「大西郷という虚像」(その2)

昨日の「大西郷という虚像」の続き、といっても、本の内容からは外れて。

「大西郷という虚像」の第1章では、薩長は関ヶ原の恨みを忘れていなかったことが、反幕の背景にあることが説明されている。
これ自体は目新しいことではなくて、みなもと太郎「風雲児たち」では幕末の風雲児を書くために、関ヶ原から始めている。

途中、保科正之とか田沼意次、平賀源内など、いっぱい寄り道して(=伏線を張って)、龍馬が出てくるまで何と30巻!

保科正之にスポットを当てたのは、もちろん幕末の会津の悲劇の淵源ということ。
田沼や源内にスポットを当てたのは、近代への胎動ということ。


しかし250年もの間、恨みを子子孫孫に伝え、恨みを再生産するなんてことをしていたのだろうか。

長州では、正月に徳川を攻めようか、未だ時機ではないというやりとりがあったという話は良く聴くけれど、それって偉い人の間での型どおりの儀式だろう、高杉や桂がそれで恨みの炎を燃やしただろうか。まして、久坂のような身分の低いものまで?
ストーリーとしては面白いけれど、はて、実際のところどうなんだろう。

そう思っていたら、本書で、薩摩では、妙円寺詣りという行事があると紹介されていた。
この行事については知らなかったのだけれど、関ヶ原での「前への退却」=敵陣突破以来、藩主を守り死んだ武功を称え、関ヶ原の恨みを新たにするという行事が、国を挙げての祭りとして、延々と続けれらてきたのだという。
西郷も大久保もこの祭に参加したらしい。
なるほど、これなら反幕精神が植えつけられても不思議じゃない。

恨みの再生産である。純化する分、そして見も知らぬ幕府の連中相手で、一層尖鋭化する?



ところで、来年の大河ドラマ「西郷(せご)どん」の配役が順次発表されている。
西郷どんは鈴木亮平氏。茫洋とした雰囲気があるかもしれないけれど、武闘派のイメージがないけど、大丈夫か?
「短刀一本あれば片が付く」って言えるかな。

大久保利通は瑛太。「篤姫」のときに小松帯刀を演じたけれど、大久保はどうだろう、策士で腹黒いイメージ、しかも身長が高かったと伝えられている。私のイメージでキャスティングするなら、北村一輝。
「北条時宗」のときの平頼綱役の不気味なイメージ。敵か味方かわからない、あくどいやりかたで実権を握って行く姿。

ネットでこのドラマについての前評判みたいなものが出ていたけれど、なんでも西郷さんと篤姫(=北川景子、美人過ぎ)が恋仲だとかいうプロットがあるらしい。

アリエン!


役者のイメージだけで言うのもどうかと思うけれど、これでは善人ばっかりが出てくる、なよなよした青春おともだちドラマになるんじゃないだろうか。
島津斉彬・久光は誰が演じるのだろう。西郷の崇拝の対象と、その反動か軽侮の対象となるこの二人。

私としては、久光は固いところ(尊王佐幕)があるが、紳士的で、その心がわからぬ西郷という構図が定型からはずれて面白いと思うけれど。


やっぱり、良心のかけらもないごろつき群像、原田伊織氏が言うようなドラマのほうが、数倍おもしろいに違いない。

ご子孫もいらっしゃるだろうし、子供には見せられないだろうけど。

昭和の掉尾を飾るドラマでっせ、NHKさん。

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◇ ◇ ◇

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