C理事長: あそこの土地のことやけど、借地料、まからんか。 2017-03-08_124547.jpg
D事務官: 前は4000万でOKて仰ってましたが。
C理事長: ゴミ出たやろ。
D事務官: それは撤去したと思いますが。
C理事長: 全部調べたんか、まだ出るかもしれんやろ。
D事務官: それが借地料減額の理由ですか。
C理事長: それはそっちにまかせるわ。
 
 
<●省×局>
D事務官: あそこの土地、借地料の減額要望がきてますが。
E掛長: そのことか、○○先生からも聴いてるわ。
D事務官: それで、ゴミが出るリスクがあるというのが減額理由になるかと。
E掛長: ゴミは処理したと聞いているけど……、そうか、ゴミがあったということなら、まだあるかもしれん、そのリスク分ということか。
D事務官: そういうことです。
E掛長: なるほど、うまい理屈だな。しかし、府の認可は降りるんだろうね。
D事務官: それについては、府とも連絡をとってます。
 
 
<○府□課>
C理事長: 経営計画を見直して持ってきたぞ。
A担当: ランニングが随分下がりましたね。
C理事長: 借地料を減額してもろたんや。
A担当: わかりました。お急ぎのようですのでこれで審議会にはかります。
 
 
<○府□審議会>
F会長: 臨時審議会をはじめます。本日は○○小学校の設置認可についてです。 shingikai_toushin.png
G委員: この人なぁ、けったいな幼稚園やってはるんや。
H課長: よほどのことでなければ、教育方針については認可条件にはしにくいかと。
I委員: 経営計画がちょっと怪しいな。本当に工事契約とか、この額でやってるんですか、安すぎるように思うけど。
H課長: それは出されたものを信用するということで。
F会長: 認可を出さないというのも難しい、かといって委員のみなさんの経営上の疑義が拭いきれないということですので、ここは認可とまでは言えないが、条件付きで、条件が満足されていることが確認できるなら認可ということでよろしいでしょうか。
 
 
<○府□課応接>
C理事長: 審議会、ようやってくれはった。そやけど条件付きいうのが気に入らんな。
A担当: まだ委員には経営計画に疑念をもってる人もいてはります。ランニング全体、なんとかなりませんか。
C理事長: ほなら、借地やのうて、土地を買い取ってしまおか。
A担当: そんなことできるんですか。
C理事長: うちは定期借地権で契約して、もう学校建てにかかってるんや、他のもんは買われへん。随意契約でOKや。
A担当: しかし、その分、初期投資が増えて、毎年の金利負担が高くなると厳しいんちゃいますか。
C理事長: なんぼで売ってくれるか、それがはっきりしてからや。
 
 
<●省×局応接>
C理事長: このあいだは、借地料まけてもうて助かったわ。そやけど府に持って行ったらまだまだ経営計画が甘いいうて怒られてんねん。いっそ借地やのうて、買うてしまおか思てるんや。 2017-03-08_165420-crop.jpg
D事務官: 買うって、9億円、出せるんですか。
C理事長: そこやがな、前に借地料減額のときは、隠れてたゴミが出てくるリスクがあるからいうて下げてくれたやろ。今度は、ほんまにゴミが出たんやということでどや。
D事務官: ゴミ、出たんですか?
C理事長: そういうこっちゃ。
D事務官: いくら出せるんですか。
C理事長: 府に出してる経営計画の収入をベースに逆算したら1億数千万円いうとこや。
D事務官: 9億円と随分差がありますね。
C理事長: ゴミ処理ちゅうのは、そのぐらいかかるもんやで。
 
 
<●省×局>
D事務官: あの土地、学校側が売ってくれと言ってきました。 baikyakusareta_kokuyuchi.jpg
E掛長: 売るとなるとまた入札になるな。
D事務官: そこは大丈夫です、定借契約して建物も建てはじめてますから、一者随契でいけます。
E掛長: そうなるとあとは値段か。理屈がほしいな。
D事務官: 技術に聴いたら、ゴミ処理の値段というのはなかなか難しいようです。
E掛長: こっちが処理したら値段が丸見えになるな。
D事務官: 向こうに処理させるということで、その分、いくらかかってもこちらは知らないということでどうでしょう。
E掛長: 借地料のときと同じ理屈だね。
 
 
<C理事長のひとりごと>
  役人いうたら、でけへん理屈ばっかり言うて、頭固い奴ばっかりやと思てたけど、みんな有能でものわかりのええ人で良かったわ。
やっぱり政治家の名前出したら、話も丁寧に聴いてくれる。迅速な意思決定、これが政治主導のええとこや。国ちゅうもんはこうやなかったらあかん。
朕󠄁惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇󠄁ムルコト宏遠󠄁ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ。ありがたいありがたい。
 
