クラシックのなりはじめ(バロック)~「西洋音楽史」(その5)

baroquepearl.jpg1冊の本で5回も書評じみたことを書くのは面映ゆいが、古典派からはすっとばすつもり。なぜなら、第1回で書いたように、この本を読んだのはバロック以前の知識の欠如を何とかしようということであり、また、この本ではバロックから19世紀ぐらいまでが「クラシック」という歴史性を感じさせない、日常感覚の音楽というから。

さて、バロック音楽については、この本でも書かれているように、時期・時代によって、随分違う。
実は、昔、友人から「バロックは好きか?」と聞かれたとき、「好きだけど、どうも重い」と答えたことがある。その人は怪訝な表情をして「華やかだと思うけど」。
そう、私はバロック→バッハ、友人はバロック→ヴィヴァルディなど、という連想だったわけだ。

バロックは歪んだ真珠のことだそうだが、本書でもルネサンス期と比較すれば、不協和音や強い拍子の導入など、音楽においても歪みの導入ということが言われるのだけれど、ロマン派などを先に聴いている現代人にしてみれば、バロックは歪んでいるようには聞こえないと思うのが正直なところ。
(強い拍子―強弱が交代する拍子は「トルコ風」と言って、これはトルコの軍楽から来ているというのだが、トルコの軍楽は一体いつその形になったのだろう。西洋がバロックになる前からありそうにも思うが。)

長調、短調というのが確立したのは、平均律の発明とも密接だと思うが、バロック期だと思うが、今、われわれが普通にクラシックを聴いていて、「ゆらぎ」とか「色気」とかを感じるのは、調性が変わるときのように思う。
一方、バロック以前、ルネサンス期までは長調、短調という落ち着いた(そう感じるのも我々がすでに調性に慣れているからかもしれないが)音列じゃないから、小さなゆらぎというより、地面を感じない。
対して、バロック以降は通奏低音という大きな地面があると考えて良いのだろうか。
ただし、本書では、和声が柱になって曲が進行するのは、ルネサンス後期から始まっていると指摘している。カデンツはそのころには成立していたと思う。

MusicForAWhile.jpgところで、バロックの多くは祝祭行事のBGMとして作曲されたそうだし、実際、宗教曲では合唱が用いられるにしても、バロック歌曲というのは知らなかった。本書では「歌」というより一種の「語り」であり、「モノディ」と呼ぶそうだ。本書では、随所でCDの紹介があるのだが、フォン・オッターによるモノディ作品集が紹介されていた(オッター・ファンとしてはやっぱり買ってしまった=画像)。

ところで、本書によれば、中世の終わり頃やルネサンスでは、一番下の声部に引き伸ばされたグレゴリオ聖歌(宗教的言い訳とも)があるというのだが(私などはそれを聴き取ることはできない。なにせグレゴリオ聖歌に旋律を感じるかといわれても困るし)、だいたい現代的な安定感からは遠いグレゴリオ聖歌を、それも引き伸ばしているから、やっぱり安定しなくてもしかたがないのだろう。
そういう意味で教会からも解放される時代になるわけだ。

そしてバロックに続く古典派の時代には、旋律、リズム、和声という「現代音楽」が完成することになる。

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