学校では教えられない!エロすぎる古典

2017-06-23_115216.jpg 朝日放送に「ビーバップ!ハイヒール」という深夜番組がある。
狙って視ることはないので、何曜日か気にもとめていないが、放送日は木曜日である。

先日、もう寝ようと思ってテレビを消そうとしたら、この番組の案内がでた。
「学校では教えられない!エロすぎる古典」

この案内を見てすぐに、ゲスト解説者に思い至った。
ズバリ、大塚ひかり先生でしょう。

Screenshot_20170623-112423-crop.jpg 内容も当然、推察できる。最近、「快楽でよみとく古典文学」という本も読んだところである。
前にもこの先生の本を読んでいるけれども、動いて喋る先生は見たことがないので、どんな人か見てみようと思って、番組にお付き合いした。

まずは、竹取物語でジャブ。「得てしがな 見てしがな」という詞は、「ものにしたい やりたい」の意味であると解説される。

大塚先生によると、「見る」というのは、当時の貴族の女性は、父親や夫にしか顔を見せない、その顔を見るというのは、「やる」の意であるとのこと。


続いて、エロ小説の本命「源氏物語」。
もはや解説の必要はない。とにかく、ヒカル君はとんでもないゲス野郎ということである。

エロいのは女も同じ。番組中ではクイズ形式で説明されていた。

Screenshot_20170623-112814-crop.jpg Q 「おようの尼」が思う坊主をわがものとした方法は?

A 女を紹介するといって、闇に紛れて自分自身がその女となった


Q 男を来させたいときに、女がするおまじないとは?

A 服を裏返しに着る。(事が起こった状態を先取りする)


番組後半では、和泉式部がとりあげられ、現代劇に翻案した寸劇に仕立てられていた。

和泉式部を清少納言と紫式部が取り巻くという設定はやりすぎと思うけれど。


快楽でよみとく古典文学
はじめに 性愛の古典
第1章“恋”に費やす膨大な労“力”
第2章“見る”は結婚のはじまり
第3章“夜”が“離”れ、“枯”れていく恋
第4章“すき者”どもの禁断エロス
第5章“蜘蛛”の動きも“眉”の痒さも見逃さない
スピリチュアル主義
番組では「エロいはエラい」というテロップが何度も流された。

しかし「エロい」といっても、大塚先生が紹介する古典は、大してエロいものではない。いわゆる名作古典ばかりをとりあげているからで、古典ポルノにはあたらない。
エロ要素というより、セックスを隠すことなく、それをベースにおきつつ、男女の愛憎などを描写していると考えるべきものだと思う。

ポルノというのは、性的な行為の描写により、読者に性的興奮を起こすことを目的とした作品である。
これも古典に名作がある。有名なのは「小柴垣草紙」、鎌倉期に成立したという。
その詞書の一節をとりあげると

koshibagaki_sousho_shunga.jpg お足にたぐりつくままに、おしはだけたてまつりて、舌を差し入れてねぶり回すに、ツビはものの心なかりければ、かしらも嫌わず、水はじきのようなる物をば、せかせさせ給いけり。

というようなもの。そのものズバリである。

「春画展」にも出てました。


現代語訳で続きをもう少しサービス。

もだえる斎宮様の御姿に、男たるものなんで絶えられましょうや。紐解く手ももどかしく狩衣・袴を脱ぎ捨てれば、もはや玉茎はそそり立ち怒り波うちたる有様。 男はその玉茎を、ねぶりそそのかされて朱に膨らみ、御肌よりむらむらとわき出でた斎宮様の雛先に差し当てて、上から下へ、下から上へ、あらかにさすり上げ、さすりおろしたそうにございます。玉門はいよいよ潤い開き、玉茎のはりはますます強くなったことでございましょう。

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中央銀行は持ちこたえられるか

河村小百合“中央銀行は持ちこたえられるか ──忍び寄る「経済敗戦」の足音”

Chuo_ginko_wa_mochikotaerareruka.jpg 金融政策に詳しくないので、この本に書かれていることは、ちゃんとは理解できない。

新聞記者も同様だと本書の著者は言っている。
日銀の記者会見や資料提供に対し、わけのわからん質問をしたり、的をはずした記事を書いているという。

ただ、素人でも、引用されている図表を見ていると、どうして日本だけ、こんなに異常なんだろうという気持ちになる。
先年破綻したギリシアよりも、数値としてはもっと悪い。

日本国の財政危機については、多くの人が不安に思っていると思う。
「日本の借金時計」なんていうページもある。
国の借金とは、国債である。
そして、前から指摘されていることだが、この国債のかなりの部分が、日本銀行に保有されている。
その額約400兆円。しかも、毎年80兆円ぐらいずつ増えるという。

日本銀行「第132回事業年度(平成28年度)決算等について」


良く知られているように、日本銀行が国債を引き受けるのは法律で禁止されている。
戦時中、国の戦費捻出に戦時国債が発行され、それを日銀が引き受けた。それに相当する日本銀行券が政府に入り、それが市中で戦争資材の購入や兵隊の給与として使われる。日銀券の発行額が膨れ上がり、当然、これはインフレ要因にもなる。そうした財政規律もなにもない国政を行わないために設けられた制約である。

その制約があるから、現在は、一旦、市中銀行が国債を引き受ける。国債の利ざやが目的ではない。はじめから日銀に買ってもらう前提で買う。迂回引き受けと言うべきもの。(脱法行為だよね)

ただ、今は市中銀行の日銀当座預金が膨大な額になっていて、あんまり日銀券が増えるということでもないらしい。素人だからよくわからないが、インフレ誘導がうまくいかなかったのはそういうことだろうか。マネタリーベースを増やしても、マネーサプライが思ったように増えないということも本書で指摘されている。(外国の中央銀行は、日本の異常な金融政策とその結果を評価して、同じことはやらないとも)
結局、アベノミクスをやっても実体経済がついてきていない、それだけ市中での投資需要がないということかもしれない。
バブルの少し前に、金余りといわれた時期があった。それを記憶している人は、バブルを起したいと思っているのでは。


デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携」というやつがこれかな。
で、どっちも実現されず、残ったのは国債の山というわけである。

もちろんそういう政策をやってなかったらもっと酷いことになってたという意見もあるだろうけど。
しかし、こうした政策をやって、実体経済、すなわち民間投資が喚起されるのなら、出口(この異常事態の終結)が見えるのだろうが、一向にそうした気配がないようだ。


今の状態が良いと考えている人は、一人もいない。ただ、問題を先送りできると考えている人、一刻も早く解決に乗り出さないといけないと考えている人がいるということらしい。

第一章 わが国の政策運営の油断と慢心
第二章 「財政危機」のあり得るシナリオ
第三章 欧米諸国と日本「財政・金融政策」比較
第四章 金融危機後の「金利ゼロ」の世界と「量的緩和」
第五章 中央銀行は持ちこたえられるか
第六章 財政破綻のリアルⅠ-欧州債務危機の経験から
第七章 財政破綻のリアルⅡ-戦後日本の経験から
第八章 蓄積され続けるリスクと遠のく正常化
第九章 なぜ掟破りの政策運営は“放置”されてきたか
第十章 子どもたちの将来への責任
ギリシアなどの財政破綻が起こると、GDP比でも国債残高がそれよりも多い日本は大丈夫かという声が出てくる。
それについて、今まで聴いていた意見は、国債は日本国内で保有されているから、海外投資家が投げ売りをして暴落する心配はないということだった。
ところが、本書によると、日本国債の金利が低すぎるから、海外投資家が買いたがらないだけだという。
そして、ギリシアのようにはならない、ということは、外国からの借金を踏み倒したギリシアのような形にはならなくて、踏み倒されるのは日本人ばっかりになるということらしい。

もし日本銀行が破綻したらどうなるか、これについて、同じ著者が、“「戦後80年」はあるのか―「本と新聞の大学」講義録”の「第七回 この国の財政・経済のこれから」に書いていた。
本書は、それが出版された後、出版社からの依頼で、詳しい解説として書かれたものという。

はじめに書いたように、私には金融政策は良くわからないのだけれど、破綻したらどうなるのかは、本書である程度、感じ取れる。

昔、両親が健在だったときに、戦後の「新円切換+預金封鎖」の話を聞いたことがある。お金なんか使えんようになったんやで、という話である。
私の両親は、その頃はまさに社会人生活のスタートラインにあったわけで、資産というものなど全くなかったから、財産税も預金封鎖も、本人たちにはあまり致命的な影響はなかったらしい。

しかし、今の時代、多くの高齢者が財産を貯め込み、年金で暮らしている。
戦争で、何もかも失った、国中が、一からスタートしようという時代とは違う。

今のところ私の収入はまだ勤労収入が主で、年金収入はその半分にもならないのだけれど、近いうちに主たる収入は年金になる。そして、もし年金制度が破綻したら、暮らしの見込みが立たなくなるわけだ。


先行きが短くなるということは、可能な生き方も少なくなっているということである。
せめて現状維持ができてほしい、それが多くの高齢者の気持ちに違いない。

若い人たち、将来には不安を持っているだろうけれど、若いということは、柔軟性があること。人生をこれから選択し、組み立てていけるということ。
(われわれ年寄りの)未来は君たちにかかっている、ガンバレ、もう少しだ。

ところで、政府が破綻するときは、インフレで債務を減らすんだろうけれど、そのときは日銀が保有する国債は大暴落、日銀も一緒に破綻するんじゃないだろうか。
「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のための政府・日本銀行の政策連携」ですな。

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KY

P_20170425_101713_vHDR_Auto.jpg 近所の工事現場を通ったときに、看板が目に入った。
KY」と書いてある。

一時、「KY」は「空気が読めない(空気を読め)」という意味で使うことが流行った。
この看板の「KY」は「危険予知」である。

Wikipediaによると「KY」を危険予知の意味で使うほうが歴史が古いようだが、私は「空気が読めない」の方が先だと思っていたので、高校の技術教員の研修資料で「KYT(危険予知訓練)」という言葉を目にしたときに、「KY」にひっかけてるのかなと思ったが、そうではない。

その時も思ったのだが、どうして3文字目を、TrainingのTにして、「訓練」のKにしなかったのか。(想像通りなら、そらそうやろな)


危険予知訓練は、厚労省の関係団体が教材を作っている。(⇒中央労働災害防止協会
私が技術教員研修で見たのも、これか、これをベースにアレンジしたものだったと思う。高校技術ではそれだけでは足りないので、それだけではなく、独自に作成された教材もあったと思う。

危険予知と言えば、何度かお世話になったこともあって、JAFの会員を続けているけれど、"JAF Mate"(JAFの会員情報誌)には、毎号、危険予知の記事がある。「このとき、あなたは何に注意しますか?」というやつである。

JAF Mateのコラムは写真が見にくくて、車の陰の歩行者の頭のてっぺんとかに気づけと言われても、見えんやんかと思ったりしたが、実際の運転ではそんなことは言ってられないはず。
本稿を書くにあたって、JAFのページを見たら、危険予知の実写ビデオも配信されている。これも結構、難しいのだけれど、注意点を指摘されてから見ると、なるほどこれを見落としたらあかんやろうと思う。
アニメ版もある。これも難しい。一回で判る人は稀じゃないだろうか。


「空気が読めない」と危険予知では全然違うように思うけれど、空気が読めん奴と、危険予知(特に車での)ができん奴とは、周囲の状況に無頓着という点、通じているところがあるかもしれない。

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「たばこはそんなに悪いのか」

Tobacco_how_harmful_is_it.jpg 喫煙文化研究会「たばこはそんなに悪いのか」について。

著者の名前もない、あやしげな出自、文化の名の下に、感情的にたばこバッシングを批判する、そういう本かと思ったけれど、そういうものではない。
「喫煙文化研究会」というのは、会長すぎやまこういち、以下、養老孟司、筒井康隆、さいとうたかを、中西輝政、西部邁など、政治的イデオロギーは全く異なるだろうという人たちが集まっている組織らしい。

しかも、名前のあがる人たちは、名前だけ使われることは嫌がるような人たちではないだろうか。


プロローグには、『世にあふれる“理系人間”による「喫煙と健康」にかかる研究や仮説に対する“文系人間”からの批判・反論(逆襲!?)』と書いてあるけれど、どうしてどうして、かなりツボを押さえたところがあって、ちゃんと疫学の知識を持っていて、さまざまな反たばこ論文を読んだ上でのことのように見える。