 
<○府、●省それぞれ>
  なんか、えらいことになってるけど……

※本作品はフィクションであり、実在の人物・事件との関連はありません。
写真はいずれもイメージ資料です。


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電子書籍ではこんなことがあるのか

電子書籍を利用していると、よくクーポンがもらえる。
これは、前にも書いたけれど、hontoでは50%offなどというのが、以前は良くきていた(最近はみかけない)。
楽天カードを使うようになって、楽天Koboも使うようになっているけれど、こちらも20%offとか、100円offといったクーポンが来る。

貧乏人根性で、こういうのがあると、使ってトクしようと思うものだから、クーポンの期限が切れる前に、一つ買ってみた。
角川の「ビギナーズ・クラシック」シリーズの「枕草子」、265円である。
これに100円offのクーポンを使い、さらに貯まっている楽天ポイントを充当したので、支払は0円。

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すると、またクーポンが来たり、貯まったポイントでも期限のあるものがあったりしたので、このシリーズはえらく安いから、他の作品も買ってみようと思った。
眼をつけていたのは、和泉式部日記で、その時は265円だったと思う。

で、買おうかと思ったら、値段が改定されていた、529円。
なんと、264円、100%近い値上げである。

我が目を疑ったので、購入済の枕草子は、今いくらで売られているのか確認したら、これも529円。

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こんなことってあるんだろうか。
このシリーズは、もう一つ使いにくいところがある。とくに古文の解説があんまりないので、原文で鑑賞するのには適さない。これを買おうと思ったのは、とんでもなく安かったからなので、100%も値上げされたら、買う気にはなれない。(もっとも、はじめから529円だったら、やっぱり安いから買ってみようと思ったかもしれないが。)

話は変わるが、KoboのAndroid版は、図がきちんと表示されないコンテンツがある。
具体的には、岩波新書「女帝の古代日本」という本だけれど、これをKoboに連絡したら、向こうもそのバグは確認したとのことなのだが、もう数ヶ月経っているが、未だに直っていない。

向こうは返金しましょうか、と誠意は見せてくれているのだけれど、文字部分は全部読んだ後だから、返金してもらわなくて結構、完全動作をよろしくお願いしますということにしたのだけれど、ちょっと時間がかかりすぎているようだ。


【追記】

上述の障害は解消されていた(2017.4.5確認)。
ちょっと奈良時代の女帝の称号について調べようとして、久しぶりにこのコンテンツを読んだら、図表がきちんと表示されるようになっていた。
コンテンツの再ダウンロードはしていないので、アプリ障害だったようだ。


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日本の税金:新版

昨日の記事では、e-Taxできちんと確定申告を行い、不足額を追加納付することを書いた。

税金をきちんと払うのは、揶揄で言うのではない、国民の義務である。

今日は、税金についての本の書評、確定申告をするちょっと前に読んだ三木義一「日本の税金:新版」について。

この本の序章は「私たちは誰のために税を負担するのだろう?」というタイトルが付いているのだけれど、まずはじめに、「税法は法律の中でももっとも難しいものの一つで、弁護士もほとんど知らない。その難しい法律の内容を正確に理解して、様々な項目の計算をした上で初めて税額が出てくる」と前置きして、こんな一節がある。
間違えて税額を少なく申告すると加算税という制裁が課される。有利な制度があることを知らないために税額を高く計算して申告したら、税法を知らなかったお前のミスだから救済はしないと言われる。計算に誤りがあった場合には、申告期限から一年以内に限って減額してくれる。しかし、一年以上過ぎてからわかった場合はダメだ。ところが、税務署には五年間も減額する権限はある。そこで、税務署に「嘆願書」を出して、嘆願すれば、助けてやらないわけでもない、と言われる。まるで江戸時代の農民がお代官様に嘆願しているようだ。
nihon_no_zeikin_sin.jpg まぁ、国民は踏んだり蹴ったりの眼に合わされるというように書いてあるのだけれど、これに続けて、国民主権の時代であり、税制の枠組みもまた国民が(代表を通じてだが)決めるようになっていると続ける。
もちろんそんな実感はない。やっぱり税金は盗られるものというのが普通の感覚。

知り合いの役人がこんなことを言っていた:

税法には目的は書かれていない。


普通、法律には制定趣旨や目的が最初に書かれている。ある本に書かれていたことだけれど、具体的な法適用について解釈に困ったときは、趣旨・目的に沿って考えるべきだという。税法にはそれがない。

もちろん法案が出るときには目的があるのだろうけど、条文には書かれないという意味。
また、目的を書くと目的税と誤解され、使途が限定されるおそれがあるのかもしれない。しかし、何に使うかではなく、課税の論理として考えれば良いのではないだろうか。福祉目的税を作ったとしても、一般財源からその分が減額されるだけの玉突きになるのが関の山なわけだし。


