人はなぜ恋に落ちるのか?

WhyWeLove.jpg書名がもっともらしいので読んでみた。
「人はなぜ恋に落ちるのか?―恋と愛情と性欲の脳科学("Why we love")」 ヘレン フィッシャー(著), 大野 晶子 (訳)

fMRIを使ったり、ホルモンを調べたり、恋を「心」の問題にとどめず、生理学的に考察する。
進化心理学的な解釈もところどころに挿さまれる。
あわせていろんな民族、いろんな時代の恋・失恋の文学を引用する。

Amazonの読者評は、日新しさがないとか、肝心のことが書かれてないとか、あまり高い評価ではないようだが、たしかにやや散漫だと思うが、この本には性急に結論を求めず、恋についての言説の集大成と考えればよいだろう。

ところが、思い返しても、この本に書かれているような劇的な恋も失恋も身に覚えがない。
落語にすらあるけど(「崇徳院」)、床に臥すような「恋わずらい」は経験がない。
失恋についても、本書に書かれているように、食事が喉を通らないとか、その人を思い出すと怒りが沸き起こるなどという事も記憶にない。逆に、思いを寄せてくれてたかもしれない人にそんな思いをさせていたとしたら、と考え込む。(いや、そんな人がいただろうかと考え込む。)

vonOtterSonntag.jpgそら、男であるから、大抵の女性は魅力的である。
その人の姿を見たり、考えたりすると震える思いをする、そういう経験もある。
ブラームスの歌曲なら「日曜日」(あの人を見ないで長い日が過ぎた・・・)だ。

「素晴らしい熟女」でおなじみのAnne Sofie von Otter「日曜日」(YouTube)
(しかし、やはり男声がいいなら Hermann Prey「日曜日」(YouTube)


しかし、この本のように、一日の90%をその人の事を思って過ごすなど、やはり大袈裟だと思ってしまう。
ドン・ジョヴァンニなら1日の99%は女のことを考えていたに違いないが、それは「私の心は広いから、何人の女でも入る」からだ。(ただし、著者はポリアモリーについては否定的)

日本の歌にも数多くの恋の歌がある。古今集以来の伝統か、歌の分類には、四季の他に「恋」を設ける。
涙するような多くの恋の歌がある。が、それらは歌会などで披露されたもの。
「フィガロの結婚」では恋に恋するケルビーノ、私がまだ高校生だったときに、「六二郎君は恋に恋している段階ね」と、人伝に言われたことがある。

「「「燃えるような恋」をしたいという心情」をテーマとした作品」は、いやほどある。それだけ、心というものは重層的なのだろう。(この「」の使い方が本質的。フロイトも言ってるではないか、心を剥いていくと新しい心が現れ、それもまた剥いていくと…)

みんながロメオ・ジュリエットになることはないと安心することにしよう。
(そのロメオだが、劇冒頭では他の娘に懸想してたのではなかったか。)
なれるなら広い心のドン・ジョヴァンニに。
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