四月のパリ

gatag-00004680-crop.jpg 今日で四月も終わり。
日本では四月は新年度の浮き立つ気分。

四月というと、爽やかさいっぱいの「四月のパリ」という歌を思い出す。

Isabelle Aubret-En avril à Paris(YouTube)
○四月のパリEn avril à paris(訳詩)


原題に忠実にいえば「四月に、パリで」ということになるようだけれど、パリでは恋の季節らしい。
古いシャンソン(1953年)だけれど、いささかも古さを感じない。(けど懐かしさを感じる)

YouTubeで検索すると、何人かがカバーしている。
私が聴いたことがあったのは、ダニエル・ビダルというフランス人形のような歌手が歌ったものだが、それはYouTubeには載っていないようだ。

昔のレコード屋では、ポップスのコーナーは、ロック、カントリー、フォークなどと並んで、シャンソン、カンツォーネというような分類がなされていたのだけれど、この頃は、アメリカ系の発信力が優勢となり、シャンソンもカンツォーネも一括りに"ワールドミュージック"というような扱いである。

微妙な陰影(転調)をご鑑賞ください。


残念ながら四月のパリに行ったことはない。というか、今まで一度しかパリに行ったことがない。
誰だったかな、「パリにゆきたしと思へど、パリはあまりに遠し」。

間違いでした:
   ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し
                        萩原朔太郎 「旅上」


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昭和史のかたち

今日は「昭和の日」。
私のような年齢の人は、反射的に天皇誕生日と思うのではないだろうか。
今上陛下が退位されても、「平成の日」が定められることはないと思う。やはり昭和は特別な時代だった。

Showashi_no_katachi_cover.jpg というわけで今日は、保阪正康「昭和史のかたち」について。

この著者については、以前から、一定の信頼を寄せている。
著者の意見や論評は、そう突飛でもアジテーショナルでもないということもあるが、史料へのあたりかたが丁寧で、幅広いようだ。それにテレビのドキュメンタリー番組などで目にする、著者が、その時代の経験者などから証言を聴く姿勢などに、この人の言うことは信用しても良いんじゃないか、という気になる。

さて、この本は、目次でわかるように、いろんな図形などが社会事象と結び付けられている。しかし、この図形は解説のための図解ではなくて、「たとえ」である。
その事象が持つ特徴が、どういう図形をイメージさせるのかといった性質のもので、事象を図解するというものではない。従って、そのたとえについて、なるほどそういうたとえも可能かなとか、これはちょっと無理があるなというのが率直な感想である。

そういう意味では、子供の頃、親に数学を教え込まれた(そして数学がイヤになった)という著者の一種の無理ワザでもある。なるほど、これはうまい譬だというのもある。そしてそのやりかた、アイデアがどれだけの事象説明に通用するのか、やってみたという感じである。

Showashi_and_square.jpg なかでも、うまい譬だと思ったのは、
「第2章 昭和史と正方形 ―日本型ファシズムの原型」。
国民を檻に閉じ込め、それを狭め、圧迫する(右図)。
その4つの壁が、「情報の一元化」、「教育の国家主義化」、「弾圧立法の制定と拡大解釈」、「官民挙げての暴力」であるとする。
これはなんだか、とても感じが出ているように思う。

三角や四角、円というのはともかく、座標軸を考えて分析するアプローチするのは、それなりに問題の所在を明らかにするのに有効なようだ。
たとえば「第8章 昭和史と座標軸」ではこのような考察が書かれている。
戦記・戦史の著者を、所属司令部を横軸に、階級を縦軸にとって、プロットすると、太平洋戦争の戦闘は意外なほど検証されていない、兵士の証言が語られてこなかったことが、戦後社会の歴史的欠陥だと指摘する。
将校たちは兵士に「戦死」を強要しながら、自分たちはひたすら生き残ることのみを考えている。
「戦争という軍事的行為を自らの栄達の手段と考えて、兵士たちの生命を平気で利用するその人間的退廃」。

この手法は「第10章 昭和史と平面座標」でも使われていて、天皇の戦争責任を、{法律的|政治的|歴史的|道義的|社会的}という区分を横軸に、{開戦|継戦|敗戦|終戦|臣民に犠牲を強いた|臣民の生命を危機に陥れた}を縦軸にとって分析している。
漠然と天皇の戦争責任と括るより、問題の所在を見つめる議論になりえる良い視点だと思う。
ただし、実際に検討するにあたって、気をつけなければならないのは、天皇は相手に応じた受け答えをする、つまり相手によって反対のことや矛盾することを答えることがあるという。天皇自身が、統治と統帥に分裂していたのかもしれない。

そうとしても、天皇を祀りあげることで、結果的に無責任な位置に安住しようとした軍の卑怯な態度は、否定できないだろう。もっとも戦後、その構図が見透かされたからこそ、卑怯者は追及されたが、天皇の戦争責任は追及されなかったのだろう。


こうした分析的視点に混じって、というかそれを支えるように、種々のエピソードがとりあげられている。
たとえば、軍事主導体制一色となったらどんなことになるのか、その結果が列挙されている。

1 軍事主導体制は、あらゆることが軍事のみに収斂されることになる。
2 兵士たちには命に値段がつけられているというのはあまり知られていない。
3 学問研究の内容は軍事的に価値があるか否かが判断の基準になる。


はじめに
第1章 昭和史と三角錐
―底面を成すアメリカと昭和天皇
第2章 昭和史と正方形
―日本型ファシズムの原型
第3章 昭和史と直線
―軍事主導体制と高度経済成長
第4章 昭和史と三角形の重心
―天皇と統治権・統帥権
第5章 昭和史と三段跳び
―テロリズムと暴力
第6章 昭和史と「球」、その内部
―制御なき軍事独裁国家
第7章 昭和史と二つのS字曲線
―オモテの言論、ウラの言論
第8章 昭和史と座標軸
―軍人・兵士たちの戦史
第9章 昭和史と自然数
―他国との友好関係
第10章 昭和史と平面座標
―昭和天皇の戦争責任
おわりに
2について、軍にそういう経済合理性があったのかと思ってしまいそうだが、それは経済合理性なんかでは全然ない。
特攻に出撃したのは、第一陣こそ職業軍人だが、以降、学徒兵、少年兵で多くが占められることになる。
「軍人一人を育てるのにはずいぶん経費がかかっている」からで、そうではない学生なら良いのだと、これは当時の航空関係の参謀の証言だという。
また、広島に原爆が投下されたとき、広島近郊の旧制中学や高等女学校の生徒が、遺体処理などのために広島市内に動員されている。江田島の海軍兵学校からは行っていない。
海軍首脳部によると「彼らは次代のエリートである。どうして彼らをそういう仕事に従事させることができようか」というのである。

3については、戦時中、多くの大学は文学部を廃止しているという指摘がある。
これなど、最近、文学部不要論なんていうのが出てきたことを連想してしまう。もちろん、戦時下の文学部不要論と、最近のそれとは違うものだけれど、案外、通底する感覚があるのではないだろうか。

1、2に関連しては、こんな証言もとりあげられている。
(元)陸軍の将官に会った折に男の子がいるか聴かれ、いると答えると「戦争で死なない方法を教えてあげよう。陸軍大学校に入れろ」と。陸大に行っていると前線には出ない、後方で作戦計画を練っているだけだから。大東亜戦争で陸大出身者の死者は驚くほど少ない。

そういえば、米国では、階級別戦死者数は階級別人員に比例する、つまりどの階級の軍人も同じ割合で戦死している(上位者の方がやや死亡率が高いとも)が、日本では、圧倒的に下位階級の死亡率が高いという統計があるそうだ。

つまり、今でいうなら、子供の命が惜しければ、防衛大学校へ入れれば良いということらしい。

もっとも民主的軍隊になったらそういうわけにはゆかないだろう。
エリートで無責任、憂国の身勝手なプライドだけは化け物じみて大きい。そういう軍隊にとっては民主教育は都合が悪いに違いない。


もちろん、そんな軍人ばかりのはずはない。率先して危険に身を投じた人も多かっただろうと思う。そうした立派な人を軍人の鑑として顕彰することもやぶさかではない。
しかし、問題は個人の資質にあるのではなくて、構造的な問題だろう。
立派な軍人という人たちは、インパール作戦を止めるのではなくて、そこで死んでいく方を選びがちなのではないだろうか。

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比較敗戦論

今日は、サンフランシスコ講和条約記念日
65年前の1952年4月28日、「日本国との平和条約」が発効した日である。
言うまでもなく、この条約によりいわゆる戦後処理が終了し、日本国の主権が回復したわけである。

今どきの若い人にはピンとこないと思うけれど、1960~70年代は、この日は盛大なデモが行われる「旗日」だったと記憶する。平和条約発効を祝うものではなく、同時に締結された日米安保条約に反対するデモである。

「戦後80年」はあるのか―「本と新聞の大学」講義録
 
まえがき
 
姜尚中
第一回 基調講演
一色 清
姜尚中
第二回 比較敗戦論
      敗戦国の物語について
内田 樹
第三回 本と新聞と大学は生き残れるか
 
東 浩紀
第四回 集団的自衛権問題とは何だったのか?
      憲法学からの分析
木村草太
第五回 戦後が戦前に転じるとき
      顧みて明日を考える
山室信一
第六回 戦後日本の下半身
      そして子どもが生まれなくなった
上野千鶴子
第七回 この国の財政・経済のこれから
 
河村小百合
第八回 総括講演
姜尚中
一色 清
あとがき
 
一色 清
というわけで、本格的な戦後がはじまる日にちなんで、今日は「比較敗戦論」。
「比較敗戦論? なんだそりゃ?」と訝られると思うけれど、この言葉は、“「戦後80年」はあるのか―「本と新聞の大学」講義録”という本の中で使われていたもの。

この本は、一色清、姜尚中をモデレータとして、著名な学者・研究者がそれぞれの専門領域について講義し、Q&Aを含めて編集されたもの。その中の内田樹氏の演題が「比較敗戦論」である。以下、その概略。

前の大戦での敗戦国、日本、ドイツ、フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらが連合国が敵国として認定した国だそうだ。他に国と認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア独立国、満州国、中華民国南京政府などがあるという。

まず意外なことに、敗戦国に、日独伊三国同盟のイタリアは含まれない。
というのは、イタリアは1943年にイタリア王国軍とパルチザンがムッソリーニを倒し、ドイツ軍を敗走させたので、イタリアは戦勝国という理屈になるのだそうだ。(おまけに1945年7月には日本に宣戦布告している。)
sengo80nen_0844b.jpg 最初は日独とともに連合国と戦い、内田氏も書いているように、戦後のイタリアは「自転車泥棒」などの映画で、荒廃した都市の映像が思い浮かぶので、まるで敗戦国のような印象がある。しかし、国土を戦場にしたけれど、最終的に勝利をおさめたという見方もできるわけだ。内田氏によれば、

イタリアは「内戦と爆撃で都市は傷ついた。行政も軍もがたがたになった。戦死者は30万人に及んだ。でも、その経験を美化もしなかったし、否認もしなかった。『まったくひどい目に遭った。でも、自業自得だ』と受け止めた。だから戦争経験について否認も抑圧もない。」という。


イタリアと逆に、フランスについては、戦勝国づらしているが、それは違うだろう、という。(内田氏は専門はフランス哲学ということで、このあたりは詳しいようだ。)
フランスはドイツにマジノラインを破られて、半分はドイツ領に、半分はヴィシー傀儡政権統治となり、大量の労働者をドイツに送って支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人を迫害した(捕えたユダヤ人は国外の収容所へ送られた)。
で、ドイツ軍が劣勢になってから、レジスタンスが膨れ上がり、対独協力政権の中枢人物もレジスタンスに加わるという。
このとき、ド・ゴールが国としての実体はない自由フランスを「戦勝国」にした。米英は認めたくなかったけれど、膠着した戦局の打開にレジスタンスを使うことで、ド・ゴールがうまく立ち回ったということらしい。

ずっとドイツに協力していたフランスが、最後になって、戦勝国に滑り込んだ、内田氏は、疚しさを感じるべきだった、という。そうした総括がないまま戦後となり、そのことが、トラウマになってしまう。つまり、ドイツに協力していたことをみんなが忘れよう、蓋をしておこうという行動に出るようになる。

ドイツは敗戦国とされるが、東ドイツは共産主義革命で建国した、戦勝国という話になっていたそうだ。だから、ナチスの戦争犯罪に対して責任を感じていないという。自分たちはナチスの被害者であり、ナチスと戦ってドイツ国民を解放した、ナチスの戦争犯罪について謝罪する必要はない、という。

他の敗戦国、ハンガリーやタイ、クロアチアなど、どの国も敗戦は忘れたい過去であった。
なお、韓国は戦勝国に座りたかったのだけれど、戦争中、日本と戦う「政府」はなかった。最終的にイギリスなどの反対で戦勝国にはなれなかった。(朝鮮戦争は日本との戦争だと思っている韓国民がいるらしい。)

