日本語の科学が世界を変える

matsuo_nihongo_no_kagakuga.jpg 松尾義之「日本語の科学が世界を変える」について。

何か時間潰しに読むものはないかと、図書館でタイトルだけ見て借りた。
タイトルから想像したものとは全く違っていた。

私が想像したのは、日本語を科学する、つまり、日本語の統語構造や、表現、文字づかい(漢字と仮名)などを説明し、外国語の吸収の歴史を踏まえて、世界を記述する言語として優位性があるというようなことを主張するといったこと。

この本は、そうではなくて、日本語でする科学的活動が世界に貢献するという主張の本だった。

私が思ったのは日本語を研究対象とする科学、この本は日本人が科学研究をするときには日本語を使っているという、言われればアタリマエのような話である。

Amazonのレビューには評価の低いものがあるが、そうしたレビュアーは、この本を、何か系統だった、科学的な論説と勘違いしているのだろう。
これは、仕事をしていて感じたことを書き連ねたエッセイとして読むものだ。


つまるところ、日本語が優秀だというわけではなく、西欧が未だにキリスト教の呪縛が強いことと対比して、日本が有利、あるいは多様な文化が交流することが新しい発見につながるというような、これもまた至極普通の話である。いろんな経験談を紹介して、そうでしょう、と同意を求めてくる。

第1章西欧文明を母国語で取り込んだ日本
第2章日本人の科学は言葉から
第3章日本語への翻訳は永遠に続く
第4章英国文化とネイチャー誌
第5章日本語は非論理的か?
第6章日本語の感覚は、世界的発見を導く
第7章非キリスト教文化や東洋というメリット
第8章西澤潤一博士と東北大学
第9章ノーベル・アシスト賞
第10章だから日本語の科学はおもしろい
というわけで、なんや全然思ったのと違うがな、というわけだけれど、私が勝手に勘違いしただけで、この本に罪があるわけではない。
それに、それなりに面白い話が盛り込まれている。
著者が直接・間接に付きあって来た多くの科学者の話である。この中のどなたともお付き合いできないのが普通なのに、著者は実に多くの人と直に話をされているのだから。

湯川秀樹、山中伸弥、木村資生、西澤潤一、蔡安邦、……


ここでそれらを紹介するつもりはないけれど、著者はかなり強引に、各先生に「あなたの研究は何語でされているのか」という問いをぶつけたが、多くの先生はその質問の趣旨が理解できなかったということも書かれている。
やはり、かなり強引なエッセイと言うべきか。

科学的真理というか、真理に限らず「命題」というものは、特定の言語で表現されなければならないというものではないと思う。命題の内容・真偽は言語形式に依存しない。

ところで、論理的思考というのは、書き言葉と密接に関係するという説がある。
ジェイムズ・グリック「インフォメーション 情報技術の人類史」に紹介されている話だが:

雪が降る極北では、すべての熊は白い色をしています。
ノヴァヤ・ゼムリャは極北にあって、常に雪が降ります。
では、そこの熊はどんな色をしていますか?




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