芸術音楽~「西洋音楽史」(その2)

岡田暁生「西洋音楽史」の2回目。

「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」
前稿で特に抜出したこの言説に続いて、いよいよ「第1章 謎めいた中世音楽」 から各時代を追うことになるわけだが、「はじめに」に書き忘れたのか、はたまた楽譜らしきもの(ネウマ)が中世から残っているからか、もう一つ重要な通史的観点を、第1章冒頭においている。

「芸術音楽とは何か?」である。

ここで著者は、「楽譜として設計された音楽」のことであると言う。
……本書で「芸術音楽」という時、それは断じて「質」――「芸術音楽=高級な音楽=西洋クラシック」といった――の問題を指しているのではないということである。むしろ芸術音楽とは、数ある音楽の「ありよう」(祭りや宗教で使われる音楽、映画音楽やコマーシャル・ソング、ダンス・ミュージックや軍楽等々)の中の1モードにすぎない。「芸術音楽とは芸術として意図された音楽のことだ」と、とりあえずはいっておこう。……
 しからば「芸術」としての音楽のありようとはいったい何なのか? 端的にいえばそれは、「楽譜として設計された音楽」のことである。……

……芸術音楽を「音の文字=楽譜で書かれる音楽」と考えれば、ここからその第二の定義が出てくる。つまり芸術音楽は、主として西洋社会の知的エリートによって支えられてきた音楽のことなのだ。芸術音楽が民衆の音楽であったことは、かつて一度もなかったとさえいっていいかもしれない。

また、ずっと先のことになるが、こういうことも指摘されている。
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ちなみに1945年にシェーンベルクは、マンの70歳の誕生日を祝って、非常に複雑なカノン(《四声の無限のカノン》)を献呈したが、これについて作曲者自身「ほとんど演奏不可能」と述べた。「音楽は必ずしも耳に聴こえる必要はない(音楽は現象界の背後の数的秩序だ)」という特異な考え方こそ、中世から現代に至る西洋芸術音楽の歴史を貫いている地下水脈である。

「音楽は音であって、音以上でも音以下でもない」という近代的な感覚があるが、一見「音楽は必ずしも耳に聴こえる必要はない」とは反対のように読めるが、この2つには何か通じるものがある。(この2つに対立するのは、音に込められた情念である。)

そして、この命題に違和感を感じない感性と、芸術音楽を「楽譜として設計された音楽」と定義する感覚は、なんだかとても近いような気がする。
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