日本は、前の戦争で犯した罪をきちんと反省し、敗戦の総括をしていない、だからいつまでも中国や韓国、東南アジア諸国との関係に影を落としていると良く言われる。
しかし、どの国も、自らの敗戦についてきちんと総括なんかしていないことは、同様のようである。
だからといって、日本の態度がこれで良いというわけではない。どの国もトラウマを抱えている。

内田氏によれば、結局、国民的な「恥辱」や「怨嗟」がいつまでも血を流し、腐臭を発している。
比較敗戦論というのは、国によって違いはあるものの、どうやらこうした敗戦処理の難しさを浮き彫りにした。そして、この比較論はこうした視野を持っていなかった私には新鮮だった。

話題は少しそれるけれど、内田氏はさらに、アメリカの強さに言及する。これについても少し紹介しておこう。

内田氏は、アメリカの強さは、カウンター・カルチャーを持つことにあるという。
アメリカには、体制を否定・反抗する勢力が常にいて、それがいるおかげで、アメリカに敵愾心をもつ海外のグループからも、アメリカをひとしなみに否定されたりはしないのだという。

そういわれれば、たしかに日本国内でベトナム反戦運動が激しかったころ、米国のステューデント・パワーもベトナム反戦運動をしていた。日本でも米国でも、ボブ・ディランが聴かれ、歌われて、海を隔てて共感していたという風がある。
日本では、米国の学生も反戦運動を戦っているぞ!と受け止められたし、もちろん米国の方では、海外の多くの国で、反戦運動が巻き起こっていると力を得ていたに違いない。
アメリカをこきおろしていた人たちが、アメリカに触れて、かぶれてしまうことも多かったと思う。


米国の一番のトラウマは南北戦争だろうという。
この国民の記憶が、国内でいかなる意見対立があっても、最後の一線、内戦が選択されないことになるのかもしれない。

“「戦後80年」はあるのか”という本は、小さな本で、短時間の講義録という性格から、細かい検証などは行われていないようだけれど、提示されたテーマはどれも興味深い。

上野千鶴子氏の講義については、前に少しとりあげている。


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メドベデワのセーラームーン

2017-04-24_205240.png
月にかわっておしおきよ!
フィギュア・スケート国別対抗戦は、なんと日本が優勝。
男子はスゴイが、女子も随分頑張った。

それはともかくとして、先日行われたこの大会のエキシビションで、やってくれました
メドベデワのセーラームーン」。
いやぁ、期待以上です。

前に「見たかったでゲス」と書いていたけれど、今回、ちゃんとビデオに撮って、じっくりと見せてもらった。

残念ながら、ブログでお見せできるのはビデオではなくて、スティルのみ。
ご勘弁ねがいます(著作権者のかたも)

YouTubeなどには動画が流れてるので、そちらをご覧ください。


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今年の歓送迎会

P_20170425_183059_vHDR_Auto.jpg 昨日は職場の歓送迎会。
2課合同で開催、その上、出入りも多かったので、総勢36名ぐらい。

今の会社は、前のところと比べて、随分のんびりしている。
前のところでは、多くの職場が人事異動初日、つまり通常なら4月1日(今年は曜日の関係で多分4月3日だったろう)にさっさと済ませる。
ということは、異動があった人は、前所属(歓送)と新所属(歓迎)のかけもちになることが多い。

ある同業者から聞いた話では、そこでは、歓送会と歓迎会を別にやるのだそうだ。
その会社は、支所があちこちにあって、しかも交通が不便なので、本社から支所へ異動になると、新年度に新しく着任した支所から本社へ来るのが結構面倒とのことで、旧年度、まだ前所属に居る間に歓送会をやり、新年度に新所属で歓迎会をやるという。

歓送迎会でやると、異動のなかった人は宴会は1回だけになるが、分けると誰もが2回の宴会になるというわけで、それはそれで不公平がないという考え方もできる。


P_20170425_184257_vHDR_Auto.jpg それにしても、今の会社、のんびりしているというのは、日程のことだけじゃない。
17:15に仕事が終わるのに、なんで18:45スタートなんだ?
今回の会場は電車に乗って行くところで、移動に30分ぐらいかかるとはいうものの、それを見込んでも1時間も手持無沙汰な時間を過ごすことになる。
職場の近くでやる宴会でも、たいてい1時間ぐらいの待ち時間になる。

こんなところにも組織の特性があらわれるものかもしれない。


P_20170425_184322_vHDR_Auto.jpg お品書きにはいろいろならんでいるけれど、座が乱れるのが早く、後半の料理はほとんど食べられなかった。かろうじて、巻寿司をつまんだぐらい。

いつも思うのだけれど、みんな向けの宴会コースって、結局、ほとんど誰向けでもないのでは。



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昔の名前で出ています

2017-04-24_195934.png 昨日は、午後休(正確には11:00から)をとって、大阪市内へ。

先週末、突然、携帯に電話がかかってきて、「忙しいと思うけど、ちょっと付きおうてくれんか」と。
電話の主は、前の会社の、前の副社長。今は、前の会社の関連会社に行っているという。

話を聞くと、なんでも監査、といっても公式のではなくて、任意で改善点の助言を受けるというような性格のものなのだけれど、そこで情報システムについて、いろいろ指摘を受けたのだそうだ。

で、以前、私が情報システムに関わる仕事をしていたことを思い出して、電話してきたということらしい。

後で、前の会社に寄ったら、どうもその人が前の会社の部長とかに電話を入れて、私の電話番号を聞き出したらしい。この会社の個人情報保護はどうなってるんだ。


というわけで、私も断りにくいし、かといって今の仕事の一環というわけにもいかず、休暇をとって出向いた。
いくと、7人ぐらいを相手に、監査指摘事項について、どう対応するのかについて、私なりの意見を開陳。

要するに情報セキュリティの問題なのだけれど、私はこの手の質問を受けたら、必ず言うことにしているのは、守るべき情報がどれで、それにアクセスできる人はどの範囲にするのか、まずそれを確認してください、ということ。

今回の案件の中の1例としては、現情報は当該事務担当課が作成するけれど、その決済のために経理部門にデータを送っているというので、それなら、現情報の管理責任は事務担当課で、そこから経理へ送るところまでが事務担当課の責任、それを受け取って金融機関にまちがいなく送信するのは経理の責任、そうした責任分解も含めて明確にしておくことがまず一番。
そして、次に、事務担当課から経理へデータを送るときに技術的対策として何を採用すべきかを考えましょう、とりあえず、USBメモリで搬送しているというのなら、最低、暗号化はしてください、と指示。

技術を導入すればセキュリティが高くなるというものではない、何を守るか、まずそのポリシーを明確にし、職員がそれを自覚して、そのうえで技術を選択する、これを忘れては技術対策はほとんど無意味である、と説教を垂れた次第。

このレクチャー(?)1時間の成果は、昼食をおごってもらったことだけだけれど、まあ、準備も何もなく、思っていることを言うだけで昼飯にありつけるというのは、そう悪いことではない。

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町村合併から生まれた日本近代 明治の経験

9784062585668_w.jpg 松沢裕作「町村合併から生まれた日本近代 明治の経験」について。

昨日取り上げた「明治維新という過ち」よりも随分前に読んでいた本で、書評を書けるほどの感想は持てていなかった。けれど、昨日の記事を書いていると、明治維新がなぜ失敗しなかったのか、その一つの説明に繋がるものだと思い直して、記事を起してみた。

昨日の記事では「明治維新という過ち」という本をきちんと評価するには、他書も読むべきと書いたけれど、この本はそういう本の一つだと思う。

歴史上の事件・動きが丁寧に追いかけられている。
この時代の流れは、あまりに複雑かつ急進的なところがあって、読者としては、これについていくのは相当の集中力が必要である。それについては、本稿で取り上げてもせんないことである。

江戸時代の領地がモザイク状になっているというのは、この本を読む前から知識としてあったのだけれど、それでは、領主は統治するの難しいのではないだろうかということ。
領地が分散していては領主が大変だし、隣接地の領主が違っていては領民も大変じゃないだろうか。
そもそも、平安時代の荘園から、領地というものは、どんどん細分されて、権利関係が複雑になっていく。ひどいのになると村の年貢の何割がA領主、何割がB領主という状態になるわけだ。

はじめに 境界を持たない社会・境界を持つ権力
第一章 江戸時代の村と町
1 モザイク状の世界
2 組合村
3 村と土地所有・村請制
第二章 維新変革のなかで
1 「大区小区」制
2 明治初年の町村合併
第三章 制度改革の模索
1 区戸長たちのフラストレーション
2 内務省と井上毅
第四章 地方と中央
1 地方三新法
2 町村運営の行き詰まりと明治一七年の改革
第五章 市場という領域
1 境界なきものとしての市場
2 備荒儲蓄法
3 道路が結ぶもの
4 市場と地方
第六章 町村合併
1 「自治」の思想
2 合併の遂行
3 行政村と大字
むすび 境界的暴力と無境界的暴力
そういう事情があるから、水利組合や清掃組合など、ご領主さまとは関係のない、地勢的条件による組織が活動していた。つまり、封建時代という言葉とは裏腹に、特定の領主が領民の全生活を律するとか、領地を統治するというような社会ではなく、典型的には殿様とは所詮年貢の納め先でしかなく、殿様と領民に親密な関係などあろうはずがない(領域国家の体裁を持つ大藩なら別かもしれないが)。

昨日の「明治維新という過ち」は武士社会・武士道を礼賛する(百姓あがりの「志士」だから武士ならやらないような卑劣な行為ができる)のだけれど、こうした領主と領民の関係という視点は希薄。もっとも、薩長や土佐は一国領国だから、あまり入り組んではいないかもしれないが。


ということで、大きく感想を言うなら、明治維新後、日本国が経済的に破綻することもなく、なんとかいろんな形をさぐりながら現在に続いてきた、その根本のところは、地域における生産活動の存在が必要、なにより税金(年貢)を徴収するという地域の行政(の下請け)が機能していた、そのことが詳細に追跡されている。

江戸期には、一時的に御用金として集めるものはあったようだが、直接国税とか、藩から集める連邦税的なものは制度化されていない。
基本的に徴税機構は、代官が置かれた天領を別として、諸藩が運営しているもので、ご一新後も、これが機能しなければ、国家予算は組めなかっただろう。

だから赤報隊による「年貢半減」デマを流せたし、それが効果を上げたわけだ。


その後、国税の徴収システムが整備されたので、徴税機構としての地方の役割りは小さくなった。

と、このように、本書を読んでいるうちに、封建時代の税制から、中央集権の税制への移行がどう進められたかという点に私の興味は収斂したのだけれど、著者にとっては、そちらはむしろアタリマエみたいで、それよりも「境界」とは何かという、やや哲学的な問題意識があるようだ。

本書の「はじめに」は、"境界を持たない社会・境界を持つ権力"という副題が付いている。
一体、何を言いたいんだろうと訝りながら読んだわけだけれど、読み進めば、なんとなく著者の問題意識の所在というか、洞察を端的に表現する言葉であることが諒解されてくる。

そして、越境して拡大する経済の特質というところまで考察は広がる。

ただし、そちらについてはあくまで端緒として考察されるにとどまる)


細かい具体的事件・事象については、読後の記憶としては残りにくいけれど、なるほど、国のシステムが変わるというのは随分と大変なことなんだな、得する人も損する人も出るんだな、歴史の理解には税制の理解が必要だ、まだまだ勉強不足だなぁ、そういうことを考えさせられる本である。

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明治維新という過ち

原田伊織「明治維新という過ち―日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト」(改訂増補版)について。

71l_9-DlX0L.jpg 私は、以前から明治維新というのはあんまり好きじゃない。
血塗られた、下劣な薩長のやり口、とりわけ、真摯に許しを請う相手を侮辱するようなのは不快だし、自己保身だけの京都の公家というのも気に入らない。かといって、徳川慶喜は優秀だけど小手先で誤魔化そうとする無責任なトップ、そんなイメージがある。

ということで、タイトルに惹かれてこの本を読んだ。
読み始めると、「はじめに」には、~竜馬と龍馬~として、司馬遼太郎の「竜馬がゆく」が坂本龍馬を英雄にした、司馬遼太郎は"龍馬"でなく"竜馬"と表記することで小説中の人物という言い訳を込めている、そして、坂本龍馬はグラバー商会の使いっぱしりに過ぎないと、龍馬ファンなら怒髪冠を衝きそうなことが書かれている。

これは「はじめに」だから、結論じみたことを最初にアジテーショナルに書いたものと受け止めて、何故そう主張するのか章を進めていけば、その理由が明らかにされるものと思って読み続けたのだけれど、その攻撃的な口調が続く。ところどころに根拠が引かれるところはあるけれど、諸説があるようなので、史料批判に耐えるものなのか、浅学な私には判断できない。

