科学vs.キリスト教

41H3YjIWA2L.jpg 昨日は「大洪水」をとりあげて、創造主義者と括るには、科学的態度をとろうとした人達がいたようだという趣旨のことを書いた。

それは、ちょうど、岡崎勝世「科学vs.キリスト教」を読んでいたから。
この本では、そうした「虚しい努力」の歴史が丁寧に書かれている。

ただ、読んでいて全然面白くはない。
真理に近づくワクワク感がないからである。
面白くないから、論に集中できない。
集中できないから、いらぬことが思い浮かんでくる、あれはどうなんだ、とか。
そして、そういういらぬことが浮かぶのは、実は、文章中の言葉に触発されるから。

本書から得られる教訓は、科学を盲信してはいけないことだと思う。
その反面教師として多くの知性の努力が描かれている。
私にはなじみのない名前が連なるのだけれど、もしそういう人達と同時代に生きていたら、案外、コロッと「騙されて」しまったかもしれない。

本書で紹介されているウィリアム・ウィストン「地球の新理論」(1696年)の記述を抜き出してみよう。
まず、太陽系の運動について。
 原初の地球も月も完全な円軌道上を動いていた。従って一年は現在の太陽年より10日と1時間30秒短かった。地軸の傾斜がなかったから昼と夜の時間が等しく、季節の変動もなかった。自転していなかったから、太陽や惑星は西から東に移動した。地表にはまだ大洋はなかったが、小規模な海や湖のほか、川や平野、山脈なども、すでに今日と同様の状態で同じ場所に存在していた。エデンの園は、合流しているチグリスとユーフラテスが4本の流れ、すなわちピソン、ギホン、チグリス、ユーフラテスに分かれる場所にあった。・・・・・・
「神の呪い」により、地球の自転が開始され、これに伴って最初球体であった地球が楕円体となったし、自転開始時に地軸が傾斜して今日に至っている。このときから太陽が東から昇るようになり、四季の変化も始まったのである。

どうだろう、一年は今より「10日と1時間30秒短かった」なんて、細かい数字を挙げていて、いかにもきちんと計算した風ではないだろうか。

昨日とりあげた大洪水については、見事にそのときの状況が描写されている。
 大洪水は神の怒りによるものとはいえ、現実には自然学的原因、すなわち接近した彗星によって引き起こされた。楽園のあった地域では紀元前2349年11月27日木曜日、朝の8時から9時の間に発生した。それは、黄道面を近日点に向かって下降してきた彗星が、大洪水の最初の日にわが地球の直前を通過し、地球が彗星の大気と尾を通過することになったからである。大量の水蒸気が供給されて、40日間にわたる豪雨が始まったのである。聖書にある二度目の雨は、通過後の再接近の際に尾から再度供給された水蒸気によるもので、95ないし96日間の長期間続いた。彗星は、結局、大洪水に必要と計算される水量の半分を供給したのである。
 彗星はまた、深淵から水をあふれさせた。接近した彗星の引力によって深淵内の水に潮汐運動が起こって地球が卵形に変形し、変形で弱体化した部分で、地殻に割れ目や裂け目ができた。一方、豪雨開始から1時間もすると彗星から供給された水の重量も膨大なものとなり、その重さが地殻を押し下げる圧力として働いた。この圧力により、裂け目を通じて水が深淵からあふれ出たのである。そして雨による水と合わさって巨大な洪水となり、水は全地球を、山々の頂を越えて覆い尽くしていった。

まるで見てきたかのような迫真の描写である。
なるほど、洪水というのはこんな風に起こったのかと、なかなか説得力がある。
子供達、いや大人だって同じ、このように教えられたら、騙されて、このまま信じてしまうだろうと思う。
実際、当時の人の多く、いや現代アメリカ人だって、これを信じているのだから。

しかし、この描写、ファンタジー小説とかファンタジー映画としてなら、立派な作品になってるかも。
そうか、聖書ってファンタジーだったんだ。だから人気があるんじゃなかろうか。


ウィリアム・ウィストン「地球の新理論」(1696年)
第一章 科学革命と普遍史の危機 ―宇宙から機械論的宇宙へ
デカルト、バーネット、ニュートン、ウィストン
1 デカルトと普遍史の危機 ―デカルト『哲学の原理』(1644)
2 ニュートンと普遍史の変革
第二章 啓蒙主義における自然史の形成と人間観の変革
ビュフォン、リンネ、ブルーメンバッハ
1 ビュフォンの自然史記述と啓蒙主義的世界史
2 人間観の変革
第三章 ドイツ啓蒙主義歴史学における普遍史から世界史への転換
ガッテラー、シュレーツァー
1 ガッテラーにおける普遍史から世界史への転換
2 シュレーツァーにおける普遍史から世界史への転換
第四章 進化論と世界史 ―世界史記述におけるアダムの死
ハックスレー、ラボック、ダーウィン、ケルヴィン卿
1 ハックスレーとラボック ―「アダム」から「先史時代」へ
2 進化論と地球の年齢の問題 ―ダーウィンとケルヴィン卿
騙される」なんて不穏当な言葉を使ったけれど、もちろんウィストン氏が世間を謀ろうなどとしたわけではない。大真面目で考え、数々の反論に対して立ち向かう。

なかでも、こういう論ですら、キリスト教会側からは許せないものであって、断罪されるかもしれない危険を冒しながら、だから注意深く、論を展開しているという。

地動説を主張したジョルダノ・ブルーノが火あぶりにされたのは100年足らず前である。
そして、この100年の間に、ニュートンの万有引力の法則(1665年頃)が、宇宙の新しい姿を描いていて、多くの聖書学者が、ニュートンを否定せずに創世記を理解しようとしているという。
本書中でグールドの言葉が紹介されている、虚しい努力と。

しかし、ちょっと思う。
この黴臭い、現代から見れば無価値な研究でも、当時は偉大な知性だったのだ。
この人達の研究は、同時代人の眼で評価すべきで、虚説として退けるつもりはないというのが著者の立ち位置らしい。
対して、ワインバーグ「科学の発見」は、科学的「価値」を問題にする。同時代での評価は考慮せず、現代科学の眼で過去の「科学」を探求する。

ワインバーグの本も、本書と同じような「科学の進歩」を記述するのだけれど、ワインバーグの独自の視点は、科学はそこにあるものではなく、「発見」されなければならなかったと指摘することだと思う。言い換えるなら、「科学的態度」というものは、それまで存在しなかったということだと思う。


偉大な業績を上げた人が、新説を攻撃するという例は、科学史には山ほどある。
コペルニクスの地動説は、惑星は完全な円軌道としていたために、観測事実と合わなかった。
天動説は、長い歴史のなかで修飾され、ソフィスティケイトされていて、地動説より観測事実に良く適合した。
結局、どっちも間違っていたといえるけれど、後の科学の進歩には、もちろん天動説が有効であったことは言うまでもない。

やはり、科学的態度であったかどうかが重要なんじゃないだろうか。

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