プーシキン美術館展(その4)

プーシキン美術館展をとりあげる4回目は、風景画は写生じゃないということ。

昨日は、風景への人物などの配しかたから、物語性など、作者の意図が込められているように感じられると書いた。
今日は、そうではなくて、風景自体が違う、架空のものだということに注目。

src_54185704-cropr.jpg 絵を見たときに、たとえば被写体の邪魔になっている他の看板や木々を省略するとか、そうしたことは、むしろリアルな風景を描こうとしたものと思う。
ところが、そうではない風景画がたくさんある。

ムーラン工房「ルイ14世の到着、ヴァンセンヌ」(17世紀末)という作品には、ヴァンセンヌの城が堂々と描かれているのだけれど、この城はヴァンセンヌの城ではなくて、他の作品からの使い回しで、はめ込んだらしい。
ネットで調べるとヴァンセンヌの城は、かなり立派な城のようなので、なぜそうしたのか良くわからない。

pushikin_img-theme_01.jpg ロベール「水に囲まれた神殿」(1780年代)は、説明では南イタリアのパエストゥムにあったポセイドン神殿とのことだが、この神殿は実際には海に面しているわけではないし、絵にあるように廃墟化が進んでいたわけでもないという。

画家はここを訪れてデッサンを残していて、そちらはそのとおりに描かれているという。

海神ポセイドンだから、海に面しているほうが「らしい」ということなのだろう。
廃墟化は、おそらく当時の流行の廃墟趣味が反映したのだろうか。

いずれにせよ実在の神殿を使って、架空の風景を作りだしたもの。対象を描くのではなく、それをネタにして自由に風景に仕立てるということか。

pushikin_218fef6c.png ヴェルネ「パンフィーリ邸の庭園、ローマ」(1749年)はさりげない風景画にしか見えないけれど、これはロベールよりも手が込んでいるように思う。
この通りの景色は実際のものらしいのだが、画面奥にある建物は、実は視線の反対側(つまり鑑賞者の後ろ)にあるものを、通りの奥へ配置したものだそうだ。

ロベールの神殿の絵は、題材から神話的な空想が導かれる効果があるかもしれないが、ヴェルネのほうは、日常の景色にみえる分、だましがきついと思う。

src_54187526-cropr.jpg そう見てくると、ピカソ「庭の家(小屋と木々)」(1908年)の塀は上から見おろし、塀の中の建物は下から見上げるという、複視点の絵もむしろ正直な絵のように思えてくる。


プーシキン美術館展は「旅するフランス風景画」というテーマでの展示だったけれど、風景画という括りは、くくりになっているようないないようなものだと思う。
素人の私は風景画=写生画と思っていたが、そういう雰囲気の絵もあるにしても、やはり写真とは違うのだった。
(もしそういう絵ばかり60点も展示されていたら、きっと飽きたに違いない。)

だからカレンダーに使うのは、風景画よりも、風景写真のほうが、作者の意図が控え目になって、安心していられるかもしれない。

関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Gallery
検索フォーム

 ⇒記事一覧

記事リスト
最新の記事
最新コメント
カテゴリ
タグ

飲食 書評 ITガジェット マイナンバー Audio/Visual 

リンク
アーカイブ
飲食

書評 ITガジェット 飲食 マイナンバー Audio/Visual 

プロフィール

六二郎。六二郎。


定年退職
苦しい家計の足しに再就職
=いつクビになってもええねん
 言うたもん勝ちや!のブログ
現在の閲覧者数
聞いたもん