著者の主張と異なることを勝海舟が証言していると、勝の言うことは信用できないと切り捨てているが、読者はどうしたら良いのか。


はじめに 〜竜馬と龍馬〜
第一章 「明治維新」というウソ
廃仏毀釈と日本人
「官軍教育」が教える明治維新
幼い天皇を人質とした軍事クーデター
実は失敗に終わった「王政復古の大号令」
戦争を引き起こすためのテロ集団・赤報隊の悲劇
第二章 天皇拉致まで企てた長州テロリスト
「家訓」を守った誇り高き賊軍
血塗られた京の文久二年
尊皇会津藩と朝敵長州の死闘
天皇拉致を防いだ池田屋事変
第三章 吉田松陰と司馬史観の罪
吉田松陰というウソ
「維新」至上主義の司馬史観の罪
第四章 テロを正当化した「水戸学」の狂気
「昭和維新」が生んだ「明治維新」
狂気のルーツ・水戸黄門
徳川斉昭の子供じみた攘夷
阿部正弘政権による実質的な開国
「瓢箪なまず」の改革
阿部の残した官僚たち
水戸の公家かぶれと『大日本史』の無理
第五章 二本松・会津の慟哭
戊辰戦争勃発、反乱軍東へ
戊辰東北戦争にみる奥羽の潔癖
三春の「反盟」、秋田の「裏崩れ」
誇り高き二本松 ~少年たちの戦~
会津藩と奥羽列藩の止戦工作
会津の惨劇 ~ならぬことはならぬ~
北斗の南
第六章 士道の終焉がもたらしたもの
薩摩の事情と西郷の苦悶
武士福沢諭吉の怒り
あとがき
一方、江戸時代が高度な社会システムを持っていたこと、幕末官僚には大変優秀な人が綺羅星の如くであったことなどは、あまり知られていないと著者は言うのだけれど、これは多くの歴史学者が一致するところであり、今では、常識に類することではないかと思う。

例えば、幕末の金の流出事件は、日本と諸外国の金銀交換比率の違いが原因ではあるが、それを幕閣が知らなかったからではなく、日本では金銀が素材として交換されるのではなく、銀貨は「銀で作った信用貨幣」という性格のものであったためで、あまりに先進的な日本の通貨システムが、外国人には理解不能(そしてそれを良いことに通貨の交換を正当化)という事情があったと言われている。


結局、怨念が表へ出過ぎているというか、怨念の固まりのような本になっているわけだけれど、これはこれで明治維新へのアンチテーゼという意義は十分に果たしている、ちょっと扇情的なぐらいに。

著者は、薩長の卑劣性、下劣性、残虐性を執拗に追及し、その証跡の言挙げに多くの紙幅を費やしている。
なかでも、二本松少年隊の悲劇は、「八重の桜」でもとりあげられたけれど、ほとんど一瞬画面を過った程度で、多くの印象を残さなかったが、本書ではかなり丁寧に解説されている。

会津(福島県)と長州(山口県)の間では、今でも婚姻が成り立ちにくいとは良く言われることだけれど、彦根と水戸や、二本松と三春(奥羽越列藩同盟を裏切る)もそうらしい。平成の大合併で、二本松と三春は合併してもおかしくない地理的条件であったにもかかわらず、ついに合併はならなかった、それもこれが原因という。


幕末の英雄を徹底的に貶めようという意図だけは明確である。
ただ、これでもか、これでもかと、あまりに容赦ないので、辟易するとともに、本当に、それほど、悪辣で、馬鹿で、卑怯で、下劣というだけでは、革命が成功するはずはないとも思う。

高校の日本史の授業のときに、教師が、みなさんが新政府の指導者だったら何をどうするか、と問いかけたことがあった。そして、誰も答えられないのを見計らって、そんなことでは革命はできませんね、と。
もっとも、新政府の施策を細かく説明している本などを見ると、まさに試行錯誤、見通して施策をうったとは思えないところも多い。結局、旧幕府が反革命を企図せず、江戸時代の惰性のおかげで、新政府はなんとかやっていけたという気がする。


著者は、幕末の志士(この言葉使いにもクレームをつけている)は、テロリストに過ぎない、そしてテロリズムは絶対に許さないという。

私も前に、吉田松陰はテロリストと書いたことがあるけれど(寅さんは尊王攘夷かい)。

しかし「テロとは失敗した革命である」という言い方もある。(学生運動が過激化したその末期の言)
ならば、著者が歯噛みしようと、革命に成功したならば、彼らはテロリスト呼ばわりはされないわけだ。

一つの歴史観として興味深いし、明治維新をそれほどの偉業とは思っていない私には共感するところも多い。
しかし、史料の選び方、読み方がフェアであるかについては、他書とも比較したほうが安全かもしれない。

誰が言ったのか忘れたが、「江戸は、後の近代日本を準備して、見事に、潔く役割りを終えた」ということは、間違いないと思う。

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FLACファイルのヘッダー修復

2017-04-21_212830m.png ビデオファイル(mp4)から、音声だけ取り出して、VLC playerの[メディア]-[変換/保存]機能を使って、Audio:flacのフォーマットで変換したところ、なぜかflacファイルのヘッダーがおかしい。演奏時間が入っていないのである。

foobar2000では何の問題もなく再生してくれるので、演奏時間が入ってなくても良さそうなものだけれど、やはり気持ち悪い。
そこで、flacファイルのヘッダー修復をしてくれるソフトがないかネットを渉猟したけれど、見当たらない。

mp3に変換したら演奏時間ぐらいはきちんと入ったデータができるんじゃないかと思って、freacで変換しようとしたのだけれど、ヘッダーがおかしいせいか、freacが動作しない。

2017-04-21_213032m.png それならということで、foobar2000では再生できているわけだから、foobar2000で変換しようと考えた。
それも、flacからflacである。

変換前後で同じフォーマットでも動作するのか、ちょっと不安だったけれど、そういう意地悪な仕様にはなっていない。
それよりも、同じフォーマットだと、変換したフリをして、そのまま出力するのではということが心配。

2017-04-21_212900m.png で、flacからflacへの変換を実行して、出力ファイルをMediainfoで確認すると、ちゃんと演奏時間がセットされている。
正常なflacファイルができた、めでたしめでたし。

foobar2000の変換は、元ファイルをとにかくデコードして、そのデータをエンコーダ(この場合はflac)に送り込むという律儀な動作をしているのかもしれない。


大したことではないけれど、ネットにはflacデータの修復についての情報が見当たらなかったので、私と同じようなことで困った人がいるかもしれないと思って、記事にして公開することにした。

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オランダの母子手帳

IMG_20170419_200441-crop.jpg 先日出席した会議でのプレゼンテーションの中から、興味深かったものをピックアップ。

母子健康手帳というのは、日本発祥のもので、それが海外でも次第に多くの国でも受け入れられつつある。
その中で、オランダの例が紹介されていた。
紹介した講師の先生もそうだが、私も、これは徹底しているなぁと思った。

オランダの母子手帳は、時期別の7分冊になっているのだそうだ。
「妊娠」、「0-4歳」、の2分冊はまぁ当然として、その後も、子供の年齢を追って編まれていて、「思春期」、「計画的に親になる」までとなっている。
「計画的に親になる」に続くのは「妊娠」ということで、一回りすることになる。
IMG_20170419_201701skew.jpg

"Planning for parenthood" を「計画的に親になる」と訳してみたけど、これで良いのかな。

まさに生殖サイクルが、親から子へと、連続して繰り返されているというわけである。

また、母子手帳に関わるエピソードとして、不遇な親子関係で育った人が、母子手帳に書き込まれていた「今日、母乳良好」という母の字を見て、人生観が変わったという話が紹介されていた。

母子手帳というのは、医師のカルテというようなものではなくて、これを通じて親子のコミュニケーションを強くするツールという性格がある。オランダのものは、それが徹底されて、次代へ積極的につなぐというものに思える。

この日の講演では、他に「切れ目ない子育て支援」という演題のものがあった。
こちらでは、のぞまない妊娠、そういう女性たちは、母子手帳の交付すら受けない、せっかくの親子の健康を守るツールなのに、それにすらアクセスされない現状についても触れられていた。

「にんしんSOS」という大阪府の電話、メール相談の取り組みも紹介されていた。年間2000件近い相談があるという。うち60%が府外からのものだそうだが、困りはてた女性がネットを頼って、情報を求めてたどり着く場所らしい。
昨年、DeNAの"WELQ"という酷過ぎるネット・ディスサービスが問題になった。やはり銭儲けでないサービスが必要なところなのだろう。


IMG_20170419_190952.jpg 以下は、"「戦後80年」はあるのか"という本の中で、上野千鶴子氏が書いていたことの引き写し。

日本は婚外子の割合は欧米に比べて極端に低く、全出生に占める婚外子の割合は、2008年のデータで、スウェーデン 54.7%、フランス 52.7%などをトップに、低いイタリアでも17.7%であるのに、日本はわずか2.1%。
出生数が少ないことが問題視されて、「産めよ増やせよ」と言われているようだが、少子の原因には、婚外子が産めない(産みにくい)という社会であるということもあるのではないか。
また、「夫はいらないが子供はほしい」という女性もいる。子供はいらないという人もいる。
「女性が一人で子供を育てられる社会」になることが求められている。


上野千鶴子氏は概略、上のようにおっしゃっているが、データにも裏付けられた説得力のある論理のように思う。
子供を産むのは女の仕事(義務)、そのための結婚・家族という人には受け入れられないかもしれないが。

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久しぶりの夜の仕事

IMG_20170419_173901.jpg
会場の窓から見える風景
昨日は、久しぶりに夕方17:30からの仕事。

主催者は旧知の間柄だし、うちの社長も参画しているので、特に役割はないけれど、お付きあい。
20:00終了予定だったのが、大幅に延長して、終わったのは21:00。

終わったら、我が社から行っている他のメンバーと一杯いこうかとも考えていたのだけれど、あまりに遅くなったので取りやめ。
ブログにはそっちを記事にしようと思っていたが、ネタがなくなったわけで、今日の記事は、会議の様子を伝える写真で誤魔化すことにした。


IMG_20170419_181816.jpg
左で写真を撮っているはうちの社長
そもそも、現役のころは残業も多いし、日々、起伏に富んでいた日常だったけれど、退職後の第二の職場は単調で、夜の予定といったら、飲み会ぐらいしかない。
なので、昨日の仕事も、実は行くのが億劫で、面倒だなと思っていた。

それでも行けば、知り合いもおれば、有益な話も聴けて、単調な日々にあっては、貴重な時間かもしれない。
ここで仕入れた話は、明日に。

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CANON PowerShot G9 X Mark IIの通信機能

昨日に続いて、コンパクトデジタルカメラ CANON PowerShot G9 X Mark IIについて。

この機種には、WiFiによる通信機能が装備されていて、カメラで撮った画像をPCやスマホなどに転送することができる。また、カメラにはGPSは装備されていない(バッテリー消費の関係?)から、スマホと連携してGPSデータを付加することができるという。
またBluetooth通信機能もあり、スマホをカメラのリモコンとして使えるという。

普通に写真を撮るというだけなので、実用上、こういう機能は別に無くても良い。写真のPCへの取り込みなんて、USBで接続すれば事足りる。
ではあるけれど、デジタルオタクというか、デジタルフェチとしては、付いている機能はやはり試してみたくなるので、通信機能を使ってみた。(そして少々苦労した)

■WiFi接続
まず、WiFi接続(CANONは、ハイフンを挟んで"Wi-Fi"と表記している)である。
説明書では、PCとWiFi接続する場合が書かれているけれど、実用上は、家庭内のWiFiルーターを介して通信するのが普通だと思う。
ところが、説明書には、その普通の場合の説明が見当たらない。

まずWiFiルーターへの接続については、WPSで認証して問題なくつながる(もちろん手動設定も可)。Windowsのネットワークを見に行けばデバイスは認識された状態が確認できる。
しかし、当然、ルーターがカメラにアクセスして何かの処理をするわけではない。

実用上は、カメラをネットワーク・ストレージとして認識できれば十分で、SMBなどをカメラが備えていたらそれで良いと思うのだけれど、日本メーカーの癖として、妙に作り込もうとする。


このため、通信先のPC(同一LAN上)に"CameraWindow"というソフトをインストールし、これがカメラを認識しなければならない。
ところがこのソフトをインストールして起動しても、LAN上にあるはずのカメラを探し出してくれない。

説明を見ると、"Wi-Fi接続のための設定"というソフトがある。何をするソフトなのか定かではないけれど、それを実行してもやはりカメラを検索できない。(推測だが、カメラが接続されたら検出して"CameraWindow"を起動するものではないかと思う)

CANONのホームページのQ&Aを見ると、セキュリティソフトが通信を邪魔している可能性が指摘されているので、セキュリティソフト(私が使っているのはESET)のコンソールを開いて、ブロックされた通信をチェックすると、カメラの通信がきっちりブロックされている。これを解除してやると、無事にカメラを探し出してくれ、自動的に"CameraWindow"が起動される。(カメラ側の画面はブラックアウトする)

カメラの通信設定にはIPアドレス固定というのは見当たらない。仮にあったとしてもスマホとの接続も考えればカメラ側でアドレス固定するのはまずいことになる。
ところが、ESETでのブロック解除はIPアドレス別になっているようなので、もし割り当てられるIPアドレスが異なれば、そのたびに解除操作をする必要が出てくる。アドレスでなく、ポート番号で閉塞するかどうか設定できるならそうすれば良いのだけれど、ESETでできるのかどうか知らないし、マニュアルにも使用ポートの説明は見当たらない。

