学生の時間 社会人の時間

P_20171128_081203-crops.jpg 私の通勤ルートの途中に、某マンモス大学がある。
通勤ルートはJRからK鉄への乗換があり、某大学の最寄駅はK鉄線内である。
そして通勤時間に、学生たちの登校時間が重なる。

以前もとりあげた「学生の群れ」

電車の乗換時は、この学生たちも同じようにぞろぞろと乗り換える。
そこで毎朝のように、少しイラっとする。
学生たちの歩行速度が低いのだ。

そのうえ、バックパックの学生が多くて荷物も邪魔である。

対して、社会人たちの多くはせかせかと歩く。

この差はなんだろう。
ゾウの時間 ネズミの時間」(本川達雄)になぞらえて、
学生の時間 社会人の時間」を考えた。

同書は「サイズの生物学」という副題があるように、生物は体の大きさと寿命の長さに相関があることを解説したもの。もっとも、学生と社会人に体格差があるわけではないので、なぞらえても意味はないのだけれど。
なお、生物の寿命などについては、細胞レベルでの生化学メカニズムなど、もっと研究が進んでいるようだ。


学生たちは、受講時間というものがあり、それに合せているだろう。
社会人は、出勤時間があり、タイムレコーダーがある。
どちらも目的地に到着する時間は、決められている。

なのに一方はゆったりとしており、一方は追い立てられている。

自分の学生時代を思い返すと、やっぱりゆっくり歩いていたように思う。
そもそも、講義が時間通りに始まるなんてことはめずらしくて、時間どおりに教室に入ったとしても、教官が来るまでぼーっと待つことが多かった。このあたりも影響して、せかせかとしなかったのかもしれない。

P_20171127_083341-crop.jpg もう一つ考慮すべきことがある。
学生たちはだいたいが群れている、対して、社会人は孤独性のようである。
そう考えて観察すると、社会人でも連れだって出勤するグループはけっこうゆっくり歩いている。

群れの場合、どちらが先に出るか競争するような場合は、相手より前へ出ようという行動をお互いにするから、速度はどんどん速くなるだろう。しかし、群れを維持するのであれば、相手が遅れればそれに合せようとするだろうから、速度はむしろ遅くなるのではないだろうか。
集団行動として考えれば不思議はない。

連れだって横に並ばれると、これはとても邪魔になる。


ところが学生は、単独行動でもけっこうゆっくり歩く人が多い。
やはり [学生の歩く速さ<社会人の歩く速さ] という基本特性があるのではないだろうか。

それにしても、大学生が1時間目の講義を受けるというのはあまり多くなかった。
そのまでに、教養課程はともかく、専門課程では1時間目には授業自体がほとんどなかった。

この頃は、学生も教官もマジメになっているのだろうか。

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慣れない着物と忖度饅頭

この飛び石連休は、23日に秋の京都を楽しんだわけだが(秋の京都シリーズ記事)、26日の日曜日に、もう一つ非日常的行事があって、だらだら過ごすわけにはいかなかった。
知人が某教団のある分教会の会長に就任することになり、教団からの許可を戴くにあたり、その付添を頼まれた。

実に面倒なことである。
だけれど、こうした宗教儀式を体験できる機会はそうそうない。教団本部の、普段一般参拝者が入れない場所に入ることもできる。多分、これが最初で最後であろう。

P_20171126_141053_vHDR_Auto-crops.jpg 何が面倒といって、服装である。この教団では「おつとめ着」と称するもの。そんなものは持っているはずもなく、自分で着付けるノウハウもない。件の分教会を指揮する上位教会が用意してくれ、また、着付けも上手なおばさんがやってくれる。
黒の紋入りの和服に、袴、白足袋、そして下駄である。

堅苦しく、慣れない服だから着ているだけで疲れそうと思っていたが、これが意外に疲れない。着付けが上手なのか、腰でびしっと結んだ帯が窮屈になることも、だらしなくなることもない。着物の重みを腰で支えているのか、大変楽である。
なによりうれしいのは袴。着物の場合、裾が乱れるのを気にする(浴衣ぐらいならともかく、こんな仰々しいものは自分で直すのは無理)わけだが、袴をはいていると、外から見えないから、乱れても、くだけた格好をしていても大丈夫。
そもそも、着付けのおばさんが、トイレに行きやすいように、着物の裾をまとめてくれている。袴がなければこれはできない。

寒い神殿(正確には教祖殿)で、長い間、儀式の開始を待つことになるので、トイレに行くのは普通。私もこの恰好でトイレに行っている。しかし大だったら袴を脱がなければならないだろう。下痢なんかしてたらとても耐えられないなぁ。


この日、同じ儀式を受ける「願人」(願を認めてもらう儀式なのでこのように呼ぶ)は40名、それぞれに付き添いが4~6人ぐらいいるから、200名以上が待つ。
儀式担当の方が、注意事項を伝達する。重々しい。
儀式の場には、手荷物、スマホはもちろん、腕時計も持ち込んではならないので、これらは儀式場に入る前に預ける。

儀式会場には、願人、願人の上位教会長、付添人が入る。
教団トップと、それに相対する形で、儀式担当の教団役員2名(口上役、書付の下付役?)、その横に願人が着座。
口上役:○○教会○○○○から○○○○○の願いでございます。
権威者:○○○○○の願いをゆるす。
願人:ありがとうございます。
この間、せいぜい10秒。入替時間を入れても20秒もかからない。
そして、付添は願人のうしろに控え、ひたすら平伏する。

知人は、願を3件出していたので、これを3回行った。
その後、願人は今後の教団活動について講和を受け、その意思を固める。
上級教会長、付添は、別室に赴いて、願のゆるしに対するお礼をする。

集合は15:30、すべてが終わったのは18時頃である。既にあたりは真っ暗である。
付添人は、13:30に上級教会の詰所に赴いて、着付けをしてもらっているから、半日まるまるである。

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P_20171126_181741-crops.jpg 上級の大教会の詰所に戻り、服を着替えて、しばし閑談。
御茶菓子としてだされたのが、右の写真。
大教会長さん、これを見せたくてしようがなかったんだそうだ。




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秋の京都―紅葉の神宮

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出雲大神宮へむかう
今回のツアーの最後の訪問場所は、出雲大神宮というところ。

京都市内の紅葉の名所といえば、通ってきた嵐山をはじめ、数多い。
しかし、どこへ行っても大変な人出である。以前、東福寺へ行ったときなど、その日だけで、数万人の参拝者があったと聞いた。

というわけででもないだろうけれど、そういう混雑を避けるためか、今回のパッケージ・ツアーでは、京都市を離れた亀岡のこの神社がコースに入っている。
20171123IMG_0662.jpg
出雲大神宮 一の鳥居

もっとも、紅葉というのは名所にこだわらず、広く見れば、あちこちに良いところがあると思う。名所とされるところは、単に紅葉を見るのだけではなくて、歌に詠まれているところとか、風情のある寺社と一体になっているとか、あるいはイチョウ並木のように、統一された場所などではないだろうか。


恥ずかしながら、この神社の存在については知らなかった。
ここの磐座がパワー・スポットとして紹介されて、最近は訪れる人が増えているらしい。
20171123IMG_0672.jpg
二の鳥居から拝殿を臨む
また、ここは「日本一の縁結び」と称している。そういえば出雲大社も縁結びの神様として有名だった。

しかし、調べるとおろそかにして良い神社ではない。
まず、ここは丹波国一之宮である。格式があるのである。創建は、実ははっきりしない。社殿は西暦709年に建てられていたらしいが、それ以前から、社殿の奥にある山が信仰の対象となっていたという。
そして、古典にも登場する。境内にも書かれていたが、徒然草236段「丹波に出雲というところあり」の出雲はここのことだという。

こうしたことは、宮司さんが説明してくれていた。


それにしても「大神宮」とはずいぶんな名前だが、昔からこの名前で通っていたのだろうか。
今日は、写真中心で。
20171123IMG_0676.jpg 20171123IMG_0677.jpg
拝殿の後ろが元々のご神体の山 山の紅葉
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古墳が境内にある(珍しい) パワー・スポットの磐座
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本殿裏から
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裏から本殿の脇を 陽は少し傾いて
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秋の京都―土産物屋

20171123IMG_0639.jpg パッケージ・ツアーの定番の一つに土産物屋への案内がある。
店とタイアップして、売り上げに貢献すること、トイレなどを使わせてもらうこと、そういう関係のようだ。

今回のツアーでは、酒造会社の酒蔵見学となっていた。
酒蔵といっても、現在使われているものではなくて、酒造りの道具や、材料などを展示してあり、店の人の説明も聴けるというところ。
いくつかの磨き具合の米を展示してあって、手にとってみることができたのがおもしろかった。

20171123IMG_0641.jpg 別にここの目玉というわけでもないのだろうけれど、来場者を驚かせるのが、発酵槽のかたわらで櫂入れのポーズをとっているマネキン。
このマネキンは、「探偵ナイトスクープ」で “マネキンと結婚したい女” というネタがあったが、その相手のマネキンこそこれだという。

番組では結婚式を挙げた様子も放映されていたが、その後、その女性はマネキンとは離婚し、人間の男と再婚したそうだ。かわいそうに、このマネキンは捨てられたわけだ。それがここに引き取られて酒造りに従事しているというわけだ。(その経緯は詳しくは語られなかった。)


展示室は2階にあって、そこを一通り見て、1階の直販コーナー、試飲コーナーへ。
あらかじめ用意されていた試飲用の酒はもちろん、指定しても飲ませてくれる。

P_20171124_142805_vHDR_Auto-crop.jpg しかし、正直に言うと、ここで最初に紹介された酒、チョロギ、梅酒、どれを試飲しても、私にはみな甘すぎる。
みまわすと、山廃づくりの酒と、生酛づくりの酒が並んで置いてあった。
店の人に聞くと、両方やっているという。これはちょっと意外である。
異なる仕込みを両方やるというのは、大手ならともかく、地酒としては、ポリシーが良くわからない。

どちらも試飲してみたが、他の酒を試飲したあとで口を漱いでいないということもあるのだろうが、甘いのと、雑味を感じた。甘いのはこの蔵の好みなんだと思うけれど、雑味を感じるというのはどうなんだろう。
店の説明では、山廃のほうは、燗が良いというのだが、燗にしたら臭み・雑味はむしろ強調されると思うのだが。

結局、山廃のほうの四合瓶を買って帰った(まだ飲んでない)。

【追記】
後日、湯せんで燗をつけて飲んだ。やはり最初に口をつけたら雑味・臭みを感じた。
二口目からは、あまり気にならなくなり、コクはあると思った。


店の出入り口わきに、「科捜研の女」のロケに使われたという説明が、写真とともにおかれていた。

20171123IMG_0645.jpg


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秋の京都―ツアーの食事

前にも書いたように、今回のツアー参加の目的は、トロッコ列車。
だから、トロッコに乗り終われば、亀岡からさっさと帰っても良いわけだが、ツアー料金(12,000円弱)には、食事や他の観光も含まれている。ということで払った分はサービスを受ける。