本書でも例として取り上げられているが、印紙税というのがある。契約書などに貼るあの証紙である。
これを貼らなければ脱税となって処罰の対象になるけれど、貼らなかったからといって契約が無効になるというようなことはない。貼ってもなんのご利益もない。
一体、印紙って何のためにあるの?
答えは、税金をとるためである。

序 章私たちは誰のために税を負担するのだろう?
第1章所得税-給与所得が中心だが給与所得者は無関心
第2章法人税-選挙権がないので課税しやすい?
第3章消費税-市民の錯覚が支えてきた?
第4章相続税-自分の財産までなくなる?
第5章間接税等-税が高いから物価も高い?
第6章地方税-財政自主権は確立できたのか?
第7章国際課税-国境から税が逃げていく
終 章税金問題こそ政治
それはさておき、本書は大変良い本である。
国民が自分の権利と義務を考える上で、税金というフィールドで考えることが、もっともわかりやすいと思う。そのことが各税の枠組みが具体例を交えて説明されている。

たとえば、一部の金持ちや貧乏人でも税法を誤解している人の批判の的になる累進課税でも、所得の再分配効果が期待されているわけで、批判するならその効果を吟味しなければならない。

思うに、富というのは「マタイ効果」があって、同じだけの努力をしたとしても、生まれや運で少しの差がついたときに、富の蓄積は増幅されてしまうものである。そしてそのことが固定化すれば、国民の間に不公平感が蓄積し、結局は安定を欠いた格差社会になってしまう。つまり、課税の理屈も、その効果も、誰もが納得できるものだろう。

一方で、印紙税がそうじゃないかと思うのだけれど、税をとることを目的としたんじゃないかという税もあるようだけど。

税を盗られるものと考えていては、正しい税のありかたを考える主権者にはなりえない。

だから源泉徴収で税について考えないようにしているという見方もあるようだけれど。


以前、ある市の市長さんが、障碍者の方から、(今までいろんな優遇を受けてきたけれど)、ようやく税金を納めることができるようになったと嬉しそうに報告していただいた、という趣旨のことをしゃべっていたことを思い出す。

ところで、今まで意識してなかったけれど、地方税の税率は自治体によって違う。地方税法が定めるのは標準税率で、各自治体はその1.5倍までは独自の税率を定めることができる。
軽自動車税については、実際、標準税率の1.5倍(上限いっぱい)の自治体があるらしい。

で、思ったのだけれど、税率を安くして、他自治体住民の軽自動車の登録を引き寄せれば、トータルで増収になるんではないだろうか。
タックス・ヘイブンというか、リベリア船籍の船というか。ふるさと納税が、変な歪みを起していると批判されているから、それに代えてどうだろう(宣伝したら絶対批判されると思うけど)。

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e-Tax

マイナンバーカードを作ったので、昨年分の確定申告はe-Taxで行った。

住基カードの公的個人認証でもe-Taxをやろうと考えたけれど、当時は給与収入のみ、保険料控除もすべて会社側で計算されていた。収入額も小さいから、申告不要の扱いであるから、e-Tax還付制度(初回利用で何千円だかが還付される)があったにもかかわらず、結局やらなかった(還付金ほしさにやっていた人もいたけど)。

今は、年金と給与・報償費があって、年金の額が少なくて源泉徴収されていないので、確定申告しなければ、課税漏れになってしまう。実際、昨年は3万円ぐらい、今年も1万数千円の追加納税である。

2017-03-05_201429-crop.png まずはマイナンバーカードの電子証明書で、e-Taxの個人識別との紐づけをする。
以前、住基カードでやろうと考えた時に、一旦電子証明書を登録してあるが、「初めて」じゃなかったのかもしれないけれど、証明書が替わっているから、初めてということにした。

前に登録したのは、e-Tax開始まもなくのことだったから、おそらく2005年あたり、今から10年以上も前のことなので、気持ち悪いし。


登録自体は何の問題もなく、いわゆるe-Tax準備作業は簡単に行える。
また、宛名人メールの登録ができるようになっている。どのぐらい活用してくれるのかわからないけれど、税務署にメッセージボックスというのが用意されていて、そこにメッセージが入ると、宛名人メールへ通知されるらしい。

本体の申告だけれど、今までは国税庁の確定申告のサイトで、申告書のPC作成・書面提出を行っていたので、特にまごつくようなところはない。
指示通りに、あちこちから受け取った源泉徴収や控除の証明書の該当数字を間違いなく(これに気を遣う)入力していけば良い。