反たばこ研究(たばこが有害であるとする研究)への批判は、おしなべて根拠が薄弱で信頼性に欠けるというわけだが、それは疫学調査そのものの難しさがあるから、研究者を責めるわけではない。

もっとも、取り上げられる反たばこ研究結果を見ていると、検定は通らないけれど、傾向として読むなら、たばこの害を示してはいる。やっぱりたばこは体に悪そうだという気持ちも湧くんではないか。


   
プロローグ 百害あるものは百利あり
第一部 たばこバッシングの歴史的構造
I  ジャパニーズ・パラドックス
II  バッシングはいかにして起きたか
III  疫学調査の欺瞞
IV  「生物医学」というパラダイム
V  たばこ企業vs反喫煙主義者
第二部 たばこはそんなに体に悪いのか
I  喫煙と疾病
II  バッシングを加速させた〈受動喫煙〉
III  〈ニコチン依存症〉の〝発明〟
IV  もう一つのバッシング「社会的コスト」論
V  「医療化」ということ
VI  何が人の寿命を決めるのか
第三部 たばこのチカラ
I  急速に広まった喫煙の風習
II  人は、なぜたばこを吸うか
III  シガレットの「光と影」
IV  「適正な喫煙」とは
V  永遠の課題──あとがきにかえて

一方、たばこにも良いところがあるという説も紹介されるけれど、これも根拠といえるほどのデータをもっているわけではない。また、たばこは健康に害はないと証明できるのかと言われたら、それはできない。反たばこ研究の信頼性にいくら疑問を持ったとしても、それで因果関係が否定できるわけではない。

そういう意味では五十歩百歩のようにも見えるわけだが、本書では、確証バイアス―ある事実を証明しようとして、確たる証拠が得られなかたり、反する結果になった場合は、その研究はなかったことにされる―は、一方的に反たばこ側に作用しているということが付言され、複数の研究結果がたばこの有害性を示しているというようなメタアナリシスは無効だとする。

おそらく、たばこの有益性の証明を目的とする研究には、科研費は出ないだろう。もっとも、以前は、煙草産業からは大量に研究費が出ていて、反たばこ側は不利であると主張されていたけれど。


不思議なことに、疫学の専門家は、相関関係は因果関係ではないこと、因果関係を認めても良いとする場合の評価基準は熟知しているはずなのだが、ことたばこの害については、これらの基準はなぜか無視される。これでは研究結果の信憑性が疑われ、本書のような反論を招く結果となる。
ヘイトスピーチのようなマネはやめて、冷静な反たばこ論を起すべきだと思う。

とりわけ、前にも書いたように、一本のたばこも許さない、というような、疫学上の基本クライテリアの一つとされる量-反応(dose-response)関係に一顧だにしないような主張は、あまりにエキセントリックで、ついていけない。
たばこが健康に悪いとしても、一日何本までなら許容範囲といっても良いのではないか。そう言ってくれたら、「罪業妄想」を持たずに済むし、たばこを文化として評価するという精神衛生上のメリットがあると思うんだけれど。
お酒は1日○合までと言う一方、どうしてたばこだとそれが言えないんだろう。

近年、勇気ある医師のなかに、「1日10本くらいが目安」と許容意見を表明する人もいる。ただし、反たばこ論者なら、その根拠を示せと迫るに違いない。それを目的とした調査研究にはお金が出ないことを見越して。

放射線や大気汚染物質について閾値を設けるのは、それらが人間の生活上不可欠なもので、ゼロとすることができないという理由がある。ゼロにできない以上、許容できる範囲を決めておこうという発想である。

2017-06-15_161742.jpg しかし、嫌煙家には、たばこの文化的価値を一切認めないという信念があるようだ。
したがって、嫌煙家には、「たばこの害」と「吸わない害」(全く吸わない場合のデメリット)の合計の最適化、なんて発想はないだろう。

そんな都合のよい計算はできないというなら、せめて、他の体に悪そうな行動と比較してもらえないだろうか。

たとえば、たばこ1本は、○分間大日交差点に立っているのと同程度の健康被害を与えますとか、豊洲市場で○分間働くのと同程度ですとか。


それにしても、嫌煙家からすれば、このような本が出版されること自体が許せないに違いない。
Amazonのレビューは3件、1件は★★★★★(最高評価)、2件は★(最低評価)。
これが現実。
嫌煙家と愛煙家が理解しあえるような世は永遠に来ないようだ。

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結局、豊洲におちついた

map_tsukiji.png 昨日、勇み足覚悟で、築地市場の豊洲移転が決定と書いたけれど、昨日午後には、正式表明がなされた。
やっぱりこれしかないわな、である。

そして、やはり、築地は再開発して利用するのだという。
「築地ブランド」は貴重な財産だからだという。

迫る都議選を慮って、移転反対派にも媚を売ったというのでは、姑息に過ぎるから、何らかの目算はあるのかもしれないが、二重投資にならないのか、やはり、他所のこととはいえ、気になる。

一連の騒動を見ながら不思議に思ったことがある。
築地といえば魚、水産卸が思い浮かぶけれど、ここには青果部もある。一方、東京都の市場は全部で11あり、食肉市場は芝浦にある。
築地の豊洲移転というフレームで考えていたけれど、それだけの市場があるなら、市場全体としての配置というようなことは論じられたのだろうか。移転先の選定にあたっては、その面積も大きな判断材料だと思うのだけれど、築地の水産部、青果部はセットでなければならなかったのだろうか。
水産物と青果物では、扱う業者も違うだろうし、物流ルートも違うだろう。使われる水にも、淡水と海水の差があるなら、設備も違うだろう。

もちろんそんなことはとっくに検討されていたのだろうけれど、一連の報道では、そうした説明を見たおぼえがない。
むしろ、築地を移転させる先としては、面積的に豊洲しかないという説明ばかり。
そして、ここへきて、築地も売り払わずに活用の途をさぐるんだという。
やっぱりしっくりこないなぁ。

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ようやく豊洲におちついた、けれど

先週末、週明けに豊洲移転を表明か、という報道があったので、そのつもりでニュースをチェックしていたけれど、今のところ、まだそういうニュースはない。昨日のニュース番組では、豊洲移転して5年で築地に戻る話もあるとかだったが、まさかそれはないだろう。50年後だったらまだしも。

ということで、ここは勇み足を覚悟で記事にすることにした。予想が当たれば、それしかないわなということになろうし、予想が外れてもご愛敬ということでご容赦願いたい。
では、以下、架空のニュースに基づく記事。

tokyoto_toyosu_b-10_02.png 東京都の小池知事が、懸案の豊洲市場移転問題について、ようやく決断した。
当初予定通りの豊洲への移転、それと築地の有効活用という。

前者は、問題の本質(汚染問題)が明らかになるにつれ、真っ当な選択だろう。後者については、ここまでゴタゴタした以上、何らかのお土産(実効性があるかどうかは別として)を業者に渡さないと、引っ込みがつかないということだろう。築地での説明会では「築地ブランド」を強調していたから、予想されたこと。

私も、遠い関東のことであるけれど、世間並みの関心をもって、記事にも書いた。
はじめは、「落としどころが見えてきたかな」として、豊洲市場に実体的な問題はなく、部分的な改善で終えるだろうという予想だった。
それが、「落としどころが見えなくなったかな」として、新たな汚染が大きく報道されて、簡単に豊洲と言いにくくなったと書いた。悪ノリで、基準の79倍という汚染は、仮に呼吸する空気の汚染にみたてたら、麻雀部屋程度という計算もしてみた

もっとも、落としどころがみえなくなったのは、問題がこじれたことで、問題の所在を見つめれば、結局、豊洲移転が結論だろうという感じはずっとしていた。
本当の問題の所在は、豊洲が汚染で危険な状態かどうかという一点のはずである。
そして、報道各社が騒ぎ立てる「基準」というのは、その汚染水を飲用した場合のもので、冷静に考えれば、問題はないということになるはずのもの。

だから、最初は「落としどころが見えてきたかな」だったのだけれど、そうした冷静な議論は、当局にはあったのだろうけれど、報道はそれでは面白くないのだろう、議論を落ち着かせるとか、熟慮するという方向ではなく、騒ぎを盛り立てた。


toyosu_o-KOIKE-570.jpg もちろん、最初に関係者や都民を欺こうとしたことが問題を拗らせたわけで、その責任は重いと思う。
一言で言えば、「東京都の役人って、ヘタくそ!」である。そんななめた行政をしたのは、役人の傲慢さのあらわれだろう。

そして、本質的な問題について関係者・都民の誤解を解こうとせず、その誤解にもとづいて、再検討に時間をかけた新知事は、そのヘタな役人から本当のところをちゃんと問いただしたのか。それとも、都政批判のネタとして使いたかったから、意図的にそうしたのか。

もし豊洲移転ができなかったら、既にできている施設をどうするか大問題。
とりあえず東京オリンピック2020のメディア・センターにでもするか。
その後は、それで整備されたITインフラを活用して、技術者がすぐに来れるという立地を活かして、開発や業務システムにも対応したデータセンターにするとか。


ただ、問題は汚染だけではない。
計画時点から、豊洲市場は赤字運営が前提になっているらしい。
関係業者にとっては、汚染が問題で、市場の赤字は気にとめないかもしれない。
しかし、都民はどう考えるだろう。

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クーポンの利用

Screenshot_20170618-192130.jpg 今までも、大手ネット通販のクーポンは利用してきた。
たとえば、電子書籍の50%とか、30%とかの割引クーポン。これは良く利用させていただいている。
割引率は3%などと低いけれど、普通の書籍のクーポンも利用したことがある。

この土日には、多分、はじめて、飲食店のリアル店舗で、しかも連日、クーポンを利用した。

土曜日は、ミスタードーナツのクーポン。
フレンチクルーラーというものがタダになる。108円の商品。
これだけもらって帰っても良いのだろうけれど、別の買い物で近所に来て、せっかくクーポンがあるからということで、立ち寄った次第。

楽天のキャンペーンにエントリーしておくと、このタダ券が送られてくる。
スマホの画面にそれを表示して会計をすれば、その商品はタダになるというわけ。
このキャンペーンは6月中やっていて、この土曜日のクーポンもあるらしいが、そのために、用事もないのにミスタードーナツに行こうという気はない。(歩いて行ける範囲にはないので)
ちなみに、他の商品も買ったけれど、決済は楽天のポイント。なんだか、妙に得した気分。

P_20170618_134713_vHDR_Autos.jpg 続いて、日曜日には丸亀製麺のクーポン。
これは、知り合いと食事に行くときに、スマホのアプリをインストールしておけば、いろいろ特典があるというので、試しに使ってみたもの。

この日は、かしわ天140円が無料になるクーポンを使用。
知り合いはスマホにしてまだ1年たたないらしいが、こういうアプリがあって、それなりの特典が得られるということで、今までずっと損をしてきたという。

丸亀製麺でもっとも安い290円のかけうどん(並)に、クーポンでタダになるかしわ天が、この日の昼食。ものたりない。
もう少し追加したらよさそうなものだが、最低価格で利用する(つまり33%引き)というのが、一つのこだわり。


クーポンのためにその店に行くということはそうないと思うけれど、行けば使う、そういうスタンスで。
そのためには、普段からクーポンに注意しておかなければならない。これは面倒だ。
できたら、専用アプリでなくて、各種クーポン総取りのアプリがあったら少しは助かると思うけど。
それでも店としては、来店の契機がつくれて良いのではないだろうか。

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「その日暮らし」の人類学

人類学は、その初期は、異文化社会の征服に資することを目的としていたという。
人類学の古典とされる著作は、その土地の習慣やライフスタイルを記述して、効果的に支配をすすめるための知識を提供する。
有名なルース・ベネディクト「菊と刀」は、日本に勝利し、統治することを展望した研究が基礎となっているといわれる。

さて、小川さやか“「その日暮らし」の人類学 もう一つの資本主義経済”について。
著者の専門は文化人類学、なかでも都市人類学という。その都市における文化を研究する。
Sonohigurashi_no_jinruigaku.jpg

文化人類学というと、未開の部族の研究をイメージするが、そもそも文化は人類が共通してもつもので、、さまざまな文化の研究がある。
学生のときに、文化人類学の講義では、最初に「文化」の定義が行われる。
ある集団の文化とは、その集団内で、

  • 創造され(created)
  • 共有され(shared)
  • 継承され(heritated)

