ノーベル文学賞

Dylan01.jpg ボブ・ディランが2016年度のノーベル文学賞を受賞した。
いわゆる文学ではない、シンガー・ソング・ライターの受賞で、賛否両論がある。

否定的な意見の人は、だいたいボブ・ディランが好きだとか、素晴らしいという前置きをした上で、「ジャンル」として疑義を表明する。また、ディランの前に受賞すべき人がいるだろうとも言う。

その「ディランより前に受賞すべき人」に名前があがった人達はほとんど知らないし、もちろん作品を読んだこともない。
科学系の賞の場合、研究者の名前は知らなくても、その業績を聴けば凄い研究をしたんだと納得できるけれど。


対して肯定的な人は、ディランは吟遊詩人の伝統の伝承者であると、ちょっと牽強付会な理屈をつけたりしているようだ。
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「伝承者」という言葉には疑問。ディランがオルフェウスを直接に伝承したわけではないだろう。生態的位置に似たものがあるという程度以上ではない。そしてこの位置は珍しいものではない。


日本では、今年も村上春樹が受賞を逃したという落胆ムード。(私は小説は読まないことにしているので、村上春樹も読んでいない。従って関心もない。)

ボブ・ディランといえば、私が中学から高校ぐらいの頃に流行っていたことを思い出す。
家には兄が買った「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」などの17cmEPがあった。
私は、特に好きということはなかったけれど、「風に吹かれて」とか「ミスター・タンブリン・マン(Mr. Tambourine Man)」など、兄が聴いているから、たびたび耳に入った。

Dylan05.jpg Dylan04.jpg 当時、「反戦フォーク」というジャンルがあって、ディランはそのカリスマのようなもの。他、ジョーン・バエズとかも良く聴かれていたと思う。日本では、岡林信康とか中川五郎とか。
で、フォークから出発して、メジャーになっていった歌手をあまり快く思わないという雰囲気もあった。反体制じゃないのか、というわけである。
ただ、授賞は反戦平和運動に対してというわけではない、それなら平和賞だろうし。

Dylan03s.jpg ディラン受賞で思った、それなら永六輔が受賞しておかしくない(故人は受賞できないが)。谷川俊太郎なんか絶対に受賞すべきじゃないだろうかと。あるいはビートルズが受賞しても全然おかしくないのでは。

というか、ノーベル文学賞が「最高の文学」を顕彰するものとは思えないし、そもそも文学賞があること自体が不思議。

平和賞も不思議な賞だけれど、政治的なものと割り切って評価すべきだろう。そういえば、文学賞でもソルジェニーツィンが受賞したときは、政治的な意図があると、旧ソ連からは批判されていた。

文学賞も平和賞も、毎年のように授賞への疑義がとりざたされるけれど、文学賞や平和賞はバイアスの強い、金持ちの道楽ぐらいに割り切って、あんまり騒がないで良いのではないだろうか。

で、ふと思ったのだけれど、文学賞を誰に先に与えるべきかを議論するより、どのジャンルに賞を与えるべきか考える方がよほど建設的なんじゃないだろうか。

ノーベルの遺言が基本だから、ジャンルを新設するのは難しいのかもしれない。だったら、各賞の対象範囲を広げたらどうだろう。ローレンツ、フリッシュ、ティンバーゲンはそろって動物行動学で生理学・医学賞を受賞しているけれど、それまでの生理学・医学賞からすると、随分異質だったと思う。

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ということで、人文科学と括られるものを対象とする賞は設けられていないが、文化人類学や言語学、宗教学(へたするとアブナイ)といったジャンルは、人類の平和に向けて、相互理解を高める上で大いに寄与すると思うから、こういうものも「文学賞」の対象としたらどうだろう。

また、周知のとおり、ノーベル賞には数学賞はない(フィールズ賞があるからなくても良いけど)。
数学は他の分野を支えているから、具体的な成果とセットで授賞は可能かもしれない。ショールズが経済学賞を受賞したときに、伊藤清が共同受賞しても全然おかしくなかっただろう。

その応用まで展望していたら喜んで受けるだろうけれど、思いもよらない応用だったら辞退しそうだ。


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