これがダメとは言わないのだけれど、マニュアル類はこの手順を追っかけるような感じ。知りたいのは手順や画面遷移ではなくて(そういうのは操作すればわかる)、データの相互関係とか、計算モジュールの関係とか、どういう構成になっているか、つまり「仕掛け」を教えてほしい。それがわかれば自分の「位置」を見失うことなく、安心して入力できると思うんだけど。


2017-03-05_205018-crop.png マイナンバー制度ができて、さすがだなと思ったのは、配偶者控除を受けていると、私のマイナンバーだけでなくて、配偶者のマイナンバーも入力するようになっていること。
配偶者の申告はe-Taxじゃなくて郵送する予定だから、突合せはいつやるんだろう(あるいはやらない?)。

ところで、昨年は追加納税は振替納税で行ったのだけれど、e-Taxでは納税方法を指定するシーンがなかった。
私は振替納税にしたいのだけれど、税務署側で去年のデータを引っ張ってきてくれるんだろうか。口座登録自体は、何度もするようなことにはなっていなかったように思うのだけれど。
2017-03-05_204404-crop.png

利用者に安心感を与えるには、申告後の流れを案内し、つまり還付あるいは追加納税の方法を選択させるべきだと思う。


それにしても、マイナンバー制度ができたんだから、源泉徴収とかマイナンバーを使っている収入や控除のデータは税務署側が持っているわけだから、ログインしたら、それらを全部表示してくれて、他に申告するものがあるか、というふうになっていたら、ものすごくラクだと思うんだけれど。

今回からか、e-Taxで申告する場合、源泉徴収票や生命保険控除などの添付書類が不要になった(ただし、5年間保存義務がある)。これはちょっとありがたいけれど、考えてみれば第三者証憑というのは、そっちからデータが税務署へ行っているはずだから、アタリマエだという気もする。
(それともそうした第三者機関がウソをついてないか確かめてるんだろうか。)


収入・資産を把握しているぞと、マイナンバーを国民への脅しだけに使うんじゃなくて、まじめな納税者が手間をかけないで済むようにしたら良いと思うんだけれど。
使いもしないムダな機能・サービスを高い金をかけて作って、便利でしょなんてバカなことはやめて。

やっぱりマイナンバーの主務官庁は国税庁にしてもらいたい。


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科学の発見~練習問題

ワインバーグ「科学の発見」は各章末に練習問題がついている。

1 タレスの定理
2 プラトンの立体
3 和音
4 ピタゴラスの定理
5 無理数
6 終端速度
7 落下する水滴
8 反射
9 水に浮かんだ物体と水中に沈んだ物体
10 円の面積
11 太陽と月の大きさと距離
12 地球の大きさ
13 内惑星と外惑星の周転円
14 月の視差
15 正弦と弦
16 地平線
17 平均速度定理の幾何学的証明
18 楕円
19 内惑星の離角と軌道
20 日周視差
21 面積速度一定法則とエカント
22 焦点距離
23 望遠鏡
24 月の山
25 重力加速度
26 放物線軌道
27 屈折の法則をテニスボールによって導き出す
28 屈折の法則を最短時間から導き出す
29 虹の理論
30 屈折の法則を波動説から導き出す
31 光の速度を計測する
32 向心加速度
33 月と落体との比較
34 運動量の保存
35 惑星の質量
各章で言及された数学の定理や物理法則などについて、結論は本文中にも書かれているのだけれど、それを読者が自分で導くようになっている。

なお、それぞれの解答は、巻末に「テクニカルノート」として収録されている。
これって、なかなか良い問題集になる。


この本は、大学での講義が下敷きになっているとのことだけれど、こうした練習問題は、講義を聴いた学生への宿題としたのだろうか。
もしそうなら、学生に自分の頭で考えて確かめさせ、科学的態度というものを身に着けさせようとしたわけだ。

このあたりが文科系(一括りにしたら怒られるかもしれないが)と理科系の違い。
教科書を読むにしても、教科書が描く世界をきちんと理解するのが理科系の勉強の基本。
対して文科系では理解する対象は教科書ではないらしい。

以前、就職してからのことだが、社内研修で経済学の連続講義があったのだけれど、私は教科書を読みこんで、書かれているマクロの方程式の理解に努めて授業に臨んだのだけれど、経済学部出身の人は、既知のことだからかもしれないが、教科書はそっちのけで関連する経済誌の記事などを拾い集めて授業に臨んでいた。

教科書を理解した上でのことならば立派なことなのだけれど、確固とした体系を持たずに知識の切り貼りだったらどうだろう。
それに体系的でなかったら、背理法のような強力な推論が使えなくなってしまうんじゃないだろうか。


さて、本書に収録されている問題は右のとおり。
問題も解答も簡単に想像がつくものもあれば、どういう着眼点だろうと思うものもある。
「屈折の法則」なんてやけにいろいろ証明を付けている。
著者も書いているが、高校卒業程度の学力があれば十分理解できる範囲である。