昼食と入浴が付いている。
場所は湯ノ花温泉「渓山閣」。

湯ノ花温泉は、以前職場の慰安旅行(一泊二日)で来たことがある。宿は「渓山閣」だったかどうか覚えがない。とにかく「昭和の宴会」で、飲んで騒ぐものだが、宴会の翌日は、保津川下りだった。

このとき宿についたら、おばさんが「マッサージ頼むんやったら早よ言いや」とドスの聞いた声で言っていたのを覚えている。そういうサービスもあるのか(私は頼んでない)。


20171123IMG_0630-crops.jpg さて、このツアー、名前を「京の奥座敷 湯ノ花温泉「渓山閣」で味わう松茸づくし会席」という。
何度も書くように、トロッコが目的なので、松茸づくしなどどうでも良い。そして、この値段でまともな松茸が食べられるわけがない。

案の定、松茸はおそらく、保存のきく水煮を使っているのだろう、どれもうすっぺらで、香の抜けた、歯ざわりもふにゃっとしたもの。
味付けも甘くて、私の口にはあわない。

20171123IMG_0632-crops.jpg それでも、焼き松茸は水煮というわけにはいかない。これはちゃんと姿のあるものが供されていた。
いたのだけれど、普通、松茸を焼いたら、じわっっとお汁が出てくるわけだが、これが、ない、少ない。
乾いてしまっているようだ。

量だけは多い。後から配膳されう写真に写っていないものとしては、土瓶蒸しや茶わん蒸し。
腹がふくれる。

食後は、入浴。
前に、地元のスーパー銭湯の記事を書いたけれど、今度は旅館の銭湯というわけだ。
今回はバスの出発時間もあるので、あまりゆっくりと入っていられない。
30分ほどで出ようとしたところで事件。

女性の係員が浴室に入ってきて、何事か呼ばわっている。
「46番の貴重品ロッカーを使っている方はいらっしゃいませんか」

私じゃないか、何事かと彼女の前に、裸のまま(浴室内である)、歩み寄った。
きけば、そのロッカーを前に使った人が、中に時計を忘れたらしい。
私は中を確認もせず、小さいポーチを突っ込んだので気がつかなかったのだ。

ちょっと待ってくださいといって、急いで体を拭いて、浴室を出、ロッカーを確認。
無事、問題の時計がロッカーに入っているのを確認。女性に手渡して一件落着。

男の風呂に女性が入ってきても、このように別に騒ぎにもならない。
前にスーパー銭湯では、脱衣場に女性係員が来たが、この時も落ち着いたものだった。
では、男性係員が女性浴場に入ってきたらどうなんだろう。


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秋の京都ー嵯峨野トロッコ列車

京都一日ツアーの最初は嵯峨野トロッコ列車。

20171123IMG_0597.jpg 嵯峨野観光鉄道株式会社が運営する鉄道で、トロッコ嵯峨からトロッコ亀岡までの7.3kmの路線。
元は山陰本線で、同線が複線電化で新しい軌道ができて、こちらの線を観光用にしたというもの。

この列車、前から乗ってみたかったのだけれど、人気が高くて、春秋のハイシーズンには、乗車券の入手が困難らしい。
実際、かつて乗車したい日の1カ月前に駅で買おうとしたけれど、既に売り切れだったことがある。
20171123IMG_0603-crops.jpg 団体予約は1年前からとれるらしいから、ハイシーズンには旅行社が先に押さえてしまっているらしく、個人でチケットを入手するのはなかなか難しいようだ。

トロッコ嵯峨野駅(JR嵯峨と併設)に着くと、駅の前から、大変な混雑である。

案の定、列車案内表示には、「満席」の表示が並ぶ。立ち席もあるようだが、それも含めての満席のようだ。

私が乗った列車は、嵯峨野5号、トロッコ嵯峨11:01発、トロッコ亀岡11:24着である。


狭いホームには大量の乗客。
いろんな国から来ているようだ。

20171123IMG_0609-crops.jpg 列車が到着すると(折り返し運転)、一斉に写真をとろうとする人の群れ。(って、私も撮ってる)。

トロッコ嵯峨野を出ると嵐山までは、JR山陰線と同じ軌道を使う。JRに少々遅れがあったので、トロッコ列車もそれに合わせて、3分程度遅れて発車。

紅葉の季節の嵐山である。沿線の踏切にも多くの人。そしてトロッコ列車を撮影する人。
列車に乗っていると、列車が走っている姿を撮影することはできない。

エッフェル塔が大嫌いというモーパッサンが毎日エッフェル塔に来て「ここならエッフェル塔を見ないで済む」と言った話を思い出す。


もちろん生活の脚であるわけではない。
途中(嵐山)から乗る人もいるが(もちろん座席予約している)、それも乗車そのものを目的とする観光客であろう。

トロッコという名前で想像するのは、窓のないオープンな客車だけれど、そのタイプの客車は5両編成の1両だけ。「ザ・リッチ」という名前がついている。その車両も天蓋はついている。私もそちらに乗りたかった。ガラスがあると、それが邪魔して写真が撮りにくいし、車内が反射して、要らぬもの(他の乗客の顔など)が写り込む。

トロッコ列車として観光用に運転されているわけだが、その魅力は、保津川の景観である。
動画で見ていただこう。

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秋の京都

20171123IMG_0692.jpg 昨日は紅葉見物で、京都へ。

今回は、なかなかチケットが手に入らない嵯峨野のトロッコ列車に乗りたくて、旅行社のバス・ツアーを申し込んだ。
南のはずれとはいえ、京都府内に住んでいるわけだが、京都駅からの1日ツアーである。

京都駅には9:55集合。場所は八条口側、アヴァンティ前。ここは私が利用するバスの停車場でもあるから、ウロウロする必要もない。
20171123IMG_0601.jpg
各地(草津・大津・八条)=トロッコ嵯峨駅
   +++<嵯峨野トロッコ>+++トロッコ亀岡駅
   =湯ノ花温泉「渓山閣」(昼食と温泉入浴)
   =丹波大石酒造(酒蔵見学、地酒試飲)
   =出雲大神宮=各地

京都駅のアバンティ前は、貸切バスの一時駐車場があって、ここを起点にいろいろなバス・ツアーが出発する。私が参加したツアー以外に、同じ時間帯に少なくとも2つのツアー(旅行社のスタッフが旗を持って声を上げている)があった。
見ていると、京都駅を降りて、旅行社の人に先導されて、ここへ来る団体(国内、国外)が次々にやってくる。

20171123IMG_0591-crops.jpg 私が参加したツアーなどは、京都起点の1日コースにもかかわらず、香港からの16人の団体客も参加していた。一般公募のツアーで、そういう団体が参加するというのはめずらしいことではないだろうか。彼らもトロッコ目当てだろうか。

心配していた天候も、昨夜来の雨も上がった。
ツアーの様子は、明日からアップするつもり。

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三大交響曲の演奏会

20171122_Dai_phil.jpg 昨夜は久しぶりの大フィル定期、そして久しぶりのフェスティバルホール。去年の3月以来である

知人からチケットがまわってきたので、いそいそと聴きにいった。
演目は、モーツァルト後期の三大交響曲。

K.543 変ホ長調(第39番)、K.550 ト短調(第40番)、K.551 ハ長調(第41番 「ジュピタ-」)の三曲を三大交響曲というわけだが、個人的には、演奏会でこの3つを連続演奏するというのは、かなり気合を入れて聴かなければならない。

39、40番をやって休憩かな、しかしこの2曲を連続して聴くのもなぁと思っていたら、ー曲ごとに休憩15分となっていた。
この方が良い。

であるけれど、 クラシック演奏会というのは、
  • 音合わせ(シンフォニア=序曲あるいは軽い交響曲)
  • 演奏家の名人芸をフィーチャー(協奏曲系)
  • 楽団の総力でのメインディッシュ(交響曲などの大曲)
というのが普通で、これがやっぱり落ち着くというもの。

P_20171122_183642_vHDR_Auto-crops.jpg 前に、公開練習のような演奏会でもオール・モーツァルトをやった。しかもそのときもKV551がとりあげられている。
そのときは、小編成で、会場も練習場だったから、今回の大編成、フェスティバル・ホールとの違いというのは興味があった。指揮者も違うのだけれど。

昔は、モーツァルトの交響曲も全集はベーム/ベルリンのものが定番みたいになっていた(私も持ってる)けれど、近年は、作曲当時のスタイルを重視するものが「本物」っぽくて喜ばれる傾向があるようだ。
ピノック/イングリッシュ・コンサート、ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ、ホグウッド/エンシェント、ブリュッヘン/18世紀、といった名前が思い出される。

最近のモーツァルト全集CDにはこれらが収録されている。
少し前のフィリップス版だとマリナー/アカデミー。これも大オーケストラではない。

もちろんこれらも良いのだけれど(ピリオド楽器といっても、これらはけっして黴臭い古ぼけた感じはしない。きびきびして、表情豊かである)、モーツァルトの時代には絶対に聴けなかった、大きなオーケストラ、現代の楽器で演奏するのも、あながち悪いことだとは思わない。

モーツァルト自身は、大きなオーケストラにあこがれを持っていたに違いなく、自分の曲が、こんなに大きなホールで、大きなオーケストラで演奏されるのを聴いたら、案外、喜ぶのではないだろうか。

昔、「題名のない音楽会」(黛敏郎司会)で、作曲家は、自分の曲が演奏されるのを聴いて、「こんなんと違う」というのか、「こんな風になるんだ」というのか、というあたりをとりあげていたことあある。結論は、どっちもあるだったと思うけど。


IMG_20171122_182840-crops.jpg さて、昨夜の大フィルの編成だが、やはりこれらの曲としては大編成である。
第一ヴァイオリン14、第二ヴァイオリン12、ヴィオラ10、チェロ8、そしてコントラバス7である(40番のときは各パート2本ずつ減らしていた)。
前述のピリオド・オーケストラの倍以上の編成ではないかと思う。

ところが、39番ではその編成が生きてないように感じた。
昨夜は夕方から雨で湿っていたからかもしれない。濡れた傘をホールに持ち込んでいる人もいる。
冬でコートを持ち込んでいる人が多かったからかもしれない。

クロークに預けるべきだと思う。私はそれが面倒なので、コートを着ずに行っている。


しかしそれより39番は演奏がなんとなくかたくて、十分歌えてないように思ったことが大きいのかも。
休憩後の40番は弦の各パート2本ずつ減らしていたのに、そっちの方が音は出ていた。
最後の41番は良く鳴っていたと思う。特に第4楽章はしっかりと造型されていて気持ちよかった。
だんだん良くなるというのは、多くの演奏会で感じることだけど。

