寅さんは尊王攘夷かい

昨日に引き続き、一阪太郎「吉田松陰とその家族」のこと。

この本の最後に、おもしろい話が紹介されている。
「男はつらいよ」の主人公、寅さん(車寅次郎)のモデルは吉田松陰であるという説があるという。
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  • 松陰の通称の一つ(もっとも知られた)は「寅次郎」であるが、これは寅さんと同じ
  • 松陰には三人の妹がいるが、寅さんにも妹がいる
  • ときに寅さんは理屈っぽくて説教くさいが、松陰も同じ癖をもつ
  • 寅さんは意外に時事問題に関心を持つが、松陰はもちろんである
  • 寅さんは駄洒落を好むが、松陰もその傾向がある
  • 「男はつらいよ」のラストシーンは寅さんからの手紙が届くパターンが多いが、松陰も旅先から家によく手紙を出している
  • 寅さんは外国人が苦手で、友達から「寅さんは尊皇攘夷かい」とからかわれたりするが、松陰はいうまでもなく尊皇攘夷論者
  • 松陰も寅さんも日本中を歩き回る
  • 寅さんの近所の印刷屋社長「タコ社長」の本名は「桂梅太郎」、桂小五郎と杉梅太郎から作られたのではないか
以上は延広真治「『男はつらいよ』編知気論」の指摘にもつながるとある。さらに、
  • 寅さんの家は団子屋だが、松陰の生誕地は松本村の団子岩である
そして、山田洋次監督は大阪生まれ・満州育ちだが、引き揚げ後は山口県で、宇部中学、山口高校に進んでいて松陰に接する機会が多かっただろう、そしてそのうち人間臭い部分を嗅ぎ取って寅さんのキャラクターにしたとしたら面白い、ここまで表面を変えれば、松陰の狂信的崇拝者にも気づかれまい、と続ける。

fuunjitachishoin2.jpg 面白いので引用が長くなったが、この説を先に聴いていたら、松陰という人のイメージは随分違ったものになるだろう。
正直なところ、松陰という人物は、尊皇攘夷論に凝り固まった融通の利かない人物だというイメージがあったし(だから松陰伝の類は敢えて読もうとしなかったわけ)、好意的に評価しても、「清々しい眼をした狂人」というあたり。(画像右:みなもと太郎「風雲児たち」の松陰)
もっとも本書によれば、「志」を立てたものにとり、「狂」は崇高な境地なのだそうだ。

山縣狂介(有朋)は名乗りに「狂」を使っていることで有名だが、私は猛々しさを主張したものと思っていた。本書によれば、これは松陰の影響だという。高杉晋作は「東行狂生」「西海一狂生」、桂小五郎は「松菊狂生」という号を使ったこともあるそうだ。山縣はむしろ慎重居士であり「狂」を名乗ったのは、長州を吹き荒れた「狂」のエネルギーの凄まじさであるという。


また、尊皇攘夷にこだわるあまり、偏頗・偏狭な思想家という印象も強いが、西洋事情もそれなりに通じていて、民衆をバックにフランスを救ったナポレオンの行動を長州でとも考えたらしい(これは佐久間象山の影響か)。そもそも兵学者であるから、実学の重要性にも早くから気づいている。
ただ、「攘って後開国」と、実現可能性の吟味、そのリスク評価が甘く(久坂をたしなめるときは真っ当なのに)、攘夷を優先させたのはいかがなものか、テロリストの論理(恐怖で民意・政治を動かす手法)としか、やはり、言いようがない。

一方で、偉人という扱いを受けるのは、戦前の忠君愛国教育が大きい。本書にも紹介されているが、いろいろな形で松陰は顕彰されてきたし、学校の教科書にも松陰に関わる話が採用されている

もちろん、多くの罪を犯したこと、テロを企んだことなどは隠され、楠公に比すべき偉人としてである。そして、母・滝もこういう偉い人を産み育て、模範的な良妻賢母として教科書にとりあげられたそうだ。
小学校ぐらいだと素直に信じてしまうから怖い。特に偉人伝は、偉さを捏造、偉くないところは隠す、一つでも善行があれば強調する、失敗は成功の母にする、などなど。

我々の松陰イメージはこういう「教育」が形作ったところも多いのかもしれない。

松陰はたしかにもの凄い勉強量だったようだが、それが仇になり、「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」と思い込んでしまったのだろうか、あるいは幼いころから極端なエリート教育を受けるとこうなるのだろうか。

テロリスト、偉人、寅さんのような人柄、これらが同居していること自体が狂気、というか普通じゃないけど。

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