ただ、情けないことに、歳をとったせいか、しっかりと証明を追いかける気力がなくなっている。


最初の「タレスの定理」の証明に付いている図をあげておこう。
Thalēs_theorem_red 「タレスの定理」は勿論、物理学ではない。数学である。
本書ではこの定理について特にとりあげているわけではなくて、「万物の根源は水」と言ったとされることから、根拠も何もない哲学的思索の端緒というような形でタレスを紹介し、その一方で数学的業績について触れている。

次の図は「虹の理論」に付いているもの。
rainbow_ray_blue.jpg 虹というのは物理学者にはとても魅力的らしい。
ウォルター・ルーウィン「これが物理学だ」でも虹の説明にはやけに力が入っていた。

ルーウィン先生、セクハラでクビになっちゃったけど、どうしてるんだろう。


どうだろう、この練習問題、どれもワクワクするようなことじゃないだろうか。

数学は科学じゃないと言うけれど、科学を推し進めるには数学が不可欠ということバレている。
もっとも、紙の上でできることといえば、やっぱり数学が中心になってしまうのはしかたがない。


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科学の発見

img_de20f707265ab56d5a6d96cb62d465ec3313156.jpg 前にもちょっと触れた、ワインバーグ「科学の発見」について。

そんなにいろいろ読んだわけではないけれど、今まで読んだ科学史の本というのは、さまざまな危機(理論の矛盾点や説明不能の事象)がありつつも、その危機を克服しながら、進歩してきた歴史が描かれていた。 そして、それゆえに科学は、現在の到達点に向かって、順調に成長してきたという印象を持つ。

そのような科学史では、コペルニクス、ガリレイ、ケプラー、ニュートンと、逐次、真理に近づくのに貢献した人達の名前が出てきて、着実な科学の進歩が跡づけられる。

しかし、この本では、そうした時代を進めた人だけでなく、同じ対象について思索を深めながら、近代科学の発展には貢献しなかった人、あるいは時代を停滞させた人もとりあげられ、何故間違ったのか、どこで間違ったのかが考察されている。今まで名前も聞いたことがなかった人たちも多い。

業績をひろっているのが普通の科学史で、教科書的にまとまるけれど、これは、不業績もひろっている。
つまり、そうした科学史の知識は、人間の営み全般ではなくて、そのなかの成功した部分の歴史にすぎなかったというわけだ。

第一部 古代ギリシャの物理学
第一章まず美しいことが優先された
第二章なぜ数学だったのか?
第三章アリストテレスは愚か者か?
第四章万物理論からの撤退
第五章キリスト教のせいだったのか?
  
第二部 古代ギリシャの天文学
第六章実用が天文学を生んだ
第七章太陽、月、地球の計測
第八章惑星という大問題
  
第三部 中世
第九章アラブ世界がギリシャを継承する
第十章暗黒の西洋に差し込み始めた光
  
第四部 科学革命
第十一章ついに太陽系が解明される
第十二章科学には実験が必要だ
第十三章最も過大評価された偉人たち
第十四章革命者ニュートン
第十五章エピローグ:大いなる統一をめざして
そして名をなした、科学を進歩させた偉大な人に対しても、誤りについては厳しい。
なかでもデカルトなんて、物理学には何の貢献もしていない、数学だって座標の導入は画期的だが数学的真理として大した発見はしていないという。哲学者であると。

その時代の偉人だからといって、偉いとはいわない。
科学の評価は科学の尺度で行う。そしてその科学の尺度というのは、近代になってようやく確立したものである、したがって、現代科学の眼で過去の「科学」を評価する。

もちろん(科学的には間違った)認識が人間の歴史に与えた影響は無視できるものではないと思うから、文化史とか経済史というようなものなら別だろうけれど、真理を求めるのが科学であるなら、これが科学史的評価だろう。

本書では、数学は科学とは違うとも指摘している。
私もそうだと思う。
数学は数学のためにあると考えている私だけれど、やっぱり宇宙の真理は数学にはない。

数学と物理の違いについて、数学の授業ではこんなことも言っていた。

物理の人って微分方程式には解があることがアプリオリなんですよね。
数学では解の存在証明が大事なんだけど、物理屋にしてみれば、自然現象を記述しているのが方程式、それに解が存在しないなんて、自然現象が存在しないことになるのか、というわけです。

その一方、こんな話もある。

数学では、1/2乗のオーダーでも収束する近似式を発見したら立派な業績だけれど、物理ではそんな緩い近似式なんて、計算しても丸め誤差が累積するだけで何の意味もないでしょう。


