「サル化」する人間社会

sarukasuruninngenn.jpg先日の「文化とは」で、山極寿一『「サル化」する人間社会』についてという本に言及したので、ちょっと感想。

この本は、自身の研究生活の振り返りが中心のエッセイと言うべきもので、専門書や評論本というわけではない。
タイトルはこの本の最後の1章のタイトルをとったものだが、誤解がないようにはじめに注意しておくと、この本は主にゴリラ研究のことが書いてある。書名にある「サル」はニホンザルであって、人間社会がゴリラ化するとは言っていない。
(著者は、ゴリラの方がヒトより良くできた生物と思っているようなので、ゴリラのことだと誉め言葉になってしまう。)

昨日も書いたように、サルの本はいろいろ読んだけれど、学生時代から大して知識が増えているわけではない。
40余年前をおさらいすると、

ゴリラの社会は、数十頭からなる「バンド社会」といわれるものであること、この集団のサイズは、ヒトが親密なコミュニケーション(名前、顔、性格評価をセットで記憶)をとれるサイズであり、ゴリラの社会の研究はヒトの社会(その黎明期)の解明のヒントになる、

というのが今までの私の知識。

この知識は今でも間違っているわけではないようだが、この本では、ゴリラ社会には負けがないという表現で、社会内の行動が解き明かされる。
特に注意を惹いたのは、ゴリラだけでなく類人猿は、非母系社会であり、メスは生まれ育った群れを離れて配偶オスと一緒になるということ。メスの移管(transfer)は、人類を他の生物と区分する特徴であると言われていた(Lévi-Strauss)と思う。
また、ゴリラの同性愛行動というのも初めて聞いた。メスのいないグループで代償行為的な同性愛が観察されるだけでなく、メスが群れに加わっても、その中からオスだけをひきつれて出て行って引き続き同性愛グループを作った話がある。

で、タイトルの『「サル化」する人間社会』であるが、おそらく、出版社が、目を惹くタイトルということでこれを本全体のタイトルにしたのだろうが(その作戦に私もはまった)、この本の中では一番知的刺激には乏しい部分だと私は思う。

著者は、本書のはじめに、家族という単位がヒト社会を読み解くキーだとしていて、家族と、より大きな社会のアンビバレンツをやりくりするのがヒト社会であると言う。
個食に代表されるひとり人間の社会は(ともに食事をするのが家族。ゴリラ以外のたいていの動物は他個体から隠れて食餌する。)、家族単位の対等な社会関係が形作られている社会が崩れた姿。
個人がばらばらになれば絶対的な順位社会になり、そして、一方で、効率的な社会を追求する動きは、(対等な家族を基礎とするなら調整コストがかかるが、そうでない)順位社会になっていくだろうとも言う。
順位づけによって群れの秩序を守っているニホンザルの社会のような社会に、ヒト社会もなっていくのではないか、という。(ゴリラの社会には負けがない、順位社会ではないから、ここでいうサルはゴリラではありえない)

そう言われれば、そういう傾向を感じる場面は増えていると思う。

ところで、本書にはこんなことも書いてある。
ゴリラはヒト(著者)を受け入れてくれたが、ヒトはゴリラを受け入れることはできそうにない。

著者は京都大学学長であるが、学生はゴリラだろうか、ヒトだろうか。
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