会計の呪縛

私は会計については全く素人だから、これから書くことはまったく的外れかもしれない。
そうなら、是非、コメントをお願いしたいと思う。

まず会計というのは厳格な数字であると素朴に思っていた。とりわけ複式簿記とか財務諸表とか、高度な会計処理がなされているというだけで、畏れおののき、ひれ伏す人間である。
そういう人間が会計というものに疑問を持ったのは、関連会社に出向したとき。決算書に減損損失10億円が計上されているのを見て、PLは円単位で、項目によってはせいぜい万のオーダーが記載されているものもある中で、BSに書かれた10億円、これは一体何なんだ!?
PLの損益はBSに接続されて、完全な財務諸表となる。だけど、一方は円単位、一方はあまりにさっぱりした10億円、0が9つ並ぶ紛うことなき10億円。こんなもの加減算することに何の意味があるんだ?
誤差論では、こういう加減算は桁落ちを起こすから信用できないとされる。
また、素朴な会計理解では、動かしようのない事実が記帳されるものと思っていた。10億という数字にどんな根拠があるのか。

私には会計基準について語れるような知識はないが、会計基準を振りかざす人達には疑問が湧いてきた。
例えば発生主義。発生主義は、原因の発生を直ちに記帳するわけで、業務の流れ々々の時点で記録され、記帳漏れを防ぐ実務的効果もあるし、未収・未払をきちんと管理できるわけで、良いやり方だと私も思う。しかし、発生主義を声高に言う人のなかには、まるで事業の計画的実施に役立つかのように言う人がいたりした。計画時点で記帳なんかするわけないでしょ。
(ところで国や自治体では、契約や発注時に支出予定を枠取りする。契約期間が1年なら請求の発生の1年前に記帳するわけで、計画的実施については役所の方が徹底している。)
そして前述の減損会計。理念はなるほどそうかもしれないが、その数字自体にどんな根拠をもって書き込むんだろう。これって素朴な会計理解からあまりにかけ離れているのでは。

そんな疑問を持っていたことも忘れていたこの頃だが、通勤の無聊を慰めるために読んだ本が、かつてのこうした疑問に答えてくれた。
会計の呪縛
大畑伊知郎「日本経済を壊す会計の呪縛」(新潮新書)。

そもそも私は会計なんて所詮企業活動の結果を記載するだけの技術にすぎず、日本経済を壊すなどと大げさなと思って、あまり期待せずに読み始めたのだが、そして実際やっぱりおおげさな感じは今でもするが、会計に対する疑問への回答としてはなるほどと思わせる。
著者は公認会計士だが、会計ビッグバン(外圧の産物)によって、日本の経営スタイルが大きく変わってしまったとし、その元凶として、時価会計、減損会計、税効果会計をあげている。そして冒頭の素朴な疑問(減損損失10億円)に対しても、これら会計基準が会計に推測の数値を持ち込み、予測にすぎないデータが事実に転化してしまっていることを指摘し、こうしたことは財務諸表本体ではなく注記とすべきとしている。
著者は、過剰な収益性重視の経営を戒め、成長性重視を説く。(それも良いかもしれないが、成長性重視には外部不経済を招く場合もあるから、社会貢献重視=企業の存在価値重視が良いと思う。)

会計ビッグバンに続いて、IFRS(国際財務報告基準)の導入も検討されているという状況だが、著者によれば、ドイツ、フランスの証券取引所では、IFRSに従う企業と、国内基準に従う企業は分けて上場する制度となっているそうで、我が国も同様、国際会計基準企業、国内基準企業それぞれの取引所にすることを提案している。もとより私にその良し悪しを判断する能力はないが、説得力のある話である。
また、イトーヨーカ堂が米国株式市場から撤退し、一時は株価の下落を招くものの、すぐに以前以上の高値となった事例から、国際市場でなくても経営業績はあげられること、投資家は会計上の数字より企業の成長性が判断できれば投資するものだと、言われてみればあたりまえのことを指摘している。

「高度な」理論をふりかざされても平伏してはいけないようだ。
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