るものと定義される。
従って、集団のとりかたによって、ある部族の文化、日本の文化、地域の文化、学生の文化、というような使い方もでき、集団をヒトに限らずに、幸島のサルの文化、ということもできる。そして、実際、文化人類学の講義は、そのように進められていた。


とっつきにくい本だなぁ、というのが読み始めの感想。
言葉が空回りしているような印象。
言葉がシンボリックに使われても、読者側に、その言葉に付随する意味に対する知識が不足しているからだ。

ところが、本文に入ると、急に親しみがわいた。
掛谷先生(教養の自然人類学でこの先生の講義を聴いていた。講義中に煙草を喫い、学生にも喫いたかったらどうぞという。アフリカの一部族では呪術師として生活していたとか)の話がでたこと。

もう一つは、「ピダハン」の話が紹介されたこと。(ピダハンについては、⇒エヴェレット「ピダハン」

ピダハンは、すべての部族に何らかの形で共通に存在すると考えられていた「神」を持たない。すべての知識・情報は、その場において意味を持つ形でのみ発せられ、ほとんどの抽象語が、数詞すら無い。驚くべきことに、ピダハンの言語には再帰的な構造がない。つまり括弧でくくる操作がない、「魚がいる」はあっても、「私は『魚がいる』と思う」という表現はないことを意味する。

ピダハンこそ、究極の「その日暮らし」(Living for today)として(短く)紹介される。
つまり、「その日暮らし」というもののベースがここにあるようだ。

プロローグLiving for Todayの人類学に向けて
第一章 究極のLiving for Todayを探して
第二章 「仕事は仕事」の都市世界
――インフォーマル経済のダイナミズム
第三章 「試しにやってみる」が切り拓く経済のダイナミズム
第四章 下からのグローバル化ともう一つの資本主義経済
第五章 コピー商品/偽物商品の生産と消費にみるLiving for Today
第六章 <借り>を回すしくみと海賊的システム
エピローグLiving for Todayと人類社会の新たな可能性
経済学では、経済人(ホモ・エコノミクス)という人間像が基本になっているといわれる。
そして近代的な経済人というのは、計画的で、時間厳守で、勤勉である。(⇒大塚久雄「社会科学における人間」

どこまで徹底しているかはさておき、そういう人間に違和感を持たないというのが、おおかたの日本人だと思う。
ところが、著者の調査フィールドであるタンザニアでは、どうもそうではないらしい。というか、上記のような性質があるとしても、我々が考えるようなものとは違っている。

誤読・誤解をおそれず簡略化すると、「その日暮らし」というのは、蓄積をしないということになる。
本書のサブタイトルは「もう一つの資本主義経済」なのだが、普通イメージする資本主義というのは、蓄積がなければ興らない。勤勉なホモ・エコノミクスが貯えた富の存在が、資本主義の勃興期を支えたという。
本書が言う資本主義では、資本は蓄積するのではなくて、儲けを手にしても、すぐガラガラと崩れてしまうようなもの。人のネットワークはあるが(そしてそれが生きる保障、セーフティネット)、組織を構築したりはしない。

典型的なのが借金のありかた。ここでは、借金と贈与には、ほとんど違いがない。

ただし、人類学的には、そもそも贈与とは借りという感情を伴うものとされるらしい。

困ったら借りる、しかし、貸した側も返せとは催促しない。貸した側が困っても、貸した金を返させるのではなく、別に貸してくれる人を探すという。
これを「<借り>を回すシステム」という。

アフリカではスマホが急速に普及しているそうである。有線ネットワークの整備が困難な状況で、モバイルの方が整備しやすいというインフラ側の事情もあるためらしい。

子供たちがゲームばっかりしたり、SNSにはまるなど、日本と同じ状況になっている。
そう言えば、以前、アフリカの視察団の方から、そうしたスマホの問題点について、日本ではどのように対処しているのかという質問があった。


そして、このスマホで電子送金システムが普及した。
今までの「<借り>を回すシステム」の文化を壊すのではなく、それをベースとして、効率よく、迅速にシステムが回るようになったのだそうだ。

それと、この「その日暮らし」経済と、中国の商売が、実に相性が良いらしい。
実際、アフリカと中国の間の人の往き来、商品の行き来はかなり分厚いと書かれている。

(中国という国家がアフリカに投資するという、国家政策の話ではない。)

「その日暮らし」の経済においては、アフリカと中国の商人の商売には親和性があるらしい。ただし、「<借り>を回すシステム」のような、人間のネットワークや信頼関係があるわけではなく、「その日暮らし」、「その場限り」の取引関係である。
コピー商品、フェイク商品、不良品や不誠実な取引、それらもすべてこの取引、こうした取引だからこそ、含まれる。

アフリカで商売を考えるなら、このしたたかさは知っておかなければならないだろう。
ただ、それらは決して閉鎖的なものでも、富の蓄積をベースにした固定的な体制でもないようだから、排除の論理はなさそうだ。近代資本主義に慣れた感覚で相手をなじってはいけないけれど。

それにしても、結局のところ儲けも一時のこと、貧しさが基調にある、蓄積がないのもその結果、みんなが貧しいから<借り>を回すしかないというだけかもしれない。
それでも、そこに文化というかライフスタイルがある、それは間違いないことだけど。豊かになったら、この文化はどう変容するのだろう。

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貧乏人のハイレゾ

hires-logo.jpg 先日、ローコストSACD再生の記事で、安物のブルーレイプレイヤーのSACD再生でも、HDMI/SPDIF分離により、176.4kHzという、高品位のPCM信号が取り出せたと書いた。

これで一応満足できる水準には達したのだけれど、この一種裏技を試みる前に、やはりプレイヤーを買わなければならないかと思ってネットで情報収集していた。
SACDの音声信号はDSDという形式である(e-ONKYOなどは電子データで配信している。私もそれを購入してPCから読みだしてPMA-50のUSB入力に送り込んでネイティブ再生している)。
ならば、SACDプレイヤーで、USBにDSDを出力するものがあれば買っても良いかなと考えた。
しかし、そういう製品はどうやら存在しない。

もし存在して、数万円以下とかだったら買ったかもしれない。なくてかえって良かったかも、2600円で高品位再生ができたわけだから。
また、S/PDIF出力はどの製品も付いているわけだが、この出力規格はカタログなどで確認できない。これでは安いからといって飛びつくわけにはゆかない。


他にもいろんな製品をチェックしてみた。
マランツのSA8005というプレイヤーは、USB-DACも持っていて、なかなか良さそうだった。値段もAmazonでは90,000円を切っていて、高いことは高いけれど、許容できる範囲である。

しかし、この製品を買うと、DACは、アンプ内蔵のものと重複して揃えることになる。聴き比べるならともかく、普通、両方同時に使うことなどないわけで、なんとなく勿体ない。そう考えると、90,000円近く出すのは馬鹿馬鹿しくなった。

アナログ時代であれば、オーディオ・コンポーネントというのは、各コンポーネントの機能分担は明確で、コンンポーネント間のインターフェイスも簡単だった。
ところがデジタル時代になると、不思議なことに製品コンセプトに、機能独立性などは配慮されていないように見える。つまり、上述のように、DACが単体であったり、アンプにあったり、SACDプレイヤーにあったりする。
私が、アンプにUSB-DACが付いているという変則的な製品を使っているからいけないのかもしれないが、このあたりのデジタル・オーディオは結構、ややこしい。

ただ、メーカーが不誠実じゃないかと思うのは、私がやったように、2万円もしないプレーヤーに、2600円の追加投資(HDMI/SPDIF分離器)をすれば、10万円以上もするプレーヤーとそう違わないだろうということ(S/PDIFの出力品位が低ければ、高級プレイヤーのほうが低品位になるかもしれない)。

アナログなら機器の通過を重ねるごとに信号が劣化するけれど、デジタルならアンプまでデジタル信号が正確に届けば良いはずである。それに、DAC側がアシンクロナス転送を行うなら、信号のエラーの問題も回避できるようになるだろう(エラーが酷ければ停止)。


オーディオの満足度は投資額に対し逓減するもので、それゆえ高い道楽といわれてきた。
しかし、デジタル時代の今では、アンプとスピーカーが本質的なオーディオ機器だと思うから、ここさえしっかりしていれば、貧乏人でもそこそこ、昔の高級オーディオ並みの音が楽しめると思う。

ライブ・コンサートは高くてなかなか行けない。
というわけで、貧乏人のハイレゾである。

ところで、SACDの出力で苦労したわけだが、もしアンプがAVアンプだったら、HDMI接続で、何ら悩むことなく高品位再生ができただろう。やはり、これからはAVが主流になるのだろうか。

私はピュア・オーディオに拘っているわけではない。以前から持っているオーディオ機器がAV対応ではないというだけである。ただ、今まで聴いたAVアンプの音って、貧相なんだけれど、ピュア・オーディオ並の音にするにはどのぐらいのアンプにしなければならないんだろう。


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共謀罪

2017-06-15_102237.jpg
NHKホームページから
昨日、「共謀罪」を新設する「改正組織犯罪処罰法」が成立した。

この法律について、部分的な報道しか見ていないし、基礎知識も欠如しているから、賛否についてはこの際措く。

というか、この話題にふれること自体、あんまり気乗りしない。反対を表明したら、将来、反政府の要注意人物にされるかもしれないし。
ただ、歴史的な日になるかもしれないので、一応、記事にとどめておこうということである。(決して政府に反抗しているわけではありません、最後まで読んでいただければご理解いただけると思います。)


報道では、といっても報道機関によって随分違うようだけれど、多くの論点があったのだけれど、国会での議論は尽くされていないという感じは、やはり否めない。

とりわけ、政府・与党側の説明と、野党側の主張には、見解の相違とか、イデオロギー的対立というようなものではなくて、客観的事実として、どちらの説明が正しいのかと考えさせられる差があるように思った。

たとえば、パレルモ条約の締結には、この法律が必要という政府説明に対し、一部の弁護士は、不要だという。
また、パレルモ条約は、条約案作成に携わった人は、マフィアなどの組織犯罪が対象でテロを想定しないというのに、政府はテロ防止が目的だと説明する。
この法律に疑念を表した国連特別報告者に対しても、政府の説明(一私人にすぎない)と、国連側の説明(人権理事会から任命され、人権状況について調査・監視・報告・勧告を行う専門家)が食い違う。
繰り返すが、どちらが正しいと言っているわけではない。どちらかがウソをついているとしか思えないほどの食い違いがそのままというのが解せない。

最大の争点の一つ、一般の人が共謀罪の対象になることはないと政府は言うけれど、戦前の治安維持法の時も、この法は善良な国民を取り締まるものではないという趣旨の説明が行われていたそうだ。
「治安維持法は当時、適法に制定されたものでありますので、同法違反の罪にかかります、拘留・拘禁は適法でありまして、また、同法違反の罪にかかる刑の執行も、適法に構成された裁判所によって言い渡された有罪判決に基づいて、適法に行われたものであって、違法があったとは認められません」
金田法相発言(衆院法務委 6月2日)
これに関して、政府は、治安維持法で厳しい取り調べ(拷問)を受けた人も、適正な手続きで法に則って行われたもので問題はないと答弁しているらしいが、法理としてはそうなんだろう。治安維持法による取り調べの対象になったとしたら、それは善良な国民ではない疑いがあるということだから。
もし、一部に理不尽な取り調べがあったとしても、下級役人による運用上の過ちとされるだろう。(これも忖度の構造。「上の好む所、下これよりも甚だし」、あるいは「虎の威を借る狐」だろうか。)

逆に、第二次大戦中、音楽の好きなドイツ将校が、アレクシス・ワイセンベルクを母とともに収容所から連れ出して放置(逃亡幇助)したという。これは美談か、それとも国家への反逆だろうか。


「疑わしきは調べる」は必要だと思うけれど、逮捕拘引さえすれば罪状は後からなんとでもなるとか、無実の人を捕まえたら批判されるから、捕まえた以上有罪にしなければならないというような運用は困る、そう考えるのが普通だろう。
国会で論が尽くされなかった点、たとえば一般人は対象にならないというのを口先の説明で終わらせず、どうやって担保するのかなど、政府説明どおりの運用がなされるよう、きちんとしたルールを定めること、それが政府、国会、裁判所、そして、国民みんなの仕事だと思う。
それがうまくいって、昨日が歴史的な日とならないことを願う。(既に6.15は別の歴史的な日だけれど)