また、前から思っているのだが、フェスティバルは、シンフォニーホールやいずみホールに比べて、音がさみしい感じがある。

残響をきちんと計算して作ったというけれど、残響というのはマルチパスも含んでいるはずで、そのマルチパスはホールの大きさによって遅延時間が違うと思う。どこのホールでも音速は同じはずだし。そうしたことが響きに影響を与えるのだとしたら、ホールには最適な大きさというものもあるのではないだろうか。(つまり、フェスティバルはクラシック・コンサートには大きすぎる)


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名代官の時代

Sakanobori_nihonshi_tenkataihei.jpg 磯田道史「さかのぼり日本史⑥“天下泰平”の礎」という本がある。
NHKの同名番組の素材を本にしたもので、テレビ用だから眼を惹くトピックス的な事件をとりあげて構成されている。

その中に、江戸時代には名代官が多くいたということが、陸奥国塙代官の寺西封元を例にあげて書かれていた。
他書でも江戸時代の代官が優秀だったという記述を読んだことがあるけれど、ここまで具体的な記述は瞠目すべきもの。
まず書いておかなければならないのは、代官が優秀というのは、まず第一に年貢をきっちりとりたてるという尺度で測られるのだろうと思っていたわけだが、紹介されている例は、決してそれだけではないということ。

たしかに、年貢をきちんととることが大目標なのかもしれないが、それには農業生産のインフラを整えたり、天変地異への備え、農民の教育や農民個人の事情を汲んだ労働環境の整備、そうしたもろもろのことが施策となる。

はじめに
第1章 「鎖国」が守った繁栄
露寇事件(1806年)
第2章 飢饉が生んだ大改革
浅間山噴火・天明の飢饉(1783年)
第3章 宝永地震 成熟社会への転換
宝永の地震・津波(1707年)
第4章 島原の乱 「戦国」の終焉
島原の乱(1637年)
そして、これを実施するために幕府から予算が降りて来るというようなことはないだろう。ということは、代官の治政というのは、年貢の徴収さえきちんとできていれば、あとは代官のやりたいようにできるのかもしれない。

その年貢徴収もきちんとしていただろう寺西封元、およそ福祉ということに縁のない江戸時代にあって、地方レベルで見事な福祉政策を行っていたということである。

偉い人がいたんだという感想、該当箇所の抜き書きを載せて、本記事は終えることにする。

 そうした新規代官の1人が、陸奥国塙代官の寺西封元です。寺西は寛政四年(一七九二年)に代官として陸奥国の塙(福島県東白川郡塙町)に赴任。塙領六万石と常陸小名浜領三万石を管轄し、文化十一年(一八一四年)からは陸奥桑折領五万石も加わり、文政十年(一八二七年)に亡くなるまで代官を務めました。在職期間は実に三十六年。それ以前の塙代官の平均在職期間は二年十ヵ月(三年六ヵ月の説も)ですから、当時としては異例の長さだったことがわかります。
 寺西はこの地に赴任するとすぐ農村をくまなく巡回し、その荒廃ぶりを目にします。そして、ただちに農村·山村の復興へと乗り出しました。寺西は、橋の修築や護岸工事などの土木行政を推進します。こうした施策は社会資本の整備を進めるとともに、雇用を生みだす効果もありました。あるとき、寺西は村人たちに、公園づくりを命じます。その公園は現在、塙町の中心にある向ヶ岡公園です。庶民の遊楽の地として造成されたものでしたが、寺西はその工事によって飢饉で苦しむ周辺住民に仕事を与え、生活を支えようとしたわけです。公共事業には、貧民救済の目的もあったのです。
 また寺西は、思いのほか農村に子供の姿が少ないことに目を留めます。当時、貧しいこの地域では、生まれた子供を間引きする習慣が蔓延していました。農村の復興のためには人口の増加を図ることが不可欠だと考えた寺西は、間引きを止めさせるために「小児養育金制度」を創設します。具体的には、子供が生まれた家には養育料として一~二両を支給し、さらに困窮者には籾二俵を支給するなど、貧しい家でも子を養育できるようにしたのです。
 そのほかにも、労働人口を増やし地域活性化を図るために他国からの住民移住を奨励したり、領内各地で心学講和会を開いて農村の教化に努めたりするなど、寺西の民政は多岐にわたり、その成果は近隣の諸藩からも注目を集めるようになります。寺西本人も、民衆からの尊崇を集めるようになりました。文政十年二月十八日に寺西は七十九歳にして他界しますが,その知らせが領内に伝わると、村人たちは慟哭し、父母の死に遭ったかのように別れを惜しんだといいます。
 その遺徳をしのび、領内各地には寺西を祭神とする寺西神社や寺西大明神が建立され、顕彰碑、頌徳碑も建てられました。また、子供の養育にも力を尽くしたことから子育ての神と称えられたため、今も残る塙町の代官所跡には、寺西を偲んで「子育て地蔵尊」が祀られています。地域の婦人たちは毎月ここに集い、子育て祈願に訪れる人に寺西の教えを説いています。子供を大事にすることで荒廃した地域を立て直すという寺西の発想は、近代以降の人権思想にも通じるものと言えます。
 寺西のように、民政を重んじる代官はこの時期、各地に現れました。代官の民政をたたえた記念碑や顕彰碑、さらには生前から代官を神としてまつる生祠は全国で九十一ヵ所にのぼり、そのうち江戸時代に建てられたものは七十六カ所を数えます。対象となった代官は四十三名に達します。
 彼らは、その善政や行政手腕によって民衆の支持を集めた、いわゆる「名代官」でした。こうした名代官の存在に象徴される、人びとの生命と生活を重視する善政が行われることで、未曾有の天災や飢饉によって疲弊した江戸時代の社会は危機を脱し、農村の復興へとつながっていったのです。水戸黄門などのテレビドラマによって「代官」といえば今ではすっかり悪人ですが、江戸時代のとくに後半以降、この国の行政を現場で支えていたのは、彼ら代官たちと、村の庄屋の努力でした。幕府でも藩でも郡奉行や代官には、武士のなかから、学問のあるそれなりの人物をつけることになっており、彼らは悪人どころか、むしろ能力の高いエリートも多かったことを申しそえておきます。

磯田道史「さかのぼり日本史⑥“天下泰平”の礎」
第2章 飢饉が生んだ大改革


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スーパー銭湯(続き)

IMG_20171119_135317.jpg スーパー銭湯の続き。

湯上りのビールはおいしい(はず)。
このこの銭湯には、ちゃんとレストランが併設されている。

チェックインのとき、前にいた客が、食事だけですか、お風呂も入りますかと聞かれていたようだから、レストランだけの利用もできるらしい。


さて、湯上りのビール。
事前にネットでこの施設のホームページを見たら、「氷点下ビール」というのを出しているらしい。
「氷点下ビール」というのは、以前からその存在は知っているのだが、どこの店でも出すものではないから、今までめぐりあう機会がなかった。
ということで、今回、初体験。

IMG_20171119_140240.jpg まぁ、最初の一口だけのことである。
何かで、冷やしすぎのビールは、本当はおいしくないという論評を読んだことがある。最初のうちはその低温に値打ちがあるのだけれど、変にちびりちびりやって、残ったビールは、まるで気が抜けたようで、あまり良いものとは思えない。
それと、ビールの質にもよると思うけれど、ビール独特の苦みが乏しい。これならビールじゃなくて、ビール風の飲料をギンギンに冷やすほうが良いかもしれない。

ウォッカはフリーザーでしっかり冷やして飲むのがうまい。


P_20171119_142313_vHDR_Auto.jpg 食事は、十割そばが目にはいったので、それの天ざるにした。
特別なものということではないけれど、きちんとした衒いのない、良いそば、良い天ぷらだった。
エビは小ぶりだけれど、プリプリして旨味もあり、サクッ、カラッと揚がっている。
そばは、しっかりしまっていて、やはり十割なんだろう、粉っぽさのない素直なそば。
つゆも特別な工夫は感じられないけれど、変に凝ってないから食べやすい。

食後は喫煙コーナー。
ここは部屋ではなくて、内庭といったところにある(したがって寒い)。
P_20171119_142842_vHDR_Auto.jpg 実は、露天風呂の隅にも喫煙コーナーがあるのだが、普通、風呂に入るときにタバコを持って入る人なんていないと思うのだけれど、ここを使う人っているんだろうか、というか店側はどういうつもりなんだろう。

スーパー銭湯を堪能したわけだが、自宅からここまで車で30分はかからない。近いといえば近いのだが、実は、もっと近いところに2店ある。そして、来年か再来年に自宅最寄駅のすぐそばにも1店開業するらしい。
過当競争にならないんだろうか。そのぐらい需要があるということだろうか。




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スーパー銭湯

P_20171119_142921_vHDR_Auto-crop.jpg JAに定期預金したら、近くのスーパー銭湯の招待券をくれた。
上方温泉 一休 京都本館というところ。

「昭和の宴会」と私は呼んでいるのだけれど、以前は、職場の慰安旅行の定番は、一泊二日で温泉へ行って宴会をするというものだったから、いわゆる温泉旅館というものは珍しくもない。

しかしスーパー銭湯と銘打っている施設は、いままでご縁がなかった。
普通の銭湯とどこが違うのか。
ズバリ、値段でしょう。

以前、なじみの電器屋があったのだけれど、注文を頼むと「ええ品ですなぁ」とおっしゃるので、わかりますかと聞いたら、「この値段やったらええもんに決まってますわ」と。


P_20171119_122507_vHDR_Auto-crop.jpg ということで、昨日はスーパー銭湯「上方温泉 一休 京都本館」へ。

ここは温泉旅館風にしつらえてあって、山の中とまではいかないが、郊外の落ち着いた和風の建物。
季節が季節だから、紅葉も美しい。

日曜日とあって、客はそれなりに入っている。
10人ぐらいの団体客もいるようだ。
私より歳上の人が半分ぐらいだろうか、40代とおぼしき人も結構いる。子供連れも。

P_20171119_134234_vHDR_Auto-crop.jpg 入口のカウンターでキーを渡してもらうのだが、これにICチップが付いていて、温泉内の飲食・サービスはこのICチップで処理される。通信をしているのか、チップに書き込まれるのかはわからないが、チェックアウトのときに清算される。財布をもたずにすべてのサービスが受けられるのは便利である。

脱衣場で服を脱いで、丸裸でタオル一本で、浴場への入口をさがしてウロウロ、ブラブラしていたら、「いらっしゃいませ、ごゆっくりどうぞ」という、若い、そしてなかなかかわいい女性係員の声、そして目があってドッキリ。

