教員の資質向上

kaikoshiki.jpg昨日の新聞に、「教員採用冬の気配」という見出しで、今後の子供の減少により教員ニーズが大きく落ち込み、2021年から採用が急減するという予測が紹介されていた。

今は、教員の大量退職大量採用時期にあって、ベテラン教員が定年退職し、ミドル層が薄く、大量採用された新採教員が多い構造になっている。
新採教員の大群を目の当たりに見たことがあるのだが、この子(新採教員)たちにうちの子供を任せて大丈夫だろうか、いきなり教壇に立たせて大丈夫かという気持ちが起きることも事実。このため、採用後の教員研修は法律にも規定されており、相当量の研修を受けることになっている。
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教育についてはいろんな人がさまざまな意見を持っているものだが、案外、現場のことは知られていない。
(教員の研修や、学校がおかれた状況などについては、今津 孝次郎「教師が育つ条件」 という本に詳しい。教育について語るなら読んでおくべき本だと思う。)

それはそうとして、採用減少を見据えていたのかどうかわからないが、教員の資質向上策として、教員免許資格を大学院修了にする案が議論されてきている。
もし、教育で高く評価されているフィンランドの教師が大学院修了者であることからの発想だとしたら、ちょっと情けないと思う。

finland.jpgフィンランドでは、高校卒業後すぐに大学へ行くのはむしろ少数で、それぞれ就職してからさらに高い技量を身に付けたり、別の世界の勉強をしたいと考える人が大学に入るらしい。大学院は大卒者で同様の動機を持ったエリートが入るというわけだ。だから、フィンランドの教員は、純粋培養されて教員になっているわけではなくて、社会の、人生のいろんなことを学んで、その中から自分の天職として教員を選んでいるのだろう。

フィンランドの教育についての本によると: 
フィンランドでは教員は社会的に尊敬されている。その日の自分の授業が終了すれば学校から出ても良く、そうした時間は教育内容・方法の研鑽に充てられる。教科書は、標準的なものはあるにしても、何を使うか・使わないかは教員が自分で決める。何より小学校課程では1学級十数名、一人一人に目が届く教育が可能。また課外のスポーツ指導などはない(欧米ではスポーツ活動は地域クラブ中心で学校をベースとしない)。


我が国で、単純に大学院修了とするのは、単純に2年間純粋培養期間が長くなるだけではないだろうか。何のことはない、大学4年でろくに学びもせずに、教員になろうと最後の2年だけ勉強しようというケシカラン学生を作るだけかもしれない。

それではフィンランドのように、社会経験を積んだ上で教師となる人材が確保できるか、というとこれはアヤシイ。
人口が5百数十万の国と国情が違うのは当然、そのうえ社会システム・文化が違う。
前に「日本の雇用と労働法」で書いたように、雇用が「メンバーシップ型」で、新卒者を採用して退職まで企業に忠誠を誓うことが我が国のスタイルであるなら、そもそもフィンランドのように、キャリアアップやリカレントのために大学に入るという行動(複線的ライフステージ)は、まだまだ我が国では例外だろう。そこへもって大学院への延長は、単線的ライフステージを強化するだけになる可能性が大きいと思う。当然、フィンランド型の社会経験を積んだ教員が出てくることも期待できないだろう。

ひょっとしたら、フリーター/非正規労働でいろんな経験を積んだ人が増えてくるかもしれない。
教育公務員は民間大企業が引き取ってくれないそうした人たちにとっては身分保障のある魅力的な職ではないだろうか。
(校長については民間企業経験者などを採用する民間人校長というのがある。これについては別稿で。)


それに、大学院で何を学ばせるつもりだろう。「グローバル化や情報化、少子高齢化等社会の急激な変化」「いじめ、不登校への対応、特別支援教育の充実、ICTの活用、初任段階で学校現場の諸課題への対応に困難を抱える教員の増加、知識技能の継承機能の困難化」等などというが、専門知識を身に付けるために大学院(教職大学院)でこうした講座があるのは良いと思うが、これ全部を履修し、現場で1人の教員に背負わせるのは組織としてアリエナイし、どれか必要な講座というなら大学院に毎日通う必要などないのではないだろうか。

そもそも教員の資質向上で学校現場の問題を解決しようなどというのは、教育問題を直視しない態度であって、教育行政としてあまりにも無責任な態度であろう。教員の負担がどこにあり、教育の質・効率を上げるためには教員以外の役割を含めて制度設計しなければ問題は解決しないだろう。

筆者は、教員の資質を確保するなら、医者に研修医があるように、教員にも研修教員の制度を作って1~2年は研修教員として、現場で経験を踏ませたら良いのではないかと思う。もちろんこの期間中に、教員には向いていないことが判明すれば転職してもらう。給与は安いとしても、大学院で授業料を払うよりは教員志望者にはありがたいのではないだろうか。
研修教員を指導する正規教員は大変だというかもしれないが、教材作りや授業の準備、教育委員会からくるさまざまな資料要求その他雑用など、自分の仕事=教員の仕事をある程度やらせながら、実地に覚えてもらおうというわけだ。(先生方にも人を使うことを覚えてもらわなければ)

それはそうとして、何でもかんでも教育のせいにし、その責任を教師におしつけるのは、いくら何でも酷過ぎる。
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