最後の喫煙者

今日は5月31日、WHOが定める「世界禁煙デー」である。
ということで、喫煙者がどのような悲惨な末路を迎えることになるのか、生々しい筆致が読者にこたえる小説を紹介しよう。

the_last_smoker_Tsutsui.jpg 「最後の喫煙者」、筒井康隆の短編

筒井康隆といえば、「士農工商SF作家」という語呂合わせをしてバッシングされた経歴もあるように、自らをSF作家と言っているわけだが、SF(Science Fiction)=空想科学小説というよりは、「妄想破格小説」というほうがピッタリする。
もちろん私は大好きだ。

就職してから40数年、あまり小説は読んでいない。「事実は小説より奇なり」と思っているから、より面白いものは事実のほう、とりわけSFという分野では、科学的事実のほうが人智を遥かに超えて奇妙で、人間が思いつく程度の異常さなどたかが知れている。

しかし、この筒井の妄想の毒というか、この毒が生成されるメカニズムは、鳥のさえずりの如く、いつ終わるともしれず自己組織的にフィードフォワードされる。妄想破格小説である。

この小説は、何か煙草についてネットで調べものをしていたときに、たまたま存在を知ったものだけれど、驚いたのは、1987年に発表されたものだという。嫌煙家がボルシェビキになり、牙を剥くようになるのは、もう少し後のことである。

また、この年は、実は私が仕事で禁煙運動に関わるようになった年なのである。
仕事の上司・同僚、そのほぼすべてが禁煙運動家という世界である。
その中で、私は分煙が厳格に行われていた職場の喫煙コーナーでせっせと煙草を吸いながら、煙草の害をシミュレーションするアイデアを考えていたのだった。

さて、この小説では、健康ファシズムの「暴力」が描写されているのだけれど、私の上司である禁煙運動家の先生は、煙草は健康に悪いという主張はもちろん譲られないけれど、反社会的行為とまで糾弾されるようなことはなかった。

しかし、嫌煙家は、吸って死ぬのは本人の勝手、ではすませてくれない。受動喫煙(強制喫煙)と言って、同じ大気中に存在することを許してくれない(有害であることは私も認めるけれど)。
そして煙草の臭いが許せないという。これなど「坊主憎けりゃ袈裟まで」の類じゃないかと思う。

臭いを嗅いだぐらいの摂取で副流煙が身体に悪影響を及ぼすとも思えない。臭いは危険物のシグナルかもしれないが、検出即健康被害というわけではないだろう。煙草を吸わないけれど煙草の香りは好き(ヤニは臭いけど)という人もいる。先入観を捨てて香りを愉しむ余裕があっても良いのでは。
それに香りの好みは年齢・性別によっても違うといわれる。子供の頃は車の排気ガスの臭いが好きだったが、今は大嫌いということはままある。


アメリカ以外の地域では、何万年も煙草のない生活をしてきたのだから、煙草がなくなっても何の問題もない。それはそうなんだけど。
やはり今日も既に2本吸っている。

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