「アーキテクチャの生態系」

architecture_cover.jpg 一昨日は、ルールを絶対視するのも、ルールを絶対悪とするのも、どちらも思慮深い人のすることではないと書いたつもり。まぁ、言えばアタリマエのことである。

今日は、社会秩序というものは、強制力のあるルールだけでできるものではないという話。
濱野智史『アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか』について。

図書館の新刊棚で見て(私は図書館に行くとまず新刊棚を見て、タイトルや著者で面白そうなのを物色する)、タイトルから判断して借りたわけだが、ちょっと誤解していた。

私にとって、情報分野で「アーキテクチャー」と言う語に出会ったのは、「370アーキテクチャー」という形でだった。メインフレームの技術者なら懐かしい言葉だと思う。IBMのメインフレーム、そして富士通や日立のメインフレームが模倣した、ハードウェア、オペレーティング・システムの体系をイメージするもの。
ということで、てっきり技術や実現方法の歴史と現状でも書いてあるのかと思った次第。


これは情報工学の本ではなくて、社会学というか風俗学に近い本である。

これはこれで面白いのだけれど、いかんせんちょっと古い。文庫版の奥付は「2015年7月10日 第一刷発行」となっているが、ハードカバーでは2008年に出版されているようだ。
今から8年も前ということは、ネットの世界では2世代ぐらい前ということになるかもしれない。

文庫版あとがきには、そのことが触れられている。たしかに個々の技術、サービスの進歩は著しいが、アーキテクチャという視点でとらえる枠組み自体が時代に合わないわけではないから、本書は文庫にもなり、読み継がれているわけだ。


「生態系」という言葉は、著者は2つの方向から使っているように見える。
言葉を素直に読めば、いろいろなアーキテクチャがせめぎあうインターネットの世界という意味になると思うけれど、それとは別の観点からアーキテクチャが仕向けるネット・ユーザーの生態系という意味もあるように思える。
著者は「アーキテクチャ」を「環境管理型権力」という意味で使う。
正確には、

米国の憲法学者ローレンス・レッシグが使った「アーキテクチャ」~人の行動を規律する物理的または技術的環境~から、哲学者・東浩紀によって概念化された「環境管理型権力」と書いている。
Wikipediaには次のように解説されている:相手を従わせるのではなく、相手が自ら望む行動を取ることが、社会にとっても優れている行動(社会の生産性を上げる行動)になるように、人間を創り変えることで、誰もが支配されているとは思わず、皆、自ら楽しんで生きていると思いながら、その実は権力に全て操作された人々として、人々が生きる社会。テーマパーク化される未来型社会のモデル。

ただ、私はWikipediaの解説はちょっと言葉使いが違うような気がする。「権力」という言い方をすると、人間を創り変えるというより、そうなるように環境を調製する権力というようなニュアンスになるのではないだろうか。
くだいていえば、その環境においては、自然なふるまい方が決まる、そういう意味でのアーキテクチャではないだろうか。

本書では、グーグル(検索エンジン)、SNS、P2P、ニコニコ動画などをとりあげて、それに集まるユーザーの行動を観察し、その行動パターンはアーキテクチャにより引き出されているとする。
ただ問題なのは、アーキテクチャがある目的のために設計されたとは限らないということ。著者も述べているように、別個の、例えばサーバーの物理的制約などによって(twitterの140字とか、2チャンネルの1000投稿の制限)、企んだわけではない行動パターンが生まれている。

architecture_map2.jpg

説得力ある視点だと思うけれど、この類の人間の生態観察は、一面の真理を切り出すもので、それで割り切れるわけではない。それは、私自身が、この本でとりあげられたSNSなどのユーザーとして典型的な人間ではないからかもしれない。

私はこのブログはもとより、別途Webページを持っているし、twitterもfacebookのアカウントもある。しかし、決して、著者がいうようなユーザーの絆「繋がりの社会性」には入っていない。
Webページは異なる端末でも同様の情報環境で使えるよう、ブラウザのトップページを指定しているだけだし、2つのSNS、twitter、facebookはどちらも義理(「twitter始めたから見てください」と某所から言われた、facebookは今の社長から友達申請をされたから)。

ブログは自己満足でやっているわけだけど、ブロガーの心理は本書で見事に指摘されている-mixiやfacebookに実名で参加するくせに、匿名でいたいという歪んだ心理(「声はあげないけど、誰か私に気づいてください」という、うじうじした情けないもの)である。だから、拍手やコメントがあると嬉しくなるわけだ。そう、私のことです。


私のような保守的な人間は、ネットで知り合おうとはしない。インターネットは、既知の人・組織とのコミュニケーション手段にすぎないわけだ。
おもしろいけど、そしてあたってるとおもうけど、オレは違うぞ。

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