大洪水

某テレビ局が、トランプ大統領を支持するのはどんな人達なのか、連続して報道していた。

ark_encounter_YouTube.jpg その中で、"Ark Encounter"という施設が紹介されていた。
ノアの方舟を、聖書の記述に従って再現したテーマパークである。

大洪水は聖書より古い「ギルガメッシュ叙事詩」にも描かれている。だから、聖書の神だけが洪水を起こしたというわけではない、というのでは勿論なくて、現代的な理解としては、人類の記憶に残る大洪水がかつて起こり、そしてそれがそれぞれ言い伝えられたのではないか、「黒海大洪水説」というのもある。

それはともかく、冒頭で言及したテレビ報道では、"Ark Encounter"に来ていた人達に取材すると、大洪水は実際に起こったことで、ノアは実在の人物であり、人類はそのときに一旦リセットされて、現在に至っていると信じているとのことだ。

日本人なら、この報道で驚くわけだけれど、米国の世論調査では進化論を正しいと考えている人は、最近ようやく過半数になったけれど、それでも4割の人は、、神が人間を創造したと信じているんだそうだ。
米国では、学校で進化論を教えてはならないという人もいる。共和党の大統領候補をトランプ氏とあらそったテッド・クルーズ氏もそう主張していた。

ただ「学校で進化論を教えることを禁止する法律」は憲法違反と連邦最高裁が判断しているから、もしクルーズ氏が大統領になっていたら、どうなったんだろう。


こういう現状に腹を立てているのか、ドーキンスなんかは、これでもか、これでもかと、怒りを込めて神を否定する。
ドーキンス「神は妄想である―宗教との決別」

知り合いに、牧師になろうと考えているキリスト教徒がいる。「六二郎さんは最近どんな本を読んでるんや?」と聞かれて、即座に「ドーキンス」と答えたら絶句していた。


日本人は学校教育で進化論を教えられるから、それこそ教えられたとおりに、ヒトはサルと共通の祖先から進化したと信じている。
創造主義者を「狂信者」と言うなら、これはこれで科学の「盲信者」と言われかねないけれど、学校以外での宗教観の違いというのも、日本と米国(というか一神教国)の進化論の受容態度の差になるのではないかと思う。

日本人の感覚では、神を信じることと、聖書を字義通りに信じることは切り分けられていると思う。
日本にはもともと八百万の神が坐すわけだし、仏教が渡来しても「嘘も方便」というわけで、語られることは譬喩として理解し、(そんなに馬鹿馬鹿しいことが本当にあるはずはないと)そのまま真実でなくてはならないとは考えないという態度が普通だと思う。

神頼みにしても、それが成就すれば感謝し、だめだったとしても、神様はいつも頼みをきいてくれるわけではないぐらいに考えている。占いに対する態度もこれと同様で、曖昧な言葉を適当に合うように解釈して当たったと言って満足するのが普通である。

良くも悪くも、日本人は、宗教に対して(科学に対しても?)、鷹揚というか、相対化するというか、妙にものわかりが良いところがあるように思う。(ご都合主義)

だから、理詰めで、冷静に、魔女狩りをするというのは、普通の日本人の感性では、ちょっと信じられなくて、もし、日本で魔女狩りが行われるとしたら、恐怖感とかが先に立って、残虐なことをすれば、残虐性そのものに酔い、逆上してやるのではないだろうか。

昔、大学の先輩が、西洋人は血を見慣れているが、日本人はそうじゃないから、血を見ると逆上するんじゃないかと言っていたのを思い出す。(731部隊とかオウム真理教なんかは例外なのかもしれないが)


ただ、創造論者を単純に「狂信者」と言うことはできない。
というのは、少なくとも18世紀ぐらいまでは、真剣に創造論を「科学的」に裏付けようと頑張っていた人がいて、それが「常識」として受け入れられていたという。
ニュートンも宇宙の秩序は神が創造したのでなければアリエナイというようなことを言っているそうだ。

ただし、ニュートンが神を持ち出したのは、彼の万有引力の法則では、宇宙の(定常的な)秩序を永遠に維持することが不可能という論理的帰結まで見通したうえでのことで、単純に非科学的とは言えないようにも思う(ここで前提条件を疑うか、神を持ち出すかが問題だけど)。
それはケルヴィン卿が地球の年齢をせいぜい数億年としたことと同様の事情でもある。


前述の進化論裁判では、判事は、学校教育のなかで教えるべき科学理論とはどのようなものか、その条件を次のように提示したという。
  1. 自然法則により導き出される。
  2. 自然法則への言及によって説明される。
  3. 経験可能な世界に対して検証可能である。
  4. その結論は仮のものである。つまり、最終的な結論である必要がない。
  5. 反証可能である。
この最後の「反証可能性」は、カール・ポパーの「どのような手段によっても間違っている事を示す方法が無い仮説は科学ではない」が下敷きになっているのだろう。
言い換えれば、神を持ち出さなければ説明がつかない理論は、どこかに欠陥がある、ということになるのではないだろうか。

信じる者は救われる。

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