大竹しのぶのピアフ

大竹しのぶがピアフを演じているということは、かなり前に新聞広告の公演情報で目にしたことがあるけれど、大竹しのぶが歌えるのか?、ピアフの野太い声が出せるのか?、口パクでやるのか?、と失礼ながら、訝しく思った。そして、それきりだった。
「題名のない音楽会」はほぼ毎回見ているので、こうやって大竹しのぶのピアフに遭遇したというわけだ。
歌がうまいわけではない。ピアフのような野太い声でもない。
しかし、力強い歌である。
あんまりこういう表現はしたくないのだけれど、魂の叫びというやつ。

ピアフの恋人が飛行機事故で亡くなったときに作られたのだそうだ。ピアフが早く会いたいと言ったために、その恋人は乗る飛行機を早めて事故に遭ったのだという。
恥ずかしいことに今まで「愛の讃歌」("Hymne a l'amour")の歌詞をじっくりと読んだことがなかったのだけれど、この話を知ると、歌いだしの "Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer"(私たちの上の青い空が崩れ落ちそう)という歌詞が、全く別の凄みをもって聞こえる。
そして、この曲をカバーした日本の歌手としては、越路吹雪よりも、大竹しのぶが深い思いを載せていると感じた。
この放送の後、久しぶりにピアフを聴いてみた。古い録音で、凄い歌だとは思っていたものの、ローレゾで雑音も多いから、あまり聴くことはなく、ミレイユ・マチューがカバーしているCD("Chante Piaf")の方が好みだったのだけれど、ピアフは、聞き初めこそ録音の古さを感じるものの、聴いているうちにノイズも解像度の低さも忘れ、迫ってくる。

これも良く耳にする曲だが、大竹しのぶの歌はとても生々しい。
お針子は、貧しい娘・薄幸の娘の定番なのだろうか、「ラ・ボエーム」のミミ。
大竹しのぶは自分が歌がうまいとは絶対に思っていないだろう。だからこそ、決して口先の歌にはならない。
上手に歌おうとか、自分がうまいとか、「個性」を勘違いしている有象無象(口先歌手)と比べ、(だから私は鍛えられ、訓練されたクラシックの歌手の方が好きなのだが)、上手くないかもしれないが、必然的な表現をしている大竹しのぶは支持する。(「個性」はこうして生まれ、表れてくるものだと思う。)
それにしても「愛のさんま」には苦笑するしかないなぁ。
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