理不尽な進化

rifujinnashinka.png かなり前のことだが、北村雄一「謎の絶滅動物たち」という本について書いたけれど、「絶滅」というキーワードに関して、吉川浩満「理不尽な進化」という本が、生物種の絶滅を取り扱っているらしいので、読んでみた。
その感想というわけだけれど、「謎の絶滅動物たち」のことを書いたのは4月23日だったから、その関連というには日が経ちすぎているが、その理由は、この本を読むのに大変時間がかかった、そして、ほとんど頭に入らなかったからだ。

たしかに、本書は絶滅からはじまる。表紙(右図)にもあるように、

99.9%の生物種が消える?
「絶滅」から生命の歴史を眺める!
この世は公平な場所ではない?

しかし、この本は絶滅を説明してくれるわけではない。
「謎の絶滅動物たち」では、どれも人間が直接・間接に滅ぼしたというわけだけれど、この本は個々の生物種の絶滅のメカニズムを説明するわけではなく、絶滅は進化という現象の一つの側面であると一括する。

著者は生物学者、進化生物学者とかではない。
そして、「進化」ではなくて、「進化論」を考えるという、一段階層が高いというか、括弧に括った話をする。
進化という現象に新しい知見を加えたり、批判したりするわけではなく、進化という現象の解釈をしてみせる。すなわち、

「進化は適者生存の論理で説明されるが、99.9%の種が絶滅したということは、これらの種がみんな劣っていたからか」と問題提起し、競争のルール変更が絶滅の主犯である

とする。

著者の主張は、著者自身も言っているように、進化論においては常識的解釈で、同じようにセンセーショナルな題名が選ばれている本、たとえば吉村仁「強いものは生き残れない」という本でも、適応≒環境適応であって、同様の結論が説明されている(こちらは生物学の本で、生物学上の観察・推察にもとづいて進化を考える本である)。なので、どうしてこんなに力が入ってるのだろう?
生物種の絶滅の原因とかメカニズムを、生物学的に知りたいと思って読むと期待はずれとなる。

真実は一つだが、その見方・表現の仕方で印象が変わる、ということは良くある。

酒がボトルの半分になったときに、「もう半分しかない」と言うか、「まだ半分残っている」は同じことだし、
「前に進めば狼に会い、後ろに行けば虎に会う」は、「前に進めば虎に会わない、後ろに行けば狼に会わない」と言い換えることができる。

「99.9%が絶滅」、「0.1%がルール変更に耐えて生き残る」も同様だと思う。
その「真実」をどう解釈し、感じるかは人によるかもしれないが、「真実」そのものは誰にとっても同じだろう(もちろんそんなものは存在しないという立場もあるけれど)。
科学として進歩するというのは、その「真実」の方を追求するもので、言葉の言い換えではないと思う。

ただし、<「真実」とそのインパクト>を一括りに考察するのであれば、それは別の次元の話になる。


この本に書かれていることが間違っているというわけではなく、著者は、進化論の表層の言葉だけ借りて、いい加減な経営論や運命論みたいなものに結びつける浅薄な進化論理解を戒めている。

これは同感。「縮む世界でどう生き延びるか?」の稿で書いたけれど、生物学者が経営を語るのは良いが、経営コンサルが生物学を騙るな、である。

以上は、おおむね第一章までを読んだ感想であり、これだけなら特にどうということはないようにも思う。
そして、これだけなら文字数を大量に費やすこともないと思う。本書の文体はやけに冗長だし、同じ話題が繰り返し出てきて、構造が整理されていないように思う。

なぜ文章が冗長で繰り返しが多いのか、それはこの本の成り立ちが原因のようだ。
この本は、「朝日出版社 第二編集部ブログ」というものの連載記事が本になったのだそうである。
⇒「理不尽な進化 まえがき」)
2011年から2013年にわたって書き続けられたブログということなのだが、ブログをそのまま本にするとこうなるのではないだろうか。(私のこのブログもご覧のとおり、文章はくどいし、過去の記事とダブったことを書くことも多い。)


で、第一章を読んだところでもうやめようかと思ったのだけれど、読み進むと、第二章以下が著者の本領発揮のようだ。
著者は、進化論に対する素人の浅薄な理解を戒めるだけでなく、それが実は、専門家の間でも生物進化を理解する姿勢のようなものに関連する深い部分を抱えているとする。
その本質的な部分らしきものを考える上で、グールドとドーキンスの論争が良い題材になるとして、これに解説を加える。(この解説も同じことが何度も繰り返されるのでいささか疲れる。)
私なりに要約するとこういうことのようだ:

ドーキンスが正しく、グールドが間違っている、それはそのとおりであるが、なぜグ-ルドが間違ったのか、そこに進化・適応主義に対するグールドの深い思考があるためだ。

「ようだ」というのは、私には、残念ながら、このあたりの微妙な言葉は、そういう見方、語り方もあるのかもしれないけれど、何を言ってるのかもう一つピンとこないから。
これは内容について批判しているわけではなくて、(それは完全に私の頭を素通りした)、私がこうした言葉で構築された文章、こうした言葉の組み合わせの裏にあるイメージがとれないと、解った気にはなれないからだ。


なんとなく似たような構造を感じるのは、正しいことがわかっている恒等式でも、その理解・解釈は多様であるということだ。
前にも書いたことだけれど、A+B=C という正しい数式があったとして、
  • AやBが大きくなったらCが大きくなると考えるのか、
  • A+BはCで抑えられているからAとBは競合すると考えるべきなのか。
これは数式が語るわけではない。取り扱っている事象を良く見ないとどちらの解釈が正しいかは判定できない。
また、これが次への展開に向けてインスピレーションを与えることになるかもしれない。

とにかく難しい本だった。(でも理解できなくても実害はなさそうだ。)

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