場内整理整頓のためらしい。
ここでぐっと付き出したりしたら騒がれるのだろうか。そこにいるほうが問題だと思うが。
そういえば、湯につかっていたら、男性の係員が湯のチェックに来ていたが、女風呂も回っているのだろうか。


P_20171119_122619_vHDR_Auto.jpg お風呂のタイプはいろいろあるが、まず「ころあいの湯」という普通の風呂で体をあたため、それからサウナに入って汗を流す。それから体を洗って、こんどは露天風呂へ。
露天風呂もいろんな風呂があるのだが、お湯の違いは良くわからない。
また、露天にも、サウナがあって、ここでは塩を摺り込んでじっくり温まる。

再度、内風呂で、こんどは炭酸泉。
最後に、もう一度「ころあいの湯」に入って、水風呂でひきしめる。
P_20171119_122623_vHDR_Auto.jpg すべての風呂を制覇し、そして最後にやはり「ころあいの湯」に入って、体をあたためてあがる。

浴場の様子やどんな風呂があるのかは、施設のホームページをご覧いただきたい。さすがに浴場内は写真撮影禁止なので。


「ころあいの湯」は少し熱めなのだが、ほかはどれもややぬるい。
だから、最後はやはり「ころあいの湯」でしっかり温まろうというわけだ。

この間、約1時間。
大いに満足したけれど、それなりの料金だからまた来るかどうか、やや微妙。
またJAで招待券くれないかな。

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古代東アジアの女帝

Higashi-Asia_no_jotei.jpg 入江曜子「古代東アジアの女帝」について。

「女帝」という言葉に惹かれて読んでみた。
同じ言葉をタイトルに使っている本としては、「女帝の歴史を裏返す」「美貌の女帝」、いずれも永井路子の著作。

永井氏の著作もだけれど、歴史として残っている事実の断簡を、どう整列してストーリーとするのか、とりわけ古代史ではその幅が広いように思う。

本書の大きな特徴は、具注暦、そのうち十二直と呼ばれる吉凶占いが、政治日程に影響しているという着想。

普通の史料集に十二直が記載されているとは思えないから、著者は残されている日記などから(具注暦だったら掲載されているだろう)十二直を確かめているのだろうか、それとも十二直も陰暦がわかれば計算で求められるものだから、そうしたのだろうか。
ところで、現代日本では、結婚式や葬式などの日取りに良く参照されるのは六曜だが、六曜というのはあまりにも単純に決められて誰にでもわかり、ありがたみがないから、旧暦時代にはまったく人気がなかったという。江戸時代には「下段」といわれる吉凶が重視されていたらしい。さて、簡単に計算でわかる十二直にありがたみがあったのだろうか。

天皇の即位とか、戦の開始などの重大な日程決定に、これらの吉凶占いが使われたはずだとし、そこから逆に当時の意思決定の流れを読み解こうとする。

第1章 推古―東アジア最初の女帝
第2章 善徳―新羅の危機を救った予言
第3章 皇極―行政手腕の冴え
第4章 真徳―錦に織り込む苦悩
第5章 斉明―飛鳥に甦る使命
第6章 間人―禁断の恋に生きた幻の女帝
第7章 倭姫―王朝交代のミッシング・リンク
第8章 持統―遠謀にして深慮あり
第9章 武則天―男性社会への挑戦
こうした推論にお目にかかったのは今まで記憶にないが、それなりに説得力は感じた。しかしながら、やはり傍証の域は出ないように思う。
著者のかなりぶっ飛んだ主張を信じるには、やはりもっと具体的な論証が欲しい。

著者は、当然であるが、女帝の実力というものをかなり高く評価する。
それに対し、従来、孝徳天皇をないがしろにするほどの実力者とされてきた中大兄(天智)を、それほどでないとし、中大兄が活躍した時代の女帝―斉明・間人をクローズアップする。間人(孝徳妃)は、帝位に就いたという説を立て、その宮は稲淵宮だという。
また、斉明についても、積極的な人物と評価されていて(皇極にも1章をあてているから同一人物に2章も使っている!)、普通は額田王の作とされる「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」は、斉明御製だとする。
持統にしても、天武のパートナーにして事業を継承したという以上に、頼りない天武を使って、父天智に対抗する姿を描こうとしているようだ。

こういうわけだから、本書の主張すべてを、ただちに真説と信じるのはためらわれる。

ところで本書は「東アジア」とあるように、朝鮮から善徳・真徳、中国から武則天の3人の女帝もとりあげている。武則天はともかく、善徳・真徳の2人の朝鮮の女帝については、ほとんど知識がない(韓流ドラマも見たことがない)から、著者の主張についてどうこう言えるものではない。
しかし、本書のもともとの問題意識、この時期に東アジアに多く女帝が立ったということに、何か必然性、あるいは関連性があったのか、これについては読み取れなかった。

う~ん、評価は難しい、それなりにおもしろいけれど。

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天ぷらそばのツライとこ

Wani_no_marukajiri.jpg天ぷらそばのツライとこ」というのは、
東海林さだおのエッセイ集「ワニの丸かじり」におさめられている一話である。
私は読んでいない。

その読んでもいない本の書評を書くことにしたのは、見ていたテレビドラマがとりあげていたから。
ドラマの原作とかそういうものではない。
ドラマの中の小道具として使われたものである。

ドラマはこの声をきみにというNHKが放送した連続もの(昨日、最終回が放送された)。
ノット・セオリーが専門の数学者が主人公で、その専門にかこつけてか、妻との離婚やら朗読教室の女性講師との絆やらの人間関係を描くもの。

ノット・セオリーについてはほとんど知らない。紐の位置関係を分類するものだけれど、その成果がどんなもので、どういう応用があるのかなど、全く知らない。なお、ドラマを楽しむのにノット・セオリーの知識は不要である。


vlcsnap-2017-11-16-15h15m20s76b.png さて、主人公の通う朗読教室の先輩から、自分が参加する朗読会に、意味深な言葉で招待される。
大人の男だけの朗読会で、欲望をむき出しにした会であるという。

そしてその先輩が朗読するのが、「天ぷらそばのツライとこ」なのである。
そのシーンがNHKの番組ホームページにアップされている(【朗読シーンのご紹介】天ぷらそばのツライとこ)。

YouTubeにも転載されている


vlcsnap-2017-11-16-15h17m37s174.png この科白というか朗読テキストを読んでみたくなったわけである。

実は、「天ぷらそばのツライとこ」でググったときにヒットした本のなかに
東海林さだお「偉いぞ!立ち食いそば」というのがあって、これに収録されているのだろうと勘違いして、こちらを図書館で借り出したのだ。

ところが、いつまで読んでもドラマで使われたテキストは出てこない。
この本を下敷きにして、脚本家がテキストを新たに書いたのだろうかと考えていたのだが、どうもそうでもないようなので、「偉いぞ!…」を読み終わってから、再度検索したら「ワニの丸かじり」に収録されていることがわかったという次第である。

もともとがテレビで放送された朗読シーンである。
目的の本は読んでいないわけだが、番組から(実際にはNHKの番組ページにアップされている動画から)、私が聴き取ったテキストを掲載しておこう。
最初なんとなく頑なな態度を見せていたかき揚げが、どんぶりの底で苦労を味わったせいであろうか、すっかりうちとけ、腰も低く、うってかわってやわらかくなっている。
苦労が彼を一回りやわらかくしたのだ。
周辺のつゆはいっそう脂っこくなっている。
このつゆをここで一口味わう。

浮上したかきあげはしばらくするとやわらかくなりすぎて、全身がぼろぼろになってくる。
苦労しすぎたのかもしれない。
この、ぼろぼろが、うまい。

ぼろぼろは次第にとろとろになり、ふわふわになって、もろもろになる。
このもろもろが、うまい。
このもろもろをそばとつゆといっしょにすすりこむと、うまい。

天ぷら油を吸った小麦粉のかたまりが、さらにそばのつゆを吸い込んだおいしさ。

一度かき揚げに吸い込まれた天ぷら油が、かき揚げの味を含んで脱出し、つゆと合体し、脂を含んだ小麦粉のかたまりと合体した、おいしさ。

あつく、うまく、しばし恍惚となる。

もろもろの間をぬって、ときどき紅生姜や、さくらえびや、たまねぎの味も、かすかにする。

真に迫る描写、そして朗読が、うまい。
ドラマで描かれたとおり、たしかにそば屋に走りたくなる。

が、待てよ、私も駅の立ち食いそばって行ったことがあるけれど、そんなに美味しかったか?
駅のそばで出汁の香りに惹かれる、それは良くある。
そして思いを決して、のれんをくぐって、落胆まではいかなくても、こんなものだろうなで終わる。

そば粉がどのぐらい入っているのか、小麦粉と黒の着色料だけでできているのではないかと思えるそば。

その小麦粉っぽいそばと、やはり小麦粉の衣ばかりの天ぷら。
単調で、同類相食むような醜さ。

いかにも濃縮原液を薄めた風のつゆ、質の悪い天ぷら油でぎとぎとになって、
そのぎとぎとが衣の残骸のもろもろと一体になって、ヘドロのように沈んでいる。

その頃にはつゆもぬるくなって。

それに私は、そばといえば冷たいもののほう、ざるやおろしが好き。熱いかけなら、ニシンそばに限る。
同系統の食べ物なら、天ぷらうどんであり、かきあげうどんであり、きつねうどん、つまりうどんである。
(昔の宇高連絡船の立ち食いうどんはおいしかったなぁ)

関西の駅にある立ち食いそばと、東京の立ち食いそばは違うのかもしれない。
もっとも、東京でも駅のそばは食べたことがあるけれど、エッセイが書けるほどとも思えなかったが。


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REGZAが中国製になるらしい

「REGZA」が中国メーカーに 東芝、テレビ事業を売却
 東芝は11月14日、テレビ事業子会社の東芝映像ソリューション(TVS)を中国の家電メーカー、ハイセンスグループ(Hisense、海信集団)に約129億円で売却すると発表した。売却は2018年2月末以降に完了する見通し。
 TVS株式の95%をハイセンスグループの中核事業会社に売却する。TVSは東芝ブランドの使用権を取得し、同ブランドでテレビの販売を続ける。
 経営再建中の東芝は、16年6月から映像事業をTVSに移管。だがTVSは17年3月期に437億円の売上高に対し61億円の営業赤字。今後、東芝は社会インフラや電子デバイスなどに注力する方針で、単独でのテレビ事業継続は難しいと判断した。
IT media 2017年11月14日
「サザエさん」のスポンサー、東芝が事業部門を次々に切り売りしている。

先日は、「REGZA」が中国メーカーに 東芝、テレビ事業を売却というニュースがあった。

記事によると、売却額は129億円だそうだ。
安いんじゃないだろうか?

