プーシキン美術館展(その3)

P_20180728_180349_vHDR_On.jpg プーシキン美術館展の最初の展示作品は、クロード・ロラン「エウロペの掠奪」(1655年)である。

エウロペの掠奪(The Rape of Europe)といえば、ティツィアーノのそれがずっと有名だと思うけれど、そちらは誰も風景画に括ったりはしないだろう。

この絵では、花で飾られた白い牛がゼウスで、それに乗っているのがエウロペなのだけれど、あらあらしい掠奪(rape)の印象はまったくない。描かれる人たちはみな和やかに海岸でくつろいでいる風である。牛たちものんびりと草を食んでいる。
沖には船も見えるが、ゼウスはエウロペを背に載せて飛んでいくのが普通で、船の迎えがいるはずもないし、そんなことをしたらヘラに悪事がバレバレだ。第一、ゼウスの時代、こんな三本マストの帆船があったとは思えない。
画題と絵の印象は全く違う。

つまり、この絵は単に海の風景を書きたかっただけで、そこに配されている人も牛も、ジオラマにアクセントをつける人形のようなもの。
写真で撮る風景とは全く別物である。
私には、この絵の注文主の使用人たちが演技をしているように見える。つまり「ウソくさい」。

もう一つ紹介しておこう。
ヴェルネ「日の出」と「日没」(1746年)。この2作品はペアで作成されたらしい。

P_20180728_180423_vHDR_On.jpg P_20180728_180441_vHDR_On.jpg


この作品も風景画のふりをしているが、良く見ると、丹念に人物が描かれている(特に日没)。
そしてこの人たちは、ロラン「エウロペの掠奪」のように、演技をしている使用人たちではない。
それぞれがおもいおもいの仕事をしているようである。
一つのテーマで描かれているわけではないと思う。テーマは日没、それが一つではあるけれど、それに埋め込まれているのは、いろいろな人たちの、ある意味バラバラな姿。作者が注文して演技をしているようには見えない。

これが、時代を下ると、風景の中の人物はそれぞれでというより、クローズアップされる人物いる場合を除けばだけれど、群衆として描かれる傾向があるのではないかと思う。

以上、2人の作品をとりあげたけれど、これらの絵が好きだというわけではない。
ましてや、作品の良し悪しも私にはわからない。
ただ、風景画というのは、ぼーっと風景を書いたわけではない、そこに書き込まれた人の姿を通して、そう思った。それだけのことである。

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