将門伝説の歴史

masakadodensetsu.jpg 歴史ものの書評が続くが、今日は、樋口州男「将門伝説の歴史」。

図書館の棚にあったので、特に思い入れもなく借りたものだし、けっこうな分量があって、かつ、カタイ内容なので、半分も頭に入っていないとお断りしたうえで。

将門伝説というのは、将門を英雄視する伝説のことだろうと思っていて、しかも、それは眉唾じゃないかとも思っていた。
というのは、この伝説を知ったのは、NHK大河ドラマ『風と雲と虹と』(1976年)で将門がとりあげられたときに、ドラマの冒頭で語られたからである。
うろ覚えだが、東京大手町に将門首塚があり、関東一円に数多くの将門を祀る神社があるという話があり、皇位を覬覦した大逆人が、愛され尊ばれたことを意味するという解説がなされていたと思う。

もっとも関西人としては、将門所縁の神社や古跡には縁がない。


しかし待てよ、全国に天神社があるけれど、菅原道真が国民に愛されていたというわけではないだろう、道真の祟りを怖れ、怨霊を鎮めるために建てられたのが天満宮である。同様に、早良親王(祟道天皇)など、非業の死を遂げた人物怨霊を鎮めるために祀られてきた例は他にもある。
神社に祀るのは、祟りがおそろしいからというのが多く、その人に親近感があるからというわけではないだろう。非業の死をもたらした側(道真なら藤原氏)が祀る。あるいは疫病などをきっかけに、民衆が誰それの祟りとして祀る。その誰それは、祟ると恐ろしいと思われるぐらいの力のあった人でなければならない。

本書でも、こうした将門の祟りと神社の関係が解説されている。将門の祟りとされる天変地異や疫病の流行などが起こっており、それを怖れて神社を建てて祀ったようだ。
江戸鎮守の神田明神に、将門が祀られているのは、疫病を将門の祟りとしたことがきっかけだそうだ。そして、時は流れ、江戸時代には、将門は江戸の総鎮守と崇められることになる。

そのうち、そうした祟りを怖れるという由来はあったにとしても、将門を単純に否定せず、それなりに立派な武人であったというふうに顕彰する人達がいたわけで、そうした伝説は、将門の死後早いうちに作られてきたらしい。将門の縁者であることを自らの血統に取り入れ誇りとする例もあるという。たとえば、頼朝挙兵を支えた千葉氏などもそうだということである。
祟るからだけでは、関東一円に広く信仰されるということにはならなかった、何か別の心情もあったということらしい。

なお、将門伝説とくくっているなかには、将門を滅ぼした側、俵藤太などの調伏伝説も含まれるかもしれないが、本書では将門がどう思われていたかを補強する史料としての扱いのようだ。なお、将門を調伏した高僧が地獄に落ちたという伝説もあるそうで、こちらは将門贔屓ということになる。


本書では「将門記」が、ほぼ事件の実相を伝えているとしている。そして、「将門記」の筆致は、将門のしたことを悪としながらも、英雄として戦い、死んだと評価したうえで、なぜ事件が起こったのか、叛乱の動機・経緯へ目を向け、「誰か図らむ少過を糺さずして大害に及ぶとは」、つまりどうしてこんな大事件になってしまったのか、という「将門記」著者と問題意識を共有するとしている。

将門の伝記、軍事・政治史としては、ほぼこれで総括されていると思うのだけれど、これは最初の章「平将門の乱と『将門記』」に要領よくまとめられている。

後の章は、その後の将門伝説が紹介され、その系譜を追う。
ここからが本書の真骨頂だと思うけれど、将門に関連する能や歌舞伎など、芸能史の知識がない私としては、ひたすら文面を追うだけになってしまうが、一部を紹介しよう。

まずおもしろいと思ったのは、馬琴の将門評である。馬琴は、そうした多くの伝説に語られる逸話について、自ら疑問を発し、そしてそれに自らが研究して得た解釈を提示しているそうだ(「昔語質屋庫」)。

明治政府は、神田神社(明神あらため)から、将門を祀ることをやめさせようとしたこともあるという。
この頃には、将門は既に江戸鎮守の神様として、庶民の崇敬を受けていたから、当然のごとく大反発したという。そして、さらに将門が末社に追いやられたときには、大祭礼の日に、大風・大雨で、祭の山車やら何やら、破壊しつくされ、これぞ将門の祟り・怒りであると、おもしろおかしく書き立てた新聞もあるそうだ。
将門の祟りというのは、昭和40年代になってもまだあって、いろいろな凶事が起こるたびに、お祓いが行われたという。

本書の冒頭では、将門の雪冤に努力した織田完之という人が紹介されている。この人は、将門の冤罪を晴らそうと裁判所に訴えたということである。もちろん、歴史上の人物は審理の対象にはならないということで裁判所は門前払いしたらしいが。
織田氏は、関東の庶民に広く、根強く将門信仰があることに強く惹かれて、将門の事績を調べ、復権を図る著作「平将門古蹟考」を残していて、本書のベースにもなっている。

将門は、はじめから関東の人々に愛され、敬われたわけではないのだろうと思う。しかし単純に祟りを怖れるだけで祀ったわけでもなく、やはりそこに力あるものへの畏怖というか期待があり、次第に信仰に高められたのではないだろうか。
伝奇小説の主人公として、まだまだ生き続けるだろう。

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