通常、DHCPがリースするIPアドレスの有効期間(リース期間)というのはそれなりの長さがあると思うけれど、カメラはしょっちゅう使うものでもないだろうから、リース切れになり、IPアドレスが変わることは十分考えられる。なので、ルーター側でMACアドレスに対して同じIPアドレスを割り当てるように設定しておくのが良いだろう(我が家のルーターは可能なのでそうした)。なおカメラのMACアドレスは「通信設定」メニューの「Wi-Fi設定」の中(下の方)にある。


"CameraWindow"では、画像のダウンロードや整理などができるが、そう大した機能があるわけではない。また、このときPCアイコンを開けば、カメラがストレージデバイスとして認識されていて、これを開けば普通のファイルエクスプローラーで操作できる(PC側ソフトなしで、ストレージになればそれでも十分という気がするが)。

同一LAN上のスマートフォンとの通信も接続方法は同様である。
スマホでは、"CameraWindow"の代わりに"CameraConnect"というアプリを使うわけだが、"CameraWindow"との違いは、このアプリではカメラが視ているものをリアルタイムでモニター(リモートビュー)でき、シャッターを切ったり、ズームしたりできること。

つまり、リモートビューができるから、カメラを離したところに置いて、スマホ操作で自撮りができるというわけである。
また、未だ試していないが、スマホとの接続では、他にスマホ側のGPSデータを写真に取り込ませることができる。最近はGPS内蔵のカメラが多くなっているが、以前は外付けのGPSユニットがあった。それをスマホにやらせるわけだ。

カメラとスマホの直接WiFi接続は、カメラをアクセスポイントにするという設定(Wi-Fi接続設定メニュー)で選ぶ。
そうすると、カメラの画面に、SSIDとパスワードが表示されるので、スマホ側のWiFi接続でアクセスポイントをカメラに切り替えれば良い。なお、パスワード入力不要という設定ができるけれど、スマホによっては危険な通信とみなして接続がキャンセルされるようだ(ESETを入れている私のスマホでは接続できなかった)。

カメラをアクセスポイントとした場合も、ルーター経由で接続する場合も、通信ルートが違うだけで、同じ"CameraConnect"というアプリを使うわけで、アプリ/カメラの動作は同じである。

カメラは家の中でより、外出中に使うことのほうが多いだろうから、このスマホ-カメラ直接WiFi接続は、合理的な機能だと思う。

P_20170416_155535_vHDR_Auto.jpg
カメラ側面のWiFiボタンを押すと、
接続先メニューが表示される

P_20170416_155644_vHDR_Auto.jpg
接続先(この場合はPC)を選ぶと、
アクセスポイントへの通信確立中表示になる

P_20170416_155650_vHDR_Auto.jpg
WiFi接続確立後、接続先PCの表示

2017-04-16_153724.png
カメラ接続が完了すると、
PC側でCamereWindowが自動起動される
この画面の表示後、次の画面になる

2017-04-16_153655.png
CameraWindowの画面

2017-04-16_173635s.png
カメラが接続されている間は、
カメラはストレージとしても操作できる



DSC_0010-crop.jpg
リモートビューの状態


■Bluetooth通信
スマートフォンとの連携はBluetoothでもできる。
こちらはWiFiのような難しい設定は不要で、普通のBluetoothペアリング手順を行えば良い。
ただし、"CameraConnect"は、Bluetooth通信の場合は、リモートビューなどはできない。カメラのリモコンというイメージである。

Bluetoothは通信速度がWiFiにくらべて1桁ぐらい遅いはずなので、リモートビューはできたとしても実用性は低いだろうし、写真をスマホに取り込むのも時間がかかりすぎるからだろう。
WiFiだとスマホのアクセスポイントの切り替えなどが面倒だから、Bluetoothの方が簡単ということだけれど、あまり実用的ではないと思う。

もっともWiFi接続でも、一旦設定してあれば、面倒なのはスマホでのアクセスポイント切替の方。外出時の自撮りなどをやらないなら、WiFi接続だけで良いと思う。


なお、カメラの電源が切の状態でも、デフォルトでは、Bluetoothは入のままである。したがって一旦ペアリングしてあれば、スマホを起動したら接続され、スマホ側でカメラの電源をon/offすることもできる。
もっとも、こういう使い方はあまりしないだろう。それよりBluetoothが入のままだと、その分、バッテリーを消費するだろうから、私はBluetoothは切の状態で使うと思う。


◎「クラウドシンクロ」について
WiFi接続を使っていて、これは意外に便利だなと思ったのが、「クラウドシンクロ」という機能。
PC側に"Image Transfer Utility"というソフトをインストールしておかなければならないが、このソフトを使うとカメラ内の未転送画像が自動的にPCに取り込まれる。

推測だけれど、カメラ側でWiFi接続するときに、接続先として、PCでなく、クラウドシンクロを選択すれば、接続が確立された後にPC側で起動されるソフトウェアが、CameraWindowなのか、Image Transfer Utilityなのかが違うのだと思う。(使用するポート番号が異なり、それで区別しているのかもしれない。)

もちろんUSBケーブルで接続したら、そのほうが転送は速いし、余計なことはしなくて良いのだけれど、カメラのUSB端子の蓋を開けるのが少々億劫なので(蓋が壊れるんじゃないかという不安)、WiFiで転送できるのは、精神衛生上も良いように思う。



PowerShot G9 X Mark IIの通信機能を試した結果報告をして、やはりマニュアルの分厚さには辟易する。
上のような内容は、トラブルを抱えて、ああでもない、こうでもないと試行錯誤をした結果、私なりに想像力を働かせながら、要点をまとめてみたもの。(いろいろやっているうちに、なんとなく仕掛けが見えてくるものだ)

この製品に限らず、私はかねがね思っているのだけれど、マニュアルを作るメーカーの技術者には、通信の仕掛けがどうなっているのか、カメラ、PC、ルーターがそれぞれどういう役割を持っていて、どのようなインターフェイスで通信が実現されるのか、上記で「推測だが」と書いたような点を含んで、見取り図を、詳細なことは要らないけれど、マニュアルに掲載してもらいたい。

そうすれば、システム全体を見渡せて、各種設定や操作方法に対する理解というかカンが付いて、つまらぬ質問やクレームをサポートにぶつける人が減ると思うのだけれど。

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コンパクトデジタルカメラ(CANON PowerShot G9 X Mark II)

先の沖縄旅行ではカメラは持って行かず、写真はすべてスマホで撮っている。
それは、旅行目的が結婚式で、私の立場上、そうそう写真を撮りまわれるとも思えないこともあったけれど、何より、今まで使ってきたコンパクトデジタルカメラの画質が、どうもスマホ以上ではないということがある。

スマホの画質が向上したということでもあるけれど。とくに今使っているスマホ ASUS Zenfone3というのは、カメラ性能はかなり良い部類らしい。


もう少しましなデジタルカメラ(CANON PowerShot SX30 IS)も持ってはいるけれど(いらなくなったという人からのもらいもの)、それは図体がでかいので携帯する気にならないのである。

P_20170415_103227_vHDR_Auto-cropss.jpg それで、ちょっとましな、つまりスマホよりは高画質のデジタルカメラを買うことにした。
といっても、本格的なデジイチのような機種は、重くて嵩張るし、レンズ交換できるということがメリットだとしても、そんな使い方をするような趣味も技術もない。
「(本格的に)写真をはじめよう」というつもりもない。

ある調査では、デジイチを持っていても、交換レンズを持っている人は少なく、多くの人は本体とセットで購入したものを着けっぱなしという。


結局、センサーが良くて、サイズの小さいものがあったら欲しいと思って調べていると、1.0型センサー(13.2×8.8mm)搭載というものがあることが分かった。

撮像素子、センサーサイズ比較

家にある今までのデジカメのセンサーだと1/2.3(6.2×4.3mm)というようなもので、これに比べると数倍は良いはずである。

最初に注目したのは、SONYのDSC-RX100という機種。少し前に出たものだけれど、安いところだと3.5万円程度で売られている。このシリーズは毎年新製品が出ているが、どんどん価格が高くなっていて、新機種はちょっと手が出ない。

それで最初期の古い機種だけれど、安さが魅力で、これにしよう決めていたのだけれど、価格.comで1型センサー搭載機種の一覧を眺めていると、CANONのPowerShot G9Xというのを見つけた。少し高くて4万円超。
こちらの方が軽い。それにセンサーの性能は、特に暗い場所での性能が、DSC-RX100より良くて、SONYの後継機種と同等のようなので、5千円ぐらい高いけどこれも良いなぁと思っていたら、それの新型らしき"Mark II"と付いたのが目に入った。

"PowerShot G9 X Mark II"(PowerShot G9 X Mark II 仕様~メーカーサイト)は、今年の2月に出た最新機種。さらに高くて5.3万円程度。価格.comをぼぉ~っとながめているうちは、5万円超えは厳しいなと思っていたのだけれど、よくよく仕様を見比べると、こちらはほんの少しだけれど軽く、WiFiやBluetoothの通信機能が充実しているようなので、ちょっと高いけれど、こちらにすることにした。

Amazonで購入したのだけれど、私が買ってわずか3日後には、5万円を切る価格で出すところが多くなっている。ただ、人気機種のようで品薄なので、1週間ぐらい待たされるようだ。


サイズは思っていたよりもさらに小さく感じる。今まで使っていたコンパクトデジタルカメラよりも小さく、軽い。
さっそく試し撮りをしてみたら、画質はやっぱり期待通りと言ってよい。

うれしいことに、送られてきた商品に、キャンペーンの案内が入っていて、交換バッテリーかUSB充電セットのどちらかがもらえるということである。もちろんバッテリー、メーカー価格7000円、Amazonで5000円というものをありがたく頂戴することにした。

スマホとG9X markIIの写真の比較をアップしたけれど、ほぼ同じ距離から撮影して、同じぐらいの部分をトリミングしている。(ブログの写真サイズが2MBまでなので)。もちろんどちらも画素数は最大にしている。

画素数 スマホ(Zenfone3):4656×3492、G9X mkII:5472×3648

IMG_0032-crop.jpg P_20170416_161033_vHDR_Auto-crop.jpg
PowerShot G9X MarkII Zenfone3

スマホの方が広角なので、トリムするとスマホで撮った方の画素数はカメラの1/4ぐらいになっているので、この比較写真はフェアじゃないわけだが、そうした画素数以上に、細部の写りには違いがあると思う。


IMG_0033s.jpg また、もう一つ、夜空を撮影してみたものをアップする(ブログのサイズ制限でリサイズ)。
とくに考えず、「手持ち夜空」というモードを選択して、1回だけ撮影したもの(写りの良いのを選んだわけではない)。
肉眼では2つしか星が見えていなかったのだけれど、写真ではもっとたくさんの星が写っている(拡大表示してください)。
これには驚いた。多分、この暗い星空では、スマホとの差が明確になると思う。
これが、1.0型高感度CMOS(裏面照射型)センサーの威力なのだろう。

フィルムカメラの頃、レンズ交換ができる一眼レフや、あるいは6×6のハッセルブラッドとかに憧れもあったけれど、所詮、素人には使いこなせるものではない。

美しい写真はプロに任せるとして、日常のスナップを、ある程度の美しさで撮りたいなら、このカメラはぴったりだと思う。やっぱり、カメラを使うなら、スマホより良い画質でなければ意味がないだろう。

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イルカ漁は残酷か

o3456230413891799425.jpg 沖縄旅行では定番の「美ら海水族館」に行ったが、この水族館でもイルカのショーが行われている。
時間の都合もあって、イルカ・ショーは見なかったのだけれど、というか、ショーを見ることを目的にすることに、ややうしろめたさもないわけではない。

伴野準一「イルカ漁は残酷か」というルポルタージュがある。
追い込み漁でイルカを生け捕りにして、水族館に売る、それが残酷だとは、どういうことなんだろう、殺して食べるというわけではないのに、そう素朴に思っていたけれど、実態はそんな綺麗事で済む世界ではなかったらしい、少なくとも少し以前までは。

iruka-ryo_wa_zankokuka.jpg イルカはときには数百頭もが追い込まれ、そのうち十数頭は生け捕られて水族館に売られるが、他のイルカは殺されていたのだそうだ。
いわば、水族館のショーで見る数頭のイルカの陰に、数百頭のイルカの犠牲があるというわけだ。

それどころか、もっと昔は、ただ魚を食べる害獣として駆除の対象となり、捕えられたイルカは、効率的に破砕され、とりだされた油脂は廃棄物として無料で製油会社に渡されていた時代もあるという。
もっとも、昔といっても、追い込み漁が「日本の伝統」と言えるほどの時間は経過していない。
昔は、そんな技術はなかったし、追い込み漁は稀にそういう状態になったときに行えるというもので、計画的なものではなかったという。