それはともかく、数学においては科学とは異なり、神が介入する余地はない。
ある定理が成り立つということは、まさに神の御業だと喜ぶことはできるかもしれないが、神が作った公理系は存在しない。

本書では、古代ギリシア人は科学的真理ではなく、美を優先したと指摘する。
だから、彼らは、数学(哲学)では偉大な成果をあげたにもかかわらず、物理学では成果をあげなかった。
数学的思索の産物としては、音楽(ピタゴラス音律)では成果をあげたと思うけれど、悲しいかな、「美しくない」無理数を認めない(というか使おうとしない)から、ギリシア人は平均律にはたどり着きようがなかっただろう。

それにしても、世界は美しく見えて、実は結構歪んでいるわけだ。

真っ直ぐ、つまり真理と美が一致してたらこんなに紆余曲折はなかったかも。

誰の作品だったか忘れてしまったけれど、こんなSFショートショートを読んだ憶えがある:

宇宙は神様たちが作った。
神様たちは、分担して自分の持ち場の宇宙を創る。
ところが中に出来の悪い神様がいた。
その神様が作った宇宙は、空間は歪んでるわ、スペクトルは赤方に偏移しているわ、できそこないなのであった。

オチは忘れてしまったけど、こんな宇宙を「矯正」したら、中で暮らしている人間はどうなっちゃうんだろう。

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Androidのファイラー(新)

unnamed.png 前にAndroidのファイラーとしては、ファイルマネージャーHDが良いと書いた。

ところが、この頃、このファイラーでOneDriveにアクセスすると「ファイルがありません」となって、使えなくなっていた。
一旦、OneDriveの設定を消去して、再度、設定しなおしても、結果は同じ。

いろんな作業ファイルをOneDriveに置いているから、これは致命的な問題である。
しばらく、純正のOneDriveアプリから開いていたが、このアプリは随分操作性が悪い。
この際、普段使うファイラーを変更することにした。

Screenshot_20170220-110109.jpg ネットで調べても、Androidのファイラーに関して、新アプリが出たとか、特別なニュースはなさそう。

推薦ファイラーというようなネット記事があって、X-plore file managerなども推薦されているけれど、このアプリはファイルに対する操作(コピー、移動、削除、フォルダ生成など)は充実しているのだけれど、ファイルを指定してアプリを開くという、基本的な部分がなってない。

私のように、「対象指定→アプリ選択」という操作が好きな人種にとっては、ファイラーはファイル操作をするためだけに使うのではなく、ランチャーでなければならない
AndroidがiOSよりも使いやすいというのは、こうした点である。
Windowsで、ファイルを右クリックして「送る」というのが好きな人は、絶対Android向きである。

結局、前の記事で、OneDriveのフォルダーを開くのが遅いという理由で、採用しなかった"Solid Explorer Classic"を使うことにした。

OneDriveを開くのが遅いということについて、OneDrive上のフォルダ、ファイル数は前よりかなり多くなっていること、端末は高速化されていることなど、プラス、マイナスの環境の違いがあるけれど、OneDriveを開く時間は5~6秒、OneDrive内の特定フォルダを開く時間は、小さいもので数秒、大きいもので十数秒というところなので、実用上、許容できるものと思う。

Screenshot_20170220-110131.jpg ということで、久しぶりにファイラーを変更して、Solid Explorerを常用することにした。

Solid Explorerには、他にも良い点がある。
ファイルマネージャーHDではできなかったフォルダ・ショートカットの作成ができること。

今までは別アプリを使ってショートカットを作成していたけれど、それだと、普段使いのファイルマネージャーHDからと、ショートカットから開く場合で、GUIが変わるわけで、これはこれで面倒だった。
Solid Explorerを使うことで、アプリの違いによる操作上の混乱はおきない。


その他、起動時に開くストレージを指定できるなど、使い勝手はファイルマネージャーHDより上だろう。

というか、もともとファイルマネージャーHDを使っていたのは、クラウド・ストレージを素早く開けられるという一点だったから、それがうまく動作しないなら、使う値打ちはない。


それに、以前、"Solid Explorer"は有償版を購入していたのに、今まで使っていなかったわけで、これは精神衛生上もよろしい。

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日本語の科学が世界を変える

matsuo_nihongo_no_kagakuga.jpg 松尾義之「日本語の科学が世界を変える」について。

何か時間潰しに読むものはないかと、図書館でタイトルだけ見て借りた。
タイトルから想像したものとは全く違っていた。

私が想像したのは、日本語を科学する、つまり、日本語の統語構造や、表現、文字づかい(漢字と仮名)などを説明し、外国語の吸収の歴史を踏まえて、世界を記述する言語として優位性があるというようなことを主張するといったこと。