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いよいよ巣立ち

P_20170614_071040_vHDR_Auto-crop.jpg 自宅最寄り駅は、毎年、ツバメが巣をつくる。

前にも、巣作りがはじまったことに触れた記事を書いたけれど、いよいよ雛が立派に育った様子。

前の記事では、駅側が用意していた板のところに巣をつくっているように書いたけれど、そこはどうやらツバメの気に入らなかったようで、その上方、配線器具のボックスの上に巣を作っている。


この駅では、改札を入ってすぐのところにも巣があって、そこも同じような雛の姿が見られた(写真は撮ってない)。

写真は昨日撮ったもの(スマホのカメラでズームして撮ったもので、かなり粗いけれど)。
近々アップしようと思っていたら、今朝、この巣には3羽だけが見え、反対側の壁際に1羽いた。

どうやら、巣立ちとなったようだ。

「まもなく巣立ち」で記事を書くつもりだったけれど、慌てて今日アップした。


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ローコストSACD再生

TANNOY Arundelにスーパーツィーター追加アンプをDAC内蔵に取り換え、とオーディオの調整をしてハイレゾ対応を進めてきた。先日は、PMA-50のUSB-DACを利用して、PCからPCM 24bit/192kHzや、DSD 2.8MHzといった音源を聴いたことを書いた。

そして、ここへきて、SACDがCD音質でしか再生されないことに苛立ちを抑えきれなくなった。
SACDのディスクは20枚ぐらいしか持っていないが、ちゃんとした音を、まともなオーディオ・セットで聴いてみたい。

我が家で、SACDを再生できるのは、安物(2万円しなかったと思う)のユニバーサル・プレイヤーしかなく、これにデジタル出力(S/PDIF)はあるけれど、ここからはCD音質しか出せない。
YAMAHAのサウンドプロジェクターYSP-2500にHDMI接続すれば、本来のSACDの品位のデータが送られ、サラウンド効果も含め、それなりに聴けるものであるが、入力信号の品位が維持されていても、この機械は、ピュア・オーディオに比べれば、音自体は貧相である。


スピーカーもアンプもハイレゾ対応ならば、やはりSACDをその品位で再生したい。かといって、高価なSACDプレイヤーを買うのも財布が許さないし、今使っているDAC内蔵アンプ(PMA-50)と重複して、HDMI入力のあるアンプなんかを買うのも勿体ない。

それに、高級SACDプレイヤーといえども、製品企画が古いせいか、デジタル出力はDSDを出せるものはないようだし、S/PDIFもどんな品位で出力されるのかアヤシイ(はっきりしない)。SACD自体は古い規格かもしれないが、デジタル時代に合わせた製品ラインアップを考えないのだろうか。


というわけで、手ごろなSACDプレイヤーも、お金も、無いので、何か手はないのものかとネットを渉猟していると、解決策があった。
HDMI出力から、音声をS/PDIF(光デジタル)に分離するデバイスである。

P_20170607_200005_vHDR-notes.jpg Flylinktech hdmi音声分離器(hdmi spdif 信号変換器)
Amazonで、2,599円で購入。

同種製品は他にもあるが、HDMIの分岐機能(出力が2系統以上)が付いてるような製品は、高い上に、余計な機能が加わるので、私の目的からすれば不要である。


デジタル信号というのは、アナログが電気的特性だけ定めているのとは違って、すごく面倒で、単純にINからOUTへ信号を流すわけではない。HDMIでは、送出側と受信側がネゴをして、伝送フォーマットが決められるらしい。この分離器は、その信号から音声だけを取り出すものだけれど、HDMIがネゴをする相手というものが必要になる。

この理屈でいけば、送出側が出力可能なフォーマット、受信側が入力可能なフォーマットに一致するものが選ばれるということになる。私が欲しいのはS/PDIFの音声信号だけだから、受信側HDMIは信号フォーマットだけを定める役割、いわばダミーである。

SACDを再生するのは、上述のBDP-S370という安物のブルーレイ・プレイヤーで、これがどんな規格の信号を送出可能なのかはやってみなければわからない(取説などにはそんなことは書かれていない)。HDMI経由でDSD出力もできる機器なのだが、分離器がDSDに対応しているはずがない、もちろんS/PDIFはPCMを伝送するものである。なので、BDP-S370の音声出力はPCM 2chに固定する。
分離器の音声出力(光デジタル)はPMA-50につなぐ。なお、この分離器には、2ch/5.1chの切替スイッチが付いているのだが、2chで使う(元が2chだからどうでも良いのかもしれないが)。

ダミーのHDMI受信機器だが、ダメもとということで、まずリビングの古いテレビを選択した。
光デジタルから音声信号が取り出せていることは確認できた。44.1kHz。CD音質である。
これは予想した通りの結果なので、落胆せず、本命の機器、YAMAHAのサウンド・プロジェクター YSP-2500をダミーとして使うことにする。

P_20170607_195538_vHDR_Auto-crops.jpg やったー! 176.4kHz!

DSDではないものの、十分のクォリティの信号である。
さんざん購入を検討したン十万円とかの高級SACDプレイヤーなどではなく、わずか2600円の投資で、満足できる結果。


YSP-2500は一応、本格的なサウンド機器であるから、高品位のPCMに対応しているだろうという期待を裏切らなかった。まさか、オレ様がダミーで使われるなんて、思ってもみなかっただろうけど(しかも音は出さないのに電源はオン)。

ネットで調べると、送出側とのネゴに使うダミーのHDMIプラグというのがある。我が家ではYSP-2500があるので不要ではあるけれど、そもそも、このダミープラグの音声規格が解らないので、買ってもムダになるおそれがあった。使えることが判れば、これの方が、電源がいらない、ケーブルの始末が自由ということで、こちらを使うのだけれど。
分離器自体にHDMIダミーの機能があれば良いのだろうけど、そうすると、上述のような特殊な用途に限られるから、商品としては売りにくいのだろう。
なお、もう一台あるユニバーサル・プレイヤー PIONEER DV-610AVを使って同じことをしたら、88.2kHzまでの出力だった。これはプレイヤーの能力ということだろう。


さて、SACDの本来の品位に近い音の評価である(我が家のオーディオ・セットでの)。
アンプ、スピーカーが良くなったので、CDでも随分と良い音になっている。それは先日、スーパーツィーターの追加の記事でも書いた。
そのときに試聴した「幻想交響曲」を、今回実現した176.4kHzで聴き直してみる。

力強いとか、繊細とか、あるいは抜けが良いというような情緒的な評価をぶっとばして、驚いた。
CDの音が、ppp―fff だとすると、この176.4kHzの音は、pppppp―fffff と言って良い。
とにかく、ダイナミック・レンジがめちゃくちゃ広い。フォルテ側はCDでも結構な迫力の音であるけれど、もちろんハイレゾはさらに迫力が加わるわけだけれど、なんといってもピアノ側、驚くほどの弱音、微音が出てくる。

繰り返すけれど、情緒的にというか、なんとなくというか、そんな気持ちの違いではない。
はっきりと、ダイナミック・レンジが何桁も違う。これがハイレゾの音だったんだ。
以前、ハイレゾというのは聴こえない音(周波数帯域)の聴感の改善だろうと書いたけれど、これは訂正しなければならない。
周波数帯域だけではなくて、ダイナミック・レンジがまるっきり違っている、まさに音として聴こえる部分だ。

この音源の違いがわかるには、パワーが入り、きっちりと低域から超高域までを再生できるオーディオ・セットがのぞましい(我が家のセットなんてまだまだ、片鱗を感じる程度のものだろう)。

ハイレゾ対応ヘッドフォンとか売ってるけれど、このダイナミック・レンジの音をヘッドフォン、とくにカナル型とかで聴くのは、自傷行為のような気がする。


外部からの音の遮断(自分の鑑賞を妨げない)、外部への漏洩の遮断(近隣に迷惑をかけない)、も考えないと。(楽曲によるけど)

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休刊日

P_20170506_172653_vHDR_Auto.jpg
予讃線一本木踏切(香川県観音寺市)にて
本日、月例の休刊日。

休みっぽいイメージ写真で。


























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枕草子のたくらみ

山本淳子「枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い」

たくらみ」とは穏やかでない。まるで何か政治的な意図でもあるかのようだ。
makura_no_soushi_no_takurami.jpg しかし、この「たくらみ」とは、そうした権力的なものではない。定子のサロンが、おそらく当時としては破格の優れたサロンであったことを記録にとどめ、それとともに定子をいつまでもこの国の人々の記憶にとどめようという「たくらみ」である、と著者は主張している。

そして、その「たくらみ」は成功した。
私たちが今でも枕草子を大事に思い、読み継いでいるのだから。

枕草子は、伊周が献上した冊子(紙)に、古今集の筆写でもしようというところを押しのけて、清少納言に下命されて書かれている。そして、下命を受けて書かれたものは、下命者に献呈されるものである。定子に読んでいただくことを前提として、書かれたものである。
著者は、繰り返していう、定子になったつもりで読めと。

定子は完璧な女性である、少なくとも清少納言はそう思っている。
子供のころから、後宮に入ることを予定され、母貴子がそうであったように、和漢の典籍、礼楽に通じた深い教養、機知と人情に富む人柄、そして「かかる人こそは世におはしましけれ」といわれるほどの美しさ。
何不自由なく、自信に満ちた後宮生活、そして父関白のの死、兄内大臣の転落、一族が凋落するなかで24歳で閉じる命。

才気走って、ミーハーな清少納言、深みの無い作品枕草子。
それは表面的な読みだという。清少納言にそうした面があったことはそうなんだろう、しかし、かつてのサロンを懐かしみ、少しでも気散じにと、決して暗いことなど書かずに、サロンで起こった一コマを切り取って描写する、それを受け取る定子の気持ちをすべて踏まえるなら、これ以外の書き方はなかったのかもしれない。

そして、その通りだったら、清少納言というのは、なんと魅力的な女性だろう。
才気をひけらかして、他の女房から憎まれながら、言い訳をしたり、卑屈になることもなく、女主人への深い思いを秘め、そして女主人のために、そして女主人を偲ぶ、きりっとした姿が浮かぶ。ウェットな感情はけっして表に出さず。

これで絶世の美女で、艶聞も多かったら、完璧だ。昔あこがれた「カラマゾフ」のグルーシェンカのようだ。


ところで、紫式部が清少納言を酷評していることは有名で、本書でも最初(序章―酷評)にそのことが書かれている。これについて、著者は、それは、紫式部は、定子に起こった厳しい事情を知っているから、なぜ枕草子がそんな書き方をするのか、そのことに対する評だと言う。

そういえば、著者は別書「平安人の心で『源氏物語』を読む」で、清少納言ならぬ紫式部と定子の共通点、式部が定子(彰子ではなく!)に感情移入できる点がいくつかあるとも指摘されている。そして、桐壷の更衣のモデルは定子であろうとされる。(そうだとすると、私には紫式部もかなり屈折した性格に思える。)


紫式部を苛立たせこと、そして私たちが枕草子を読むときに定子に思いを致すことで、枕草子の「たくらみ」は完全に成就する。
本当のことはわからないけれど、著者のいうとおりのほうが、清少納言も枕草子も、ずっと魅力的なものになることは間違いない。