こういうものの相場なんて全くわからないけれど、サッカーのネイマールの移籍金は290億円だったそうだから(⇒ネイマールの移籍金はどれほど凄い額なのか? )、その半分にもならない。

ネイマールが高いのか、REGZAが安いのか。

member_23152_1.jpg REGZAといえば、先だって安売り店の激安テレビの部品が東芝製ということでも話題になったけれど、商品としては悪くないと思う。
最近結婚した子供に、結婚&新居引っ越し祝いで、REGZAの49インチ4Kテレビを買って贈った。私が店頭で見比べて、同一価格帯なら、これが一番アピールしそうだと判断した商品。

テレビというのは、1台を家で見ているとどうということはないけれど、店頭で各社・各製品を見比べると随分と差がある。スペック(解像度、描画速度など)が違うものは明らかに違うけれど、数値上は同一スペックでも、各社にそれぞれ個性があるようだ。REGZAの色は比較的輝度・彩度が高いように思う。
昔、なじみの電器屋さんに聞いたところでは、各社ともNHKのテストパターンを利用して調整しているのだそうだ。こういうところでもNHKは放送の技術水準をしっかり維持していて、これを基準にするとのこと。

REGZA_Z700X.jpg
子供の結婚・引っ越し祝い。型落ちでちょっと安かった

ニュースを読むかぎり、REGZAはブランドとして残るようだ。
今までもハイセンスのテレビは店頭に並んでいたけれど、こっちはどうするんだろう。
高級品、普及品に分けてブランドを使うんだろうか。

ところで大谷翔平のメジャー移籍金はいくらだろう。



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修飾語ばっかり

若い頃、上司から「君たちの書いた文章は修飾語ばっかりや。それを抜いたら何にも残らん」と注意を受けたことがある。
もちろん、そこは素直にその通りだと反省した。

修飾語を使っている場合は大きく分けて二通りある。
一つは、その修飾語が意味しているところの実態があり、それを逐一記述すると文章が長くなってしまう場合。この場合は、具体例を記述することで、それらが含意する意味がわかる。
もう一つは、実はそうした具体例が思いつかないので、修飾語でごまかしているとしか言えない場合。

もちろん前者については、この修飾語は何を意味しているのかと聞かれたらきちんと答えられるのだけれど、後者の場合はそうはいかない。
ある人などは「君の文章を修正したら、最後の“。”しか残らんかった」などと言われていた。

Koike_Yuriko_Twitter.jpg 政治家の言葉も、この二つを注意深く聞き分ける必要がある。
日本に希望の星としてひとりひとりが輝くように私も必要なお手伝いをしたい。皆さんが、思う存分日本国民のために働けるようなそういう後押しをしていきたい。
何を言っているのか、言いたいのか、さっぱりわからない。

昔、ある人が「この事業が失敗することがあれば、そのときは、私はこの事業からきっぱり手を退く」と力強く言っていたのを思い出す(これでは「逃げ恥」だと思うが、単なる言い間違いだったかもしれない)。


Abe_Shinzo_Twitter.png もう一つ。
ただスローガンを重ねるだけでは、社会を変えることはできない。具体的な政策なくして、そのスローガンを現実のものとすることはできない。具体的な政策を提案し、実行し、そして結果を出していく決意だ。
前に「テンプレート人間」の記事を書いたけれど、これは典型例。
テンプレートは修飾語だけでできている。もちろん、この発言の裏には深謀遠慮があるのだろうけれど。

中味のない修飾語を連ねて文章を書くことを、「筆がすべっている」と表現したりする。私も上司の教えを守って、後輩などが書いた文章を読んだ時、そうした疑いがあるときは、この言葉の意味は何だ、具体的には何だ、と聞くことにしている。

ダラダラとつかみどころのない文章は「議会答弁」と言われる。しかし、本当の議会答弁でそんな文章だったら、曖昧な修飾語は、議員の突っ込みが入りやすい脆弱な部分になる。(ただし、時間消費のみを目的とするのであれば、作戦としてはありうるだろう。)

大昔、O府の副知事を務めたN氏は「役人はどの分野でも素人だが、文章だけはプロでなければならない」と仰ったそうだ。これは決して曖昧な修飾語をつないで文章を仕立てるという意味ではない。

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文明に抗した弥生の人びと

Bunmeini_koushita_yayoino.jpg 寺前直人「文明に抗した弥生の人びと」について。

専門家による弥生時代に関する知見の集成。
著者については全く知らないけれど、本書を読んで受ける印象では、数々の遺物・遺跡の分析・解釈、多くの論文の参照・比較などで日々を過ごす地道な研究者、ただし、自説へのこだわりもある、そういう感じ。

さて、この書名にある「文明に抗した」というのはどういうことだろう。
文明人に逆らったというような直接的な話ではない。ましてや今どき騎馬民族征服説というわけではない。

その答えが、祭器の解釈にある。
銅鐸の形状、出土状況から著者が推定するのは、銅鐸は属人的な威信財ではなく、共同体の財であろうということ。

銅鐸は、個人の威信を高め、階層関係を強化・確認するものではなく、むしろ階層関係を共同体の結合へと転換する働きをしたのではないか。銅鐸の大きさが、個人が持ち歩ける大きさから、それが無理な大きさになるのも、その意義がある、そういう解説がなされる。

弥生文化を疑う
―プロローグ
弥生文化像をもとめて
弥生文化の発見
二つの弥生文化像
農耕社会像の定着
水田登場前史
―限りある豊かさの縄文時代
縄文時代とは?
縄文時代の儀礼とその背景
土偶と石棒
水田をいとなむ社会のはじまり
―弥生時代早・前期
農耕社会の登場
水田稲作とともにもたらされた道具と技術
狩猟採集の技の継続と発展
水田稲作を開始した社会の人間関係
財産と生命を守る施設
東から西へ
―土偶と石棒にみる弥生時代儀礼の系譜
水田稲作開始期の土偶の起源
弥生時代の石棒
多様な金属器社会
―弥生時代中期
金属器社会と権力
青銅製武器の祭器化をめぐって
銅鐸と社会
石器をつかい続けた社会
文明と野生の対峙としての弥生時代
―エピローグ
つまり弥生から古墳時代への移行が、首長への権力・財の集中過程だとするなら、弥生人はそれとは逆の動きをしたということになる。
これが「文明に抗した」という書名の意味のようだ。
関連する部分を抜き書きしてみよう。

 出土状況からも、銅鐸の社会的役割は実用的な銅剣などのように特定個人に帰属してその権威を高め、「持つ者」と「持たざる者」の格差を明瞭とし、その格差を再生産させるためにもちいられたのではなく、「共同体」全体の所有品として、金属器の導入が進む社会にありながら、格差拡大を防ぐ機能がうかがえる。つまり、階層社会と強く結びついた外来金属器の階層性を拒絶し、特定個人に所有されにくい金属器体系を独自に確立したのである。

p.254 青銅製武器の祭器化をめぐって
/銅鐸の偏愛とその背景


Big_dotaku_Yasur.jpg 著者は、弥生以前、つまり縄文から弥生へという変容は、東から西へ起こったと主張している。
土偶や土器、石器などの文化要素の出土状況から見てそう判断できるという。

繰り返し述べられるのは、縄文とか弥生とか言っても、日本列島全域が同じようになっているわけでは、けっしてないということ。


対して、弥生から古墳時代への変容は、やはり西から東へ起こったとする。
そのとき、近畿南部はむしろ取り残された時期があるという。

 ただし、その反動は、すぐにやってくる。興味深いことに、弥生時代中期後葉以降、権力集約型の社会統合の痕跡は銅鐸と石製短剣の盛行地であった近畿地方南部をさけるように東へ拡大する。さらに紀元後1世紀、弥生時代後期段階になると、日本海沿岸では京都府北部の丹後地域を中心に、鉄剣を軸とする階層的な墓制が発達する。同様の墓制は山陰地方や北陸地方にも拡大し、中部高地から関東北部でも金属製装身具や鉄剣を有する厚葬墓が展開していく。近畿地方南部は、その流れに一人とり残されていったのである。

p.278 石器をつかい続けた社会/とり残された近畿南部社会とその後


非常に細かく、専門的な記述が満載で、考古学に詳しくない私にはほとんどが「そういうものなのか」と半信半疑というところも多い。
そうした細部の論戦の積み重ねが、考古学的知見を進歩させていく、それは理解できる。
そして教科書的にまとめることの陥穽についても。

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テンプレート人間

template_tn751_01.jpg 昔から、ある種の人を「テンプレート人間」と呼んでいる。

言葉そのままだと「型で押したような人」という意味になるけれど、私の使い方は、その人が言うことがテンプレートばかりで、内容・実質については語らない人のこと。

つまりこういうことだ。
会議などの席で、

問題点を明らかにして、課題を設定し、その解決策を検討する。

というような発言をする人のこと。

こういう人は、実は優秀な人が多い。
如才なく仕事をまとめる能力があると言って良い。

この言葉を思い出したのは、テレビで報道されている政治家たちの主張を聞いていて。曰く、
  • 未来を作り、時代を切り開いていくという思いで、しっかりとした信頼できる政党に育て上げ、力を合わせてこの国を担う。その先頭に立つ覚悟で頑張りたい
  • 安倍政権としっかり対じし、打倒を目指して戦っていくというスタンスを明らかにする。党の基本的な立ち位置や方向性を示し、多くの同志の賛同を得たい

政治家の公約とか、マニフェストっていうのは、だいたいがフィージビリティを欠く。具体的な手順とか、予算裏付けなどが吟味されていないものが多い。
「年金財政の健全化」というのが、掛け金の値上げや支給開始年齢の引き上げだったりするから、なんとでも言えという気にもなる。

そして、フィージビリティがないと批判すると、主張はこうなる。

問題点を明らかにして、課題を設定し、その解決策を検討し、
あらゆる選択肢を比較衡量し、フィージビリティを明らかにし、ロードマップを示す。

ずっと良くなった、いや、そういうふうに直せと言っているわけじゃないんだけどな。

これと対極にあるのが「職人」。
経験に裏打ちされた直感で仕事をする。暗黙知の世界。

テンプレートが悪いわけではない。
Microsoft PowerPointなどには、立派なテンプレートが用意されている。
このテンプレートに沿って、中味をきちんと書けば、わかりやすいプレゼンテーションができるだろう。

しかし、テンプレートを知っているだけでは、問題解決にはならない。
テンプレートと(暗黙)知の両方あって、整理されたコンテンツができあがる。

2017-11-10_110230.jpg

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休刊日

Haritsuke
*画像クリックで、元画像⇔フィルター画像
本日は、月例の休刊日。


休刊日名物のエロい画像。
ネット(BuzzFeed)で拾ったもの。

ダフネの話を思い出します。



















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国宝展

P_20171111_135358_vHDR_Auto.jpg 昨日は、京都国立博物館の特別展「国宝」。

道中のバスの中で博物館のツィッターを見ると、待ち時間はゼロ、ただし会場は混雑ということだった。
ということで、すっと入場したのだけれど、会場内は、とてもゆっくりとみられるような状態ではなかった。

