モーツァルトとオペラの女性たち~「モーツァルトと女性たち」(その4)

AnnaGottliebColorDetail.jpg この章は見事なまでにオペラの楽曲解説で埋め尽くされる。

モーツァルトのオペラといえば、本書では"ラ・フィンタ・センプリッチェ"(KV51)を最初に取り上げている。同時期に"バスティアンとバスティエンヌ"(KV50)もあるが、これは習作のようで、上演公開をもくろんだ最初の作品として"ラ・フィンタ・センプリッチェ"をとりあげたのだろう。
私ももちろんどちらも録音を聴いたことはあるけれど、映画「アマデウス」でもモーツァルトの成功を印象付けるシーンに使われた"後宮からの誘拐"(KV384)以前のオペラについては、正直なところ、後の"フィガロの結婚"(KV492)や"ドン・ジョバンニ"(KV527)などのような興奮を覚えることはなかった。

初期のオペラというと、"恋の女庭師"(KV196)は、他愛ないストーリーだが、それなりにまとまっているように思う(ドイツ語版とイタリア語版があることからも再演されていたことがうかがわれる)。
また、"ルチオ・シルラ"(KV135)は素晴らしい序曲やアリアがあって、それぞれ単独の楽曲として楽しめるけれど、劇作品としての完成度はいかがなものかというのが正直な感想である。

ちなみにルチオ・シルラという人物は、塩野七生「ローマ人の物語」によれば、とんでもない実力者であり、反抗者に対しては苛酷な処置をした人という。モーツァルトの作品のストーリーとはちと違うような気がするが。

そして"後宮"の大成功が際立つのだけれど、本書では、その前にミュンヘンで上演された"イドメネオ"(KV366)が重要な作品として、そして素晴らしい作品として取り上げられている。

ただ情けないことに、著者は"イドメネオ"のアリアやレチタティーヴォについて、生き生きと語るのだけれど、私にはその音楽が聞こえてこない、序曲は強い印象を受ける名曲で、単独で演奏されることも多い(オペラとは別だが"イドメネオのための舞踊音楽"も)。しかし、このオペラを通して視たことがあまりなく、また、ビデオを通して視ても、やはり退屈なのである。


そして、なぜ"イドメネオ"が後期のオペラと比べて、やや貧相な感じを受けるのかがわかった。
モーツァルトは、歌手に合せて音楽を作った。

FabPlayer_[20160718-175156-463] 歌手の力量が低いと、それに合わせた音楽にせざるを得ないのである。
もちろん「やさしい」曲では効果が得られないというわけではなく、モーツァルトはやさしい曲でも立派な効果をあげること、それは歌手の歌だけでなく、伴奏オーケストラにも役割を持たせることでもなされる、というわけだが、やはり、歌手の力量に差があると、やはりバランス感は落ちるのではないだろうか。

それだけに、どこで演奏する予定だったのかがわからないいわゆる三大交響曲(KV543、KV550、KV551)の成立が謎なのだ。


今なら、曲に合わせて、プレイヤーが集められるのがアタリマエだけど、当時はプレイヤーに合せて曲が作られた。これはモーツァルトのことだけではない。

そして演奏したい曲に必要なプレイヤーが参加できなければ、編曲という手段がとられる。"メサイア"のモーツァルト編曲版(KV572)では、あろうことか、第三部の「ラッパが鳴り響いて」のトランペットがない(ホルン代用)。


"イドメネオ"の後は、いよいよ"後宮からの誘拐"(KV384)が取り上げられる。ようやく思ったような仕事ができたというわけである。

だからこそ、映画「アマデウス」でも一躍、ウィーンのトップとして認知されるモーツァルトを表現するものとして取り上げられたわけである。

"劇場支配人"(KV486)にちょっと触れて、オペラ作品としてはもちろん中途半端なものであるけれど、サリエリとの腕比べでもあって、モーツァルトは楽しんでやった仕事だろうという評である。

JosephaDuschek.jpg そしていよいよ、"フィガロの結婚"(KV492)、"ドン・ジョバンニ"(KV527)、"コシ・ファン・トゥッテ"(KV588)、"魔笛"(KV620)が順次とりあげられる。そして、著者の解説の言葉が、その各楽曲を頭の中で響かせる、それぐらい的確な描写がなされる。

ところで、この4曲については、どれが一番好きか、という問いがときどきあるのだけれど、私は「最後に聴いたのが一番好き」と答えることにしている。
それは、誰だったか忘れたが、スタンダールが好きな人が「"赤と黒"と"パルムの僧院"のどちらが好きですか」と聞かれたら、最後に読んだ方、と答えることにしているというのを、そのまま使わせてもらっている。

著者は、もちろんいずれも不朽の名作としながらも、この中では少し評価が低いと思われる"コシ・ファン・トゥッテ"をかなり持ち上げる。私にも異論はないけれど、そう思うのは、他の3作品は、台本の乱れみたいなものがあって、演奏によっては曲の順序の入れ替えなどもあるのだけれど、"コシ"にはそういう乱れは全くなく、作品としての完成度としては最も高いと言えるからだと思う。

"フィガロ"は有名なザルツブルク音楽祭でのポネル演出カラヤン指揮の演奏では、楽曲の順序を入れ替えていたと思う。また、"ドン・ジョバンニ"はそうした乱れはないけれど、アリアの追加や終曲のカットなどはある。"魔笛"はベルイマンの映画版では、曲の順序が入れ替えられていたと思う。

もっとも、著者は"コシ・ファン・トゥッッテ"は、伝統的秩序や道徳への挑戦(これは他の曲でもそう)だと言うのだけれど、私のような現代人にしてみると、とてもそういう難しい楽しみ方はできなくて、当時はそういう評価もあったのだろうかとは思うものの、モーツァルトはいろんな人間がいて、いろんなことを考えて、いろんな失敗をするんだということを、見事に描いてくれたというようにしか思えないのだけれど。

いずれにせよ、この章を読んでいる間、頭の中に、オペラの各節が鳴り響くこと請け合いである。

上でゴシック体にした作品のうち演奏機会の少ないものをYouTubeから拾ってみた。

La Finta Semplice  (KV51)
Idomeneo  (KV366)
Entführung aus dem Serail  (KV384)
Der Schauspieldirektor  (KV486)
(演奏機会が少ないとはいえ、後二者は舞台も見たことがある)


高音質・高画質というわけにはゆかないにしても、こうやっていつでも見られるというありがたい時代になったものだ。


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