たまたま迷い込んだクジラやイルカを、天(海?)の恵みとして喜び、捕えて奪った命に対し「いただきます」と感謝しながら食べるのが伝統だろう。


先日、いくつかの水族館がJAZA(日本動物園水族館協会)を脱退していたことが伝えられていた。
WAZA(世界動物園水族館協会)が、追い込み漁で獲ったイルカを水族館に納めることを禁止すべきで、それに従えないのならJAZAをWAZAから除名すると言ってきて、厳しい選択を迫られたJAZAはその要求に応えることとしたが、それでは、イルカの入手が困難となる水族館にとっては館の存続に係る問題である。引き続き追い込み漁で捕獲したイルカの購入を続けるらしい。

動物園はWAZAから除名されると、希少動物を手に入れることが困難となり、園の運営が立ち行かなくなるが、水族館は必ずしもそうではないらしい。


まえがき
第一章 最後のイルカ漁
イルカ追い込み漁のメッカ伊豆半島/共同操業と資源枯渇の始まり/イルカの屠殺現場が明るみに
第二章 太地町立「くじらの博物館」物語
古式捕鯨発祥の地/江戸時代から盛んだったゴンドウ漁/短かった終戦直後のゴンドウ景気/南極海捕鯨から観光立町へ/新生太地町の象徴「くじらの博物館」/クジラ・イルカ捕獲作戦始動/追い込み失敗で広がる無力感
第三章 太地追い込み漁成立秘話
生け捕り成功、活気づく太地町/イルカ捕獲の試行錯誤/バンドウイルカの大量捕獲に成功/漁船のFRP化と追い込み漁の完成/生け捕り目的で始まったバンドウの追い込み
第四章 価値観の衝突
豊漁と表裏一体のイルカ食害/イルカ駆除成功で巻き起こる国際的な批判/ハワイからやってきた活動家/イルカ漁論争の原点/活動家、その短い生涯
第五章 スター誕生
イルカ・スタントショー発祥の地/マイアミ海洋水族館とリック・オバリー/アルビノ・イルカを捕まえろ/フリッパー登場/イルカ・トレーナーからイルカ活動家へ
第六章 乱獲と生体ビジネスの始まり、包囲網の形成
英作家C・W・ニコルの戦慄/リック・オバリー、イルカ漁を目撃/水銀問題と謎の撮影クルー/太地町を変えたドキュメンタリー映画
第七章 イルカと水族館
生体販売ビジネスに手を染めた太地町/エルザの会、JAZAに要望書を提出/名物園長イルカ問題を語る/鴨川シーワールド館長JAZA会長に就任/二〇一四年八月、世界協会と合意へ
第八章 幕間劇「くじらの博物館訴訟事件」
リック・オバリーは語る/身勝手な言い分
第九章 夏は終わりぬ
二〇一四年ジャパン・ドルフィンデー/記録的不漁だった二〇一四・二〇一五年漁期
終章 イルカと人間の現在
イルカと牛豚、屠殺方法の違い/動物福祉的価値観とイルカ漁/イルカ飼育は虐待か/命の値段
あとがきに代えて
こう書いてくると、私はイルカ漁に反対なのかというと、情けないことに、そう言い切れるわけではない。
そもそも、イルカを獲ってはいけない理由というのが全くわからない。
確かに、見た目の残酷さというのはあるにしても、動物というのは所詮、他の生き物の命を頂いているわけで、「いただきます」という気持ちとともに食べることが悪いとは思えない。
本書の「あとがきに代えて」では、太地町漁協の人の発言として、

「まあ情けない。ぼくらもあの映像見たらね、わあこんなことやっとんたんかって反省しています。本当に反省しています。」

という言葉も紹介されている。

一方で、シーシェパードなどの行動は常軌を逸しているように思い、彼らに屈服することはテロに屈するのと同じだという気持ちもある。
しかし、イルカ漁を正当化する理由として、日本の伝統を持ち出すのは誤りであることは、疑えないようだ。

また、先年、Behind "THE COVE"という"THE COVE"を捏造と断じる反宣伝映画が制作され、それなりの話題になったが、この反宣伝への反論という、バッシング合戦も、あまり建設的ではないと思う。

さて、この本の「まえがき」に著者はこう書いている。

日本で、そして和歌山県太地町で行われているイルカ漁を考えるうえで、議論のための新しい土台が築けたのでないかと、私はいま感じている。


著者もイルカ漁について、否定も肯定もせずに、出来る限り事実を追いかけようとしている。そして、

ヘイトスピーチは撲滅しなければならないのと同じように、イルカ漁反対運動に内在するテロリズム的要素についても、私たちは断固として反対し、戦わなければならない。
 だが、傲慢不遜な彼らに対する反発から、私たちのなかからイルカ漁について虚心坦懐に考えようとする気運がうしなわれてしまったこともまた事実である。私たち日本人は、太地町で行われているイルカ漁について真剣に考えてみることなく、反イルカ漁運動に対する反発心から「イルカ漁は日本の文化なのだ」などと安直な主張を繰り返しているに過ぎないのではないか。

とする。

hatari21.jpg 陸上動物でも、野生動物を捕まえて動物園に売るということが、何の疑問もなく行われていた時代もそう昔のことではない。
中学校のときに観たジョン・ウェイン主演の「ハタリ」(1962年)という映画は、そういう時代のそういうハンターを描いていた。と同時に、動物への愛情も(人間の男女間の恋愛も)、描いていた。

ヘンリー・マンシーニ「子象の行進(Baby Elephant Walk)」はこの映画の挿入曲である。

そういう時代は遥か遠くなったようだ。

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私欲じゃなければ良いのか

f21d2ef1dc86225a02bf959c84c62230.png 森友学園の籠池理事長は「真に日本国のためになる子どもを育てたい」とお国のために頑張っている、それが理解されないことに恨み言を言い、裏切られた思いと、堂々と証言している。

昔、会社ぐるみの不正に対して、それに協力していた社員や役員が、(私利私欲ではなく)会社のためにやったことと、反省の姿勢は見せながらも、自分の行為を正当化していたことがある。

これへの対応だと思うけれど、内部告発を行う労働者を保護する「公益通報者保護法」が2006年に施行されている。


やったことは違法だったかもしれないが、私利私欲ではないということで、同情する声も出ることがあるようだ。
しかし、私利私欲じゃなかったら、許されるとか同情の余地があるとかなるのだろうか。

籠池理事長は、維新の会の立ち上げの時に「ずいぶん支援した」という。
政治献金は、する側も、される側も私利私欲ではない、崇高な理想のためにしている、というタテマエだと思う。

細かいことから言うと、もし私費を投じて政治活動に邁進している政治家がいたとして、その政治家に政治献金をしたら、その政治家は私費を自分のために使えるようになる。私利じゃないか。

一般に、使途を限定して寄付をしても、それ以前にその使途で使われていたお金を他へ回すことができるだけで、使途を特定せずに寄付をするのと、そう変わらない(もちろん額によるけれど)。

支援してくれた人を大事にする、それは朴槿恵前大統領と崔順実氏の関係を考えれば、すぐわかることだ。

ある政党が税金のばらまき施策を提案したとする。それは国の政策として行われるわけで、その政党(の政治家)の私利私欲ではない。けれども、選挙のときには、そのばらまきが「我が党の提案で実現した」と宣伝するわけで、やはり党利を追求したことになるのではないか。

それも、他人(国民)の財布(税金)に手を突っ込んだに過ぎないのに。


そんなこと言ってたら政治なんてできない、どんな政策でも、それで得をする人、損をする人がいるという反論があるだろう。
その反論を認めよう、ほら、私利私欲でなかったら良いということにはならないでしょ、と。
そもそも、政治とは利害が対立する集団間の調整技術である、そうでしょう。

f_review_bob_dvd02_hair.jpg
やっぱりクレオパトラはリズだよな
もっとも、私は私利私欲などは実はたいしたことではないと思っている。
ほとんど誰もが、ユリウス・カエサルは偉大だったと認めるだろう。
彼は私利私欲とは全く無縁だったと思う。
資産を持ったとしても、政治的手段として使っただろう。クレオパトラに貢いだとしても単純な欲望からではなくて、性事じゃなくて政治のため(このあたりがアントニウスとはちがう)。
自分の財産などには拘泥しないし、借金は山ほどあっても気にしない、という人物のように思う。
つまり、私利私欲がないのではなく、私利私欲を超越しているのだろう。

政治家の評価は、私利私欲が有るとか無いとかではなくて、施策が(多くの)国民にとってどうなのかということでなされなければならないと思う。

立派な政治家なら、私利私欲で判断が曇らない程度の報酬を与えれば良いだろう。
そうじゃない政治家には、私利私欲を満足させられる程度の口止め料を与えれば良いだろう。


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教育勅語

教育ニ関スル勅語」、いわゆる教育勅語を学校で教えようとか言っているらしい。

このことが話題になったのと、タイミングを合わせるように森友学園の幼稚園で教育勅語を子供に暗唱させているという話があったけれど、聞かれたから答えたということなんだろうか。


AS20170401000332_comms.jpg 実は、私は中学ぐらいの頃に教育勅語を憶えていた。別に教えられたわけではない。社会科の資料集かなにかに収録されていて、単純に面白がって憶えた。

「面白がって」というのは不敬かもしれないが、子供の受け止め方というのは、そうした無邪気で無批判なものではないだろうか。

教育勅語を教えようという人は、内容は良いことが書いてあると言い、こうしたことがきちんと教えられれば、道徳的な人に育ち、イジメなんて起きなくなるんだと言ってるらしい。

でもね、だ。
教育勅語は1890年に発布され、戦前教育の最高規範とされ、徹底的に教え込まれた。
そうやって教育勅語を憶えさせられていたはずなのに、最も陛下のお心に従うべき軍隊に入ったら、いじめが横行していたという。イジメ防止効果は疑わしいようだ。

というか、教育勅語を憶えられない子供がイジメの対象にされるんでは。


私も、書かれている内容は普通に徳目として大事なことが書かれていて、酷いものとは思わないけれど、同様のことはいろいろな形で教えられている。もし、とりたてて教育勅語が国民精神の涵養に効果があるとするなら、それは勅語、つまり天皇の言葉として畏敬する、天皇の神格化という前提があってのことだろう。親や教師の言うことはきかなくても、天皇の言うことはきく、そういう子供でなければ。

やっぱり天皇主権の国にしなければ成り立つ話じゃないですな。
というか、教育勅語で軍国教育を進めた軍幹部が、一番、天皇を軽視する行動をしていたようだけれど。


ところで、こういう話を聞いて、これからは国民と言わず、臣民と言わなければならなくなるのかと早とちりした。教育勅語中では、国民じゃなくて臣民を使っているから。
しかし、戦前も国民という言葉はある。「国民精神総動員」というように使う。

2017-04-07_124835.jpg 前の戦争の教訓は、敗ける戦争を繰り返さないためには、精神論とか情緒論とかでなくて、科学的精神、合理的精神を養わなければならないということ。
竹槍ではB29に対抗できないことを理解することではないのだろうか。
前と同じことをしても今度は勝てると言う人が愛国者なのか、前と同じことをしたらまた負けると考える人が愛国者なのか。

そんなことはわかってると言うのかもしれない。
ただし、わかっているのは指導者だけで十分、一般国民は教えられたとおりに突撃すれば良いのだ、ということかな。
その割には前の戦争では、教育勅語も戦陣訓も暗唱しているような指導者がみんな「お国のため」を免罪符に、卑劣で無責任な行動をしたようだけど。


自分勝手な愛国ですべてをいいくるめ、そうでない人を非国民と言う雰囲気が醸成されつつあるような気がする。
「逆コース」という言葉も既に死語扱い、同じことが「日本を取り戻す」正コースになってきたようだ。
次は戦陣訓を教えるようになるのだろう。

「生きて虜囚の辱めを受けず」なんて言ってたら中国には絶対勝てない。
中国と戦争になったとして、中国人の1割が投降してきたらどうするんだ。日本の人口と同じだけの中国人を日本で養わなければならなくなるんだぞ。


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休刊日

昨日は三周年記事を書いたので、今日が休刊日。

このところ休刊日の定番化した"Deep Dream/Deep style Generator"によるゲージュツ写真。


※画像クリックで元画像及びサムネイル表示


⇒元画像の出所へ


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三周年

P1040341.jpg おかげさまで、本ブログ開設から3年、訪問者累計は、を数える。

カウンターは記事を書いたときではなくて、今現在のもの。数字はページビューではなくて訪問者数。


石の上にも三年

冷たい石の上に座っても三年たてば暖まるように、辛抱すればいずれは成功する。
って、まだ暖まってないし、


a11d405a.jpg 三年寝太郎

三年間寝ていた(実は考えていた)男が起き出して旱魃に苦しむ村を救う。厚狭の寝太郎は大内家家臣で灌漑に力を尽くした。
そんな偉い人にはなれそうもないし、


三年飛ばず鳴かず

故事では、戦国に覇を唱えた楚の荘王は即位後三年間は政治に見向きもしなかった。
同じ三年でも、周囲に影響するなど、おぼつかない。

ということで、これからも座り続け、寝続け、飛ぶことも鳴くこともないと思う。

これが印刷物だったらそれなりの費用もかかるから資源の無駄遣いと指弾されるだろうが、タダとなるとただだらだらと続けてもネット駄文の海に漂う泡のようなもので、少々見苦しいが、そう世間の邪魔にもなってないと思う。

桃栗三年柿八年の譬もある。あと5年たったら、……せめてシブガキになれたらうれしいな。

桃栗三年柿八年にはバリエーションがある。

桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十八年

というのは私も知っていたが、壺井栄さんが色紙などに書いていたそうだ。
ネットを見ていると、他に

桃栗三年柿八年、梅はスイスイ十三年、梨はゆるゆる十五年、柚子の大馬鹿十八年、ミカンのマヌケは二十年、ってそんなに待てねぇよ!