順路どおりに動いていたのでは人の後頭部ばかり見ることになりそうなので、会場案内の人の「空いたところから自由に見てください」に従うことにした。

IMG_20171111_135918-crop.jpg いつもは音声ガイドを借りるのだけれど、ここも待ち行列が長いし、とてもガイドの順で見られそうにもないから、これもパス。

1階は人がぎっしりなので、階段で2階へ。
そうすると、2階から仏像の展示を見下ろすことができた。暗い展示室に、輝く大日如来。
あとでゆっくり見ることにして、空いている展示室を回る。

比較的すいている部屋が、なんと、今回の私の目当てだった、長谷川等伯の「松林図屏風」。
もう、これだけ見たら来たかいがあるというもの。
今まで気づかなかったけれど、左隻の右上の方は山影だろうか。

touhaku_matubayashi_left.jpg touhaku_matubayashi_right.jpg


そして同じ展示室の反対側には、丸山応挙の雪松図屏風。
ふわっと、また、ぽったりと雪が積もった松の姿。近寄って単眼鏡で見ると、雪が積もっているわけではない。紙だ。
少し離れると、丸みのある雪の積もり具合がなんとも言えない。
気になるので何度も近寄って単眼鏡で観察するのだけれど、やはり紙の色か。
下はネットで拾った画像だけれど、実物はこんなに彩度は高くなかったと思う。

Oukyo_yukimatuzu.jpg



P_20171111_181619_vHDR_Auto.jpg 他の目当てはやはり「金印」。
金印は、今回の展示の目玉のようで、最前列で見たい人は長蛇の列、30分待ち。並ばないとみられないのかと思ったが、なんのことはない、金印のまわりをテープで区切って、その外側から見るのなら別に並ぶ必要はない。テープの位置は展示ケースから1mも離れていない。30分並んでまで最前列で見る必要はあるだろうか。それに私は例によって、単眼鏡を持って行っているから、最前列の人の切れ目から鑑賞させてもらった。
また、最前列の人は、金印に限らずどの展示でも、立ち止まらないでくださいと係員に言われるから、落ち着いて見られないんじゃないだろうか。

P_20171111_151930_vHDR_Auto.jpg


P_20171111_152050_vHDR_Auto.jpg さて、この展覧会でも、バックパックの人、手をつないでいるカップルなど、邪魔な人がいたけれど、びっくりしたのは大きなベビーカーで入場している人がいたこと。中の赤ちゃんは展示物を鑑賞したりせずすやすや寝ていたようだ。もっともベビーカーの上は空間ができるわけで、後ろから鑑賞するには案外都合が良かったりする。

ミュージアム・ショップもなかなかの混雑。
私は図録を買ったのだけれど、重たいものだから、その場で発送手続きもできるようになっていた。

大規模な学会などでは、会場に郵便局が来るようだが、それと同様か。

たくさん売られていたのは金印。金印ストラップ、金印スタンプなど。他にもカードなどもあったかもしれない。
なお、上に掲載した写真は、私が以前、大阪府立弥生文化博物館で購入したレプリカ。原寸大で実物に忠実に作られたもの(ただし材質は金ではない)。
P_20171111_172659_vHDR_Auto.jpg
ところで、この展覧会もオンライン・チケットを利用した。
先日、珍之助さまが、半券が欲しいからオンライン・チケットは使わなかったと書いておられたが、オンライン・チケットのチェック口で、係の人が「半券いりますか?」と聞いてくれる。
もちろんいただきました。

私の前の人が先にもらって、ちょうど半券が切れたところだったのだが、くださいというと、チケット・カウンターのほうへ取りにいって渡してくれました。




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チンアナゴの日

Churaumi_DSC_0031s.jpg 今日、1111日は「チンアナゴの日」だそうだ。
前の日曜日のNHK「ダーウィンが来た!」はチンアナゴを取り上げていたが、冒頭で11月11日はチンアナゴの日と紹介していた。

「チンアナゴの日」は、Wikipediaによると東京のすみだ水族館が決めたらしい。
もっとも1が4つ並ぶという特異な日付だから、これに目を付けていろんな「○○の日」がある。
  • サッカーの日
  • 煙突の日
  • ライターの日
  • もやしの日
        :

そういえば、昔、電車の定期券を買うのに、平成11年11月11日に期限がくるように買った覚えがある。そうなるように、直前の定期券が切れてから何日か切符を買っていた。そこまでやったのに、その使い終わった定期券がどこにあるのかわからない。捨ててしまったか!?


「チンアナゴの日」を決めたのはすみだ水族館ということだが、チンアナゴ自体は、インド洋、西太平洋の熱帯域に分布し、日本では高知県から琉球列島にかけて分布するということで、本場はむしろ沖縄。
美ら海水族館にも展示されていて、それなりに注目を浴びていた。

(上の写真は美ら海水族館で撮影したもの)


ウナギは絶滅が危惧されているが、チンアナゴは大丈夫だろうか。
というか、これって食べておいしいものだろうか。食材として販売されていないけど。

そういえば、中国では「独身の日」(双十一、光棍節)。
バーゲンセールの日になっている。そして大量の買い物を捌くために、中国のICTはどんどん進歩しているようだ。

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怖くて眠れなくなる植物学

はじめに
 
PartⅠ 植物という不気味な生き物
何度でも蘇る
不老不死の生き物
超大国を作ったイモ ジャガイモ
命短く進化する
トウモロコシの陰謀 トウモロコシ
利用しているのは、どっちだ キャベツ
人類が働かなければならない理由 ヒトツブコムギ
人間が作りだした怪物 メキャベツ
ゴジラに登場した植物怪獣 オレタチ
植物と動物の違い ミドリムシ
私たちの祖先と植物の祖先 ミドリアメーバ
雑草は抜くほど増える
除草剤で枯れないスーパー雑草 チューリップ
バブル経済を引き起こした花
 
PartⅡ 奇妙な植物
もし、あなたが虫だったら ハエトリソウ
人食い植物の伝説 デビル・ツリー
これが、仏の仕打ちなのか マムシグサ
ジャングルの人食い花 ラフレシア
黄色い吸血鬼のパラサイト生活 ネナシカズラ
絞め殺し植物の恐怖 ガジュマル
歩き回る木 ウォーキングパーム
ライオンを殺す草 ライオンゴロシ
美しき悪魔 ホテイアオイ
植物は逆立ちした人間である
植物に感情はあるか? ドラセナ
墓場に咲く花の理由 ヒガンバナ
動物を生みだす木 ワタ
幽霊は柳の下に現れる ヤナギ
「白鳥の王子」の真実 イラクサ
不幸のクローバー シロツメクサ
天変地異がやってくる タケ
伝説のケセランパサラン ガガイモ
 
PartⅢ 毒のある植物たち
毒の森でリフレッシュ
毒を使うプリンセス ベラドンナ
その声を聞くと死ぬ マンドレイク
ブスになる トリカブト
魅惑の味はやめられない コーヒーノキ
変わり果てた姿に セイタカアワダチソウ
お菊さんの呪い ウマノスズクサ
七夕の真実 ホオズキ
麻酔の始まり チョウセンアサガオ
植物の毒の誘惑 カカオ
 
PartⅣ 恐ろしき植物の惑星
共生の真実 マメ科植物
操られしもの ドクムギ
アインシュタインの予言
密閉された空間
葉っぱ一枚に及ばない
蘇る古代の地球
 
おわりに
稲垣栄洋「怖くて眠れなくなる植物学」
同じ著者に「面白くて眠れなくなる植物学」という本があって、これはそれの続編というか、二番煎じ。

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何かで読んだ、あるいはどこかで聞いた話が多くて、全くの初耳というのはそう多くない。
植物に詳しい人なら、知っていることばかりかもしれない。
だけれども、表現のしかた、言葉の選び方で、知っている人にも興味が湧くようにできている。
前著「面白くて…」の方は読んでいないけれど、そちらもきっとそうなのだろう。

以前、「面白くて眠れなくなる進化論」のことを書いた。このシリーズなのだろう。


ということで、特に書評として書くことはやめて、目次と、それぞれで言及されている植物名の一部を掲げておく。

ところで、PartⅢの2節目「毒を使うプリンセス」のところで、「ラドンナ」が全部「ラドンナ」と先頭が清音で記載されている。こんな有名な植物の名前を間違うはずもないから、念のためにネット検索してみたが、やはり「ヘラドンナ」というのはない。
どうしてこうなったのだろう。


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フィッシング・メール

2017-11-08_093416m.jpg 登録している通販サイトから、偽メールに注意というメールが来た。
昨年は、宅急便や銀行を装ったフィッシング・メールが話題になったが、どちらも、注意喚起のメールが来ていた。

この種のフィッシング・メールは次々に出てくる。
メールを出すコストは極めて低いから、何万人かに一人でも、迂闊な人がひっかれば目的を達したということだろう。

残念ながら、私には未だ、この種の悪質なフィッシング・メールが来たことがないのだけれど、ウィルスが添付されていたり、フィッシング・サイトへ誘導するリンクが掲載されていたりするということで、間違って添付ファイルを開いたり、リンクをクリックしないようにしなければならない。

2017-11-08_094658m.jpg 有名になった宅急便の偽メールだが、本物の配達案内メールの場合は、メール本文に登録者の宛名が記載されている。あきらかに個人宛ての内容なのに宛名が書かれていないのは疑うべきだろう。
楽天などの通販に関わるメールも、注文の確認や発送の案内などのメールは、やはり同様に本文中に宛名がきちんと記載されている。

上に掲げた注意メールには宛名は入っていないけれど、注意メールを装ったフィッシング・メールだってありそうだから、このような顧客全員に送るメールでも、本文中に宛名を記載したほうが良いのではないだろうか。

正規に登録しているサイトであれば、登録者の名前を捕捉しているはずだから、そのサイトがハッキングされていなければ、本文に宛名が記載されていれば、信用性が高くなるだろう。

あるいは、この頃は、同じメールアカウントで登録するサイトも多いから、Googleなどのメールアカウントがハッキングされたら人名がリンクして、本文に名前を埋め込んだ、より巧緻なフィッシング・メールを出せるかもしれない。

Screenshot_20171108-222911.jpg メールアカウントのハッキングは実は大変おそろしい。
実際、企業のメールだけれど、乗っ取ったメールアカウントで成りすまして、取引先へ請求書を送付して、多額の代金をだまし取ったという事例がある。「先ほどの請求書の振込先口座はこちらに変わりました」という内容のメールを送ったものという。
メールぐらいと軽く考えていると、とんでもない犯罪に巻き込まれる。LINEでもあったが、知らずして成りすまされ他人に大迷惑をかけることがある。

