一生に一度のこと

モーツァルトの作品群の中で、もっとも好きというか、よく聴くのはピアノ協奏曲。
前に、「永遠の伴侶への邂逅」で書いたとおり、「悪くない」から「特別」に変わる瞬間をもたらしたのは、ヘ長調 KV459、この出会いの曲もピアノ協奏曲だった。

そうしたピアノ協奏曲のなかでも、変ロ長調 KV595は特別。
死の年の1月に作曲された(1788年頃に構想されていたのではという説もある)、最後のピアノ協奏曲(第27番)で、アインシュタインが言うように、このジャンルがモーツァルトのジュンテーゼ(綜合)であるなら、これこそ「モーツァルトの白鳥の歌」と言える。

KV595mov1s.png 第一楽章。おずおずと始まって、断片のような音列や流れる旋律が、波のように、重なり、繰り返し、絡み合う。
モーツァルトのソナタ形式では展開部が長いものは少ないと思うけれど、この曲は比較的長い。

というかこの曲では展開部のはじまりも型どおりではなくて、ソナタ形式はフレームだけれど、フレーム通りでなくていいんだと思い知らされる一方、

展開部が進むにつれ、ピアノとオーケストラの絡み合いが異次元のものになっていく。
ここに至ると息が詰まる。

そして、再現部に入って落ち着きを取り戻す。

再現部に入るとやはりソナタ形式、その統一感というか、おさまりかたというか、

だけれど、あの瞬間の昂揚が消えていないので、どうしても後遺症(息が詰まり、汗が出る)として残り、噛みしめることになる。

実は、展開部のこの部分、初めて聞いた時には、ものすごく長く感じた、というか、これを聞ける幸せが長く続いてほしいと願った覚えがある。
だけれど、繰り返して聴くと、この部分はそんなに長くない、というかむしろ短い。わずか6小節(譜面参照)。
ここに永遠の時が封じ込められているのだけれど、やはり時の流れは止められない、終りのある世に戻ってくる。

一生に一度の経験かもしれない。
だからといって繰り返し聴くと値打ちが下がるわけでは、もちろんない。
なのだけれど、今までこの曲を聴いたことがない人、この曲を初めて聴ける人がうらやましいと思う。
そして、できるなら私も記憶を消し去って、もう一度「初めて」聴きたいと思う。

最近のことはどんどん忘れるくせに、昔のことはなかなか忘れない。

KV459との出会いが一生に一度のことであったように、この曲との出会いも一生に一度のことなのだ。

225回目の命日に。


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