この本は、そうではなくて、日本語でする科学的活動が世界に貢献するという主張の本だった。

私が思ったのは日本語を研究対象とする科学、この本は日本人が科学研究をするときには日本語を使っているという、言われればアタリマエのような話である。

Amazonのレビューには評価の低いものがあるが、そうしたレビュアーは、この本を、何か系統だった、科学的な論説と勘違いしているのだろう。
これは、仕事をしていて感じたことを書き連ねたエッセイとして読むものだ。


つまるところ、日本語が優秀だというわけではなく、西欧が未だにキリスト教の呪縛が強いことと対比して、日本が有利、あるいは多様な文化が交流することが新しい発見につながるというような、これもまた至極普通の話である。いろんな経験談を紹介して、そうでしょう、と同意を求めてくる。

第1章西欧文明を母国語で取り込んだ日本
第2章日本人の科学は言葉から
第3章日本語への翻訳は永遠に続く
第4章英国文化とネイチャー誌
第5章日本語は非論理的か?
第6章日本語の感覚は、世界的発見を導く
第7章非キリスト教文化や東洋というメリット
第8章西澤潤一博士と東北大学
第9章ノーベル・アシスト賞
第10章だから日本語の科学はおもしろい
というわけで、なんや全然思ったのと違うがな、というわけだけれど、私が勝手に勘違いしただけで、この本に罪があるわけではない。
それに、それなりに面白い話が盛り込まれている。
著者が直接・間接に付きあって来た多くの科学者の話である。この中のどなたともお付き合いできないのが普通なのに、著者は実に多くの人と直に話をされているのだから。

湯川秀樹、山中伸弥、木村資生、西澤潤一、蔡安邦、……


ここでそれらを紹介するつもりはないけれど、著者はかなり強引に、各先生に「あなたの研究は何語でされているのか」という問いをぶつけたが、多くの先生はその質問の趣旨が理解できなかったということも書かれている。
やはり、かなり強引なエッセイと言うべきか。

科学的真理というか、真理に限らず「命題」というものは、特定の言語で表現されなければならないというものではないと思う。命題の内容・真偽は言語形式に依存しない。

ところで、論理的思考というのは、書き言葉と密接に関係するという説がある。
ジェイムズ・グリック「インフォメーション 情報技術の人類史」に紹介されている話だが:

雪が降る極北では、すべての熊は白い色をしています。
ノヴァヤ・ゼムリャは極北にあって、常に雪が降ります。
では、そこの熊はどんな色をしていますか?




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科学vs.キリスト教

41H3YjIWA2L.jpg 昨日は「大洪水」をとりあげて、創造主義者と括るには、科学的態度をとろうとした人達がいたようだという趣旨のことを書いた。

それは、ちょうど、岡崎勝世「科学vs.キリスト教」を読んでいたから。
この本では、そうした「虚しい努力」の歴史が丁寧に書かれている。

ただ、読んでいて全然面白くはない。
真理に近づくワクワク感がないからである。
面白くないから、論に集中できない。
集中できないから、いらぬことが思い浮かんでくる、あれはどうなんだ、とか。
そして、そういういらぬことが浮かぶのは、実は、文章中の言葉に触発されるから。

本書から得られる教訓は、科学を盲信してはいけないことだと思う。
その反面教師として多くの知性の努力が描かれている。
私にはなじみのない名前が連なるのだけれど、もしそういう人達と同時代に生きていたら、案外、コロッと「騙されて」しまったかもしれない。

本書で紹介されているウィリアム・ウィストン「地球の新理論」(1696年)の記述を抜き出してみよう。
まず、太陽系の運動について。
 原初の地球も月も完全な円軌道上を動いていた。従って一年は現在の太陽年より10日と1時間30秒短かった。地軸の傾斜がなかったから昼と夜の時間が等しく、季節の変動もなかった。自転していなかったから、太陽や惑星は西から東に移動した。地表にはまだ大洋はなかったが、小規模な海や湖のほか、川や平野、山脈なども、すでに今日と同様の状態で同じ場所に存在していた。エデンの園は、合流しているチグリスとユーフラテスが4本の流れ、すなわちピソン、ギホン、チグリス、ユーフラテスに分かれる場所にあった。・・・・・・
「神の呪い」により、地球の自転が開始され、これに伴って最初球体であった地球が楕円体となったし、自転開始時に地軸が傾斜して今日に至っている。このときから太陽が東から昇るようになり、四季の変化も始まったのである。