知り合いで、利用者登録するときに、わざと名前の漢字を変えるという人がいた。「六二郎」を「六次郎」というふうにする。そうすることで、覚えのないところからメールが来たときに、「六二郎」か「六次郎」かを見て、情報の漏洩元がわかるだろうという配慮である。(実際にそういう漏洩があったという話は聞いてないが)

ところで、どういうフィッシング・メールが出回っているのか、注意を喚起してくれるサービスがある。
内閣サイバー(注意・警戒情報)というツィッターを利用したもの。
私もフォローしているのだけれど、まだまだフォロワー数は少ないようだ。
邪魔になるほどツィートされるわけではないので、フォローするのも悪くないと思う。

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戦争の日本古代史

senso_no_kodaishi.jpg 倉本一宏「戦争の日本古代史」について。

本書はまず「倭奴」という言葉を知っているかと問いかける。
韓国・中国ではたいていの人が知っている言葉だそうだ。字面から見る限りこれは蔑称(英語の"Jap"、中国語の"東洋鬼"みたいなもの)、したがってこの言葉が表だって発せられることはないようで、日本人にはあまり知られていないという。
私も「倭奴」という言葉が今も使われているとは知らなかった。

著者は金印の「漢委奴国王」は「奴国」(なこく)ではなくて、「倭奴国」(わどこく)かもしれないという。もっとも「委奴」とひとまとまりにするのは「いと」(伊都国)という読みなのかもしれないし、魏志倭人伝では「奴国」と書かれている(これが「倭奴国」と同じかどうかはわからないが)。


「夜郎自大」という言葉がある。夜郎国が漢の強大さを知らず、自分たちが一番強大だと思っていたという話である。これは漢の時代にできた言葉だが、もしもう少し後だったら、「倭奴自大」という言葉になっていたかもしれない。

はじめに 倭国・日本と対外戦争
第一章 高句麗好太王との戦い 四~五世紀
1 北東アジア世界と朝鮮三国
2 百済からの救援要請
3 高句麗との戦い
4 倭の五王の要求
第二章 「任那」をめぐる争い 六~七世紀
1 百済の加耶進出
2 新羅の加耶侵攻
3 「任那の調」の要求
第三章 白村江の戦 対唐・新羅戦争 七世紀
1 激動の北東アジア情勢
2 新羅との角逐と遣隋使
3 唐帝国の成立と「内乱の周期」
4 白村江の戦
5 「戦後」処理と律令国家の成立
第四章 藤原仲麻呂の新羅出兵計画 八世紀
1 「新羅の調」
2 新羅出兵計画
第五章 「敵国」としての新羅・高麗 九~十世紀
1 「敵国」新羅
2 新羅の入寇
3 高麗来寇の噂
第六章 刀伊の入寇 十一世紀
1 刀伊の入寇
2 京都の公卿の対応
終章 戦争の日本史
1 蒙古襲来 十三世紀
2 秀吉の朝鮮侵攻 十六世紀
3 戦争の日本史―近代日本の奥底に流れるもの
おわりに
もっとも日本に限らず、多くの国は隣国からは嫌われたり、蔑まれたりするのは普通のことで、このことだけでケシカランなどと言うことはない。

また、本書で再三語られる―歴史上繰り返されているのは、日本では、卑下する意識と同時に、小帝国意識、神国意識が醸成されてきたこと。
金印を授かってありがたがる水準から進歩していくわけだ。
これは日本書紀に記載されない600年の遣隋使以来、連綿と続いている。

もっとも為政者はそんなに単純ではない。
「裁兵」という言葉がある。白村江の戦いはそれだったのではないかという。
おそるべし中大兄。


もっとも、こうした自尊感情も、日本にかぎるわけではない。
古代ローマもそうだったろうし、アーリア民族が優秀でアーリア人の国が世界を統治すべきだと言って世界戦争を起こしたのもそう遠い昔の話ではない。

本書では、自惚れと自虐が同居する日本人の意識が、対外戦争で顕在化することが示される。

「屈折した意識」というような言い方をすると、それは自虐史観だと言う人がいるかもしれない。
しかし、自分を見つめるということは、そして自国の歴史を見つめるということは、国際社会でこの国が生きていくうえで必要なことだろう。
世界的な視野、相対的視点をもって自己を評価することができないと、それこそ「倭奴自大」となってしまうだろう。

ちゃんとした書評は、磯田道史氏が書いておられるので、そちらを参照いただきたい。

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マナミの次はミナミ

昨夜は、年に1、2回集まっている、昔の仕事仲間の宴会。(前回はこちら)

場所は、今の職場の宴会でも使ったところ。(場所はこちら)

というわけで、変わりばえがしないといえばその通りだけれど、こういう定例的な集まりがあること自体、年寄りには悪いことではない。
メンバーの中で定年前の現役は2人、うち1人はまもなく、「こっち側」に来る。

開宴がなんと19時である。私としては18時にしてもらいたいところだけれど、職場が遠い現役が一人(幹事)いるので、19時でないと難しいのだそうだ。

その職場は、O市内で、建物は超高層だからどこからでも見えるぐらい。
同じ会社の人で、「そこに見えてるのになんでこんなに通勤時間がかかるんや」と文句を言ってたのがいた。


で、開宴までやたら時間があったので、今まで行ったことのない本屋で時間つぶし。
IMG_20171106_181027.jpg


そして会場へ。
IMG_20171106_184713.jpg

この3月末で定年を迎えたメンバーからのお土産。
P_20171106_221216_vHDR_Auto.jpg

一応、この方の会費はみんなで負担することに(当然でしょ)。

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橋本マナミのフル・ディープ・ヌード

FabPlayer_[20171105-225105-778]-crop NHKがやってくれました。
橋本マナミのフル・ヌードを独占放送。

NHKも大したものだが、何より、それに応じた橋本マナミさんの決断に拍手。
そして、情け容赦のないカメラに全身を曝し、見事な画像を見せてくれた。

なんといっても橋本マナミといえば、珍之助さまも認めるセックス・シンボルである。
放送内容が事前にもっと丁寧かつ頻回にPRされていたなら、視聴率は格段に上がったに違いない(たぶん)。

私も橋本マナミさんのヌードが放送されるとは全く知らなかった。


その衝撃の画像をアップするが、ショックを受けてはいけないので、見たい人だけボタンをクリックしてください。




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日本シリーズ、決着

2017-11-05_001002.jpg 昨日、プロ野球日本シリーズの優勝チームが決まった。

ソフトバンク3勝のあとDeNAが2連勝、昨夜の第6戦で、ソフトバンクがサヨナラ勝ちという結果。
DeNAはセリーグ3位からCSを勝ち上がっての日本シリーズ出場、そして3連敗のスタートだったから、もし4連勝逆転優勝したら、これはもう当分の間破られない「下剋上」になるところだった。

私はどちらのチームのファンでもない(というか、近鉄がなくなってからどこのファンでもない)けれど、日本シリーズではパリーグのチームに肩入れすることにしている(応援とまでは言いにくい)。
前にも書いた覚えがあるが、パリーグは観客動員が少なく、ずっと冷や飯食いのような状態だったから、ちゃんと応援しないとと思っていた。
そして、今やパリーグは各球団が努力を重ねて、観客も増えた。以前は、年間予約席の分を入れても観客1000人未満ということもあるほどだったのが、随分と盛況になっている。

ということでソフトバンク、優勝おめでとう。

それにしても、サヨナラのホームイン、明らかにタイミングはアウト。バックホームがそれていなければ、3アウトチェンジのところだった。
いや、その前に、松田の内野ゴロで三塁封殺のあとの一塁への送球が高くなければダブルプレーで3アウトチェンジだったに違いない。
そもそも、9回裏、内川の同点ホームランがなければ・・・・・・

思い立って深夜にこの記事を書いているが、試合終了から1時間もたたないうちに、優勝シーンのビデオがネットに大量にアップされていた。上の写真はそれのスクリーンショット。
みんなようやるなぁ。著作権はどうなってんだろう。

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Ploom TECH真正バッテリー

P_20171103_105450_vHDR_Auto.jpg ようやくPloom TECHの真正バッテリーが手に入った。
オンライン販売しかなかったが、それも品薄で中止されていて、ようやく今年6月から抽選販売となった。
ひたすら抽選に応募し、落選を続け、残念賞的な優先販売が始まったが、これも後回しとなっていた。

そして、ようやく11月1日から購入受付が開始され、直ちに購入手続きをとった。

11月から、他の多くの通販サイトもそうだが、送料が改定された。その新料金適用である。


正直なところ、別に真正品を買わなくても、パチモンで間に合っていた。
最初に買ったパチモンは安かった(1000円)が、しばらく使って充電に不安を感じたのでもう一本、2000円のものを買った。最初のものには吸引回数カウント機能は付いておらず、次に買ったのは真正品と同様、その機能が付いている。

Ploom TECHのカートリッジ(アトマイザー)は1本でたばこカプセル5個の吸引ができるリキッド(加熱してガスになる)が保持されていて、これがセットで販売されている。
しかし、喫い方によるとカートリッジのリキッドを使い尽くしたときにカプセルが余るということが起こる。ネットにはその趣旨の記事が散見され、中には、他の電子たばこ用に販売されているリキッドをPloom TECHのカートリッジへ充填する方法などの記事もある。
今のところ、Ploom TECHをそんなに喫うこともないので、そこまで面倒なことはしていない。

カプセルの交換時期は、慣れれば味の変化でわかるようになる(わからないなら一体何を吸っているのだろうということだ)。ではあるけれど、カウント機能が付いていると、思い切りよくカプセルを交換できる。

P_20171103_124115_vHDR_Auto.jpg

Ploom tech
PCで充電中
USB端子の付き方って上下が逆になってるものもあるように思うけれど、うちのPCの場合はOKだった。
さて、真正バッテリーの使用感、味について。
もちろん味が違うわけはない。バッテリーは単にカートリッジを加熱して、リキッドを気化させるだけのもので、味はカートリッジ、カプセルで決まる。これはJT純正しかない。

使用感の方だが、パチモンは真正品をマネているから、これもそう違うものではない。
真正品の方が少し短くて軽い。バッテリーのもちはパチモンも真正品も違いはないらしいから、使われている二次電池の性能が真正品の方が良いのではないだろうか。

真正品には、ケースと充電器(ACアダプタ)がついてくるが、これなどは無くても困るものではない。
Ploom TECHはペンのようなものだから、カバンのペンホルダーにすっと収まっている。

最大の違いは、敢えていえば、信頼感である。
バッテリーの劣化もパチモンよりはましだろうとか、カートリッジ加熱の電圧も適正だろうとか、そういった部分である。
あとは、本物を持つという自負。
たばこは趣味嗜好の品である。パチモンではみっともない。