とか、

桃栗三年柿八年、柚は九年花盛り、梅は酸いとて十三年、梨の大馬鹿十八年、蜜柑のたわけめ二十年、林檎のコンチキショウは二十五年

というのが見つかったけれど、こういうのって、それなりの由緒があるものなんだろうか。


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マイナンバー使うのにお金をとるそうだ

マイナンバー情報利用料100億円
健保組合が猛反発
 中小企業の会社員らが加入する「協会けんぽ」や大企業の「健康保険組合」などが、加入者やその家族のマイナンバーを使って所得確認などをするシステム利用料が、合計で年約100億円にのぼることがわかった。ただ健康保険組合連合会(本部・東京)が「高額にすぎる」と反発。厚生労働省は引き下げの検討を始めた。
 システムは7月の稼働を目指し、厚労省主導で220億円をかけて開発を進めている。健保組合などが加入者のマイナンバーを使って、住民票のデータや家族の収入、年金を受け取っているかどうかなどの情報が取り寄せられる。加入者の扶養家族の確認や、傷病手当金と公的年金を二重で受け取っていないかなどもチェックできるという。
 ところが今年1月、厚労省が各健保組合に対して、システム運営費をまかなうために、利用料として加入者とその家族について1人当たり月額10円弱の負担を求める通知を出した。個別の利用件数にかかわらない一律の負担。計8千万人余りが対象となり、年間で約100億円の利用料となる。病院や診療所が請求する診療報酬の審査などを手がける「社会保険診療報酬支払基金」(本部・東京)が料金を集める。
 これに対して、健保組合連合会が今年2月、塩崎恭久厚労相あてに「あまりに高額で、事業主や加入者の納得を得ることが難しい」などと指摘して、運営費を下げるよう求める要望書を提出。強く反発した。ある健保組合の幹部は、「マイナンバーで得られる情報は、これまで通り加入者にじかに求める方が簡単だ。システムはかえって手間がかかるので使わない」と、事情を話す。
 こうした批判を受け、厚労省は利用料の引き下げを検討し始めた。厚労省保険局は「利用料は大幅に引き下げる方向で検討している。利用が始まれば便利さがわかってもらえる。将来はより多くの情報が利用でき、便利になる」と話している。(松浦新)
朝日新聞デジタル 4/6(木) 18:38配信
少し前のことだけれど、またまたマイナンバー・システムに噛みつきたくなった。

健保組合が、加入者の所得確認にマイナンバーを使う場合のシステム利用料が、年間約100億円なのだそうだ。
報道によれば、加入者1人あたり月額10円弱とのことで、利用件数に関わらずということは、単純に加入者数に応じた利用料ということのようだ。
その額の根拠は、システム運営費に見合うものとのことで、開発に220億円かかっているからだと。

100億円が高いかどうかは、現在、健保組合で行われている事務処理コストと比較して判断されるべきである。本システム利用料について言えば、当該事務処理に使用している個人情報の収集コストとの比較である。
おそらく、そのコストよりはシステム利用料の方が安いから、健保組合からの文句はないだろうと考えていたのに違いない。

ところが、組合側としては、合理的な負担なら納得したかもしれないが、開発費というものがそんなに高いとは想像もしていなかっただろうし、そもそも健康保険の健全な運営が法律等で定められ、それに従って扶養状況や所得その他の個人情報の処理・管理を求められているわけで、自分たちの都合で事務処理をしているわけではないだろう。それを求めるなら、そのコストは国が出すべきだ。(そもそも基金の運営が苦しいという現実もある。)
さらに、マイナンバー側のシステムを円滑に利用するためには、自分たちのシステムの改修も必要になるに相違なく、少なくとも短期的にはコストがかかるだろう。

私はマイナンバー制度に反対しているわけではなく、適切な制度のもとで運営されることが良いと考えている。
個人情報保護とかプライバシーを持ち出して反対する人がいるようだが、それらを守る核心は、情報システムの問題ではなく、扱う個人情報の利用・管理秩序の問題である。

もちろん情報システムに脆弱なところがあって、情報が漏洩するようなことがあってはならないが、それを技術でカバーすることはできない。守るべきものが定義されていないのにどうやってセキュリティを定義するというのだ。

個人情報保護への不安は、自分の情報がどう管理され、どう利用されるのか、それが曖昧にされることによって大きくなる。これについて政府は、情報システムの問題にすり替えて、きちんと答えていないように思う。

扱う情報の所有者は誰なのか、誰がどういう目的でならアクセスできるのか、これを一つ一つ明示的にリストアップして国民に分かりやすく知らせることが大事である。

ちなみに全国健保協会ページには、マイナンバーは、日本年金機構や住民基本台帳ネットワークから収集、とある。
そんなこと知らなかったよ。

そうした制度的保証をベースとし、それを実現するための情報流通のフレームワーク(たとえば、どのデータベースのどの項目を、誰がどういう目的で利用するのか、その情報交換プロトコルを、利用者認証基盤と合せて決めるようなこと)がなされているべきと考える。

そうすれば、一つ一つの利用システムへの投資の合理性が判断できるようになる。220億円が適切なのかも、その上で判断できるだろう。

200億円というと、一昔前に聞いた話では、航空券予約システムの開発費ぐらい。扱う情報件数としては予約システムの方が少ないかもしれないが(ANAで国内旅客4000万人)、1億人分あるといっても、ほとんどスタティックな情報を扱うシステムがそれほど高い技術や、高性能の機器を使ったり、想定が難しいスクを負うとは、私には信じられない。
予約システムはリアルタイム処理が要求され、当然、二重更新などあってはならないし、その上、決済機能まで持っている。Excel表の行数が多いだけといっても良さそうなマイナンバーとは全然違う。
それに健保の掛け金なんて、もし間違っても後から何とでもなるだろう。


C20fJRmUoAASNhl.jpg 要するに、個人情報の利用秩序を見通しよくするという努力をせず、馬鹿の一つ覚えでセキュリティ技術ばかり強調し、肝心要のところが曖昧なまま、結果、コントロールが効いているのか、いないのか、よくわからない。それが現在のマイナンバーシステムだと思う。

さらに、マイナンバー制度とは直接的には関係しないマイナンバーカードを、普及しなければ失敗だと勝手に考えて、使う機会も値打ちもなさそうなアプリケーションを作って、便利の押し付けで、不要なコストをかける。


一言で言うと、制度にポリシーが、システムにビジョンが欠けているのじゃないだろうか。

で、こんな酷いものに多額の税金を投入し、さらに、それを使わされる健保組合や自治体には、運用上問題があれば、それを解決するのは現場の知恵と努力だと、責任を転嫁して済ませるのだろう。


それにしても、もしこのシステム利用料、毎月の健保掛け金を増額し、それを明示したら、加入者はみんなどう思うだろう。

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先制的自衛権

wor1704070040-p1.jpg 米国が、シリアが化学兵器を使用したと主張し、シリアに対してミサイル攻撃を行った。

シリアは、政府、反政府、ISの三つ巴の戦乱地域で、ここへ米国がミサイルを撃ち込んで、一体どうなることやら。
もちろん日本国政府は、米国の行為を断然支持している。

米国はトランプ大統領になってから、アメリカ・ファーストと言って、世界の警察官の役割りは小さくなるのかと思いきや、どうやら世界の警察長官はやめないで、下働きをあちこちの国にさせるつもりのように見える。
もちろん禁止されている化学兵器の使用は許されないし、米国の攻撃に喝采を送るシリアの人々もいるに違いない。子供たちが毒ガスに苦しむ姿を見て、こんなことをした輩を憎む気持ちは多くの人が共有すると思う。

ではあるけれど、今回のミサイル攻撃について、米国は自衛権の行使だと言っているそうだ。
自衛権」? 米国本土からはるかに離れたシリアの地で、自衛ってどういうことなんだろう。

思い出すのは、かつてのブッシュ・ドクトリン、ならず者相手なら、先制的自衛権、つまり、殴られる前に殴ることが認められるという理論。
先制的自衛権なるものが認められるかどうか、国際社会では意見が対立しているようだ。認める立場であっても、イラク攻撃の場合、その行使の理由となった大量破壊兵器は、ついに見つけられず、前提があやふやとなったけど。

_95008309_cf62329c-d244-4fd5-ba95-87d6e0bdb266.jpg 日本政府は、米国支持でわかるように、先制的自衛権を認める立場と考えられる。
さらに、先年、集団的自衛権も認めた上、米国を同盟国としているから、米国と同調した先制的自衛権の行使は論理的帰結と言える。

そして、日本の近くには、核兵器やミサイルを開発していて、しかも人道的にも問題があるとされる国がある。
米国まで到達するICBMの開発が進められているという。
現に、米国国務長官は、シリア攻撃はその国を含む諸国への警告だと言っている。

完璧に、日本も、米国も、先制的自衛権を主張できる状態である。
次に先制的自衛権が行使されるのは、その国に対して、そしてその先鋒となるのは日本国かな。
前述のように、日本国に、その行使を阻む法理論は存在しない。あとは「やる気」だけだ。

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今年の桜

先週末から、ぐずついた天気が続いているが、昨日の日曜日、かろうじて雨が上がったので、近所のゴルフ場の桜を見に行った。

例年というほどではないけれど、良くくる場所である
鶏のから揚げとかの屋台も少し出ているけれど、私が行ったのは朝10時頃で、まだ店は開いてなかった。(開いてても買って食べようということはないけど。)

どんよりと曇っているので、あまり良い写真は撮れなかった。

散り初めというところだろうか、青い葉がのぞいている木が多い。

写真は、上から、①クラブハウスへの道、②ゴルフコースを望みながら、③ゴルフ場入口付近。
クラブハウスへの道には歩道がない。
同じように桜を見に来る人が多いのか、ちょくちょく車が来るので、気を遣う。

ゴルフコースを望む写真では、遠くに、我が家の近所の宅地開発も見える。

家ではチューリップが咲いている。
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①クラブハウスへの道

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②ゴルフコースを望みながら

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③ゴルフ場入口付近

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沖縄、ちょっと一服

P_20170325_143354_1_vHDR_Auto.jpg 近頃は喫煙場所がだんだん少なくなって、喫煙所の場所は重要な情報である。
今回の旅で、煙草を吸えた場所をレポートする。

まず、大阪空港は、ラウンジには喫煙室がある。これは以前に報告済みである。

那覇空港は、3階の出発ロビーの端に喫煙所がある。
この喫煙所は、仕切りもなく、吸煙設備もあまり効いていない。

ひまわりの塔では、ひまわり会館の入り口脇に灰皿が置いてあった。
平和祈念公園には煙草が吸える場所を見つけられなかった。

P_20170325_183650_vHDR_Auto.jpg ホテルの予約は私がしたわけではないので、当然のごとく、禁煙ルームがあてがわれた。室内で喫煙した場合は、除臭などのために罰金(20,000円~)を申し受けるなどとぶっそうなことが書いてある。

というわけで、ホテルに着いて、すぐに煙草が吸える場所を聴いた。
エントランスを出て、少し離れて灰皿が置いてある。
吸い殻があるので、私以外にも煙草を吸う人がいることは間違いないのだけれど、他の喫煙者と同時に利用したことはない。

結局、ホテル滞在中、食後などには、いつもここのお世話になった。

美ら海水族館というか、海洋博公園は広い庭園の何カ所かに灰皿を発見した。ここも利用した。

万国津梁館は、敷地内には見当たらなかったが、入口に近いところに、ホテルが設置しているらしい灰皿が置かれていた。

P_20170326_121451_vHDR_Auto.jpg 結婚式場も庭に灰皿があった。

首里城では喫煙所を見つけることができなかったので、吸っていない。
空港にたどりついたら吸えるという安心感もある。
那覇空港の喫煙所は確認済みなわけだが、空港はセキュリティ通過後にも喫煙室があるのが普通だから、恐怖感はない。
ちなみに飛行機はトイレには必ず灰皿がある。
強引に喫煙する人が変なところに吸い殻を捨てないようにするためらしい。もちろん喫煙を見つけたら取り上げ、着陸後には罰金が課せられるわけdけれど。

というわけで、私のように数時間吸えなくても問題ない節度あるスモーカーであれば、特に支障はなかった。
というより、灰皿を見つけると、ここで吸っておかないと、もう吸えなくなるかもしれない、というわけで、一服するのである。