どうだろう、一年は今より「10日と1時間30秒短かった」なんて、細かい数字を挙げていて、いかにもきちんと計算した風ではないだろうか。

昨日とりあげた大洪水については、見事にそのときの状況が描写されている。
 大洪水は神の怒りによるものとはいえ、現実には自然学的原因、すなわち接近した彗星によって引き起こされた。楽園のあった地域では紀元前2349年11月27日木曜日、朝の8時から9時の間に発生した。それは、黄道面を近日点に向かって下降してきた彗星が、大洪水の最初の日にわが地球の直前を通過し、地球が彗星の大気と尾を通過することになったからである。大量の水蒸気が供給されて、40日間にわたる豪雨が始まったのである。聖書にある二度目の雨は、通過後の再接近の際に尾から再度供給された水蒸気によるもので、95ないし96日間の長期間続いた。彗星は、結局、大洪水に必要と計算される水量の半分を供給したのである。
 彗星はまた、深淵から水をあふれさせた。接近した彗星の引力によって深淵内の水に潮汐運動が起こって地球が卵形に変形し、変形で弱体化した部分で、地殻に割れ目や裂け目ができた。一方、豪雨開始から1時間もすると彗星から供給された水の重量も膨大なものとなり、その重さが地殻を押し下げる圧力として働いた。この圧力により、裂け目を通じて水が深淵からあふれ出たのである。そして雨による水と合わさって巨大な洪水となり、水は全地球を、山々の頂を越えて覆い尽くしていった。

まるで見てきたかのような迫真の描写である。
なるほど、洪水というのはこんな風に起こったのかと、なかなか説得力がある。
子供達、いや大人だって同じ、このように教えられたら、騙されて、このまま信じてしまうだろうと思う。
実際、当時の人の多く、いや現代アメリカ人だって、これを信じているのだから。

しかし、この描写、ファンタジー小説とかファンタジー映画としてなら、立派な作品になってるかも。
そうか、聖書ってファンタジーだったんだ。だから人気があるんじゃなかろうか。


ウィリアム・ウィストン「地球の新理論」(1696年)
第一章 科学革命と普遍史の危機 ―宇宙から機械論的宇宙へ
デカルト、バーネット、ニュートン、ウィストン
1 デカルトと普遍史の危機 ―デカルト『哲学の原理』(1644)
2 ニュートンと普遍史の変革
第二章 啓蒙主義における自然史の形成と人間観の変革
ビュフォン、リンネ、ブルーメンバッハ
1 ビュフォンの自然史記述と啓蒙主義的世界史
2 人間観の変革
第三章 ドイツ啓蒙主義歴史学における普遍史から世界史への転換
ガッテラー、シュレーツァー
1 ガッテラーにおける普遍史から世界史への転換
2 シュレーツァーにおける普遍史から世界史への転換
第四章 進化論と世界史 ―世界史記述におけるアダムの死
ハックスレー、ラボック、ダーウィン、ケルヴィン卿
1 ハックスレーとラボック ―「アダム」から「先史時代」へ
2 進化論と地球の年齢の問題 ―ダーウィンとケルヴィン卿
騙される」なんて不穏当な言葉を使ったけれど、もちろんウィストン氏が世間を謀ろうなどとしたわけではない。大真面目で考え、数々の反論に対して立ち向かう。

なかでも、こういう論ですら、キリスト教会側からは許せないものであって、断罪されるかもしれない危険を冒しながら、だから注意深く、論を展開しているという。

地動説を主張したジョルダノ・ブルーノが火あぶりにされたのは100年足らず前である。
そして、この100年の間に、ニュートンの万有引力の法則(1665年頃)が、宇宙の新しい姿を描いていて、多くの聖書学者が、ニュートンを否定せずに創世記を理解しようとしているという。
本書中でグールドの言葉が紹介されている、虚しい努力と。

しかし、ちょっと思う。
この黴臭い、現代から見れば無価値な研究でも、当時は偉大な知性だったのだ。
この人達の研究は、同時代人の眼で評価すべきで、虚説として退けるつもりはないというのが著者の立ち位置らしい。
対して、ワインバーグ「科学の発見」は、科学的「価値」を問題にする。同時代での評価は考慮せず、現代科学の眼で過去の「科学」を探求する。

ワインバーグの本も、本書と同じような「科学の進歩」を記述するのだけれど、ワインバーグの独自の視点は、科学はそこにあるものではなく、「発見」されなければならなかったと指摘することだと思う。言い換えるなら、「科学的態度」というものは、それまで存在しなかったということだと思う。


偉大な業績を上げた人が、新説を攻撃するという例は、科学史には山ほどある。
コペルニクスの地動説は、惑星は完全な円軌道としていたために、観測事実と合わなかった。
天動説は、長い歴史のなかで修飾され、ソフィスティケイトされていて、地動説より観測事実に良く適合した。
結局、どっちも間違っていたといえるけれど、後の科学の進歩には、もちろん天動説が有効であったことは言うまでもない。

やはり、科学的態度であったかどうかが重要なんじゃないだろうか。

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