序章清少納言の企て
酷評/定子の栄華/凋落/再びの入内と死/成立の事情
第一章春は、あけぼの
非凡への脱却/和漢の后/定子のために
第二章新風・定子との出会い
初出仕の頃/機知のレッスン/型破りな中宮/後宮に新風を 清少納言の素顔/父祖のサバイバル感覚/宮仕えまで
第三章笛は
横笛への偏愛/楽の意味/堅苦しさの打破
第四章貴公子伊周
雪の日の応酬/鶏の声に朗詠/『枕草子』の伊周/伊周の現実
第五章季節に寄せる思い
『枕草子』が愛した月/節句の愉しみ/分かち合う雪景色
第六章変転
中関白道隆の病/疫禍/気を吐く女房たち
第七章女房という生き方
幸運のありか/女房の生き方/夢は新型「北の方」/「女房たちの隠れ家」構想
第八章政変の中で
乱闘事件/魔手と疑惑/定子、出家/枕草子の描く長徳の政変/引きこもりの日々/晩春の文/原『枕草子』の誕生/再び贈られた紙/原『枕草子』の内容/伝書鳩・源経房
第九章人生の真実
「もの」章段のテクニック/緩急と「ひねり」系・「はずし」系/「なるほど」系と「しみじみ」系
第一〇章復活
職の御曹司へ/いきまく清少納言
第一一章男たち
モテ女子だった清少納言/橘則光/若布事件/則光との別れ/藤原行成/鶏の空音
第一二章秘事
一条天皇、定子を召す/雪山の賭け/年明けと参内/壊された白山…/君臣の思い
第一三章漢学のときめき
香炉峰の雪/助け舟のおかげで
第一四章試練
生昌邸へ/道化と笑い/枕草子の戦術/清少納言の戦い
第一五章下衆とえせ者
下衆たちの影/臆病な自尊心/「えせ者」が輝くとき
第一六章幸福の時
「横川皮仙」/高砂/二后冊立/夫婦の最終場面
第一七章心の傷口
「あはれなるもの」のあはれでない事/紫式部は恨んだか/親の死のあはれ
第一八章最後の姿
「三条の宮」の皇后/お褒めの和歌/二人の到達
第一九章鎮魂の枕草子
「哀れなり」の思い/鎮魂の「日」と「月」
終章よみがえる定子
共有された死/藤原道長の恐怖/藤原行成の同情/公達らの無常感/一条天皇の悲歎/清少納言、再び

本書の読み方にしたがって、定子と清少納言を中心にした二次作品(映画、演劇、まんがなど)が作られたら魅力ある作品になると思う。著者が脚本を書いたら良いのではないだろうか。
さて、映画やドラマにするとしたら、定子、清少納言は、誰が演じるのが良いだろう。

清少納言には北川景子を推す。ツンツンした感じが良い。美人すぎるのが清少納言のイメージとは違うけど。
問題は定子、完璧な美女にして(とりわけ手・指が美しくなければならない)、知性あふれ、しかも優しい心、そして、明るさの中にふと暗い陰を感じさせるような女優。


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この国の政府は見苦しい

森友学園に続いて、加計学園と、怪しげな話が連続した。
そして、「総理の意向」という文書があるという前文科省事務次官の証言が飛び出して、一旦は、官房長官が存在を否定し、文科大臣は文書の存在は確認できないと言い、それについて調査する気もないと言う。
これで押し切るのかと思ったら、複数の文科省職員が、文書は存在するという証言が出てきて、一転して調査するという。

2017-06-10_115158.png

なんともできの悪いストーリーである。
オペラなら、真実を知らない間抜けな登場人物が、なんか変だと思いながら、うやむやのまま事が進んでいく。

この間抜けな登場人物は殿様なのだが、最後まで、だまされたままで、それでも結局大団円となる(フィガロの結婚)。


ところが、今回は、この間抜けな登場人物というのは、日本国民のことなのだ。大団円にもなりそうにない。

この問題、総理が何か直接、指示・命令をしたというようなことは多分ないと思うけれど、役人の側に忖度があったかといえば、それはそれなりのものがあったんだろうというのが、多くの人の感想だろう。
中には、プロセスはともかく、というか、そもそも獣医学部の新設を抑制してきた文科省が間違いだから、今回の加計学園問題は、結果的には良いことだと言って、問題をすりかえようという人もいる。
獣医師の需要からみて、獣医学部の新設抑制が適切かどうかと、それが特定の事業者にだけ認可を出すということは別の問題だろう。しかも、選定にあたって、途中でルール変更(「広域的に」の文言追加)をしているのだから。

そうした結果論は、この際措くとして、見苦しいとしたのは、「総理の意向」文書の存在に対する、官邸・文科省の対応。
存在するかどうかについては、官邸も文科省も、もし存在するなら、間違いなく知っていたはず。それを、確認できないと説明したわけだが、隠しおおせると思ったんだろうか、それとも「無い」といったら嘘をつくことになると、少々の引っ掛かりがあったのだろうか。あまりに見苦しい態度だと思う。

そもそも情報公開というのは、政府の意思決定を事後的にチェックできるようにすることが制度の趣旨である。
なんでも、意思決定過程の文書は出さなくて良いなどと言った人がいるらしいが、正確には、現在、意思決定の過程にあって、公開すると意思決定が歪むものは出さなくて良いということである。

そんな簡単な法理を無視(無知?)して、苦しい説明を平気でするという態度からは、最後は数の力で押し切り、うやむやにしてしまえるという慢心を疑ってしまう。

情報公開といっても、運用は難しいと思う。
ある自治体では、複数人が共有すれば、メモであっても公開対象となる。それを完全にやりとげることは到底無理だとは思う。なぜなら、そうしたメモが公開対象になるからといって、すべて保存管理することなど不可能だから。しかし、その姿勢というものが重要で、公文書として管理されていないとしても、そうしたメモがあるなら公開すべきであるという判断がなされるべきだろう。
もちろん、管理していない文書であれば、不存在として公開拒否はできる。おそらく、今回の件も、最後はそうした決着になる可能性は高い。
そのときにこそ、公務員の矜持が問われることになるだろう。

今の国会の様子だとしたら、多数決で押し切り、うやむやになるという決着が見える。
なんといっても「国権の最高機関」だから。

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アンプの入替

何度も書いたように、我が家はオーディオ・セットが2つある。
一人で集中して聴くためのオーディオ部屋に1セット、リビングに1セットである。

オーディオ部屋は、今までは前に書いたような機器構成(その後サブウーファーNS-SW200を追加)で、アナログ・レコードのデジタル化もこの部屋で行う。

リビングは大きいけれど古いスピーカー(TANNOY Arundel)を置いて、エッジが傷んでいたので、前はたまにしか音を出していなかったのだけれど、スピーカーの修繕スーパーツィーターの追加ということで、ハイレゾ対応の満足度の高いセットに変わった。
ということで、今まではオーディオ部屋がメイン、リビングはサブという位置づけだったのが、逆転してしまった。

そうなると、リビングの方の音をもっと良くしようということになる。
さしあたって、アンプのデジタル入力が24bit/96kHzという低い(?)規格なので、もっと品位の高いソース(DSF 2.8MHz/1bitとか、PCM 24bit/192kHz)をその品位で再生したい。
そう、オーディオ部屋で使っているDENON PMA-50をこっちのセットで使おうということである。

PMA-50入力仕様
 入力端子 フォーマット サンプリング周波数 ビット長
 USB-B DSD(ASIO、DoP) 2.8/5.6 MHz 1 bit
 LPCM 32/44.1/48/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit
 光/同軸デジタル LPCM 32/44.1/48/64/88.2/96/176.4/192 kHz 16/24 bit

PMA-50にすれば、外付けサウンド・プロセッサーを介さず、PCに直結できる。
この外付けサウンド・プロセッサー24bit/96kHzまでの対応であるが、ダイレクトにPMA-50に接続すれば、手持ちのハイレゾ音源、

菊池洋子のモーツァルト(DSF 2.8MHz/1bit)
ラトル/ベルリンのベートーヴェン(PCM 24bit/192kHz)

などを、その品位で再生できる。(他のハイレゾ音源は、24bit/96kHzが多い)
どちらも、前は、PMA-50+Autograph mini+NS-SW200で聴いていたもの。変わったのはスピーカーと部屋である。

さて、菊池洋子、モーツァルトの協奏曲だからオーケストラは小編成なので、広大な音とはならないけれど、ピアノの音が妙に生々しくなった。Autograph miniではとにかく綺麗に鳴ったという印象だったが、迫力とタッチの微妙なところが際立ったような感じ。
ラトルのベートーヴェンは、とにかくオーケストラが柔らかくなった。これがハイレゾの効果ではないだろうか。

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PMA-50のディスプレイに "DSD 2.822MHz"の表示


とはいうものの、PMA-50の音は、繊細で均整がとれたような音なのだけれど、前に接続していたONKYO A5-VLのほうが、なんとなく色気を感じる。ただし、A5-VLには、高域にノイズが出てる感じがするけれど。
原信号の再生にこだわるのか、さて、悩ましいところである。

ところで、DSDの再生には、PCのfoobar2000をDSD対応にする必要があるが、これがちょっと苦労した。
前に、foobar2000―PMA-50でのDSD再生という記事を書いているので、この通りにやれば良いはずだが、foobar2000のコンポーネントをダウンロードしようとしたら、前の記事のときから随分、バージョンが上がっている。最新がいいだろうと思ってやってみたのだけれど、どうやらソフトの構成が変わったようで、いろいろやってみたものの音が出ない。新バージョンの使い方を調べるのも面倒なので、結局、記事通りの古いバージョンで無事、再生にこぎつけた。新バージョンについてはいずれゆっくり調べるつもりだが、メリットはなんなんだろう。

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プロット・アゲンスト・アメリカ

51GKIUw3K7L.jpg フィリップ・ロス「プロット・アゲンスト・アメリカ」

長編小説。このぐらいの長編といえば、学生時代のドストエフスキーの長編以来ではないだろうか。
普段、小説は避けている私が読んだのは、たしか "「戦後80年」はあるのか" の中で紹介されていて、一度読んでみてもよいかなと思ったから。

いわゆる過去SF、歴史改変小説で、歴史の分岐点において、実際に歩んだ歴史と異なる道を進んでいたらどうなっただろうか、という小説である。

本作では、ローズヴェルトが大統領三選をリンドバーグ(かの飛行機の英雄)に阻まれ、アメリカが第二次世界大戦に参戦せず、あろうことかナチスと友好関係を保つという、もう一つの歴史を、その状況に置かれたユダヤ人の子供の眼を通して描く。

(この子供は作者自身だろうか、同じ名前である)

リンドバーグ大統領に反発する両親、賛成・支持する兄、親戚や周囲のユダヤ人の生き方、そうしたものが、丁寧に描写される。
子供の眼だから、思想的なこと、政治的なことは直接的には論評しないのだけれど、その子供にも伝わる圧迫感、周囲の変調というものが、生々しい。大長編であることが、その変調が、じわじわと起こる過程を描く。その少しずつの変化。普通の日常生活を書きながら(子供らしい冒険はあるけれど)、世界が変わっていく。

あまりにも精緻に描かれていて、リンドバーグのアメリカを背景に、苦悩するユダヤ人、分断されるユダヤ人社会を描いた歴史小説かと錯覚するが、背景が虚構なのである。
登場人物は実在の人物が多い。そして、私は知らないが、その人たちの行動は、当時の行動、考え方から、さもありそうに描かれているらしい。リンドバーグは実際にナチから勲章を受けているし、ヘンリー・フォードは反ユダヤ主義者である。(巻末に登場人物の実際の年譜が掲載されている)

政策の方向性は違うけれど、トランプのアメリカと重ね合わせて読む人も多いと思う。
リンドバーグとヒトラーの関係が、トランプとプーチンの関係に、ユダヤ人がイスラム教徒に(ただし、ユダヤ人がテロをしたりはしていないところが違うけれど)。


分厚いハードカバーに製本されているから、さすがに通勤の車内では読みづらい(学生のときは平気だったけれど)。それで、寝る前にベッドの中で読んでいたのだけど、読みながら、いつのまにか寝てしまう。
ところが、寝てしまうと、たびたび夢を見る。本の続きを読んでいるという夢なのだ。
つまり、未だ読んでいないところを、夢に見る。
あるときは、本を読んでいるという夢ではなくて、自分自身が、このアメリカ社会に生きているという夢であったりする。

虚構の記憶が、夢という虚構の中で自律運動する。
優れた描写というのは、人の精神を狂わせるものらしい。

ところで、この本を読んでいて、「宇宙大作戦(Star Trek)」のあるエピソード(リンク先はYouTube)を思い出した。

2017-05-24_150700.jpg 錯乱して時空の歪みに入ったドクター・マッコイは1930年代のアメリカにタイム・スリップする。放置すると、マッコイにより歴史が改変されてしまう。このためカーク船長とスポック副長はマッコイを追う。そこでカークは平和運動家の素敵な女性(Edith Keeler)と出会い、恋心を抱く。
歴史の改変とは、事故死するはずの彼女がマッコイによって助けられ、彼女の反戦運動により、アメリカの第二次大戦への参戦が遅れ、ナチスが核を開発し、世界を征服してしまうことである。
ようやくマッコイを見つけたカークとスポック、そこへ歩み寄るキーラー、接近する車。キーラーに危険を知らせようとするカークをスポックが制止、助けようとするマッコイをカークが抱き止める。歴史は改変されずにすむ。

("The City on the Edge of Forever" 1967)