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泡盛

P_20170406_212713_vHDR_Auto-crops.jpg 沖縄旅行の土産として、昨日の地ビール詰め合わせとともに泡盛を1本買って、宅配便で送った。

前にもちょっと書いた覚えがあるが、泡盛といえば父の秘蔵のそれが強く記憶に残っている。銘柄などは全く覚えていないが、茶色い陶器製の瓶に入っていた。
軽い琥珀色、甘い香り、喉越し滑らか。古酒だったのだろう。

もう40年以上も前のことだけれど、それ以来、ときどき思い出しては、泡盛の良いのが欲しいなぁと。
しかし、古酒と表示されている泡盛も何種類か飲んでみたけれど、どうも、昔の記憶に匹敵するものに出会わない。そういうことを繰り返していると、泡盛古酒とあっても、どうせ言うほどのものじゃないだろうと、手をださないでいた。

しかし、今回沖縄旅行というわけで、やっぱり泡盛が欲しい。

初日のホテルの夕食でも、真っ先に泡盛(たしか3年古酒)を注文している。


最初の訪問地、ひめゆりの塔の傍のひめゆり会館にいろいろな土産物が売られていて、いろいろな泡盛も置かれている。

ひめゆり会館というのは、どうやらツアーなどでも立ち寄る土産物屋兼食事処のようで、広い駐車場にバスも何台も停められる。そして、ここは5000円以上買えば、全国送料無料で送ってくれる。普通、沖縄から宅配を頼むと結構な送料がいるから、どうせ買うなら、旅の初日ではあるけれど、ここで買って送っておくことにした。


せっかくだから、いつでも買えそうな本土の百貨店などで売られているものははずして、沖縄限定品を標榜する銘柄を買うことにした。
首里城正殿 10年古酒40度、720mlで約4,000円。
このブランドでは、7年、3年などもあるけれど、旅先で財布の紐も緩くなっているので、ここは断然、10年古酒である。

P_20170406_212616_vHDR_Auto-crops.jpg さて、そのティスト。
まず蓋をとって瓶の口から香りを確かめる。バニラ・フレーバー。これは期待できるかな。
グラスに少し注いで見る。薄いけれど琥珀色。これも良い。
口に含んで……柔らかい。舌に刺さず、口の中に香りが広がる。
喉越し、これはちょっと微妙かな、チェイサーを使わず多めに飲んでみると、やや尖った感じ。

この値段のウィスキーと比べてどうかといえば、ウィスキーのほうが洗練されていると思う。
しかし、このフレーバーと優しさはウィスキーには感じられない。
十分な商品価値はあると思う。

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ヴァイツェン

沖縄でビールといえば、オリオン・ビール、そう思っていたところ、ヴァイツェン(白ビール、小麦のビール)を置いてあるところが多かった。
ドイツ圏に旅行したときには何度か飲んでいるけれど、本土の普通のレストランでヴァイツェンを出すところはあまりないと思う。

ホテルの最初の夕食のときにもヴァイツェンを頼んだし、中華料理店にも置かれていた。
結婚式場のビールにもヴァイツェンがあったように思う。

つまり、今回の沖縄旅行では、アルコールの出る店へ行くとヴァイツェンが置いてあったというわけだ。

ネットで「何故、沖縄にはヴァイツェンが多いのか」と検索しても、それらしい情報を見つけることはできない。
外国人が多いといっても、米軍が居るというだけで、アメリカ人にはヴァイツェンなんてなじみがないだろう、アメリカならやっぱり米が入ったバドワイザーだろう。

というわけで、何故沖縄にはヴァイツェンが多いのか、謎のままである。

P_20170401_190900_vHDR_Auto-crop.jpg

写真は沖縄土産に買ったビール4種詰め合わせ。
ここにもヴァイツェンが入っている。

というか、普通のビールが入ってない。


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沖縄での食事

今回の旅行は、ホテルと結婚式場の往復で、那覇市内をはじめ、街歩きというものを全くしていない。
せめて、首里城付近で何か食べようと考えていたのだけれど、車のキー紛失事件で時間がなくなり、それもできなかった。

また3泊するのだから、ホテルのバーを一度くらいは行ってみようと思っていたのだけれど、夕食時間が遅くて入浴後に行くのが億劫になったりで、結局、どのバーにも行かず仕舞。
とくに喫煙できるバーでゆっくり煙草も楽しみたかった。

そうした乏しい食事経験から、ちょっと感想をピックアップ。


沖縄での最初の食事は、25日(土)の昼食。
飛行機の到着時刻がグループばらばらで、一番遅い人より30分程早かったので、空港で食べようと思っていたが、飛行機が遅れ、また私より先に到着の人がレンタカーを借りて待っているというわけで、15:30と随分遅く、空腹を抱えた昼食となった。
場所はひめゆり会館、食べたのはソーキそば。
ソーキそばは、沖縄物産展か何かで食べたように思う。
空腹でもあったからか、おいしくいただいた。

というわけで遅い昼食だったので、夕食も遅くなった。
それでも19:00頃にはと思って、ホテルのレストランを予約しようとしたのだけれど、どこも満席。唯一空いていたのが、カフェテラス「ラ・ティーダ」というところ。
焼き立てローストビーフを目の前で切ってくれるのは、やはり魅力がある。柔らかく、パサついていない肉。ソースも悪くない。
酒類が少しさびしい。泡盛のショット、ビール(ヴァイツェン)、最後にチーズをとったので赤ワインをたのんだけれど、本格的に飲むならバーへ行けということだろうか(隣接してバーがある)。
問題は、21:00がラストオーダーだったこと。こちらが聞き逃したのかもしれないが、20:00に案内したのなら客にしっかりと確認してもらいたい。
というわけで、フルーツやケーキ類は食べていない。

翌朝は和食が良いというメンバーがいるので、和食レストラン「真南風」。
サケを中心にしたワンプレートスタイル。
ご飯は、白米、十六穀米、お粥から選ぶ。
料理の一つ一つは量が少ないけれど、種類が多いので十分な量である。

26日のお昼は、美ら海水族館の近所のレストラン海路。
こぢんまりした店だけれど、コンクリートの壁にスピーカー用に四角い穴をあけて、KENWOODのスピーカー、しかもリボンツィーターを使用しているものが置かれている。60歳以上と見えるおばさんが2人でやっている店なんだけれど。
前にも書いたが、タコライス・カリー大辛を注文。
カレーの辛さは4種類(甘口、中辛、大辛、激辛)から選べる。以前、ネパール料理の店で同じような辛さ段階のところがあって、標準(中辛)を選んで甘すぎたという経験があったので、大辛にした。私にとっては正解である。

夕食は、結婚式前の親族食事会、ホテルの中華レストラン「琉華菜苑」。
これが予約の都合で20:00と遅めになっていたので、お茶でケーキセットなどをつまんで、20:00に店へ。
事前に料理を行ってくださいということだったので、定番のエビチリやチンジャオロースなど何店かを言っておいた。
沖縄ということで、チンジャオはアグー豚のものにしたが、やっぱり牛が良い。
また、エビチリは殻が残ってたけれど、これはこういうもの?

27日の朝は、初日の夕食のカフェテラス「ラ・ティーダ」。
8:00前にレストランへ行ったら、たくさんの客が入口にたむろしている。
ウェイティング・リストに名前を書いて、8:15頃に入場。
クロワッサン、フレンチ・トースト、ベーコンその他。初日の夜に食べられなかったフルーツも摂取。

昼食は結婚式後の食事会。沖縄産素材を使ったフレンチ(?)のコース。
カニみそのかかったのが、珍味。
乾杯はおきまり通りシャンペンだが、あんまり経験がなかったことは、食事中ずっとシャンペンを注いでくれるということ。
他に、ビール、ワイン。

この日はお昼が遅く、しかもそれなりのコースなので、夜は簡単にサンドイッチで済ませたが、これはもう一つ。パンがパサパサで、具も乾燥気味。もう少しマヨネーズを足しておけば誤魔化せると思うのだけれど。

28日、最終日の朝は、メイン・ダイニングの朝食コース。
宿泊客の朝食会場は3カ所あって、ここがその3カ所目。これで一通り経験したことになる。
サイドメニュー(パン以外)は、肉系はソーセージ、ベーコン、ハムステーキの3種、卵料理は、ゆで卵、目玉焼き、スクランブルド・エッグ、オムレツの4種の組合せ。
私は、ハムステーキとオムレツを選択。
ここは最初からコーヒーが出てくる。それも追加のコーヒーのポットも一緒に置かれる。なので、食事が終わるころにはコーヒーは冷めている。冷たいから熱いのに換えてくれと頼んだら良かったのだろうか。それがだめでも、そういう客が多ければ店も考えると思うし。

そして昼食は、空港のフードコートで沖縄そば。
前にも書いたように、首里城あたりで沖縄料理と思っていたのが、思わぬ事件で時間がなくなり、飛行機搭乗前に慌ててかきこんだという次第。

旅の楽しみの一つは食だと思うけれど、今回の沖縄旅行では、食を楽しむという点では、もう一つであった。
とくに、沖縄名物の豚を使った料理を食べなかったのが大変心残りである。

また、ホテルの食事については、今回はメイン・ダイニングのディナーや、もっとたくさんある魅力的なレストランを使っていないので、評価はできない。これも少々残念だ。

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25夕 泡盛

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25夕 チーズとワイン

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26朝 和食盆

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26昼 タコライス・カリー

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26茶 ケーキセット

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26夕 中華

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27朝 フレンチ・トーストの前で

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27昼 結婚式後の食事会

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27昼 結婚式後の食事会

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28朝 フルーツとヨーグルト

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28朝 オムレツとハムステーキ

25(土) 昼(15:30) ひめゆり会館 ソーキそば
夕(20:00) カフェテラス「ラ・ティーダ」
(ホテル)
ローストビーフ、野菜類、チーズなど
泡盛、ビール(ヴァイツェン)、赤ワイン
26(日) 朝(07:30) 和食「真南風(マハエ)」
(ホテル)
和朝食
昼(13:10) レストラン海路 タコライス・カリー大辛
茶(16:00) カフェ「マロード」
(ホテル)
ケーキセット(ダージリン、ティラミス)
夕(20:00) 中華料理「琉華菜苑」
(ホテル)
一品各種
ビール、紹興酒
27(月) 朝(08:15) カフェテラス「ラ・ティーダ」
(ホテル)
昼(14:00) 美らの教会 宴会コース料理
シャンペン、ワイン、ビール
夕(17:00) カフェ「マロード」
(ホテル)
サンドイッチ
28(火) 朝(07:30) メイン・ダイニング「ファヌアン」
(ホテル)
朝食コース(オムレツ、ハムステーキ)
昼(13:15) 那覇空港フードコート 沖縄そば


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ザ・ブセナテラス(続き)

昨日、バスタブにシャワーが付いていないので、従業員がバスタブを洗うのに不便じゃないかと書いた。

それ以外にも、このホテルは、従業員には使いにくいところがあるんじゃないだろうか。
車のキー紛失事件も、案外、ホテルの設え・システムに問題があるかもしれない。
(アフターケアは万全である。誠実で丁寧。事故慣れしているといったら失礼かな)

P_20170325_193149_vHDR_Auto-crop.jpg そう言えば、チェックインにちょっと時間がかかり過ぎだと思った。
チェックイン客が多いときには、10分ぐらいは待たされている様子だった。もちろん立って待たされるわけではない。ロビーのゆったりした応接で、ウェルカム・ドリンクを飲みながらではあるけれど。
というわけで、部屋に案内されるまで、とにかく時間がかかる。
宿帳の記入なんてすぐ終わるし、そもそも予約しているんだから、署名だけでも良さそうなもの。まさか、客が到着してから部屋を整えているんじゃないだろう。
ゆったりした時間を過ごしてもらおうというポリシーのもとで演出しているのかもしれないけれど、客は早く部屋に入って寛ぐ方が嬉しいと思う。

ホテル・スタッフは礼儀正しく、丁寧である。
また、外国人が多い。私のチェックインときは、カザフスタンの女性だった。ドアマンやポーターも外国人が多い。若干、日本語が聴き取りにくいこともあるが、良く訓練されていると思う。
これは、国際色を出そうと言う演出効果を考えてのことかもしれない。

P_20170326_080140_vHDR_Auto.jpg ホテルのリラクゼーション施設は、プールとスパ(大浴場)を利用した。
屋外プールは4月からなので屋内プールだけ。

泳いだのは、子供が小学校のとき以来だと思うから20年ぶりじゃないだろうか。25mを4往復。
リラクゼーションの受付は、プール、スパ、器具など、どれも同じ場所で、タオルなどもここで貸してくれる。
私はプールとスパを利用したが、プール用、スパ用のタオルをまとめて貸してもらい、ロッカーで着替えてプールに行ったのだが、泳ぎ終わってスパへ行く場合、服に着替えずに行きたい。同じような人は多いだろうから、ビーチサンダルのようなものも貸してもらえたら良いと思った。