この頃は、iQOSはあまり出番がない。
低いとはいえ独特の臭いがあるので、喫う場所を選ぶこと。そして充電が面倒なことや、Ploom TECHに比べて携帯しにくいことから、敬遠している。

iQOSのたばこはコンビニでも売られるようになったけれど、Ploom TECHのカプセルはまだ。
早く、コンビニでの取り扱いをはじめてもらいたい。

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定例の家人の付き合い

IMG_20171102_132655.jpg 昨日は、定例の家人の経過観察のお付き合い。
前回、山の日からの三連休の前日だったが、今回も、文化の日からの三連休の前日である。

元気なので、独りで病院にも行けそうなのだけれど、前回のように、再発疑い・処置が入ると、それはそれで負担がないわけではないだろうから、大事をとって付き合うことにしている。

今回は、特別な所見もなく、簡単に終了。
「まぁ、じっくり見ていきましょう』ということで、
次回は2月。


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サザエさんのスポンサー

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「サザエさん」エンディング(YouTube)
東芝が、テレビアニメ「サザエさん」のスポンサーを降りるらしい。

「サザエさん」といえば、日曜夕方になると「明日から出勤かぁ」と気が滅入る「サザエさん症候群」という言葉があるぐらい、定着した番組である。波平役の永井一郎氏が亡くなったときは、これからどうなるんだと多くの人が心配したことも記憶に新しい。(ドラえもんの声優変更もかなり話題になった)

また、アニメに出てくる家電製品は、どれも東芝製品を忠実に表現しているという噂もあるぐらい、東芝と密着したアニメである。

東芝「サザエさん」CM降板へ
来年3月末にも 東芝がフジテレビ系の国民的アニメ「サザエさん」(日曜・後6時30分)の番組スポンサーを降板する方向で調整に入ったことが31日、分かった。
 1969年10月の放送開始から約48年にわたりCMを提供してきた。経営再建中の東芝は今年6月、綱川智社長が会見で提供について「一定の有効価値がある」と継続の意思を示したばかりだが、綱渡りが続く経営状況から合理化が避けられないと判断し、広告大手の電通に申し入れた。
 「サザエさん」は日曜夜に家族がそろって視聴する人気番組で宣伝効果は大きい。後継のスポンサーが見つかれば、18年3月末にも切り替わる可能性がある。
 「サザエさん」へのCM提供は、もともと冷蔵庫や洗濯機といった東芝ブランドの家電製品をお茶の間に広く浸透させるのが狙いだった。しかし、家電市場が頭打ちになった1998年11月に1社提供を終了。さらに、15年には不正会計問題が発覚し、白物家電事業は経営再建の一環で中国企業に売却した。エレベーターや鉄道システムなどの社会インフラ事業に注力する方針を掲げており、スポンサーを続ける意味合いが薄れていた。
 「サザエさん」は1979年に番組最高視聴率39・4%を記録するなど、安定して高視聴率を出す長寿番組として愛されてきたが、昨年には1ケタ台も記録するなど、視聴率はやや低迷。今年は10%台前半で推移している。
スポーツ報知 11/1配信
東芝が不祥事や巨大損失を出して、「サザエさん」の継続自体があやぶまれていたが、東芝がスポンサーを降りることで済むのか、やはり「サザエさん」が終わってしまうのか、やはり気になるところである。

もっとも、私はこの番組を見る習慣はないのだけれど。


「サザエさん」には実写版もあって、最近は観月ありさがサザエを演じていた(私は見てないが)。昔、江利チエミが演じていたテレビドラマは記憶にある。川崎敬三がマスオだったと思う。

サザエさん学会というのもあって、「磯野家の謎」という本もある。
考えてみれば不思議な家族構成、東京なのに平屋で広い庭がある家、などなど、サザエさん一家の不思議なところが解説されているらしい(これも私は読んだことはない。週刊誌か何かの書評で知った範囲)。

子供の頃、家に幻灯機というものがあった。今ならスライド・プロジェクターというものだが、スライドだけでなくて、ロールフィルムも映せるもので、家には結構たくさんのロールフィルムがあった。要するに電気紙芝居。
その中に、「サザエさん」も2,3本あったと思う。4コマ漫画か、それに少し手を加えてコマ数を増やしていたものだったと記憶する。新聞にまだ連載されていた頃で、紙媒体はモノクロだけれど、このロールフィルムはカラーだったので、子供の眼にも鮮やかだった。

他に、「シンドバッドの冒険」、「おやゆび姫」など、子供向けのロールフィルムがあった。父が写真関係を趣味にしていたから、こういう幻灯機を買っていた。8ミリ映写機なども家にあった。今ならビデオやDVDだが、当時は8ミリで記録映画などが売られていた。
父が亡くなってから、これらがどこへいったのやら、よくわからない。残っていたらもう一度見てみたい。


さて、「サザエさん」が継続するとして、スポンサーが替わったらどうなるんだろう。
今までのような家電(東芝)製品を印象付けるシーンは減るのだろうか。
スポンサーによっては、サザエさん一家の行動も、変わってしまうかもしれない。

東芝一社スポンサーは既に終わっていて、今はカルビーやアース製薬もスポンサーに名を連ねている。
もし、この二社がスポンサーを続けるなら、これからは、
カツオはえびせんを食べ、サザエさんは、アースでハエや蚊を追い回すかもしれない。

あるいは、東芝の後にまた新しいスポンサーがついたらどうだろう。
自動車会社だったら、磯野家に自家用車が来たりするかもしれない。
携帯電話会社だったら、磯野家の面々もスマホを使うかもしれない。

私の知る限り、磯野家はいまだに有線電話だけではなかろうか。

そして、もし番組がなくなったら、「サザエさん症候群」もなくなって、めでたしめでたし。

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文庫本の図書館での貸し出し

「文庫本は図書館での貸し出し中止を」
文芸春秋社長が要請へ
 売り上げ減少が続く文庫本について図書館での貸し出し中止を文芸春秋の松井清人社長が要請することが分かった。貸出数の4分の1を文庫が占める地域もあるなどと実情を示し、13日の全国図書館大会で市場縮小の要因の一つと訴える。
 2015年の同大会でも新潮社の佐藤隆信社長がベストセラーの複数購入を出版不況の一因と主張。その後、図書館側が「因果関係を示すデータはない」と反論し、議論は平行線をたどった。今回は文庫に焦点を絞って問題提起する。
 出版社側の調べでは、文庫本の貸し出し実績を公表していた東京都内の3区1市で、15年度、荒川区は一般書の26%を文庫が占めた。ほかの区市では新書も合わせた統計で2割前後に上った。松井氏は「文庫は自分で買うという空気が醸成されることが重要」と訴え、一石を投じる。
朝日新聞デジタル 2017年10月12日
少し前のこと、出版社が、文庫本を図書館で貸し出さないでほしいと要請するという話があった。
図書館での貸出が多いと、本を買ってもらえなくなるという不安から出たようだ。

これに対して批判的な意見も多い。
もっともらしいのは、図書館の貸出が購入数を減少させるというデータの裏付けがないということ。
他にも、本が売れなくなったのは、出版社側の問題だという意見もあった。

ただ、文庫本の貸し出しを問題にするというのは不思議だ。
参照した記事にもあるが、2015年には、図書館のベストセラーの複数購入が問題視されている。

今回、同じことを言うのに気が引けたのだろうか。


文庫本の貸し出しが多いというのは私には良くわかる。
通勤電車≒書斎という人種にしてみれば、文庫か新書というのがとにかくありがたい。ハードカバーだととにかく持ち運びにくい。ある図書館では、新書コーナーを設けていて、これは電車通勤者にはありがたいやりかただと思ったことがある。
だから、私のような利用者にすれば、「貸出数の4分の1が文庫」というデータを問題視するのは問題の所在をかえって曖昧にしていると思える。何かおもしろい本はないか、できれば文庫か新書で、というのが多くの勤め人の行動パターンではないだろうか。

また、文庫本というのは、通常、単行本が出てから1年以上経ってから文庫化されるのが普通だと思う。
ということは、普通は単行本で既に相当部数を売っていて、文庫本はそれをより安く提供しようという趣旨のはずでは。出版社全体としての利益はともかく、その本については十分利益を上げた後ではないのだろうか。

Dedekind_Kazuni_tsuite.jpg また、私のような古い人間にとっては、文庫といえば、岩波、新潮などで、古典、名著といわれるものが文庫に収められていて、およそベストセラーとは言えないもの(歴史的にはベストセラーだけどブームではない)。これを貸出禁止なんて、いったいどういうものをイメージされているんだろう。

文庫というくくりには大いに疑問があるけれど、それではベストセラーの複数購入についてはどうだろう。
公立図書館は「無料貸本屋」と言われている。
それが図書館として正しい姿であると信じている人ばかりではない。

以前、ある市の図書館の人に聞いたのだが、ベストセラーは10~20冊ぐらい買うのだという。そうしないと待ちが多くなって苦情につながる。都道府県立ならアーカイブ性が重視されるが、市町村立だと読書サービスに重点が置かれる。
また、多くの図書館で「リクエスト」という制度が導入されている。図書館の選書にあたって、利用者の意見(つまり読みたい本)を聞くというものだが、ベストセラー(になりそうな本)の出版予告があると、すぐさまリクエストをあげて、図書館に入ったらいの一番に借り出そうという人もいるという。

住民サービスといえば聞こえは良いけれど、ここまでやるのが本当に良いんだろうか。
上で紹介した、ある市の図書館の人が言うには、20冊買ってもものによっては待ちは出るのだそうだ。
そしてこうした本へのニーズは必ずしも永続きしない。

早く読みたいなら、自分で買えば良いんじゃないかと私は思う。
あるいは、図書館に頼らず、お友達で回し読みしたら良いんじゃないかとも思う(あるいは読み終わったら図書館に寄付するとか)。 マンション住まいの時は、マンガ雑誌などはお隣から回って来ていた。
図書館で借りて読んだ本でも、手元に置いておきたくなって、あらためて購入したものもある。
あるいは、読み直したくなって、電子書籍版(安い!)を買って、再度読んだものもある。

図書館法では、図書館の利用に代価を求めてはならないとされている。

図書館法第十七条
公立図書館は、入館料その他図書館資料の利用に対するいかなる対価をも徴収してはならない。

この法律の対象である限り有料サービスはできないだろうが、法の対象外の新刊読書館というようなものを作って(要するに貸本屋)、新刊の読み回しをして、一定期間後に図書館に寄贈するようにしたらどうかと思う。

電子書籍など、純粋な情報商品は通常他人に貸すことはできない(一身専属の権利)が、紙書籍、DVDなど、パッケージ型メディアは他人に貸しても問題にならない。なぜ?


図書館と出版社が対立していては、出版文化そのものにとって不幸だと思う。

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