「プロット・アゲンスト・アメリカ」でも、結局、本来の歴史の流れに戻るわけだが、ネタバレになるので、このあたりで記事は終りにしよう。
あらためて、小説の持つ力というか、作者の筆力というものが、侮れないと感じさせられた。

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梅雨入り

tenkizu17060709.png 昨日、四国~関東甲信で梅雨入りしたと見られると、各気象台が発表した。

と見られる」んだそうだが、この言い回しは何時頃からだろうか、昔は、潔く「梅雨入りしました」と言い切っていたのだけれど。

梅雨入りしたと言ったのに、雨が降らないというようなことでクレームが多かったのだろう。一時は「と見られる」すら使わず、梅雨入り宣言を全くやめていた。

気象庁が使う言葉は、日常語のようでいて、結構、難しい。
昔から「晴れ時々曇り、所により雨」という万能(?)予報で、いったいどうなんだと揶揄されることもあるが、気象庁は、内部的にどういうときにどういう言葉で表現するかは決めているそうだ。
kashi201706070900-00.png
時々 現象が断続的に起こり、その現象の発現期間の合計時間が予報期間の1/2未満のとき。
所により 現象が地域的に散在し、複数の地域を指定して表現することで冗長な表現になる場合に用いる。 天気概況などで必要に応じ、「・・‥所がある」のように言い換えをしてもよい。たとえば、「所により雷を伴う」は「雷を伴う所がある」としてもよい。
(気象庁予報用語)

誤解を招く表現は、諸事情を反映して修正されてきている。
「弱い台風」という言い方は今はしない。弱いから大丈夫だと考える人が居るからである。
気象庁ではないが、市町村長が発する「避難準備情報」は、準備しておけば良いという誤解が避難の遅れを招いたとされ、「避難準備・高齢者等避難開始」に名称が変更されている。

ところで、暦の上(雑節)での入梅は、「太陽の黄経が80°に達する日」と定義されていて、今年は6月11日だそうだ。

「入梅いうてんのに雨降らんやんか」と文句を言いたい人はどこにクレームをつけるんだろう。


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スーパーツィーターの追加

修理から帰ってきたTANNOY Arundel、前はエッジが傷んでたので手をかける気もなかったが、修理も済んだので、ちょっと良くならないか考えた。

前から気になってはいたのだけれど、要するに、音の抜けが悪い感じ、というかちょっと頭を抑えられたような感じがする。これは、スーパーツィーターを追加したら改善されるかもしれない。
そもそも、Arundelは古~いスピーカーで、いわゆるハイレゾ対応というわけではない。素性は良くても、鈍重ということかもしれない。

そう思って、ダメもとでやってみることにした。Arundelをバラしてネットワークを組み替える(つまり改造)などはやる気がないので、単純に追加で置けるものを探した。

P_20170603_110341_vHDR_Auto.jpg TANNOYにもスーパーツィーターがあるけれど、バカ高いのでパス。
いろいろ探していると、TAKET-BATPRO2という製品に行き当たった。ペアで42,023円(Amazon)。

メインのスピーカーにパラでつないでも良いけれど、今使っているアンプ(ONKYO A5-VL)はスピーカーが2系統つながるようになっているので、比較試聴することも考えてアンプに接続。
(TAKET-BATPRO2側にもレベル・スイッチがあって、OFFにもできるけれど)

Arundelの周波数特性は30~20,000Hz、BATPRO2は18,000~150,000Hz(測定限界)。
私も加齢により、耳は悪くなっていて、10kHzぐらいまでしか音として認識できないから、このスーパーツィーターの音域は私には音として全く聞こえない。

というか若い人でもほとんどの人は音として認識できないだろう。思えば、昔のカセット・レコーダーなどは16kHzまでしか録音できなかったわけで、このスーパーツィーターは超音波領域専門。
なので、結線に不具合がないか調べようとしても、通常の音源ではこのスーパーツィーターからは全く音が聞こえない。そこで、PCのオシレーターソフトを使って、10kHzの正弦波を送り込んでみたら、ようやく、鳴っていることが確認できた。

このように年寄りには音として認識できない10kHz以上にこだわってスーパーツィーターを追加するなんて無駄じゃないのかと言われそうだけれど、そもそもハイレゾというのは可聴帯域外の音まで再生することで、聴きやすい良い音として感じるというところに意味がある。アナログの場合は、高調波成分は少しでも残っていると思うが、デジタルでは原理的に高調波を含まないから、ハイレゾには意味があるとも考えられる。

それなら、同じような理屈で、年寄りが音として感じない10kHz以上の再生も無駄ではないだろう。
また、高調波成分は単音としては感じないかもしれないが、波形には影響しているはずで、音として感じるかどうかとは別の作用だという考え方もできるかもしれない。

まぁ、繰り言はそのぐらいにして、実際に聴いてみる。
まず、Arundelを切って、BATPRO2のみで聴いてみた。
もちろん、何にも聴こえない。

次に、ArundelをONにしてみる。
音源は、いつもテストに使う、LPからデジタル化した24bit/96kHzの「金と銀」(ボスコフスキー/ウィーンpo)。特に低弦の自然な音をチェックしたい。
ん~ん、良い感じ。

スーパーツィーターを追加してまず低弦をチェックするというのも変なのだけど、キラキラした部分もある曲なので、高音域の伸びもわかりやすい。なにより聴き慣れている分、評価しやすい。

特別に変わったという印象はないのだけれど、心なしか抜けが良くて、圧迫感が低いと感じた。

そして、BATPRO2をオフにしてみる。
あれ、あんまり変わらんやんか。

BATPRO2のオン/オフを繰り返しても、もう一つ音の違いがわからない。
ネットでは劇的に変わるという評価が多いのだけれど。
あらためてArundelって素性が良いスピーカーなんだなぁと思う。

少々落胆したが、悪くなるわけではない。

実は、ArundelはTANNOY独特の同軸2wayで定位の良いスピーカーなのだけれど、3本目のスーパーツィーター追加で定位が悪くなるか心配していたが、そんなことはなく、むしろ音像がクリアになった印象さえある。

なので、気を取り直して、せっかく買ったのだから、気に入らなくなるまでBATPRO2をオンの状態で使うことにして、別の音源を試してみた。
5113oEiKSbLSY355.jpg ということで、ダイナミックレンジが広大で、繊細な音を含むものが良いだろうと考えて、久しぶりだけど、「幻想交響曲」(Yannick Nezt-Seguin/Rotterdam Philharmonic)を聴いてみた。
オーケストラがフォルテでもハープが鳴っていることがわかる。他にも、今まで気づかなかった音が大量に見つかる。低弦の動きがくっきりとしてくるし、ロングトーンではステージを漂う雰囲気が伝わる。第五楽章、わざと下品な音を出しているクラリネットにニンマリする。

テストのつもりだったけど、結局、全曲を聴いてしまった(だから第五楽章のクラリネットにニンマリしたわけだ)。

やはり、抜けの良い音になっているようだ。長時間聴いていても圧迫感がなく、疲れない(曲そのものは大迫力で疲れるものだけれど、別の意味で)。やはり、しっかりと効果があるようだ。

どうやら、完全なハイレゾ対応になったと言えるのではないだろうか。

ところで、上記の「幻想」は、SACDなのだけれど、安物のユニバーサル・プレイヤー(SONY BDP-S370)しか持っていないので、実は、CD音質でしか出ていない。それでも、これだけの音が出てくるのだから、ちゃんとしたプレイヤーだったらどうなんだろう。

SACDプレイヤーというのは飛びぬけて高いものばかりなのだけれど、デジタル出力に特化したらそんなに高価な製品でなくても十分作れるのではないだろうか。技術的に正確なことは知らないが、アンプへのデジタル出力(S/PDIF)というのはLPCMで流しているだろうから、その精度(量子数と標本化周波数)だけが問題になるように思う(ONKYO A5-VLのデジタル入力は、24bit/96kHzまでのPCM信号に対応)。SACDのDSDフォーマットからLPCMに、なるだけ品位を落とさないで変換できれば良い。そして、それに違いがなければ、安物のユニバーサル・プレイヤーでも何十万円もするSACDプレイヤーでも同じじゃないだろうか。


今まで私としては、別室においてあるTANNOY Autograph mini+YAMAHA NS-SW200(サブウーファー)の方がメインで、リビングのArundelはサブという位置づけだったのだけれど、どうも逆転した感じ。

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FLEVOの評価

P_20170516_195834_vHDR.jpg Ploom TECH(ただしパチモン)も手に入れたので、FLEVOについてはもうどうでも良くなったような気もするが、先日、予告したので、FLEVOの評価。

本記事が遅くなったのは、各種のフレーバーの比較も書くつもりが、Ploom tech(パチモン)を手に入れたことで、そちらが優先して、FLEVOはほとんど喫わなくなったので、フレーバー比較が未だできないから。昨日、Ploom TECH(パチモン)の記事をアップしたので、このままでは書く機会を失いそうなので、取り急ぎ器具の感想を中心にアップ。


まず、FLEVOという商品の説明を少し。
先日も書いたとおり、FLEVOは、カートリッジに入っているフレーバー(液体らしい)を加熱して、発生するフレーバー(蒸気)を吸引するものである。

カートリッジ1本で、240回の吸引、普通の煙草1箱分に相当する吸引ができるという。
本体フル充電で、200回吸引できるというから、カートリッジ1本には少し足りない。充電切れで先端の青いLEDが点滅するらしいが、この状態になったらもう吸えないようだが、12回ぐらい吸えるようにしておけば良いと思う。

カートリッジは3種類、タバコフレーバー、メンソールフレーバー、ビタミンベリーフレーバーとある。
スターターキットには、タバコフレーバー1本、メンソールフレーバー1本が付いてくる。

交換カートリッジはどの種類でも、5本入りが1598円(税込)、1本あたり320円だから、普通のたばこよりも安い計算。スターターキット1058円(税込)にはカートリッジが2本付いてくるから、カートリッジがかなり割安で購入できているということになると思う。もちろんこれはメーカーの戦略であるに違いない。

さて、使った感想。
意外なことに、ニコチンが含まれていないはずなのに、なんとなく煙草を吸ったような気にはなる(個人の感想であり効能を保証するものではありません)。

ノンアルコールビールを飲んで、ビールを飲んだような気になる、これも個人の感想だけれど、それと同様である。(昔のノンアルコールビールはまずかったけれど、最近は随分改良されている。)


深く吸引すれば、盛大に湯気(蒸気)が出る。煙草っぽいといえばそうだが、これが実は周囲には邪魔になりそう。

フレーバーの種類別にいうと、タバコフレーバーは、カラメルのような匂いがする。
やや甘ったるい。あんまり上品な感じはしない。
メンソールフレーバーは、未だ試してない。また、ビタミンベリーも別途購入しなければならないから試していない。

変に甘そうな名前なので、別途購入する気はないけれど、1度くらい試しても良いと思うので、320円分くらい高くなっても、スターターキットに3種類そろえたほうが良いのではないだろうか。(プルームは、お試しで6種類入っていた。もっともFLEVOとは違って、1個がタバコ1本相当だけれど。)


さて、FLEVOを使ってみようと思ったのは、煙草が嫌いな人と同室でも大丈夫かということ。
二言目には、副流煙が悪いと言われるので、害のない蒸気ならばそういう攻撃は受けないものと淡い期待を抱いたが、やはり、甘かった。
「この下品な臭いは許せない」である。iQOSにも文句を言うが、iQOS以上に評判が悪い。
たしかに私も少々ねばつく臭いだと思うけれど、そこまで下品だろうか、やはり、坊主憎けりゃ袈裟までの類なのかもしれない。
FLEVOホームページのQ&Aでは、

タバコではないので禁煙場所で吸っても問題ありませんが、
煙の様に見える水蒸気が発生しますので、使用する際は周囲の方のご迷惑とならないように気をつけてご利用ください。
公共施設や店舗では、その場所の管理者にご確認の上ご利用ください。

とあるのだけれど、実態的には難しいだろうと思う。
違法でなくても、周囲の人の受け止め方次第、ダメといわれたら引き下がらざるを得ない。

タバコじゃないんだから、煙(蒸気)と香りが控え目とか、タバコからかけ離れていたら良いんじゃないか。
煙草にこだわらず、自由にフレーバーを開発したらどうだろう。たとえば、女を(男を)狂わせるような香りのフレーバーとか、あるいは、すき焼き味とか、うなぎ蒲焼味とか(周囲の人も食欲が湧くのでは)。
蒸気も、もっと薄いものとか、目立たないものとか、逆に、狼煙みたいなものとか。