FabPlayer_[20170401-000502-661] ホテルの前はビーチである。よくわからないが、屋外プールからすぐに出られるところで、ひょっとしたらホテルのプライベート・ビーチなのかもしれない。
この日はまだ海開き前で泳ぐことはできなかったが、きれいな海である。
FabPlayer_[20170401-000502-661](⇒ビーチの動画)

今回の旅行は、3月末の沖縄というのに、結構肌寒く、また風が強かった。
そしてホテルはほとんどのドアが開けっ放しである。
風を避ける場所を求めるというようなこともあった。
これも、リゾートの雰囲気、沖縄の雰囲気づくりの一環なのかもしれないけれど、どうなんだろう。(年寄りにはこたえる)
たまたま今年は寒かっただけで、例年3月末ならこれで問題ないということなのだろうか。
冬場はどうしているんだろう。

ケチもつけたようだけれど、それだけの水準のサービスをしているということでもある。
ここに泊った知り合いは結構いて、多くの人は好評価のようだ。
私のような、リゾートに縁のない無粋な鈍感者にはどうということはない(ただ贅沢なだけ)が、リゾートを満喫したいという人なら気に入るんだろう。

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ザ・ブセナテラス

P_20170325_193959_vHDR_Auto.jpg 宿泊したホテル(ザ・ブセナテラス)について。

一見して、高級リゾート・ホテルという雰囲気のところ。
あんまりリゾート・ホテルとは縁がない。敢えて言えば、以前、ハウステンボスで泊った「ホテル・ヨーロッパ」ぐらいか。

ホテル・ヨーロッパはテーマパーク(ハウステンボス)の中のホテル、こちらブセナテラスは、海浜リゾートの中のホテルというわけである。

とにかく設えが大きくて、リゾート感の演出に力を入れている。
だだっ広いロビー、多くのレストラン、プールやスパ、リフレッシュ関連施設。

泊った部屋は、微妙な角部屋(棟が屈曲したところ)で、そのため前室があって、広々とした感じ。
モダンというわけではないが、装飾的でもない。

客室で驚いたのは、バスルームと居室の間に窓があって、これが開くこと(写真参照)。こんな部屋には泊ったことがない。お風呂を入れたら居室に湯気が充満するんじゃないかと思ったけれど、そういうことはなかった。

P_20170325_191851_vHDR_Auto.jpg バスルームにはシャワー室が付いている(シャワー圧は弱め)。
体を洗うのはシャワー室で、バスタブにはゆっくり浸かるという使い方ができる。
西洋人は、逆に、バスタブで体を洗ってから、シャワーで石鹸分を洗い流すという使い方をするのかもしれないけれど、日本式の風呂に慣れている者としては、湯船に浸かってゆっくりしたい。
前にも書いたけれど、シャワー室を用意するのも良いけれど、日本式の風呂にしてもらうともっと良い。このあたりは、西洋式の雰囲気づくり優先ということか。

浴室にはボディ・ウォッシュ・タオルが置かれていた(毎日、新しいものに変えてくれる)。普通のホテルのタオルは分厚くて、体を洗うのには向かないから、これはありがたい。

実は、三井ガーデンホテル京橋にもボディ・ウォッシュ・タオルが付いていた。同室者は使わないので、これを持って帰って今回の旅に持参していた(ブセナのを使ったので、こちらは使わなかった)。


また、ここでは、シャンプーなどの消耗品は勿論だけれど、使ったパジャマやガウンも毎日交換してくれる。
今回は3連泊だったので、2回交換の3着である。ホテル・ヨーロッパはどうだったか記憶が曖昧だけれど、多分、連泊中はそのままだったように思う(言えば交換してくれたのかもしれないが)。

不審に思ったのはバスタブにシャワーが付いていないこと。シャワー室があるから要らないわけだが、シャワーが付いていないと、従業員がバスタブを洗うときに不便じゃないんだろうか、洗い残しとかが出るんじゃないか、と変な勘繰りをしてしまう(もちろんそういうことはなかった)。
また、バスタブ、洗面とも、ワンレバーの混合水栓ではない。お湯(かなり熱い)のレバー、冷水のレバーをそれぞれ回して湯音を調節する。わざわざアンティーク調にしようということだろうか。

水栓もそうだけれど、照明のコントロールもあまり機能的とは言えない。
夜の照明も、最近のホテルは足下の灯りなどがあるけれど、ここはそういうものはなく、常夜灯の類もない。しかたがないから、クローゼットの照明を付けておいた(クローゼットのドアを開けると灯りが点く)。

私はタブレットを目覚ましにしているので、目覚ましが付いていたのか確認していないが、ベッドサイドの置時計もアンティーク調。
空調は静かで、効きも良い。そして天井には大きなファン。これもほぼ無音。

全体に、雰囲気を大事にした部屋づくりがなされている。

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沖縄のレンタカー

今回の旅行は、もちろんレンタカーを利用している。
といっても連れが大きな車を借りてくれたので、私は乗せてもらう立場であるけれど。

車で移動しながら、他の車のナンバーを見ていた。ほとんどの車が沖縄ナンバーである。

車中でそんな話をしていたら札幌ナンバーが1台いた。ただその後も山口ナンバーを1台見ただけである。
それにしても、札幌からはどうやって来たんだろうか。


P_20170326_080447_vHDR_Auto.jpg そして、「わ」「れ」ナンバーが多い。
ホテルに来る客の車は、ほぼすべてが「わ」「れ」である。

というかレンタカーは「わ」だけかと思っていたところ、「れ」があることに気がついた。どうやら沖縄と北海道には「れ」があるらしい。

タクシーの運転手に、レンタカーばかりで、道を知らないドライバーでしょうから、走りにくいということはないですかと聞いたら、昔は迷う車もあったけれど、この頃はみんなナビが付いているので、変なところでウロウロするようなのはなくなったとのこと。

ただし、以前は外国人はレンタカーを借りられなかったけれど、規制緩和で外国人もOKになり、運転マナーの悪い人(中国人など)が増えたのに困っているそうだ。
そう言えば、中国人はタクシーを呼んでおいて、自分はどっかへ行ってしまうとか、本当に困るとも。
中国人の客でかなり苦労した経験をお持ちのようだ。


私の場合、連れが先に沖縄入りしてレンタカーも借りてくれていたのだけれど、聞くと空港からどっとレンタカー屋へ人が流れていたそうだ。

みんながレンタカーを使うことで、タクシー利用も影響を受けているのだろうか。以前よりも沖縄に来る観光客はずっと増えているだろうから、タクシーの需要も上がってはいるのだろうけど。

ホテルのミスで貸切タクシーを使えた私たちであるけれど、レンタカーだったら首里城で駐車場探しで苦労したであろう。
何より、運転手さんから、沖縄の話をいろいろ聞かせてもらえた。レンタカーではこうはいかない。

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万国津梁館

宿泊したホテル(ザ・ブセナテラス)に隣接して、九州・沖縄サミット(2000年7月)の会場になった「万国津梁館」という施設がある。

特に訪れたい場所というわけではなかったけれど、空き時間に散歩がてらに行ってみた。

この施設は、今はコンベンション施設になっていて、結婚式場としても使えるらしい(カフェはあるらしいが、本格的なレストランはないから、宴会をするならケータリング・サービスを使うしかないと思うけれど、持ち込みは可なのだろうか)。

沖縄県営の施設だが、宿泊したホテル・グループ会社が指定管理者になっている。ちなみに、万国津梁館よりもザ・ブセナテラスのほうが先に開業している(1997年)。

訪れた日は、何か貸切のイベントが入っていて、館内見学はできなかった。イベントは午後かららしく、警備員以外は人っ子一人いない状態。

ただし、前日にホテルで聞いたときは、イベントの予定はないので館内に入れますという返事だったので、あてがはずれて、不愉快だった。ブセナが指定管理者でしょうが。

庭に銅像が建っていたので、誰だろうと近寄ってみると、小渕恵三元首相だった。なので沖縄サミットのときの総理大臣は小渕さんだったのかなと思ったが、調べると森喜朗氏だった。
小渕さんは、サミットの直前に脳梗塞で亡くなっている。思いを残しただろうことを慮って、関係者が建てたものだろう。

サミット・ホールも決してだだっ広いというようなものではない。サミットはこのときは、G8+EUで、9人だったようだ。

こうした会議は、事務方でだいたい詰めた後で、トップが約束を交わすようなものらしく、だだっ広い会場で事務方が多数詰めかけるというような絵にはならず、会場もこぢんまりしていて良いのかもしれない。

中に入れなかったから、建物内部はわからないけれど、落ち着いた、手抜きの無い建物、という感じだった。
また、部屋からの眺めも素晴らしい。

ここに、クリントン大統領やプーチン大統領が来ていたんだ。



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美ら海水族館

タクシー運転手によれば、沖縄観光で首里城と美ら海水族館ははずせないそうだ。
沖縄旅行2日目の午前中は、その美ら海水族館。

美ら海水族館というのは、単独の施設ではなくて、海洋博記念公園内の施設である、ということを行くまで知らなかった。
広大な公園の敷地に、水族館の他に、植物園やプラネタリウムのある「海洋文化館」などの施設がある。

さらに言うと、国営沖縄記念公園には、海洋博記念公園と、首里城公園があり、内閣府沖縄総合事務局が計画・整備し、管理は一般財団法人沖縄美ら島財団に委託されている。

国営公園というのは、国交省所管の都市公園で、環境省所管の国立公園などの自然公園とは根拠法が異なる。
関西地域で良く知られているのは淀川河川公園(私も昔、よくテニスをしていた)だと思うけれど、飛鳥歴史公園とか、まんのう公園とかも国営公園だという(Wikipedia)が、そういう認識はなかった。
そうした公園の中で、各種の教育・文化施設を持っているここ沖縄記念公園は別格のような気がする。

そうした予備知識がなく現地に到着して、これは丸一日遊べるところだなと認識不足を反省したものの、時間のない旅行者としては他の施設には見向きもせず、目当ての水族館へ。

海岸沿いに作られた公園だから、駐車場から水族館や他の施設へは下りになる。中央入口から進んだところには噴水があって、子供たちが水の輪をくぐったりして遊んでいた。

そうしたものを横目に水族館。ここも入口は高いところにあって、下へ下って行く。

最初に展示されているのは、海生生物とのふれあいのゾーン。ヒトデ類が、手で触れられるように展示されている。また、ヒトデの生態などをクイズを交えながら解説していた。

続いて、普通の水族館にもあるような小水槽が並ぶ。
沖縄の自然に合わせた展示や、深海生物の展示などである。

なんといってもメインは大水槽。なかでもジンベエザメ。
昔、大阪の海遊館でジンベエザメを見たが、そのときはまだ子供のサメで、将来大きくなるにしても、さほど大きなものではなかったと思う。
今回のジンベエザメはもう成体なのだろう、大変な大きさである。7~8mはあるんじゃないだろうか。

大水槽はいろんな方向から見ることができる。
向って左側には、水槽を見上げる位置から観察できるようになっていて、頭上をジンベエザメをはじめ、水槽内の魚を見ることができる。ただし、光の具合で、それらはシルエットになるけれど。

おそらく大水槽に次いで人気があるのは、隣にあるサメの水槽ではないだろうか。
ここはいわゆる凶暴なサメが展示されている。水なのかガラス(アクリル)なのかわからないが、非常に透明感のある水槽で、しかも水槽にくっつけるほどの場所から見るので、サメの迫力を感じることができる。
また、この展示室(サメ博士の部屋)にはメガロドンのアゴの模型が置かれている。古代のサメの大きさは見もの。

館内案内はこのぐらいにして、旅の記録。
とにかくここも人が多い。次々に観客が増えてくるような感じである。
困るのはバックパックを背負っている人。満員電車でもそうだが、バックパックを背負っている人は、もっと後ろに注意を向けてもらいたい。自分が邪魔になっていることすら気づいていない様子である。
それと、カップルは手をつなぐな! 目障りということはないが、邪魔である。(満員電車だったら抱き合って占有スペースを小さくしてもらうのは良いかもしれないが)

あと邪魔なのは写真を撮る人。
私も写真を撮っているけれど、これは旅の記録として(ブログに載せようかと考えながら)撮っているわけで、写真の出来自体はあまり気にしていない。
ところが本格的なデジイチのようなカメラに望遠レンズを付けている人が結構いて、これは「良い」写真を撮ろうとしているようだ。
それ自体が悪いわけではないが、あまりに集中していて、周囲への気配りが足りない人が多いようだ。

私は、こうした展示施設に行くと、写真撮影はそんなにしない。特に、良い写真を撮ろうとは考えない。
本当に良い写真というのは、たいていの場合、施設の写真集があって、それを買えば良いのだと考えている。
(というわけで、あんまり良い写真はありません、スミマセン)

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海洋博公園案内図(公式HPから)

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中央入口から車椅子用スロープを臨んで

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中央入口から降りたところの噴水

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水族館入口

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ふれあえるコーナー

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大水槽(左下画像のクリックで動画)

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大水槽を下から

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入口から海の方向を臨む







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