モーツァルト亡きあと~「モーツァルトと女性たち」(その5)

Mozart-Lange.jpg 前々章「モーツァルトのもうひとつの家族」では、コンスタンツェがモーツァルトに愛されたという事実だけで、もう十分良妻であったと言って良いと書いた。
この章では、そうした情緒的な評価にとどまらず、コンスタンツェの復権を目指したのではと思われる記述が続く。

モーツァルトの伝記というと、聖マルクス墓地に葬られた、というところで終わってしまう。しかし、「伝記」というのは、これから書き始められるのである。

本章では、伝記がどのように成立したのかということに多くの注意が払われている。
コンスタンツェとナンネルの、おそらくは不仲が伝記にどう影響したか、ということも含め、コンスタンツェが非協力的だったために協力を求められたナンネルが、まともにとりあわずに話したことが伝記に採用されること、そしてそれを知ったコンスタンツェが「本当の」モーツァルト伝(後の夫ニッセンによる)を望んだことなど、経緯が描かれる。

Sofie_Weber.jpg そして、モーツァルトに不用意に「子供」のイメージがまとわりつくこと、金銭感覚が夫婦ともになかったとされることなど、モーツァルト死亡直後のナンネルの不用意な発言が影響を与えたのではないかとする。
そしてコンスタンツェは、自分が関わらないところで出されたモーツァルト伝を、出版された本の買い占めも含め、正しいものにしようと努力することになる。

最後までモーツァルトの世話をしたコンスタンツェの妹ゾフィー(右図)の証言が今なお伝えられるのは、こうした努力のおかげでもある。

コンスタンツェ悪妻説では、モーツァルトの遺稿を二束三文で売り払ったというような話を聞かされてきたが、実際には、売り払ったことは事実としても、それはモーツァルトの作品を出版したいということであり、それを商行為としてできるかぎり安く買いたたこうという出版社との間での駆け引きの中での話である。
コンスタンツェとしては、モーツァルトの名誉・評価を最大限に高めることが、自分が生きていくためにも必要なことだったはずである。

そして、その活動の過程で、ナンネルとも往き来するようになる。
著者の一環した、コンスタンツェ、ナンネルへの好意的な眼差しが、ようやく報われることになる。

Franz_Xaver_Mozart_(Wolfgang_Jr)_1825.jpg ところで、モーツァルトには2人の生き残った息子がいる。上の子(カール)はイタリアで官吏として生き、下の子(クサバー=モーツァルトⅡ)は、音楽で身を立てている。
コンスタンツェは下の子の方が音楽の才能があると考えて、カールには音楽の道をあきらめさせ(本人は音楽もやりたかったらしい)、クサバーはモーツァルトⅡ世として売り出そうと考えたらしい。
しかし、モーツァルトⅡ世は、それだけで演奏会に客を呼ぶことはできるけれど、残念ながらそれ以上にはなれなかった。おそらく本人は、大変な重荷と、自己否定感覚にまとわりつづけたことだろう。

モーツァルトⅡ世の曲を聴いたことがある(ピアノ四重奏曲)。
日本で歌われている「タンタンタヌキの……」にそっくりのモティーフが現れる曲だった。


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