尖った5度(中世)~「西洋音楽史」(その3)

ManroeGothic.jpg岡田暁生「西洋音楽史」をとりあげる3回目。

前2稿は、「クラシック」とは、「芸術音楽」とは、という通史的な面での著者の主張をとりあげた。
今回は、「第1章 謎めいた中世音楽」から、特に私が今まで知らずにいて、あらためて驚いたことについて書く。

まず、完全五度(もちろんこの言葉も響きは誰でも知っているものだが)である。
著者は、「尖った五度」、「柔らかい三度」という表現をされるのだけれど、普通の言葉では「虚ろな五度」である。
――近代の和声法では「空虚五度」と呼ばれて禁則とされる――「ドソ」の響きの方が「正しかった」のである。つまり中世においては禁欲的で峻厳で威嚇するような響きこそが求められたのであって、音楽は――われわれがついそう考えがちな――どこかしら甘美な存在ではなかったのであろう。

完全五度は、物理学的には完全な協和、簡単な整数比2:3の周波数の音の組合せ、つまり自然倍音の、第2倍音と第3倍音である(ただし平均律のソは少し低い)。
本書でも紹介されているマンロウの「ゴシック期の音楽」(画像)を聴くと、単純に5度というより、同じ音高で低い延音を唸りながら、その上に揺れる旋律線がある曲が多い。「抜けている」と言えば抜けている。
著者は柔らかい三度というのだが、ミには、ミとミ♭があって、それによって調性が決まるわけで、長調・短調に慣れたわれわれには、調性を感じないと落ち着かないということかもしれない。
そういえば「三度の発見」は音楽史上の大きな出来事であると聞いたことがあるし、また2歳頃のモーツァルトがチェンバロの三度を引き当てて、喜んでいたとも伝えられている。

もう一つ、驚いたことは、拍子のことである。
当時の音楽はもっぱら、三位一体をあらわす「三」拍子系で書かれたのである(後で述べるように、14世紀に入って二拍子系が導入されると、教会から「神への冒涜」として大変な非難の声が上がった)。

そもそも、中世の音楽に拍子を感じるかといわれると、マンロウの「ゴシック期の音楽」に収録されている曲からは強い拍子を感じたりしない。しかし、あらためて、二拍子が忌避されたと言われると、とても意外に思う。なぜなら二拍子の方が原始的な感じがして、そして俗謡は二拍子が多いようにも思う。著者の指摘は教会音楽に限るのだろう。
carminaburana.jpg実際、本書では全然触れられていないが、「カルミナ・ブラーナ」も中世に入ると思うのだけれど、そこにある俗謡は二拍子系だと思う。(「西洋中世音楽」の稿にサンプルを載せている。)

(日本の歌には三拍子はない、という話を聞いたことがある。「五木の子守唄」は、今は三拍子だけれど、もともとは違うとも。)


通常、中世というのは、西ローマ帝国が滅んでからルネサンス以前の時代を言うらしいのだが、そうすると800年ぐらいあるわけで、800年ずっとこうだったとは言えないだろうし、そもそも三拍子を忌避するような宗教的感覚が、中世の初め頃からあったのだろうか。

それにしても、長調でも短調でもない教会旋法、全音階的音列とかを聴いていると、これも時代を超えてるやん、と思ってしまうのだけれど。もちろん使われている楽器や編成、重なる和音とかは現代とは違うわけで、旋律線を追っかけると、だけど。
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