リスト~グッドール「音楽の進化史」

グッドール「音楽の進化史」については、1750年まで読んだところで感想を書いた。

他にも、この本で知識を得て、カッシアヒルデガルト・フォン・ビンゲンについては、それぞれ記事にしたし、この本で触発された19音音階でも遊ばせてもらった。

というわけで、久しぶりにその続き。
といっても残り全部を1記事にするのは困難。あまりに多彩な方面から音楽史をとりあげているし、私には理解不能のものもたくさんある。
要約してもしかたがない(というかその能力が私にない)ので、ちょっと気になったことだけ。

まず、1750年以後といえば、古典派の時代だけれど、私がコメントできるようなことはない。ただ、モーツァルトについては、グッドールは「神」とのみ書いて通り過ぎていることだけ注意しておこう。

liszt_1956919c.jpg で、急ぎロマン派に移るわけだけれど、グッドールはリストを最も重要な作曲家の一人としてとりあげている。リストについては、もちろん知らないわけではないし、ポピュラーなものばかりとはいえ作品はいろいろ聴いたことはもちろんあるわけだけれど、この作曲家に対して私には特別な思い入れはない。
しかし、グッドールは様々な作曲技法、音楽改革がリストによって創められたことを力説する。
いかにも本職が作曲家である著者らしい切り口で高い評価が与えられている。

そう書かれていたから、あらためて手元にあるリストを何曲か、ピアノ曲や管弦楽曲を聴きかえしてみた。
それで思った。ピアノ曲ではそれほどではないのだけれど、管弦楽曲を聴くと、なんだかすごく時代がかっているというか、古さを感じる。つまり、時代を感じさせるようなところがある。

以前、岡田暁生「西洋音楽史」の記事で、「古楽と現代音楽は大なり小なり歴史的距離のある音楽だが、クラシックは私たちが今その中で生きている音楽環境の自明の一部である」という岡田氏の言葉を引用して、そしてそのとおりだと思うのだけれど、リストを聴くと「今その中で生きている」という感覚ではなくて、昔こんな音楽が流行ったという感覚になる。
それは若い頃聴いた歌謡曲を今聴くと古いと感じる感覚に似たものである。

もちろん今聞いても名曲だなと思うものも数多いのだけれど。


これに対し、モーツァルトはいつ聴いても新鮮である。
もちろん、少々黴臭い感じがするもの、練習で作ってみましたみたいなもの、「なんだこりゃ、ベートーベンみたいだな」と思うものもモーツァルトにはあるけれど、時代を感じることはあまりない。

バッハなんて時代を感じるという人などまずいないだろうと思う。trop mechaniqueという人はいるかもしれないが。
ドビュッシーなどのフランス近代ものも、昔聴いた曲だなという感じにはならない。

グッドールはそういうことは書いていない。岡田暁生もそうは書いていない。
「昔流行ったみたいだけど、今は聴かないな」という、この私の感覚は何に由来しているのだろう。

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