モーツァルトの家族~「モーツァルトと女性たち」(その2)

随分、日があいたけれど、グラヴァー「モーツァルトと女性たち」の各章についての感想を順に書くことにする。
同書の第1章は「モーツァルトの家族」である。

アインシュタイン「モーツァルト:その人間と作品」は、レオポルトがザルツブルクへ来るところあたりから書かれていたと思う。アウグスブルクやインゴルシュタット(あのフランケンシュタインが怪物を生み出した大学街)ではなく、ザルツブルクへ来るところからである。

Leopold_Mozart.jpg グラヴァー「モーツァルトと女性たち」では、それよりも一世代前、モーツァルトの祖父母から語られている。
それは父レオポルトや母アンナ・マリア(生地ザンクト・ギルゲン―後にナンネルもここで暮らす時期がある―にはこの縁による小さな記念館がある。ちょっとした土産物売り場もあって、リコーダーを買おうかと思ったけれどジャーマン式しかなかったのでやめた)がどういう人達であったのかを書くためである。

そして、レオポルトがその父とも喧嘩別れするような、かなり我儘な人間だったと推察されることが書かれる。

このことは、レオポルトは厳しい父であり、方針の違いからヴォルフガングと対立することになるが、厳しくても立派な父であったと思っていた私の思い込みとは微妙に違う。本書では頑固な独裁者という一面が浮き彫りにされる。

モーツァルトがウィーンへ行ってしまったことに対する怒りは、モーツァルトが親の忠告を聞かないことに対するものだけではなくて、また、親らしい気遣いからだけということでもなくて、ザルツブルクで経済的には不遇(結局、副楽長どまりに終わる)だったレオポルトにしてみれば、その頃、既にモーツァルト一家では、モーツァルトが収入面での大黒柱であったことが指摘され、そうした経済的理由からでもあったという。

ベートーヴェンの父親は、ベートーヴェンをモーツァルトのようにして、息子から搾取しようと考えていたという話があるけれど、レオポルトもそうした面があったわけだ。ただ、レオポルトは教育者としては素晴らしかったわけで、そこがベートーヴェンの父とは違い、「厳しいが立派な父」という評価を得ることになったのだろう。

anna_maria_mozart.jpg
アンナ・マリア(マリア・アンナと書いてる本もあるけど)のイメージも違っていた、というか今までは知らなかった。
母アンナ・マリアはパリで客死するわけだが、レオポルトの命令で、モーツァルトに付き合わされて、息子にはほっとかれ、寂しい思いをしながら、冷たい部屋で死んでしまった、かわいそうな母、そのように書いている本が多いと思う。
しかし、本書では、アンナ・マリアは、モーツァルトとの旅を楽しんでいた様子も描かれる。それはレオポルトから離れて羽根を伸ばしたという面もあるに違いない。

たしかに、モーツァルトは仕事を求め、旧交をあたため、また新しい人脈を築くため、母をほったらかしにしたこともあっただろう。アンナ・マリアは一人でさびしく食事をしたことも多かったかもしれない。それでも、うるさいレオポルトから離れ、モーツァルトと一緒にいることは楽しかったのだろう。
アンナ・マリアは大酒呑みだったというから、決してひよわな体質ではなかっただろう。死の数日前までは元気そうだったという。

マリア・アンナ(ナンネル)についても、他の伝記などでは、子供の頃の一瞬しかナンネルの姿は描かれないことが多いけれど、本書では、ナンネルの弟に対する感情の変遷、無邪気なパートナーから嫉妬の対象へ、そして評価・自慢の弟へと変わっていくことが示される。

モーツァルトとレオポルトのイタリア旅行には、最初の大旅行とは違い、アンナ・マリアもナンネルも同行していない。今まで、そのことについて不審に思ったことはない。モーツァルトの成長及び就職のためで、その期待を受けていないナンネルが一緒に行かないのは当然である。なにより、一番大きな理由は、旅にはお金がかかるということである。そしてその通りなのかもしれないが、著者は、残された母娘の気持ちに着目する。
その一方で、モーツァルトとナンネルの「暗号」通信、下ネタ満載の手紙から、二人の気持ちが通じ合っていたことも(モーツァルトの結婚までは)、丁寧に記述されている。

Maria_Anna_Mozart_(Lorenzoni).jpg とりわけ、ナンネルについては、ピアニストとして当代一流の腕をもちながら、弟の陰に隠れていることに対し、はじめは悔しさもあったのだろうが、弟を凌駕できないことを自覚しながら、やはり自分の腕前は披露したかっただろうと、思う。
そして、レオポルトから最大の被害を受けたのは、ナンネルだったのかもしれない。

著者は、ナンネルへの思い入れを強く持っていると思う。
本書のカバーにナンネルの肖像が使われていることもその表れではないかと思う。
ナンネルは本書の最後の章「モーツァルト亡きあと」で再び大きな役割を果たすことになる。

モーツァルトが弟でなければ、彼女は素晴らしい音楽家として(レオポルトも彼女に多くを期待しただろう)歴史に名を遺したにちがいない。その肖像画を見れば、きりっとした美人であったことがうかがわれる。

だけれど、結局は「モーツァルトの姉」としてしか名を遺さなかったというわけである。

あと、モーツァルトの家族には、"ビンベルル"(または"ビンベス")と呼ばれていた一員がいる。
旅先からモーツァルトがナンネルに「太らないよう餌を与え過ぎないように」と注意していた、フォックステリアである。("His master's voice"の種類もフォックステリアのようである。この種類には音楽が似合うのかな。)

P1000905-crops.jpg
【追記】

ザンクト・ギルゲンで撮った写真があったのを思い出したので載せることにした。
アンナ・マリアの像と、モーツァルトの記念館。


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P1000907ms.jpg



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