それにしてもこの器具は良くできていると感心した。
Ploom TECHと同じく、FLEVOもスイッチ類はどこにもない。
フレーバーを吸えば、自動で通電され、蒸気が発生する。吸引をやめればすみやかに消える。
iQOSのように充電を待つ必要もない。

というか、FLEVOの使い勝手に感心したから、Ploom TECHも試してみようと考えたわけだけれど。
Ploom TECHの発表のほうがだいぶ早いから、FLEVOはこれを模倣したのかもしれない。


メーカーのページでは、「FLEVOのフレーバーリキッドは日本食品衛生法で認可された成分のみを使用し、日本国内の工場で開発・製造されています。」とあるのだが、僅かな電気加熱で速やかに蒸気になるというのは、溶媒として一体何を使っているんだろう。

使用上の注意としては、発生する蒸気が発生源ではかなり高温らしく、連続吸引したり、吸い込み方によってはかなり熱いこと。
あんまりせっつくように吸わないほうが良い。

数日、煙草を完全に絶って、FLEVOだけで過ごしてみたらどうだろう、もしそれで問題がなければ、ランニングコストはずっと安上がりだし、灰も出なけりゃ、ライターも要らない。
(とはいうものの実行する勇気は、今のところない)

将来、もしこの種の商品が一般化して、煙草が絶滅していたら、こんな会話が交わされるのでは。
子:お父さん、何喫ってるの、おいしいの?
父:フレーバーというものだよ。おいしいというより、落ち着くんだよ
子:僕も喫いたい
父:ダメだよ、これは20歳以上しか喫っちゃいけないきまりなんだ
子:どうして、子供には悪いの?
父:そうじゃないけど……、昔の名残さ
子:昔の名残って?
父:昔は、こんな形のもので、やっぱり喫って楽しむ煙草というものがあったんだよ
子:それで?
父:その煙草というものには、ニコチンとか、タールっていう体に悪いものが入ってたんだ
子:へぇ
父:大人にも有害だけれど、子供にはもっと大きな害があったから、子供は絶対に喫っちゃダメだったんだ
子:それで煙草というのがなくなったんだね
父:そうだよ、でも煙草もこのフレーバーと同じように、気持ちを落ち着かせたりする効果もあってね
子:じゃあ、煙草の代用品っていうこと?
父:そうだね。だから、害がなくても、昔の名残で子供は禁止になっているのさ
子:フレーバーってどうやって作ってるの
父:よく知らないけど、いろんな植物とかから抽出した成分を揮発性の何かに溶かしてるんだと思う
子:煙草はどうだったの?
父:煙草は自然に生えている煙草という植物があって、それを乾燥させていた
子:じゃあ、煙草は自然食品みたいなものだったんだね
父:そうだね

だけど、やっぱりニコチン入りのPloom TECHの方が良いなぁ。

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Ploom TECH、ただしパチモン

P_20170601_195047_vHDR_Auto-crops.jpg 電子タバコの一種、Ploom TECHという商品があるということは、前から知っていたけれど、タバコとしての充足感はiQOSには及ばないという評価、また、品薄で簡単には手に入らないということもあって、しばらく忘れていた。

ところが、先日、ニコチンのない単なるフレーバーで、タバコのような商品FLEVOを衝動買いしたところ、Ploom TECHを思い出して、少し調べてみた。

やはり、Ploom TECHの器具(スターターキット)は品薄で、今は抽選販売になっているのだが(私も応募している)、FLEVOの商品説明に「Ploom TECHとの互換性はありません」とあり、そのことでかえって気づいて調べてみると、Ploom TECHの互換品、ようするにパチモンが沢山売られている。

それではと、私もパチモンを買うことにした。(抽選販売の当落は6月28日に発表。それまで待ちきれない)
パチモンについてのネット通販の書き込みでは、問題ありません、という評価に混じって、動作しなかった、とか、すぐダメになったとかいうのもあってちょっと不安だった。ダメでもいいやと、一番安い1000円のものを購入した。もちろん併せて、JTのオンライン・ショッピングで、Ploom TECH用のたばこカプセルも購入した。

待つこと3日で、両方とも届いた。
まず、バッテリーへの充電だが、もともとある程度充電されていたのか、30分でランプの色が赤から青に変わった。充電完了ということだろう。

P_20170601_200637_BF-crop.jpg 早速試してみた。
Ploom TECHは、臭いが極めて少ないことが売りである。
煙(蒸気)が見えるとすぐにバレるだろうから、陰で一服したところ、煙草に敏感な家人も気がつかない。

別に隠れて吸おうという魂胆ではないけれど。

喫ったときに、煙草の箱を開けたときに感じるような臭いがするが、たしかに微かな臭いという範囲だろう。

意外に煙草らしさもある。
普通のシガレットと比べると、たしかに物足りなさも感じるけれど、もし煙草をPloom TECHから経験していたとしたら、これはこれで満足できるかもしれない。

FLEVOもそうだが、この種の器具は、スイッチなどは無く、吸えばその空気圧でだろう、スイッチが入るようになっている。これはとても便利である。
ライターは要らないし、灰も出ない。2,3服して中断して、置いても問題なし。
これ一本持っていれば、どこでも煙草を楽しめる。

問題はココである。
昔、JTというか専売公社のコピーに、「タバコは人生の句読点」というのがあった。
仕事その他の活動をしているときに、ふと、気を紛らわせるようにタバコに火を点け、2~3分、静かにたのしむ。

これが、Ploom TECHだと、1本という単位にならない。
1つのたばこカプセルで50パフ(吸引)、これはシガレットの4本分ぐらいに相当するという。(たばこカプセルは5つ460円、つまりシガレット1箱分相当)

とくに、近年は、タバコを吸う時空が限られ、結果、だいたい同じ時刻に喫うようになっていて、そのときに1本のタバコに気持ちを込めて喫うようになっているのだけれど、Ploom TECHのように、どこでやめても良いようなものだと、だらだら喫うことになって、このタイミングがとりづらいように思う。
シガレットと同じように喫えば、つまり、ゆっくり、深く、10パフぐらいして自らを満足させる、そういう喫い方をすればよいのかもしれない。

50パフでたばこカプセルを交換することになるらしい。ただし、1パフは2秒間の吸引ということで、ゆっくり喫う私などは3秒は喫うから、30パフぐらいで交換することになる。正規品は50パフで警告ランプが点くらしいが、このパチモンではそういう機能はない。微妙な味の変化を感じて交換すれば良いのだが、慣れるまではパフ数を数えなければならない。
また、加熱蒸気の発生源であるカートリッジ(アトマイザー)は250パフで尽きる。たばこカプセルの前にカートリッジが空になってたばこカプセルが余るという事象が多いらしい。


JTのオンライン・ショッピングでは、3種類のたばこカプセルがあるようだが、今回は、レギュラーだけを購入した。もともとメンソールタイプはあまり好きじゃないからだけれど、レギュラーにもう少しバリエーションがあっても良いのではないだろうか。やはりピース風とか。

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ポピュリズムとは何か

先日のフランス大統領選では、ポピュリズム政党といわれる国民戦線のルペン氏は敗れた。
その前、こちらも心配されていたオーストリア大統領選でもポピュリズム政党は敗北している。
昨年のBrexit、イギリスのEU離脱国民投票が、世界を驚かせ、この流れが各国に波及するのではと心配されていたところである。

そういうと、ポピュリズムは悪と断じているように聞こえるが、それはメジャーなメディアの意見にすぎないかもしれない。というのは、ポピュリズムはそもそもエリートを敵視しており、敵であるジャーナリズムによる評価なのだから。

ポピュリズム【Populism】
①1890年代アメリカの第3政党、人民党(ポピュリスト党)の主義。人民主義。
②(populism)1930年代以降に中南米で発展した、労働者を基盤とする改良的な民族主義的政治運動。アルゼンチンのペロンなどが推進。ポプリスモ。
(広辞苑第五版)
そもそも辞書をひけば、ポピュリズムという言葉は必ずしも悪とされていない。
ただし、マスコミ用語としては、ポピュリズムの日本語訳は「大衆迎合主義」とされたりしていて、あんまり良い訳はあてられていない。「迎合」というと、自分には確たるポリシーがなく、単なる人気取りのような印象になる。(もっとも、私は「迎合」ではなくて、大衆を扇動する政治手法だと思うから、良し悪しはともかく、この訳語は気に入らない。)

Populism_towa_nanika.jpg 水島治郎「ポピュリズムとは何か ―民主主義の敵か、改革の希望か」によると、ポピュリズムの定義は、着眼点によって2つのものがあるという。

第一の定義は、固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイルを言うもので、リーダーの政治戦略・政治手法としてのポピュリズムに注目する。

第二の定義は、「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動をポピュリズムととらえる定義である。政治運動としてのポピュリズムに重点をおく立場である。

そして、本書では、この第二の立場を基本としている。そのほうが、ポピュリズムが広がる必然性というか、時代の流れをとらえる視覚を与えるからだという。
そしてポピュリズムの主張の中心、というか依拠するところは「人民」なのだけれど、この「人民」がポピュリズムではどう理解され、扱われているのかが、説明される。
  • 普通の人々(ordinary people)
    特権層に無視されてきた「普通の人々」、サイレント・マジョリティ、その意見や不満を代弁する。
  • 一体となった人びと(united people)
    特定の団体や階級ではなく、主権者たる国民、人民を代表する。個別利益ではなく全体利益を代表すると自らを表象する。民意が多様であるとみなす「多元主義」の対極にある。
  • われわれ人民(our people)
    何らかの同質的な特徴を共有する人々を意味し、それ以外の人々と「われわれ」を区別する。

私自身は、この「人民」でも、それに対峙するエリート側の人間でも、どちらもしっくりこないように思っている。だからだろうか、二分法で単純化することに、ポピュリズムの論理的欠陥を感じてしまう。
ポピュリズムに眉をひそめる人の多くはそうなんじゃないだろうか。(そう言うと「おまえはエリート側だ」とかそうでなくても「エリート側に洗脳されている」と攻撃されるような気がするけれど)


第1章 ポピュリズムとは何か
第2章 解放の論理
―南北メリカにおける誕生と発展
第3章 抑圧の論理
―ヨーロッパ極右政党の変貌
第4章 リベラルゆえの「反イスラム」
―環境・福祉先進国の葛藤
第5章 国民投票のパラドクス
―スイスは「理想の国」か
第6章 イギリスのEU離脱
―「置き去りにされた」人々の逆転劇
第7章 グローバル化するポピュリズム
本書では続けて、ポピュリズムが、単なる迎合や扇動ではない、やはりデモクラシーなんだということが理解できると同時に、このように偏狭でもデモクラシーだと主張する立場が説明される。実際、反移民や福祉排外主義というのを正当化するのに、デモクラシーやリベラルの論理が使われているという。

本書の冒頭に、

「日本人には民主主義が根付いていない。民主主義が国民に根付いていなかったら政治なんて良くならないし、政治が良くならなければ日本も良くならない」

という橋下元大阪府知事の言葉が紹介されている。この陳述自体には変なところはないけれど、橋下氏のスタイルが従来の感覚の民主主義とは随分違っていて、違和感を覚える人も多いのではないだろうか。

しかし、上のように、ポピュリズムもデモクラシーだということもできる。
「民主的」というのは、人それぞれ違っている。
「民主的体制」が必ずしも「民主的」な国を保証するわけではないし、その逆もまた成り立たない。
そうなると、民主主義に至高の価値を置くというのはわけがわからなくなってしまう。

本書の扉に、「ポピュリズムは、デモクラシーの後を影のようについてくる」(マーガレット・カノヴァン)という言葉が書かれている。
最初にこれを読んだ時には、一体どういう状況を指しているんだろうと思ったけれど、デモクラシーとポピュリズムの関係は、人間の良心と偏狭の関係ぐらいに切り離せない、人間の業なのかもしれない。

でも、やっぱり思う。政治というのは異なる利害集団を調整するものだと思うから、ポピュリズムが異物を排除するものなら、それはもはや政治ではない。従ってデモクラシーでもない。それは内なる戦争ではないだろうか。ポピュリズムがその戦争に勝ったとして、それを支持した人民は幸福になるだろうか。

