「法の支配」とは何か

Hou_no_shihai_towa_nanika.jpg 大浜啓吉“「法の支配」とは何か―行政法入門” について。
岩波新書の「○○とは何か」、「○○とは何だろうか」という書名の本は、読み応えがあるものが多い。
本書もその一つだと思う。

主として憲法の成立、その作用について、各国(とりわけドイツとアメリカ)での成立史、そのときの社会状況を解説している。

本書で何度か出てくる言葉が、「国が憲法を作る」のではなく「憲法が国を作る」。憲法にあたる英語は通常、constitution(体制)であって、国のかたちを定めるものだから、その言葉は納得できる。

「(歴史的に構築されてきた)社会が憲法を作り、憲法が国家を作る」というほうが自然だと思うけれど、著者は、憲法と国家、憲法と国民(社会)の関係の基本理解を強調する意図があるのだろう。
もっとも、大日本帝国憲法には、「社会」というものは全く措定されていないというのも本書で指摘されるところである。

書名の「法の支配」というのも、法律が国を律するという漠然とした意味で使われているのとは少し違う。

著者は「法の支配」に対する概念として「法治主義」をもってくる。
第1章 社会と国家―行政法とは何か
第2章 近代国家の原型
第3章 立憲君主制―ドイツ帝国と大日本帝国
第4章 法治国家とは何か
第5章 法の支配の源流
第6章 法の支配とアメリカ合衆国憲法
第7章 法の支配と行政法
第8章 議院内閣制とデモクラシー
法治主義とは、権力(国王)の恣意的な濫用を規制するという考え方であって、権力の源泉を問わないのだという。

ということは、法治国家であっても、法の支配は受けていないという状況はいくらでも考えられ、大日本帝国はまさにその状態だというわけである。
大日本帝国の権力の源泉は、天照大神からの皇孫にして現人神である。


現代の多くの国では、権力の源泉は国民にあり、国民は基本的人権を持つものとされている。国民が暮らす社会では、さまざま人権侵害状況が起こりうるが、それを補うのが国家の役割で、そのために法が国を支配する、そこまでの含意が「法の支配」という言葉にはあるとする。
つまり「法の支配」は民主主義国でしか成り立たないわけだ。

さて、現政権の信頼が下がったことで少し遠のいたかもしれないが、憲法改正議論が騒がしい。
私自身は、必要があれば改正するのは当然だとは思っているけれど、自民党案などは、憲法で国民を規制しようとしているとしか思えない。
著者のような立場の人に言わせれば、これは民主主義を否定する姿勢であり、憲法に対する基本理解の問題であって、そのような改正を是とする理屈は、少なくとも現代の法学からは出てこないに違いない。

本書で指摘されるまで迂闊にも気づかなかったのだけれど、憲法第九十九条にはこう書かれている。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

著者はこの条文に「国民」が含まれていないことを指摘する。そう、国民には憲法を守る義務はないのだ。
もちろん国民の義務と明示されているものは別である。著者が言うのは、権力の源泉は国民にあり、その国民が憲法により国を作っているわけだから、国民が憲法を守るというのは自家撞着にすぎないという意味だろう。


またこのところ、安保法制や共謀罪など、鋭く対立する法案が次々成立している。
国会は国権の最高機関であり、法律さえ作れば何をやっても良いという姿勢が垣間見える。しかし、本書では、次のような法理があるとする。
■実体的デュー・プロセス(due process of law)の法理

①法律制定の必要性(法律以外の方法で目的を達成できる場合には法律を作ることは許されない)
②法律の有効性(法律によって目的を達成しうる場合でなければ法律を作ってはならない)
③濫用の恐れの強い法律は作ってはならない(通信の秘密を害する一般的な「盗聴法」など)
④規定目的の明確性
⑤手段の相当性


所詮、学者の戯言、国際社会の現実も、荒廃した国民の実情も知らない奴の言う事だと、国会のセンセイ方は言うんだろうけど。

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