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パスワードは定期的に変更してはいけない

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「パスワードは定期的に変更してはいけない」
--米政府
<アメリカの電子認証専門機関が、定期的なパスワード変更の推奨をやめると決めた。エンドユーザーもいずれ、代わりの新しい「パスフレーズ」を要求されるようになるはすだ>

米政府機関はもう、パスワードを定期的に変えるのを推奨しない。アメリカの企画標準化団体、米国立標準技術研究所(NIST)が発行する『電子認証に関するガイドライン』の新版からルールを変更する。
ウェブサイトやウェブサービスにも、サイトが乗っ取られたのでもない限り、「パスワードが長期間変更されていません」などの警告を定期的に表示するのを止めるよう勧告するという。銀行や病院のように人に知られてはいけない個人情報を扱う機関も同じだという。

実は近年、情報セキュリティー専門家の間でも、特別の理由がない限り、ユーザーにパスワード変更を求めるべきではないという考え方が増えてきた。なぜなら、ユーザーは新しいパスワードをいい加減に作る傾向があるからだ。どうせ数カ月後に変更を求められると思えばなおさらだ。

「パスフレーズ」の普及を

ノースカロライナ大学チャペルヒル校の調査によると、定期的にパスワード変更を求められると、人々は多くの場合、まったく新しく作り直すのでなく、同じパターンで少しずつパスワードを変更する。どこかの1文字だけを順番に変えていくなどのパターンになりやすい。

仮に、まったく新しいパスワードを作るよう求めても結果はあまり変わらない。ハッカーはどちらのパスワードでも容赦なく解読してくる。つまり、パスワードの変更はハッカーよりユーザーに不便を強いる。
定期的なパスワード変更を止める代わり、NISTは最低64文字でスペースも入れられる「パスフレーズ」を推奨する。フレーズにすれば長くても覚えやすく、桁数が多いので解読されにくい。

NISTからの通達が出回れば、定期的なパスワード変更の代わりに「パスフレーズ」を求めるサイトやサービスも増えてくるだろう。
ニューズウィーク日本版 5/23(火) 15:00配信
ようやくまっとうな勧告を目にした。
パスワードの定期的な変更は不要という勧告で、米国の認証機関が出したもの。

私は以前から、パスワードの定期的な変更については、本当に必要か疑問に思っていたので、こういう勧告が出ると、やっぱりそうだろうとガッテンした。

もちろんパスワードの変更が全く、露ほども意味がないと言うつもりはない。
この記事でも、しょっちゅう変更を求められると、いい加減なパスワードを使いがちになるという副作用に重点を置いているわけで、副作用がなければ、変更に問題はない。「変更すべきでない」は言い過ぎのようにも思う。

パスワードの変更の効果について、簡単な計算をしてみよう。
まず、パスワードになりえる文字列の総数がN 個だったとする。
クラッカーは自分で決めた順番で、この全文字列を一つ一つテストするものとする。
さて、クラッカーがm 個のテストを終了して、未だクラックに成功していないとする。
この時、パスワードの変更はどういう効果があるだろう。

パスワードを変更しない場合は、m 個まではパスワードでないことが解っていると言う条件でのクラックとなるから、残りのテストでパスワードにヒットする平均試行回数は、Nm)/2 である。
パスワードを変更する場合は、クラッカーのm個までのテストはリセットされることになるから、パスワードにヒットする平均試行回数も、元のN/2 にリセットされる。
つまり、平均試行回数はm/2 だけ長くなる。

そら、ちゃんと効果があるじゃないか。
だけど、実際に数値を入れて見る。
たとえば、英数字の36種類の10桁パスワードを使うものとすると、N は36^10=3,656,158,440,062,976≒3656兆個である。
今、クラッカーは1秒間に100万回のテストができるものとしよう。
平均試行回数N/2=1828兆回をこのスピードで実行したとすると、1,828,079,220=507,800時間=21,15858年である。
よくパスワードを90日で変更しろというが、平均試行回数はm/2 だけ長くなる、平均試行時間は90/2日、つまり、45日ほど延びるわけである。
58年=21158日に対する45日だから、0.2%ほど安全度が高くなるというわけだ。
5年ほどパスワードを変更していなかったら、クラックされる危険は10%ほど高くなるとも言える。

ただし、これはクラッカーがずっとこのユーザーIDのパスワードクラックをずっと続けている場合の話だから、余程執念深いクラッカーに狙われでもしない限り、ちょっと非現実的なようにも思う。

上では、テストスピードは100万回/秒としたけれど、これはさすがに凄すぎると思う。そんなに早いレスポンスのサービスはちょっと考えられない。せいぜい1000~10000回というところだろう。だとすると、平均試行時間は当然2~3桁(5800~58000年)長くなる。


2017-05-31_085041.jpg ただ、もし、自分が登録しているサイトのパスワードデータベースが漏洩してしまったとしたらどうだろう。
この場合は、ネットからパスワードのテストをするのとはわけが違い、テストスピードをはるかに高速化することができる。平均試行回数は同じでも、平均試行時間は1000分の1にできるかもしれない。上の数値例なら、21日でクラックされる。
管理者は、漏洩事件を起こしてしまったら、直ちに公表し、パスワードの変更を求める必要がある。

職場などで、隣に座っている職員が横目で見る、あるいは同僚のクセを知っているというような場合も注意すべきだろう。こういう場合は、ときどきパスワードを変えるのは、同僚を信じられないのならだけれど、効果があるかもしれない。

重要なのは、IDが共用されるような場合。複数人が同じID/パスワードで利用しているようなケースだと、人の異動があるなどすれば、当然変更(そして利用者全員に通知)しなければならない。とりわけ、初歩的だが後を絶たないといわれている、委託先などのシステム開発者、rootとかAdministratorのパスワード。権限が強いのに、本当に誰がこのIDを管理しているのかが実は曖昧という場合がある(開発終了後に放置されていることも起こる)。致命的な欠陥である。

なお、件の勧告は、パスワード変更よりも、パスワードをパスフレーズにすることを推奨している。
これはユーザーだけでなく、サービス提供者側に発せられているものと思う。
今までせいぜい10数桁までのパスワードを使っていたシステムに、十分な長さのパスフレーズが受け入れられるように改善しなさいということである。

パスワード管理ソフトを使っているので、私自身はあまりやらないけれど、パスワードの作り方として、パスフレーズの頭文字などを使うというやりかたがある。
たとえば、

Aoniyoshi Nara no Miyako no 8ezakura Kyou 9e ni Nioinurukana ⇒ANnMn8K9nN

などである。
パスフレーズ対応がなされるまで、こういうやりかたも良いかもしれない。
パスフレーズで良く使われるセンテンス集、なんてのも出るだろうけど。

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SoftBankユーザーは怒らないのだろうか

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ソフトバンク 前副社長に報酬など349億円余支払い
大手通信会社、ソフトバンクグループがおよそ1年10か月在職し去年退職した前の副社長、ニケシュ・アローラ氏に報酬など合わせて349億円余りを支払うことがわかりました。
ニケシュ・アローラ氏はアメリカのIT大手「グーグル」で上級副社長を務めたあと、次期社長の有力な候補として入社しおととし「ソフトバンクグループ」の副社長に就きましたがその後、孫正義社長がみずから社長を続ける意向を示し、去年6月、突然、退任しました。
ソフトバンクグループはすでにアローラ氏に対し報酬や退職金など合わせて314億円を支払うとしていましたが、これに加えて去年4月から6月までの報酬として14億9900万円。
また、すでに50億円を支払っている退職金についても株価の上昇を受けて積み増し、合わせて88億4700万円を支払うことになりました。
これによりアローラ氏が受け取る報酬などはおよそ1年10か月の在職で合わせて349億4400万円に上ることになります。
NHKニュース 5月31日 17時05分
テレビのニュースを見ていたら、ソフトバンクの副社長アローラ氏が、就任して1年10ヶ月で退任するのだけれど、この間に得た報酬が349億円だという。

所得番付が、プライバシー保護とかで発表されなくなってから、役員報酬が高額化する傾向にあるそうだが、この額にはびっくりである。
349億を単純に月割りすると16億円、日割りすると5200万円。

SoftBankの携帯電話の契約者数は4000万人ぐらいだそうだ。
契約者全員に870円余の一時金を払える。

私は、関西デジタルホン時代からだから、20年近く(J-PHONE、Vodafoneを経て)、SoftBankユーザーだったけれど、昨年、とうとう解約して、MVNOに乗り換えた
新規や乗換のユーザーにはいろんな特典が用意されているけれど、長期契約者にはそういう恩恵が全く感じられなかった。そっちがその気なら、こっちも義理立てする必要はない、というわけだ。

ついでに、通販でAmazonと並んでYahooショッピングを良く使っていたが、こちらも楽天に替えることにした。カード会社が勝手に変わって面倒な手続きをさせられたことと、タダだったETCカードが有料化されたということもある。
これからは鷹(Hawks)より鷲(Eagles)だ。


アローラ氏がどれだけSoftBankに貢献したのか、その報酬が適正なものだったのか、そんなことは知らないけれど、SoftBankユーザーを馬鹿にしているように思わないのだろうか。
それとも、それほど儲かっている企業だから、安心だとでも思うのだろうか。

私はSoftBankユーザーじゃないから別に良いけど。

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コンテンツに合せた上映設備

IMG_20170527_145009.jpg 先日、久しぶりに映画館(シネマコンプレックス)へ行って「美女と野獣」を見たことは既に書いたけれど、ちょっとここのシネコン(TOHOシネマズくずはモール)で、不満に思ったこと。

このシネコンは10スクリーンあるのだが、「美女と野獣」は"SCREEN 6"で上映されていた。
で、映画館でいつも思うのだけれど、音が大きすぎる。そして割れて、ガサつく。
また、映像も、やや動きがぎごちなく、精細度も低いように感じた。

このシネコンにも、1ヶ所だけ、TCX、ATOMOS対応のスクリーン(SCREEN 1)がある。
しかし、「美女と野獣」を上映していたSCREEN 6は、通常設備である。私が行ったとき、SCREEN 1で上映されていたのは、通常のドラマ作品である。

どうしてだろう?
たしかに、私が行ったとき、「美女と野獣」の観客は、314人収容の部屋で、せいぜい20~30人。封切直後はおそらく、相当の人数が押し寄せたものと思う。そして、その時には収容人数374人という、一番大きなSCREEN 1が使われたのではないだろうか。
部屋の広さだけで言えば、シネコン側の判断はそれなりの理由もある。

封切直後に観ておけば良かったんじゃないかといわれそうだけれど。やっぱり空いてるときに行きたいから。


10スクリーン・約2,000席の映画館。メインスクリーンに独自規格のラージスクリーン「TCX®」と関西で初めてドルビーの革新的なシネマ音響「ドルビーアトモス」を導入。全作品デジタルプロジェクターでの上映となり、3D映画や演劇・音楽・スポーツの中継などの新しいエンターテイメントの楽しみ方も提供していきます。
しかし、上映されるコンテンツの特性からすれば、ミュージカル仕立てで、音楽のウェイトが極めて大きい作品に対しては、やはり、Dolby ATMOSのスクリーンを使用すべきではないだろうか。

以前、このシネコンで"Mission impossible"を見たとき、オペラ場での銃撃シーンがあったのだが、このシーンで歌われていた「トゥーランドット」のアリアの音は、素晴らしかった。その時の会場はSCREEN 1、Dolby ATMOS音響だった。ここでオペラ映画をやったらどうかと思ったぐらいである。

目利きというか耳利きの観客なら、この設備を目当てに来場する人がいるものと思う。つまり、集客効果もあると思う。音楽に重点をおかないコンテンツに、SCREEN 1を使用するのは、勿体ないのではないだろうか。

この作品のように、映像と音楽の質にこだわったものが、本来の品質で上映されていないと知ったら、制作者は、がっかりするのではないか。
一定以上の上映品質が確保できないところでの上映を拒否したらどうだろう。
ディズニーなら、そのぐらいのことは、やれると思う。

Blu-rayが発売されたら、それを家で見る方が、映画館よりも、滑らかな映像、ダイナミックレンジが広く、繊細な音楽を楽しめるに違いない。

というか、TOHOシネマズくずはモールが、Dolby ATMOSで上映してくれるんなら、もう一回見に行くけれど。
このスクリーンを「美女と野獣」専用にするのが無理なら、上映スケジュールの調整でなんとかならないものか。

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